【皇道派】もし2.26事件が成功してたら?【牟田口】
1 :
名無し三等兵:
牟田口はどうなってた?
2 :
名無し三等兵:2013/02/04(月) 19:14:55.17 ID:???
作戦の神様こと辻政信が
>>2を奪取!
田中新
>>1 総理にバカヤローとかw でもオツ
河村
>>3郎 華僑虐殺の責任だけなすりつけられてやがんの(www
服部卓
>>4郎 おぅ、また来世でも一緒にやろうぜ!
山本
>>5十六 餓島が苦しいさなかに大和ホテルでおきらく生活か、おめでてーな(www
>>6た口廉也 「俺が支那事変と大東亜戦争を始めた」とか気負いすぎだから(www
>>7か村明人 人情司令官とか言われてるけど居眠りしてただけだろ(www
有末
>>8どる お前がトロトロしてるからタムスク空襲してやったぞバーカ(www
川
>>9ち清健 餓島の後の経歴パッとしなすぎ(www
堀井
>>10み太郎 モレスビーに着けないで残念でしたねー(www
3 :
名無し三等兵:2013/02/06(水) 13:15:38.75 ID:???
牟田口陸軍大将
4 :
名無し三等兵:2013/02/06(水) 19:40:01.21 ID:???
牟田口陸軍大臣
5 :
名無し三等兵:2013/02/07(木) 18:47:14.24 ID:???
牟田口参謀総長
6 :
名無し三等兵:2013/02/08(金) 21:03:30.98 ID:???
天皇親政の御代でひょっとしたらあの醜悪な大東亜戦争も避けられていたかもしれない。
7 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 11:41:52.75 ID:???
皇道派主導なら対ソ戦に向いてたでしょ。
8 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 13:20:17.13 ID:???
>>7 どうして対ソ戦になるの?天皇が待ったをかける。
9 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 13:41:41.54 ID:???
山下大将が中央に就く
10 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 13:47:33.31 ID:???
皇道派と言っても実質荒木派だからな
その人事に不服を持ったのが統制派
11 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 13:54:18.31 ID:???
荒木内閣w
12 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 13:55:07.07 ID:???
石原莞爾と東条英機はどうなったんだろうか
13 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 14:04:38.60 ID:???
荒木
真崎
牟田口
うわぁ…
14 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 14:16:36.59 ID:???
小畑敏四郎作戦部長
15 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 14:39:19.13 ID:???
陰険な東條より陽気な荒木の方が好感が持てる
16 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 15:24:19.88 ID:???
海軍は?
17 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 15:34:01.15 ID:???
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1136875456 決起の理由についてはさんざん言われていますので
繰り返しませんが、もし成功していたら日中戦争は
無かったでしょう、その後の太平洋戦も無かったと
思います。
当時の国家予算は陸軍の給料は減らされるのに
海軍は拡大一方でした。海軍や統制派は軍需
財閥と組み自分たちは儲かる仕組みになって
いました。これで海軍は日米開戦を拒否できなく
自分の首を締めました。
社会主義でいえば名前こそ社会主義と名乗りません
でしたが統制派の政治社会体制はまぎれもなく
国家社会主義です。
私の叔父が第八師団31連隊出身で歩3安藤大尉や
秩父宮と近く226に参加しました。私も226事件を
ライフワークとしています。
近年、226研究家の間では真崎の再評価が
行われています。私も従来説通りですが真崎や山下や
は秩父宮は今のところ、あまり評価していません。
18 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 15:42:25.08 ID:???
>>12 東條は親父さんと同様の不満抱えて中将で退役、ってあたりじゃないか。
19 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 17:56:19.20 ID:???
>>17 彼らにはクーデターという概念はなかったと思います。
ただひとえに天皇親政による国家革新を目指したのだと思います。
しかし、頭のいいはずの彼らが、それが成功した時の青写真をどうしてきちんと定めていなかったのか?
また皇軍相撃つとなっても、最後の一兵まで断行するの覚悟もなくなぜ暴発したのか?
(兵がかわいそうと途中で言い出すくらいなら、同志だけの決起にしろといいたい)
北の言った「若殿に兜とられて負け戦」と、天皇次第で自分たちが「逆賊の汚名」をきる可能性を
想定できなかったのか?
そのためには天皇と親しい重臣たちは軟禁にとどめ、もし殺しでもしたら「詰み」となることにどうして思いがいかなかったのか?
また各施設を占拠のあと、部外者を比較的自由に出入りさせている。
このような甘いやり方は、ずさんなやり方という。一切の部外者は立ち入り厳禁にするのが鉄則だ。
彼らの心情は痛いほどよくわかるが、いかんせんやり方が甘くズサンだと思えてならない。
相沢中佐もさぞ無念であったろう。私も昭和天皇の一言が恨めしい。成功してほしかった。
「青年日本の歌(昭和維新の歌)」を聴くたびに泣けてくる。
>>1 ・昭和天皇は退位、出家
・秩父宮が新天皇に即位
・元号が変わる
・陸軍統制派は全員免官
・海軍では伏見宮が実権を握り、米内、山本、井上が免官
・満州開発の推進
・支那事変、日米戦争は起きない
・その代わり、満州に莫大な国費を投じて経済的に自滅
b
23 :
名無し三等兵:2013/02/10(日) 12:48:44.71 ID:???
皇道派が主流になった方が軍事作戦はマシだったろうな。
24 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2013/02/14(木) 19:51:34.44 ID:sQIi+DQP
二・二六事件のスレは時々立てられますが、長続きしないんですよね。
この事件で昭和天皇が山下奉文を個人的に嫌いになって、大戦まで引き摺った
経緯もあるのに。私は重大な関心を抱いています。
25 :
名無し三等兵:2013/02/16(土) 12:09:26.36 ID:???
>>24 ZIIさん、奉文さんは東京都知事によく似ていませんか?
昭和天皇が山下奉文を個人的に嫌いになってしまったのは
直接的にはなぜですか。真崎甚三郎だと思ってましたが。
その嫌いな山下がマレーの虎として破竹の勢いでシンガポールを
陥落させたのを天皇はどういう気持ちで見ていたのでしょうかね。
天皇が一貫して平和愛好者だったなどというのは嘘。
26 :
名無し三等兵:2013/02/16(土) 14:27:52.34 ID:???
自分を退位させて、秩父宮を即位させようとした皇道派を昭和天皇が好むわけ
がない。
27 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2013/02/16(土) 16:23:17.74 ID:GfSpySHB
>>25 山下は事件の際に青年将校への渉外担当になり、陸軍大臣告示を読み上げています。
陸軍は山下なら頭に血の上った青年将校をなだめられるだろうと思っていたんでしょう。
昭和天皇は、総理時代の東條を異常なまでに信頼していました。大体、近衛の
後釜に東條の名が挙がった際に、「毒をもって毒を制するということだね」と
妙な例えを持ち出しています。ここまで東條に入れ込んでいた天皇は、東條から
山下についてあることないこと吹き込まれたのか、意気統合したのかは知りませんが、
戦後の平和愛好家のイメージとは随分違っていることは、調べれば分かります。
そもそもガダルカナルに米軍上陸の一報を聞いて、那須の静養地から東京に帰ろう
とした位ですから、戦争の勘はなかなか鋭いと思いますね。
28 :
名無し三等兵:2013/02/16(土) 20:48:42.99 ID:???
>>27番さん
わざわざお答えいただきありがとうございました。
山下少将は、事件前に持参されてきたあの決起趣意書に、何も言わず、朱を入れたのでしたね。
天皇はどこからかそれを耳に入れていたのかもしれませんね。
あの昭和天皇は政治的にも軍事的にも油断のならぬ男だったと思います。
東條を間接的に推挙したのが天皇なら、今で言う漠たる任命権の責任はありますね。
確か、木戸日記に東條がどうして組閣の大命を受けるに至ったかは書いてありますね。
東條の器は良く言っても師団長止まりだったと思います。
一国のトップとしてあの戦さを指導するのは荷が重すぎたと思います。
永田鉄山でも存命しておれば、おそらく彼だったでしょうか?
鉄山の前に鉄山無し、鉄山の後に鉄山なしと言われる器量の統制派の軍人でしたから。
だから、人を殺してしまうと、その人物の代わりが二流・三流になってしまう。
そういう意味では相沢中佐もミスを犯したのかもしれません。
29 :
名無し三等兵:2013/02/18(月) 02:26:54.44 ID:???
山縣有朋は、永田鉄山や東条英機を陸大出のエリートを嫌っていて、山縣が生
きているうちは枢要な地位には就かせなかった。
30 :
名無し三等兵:2013/02/18(月) 02:30:35.18 ID:???
過疎スレ上げるな
31 :
名無し三等兵:2013/02/18(月) 18:03:27.99 ID:???
>>29 山県有朋は1833〜1922。
陸大出のエリートを嫌う理由はよくわかる。
自分がいかに槍が得意だったとはいえ、
出自は足軽の出で、武士というエリートではなかったからだ。
エリートに対する僻み以外の何物でもない。
陸軍中佐・相沢三郎が陸軍省軍務局長の永田鉄山を刺殺した事件は、
1935年・昭和10年8月である。2・26事件の前年の事である。
山県はすでにこの世にはいない。
世間では不評な男で、すきあらば蓄財に励んだ卑しい男だ。
やっぱし、足軽出ではだめか?
32 :
名無し三等兵:2013/02/18(月) 18:13:01.00 ID:???
>>27 毒をもって毒を制すだから山下も東条も同様に危険視してたんじゃないか?
33 :
名無し三等兵:2013/02/18(月) 18:44:05.17 ID:???
>>27 昭和天皇が山下奉文を個人的に嫌いになってしまったのは
山下が事件の当初に青年将校達に少し同情する素振りを見せていたからだと
東条内閣を信頼していたのは開戦前には自分の意見を180度変えて
戦争を止めようとしたからではないでしょうか
34 :
名無し三等兵:2013/02/18(月) 19:39:43.14 ID:???
>>33 野中四郎名義の蹶起趣意書は、野中がしたためた文章を、北が大幅に修正したといわれています。
そして、1936年2月13日、安藤、野中両名は山下奉文少将宅を訪問し、蹶起趣意書を見せます。
すると、山下は無言で一読し、数ヵ所添削したが、ついに一言も発しなかった。[昭和期日本の構造・講談社学術文庫]と出ています。
ですから、山下少将は、石原などとは違い、彼らに当然たいそうな肩入れしていたはずで、同情以上のものがあったと推察されます。
だから天皇は気にくわなかったのでしょうね。
また、東條英機という人物を独のヒトラーのように言う人がいますが間違いです。
彼ほど昭和天皇に対して忠孝を励んだ人はいないと思います。
それがよく伝わってきたから天皇は東條を重用したのだと思います。
それだけに東條だけが絞首台の露と消えたことには、どこかで何かが欠落した思いがあります。
35 :
名無し三等兵:2013/02/18(月) 22:05:32.20 ID:???
陸軍士官学校事件は東條の仕業
36 :
名無し三等兵:2013/02/19(火) 09:40:44.47 ID:???
東條幕府
37 :
名無し三等兵:2013/02/19(火) 12:54:25.43 ID:???
>33
山下が青年将校達に同情的な態度を見せたのは、蹶起当初だけではなくてその最後の段階まででした。
鎮圧が時間の問題となり青年将校達に自決を促すしかなくなった時点で、山下は青年将校達の元へ
天皇の勅使を立ててそれを通達することで「彼等の面目を立ててくれるように」という願い出を
陸軍大臣を通じて働きかけています。
事件当初に青年将校に同情的な姿勢を見せた軍人は他にも大勢いますが、この最後の段階でまで
彼等を庇ったのは山下をはじめとしてごく少数でした。
38 :
名無し三等兵:2013/02/19(火) 13:12:35.03 ID:???
真崎甚三郎とはえらい違いだ。
山下閣下は偉いなぁ。
39 :
名無し三等兵:2013/02/19(火) 13:55:22.34 ID:???
橋本欣五郎は?
40 :
名無し三等兵:2013/02/20(水) 16:54:00.84 ID:???
>>37 その態度に昭和天皇はキレちゃったんだろ?
41 :
名無し三等兵:2013/02/20(水) 20:18:28.74 ID:???
橋本欣五郎こと「ハシキン」は革命による国家革新を目指すも、毎回失敗する。
ツキのない軍人で予備役に編入。226でも同じ。
42 :
名無し三等兵:2013/02/20(水) 20:56:44.42 ID:???
橋本欣五郎とかけてナントとく?
中学生以下の剣道大会ととく
そのココロは?
「突き」がありません
43 :
名無し三等兵:2013/02/20(水) 21:18:25.59 ID:???
ハシキンと長勇少佐は危険人物
44 :
名無し三等兵:2013/02/20(水) 21:33:29.26 ID:???
45 :
名無し三等兵:2013/02/20(水) 21:51:11.18 ID:???
>>44 真崎は天皇の意が表明されるや、その後のことを計算して、
決起将校たちとの関係を完全に消そうと躍起になった。
しかし、山下少将は最後の最後まで将校たちを見放すことなく、
彼らの側に立っていた。だから、事件が収束し統制派が力を
得るのだが、皇道派と目された山下閣下は最前線まわりを命じられ、
中央から遠ざけられた。そしてフィリピンの法廷で住民虐殺の責任をとらされ、復讐裁判で
モンテンルパの刑場の露と消えた。虐殺命令など出してもいないし、あのような戦闘
の中ではそうしたことは発生するのが当たり前で、無理難題をふっかけて責任とらせたのだ。
本間中将もその口だ。
美談なんかじゃない。筋を通して生きた一人の男の悲劇です。
46 :
名無し三等兵:2013/02/21(木) 12:08:53.47 ID:???
BS歴史館 2月21日(木) 午後8時00分〜9時00分
http://www.nhk.or.jp/bs/rekishikan/ 「徹底検証 二・二六事件〜日本をどう変えたのか?〜」
昭和11年2月26日、早朝。近代日本最大のクーデターといわれる二・二六事件が起きた。
裁判記録の最新研究から、東京中枢を数時間で占拠した陸軍の青年将校たちの意外な事実が明らかになった。
将校グループは決して一枚岩ではなかったのだ。なぜか? さらに事件後、陸軍で台頭したのは、若手の革新幕僚。
陸軍を大きく変えた、その手腕と狙いは? 事件は日本をどのように変えたのか、議論しつくす。 【語り】佐々木蔵之介
47 :
名無し三等兵:2013/02/21(木) 14:51:03.12 ID:???
>>45 やっぱ民主主義国家の軍人として最低のクズだな。
48 :
名無し三等兵:2013/02/21(木) 15:16:07.29 ID:???
山下少将は処刑に陛下の立会いをお願いしたんだったっけ
49 :
名無し三等兵:2013/02/21(木) 18:59:23.66 ID:???
どんな嫌がらせだよw
50 :
名無し三等兵:2013/02/21(木) 21:02:23.40 ID:???
もし2.26事件が起こらなかったら?のほうが、歴史は変わっていた。
51 :
名無し三等兵:2013/02/22(金) 13:38:14.35 ID:???
>>47 あーた、アホでっしゃろ。
「やっぱ民主主義国家の軍人として最低のクズだな」
民主主義国家?
70数年前の大日本帝国のどこが民主主義なんだい?
そして、山下少将のどこがどうくずなんだい?
説明してもらおうじゃないの?
それとも、ただの釣りか?
おそらくおまえは毒素菌だな。
脳みその中には糞が詰まってるでしょう?
52 :
名無し三等兵:2013/02/24(日) 08:34:49.59 ID:???
NHKのドキュメンタリー番組で2・26事件当時の電話でのやり取りを聞いたんだけど
人格者と言われる安藤輝三を鎮圧側の将校がボロクソに言ってるのがショックだったなあ。
部下を安藤部隊に奪われた将校だから余計そうなんだろうけど。
決起に参加していない将校だけで安藤を暗殺する計画もあったらしいね。
53 :
名無し三等兵:2013/02/25(月) 16:12:44.41 ID:???
決起将校の中で、一番腹が据わっていたのは彼であろう。皇軍相撃ってまでも、
逆賊の汚名をきてまでも最後まで事を成就させようとした。自決した野中四郎
には、その最後の一人になろうともあくまで事を貫徹しようとする覚悟・胆力が欠けていた。
安藤輝三大尉は悩みに悩んだ末に、決起将校の仲間に加わったのであるから、
そのあたりの気持ちの整理はつけてもいたし、覚悟の上での断行だったはずだ。
他の将校たちが、櫛の歯が一つ抜け、二つ抜けてゆくにも似た状況をみてどういう思いだった
のだろう。「その程度の決断で起ったのか!」と内心思ったに違いない。
2・26事件当時の電話でのやり取りに見られるように、クーデター等の場合には、一切の外部との
接触は断たないといけない。そういう意味では安藤大尉も電話口に出るなど甘いと
思う。そういう意味から「天聴に達せられあり」を勝手に自分たちに都合の良いように誤解などしたりする。
54 :
名無し三等兵:2013/02/25(月) 19:42:01.81 ID:???
松本清張の本によると、決起将校同士でさえもコミュニケーションが取れていなかったらしいね。
坂井直中尉が一番最初に下士官以下を原隊に戻したんだけど、仲間の将校には相談しないで勝手にやったらしい。
死刑にならなかった若い将校の中には、「磯部に利用されている感じがした、決起が成功したら暗殺するつもりだった」なんて言ってる人もいたし。
成功する所が想像できない。
55 :
名無し三等兵:2013/02/25(月) 22:38:14.58 ID:???
>>54 「成功する所が想像できない」
もし成功への糸口があったとすれば、天皇の「忠臣か逆臣かは詮議を経て決定せよ」
の一言であるのだが、天皇が信任していた者たちを殺しては、おそらくその一言すら
ないであろう。
だから、決行前に軟禁なりの手段を作っておけば、天皇に直諫できたであろうに。
彼らの心情はよくわかるが、計画に対する考えが緻密でなく、浅いし単純だ。
先の5・15事件が比較的軽く収束したので、甘くみたのだろう。
だから最後の土壇場で、軍事法廷で訴えようなどと寝ぼけたことを言い出すのだ。
彼らにはその純粋さ故に、成功してほしかったが、成就の可能性の極めて低い行動だ。
56 :
名無し三等兵:2013/02/26(火) 20:52:07.26 ID:???
徴兵で入ってくる兵達の貧しい生活に衝撃を受けたから、というのは口実のようにしか思えない。
どうやったら貧しさを解消できるのか、そのためのカネはどうやって集めるのか、
等といった具体的な道筋を当事者の兵に説明しなかったんだもん。
兵達は良く分からないで動いていたらしいよ。
57 :
名無し三等兵:2013/02/26(火) 22:26:10.28 ID:???
>>56 「兵達は良く分からないで動いていたらしいよ」
そうです。兵たちは確信犯ではありません。
おそらく、命令のままに動いたはずです。
それが軍隊と言うところです。
それから、現在のような兵に対する将校の説明責任もありません。
農家出身の兵たちの多くが経済的困窮にあえいでいたのも事実です。
口実ではありません。
当時の日本は三上卓氏の「昭和維新の歌」の中に書かれているそのままです。
安藤大尉は、実家が貧しい部下のために、俸給の3分の1をくれてやってましたね。
自決するので勅使を差遣してほしいという申し入れじゃなかったでしたっけ。
昭和天皇が「朕の信頼せる重臣を殺戮しておきながら、勅使などはもってのほか
である!」と激怒してはねつけましたね。
60 :
名無し三等兵:2013/02/27(水) 20:18:28.25 ID:???
個人的には、丹生中尉と坂井中尉に狂気を感じたなあ。
丹生中尉は狙われた岡田総理の親戚なのに、悲しむどころか上機嫌で総理の娘に電話をかけて、
坂井中尉は部下と共に無抵抗のじいさんに40発以上発砲してから更に斬りつけて「これが国賊の血だ!」と絶叫…。
2人とも普段は部下に優しく冗談好きで愛妻家というのが余計…。
61 :
名無し三等兵:2013/02/27(水) 21:31:57.93 ID:???
丹生中尉はたしか鹿児島の出身であったと思います。
私の記憶では、銃殺刑のあとそのお骨は未だに丹生家のお墓には入れられないままです。
あの兵たちに向かって語りかけている写真の左側の将校が丹生中尉と記憶しています。
「サムライ日本」の歌が当時流行していましたね。
新納鶴千代とくれば井伊大老の落とし胤というのが映画の設定でしたが
あの兵たちも観ていたのでしょうかね。
ZIIさんのZは海軍のZ旗をあらわし、ひとつは日本海海戦、
もうひとつはミッドウェー海戦の時のものですか?
62 :
名無し三等兵:2013/02/27(水) 22:40:49.73 ID:???
ストライキ等は考えなかったのかな。
無抵抗の老人を武装した兵士が襲うなんて、一般庶民はびびっちゃうよ。
あと何でマスコミを利用しなかったんだろう。
63 :
名無し三等兵:2013/02/27(水) 23:18:08.91 ID:???
>>62 だって「叛乱将校」はベクトルの違う「辻〜ん」だからだよ。
自分達は無謬である、と言う前提があるから、自身が起こした行動は
無条件で陛下が受け入れてくれる、と信じ込んでたのさ。
占領地に行って「住民宣撫」の為に「八紘一宇」の演説を原住民に
かます「陸大出のエリート参謀」と大して変わらんよ。
64 :
名無し三等兵:2013/02/28(木) 00:44:54.01 ID:???
>>63 事件当時の電話傍受に関するドキュメンタリーを観たら
反乱軍に入ってしまった部下に電話で投降を呼びかける将校が、
凄く冷静と言うか現実主義的で、
「青年将校達はこの手の人を何で参謀として活用しなかったんだよ…」と思ってた。
優秀なのに事件の後はニューギニアに飛ばされて戦死したらしい。
>>61 >Z旗
そんな格好良いものではありません。
ただのZガンダムのマイナーチェンジです。
それはともかく。
「文春」先週号に映画「226」の評価が載ってましたね。あの映画で人生が
変わった人は、私だけではないようです。
「勾坂資料」を入手しましたが、完読するのは何年も掛かると思います。
>>60 坂井中尉が襲撃したのは斎藤実内大臣ですね。
最初は包囲して拳銃を乱射、倒れた後に布団に機関銃を差し込んで連射、遺体には
47発の銃弾が撃ち込まれていたというのですから、どんだけ憎まれていたんだか。
連投失礼。
何年か前の「文春」には、殺された重臣達の遺体の写真が載っていました。
それを見た重臣の子孫は、「ここまで憎まれていたのか」とうめいたそうです。
文藝春秋からは、松本清張の3部作及び資料編3冊が出ていますから、会社として
何らかのつながりはあるのでしょう。
それから事件の入門書としては、映画のガイドブック「226」が重宝します。
シナリオだけでなく、死刑になった全員の顔写真と略歴、それに趣意書も載っています。
68 :
名無し三等兵:2013/02/28(木) 01:58:07.01 ID:???
高橋是清は国民中から愛されていたんだよね…。
農村を救いたいというなら、せめて将校一同による陳情位にしておけばよかったのに…。
69 :
名無し三等兵:2013/02/28(木) 11:24:04.53 ID:???
>>63 「自分達は無謬である、と言う前提があるから、自身が起こした行動は
無条件で陛下が受け入れてくれる、と信じ込んでたのさ」と言ってもいいくらいの
稚拙な行動でしたね。なんでまた、そういう感覚に陥ったのでしょうかね?
いくらこちらが正しいと思う事をしていたとしても、相手は必ずしもそうは思ってくれない、
まして相手の親しい人たちを殺害でもすれば、お話にもなりません、ぐらいの知能もなかったのかと思います?
「至誠天に通ず」とマジで思っていたのでしょうかね?
戦前の陸軍は世間とは隔離した場所で純粋培養の軍隊教育を施しましたから、その弊害がここでも出た
のでしょうかね?
>>65のZIIさん
「ただのZガンダムのマイナーチェンジです」とはわかりませんでした。
また、その答えを聞いても、ガンダムはわかるとしても他がちょっと・・・
どうも失礼いたしました。
昨日の新聞に東郷平八郎の若い頃の写真が出ていたのでふとそう思ったのです。
70 :
名無し三等兵:2013/02/28(木) 20:37:41.04 ID:???
もし成功していたら相沢中佐は釈放されていたかな。
永田局長暗殺は伊勢の大神による仕業で俺に罪はない、とか主張したりかなり香ばしい人なんだが…。
「昭和史発掘」だけじゃなくて親友の大蔵栄一の本でさえアレなエピソード満点だったな…。
71 :
名無し三等兵:2013/02/28(木) 21:28:41.07 ID:???
相沢中佐はある高級将校に利用されてあのような斬殺を起こしたのですが
(台湾赴任前)残されたご家族は、たしか幼い女の子が二人いた(?)と
思うのですが、一家心中したのでしたっけ?
72 :
名無し三等兵:2013/02/28(木) 21:38:00.78 ID:???
>>71 娘さんと息子さんがいたらしい。
大蔵氏の本によると奥さんも戦後まで生きていたようだよ。
2・26事件の将校の奥さんの中には、
戦後のドサクサで掃除のおばちゃんになった人もいたらしい。
73 :
名無し三等兵:2013/02/28(木) 22:01:33.18 ID:???
>>64 現実主義だったら、そもそも自身の将校としての立ち位置に
疑問を持たなければならないだろ。
そう言う現実主義者を排除したのが「叛乱将校」の集団だからな。
しかしどんな言い訳をしようが、「私的盟約」に基づき「陛下の赤子」
たる兵を動かした、と言う事実から逃れる事は出来なかった。
そう言う事さ。
>>69 多分下級将校時代は「お殿様」扱いで将校として兵を可愛がる、以上の
接触はしてないだろ。
確かに陸軍の正規将校は純粋培養の教育を施したけど、同時に陸軍の
兵隊ってのはそれこそあらゆる社会階層から集まっていた、と言う側面
だってある。
「叛乱将校」達は本当に兵を「見ていた」と言えるのか、と言う問題への
一つの側面ではあると思う。
74 :
名無し三等兵:2013/02/28(木) 22:50:47.15 ID:???
「朝鮮や台湾にかける金を少しでも本土の経済対策に回していただけないでしょうか。軍事費は今のままで構いませんので」
とか、譲歩する所はしながら大蔵大臣に直訴すれば良かったのになあ。
75 :
名無し三等兵:2013/03/01(金) 15:29:41.81 ID:???
青年将校らは北一輝の思想を実現するつもりだったん?
76 :
名無し三等兵:2013/03/01(金) 19:36:42.60 ID:???
>>75 将校同士でも温度差があったようだよ。
磯部や村中は北に傾倒していたようだけど、他はそうでもなかったり。
北の主張を実現するためには、
当時の状況では地主に「アメ」を与えなきゃ実現不可能だったけど
その事を将校達は認識していたのかな。
77 :
名無し三等兵:2013/03/02(土) 16:10:38.05 ID:???
荒木首相か?
78 :
名無し三等兵:2013/03/02(土) 18:07:01.02 ID:???
さんざん「やんちゃ」やってから
事態の収拾を真崎達に頼るって無責任過ぎるよ。
食料さえ満足に確保しないで
料亭やホテルに頼っていたんでしょ。
成功するわけないじゃない。
前に話題に出た「侍ニッポン」は、村田英雄のCDに入っています。さすがに
それは買いませんでしたが。
「昭和維新の歌」は、鶴田浩二「ああ軍歌」に入っており、これはわりかしメジャー
だと思います。6番までしか入っていないのが残念ですが。
80 :
名無し三等兵:2013/03/03(日) 09:18:20.08 ID:???
丹生中尉と坂井中尉はそれぞれ栗原中尉と安藤大尉に心酔していたらしいね。
2人とも親から皇道派将校との付き合いを咎められていたから余計に…。
なんか宗教的なものを感じるなあ。
81 :
名無し三等兵:2013/03/03(日) 17:21:38.39 ID:???
ZIIさん
「昭和維新の歌」はYouTubeで伊藤久夫さんやアイジョージさんたちが
フルバージョンで歌っていますよ。5番目の部分は詩吟的に伊藤さん以外の
人たちのものはなっていますが。長い歌ですが何回も口ずさむと覚えてしまいます。
82 :
名無し三等兵:2013/03/03(日) 22:04:45.54 ID:???
研究者同士でもお互いに罵りあってるんだよね。
澤地は論外だけど
青年将校寄りの人同士でも罵りあってた。デリケートな問題だからかな。
83 :
名無し三等兵:2013/03/05(火) 00:21:09.43 ID:???
>>82 具体的に、どのような事で罵りあっていたのですか?
また、「デリケートな問題」とはどういう意味ですか?
お手数ながらこの2点、教えてください。
抽象論ではなく、なるべく具体例でお願いします。
84 :
名無し三等兵:2013/03/05(火) 01:35:02.61 ID:???
青年将校の兄貴分だった大蔵栄一氏が「二・二六事件への挽歌」という本の中で
松本清張氏と田々宮英太郎氏をかなり辛辣に批判していました。
松本氏は北一輝や西田税を胡散臭い人物として描写した事、
田々宮氏はフィクサー的人物が青年将校達に影響を及ぼしていたと描写した事が
北を尊敬し西田と親しい仲で、将校達の「純粋さ」を訴える大蔵氏としては腹が立ったようです。
田々宮氏も大蔵氏を「陰湿」と批判しかえしていました。
「デリケート」というのは、この事件があまりにも謎が多いという意味です。
ある人がさも本当の事のように訴えると、別の人が非常に激しく批判する、
という事が繰り返し起きているのです。
田々宮氏のように「匂坂資料」そのものでさえ否定する人もいるのです。
一番悲惨なのが、斎藤實内大臣の親戚である有馬頼義氏と、内大臣暗殺に関わった高橋太郎少尉の弟さんによる論戦です。
有馬氏は「強盗、強姦のたぐい」と訴え、高橋氏は「将校達を侮辱するな」…。大切な人を失った者同士なのですね。
85 :
84番さんへ:2013/03/07(木) 23:15:36.37 ID:???
>>84番さん
わざわざ質問にお答えいただき、ひとつまた勉強になりました。
ありがとうございます。(83番より)
86 :
名無し三等兵:2013/03/08(金) 20:38:33.04 ID:???
>>85様
ぐへへ。どうもです。
でも一番ボコボコにされたのは澤地久枝ですw
青年将校達は頭の良い連中に利用された哀れなピエロという意味の事を
彼らの味方をするフリをしながら回りくどく書いてるんですよね…。
死刑前の遺書や、生き残った方のの回想録を読んでみましたが
ともかく皆さんプライドの高そうな方なので
誰かに利用されたと考えには腹を立てそうです。
87 :
名無し三等兵:2013/03/09(土) 01:33:05.16 ID:???
88 :
名無し三等兵:2013/03/09(土) 11:02:54.40 ID:???
首相官邸襲撃に参加した池田小尉は
自伝だけだと夢見がちな文学青年という印象なんだけど
首相救出にあたった娘婿の回想録では生意気なガキ扱いされてたな…。
保守
90 :
名無し三等兵:2013/03/22(金) 10:05:07.54 ID:???
test
91 :
名無し三等兵:2013/03/22(金) 21:52:43.46 ID:???
高橋是清まで死ぬなんて…。
軍事費の削減で恨みを買ったらしいけど。
青年将校はよく「純粋無垢」と言われるけど
純粋無垢じゃ外交はできないよね。
92 :
名無し三等兵:2013/03/23(土) 01:31:41.37 ID:???
93 :
名無し三等兵:2013/03/23(土) 08:09:34.64 ID:nT9s+ohF
だるまさんが、皇道派のアイドルの荒木大臣を
「精神論だけで通用すると思ってるの?馬鹿じゃね?www」とおちょくって恨みを買った面もあるらしいね。
日露戦争勝利も、だるまさんがイギリスに金をせびったのが一番の理由で…。
だるまさんが血だるま
95 :
名無し三等兵:2013/03/24(日) 18:33:37.31 ID:???
青年将校達も、せめてストライキや陳情あたりで抑えていれば良かったのに。
武装した兵士が無抵抗の老人を殺すなんて、一般庶民はドンビキしちゃうよ。
96 :
名無し三等兵:2013/03/24(日) 19:00:17.85 ID:???
色んな人の視点から描いた2・26事件を大河で見たいな。
慎重派だった安藤大尉が部下達の窮乏ぶりを見かねて参加を決意した事とか
高齢の内大臣を惨殺して「国賊の血を見よ!」と絶叫した坂井中尉が家庭では良き夫だった事とか
ドラマ性があると思うんだけどなあ。
相沢事件から青年将校達の死刑執行までちょうど1年位だし。
97 :
名無し三等兵:2013/03/24(日) 19:18:12.25 ID:???
映画はやったんだけどなぁ……恥ずかしながら未見だけど
98 :
名無し三等兵:2013/03/24(日) 19:57:01.05 ID:???
>>97 三浦友和やショーケンが出ていたやつね。
青年将校達の家庭での様子も描かれていて、
ああいった感じの場面を入れたら1年間放送できるじゃないかと思ったんだ。
今だったら誰が演じるんだろう。
99 :
名無し三等兵:2013/03/24(日) 21:28:02.11 ID:???
山本太郎をどこかに w
>>99 青年将校達のアイドルの相沢中佐あたりはどう?w
陸軍きってのホープを白昼堂々殺して「伊勢の大神が俺に乗り移った」とかほざいたヒャッハーな人なんだが…w
反原発運動でのノリのまま演じて欲しいw
いやぁ、連続ドラマは難しいでしょう。
・本庄繁を1時間置きに呼びつけて怒鳴る昭和天皇
・銃殺直前に「秩父宮殿下万歳」と叫ぶ安藤大尉
・山王ホテルでお握り作りに必死な女性店員
・東京湾に集結して国会議事堂を狙う連合艦隊
これらの場面はタブーばっかりですからね。
NHKって最近左に傾いているから天皇描写もやりそうだけどなあ。
安藤大尉が「秩父宮殿下万歳」と叫んだという話は
処刑に立ち会った将校を取材した保阪正康が否定してたけど。
でもさすがに、幼い娘の目の前で殺された渡辺教育総監の場面は
決起将校側に感情移入する視聴者は少ないだろうなあ。
映画では殺害した将校が後々後悔して涙を浮かべるんだけど。
>>99 山本太郎は、連合赤軍事件を描いた「光の雨」で森恒男役を演じてましたから、
狂気という点ではピッタリだと思います。永田洋子役が裕木奈江だったのが美化
し過ぎでしたが(苦笑
三島由紀夫の映画で主役を張った井浦新も青年将校向きですね。
井浦新が安藤大尉あたりかなあ。理性的な感じがするし。
栗原中尉は気性が激しい半面ノリが軽い所もあったらしいなあ。
決起将校たちの実行プランは、粗さが目立ちすぎるな。
これじゃ、まるで幕末期、新撰組に踏み込まれた池田屋の勤皇の志士たちと同じだな。
古高が新選組に捕縛されたのを知らなかったのならともかく、知っていて、しかも長州藩の
定宿となっている場所で、捕縛後の善後策を練ろうと参集するのだから、ずいぶんと
新選組も甘くみられたものだな。そのツケは勤皇も皇道派の両者ともに大きかったな。
桂はきっと用心深く行動したのだろう。
幸楽や龍土軒をアジトにしていたと言われるけど
従業員にスパイがいるんじゃないかとか疑わなかったのかな。
不用心だなあと思う。
鎮圧側に下士官出身の叩き上げの将校がいたらしいんだけど
決起側にも良い意味で世間ずれした人がいれば良かったな。
世間擦れしてたらそもそも決起なんかには加わらないっていう問題が
計画性も慎重さも欠けてたから決起なんか実行しちゃったんじゃないの?
2.26といい宮城事件といい
>>107 安藤中隊は安藤大尉以外貧しい家庭で育った下士官兵だけだったけど
一致団結していたらしいよ。
普段は陰険な下士官も尽くしたと松本清張の本に書いてあったし。
根回しができるやり手の人間が決起将校にいなかったんだよね…。
磯部は貧しい家庭の出らしいけど、幼年学校行ってお花畑全開…。
これで青年将校っていう意味がお花畑扱いになったのは何とも皮肉だよね。
宮城事件の放送局を制圧する発想が、まだ国力のある226の時にあればと。
最終的にボツでも、マスメディアで民衆を味方につける計画案は出てたのかな?
これまたボツでも、高年齢で抵抗の恐れが少ない要人を皆殺しにせず、たとえ脅迫であっても翻意させ味方につける案はあったのかな?
北一輝が盛んに、「まだ金はあるか?充分あるか?」とかいうけど、なぜ北はそんな金持ちだったの?
>>109 有る訳ないじゃん。
青年将校が陸士や幼年出のエーリトの集まりだった時点で
「マスコミを味方に」なんて発想はそもそも出ない。
陸軍のエーリトにとって「マスコミ」なんてのは侮蔑する「地方人」の代表だろ。
>>109 財閥を強請ってた。
戦闘員としての訓練を受けた、刀と拳銃を常に持ち歩いている人達なんてただでさえ威圧感があるんだから
もっとソフトな対応を取るべきだったなあ。
せめて大蔵大臣への直訴ぐらいで終わらせていたら…。
「外地にかける予算を本土の貧しい人達に回して下さい、軍事費は削減されても構いませんから」とか譲歩する所はして。
>>110 ちょっと難しいなあ・・・
彼らは表裏無しに本気で地方農村を憂いていたのでは?
この前提が崩れると、226美談はことごとく書き換えになるよね。
226の精神は額面通りなら、共産主義思想だと思ってた。
裏でベロ出しながら小汚い根性のクーデターでもいいや。その先に彼らは何を求めたんだろう?
あと先具体案や見返りが何も無いままやった定説のほうが、しっくり来るんだけど。
>>111 なるほどー、総会屋かあ。
北は義賊ヒーローでますますもって心酔できたんだろね。
>>112 「彼らが表裏なしに本気で地方農村を憂いていた」
のが事実だからと言って、「地方人」を侮蔑していたのが事実じゃない、
といえるのが等価で結ばれる、と考えるなら、それは済まないが
「戦後の人」
の感覚である、としか言いようがない。
因みに判ってないみたいだから書くと、「地方人」ってのは軍隊ではすなわち
娑婆の人間の事だぞ。
「純粋培養された」陸幼や陸士出の軍人にとって、褒賞されることってのは
即ち「部隊表彰されること」「叙勲する事」だぞ。
「マスコミに取り上げられて〜」ってのは娑婆の人間の感覚だから。
ストライキだったら死刑にならなかったのかな。
渡辺教育総監は他人の意見を尊重する人格者だったらしいのに残念…。
ストライキか、アカ扱いされて(いや実際近いけどさ)懲罰かなあ
「戦前の少年犯罪」という本によると、
戦前は教師の体罰に抗議して集団欠席したりするのが結構流行っていたらしいんだよね。
だから二・二六の時も、要求が通るまで下士官兵を兵舎で休ませたりとか血が流れない手段を取れなかったのかなあと思って。
>>113 勉強になりました、ありがとう!
で、誤解されてるのが、
「叙勲する事」が「マスコミに取り上げられて〜」に等価ということです。
下等な地方人であればあるほど、道具としてのプロパガンダ奴隷として
従わせる発想がなぜ微塵もありえなかったのか?と思うんですよ。
触れるのも汚らわしいなら、終戦の放送局事件は発生しないことになるよね。
殺人は決定的に失敗だけど、
もし殺人は一切無かったとして、
新聞社・放送局占拠、臨時放送と決起趣意書を号外でばら撒けば
大衆はおおいにシンパにつくし、内部でも陛下一人が孤立すると思う。
そうなった時は秩父宮や三笠宮の思う壺…
近衛共産理想…
とかなったら妄想がどんどん広がりすぎるけど
>>117 陸幼や陸士出のエーリトにとっては、
「軍隊内」の評価こそが絶対の基準だから、そもそも「マスコミ」なんてのは
対象に入ってないのよ。
新聞の記事に載る事なんて最初から念頭にないの。
「短現」とか「幹部候補者」なんかが仮にいたら、考えに加えるだろうけどね。
尤も彼らがクーデター起こした時には「短現」とか「幹部候補者」は殆どいないけど。
終戦の時の放送局占拠を考えたのは当たり前で、玉音放送がラジオで実施されるから。
玉音放送そのものを阻止すれば、少なくとも国民への伝達は阻止されるから、
という事。
逆に言えば、そこまでしか考え付かない時点で、どっちのクーデターも最初から
失敗に終わるのは目に見えていたのさ。
「叩き上げの将校が仮にいたら」って書かれてるのは、少なくとも書いている人は
それを理解しているから仮の前提にしているんだよ。
>>新聞社・放送局占拠、臨時放送と決起趣意書を号外でばら撒けば
>>大衆はおおいにシンパにつくし、
陛下が仮に
「わが赤子を私的盟約に基づき動かした事を釈明せよ」
と叛乱将校に問いただしたらどうなると思う?
彼らが私的盟約に基づき兵を動かした事は厳然たる事実で、これを問われたら
彼らが自決するか、陛下を斬り殺すか、いずれかしか道はない。
まだ若造なんでどうしてもピンとこないんですが、
軍事常識の定義が「マスコミ=箔付け評価」だけに限定されるのは、
どうしてなの?
この定義だと、戒厳令が愛宕山から放送されたのも変かなと。
見直してみたら、一応朝日新聞は占拠してあったんですね。
何より東京ローズや李香蘭で情報戦に長けていたのだし。
杜撰な準備で226の成功があるとすれば、
大正天皇で薄々庶民も気づいていたことが
昭和天皇もやはり頭がおかしいのでは、と知らしめることかも?
朕の命令に従った結果やっぱり敗戦だった、と二度確認されることになるんだよね。
香椎中将が軍法会議の強制捜査対象にされたり、
それが寸前で不起訴になったり、
死刑になった筈の栗原中尉が兵舎に軟禁されてた目撃談とか、
真実を知られたら困ることだらけのようで不思議ですね。
でもここはあくまで成功の道を探るスレなので、妄想逞しくいっぱいやりましょう。
>陛下を斬り殺すか
宮さま陰謀説ですよね。おおいに興味あります。
血が流れた時点で成功は望めなかったように思う。
無抵抗の老人に集団で機関銃をぶっ放してから
更に斬りつけてリーダーが「国賊の血を見よ!」と絶叫した部隊もあったようだし…。
ただでさえ恐いと思われている連中が恐がられただけ。
戦争に金使ってる場合じゃないだろ、と主張する決起将校に流血沙汰を起こさせた
ということは、負けようとどうしようと、兎に角戦争しなきゃいけない日本に
大変都合が良かった
よって2.26事件は大成功
>>119 う〜ん、多分「私的盟約」って言葉の重みが判ってないな。
戦前の軍隊では少なくとも建前では
「陛下の軍隊」で、
彼らは「陛下の命令」で「陛下の赤子」を預かってることになってるの。
で、彼らは叛乱を起こした以上「陛下の命令」無しで「陛下の赤子」を
動かした事になる訳。
(叛乱将校より上に、「建前では」命令を出した上官はいないのだから)
だから、「私的盟約に基づき陛下の赤子を動かした」と言われたら、
彼らは言った相手を殺すか、自裁する以外の道は存在しないの。
(貴公は陛下の大命に背いた、と面と向かって言われたのと同じだから)
「叛乱」ってのはそういう事だから。
その辺の建前が理解できてないと、陛下が「朕自ら近衛師団を率いて
平定せん」と言い出した時の陸軍将官連中のあわてようの意味が理解できないよ。
天皇陛下は終戦まで「憲法に規定された存在として行動した、例外は
2.26と終戦の聖断のみ」というのはそういう事なんだよ。
殺された人達は
天皇陛下が「この者で良い」と認めた人達だよね。
首相も大蔵大臣も内大臣も教育総監も、陛下の許可なく勝手になれなかったんだよね。
青年将校達は陛下の権限を軽く見ていたの?
「君側の奸」なんて実に便利な言葉が
天皇機関説を攻撃していた連中にとっては
天皇陛下=神だったんでしょ。
神様が誰かの思いのままに操られる訳ないじゃん。
ただ単に信頼していたからなのに…。
実際どの人達も陛下が父親のように信頼していたようだよ。
>>125 もれもそう思う。
海外のヒロヒト敵視観だけでなく
正反対の国内臣下臣民からしても
総て天皇陛下の戦争責任で当然なんだが
都合によってどうにでも陛下の責任を逃すところが
天皇機関説だったのかも、って気がしてきた。
軍の統制思想上だけ絶対君主制で
明治維新自体は立憲君主制
矛盾の指摘は死刑
結局天皇=軍の機関
皇道派統制派を遠巻きに様子眺めしてた実利派みたいな連中もいたのかな
>>125 軍の中枢部で神だと思っていたピュアな連中はいないと思うよ
神様ほど便利な道具は無いからな
皇道派青年将校の大半(磯部や安藤は別として)にとって、裕仁親王は絶対的な存在だったんでしょ。
片方では崇めながら、もう片方では悪い奴に騙されるような弱い立場の存在と見なすなんて矛盾してるよ。
死刑になった連中の遺書によると、互いを「純粋」とか「無心」とか評しているんだけど、
軍人ってのは頭を使っていかに戦争に勝てるかを常日頃考えている人でしょ。
場合によってはズルする事も必要でさ。
何で士官学校に行こうとしたのか疑問で仕方がない。
131 :
130:2013/03/29(金) 19:39:48.21 ID:???
裕仁親王→裕仁天皇陛下
士官学校は、戦後に建前論にまみれたと批判されても、お花畑満開培養で卒業さす、
任官後に「誰に教わったわけでもなく」世間を学べ!のスタンスだったとおもう。
(組織責任回避、何かトラブルあったら士官の個人犯行とする。手柄であれば組織総出で祝う)
中野学校は、皇統が途絶える大前提で、お前等が日本民族の末裔を維持せよ、と
教育されてたんだよね、確か。
弱いと言われているイタリア軍も、北アフリカではイギリス軍相手に結構頑張ったようだけど
現地民に食料をあげてイギリス兵の居場所を教えてもらったりしていたらしいんだよなw
頭良いな〜と思うんだけど、皇道派の青年将校は「汚い」と思うのかな。
それに関しては、派閥無関係に皇軍は現地土人に親切、の建前だと思うけど
建前からして違ってたら教育よろしくたのんます
当時陸軍全体が下剋上ブームだったんだよね。
一介の中佐が幹部の了解を得ないで勝手に満州でドンパチ始めたり
左遷組の中佐が陸軍きってのエースを殺したり
そんでしまいには20代前半の少尉2人組が陸軍の最高幹部の教育総監を殺害…。
それで東條が「一致団結しよう」と言ったんだよね。まともな人だと思うんだけど。
収拾つかなくなったところで、統制派がうまく利用されて
東條あたふた気の毒だと思う。
ただ、どっちにしても昭和11年の大御心は戦争したくて堪らなかった訳で。
個人的には、それやはり、どうも木戸近衛教唆説が有力な気がしてならない。
ムツヒト以後はニセモノだから、という怨念が渦巻いていたと仮定すると
まともな軍部首脳が無茶だと口を揃える作戦をヒロヒト命令で遂行させた
合理性がわかるような気がする。
景気が悪くても庶民から愛されていた高橋是清を殺した時点で成功は無理…。
「みんなの人気者のだるまさんは、実はこんなに悪い人なんですよ」と訴えなきゃ…。
貧乏人が大勢いた本土そっちのけで朝鮮のインフラ整備に金をつぎ込んでいたんだし。
結局、明治維新は何だったのか、という点に行き着くと思う。
士農工商穢多非人のうち、後者二者の解放革命だった点。
それはそれで立派な人権確立ではあるが、
長州の独裁新政府=グラバーの支持を得た朝鮮系の幕府に対する復讐革命だったのでは。
天皇すり替え論で、かなりすっきり理解できるようになってきました。
ただ、伊藤博文の朝鮮併合を、なぜ地元では凱旋と位置づけなかったのか、これからもっと勉強したい課題です。
>>138 >>ただ、伊藤博文の朝鮮併合を、なぜ地元では凱旋と位置づけなかったのか
貴方が伊藤博文について不勉強であるだけ。
伊藤博文は究極の現状維持主義者なんだから、朝鮮併合には
反対だった。
(日英同盟締結の前にペトログラードに行って日露協商結ぼうと
して失敗したのは常識に類する事だ)
当時の日本にとって朝鮮半島統治が重荷だった、という理由も当然。
どうもありがとうございます
ではなぜ国内を放置してまで朝鮮併合したのか、ますます謎で興味が出てきました。
最近、在日系右翼が主張する「日本は朝鮮に貢献してやった」論が崩れるのも当然だよね。
外国に恨みを買う直接干渉せず、(官営工場でもいいから)産業経済進出で茹で蛙支配、
にもって行く発想は皆無だったのか、あっても否定されたのか、興味惹かれます。
帝国陸軍の戦力を浪費せずその分、国内社会を豊かにしてれば226事件は起きなかったし
その後日本での戦争展開もずいぶん違ったはずだよね。
中橋中尉は満州にいた時、
日の丸の旗が立てられた大麻畑と、ヤク中になって日本人の操り人形と化した現地人を見て
日本の退廃ぶりに憤りを感じて大麻政策の中心にいただるまさんを殺そうと思ったらしいね。
純粋な人だと思うけど、純粋だけじゃ国が発展しないよね。
日露戦争も、伊藤博文とだるまさんがイギリスやアメリカに泣きついて解決したんだし…。
日の丸=阿片売り、がどんな偉そうな理屈捏ねても説得力ない
そうさせたのはユダヤだのイギリスの差金、と見苦しい弁解するのは自由でも
>>140 「日本は朝鮮に貢献してやった」論が在日系右翼だろうが何だろうが
解釈は好きにすれば良いと思うけどさw
「客観的現実」として当時の朝鮮半島は大規模軍事行動を継続する
のが難しいレベルの国内インフラしかなかった、ってのすら知らないで、
>>外国に恨みを買う直接干渉せず、(官営工場でもいいから)産業経済進出で茹で蛙支配、
>>にもって行く発想は皆無だったのか、あっても否定されたのか、興味惹かれます。
とか書く前に自身で文献やら何やら調べようよ。
江華島事件のころの朝鮮半島はそもそも「貨幣経済」すら成り立ちえない
レベルの「国家」と呼ぶのも微妙なレベルだったのくらいはクロスチェック
出来る事実だぜ。
>>142 阿片専売の事実だけ取り上げて火病するのは「叛乱将校」と変わらんレベルの
純粋君でしかないなw
台湾でも阿片専売はしてたぜ。
尤も最終的に社会から阿片流通を止めるためだけどな。
台湾では阿片専売制で阿片吸飲の撲滅に成功している。
満洲で阿片売りやってたのは関東軍だろうに
とどめを刺さなかった安藤を良い人間と見なす向きがあるけど
先に部下に撃たせたんだよね。自分は一切手を汚さずに。
なんかモヤモヤする。
北一輝のような胡散臭い奴を崇拝していた時点で成功は難しかったんじゃないかなあ。
死んだ人間の言葉が分かるという奴を信頼するなんてどれだけ世間知らずなんだよ。
>>146 でも、安藤さんは、結局この日本の救世主だったのだ。
あの時、とどめを刺して命を奪っていればどうなっていただろう。
その鈴木貫太郎は昭和20年に首相になり、事態を収拾して戦を終わりにできたのだから。
気心の知れた阿南を閣僚の一人に加えたのも、彼なら陸軍大臣の辞表を出すことはあるまい
との判断があったろうし、首相が鈴木だからこそ、阿南はその手を使えたのに使わなかったのだと
思われる。
結果的には、神のお導きだと考えれば、もやもやが残ったとしても
あれで良かったのだよ。
渡辺教育総監の死に方は凄かったらしいな。
幼い娘の目の前で、武装した兵士達が機関銃を乱射して肉が壁一面に…。
それだけやってるのにマスコミを乗っ取って報道規制しようと思わないなんて狂ってるよ。
150 :
名無し三等兵:2013/04/19(金) 18:58:04.17 ID:IPFpDJ5I
アウトソーシングさせただけじゃないの
152 :
名無し三等兵:2013/05/06(月) 14:21:10.40 ID:9HjPV6y9
みんなは2.26事件の目的を何だったと思ってる?
私は真崎復活のための人事抗争でしかなかったと解釈してるけど
大正時代は軍人は不遇だったんだよ、昭和初期はその反動でしょう。2.26
事件なんて軍人自身の栄達のための行動だ。
原敬によって始まった政党政治があまりにも腐った利権誘導政治で
皇軍もそれらの金もうけのダシに使われそうになってたから
青年将校が決起したんだろ。
政党政治の腐敗振りが最大の原因だな。
>>152 政党政治の暴走、利権誘導政策
一部の人間だけがボロ儲けし
大部分の国民が貧困状態。
山縣なきあと、こういった政党政治の暴走が始まり
陸軍の実力者の田中義一までが政党に金の力で
取り込まれてしまった。
こうなると、軍人は当然反発する。
皇軍のあるべき姿では無いとな。
世の中、何もかも金の力で動いてるじゃないか。
政治家は自分たちと一部の連中の金もうけ
のための政治をやってるじゃないか。
一部の人間だけがいい思いをして
大多数は貧困じゃないか。
こういった不満が226事件へつながったと思う。
今の時代と似ている。
三島由紀夫は正義の人
貧困に有効な対策を打ったのは高橋是清で、226事件の頃には効果が出てい
た。決起した連中は大義名分が無くなるのを恐れたんだよ。
大量の軍人存在こそが経済困窮の主因だと自ら気付いたから先に暴れたのさ
>決起した連中は
荒木貞夫に騙されただけだろ
161 :
名無し三等兵:2013/05/20(月) 22:01:19.33 ID:n6No7aaZ
当事者は真崎に騙されたとか言ってなかったっけ?
そのおかげで真崎が逮捕された
将校達の慕っていた秩父宮様の方が、兄より利発だったらしいね。
貞明皇后も秩父宮様の方を可愛がってたらしい。
将校の妻を取材した本を読んだんだけど
将校の中でも特に凶悪と言われた坂井中尉が
内大臣を惨殺した後そのまま家に帰って、風邪をひいて寝込んでいる奥さんを労わったという話が印象的だったな…。
ナチ収容所の看守の多くが家庭では良い夫だったという話を思い出した。
真崎自決
>>163 「内大臣を惨殺した後そのまま家に帰って・・・」Hした、じゃないぞ!
映画でもそのシーンがあったが、これじゃ片手間のクーデターじゃないか。
クーデターが失敗するのも当たり前だ。
俯瞰するところ、一人安藤大尉だけが腹をくくっていた感がする。
原隊復帰して、軍事裁判を受けるだと?将校全員、各自の持ち場で自決だろうが。
見通しの読めぬ高級将校らだな。
おそらく、5・15のことが脳裏に浮かんだのだろうが甘い。
なぜなら、ほかならぬ天ちゃん自身が、怒り心頭に発していたのだから。
彼らが思った公開裁判や上告ありの裁判などが、気持ちのどこかにあったこと自体、
揃いも揃って甘ちゃんぞろいだ。
そして、何よりも現内閣の瓦解のためには、是が非でも岡田を討ち果たさねばならぬのに、
そこの重要部分をミスってしまえばなんのこっちゃ、だ。
革命とかクーデターとかは、緻密に時間をかけて練り上げていかねばならない。
そして事がひとたび動き出したら、仮に現天皇の命令だろうが無視するし、
ことと次第によっては、他の皇族を新天皇におし立てて目的を完遂させる位の覚悟と実行力がなければ
やるものではない。
まして恋女房のことを事の最中に気にかけるようでは、とてもとても成し遂げられるものではない。
>>164 真崎(割腹)自決/1876〜1956→「腹切って、甚甚痛む、甚三郎」
このやろう戦後まで生きやがって!
お前は、マッチポンプじゃなかったのか?
167 :
名無し三等兵:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:kXwEtfrS
> 仮に現天皇の命令だろうが無視する
この事件後に本庄繁が"歴代皇祖の遺訓に背くものではない"とか言ってこれが陸軍の基礎になるんだよな
東条英機でさえ"広義の国体では国家のためにならぬ大命には従わなくていい"などと言い出す
仕舞には"裕仁がそう言っても歴代皇祖の意志であるはずない"などと言い出して宮城事件に至る
>>167 宮城事件を研究しているので、
あなたの書いておられることはよく承知理解できます。
とは言っても、畑中少佐方の脳裏にはクーデターの意識はなく、
「直諫」の二文字だったはずです。
「不服な者は、まずこの阿南を斬れ」
「御免」と言って斬られたらどうするつもりだったんだろうかw
>>169 当時、と言っても敗戦直前のどん詰まりだが、陸軍省等の青年将校たちの
阿南陸相に対する信頼には揺ぎ無いものがあった。
特に平泉澄を師と仰いでいた畑中少佐、井出中佐らは、
ともに机を並べたと言ってもいい兄弟弟子でもあった。
竹下中佐もそうである。
つまり陸軍省の上層部は平泉門下生で占められていたわけだ。
それを踏まえての阿南陸相の言である。
だから、絶対ではないがそのようなことは起こりえない。
もし阿南がその場で殺されれば、動員計画は即頓挫となり、降伏に向かって
転がり落ちる。
だから、あの場では
>>169さんの言われるような修羅場とはならないであろう。
それよりも、小生には阿南の真の気持ちがつかめない。
霧の中にあって腹芸をして将校たちの気持ちのガス抜きをしてみせたのだろうか。
私は、後先考えぬ馬鹿といわれようと、危険人物といわれようと畑中少佐について行く。
もともとあの大東亜戦争は「勝利か、それとも、全滅か」を前提として始めたはずで、
天皇もそれを承知していたはずだ。しかし、土壇場になって「日本民族の種」を残す
(と同時に皇室も)ために降伏すると言い出す。
ある意味、その腰砕けの態度に畑中さんたちは我慢ならなかったのであろう。
だから「直諫」のために、偽命令を発し兵を勝手に動かすこととなる。
こういう風にブレるから公家の領袖は困る。
そのくせ、ちゃっかりと短波放送の入る立派なラジオをお持ちで世界の情報はつかんでいる。
ああ、いやだねーこういう生き様は。
(今上天皇には敬意をいだき頭も下がるが、あの昭和天皇は好かん:
長崎の原爆投下についてのコメントをYoutubeで見てみな。ヘラヘラ笑いやがって発言内容にも問題ありだ)
阿南はクーデター勢力と何度も会合してるから誰がどんな方法でクーデターを起こすのか具体的に知ってた。
それを誰にも教えなかったということはクーデター側にいたんだろ
葬儀に勅使が差遣されてないことからして天皇には見透かされてた模様
>>170 直諌()wwwwwwwwwwww
他人が自分の思い通りに動かないから拗ねただけだろw
畑中について行きたければ自分一人で逝って来いw
武辺ですらない屑ってのはこれだから嫌だねぇw
要するに「俺は正しい”)$#”=」
と喚きたいだけw
>>172 「自分の思い通り」じゃなくて、軍の計画は聖断前に立てられていた。
だから正確には「(陸)軍の思い」だ。
「拗ね」たのではない。少佐も含め他の高級将校らが、
当初の計画通りに動員をかけたまでだ。
畑中少佐、椎崎中佐らの後に続き市ヶ谷台では自決が相次いだ。
(俺一人が逝ったわけではない。)
「武辺ですらない」相手をしかと見てから大口はたたくものだ、
これでも剣道だけは四段だが・・・君は定めしその上なのだろうな?
全日本の大会であえるかな?
>>173 武道自慢なら武道板でやっといでw
軍事を語るだけの能力が無い事だけはもう十二分に証明してるから
下らん与太はもういいよw
>>171 「葬儀に勅使が差遣されてないことからして天皇には見透かされてた模様」
葬儀は市ヶ谷台で、畑中少佐、椎崎中佐とともに三人合同でおこなわれている。
宮城事件が起きたことは、平時ですら抗命罪にあたり、ましてや天皇の命に従わなかったのであるから逆賊である。
勅使など来るはずがない。ましてや、あの混乱のさなかだ。
天皇がわかっていたのはおそらく、(鈴木首相同様)「阿南は自決するな」くらいでしょう。
少なくとも陸相阿南が中心となって反乱を起こすなどありえないとは確信していたと思うが。
なにせ、彼の子供は戦後つい最近まで、中国大使にまで上りつめているくらいだから。
政府としては、阿南は戦争に終止符を打ってくれた大功績の人で、その子供という捉え方をしていると思う。
176 :
名無し三等兵:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ID:qN7ApJee
>>175 報いるにしても他の国じゃ駄目だったのかな。
 ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
<丶`∀´> ∧_∧
/ \ ( ) はぁ?黙ってろ在日w
.__| | .| |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ 氏ねよクズ \| ( )
| ヽ \/ ヽ. 祖国に帰れよ
| |ヽ、二⌒) / .| | |
.| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ /
\ ヽ | / /
\ /
\ ;;;--‐''''::::::::::::::::::ヽ _,,−''
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|::::::::;/ ‐─ ヽ─ヾ::::::::::::::::::::| なんでやねん
──── .|:::::i' ヾ●) (●ノ `i:::::::|
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| (__) |
_,,−' .i ^t三三テ' ,! `−、、
_,,−'' ヽ、 ノ `−、、
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| ̄ ̄|
. ヽ ノ_ ┌┬┐ TT ノノ _ _」_
ヽ ⊥⊥ ├┼┤ フT |ニIニ |. / |
/ ノ \ └┴┘ / .| .|ニIニ / / ノ
天皇って真崎を最終的にどう思ってたんだ?
近衛上奏の時点では彼に反感を持ってたようだが彼の葬式代を出してるみたいだいし
>>179 ああいう天皇だったから、最終的にはわからないが、
少なくとも226事件段階での真崎の行動はきちんと把握していた。
つまり、事件の途中までは青年将校たちに肩入れし、
形勢不利とみるや己の事件との関与をひそかに消し始めた。
天皇はそういう奴の姿を(おそらく侍従あたりから)ちゃんと把握していたらしい。
だから、真崎は昭和天皇から嫌われていたことは確かだ。
「彼の葬式代を出して」いるって、意味がわからない。
>>180 真崎の死亡時に祭祀料を出してるってことだろ
>>181 真崎は裁判で無罪となったから祭粢料か〜
あいつがもらえるなら、青年将校たちも、もらいたいってさ
183 :
名無し三等兵:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ID:IQP4EnEQ
何で真崎に祭祀料が出たんだ?
ある程度の地位になればみんな貰えたってことはないよね?
荒木とか近衛あたりはどうなんだ?
184 :
名無し三等兵:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ID:X50vSHbE
極東国際軍事裁判の調査でも真崎は事件そのものとは無関係ということだったのではないか。
柳家小さん師匠は、前日の演習の帰路買い食いした兵士の連帯責任で
内務班全員が殴られたこともあって、何の前触れもない完全軍装での出動を
「まだ将校さんたちはあんパンの件を根に持って懲罰まがいのことをしようとしてるのか」
と思ったそうだ。結局皇道派が天下を取っても兵隊地獄に何もかわりはなかっただろう。
農村の窮状など、革命家気取りの青年将校にとっておそらく身柄拘束後に獄中で左翼から吹き込まれた
とりあえずこう言っておけば死刑にならずに済む程度の口実だったのだろう。
>>185 確か、故柳家小さん師匠は野中四郎大尉の指揮のもと、
「警視庁占拠」に割り振られたのでしたよね。
>>185 それは違う
平時における内務班はえげつない面が際立つが
作戦行動中なら解消する虐待もある
野営地においては初年兵の掃除洗濯靴磨きなどの作業ノルマは軽減される
この作業自体の負担もさることながら出来映えを口実とした制裁も解消する
たとい生命の危険にさらされても
小規模な戦闘でも
出動してたほうが兵舎にいるよりかよほどましだった
という証言も数多く残されている
クーデター政権なら間違いなく対ソ戦に向かった
そうなると空前のスケールで動員と出征がなされ
「よもやま物語」が変わっていただろう
軍が総力戦をできない太平洋戦争ではだめなのだ
188 :
名無し三等兵:2013/09/07(土) 12:28:15.01 ID:TJujFRra
∧__∧
( ・∀・) ほほう
__l二lコ_
/ロ . |o 、ロ
./ / ワ .|oワ| |
〈 ヽ |o | |
\ /) |o | |
|_ | _| |
| | /中
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∠/  ̄
相沢中佐を裁判にもかけず精神病院送りにしていたら
皇道派は頭がおかしいというイメージがついて
青年将校達も「やんちゃ」が出来なかったかもな。
どっちの派閥が勝とうが、所詮は陸軍内部だけの派閥。長州閥のように内務省、
宮内省まで取り込んでる派閥じゃないから、どうにもならん。
だから永田鉄山は文官にまで派閥を広げようとしたんじゃないの
192 :
名無し三等兵:2013/09/17(火) 07:01:42.42 ID:h2i5reJ/
歴史群像 No.121 2013年10月号
■ 第3特集
「総力戦」から見た陸軍派閥抗争
【皇道派 vs. 統制派】
昭和初期の軍事史に有名な日本陸軍の二大派閥「皇道派」と「統制派」。熾烈な権力抗争を
繰り広げた彼らではあったが、それは単なる政治的主導権を争うものではなかった。両派の
対立は「国家総力戦」に日本がどう対処するかという大問題に端を発していたのである。
http://rekigun.net/magazine/index.html
193 :
名無し三等兵:2013/09/20(金) 00:08:07.90 ID:0iMyK+6I
牟田口廉也ハ、ヒトデナシ。牟田口廉也ハ、チョウセンジンwww
【韓国】インパール作戦などで日本軍と激闘した大韓民国光復軍 建軍73周年記念行事開催 [09/16]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1379600708/ ■光復軍創軍第73回記念式開催
国家報勲処は、韓国光復軍創設第73周年記念式と学術講演会を17日に孝昌洞の
白凡記念館で開催すると16日明らかにした。(訳注:白凡は金九の号)。韓国光復軍
同志会主催で開かれる記念式には、崔ワングン報勲処次長、光復会員、市民、学生
など400人余りが参加する
行事は記念演説と祝辞、学生代表の光復軍創軍宣言文朗読、3・1女性同志会合唱
団の独立軍歌合唱、万歳三唱の順で行なわれる。
1940年9月17日に中国の重慶で大韓民国臨時政府の正規軍として創設された韓国
光復軍は、英国軍と連合して1944年3月のインパール戦闘をはじめとして、1945年7月
までティムプル、ティディムなどミャンマー各地で対日作戦を遂行した。
記念式に続いて、韓詩俊(ハン・シジュン)檀国大学教授による「独立軍と光復軍の歴史的
意義および韓国光復軍の現代的意義」をテーマにした学術講演会が開かれる。
▽ソース:毎日経済(韓国語)(2013-09-16 09:27)
http://vip.mk.co.kr/news/view/21/21/1930392.html
管賀江留郎氏が226事件をニート犯罪って言ってたな。
ドロップアウトの逆ギレっていう意味ではそうかも
ニートの意味がどんどんと改変されているなw
渡辺教育総監は、戦争回避を訴え続けてきたから陸軍内で浮いた存在で
教育総監就任も火中の栗を拾う状態だったらしいよ。
血の気の多い皇道派将校に人気にある真崎がクビになってその後指名されたから、生贄にされたと遺族は思ったらしい。
198 :
名無し三等兵:2013/10/02(水) 02:07:40.01 ID:rK5WKfH0
自分、2.26事件について、よくわかっていないので、最新の知見や史料を使って
この事件を検証した書籍を紹介してもらえませんか?
Amazonでざっと見ても、これはという決定版的な本を見つけることはできませんでした。
成功していれば、どういう歴史になりえたかという点についても踏み込んであるとうれしいですが、
これはなくても構いません。
199 :
198:2013/10/02(水) 02:24:57.23 ID:???
あと追加ですが、映画の「226 」って観る価値はありますか?
萩原健一や三浦友和が出演している作品です。
Amazonでは、否定的な意見も多かったですが。
>>199 映画としてデキが悪い、豪華キャストと豪華セットで、時系列を追っただけの
映画です。
>>198 松本清張の「昭和史発掘」と、当事者の手記を併せて読むことをお勧めします。
「昭和史発掘」は事件について幅広く網羅されていますが、
作者が皇道派の思想に冷淡で、特に北に対して敵意が感じられますので。
映画の「226」は、殺された人がなぜ殺されたのかを描かないから
事件を知らない人が見たら青年将校達はただの老人殺しにしか見えなかったと思う。
忠臣蔵だって、浅野内匠頭の話を描かずに突然討ち入りから始まったら
知らない人は大勢の男達が無抵抗の老人を殺しているとしか思わないよ。
202 :
198:2013/10/03(木) 01:30:18.20 ID:???
>>200 やはり、そうですか。
何か優れたドキュメンタリーでもあればいいんですが。
>>201 松本清張を読むという発想はありませんでした。
参考にさせていただきます。
>>202 事件当時の将校達の通話の傍受をテーマにした「戒厳指令『交信ヲ傍受セヨ』二・二六事件秘録」というドキュメンタリー番組がありますが
優れているかどうかは…。
戦前の軍人が意外とくだけた話し方をしている事が新鮮でしたが(あー、とかうん、とか言ってましたw)
澤地久枝が出しゃばって台無しだなあと思いました。
大きい図書館にVHSがあるかもしれませんので気が向きましたら。
皇道派の理想通り、天皇陛下が様々な実務をこなした場合
陛下が体調を崩したりしたら大変だなあと思う。
政治家や軍人は誰かが体調を崩しても他の人が穴埋めすればいいだけだけど
天皇陛下ひとりだと潰しが利かない。
天皇機関説の何が悪いんだろう。
>天皇機関説
本当は器官説なんだよね。人間の脳にあたるという説。
>何が悪いんだろう。
ただ単に言葉尻をとらえただけだろうね。
大日本帝国憲法が続いていたら天皇が変わる度に憲法解釈も変わっていたんじゃないかと思う
天皇機関説は不敬ということで発禁になったけど、国民主権説は別に取り締まりの対象には成らなかった。学説としては、国民主権説の方が綺麗。
鈴木貫太郎が陛下の乳母の夫である事を青年将校達は知っていたのかな。
実際父親代わりだったらしいし。
そんな人が殺されそうになって陛下が喜ぶと思うなんて本当に狂ってるよ。
青年将校達は陛下の思いなんて知らないだろうなぁ。
真崎らの言うことを鵜呑みにしたんだろう。
皇道派は葉隠に影響されたんだろうか
佐賀だし
真崎教育総監更迭は真崎自身が仕組んだんじゃないかな。
血の気の多い皇道派将校に支持されてきた真崎が更迭されれば、
統制派が激しい攻撃を受けるのは目に見えていたし。
渡辺錠太郎は天皇機関説を擁護して皇道派から憎まれ、
戦局拡大を批判して統制派から恨まれ、
統制派が皇道派に差し出したケープゴートになっちゃったな。
211 :
210:2013/10/12(土) 17:15:41.85 ID:???
ケープゴート→スケープゴート
真崎解任を仕組んでたのが閑院宮ってことは誰も知らなかったの?
真崎自身も永田が仕組んだとか思ってたみたいだけど
「昭和史発掘」によると
将校でも下っ端の方はいい加減で今の若者っぽいなと思った。
幹部達が必死になっている時に酒飲んで呑気に早く寝ちゃったりしてるのw
真崎節
真崎って口がうまかったんだろうなぁ
肉声が残ってれば聞いてみたい。
なんでそんな真崎が関与してた事にしときたいの?
荒木貞夫は昭和41年まで生きてたんだろ?橋川文三の「昭和維新試論」か「昭和ナショナリズムの諸相」に
「テレビで気炎を挙げていた」と書かれていたから映像や音源が遺ってそうなものだが
真崎は平沼と一緒に議会政治に反対してたけど3月事件ではクーデター断固反対だったんだよね
彼は何がしたかったんだ
いわゆる統制派に対しての対立軸になりたかったんジャマイカ
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
ついでにいっとけば、
「切腹するする詐欺」やって
藤原参謀に
「切るならウダウダ言わずにさっさと切れよ」
と言われてこそこそ逃げ出した、ってのもあるなw
内地に「左遷」されて予備士官学校校長となった後もインパール作戦の事を
グチグチ文句ばかり垂れており、学生への悪影響を懸念して終戦前に
予備に回される始末w
★日中戦争は中国都市無差別爆撃を強行した
海軍と山本五十六によって計画的に引き起こされた。
■山本五十六海軍次官が牛耳る海軍は
戦争を煽り、制無差別爆撃を強行。日中停戦を完全に絶望的に確定させてしまった。。
また、その結果、共産主義者を大喜びさせた。
陸軍参謀本部が進めていた日中停戦交渉はぶち壊された。
山本五十六の目論みは、陸軍への対抗心、海軍の利権拡大、予算の獲得、長州への恨みetc
そのための大量の航空兵力配備。
その宣伝のため南京無差別爆撃は強行されたと考えられる。
第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、反日勢力を刺激し、全中国人を抗日で一致団結させる結果を招く。
日中間は泥沼戦争状態になった。
海軍次官・山本五十六が主導したと考えられる南京無差別爆撃の結果
・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ議会の賛同を得る。
以後、山本五十六海軍次官は米内海相とともに
黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)を利用して
徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。
山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。
>>224 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______ ___________
V
ヽヽ〃 / 半藤は認められているのにウリは認められないなんてシャベツニダ!
ヽ〃 英文?翻訳文?区別なんか出来ねーニダよ
( _) ウリは正しいニダ!ウリは正しいニダ!!!
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) ( Y ̄ ̄ ̄ ̄)
/ _/ \____/
↑
シコリアン土足w 今日も今日とて捏造擁護で牟田口を貶め幸福絶頂wwwww
土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
屑の能無しシコリアン土足くんwwwwwww
今日も今日とて現実逃避のバカコピペしないと生きてゆけないんだよなwwwwwwwwwww
ダブスタ、レンコリ、バカコピペ、これ全て土足がシコリアンである何よりの証拠だなwwwwwwwww
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
ついでにいっとけば、
「切腹するする詐欺」やって
藤原参謀に
「切るならウダウダ言わずにさっさと切れよ」
と言われてこそこそ逃げ出した、ってのもあるなw
内地に「左遷」されて予備士官学校校長となった後もインパール作戦の事を
グチグチ文句ばかり垂れており、学生への悪影響を懸念して終戦前に
予備に回される始末w
陸パン事件で真崎はこれに反対して青年将校は賛成についてるんだよね
根本的なところでずれてるってのに気付かなかったのがお互いの不幸だったね
真崎におだてられたり真崎の愚痴を聞いてる間に勘違いしちゃったのかな
牟田口廉也 - アンサイクロペディア
youtubeに巣食うネットウヨ馬鹿による、インパール作戦賛美動画
おまえら反論は
韓唐頭狂の滓どもはとっとと死にやがれ
保守
蝦夷基地はとっとと死ねや
牟田口なんて、大佐になるまで部隊の指揮なんか執った事も無い、ただの役人。
統制派に戦争は出来ない
国防に興味ないからね。軍備としては航空機を重視してたみたいだけど
国家の統制が目的だもん
このスレで2/26に書き込みがないなんて。
「インパール作戦を筆頭に批判の絶えない帝国陸軍の牟田口中将ですが、 好意的に解釈すれば、
能力を越えた出世をしてしまったきらいはあるのでしょうか」
東条も師団長どまりくらいのはずだったが、昭和天皇らの推挙で
あそこまでいった。
240 :
名無し三等兵:
蝦夷基地エベンキ国賊の鏡だな
イカレ韓唐頭狂非大和民族様人もどきどもの誇りだな