みんす党ですが組織の立ち上げは得意です

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433名無し三等兵
 清の崇コ二年(1637)から光緒七年(1881)までの244年間に、清から朝鮮への勅使派遣は實に1611回にも
及び、一方で朝鮮から清への朝貢使は500回以上にも及んだ。
 清の勅使を迎へる度毎に、朝鮮王は漢城郊外の迎恩門に至り、土下座して恭しく勅使を迎へた後、「慕華館」で
勅使の接待をする事を餘儀無くされた。
 毎年四回とされた朝貢は、順治元年(1644)以降は年一回に減らされたものの、それでも此れは他の朝貢國に
比べると並外れて多かつた。琉球は二年に一回、タイは三年に一回、ベトナムは四年に一回、ビルマやラオスは
十年に一回だった。
 朝貢國・朝鮮は莫大な出費を強いられた舉句に、返禮すら無い時も有つた。
 十七世紀半ば頃の記録に依れば、李氏朝鮮は毎年清に、金100両、銀1,000両、白米10,000包、絹布2,000匹、
苧布(チョフ:麻の一種)300匹 亞麻布10,000匹、大麻布400匹、精大麻布100匹、大紙2,000張入1,000巻、
小紙1,000巻、鋭刀2,000振、水牛角1,000本、模様花莚(ムシロ)50張、染料200斤、胡椒10枡、虎皮100張、
海狸(カイリ=ビーバー)皮400張、蒼鼠(ソウソ)皮200張を貢納してゐた。
 これに対し、清も見返りとして、贈り物を朝鮮王に下賜したが、何かと理由を付けて停止したり、逆に罰金を課し
たりした事も有つた。例へば、「挨拶状の文章に禮を失した文字がある」として、罰金・銀一万兩、貢納の見返り停止
三年の処分に遭つた事も有つた。斯うなると國庫は一氣に苦しくなつてしまふ。
 また、清の使節を饗す際の食卓に出す金銀の食器は使節が持ち帰る慣例になつてゐたから、朝貢國としての
李朝朝鮮は、毎年、莫大な出費を必要としたのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/kyuhzaemon/53421084.html

< ;`Д´><宗主国様ひどすぎるニダ・・・