南雲忠一中将を再評価するスレ(曽)

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67名無し三等兵
 索敵・哨戒に関して次に問題となるのは、(a) アメリカ側は地上において敵に補足・撃破されてはならない。
 (b) 滑走路や施設は使用不可能になるほどの打撃を受けてはならない。敵は200浬以上彼方から攻撃隊を
 発進させることはないと考えられる。そこで毎日、ミッドウェー島から200浬以内にて敵を発見する
 ことがないようにしなければならない。その前日の敵の攻撃圏進行を探知するためには前日までは700浬
 の索敵が必要となる。これは同時に2発の500ポンド爆弾を装着したPBY機の作戦可能な距離でもある。

 ミッドウェー航空部隊司令官 (CNAS) はミッドウェー島北西部300から400浬の海域の悪天候を考慮して
 予想される針路で来る場合、前日までに敵が攻撃隊を発進地点に到達する前に発見が出来ない可能性を考慮した。

 同時にこの悪天候が敵機動部隊にも、薄明前の攻撃隊の発進は不可能なものにすると考えられた。悪天候を
 抜け出した早朝の明かりの中で発進を行うために、発進地点に止まることも予想できた。もし、この仮定が
 正しいとすれば薄明は 0415 頃であり、敵がのミッドウェー攻撃は 0600 頃と予想される。この分析の正しさは
 実際の敵の攻撃が 0630 頃であったことを指摘おくべきだろう。

 効果的な索敵を行うために哨戒第2部隊の指揮官は「22機の索敵機を使用して、8・5度の角度で700浬の
 飛行を行うことにした。」このために22機のPBY5とPBY5Aがミッドウェーの薄明 (0415) 時に連日
 700浬の索敵飛行を行った。往路は約100ノット、復路は111ノット以上で日没前に基地に戻るように
 した。B17の利用も考えられたが、諸般の理由でこれは行わなかった。


 【資料出所】
  第2偵察部隊:太平洋艦隊司令部への秘密メモ:敵攻撃に対する航空機の配備状況:日付42年5月23日
  ローガン・ラムゼィ大佐:ミッドウェー島守備における航空部隊の作戦報告書:番号 0027 :日付42年6月15日
  ミッドウェー島海軍航空防御指揮官:ミッドウェー海戦:番号 0028: 日付42年6月30日