[19世紀後半(幕末)総合]南北・普仏・西南・日清戦争 06
たぶん空飛ぶ散弾銃みたいなのが、弾道飛行で敵上空に到達すると、筒先を真下に向けて発砲すると考えたのでは?
>>953 この板で言うとイリノイとかみたいに論破とか説得なんてのは出来ない相手だと思うが
構うだけ無駄
番号が嫌に飛ぶなと思ってたら来てるのかw
そりゃ直撃なり近距離で炸裂すれば頑丈に築造してない塹壕などは破壊されるだろう
ただそれを実現するためにどれだけの砲弾を費やさねばならないのか、
そもそもそれで破壊できるのは味方から見える敵第一線部分くらいしかまず期待出来ない
相手だって対砲兵射撃もしてくるだろうし、射界外からの敵予備隊の反撃etc・・・
単一の兵器だけで戦局をどうにかするほどの影響は与えられない
種子島伝来を啓蒙とかw
帝国主義や竹島占拠も被害国への啓蒙とか言いそうだな
これって朝鮮学校の歴史の授業の受け売りなんだよね
>>906 今更だが、逆に失敗例見ると突撃が成功する要因が見えるんじゃない
突撃を阻止した場合の例だと
1.砲含めた弾幕で粉砕(伏見奉行所)
2.戦術的な撤退も含めた突撃のスカし(伏見の新撰組)
3.奇襲部隊が潜んでそうな場所の掃討(千両松)
4.突撃に弱い砲兵隊などへの護衛(富ノ森)
1番は当時の銃砲のことだから、弾幕が途切れるタイミングを指揮官が見極められるかも鍵だろう
そこで成功しても敵が場慣れしてて、2番の様な的確な対応をしてくるなら失敗するかもしれない
軍事用語でいう「突撃」とはいったいどんな行為をさすのか教えてちょーだい。
>>962 兵は、我が白兵の優越を信じ勇奮身を挺して突入し敵を圧倒殲滅すべし。
だいたいこんな感じ
敵拠点や支配域に接近・侵入し、そこから敵軍を駆逐する目的で行われる攻撃じゃないかな
965 :
962:2013/03/10(日) 10:01:07.09 ID:???
966 :
名無し三等兵:2013/03/10(日) 16:08:27.62 ID:8zHbdiBQ
>>953 最大俯角は発射の反動で砲が跳ね上がるからスペックより大きいぞ。
榴弾は放物線を描いて、弾の先端の信管から着弾するから爆発する。
榴散弾も至近距離で使用するならともかく、遠くに飛ばすなら弾の先端から
落ちていくのだから、そこで起爆するように調節しておく
967 :
名無し三等兵:2013/03/10(日) 16:14:12.45 ID:8zHbdiBQ
>>958 第一次大戦の塹壕線は地中海から北海まで延長され、長すぎるので
そのすべてを砲撃するだけの大砲の数が両軍ともに無かった
戦場の面積によっても話は変わるよな
いくらなんでもネタなので書いてるんだよな
砲弾を真上に撃ってると仮定すれば不思議でもない
>>972 古代ギリシアのそれと日本のそれは無関係だろ
たまたま共通点があっただけのものを、影響下にあったかのように言うのは感心できないな
たまたまっていうか、武器を無くしても自らの肉体を使って戦えって、
古今東西、たいていの軍隊で兵士の心得として教えてるんじゃなかろうか
>>973 そうは書いてない。どこのお家芸でもないってこった。
war to the knife = 死闘 という英語の成語もあるしね。
977 :
名無し三等兵:2013/03/12(火) 13:05:09.26 ID:B13fN9hO
1884年に埼玉で起きた秩父事件も内戦なんだが、反乱側に軍事的才能が欠如していた。
埼玉から夜間に歩いて東京に入れたのに埼玉にとどまって包囲されて負けている。
当時の東京は木造長屋が密集しており、放火すれば東京大空襲と同じ被害を生めたのだから
戦略放火をしていれば秩父困民党は勝てた。
978 :
名無し三等兵:2013/03/12(火) 13:11:32.93 ID:B13fN9hO
戦後の学生運動では学生側にまるで根性がなかった。
ガリ勉しか取り柄がない東大や早稲田の学生は警官に殴られたら泣いて逃げたのだ。
それは近代戦ではなく、類人猿のレベルの戦いだった。
腑抜けだった学生運動はかりに機関銃や大砲があっても自衛隊に負けただろう。
弱兵だからだ。
運動と近代戦を同一視する土鍋mk.2スレと聞いて飛ん(ry
980 :
名無し三等兵:2013/03/12(火) 13:17:15.84 ID:B13fN9hO
自動小銃は安く大量生産された銃なので壊れやすい。
プラスチック製はすぐ折れるという声もある。
ようは使い捨てなのだ。
そして銃が壊れたら兵士は石やナイフで戦うしかない
981 :
名無し三等兵:2013/03/12(火) 13:23:35.57 ID:B13fN9hO
「兵器さえあれば勝てる」
こう単細胞な発想をする者は多い。
しかしアラブなどがオイルマネーで最新型の兵器を大量購入しても整備が
できないから稼働率がゼロに近い。
イラクのサダムフセインも大量の兵器を購入していたが、整備という概念すらない国
だけに錆びて動かなくなっていた。
982 :
名無し三等兵:2013/03/12(火) 13:33:40.76 ID:B13fN9hO
>>979 学生運動側は「俺たちはベトナム戦争と同じ戦争をしている」と豪語していた。
もし学生運動が拡大したら内戦になっていただろう。
しかし東大や早稲田はガリ勉で弱いので、警官が殴るとメガネの東大生は「暴力はやめてください、ごめんなさい」
と泣いて土下座していた。
あまりに弱すぎて戦争になりえなかったんだ
>>977 政権は一揆が川越地方に波及し、そこから東京に及ぶことを恐れていたが、
秩父困民党の目標は浦和の県庁まで行進してそこでモラトリアムや義務教育の延期などを
直訴し、その途中で悪徳高利貸しを懲らしめることだった。
土台高利貸しの家から集めた刀剣や火縄銃では鎮台兵に勝ち様がなかった。
猟師は皆官憲の側についたし。
もうスレの終わりなんだから連投は自制してくれよ。
984 :
名無し三等兵:2013/03/12(火) 13:40:27.55 ID:B13fN9hO
戦争には心理的側面もある。
核兵器などは心理面に訴える抑止兵器の面も大きいし、19世紀の歩兵が
派手な服装を着ていたのは相手に威圧感を与えるためだ。
過去の学生運動にはこの心理戦の面もある。
警察は拳で学生側を叩きのめすだけではなく、東大や早稲田の学生に対し
「てめーはもう就職できねーぜ」と心理的ゆさぶりをかけた。
一種の心理的兵糧攻めである。
985 :
名無し三等兵:2013/03/12(火) 13:46:14.98 ID:B13fN9hO
>>983 野戦で勝ち目が無いならば、東京に入り込んで市街戦に持ち込むなどの
戦術が必要だっただろう。
秩父困民軍が東京の街で玉砕しても、東京を集団放火で焼け野原にできれば明治政府は財政破綻した。
だからそういう予定はなかった。政権を倒すつもりも毛頭なかった。
秩父困民党は悪徳高利貸しを懲らしめるのにも、
一軒家の場合のみ放火し、延焼のおそれある場合は打ち壊した。
無辜の市民を大勢焼け出すような真似はできてもしなかったろうよ。
理屈コイてんじゃない馬鹿野郎。
当時の消防組織は内務省管轄で国産蒸気ポンプなんかも装備していて
消防士の専門化が進むことになるのですね
日本人の知恵と努力を「集団放火」みたいな安っぽな手段でどうこうという発想は
どちらのお国の方ですかねw
989 :
名無し三等兵:2013/03/12(火) 14:44:48.00 ID:B13fN9hO
>>986 では秩父困民軍はさいしょから負けるつもりで蜂起したのか?
仮に明治政府に勝つ方法があるとしたら、B-29の空襲を先取りして東京に集団放火をして
焦土にするしかなかったはずだ
秩父事件での蜂起は自力救済運動
悲惨な末路を辿った主原因は従来の一揆ならその地域内だけで解決すべきもの、
とされてきたのが当時は中央集権化が進み、弾圧に中央政府の軍事力が使用される時代に変化してたこと
またあの時期は民権運動があったが、民権運動には豪農等、地方の有力者も多く加わり、
貧しい農民の抱える負債問題では連携しにくい面もあった
豪農や地主層は自分の地域での貧農の問題には協力的でも他地域の問題に対してはそうではなく、
そのため秩父事件は広範囲に広がらなかった
>>986 他の一般家屋に延焼する恐れのある場合は打ち壊しにとどめたのは
秩父事件が江戸時代の一揆や打ち壊しの様式を継統しているのが伺えますね
当時の通信・交通事情がどーたらと御託を並べている御仁は日本の歴史や社会に
ひどく疎いようですねw
だって社会主義史観を変形させた主体思想もどきの朝鮮学校教育が
土鍋もどきの頭の根底にあるんだもん
members.jcom.home.ne.jp/invader/scene/index.html
このサイトに書かれてるグロ系歴史観に、土鍋の主張がそっくりなんだよな
こいつが訪問客が減って焦ってんじゃねえかなあ?と思ったこともある
やがて日本は日清戦争に突入
さらに日露戦争への道を歩いて行く
そのような歳月の中で幾度か、銑次の姿を見たという人があった
たとえば、栃木県足尾銅山鉱毒事件の弾圧の最中で
たとえば、北海道幌内炭鉱暴動弾圧の最中で
激しく抵抗する銑次を見たという人がいた
そして、噂の銑次はいつも戦い抗う銑次であった
995 :
名無し三等兵:2013/03/13(水) 10:16:06.15 ID:PTMKVjCf
>>990 1918年の米騒動はすぐ全国に波及している。(電話がまだ普及してない時代だよ)
当時の日本は現在の北朝鮮より生活レベルが低いので、東京大阪でもすぐ大暴動が起きる。
ほぼ全員が暴徒予備軍であり、すぐ暴れて放火する。(当時の民衆は字も読めない)
暴徒の数が多けりゃ、スナイドル銃で鎮圧するのは財政面や補給面から無理である。(村田銃でも無理だろう)
大阪、名古屋、東京をすぐ焼け野原にできる火薬庫のような社会環境があったのに、それを活かせなかった
秩父困民軍はナポレオンやホーチーミンの足元にも及ばない。
996 :
名無し三等兵:2013/03/13(水) 10:22:27.98 ID:PTMKVjCf
戦後に生まれた保守的なサラリーマンなど明治時代には存在しない。
明治期の日本の民衆は農奴やルンペン炭鉱夫であり、いまのジンバブエと同じなんだよ。
怒り狂う類人猿のようなものだ。
また監視カメラなども無い時代だから、武器庫を襲撃して銃や大砲を奪うのも
容易だっただろう
997 :
名無し三等兵:2013/03/13(水) 10:25:53.29 ID:PTMKVjCf
まあ日本の左翼や反体制には才能があるやつが皆無だったからこそ、
戦後の繁栄があるんだけどね
お前の知ったかにはもう沢山だ。
こんなのの妄想に付き合うぐらいなら次スレはなしの方向で
ジンバブエとソマリアの区別も付かないとかw
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