>>637 日米戦争の結果
日米戦争の研究に入るに先立ち、余は第三者の所論を紹介して、端的に結果の予想を試みたいと思ふ。
左の所論はソビエット海軍幹部の発表せる日米戦争の概観の一節であるが、いはゆる、岡目八目の見解として、相当の真実性を含んでゐるから、
これを土台として、余の所見を付加したいと思ふのである。
(1)米国が勝利を占めた場合。
米国は講和条約の条文で、日本の東亜に於ける領土的野心を密封してしまふ。
即ち日本の支那に対する進出を根本的に排除し、朝鮮住民の大多数が反日思想を抱いて祖国独立を渇仰してゐる状態を利用し、援助して、
その独立を実現せしめるのである。
日本は大戦争に疲弊して、戦後における財政経済の復興力を失ふ上に、その完備した海軍力を奪はれ、折角開拓した国外市場を失ふに及んで、
遂に第二流国の仲間入りを余儀なくされる。
しかし人口増加、原料不足、全国的失業、国家的貧窮等の問題に関しては、これが解決に要する対策も準備する事が出来ないのである。
米国は同じくアングロ・サクソン人種である英国を味方として、日本に代わつて、東亜の諸市場をその手中に収め、
牢固として抜くべからざる勢力をこの方面に扶植するに至る。
これを要するに、米国の勝利は、日本の独立的存在を奪ふものである。
(2)日本が勝利を得た場合。
日本は支那に対して偉大なる勢力を振ひ、先ず○○を併呑し、支那各地の市場を独占し、続いて東亜に於ける米領、○○領をも併合し、
茲に一大黄色人国を現出するに至るのである。
しかしアングロ・サクソン人種として米国の同胞である英国は日本のこの勝利を傍観してはゐない。
英国は、日本が一国の生死を賭して辛うじて得た戦勝の結果、即ち講和条約によつて獲得した権利の大半を奪還すべく、必死的行動を執るに至るのである。
英国に日本の勝利が英国の既得勢力を阻害することになれば、極力これに反抗して起つのである。
英国は日本をして強制的に英国と協定して、東亜を料理せしめるに至る。
しかし戦争の創痍を得てゐる日本は、英国を相手に戦争を開くべき実力を有してゐないので、遂に英国のまゝに協定せねばならぬのである。
米国は敗戦の結果、強国としての面目を失ふ。支那における市場を一時的に失ひ従来投資した資本も無に帰してしまふ。また東亜に於ける領土も奪はれる。
しかし米国にとつては、日米戦争は結局植民地戦争に過ぎない。随つて其の敗戦も米国の存亡に豪も影響を及ぼさないので、依然として米国としての重きを成すのである。
日本は日米戦争に勝利を博しても、米本国まで遠征することは出来ない。
その距離の大なること、並びに根拠地をその付近に有してゐないことは、日本をしてこの挙を断念せしめる直接の原因である。
なほ米国との戦争の為に、可也の痛手を負ふ日本としては、更に不利なる条件の下に、敵の本国に出征軍を上陸せしめても、その結果は薄いのである。
即ち日本の勝利は決定的のものであり得ないのである。
以上を結論すれば、日米戦争は日本にとつては国家存亡の分れ目の戦であるが、米国にとつては、商工業発展の遅速を決定する戦であるに過ぎない。
それ故、日本は米国から開戦を余儀なくされるか、またはその勝利が最も確実と判断されるか、この二つの場合を除いては米国とは開戦しないものと考へられる。
以上が彼の所論であるが、如何にもロシヤ人らしい考へである。成程、米国が勝利を得た場合には、露米共通の剛腹観から、日本を徹底的に島国内に密封して、
米国の極東政策に一指を染めさゝないやうにするのは、あり得べきことである。
またアングロ・サクソン、ソリダリテイを東亜の海陸に布き、支那を保護国同様か、英米共同管理下に置いて、その市場の独壇を策することもあり得べきことである。
これ等、あり得べき予想を事実として観る時、米国の勝利は、真に日本の独立的存在を奪ふものである。
次に日本が勝利を得た場合には、日本は相当偉大な威力を以て、支那の頑迷を醒まし、日支手を携へて東洋平和に一層強固な礎材を樹立するであらう。
随つてこゝに一大黄色人種の強固なブロックが現出して、白色優越感に抱へられた欧米人に一大脅威を興へるであらう。
しかし日本が戦勝の暴威を振ひ、支那及び米蘭の領土を併合するなどゝ考へるのは、是れ全く貪婪飽く事を知らざる欧米人の観察である。
日本はたゞ建国の精神に則り、天壌無窮の国体を擁護し、王道を天下に宣撫し、自他共栄の大道を踏み世界の平和を庶幾するばかりである。
こゝに大和民族の教養と欧米人の唯物主観の相違が有るところである。
更に日本の勝利に対して英国の横槍を拉し来つて、戦勝の成果を英人の意の儘に委すだらうとの考察も、一応は首肯かれるところである。
歴史はアングロ・サクソンの功利的行蔵に幾多の例証を挙げてゐる。その国際的の立廻りといひ、重大なる時局に対応する場合といひ、
常に最小の犠牲を払つて最大の効果を収めんとするのである。
従来英国の欧州に対する国策としては、大陸の重大性に接当しても、決して独力を以てこれに応じようとはしない。
きつと、野心有る一国若しくは英雄に対し、これに反抗する一大勢力の出現を待つて始めてこれと提携するのである。
しかして、寧ろ正面の衝突を避け、大陸国をして大陸的戦闘に没頭せしめるやうに導き、自分はその時期を利用して、主として海上の優越を遂げ、
自己の勢力を海外に及ぼすと同時に、戦後の余裕を提げて、時局最終の牛耳を握らんとするの方針を取るのである。
かのフレデリック大王を佐けた英国の事跡、ナポレオン没落時に処した英国の行動等、如何に巧妙に有利に、しかも確実なる手段を取つて、
常に最後の牛耳を握り、戦果の取得を左右したのである。
世界大戦以来、本家の英国はいさゝかその伝統の国策に動揺を来たした形跡はあるが、血を別けた分家の米国は、参戦振りといひ、全くお株を譲り受けた観がある。
かゝるアングロ・サクソン民族相手の戦争は、その始めに当たつて慎重の警戒と、透徹せる洞察の必要なるは勿論であるが、
戦争遂行につれて更に国際政局の動向に一層の透見と慎戒とを加へ、英国の既得勢力を阻害することなく、極力これと協調を保持し、
且つ功利的民族に酬ゆるにまた功利的所得を以てする雅量を示せば、今尚ほ日英同盟の誼を忘れざる英国としては、日本の深讐を買つてまでも、
日本の戦果を奪取するものではない。殊に比較的日本民族性を認識してゐる英国としては、寧ろ手を携へて東西大洋の海権に肝胆を披瀝するの可能性が有るのである。
これ畢竟、将来の英米対立に比して遥に打算的効果を挙げ得るからである。
更に論者の結論において、日米戦争は米国にとつては商工業発展の遅速を決定する戦であるに過ぎないとしてゐるのは、日米戦争の重大性を余りに軽く扱ひ過ぎるの感がある。
若し一度海権を喪失したる裸の米国を想像して見よ。ハワイに拠る日本艦隊は随時に米国西部地方に爆弾の雨を降らすであらう。
世界一の吟持に増上慢せるアンクルサムは何を以てこれに答へるであらうか。
その統制力薄弱なる政治組織と人種問題の癌腫に悩める米国は、世界の王位を下つた惨めな姿で、果して社会組織の統制が保たれて行くであらうか。
また多年米国の横暴に憤慨せるラテン・アメリカ諸邦は、如何なる報復手段を以て敗後のゴライヤスに酬ゆるであらうか。論者の如く、しかく簡単には済まないのである。
しかし日米戦争が日本にとつては、国家存亡の分れ目の戦ひであるは所論の通りである。
随つて、米国から開戦を余儀なくされない限り、開戦しないのはもとよりその通りである。
由来、日本の対外戦争は皆他国から余儀なくされて、止むを得ず起こつたものばかりである。
日清日露戦役皆しかり、しかもその勝利の確実性は、有形的比較によつてこれまた判断する能はざる場合ばかりであつた。
たゞ一念、国家の擁護と堪忍袋の緒が切れたからである。
日米戦争もまた同一の経路を踏むであらう。
これを要するに、戦争の結果は予想通りに行くものではない。
また戦果の助長は国民の努力如何によるのである。
されば目安の大綱を定めて臨機の対策を善処するの外はあるまい。