[武士騎士] 古代中世総合06 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
1 :
名無し三等兵:
軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
900を踏んだ人は次スレを立てて次スレへの誘導レスすること。
950過ぎても次スレが無ければ気が付いた人が次スレ立ててください。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士・騎士] 古代・中世 軍事総合05[弓・刀・馬・船・城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1345408783/
2 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 09:29:56.86 ID:???
3 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 09:31:55.96 ID:???
4 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 10:19:26.24 ID:???
まあ別にスレタイ案とかどうでもいいけどな
5 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 10:37:31.69 ID:???
スレタイ案とか本当にどうでもいいけど日本の戦国時代が前期後期で
まったく別のスレにわかれるってのは、どうも杓子定規すぎて不便。
6 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 10:37:44.77 ID:???
7 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 10:39:02.53 ID:???
>>5 歴史系の板ではなく、ここは軍事板だから
戦場で銃が登場する前の時代、登場した後の時代で分けてスレを使い分けしている
8 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 11:05:43.17 ID:???
15世紀頃のスイス傭兵や東ローマが使ってたハンドカノンとか、イェニチェリとか、13世紀頃に南宋が使ってた銃火器はどうなるの?
9 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 11:19:06.31 ID:???
銃・大砲・ロケット兵器は近世スレになるのかな
近世スレより転載
284 :名無し三等兵 [] :2012/09/06(木) 19:46:14.69 ID:rs5k1Elz
砲身を用いず火薬の力で飛ばすロケットのようなものは
西暦975年に中国で登場した火箭が最初
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/ 最初の火箭は矢を飛ばしているだけだったけどね。
10 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 11:21:59.50 ID:???
これまで通り
両方覗いて、刀・槍・弓・甲冑についての話題ならこっちの古代中世スレ
火縄銃・大砲・ロケットについて考察するのなら近世スレでいいじゃない
軍事技術は世界各地で進歩具合もまばらだから
何年という統一区分けは元から不可能だからね
11 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 11:47:03.97 ID:???
そもそも、特定の兵器の登場や時代区分で厳密に区分けするっていうのが困難なんだよ。
マルクス史観じゃあるまいし、兵器も歴史も全ての地域で単線的に発展する訳じゃない。
だから、大体1600年くらいとかって、年代で大まかに差別化すればいいだろ。
南宋軍とレッドコートは両方銃持っているけど同時に存在していなくて相まみえることは絶対ないから、同時に語りにくくてもあまり困らない。
でも、中世さながらのズールーとレッドコートは実際に戦争してるんだから同時に語れないと困るだろ。
っていうか、元々の
>>1の書き方からしても、兵器で厳密に記聞することを意図しているようには思えないし。
12 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 12:30:02.55 ID:???
13 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 12:31:27.31 ID:???
14 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 12:35:38.11 ID:???
とりあえず戦国版っぽいリンク集も作ってみたけど近世総合スレに貼った方がいいのかな?
15 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 16:18:22.85 ID:???
>>14 銃が登場して以降の戦国版のリンク集があるのなら近世スレに貼ってくれると助かる
16 :
名無し三等兵:2012/09/12(水) 16:29:33.78 ID:???
>>11 ここの
>>1だと
>古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係
何年とはっきり線を区切っていない。時代や国ごとで差異があるからね。
近世スレの1だと
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1342678782/1 >概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
>国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
>だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
近世スレでも「だいたい西暦1400年」とぼやかした区分けになっている。
こちらも国ごとで違いがあるから中世と近世ははっきり線で区切られないからね
今のところ
古代中世スレと近世スレのスレ使い分けは
戦場での主役が銃であれば近世スレ。
そうじゃないのであれば古代・中世スレという分け方。
17 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 01:04:38.53 ID:???
戦国の途中から銃が入ってきた日本の場合、そこからいきなり近世ですとか
言われてもね。ちなみに中国の近世っていつからなの?
>>17 今も昔も中華ではその件で激論が交わされていて定説が無い
近世否定派閥まで形成されている始末
19 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 04:47:07.56 ID:???
前スレ
>>997 マリウスとスッラの粛清で人材が枯渇していた上に、ローマ軍の主力はミトリダテスとの戦いやらヒスパニア反乱鎮圧やらに拘束されてて二線級の士官しかいなかったからじゃないかな?
実際、スパルタカス軍は戦下手のクラッススに負けてるくらいだし、そんなに強いとは思えない。
20 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 05:21:16.79 ID:???
まぁ銃が入ってくると、
剣技とかがあまり役に立たなくなりがちというか、
白兵戦スキルが発揮できる箇所が限定的になるから、
その区分けはしょうがないかもしれんね。
21 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 05:22:39.22 ID:???
そういえば案外日本でも、
飛砲とか、そういった名前で投石器らしきものが
使われたことがあるようだね。
弥生時代は投石専門の石弾が発掘されているようだし。
石に紐つけて振り回して投げると結構威力があるよね。
22 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 07:03:44.13 ID:???
スパルタクスの軍勢が強かったとしたら、やはり大将のスパルタクスのカリスマだろう
わずかな兵力でローマの軍勢を倒したスパルタクスには、圧倒的なカリスマがあった
そういう軍隊であれば、烏合の衆であってもある程度の統率が取れるものだ
スパルタクスの反乱軍が敗北したのも、路線対立で軍自体が分裂したあとだしな
23 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 07:54:31.15 ID:???
まあもともと剣闘士の集団だから白兵戦のスキルは最高レベルだろう。未経験の奴に教育訓練もできる。
クラッススが勝ったのは個人の指揮能力というより国家の力。真田幸村と徳川家康みたいな差。
自由になって故郷に帰る、という切実だが漠然とした目的では集団の指揮・統制は難しい。
みんなが自由になって故郷に帰ったら必然的にバラバラになっちゃうし。
24 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 07:54:55.27 ID:???
>>19 プルタルコスはそのころは連勝続きで配下の奴隷や群衆達が思い上がって
スパルタカスの指示に従わなくなっていて弱体化しはじめていた
というようなことを書いているな。
25 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 08:03:08.92 ID:???
そもそも帰る帰らない自体があやふやだったしな
1度ナポリからアルプスまで行ってからシチリアの向かいまで引き返してまた北上
ほぼイタリア一周してる計算になる
26 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 08:05:54.23 ID:???
剣闘の装備は汚らわしいとかで緒戦で捨ててるんだよな。
あとはローマ軍から得た武器や甲冑で戦っている。
剣闘のは見た目ばかりで実用的でないとも聞く。
27 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 08:20:56.30 ID:???
剣闘は見世物で、あれ思ったほど死人でないし。
28 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 08:59:09.39 ID:???
コンモドゥス帝 「コロッセウムに立ってみるか?」
29 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 09:09:58.20 ID:???
オスプレイの剣闘士の本にコモドゥス帝の相手は見せ掛けだけの鉛の剣を
持たされたとか載ってたな。
30 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 12:32:32.30 ID:???
>>26 マジで?
必ずどっちか死んでるんだと思ってた。
31 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 12:40:31.92 ID:???
それじゃあ興行主が破産しちゃいます><
32 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 12:46:49.74 ID:???
剣闘士の扱いに関しては、同じローマ時代でも年代によって大きく違うだろう
最初の頃は、滅多に殺す事はなかったが、次第に観客がより強い刺激を求めるようになり敗者を殺すようになったとか
そういう話も聞いた事がある
剣闘士を辞めた元剣闘士の多くが、剣闘士を続けることを選んだ
って話も聞いた事があるし
33 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 12:50:09.67 ID:???
時期によって死亡率も変動しているという指摘はあった。
あとでもう一回剣闘士の本見てくる。
34 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 13:23:19.30 ID:???
すげぇ、初めて知った。
剣闘士の死亡率を今ものすごく知りたい。
35 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 13:38:28.05 ID:???
アウグストゥス以前は助命なし、でやってたらしい。
帝の命令により助命が認められるようになった紀元一世紀は
wikipediaなんかにあるように死亡率が10%程度。
三世紀になるとおよそ一試合おきに一人が死んでいたとのこと。
36 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 21:27:02.66 ID:???
銃も、マスケット銃までなら、ここでの議論に加えても良いと思うけどね
火縄銃が広まった15世紀から16世紀を近代ということも無理があるし
37 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 21:30:34.98 ID:???
戦国後期の話題でスレ違いと言われるのはちょっと厳しい。
38 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 21:39:03.18 ID:???
素手での戦法が進歩するには、けっこういろんな時代背景があるな。
空手は、薩摩藩に支配され武器を持つことが許されなかったことで、琉球で発展したものだし
弓どころか、剣も槍も使えない状況で戦う方法として小具足などの武芸も江戸時代にも発展している
でもさ、日本って武術がけっこう発達している国だよね
空手とか柔道とか、海外でも似たような武術がありそうだが。
案外、広まっているし
調べたことはないが、これだけ多様な武術が発展した国は珍しいかもね
39 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 21:39:44.84 ID:???
ぶっちゃけ、日本だと戦国後期以前の軍事は微妙だからな
40 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 21:44:40.06 ID:???
>>38 琉球の刀狩りは明のマネをした尚氏の仕業だよ。
41 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 21:49:06.31 ID:???
刀狩りが成功した国など、日本くらいだが
他の国では、異民族の侵攻などもあり、民衆にも武装を認めるしかなかった
42 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 22:05:24.69 ID:???
ヨーロッパはボクシングにレスリングがあるし、中国もすごい数ある、
タイを中心とするあたりはムエタイが広まってる。
43 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 23:05:01.65 ID:???
テコンドーが仲間にして欲しそうにそちらを見ている
44 :
名無し三等兵:2012/09/13(木) 23:40:54.49 ID:???
武術の話題は広がりすぎるから軍事と関係ない場合は控えめにしたほうが。
45 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 06:57:21.12 ID:???
軍事と関係がある、という点でいうと、
日本の甲冑同士での組手=柔術、
騎士同士の戦いのためにうまれたレスリングの原型とかかね。
直接拳や蹴りで攻撃する武術は鎧を着た相手には本来向かないんだけど、
なぜか中国の拳法では
北派=騎兵と戦うために飛び蹴りなどの大技が多いとされる
南派=歩兵と戦うために関節技などの技が多いとされる
だよね。
中国の甲冑が比較的、布や革に鋲打っただけのものがおおかったり
したからなのか何なのか。
46 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 07:11:03.61 ID:???
騎兵に飛び蹴りって効くの?
47 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 07:34:25.92 ID:???
さぁ……w
あくまでそういう説ってだけだからなぁ。
48 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 08:07:59.17 ID:???
軍忠状を見ると「馬を入れ」た武士が敵の槍を蹴落とすなんて場面があるな。
飛び蹴りじゃなくて馬に乗った状態から蹴った感じだが。
『野口豊前守戦功覚書写』
・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、
我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、大くらたすけ申候、我等やりけおとし
申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
49 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 08:18:26.94 ID:???
確かに馬上からだと関節技狙うような雑技団披露するよりも大技やる方が遥かに建設的だが...
そんな緊急時の技練習するぐらいなら素直に槍とか馬術でも鍛錬するよな普通
50 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 08:24:23.51 ID:???
野口豊前守だって別に蹴り技鍛錬してないと思うw
関東武者の馬術の鍛錬の成果だな。
51 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 09:01:31.49 ID:???
盛岡藩の諸賞流では蹴りも多用するが、南部武士は馬上で蹴り使うこともあったのかなあ?
仙台藩の柳生心眼流でも蹴りあったような気がするが。
52 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 09:19:04.14 ID:???
東北伝の柳生心眼流は明治以降の人が色々頑張っちゃったらしいが。
甲冑術とか元々の伝書にはないと言うし。
53 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 09:45:00.57 ID:???
別に蹴りとかって相手を卒倒させなくてもバランス崩すだけでも意味あると思うけど。
甲冑つけてる奴は重いからタイミングよく蹴れば簡単に倒れるだろうし。
54 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 10:08:56.87 ID:???
自分のバランス崩してるだけじゃないのか?
55 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 10:23:52.00 ID:???
>>49 なので中国拳法は、本来、刀槍の武術も一緒にやるんだが、
現代ではその意味も薄れたから素手の技術だけになってきてるんじゃないかと。
太極拳とかも本来は剣術もやるもんなんだけどね。
56 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 10:43:14.37 ID:???
太極拳って十九世紀頃からしか存在した証拠ないしなあ。
57 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 10:58:07.49 ID:???
少林寺拳法は、達磨大師が修行の一貫として取り入れたものとされているが
心身を鍛えるだけなら、何も武道でなくてもよいはずだ。
どう考えても少林寺を武装集団とする意図があったとしか考えられないがな
ま、宗教もきれいごとばかりではないってことで
58 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 11:07:10.17 ID:???
>>53 古式柔術には、甲冑をつけての試合がいまでも行われている流派が存在したな。
古式剣術の方にも、現代剣道と違い。
足を引っ掛けたり、投げ飛ばしたりする技が存在する流派もあるし
59 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 11:18:57.57 ID:???
>>58 剣道のルールがある程度統一されたのは、
大日本剣道形からだしな。
60 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 11:42:11.04 ID:???
>>57 少林拳と少林寺拳法一緒くたにしたらいけんぞ
少林拳は中国発祥の拳法
少林寺拳法はそれをベースにして日本人が考案した拳法
61 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 11:54:55.72 ID:???
そういえばそうだな。
少林寺の少林拳と、
少林寺拳法は別物だな。
俺も最初区別つかなかった。
とはいえ少林寺拳法って、どちらかというと
日本拳法に似てると思うけどね。
62 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 12:39:29.18 ID:???
日本少林寺拳法は、もともと宋道臣が日本国内で学んだ柔術が基礎。
そこに大陸で学んだ・目撃した功夫を取り入れている。
また中国の少林寺が、功夫を復活させる際に、日本少林寺拳法が協力している。
63 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 13:58:44.53 ID:???
少林寺も、いまは観光に力を入れているからな
海外に少林寺の名前を語るのが多いと、商標登録までして独占している
日本少林寺は、崇山との交流が長いと例外扱いされていると言っても
宗教の世界とは外れた話になっているな。
少林寺は、そもそも禅宗の総本山であり
それだけでも、かなりのはくがあるのだが
64 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 13:59:18.06 ID:???
中国はバッタもんに優しい
65 :
名無し三等兵:2012/09/14(金) 23:57:30.44 ID:???
前スレでパルティア騎兵相手に投槍は有効じゃないみたいに言われていたが
実際は投槍や投石兵の投げる鉛丸は中々有効だったようだ。
飛び道具には飛び道具ってことかね。
66 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 01:10:58.94 ID:???
投石はまだしも、射程が短く数を持てない投げ槍は、機動力のある散兵相手には向かない。
そもそも相手の弓矢は、その射程の十倍くらいの距離から攻撃してくるんだよ?
当たる当たらない以前に届かないだろう。
67 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 08:06:00.71 ID:???
>>66 だよ?とか言われても↓こういう描写があったから困る。
これとは逆にその十倍の距離から攻撃してくる弓矢に投槍がまったく役に立たないエピソード
などがあったら教えて欲しい。別に挑発とかじゃなくて少しでも多くの例を知っておきたいからね。
プルタルコス『英雄伝』「アントニウス」
・そこでアントニウスは隊列を整え、それによって投槍兵や投石兵を敵に対する攻撃の
配置を整えたところに、パルティア軍が現れ、旋廻行動を始め、ローマ軍を
四方八方から包囲して混乱に陥れようとした。そこでローマの軽装兵が彼らに対して
出撃すると、パルティア軍は矢を放って多数を傷つけたが、それに劣らぬローマ軍の
鉛丸と投槍の傷を受けて退却した。それからパルティア軍は再び攻めよせたが、ケルト人が
馬を集めて、彼らを襲撃し、蹴散らしたので、その日はもはや姿を見せなかった。
それ以来、アントニウスはなすべきことを学びとり、後衛だけでなく両側を多数の投槍兵や
投石兵で護衛し、長方形の陣形で軍隊を進め、騎兵には敵を攻撃しても深追いをしないように
命じた。その結果パルティア軍がそれから四日間はローマ軍に損害を与えるよりも多くの
損害を蒙って士気を減退し、寒気を口実にして退却を考えるようになった。
68 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 08:20:39.02 ID:???
>>67 どうなんだろう。
投石が廃れて矢全盛になっていったのは、
投石単体と矢単体を比べるだけでは原因がわからんということなのかね。
69 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 08:30:38.63 ID:???
>>68 投石は十字軍の時代でも活躍があったというし意外と根強いよ。
銃が安くなる頃は完全に一線から退くだろうけど。
騎射は狙いがつけにくく不安定な馬上だから、徒射の場合よりも射程は
短くなるだろうし、それで投石や投槍でも互角に戦えるんじゃないのかな?
70 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 08:48:57.98 ID:???
おそらくなんだけど、
投石は威力はあるものの事故が発生しやすいんじゃないか。
矢や槍に比べて振り回して投げる分、スリングが切れれば周囲に
当たるわけで。
日本も弥生時代くらいは紐をつけて投げる石弾が出土しているし、
軍団制の時も投石は結構やってたらしいな。投石補助器もあったようだし。
71 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 09:04:00.01 ID:???
アントニウスのパルティア遠征は軍の3〜4分の一を失う大失敗だったし
本当に投槍や投石がそんな活躍したのかと
72 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 09:49:44.34 ID:???
>>71 不利な情勢から軽装兵の主力起用で戦線膠着。
その後で部下のフラウィウス・ガルスの献策が大失敗して包囲され
多数の兵を失うという流れ。
73 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 09:51:59.89 ID:???
まずプルタルコスはローマサイドのカキコだし、
パルティアの戦術は遊牧民の定番のおびき出し戦術だから、
それに釣られることがなければ勝てはしないが負けることもない。という。
>騎兵には敵を攻撃しても深追いをしないように命じた。
おそらくなんだけど、パルティアのおびき出しのための接近攻撃でさえ、
剣戟に及ぶ白兵の距離でなく、唯一投げ槍と投石くらいしか効果がない。
とも読める。
74 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 10:13:44.03 ID:???
通読する限り、別にローマサイドだからってローマの武装を過大評価して
敵側を過少に扱うなんて感じではないけどなあ。
パルティアの弓矢の恐ろしさとそれに対してローマがいかに苦戦を強いられたかは
既にクラッススのところでさんざん描写されてるし。
「クラッスス」
・その矢は武具を砕き、硬い覆いも軟い覆いも区別なしにすべてをさし貫いた。
パルティア人たちは遠く距離を保っておいて、四方八方から一斉に矢を射始めた。
それは正確に的をねらうというやり方ではなかった。―ローマ軍隊形を密に組み
分厚い陣を布いていたので、そう願ったとしてもローマ兵を射損なうことはなかったからだ。
―彼らの弓勢は強かった。弓が強くて大きい上に、充分に引きしぼるから、矢は
たまらずに飛んで行くのである。ローマ軍の形勢はすでにたちまち非となった。
75 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 10:17:45.27 ID:???
カエサルのガリア戦記を読む限りは、
本当にガリア軍ってそんな大軍なの?的な戦闘をいくつもしているから、
読み物として面白くするために誇張とかはありそうだけどな。
76 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 10:21:50.51 ID:???
>>75 アントニウスのところの事例を見る限り、投槍投石は騎射に対するそれなりの対抗手段と
成りえるようだというだけの話。逆に対抗手段とならない事例なんかもあれば
読んでみたいんだよ。ローマ時代の文献から具体的な記述をね。
正直言って具体的な話もなしに先入観だけで使える使えないの議論は不毛だと思うわ。
77 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 10:31:02.36 ID:???
タイマンじゃないんだよ。
78 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 11:15:20.62 ID:???
近づいたほうが威力は大きいから調子に乗って近づきすぎて石や槍にやられたってことか。
理論値上は詰みゲーでもときどさんのように徹底した戦い方をしないとミスって負ける可能性はある。
79 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 11:19:29.01 ID:???
プルタルコスはどうしてパルティア軍が退却を考えるようになったと解ったのか?
80 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 11:20:54.20 ID:???
無理ゲー詰みゲーというほど極端に飛距離に差があるのかな?
白兵戦に移行するためのピルムは重く折れやすく作ってあるのは有名だが、
軽装兵の投げ槍は軽い別物のようだぞ。オスプレイの『共和制ローマの軍隊』では
両者を区別している。
81 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 11:23:00.55 ID:???
>>78 それが三日も四日も続いたってんだから絶対有利からたまたまミスって
負けるとかの話じゃないだろう。
82 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 11:27:26.46 ID:???
鎧をしっかり着て
盾で矢を防御して
しょうがなく近づいてきたところを迎撃すればいい
83 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 11:31:23.40 ID:???
ときどさんすばらしい
84 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 14:04:04.32 ID:???
クロスボウ「俺くらいになると鎧も盾ても貫くけどな」
85 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 14:17:44.02 ID:???
ときどさんて誰だよ
さん付けするくらいすごい人なのか
86 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 14:32:08.72 ID:???
タイマンじゃないんだよ。の意味もよくわからん。
誤爆のふりした荒らし?
87 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 14:37:42.98 ID:???
だからバカなんだよ。
88 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 14:54:10.71 ID:???
botみたいなのでも来てるのか?
相手しないのが一番いいだろうな。
89 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 16:05:26.08 ID:???
投石兵っていってもバレアレス投石兵みたいなスリング使う連中だったら、騎乗して扱えるような短弓よりよっぽど射程は長いだろ。
あと、ローマ軍はガリア戦記なんかでも騎兵戦力が足りないときに騎兵に投石兵や投槍兵を随伴させたり、代用したりする描写があったと思う。
そういう運用をされている以上、軽騎兵ともやりあえるような兵科だったと思う。
90 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 16:16:40.17 ID:???
15世紀になってもヴェネチアのストラディオットが投げ槍つかってるしなあ。
騎射に対して無理ゲーだの詰みゲーだのはないだろ。
91 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 16:29:27.78 ID:???
騎射の射程は徒歩弓兵の射程より大分短いからな。
徒歩の弓兵は矢の雨を降らせるのが基本だから、長射程の曲射で射つけど
弓騎兵は相手の武器の届かないギリの距離くらいから狙って射つのが基本。
投槍や投石の射程外から射ったら命中率が落ちてしまう。
92 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 17:41:48.77 ID:???
ゲームのAOE2とかで軽装の盾持ち投槍兵が弓騎兵に勝てたりするのは
案外根拠があるんだな。
93 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 19:19:20.50 ID:???
じゃあなんでアントニウスやクラッススは完敗してんだ?
投槍兵が弓騎兵に勝てるんなら、勝てないまでもいい勝負するんなら
彼らの敗北原因はなんだ?
94 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 19:23:50.34 ID:???
やりようによってはいい勝負する場合もある、だからなあ
基本、騎兵と歩兵は機動力が違いすぎるから、普通にやったら相手にならんよ
機動力を封じ込める用兵をしないと
95 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 19:24:57.07 ID:???
機動力の差だよ。弓騎兵は好きなときに、好きな場所で攻撃できる。これがどんだけ有利な条件かわかるだろ
96 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 19:31:27.18 ID:???
>>93 軽装兵の大量動員でできることは基本的に防御だし、
おまけに
>>72に書いたように部下が作戦ミスをやらかしてる。
しかもその過程でカニディウスという最も勢力を持っていた部下が
ガルスが危機にあるときに大軍を保持していたにも関わらずそれを逐次投入して
確固撃破されてしまった。「英雄伝」はちくま版なら入手ハードルも高くないから
読んでみるといい。
97 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 19:35:18.76 ID:???
クラッススの方は軽装歩兵の大量動員作戦すらやらず、
まずパルティアの弓に負け、自分の軽装騎兵は歩兵の槍に負け、勝負になってない。
98 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 19:36:49.96 ID:???
>>93 クラッススは砂漠にのこのこ入っていったからだろ。
平坦でパルティアンショットやり放題な上、暑くて重装歩兵が長時間活動するのに不利な状況だったらそりゃ負けるわ。
99 :
名無し三等兵:2012/09/15(土) 19:39:34.69 ID:???
結局問題はそこでしょ。投槍や投石は弓騎兵の機動力をそぐ効果があるのかな?
矢を使いきれば白兵戦だからこちらの番だ、と期待していたクラッスス配下のローマ兵は
矢を満載したたくさんのラクダが補給に訪れているのを見て愕然としたそうな。
>>99 別に機動力をそぐ効果なんていらんだろう。弓騎兵とそこそこ戦える
兵科が自陣に大量にいるだけで充分な牽制と防御になる。
不利になれば逃げちゃう。弓騎兵が不利な条件下での決戦を強要する手段が歩兵側にない。
>>99 だから>67で例を出してるじゃん
それに対して弓騎兵に投槍や投石がアウトレンジから完敗した例を出してくれれば
やっぱり兵科の相性は状況によってそれぞれだよねで終わる話しじゃん
スパルタ人は重装歩兵ダッシュで追いついて騎兵に勝ってたよな
スパルタはキチガイなので比較対象にはなりません(´・ω・`)
厨房っぽい流れ
スッパァァァァールタァァァァー
アテナイ「黙ってろギリシャ顔した蛮族、おめぇらに未来はねぇよw」
112 :
名無し三等兵:2012/09/16(日) 01:27:58.06 ID:LvaiQ4rf
>>106 ここまで首から下を軽装にしておいてフ
ルフェイスの兜被ってる理由は何なのだろう
頭は盾から出やすい上に当たったら即死ですw
同じような部位の足は結構脛当てとかで重装備にするし
身体はとにかく盾でなんとかするって思想なのかな?
当時から結構高性能な鎧はあったんだけどな
おまえら考えてみろ
人間は集団になると頭しか見えないだろ
だから敵味方識別やアピールのための飾りは頭につけるの
カブトをかぶらない場合でもよく帽子とか鉢巻かぶってるでしょ
ここは国語版だな。
厨房っぽい流れ
>>118 これで重装歩兵なら軽装歩兵はどんなだろうなw
マジ裸なんてのも多いのが古代ギリシャ、オリンピックだけでなく戦争でも!
何がマジかって、騎兵がマッパにバスタオル位の毛布着て槍で突撃。
陰毛丸出しで、髭面のオッサンが全力疾走して来る。
これ最強。と言うか最狂。
でも神聖部隊ならカモン! な状況。
ノンケにはお勧め出来ない。
まぁお前ら日本人は、フンドシに兜で、関ヶ原でもしてなってこった。
両先端に刃物をくくりつけた長さ約2メートルの棒を持った男が「おーい、おーい」と叫びながら埼玉県警川口署に乱入
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1347745995/ 1 名前:ケツすべりφ ★[] 投稿日:2012/09/16(日) 06:53:15.70 0
15日午後10時頃、埼玉県警川口署(川口市西青木)に、両先端に刃物をくくりつけた
長さ約2メートルの棒を持った男が乱入し、30歳代と40歳代の男性署員2人が
取り押さえる際、額などに切り傷を負った。
同署は、男を殺人未遂と銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕し、身元や動機などを調べて
いる。男も顔付近を負傷。3人とも救急搬送されたが、命に別条はないという。
同署幹部らによると、男は棒を振り回し、「おーい、おーい」と叫びながら署内に
入ってきた。他にも刃物4本を所持していたという。
ガリア人やピクト人も裸だったな
ヨーロッパ人の肉体信仰は異常
倭寇も裸(赤体)と日本刀がトレードマークだった。
主な活動範囲の中国南部は暑いからかもしれないが。
短い刃先がついた小薙刀みたいな感じかな?
卜伝先生がそれではダメだと言ったとおりだな。
一人で突入だから
建物内で振り回せない槍より
刀が良いはず
武蔵は多敵の位としては二刀を推奨している。
もっとも、武蔵が鍛錬でなく実戦での二刀を推奨する場って敵複数か狭いところに籠ってる
敵が相手の場合だけなんだけどw
その刃物男も正確には片手に長柄、もう片手は包丁という
変則二刀だったようだw
1 : ◆SCHearTCPU @胸のときめきφ ★:2012/09/16(日) 06:46:24.04 ID:???0 ?PLT(12557)
15日午後10時ごろ、埼玉県川口市の埼玉県警川口署に刃物を持った男が押し入った。
男性警部補2人が、男を取り押さえようとした際、顔や手を切るなどして軽傷を 負った。
県警は、殺人未遂と銃刀法違反容疑で、男を現行犯逮捕した。男も頭に軽いけがをした。
県警によると、男は片手に刃物を取り付けた棒を、もう片方の手に包丁を持ち、
奇声をあげながら署に入ってきた。
日本刀なんてたかくて手に入らんよ。コストを考えろって孫子さんも言ってただろ。
>>130 お前は刀屋なんて行かないから知らないかもしれんが、
今は数万円で素人が片手で振り回すのにちょうどいい長さの脇差が買えるんだよ。
「刀は高価」っていう昭和の残滓のせいで知らない奴が多いけど、いま刀は日本の歴史上最安値に近い。
これからそのような安い刀を使った傷害、殺人事件の割合が増えてくるのは時間の問題と言っていいだろう。
日本刀を作るならなんといっても玉鋼
性能も価格も関係なしに
嫌なら海外で買うのが一番早いくらいに
>>120 盾と兜を取っ払えば軽装歩兵
何も鎧だけで軽装備/重装備を区別するわけではない
まあ、古い時代のギリシア戦車兵は首まで覆う鎧を付け、歩兵にしても金属製の胸当てや脚甲・手甲は後に軽量化が進むまでよく用いられた
もちろん、安くて軽い布製や革製の鎧、それらと金属製品の併用は何時でもそれなりに見られる
よく見る再現画像だとこの辺りだろうか
www.mlahanas.de/Greeks/images/Hoplite4thcentury.jpg
upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f3/Greek_hoplite.png
スパルタにも、映画で見られるようなものより重装備の部隊は存在していた
そもそも、標準的な装備では最低でも布製鎧(リネン・キュラッサ的ななにか)を着用していたようだ
しかし、再現物でスパルタ兵にピロス式の兜を装備させる例が目立たないのは、恰好がつかないからだろうか
鎧も兜もかっこ悪いし、盾も槍もかっこ悪いから全裸で殴り付ける絵で映画撮ろうぜ
>>132 歴史上もっとも安いのは室町時代じゃね?→一束で数文の束刀
まああれは性能酷かったっぽいけど
戦場にいけば落ちてるからな
さすがに数文は言いすぎだろ
当時は金属そのものが高い
一束ってのの具体的な数量重量が分からんことには・・・
束刀って農民の小遣い稼ぎだろ
拾ってきた刀を磨いて売りに出しただけ
同田貫や村正の数打ちなら強そうに思えてしまうな。
勝手なイメージでは。
弓騎兵って馬が側対歩じゃないと成り立たない気がする
>>134 兜と盾こそ着けていたけど「300」が近いね。
アレ観た時は「本当はレスラーパンツもどきも着させたくは無かったんだろうな」と思った。
日本刀って玉鋼以外でできてる奴以外もそう呼べるの?
形があのていをなしていれば日本刀?
>>144 日本刀で玉鋼を使っているものが比較的多いというだけの話。
>形があのていをなしていれば日本刀?
そのとおり。第二次世界大戦中だとスプリング鋼削りだし日本刀とか、工場で作った特殊鋼鍛えの日本刀とかも
軍の需要(軍刀)に応じるために作られてる
話それるけど、打刀と太刀の違いはわかるけど
薙刀と長巻の違いがイマイチよくわからないだよね。
切れ味、耐久性自体はもはや玉鋼製より工場製の方が上だった
大戦時の冶金技術をなめてはいけない
見てきれいなのは玉鋼製だけどな
>>144 日本人が鉄製品ならなんでも高く買っていったという記録が明代の記録にある。
明から買った鉄をもとに作られた刀もたくさんあったように日本刀=玉鋼じゃない
>>146 発展の仕方が違う。
薙刀は矛に湾刀を付けて振り回して切れるように発展したもの。
長巻は野太刀、大太刀がそのままだと扱いが大変なので柄を延ばして
扱いやすくしたもの。
最終的に形は似てきたが、まあどちらかというと刀身が多少長いのが長巻。
刀工で人間国宝の天田昭次氏は現在「玉鋼」と呼ばれる大量生産品の鉄が
製造されて出回るようになったのは江戸中期頃としている。
つまり実戦の時代である古刀〜末古刀期の刀は玉鋼製ではないと
いうことになる。
天田氏が自著に引く説は↓。古刀期は高温で鉄が製造できなかったので
結果的に不純物が多く混じり、チタン合金となっていたという。
玉鋼は高温で作られるのでチタンのような不純物は混じらない。
ただ、古刀期の製鋼法や作刀法はバラバラなので、不純物の成分や
混じり方にもかなり差があったことは想像がつく。
天田昭次『鉄と日本刀』
・平安時代中期以前の製鉄は火力が低いため、鉄もチタンも溶融点に達せず、チタンは鉄粒の間に鉄滓とともに
介在している。鍛錬によって鉄滓とともにチタンも幾分除去されるが、鋼中にはいまだ相当のチタンを含有している。
チタンのある量は炭素と融合してフェライト結晶中に固溶し、残りのチタンと炭素は炭化チタンとして鋼を形成する。
その結果、肌は多少粗く、ところどころに鉄滓を含み、疲れのように見えるものもあるが、総じて光沢があり、高貴の感がある。
・初期の日本刀の地鉄が青い光を伴って、いかにも特殊金属と見えるのは、チタンを過剰に含んでいるためである。
・製鉄法が進歩し、錬鋼の手法が採用されると、鋼中の鉄滓や炭化チタンは著しく減少した。鎌倉・南北朝時代はチタン鋼として
最も理想的である。
・室町時代以降は製鉄法が著しく発達し、鉱石は溶融し、チタンも鉱滓とともに排除されるところとなった。わずかに
残留するチタンはフェライト中に炭素と固溶し、炭化チタンも減少し、チタンの支配力は微弱である。一方、炭化鉄が台頭し、
一般的な鋼材としては理想に近い製品になったが、鍛刀上からは大きな後退であった。
×バラバラなので、
○地域ごとにバラバラなので、
>>148 モンゴルも、鉄鉱山を手に入れる前は鉄が手に入らなくて、中国と取引した時に
料金を鉄銭でもらってそれを融かして鏃を作ってたなんて言うね。
>>148 一方で日本からも鉄が盛んに輸出されたとか。
中国では比較的に早い時代から鉄の鋳造が始まってるからね。
手間の掛かる=人件費の高い鍛造は、(当時としては)後進国に任せてたんじゃないか?
日本刀の輸出の話じゃないのか?
「天工開物」を見る限り鉄を鋼で包む形の刀剣とかは中国でも作ってる。
でも日本刀の鍛え方は中国には伝わっていないとしているし、
「武備志」は「日本の刀は剛利で中国のものは及ばない」、と書く。
「東西洋考」は「倭刀は甚利で、中国の人は多く之をひさぐ」と書く。
中国の鍛造品よりも質がよく、人気商品だったという。同じ鍛造品でも
製造法が違うのか、手間が違うのか、鉄が違うのか?正直よくわからん。
日本刀ほど切れ味重視の刀剣はなかなかないから
深く考えることもないんじゃないかな
「剛利」という字を見る限り強度でも中国製に勝る上に
切れ味鋭いような書き方だよな。
戚継光のような優秀な将軍が陰流剣術を研究したり、苗刀とかつくるくらいだから、
明らかに日本の剣術の方が実戦的だったんだろうな。海上戦だったということもあるかもしれないけど。
沿岸中心に荒らしまわったけど海上戦ばっかやってたわけじゃないよ。
海上戦なら胡蝶陣や長蛇陣なんてできない。
担ぎ方を工夫すれば抜刀できるけど、普通に降ろしてから抜刀するのが一番いい
鞘を担ぎなおす時間が無くて捨てることになっても一々降ろして抜刀してる奴もいるくらい
太刀を佩いているところを見ると南北朝あたりかな?
太刀持ちがいない身分なのかねえ。
それともこの人が太刀持ちとか?
ロープワークで固定してるみたいだから、縛り方工夫すればさやの方を落とすような形で素早く抜けそうな
奇術のたぐいになりそうだがw
>>164 刀3本とかよくやるよな
だったら槍か長巻でも持ちゃいいのに
見たところ三尺以上の大太刀だから長巻と似たようなもんじゃないか?
そういや南北朝時代に長巻あったっけ?
すみません、クレシーの戦いを高校の授業程度にやった者です。
当時の説明、連射>威力でイギリスの勝ちと教わりましたが。
長弓とクロスボウであそこまで差が出たのは何故ですか?
また、騎兵はそのときどんな役割をしていたんですか?
野戦築城のおかげもある
>>169 クレイシーの戦いでは
1 イギリス軍はスコットランドとの戦争で経験豊かな士官が大勢いて、長弓兵と騎士との連携も確立されていた。
2 フランス軍は数は多かったものの烏合の衆であり、全く統制がとれていなかった。
3 フランス軍クロスボウ兵はジェノバ傭兵で、フランス軍から見下されており、長時間雨の中行軍して披露していたにもかかわらず
休息を許されずに戦場に出されて士気が最低だった。
4 長弓とクロスボウが射撃戦をやっている最中に、フランス騎兵は統制を失い、クロスボウ兵に向かって後ろから突撃を開始した。
5 突然後ろから攻撃されて混乱したクロスボウ兵は敗走し、フランス騎兵と入り交じって両者とも動けなくなったところに長弓の雨が降り注いだ。
長弓はクロスボウに対して射程、連射、威力全てに優っていたと言われるけど、
クレイシーの勝敗は武器の性能ではなく戦術かそれ以前の問題で決まったんじゃないかな。
イギリス軍はどうも貴族を生け捕る文化がなかったんじゃないかと
フランス騎士が突撃を躊躇ってたなんて話もある
ブラックプリンスは16歳。この戦いはエドワード3世がすごいのか?
イギリス側は外征軍で騎行戦術を取っており、フランス側はこれを討たねば威信が傷つく状況だった、それも国が瓦解するようなレベルで。
これは時代にもよるが、フランス革命まで独立を保ったブルゴーニュのように、大陸側にもイギリス寄りの地域や、イギリス領などがあったため。
従ってフランス側は、敵が有利な体制を敷いていようが、それが罠だと分かっていようが、一度捕捉した以上は、攻撃せざるを得ない状況に置かれていた。
よって実戦から離れていた軍隊が、指揮系統も確立せぬまま、基本的な戦闘規範も決まらぬままに、大戦略も無く場当たり的に戦術行動に出た。
要約すると、政治・戦略・戦術において、終始に渡ってイギリス側に主導権を握られていた事が敗因。
まあベルトラン・デュ・ゲクランとシャルル五世くらいの中世フランスネ申コンビなら見た目同じでも、
政治・戦略・戦術において、終始に渡ってフランス側が主導権を握ることができたんだが。
つまりクレシーの時にどうすればフランス軍が勝てたかというと、例の鎧を着た豚がやったように、
イギリスの占領支配地に対して逆騎行戦術をやって逆にイギリスの威信を傷つければよかったんだな。
まあ王様が賢くないとできないけど。
>>174 なるほど、当時のフランスの状況は三方ヶ原の家康と同じ状況だったという訳か
逆に言えば、関ヶ原や大阪の陣においては、家康が主導権を握っていたよね。
特に関ヶ原は、維新後に外国人のお抱え教官が見立てた限り、西軍の勝ちは動かないとのこと。
万一大坂の陣で内府様が死んじゃったら天下はどうですかね?
そりゃ伊達政宗がここぞとばかりに
政宗は過大評価され過ぎだわ
てか関ヶ原や大坂の陣って近世スレじゃないのか
黒田さんが西国でがんばっちゃいます
別にもうかわんね。将軍は秀忠に譲ってたし、家康が死んだぐらいじゃ揺るがないよ
家康死んでたら黒官が九州統一して一大勢力になっちゃってるだろ
上杉も伊達も一気に挙兵したとしたら、秀忠は大して有能な戦略家じゃないから
三方面作戦は戦いきれないだろうな
家康は征夷大将軍になり、しかもそれを子息に譲って『将軍家』の権威を獲得……と言うより作り上げていた。
直属の家臣団は、信長や秀吉のそれとは異なり、時には内で権力争いはしても、外に対しては団結を結ぶ。
そうした堅固な体制を固めつつ、逆に西軍に対しては屋台を揺るがして、体制作りを許さない。
そして自軍の用意は出来て、敵軍の用意は整わない段階を選んで、しかも敵に宣戦布告させる形で、戦争を開始させる。
戦争を開始したのが西軍であっても、それは自軍の都合で自軍の意識ではない、そんな形で主導権は家康が握っている。
関ヶ原にしても大坂の陣にしても、家康の手の上で西軍は踊っていた訳だ。
実際の戦場における勢力や布陣がどうであれ、それ以前の段階で主導権を獲得していれば、勝利は自ずと家康のものになる訳だ。
ただし家康が豊臣家滅亡の前に没した場合、かなり厄介な事態に陥ったはず。
家康もそれを知っていたからこそ、醜い手段を講じてでも、決着を急いだ訳だからね。
事実として家康の死亡は大坂の陣のすぐ後だったし、本人にも自覚はあったことだろう。
>>180 大阪の陣は秀忠がしきって勝利し、秀忠の権威が高まることで
無駄な転封、改易をする必要がなくなって地方が豊かになったかもしれない。
>>188 大坂の陣の時はともかく関ヶ原はそこまで余裕なかったんじゃない?
関が原は肝心の秀忠さんが真田にスコスコにやられてたからな
マヌケすぎワロス
関ヶ原は余裕ないだろうな。
上杉と西軍が連絡取り合って、タイミングよく上杉が追撃し挟撃してたら空中分解もあった。
騎行には後北条の戦術と言うか戦略が最もいいのかも知れんね。
逆騎行などしたら、その土地のその後の支配に禍根を残す。
>>66 アフリカには、現代に至るまで弓が普及していない地域がある
投槍機を用いての投げ槍がその地域では発達しているから、下手な弓よりも遠くに正確に飛ばす事ができるので
弓は必要なかったからだ。
石もっこ、あるいはスリングを使った投石隊も、弓隊と共に配備されていた時代もある。
弓が必ずしも、槍や投石に劣ると考えるのは間違い。
弓の性能が飛躍的に高まったのは、優れたニカワが作れるようになり。合成弓が開発されるようになってからだろう
騎馬隊がもっとも巧みに動かしたのは、やはりモンゴル軍だろ
軽騎兵のみで構成され、その侵攻速度も統一性も群を抜いて高かった
武田の騎馬隊が信長軍に敗れたのは、単に鉄砲隊の存在だけではなく。
信長軍が騎馬の動きを封じふ方策をねっていたからと考えられているし
騎馬隊は第一次大戦まで、重要な戦力だったのは間違いない
巧みにと言うか、他に無かった
198 :
名無し三等兵:2012/09/17(月) 20:38:09.80 ID:S35cg/KO
日本の戦国時代と明ってどっちが文明進んでた?
馬鹿な質問してないで寝ろ
200 :
名無し三等兵:2012/09/17(月) 21:37:04.90 ID:q6SaDw/t
ワロタw
まあ、明が日本のもので欲しがるのは資源以外には刀か扇かしかなかったなんていわれてるから
文化面での成熟は江戸時代を待つしかないだろうな。
>>198 ところで
アメリカと日本、どっちが文明進んでますか???
202 :
名無し三等兵:2012/09/17(月) 22:07:37.77 ID:S35cg/KO
すまん、文明なんて曖昧な言い方しちゃった
軍事的にはどちらが先進的だった?
何を持って先進的とするかだな
リンゴとみかん、どちらが優れているかでディベートしようぜ
俺も暇だし
そこまでいくと逆に栄養学の分析であっさり結論出そうだ。
日常生活で投げ槍という言葉が使われますが
もしかして実際の槍の投擲もテキトーにみんなでピュンピュン投げてたんですか?
ちげーよ。本来の字は「投げ遣り」であって槍は誤字。
とうとう質問の仕方どころか基本的に日本語が駄目な奴まで
騎乗した状態で槍を投擲することは実際にありましたか?
鐙が無い時代だと馬上で踏ん張れないから、運動エネルギーを利用して槍を投げるのも、そこそこ有効な手段にはなる。
そもそも騎兵突撃の最大の目的は、衝撃でもって敵歩兵隊列を混乱・分断する事であり、必ずしもランスを使う必要はない。
また騎兵同士の戦いにしても、頑強な甲冑が発展するまでは、投げ槍や剣であっても充分に効果的な攻撃になるからね。
ランスなんて競技ですよ
>>205 それはリンゴ県とみかん県とで不毛な争いになりそうだから、
「リンゴとみかん、どちらがバナナ」でやった方が
「青島!」
「バナナだ。」
騎乗しながら長柄の斧を使った史実はありませんか?
ファンタジーでは出てくる光景なんですが
戦槌なら使ってたようだけどね。
騎兵は一騎で歩兵四人に匹敵すると言われている。
それだけ騎兵の機動力は戦時で強力な武器だったのでしょうけどね
だれがゆったの?
オレオレ
なんだおまえか
いや俺だよ、たかしだよ
歩兵10人分じゃなかったっけ?
あ、俺クラス基準にしちゃった、スマソ
>>217 長柄斧としては、デーン人が用いたポールアックスや
東欧のバルディッシュなどは馬上でも使用されたようです。
ただし、それぞれ歩兵のものと比べると、騎乗用に柄を短くしていた模様です。
斧って蛮族っぽくてダサいよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
鎖で繋いだ双斧とかよく出てくるよね
斧使うくらいならフレイルの方強力だったからな
別に斧は普通に使われてるよ。
上のマシェジョスキ聖書にも歩兵の武器としてならポールアックスはたくさん出てくるし、
他にも絵画史料ではバイユーのタペストリーにも出てくる。
斧はとにかく安いから庶民の武器でもあったんだよ
その一方、ロバート・ブルースがバノックバーンの戦いで一騎打ちに使った武器でもある。
庶民から貴族まで幅広く使われてるんだよな。
フレイルが強力であったとしても当時のヨーロッパで好まれた武器の一つであることは間違いない。
槍より斧のほうが安いの?
斧は工具
槍は武器
トラックとスポーツカーが同じ値段だとしても
トラックのが方が普及する
>>634 スコットランド王は工具を手に戦ったんですね。
ギリシャ神話の主神の武器はなぜか鎌とかマイナーな装備ですが
古代ギリシャでは鎌が武器として活躍してたんですか
古代ギリシャでは雷と鎌が主力武器でしたからね。
鎌とかつかいにくそう
相手に対する威圧感はなかなかありそうだけど
鎌は引くときしか攻撃できないので
武器として非常に使いにくい
基本的に一揆の武器。
なのに悪役イメージがついている不憫な道具である
ゼウスが持ってるのはシックルだから草刈り用とかの片手持ちの小さい鎌
英雄ペルセウスの首狩りよろしく、鎌状剣のハルパーは引っかけて斬る使い方だったらしいが、後の世のショーテルのように諸刃で普通に切れるものがあったりしないだろうか
伝統郷土芸能の史料的価値はバカにできん。
統一された竹刀剣道よりよっぽど往時の姿に近いのではないかと思う。
>>241 ダセすぐる。天空の神のくせに農民かよw
地元の居合道場では鎖鎌を教えてるよ。
鎖鎌は合戦の道具ではないしなあ。
>>242 侍が脇差で首級上げるようなノリだったんかね
>>234 槍が普及したのは、単純に生産効率・製造コストの問題では?
それ以前に斧は力持ちじゃないと有効に使えないという致命的欠点が
ハルバードを斧のうちだと考えればそれなりに普及していたといえるような。
ポールアックスというと力が要りそうなのに、ハルベルトはそうでもない
イメージがある不思議。スイス傭兵が使ってた実戦的なヤツだと
斧部分がちょっとペラいというか簡略化されてるしね。
確かに、かぎづめ部分は頑強な兜を容易に貫けるようという目的がある以上、ただの槍や斧より力は要らんだろうな
敵を倒す際にも、叩き倒すのではなく、引き倒せるようにすることで、体重を乗せやすくなっているだろうから、その点でも力が要らないかもしれん
まあ、引き倒したいならそれ用のフックや、フック付のポールアームがあるが
>>248 もっと刃が真っ直ぐしている型もあるようなので、単に鎌状の曲剣というだけだろう
254 :
名無し三等兵:2012/09/19(水) 19:40:21.57 ID:5r15Dq4p
まあハイテク鎖国とはわけが違うし
なんか極端なイメージ植え付けられてるからな
もちろん細かい部分も異なるが、大別でもハルベルト、ギシャメル、ランカ、スコルピオン、、ロンコ、ビル、ロッコバー斧、バルディッ(ry
あの手の武器は際限がない
そういえばバトルフックってのもあったな。
バトルホーク思い出した。
重心が穂先に来て、使いにくそうだな
槍なんかでも叩かれると結構衝撃もあるみたいだからな。
ポールアックスなんか下に打ち落とされるような攻撃されたら
結構イヤだったんじゃないか?
http://hiratomi.exblog.jp/17928168/ >自然八双の構えから、槍のケラ首を叩くのは簡単で、
M氏はその度に左掌に衝撃が来て、槍先は私の体の外へ反れ、
即、M氏の腕を切断出来る。
>>259 元々が工具であることもあって、生産が容易
さらに、突くことと薙ぐことも求められるハルベルトより遥かに扱いやすく、徴兵した農民たちでも扱えたわけだが
引き摺り下ろして袋叩きにする方法を取るものとして、どちらかというと農具に近いギシャメルとの境界がよく分からない
登場時期と地方が違うと言えばそれまでだが
槍が密集戦の道具なら、ハルバードはより個人戦向けの装備。
スイス人たちも、ハプスブルクから独立するまでの国土防衛では、山岳地帯でこれを使っていた。
やがて傭兵として活躍するようになっても、少数が連隊に混ざって、隊列に突入して来た敵の迎撃に当たっている。
これはちょうど、ドイツ傭兵の倍給兵など、ブロードソードマンの役割に相当している。
14世紀ころのスイス兵も両手剣使ってたよ。
RPGで有名な『バスタード・ソード』も、好んで使われたようだね。
ただそうした“長剣”は取り扱いが難しく、あるていど剣術の素養が要求された。
あと意外に思うだろうけれど、騎士の時代から、長剣の練習は、まずハルバードなどを扱うことから始められた。
逆に長剣は、逆手に持つことで(剣の刃先を鉄の籠手で握る)、鍔をウォーピックやフックの代わりに出来た。
またそうした時、カウンター・ウェイトになってる小尻は、メイスの代わりにも使えた。
こうしたハルバードと長剣の関係は、日本における長巻と野太刀の関係にやや似てる。
よくバスタードソードは重心が独特で扱いにくい云々を聞きますが、
具体的には普及していた片手剣などと比べてどんな風に持ちづらいんですかね?
ちょっと大きくてちょっと重いから両手でも片手でも使えるけど片手だと微妙に扱いにくい
>>263 ギサメルって勝手に斬撃もできるフックくらいに思ってたんだが
やっぱりあれって麦刈り用の農具なのか
ギサルメは鎌に角みたいのつけて串刺しも出来るようにした感じ
もとが大鎌だから引っかけて相手をすっ転ばすついでに引き裂ける
確かに斬撃ができるフックみたいなもんだな
なんか引っかかりにくい気がしてならないけど
バスタードソードって、
手元の武器事典だと「片手半剣」となっていて、
片手剣になっちゃってるな。
しかし英語版wikiではちゃんと両手剣のカテゴリーになってる。
どういうことだってばよ?
バスタードソードの特徴を持ってれば
片手剣でも両手剣でもバスタードソードだ
刺突も斬撃もできる剣って意味ですし
hand and (a) half sword や ?p?e ? une main et demie の翻訳の問題だろう
握りの関係で片手でも両手でも良い的な意味合いでしかないようだが
>>273 こんばんわスイス傭兵
276 :
名無し三等兵:2012/09/20(木) 03:29:35.64 ID:YiE2fIhP
え、あ
はい
日本国内では槍術は宝蔵院流槍術くらいしか聞いたことないんですが
この流派が最も優れてたってことですか?
それは貴方が勉強不足ってだけですね。
欧米人の下半身の剣はなぜあんなに太くて長いのに硬度だけやわなんですか?
愛知県にある尾張貫流槍術なんかは、乱取りがあるから、かなり人気があるし、習得人口も多い。
また広島の佐分利流槍術は、穂先の長さ60cmと、小剣並みの大身槍で名高い。
(加えて片鎌、鉤、飾り房つき/まるでハルバードだ!)
それ以外にも、槍術を伝えてる総合武術はけっこう多いよ。
>>275 ロシア語は書き込めてフランス語とか駄目って、きわめて東側的じゃね?
短剣術もしくは小太刀術とかってないの?
それより、武術板へ行ってはどうかね?
>>281 太くて長くて硬い人は、履くズボンが無くて
引きこもりになったから
子孫が残せなかった
>>262 リンク先のブログを見たけどその人すごいね。
槍の突きを叩き落すのが簡単ってあるけど普通の人は合撃とかできないしw
刀は槍より強いって結論付けてるけどそれは使い手が特殊だからじゃないかと。
是非貫流と勝負してほしいものだわ。
>>288 八尺の槍だからってのが大きいと思うよ。
昔の人も一丈以下の槍は刀と相打ちとか腕を切られるとか
書いてるし。
ちなみに以前はこう考えていたとの事。
http://hiratomi.exblog.jp/m2012-07-01/ >槍と刀で
一対一の勝負をした場合、
どちらが強いかという事を、私はよく耳にしてきたし、
小説の中でも、論議されたような事があった。
多くが「そりゃあ、槍が有利だろう。
槍は柄が長いし、刀よりも間合いが遠くても決められる。
さらに叩きもあるし、穂先を返して、石突きでの攻撃もある、だから槍が有利だよ」
私もそうかもな、、と考えていたので
そのブログで1.35kgの木製の槍が実際の重さと同じくらいだって書いてるけど
俺の手元の六尺棒が1kg強あるとこから想像するに
八尺(一間半)の真槍だと余裕で2kgいっちゃうと思うんだが。
槍は一回突きかわされたら懐入られるもんね
やっぱ懐に入られてもオラァって横殴り一発で叩き潰せるくらいの
剛の者じゃないと厳しい
1.35キロ程度じゃ重ねの厚い定寸の刀と同じくらいだな。
重くすると突きが遅くなっちゃうからしょうがない
大身槍は斬撃目的?あの大身槍を使う佐分利流も「槍は切るもの」と伝えていたよね。
幕末の記録では柄に鉄を巻いた槍を振りまわす相手だと刀では勝てず銃か弓しかなかったと
あるがそんなもの振り回せる化物だからなんでも強いよな
そいつ名前とか残ってないのか?
幕末にそんな豪傑がいたなら有名になるだろ。
とりあえず大身の十文字槍を穂先にして柄に鉤をつけて管に通せば
最強の槍が完成するんじゃないかって気がしてきた。
どっちにせよ、同じ実力だったら剣より有利だろ
記録というけどどういう記録なんだろうな。
>>299 どうだろう。一丈以下だと剣相手に十分不覚をとるようだからな。
いいたいこともわかるが、刀・槍・薙刀の話題でその辺の時代に逸れるのは少しくらいは
仕方がないんじゃないの?そっちのスレでそんな槍を振り回す怪力男みたいな話したって
広がらないだろ。それに剣術はそっちのスレっていつ決まったの?
技術も総合的に語れるからこのスレは重宝してんだよ。
いちいち誘導だの何だの抜かすな。
幕末馬鹿は消えてもいいけど元の話題は普通にスレタイ通り
古代から中世に進んで、なぜかそのまま近世というか日本の幕末からそれ以降に繋げようとするのが何時もいるから、誘導も何時もいる
これが自治厨ってヤツか。融通が利かないやつが仕切ろうとするとろくなことがない。
火砲の話でもないのにそっちのスレなんか行ったって逆に迷惑だろうが。
>>308 どっちも融通が利かないバカなんでまとめて消えてください
消えてくださいとか芸のないこというヤツが一番融通利かないなww
また荒らしが騒いでるのか
自治厨が騒ぎ出すとろくなことがないよな
近代の銃の話題が延々続くとかならそりゃ誘導だろって思うけど、
幕末の斬り合いの話が出て即やめろってのはさすがに賛同できかねる。
誘導の人も何が反感買ってるのかちょっと考えながらやってほしい。
誘導を見るとかみつかずにはいられんのだよ話してた本人は
まったくだ。
剣術はあっちのスレとかいう理由がマジでわからんのだが。
>>302はどさくさにまぎれて自分ルール作ってないか?
砲術なら分かるが
まあこのスレ、幕末近代の剣術どころか銃器の話ししだす奴が湧く始末だからな
>>301 切れるからこそ対策がいるんじゃないかな?
でも打柄ならどうだろう?
以前、尾張貫流の動画を見たときは「これで突きの狙いが定まるのか?」っていうくらいグニャングニャンしなってた。
あの動画の白木の柄は何の素材だろうね。日本じゃ昔から薙刀の蛭巻とか
発達してたみたいだし、刀剣が発達した分対策も早かったんじゃないかと思う。
砲術は中世末期に普通に使われてたし、
100年戦争だとバリバリに一般兵科として活躍してたから
中世話題にギリギリ掠ると思うけど、
幕末に関してはもう色々あれでしょ
321 :
名無し三等兵:2012/09/22(土) 07:32:19.70 ID:Bl2rl63F
建築物というより土木工事の部類だが、水城が残ってる
最初から人間同士の戦いを目的に発達した武器は、剣くらいではないの?
ほとんどの武器は狩猟用か農業用の器物から発達している
剣ももとは石剣とかだろ。
石剣なら調理器具とか汎用ナイフからの発達では?
祭事もな
石剣→金属剣じゃなくて
先に金属の剣があってそれを模して作ったものが石剣だろ
実用的なのはナイフ形石器だよな。
槍の穂先になる尖頭器があるんだから諸刃の方が刺突には向くってことくらいは
知ってただろうけど、はたして剣みたいなものを作って使ったのかどうか?
細石刃のナイフとかはそうでもないかと。
マヤ文明にしろ縄文時代にしろ
戦闘用の石剣は細石刃であって
金属器の剣を模したとかありえないです
アステカは違うの?
アステカの戦士は外征や防衛というより、
奴隷狩り専門だから、あえて致命傷を与えないように木製中心の武器を
装備してるだけ。
アステカの戦士が細石刃の剣や槍を装備している復元図は一体何だったのか
>>330 青銅で作られた剣や槍が、それほど武器として優れていると思えないが?
>>330 古代中国の商の遠征も、奴隷狩りって面が強かった
何しろ当時の商は、王が無くなれば奴隷で構成された軍を一個軍、副葬するくらいだ
奴隷は何かあればすぐに生贄とかにされていた時代。
奴隷ってのは常に補充が必要だったからな。
古代中国って秦くらいの時期までそれほど武器として優れていないもので
延々奴隷狩りでもやってたんですかね?
オリエントで誕生した製鉄技術が中国に伝わったのは戦国時代くらいだったかな?
その頃になれば、かなり武器も強力になっているのではないの?
>>332 青銅は大きめに作れば、堅牢で強い武器にはなる。
鉄の利点は、粘りがあるぶん青銅よりも軽く小さく鋭くできるという点。
しかもコストも安くつく。
>>333 そういえば饅頭だったり、
兵馬俑も奴隷の代わりなんだっけか。
楚かどこか忘れたが、王が後退するたびに
百官がいちいち自殺するのでどんどん人材が
居なくなった国がなかったっけ?
ヒッタイトの時代には、鉄は黄金の数百倍も価値のある金属だったな
鉄の生産方法がある程度解明されてくると、
青銅よりも安く大量に作れることが分かったんだわ。
「龍泉剣」「魚腸剣」「莫邪剣」「干将剣」「湛盧剣」の伝説のように周代から春秋時代は鉄の武器は
大変貴重なものではあったが作れないものではなかったようだな
>>338 まあとれる量的には当時から金の方が価値はあったけどな
ただ加工できる国家があまりなかっただけで
先史時代の鉄器の原料は隕鉄だったことがわかっている。
当然、黄金よりよほど貴重なものだった
ヒッタイトの場合は、鉄の加工技術を独占していたからな。
また、当時は大量生産ができなかった事もあって、ヒッタイト以外の国々ではやはり黄金や青銅よりもずっと高価なものだった
それは鉄鉱石採掘→製鉄という技術が一般化するまでだろう。
せっかこ古代中世総合なのだから、議論の種を出せば
ハンニバルの戦いとかどうだ?
ローマ帝国を滅亡寸前に追い詰めながら、撃退された
ハンニバルが、一機にローマを落とせば世界史が変わったかも知れない
私も戦略の常道を考えると、ローマを一機に陥落させるべきだったと思うけどね
ハンニバルが考えた属州の離反など、ローマ陥落後からでも遅くはなかろう
属州は何だかんだでローマ圏内に組み入れられてまったりしてたからなぁ。
確かに一気にローマを攻め落とすべきだったと思う。
しかしハンニバルは後続の兵とか補充が難しいから、地盤がほしかったんじゃ?
一気にローマを陥落させたとしても、
それでローマが終わるわけでもないしどこかで息切れしそうな気がする。
しかし頭を潰すのは戦術の常道でしょう
ローマという、ローマ帝国のシンボルというか、頂点というか
それを落としてしまえば、あとの敗残軍は各個撃破で終わらせる事もできる
ローマを落とすにしても、包囲して半年ぐらいはかかるはずだがその間の食い物どうするよ。
ハンニバルの軍は略奪で賄ってたから同じ所には長くいられないぞ。
アルプス超えじゃ攻城兵器も持ち込めないしかなり厳しい
ハンニバルは優秀な戦術家だから、ローマを落とすのにどれくらい時間がかかるかはすぐに予想できた。
属州や同盟国から援軍が来て逆包囲されるまでに落とせない、と判断したからローマには行かなかった。
それだけだろう。
>>349 ローマ陥落を反対するハンニバルに真っ向から異を唱えた
カルタゴの将軍もいるし。
一概にそれは言えないと思うが
いまちらっとwiki見てきたんだが、
カルタゴ本国の周章狼狽ぶりもだいぶハンニバルの
足を引っ張ったみたいだね。
カルタゴ本国が一回でも大規模支援できてたら勝負はついてた
海戦で負けまくって支援できなかったのが敗因
ハンニバルが超えたアルプスのルートってもう判明しているの?
まだ不明だったと思うよ。
2000年あれば、地震やら雪崩やらの天変地異で、
地形や道筋は変わるだろうし、
正確なところは永遠に分からんのじゃないか。
スヴァーロフやナポレオンのアルプス越えを見る限り、困難ではあっても一定のルートはあったみたいだけどね。
いつか氷河から谷に落ちて凍死したカルタゴ兵とか象が見つかったりするかもね。
ハンニバルに近い時代の古代ローマの歴史家達ですらもうわからなかった。今は伝わってないハンニバル自身が
記録したものがあってすらわからなかったんだから現在ではもう無理だろう。
ちなみにハンニバルって西洋世界ではどんな受け入れ方をされている人物なんですか?
悪魔?英雄?
天才が一番近い
「ハンニバルがくるぞー」←天才がくるぞーってことですね。
出エジプトのルートみたいなもんだな
まあ観光名所でっち上げるんじゃなきゃ正直どうでもいいことでもあるし
>>363 ならなおさらきちんとした拠点構えないと城攻めなんて無理筋じゃん
そんなことないわ。
敵の城の回りに攻城用の拠点を作って
その辺の木で攻城兵器つくるだけ
中世と違ってローマ時代の攻城兵器はかなり高度というか面倒だけど
そんなその場で簡単に作れるものなのか?
そんな簡単にはつくれないから時間かかるんだよ。長期間同じ土地にいると周辺の食料食いつくしちゃって
包囲続けられないんだけどローマ軍は補給システムがあったから攻城兵器も製造できた。
攻城兵器といっても、作り方さえわかっているのなら
木材を組み合わせたりするだけだ。
牛の腱くらいだろ運んできてたりするの。
当時は木製機械が発達していたから、
木工技術も設計技術もかなり高度なものがあったんだろう。
ちょっと話は変わるんだが、
・城下町くまもと時代絵巻
ttp://www.yoroi.co.jp/kumamoto.html 妙に強そうで整然とした武者だなと思ったら、
陸自第八師団の隊員200名が武者に扮して参加してるらしい。
時代劇とか時代劇村で見るヒョロい侍と違って妙に
どっしり整然としている。
そういえばスパルタカスだか何かの映画でも、
撮影地の軍隊をエキストラとして数万も動員してなかったっけ。
整然と行進したり素早く戦闘隊形をとるならやっぱり
現役の軍人が一番向いてるんだなぁ。今も昔も。
>>177 なんとなれば若い頃のタケシだよな、あれ。
>>369 いいな。もののふって感じだ。加藤清正、藤岡弘、じゃん。くそ、「、」がめんどくせえな。
>>369 巻藁を切っている人に見覚えが・・・と思ったら、昨夜テレビで巻藁切っていた藤岡隊長であったw
>>369 姿勢もいいし、兜のかぶり方とかも決まってるな。
一般人のインチキ武者行列だとアミダにかぶってる人が目立って正直合戦に負けそう。
>>372 やはり現役の自衛官を使うと、
武者って軍隊として強そうに見えるよね。
変な時代劇とか一般人の武者行列だとどうしてもヒョロかったり
隊形もまともにとれないから弱そうに見えてしまう。
374 :
名無し三等兵:2012/09/24(月) 15:55:01.44 ID:zaGEtljJ
だが待って欲しい。再現と考えると逆に整然とし過ぎてないか?
雑兵物語読んだ印象だとここまでビシッとしてないように思える
身長や馬岱も大きくなったものだ
ここにいるぞ
>>377 何で先に「わしを殺せるものがあるか」やらんのよ(´・ω・`)
>>374 まぁもっと雑然と歩いたり動いたりはしていたと思うけど、
槍組とかは呼吸も位置もそろえて叩かないといけなかったみたいだから、
ほどほどにまとまってはいたんじゃないかな。
歴女ブームだし乱捕りは再現せんのか?
大抵の攻城兵器は車輪さえ持っていけば、現地の木材で製造できるみたい(ローマ兵基準)。
ただし、大型の攻城兵器は車輪も特注になるし、
普通サイズも物資輸送に使うから余るほどはない。
しかも、小アジアや中東、一部の北アフリカでは、
木材の現地調達ができないので全部運ぶ。
>>384 そうかアフリカとか小アジアだと厳しいなぁ。
ガリアみたいな深い森がある地域だと現地調達可能なのにね。
ローマ軍団が中東付近苦手なのはそのあたりにも原因があるのかね。
アントニウスは攻城兵器を載せた三百台の車となんて遅くて一緒に進軍してられないよ、ということで
先行してとりあえず都市を包囲してたら、後に残してきた攻城兵器が案の定パルティア王のフラアテス四世の軍に
蹂躙されまくって多数の兵士が死んだそうだw
前にも書いたど、森林資源の豊富な日本でも、戦国大名は勝手な伐採を禁じる一方、植林を進めたり、寺院などに供出を命じて資材を確保した。
行き当たりばったりで「そこに行けば材料はあるし、攻城兵器くらい作れる」とは、なかなか行かないものだよ。
ローマ兵は日頃から道路や水道の建築に従事し、工業技術の習得やサプライチェーンの運営に慣れていた事を勘案しないと。
ハンニバルと寄せ集めの傭兵、ガリア兵に同じことが出来たとは到底思えないし、むしろそれでも連戦連勝を重ねただけでも、名将と呼ぶに相応しいだろう。
ローマ兵の建築技術は確かにすぐれていたと思うけど、
攻城兵器ってそんなにそんなに作るの大変か?
「英雄伝」アントニウスの項
・次に攻囲戦に必要な機械は三百台の車で運ぶのであるが、その中には
八十プースもある衝角があって、もしそれが破損すると、奥地では長さ堅さが
十分な木材を算出しないため、そのひとつでも修理することができないので、
急いでいたアントニウスは急進を妨げるとして後に残し、
>>388 車輪がついていて、周囲が鉄板で覆われて投石機もついた攻城ハシゴとか、
錘を乗せててこの原理で傾く角度を調節できる城壁のぼり用のハシゴとか、
動物の健で作られたバネは金属の筒に入れられ、照準器もついたバリスタとか
当時の攻城兵器は後の時代より凝ってる。
>>390 あーなるほど。
そりゃたしかにローマ軍団じゃないと作れないし運べなさそうだわ。
そもそもローマ本市の防壁はどの程度なんだ?
簡易なカタパルトとラムで突破できない物なのか?
後世にやけにあっさり蛮族に侵入されたりしてる印象があるが
いくら城壁が立派でも守兵が金目当てだったり、命惜しさに逃げ出したり、命乞いするような奴では守りきれない。
日本の中世古代って、
それなりに城の防御や攻撃もやってるはずだが、
攻城兵器というとまとまった記録や知識がないよね。
攻城兵器が日本の特性にあわなかったのか、
意味がなかったのか。
「四五 烟田時幹軍忠状写」
鳥栖太郎三郎貞親壁を切り破り、城内に責め入り、散々に合戦を致し、切り捨てせしめおわんぬ。
同じく若党富田次郎太郎信行、同じく城内に責め入り切り捨ておわんぬ。
これだと鉞とかで壁を切り破って城内に侵入したのかな?構造物もあまり堅牢には作らなかったことも
関係しているかもね。
日本は伝統的に山城だから、
山本体を崩すことはできないわけで、
命中率もよくなく発射速度も遅い投石器とかは意味がなく、
破城槌もちょっとした工夫で使えなくなるっちゃなるな。
近代の砲撃でも落ちないし。
その場の判断で丸太切り出して壁や門にぶつける即席の簡易式破城槌とか
作ったかもね。記録とかでは見たことないので勝手な推測だがw
応仁の乱では、「発石木」「飛砲」というのが使われていたようなので、
あるにはあったんじゃないのかなぁ。
ただ図面が残ってないよね。
399 :
名無し三等兵:2012/09/25(火) 14:29:40.70 ID:m9BUaOtr
宣教師の報告とか読むと砦や城壁を破壊するための「爪のような鉄の鉤」みたいなものがあったらしいんだが、
鳶口のことかな?鉞じゃなくてこういうものを使って城壁なんかを切り破ったのかもね。
というか、攻城兵器効かないとか山城最強じゃね?
なんで外国は山城にしないんだよ?
ドイツの諸侯は山城だったし、けっこう守りが堅固だったよ。
実際、帝国騎士と鎌倉時代の武士、諸侯が乱立した時代と戦国時代、ハプスブルクの支配と、幕府政治など、あの辺は日本と似たところがある。
ハンニバル戦争の流れでローマの防壁について考えるばやい、
アウレリアヌス・ムールスは3世紀の代物だから相対しるものではないのでは?
ハンニバルが席巻してる時点では、前6世紀に作られたセルヴィウス・ムールスだと思われる。
こいつはカエサル以降ローマ人自身が破壊しまくったから遺構がすくないらしいっす。
ウィキだと最高10m幅3.6m全周11Kmの文献が残ってるとか・・・。
おれは塩婆の本の知識しかないから、そんな程度。
>>401 何なら、
島原の乱の際に外国船使って砲撃してもらったりとかしても
効果はいまいちだったりとか、
薩英戦争でさんざイギリス艦隊に砲撃されたのに城の基礎部分はほぼ
無傷だったりとか、結構すごいよね。
日本の城は平地に壁をつくるんではなく(例外はあるけど)、
山を作り上げるか山を切り出してそこに構造物乗っける感じだからなぁ。
ローマだって攻城兵器は持っていたけど、ガチな城を攻めるときには周りを取り囲んで年単位で兵糧攻めだったしな。
攻城兵器っていわれるほど効果ないかもしれんな。
といって、無しで攻めるのは無謀以外の何物でもないだろ
そもそも、ちゃんと作ってある城は、攻城兵器への対処も考えて作ってあるわけだから、
そりゃ、簡単には落ちんだろ。というか、簡単に落ちたら城の意味が無い。
日本の城が地形を利した形になってるのが多いのは、
地震・台風・(地域によっては)豪雪等、自然災害への対処も行う必要性があるから、ってのもあるんじゃないの。
コンスタンチノープルみたいな大城壁作っても、地震一発で倒壊したら目も当てられんし
そうか地震もあるのか……。
上部構造物が木組みなのも考えてみたら地震対策だな。
日本にヨーロッパ風の城おったてたら一年もたずに崩れ落ちそうだ。
山城なんて生活に不便だろ
歴史群像に城特集毎回乗ってるけど
櫓とか大砲の目標になるものがなんで堂々立ってるのかそこはよく悩んでるな
大阪城の淀殿は直撃食らってビビったんだっけ?
雲梯とか衝車とか定番だけど
実物ってどれぐらいの大きさなのかな
10m程度の壁が対象ならだいぶかわいいものの気がしていた
キングダムでめちゃくちゃでかいのでてきたが動かせられんだろあんなのw
伏見城みたいに大地震くれば倒壊するから関係ないよ。日本の気候は、夏はフィリピン並の高温多湿なんだから
通気性の悪い石の家なんかに住んでられん。
>>409 不便だから山城はいざというときの避難所で、麓に普段の住居があるのが多いよ。
山城の弱点は井戸だな。武田みたいに鉱山技師がいるとすぐ穴掘られる。
そういえば熊本城の、特にエアコンとかついてない部分に入ったんだが
(全館入ってないかも)真夏なのに涼しかったわ。
妙に通気がいいというか、ひんやりしていて居心地良かった。
それは幽霊のおかげ
実家のわりと近くに山の上にたった出城跡があるんだが
麓から一時間近くかかる。
あんなとこに通勤とかしたくないなあ。
なあに、むしろ脚力がつく。
現在でもサラリーマンは何時間もかけて通勤してる
毎日何時間も徒歩で通勤するサラリーマンだと
日本の山城の利点の中には、当時は主要な交通路であった稜線へのアクセスの
容易さってこともあったんじゃないかな。そういう目でみると、ヨーロッパの
城は基本平山城であって山城とは呼びにくいよね。
>>405 マサダの要塞をローマ軍が攻めたときも確かそうだった
ぐぐると地上400mの山城とのこと
>>420 そうすると日本の山城に対して攻城兵器はほとんど意味がなさそうだな。
ローマ軍団は今も残る巨大な傾斜路つくって攻城兵器をマサダまであげた。だから使えないってことはないが
そんな巨大土木工事できるくらいの統一勢力の戦争になったころには城は平城が主流になった
ローマ兵は一人ひとりが建築士、建築作業員を兼ねたくらいの
能力持ってるものなぁ。
>>407 地震以外にも、地盤の弱さもあるかもね
軟弱な日本の沖積平野では、巨大な石造建造物の重量を支えるのは、技術的
ハードルは高そうだ。ヨーロッパでは岩盤まで掘り下げて基礎にするそうだけど
「城傾けちゃった・・・」
姫路城の天守閣が
熊本城の石垣もだんだんせり出してきてる
金砂山城なんかも頼朝でさえ調略じゃないと落とせなかったし、
防御力はかなりのもんだろうな。
>>415 出身中学の裏が佐竹氏の額田城址(もはや農地)なんだが、その地形が結構笑える
北側が自転車じゃ登れるかどうかの急斜面で、それ以外の三方はベタッと平坦
どういう警戒態勢なんだとw
後に本拠地を水戸に移すと、完全な平城なんだけどね
あそこは元々額田=ぬか田という地名が示すとおりの湿地帯じゃなかったか?
掘は埋めちゃったし、背後の広大な沼は今は水田になってしまったんだから現在の状況から考えちゃいかん
>>430 元地元民の感覚からすると湿地ってイメージはないな
そこらじゅう田んぼと畑ではあったがw
基本的に関東平野の北の端の平坦地
額田のあたりの起伏はレアな地形変化ではあった
だいたいあのへんの地名なんかおかしいんだよw
菅谷といいつつ平坦だったり、横堀とか堤とかいっても河流れてなかったりw
まあ数百年前はどうだか知らんけどw
那珂市の堤は6国から349に行くのによく通るけど、確かになんで堤なんだか
よくわからんな。
泥濘湿地でも攻城兵器は使いにくそうだな。沈んじゃう。
湿地に城建てるの?
水攻めで水没する予感
関城とか湿地の平城だけど攻略に坑道が用いられるほどの
堅牢な城だった。一時期の南朝方の重要拠点。
軍事施設が地下要塞化するまでは水堀がなんだかんだで最強の防護施設
富山城みたいに急流の大河を水堀代わりにすると
いきなり堅城になるからな。当時は周りが湿地帯だし
渡河しての攻撃は難しいしなぁ。
中世の日本の軍船なんて矢に対する防備を固められたら
水上要塞に対してろくな攻撃力ないだろうしなあ。
アレクサンダーさんなら堀なんて土で埋め立てて陸続きにしちゃう。
マケドニア兵とローマ兵は、
物理的に攻撃のための坂道作っちゃったりするからとんでもないよね。
いまでもローマのアッピア街道とかちゃんと残存して使われているし。
>>441 河にそれをやると氾濫するぞ
水責めとも言うが
>>439 ちょっと大雨降ったらすぐ水没する諸刃の剣w
食いもんと薪炭低い位置に貯蔵しにくいって結構やりづらそう
まずその辺の住民を連れてきます
お前ら堀を埋めろさもなくば殺すと命令します
住民が堀を埋めていると城の攻撃で死にます
住民が逃げ出すと攻め手が殺します
これを続けているとそのうち堀が埋まります
秀吉が得意とした手みたいに水没させればいいんじゃね
光成のように失敗しよう
三成だろw
光成ってなんで変換されたんだよ、俺w
>>446 その辺の住民を保護する目的も城の目的の一つ。
>>363 日本の兵法書とかだと
攻城用の機材を分解して運び、戦場で組み立てるといったことも記載されているけど
本当に使われていたのかどうかは、よくわからん。
>>394 山がちで、街道整備も遅れていた日本だと
大型の攻城兵器を運ぶ行為そのものが困難だったのでは?
>>402 火砲・銃ではなく、弓や投石が主体の時代では
山城の防御力はかなり高かっただろうね。
湿地は水堀・川などと違った防御力がある。
障子堀なんかは内部が水がたまりやすく、ある意味で人工的な湿地とも言える効果を発揮する。
昔は障子堀は後北条家の独特の技術かと思っていたけど
大坂城発掘調査などでも障子堀跡が発見されているから
もしかしたら広く使われていたのかもしれない。
458 :
名無し三等兵:2012/09/28(金) 09:54:05.24 ID:5stZ7ri6
>>444 島に堤防で陸橋かけて攻めるようなマンパワーがあれば、
川付け替えて攻めるぐらい訳無いと思う
,,r-─- 、r-─- 、
/_______ \
/ キンタマ命 \
.} ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ
{ ノ =≡=-、 ,r=≡=i
| / `ー=・-、 (r=・-'(
ノ {ヽ ノ / | ヽ l
ノ ノヽ/ ,、_) ノ (Jリーグを応援しちゃ)いかんのか?
.フ | ゙i 「 ト /
) | ヽ \二=- ノ
`ゝ.| ヾ /
|  ̄ ̄ ̄,
>>459 いかんでしょ
つか、なんでこのスレに?
>>460 無差別に軍板のあらゆるスレで
マルチで荒らしているカス野郎だから
無視でいいよ
>>455 学研の書籍だけど、運搬用の馬の馬格と絶対数がたりなかったと書いてあったよ。
馬格というが、中国の運搬用の馬なんかどの程度の大きさだったのよ?
アジアの範囲でみれば日本の馬はそれほど極端に小さいわけでもないし
馬の需要があれば数は増やせる風土だから絶対数云々は関係ないと思うが。
日本の馬が貧弱すぎるって話はいったいいつから広まったんだろう
鈴木眞哉以前に川合康がポニーを盛んに強調していた。むしろ鈴木のポニー強調は
川合のパクリ。
日本の馬が貧弱すぎる→ローマの馬はもっと小柄だったし(何なら足がつくレベル)、
蒙古馬と変わらない大きさ。そもそも競走用のサラブレッドの大きさと間違えてない?
日本刀は数人斬ったら切れなくなる→実際に使用されていた時代の書籍や記録にそのような記録はない。
だいたい重さ鋭さ強靭さがあれば多少切れなくなっても武器として十分
日本の甲冑は軽く貧弱→大鎧は重厚で重い部類の甲冑、当世具足は15世紀西欧甲冑と変わらない
馬は戦場のタクシーだ!→雑兵物語にも騎馬を集めて騎馬戦を挑む描写があるのですが
西洋の剣は重く頑丈で叩き斬る!→時代と地域による
デマを広めてるか信じてる奴をほんと何とかしてほしいわ。
467 :
名無し三等兵:2012/09/28(金) 13:17:35.25 ID:GmigLSIj
ローマ時代と比較するのも無茶だと思うが…
まあ幕末以後「に馬が貧弱だって巨大化頑張ったしな
ところが一回り小さい(元の日本の馬ぐらいなのかね)中国の現地馬の方がタフで頼りになったりしたらしいw
ちなみに一本の日本刀で人殺した確実な記録は14人
大東塾自殺事件だそうだが名称通り13人介錯して最後に喉ついて自殺だそうな
まあ金属バットなら100人撲殺しても大丈夫な気がするし意味がある数字でもないと思うが一応
ナンバ走りとかもそうだよな。
まあ日本の馬はあれでも馬力は人並みだし
自演上げ乙
どうしたんだお前
構うと居着くよ。
ほっとこう。
馬並だしって言うのも変だろ
確かに体格の割にはユーラシアと比べても良好だったらしいが
>>467 あぁ、日本の馬はポニーだから、やれ騎馬戦はできないの、
攻城兵器が運搬できないのという人はいるが、
ローマ軍団の馬が小さいからといって、騎馬戦はやってなかったはずだ、
とか言い出す人はいないよな、という話。
日本に弓馬術が存在して、絵画、文学でも存在が確認できるのに、
馬格が理由で騎馬戦が出来んとかありえんよな。
平均サイズがポニーじゃない騎兵っていつ頃に誕生したんだ?
日本の歴史学者は軍事を知らなさすぎるのが最大の問題よな。
身分の高い人だけが甲冑をつけて、そうでない人はつけなかったとか
言ってる歴史学者だか教科書もあった気がするし。
本当にそうなら朝鮮半島とかであそこまでの戦闘はできんだろうに。
日本の戦後は軍事アレルギーだもんな。
みんな戦国や源平が好きなくせに、はっきりとした軍事分野だけは避けたがる。
矛盾といっていいぐらい。
宮崎駿とかその典型だわな。
兵器とか武器は大好きなのに、戦争だけなぜか大っ嫌いという。
戦後左翼の教育のたまものだよ。
馬格って言葉をくぐった方がいいぞみんな。
競馬で勝ち馬見るとき使う言葉じゃなくて、軍事的意味で理解してしゃべってないぞ。
あとおまいら本邦で一般的に馬の去勢が行われたのがいつか知って言ってるか?
去勢なくして育種はないぞ、そしたらバン馬に適した馬格の馬を作ることは困難なんだ。
そして適正馬がいなければ非適正馬の数を増やすしかないなんだが、その数も足りない
技術も足りないってことじゃないのか?
>>481 すまん。よく意味がわからん。
まあ、馬格って言葉が気に食わんなら、単純にサイズって言っておくよ。
具体的な時期は覚えていないが、確か去勢は明治時代までされてなかったんじゃないか?
ただ、去勢しないことが馬の軍事利用に致命的だとは限らんだろう。
単純にウマのサイズの話で行けば、
ポーランド騎兵やコサック騎兵としのぎを削った、
スウェーデン傘下のフィンランド騎兵は、気候・環境の影響で、馬格はそれこそポニー並だったそうだが。
それでも、軽騎兵としては縦横の活躍を見せてたな。
馬のサイズで戦力を測るのは馬鹿げてるという一例。
去勢については、明治まで行われてなかった。
そのため、馬の品種改良は全く進まず、
また、繁殖期になると牡馬は軒並み気が荒くなるという欠点も抱え。
西欧の軍馬に比べれば、日本馬は禽獣である、と卑下したとか何とか。
>>483 それは
>>482へのレス、
>>481への補足ってことでいいのかな?
馬のサイズと戦力評価についてはごもっともだが、ほとんど甲冑も付けない
軽騎兵の話だからね。重武装の日本の武士を乗せてポニーサイズが戦えたか
という疑義が唱えられるのは故ないことではないと思う。
まあ、私は「戦えた」と思っているが。
戦力評価は運用される舞台と同時代に接触しうる兵種との比較でなされるべき
もんだからね。
去勢馬の話も同様で、日本の武士がドイツで戦ったら駆逐されたと思うが、
日本には日本の武士しかいなくて、騎馬武者よりも機動力・衝撃力のある
兵種がいないわけだから、充分使い物になっただろう。
もし犬に騎乗できて、戦うとしたらミニチュアダックスに乗った戦士と
ドーベルマンに乗った戦士とだったら広場ならドベルマンが有利だけど、
決闘場所に兎穴がいくつもあればダックスが勝つかもしれない。
サモエド3頭の橇とチワワとボルゾイとセントバーナードの組み合わせ3頭のそり、
引き犬の体重は両チーム同じとして、荷運びはどっちが有利か?
放牧で繁殖するんだが、品種改良するにはどうすればいいか?
>>484 馬のサイズと、重いものを乗せる能力は関係ない。
道産子馬とかみてみろよ。
大きさそのものはそうでもないが、非常に重いものを乗せていける。
また、ドイツで戦ったら、という想定がいつの時代で
誰と戦うのかというのが詳細不明だが、
それは騎馬同士の戦い?
日本の武士団と同時期のドイツなんて烏合の衆の傭兵くらいしかいないだろ。
プロイセン王国すらできてないんだから。
ちなみにドイツ傭兵が烏合の衆だという論拠は、
オランダ独立戦争で、数百程度のスペイン軍と、
オランダがかきつめたドイツ人傭兵隊数千名が対峙したことがある。
スペイン軍数百の突撃でドイツ人傭兵隊は崩壊してオランダ側が惨敗したから。
当時スペイン軍は確かに西欧最強だが、それにしてもひどすぎるだろう。
>>487 テルシオ全盛期はフランス騎兵もイタリア傭兵も蹴散らしているんだから
ドイツ傭兵が特にヒドイってこともないだろう
確か宣教師の記録だとデカさは日本馬はフランス馬と同じくらいってあったような。
>>486 サイズは関係なくはないよ。決定要因でないだけで。
300kgクラスの馬と500Kgクラスの馬に体格差による馬力の差がない方がおかしい。
私は「戦えた」と言ってるんだから良いんでないの?
ドイツといったのは当然ドイツの重騎兵を引き合いにしている。
まあ、西ヨーロッパならどこでもいいんだが。
馬上なら正面から戦っても負けるだろうし、需要の面でも、日本の騎馬武者
がたとえ文化的にドイツに適合できたとしても、ドイツ騎兵より優先的に
雇われることはないだろうってこと。
野暮な事言うが、衝突する前に騎射でガシガシ削られるんじゃね?w
>>489 あのね。キ甲までの高さを比べてもあんま意味ないの。
僕もね。日本の馬に武者は乗って活躍したと思ってるだけど、
今論争になってるのはバンバのことでしょ。騎馬じゃないよね。
攻城兵器を運ぶ云々でしょ。
キ甲までの高さが同じでもデブとマッチョは違うでしょ、それがバンバの馬格なのよ。
そんで育種と飼養とか調教とか全部含めないと数頭引きできないの。
本邦には馬車も戦車も戦車競技もあんましないでしょ。
ローマはね、騎士は階級であり、騎兵戦も得意でないけど、馬車も戦車競技もあるんだよ。
インペラトールが凱旋する時はね。わかる。
だから大型攻城兵器があんまし利用されてないよってことじゃないの。
>>491 それはどうかな。
正面から戦っても武士が勝つ可能性がある。
それにさっき調べた範囲では馬のサイズ重量に大きな差はないようだね。
だいたい体格がいいほうが勝つ、というのならば、
蒙古騎兵に西欧の騎士団が駆逐されたのをどう説明するんだ?
(もっとも中世期の西欧人はイギリス人を除いてそこまで大きくないようだが)
凄く面白い話だからあんまり熱くならずに続けてください
>>492 ガン逃げしながら飛び道具とかお前絶対忍者だろ
きたないなさすが忍者汚い
>>494 可能性の有無を問題にしていない。アベレージとして、どちらが優勢かを論じているつもりだが。
>>489のwikiソースの引用の仕方に問題がある。
ロンドン博物館の推定によるサイズは、wiki記載中で最も小さいサイズ推定で
イギリス王立武具博物館や他の団体の推定では150−160cm。
一方で和種馬の140cmは大型の部類で120−140cm、平均130cmというのが多くの
研究者の発表。
さらに差があるのが、体高ではなくて馬の重量で、150−160cmに相当する
洋種馬の重量は450―500kg、120−140cmの和種馬は250−300kg。仮に和種馬のほうが
洋種馬より体重あたりの体力に優れていたとしても100−200kgの体重差を埋める
ほどの説得力がどこにある?
そして、モンゴル侵入については議論が飛躍しすぎている。
軍隊の組織力も、戦術も、情報力もモンゴルが圧倒している状況では、
個々の戦士の優劣など問題にならない。
さらに言えば、モンゴルも重騎兵を持っているわけで、ステップ地帯の
重騎兵に用いられた馬のサイズも比較として必要になるだろう。
(だれかモンゴル重騎兵の馬サイズとか知らないもんかね)
>>498 和種馬に勝つ可能性があるとすれば、現存する木曽馬のような和種馬よりも、
中世の馬の方が体高が同じでも、体つきが大きい場合だろう。
前述の体重比較はあくまでも血統が近いと思われる現存種の比較であって、
当時の洋種馬が現存中量種よりも貧弱で、和種馬が筋骨隆々であれば、
和洋の馬の差は縮まることにはなる。
和種軍馬は江戸時代には衰退し、明治時代には断絶しているので、
現存している種より逞しい馬がいた可能性はあるのではないかと、
個人的には期待している。
和種軍馬=御崎馬だよ
馬種の体格の差が戦力の決定的な差ではないことを教えてやる
馬の体格が大きいと乗りにくい
乗る人にあわせた大きさじゃないとダメ
南部馬は大きかったとか聞くが。
名馬の逸話だと大きい馬が多いな
冷血馬ってなんだったっけ
南部は5mくらいある馬が闊歩してるからな
黒王も松風も南部馬
>>498 どちらが優勢かという話に戻るんだが、
ドイツの騎士団と日本の武士団が戦うとして(騎馬限定か?)、
それはいつの時代のどのドイツ騎士団と戦うの?って話。
そこからまず定義をしっかりしないと意味がないだろう。
それに君は馬の大きさや体重だけで勝負を決めようとしているよ。
蒙古馬は体高130cm程度で日本の在来馬の源流だよ。
512 :
498:2012/09/29(土) 03:06:21.68 ID:???
>>510 武士と騎士どっちが強い・・・「最強戦士合戦」というつもりで話している
のではないのでそのへんはご理解を。
話の流れ的には武士が騎乗兵士として日本で機能していたことは確かだ
と思うが、もしヨーロッパで騎馬武者が参陣しても、騎兵としては
あんまり重宝されなかっただろうというのが私の意見。
確かに条件は明示したほうがいい。
とりあえず想定するのは、戦国期1550−1600ごろの重騎兵として
の騎馬武者と、同時代の17世紀後半のヨーロッパの重装騎兵。戦場は
ヨーロッパの平原。あくまでも騎馬武者の有無の話から派生した話題なんで
騎兵としての有効性だけで考える。
自分が騎馬武者がヨーロッパで重騎兵としては活躍できないとする理由は、
1、馬が小さい
2、馬が小さい割に装備の重量に大差がない
3、騎手と乗馬の重量比率は馬のスタミナ、俊敏性に大きく影響する
4、騎馬武者にはランスチャージの技術がない、槍先のリーチで劣っている
5、甲冑、馬鎧は欧州甲冑の方が(欧州内着用では)優れている
6、欧州重騎兵の方がより大規模な集団運用に馴れている
こんなあたり。
513 :
498:2012/09/29(土) 03:13:10.34 ID:???
>>511 気になるのは、十把ひとからげに蒙古馬は130cmといわれているけれども、
モンゴル帝国やその他のステップ地帯の重装甲騎兵も、ほんとに同じ
サイズの馬に乗っていたのかどうかということ。
ヨーロッパと違ってこっちは研究が進んでないだけかもしんない。
我々の知らない大型種が中央アジアには存在するかもしれん。
>>503 南部馬も三春駒も絶滅しちゃったからなあ
高価な兵器だったヨーロッパの軍馬と違って、
モンゴルのそれは次々に乗り換える消耗品だからなぁ
日常の足でもあり、見栄えより実用性だろ
>>513 てっきり蒙古重騎兵が違う馬に乗ってることが明らかなのかと思ったら
「俺はそうじゃないと思う」レベルの話かよ。
我々の知らない大型種とか言い出したら「ああそうですね」くらいしか
言えんわw
フランスから大君へ送られたアラビア馬の体高
※単位cm
オス
145 147 144 142 142 146 143 143 146 166 146
メス
142 142 142 146 143 142 142 142 142 143 147 146 145 147 147
1860年(万延元年)フランスで計測
文久元年横浜着
日本馬匹改良策(明治29年)
519 :
498:2012/09/29(土) 13:11:01.24 ID:???
>>517 逆に史料が足りてないのにモンゴル馬はみんな130cmと言い切る方がおかしかないか?
名馬で知られる汗血馬はどのくらいの大きさなんだろ?
>>519 蒙古の重騎兵は大型の馬に乗っていたとかの記述があるならともかくねえ
頭から蒙古馬では重騎兵は無理って決めつけにしか見えないわ
そもそも軍馬を平均馬格で考えるのは軍馬も駄馬も一緒にして考えるようなものだ。
江戸時代の南部馬にしても、南部藩の御用馬、他藩の乗用馬、献上馬になるのは領内約九万頭のうちのわずか数百頭だ。
藩内の馬は全て代官所で登録されて、馬格、脚力、性格、吉相凶相で上中下にランキングされて下だけ駄馬・農耕馬として庶民が自由に売買できた。
まあ普通に考えて当然だな。
じゃなかったら馬具は発達しないし、騎乗前提の鎧が生まれるはずがない。
蒙古馬で重騎兵は無理なんてどこから出てきたのやら。
日本の馬は特別に小さいって論者は日本固有の馬が居たと思ってそうだな
527 :
498:2012/09/29(土) 15:02:19.78 ID:???
>>521-525 無理なんて誰も言ってないけど。
使えるのと優秀とはまるで意味が違う。
523で書いてある話は読んだことあるし、実際に和種馬と洋種馬双方に
騎乗した流鏑馬も見てきている。
和種馬は走っているが、明らかに鈍重だよ。
モンゴルの重騎兵の話はとりあえず日本の騎馬武者の話題とは
関係なく、たんなる資料的興味。
誰か知ってる人いないか?と聞いただけ。
まあ誰も知らんということだけはわかった。
ヨーロッパと日本ではこの手の研究は進んでいるが、アジアの
中世軍事史で同程度の研究書籍を読んだことがない。
世界中で一番馬の飼育に気を使っただろう民族が130cm一択しか
持っていなかったと決め付けることに疑問を感じないのか?
>>512 あー、理解した。
つまり、軍団としての強さとかそういうのは置いておいて、
重騎兵というカテゴリの中で戦うとしたらってことか?
一応、熱くなったり煽り抜きに、ちょっと気になったことを言いたいんだけども。
@戦国期16〜17世紀頭と、
17世紀後半では100年ほども差がある。
日本では戦争がやんだが、16世紀くらいからのオランダ独立戦争で
火力や砲兵が欧州では大きく発達し、17世紀後半といえばすでに
マスケット兵の集団と、騎兵の集団運用が行われはじめていた時代のため、
根本的に戦い方や運用が変革している。
違う時代のものを比べるのはあまり意味がないんじゃないか?
A17世紀後半の欧州では、
すでに胸甲騎兵ということで、装備はかなり軽量化されはじめている。
B欧州のほとんどの地域時代では、
基本的に騎兵槍は日本の武者が使っている槍と大差ない。
持ち手がついてコーンのような形状の槍はあまり一般的ではなく、
どちらかというと馬上槍試合で使われていた。
C欧州とひとくくりにするのはいいが、
数万単位の大兵力を運用できた国は、17〜8世紀にいたるまであまりない。
なんとなく軽騎兵が中心のポーランドとか、ランスで穂先そろえて突撃してた
フランス騎士団とか、状況に応じて徒歩で戦ったイギリス騎士団とか、
いろいろな特色があるのを無視して欧州でくくるのは違和感がある。
国をしぼったほうがいんじゃないの?というのが俺の最初の感想。
日本一国と欧州全域を比較するのはちょっとねぇ。
いちおう追加で、
欧州では一時期、歩兵の火力が増大したため、
歩兵中心の戦闘が行われるようになっていたが、
騎兵を集中運用することで、敵砲兵や、死節点を効果的につつくことで、
敵歩兵を撃破しうることがわかって、少し戦術が変容したのよ。
そこにいたるまではいろいろな試行錯誤をしていたわけで。
日本でも騎馬中心だった平安ー鎌倉時代に対して、歩兵中心の火力攻撃力が
効果的になっていた時代がおそらく戦国時代。
武田のように騎馬がまとまって突撃するような国もあったが
(これは武田騎馬軍団が4〜50騎まとまっていくつもの集団が波状攻撃してきた、
という記述が当時の資料にある)
最終的には槍組足軽、弓足軽、鉄砲足軽に徒歩武者を集めて戦い、
状況に応じて騎馬を集めて集団運用する、というドクトリンになっていった。
朝鮮の役でも数千の騎兵軍団と戦ったりしているわけなので、
軍団としてはおそらく歩兵中心のほうが戦闘力が高かったのだろうと思われる。
で、モンゴル軍団の話になっちゃうんだけど、
モンゴル軍団のまず最大の強みは戦略的機動力。
次に実際の戦闘となると、
ちょっと元資料が何か忘れたのだが、半月形に展開して、
まず弓を持った主力の騎兵が敵を弓矢で左右から囲むように襲撃する。
弓矢は実際強力で、ちょっとしたプレートアーマー程度ならブチ抜く。
現代日本の、威力が相当抑えられ、ただの丸竹弓になってる弓道の矢でも
フライパンをブチ抜けるんだよ。
で、ある程度敵が混乱したり動揺したところでモンゴルの重騎兵が突っ込む。
で、この重騎兵は欧州基準だとさほど重武装ではないが、
刀や棍棒、槍などで武装していて白兵を挑むことができる。
・再現ものだが
ttp://homepage3.nifty.com/takakei3/mongol205.jpg リーグニッツの戦いにはドイツやポーランドの騎士団が参戦しているが、
弓矢には弱かっただろうし、混乱したところを、
西洋基準では軽騎兵のモンゴル重装騎兵が突入したところで結局壊滅している。
>>521 蒙古軍がヨーロッパを攻めた時には中国の武器ばかりではなく
アラブの武器や攻城兵器も操っていたそうだ。
モンゴル人は、文化水準は決して高くはないが、その分、他の民族の物でも
使えると思ったら、すぐに使う。
そのことを考えれば蒙古軍が戦に使えると考えるようなら、アラブやヨーロッパの大型の馬を操っていても
まったく不思議とは思わないがな
まあ、確かにモンゴル軍の大遠征は彼らだから出来たのだろう
あの大遠征が出来たのは、民族の日常が遠征みたいなものである遊牧民族だからだろう。
定住した農耕民族には絶対にマネできないよ
アレキサンダー大王の遠征の結末などが良い例だ
533 :
名無し三等兵:2012/09/29(土) 15:44:28.74 ID:K9RoVpSM
確かになぜ欧州全域と日本一国を比較してるんだろうか。
>>531 思う、ではなく乗っていたり乗り換えたのなら、
その資料を提出しないとおかしいよね。
悪いんだがそこまでいくと、
重騎兵=強い
=馬が大きく装甲も優秀じゃないと強くない
という結論ありきに思えてくるし、
蒙古軍までアラブ馬に乗り換えてても不思議じゃないとか、
乗り慣れている蒙古馬からわざわざ乗り替えたりすると思うのが不思議でならない。
だいたい蒙古重騎兵自体が、西洋基準だと軽騎兵だろうに。
一の谷の合戦で源氏方は予備の馬を2、3頭引き連れて摂津まで行軍した
当時の大鎧が30kg〜40kg、人間が50kg〜60kgだから在来馬は90kg前後駄載できたことになる
536 :
498:2012/09/29(土) 16:14:26.01 ID:???
>>528 @すまん、間違えた。ヨーロッパも16世紀後半。だいたい宗教戦争時代。
同時代にするつもりが間違った。
わざわざ長いレスつけてくれたのに申し訳ない。
Bそれには疑問を呈したい。
軍用のランスの形状については、素槍状のものもコーン状のものもどちらも
残っている。また、石突近くを握ってできるだけリーチを長く取る用法は
トーナメントだけで使用されたものではない。
C数百単位なら頻繁にある。
会戦に参加した騎数なら日本の方が多数だと思うが、兵科ごとに分化した
指揮系統で集中運用されたとなると、20−50騎ぐらいの小隊単位。
ヨーロッパを一纏めにするのは良くないという指摘は首肯します。
日本の騎馬武者を貶めることが目的ではないので、逆に、とりあえず
ヨーロッパどの騎兵タイプでも良いから日本の騎馬武者の方が優っている
と思われる点があったら教えて欲しい。
そのなかでドイツと最初に名指ししたのは、フランスでも良いのだが、
重装甲の槍騎兵で、日本の戦国時代に騎馬武者が占めたであろう地位に
相当すると思われたから。
もしサラブレッドが中世に誕生していたとする
大型で姿の美しい馬であり、瞬足であるが
それで賞賛されるかと問われると、私はされないと思う
サラブレッドは、足首が細く。重労働や長距離の行軍とかには耐えられない馬だからだ
競走馬としての能力が追及された馬であり。農耕馬や軍馬にはまったく向いていない
ってことで、私が言いたいのは、馬のよし悪しは単純に大きさとかだけで決められるものではない
サラブレッドのような競走馬としての能力に追及された馬が作られたのも
馬がどこまでも趣味の産物となった、生活に余裕がある現代だからでしょう
中世の実用的な目的で馬が求められる時代には、使い物にならない馬だったと思う
538 :
498:2012/09/29(土) 16:36:00.40 ID:???
>>534 > だいたい蒙古重騎兵自体が、西洋基準だと軽騎兵だろうに。
そこは違っていると大きく指摘したい。
モンゴルも、少なくともモンゴル以降の騎馬民族も皆、馬甲つきの重装騎兵を
持っている。15世紀に完全武装の騎士が現れるまでは、中央アジアの騎馬民族
の重騎兵の方が、はるかに重装甲。
>> 乗り慣れている蒙古馬からわざわざ乗り替えたりすると思うのが不思議でならない。
優秀であれば乗り換えるのが当然でしょう。
1−2日では乗りなれなくても、半年〜1年あれば十分ではないですかね。
しかるに遠征は一生続いたわけだし。モンゴル馬が小さくても世界一優秀ならいざ知らず
ほかに良馬があるのに一生地元さんにこだわる人たちとも思えませんが。
>>536 なるほど了解。
えーとね、
もうひとつお互いの認識がずれてるような気がするんだけど、
重騎兵とはこうあるべき、というルールに基づいて、
そのルールで戦った場合、という狭い想定をしていないかい?
そりゃあ重装甲を着用して、槍先をそろえて正面から突撃する、
という運用を前提として、同じルールで戦えといわれたら厳しいだろう。
日本の騎馬武者が槍先をそろえて列を整えて正面から突撃する、
という運用法は俺も聞いたことがないからね。
しかし騎兵の運用という広い意味での観点からいえば、
日本の騎馬武者は槍だけでなく弓矢や馬上短筒も使っていたようだし、
モンゴル騎兵の例を見ても、むしろ槍先そろえて正面から……というのが
必ずしも有効で強いとは思えない。
そんなことやったら、歩兵の槍衾か矢にさえぎられてしまう。
現に百年戦争で、フランス騎士団がイギリス長弓隊に撃たれまくって壊滅してるだろ。
イギリス軍は、スコットランドの反乱の経験から、
必ずしも騎士団が槍をそろえて正面から馬で突撃するだけでは、
対応法を研究した相手に簡単にやられてしまうことがある、というのを
学んでいたからああいう用法になっとるのよ。
ちょっと続くね。
何がいいたいかというと、
何となく君は西洋の騎士団=槍先揃えてランスを握って正面から突撃、
というイメージが非常に強くしみこんでる気がするのよね。
手元の資料を繰ってみたんだが、
ちょっと古くてあれなんだが、13世紀にフランス十字軍が
北スペインで戦ったミュレの戦いというのがあるようなんだよ。
それ自体が騎兵同士が正面からぶつかった非常に珍しい戦争、
といわれているから、重騎兵がまともに騎兵とまともに打ち合う事例自体が
乏しいんじゃないかと。
てか、だれかわかりにくいんでコテつけてくれね?
>>538 モンゴル騎兵の戦い方はあくまで、
猟騎兵とでもいうべき弓矢主体の主力が敵を攻撃してダメージを与えてから、
最後に白兵武器を持った重騎兵が戦いを挑みにいく、というのは間違いがないよ。
つか、当時の蒙古騎兵が同時代の西洋騎兵より重装甲重装備というなら、
蒙古馬≒日本馬と、西洋馬の話と矛盾する。
次に、乗り換えるのが当然、というのは君の推測だろ。
乗り慣れた蒙古馬を手放さなくても主力は弓騎兵だし、
俺の認識の範囲での蒙古重騎兵はさほど重い武装ではないのだから、
乗り換える必然性がない。
それでも乗り換えたと主張するならその根拠を提出しなければならないんだよ。
542 :
名無し三等兵:2012/09/29(土) 16:59:24.46 ID:K9RoVpSM
乗り換えるのが当然ってあんた・・・
498じゃないよ。
乗り換えるって言葉の感じがどうかと思うけど、お杉の書籍だとラクダの
歩様をみて馬にラクダの歩様をとりいれることで長距離移動を楽に馬にさせた。
とあったような記憶がある。
ラクダとの接点はホラズムシャー戦だと思うが、どんどん新しいことをとりいれるところから
あながちいい馬がいたら取り込むんじゃないかい?繁殖という形ででも。
544 :
名無し三等兵:2012/09/29(土) 17:22:50.43 ID:K9RoVpSM
蒙古軍が攻城兵器を持っていったり、金国の優秀な人材をとりいれたり、
中東の騎兵をそのまま使ったりしたのは事実だし資料もあるけど
アラブ馬への乗り換えは一切資料にないんだけど。
545 :
498:2012/09/29(土) 17:31:06.28 ID:???
アラブ馬って概念はモンゴルにないだろ。
なんで西洋生物学的分類法がシナのモンゴル記載文献やイスラム系のモンゴル記載文献に
どうやって載るんかい?
そもそもアラブ馬って品種の定義は何年何月何曜日どこの誰やねんが定義したんよ。
良い馬悪い馬だよ。
547 :
498:2012/09/29(土) 17:39:07.68 ID:???
ちなみに馬乗り換えを主張しているんじゃなくて、
中央アジアには130‐140cmクラスの馬一択だったの?ということ。
「130cmのはずがない」と思っているわけでもなんでもなくて、
重騎兵が存在していて、15世紀には存在していたアンダルシア種や
アラブ種が140cm超の体格を持っているというのに、広大な領土を
獲得して、広域流通を実現した、馬の飼育の本場の中央アジアに、
選択肢がなかったというのは不思議に思わないのかな?
>>545-546 乗り換えるのに必然性がない以上、
乗り換えたとするなら該当する資料を出すように、という話。
もし本当に乗り換えたのなら、
少なくとも現地の馬に乗り換え……くらいの資料なり文言なりくらいはあるだろう。
それがないなら「乗り換えて当然」とはいえない。
>>547 なんか真面目に相手をするのが面倒になってきたのだが、
体格体高がいい馬が必ずしもいいわけじゃなく、
常に生活を共にしてきてその能力や限界値をよく知ってる慣れた馬のほうが
有用性は高いと考えたほうが自然だろ。
君はさっきから重騎兵はでかい馬に乗っていないといけない、
でかい馬に乗ってる重騎兵はつよい、だから西欧の馬はつよい、
モンゴル軍が小さい馬にのってるわけがないだから乗り換えた、
という思い込みがループしてるんじゃないのか?
馬甲つきの馬だったら日本にも見えますけどねえ。
乗り換えるのに必然性があるだろ。
現地には現地にあった馬がいるんだ、種の違いとか種の保存なんて概念はない。
その中で軍事的に有益なら何ら障害なく繁殖に供するだろ。
バテュだって、フラグだっていついてるだろ。いつまでも最初連れて行ったモンゴル馬だけ
保存交配するかよ。だいたい馬に垣根ないって。
戦車でもカタログスペックは立派でも故障しやすい困ったチャンがいるじゃないか。
将来的にうちの子の嫁さんにするつもりで連れて行く事は有っても、自前のが有るのに奪ったからすぐ乗るのは軽率かと。
バカめ戦車はセックスしないだろ。
554 :
498:2012/09/29(土) 17:55:47.83 ID:???
>>549 逆に、モンゴル帝国とその後継帝国が、蒙古馬に乗っていたという
資料的根拠はなんなんだい?
ユーラシアなんて地続きで国境がなかったんだ。
現在のモンゴルの貧乏遊牧民が乗っている馬だけ見て、それが世界中で
騎乗されていたというなら、逆にその資料が必要だろう。
重騎兵にでかい馬の方が有利なのは、ヨーロッパで小型馬が軍馬から
淘汰されたことを見れば明らかではないのかね?
> 常に生活を共にしてきてその能力や限界値をよく知ってる慣れた馬のほうが
有用性は高いと考えたほうが自然だろ。
その発想がわからん。馬の1世代は5年から10年、戦士の現役期間だって
20〜30年だろ、オープンな世界を持っていた遊牧民帝国が、馬だけ
受け入れを拒否して何世代も維持するのか。
>>554 特に記載があったり資料がない以上、
そのまま自分たちが連れてきた馬に乗ってきたと考えるのが必然。
そうでないとあくまで主張するならその根拠を君が出すべき。
悪魔の証明じゃないんだから「乗り換えてないことを証明しろ!」って何だ。
次に重騎兵にでかい馬が有利だからといって、
重騎兵の戦い方が硬直しているのなら、イギリス騎士団が烏合の衆の
スコットランド兵に敗れるような事態だっていくらでもある。
はっきりいうがただ槍先をそろえて突撃するだけの重騎兵を想定しているなら
(そもそもそういう戦闘用法自体が少ないが)、
そんなもの簡単に槍衾と弓矢で阻止できる。
最後に一応指摘しておくが、
アラブ馬を原産とするサラブレッドとかは、
確かに足も速く重いが、足が折れやすく戦場で使うにはむかない。
だから大きい馬に乗り換えたほうがいいだろ、というのを
一元的に語るのは意味がない議論。
556 :
名無し三等兵:2012/09/29(土) 18:09:22.68 ID:K9RoVpSM
アラブ騎兵も考えてみればラクダを使うのも好んでたよな
わざわざ長文レスを読んで文中にソースが無かった時の失望感がお前らに分かるか?
あーまぁ、ちょっと熱くなりすぎてるな。
きつい言い方があったらごめんよ。
559 :
558:2012/09/29(土) 18:15:45.24 ID:???
560 :
名無し三等兵:2012/09/29(土) 18:24:25.45 ID:K9RoVpSM
騎兵が集団運用されて活躍、
なんて西欧でも近代に入ってからだろうにな。
争点がいまいちよく分からない
別にモンゴル軍の馬がそんな規格化されていたとも思えないし
あれ個人財産でしょ?大きいの小さいの関係なく自分の持ってる馬に乗るしかないんじゃないか
集団運用の意味がようわからんが、モンゴルでは狩りをすることで
統一的な集団行動の演習を行うらしいよ。
>>538 遅レスだが、帝政ローマ末期、ビザンチン、ペルシャの重騎兵もかなりの重装備だが…
東ローマは重装弓騎兵で剣や槍ももってて兵種としては日本の武士ぽいイメージ
寄騎とか馬廻りと言う言葉があるように、相互援護しながら戦うのはいつの時代も戦闘の基本だ。
流鏑馬があれば巻き狩りもある。
そういえば南部馬を鎌倉御家人が争って求めた理由の一つに、群で行動しても落ち着いているという特徴があったらしい。
リーグニッツの戦いでヨーロッパ人がモンゴル騎兵の馬の小ささを笑ったなんて逸話を読んだよ
どこ情報なんだこれってのが混じってる「武器甲冑事典」にも
モンゴル重騎兵が大型の馬に乗っていたなんてのはなかったな。
オスプレイのにもない。
>>566 偽装撤退に釣られるのも納得だわ
騎兵が敗走がそのまま全軍の壊走につながって
追撃されまくり死体の山とかもうね
蒙古馬は雪を蹄でかいて雪の下の草を食べることができるが、
それ以外の種類の馬は当然そんなことはできずにモンゴルの冬を越せないそうだ。
>>570 脚太っ!
サラブレッドしか見ていないと犬の犬種並みに別種に見えるな…
572 :
498:2012/09/29(土) 23:16:03.68 ID:???
俺もばんばから北海道土着馬の体格でも想像するとするか
レベルの低い質問だけど映画とか時代劇にでてくるあのかっちょいいお馬達はサラブレッド?
575 :
558:2012/09/30(日) 00:37:05.79 ID:???
>>574 だいたいサラブレッド系のかっちょいいウマ
馬で思い出したが、中世の都市ギルドでは
「鋳鉄」組合なんかは初期から存在していて、有力な商業集団だったらしい
馬は軍事だけではなくて、農業でも牛の代わりに畑の用土ひっくり返したり、
交通手段でもよく使われてたから、扱う人間の地位もそこそこだったんだろうかな
中世の冶金技術や技能集団について書かれた書物で良い書物ないかな=
確かに中世の都市の鍛冶屋ってひたすら蹄鉄作ってるイメージw
ローマ以来途切れていない伝統かもね
中世の都市って面白いよな。
どんな流れ者でも移住してきて1年経ったら住民として扱うとか、
都市の空気は自由にする的な。
商業連合とか傭兵とか、あのあたりの話結構好き。
商業で食ってる都市はな。
農村はこれぞムラ社会ってぐらい閉鎖的
領主がむちゃくちゃやっても許されるし
>>580 そうしないと人口維持できないんだよ
栄養や衛生環境劣悪でバタバタ死んでいって子孫を残せない
例外的に比較的マシだった近世の江戸とか日本の都市でも、やっぱり流入人口に都市の維持を頼ってた
>>581 農村住人だとこっちはいわゆる農奴だからな
奴隷じゃないけどまあ土地の付属物
いろいろい自由はない
それでも都市に逃げることだけはできちゃうわけだがw
でもおれ馬嫌いだな。
あいつラ意地悪だからな。
身体がでいぶんすぐ人をなめ腐って。大嫌い。
おれは歩兵でいい。
マスケットが発明されるまでは馬は恐ろしい生き物だったぞ。
>>579 蹄鉄ね。ローマ時代末期の遺跡からされるようになったけど
ローマ時代後期って、ディオクレティアヌスが少数の機動力のある個別の騎馬軍団の運用を始めた時期だし
ローマの軍事と何らかの関連性があるのかもしれん
>>585 なんで蹄鉄とか去勢とかは日本に伝わらなかったんだろ?
チンコ切っちゃうとかかわいそう!><
足に釘を打ち込むなんてヒドい!><
伝わらなかったんじゃなくて動物愛護精神に基づいた技術的選択の結果です
(本気にするな)
宦官や纏足もやらなかったし、民族性だろうな。
路面が堅くないから馬わらじで十分だったってこともあると思う。
去勢はともかく、蹄鉄も世界的に行われてたの?
鉄生産力が低くて人件費がクソ安い日本では、
板敷きの厩作って馬の世話専門の人間雇って、小便したら柄杓で受けて糞をしたらすぐ片付けさせて
常に馬の足元を清潔に保って、最初からヒヅメが痛む原因を取り除いた方が結果として安上がりだったんだろ。
要するに「貴重な鉄を使い捨てにするくらいなら手間かけるわ」ってこと。
その割には海外の鉄を安く輸入できるようになったり江戸時代に鉄の
大量生産ができるようになっても蹄鉄が普及していかないな
別の理由だろうな
後のブラック企業である
馬は農業にも使うけど、農耕馬はいわゆる駄馬で体小さかったり臆病な馬。
でかくて勇敢な馬は当然軍事専用。
立派な騎士様の馬を農耕用に使うことはありえない。
野生の馬は蹄鉄なんていらんように普通に飼ってて蹄が硬ければそりゃ蹄鉄をつけようなんて発想はでんわ
イザベラバードの紀行文にも日本の馬の扱いは酷すぎると書いてあったな
去勢もしない荒馬をほとんど虐待に近いような暴力で服従させる扱い方で、愛馬精神のある欧州人からすれば日本人の馬に対する残虐性は動物が持つ精神への関心の薄さにあるように見えたようだ
行路中頻繁に交換しなければならない馬わらじの非効率性は馬にも乗り手にも負担をかけさせられ辟易した云々
明治でこの程度
欧米でも牛馬の扱いは良いとは言えないけどね。
十九世紀の黒人奴隷へのアメリカの対応など、言葉にならない。
奴隷とは言え、人間でもこれだからな
お前リンク先読んでないだろ
日本を誉めてるとこだけは真実だから気にするな
山形の置賜地方はエデンの園、東洋のアルカディアなんだよ。エデンの園やアルカディアを旅行したことのあるバードがいうんだから間違いない。
日本の馬って、蹄鉄代わりに草鞋をはかせてたような。
蹄の弱いヨーロッパ馬じゃないからその程度の保護で済ませてた。
馬の足の裏は第二の心臓だから本来は鉄板なんか張らないほうがいいんだよ
水辺原産のアフリカヨーロッパ馬は水分で蹄が割れないようにスポンジ状になっていて柔らかいから
蹄鉄つけないと飼育環境や軍用に耐えないから仕方無しに使用してるだけ
そういえば何気に草鞋って、
滑り止めになって岩山とか、かなり状態の悪い道を登っていくのに
便利らしいね。
いま手元にある本で、
日本軍の桂林攻略戦に参加してた日本軍将校の著作があるんだが、
わざわざ歩兵隊が草鞋に履き替えて岩山をよじのぼって攻撃したりする記述がある。
日本の起伏が多い地理的条件を考えれば、騎馬隊がそれほど発達しなかったのはむしろ当然だ
武田の騎馬隊のようなのが存在したのがむしろ稀有なくらいだな
それでも騎馬は戦場の主力であったのだから、むしろそれが不思議なくらいだな
馬は基本的に平原の動物だし、騎馬隊が力をはっきするのも平坦な土地だよ
少なくとも長距離を走って正面から槍で突撃する、
という戦法はうまれにくいよね。
イギリスでも長槍かかえたスコットランド反乱軍が、
狭隘な地形にイギリス騎士団を追いこんで殲滅してる。
たまたまスコットランドの地形ではそれが橋だったが、
そんな地形日本にはいくらでもあるからなあ。
>>606 日本の兵士にとって靴は死命を制する貴重品でおいそれと履き潰せなかった、っていうのもある
普段は中国靴履いててここ一番に軍靴に履き替え、みたいな回想結構あるし
中国戦線なら代替品の入手の機会もあったしな
鋲打ちの軍靴じゃ岩場じゃ滑っただろうが、でも地下足袋も足の保護って観点で言えば最低だよねw
厚手の靴下みたいなもんだもんw
一応ゴム貼ってあるやつでもさ
やっすいズック靴で岩場歩いても足裏かなりこたえるもんな
桂林みたいなところだと、被服の補給もまともにされないから、
中国兵の軍服着てたり、中国の布靴履いてるという描写も確かにあったわw
それ間違って撃たれないの?とか国際条約とか一瞬頭に浮かぶが、
まさか裸でいるわけにもいかんしな。
モンゴルの人は彼らの馬をステップポニーって呼ぶと「ポニーって言うな!」って怒るらしいよ
愛着がある馬だろうしな。
>>606 西南戦争の政府軍も戦地では手製の草鞋と脚半に履き替えていましたよ。
時代的なものも有ったとは思うけど。
>>610 軍用の地下足袋の底はスニーカー並でした。
足首の保護は単体では弱いですが、巻きゲートルとの組み合わせで、ある程度は強化出来たと。
革製より熱帯での使用に向いていたので、米軍は編み上げ式に改良コピーしてジャングルブーツを作りました。
>>614 なるほど。
すると戦国時代の武士足軽も何だかんだ草鞋を手放さなかったのは
非常に合理的だったんだね。
藁さえあれば作れるしなぁ。
竹がよく話題になるけど藁も何気に結構重要な軍事物資なのか
>>612 ポニーって単語と概念はモンゴルにも伝わっているんだ
手放すも何も替わりの物がないだろ>草鞋
中・近世の絵画の足軽見てると、みんな裸足だよね。
現代人とは比較にならんほど足裏が丈夫だったんだろうな。
と、同時に悪路にはもっと弱かったのかも。
つか、モンゴルの人もポニー呼ばわりは小馬鹿にされたとか感じるんだな
かんたんな鹿砦でも結構つらいよね。はだしだと。
まきびし(笑)が通用したのもそのせいか
マキビシは中国でも使ってなかったっけ?あっちの兵法書みたいなので
見たことあるし、あっちから入ってきたような気もするが。
>>620 まぁ俺も日本馬をポニーとかバカにされたらイラっとするだろうから、
気持ちはわかる。
>>622 まぁ当時レベルの靴だと、まきびしはどんな靴でも厳しいんじゃないかと。
プチ地雷みたいなもんだから金属の供給が細いと敷設するにも痛いシロモノだけどなw
しかし泥中にあれ撒いてあって裸足で踏んだら破傷風続出だろうな…
>>625 忍者研究の某(名前忘れた)氏によると、マキビシは刺状の植物の実を常用したそうだ。
木靴はけば撒きびし効かないけどな
歩きにくいからだめかね
まず屏風絵などに描かれている光景だが、これは現場を見てない画家が後世になって、依頼元の武功を権威付けたりするために
描かれたものが多く、必ずしもリアルなものばかりとは言えない。例えば島原の乱を描いた絵には、無かったはずの石垣に取り付き
よじ登ってるものなどがある。しかもよじ登る武者に一つづつ名前が振ってあったりと、一種の人名録のような出来映えだ。
それから戦国時代の合戦に使われた履き物は、足半(あしなか)と言って、前半分しかない草鞋が一番多かった。下駄でさえ贅沢品
扱いで、江戸時代にも身分によって使用を禁じられたほどだから、裸足に見えるのは仕方がないだろう。
>>630 合戦図屏風が、必ずしも正確ではないのは同意しますが、
島原城には一揆の頃には石垣はあったと思うのですが。
自分は専門書をしっかり読んだことはないのですが、
最近放送したBS歴史館でも石垣があったものとして
そのまま話をしていますね。
>>634 島原の乱で反乱軍が立てこもったのは、
島原城でなくて原城じゃなかった?
島原城は落城せず、原城の跡地を改装して立てこもったんだったと思うけど。
>>625 想像するとヒュンってなった。
>>626の話通りだとすると、敵の行軍を邪魔するのに
いたるところに撒きまくってたかもしれんな。
まぁ掃除したり、いざというときは泥濘でも戸板を置いて渡れそうだが。
>>636 島原城を築城したときに、石垣を転用したとの記録があったと思うから、
完全な状態ではなかったんじゃない?
だから屏風に描かれている完全な状態の石垣は変だろって話だと思うが。
>>637 戦争ならなんでもやるっていうのは近代的な考え方で、
中世の戦争では喧嘩と同じように、自分がやられたら致命的になるもの、
お互いやりあったら際限がなくなるものについては使わないという不文律が
守られていた。
>>640 それは日本の中世、戦国時代で、という意味?
十字軍戦争なんかでは、普通に馬の首や糞便を相手の城に投げ込んで
病気を蔓延させることを狙ったりしていたと思うし、
日本の中世でもやれることはだいたいやっていたと思うが。
たとえばその不文律の存在と遵守はどういうケースに見られますかね?
同じ文化圏同士の戦争なら守られたな。十字軍のような異教徒相手だとなんでもあり
>>641 ペストで死んだ仲間の遺体を悔し紛れに敵の城壁の中に投げ込んで
実際にペストを流行させたって話なら、欧州にはあったと思うが
なんか漠然とした話しか出ないな。もっと具体的なケースとかないだろうか?
十字軍遠征と言えば、リチャード獅子心王の戦いか
アラブ側の英雄サラディンを圧倒したアルスールの戦いなど、見事なものだ
密集した騎馬隊により一機にアラブ側を殲滅した。
そしてその前に行われたサラディン指揮による
ヒティーンの戦いとかも有名だね
どこに不文律が
国家が主体になって軍人がやる殺し合いは戦争だからやっても良い
それ以外がやる殺し合いは私戦だから犯罪
みたいに中世の戦争における不文律を文章化したのが陸戦法規だって
ヨーロッパ史における戦争に載ってたなー
騎士同士の戦争紛い「トゥナメント(馬上槍試合ではなく)」では、
確かにあまり殺さないように、倒した相手からは鎧や持ち金を剥いでいい、
みたいなものだったら確かにルールありきに近いし、
都市国家時代のイタリア傭兵の戦いもほぼ死傷者が出なかったようだけど。
たとえば第二次世界大戦中にしても、日本はドイツの公然同盟国で、米英の公然敵国で、
ソ連はドイツの公然敵国で、米英の公然同盟国だったが、
日ソは1945年8月までお互いに決して手を出さなかった。これはお互いに手を出さない方がお互いのためだったからだ。
杉原千畝の命のビザとか神戸や上海に住んでたユダヤ人とか、日本の同盟国のドイツからすればヘンな話だが、
そこにはあえて突っ込まず黙認して日本を味方にした方がドイツとしては利益になった。
この流れの最初ってこれだよな?
640 :名無し三等兵:2012/09/30(日) 22:37:51.64 ID:???
>>637 戦争ならなんでもやるっていうのは近代的な考え方で、
中世の戦争では喧嘩と同じように、自分がやられたら致命的になるもの、
お互いやりあったら際限がなくなるものについては使わないという不文律が
守られていた。
>>650 不可侵条約を結んでいた日ソの例が適当かはともかく
不文律というのはただの利害の一致の結果だと言いたいってことでいいのか?
>>651 戦における作法とか
義経みたいに作法無視すると連戦連勝しちゃうような
ジャンヌダルクもそうか 日本じゃないけど
って守られてないな不文律
>>654 治承・寿永の乱あたりだったらあれだな。
騎射戦で馬を射るのは卑怯、水軍戦で水夫を射るのは卑怯ってやつ。
けっきょくマナー違反が横行するわけだが。
マナ―違反したら勝てるんだから、そりゃあやるわな。
別に強制力があるわけじゃないし。
マナー違反を最初に起こす常識外、あるいは考えなしが出るまでは、
長い間みんなマナーを守ってきたってのは重要だと思うよ。
いや、今のハメでしょ?俺のシマじゃノーカンだから。
マナーを守ってきたのは、武士以外の軍事力が残ってた名残とか?
人殺しもルール内なら犯罪じゃないみたいな?
もともと卑怯うんぬんも
中傷合戦や負け惜しみから来てる気がするんだが。
でも今昔物語に出てる様な武士同士の戦いって、騙し合いに近いものがあるよ。
先手を取って火攻めすれば勝ちみたいな。
守る方は常に動員しておく訳いかないからね。
まあヤクザの抗争みたいなもんだけど。
>>655 マナー違反って平家の本文中にあったっけ?
武士ってものがもとはと言えば王朝国家の公的軍事力として出発したことも
からんでるかもね。
武士は、国家公権の一部を担う警察的側面と、主従制によって私的に結びつき、
暴力によって自己の権益を守る暴力団的側面とを持っているけど、こういうのは
前者にかかわりがありそう
>王朝国家の公的軍事力として出発
そうなの?
武士が何故誕生したのかってのは諸説あるテーマだが
貴族の便利屋であれ私有地の防衛であれ私的目的には違いないと思うんだが
朝廷内で権力争いするのが難しくなった半端貴族、豪族が戦で功を成そうと
戦闘部門に特化しはじめた、と聞いた
違うよ妖怪退治が専門じゃん。
平将門とかは武装した乱暴な貴族、藤原純友は武装した船乗りという感じだが、
前九年・後三年の役を戦い抜き、孫子の兵法も応用できる源義家は鉄の主従関係で結ばれた武士の中の武士というイメージがある。
京都から離れた奥州で武装集団指揮して騎射の巧みな俘囚の集団と十二年以上ガチで戦えば貴族と別人種になるのもわかる。
>>662 無いよ。水夫の話は後世の小説家の創作。
馬を射るのがマナー違反ってのは何が出典?
少なくともこういうときによく引かれる「真光故実」と呼ばれる発言には
マナーに関することは平家延慶本にしろ盛衰記にしろ載ってないんだが。
『延慶本』
昔様には馬を射る事はせざりけれども、中比よりはまづしや馬の太腹を射つれば、
跳ね落とされて歩立になり候
『盛衰記』
昔は馬を射る事候はず、近年は敵の隙間なければ、まづ馬の太腹を射て、主を跳ね落として、
>>670 昔様には馬を射る事はせざりけれども
昔は馬を射る事候はず
これをマナーと解釈するか、別の理由ととるかじゃないかね。
乗り手を射れば倒せた過去の時代と違い、重武装化が進んで鎧の隙間が少なくなった近年では
乗り手を射るよりも馬を射て跳ね落とすことの方が有効になったから射るようになったという感じだな。
一射が貴重な騎射戦の話だし、無駄矢を戒める内容もあったし。
戦利品として得られる馬は傷がないほうがいいだろうし。
>>672 そこはどうだろうね。
治承期がそれ以前と比べて特に重武装化したということは考えにくいのではないかな。
大鎧は10世紀終わりにはほぼ完成して、カバーする部位についての進歩はない。
普及度や札の改良の違いはあるかもしれないが。
騎手が無防備ならともかく、例えそうであっても、馬に当てる方がよほど楽なのは
それ以前から常用されていてもおかしくないと思うが。
>近年は敵の隙間なければ
つまりそこの解釈をマナーによるものと解釈して読もうとする以外に
マナー説の根拠ってないわけ?
水夫の件といい随分適当なんだね。
>675
古文はすっかり忘れてしまったので教えて欲しいのだが、
隙間なければ
というのは、「隙間がないので」が正しく
「隙間がない場合」と読む可能性はないのかね?
>>676 マナー説の根拠が薄いという指摘はまあ正しいと思う。
そりゃ少し前までは「鎌倉武士はやあやあ我こそはと名乗りあって云々」
なんてふざけた説がまかり通ってましたし。
>>679 いまだに信じてるやつ多いよな。
物語以外で、一騎打ちをしていたという確実な証拠は皆無。
そんなもんジャンプ読んで人間が空中飛んでたと認識するのと
同じレベルの勘違いかもしれんしな。
平安時代は戦闘たって儀礼や政治の延長そのものだからな
やーやー我こそは武士
身代金目的で殺し合うことはない騎士
戦ってるフリだけして契約金丸儲けの傭兵
全部信じると世界はかなり平和だな
モンゴル帝国の武士評
王ツ『汎海小録』
「兵杖には弓刀甲あり、しかして戈矛無し。騎兵は結束す。殊に精甲は往往黄金を以って之を為り、珠琲をめぐらした者甚々多し、
刀は長くて極めて犀なるものを製り、洞物に銃し、過。
但だ、弓は木を以って之を為り、矢は長しと雖えども、遠くあたわず。人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れず」
鄭思肖『心史』
「倭人は狠、死を懼れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。戦死しなければ、
帰ってもまた倭王の手によって殺される。倭の婦人もはなはだ気性が烈しく、犯すべからず。倭刀はきわめて鋭い。地形は高険にして入りがたく、
戦守の計を為すべし」
呉莱『隣交徴書』
「今の倭奴は昔の倭奴とは同じではない。昔は至って弱いと雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。いわんや今は険を恃んで、その強さは、まさに昔の十倍に当たる。
さきに慶元より航海して来たり、艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。(中略)その重貨を出し、公然と貿易する。その欲望を満たされなければ、城郭を燔して居民を略奪する。
海道の兵は、猝かに対応できない。(中略)士気を喪い国体を弱めるのは、これより大きなことはない。しかし、その地を取っても国に益することはなく、またその人を掠しても
兵を強めることはない。」
文永の役の戦闘後の元軍軍議の様子
『高麗史』金方慶伝
金方慶「兵法に『千里の県軍、その鋒当たるべからず』とあり、本国よりも遠く離れ敵地に入った軍は、
却って志気が上がり戦闘能力が高まるものである。我が軍は少なしといえども既に敵地に入っている。
我が軍は自ずから戦うことになるが、これは秦穆公の孟明の『焚船』や漢の韓信の『背水の陣』の故事に
沿うものである。再度戦わせて頂きたい」
忽敦 「孫子の兵法に『小敵の堅は、大敵の擒なり』とあって、少数の兵が力量を顧みずに頑強に戦っても、
多数の兵力の前には結局捕虜にしかならないものである。疲弊した兵士を用い、日増しに増えるであろう
敵軍と相対させるのは、完璧な策とは言えない。撤退すべきである」
普通に武士との戦闘に苦戦して撤退しただけの元軍が、なんで「威力偵察を成功させて撤退した」なんて
珍説が広まってるのか謎。
日本側が普通に勝利するのは気に食わない連中がいるとしか思えない。
だから「やーやー我こそは」とかの捏造も広がったと考えてしまうのは考えすぎか。
「戦死しなければ帰ってもまた倭王の手によって殺される。」
か、かなり噂に尾ヒレが付いてるな。
誤解によって恐られたことはわかる。
>>641 ヨーロッパ世界内の戦争と宗教戦争ではそらモラルもマナーも違うさ
>>683 汎海小録の記述だけど、矢が長いって表現は普通射程距離が長い事を表すんだが
矢は長けれど遠くあたわずってどういうことなんだろうか?
遠距離の命中精度は良くないって事かな?
>>687 普通に解釈すれば
飛距離は長いが遠距離の矢の威力は大したことがない
だな
>>679 「武士が一騎打ちで名乗りを上げたというのは捏造」ってほんと?
研究者では誰が主張してるの?
もし将門記あたりの記述を念頭に置いているのなら、あれも軍記物だとおもうんだけど…
>>664 基本的には国衙軍制論、武士職能民起源論などを意識してたんだけど、他にも
永原慶二あたりが、武士の支配権の正統性の根拠が、荘園制の下司職にある
ことが日本封建制のヨーロッパと区別されるところだ、と言ってたのも思い出した。
これはつまるところ、武士の土地支配の根拠が、国家公権の部分的委任にある
ということだから。
矢は当時丸木弓だっけ?
複合弓っぽくなるのはもう少し後か。
12〜3世紀だしな。
まぁ弓矢が当時苦手でも白兵戦の強さで大帝国の軍団を
撃退した例とかいくらでもあるしな。
>>689 研究者で、という以前に
一騎打ちをしていた、という明確な根拠が見つからない。
それでもなお一騎打ちをしていたと主張する人がいるならそれは問題。
逆に明確な記述があるならそれを出してほしいくらいだ。
>>684 考えすぎじゃないと思うよ。
縄文時代ー弥生時代から倭国大乱にいたる戦争の歴史とか、
日本には騎馬隊がいなかった説、ポニーだから役に立たない説、
刀はすぐ切れなくなって無用の長物になる説、
ぜんぶ文物が朝鮮半島経由で入ってきた説、根っこは一緒じゃないかと思ってる。
だいたい口をそろえたように日本古代の文物は
「中国から朝鮮半島を経由して伝わった」と言ってるが、
これこそその最大の物だと思うよ。
本当に何から何まで遅れた地域だったら、
とっくに大陸の国家に支配されている。
元寇関連の本を読めば、大抵の研究者が根拠もなく「武士は一騎打ちをしていた」と
書いてるよ。
まあ、調べもせずに誰かの受け売りをそのまま載せただけだろうけど。
蒙古襲来絵詞を読むと、武士たちは確かに名乗りを挙げていた。
しかし、それは仲間内で名乗り合って、自分の功績を確認し合っていた。
一騎打ちを挑むためではない。
>>689 純然たる一騎打ちなんてのは「今昔物語集」「後三年合戦絵詞」などの例を見る限り、どちらかからの提案がされ
双方の同意がなされて初めて行うことができる特殊な戦闘形式です。
その間尋常の合戦は中断されるか、あるいは合戦が中断されているうちに余興のように行われています。
695 :
693:2012/10/01(月) 15:32:35.40 ID:???
訂正
しかし、それは仲間内で名乗り合って、自分の功績を確認し合っていた。
一騎打ちを挑むためではない。
↓
しかし、それは仲間内で名乗り合って、互いの功績を確認し合っていたため。
一騎打ちを挑むためではない。
>>691 根拠としては軍記物の記述で十分だと思うけど。
軍記物は週刊少年ジャンプじゃない。聞き手のほとんどは同じ武士階級に
属する人々だよ。かつ彼らは物語の記述を事実として認識していたことは、難太平記
の成立経緯などからも読み取れる。それがたとえば都における政治的暗闘とか
公卿補任の日付とかならともかく、合戦の実相についてむちゃくちゃな
フィクションを事実として受け入れる筈がないでしょう。
逆に、当時の一次資料の大半を占める公家の日記には、彼らの関心の範囲からして
当然ながら、戦闘や合戦の実相なんか出てきはしないわけで。
なら、三国志演義に一騎打ちがたくさんあるから、三国時代の戦闘様式は
一騎打ちが基本だったんだな。へぇ〜。
論点が噛み合ってないな。
自分は一騎打ちはあったが極めて特殊な戦闘だったと書いてる派。
>>696の人は一騎打ちの有無を言ってるのか、それとも一騎打ちが主流だとか言いたいのか
どういうスタンスなんですか?有無を言ってるならそれは特殊なケースとして確かにあったろうとしかいいようがない。
>>696 軍記物が歴史考証たりえていいなら、
ジャンプだって歴史考証たりえる。
歴史好きな人、研究者が陥りがちな罠だが、
物語というものはカッコよさを優先するためにしばしば
演出のため一般受けする表現をする。
ではトロイア戦争では、
みんな戦車に乗って戦車の一騎打ちをしてたのかね?って話とおんなじだよ。
>>698 基本的にはご意見に賛成です。
ただ、「一騎打ちは捏造!あったとか言ってるのは朝鮮人!」とか
妄想を垂れ流している人がいたので、一言釘を刺したまでで。
まあモンゴル軍から見れば鎌倉武士やドイツ騎士団の戦術など一騎打ちと五十歩百歩だろうね
朝鮮人云々はともかく特殊な戦闘としての一騎打ちをさも一般的な合戦の形式として
紹介しちゃう人多いからなあ。
バノックバーンのロバート一世の例を引いてきて、欧州では十四世紀になっても王族や貴族が一騎打ちを行い
合戦の趨勢を決定していた、みたいな暴論なのに。
>>701 モンゴル人の総司令官忽敦からみた武士団。
「孫子の兵法に『小敵の堅は、大敵の擒なり』とあって、少数の兵が力量を顧みずに頑強に戦っても、
多数の兵力の前には結局捕虜にしかならないものである。疲弊した兵士を用い、日増しに増えるであろう
敵軍と相対させるのは、完璧な策とは言えない。撤退すべきである」
忽敦はモンゴル軍を「小敵」、武士団を「大敵」に準えて、このまま戦えば捕虜になってしまうと言ってる。
>>699 フィクションの史料性には限界があるのは確かだね。
でも平家物語が治承寿永の内乱の半世紀後には成立していたと考えられている
こと、武士の合戦の実相がその間ほとんど変わっていないと考えうること等を
踏まえれば、この種の問題に関していえば平家物語は相当程度信を置いてよい
でしょう。
トロイア戦争の実相とホメロスの叙事詩とはどの程度異同があるかということについては、
昔から「ホメロス問題」という言葉があるくらいで、なかなかの難問だけれど、
トロイア戦争からホメロスまで500年を経ていること、その間に無文字社会への
退行を含む全ギリシアの混乱期を挟んでいることを考えれば、平家物語と
同列にはできない。
>>702 まあ、軍記物もよく読むと、一騎討ち、それも純粋な一騎打ちと言えるものは
そんなに多くはないよね。
信玄と謙信ぐらいしか知らぬな
物語の欠点としては、
集団戦を描写するのが非常に難しく、
どうしても名のある人物を目立たせたい、活躍させたい、
となると一騎打ちで華々しく戦ったり、数千の敵に少数で突っ込んで
相手を蹴散らしたり、という描写になりがちな点よね。
三国志演義も同列には語れないが、
たとえば劉備の警備隊長にすぎない趙雲が将軍として大活躍したり
一騎打ちで敵を討ち取ったり、という描写も演出のせい。
ほとんど成立にタイムラグがない太平記だって戦闘描写はかなり人間離れしてるから
あまり参考にはならんだろw
一騎当千を称する篠塚伊賀守がさっと金棒を振ると百余騎がビビッて包囲を解くとかそんな世界だぞ。
日本の武士の戦闘は、個々の功績と討ち取った頸が関係するから、
よほど手に余る強者相手以外では武士同士の連携プレイは生まれ
にくいかもしれんね。
しかし、従者をけしかけて1対多を作り出すことはやったんだろうか。
でもさ芸能人にあったりするとちょっとビビって道開けたりしねえ。
>>711 701がモンゴル軍からみたら武士団の戦術は一騎打ちと変わらないとわけのわからないことを言っているから
一騎打ちと変わらないという認識をモンゴル軍が持っていたなら、総司令官の忽敦がモンゴル軍を「小敵」、
武士団を「大敵」に準えて、このまま戦えば捕虜になってしまうという発言はしないだろうということだ。
>>712 今意味がわかったw
芸能人どころの騒ぎじゃないかもな。
何より忽敦は疲れ切ったモンゴル軍が、日増しに増え続けるであろう武士団と戦い続ける
ことに不安を感じてる点からも、忽敦は「武士団の戦術は一騎打ちと変わらない」と認識していた
のではなく、武士団は数による戦闘を行っていたと認識していたということがわかる。
どう考えても集団戦を示してるよな。
>>718 忽敦さんも草葉の陰で複雑な心境じゃないか?そういう読み方をされると。
渡洋上陸とロジスティクスの困難性が論旨かと思ってたわ(笑)
>>721 そういう読み方も何も原文そのままではないか。
兵法小敵(モンゴル軍)之堅、大敵(武士団)之擒、策疲乏兵(疲れ切ったモンゴル軍)、敵日滋之衆(日増しに増え続けるであろう武士団)、非完計也、不若回軍」
それだけの数の武士と一対一やらされるなんてもううんざりだよ、っていうことなんですよきっと
>>722 それだけじゃ集団戦を組織していたと言うには薄いと思うが。
モンゴル側は遠征軍の兵力が限られているが
防御側は次々に投入してくると言っているだけなので。
そもそもモンゴル兵と武士の集団戦を同列に論じてる時点でありえないよ。
やつらは騎兵の密集突撃や後退からの半包囲殲滅とかそら徹底的だから。
武士の連係とは話が違う。
>モンゴル側は遠征軍の兵力が限られているが
>防御側は次々に投入してくると言っているだけなので。
普通に読めばそうとるとおもうが・・・
>>724 元の歴史書『元史』劉宣伝にはこうある。
「倭国は土地が広く人も多い。日本に上陸した場合、彼の兵は四方より集まり我が軍は孤立無援になる。」
(倭国地広、徒衆猥多、彼兵四集、我帥無援)
元帝国が日本側の兵力が多いことを懸念していたということだ。
つまり、701がいうように「まあモンゴル軍から見れば鎌倉武士やドイツ騎士団の戦術など一騎打ちと
五十歩百歩だろうね 」という認識は元帝国にはなかったということだ。
これも高麗史における忽敦の戦況認識と兵法小敵(モンゴル軍)之堅、大敵(武士団)之擒、
策疲乏兵(疲れ切ったモンゴル軍)、敵日滋之衆(日増しに増え続けるであろう武士団)」との認識と
一致している。
>>727 そりゃ海渡ってくるんだから兵力の不利に対する懸念は当然だろうね。
どーしても戦術の話にしてしまいたいみたいだけど、なんか牽強付会っつうかなんつうか。
問題はモンゴルのような集団戦術が日本にあったかどうかではなく
「モンゴル側からみて日本側の戦術は一騎打ち戦法」という認識があったのかという
一点だけ。
>>725 727
誰がどっちの意図で発言しているかわからんようになってきたな(笑)
俺は、武士が一騎打ちを作法にしていたということには否定派だが、
さりとて、その資料が日本のヨーロッパに対する戦術的組織性を
示す材料になるとは思えない。
単純に、渡海上陸作戦の兵站の困難さを述べただけだろう。
そこに日本の戦術がどうであるかなど述べられていないと思うが。
>>728 「兵力の不利に対する懸念」があったということは論題である「モンゴル側からみて日本側の戦術は一騎打ち戦法」
という認識は無かったということを認めるってことだな。
数が多ければ、一騎打ちを挑む武士を一人一人倒すのが面倒臭いからとかは言わないように。
>>732 あれ?だれか「元軍は日本軍が一騎打ちだと認識していた」って書いてたっけ?
>>732 「モンゴル側からみて日本側の戦術は一騎打ち戦法」と、そこまでいうのは妄想だね。
単に資料とレスをよく読んでないだけの話だわ。
>>734 701が「まあモンゴル軍から見れば鎌倉武士やドイツ騎士団の戦術など一騎打ちと五十歩百歩だろうね 」
と堂々と発言しているわけだが。
>>735 五十歩百歩というのは同視しているという意味ではないんだが。
まあどっちにしろ
>>704をよーく読んでみなよ。
>>735 そりゃ過剰反応だわ(笑)
俺は701じゃないけど、この文意は モンゴル人から見たら
「日本の戦術などヨーロッパ人と同じで無きがごとし」
って意味だと思うぞ。
そもそも、ドイツ人が一騎打ちを作法にしていたかも疑問なんだし。
最初からなんか話がズレてる感じだが、蒙古側の言及としては「騎兵結束」が出てるから
散発的な騎兵が一騎打ちに近い形態で挑んできて撃破されるイメージはわかないよな。
逆に言えば武士に戦術なんて無きが如しとする根拠はなんだよ。
>>737 >>737 確かに=ではないが「大して違いはない」という意味なのだから
701が「モンゴル側からみて日本側の戦術は一騎打ち戦法」という認識を
持っていることに違いはないわな。
高麗史における軍議で元軍は兵力不足を認識し、対して日本側は兵力が日増しに
増えることを懸念している。
つまり、「兵力の不利に対する懸念」があったということは701がいう「モンゴル側からみて日本側の戦術は一騎打ち戦法と五十歩百歩」
と相反するということが資料から読み取れるわけだ。
「まあモンゴル軍から見れば鎌倉武士やドイツ騎士団の戦術など一騎打ちと五十歩百歩だろうね 」
というレスを
「モンゴル側からみて日本側の戦術は一騎打ち戦法」
と曲解してるのはたぶん苦し紛れなんだろうけど、
自分の引用した文章と相手のレスぐらいしっかり読もうやとしかいえないわ。
その五十歩百歩な戦術にボロ負けしてるんだから世話無いわなw
>>739 「散発的に騎兵が一騎打ちに近い形態で挑んでくる」
俺もさすがにそんなこたァないと思う。
過去の大河はそういうイメージで描いていた気がするが、アホすぎやろ。
一方で、ドイツ騎士団だって鎌倉武士レベルでの「結束」はしてたんじゃないのか。
モンゴル帝国側のヨーロッパの認識はどうだったんだろうね。
そもそも文脈的に考えて日本兵は一騎打ち専門だという認識を持っていたら、
「日本側の戦術など一騎打ちと五十歩百歩」という書き方はしないわな。
わざわざ五十歩百歩と書く理由がないからな。一騎打ちならな。
字面だけじゃなくて文脈読まなきゃな。よく読めというのはそういう意味ですねw
>>746 701がそんな語彙にこだわって反論するほどのレスとも思えんのだが。
ほっときゃいいんじゃないの?
いよいよ不毛になってきたw
もういい加減双方引いてくれよ。そんなのじゃなくて文献なら大歓迎だけど。
どっちにしろ「一騎打ちと五十歩百歩」という認識自体が間違い。
>>749 なら「騎兵結束」の記述から
「一騎打ちと五十歩百歩な戦術」とは言い難いでFAだな。
>>751 双方の戦術の比較論考もせずにですか。それはちと先走りかと。。
別にどっちが集団戦術として優れている云々とかの話じゃないし比較とか余計じゃね?
元側の認識は少なくとも騎兵が結束していると出ているんだから
一騎打ちと五十歩百歩とは考えられていないだろ。
煽ってるだけのノイズに拘るから議論がかみ合わなくなる。
論ずるに値しないほど無意味な見解って思ってるなら無視しちゃって良いのよ。
>>754 結束=集団戦術という認識でOK?
さっきからずっと日本語の読み解きの問題だよね。
書くこと一々くだらないから別でやれば?
おかげで過疎ってるし。私怨をはらす場でもない。
まあ、過疎ってるのは754のせいというより論破されてるのに
しつこく言葉遊びに逃げ回ってた一騎打ち厨のせいだと思うがな。
758 :
756:2012/10/01(月) 18:37:06.71 ID:???
おかしいと思ったらから書いただけで、私怨とかさっきとか言われてもそれは俺のレスじゃないから困るんだが。
過疎るとすればあんたみたいに無闇に因縁つけて絡む人がいるせいじゃないのかね?
巷の歴史家は一騎打ちというより先駆けのことを批判したいんだろうね
一族郎党で突撃して功を争うのは戦国期に入っても変わらない
まあ清原が甲子園でバット振り回して走ってきたら野次ってた阪神ファン百人が包囲解くとか容易に想像できる。
なんだかんでサイン貰う奴とかが寄ってくる
プロ選手への遠慮がなかったらもう数を頼んで百人側がボコボコにするだろ。
>>763 視聴者の視点ならな
実際に囲む側になれば、最終的に陣営が勝つことがわかっていても自分が殴られるのは嫌だ
ズラそうとしている人がいるから話を戻すが細川頼春方は素手の烏合の衆じゃなくて
完全武装して弓矢だって持ってるんだがね。
>>688,688
普通に物理的に矢が長いって事だろ、長弓の矢は短弓の矢より長いのだから
つまり、「長い矢使ってるくせにぜんぜん飛ばねーじゃんm9(^Д^)プギャーwwwwww」って意味か。
>>766 日本側の記録には逆に「蒙古矢は短いが矢の根に毒を塗っているので」てあるけど。
(八幡ノ蒙古記「蒙古か矢、みしかしといへとも、矢のねに毒をぬりたれは、ちともあたる処、とくに氣にまく」)
矢が短い「といえども」毒が塗ってあってそれをカバーしていると言ってるのだから、物理的な矢の長さを言ってる
のではないだろう。
物理的な長さのことを言ってるなら「物理的に矢の長さが短いけど毒を塗ってカバーする」では意味が通らんし。
それとも、日本の「矢の長短」の意味と大陸の「矢の長短」では意味は違うのかな。
うろ覚えだが、何かの本で矢の長短とは「弓の威力」のことを表しているとあった気が。
だから、元側から見たら「和弓は威力は強いが遠くには届かない」と言ってるかな。
うろ覚えでスマン。
確かに矢の長短とは「弓の威力」のことなら、日本側の記録に「蒙古矢は短いが(威力は弱いが)
毒を塗ってカバーしている」なら意味は文章的には成り立ってる。
「矢は長いといえど遠くまで飛ばない」なら意味として矛盾するよ
それなら「矢は長く遠くまで飛ばない」と書くでしょ
プギャーの方が正しい気がする。
まあおれは国語は苦手。しかし軍板なのにやたら国語力が必要だなこのスレ。
いや、実際に蒙古軍の副司令官の劉復亨は日本の弓でやられてるし
博多から上陸した元軍は終日の激しい矢戦で矢を射つくしてる。
日本の弓が強力でないとこうはいかないよ。
日本の強力な弓に対応して創られた日本の甲冑を射るのに
蒙古弓では威力が弱かったんだろう。
矢が長いはやはり、威力のことを言ってると思う。
矢の長短は弓の威力を表す慣用表現だよ。
矢が長い=弓が長い=威力があるっていう価値観が元になってる。
>>773 弓よりもむしろ甲冑の差かもしれんけどな。
あと、上陸した元軍って漢人や高麗人が多かったんじゃないの?
日本の地形はモンゴルより起伏があるから地形を楯にして接近しやすいのもある。
>>775 『高麗史』だと蒙漢軍2万5千、高麗軍8千。
『元史』だと高麗に派遣された元本国からの派遣軍勢1万5千。そのうち女真人も
加わっていたことが確認される。
このうち、蒙漢軍の民族的構成は不明ながら、副司令官の劉復亨が漢人であること
から漢人兵がいたことが想像される。
また、総司令官の忽敦がモンゴル人であり、高麗軍の活躍を見た忽敦が「蒙古兵は戦争に
慣れているが、高麗軍の活躍に比べて何をもって加えることができるだろう」と
感心したエピソードもあることから、蒙古兵もいたとは思う。
恐らく、上陸した元軍の民族構成は蒙古兵、漢兵、女真兵、高麗兵から成っていたのだろう。
>>775 だいたい総派遣軍の半分ぐらいが蒙古兵だと推測できるわけですな。
威力は弓の張力と矢の重量で決まるだろ
和弓の矢は重いからな
元軍の矢は軽く威力と命中精度を犠牲にして遠くまで飛ばしたってことか
圧倒的な兵力差で初日に射つくしたのはなかなか武士が倒れてくれないからか
お杉の書籍だと劉復亨は山東出身の女真族武将となってるがこれは誤りか?
>>779 元の矢は毒塗りだから皮膚を破れればそれでいい。深々と突き刺さる必要はなかった。
ところが武士は重武装だったので皮膚まですら届かなかった。
元の毒矢ってどれくらいの毒性で、どれくらいの普及率だったんだろうね。
武士の鎧が硬くても、馬を射れば良かったとも思うわけだが。
日本が大和朝廷全盛期のような軍団制じゃなく、
騎馬武者中心の矢戦を国内でやりまくってたのはある意味行幸だったね。
矢に強い甲冑や戦い方を、何だかんだ各地で研究してそれがスタンダードになっていたので、
元軍とは相性が良かったんだろう。
もっともあの重量の大鎧で元軍の船に切り込みとかやってた当時の武者は本当に大変だっただろうけど。
現代でも甲冑マラソンとかやってみてほしいよな
どのくらい走れるもんだか
甲冑装着してはきつそうだなぁ……。
軽い部類の綿甲とかリネンキュラッサーみたいなものならともかく。
斬り込みやって鎧着たまま海に落ちたら水死体直行?
>>782 蒙古襲来絵巻の有名なてつはうの場面のようにちゃんと馬も射ってるよ。本来は騎馬中心の蒙古軍が
歩兵として戦わざるを得ないんだからももともと不利なんだ
>>787 毒矢で馬を射ているなら、武士の甲冑の固さはそんなに問題にならんのではないかなということ。
そこで思うのは、毒矢に即効性がなかったり、装備率が低かったりしたのかなと。
蒙古軍が、上陸戦で不利なのはその通りだと思う。
>>786 >>789 壇ノ浦で教盛、経盛は錨を体に巻きつけて入水したし、
宗盛は入水したものの死にきれずに泳いでいた
大鎧は革に漆塗で意外と比重が軽いのかもしれんね。
元寇軍は高麗南宋兵というのが定説
元寇軍って言葉は初めて聞いた。
定説ってことは文永の役にも南宋軍は来てたのか。
高麗軍だけではなかったからな。
おれは女真だと思う。ソースはない。
>>782 馬は射殺せても人は殺せない
竹崎季長も馬を射られたけど結局本人は無事だったし
射殺されてたら絵巻書かせれないから
一人死んだから威力が高い
一人死ななかったから威力が低い
なんで一例をもって一般化しちゃうのよ
なんでも俺が聞いた話では、日本国には「ジュージューツ」という侍のみが使う伝説の殺人格闘技が存在するらしい。
その奥義の一つに「ウケーミ」というのがあって、落下の衝撃を吸収する謎の技術らしい。
それを使えば馬を射殺されて倒れても問題なく立ち上がって戦い続けられた可能性がある。
そう言えばシャーロックホームズもそのウケーミで九死に一生を
得たのだよね。
>>793 南宋軍来てないって。
そもそも、まだ、南宋はバリバリにクビライに抵抗してた頃やん。
竹崎は先駆けして敵の重囲下から生還してるから
ある程度の信憑性はある
>>788 毒矢は胡散臭いね。
元寇に登場する主な人物で矢で負傷した有名どころでは竹崎季長、三井資長、
河野通有、少弐経資、福田兼重、藤原資門、竹崎郎党とかいるけど誰一人毒にかかった
という武士はいない。
蒙古兵は毒矢を使う習慣はなかったみたいだから、もしかしたら戦闘に加わった他の民族が
使用したのかもしれないけど。
いやさすがに大鎧つけたまま入水は死亡だろ
乗馬時以外はつらい重量なんだし
後世の報告だがフロイス「日本史」に朝鮮人の毒矢の記述があるから
高麗人の仕業かな?
>>802 日本の常識だと弓が長い=矢が長い=威力が大きい
だったのに、元の複合弓は
弓が短い=矢が短い=だけど威力が大きい=きっと毒矢に違いない
なのかも。
・彼らはトルコ人の弓のような小弓を巧みに操り、〔聞くところによれば〕毒を入れた小箱を使用するという
”朝鮮の弓はアジアでは最も優れている部類のもので、
最大射程は約450メートル”との主張も見られるが、
英国のギャルウェイ卿によるテスト結果から世界最強の弓とされる
19世紀のトルコ弓(角弓)であっても実戦用の矢を使用した場合の最大射程は約400mであり、
また米カリフォルニア大学のサクストン・ポープ教授による同大人類学博物館所蔵の世界各地の弓の実射テストによる結果でも、
トルコ弓の飛距離が257mおよび250mであったのに対し、
朝鮮弓そのものではないものの同系統の東アジアの角弓である中国弓(清朝)が91.4m、
モンゴル弓(タタール族)が82.3mおよび102.4mと同じ角弓であってもトルコ弓に著しく劣る。
(なお、同実験における和弓は142.6m)”
>>803 水軍は胴丸を用いていたんだつけ?
たしか姫武将の遺品の鎧が胴丸だったかと?
>>807 実験者によってかなり数字に開きがあるね。
弓の力と矢の重さが等しければそんなに大きな差は出ないと思うのだが、
矢はそれぞれの弓に付属するものを使っているのかね。
まぁ、同じ「日本弓」でも、
弓の固体によって性能はだいぶ異なる品。
合成弓は強さをわりと自由に設定できるのが強み
三十三間堂の通し矢で使用される弓が70kg
120m射通すのにそれ位の剛弓を引いていた
弓は引く人間の腕力にも依存するから。
非常に単純なモデル化をすると、同じ張力の弓なら、矢は長い方が
威力も射程も出る。というのは、長い矢を使って大きく引き絞る方が
弦が手から離れてから矢が弦を離れるまでの加速距離が長くなるので
その分威力が増す(銃器で、同口径でも銃身を伸ばした場合を思ってくれ)
ただし、矢が長くなる=矢が重くなるなので、威力はともかく射程がどの程度伸びるかは
矢の重量との兼ね合いになる。
鑑定団で長船の刀が出たがそのときに元寇以降一騎打ちから集団戦に云々言ってたけど、
その後の戦闘として示されるのが太平記の打物による一騎打ちなのに笑ったしまったw
和弓って実は、心材へ炭にした木材を利用する、カーボン複合弓なんだけど、余り知られてないよね。
2mもあるそんな弓で1m近い矢を飛ばすのだから、けっこう侮れない武器なんだけど……
それと軍隊で、大規模に毒矢を用いる事はまず無いよ。
毒は劣化し易く保存が難しい上に、大量に集めるのは無理があるし、専門知識と繊細な取り扱いが必要で、敵より先に味方の害にるから。
考えてもご覧よ。
鏃に毒を塗った矢を弓につがえてたら、ちょっとした拍子に隣りの味方や自分の馬、あるいは自分の脚を引っ掻いたりする光景を。
或いは手に擦り傷が出来ていて、そこにうっかり触れてしまったら。
実は、水彩絵の具にはクロムなどの劇物が使われている事が多く、扱いには注意しなくてはいけない。
水彩画家に夭折する人が多い理由でもある……専門知識を持ったプロなのにね。
それを大量の素人に、劇物ではなく歴とした毒物を扱わせたらどうなる?
朝鮮以外にもツングース系民族で毒矢を使う報告があるから
無理に否定するもんでもないと思うが。全軍に渡って毒矢を使ったのではなく
使い慣れた一部の集団が使ったとかそんな程度。
毒の調達というだけなら、糞尿を塗れば低コストでタチの悪い毒矢が作れそうだけど
味方を傷つけるリスクとかは解決法が思いつかないな。
>和弓って実は、心材へ炭にした木材を利用する、カーボン複合弓なんだけど、余り知られてないよね。
そりゃあ木材じゃなくて竹を炭化させてるんだからそんな話は知られてないだろうな。
http://www.koyama-kyugu.com/archive/c003.php >アジアの一部では理想的な弾性素材として竹が使われ、日本ではその竹をさらに強化する
「疑似炭化」の工夫が800年〜1000年の昔から行われてきました。これは内竹、
そして籤(ひご)を強く火入れした事です。これは卓越した経験と勘が要求されます。
そりゃ毒扱う部隊は熟練の部隊に決まってるよ。
一般兵が使うわけない。
毒矢が全く来ないのと、10発に1発毒矢が混ざってるのとは天地の差がある
というだけ
チンギスハーンがモンゴル族の統一戦争で毒矢うけたことがあるようにモンゴル族は戦争で毒矢使ってたことは間違いない
でもそれくらって手足が腐ったとかそういうのはないからそう強い毒ではないんだろ
>>816 木炭とカーボンファイバーを一緒にしないようにw
>「疑似炭化」の工夫が800年〜1000年の昔から行われてきました。
しかし年代にかなりのバラつきがあるなw
こういうのって確定的な年代がいつごろなのか出すのは難しいだろうけど。
>>812 あれは軒先までの高さ制限もある鬼畜仕様だで
>>792-794 文永の主力部隊は「蒙漢人」とされてる。
彼らがモンゴル帝国に服属する漢人の事を指すのか
それとも華北の遊牧民達の混成部隊なのかはわからんがね。
どの道モンゴルは元々人口少ないから純粋なモンゴル兵は少ないかと。
上で毒矢の話が出てるけど文禄・慶長の役の明・朝鮮側の記録に
毒矢は日本軍に対して有効だという報告があるよ
しかし生産及び維持管理が難しいから全軍の矢を毒矢にすることはできなかったそうだ
>>826 今、再び読み直したら日本軍に有効とまでは書いてなかったね。スマン
とにかく、明軍が使う毒矢はかなり強力だったようでテストでは鶏に傷をつけただけで即死している
あれを見て朝鮮側は何とか明軍の毒薬製造法を手に入れようとしたけど結局手に入れたかどうかまでは分からん
因みに、高麗軍は一定の比率で毒矢を使ったけど朝鮮になってからは毒矢はほとんど使われなかったようだ
槍より鉄砲だ、鉄砲後れ! と戦国末期になるととにかく火力志向になってたよね。
それが幕末だと火力軽視、外国風のは嫌だっていって訓練さえまともに受けない。
武士の代わりに動員した百姓町人を洋式訓練したほうが戦力になったぐらい。
将軍様は、敵前逃亡かますし。
どうしてこうなった……。
朝鮮の片箭はいつ頃から出現し、どの程度の効果があったのかな
>>827 毒の成分はトリカブトの根を漬け込んだものだろうか
それか毒蛇の毒腺から採ったものかもしれない
日本でも破傷風を狙って鏃に糞尿を付けることはあったね
>>814 陸上の槍投げで槍がビョンビョンとしなりながら飛んでいくのを目にするが
正面から見ると螺旋を描くように円運動をしていてそれによって飛距離が伸びる
矢も同様に長いほうが重さによる飛距離の低下を上回る効果があるそうだ
浅学にてどういう理屈かまでは分からないけど
ツングースとかの北方系は植物毒抽出してそうなイメージ。
確かアイヌの毒もトリカブトだよな。
>>828 新撰組とか幕府軍も一応、大砲手に入れたり
洋式訓練はしていたんだけど、
どうにもこうにも将軍自体が戦場から逃げ出しちゃったりと、
指揮官不在で積極的な作戦もとれず、
あれよあれよというあいだに諸藩も離反した戦略的影響もあるんじゃないか?
幕府軍主力が壊滅した戦闘では、
ただただ待ち構える長州軍の横隊に、縦隊が突進を繰り返すだけだったみたいだけど。
元軍が毒矢を使用したというのが正しければ、それは高麗軍っぽいね。
でも、高麗軍は全軍の20数パーセントにすぎないし、そのうちのさらに
限られた者しか毒を使えなかったことを考えると戦況をどうのできる
もんでもなかったと思う。
そもそも矢の先に塗った程度の毒で効果のあるものってあるのか?
蛇毒だと可能性はありそうだけど、量を確保できるんか?保存は?
非常に困難な気がする。暗殺のような場合は可能だろうけど、戦争だぜ。
いつ戦闘が起こるかとか移動とか考えて有効なものは思いつかんぞ。
いっそ抗生剤のない時代だからな、糞尿の方が効果ありそう。
ただ鶏が瞬時に死ぬって・・・
>>828 端的に言うなら社会システムの硬直化、陳腐化と言うしかないだろうな。
長年の平和で職業軍人が事実上消滅し、文官化をしてしまっていたわけで、
四年制大学卒業してホワイトカラーになった連中が
「今年から自衛隊入って尖閣守ってくださいね」って言われるようなもんだ。
それまでの軍学だって時代に沿ったもんではなく、伝統芸能化していたわけだし。
少数の洋学通があれこれ騒いだところで、染み付いた慣習は容易に変わらんかったんだな。
調べてみたぞ、高麗軍ってことになるとアイヌと同じトリカブトか?
狩猟につかうならともかく敵を死滅させるのか?
それとも敵兵は死なんでも弱れば良しとするのか?
アコニチンの成人の経口致死量、1.5〜6mg/Kg うぃきより。
そうすると40Kgのシトで60mg〜240mg、どうやって濃縮する?
ありえねえ。経皮粘膜吸収もあるらしいが、傷つけたとしても経口より量は
多くなるんじゃねえかな。しかも取り扱いが困難。
現実的に毒矢なんて実戦向きじゃないような気がする。
降ってくる矢が全部毒入りである必要はない。
混ざってるだけで一発も食らえなくなる。
死因毒だと気付いてもらえないよ
毒じゃなくても当たるの嫌だよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
単純に衛生状態を悪くした矢を降らせて、
それであとから破傷風とかで死なせる、とかのほうがいいのかね。
しかし衛生状態が悪い矢って持っててもなぁ。
だから、人が即死するような猛毒は戦場では運用が難しいんだって!
そもそも文献には『毒矢』と書いてあるだけで、人が即死する程とか書いてないだろ。
逆に人に効く程のものなら、より小さな鶏ごとき、もっと効果が顕著に決まってる。
実戦に向いてなかったらあれほどたくさんの国で使われるのはおかしい訳で。
資料が少なくて現代人には理由がわからないだけだろうな。
第一次世界大戦の塹壕戦の話でノミしらみでかゆくて地獄みたいな話があるが
古代中世の戦争てそのへんはどうなんだろう
>>844 水がたまった塹壕で冬だと凍傷が続出したり、
足とか体の疥癬もだいぶはやったみたいだね。
>>838 だから戦場で言葉も伝わらな異民族戦争で、どうやって毒矢を伝えるの?
839が言うように効果的な演出の即行死を実際に現出しないと恐怖しないよ。
それが用量的に困難だと思う。
むしろ敵兵に紛れ込ませて恐怖を口述するステマみたいなほうが有効だな。
とにかく毒矢で有効と言われるのは理解できん。経口ならともかく、
ぶっちゃけ強力な筋弛緩薬でも血管注射で大量投与しないとテレビのように
死なんと思うぞ。だから文献の真意がわからん。
どうなんだろう。
すぐに死ななかったとしても、
相手の体調を悪くしたりなど漸次戦力が減るようにしむければ、
長期的には有効かも、と思った。
矢傷としてはたいしたこと無いけど毒のおかげで兵力削れたぜー
って都合のいいカス当たりがどれくらいあるかだな
俺もwiki見たが
>マウスのLD50は0.166 mg/kg (点滴静脈注射)、0.328 mg/kg (腹腔内注射)[8]、
>ラットでは 5.97 mg/kg(経口投与)、経口致死量は成人の場合1.5?6mg/kgと推定されている[9]。
刺した方が明らかに量少なくて済むじゃん
あと、傷が小さくても不審死したら毒だとわかるだろ
もっとも当時のことだから破傷風その他の疫病とどこまで区別ついたかわからんが
それよりも毒の生産の方が問題な気がするが…
分解されないみたいだから貯蔵はきくかもしれんが
それはそれで暗殺用の危険物を大量に貯蔵というのもオトロシイ話だ
すぐに死ななくても毒に特徴的な症状が出るから毒だってわかるっての。
昔の日本人には毒の知識何もないと思ってるのか?
注射と塗った刃物刺すだけだと全然意味が違うぞ
無作為に刺してどれだけの量が血流にのるのか定量的なデータが欲しいが
誰も持ってるわけねーな
附子は粉末にして持ち歩けるから、別に管理には困らないよ。
使う直前にペースト状にして矢の溝に塗るだけ。
そこまで頑なに毒矢を否定したい理由がわからんw
軍事的に大規模に毒を使うのは難しいって常識があるから
わからん言っても使われてたのは事実だからな。
わかるまで勉強しろよ、としか返しようがないわ。
使った記録も使われて被害にあった記録もあるんだからそんなの常識でおかしいと言われてもな
>とにかく毒矢で有効と言われるのは理解できん。経口ならともかく、
ぶっちゃけ強力な筋弛緩薬でも血管注射で大量投与しないとテレビのように
死なんと思うぞ。だから文献の真意がわからん。
この辺は大規模云々と関係ないな。とにかく何でもいいから毒矢の存在は否定したい、
という意思だけは感じるが。
>>855 毒矢を否定する理由がわからんと言ってるのに使われていたのは事実とか
返されても困るがw
効果はともかく毒矢は簡単に使えるってことでおk?
簡単かどうか知らんが使えるだろうな。
毒矢で誰が死んだの?
>>858 あー、アンカーつけてなかった。
もっと上の846あてです。
てか、クマを毒矢で狩ってるのに、何で人には効かないって話が出てくるのか
わからん。人に効かない程度の毒ならクマには全く効かないだろうに。
>>849 静脈注射や腹腔内と皮下裂傷を一緒にするなよ。出血する場合は毒を外に出す
意味があるんだよ。傷つけるのより経口の方が量が少なくて済むのか?
>>850 お前さんよく知ってるようだが、一般的な毒物の投与経路と臨床症状をおしてくれ。
猟と戦争の違いのせいだな
そりゃ何人か猟師紛れ込ませて毒使いましたってだけなら簡単にできるだろう
866 :
782:2012/10/03(水) 19:36:52.18 ID:???
>>782 で毒矢に疑問を呈した俺としては話題が広がってくれて嬉しい限りだが、
けっきょく装備率や効力についての資料は見つかってないんだね。
リーグニッツでも文永の役でも毒矢の言及があるんだから使用されたのは事実なんだろうが、
それで大量の死者が出たとか、相手が総崩れになったとか、誰か著名人が死んだって
記録はないようなんだね。
つまり嫌がらせ程度の効果しかないのかもしれんな。
そううんち投げるくらい。もしかしたら煮えたぎった油を流すくらい。
煮えたぎった油は、ぬるぬる体にまとわりつく上熱いから、
外傷的な負傷になるんじゃないのか?
鯨死ぬのは凄いな
>>869 煮えたぎった油を甘く見すぎじゃないのか?
毒矢はなかったってことでいいな。昔の人が書いたからといって
怨霊がいないのと同じ。もう議論はおしまい。
お前が納得できないから毒矢はなかったと思い込むのは勝手だが独自の結論を他人に押し付けるな
毒矢はある
少数を専門家が扱うなら特に問題無い
元軍における毒矢の比率がどの程度かは謎
毒矢で誰も著名人死んでないだろ。
肛門に鏃突っ込みゃ毒矢の出来上がり
>>877 そんなのじゃ軍用はまかなえないな。毒矢が軍用では存在しない理由になるな。
元は他の地域では毒矢の使用はないが高麗兵は宇治拾遺物語にも毒矢の使用の記述があるように
使ってたのは高麗兵でトリカブトだろ。糞は使わんよ。で肥前千葉氏の千葉介頼胤が文永の役で
毒矢を受けそれが元で後に病死したとされてるようにすぐ死ぬようなものではない
すぐに死には至らなくとも浅手の割に身体が変に弱ったりするんだろうな。
やっぱし食らったら
これは毒や!とか言ったりするのか
>>881 【審議中】
_,,..,,,,_ _,,..,,,,_
_,,..,,,_/ ・ω・ヽ/・ω・ ヽ,..,,,,_
./ ・ω_,,..,,,,_ l _,,..,,,,_/ω・ ヽ
| / ・ヽ /・ ヽ l
`'ー--l ll l---‐´
`'ー---‐´`'ー---‐´
気にくわない上官殺すのに便利そうだ
鏃にウンコとかその辺の腐った死体の肉片塗っときゃ十分っしょ>毒矢
>>884 お前絶対忍者だろ?
汚いなさすが忍者きたない
>>884 戦いが終わってから倒れて3日後に死ぬので良ければそれでOKでしょうが
戦闘が終わるまでに最低でも動けなくってもらわないと、その…自分が殺されてから相手が倒れても無意味というか…
忍者は毒ガスも使うからな。
>>863 弓で大型動物を一発で仕留めるのは難しい(銃でも手負いにしちゃう例は少なくない)
そして仕留められないと逃げられちゃう(向かってくるなら仲間全員で連射すれば良い)
毒矢は即死させられなくても獲物を弱らせるので追跡が可能になり
また逃げられちゃっても手負いが復讐してくるという危険を回避できる
対人だと、普通に矢が刺されば負傷後退するから戦闘の目的は概ね達成できる
(狩りだと殺すことが求められるが、戦争は殺しが必須ではない)
あとで死ぬかもしれないなんてのは破傷風等でも起こりうるし
ある程度以上の負傷さえ与えれば近日中に再戦の可能性もない
つまり効く効かないではなく、効いても意味があまりないのよ
毒矢を扱い慣れてれば使うだろうだろうけど
不慣れな連中にまで使わせたり、必殺の切り札としたりは考え難いねってことだろ
のちに病死したのに毒矢とはこれいかに?
千葉介頼胤って毒矢で死んでないんじゃない?
文永の役の10ヶ月後に毒で死ぬとかおかしいと思うんだけど。
破傷風とかじゃね?
ものすご遅効性の毒矢を使うものだなモンゴル帝国。すげえぜ。
さすがはユーラシアを席巻した軍事強国。
10ヶ月後に効果を発揮する毒矢を使うメリットをおれごときは理解不能だ。
つまり毒矢で死んだ著名人なんていないってことだな。
毒矢なんてなかったんじゃない?
秘孔新血愁をしらんとは
毒矢云々については、
毒が現代のわれわれの考える「毒」なのか、
どんな種類なのか、どれくらいの数用意されていて、
どんな効果があったのか、ほぼ空白なのでこれ以上語っても無意味でないか?
まったく無効果ではないが一般的になるほど有効でもない。で、もういいだろこの話題は
そもそも毒矢を話題にしたがったヤツがなんか痛いしな。
俺も早くやめてほしいわ。
柳葉刀って軍の正規の装備だったんですか?
それとも民間武術で使われるだけですかね?
中国人はよく火槍に毒仕込んでたよね
今日のお昼、ナショジオかヒストリーチャンネルで
鎌倉武士の残酷な戦いの特集を50分やってた。
鎌倉の戦死者の骨を発掘したのをなぜか白人が死因鑑定していた。
頭蓋骨の損傷や傷跡と太平記の記述をもとに
殺陣を再現していて実にえぐかった。
ただ、母子が惨殺されたシーンがどう観ても明治時代w
散切り頭は無いわーw
毒矢についての記述があるのは、特記される程度には珍しかったってことで、一部の専門部隊(恐らくは高麗兵)の仕業で良いじゃないか。
今、ヒストリーチャンネルで
「世界最強の武術 バイキング」をやってる
このシリーズはなかなかに面白い
ハンドアックスとラウンドシールドより
ロングアックス(1.8m)のほうが強いのか
投げ斧の射程は50mって言ってるぞ
>>900 支持する。
>>896 お前は何者なんだ?
お前に痛いとか言われる筋合いはない。
お前のようなやつこそカスだ。カスめ。
毒って解る物なんだろうかって思ったけど死んだ敵が毒もってりゃ気付くな
戦場には薬を持っていくものだろ、毒と薬は鑑別できないよ。だって同じだもの。
だから毒を持っていること自体解らんと思うよ。
誰かが山カンで発言したんだよきっと。これは毒だって。だから薬だったかもしれない。
>>903 そのカキコを見る限りお前がカスにしか見えんぞ。
こんなヤツが煽るからクソみたいな流れだったんだと納得できる。
907 :
名無し三等兵:2012/10/05(金) 13:13:45.64 ID:9r0VGI6O
歴史群像10月号のリッシュモン大元帥特集読むと、
パテーの戦いでもフォルミニーの戦いでもカスティヨンの戦いでも、
イングランド長弓兵は完敗してフランス騎士の乗馬突撃は成功してるんだな。
結局、指揮官次第ということか・・。
元寇を語る際に、モンゴル軍が「毒矢、てつはう」を使う世界最先端の軍隊ってイメージで
語られることは誤解を生むよな。
現在のアメリカ軍を語るように13世紀のモンゴル軍を語るのは間違ってると思う。
13世紀の軍隊にそれほど戦況を変えるほどの装備などは存在しないし、毒矢やてつはうが
元寇でどれだけ役に立ったのかは現代ではわからないんだし。
教科書とかも「元軍はこの時にてつはうという火薬性の武器も使用した」ぐらいの記述に
留めておくべきじゃないのかな。今の教科書の記述だと「てつはう」で戦況が変わったみたいな
書き方だけど。
>>884 手に穴あけて船にぶら下げられてたってのは
食用でなく、そっちの使い方かもな
手に穴だと裂けてしまって落ちるって磔の話でよく見るが何か工夫してたのかな
腕に穴をあけると骨が支えてくれるので落ちない、
とローマ時代の磔刑について研究してた人が言ってたと思うが
ソースは失念した。
中国は伝統的に自国の兵士や捕虜に苛斂誅求するからなぁ。
中国での作戦中に日本軍が見聞きした事例では、
やたらと激しく抵抗する(突撃しても退かない)中国軍がいて
苦戦し、ようやく突破して掃討したところ、中国兵が
重機関銃や砲に鎖で足をつながれて逃げられないようにされていた、
(水と食料だけ少しおいてある)というのを目にしたことがあるそうだ。
某漫画じゃないが、本当に異文化だわ。
それは朝鮮戦争でもあったらしい。米軍の報告にもある。
まあ纏足なんて文化があるくらいだからな。
孫子兵法で、兵士を逃げ場の無い状況に追い込めば団結して死ぬまで戦うと書いてあるからな。
二千年以上前に書かれた孫武さんの呉越同舟の計が今も活きているのだ。すばらしい(*・ω・)b
>>904 矢傷の事後経過を見れば分かるんじゃね?
破傷風とかの感染症とも違う傷跡になるだろうし
即効性と症状でわかるんでないかい?
トリカブトなんて野草だから間違って食べた中毒事故なんて今でもたまにあるし、現代日本人が毒殺なんてピンとこないだけじゃないか?
和歌山毒物カレー事件の林真須美とかいただろう。
いや、あれだって最初は食中毒かとかニュースでいわれてたじゃん
運動会?の炊き出しで毒盛られるなんて思わないからな。
毒殺が日常だから毒見役がいるわけで。
ナショジオやヒストリーは割とトンデモな気もするが、時々面白く見ている
>>899 当時の殺陣、もそっと詳しく!
>>902 投げ斧は5mぐらいじゃないの?
とりあえず遠くに飛ばすだけなら20mぐらいいくかもしれんけど。
>>920 自分も後半から見ただけだけど
飛んできた矢が前から頭に当たってぶっ倒されるシーンとか
笠帽つけた足軽が後ろから来た騎馬武者に後頭部から切り倒されるシーンとか
切り通しの上で弓持って待ち構える北条側の僧兵とか
脚が曲がったまま治ったびっこの僧兵が丘から降りてくるシーンとか
座らせた二人の武者を斬首するシーンとか
飛距離は50mと聞こえたんだけど
(飛ぶときは70mとも)
まあ最近聞き逃しが色々と多いから自信は無い
>>909 あれは後に教祖になったデンパの妄想記録だろ
ようはグラディウスだから
どうせカメの甲羅使ってるような離れ小島のネタ武術だし
相手を目隠し状態にするには盾はもっと大きいほうがいいんじゃないだろうか?
それティンベーとローチンじゃないし。
>>925 それはひどいなぁ。とはいえ、琉球の武術なら仮想敵は日本中国の兵士だと思ってたけど
こういう武器で侍の相手してたのかな?
>>928 バックラーとかいうヤツですか? 珍しい物を見せていただき感謝。
薩摩統治時代は琉球のサムレーも示現流習ってたみたいだね
>>930 純粋な軍事用というよりは、護身術の類じゃないか。
あとは、水軍戦とか。
護身のために亀の甲羅を持ち歩くのか
軍隊で使うにはカメさんを何千匹も虐殺するハメになるし、現実的じゃない。
動物愛護団体に抗議されるぞ。
猫を盾にしたのはどこだったっけか
亀を信仰している地にこのティンベーをかざして攻め込めば負けはないな。
>>937 むしろ何故最初からこういう盾を使わないのか
琉球の鎧って確かまんま日本の胴丸鎧だったような。
お手頃な素材の一つが亀甲だったんだな
鍋蓋でも可みたいに言ってるしw
塚原卜伝はティンベー術の使い手でもあったのか
>>935 ヨーロッパ原産の某古代ローマ時代戦略ゲームで軍用犬とか軍用?豚が出てくるんだが
アレは本当に使われてたんだろうか
>>943 軍用犬は使われたよ。
会戦で敵兵に食いつくのが目的ではなかったと思うけど。
豚はわかんないな。
>>944 豚は保存食に決まってるw
餌食わせてる限り腐らない食料
冷蔵技術のない時代だからな
いやいや冬になる前に屠殺して干し肉にするよ
>>945 946
ちょっと補足すると
冬に豚の餌(野草や虫)が少なくなる
→豚の数減らすことで餌確保かつ冬は乾燥し干し肉作りに最適
培ってきた知恵だよ
>>944 夜営中の番犬
もしかしたら癒し要員かもね、船に猫連れてく的な
しかし豚には悪魔が宿っているのだよ。
などという迷信を蛮人たちは素直に信じており
異端審問にかけるべきである。
なお、我々の武器は三つ
四つじゃねえか!
ティンベー術って武術だからスレチな気がするのだがどうかと質問してみたい気がす
カメ(笑)で薩摩島津軍と戦った兵士とかがいればおk
どうなんだろうねぇ。
琉球甲冑って、ほぼ日本式だろ。
実際実戦ではカメとか使わないんじゃないのか?
琉球が三国に分かれて戦ってた時代とかはわからんけど。
まあ、関が原なり大阪の陣なりを鎖鎌で戦った奴って聞いたことがないからねえ
鎖鎌とかなー、
分銅飛ばしても相手が甲冑着てたらよほどピンポイントで狙わないと
ダメージ与えられないし、鎌で攻撃しようにも、
刀、槍、ちょっと特殊だが金砕棒にも攻撃や防御で劣ってるし。
ローマの剣闘士の装備は実戦ではまるで使ってる奴がいない
ってのと同じだわな。網闘士……。
亀の甲羅なら腐るわけじゃないから戦争に使ったほど数あれば遺物が残ってるんじゃないの?
これがご先祖様が使ったティンベーだよめんそーれってのもなきゃ変だし。
沖縄県民が「ねーよナニそーれ」って言えば終わりじゃないのかな。
亀の甲羅って、実際防御力どの程度なんだろうね?
木よりも使い勝手がいいのだろうか。
>>960 いやだから、防御より相手への目隠しなんだって
>>962 だとすると、あの甲羅で相手の視界をふさげるほど接近してからが本領?
弓、槍はもとより、太刀が相手でもふさぐ前にぶった切られないか?
おもろそうしより
『立派な甲冑を着けて、牛の描かれた楯と色塗りの鉾を取り、敵の見事な城門を攻め立てて』
流派によっては青竜刀も使うみたいだし、単に盾術が武術として細分化されたものじゃ?
亀の甲羅は当時の琉球では盾に最適だったんでしょ。鉄が豊富ならさすがにそっち選んだろうし。
ティンベー=盾なら、実戦では使われた、でどうだろう。
相手への目隠しというか、要するにパリィして致命の一撃だろ
目隠しありきじゃなくて、小型盾の戦法のひとつなだけ。盾はあくまで防御の道具。
物理的に攻撃防ぐのも防御、視界塞ぐのも相手の手を止めるという防御。
対人だとラグがあるから難しいだろ
小型盾は、決闘では結構有効な防具だとおもう。
亀甲の硬度は気になるけれど、刀で破壊できるとしても、よほどの達人だけではなかろうか。
>>933 亀甲を持ち歩くのか?という指摘もわかるが、ストリートファイトに備えて
小型盾を持ち歩く習慣はヨーロッパにはあったわけだから、治安状態に応じて
携行することはありうると思う。
小型盾は、決闘では結構有効な防具だとおもう。
亀甲の硬度は気になるけれど、刀で破壊できるとしても、よほどの達人だけではなかろうか。
>>933 亀甲を持ち歩くのか?という指摘もわかるが、ストリートファイトに備えて
小型盾を持ち歩く習慣はヨーロッパにはあったわけだから、治安状態に応じて
携行することはありうると思う。
佐藤ティンベー
>>969 >>901-902でやってたんだけど長柄を両手で持って
盾の下をこづいてから上のほうを狙うと楽に倒せるとか、
小斧と盾の組み合わせは長柄に全く勝てないかのような
じゃあ、小斧と盾の長所はなんだってことになるんだが
亀の甲羅ってどれくらいの硬さなんだろう?
>>972 狭いとこ。密集戦。携帯性。投擲兵器からの防御力。
基本的に軍陣の白兵戦で長柄が強いのは認める。
逆に、長柄は物騒なので、多くの社会では治安上日常的な携行を取り締まられる。
例えば律令制時代の日本では鉾は軍用の武装として、個人所有を禁止された。
携行性の面では、例えばイングランドの長弓兵は、ロングボウの他に
ソード&バックラーを携えることが多かった。長弓と長柄は両立は困難。
ゲルマン人の装備は詳しくしらんが、たしか、多くは投げ槍(投げ斧)、盾、片手武器だったはず。
盾を持たない長柄兵にとって、投槍、投げ斧、投石はかなりの驚異だったはず。
>>973 具体的な硬度はわからなかった。
予想だけど、
鮫や鰐やライオンから身を守れるくらいだから刺突にはかなり強い
カルシウムが主成分で割れやすいだろうから、斧やハンマー等の攻撃には弱い
戦斧子盾で受けるやつもいないだろうけど。
つうか、亀の甲羅を用いる場合はその亀の種類がわからんとダメでなかろうか?
クサガメ〜海ガメまでいるし。
毒ってもペルシャ、パルティア、ローマみたいに蜂、毒蛇、サソリ等をツボにぶちこんでお決まりの投石機で敵陣や突撃してくる兵に使用すりゃ、効果はあるだろ。
あっちのほうのサソリや毒蛇はエゲツナイのが沢山いるし。
>>976 さすがにティンベーに使われるのはウミガメではなかろうか?
>>976 沖縄に大型のクサガメはいないが、ウミガメは食用に捕獲されておる。
ウミガメである必要はないだろうが、自然とウミガメの甲羅になると思う。
武器の優劣ってのは、単純な性能だけでなく、地域に応じた素材の入手難易度や
メンテナンスコストも関係している。
素材を輸入に頼り、加工の手間もかかる金属盾よりも、漁師を通じて入手でき
加工の手間も少ない亀甲は手軽な防具になったんではなかろうか。
>>977 想像するだけで恐ろしい
俺なら毒虫、毒蛇攻撃受けたら速攻戦意うしなうわ
強力だけどそれこそ管理が大変だな
普段から準備するにしろ、戦時に一気に集めるにしろ自軍の方が被害多そうで
蟲毒にしたら強そう(小並感)
>>981 ビビりすぎだろ。後の軍隊は火薬やガソリンなんて危険物を使いまくったというのに。
黒色火薬よりは全然安全だよなあ
火縄銃の頃だろうな、自軍の装備によって一番危険になっていたのは
甲冑着てる相手にはあんま効果ないんじゃないか?毒虫。
戦場にばらまかれても踏んだり避けたりすりゃいいしあんま脅威に感じないなあ。ちょっとしたパニックにはなりそうだが。
虫の毒はただが知れてるから蜂の巣投げ込むぐらいしか意味が無いよ
甲冑に入り込んだらやだなあ
戦術としてはビー級じゃね?
蠍には強力な毒を持つものもいるが、大半はミツバチ程度の毒しか持っていない。
蜘蛛の毒は更に弱く、有名なタランチュラでも、命に関わるものはない。
(ただし真偽不明だが、最大級のゴライアス・バードイーターで一件ある)
後家蜘蛛でようやく子供を殺せるかどうかだ。
毒が強くて大型の、日本産オオスズメバチを、巣ごと撃ち込む方が効果ある。
オオスズメバチの巣を常に確保しておく必要があるな
オオスズメバチこそ管理不能の極地だな
まず飛ぶやつは駄目だ
殺せなくても無力化できればいいじゃない
毎年毎年、三十人以上の犠牲者を出している有毒昆虫は日本のスズメバチくらいだ
スズメバチの恐ろしさは、その毒もそうだが、圧倒的な数だろう
群に襲われたらまず逃げられないからな
スズメバチもいいが、そろそろ次スレよろ
普段はツボに入れておいて、
投げると割れるようにすればよさそう
うめ
1000なら文明崩壊で古代技術レベルから歴史やり直し
ここ埋める前に次スレで蜂の話してしまったw
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。