[武士・騎士] 古代・中世 軍事総合05[弓・刀・馬・船・城]
1 :
名無し三等兵 :
2012/08/20(月) 05:39:43.93 ID:??? 軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
900を踏んだ人は次スレを立てて次スレへの誘導レスすること。
950過ぎても次スレが無ければ気が付いた人が次スレ立ててください。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2 以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士・騎士] 古代・中世 軍事総合04[弓・刀・馬・船・城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1341667634/
2 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 05:47:47.43 ID:???
3 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 05:49:45.95 ID:???
>>ALL スレは埋まる前に次スレを用意して、次スレへの誘導レスをお願いします。 前スレはすでに埋まっているので状況開始!
4 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 06:24:14.35 ID:???
5 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 06:24:49.85 ID:???
6 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 10:33:43.19 ID:WwHjWs4u
中国では剣道や弓道みたいなスポーツはないんですか? 流派が多すぎてスポーツとしては統一されてないとかですか?
7 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 11:04:51.57 ID:???
この人に聞けばわかるかもな。5日も経過すればもうさすがに 自分で調べたりして知ってるだろうし。 889 :名無し三等兵:2012/08/15(水) 13:40:33.74 ID:??? 日本の剣道・弓道に相当するスポーツは中国にはないのですか?
8 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 12:05:57.55 ID:0iqBLG89
太宰府は藤原純友にもあっさり占領されているから、 唐の大軍が攻めてきたら持ちこたえられなかったと思われる。
9 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 12:07:24.56 ID:0iqBLG89
998 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 20:02:14.42 ID:??? ぶっちゃけ日本の城なんて、『城』とは名ばかりの、切岸の上に柵を並べただけの砦が多い。 それで困るか? と言えば、必要なら垣盾を並べて、臨時の壁にするから問題ない。 そもそも砦の意義も、そこに立てこもるためと言うより、地形を利用して有利な状態で敵を迎撃するため。 だから切岸の高さは、そこから堀の底に落ちた敵を、長槍で突ける程度しかなかった。 逆に言えば、立てこもる為の本格的な城は、切岸に石垣を並べるし、柵ではなく漆喰の土壁になったりする。 鉄砲が発達してくると、柵と垣盾だけじゃどうにもならないしね。 だから関東以北では、戦国末期まで、結構な数の『土の城』が残っていた。 それを極限まで洗練させたのが、武田氏であり北条氏で、丸馬出しなどに特徴が見られる。 999 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/08/19(日) 20:23:56.08 ID:??? 日本の城は基本的に有利な地点の戦術拠点であって 欧州や中国の城市みたいに絶対堅持じゃないもんなあ
10 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 12:39:46.64 ID:???
中国の城は、ハンチクを使った、 いわゆる土焼き煉瓦を土塀の周囲に積み上げた工法。 あまりイメージ通りの代物ではない。 西洋の城は大砲出現までの間は、石を高くつみあげたもの。 それに対し戦国時代の日本では、山城から発達した経緯から、 山を切り出すか、土を盛り上げて山を作り、そこに拠点を構築するやり方。 壁は崩せても山は崩せないという発想。 実際、島原の乱でも薩英戦争でも、外国船がかなり本気で砲弾を撃ち込んでも 城そのものには効果が薄かった。 熊本城も耐えているし。 世界に稀に見る強靭さを誇る拠点だよ。
11 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 12:40:13.64 ID:???
中国のスポーツ格闘技は、散打や制定太極拳、南拳などで、武器を使った物は表演ばかり。 ただし、試合形式がないかと言えば、昔は流派を超えて戦う試合があった。 武器は白兵ならなんでもあり、刃引きした真剣でやったそうな。
12 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 12:54:04.70 ID:0iqBLG89
>>10 > 実際、島原の乱でも薩英戦争でも、外国船がかなり本気で砲弾を撃ち込んでも
> 城そのものには効果が薄かった。
> 熊本城も耐えているし。
西南戦争の時の西郷軍がアームストロング砲を持っていればどうなっていただろうね?
13 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 12:58:14.40 ID:???
戊辰戦争のときの会津は佐賀藩のアームストロング砲でやられたけど 落ちなかったな。
14 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 12:59:58.02 ID:???
>>12 アームストロング砲って暴発も多く、
だからこそ日本に大量輸入が決まったんじゃなかったっけ?
薩英戦争での英国側の死者はかなりの部分が暴発だっただろ。
15 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:03:39.25 ID:???
16 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:08:05.39 ID:???
どうでもいいんだが、 大鎧って昔は、当世具足の劣化版だと思っていたんだが、 「大」鎧の名の通り重量も半端なかったみたいだね。 しかもそれを腰と肩で支えるのではなく、肩だけで支えるような構造 だったから、馬から降りて軽快に戦うのはほぼ無理だっただろうなぁ。
17 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:14:21.76 ID:???
>>8 太宰府って、地形的にそんなに強固な場所じゃないでしょ。
九州に拠点を置くなら、久留米から山側というのが、弥生時代からの江戸時代までの常識じゃないかと。
つまり、あれはキャッスルじゃなくてパレスなんじゃないかと。
18 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:18:38.15 ID:???
19 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:26:35.36 ID:???
物によるんじゃ? それに26kgとしても15〜6世紀の当世具足、西洋の全身甲冑の 15kg前後に比べてもやっぱり重いと思われる。 しかもそれを肩だけで支えるのはしんどいなぁ。
20 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:31:32.44 ID:???
西洋のプレートアーマーは18〜25kg程度が多いそうだぞ
21 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:42:49.08 ID:???
大鎧は20〜30kgらしいから平均とると若干重いのかもな
22 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:50:52.58 ID:???
23 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:52:19.53 ID:???
15世紀イタリアの甲冑は15kg前後だったと思うが。 飾り用の甲冑は確かに重いけどね。
24 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 13:59:06.63 ID:???
同じ赤糸威大鎧のようだが、こちらの記事だと重量は30kgとなっているね。
ttp://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/b7794e8eed2b052243c95c7664c6d8b3 奈良市の春日大社は30日、源義経が奉納したとの言い伝えもある、所蔵する国宝「赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)竹虎雀飾」(鎌倉時代後期、高さ135.5cm、重さ約30kg)の保存修理が終わったと発表した。
冑(かぶと)や胸板に竹や雀の透かし彫りが施され、表面は茜染めの絹糸を組紐で編んで仕上げられ、両袖には虎と竹の金色装飾がある。 その豪華さで日本一の鎧といわれる。
下半身の防御部分の前草摺(くさずり)の糸の劣化などが激しく、昨年5月から東京国立博物館修理室で、270か所を鹿革の紐で補強し、ほこりを落とすなどの修理が施された。
修理を手がけたのは国選定保存技術保持者(甲冑修理)の小澤正実氏(東京都北区)。
4月1日〜7月31日に境内の宝物殿で特別公開される。
また、4月16日(日)午後1時から、同修復記念シンポジウムが春日大社・感謝共生の館で行われる。(有料)
[参考:読売新聞、産経新聞、春日大社HP]
25 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 14:01:22.75 ID:???
26 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 14:01:25.22 ID:???
まぁ、
>>20-21 を総合すると、
大鎧の重量25kg前後、西欧のプレートアーマー15kg-25kg前後とすると、
まぁ平均して大鎧はやはり重め、ということにはなるんかね。
騎乗だと鞍で重量を支えられるから大丈夫だったみたいだ。
徒歩戦は腰でも重量を支えられる胴丸が流行るまで厳しかっただろうなぁ。
27 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 14:05:11.12 ID:???
28 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 14:07:13.04 ID:???
>>18 40kgって、
太刀や弓矢に、矢筒とかすべてあわせた重量なんじゃね?
29 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 14:08:27.73 ID:???
確認できた範囲で、鎧兜のセットで 25.6kgってやはり結構重いな。 実用の範囲で(騎乗が前提だと思うが)使う鎧としては 重量は上限に近いんじゃないかなぁ。
30 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 14:12:29.81 ID:???
31 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 14:16:28.13 ID:???
馬格と体格考えるとよく日本人と馬が耐えられたと思うがな 馬甲の差かな
32 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 14:19:29.84 ID:???
>>30 >ただ、大鎧は12〜6世紀だろ。
16世紀に大鎧って実用品だったの?
33 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 14:46:14.23 ID:???
>>31 逆に日本の馬は脚が太く短く蒙古馬みたいな奴だったので、
重量には強かったんじゃないかね。
>>32 確か島津家は戦国時代になっても大鎧を着用して
戦場に現れた奴がいるとか。
前線で使っていたわけではないと思うけどね。
34 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 15:27:03.82 ID:???
そういや蒙古の重騎兵ってどのくらいの重さの鎧着てたんだろ。
35 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 15:41:07.42 ID:???
オスプレイの「十字軍の軍隊」によるとグレートヘルムは7〜9キロ。
もう少しデータが欲しいが、十字軍時代の西欧甲冑は
>>30 が言うよりも
もっと重いかもな。
36 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 15:56:22.72 ID:???
>>30 は盾も忘れてるよ。下にあるような盾は5〜10ポンドのものだったという記述を
信じて重めに見積もると鎖帷子10+グレートヘルム9+盾4.5キロ=23.5キロとなり
それほど大鎧と変わらなくなってしまう。
http://www.myarmoury.com/talk/viewtopic.php?t=5409 They vary a great deal. Medieval period shields weighed between 5 and 10 pounds.
I have an exact copy of the shield of the Black Prince and it weighs about 8 pounds.
37 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 16:32:40.89 ID:???
中西立太の日本甲冑史に、大鎧の小札のほとんどは皮革で 鉄なのは重要部だけ、理由は重さと価格ではないかと記されてた これが時代が下るに連れて打ち物対策で鉄使用率が増し ついには鉄製小札の大型化でプレートアーマー化していったとしてる だから重量は千差万別なんじゃねえかな
38 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 17:30:50.80 ID:???
革小札だと現物が残り難そうだな。
39 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 17:34:15.76 ID:???
そうすると、大鎧を着た鎌倉武士と、 中世騎士団の装備は重量的には実はほぼ同じくらい、 少なくとも巷でよくいわれる「西洋の騎士は重武装、武士は軽武装」 というのは間違い、というところまでは正しそうだな。
40 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 18:19:37.39 ID:???
あと鎌倉期には重量を腰で負担するようになってたとのこと 小札の小型化で腰を絞った形状にしやすくなったことで達成されたらしい
41 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 18:28:39.83 ID:???
おぉ、すごいなそれ。 地味に改良されてたのか。
42 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 18:56:01.28 ID:anhU5UYO
日本は高温多湿だから、紀州などでは 「夏いくさはカブトだけかぶって戦う」 こともあったという。
43 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 18:58:13.30 ID:???
ロンドン五輪も涼しそうだったな
44 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 19:25:58.19 ID:???
素肌武者ってのもいたな。 大阪城に立てこもってた側のやんちゃな若い上方の侍衆が、 兜だけのっけて刀を振り回して攻囲側を襲ったりしてたとか。 兜だけのっけてるのは首とられたときに恥ずかしくないようだったかな。 いずれにしても日本みたいな気候だと、 さび止めも塗ってないわ蒸れやすそうな形状をしてるわの 西洋甲冑は使い物にならなさそうだ。 中世期の鎖帷子とかは矢に簡単にぶち抜かれて終わりだしなぁ。
45 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 19:54:26.73 ID:4dd7mqMV
いくさの勝敗を甲冑になど頼ってはならん。 名作之刀さのみ被好間敷候,其故は万疋之太刀を持たり共百筋之鑓には勝間敷候, 万疋を以て百筋之鑓を求百人為持候は一方は可防候。
46 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 19:57:39.06 ID:???
早漏
47 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 20:11:23.02 ID:???
鎧なしだと流れ矢一つで終わりそうだけどな・・・ 源平んときも軍資金のために鎧売り飛ばして先陣切ったのが居るけどさww
48 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 20:14:17.36 ID:???
49 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 20:28:19.03 ID:???
陣内博打で鎧を失うのが少なかったらしいw まあどこも博打は禁止するわけだが
50 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 20:58:38.32 ID:???
フルチンでもいいから兜だけは被っとけ
51 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 21:12:58.57 ID:???
少なかったらしいじゃねーよ 少なくなかったらしいだ
52 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 21:51:47.10 ID:???
明日死ぬかもしれないとなれば、酒、博打、女に走るのは人間だからな。 禁止しても守られた試しがどこもない
53 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 21:56:05.42 ID:???
西洋甲冑着込んでたらぎらぎら太陽を反射して、 敵から見つかりやすいわ熱いわでわけわからないことになりそうだねw
54 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 22:09:37.42 ID:anhU5UYO
>>53 家康はスペイン製の鎧を着たことがあったはず。
夏は回避したんだろうか?
55 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 22:16:30.17 ID:???
それは体部分や、兜部分だけスペイン製をとりいれたりした 南蛮甲冑じゃない? 完全に全身すべて南蛮甲冑にしたって例ってあったっけ?
56 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 22:20:04.16 ID:???
57 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 22:31:31.90 ID:???
>>53 てか漆塗りで真っ黒の日本の甲冑だって陽光にさらされたらそれだけで拷問だ
58 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 22:35:54.45 ID:???
そのかわり日本製はいい部分に隙間があるので、 そこからある程度熱気は逃げるだろ。 西洋甲冑も隙間はあるが……。 よく考えたら鎖帷子に上衣の武装って、 中東でも大丈夫なようにああなったのかな。
59 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 22:43:14.45 ID:???
糞寒い雨の中あんな鎧着て走り回るとかやってられん 十字軍もあんな鎧着てよくやったもんだ
60 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 22:46:06.75 ID:???
バケツヘルメットとか砂漠の熱気で昼は蒸し風呂だろうし、 夜はさぞかし寒かっただろうなぁ。
61 :
名無し三等兵 :2012/08/20(月) 22:47:40.86 ID:???
夜戦なんてあったのかね? 流石に夜は脱ぐんじゃないか
62 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 05:31:51.41 ID:???
モンゴルあたりは防寒もかねて毛皮 東南アジアだとハダカなイメージ
63 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 05:45:41.80 ID:???
東南アジアは籐の鎧とかあった 軽くて風通して丈夫
64 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 06:18:00.50 ID:???
65 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 06:18:06.89 ID:nGA8JM+I
>>61 夜襲はあったはずだが、夜襲は軽装で行われることもあったのではないだろうか?
66 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 06:30:47.57 ID:???
仕掛けられる側の歩哨とか不寝番みたいなのは完全装備で待機じゃね?
67 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 06:37:23.91 ID:???
>>64 「藤甲鎧」は基本的に、虎や豹など野獣との戦いに備えて
猟のために作られたもので、防御力は弱い。けどあの高温多湿の環境下では
軽くて通気性のいい鎧じゃないと人間が耐えられない
68 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 06:43:50.92 ID:???
対弓だと漆の多層コーティングがめっちゃ強力なようだが 他国では樹脂系表面コーティングによる複合装甲化はやってないの?
69 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 08:01:41.74 ID:KbqjwHjO
>>67 高温多湿で竹も多い日本で、夏用の竹ヨロイが普及しなかったのはなぜだろう?
70 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 08:32:44.51 ID:???
竹胴はなかったっけ? 幕末で竹刀稽古やってた人が実戦でも着用したとか聞いたような。
71 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 11:10:28.64 ID:???
竹は割れるから衝撃吸収にはいいけど耐久性がないんでないかな 一回打ち込まれただけでばらばら割れるとかいやじゃん だから防具としては消耗品の竹束ぐらいとか 青竹なら水分含んで多少割れにくかろうが、鎧には使えんしね
72 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 11:22:12.13 ID:???
日本では盾が普及しなかったしな
73 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 12:46:58.36 ID:???
古代以降で盾が普及した国なんて無いだろ 古代なら日本にも盾はあるぞ
74 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 12:58:34.52 ID:???
サクソンとか盾使いまくりじゃん
75 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 13:34:56.20 ID:???
日本の場合、接近戦では甲冑+長槍が最強ですかね?
76 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 15:04:52.45 ID:???
手盾というのは一応あるにはあったんだが、 どうやら明らかに古代軍団制の歩兵が盾と矛を持って陣を組むより、 盾もセットになったような大鎧を着た騎馬武者と 長巻を持った雑兵の組み合わせのほうが強かったみたいだ。 鎌倉時代以降は置き盾に以降してたようだから、 これは私見だけど盾を前列に並べた陣形のほうが強かったんじゃないかな。
77 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 15:05:44.36 ID:???
>>75 朝鮮半島での日本軍の活躍ぶりを見る限り、
盾と短剣だったり盾と柳葉刀を持った中国兵、朝鮮兵より強かったと思われる。
78 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 16:07:22.84 ID:q4Ms892q
>>73 > 古代以降で盾が普及した国なんて無いだろ
水軍は、矢を防ぐために板みたいな盾を常備していなかったっけ?
79 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 16:08:51.68 ID:???
80 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 17:29:58.64 ID:???
スペインもそうだし、高麗兵とか中国兵も手盾使ってたかな。 スイスの斧槍部隊は盾使ってなかったっぽいが。
81 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 19:11:23.45 ID:1RbmndLq
82 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 19:20:57.83 ID:???
おおー! 戦列歩兵と、槍と盾の戦闘って凄いな。
83 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 19:24:08.21 ID:???
だいぶスコットランドを馬鹿にしてる絵のような気がするがw 見てて思い出したが人は攻撃するとき基本的にものを振り上げるんだそうな 銃剣持っててもつかずに振りかぶってしまうという
84 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 19:41:05.60 ID:???
>>82 スコットランド市民の蜂起に過ぎないから、武装が貧弱極まりないのは仕方ない。
そもそも、実際は鋤や鎌といった日本の一揆勢とさほど変わらない装備が大半だったみたいだしねぇ。
85 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 19:56:55.49 ID:???
専門職の白兵戦士による大規模戦闘ってズールー戦争が最後?
86 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 20:00:15.08 ID:???
西南戦争とか戊辰戦争で、 結構大規模な白兵戦やってなかったっけ。 しかし専門職の白兵による白兵戦ってなるとどうなんだろう。 アヘン戦争とか?
87 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 20:08:55.28 ID:???
88 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 20:09:52.14 ID:???
義和団事変の義和団とか白兵戦専門じゃないか?
89 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 20:14:22.33 ID:???
専門職はまた違うんじゃあ 白兵自体なら塹壕戦やれば最後は白兵戦になるけど
90 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 20:33:14.17 ID:???
そういえば第一次世界大戦でも、 鎖帷子と兜かぶって、スパイクつき棍棒で陣地を襲撃する 専門部隊があったなw
91 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 20:43:27.52 ID:???
>>88 北清事変は英米だとあっさり「Boxer Rebellion」だからなw
身も蓋もね〜w
日本だとちょっと格好良く「拳匪の乱」なんて言ったりもするが
92 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 20:58:07.02 ID:???
警視庁抜刀隊はまぎれもない白兵戦専門部隊だな。 あとはWWTのときのイタリア陸軍アルディーティとかか。
93 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 21:08:30.76 ID:???
役に立たん鎧を配備したイタ公か 他の国の鎧は役に立ったんだろうか
94 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 21:28:10.17 ID:???
95 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 23:29:23.76 ID:???
96 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 23:30:01.97 ID:???
97 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 23:46:53.17 ID:???
98 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 23:49:09.93 ID:???
99 :
名無し三等兵 :2012/08/21(火) 23:50:02.49 ID:???
なんだ、ありがたいって一回書き込んであったのかw 時間差で変なことやって申し訳ないww
スレタイに色々入ってるから検索に引っかかりやすくてありがたいんだが、 槍も入らないかな?弓馬槍剣とか弓馬刀槍とかの熟語もあることだし。
>>100 スレタイはあんま長くしすぎると立てるときに跳ねられる
現状でもギリギリだと思う
やはり無理か。まあこれ以上を望むのも欲張りすぎだな。
船の代わりに槍でもいい気がする
>>85 > 専門職の白兵戦士による大規模戦闘ってズールー戦争が最後?
黒溝台会戦で弘前師団が夜襲をかけた時にはほとんど白兵戦ではなかったか?
専門職の白兵戦士っていう話だから、 もしかすると白兵戦しかしない職種を想定してるんじゃ? 警視庁抜刀隊とかは完全に白兵戦職種だがw
銃剣・スコップは無しにしてもけっこうやってるな
戦争において銃器や砲弾等で完全に敵を殲滅するってのはかなり新しい思想なんだな。
110 :
名無し三等兵 :2012/08/22(水) 11:44:44.96 ID:doI5o68R
>>100 軍事板ではスレタイ文字数48バイトという制限がある
他の板ではスレタイは長くてもOKなところも多いのだけど
軍事板は2ch最初期のころに作られた板なので
板設定が初期設定のままでスレタイ文字数制限が非常に厳しい
実際には砲弾だけで敵を殲滅するのは非常に困難。 旅順総攻撃が成功したのは28サンチ砲による誤射を恐れずに銃剣突撃したためだし、 ジョッフルによるシャムパーニュ会戦でも、ファルケンハインによるベルダン総攻撃でも、 地下や死角に潜る敵兵を砲弾だけでは全滅させることはできなかった。
爆撃と艦砲食らわせてもそれだけで日本軍全滅とはならないしな
>>83 正規軍のスコットランド兵もアメリカ独立戦争の頃までは盾を装備していたよ。
普段は背中に背負っていて、白兵戦では盾と剣(クレイモア)を使用することも多く、白兵戦慣れしていないアメリカ兵は悩まされたと。
どれ位悩まされたかと言うと、指向性対人地雷の名前にクレイモアと付けてしまう位w
それとも、フレンチ・インディアン戦争の時の様に味方に居てくれたら心強いと思ったのかな?
強かった敵とか印象深いものの名前を アメリカ人は残す傾向があるなw そういえば、古代の戦争とかいう本で、 大砲を抜きにするとアレクサンダー率いるマケドニア軍が ナポレオンの戦列歩兵と戦ってそれなりの勝負になる可能性があるとか言ってたな。 理由として挙げてたのは、戦列歩兵の有効射程は何だかんだで長槍とあまり 変わらないことなどあげていたが。 さすがに散兵に撃たれまくると大砲抜きでも近づけない気がしてならない。 何だかんだ白兵戦になると、結局剣や槍の勝負になりがちだから何とかなるのかもしれんが。
スペイン語圏で今もアニバル(ハンニバル)って人名があるけど やっぱ敵の強い将軍にちなんだのかな?まあ、イベリアは元カルタゴ・ノヴァだし 親しみがあるのかね? イザベルなんかも旧約聖書じゃフェニキア女の名前であまりいい役回りじゃないが 不思議と現代でも人名でよく使われるよなあ。
話題ぶった斬ってすいません。 戦国時代の槍には足軽が持つ二間から三間もの長さがある長柄と、騎兵や徒歩組が持つ九尺前後と短い持槍がありますけど、どうしてこうした分化が生まれたのでしょうか? 素人に毛が生えたような奴もいる足軽が短くて扱いやすい持槍を使い、職業戦士である武士が長柄を使うのならまだわかるのですが。 素人でも長柄の方が強いなら、武士も長柄を持った方がいいということになりますし。 長柄=広い場所での野戦専用 持槍=城攻めなどで狭いところにも入っていける ということなんでしょうか?
エッジの尖り方が鬼ヶ島とか鬼岩城的な何かだなw
>>118 レッドデビルみたいに悪魔を自称する集団みたいな感じなのかなw
>>119 足軽のは集団戦闘用、号令に合わせて構えて叩くのが基本なんで長いほど有利
武士のは個人戦闘用なので当人が扱いやすい長さになってる
藤堂高虎だったかが槍の長さが不揃いな部隊は手練ればかりだから用心しろって言い残してるな。
>>119 相手との戦闘距離が短いほど
訓練に時間がかかる
人間はいろんな行動とれるから
戦闘距離が長いほど訓練時間は短くて済む
>>125 手練が各自使いやすい槍を使ってるからってことか。
ということは、装備を統一した足軽部隊よりも、 個人が好きな装備をしている部隊のほうが厄介な可能性がある、ということか。 単に統一装備を支給できない国の可能性もあるけどもw
まぁ俺も剣道とかいくつか近接して戦う武道をやったけど、 刀や槍にしろ、柔術にしろまずまともに立ち会えるようになるまでの 訓練が長くかかり、そこからさらに相手と戦って勝つ、という訓練までは 本当に長い時間がかかると思った。
訓練時間の長い武器は徴兵徴兵徴兵!の総力戦では使い物にならんからな。 平和な時代は細々残るが大戦争期に一気に廃れていく。
鉄砲が流行ったのも弓よりも扱いが楽だったのだろうかと考えてしまう 弓よりも威力安定するし
日本の弓は強弓だから、 引けるようになるまでと、狙って撃てるようになるまでに かなりの時間がかかるんでは。 鉄砲が簡単とはいわんけど、弓と違ってフィジカルな強化は さほどいらないからなぁ。
>>131 全然違う。
弓は年単位の訓練でやっと人並みに使えるようになるけど
銃は10〜20日訓練すれば戦場に出れる。
日本って盾持つ専門の兵科がなかったっけ?
長柄足軽は敵に勝つことは求められない。バリケード、柵代わりで敵のウマの突入・奇襲を阻止できれば一応目的を達成できる。 しかしウマに対する防御用としては手槍の熟練武士10人より長柄を持った素人100人の方が強いかもしれない。 一人ではこわくて突撃できない奴でも集団の中にいて攻められてるときには必死で戦う。 ただし集団が崩れるともうどうにもならない。
長柄足軽は数の上で主力でもあるから当然攻撃前進はするけどね 二間ー三間槍って3.6-5.4mの重い釣竿みたいなものだから結構ふらふらする。 それを周りとぶつからないように隊列を維持しつつ前進するとかなりゆっくりになる その鈍重さをカバーするのが徒歩武者隊なんだろうね 長柄足軽の混戦時の助太刀と戦線突破とか敵敗走時の追撃とか 騎馬武者と使い分けつつ パイクで突撃かけるスイス槍兵って大概だな
パイクの柄は樫棒だっけ?竹をはじめとする複合素材でできていてしなりやすい日本の長槍よりは移動時の 持ちやすさは上だろうな。
その分重いぞ
その何百年か前に、 スコットランド得意の長槍でイギリス騎兵に突撃した例がw 当時はクレイモアというより、長槍によるシルトレン戦法のほうが 一般的だったようだ。
>>138 足軽の槍も樫が芯材だから、そんなに大きくは変わらんだろ
凄いな。ローマの長槍軍団はゲルマン騎馬に苦戦してるのに
まぁ、スコットランド軍は橋を渡ったばかりで行軍隊形の イングランド騎士団に長槍部隊で突撃して破った、という感じ。 それ以降イングランド騎士団は、状況に応じて馬から降りて戦うようになった。 そういう戦術もいつまでも通じるはずがなく、 スコットランド長槍部隊は射すくめられたところを歩兵の攻撃で 壊滅させられたりするようになってしまう。
そうかあ、チンギスハーンの弓騎兵に動きとめられて重騎兵に蹂躙されるのと同じなんだな
重騎兵て書くとなんか強そうなお馬さんに乗った兵士のイメージだが 重機兵て書くともう異次元のヤバさ
そりゃ、ユンボで攻められたら勝てない
鉱石運搬用の極大トラックが戦列歩兵をミンチにしていく様を想像した
アーマードトルーパーが方陣の角の大砲にボコボコにされる様を想像した
じゃあ銃騎兵で
単に重装歩兵の密集陣って、火力を持った騎兵に対し弱点が多いのかもなぁ。 重装歩兵だけだと、軽快に動き回る騎兵を積極的に攻撃して壊滅したりできないものね。 ただ密集して突撃してくるだけの騎士的なものを待ち構えて 槍で叩き落とすには歩兵のほうがいいんだとは思うが、 周囲を駆けまわって弓で射かけられるときついね。 元寇でも、主力支援のために上陸した側衛の高麗歩兵2000名が、 騎馬武者200の襲撃で壊滅してるしね。
だから古代から重装歩兵の両脇に騎兵がいるんだよ。かの名将ハンニバルでも、騎兵の優位をローマに 取られたら勝てなかった。
もうずっと昔から、軽装歩兵を周辺に散らしたり、側面や背後で騎兵隊が控えてたりはやってるな
象も付けよう(カルタゴ)
>>151 やっぱり蒙古馬小さいんだな。欧州人がネズミのように小さいと言ったらしいけど
当時の馬はもう少し小さいんだろか。カタクラフトみたいに馬鎧つけてる復元図もあったりするけど
中東辺りの騎兵と混同してるんだろうな
馬鎧に関してはカルピニが書き残しているらしいんだが読んだことないからわからん。
西洋も騎士の時代はあんがい馬小さいよな 東洋よりはデカイけど結局ポニーカテゴリ
アフリカゾウを飼い慣らせれば無敵の戦象部隊ができたのになあ
ザマの戦いでスキピオがやった方法で対処されて終わりだと思うぞ。
アフリカゾウだとでかさが全然違うから、4、5人乗れて槍の届かない位置から 弓矢射ち放題なのがちっこい象と違うところ
だが家畜化が難しいそうだ。
>>158 昔は人も小さいんだぜ
中世だと日本でも欧州でも平均身長150ぐらいしかない
156cmの石田三成がチビ扱いされる逸話があるから平均身長はもっとあったんじゃないの?
古い本だけど馬高133cm 男子の平均身長が157cmって書いてある
166 :
名無し三等兵 :2012/08/24(金) 21:37:39.08 ID:???
>>159 >>160 ザマの戦いのカルタゴ軍戦象は、訓練が不十分だったことが大きな敗因だよ
練度不足の象は矢や槍を受けるとたやすく凶暴化して見境付かなくなり
多くが自軍に突っ込んできたり、単に敵戦列を突き抜けただけに終わった。
もし練度が十分だったら80頭の戦象の突撃は猛烈な破壊力だったろう
だけどローマはピュロス相手にさんざん対戦象戦術を研究した歴史があるだろうし 二重三重の策があったんじゃないのかな?
訓練でどうにかなるレベルなんかね 象兵大国のインドあたりではどうだったんだ
間通ってくるのがわかってたら、ハンニバルも象の間を縄か鎖でつなぐとかいろいろ やれたんだろうがなあ
>>164 指導者階級、戦士階級はいいもの食って適切な運動すっから平均身長よりは抜きん出てる場合多いな
それが秀吉や三成みたいな地下あがりとの格差になるだろ
武勲で出世する連中はカラダがなきゃ成り上がれないってのもあるし
秀吉は体が小さいから、 鎧も革と和紙でできて、銀粉を縫ってそれっぽく作った 軽い鎧を装着したりしていたみたいだ。 確か秀吉が作らせたその鎧は全部あわせて重さ4kgくらいだったかな。
インドゾウは家畜化できるけど、アフリカ象はあまりにも気性が荒すぎて家畜化できないと、 何かで読んだ覚えがある。
重装歩兵主体のローマ軍団よりも、パルティアの弓騎兵や、蛮族の重騎兵軍団の方が強かった。 それは分かる。分かるんだが、その後の時代の、 ヴァイキング歩兵って、何であんなに強かったんだろう? 船でやってきてるんだから、所詮歩兵だろう? 騎兵で蹴散らせば、簡単に潰走させられるような気がするんだが・・・。
ヴァイキング歩兵4000と、ローマン・レギオン4000が、 ガチでぶつかれば、どうやってもローマン・レギオン大勝利だと思うんだよ・・・。 ヴァイキングって、商人としての活躍がメインで、 戦闘や略奪は、じつはイメージされるほど、そんなにやってなかったとか?
>>174 と
>>175 を書いたけど、ヴァイキングをディスってるわけじゃないんだ。
むしろヴァイキングが大好きなんだ。ヴィンランド・サガの1巻の、
アシェラッドの兵団が、ヴァイキング船を担いで山越えをして、
手薄な湖側から城を攻める。あのシーンが大好きで、何度も何度も読み返しているくらいだ。
>>174 軽快で手練れの戦士たちが船で機動して抵抗の弱いところを襲撃して
荒らしてたからじゃないか?
倭寇みたいなもんじゃないかと。
相手する側も封建制の小規模な騎士と雑兵とかだろ。
>>174 ローマ軍団が正面から蛮族の騎兵に破られたことってあったっけ?
トイトブルクの森の戦いみたいなイメージしかないが。
昔歴史群像にヴァイキングの記事があったな どこやったっけ
イギリスとガチで戦争して勝ってなかったっけヴァイキング。 パリも包囲してノルマンディ地方もらったり。シリアの方まで行ったけどそっちとは貿易だけだったかな。
>>179 それはノルマンディー地方に定住して、
ノルマン人王国になってからじゃ?
そうだっけ。パリから兵を引く条件としてノルマンディ公を認めてもらったような
大陸側に定住してからのヴァイキングって、 あまりヴァイキングヴァイキングしてない気がする。
>>176 俺もあの漫画好きだわ。特にローマブリタニア時代の遺跡の所。
強くて高度な文明だったがサクソン人に滅ぼされ次は俺たちがそれを滅ぼす。レベルがどんどん落ちてる人間はもう黄昏の時代だみたいな。
文字どころか貨幣経済すら衰退してキリスト教にすがってる暗黒時代をよく表現してる。
184 :
名無し三等兵 :2012/08/25(土) 11:50:24.83 ID:???
>>179 それは
>>180 のとおり
ヴァイキング末裔のノルマン人(+ブルトン人+フランドル人)が
サクソン人のイングランドに侵攻し、ヘイスチングズの戦いでこれを破って
英国を支配するようになった。
パリはセーヌ川沿いだしエンヤコラ川上りして包囲自体はそんなに困難でもないと思われ 当時のフランス王なんてクッソ弱いし
北欧人は体格良いからイングランド人に圧勝できたのかな?
圧勝なんかしてないよ
スタンフォードブリッジの戦とヘイスティングの戦が前後逆ならノルマンディー公は負けてたんじゃね 完全な同時侵攻ならどっちがおいしいとこ持ってったか読めん
ヴァイキングは、騎兵がないのは弱点だが、 その代わり、船を使った戦略機動性は凄かったんじゃないかな? 長距離移動では、騎兵よりもたぶん、船の方が早いだろう。 当時のイングランドにはまともな海軍はなかっただろうし。
バイユーのタペストリーみればわかるが、ノルマン軍団は騎兵中心だ。 イングランドが歩兵中心だな。
思うんだがヴァイキングの人達は戦争している意識は無かったんじゃなかろうか 「ええもんがあるから取りに行ったら邪魔する奴らがおって戦闘になった」くらいの 蜂蜜集めてるような気分だったんじゃないかな
イングランド王位の継承をめぐっての純然たる戦争だよ
>>191 >「ええもんがあるから取りに行ったら邪魔する奴らがおって戦闘になった」くらいの
>蜂蜜集めてるような気分だったんじゃないかな
ワロタwじわじわくるww
蜂蜜を集めるつもりで、戦闘・殺人・放火をやるバイキングのみなさん。
念の為に言っておくが、ヴァイキングはロングシップに馬を載せる事もあったよ? もちろん長期遠征でそんな事は出来なかったろうけど、そもそもヴァイキングは遠征ばかりでなく、侵略や植民にも熱心だった。 一番熱心だったのは普通に商売だったし、現地に住み着く者も多かったろう。 何も遠く北欧から、長駆して中央ヨーロッパまで来たばかりでは無い訳だ。 現地で馬を買ったり、奪っても良いしね。
そういえば昔読んだヴァイキングの再現イラスト中心の本だと、 騎兵が描かれていたな。
ヴァイキングの植民行為で欧州の金髪碧眼率は向上したのかな
>>197 こりゃ面白い!前後篇、一気に見てしまった。
>>197 へー泥炭から鉄作ってたのか。
そのシリーズの古代中国の巨大戦艦、つっこみどころ満載だけど面白いな。
1000年以上前に隔壁構造と風上に切りあがる帆船作ってるのは驚いた。造船レベル高すぎ
中国の大河にはイルカが生息してたからね、ある程度の強度と水密隔壁がないと危険だから。 もっとも水軍と言えば大河や湖沼の活動が中心で、海軍はなかなか発達しなかったはずだ。
えーイルカさんのせいなのかw ヨウスコウカワイルカってやつかな
>>191 日本の瀬戸内海賊の本で、作者が、「海の民って、基本的にそこに魚がいるから漁ってくるわけで、
アワビが湧いてくるから拾ってくるわけで、育てるとかそういう意識はないし、他人のものという意識もない」
みたいなこと書いてて、大いに納得させられたw
なんとなくそれは南の人のメンタリティって感じがするな。
>>197 サクソン人との戦闘で、包囲や各個撃破などと関係なく、
ヴァイキング魂で逐次突撃して、結局勝っちゃうのを見て、
脳筋スパルタ戦士や男塾を思い出した。
白村江の戦いでも大和朝廷軍は、大和魂で突撃したんだっけ。 「先を争って突撃すれば勝つに違いない」という理由だった。 もちろんその前の時代に朝鮮半島での戦いやプレゼンスで成果をあげていたから こその判断だったんだが、相手はいかんせん当時士気も高く強力な唐軍だった上に、 陸上の戦いじゃなかったから突撃で勝利論も通じなかったんだよね。
207 :
名無し三等兵 :2012/08/27(月) 05:32:24.51 ID:d89QOOLR
>>206 唐の将軍が兵法に通じていたのも大きかった。
日本にも当時既に「孫子」とかの兵法書は伝来していたのだが、
兵法よりも精神主義で戦おうとしたのではないだろうか?
陸では唐軍の退路を絶ったり頑張ってたんだけどね
白村江のころの日本人は全体的に良くも悪くも孫子を理解できるほどの文化水準にはない。 大和魂というほどのものでもない。ただ世間知らず、身の程知らずだっただけ。 孫子を理解し応用できる水準に達するのは平安時代後期あたりから。 元寇の鎌倉武士くらいになって本当の大和魂と言えるようなものが生まれる。
『孫子』に限らない話しとして、そもそも所謂兵書というものはどの程度有効なモノのだろうか。 実戦で物の役に立ち出世して来た人間にはその程度(と言っていいのかは分からないが)の事は経験で理解出来ていた、 出来ない人間は役に立つ事もも覚束なかったのでは無いのだろうか。 平時の戦いを知らない人間向けの訓練書って事はないの?
源義家は後三年の役のときに、雁の群が不自然に飛び立つのを見て伏兵がいるのを察知したというが、 義家はとっさに孫子の兵法を思い出したと言う。 旅順を攻撃した日本軍は総攻撃が失敗したあと、すぐにヴォーバンの対壕戦術を思い出して実際対壕を掘り始めた。 しかしそれまで日本軍が対壕戦術をやったことがあったわけではない。それしか手段がなかったからやったのだ。 が、これは源義家や明治の日本軍だからすぐ応用できたのであって、おじゃるまるや、 科学知識の乏しい新撰組のような奴らには無理。
212 :
名無し三等兵 :2012/08/27(月) 08:52:24.64 ID:d89QOOLR
>>210 > 平時の戦いを知らない人間向けの訓練書って事はないの?
しかし韓信も「自分は孫子を読み込んでいる」と言っている。
そして背水の陣に挑むと。兵法知ってるからこそできる技だな
軍板なんだから軍事はいちいちつけることないというのも 一つの発想だなw 中黒も別にいらないし、個人的には反対する理由がない。
>>214 賛成
スレタイに槍や甲冑が追加されるのは良い
217 :
名無し三等兵 :2012/08/27(月) 11:11:25.25 ID:EI47l6SP
中世て島原の乱くらいまで?
>>217 中世と近世の区分けが一番難しい。古代中世スレと近世スレは火縄銃・火砲の登場前と登場後で使い分けしている。
島原の乱になると、幕府軍の銃撃戦、砲撃などの軍事考察は近世スレなんだろうけど
島原の乱での一揆側となると、火縄銃もあったけど主力武器は【石つぶて】なるから、近世スレより
ここの古代・中世スレの方がふさわしい気がする。
どの戦だから。このスレを使えというより、
用いる軍事技術(槍・弓なのか、銃・火砲なのか)で、考察したい内容でスレを使い分ければいいのでは?
一般論的には天正から近世じゃね
中央による諸侯に対する軍備の干渉が江戸時代から始まるから、そこが区切りじゃない? 城の破却、大型船建造禁止とか 秀吉はそうゆうのやったっけ?覚えてない…
秀吉はどうなる? 孫子など読んでない気がするが?
配下に読んでる人がいれば問題ない
現場で戦う人には孫子なんて別にいらんと思うが…
当時武家の教養としての価値はどうだったのか
武田信玄は好きだったんだろうな
武家の子供なら、当時の知識人たる坊さんから孫子、孟子、史記といった中国古典や仏教を習うのが普通。
家康は晩年に論語やって感動したそうだが 義元の下雪斎に習ってたろ家康 仏教はだいたいならってそうだけど
武田は六韜三略を代々受け継いできたとか聞いたような。
どうせ習うなら韓非子にすればよいのに
>>228 武田は六韜を入手出来なかったので、孫子で我慢したんじゃなかったか?
221なんだけど、 大橋武夫と言う人の戦いの原則と言う書籍を持ってるのだが、 孫子について書かれてるところを抜粋すると、 「朝廷のマル秘文書として伝えられ・・・大江家が管理、匡房の時代に 源義家に伝授され義光を通して武田源氏へ 匡房の7代下る時親はのちに毛利姓を称し毛利元就に続く・・・」とあるので、 戦国武将と言えどお寺で習ったでしょってのがすんなり納得できない。 ましてサンカもどきの秀吉が読んだとか信じにくい。 その秀吉が戦国ほぼ最強でしょ、孫子は軍事的に役にたたない論争ではその通りかなっと。 長くなりましたすみません。いや役に立たないわけじゃないけど、実戦経験者は それ以上なのかなと。
>>232 大田牛一の信長公記に、信長は清州から桶狭間に向かう途中、中島という地点にいこうと言い出し
それに対し、中島は孫子の死地に該当するから、止めましょうと信長を諌めてる。
尾張の一弱小武家の家臣たちの間ですら常識だったけど。
>>233 脇は深田の足入、一騎打ちの道なり。
無勢の様 身本 敵方よりさだかに相見え候。
どこにも孫子の死地とか書いてないぞ。
秀吉が信長に仕えるまでって何してたか結局よくわからんよな
大橋武雄の兵法孫子持ってるの思い出したけど うさんくさいビジネス本でw(何冊書いてんだよという流行りのビジネス兵法指南書) なんだかなぁという ただ楠流兵法は現場行ってるみたいで面白い
出版界ってなんでもビジネス書のガワをかぶせれば出版できるみたいなノリあるよな プロ野球選手の本とかでも
>>209 それはないなぁ。
孫子は具体的で細かいケーススタディとか運用法を指定したものじゃなくて、
どちらかというと戦争や戦略の原則論が多い。
それに精神論も重用視はされていて、
たとえば敵地に入ったときは思いっきり入り込め、と。
そのほうが兵士はかえって団結して強くなる、というようなことも書いてある。
孫子を読めば解決!とか兵法に通じているからOK!ってことではないと思うよ。
現に馬謖や、ちょっと名前は失念したが戦国春秋時代も弁がたって兵法を丸暗記してる若者が
将軍になって惨敗したりしている。
これまでの戦闘経験から、大和朝廷軍は突撃すれば相手は崩壊する
=接近戦に相当な自信があった
ということだと思われる。ただ唐軍のほうが上手だっただけで。
他の人も書いているけど、陸のほうでは実際がんばってるからね。
>>232 現代や中世につたわっているのは、魏の曹操による再編集本なんだけども、
それの同時代人の呉の孫権は、理論と実践は常にフィードバックして相互に高め合うべき、
というような言葉を残していたりする。
孫子はあくまで原則論戦略論だし、その他の兵法書もだいたいにたりよったり。
孫ビン兵法書なんてもっと呪術的色合いの濃いものだし。
教養の一環として読んでる可能性はあるけど、孫子を読んだからといって戦に強くなるようなもんじゃない。
ビジネス書を読みあさってもビジネスがすぐにうまくいったりはしないのと一緒。
>>239 >戦国春秋時代も弁がたって兵法を丸暗記してる若者が
長平の戦いで白起に負けた趙括か?
間違えて長坂で検索してしまったw
242 :
名無し三等兵 :2012/08/27(月) 17:03:01.90 ID:a0DzqC5Z
史実として確かなことは、韓信も曹操も諸葛亮も「孫子」は読み込んでいるということ。 これは本人談だから確か。
自衛隊の戦理入門という本でも 軍事実務者に求められる能力と軍事教育者(軍事理論家)に求められる能力はイコールではないと書かれている。 古今東西の理論を理解してわかりやすく教えられる能力(中世・近世の兵法者や現在の軍事教育者)と 実際に戦場で戦う実務者(中世で軍勢を率いている一軍の将、現在の軍隊での指揮官・参謀)に求められる能力は 別物だからね。
レス早すぎwwww 自演上げおつ
孫氏って上から目線でむかつくね
春秋時代のが学研M文庫から出てたよ キングダムにはまって買ったんだが 始皇帝の時代はさらっと流されていて詳細な戦況がわからなかった 良書ってある?
俺は史記より戦国策の方が面白いと思うよ
>>241 あー、確かそう。ありがとう。
それだけのキーワードで本人が出てくるっていうのはまさに
歴史に残る失敗だったわけだなぁ。まさか本人も2000年以上も経って、
戦国春秋時代、弁が立って兵法を丸暗記している若者、惨敗のキーワードだけで
連想されてるとは思わなかっただろうw
>>247 ぶっちゃけ横山光輝の「史記」がおすすめ。
陳舜臣の十八史略とかはもっと小説ライクな感じであまり好みではなかった。
251 :
名無し三等兵 :2012/08/27(月) 17:23:30.75 ID:a0DzqC5Z
戦国春秋時代は面白いよな。 専門書ではなく、気楽に読める文庫や新書をもっと出版してほしい。
史記か ちくま学芸文庫のが欲しいけど 持ってる人が居たら評価を頼む
小説なら宮城谷昌光で充分だろ
通史じゃないし、戦争もろくすっぽでてこないが
まあそのうちキングダム入門書とか(もう出てる気もするが)
よく考えたら漫画原作スレに詳しいやつ多いからそこで聞いた方がいいかもしれん
横山光輝推される気がするがw
>>252 つまらん、途中で買うのやめちゃった
同シリーズの三国志正史はおもしろいんだけどな
徳間書店の分厚い方が俺は好きだな
そう考えるとこのスレって、わりと総合的に横軸で雑談できるから楽しいな。 専門スレともまた違った雰囲気だ。
弓だけ、日本刀だけ、船だけ、石垣・城だけとか専門スレじゃなく
中世・古代に関することならなんでもOKの軍事総合スレというのは板内需要もあるうえ
スレタイと
>>1 の本文も良いと思う。今後も良スレとして成長しそうな予感。
そう言えば長平の戦いで虐殺されたうんマンの人達は墨家だと言う小説読んだ。 名前忘れたけど非常に面白かった。 忽然と墨家はいなくなる時期と重なってるらしい。 白起将軍がなにゆえ墨家を無き者としようとしたか忘れた。もういちど読みたい。
墨家って、専守防衛思想をもとに、 実際に城や拠点の防衛に対するコンサルみたいなことやってたんだっけか。 国や所属に関係なくやってきて防衛に協力したりしていたようだから、 国を戦で膨張させようという国にとっては邪魔だったんじゃないかな。 それにしてもこつ然と墨家がいなくなる時期と一致しているというのはものすごく面白い話だな。
徳間の墨子によると派閥争いで衰亡したようなことが書いてある 韓非子と荘子にちょろっと載ってるだけのようだが 最後は焚書坑儒らしぃ
数年前の大河「風林火山」の冒頭回あたりの海ノ口城攻防戦で、伝わる墨家風の 守城技術が表現されてたよ。あれも面白かった。 塀や壁に泥塗ったり、水がめを地中に埋めたりしてた。
>>240 孫権は自称孫子の子孫だから、
曹操改編前の呉孫子が伝わっていたかもしれない
源義家は大江匡房から孫子を学んだそうだが、源氏の子孫には伝わっていると考えるのが自然。 源義経なんかは平泉あたりで読んでいてもおかしくない。
うん、まあ突然妄想書き込んでどうした
>>262 義経は清盛の元にいたのだから、持っていないだろ
堀川で六韜を手に入れた話ならあるが
秀衡が持ってたら借りて読んでたかもしれないて話だろ
まあ一番活用してそうなのは頼朝だろうな
大江氏は闘戦経の著者なのだから、 教えるとしたらむしろこちらだろ
よく剣術の起源が義経の六韜三略に求められるような伝説があるけど、 剣術とかの武芸についてなんかも書いてあったりするんですかね?
>>267 闘戦経は孫呉の兵法があまりにも権謀術策に偏っているので
これを補うために書いたというんだから、まず孫子を説いてもおかしくないかと。
孫子は理不尽なほど長いもんでもないから目を通すぐらいしてみればいい それで無用と思うなら無用なんだろう
兵法書といえば、どこかの兵法書に 歩兵10、騎兵5、戦車1が同じ戦力だか、組み合わせる最適の比率だ、だか 書いてなかったっけ。 戦国策?
>>272 >>273 【韓国】韓国で学ぶ世界史がすごい! 「世界四大文明」に“コリアン文明”を勝手に追加
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1346228563/ 閉鎖的だと言われている韓国の教育には方法は度々日本のネットで話題になる。例えば小学校で教える反日教育や
偏向した歴史など……。
今回紹介するのは韓国で学べる「世界五大文明」というものである。と、ここで「おや?」と思った人もいるだろう。
そう、実際は「世界四大文明(または四大河文明)」なのである。何故1つ増えているのか。
では順を追って文明を紹介したい。
世界四大文明はメソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明・黄河文明(中国文明)の4つを指す。
学校でそれぞれ習ったのでみんなもご存じだろう。しかし韓国ではこれにさらにもう1つ加わり“コリアン文明”という
文明が追加される。
私自身は“コリアン文明”は聞いたこと無い。そもそも世界的に考古学の記録に無い文明を韓国では“コリアン文明”と
名付け学ばせているのだ。
韓国が出来る前は三韓、新羅・百済、新羅、高羅、朝鮮(李朝)、そして日本に統治されその後に大韓民国となった。
コリアンという呼び名にそんなに歴史が無いことから後付けっぽさ満載である。それだけではなく、その教材には北海道は
日本の土地ではなく韓国の土地だったと書かれており、更に韓国はアジアのほとんどを占めていたとも書かれている。
もちろん学校で教えられた生徒や学生は、それを当たり前のように受け止め信じてしまうだろう。
「学校が嘘を教えるはずがない」と思うのが普通である。
こういう発想がやはり他人のパクリに繋がるのではないだろうかう。古くは『マジンガーZ』のパクリの『テコンV』や
『ポケットモンスター』のパクリの『PowerMon』、そして家電製品やお菓子など。
このように韓国では洗脳するかのように「自国は強い」と教育を通じて教え込んでいるのだ。韓国は2年間の徴兵制度が
あるので、若い内から国民を堕落させてはいけないという考えなようだ。北の某国に通じるものがある……。
日本よりも受験戦争が激しいと言われている韓国だが、教えている内容がこれでは全く意味が無いようなきがするが。
>>276 今さら何を……人類はアフリカではなく朝鮮熊から始まったし、宇宙の起源だって朝鮮半島だよ。
ほら、え〜と……BIGBENG!
>>277 なるほどありがとう!
あとで確認してくる。
4大文明って世界でもそう教えてるの?
エジプト、メソポタミア、インダス、黄河だろ? 世界初の生物兵器ってヒッタイトだかがエジプトにやった猫盾か?
前にNHKの四大文明の本で読んでうろ覚えなんだが、 四大というまとめは日本くらいでしかそう言ってなかったはず。 大河のほとりに文明というのも中南米のを考えると必須ではないし。
>>281 あれ? 黄河文明の起源が朝鮮民族とか言うのとはまた別?
聞いたことないぞそんなの
アフリカからの伝播を考えると、アメリカ大陸の文明は、ユーラシアのそれに比べ、周回遅れにも等しいぞ。 あとユカタン周辺に大河が無かったのは、隕石衝突によって地殻がひび割れてたからで、地下にはちゃんと水脈があった。 北米インディアンにも、河沿いに広大なトウモロコシのプランテーションを築いた部族もいるし「大水脈の傍」と言う意味では合ってる。
>>285 アメリカ大陸の文明が遅れたのは家畜がいなかったからだってさ
家畜として使える動物は数えるほどしかいない
アメリカ大陸にも何か無いと困る立場の人が居るんだよ 具体的にはアメリカの考古学者とかな 学内や支援者から予算分捕るのに、遠い中国や中東だと大変なのよ
4大文明ベースで教えてること自体が韓国が日本の影響受けまくってる証左か オリジナリティがないのう
>>286 ラマとかアルパカがいれば十分だろ
たいていの民族の主要家畜は1〜2種類なんだし
四大ってのはもう無理が出てるだろ。稲作の長江文明を黄河文明に従属するものと 考えるのは変だし。
北米には北欧で家畜化してるトナカイが居る バイソンはウシの一種だから家畜化できないわけでもないだろう 家畜が居なかったのではなく家畜化しなかっただけだな、
>>293 人間は動物を飼うのは好きだけど
それが家畜にになるかどうか
動物の性格による
>>291 普通にそこらの動物園や公園で飼われてるんだから高地専用じゃないぞ
南米で平地の家畜と言ったらテンジクネズミ(モルモット)だな 動力源には無理だが食用には十分だ
>>296 何が違うというの?
牧場で放牧してるアルパカと、放牧してるウシやウマでなにか特別な違いがあるの?
>>298 放牧してたら家畜なのかい?
家畜とペットの違いがわかってるかい?
なついてくれないような動物は扱いがめんどくさいだろ そもそも繁殖してくれるかどうか知らんが 家畜化ってやつだな
銃・鉄だっけ?文明崩壊だっけ?
アルパカやリャマは長い年月アンデスで使われてきた つまり人に懐き使いやすいように改良されてきたわけだ これを高地から下ろしても、牧場等が成立してるように問題はないわけだ (ヤギだって高地出身動物だし) そして北欧やロシアで普通に家畜として成立してるトナカイは北米にも自然分布してる 北米先住民がトナカイを家畜化しなかったのであって、できない動物ではないってことだ つまりアメリカ大陸に家畜はいるし、家畜化が可能な動物も居たってことさ
>>302 高地で家畜として成立してるリャマやアルパカは
低地に下ろしたら死んでしまうとか言いたいわけ?
高地でリャマやアルパカはなにをしてた? 低地でもおなじことできてるのか?
インドネシアとかもそうだが熱帯で高地が先に発展するのは涼しいから
リャマやアルカパって簡単に増やせるの? 労働の役に立つの?
はっきりと文明にかかわった文字を開発してないと日本の学者さんは文明にしてくれないらしい。 だから四つのままだって教師が言ってた。
>>306 アルパカはいまでは低地の牧場で毛織物の材料になってる
別に高地じゃないと毛が取れないわけではないそうだ
>>308 リャマは今でも荷役に使われてる
312 :
名無し三等兵 :2012/08/29(水) 21:28:56.79 ID:VhT8pK+W
>>309 文明の定義をどのように規定するかが重要だと思うんだが・・・
「都市」や「国家」規定論争と同じで、どれがなければ「それ」じゃない。というのはないと思う。
てか、文字っていう唯物的な史料が歴史的事実の判明に占める比率って最近は低下傾向じゃないの?
70年代以降の世界の文壇の流れは、口語文化とかを含んで多視点からの研究にシフトしてる
つかリャマとアルカパはすでに家畜じゃねーか… そりゃ高地専用だ
ネタに釣られ過ぎ 所詮はおもちゃにしか興味のない軍事板か
勝利宣言
つうかリャマやアルパカで大砲級の重量物ひけるのかや車輪が無い時点で馬・牛・象に比べて劣ってるような。
高地の戦ではアルパカ騎兵有利ということか
>>308 銃・病原菌・鉄だね
家畜は人力に代わる動力源でもあるからそれに適した動物がいる地域といない地域
で文明の発展に大きな影響が出る、だっけ
大型哺乳類でも繁殖に干渉されるのを嫌う種は家畜に向いてないらしいね
>>312 日本の学者さん頭固くて新説の否定が大好きだからね。90年代後半でも古生物学の重鎮教授が
恐竜が鳥の親戚とか無茶苦茶・・・タダの大きくなったトカゲなのに子育てとか正気で言ってんの、
翼竜は飛べなかったよ、だってワニ肉で換算すると体重が・・・
みたいな論文を書いてて助手が嘆いてたよ
歴史学者も結構酷い。 青銅の矛や剣が時代が下るにつれて大型化したのを、 「祭器となっていったに違いない」と結論付けて揺るがないからね。 青銅の武器は固いけどもろいから、実戦での耐久度をあげようとすると 大型化するしかない。 ギリシャの青銅武器もどんどん大型化したというのに。 倭国大乱とか武器の大型化、環濠集落とか明らかに戦闘が日常的に行われて いた形跡があるにも関わらず祭器だからね。祭器。
邪馬台国も地元がそうだったとしておきたい学者さんばっかりで萎えるわ
どっちかというとこれは祭器だ!とか 古代日本では戦争はない平和な社会だった! 甲冑は支配者階級のみが身に着けていた! 的な結論が先にあって、あれこれ証拠をやりくりして補強している感じ。 じゃあある日突然朝鮮半島に影響を及ぼす軍事国家になったのかと。 現代でもミサイル万能のご時世に戦車など不要!とかいう御仁がいる。
箸墓古墳の鐙の解釈とか思考停止で困ってるなw
つまり 銅鐸は鈍器! 銅鐸は武器! 弥生人はこれで殴り合っていた! そういうことですね><
>>323 歴史学者に限らず、日本では様々な分野の学者さんで
軍事知識が欠如している例があまりにも多い
>>325 まーしいていうなら、俺のあくまで俺の個人的な感想なんだけど、
銅鐸は祭器っちゃ祭器だと思うんだけど、
あれ、樫の丸太の先端にとりつけると、木柵を破壊するのに都合がいいなーとか思ったりはする。
ま、さすがに銅鐸は祭器か何かだと思うが。
デカい銅鐸は置き盾として使えるな 古墳も防衛施設になったんじゃないの
古墳と銅鐸は時代が合わないだろw 実際古墳の墳丘って戦国時代には城に転用されたけど、 古墳時代にもそういう例があったのかどうか。
あ、ごめん。ちょっと読み違えた。
>>316 引けんだろうけど、それが問題になるのは近代以降だろ
時代が無茶苦茶だろw 銅鐸をb気にするのってすげえ持ちにくそうなんだが、盾にするにしても
刺又って強そうだが中々扱いは簡単ではないんだな。
http://keibi.pya.jp/sas-ki.html 近年、学校施設を中心に防犯意識の高まりから急激に設置数が増えたさすまた(刺又)。
武器をもった相手に対して、受傷事故の防止を図りつつ捕縛を行うことが出来ます。
しかし、長物である上に、先端に重量が集中し、さらには先端の適切な向きまでが必要であり、
その扱いは最も難しい護身(防犯)用具です。
http://keibi.pya.jp/sas-si.html <刺す又での制圧>
警備員の教育内容には、単独での制圧方法があります書かれています。しかし、
模擬訓練の結果よほどの達人でないとほぼ不可能です。
制圧には、気を逸らせるための複数名(1対多数)でないと、反撃を受ける危険の方が
はるかに大きいです。
対象者を囲んで、刺す又や警戒棒、警戒杖等で3名以上で対処すると、刺す又で
制圧する隙が生まれます。
単独の制圧や時間を稼ぐ牽制には、警戒杖の方が容易(実践向き)なようです。
http://keibi.pya.jp/sas-si.html <反撃>
先端部分が大きいため、打撃の格好の的となり何度試しても打ち落とされます。
体勢を立て直す為には、間合いを保つように2歩後退が必要でした。
<刺又の放棄>
打ち落とされたところを踏みつけられると、完全に無防備となるため刺す又での制圧を諦めて
模擬訓練が終了しました。
こういう先端が大きく重い長柄武器ってのは打ち落とされるのに弱いようだな。
実際バトルアックスみたいなのを打ち落とされたら戻しながら体勢を整えるのは
かなり大変だろう。
手でも簡単につかめるしなぁ…
親戚の大学新入生にに聞いたが 最近の史学科の学生ってE・H・カーの書物って読まないんだな。 主観と客観の鬩ぎ相に対する姿勢を学ばないと歴史学やってけないと思うんだが 「歴史とは何か」とか入学時に読まされたけどなー
在日とか左翼系の歴史学者とか 自分たちの都合の良い歴史を捜索しているけどな
>>335 じゃあ江戸みたいにハシゴでとりおさえるかい?
>>339 はしごだって味方複数前提だろw
その警備の人だって複数の味方がいる場合の刺又の効用は否定してないしな。
戦場で言えば味方がいない状況で熊手しか得物がないのはキツすぎる。
そういや捕り物道具って江戸時代に入って忽然と出てきた印象があるけど、 それ以前の時代にも使われていたのかな?
>>342 八幡神社と振り杖の話が面白いな。そんな武器が堤宝山流の鎖杖より先にあったんだな。
>>333 発想を切り替えるんだ!
盾ではなくて被ればいいんだYO!
あれはワンピース鎧なんだ!
銃鎧というネタ兵器が帝国陸軍にはあるわけだが、アレは匍匐前進が前提だが等身大クラスの銅鐸なら姿勢的には楽そうだな〜とw
相手の武器がせいぜい弩レベルなら、材質が青銅でも無双できるだろうしw
動けねえだろとか前見えないとかまあ苦情は受け付けるw
何より自分から攻撃できないしw
>>323 その結論を前提にしてるからこそ
騎馬民族征服説だの皇室半島起源説だのみたいなのが罷り通るんでしょ。
銅鐸はケトルベルみたいに使うって前から言ってるだろ!
>>338 銅剣とかもやたらと「朝鮮半島経由で」わたってきたと主張してる学者ばっかりだよ。
日本の城も朝鮮の城起源ということにしたいみたいだし。そのあたりはかなり酷い。
だいたい公孫賛滅亡とともに魏に乗り換えて使者を送るくらいだから、
中国に直接渡ったほうが早いっつーの。
中国の古いことわざにも(三国時代以降だったかな?)、
確か日本の王子と中国トップの将棋の棋士で文官の男が対局する話が出てくる。
案外日本の王子に追い詰められてしまってぎりぎりの勝利をした中国の棋士は、
あわてて「実は私の実力なんて大したものじゃない、もっと上がいる」と嘘ついて
王子を感心させ国の威信を守った、というのが美談として伝わってるくらいだ。
あれ囲碁だっけw ちなみにことわざそのものをを失念してしまって……。 どんな故事成語になってたんだっけ。
>>338 大河ドラマ平清盛の考証もアレな連中のせいで
ドラマそのものが糞作品w
もともと、過去の記録からも、平家物語は視聴率が稼げんことが明らかになっておるからの。
だからって並みの大河ドラマに視聴率7.8パーセントは叩きだせねえよw
昔の刺又にトゲトゲがついてたのは柄をつかませないためなんだが、いまの製作者はそのトゲトゲの意味を忘れているようだな。 まあ現代ならスタンガン刺又にして先から電流ながれるようにすれば完璧だろ。
柄にトゲトゲつけても先端部分は掴めるよ。
心にトゲがあるんだよ
つーか杖の方が容易って理由がよくわからんな。別に杖だって打ち落とせるし、つかめるし、踏みつけられるだろ。 むしろ杖の方が扱い難しいんじゃないかな?反撃の受ける危険が大きいのは杖でも同じ。 体勢を立て直すには後退が必要なのは柔道でも剣道でも同じだ。車いすフェンシングじゃないんだから。
>>351 大河ドラマを見る歴史好き日本人層を敵にまわす反日朝鮮人監修ドラマで
視聴率がとれるはずがない
>>358 同じうち落とされるにしても重心が前にある分、杖の場合より体勢は崩れるし
建て直しに時間がかかるくらいは想像がつくが。
取り回しも当然余計なものがついていない杖に比べてよくないだろう。
先端が大きいから掴みやすいのも普通に納得できるが。
大きいし重い先端を杖ほど俊敏に動かし難いし。
>>353 もっとマイナーな題材だった琉球の風や花の乱を更に下回ってるからなあ。
杖は杖術をある程度使えるならその威力が分かる 扱いの自由度が高く、白兵戦では相当強いよ 鉄製にするなりすれば威力も充分だし 短槍でも同じ様な扱いはある程度出来るが、穂先の刃が邪魔になる まあ、素人が扱うのは難しい武器だがな
刺又は相手を傷つけないことも考慮してるんだろ そりゃ鉄パイプあたりで不審者ぶったたけば手っ取り早いだろうけど
http://blog.iai-mugairyu.com/?eid=805055 応用杖とは、短杖とか何かではなく、太刀と杖の真剣勝負
のようなもの。太刀は斬れるなら斬ってゆく、杖は太刀相手
に突くなり、打つなり、繰りつけて相手を押さえ込むだけ
ではダメ、そのあと必ず何かで決めなければいけない。
(膠着状態では杖の負けと同じ)常に太刀のとどかない間合
を意識し、太刀側に勝てるよう動く必要がある。
途中から日頃稽古をしている形に入ってもトドメ?まで行け
ればそれでよい。
いつも決まった形の流れの中で、もし真剣ならどうなるだ
ろうと思いながら稽古をすることが多いが、太刀持ちを五段
のYさんとY師範で、杖側は二段から五段までが入れ替わりで
立ち会ったが、ほとんどは予想通り太刀の勝ち。
バッサリと言うことはないまでも、どこか斬られて降参と
なってしまった。特に杖が先に動くとほとんど勝てない。
杖がいかに”後の先”ということを実感した稽古だった。
ほうきさかさまにもって相手が前に出て来たらドツクが一番楽な気がする さす股より扱いやすいだろ
警備員教育書いてる奴は先入観にとらわれておる。 刺す又の又は相手の体を抑えるだけではない。刺す又の又で相手の棒自体の打撃を止めることもできる。 また刺す又の又の部分でなく、又の先端で相手の面や胴を突くこともできるのじゃ。 慣れれば又の部分で相手の棒を挟み込んで絡めとることもできるじゃろう。 刺す又と剣道で試合やっていきなり胴を押さえにいくやつはいないだろう。 江戸時代も相手が刀なら刀を押さえたはず。
>>366 素人がこんなこと書いてるの見て逆に笑ってると思うぞwwww
明らかに突くには向かない形。これだったら普通の棒の方がまだ突きやすい。
http://keibi.pya.jp/sasu12.jpg 棒を絡めとるとか言ったって逆に掴みやすい刺又の先端の方が掴まれてしまってピンチになる確率の方が高い。
ねらーが頭で考えた素人アイディアよりは警備の現場の情報を参考にしている人の方を信じますね。
>>364 これって立ち合いのルールが不利だっただけなのでは・・・
基本的に杖が刀より不利なんて当たり前だと思うが。確かに立会いのルールが ちょんちょん当てっこゲームだったら杖の方が強いかもネ。
つまり仕込み杖使えってことか
隠し武器の携帯は何時の時代でも法律違反だぞw
毒塗った切っ先が杖から飛び出てくる仕様なら ちょんちょん当てっこでも全く構わないのだが ただの杖で打撃で倒すってのは相当辛いなあ
訓練つんだ人ならまだしも、思いつきで強盗しちゃったり、頭が多少おかしくて学校に侵入するような連中なら、 棒きれ振り回して殴りかかるだけで、結構逃げてくれるんじゃないかと思うけど。 皆殴られたら痛いのはわかってるんで。
『御家中武芸はしり廻り』 ・一 棒術の事、 棒術は勿論武術にあらず。 然を弓弦きれて棒と成、鑓・矛折て棒と成ば、 士として是を嗜まんは あるべからずとて教を立る輩もあれども、用るに足らず。 もし弦切れ、矛折たる時は腰物を抜て向ふが、猶、速成は組討をする意也。 武士たるものは棒にて一つ二つ打たれたりとて死べきものに非ず。 当の敵は必ず仕留むべし。
棒で正確に突くのは結構大変だし、 相手にダメージを与えてしまうこともありうるわけだから、 サスマタ持った教師何人かで取り押さえにいく、というのが正しい使い方では?
警備の現場でも実際に刺又使って格闘した経験ある奴なんてそんなにいないだろ。 だいたい実際に刺又使った経験あったら実験じゃなくて実例の方を紹介している。 多人数で制圧と言うのは複数の人間がいれば当然の話だし、単身だったら制圧より防御の方が優先するだろう。 別に刺又だからぶんなぐっちゃいけないということはない。アタマおかしい危険な奴なら卒倒するまでボコボコにぶんなぐったほうがいい。
秋葉原事件での制圧を思い出すな 喉元に警棒一本で動き封じてた
興奮状態だと痛みのダメージは信頼できん 交通事故とかで腕折れてるのに気付かないケースとかあるし
警察官は逮捕術必修だからな
そりゃ立派に体格あって訓練してて立ち向かう気構えがありゃ 正面から向ってくる奴にはなんとかなるかもしれんが これは素人警備の話だろ さす股とか持たせてもそもそも思いっきりつけるかどうか疑問だ 何もたせてもなぁ
そこで必要になるのが「武士道」、必勝の信念じゃよ。 滅私奉公の自己犠牲心。保護者からお預かりした生徒、園児を逃がすために自ら楯とならん。 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込みいれば後は極楽 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ キルナハラフナ タダヤンキーノ腹ヲ突ケ
現代の暴徒鎮圧用武器は非殺傷が前提になってること忘れちゃイカンよ 特に日本は 殺さない大怪我させない、こっちもなるべく怪我しない、そういう使用を念頭に作られてるし用法が作成されてるんだから 警備員でも、現金輸送の連中なんか見てると相応の訓練は積んでそうだ 警戒棒振り出して手に持って車外業務やってたりする ちょっかい出したら容赦なくぶん殴られそうw
六億円奪われた立川の警備会社とかひどかったみたいだけどな。 骨法のヤノタクがブログに書いてたけど入社した次の日に現金輸送警護とか そんな感じだったらしいw
警備のバイトやったことあるけど、そういうときは他人のただの「群集」にしか見えないからな。 警備を邪魔する奴は、自分から仕事、給料、将来を奪おうとする敵にしか見えない。 また仕事で警備するときは一人じゃないという団結心というか依頼心もある。 負傷しても仕事なら恥には決してならない。後で自慢話になるかもしれないという変な下心もある。 あと単純に武器持ってると実際に使ってみたくなると言う危険な心理もある。
神人が祭りの警護やるときって棒だよな。 あれは血を流さないとか関係あるかな?
>>375 そらま確かに、フル装備相手を棒で倒すのは大変そうだな
弦の切れた弓を棒術の棒として扱う発想があるのか。 確かに和弓は長いけどさ。
槍組足軽の御貸具足だって もらえるだけましか… しかしよく現存してるなこんな消耗品
>>395 でもこれなんで両端についてるの?ゲルググぱくったの?
>>395 トンチキなのは誰かの趣味で作られたかもしれんが
普通に弓足軽は小刀を携帯してて
それは弓の先に装着できるようになってたものもあるらしい
いざってときに弓と小刀を組み合わせて使うということはあったそうな
鉄砲に小刀つける発想もほしかったなw
槍持ちはいなくても刀は佩いているだろうに そんなに刀は役に立たんか
>>401 刀を抜くときに弓を捨てたり置いたり、
あるいは両方持って戦うのは不便だから、
どうせなら弓矢でそのまま戦えたほうがよくね?って発想じゃないかな。
そもそも弓組足軽まで近づけないことのほうが重要だとは思うけど。
そりゃあもちろん最後の自衛手段だろう。それに野戦では白兵は少しでも長いほうがいいに決まってる。 馬に乗った奴だってくるだろうし。積極的に突っ込んでくる奴は持ち槍が多いだろうし。
だけど実際にこんなもんがどれだけ使われたのかもよくわからんのだよな。
>>395 これって、両端に穂先が付いた弓に弦を張って、最初は弓に非常時は槍にする道具ですか?
それとも非常時になってから弓に穂先を着けるのでしょうか?
両端につけるのはこの例しか見たことないけど、「雑兵物語」だと弭槍は 弓の勝負が始まらないうちからつけるとある。 間に合わせの武器だけど接近する一瞬敵を怯ませるくらいのことはできるし。 その前に接近を許したら逆に引きつけて確実に隙間を狙って射ることが推奨されてるけどね。
>>370 そりゃ無いな。リーチでは短槍に相当し、扱いの良さでは槍の比ではない
実戦なら熟練度次第で杖での打撃は相手を殺傷するのに充分な威力を出せるし
逆に刀はバッサリと斬らないと致命傷にはならんから、相手を戦闘不能に追い
込むのはそう簡単な事ではないぞ
杖と刀を同じ条件で勝敗を決するべきだったな。どちらも一撃を受けたら負け
にするか、明らかに致命的にならない限りは続行にするか
>>408 その短槍だけど、九尺柄の長さがある半槍でもほぼ定寸の刀と相討ちの恐れがあるくらい評価低いんだから
四尺二寸一分しかない杖を過大評価しすぎだろ。
『御家中武芸はしり廻り」
一 半槍の事、半槍の短に何の徳あるや。其徳未だ弁へず。若し挟みにて徳ありと云とも、
剣は広場にて使う筈の物なれば、挟みのことは論じ難し。詰りたる場所にては半槍よりも
太刀・脇差の働きより徳多かるべし。又、平日面目をかけての勝負とは、真鑓の場は
大に違ひ、九尺内の柄を一盃にたぐれば、手先き漸く四尺余り成べし。たとひ、
敵の躰を突貫たる処が我向手は必ず切落さるべし。是敵二尺の腕に二尺五寸の
刀を持添ゆれば、我先手へは十分に届くもの也。
こっちでは九尺一丈の槍で三尺二三寸の刀を相手にした場合に相打ちになるものだと書かれる。 いずれにしろ刀と槍とでは三倍以上の長さを確保しないと完全な有利ではないようだな。 四尺の杖ではあまりに心もとないわ。 『武具要説』 鑓之事 ・一 横田備中守申分 長刀など持たる敵を九尺一丈の鑓にて突事は相打に罷成候。 三尺二三寸の刀にても相打になり候。
今年に入って素人がマグロ包丁や日本刀で人の腕を切り落とす事件が2件もあったからなあ。 刃物の威力を過小評価する想定にまず説得力がない。 その一方、実戦なら熟練度次第で杖での打撃は相手を殺傷するのに充分な威力(キリッ だからなあ。 文句ならその合宿で応用杖の稽古をやった杖道連盟の人たちに言えよって。 自分は素人ねらーだが杖を専門的に稽古しているくせにあなたたちはおかしい、ってねww
雑兵物語の弓のところに「(漆を)ぬらぬ弦より、がいによわいとみえた」と あるんだけど、他の国は弓弦を強化するのに何か塗ったりしたんだろうか?
そういえば筈槍ってフクロナガサみたいにただ穴に深く弓を突っ込むだけ? 釘とかで固定すんのかな?
槍穂が袋状でかぶせた後ひもで縛るのもあるそうな 何か刺したら壊れそうだ
>>409-410 杖は槍より扱いが自由とも付け加えたのに、何故リーチに関する事だけ並べて論難をしてるんだ?
それに、相討ちの危険性だったらどんな場合でもあるわ
それこそライフル対ナイフでも相討ちってのはある
互角または不利であるいう事ではない
それに、相討ちの危険、というのは「刀では槍相手にせいぜい相討ちにしか出来ない」という読み方も出来るし
少なくとも剣の方が有利という話にはならんな
それに、槍は長くすればするほど、密集陣形組まなきゃ逆に弱くなるのだが
>>411 不意を突けば辞書でも人を撲殺出来る訳で、不意を突いてバッサリ斬ればそりゃ腕ぐらい斬れるだろうがね
そのブログに「バッサリ行かれはしなかった」と書いてある訳だしねぇ
それとも、太刀ってのはバッサリ行かずに軽く刃が当たるだけで腕を斬り落とせたりするのか
太刀最強過ぎだろ
まあ要するに、お前の主張にはやや公平性が欠ける様に思えるね
重要な部分をあえて無視して、都合良く持論を強化している
お前と同じ手法を使えば、素手で戦車に勝てるという主張も出来そうだな
まあ戦場ではみんな甲冑きたり陣笠かぶったりしているから杖は基本的に防御にしかならないな。 もともと杖術は槍が折れたときの応急防御らしいし。
確かに当てっこゲームでどっちが強いかとかは別にいいから もうちょっと文献とか歴史的な事実を根拠にした議論やってほしいわ。
>>418 無比流の佐々木哲斎は槍折れの棒で棒術に開眼したとかあるんだよな。
でもその応急防御でさえ
>>375 にあるように価値を否定する人もいる。
確かに刀の方が殺傷力あるし、槍折れの棒で応急的に戦うなら別に槍術の応用でいいわけだから
わざわざ特別に棒を稽古するものでもないという考えもあると思う。
夢想権之助さんのことは嫌いじゃないです
権チャンて最初は五尺くらいの木刀に鋲打ったのを抱えて武蔵のところに行って 武蔵の即席小太刀木刀に完敗した人のことですか?
平野権兵衛さんのことを悪くいうのはやめてください
>>417 五輪の書とかになかったか
杖術ベタ褒めだったかと
小太刀名人ってかっこいいな。これの林田左門みたいに丸太と戦って勝つとか
憧れるわ。
http://www.geocities.jp/themusasi2a/kaizan/s108.html >血氣の若武者、
「心得たり。」
と早くも座を立つて庭に飛び下りあたりを見ると庭木に添へ木として結びつけた
長さ一間ばかりの小丸太があつたのを、「これにてお相手を仕らう。」 と引き拔いて、
土のついたのを拭い二つ三つ振り試みて待つてゐる。
左門も座敷を立つて縁を見ると、小木刀があつたのをおつ取つて提げ、庭に下り立つて
云ふことには、「隨分根限りの精を出し、出來るだけ大力を振つて打ちかゝつて見られい。」といふ。
「仰せまでもござらぬ。」
といつて、彼の丸太を打ち振り廻し、左門も小木刀をさげ、そろそろと近く寄つて來たのを、
間合ひはよしと、彼の若者が一打ちと力一杯打ち込んで來たのを左門は引き外し、
飛びちがひざまに木太刀の先きで、彼のものゝ額を少し打つて、
「まいつたかな。」と聲をかけた處が、若者、
「如何にも木刀が當りましたやうでござる、思つたよりも早いお太刀でござる、却々どうも。」と
云つて丸太を投げ捨てゝしまつた、その時左門は、
「殘り惜しくござらばもう一仕合まゐらうか。」といつた處、
「いやいやもう澤山。」
といつて若者は止めてしまつた、
>>425 五輪書のどこ?そんなのあったか?と思って今手元にある岩波文庫版を
パラパラめくってもやっぱり出てこないけど。というか兵法の道具としての杖すら
言及してないんだが。
>>427 俺も今手元にある訳ではないからな
まあ、武蔵と引き分けたっては事実はある訳だし
>>428 それは事実じゃなくて流派伝承。しかも古文献にあるのか怪しい類のね。
ちなみに武蔵のところに権之助が来て決闘したが割木の小太刀で一方的にやられた逸話は
「海上物語」という寛文年間成立の文献にある。
小野一刀斎が柳生十兵衛をめった打ちにしたとか、歴史的事実の無い講談話は良いから。
海上物語もソースとしてはどうだろうか? まあ、初戦で負けたのはその流派伝承と一致するから事実だろうがね 信憑性で言えば流派伝承と大して変わらんのでは?
>>415 頑丈な六角棒を持ち歩いて維新の際はいざ駆けつけよう、と
気勢を上げていた幕末の相撲取り数十名が、数名の侍と、
棒と刀で戦いになってしまって2名即死、10名以上重傷となり、
侍側はほぼ無傷という結果が新撰組顛末記に掲載されてるよ。
だいたい杖なんて相手が甲冑を着込んでたらほとんど効果がない。
道場杖術で槍や刀より上というのはさすがに珍説すぎるだろw
>>431 特に二天一流に加担しているわけでもない、武蔵に近い時代の文献に
載っていることが明らかな逸話と、いつから流派に伝えられているのか
定かでない類の口伝。
悪いけど一緒にするのはさすがにムリありまくりだわw
>>430 小野一刀斎について詳しく!そういう聞いたことのない武芸者のことは
興味あります。
おいおい
小野一刀斎www 戸田一刀斎は知ってるけどそっちは初めて聞いたぞwwwww
>>432 杖術が素人には難しいのは最初に言ってるので、六角棒持った相撲取りを出されても……
そもそも武器の優劣以前に殺意で負けてそうな対決だし
>>432 あと、甲冑着てる相手には鉄製の杖とか使うんじゃないかな
杖ではないが金砕棒とかもある訳だし
木製ならともかく、鉄製とか鉄で強化したりとかなら甲冑相手にも威力は充分でしょ
太刀や槍とそんなに差は無いと思うぞ
その上で、何も刀や槍より強いとは言ってないと思うが
まあもう別物だろ 杖とかなさいぼうだと
別物もいいところだよ。鋲を打った部分は持ちづらくなって 手の内をすべらせるような杖の操法ができない。
菊池槍とか筑紫薙刀とか、なんで九州地方からはよそとは違った 長物がうまれるんだろうか?大陸の影響?
>>437 ものすごく特殊な技術を持った一部の人が、
平均的な装備の槍や刀に優越することがあるのはわかるが、
一般論めいて語るから珍説っぽくなるんだよ。
ちなみに相撲取りの事件では、
殺意があったのはどちらかというと相撲取り側のほうで本気で
侍を殺す気満々だった。
杖そのものは素人かもしれんが体格や膂力は相撲取りのほうが上だったわけで、
ごく一部の強力な杖術使いが稀に剣術使いを上回ることがある、という話なら納得できるのだが。
幕末の練兵でも杖術はなかったしな
>>441 1、田舎だから
2、たまたま文献が多く残ってるから
3、研究者が多いから
どれだろう(複合でもいいけど
四国っていつの時代もほっとんどネタがないよね
土佐と長宗我部がちょっとあるぐらい
金砕棒はひたすらブッ叩いて殺す武器だから、腕力が鬼じゃないと話にならん武器
>>445 下に刃があるよな?
サーベルの疑似刃みたいなものか?
なた+のこぎりの便利グッズにみえる…
棟のところにのこぎりをつけていて、実際工兵的な使い方もしたようだ。
刀の刃の部分も片切刃造りでナタに通じるものがある。
http://d.hatena.ne.jp/machida77/20090922/p1 鋸刃が峰につけられた異色の脇差と短刀。このほか、海部刀には刀身に穴のあいた刀もあるという。
> 鋸刃は阿波水軍で使われ、船具を切る工具として使用された考えられている。
あるいは、敵の陣地の柵等を破るためのものと考えられる。
なるほど便利だな。 真っ先に現代の歩兵が使うナイフを連想したが、 使い方も似てるんだな。
学生の頃、三年ほど杖道やってたけど、あれで刀に立ち向かうのはそうとうな達人でなければ無理だと思う。 剣術家が斬りかかろうと接近してくる出鼻を完璧に捉えてカウンターぶちこめるような人じゃないと無理じゃないだろうか。 引き落とし打ちなんかは相手より後から動いて、相手よりより大きな動作をして、それでも相手より速く動作が完結しないとできないだろうし。
>>448 むしろ陣地構築に便利そう
木材加工して
太刀は流石に無理でも小太刀で二刀流してる人はいましたかね?
>>456 貴族が遊びや小動物の狩りに使ったらしい
戦には使われなかったようです
これ狩猟具だろ。 こいつの登場で人類は大型動物を狩れるようになり 大きく飛躍し、マンモスなど多くの大型動物が絶滅した 残念ながら弓よりも戦闘力は落ちる
おっと投槍器(アルラトル)じゃなかったのか。ごめん 弾を発射するスポーツ器具みたいだね
意味不明なのは手突矢 矢で突くなら刀抜けよ
実際には武士だって、道具がなけれは太刀でも脇差しでも、構わずに道具として使ったよ。 刀が武士の魂なんて観念は、むしろ平和な江戸時代に入ってから始まったことだ。 本当に危なくなったら、武装を捨てて逃げるから、家紋とか入れるなと『雑兵物語』にも書かれている。 余り高価で華美だと、陣中泥棒の目を惹くものだとも書かれてる。 それが戦国時代のリアリズムってものだろ?
手突矢が普及していれば日本の剣術もフェンシングになっていただろうに。 手突槍の達人なんかフェンシングの達人みたいなもん。
日本では戦場で槍・斧・短剣などが投擲されることはありませんでしたか?
>>463 言われてみれば、投擲武器はあまり聞きませんね。
強いて言えば投石? 弓の普及が早かったので投げ槍の類は出番がなかったのかな。
投げ斧はないけど槍の「投げ突き」はある。
犬槍と言われるがあれは単に手柄にはならんってだけであって禁止ではない。
>>462 手突きの矢も投げ突きだろ。
http://www.j-texts.com/taihei/tk015.html >爰に妙観院の因幡竪者全村とて、三塔名誉の悪僧あり。鎖の上に大荒目の鎧を重て、
備前長刀のしのぎさがりに菖蒲形なるを脇に挟み、箆の太さは尋常の人の蟇目がらにする程なる
三年竹を、もぎつけに押削て、長船打の鏃の五分鑿程なるを、筈本迄中子を打徹にしてねぢすげ、
沓巻の上を琴の糸を以てねた巻に巻て、三十六差たるを、森の如に負成し、態弓をば不持、是は
手衝にせんが為なりけり。切岸の面に二王立に立て名乗けるは、「先年三井寺の合戦の張本に被召て、
越後国へ被流たりし妙観院高因幡全村と云は我事也。城中の人々此矢一つ進せ候はん。
被遊て御覧候へ。」と云侭に、上差一筋抽出て、櫓の小間を手突にぞ突たりける。此矢不誤、
矢間の陰に立たりける鎧武者のせんだんの板より、後の角総著の金物迄、裏表二重を徹て、
矢前二寸許出たりける間、其兵櫓より落て、二言も不云死にけり。是を見ける敵共、「あなをびたゝし、
凡夫の態に非ず。」と懼て色めきける処へ、禅智房護聖院の若者共、千余人抜連て責入ける間、
宇都宮神楽岡を落て二条の手に馳加る。是よりしてぞ、全村を手突因幡とは名付ける。
投擲武器というと手裏剣ぐらいしか思いつかない
投石は、道具を使って行われていた例もあったと思うけど、 投擲武器<弓だったからあまり発達しなかったのかもしれないね。 日本の強弓は相当なものだったようだから。
>>463 短剣、脇差を投げる技術は平安時代にはすでにあって、打物と呼ばれるようになります。
投げ槍は重くて射程距離も短いので日本では普及しませんでしたが
投げ矢は非常に古くから行われて、それが打根になりました。
江戸時代になってそれらが手裏剣術として纏められました。
普及も何も律令軍ですら専用の投げ槍って使われてないんじゃない? 戦国時代の場合は持ち槍をその場の判断で投げるだけだし。
そういうのがあるよって伝わった記録はあるから、試用の段階で早々に見切られたんだろうなあ
>>461 戦国時代は貧富を問わずあらゆる階層が刀持ってるっていうんだから
「武士の魂」になんてなりえるはずないしなw
フロイス「日本史」
・日本では、今日までの習慣として、農民を初めとしてすべての者が、
ある年齢に達すると、大刀(エスパーダ)と小刀(アガダ)を帯びることになっており、
彼らはこれを刀と脇差と呼んでいる。彼らは、不断の果てしない戦争と反乱の
中に生きる者のように、種々の武器を所有することを、すこぶる重んじている
『東インド巡察記』
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg564.html 世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、
若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、
十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
>>471 そのなごりで江戸時代の農民でも、
旅行中は護身用に脇差持ってよかったらしいね。
やくざ屋とかが持ってるのは長脇差。
長脇差って要するに刀じゃねーかとw
www 某重航空巡洋艦を髣髴とさせるな お前それどう見ても空母だろ!とw
ピストル携帯OKの世になったときロングピストルと称して ライフルでも持つかなw
>>659 古代ギリシアやローマ人が、投げ槍を投げるのに、
投槍器(アルラトル)を使わなかったのが、不思議で不思議でならない。
>>475 アルラトルは両手を使うからだろ?単純に。
>>475 槍のケツに紐着けてよく飛ぶようにしたんだろ?
ローマ兵はもともと距離をとって戦うより、 盾で守りながら距離をつめて、短剣で確実にとどめをさす ドクトリンだったからじゃ? アレクサンドロスのマケドニア軍は、 器具を使った投石兵はいたようだけど。
持ち盾は戦術の幅を大きく狭めるね
盾自体が大きな荷物になるしなぁ。
ヨーロッパの騎士が楯持ってるのは、乗馬した楯槍兵ってことなんだろうね。
【日本中世史】 「秀頼は豊臣秀吉の実の子ではない」 九州大教授が提唱 誕生日から逆算 新解釈も
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1346651869/ 一部抜粋
大坂城で起きたある粛清事件の新解釈などから、「非実子」であると主張している。
秀吉は多くの妻妾(さいしょう)を持ちながら子宝に恵まれなかった。50歳を超えて側室の茶々(ちゃちゃ)(淀殿(よどどの))との間にだけ、
早世した鶴松(つるまつ)、次いで秀頼を授かった。
秀頼については早くも江戸時代に、実父は大坂の陣で母子に殉じた家臣の大野治長だとする説が広まった。
作家の司馬遼太郎や遠藤周作も非実子説に言及している。ただ、これらは臆測や俗説の域を出ていなかった。
そこで服部教授は、秀頼の誕生日である文禄2年(1593年)8月3日から逆算、受胎が想定される
前年の天正20年11月4日前後に秀吉と茶々が同衾(どうきん)した可能性を検討した。
秀吉は茶々懐妊中の文禄2年5月22日、正室の北政所(きたのまんどころ)に、「太閤(たいこう)(秀吉)の子は鶴松のみ。
今度生まれる子は茶々ひとりの子でよいだろう」と書き送った。正室への遠慮などから喜びを押し隠した文面と解釈されてきたが、不可解な記述だ。
服部教授は「秀吉や北政所も懐妊の不自然さに気付いていた」と読み解いた。
(略)
ならば、なぜ秀吉は茶々を許し、秀頼を実子と認めたのか。「茶々はかつての主君、織田信長の姪(めい)。
織田家の覇権を簒奪(さんだつ)した秀吉にとって、自らを正当化するためにも、茶々が子を産むことは望ましかった」
(略)
これまで学界では、秀吉が秀頼を実子と認めている以上、血のつながりにはあまりこだわってこなかった。
しかし、服部教授は史実の解釈に重大な影響を与える問題だと考える。
秀頼の誕生が、秀吉の後継者だった関白秀次の失脚・自刃につながったとされる定説や、
関ヶ原の合戦で秀吉子飼いの武将の多くが東軍(徳川方)についた理由についても、
「背景に秀頼出生の正統性に対する疑惑があった」という視点で再検討されるべきだと主張している。
yomiuri online
ttp://www.yomiuri.co.jp/book/news/20120822-OYT8T00735.htm
スコットランド軍の長槍に懲りて、 状況に応じて下馬して戦うようになったイングランド騎士は、 騎乗状態だと乗馬した槍騎兵、おりると重装歩兵ってとこだったんかね。 戦国時代の武士も状況に応じて騎馬武者を集めた戦いと、 徒歩での戦いを選択してたようだけど。
アザンクールのフランス騎兵もそうじゃなかったか。 下馬して前進してイングランド弓兵にフルボッコ
メンアットアームズの訳語って装甲歩兵?
「兵役に就いてる人々」だとおもってたが
ぐぐる様に翻訳させたら、腕で男子だったw ワロタw
オスプレイの「ばら戦争」だと騎士も従者も含めた重装甲兵という解説があるわ。
騎士だと身分の一つだと思うんだが
内容が流れに関連するし、原文引いとくわ。 「ばら戦争」P43 馬を下りた重装甲兵 1455〜1460年頃 あらためて指摘しておくと、「重装甲兵<men-at-arms>」とは 完全装備の兵士たち---騎士、従騎士、小ジェントリー層、または 高位の騎士の護衛を務めるサージェント---などを指す。 この時代の重装甲兵たちは頻繁に徒歩で戦った。あまり楯を 使わなくなり、両手が自由になったためにさまざまなポール・アーム の使用が可能になった。
P36 「騎馬歩兵」のなかには、馬で偵察や側面守護などに赴く者もあったが、、わずか100騎ほどの 騎馬予備軍は別として、馬はすべて荷物と共に後方へさげ、戦闘は徒歩で行われた。 この措置は主として使用する武器がそうさせるのと、馬に乗ったまま効率よく戦える騎兵が ほとんどいなかったという事情による。
徒歩より詣でけり
>490-491乙
そう考えると、重装甲化で盾がいらなくなったということは、 日本の武士が手盾を捨てて(というか軍団制が崩壊するとともになくなったが)、 両手を自由にして槍や大小の刀を手にしたのは、 ヨーロッパの戦術の推移と一致していたのか。
嫌儲に似たスレがあるな
>>494 武士の場合は「弓を使いたい」という、盾を強く排除する圧力があったのではないかと。
日本の場合は、承久期くらいまで、弓>>長柄>刀くらいの、実戦での威力の差があるはず。 以後、弓を訓練された戦闘員より、動員された兵の方が多くなっていったという愚痴がどっかになかったっけ
騎馬弓兵で思い鎧ごてごて装備するって寡聞にして聞いたことがない 武士は奇形
そっちの方が説得力あるな。 律令時代から弓馬は上級兵士に求められる技能だしね。 で、結果として太刀も両手使いの物が使えるようになり、 ポールウェポンも発達した、と。
>>497 実光故実からは治承・寿永期ごろには重武装化の進んだ甲冑フル装備の武士を騎射のみで仕留めるのが困難になり
下馬打物か組み打ちで仕留めるのが主流になっている様が伺えるが。
日本で弓騎馬に対抗するには重装甲弓騎馬が良かったのでしょう
>500 で、この流れの>494あたりに戻ってもらえるといいんじゃないか? 弓射の威力増大とともに上級戦闘員の重装甲化が進んだ。 上級戦闘員撃破に郎党込みでの集中攻撃とか、 上級戦闘員が下馬しての戦闘に積極的になるとか、 いろんな波及効果がある、くらいのつもりで俺はいるもんだから、 承久期以降組討が増えたんじゃないかと言われればそうなんだろう、と思う。
上級戦闘員を抹殺することで、敵の支配層を根切りにするのって、一種の戦略なんじゃないかと思う。 ただ、権力機構が整備されると、組織戦闘力が優越になってゆくんだろうとも思う。
馬上熊手って自分もかなり落馬の危険性あるよなw
主が落馬したら、郎党も討ち死にの覚悟だろうに。 郎党が落馬しても、逃げかえられる公算はあるけどさ
その熊手の武士は装いから見てもかなり身分は高そうだぞ。 郎党の類ではないだろ。ただそういう脇役を引き受けるあたり主の兄弟とか 親戚あたりかな。
武装した主人をおぶって帰るのは中々大変だな。 もう一人の護衛の薙刀の郎党と交代制かな?
日本ってすごいな。 まさに主人を支えて後退する郎党に見える
>>509 振り向きざまに弓を放つパルティアンショットみたいな感じで
弓を射ている武士もいるな。
そういえばやぶさめは横にうつだけだが、
本来の馬上弓は、前方後方左右にうつ練習も一応現代に残ってるんだっけか。
盛岡藩って他にも四角い土俵の相撲が残ってたり、日本の中では ちょっと珍しい肘での打撃重視の諸賞流和術があったり、なんか独特だね。
七人の侍とかではしょせん野党だから路地に追い込んで馬倒せたけど、 流鏑馬慣れしてる武田や南部の騎士が10騎もいたら余裕でアウトレンジされて徒歩じゃとても勝てなさそう。
あれは、脚本が巧みで、のぶせりを追い詰めていっただけ。 のぶせりは、拠点砦を失い、監視狙撃の種子島をうしない、夜襲は撃退され、統制は乱れて、決戦するしかなくなったという脚本
あれは戦国時代の野盗VS江戸時代の農民だから。刀狩で取り上げられるまで農民も 銃や弓、槍で武装してたから、時代考証的にはおかしいんだ。
藤木久志の「刀狩り」では冒頭でそれを解説してるな。
>>517 十騎程度の弓騎兵が援護もなしに突っ込んでくるだけなら
むしろ掻盾と長物の準備で戦国農民に簡単にやられると思う。
というか鉄砲に関しては江戸時代になると害獣駆除という名目で許された村の鉄砲の総数は 藩の武器庫のものより多いという報告がその本に載ってる。「村筒」という村の鉄砲打ちに足軽としての 軍役を課す例も。
藤木的には、余所の村と連合して、ふつうに落ち武者狩りをはじめて、落ち武者は寺社に逃げ込もうとして僧兵に拒否、または討ち取られる的じゃね?
おだ のぶせり
それよりも納得いかないのは 最近出たほうの「十三人の刺客」。 昔見たドラマ版はいろいろ罠はって、刀での斬りあいは本当に最後の手段。 結構面白かったんだが。 新しいほうの十三人の刺客では、 一応罠ははってあるものの、弓も投擲武器も残っているのに 「ここからは決戦だ!」的なことを叫んで、ひとりひとりが連携もとらずに 高所から飛び降りて戦いはじめた。 見せ場作りのつもりかもしれんが、あれは納得いかん。
納得いかんけど伊勢谷のような妖怪がでてる時点で、アクション時代劇かと。
西ヨーロッパって騎射は流行らなかったんですかね?スペインとかはイスラムの影響で多少やったんでしたっけ?
ポーランドのウィングハサーは時期によっては弓を装備している ただ、停止射撃のみだったか騎射もやってたかはわからない また、カラコール戦術を騎射の進化形ととらえられなくもない 弓騎兵部隊の騎射ってめちゃくちゃ広い面積必要になるけど、 車重300-400kgのバイクが数百台回避機動をとりながらぐるぐる回って るようなもんだから、接触事故に気を付けざるを得ない 西ヨーロッパは産業革命まで案外森林地帯が多かった気がするから それも理由になるかも
>>528 西ヨーロッパってもブリテン島、アイルランド、フランス、スペイン、ポルトガルは大航海時代で大量の木を伐採してもうたが…
特にブリテン島、アイルランド、スペイン、ポルトガルは顕著だ。
にわとりか卵か知らんが ヨーロッパは無暗に馬格でかくして重装用にしたからな そうすると飼料とかいるようになって気楽に飼えないし馬匹が必要になる モンゴル馬とかは粗食でも平気らしい 日本馬も粗食で平気なのかねぇ
重馬種て軍用で使ってたか?
ナショジオの武士道と弓ってやつ見てきたが、その中でヨーロッパでは弓は庶民の武器って言ってたな あと弓術と馬術どっちか習得するだけでも大変なのに、それを両立させるっつーと大変なんてもんじゃないっぺ 弓騎兵を大量に供給できたのはそれが生活ですな遊牧民族ぐらいだし ウェールズのロングボウ兵の有用性が知れ渡った後も他の国が取り入れなかったのは、習得が難しくて数揃えるのが大変だったかららしい むしろ日本の武士に対して何でお前そんなに頑張ってんのと思う
>>532 武士の場合は職業的戦士階級だからな
生活に追われることなく鍛錬に邁進できる環境で
武士が比較的多人数揃ったのは
米の収率が良く農民以外の寄生人口を多く養えたことに求められるんじゃないかな
三河武士なんてまだ半農だったそうだが 完全に分離したのなんて相当あとじゃね 日本の農業はやたらと手間がかかるからなぁ…ヨーロッパの方が暇じゃね?
すこし上でもやってるが、農民も重武装してた。 上級戦闘員は、従者を抱えられる荘園的農園経営層だと。 それらだけでなく農民も武装していた、と。 時代によってそのレベルはいろいろあろうがね。
上級戦闘員ってどこの用語だよ
このスレで臨時に使われただけだ。ちょっと上の方で使ってる。
稲作は田植えと刈り入れの時期は人手必要だから 戦士階級でもそのときだけ手伝ってやれ
遊牧民族は馬に乗れる男は全員兵役義務あるんだっけ。 人口少なくてもやたら動員数多いんだよな
>>536 一つ上で武士は余剰時間が多かったんじゃないかというから
そうでもなかったのではなかろうかと言いたかっただけだ
農民が武装しててもこの最関係ない
鎌倉幕府の御家人は480人だそうで 同等級の非御家人含めたって全国で1000人居るかどうか この1000人を総領として子息兄弟含めて1万に届くかどうかが 上等な鎧着て、立派な馬に跨り、弓に長じた中世日本の騎馬武者ってことで この人たちは日常的に農作業してる人種ではないし 源平の争乱とかみても農閑期でなくても軍事行動してる 足軽等で武装農民等を戦力として使ってない時代なんよ
一族郎党ということで、 腹巻などを装着して薙刀や刀で戦った雑兵もいたわけなんだが。 完全に血族だけで軍編成してたわけじゃないだろう。 元寇でも九州の武士だけで数万は集まったみたいだぞ。 二回目のときは船団が去って、 岬に立てこもった数万の元軍を正面から蹴散らしてるし、 数千名ってこたないだろ。
>上等な鎧着て、立派な馬に跨り、弓に長じた中世日本の騎馬武者 は数千名だったろうけど >足軽等で武装農民等を戦力として使ってない時代 そんな時代はない 募兵徴兵で賄われた歩兵がいなかった時代なんてない
>>543 無いだろうといわれても御家人は500人居ないのは事実
だから元寇ではその他の階層からも人を募り、幕府を揺らがせる一因になったわけ
んで、弓馬に長じた特殊な連中である騎馬武者と徒歩の下人は別だが
彼らは奴隷に似た階層で一家の所有物、馬と大差無い
武者の軍馬が農耕馬ではないように、下人も農民じゃない
もちろん暇な時には農作業もさせることはあるだろうけど
平時でも家の雑用や従者としての仕事は多々ある
時代が下って奴隷的立場から離れても、奉公人として家に勤務する人だ
武士は米六合は食ってたらしいな。 カロリーもあるが、それだけ食えばタンパク質もカルシウムも ある程度とれるようだから、体格は良かったんだと思われる。
まぁ、当時は肉や野菜が貴重品で、武士だろうが一般人だろうが主に米など雑穀などから栄養素を補給していたから、 一般の農民でも四合くらいパクパクしていたそうだけれどね。
>>535 農業と水稲耕作は違うということはわかっているけど、
1.水稲の生産性は、陸稲、麦の類を圧倒する高さ(特に麦の生産性は過去低かった)
2.水稲は、田植えと稲刈り以外はあまり手間が掛からない。手間がかかるのは、他のことをいっぱいやっていたから。
>>547 つ 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」(by宮沢賢治)
米と味噌の組み合わせはアミノ酸スコア的に理にかなってるとかなんとか
御家人500人か・・。寄騎を入れてもやっぱ流鏑馬慣れした騎士ってのは恐ろしい連中だな。 馬自体、ただの駄馬・農耕馬と最高級の木曽馬・南部馬だと全然違うだろうしな。 相馬野馬追いとか見ても、あの中に徒歩で突っ込むには全学連中核派くらいの準備と煽動が必要だと思う。 雑賀衆とか伊賀惣国一揆くらいの鉄の規律と訓練があれば農民でも対抗できるんだろうけど。
御家人480人ってwikiの数字かと思うんだが >鎌倉幕府と御恩・奉公の契約関係にない「非御家人」の数も多かった。執権北条氏に仕えた御内人は、非御家人の典型である とも書いてあるからな 正式にそう言いうか知らんけど、いわゆる陪臣じゃないかこれ よく知らんが御家人の部下は一律に御家人にならんのでは
553 :
名無し三等兵 :2012/09/05(水) 11:25:30.05 ID:8/mbs5hG
西洋ではクロスボウで騎射ってありました? 普通に考えると再装填ができないもしくはしにくいでメリットはないでしょうけど
まあクロスボウ自体が対人兵器としては禁止令が出てますから、あんまり騎士が正面切って使える武器では有りませんね。 誰が撃ったかバレなきゃOKとか、イスラム教徒は人間じゃねぇ、とか新教徒も以下略(禁止令出したのローマ法王)でうやむやになるんですが、そのくらいになると銃が出回るし。
>>553 西洋って、どちらかというと騎士は槍で突撃!
という思想だから弓騎兵やクロスボウ騎兵は発達しなかったかと。
銃は馬上でも再装填できるけどクロスボウはできないし、
直射には向いてるけど曲射には向いてないし。
557 :
名無し三等兵 :2012/09/05(水) 13:04:03.80 ID:tHzyE7B5
>>556 おおおおおお!すげええええ!
居たんだ。
日本・モンゴル・イスラムと世界中で銃が普及するまでは弓騎兵が戦争の主力だったのに 西洋だけ弓騎兵が発達しなかったのって、 騎士(騎馬兵)は白兵戦オンリーという思想が一般的だったからですか? それとも欧州の地形的な問題ですか?
>>556 カラコールの走りみたいなものかね?
確かホイールロックのピストルがまともな値段になったのは
16世紀も後半だったような。
フランスの相手はあのテルシオだし、騎兵で槍持って
突撃する気にならないのは理解できる
>559 遡ると、ローマ軍が規模を賄うほどの馬の生産ができなかったらしいところに行き着くみたい。 ローマは結局、馬の生産地から騎兵を丸ごと取り入れてた。 で、パルティアとかペルシアとかと戦ってるんだけど、常に騎兵は劣勢だった。 騎兵の質でも劣っていて、あぶみの無い騎乗での弓射とかはできなかったらしい。 そのまま、ローマが崩壊して、西ローマは解体、東ローマは命脈を保つんだが、俺は東ローマは良く知らんw すげー面白いらしいけどな。 アッティラ軍が消滅したのは、欧州での馬の生産に失敗したからという説があるらしいんだが、 西ローマ解体後も、馬の大規模生産は当然、無く、封建化とともに騎兵も欧州ローカルに固定された。 それで非弓騎兵らしい。 この非弓騎兵の運用は、知られている通り、防御の弱い歩兵には破壊的な効果をもたらしてたから、無問題だった、と。 弓兵と対峙したときにはアザンクールになるし、方陣と対峙した時はスイス軍との戦いになる、と。 その後歩兵戦術が発展して、欧州ではコンバインド化される、と。 歩兵戦術が発達した理由も、やはり馬の生産と調達なんだろう。
ビザンツには弓騎兵いたでしょ。あとはヨーロッパだとハンガリーくらい?
カタフラクトは弓も剣も盾も槍ももってるなんでもアリの重装騎兵と認識している
ビザンツの場合は自前というより支配下の国から出させていたはず。
松村劭がビザンツにはすごい名将がいる って書いてたから気になってるんだがビザンツの本自体全然みつからないのであった
オスプレイの本でビザンツのはあったけど、それなら載ってるかな? 読んでないからわからんけど。
ぬんだと でもオスプレイの戦史シリーズ売ってないんだよなー 通販しかないのかー
狡兎死して良狗煮らるみたいな人か。
572 :
名無し三等兵 :2012/09/05(水) 21:13:23.89 ID:tHzyE7B5
>>565 うおおお!
すげえええw
いろいろ試行錯誤してたんだなw
>>570 忘れちまった、不敗だとか書いてあった気がするけど
全文一行くらいちょろっと振れてあったぐらいだから何に書いてあったかも思い出せん
>>545 >彼らは奴隷に似た階層で一家の所有物、馬と大差無い
『奴隷に似た』という言葉の解釈にも因るだろうけど家の子郎党と下人(下男,奴婢)はまったく別物だよ
家の子郎党は主に戦闘員として仕えている者で仮に出自が下人であったとしても武士として扱われるが、下人は主家に
於いて譲渡,売買,相続などの対象としても扱われる雑役労働等の所有物でしかない
下人と違い郎党は自由意思で主従関係を結んでいるので基本的には自己の判断で関係を解約することも許されていた
鐙発明以前の時代だと、両足で馬の腹を締め付けて、両手を自由にして弓を使うのは 幼い頃から馬に乗ってた遊牧民だけしかできなかった特技。古代においては農耕民出身の騎馬兵には 真似できなかった。鐙発明以後は、容易くはないが、農耕民の騎馬兵にも可能になった。
>>575 否。
特殊な鞍を使用してたローマ帝国や属州はチャージや弓騎兵がいた。
チャージだけならアレキサンダー大王の貴族、ローマの貴族・騎士階級等訓練を受けるコトが出来た特権階級は特殊な鞍を使ってない。
ローマはケルトから特殊な鞍が伝わってから騎兵はその鞍を使ってたが。
>>576 そりゃローマはヌミディアのような遊牧民族も傘下にいたからだよ。ローマ軍に弓騎兵がいたことは
確かだけど、ローマ人の騎兵が騎射できたって意味じゃないぞ。
>>577 属州でもローマ市民権ありましたよね?
すなわち、ローマ人ですよね?
足らないのは色々なトコからリクルートしてきましたが?
ちょっとその特殊な鞍について知りたいんだが、どんな形してたんだろうか?
>>578 属州民は軍歴22年でローマ市民権がもらえるので、ローマ軍在籍は大概の場合ローマ人じゃないなあ。
>>580 ぐんれきにじゅうにねんて…
市民様になった時にはいいおっさんだなw
まあ子孫のためと思えば半生ふいにする価値はあるか
>>579 鞍の四隅で腹部や背中を固定出来るようになってた。
大雑把に言うと逆さにした四つ足で背あての無い椅子にみたいな感じだ。
>>580 カラカラ帝の勅令以後は帝国内全ての自由民は全てローマ市民権ありますし、カラカラ帝の勅令以前でも補助兵満期除隊した兵士の子息はローマ市民ですが?
つか外人がローマ市民権取得することがこのスレと何か関係あるのけ?
西洋で弓騎兵が流行らなかった理由に関する考察
に、ローマ市民権がどれほど貢献するかって問うてるんだと思うw 双方に言い分はあるかと思うが、発展性が無ければそろそろ何らかの結論を出してくれるとありがたい。 ローマ市民権からスレに合った方向性に伸びるでもいいけど。
その後の西洋の軍制に大きな影響を与え続けるローマ軍編成の中で 弓騎兵が外部発注か本流かで扱いが変わる ってとこなんかな
ローマ軍はどんどんローカライズを進めて行っちゃったわけで、ローマ全体に弓騎兵が普及する助けにはならなかったような
>>586 仮に異民族を統合して本式に組み込んだとすると
異民族全員を市民にしていなかった場合(大半だと思うが)二頭立ての編成になってしまう
実質同じものが二つできると扱いがめんどくさくなるだけだと思うが
ローマ後期の軍団編成ってあまり知らないんだよな…
属州からは「市民になりたい奴」しか入ってこない 属州兵の子息はローマ市民になっちゃうから軍役の義務から開放されるので 属州文化を会得してても兵員になるとは限らない つまりローマ軍と補助軍の特性差は基本的に固定され ローマ軍が騎兵化したりはしない
紀元前にローマ人の騎兵いたけど常に弱いんだよな。まともに活躍したのはザマの戦いぐらいじゃね
ザマの戦いもヌミディア騎兵がハンニバルを見限ってローマについたからだよ。
民族移動期のゲルマン系は騎乗率高いんだよな 移動させられる資産として積極的に増やしたのか
593 :
名無し三等兵 :2012/09/06(木) 08:02:25.78 ID:IrVZE4xk
アレクサンドロスの騎兵は常に集団運用して活躍しているのに、 ローマ騎兵は輝かないよなぁ。
騎兵を外人頼りになったのはローマ中期にプラント経営者が没落してからじゃね 騎射は訓練に長時間要するから経営者にそんな暇はなかった
595 :
名無し三等兵 :2012/09/06(木) 10:11:37.36 ID:IrVZE4xk
そういえば確かに、ローマ初期は騎士階級がいたんだっけか。 市民が武装するようになってから廃れたんだっけね。
ポリス全盛時代のギリシャ諸都市の騎兵もテッサリア騎兵みたいなのを外注でつれてくるのかな? それともほとんど騎兵はいない?
ローマにおいて、軍制改革以前は、資産に応じて武装を整える義務があり、馬を飼えるだけの 資産がある騎士階級が騎兵になったけど、騎馬民族の騎兵と戦えば同数ならまず負ける。 強い騎兵は初期の頃から外人頼りだな。
都市国家時代も同盟市からも騎兵集めてまだまだ足りてなかった筈 ローマに限らず地中海世界は慢性的に騎兵不足だけど。 まともな騎馬民族といえばヌミディア程度だし、それも 中央アジアや蒙古に比べれば吹けば飛ぶ規模でしかない
599 :
名無し三等兵 :2012/09/06(木) 10:29:36.66 ID:IrVZE4xk
フン族の衝撃ったらなかったな。
ケンタウロスなんて怪物を想像するあたり、ギリシャの人にとっちゃ人馬一体での騎射なんて 人間の諸行ではなかったんだろうね。
軍制改革後も拡張期の騎士・貴族階級が手っ取り早くのし上がるには軍で活躍するのが1番だったが。 代表的なのはカエサル、ポンペイウス、クラッスス、スッラだろ。 ローマの場合、強みはプロによる諸兵科連合、兵坦、オナガーやバリスタ等の優れた砲撃兵器、優れた装備等だろ。
ローマは工兵の築城も抜群でごわした。
機動力のあるパルティア騎兵にローマ歩兵は苦戦したらしいけど ピルムではやっぱりダメだったかね?
ピルムは歩兵の突撃前制圧兵器だから。 あれで敵に盾を放棄させる
馬にはダメか。投げ槍は動きに乏しい目標向けだもんな。
短弓と投槍でも射程が段違いだわ。 投石散兵線で防護はありえるけど、まずその散兵線が射撃で撲滅されるだろうし。
頼りのスクトゥムはパルティアの合成弓の威力に貫かれまくったとかなんとか。
第三回十字軍のアルスフの戦いなんか、弓騎兵で消耗を強いて、かつ食いつかせて突撃したところを叩く予定のイスラム軍に、 十字軍側は消耗させられまくって、最終的にはキレて突撃して、そのキレ突とリチャードの判断とがたまたま一致していたから、 その機に乗じて反撃、イスラム軍を撃破してた。
609 :
名無し三等兵 :2012/09/06(木) 18:51:13.38 ID:7gktXg7K
>>580 >
>>578 > 属州民は軍歴22年でローマ市民権がもらえるので、
カネで市民権を買う裏道もあったのではなかっただろうか?
>>607 なので、その弓矢の威力に驚いたローマは採用し改良を重ね、復元実験の結果だと有効最大射程400メートルというふざけた数値を叩き出した。
パルティアとの戦いでローマはその他にも弓騎兵、重騎兵、カタクフラクトをパルティアからパクった。
612 :
名無し三等兵 :2012/09/07(金) 01:38:59.17 ID:uD83nFif
400mはすげーな。 ちゃんと集中運用したら、半端な戦列歩兵に撃ち勝てるんじゃないのか。
ライフル出てくるまで無双できるわ
大迎角かけて打ちまくる集団射だから。 和弓だと尋矢(くりや)と言って、400メートルくらい射るのがあるらしいが、それも矢しだいでどこに行くか判らん、危ない試射らしい。 三十三間堂は28mだったかな。 弓最強の命中精度を誇る現代アーチェリーでも80mくらいが競技射程。
ローマに関してはなんか物理無視したような話多いんだよな
616 :
名無し三等兵 :2012/09/07(金) 02:07:46.10 ID:uD83nFif
建築技術もちょっと異常だったよね。 コンクリートを使った製法の可能性もあるらしく、 巨大都市や大きなドゥオモ(ドーム)型建築もすさまじいスピードで作れたという説がある。 ポンペイにいったことがあるんだが、本来は 夜間は光を蓄積して光るタイプの石が道路に設置されていて光っていたそうだ。 偽大理石で作られた家とか、カウンター式の居酒屋とか、オーシャンビューの風呂に 今でいう風俗やら何やらかんやら、西欧との比較でいうならば 18世紀くらいの生活レベルなんじゃないかと思ったわ。
400mと言う射程は誇張かもしれないが、状況によって短弓を上回る能力を発揮しうるものだったとする説は正しいだろう
時速100キロだと射出角45度空気抵抗無しで飛距離78mという現実 室伏のハンマーがこれくらいで3000ジュール、ライフル弾くらいのエネルギー
名無しだが、上級大将殿はお元気であられたか。よかったよかった。俺個人からすると3年ぶりくらいだもんだから
弾は500g弱程度の重量だった言うのが有名だが、アナバシスではあまり具体的な材質・形状・重量・投擲法の言及がないのが…
自分で
>>618 の様な事を言っておいてなんだが、ほぼ同条件下にあったクレタ弓兵のスキタイ式コンポジット・ボウより射程が長いというのは無茶だな
古代中国の設置型の大型弩は、射程1.5kmあるやつもあった、 という話をちらと聞いたことがある。
いや、鼓張でしょう。 和弓の尋矢も、どこに飛ぶか判らないような、大角度発射だし、空気抵抗を抑えるために羽根も切るそうな。 細い矢自体で揚力を得るように、中ほどが太いものにするとか、いろいろあるらしい。 400メートルを集団戦術射撃で射程としてるかといわれれば、厳しいんじゃないかと思う。 しかも弓騎兵だとさらに難しいだろうし。
古代ではスリングと弓は組み合わせるもの。山なりの軌道を描く矢と 直線の投石を同時に撃つと、防御する方は、盾を上に向けると投石が直撃するし 垂直だと頭の上から矢が降ってくる
ちなみにローマ関連は戦闘技術の歴史古代編等のローマ軍関連書籍で調べれば出てくる。 ローマの弓や投擲兵器の運用方法は重装歩兵で拘束し拘束された敵の中心や後方に対して弓やオナガー、バリスタ等をぶちこむ。
ちらほらと当時の戦闘に触れる程度の目立たない歴史本によっては、むしろフェンドネスタイの攻撃の方が直線的であり、高度な訓練を要するものの、弓より命中率が高かったとされることもある
ただこれの面白いところは、アナバシスにあるように「無理やり長距離に飛ばすと凄い飛ぶから凄い!」というのと相反するところか
投擲する弾体の都合から、鎧に弾かれるほどの距離でも衝撃がある・横風の影響が少ないこと、と言った利点が膨れ上がったなど、誇張の原因は考えられるが、あまり記述が無ないので、下手をすると全部間違いと言う線すら捨てられないのが悲しい
まあ、利点が安さと持久力、縦の間隔を密集させやすいこと
難点も、多くが都市に縁のないプシロイである熟練したフェンドネスタイを辺境から連れ込むことが面倒、と言った地味なところでは、物語に仕立てるとつまらないが
>>620 意欲と自主性と知識が乏しく、自らの意見を発信できない、今どきの若者に見られるROM専と言うあれ
弓矢は400メートル飛ぶは飛ぶだろうが有効射程ではないわな 威嚇や牽制で当たっても大した怪我はしないだろう
危険射程と有効射程の違いってやつでな。危険だが有効性は薄い。尋矢はどちらか言えば技量確認のためだそうな
言われてみればどう考えても投石の弾の方が矢より重いし横風も受けないな
ローマの投石はよくわからんが、イスラエルの考古学遺物を発掘すると、素焼きの投擲弾が発掘されたりするそうな。 つまり、適切な大きさのものを「作って」」供給したのだと。 焼いて作った礫が降り注ぐってイメージはたぶんそれだなw
4世紀に成立した「軍事学」という本によると、ローマ帝国軍には投石兵がいたとある。 振り回すから、連射がきかない、間隔あけないと危ないから密集できないと欠点があるので だんだん弓に置き換わっていったそうだ
単純に弓の性能向上だろ
投石兵はギリシャにもいたはず。体格貧弱な奴や甲冑買う金のない奴は投石でがんばった。 逃げ足の遅い奴でも重装歩兵の集団よりははやく走れる。 石でも当たりどころよければ重装歩兵何人か倒せないこともない。
一種の散兵線みたいな感じだったようだな。 スリングを使って投げるから、投石兵同士の距離がないと危ない。 ぐるぐる振り回して石をかなりの速度で投げつける。
まあダビデとゴリアテの逸話どおり うまく当たれば効果の大きい武器だったんだろ
たしかに、軽装歩兵全般が散兵線をしくか、主力の側面後背を守ることが多かった
ただ、投石器は横幅はともかく、縦幅はそう取らないので、形は若干異なるが、密集隊形をとること自体に大きな問題はないとも言われる
>>635 ギリシア都市国家における射程武器は、それ自体が格闘能力を有するアコンティスタイ(投槍兵)に任されることが多く、これはイプィクラテスによる改革後のペルタスタイ登場後も同じだ
対して、名誉や風潮などの問題もあって、弓や投石は人気職から遠く、またそういったことから無理に馴染みのないこれらを組織しても連度が低い
弓と投石は、同じプシロイが担うことになってはいるが、これは収入や体格と言った制約によるものではなく、むしろ彼ら以外にこれを扱えなかったことから集められたプロフェッショナル集団と言うほうが近い
同じプシロイではあっても、都市(あるいは外縁の)生活者ではなく、ギリシア世界の中に入るが、独自の生活を営む民族などの中には、一々都市のプシロイに弓や投石を習熟させるより遥かに熟練した者たちが居たわけだ
それがクレタ島やロードス島の人々であり、ギリシアはこれを傭兵とした
まあ、彼らがそういった兵科で専門性を発揮した理由が「重装備を用意できなかった」状態が民族・国家レベルで長く続いたためでもあるが
>>632 ギリシアにおけるフェンドネスタイ、つまるところ、バレアス・ロードス傭兵隊や素性も知れぬ遊牧民なわけだが
彼らは数種類の弾を持ち、それらは鉛や青銅、鉄でできている事もあったとされる
もちろん、散兵として運用するに当たっては、近場の石で半永久的にかく乱し続ける事も重要だったが、長距離からの一斉投擲のためにはこれらを利用したらしい
ただ、常にギリシアの都合で徴募できないことや、ギリシア内でも軽視される傾向が強いのが残念だ
愛と友情と誇りで結束した重装歩兵が軽装歩兵の散兵線を食い破り、蛮族のなよなよした方陣を粉砕するほうがかっこいいから別にいいが
640 :
名無し三等兵 :2012/09/07(金) 14:26:35.22 ID:8kYDT8ZG
まあいざとなったら石で殴りつける(キリッ 棍棒を嫌った件と言い、連中はこういうのに煩いからな
>639 都市遺跡からの発掘だったはずだから、都市の防備備蓄、軍事備蓄だったのかもしれない>素焼き投擲弾 凶器準備集合なのか、武装階層なのか、支配階層に委託された武力集団なのか、武力政権なのか、社会が軍備に投入できる武力準備量が、武装の質を決定するのは、言うまでも無しか。 日本の弓矢は決定的な武力として見なされたから、武装階層の訓練すべき武器なんだろう。 ギリシャは方陣が花形で、これを援護する兵科は格下だったんだろうなw
経緯や風潮はどうあれ、無理に慣れない兵科を自前で組織するよりゃいいよな>傭兵 中世〜近世でもずっとそんな感じだし
投擲のルーツは狩りの他に、害獣駆逐もあるそうな。牧畜民の動員で、投擲兵が編成されるのはありえるんだろう。 イングランド弓兵も地元民を動員してたし。 海軍なんかもそうだろうし。 ずっと話題になってる騎兵も、規模は巨大だけれど同じなんだろう。
しかし、攻めるんでもなければ ロードスあたりの田舎まで徴募部隊送り込んでも、帰ったら戦争終わるか一段落だよなw
ディオドロスに言わせれば「バレアスのギュムネス強すぎ、最新鋭のカタパルトと同じくらい射程も威力もあるじゃん、しかも百発百中だし…あれ、これってカタパルトが弱(ry」 彼らも彼らで、畑を耕すのよりもギリシア本国(と言うのも少しおかしいが)から戦争参加の褒章を得るほうが、個人・集団としても有意義過ぎて、ますますスパルタン状態になり、伝説化が加速 起源は騎兵の本場、スキタイの狩猟技術であったと言うギリシアの歴史家も居るが、メソポタミア全土で弓矢と時を同じく発祥したことを考えるとどうだろうか 面白いのは、これだけ褒め称えつつも、当時でも後世でも「不名誉で野蛮な」兵科であったことか 個人的に一番笑えるのは、軽装歩兵の機動力で代用しようとするほどの騎兵の不人気具合だが
>645 うん。その辺はある地域での、武力関係が整理されると、経済によって併呑されてゆく、好例じゃないかと思うんだ。 つまり、都市が生まれるようになると、その人口を動員して、武力に転化できるようになって、 より弱い地域を都市の経済圏として組み込む関係を、まず軍事的に確立したあと、経済圏の中に入れてしまうと、今度は地方が軍事需要を満たすものになる、と。
それ以上スパルタの悪口はやめろ!! 元はギシリヤでも文化的な国だったんだぞ!!!
衆道は文化的だぞ
>>645 金と経験がなくて騎兵隊を組織できないのに 不名誉だから!別にほしくないから!! っていっちゃうポリス可愛い(///
って思ったけど、普通にあまりものの騎兵だけで規模的に相手を上回ったり
傭兵や戦術込みだと本場なみの立ち回りを見せたりしちゃうポリス正規軍やばい
>>647 今のギリシャ並みに経済がたがただろ
農業主義経済()
王政()
地中海文化圏は騎乗の習慣そのものがなかったからな。鐙どころか鞍の発明以前の時代だと 馬に乗ること自体が大変困難だった。
中世と違って「重装騎兵かっこいー、ちょーつえー。弓とかかっこわるい(ウワーコンポジットボゥツエーギャー」じゃなく 所詮は重装歩兵をうまく生かすための足の速い連中程度だからな
ポリス間の抗争では、戦闘が行われる場所が、だいたい決まっていたという説がある。 戦争の持つ文化性の一部として引用されることもあるそうな。 後のパルティア正面とは全く違った様相なんだろう。 丘に都市を作りたがったのはギリシャ人だっけ? とりあえず、ギリシャポリスの都市防衛軍が戦闘を想定している領域ってのは、それ自体がそれほど広くないのかもしれない。
いや、ギリシヤも昔から普通に西へ東へ北への遠征やら、逆に遠征軍への対処やら忙しいぞ 内戦に近い、決して壊滅的なところまではやらない、理性的な都市同士の抗争が多かったのも事実だが、むしろ他所との絶滅戦争のほうがやばい
たしかにペルシャ軍が来たり、アテナイがいろいろアレしてたっけ。 戦術的な理由と作戦レベル、というか戦役レベルは分けて考えないとダメだな。すまん。
ローマやペルシャと同じで、結構蛮族の掃討やら懐柔やらで地域を安定化しようってがんばったりしてたっぽいけど、ローマほど戦乱が目立たないな 案外、古代ギリシャの方が、その辺りはうまかったのか?
古代ギリシャは、神話や伝説と歴史が分離してないから。 有名なトロイとの戦争も、あの通りなわけはないだろうが、元になった事実はあったし、 騎馬民族との戦いがケンタウロスの逸話になってるように、戦乱はかなりあったとかんがえられる
>>656 丘の上が好きな理由は、都市国家の成立時期と地理条件を考えてみると、分かりやすいかもしれない
古代ギリシヤの暗黒時代(と言っても、地獄の中世欧州と違い、むしろ安定期・発展期に近いが)の終わりごろには、ドーリア人や海の民の連合で賑わう文明の倒壊が発生
混乱から立ち直った後、比較的小規模な集団で、山がちな地中海の限られた平地に各々勝手に自治を始め、それらの勢力が次第に干渉し合い、乱立し(比較的)孤立した都市同士の闘争が始まる
この都市には、ミノス王の時代からミケーネに至って「都市の守りを固めねば生き残れない」と言う思想が定着していたこと、また、ミケーネ崩壊後のルネサンスによって宗教観が変化(前7世紀ごろにはこちらが主な理由になる)
これによって、地中海には山ほどある手ごろな丘の上にアクロポリスとそれを守る城壁、周囲或いはその内側にアゴラが作られている
市民の宗教的(政治的)象徴とそれの守りが丘の上にあり、ポリス成立の経緯から地中海を歩くとそれが乱立しているものだから、蛮族や中東の人々は「彼らは丘の上に住む者たち(ギリシア)だ」と、なんとなく呼び始める
後に世界を見ると、より凶悪で野蛮なべろべろ喚き散らす恐ろしい勢力(ギリシヤの主観)が多数あると知り「我々は文化的で進んだ市民集団(ポリス)だ、理性的に団結・外交しよう」となり緩く結束し、闘争は同盟内での権力争いに代わり始める
さらに、地中海は地形が厄介で、いやでも丘の上と周囲に住まなければといけないものだから「住み易い他所へ移住しよう」「作物が取れないから貿易しよう」とマグナ・グレキアへの第一歩にもなる
まあ、この拡大と同盟がギリシヤを守った一方で、ペルシャ世界や北方の蛮族との摩擦が強めたわけだが
正確な時期は不明だが、“ポリス”と言う語の意味するところの変化と、これらギリシヤ世界の変化も、概一致するように私は思う 語源はアクロポリス、ずばり「丘」そのものから、ポリスの語が生まれた後の変化を見ると、誕生当初は「(丘の周りの)城砦」程度の意味合いだったが、それが都市そのものと=になり、そのうち都市を築いた人々や、そこに住まう市民集団を意味するようになった この時点で、丘の上や、城壁がどうだと言ったことは、あまり重要ではなくなっている それこそ「重装歩兵の連携と、それに加わることこそが市民集団の名誉であり、義務」と言う思想と同じで、宗教的・思想的な象徴に小高い丘は代わっていった 「守りに適した丘」ともいうが、ギリシア都市国家の同盟軍は、都市や丘への篭城を避け、平野での会戦や海上での水際阻止を好む傾向が強い(同盟軍の正確な会議録でもなければ、何を思ってそうしたかは実際のところ分からないが) まあ、都市に篭城したところで、それは首都でも中枢でもなく、ギリシア世界を構成する有象無象の都市のひとつであり、無理をして守ろうとするのは同盟内の一都市軍に限定されるのだから、仮に篭城に適していても、恐ろしくてできなかっただろうが
662 :
名無し三等兵 :2012/09/07(金) 16:59:53.26 ID:FIilYqrn
古代アテネの城壁は「板」だったらしいが、板で戦えるものだろうか?
サラミスの前の神託で、木の壁ってなんだと議論してるからその頃には板ではなかったようだ
まあ、アテネを守る軍事拠点はピレウス軍港であったし、後に「これでは不味い」とピレウス-アテネ間二重城壁建造計画が始まる このことからも、アテネは比較的城壁の弱い都市であったかもしれない さらにローマにこの二重城壁を破られ、城壁内で完結した都市でなかったとローマ統治時代に評価されている
今なら言える 文化的()だったアテネは城壁が弱く、軍事的に脆い! スパルタが正しかったのだ!!
傭兵国家が調子に乗って嫌われて自滅した まで読んだ
このスレでは体術は範囲外?
体術だと、個別だからあんまり扱っていないみたいだねえ。 軍隊式格闘スレがあると思う。 そっちの住人の方が詳しいと思われ
あんまりそういうミクロな情報は残ってないからどこいっても低調な話題
ギリシヤ式盾走りやローマ式疲れない靴選びと歩き方、知的富裕層流蛮族との戦い方、トラキア式匍匐といった戦術レベルや武器の扱いの話はある程度聞くが、徒手格闘に近い体術となると聞かんな
レスリングなんか何百年もやってたわけだから、そうとう体系的だったんだろうと言われてるけど、実際には残ってないものね
ローマとかになると、そこそこ話が出るな
まあ古代からすでに「集団戦闘」以外考えられない戦争してたから、訓練してるとはいえ、比重からするとスポーツの個人種目レベルなんだよな今も昔も
>>670 親しみやすい感じになったけどそこに列挙されてるもの全部えぐいじゃねぇか
徒手格闘はパンクラチオンの技術体系だろうけど、 戦争で素手で戦うことなんてまずないわけで、競技として 発達したのではないかな
ギリシャの格闘競技がヘレニズム期にインドに伝わりカラリパヤットなどのインド拳法になり、 それが中国や東南アジアに伝わって中国の拳法やムエタイ、シラットなどになったというスケールの大きな説も。
残念ながらギリシアより西でも東でも怪しげな格闘やらそれを取り込んだ競技や神事があったようだ
もちろん組技に関してはレスリングのない民族はないとかいう話もあるとおりだけど 拳で殴る術を体系化したのって意外と少ないような。中国に拳法が伝わったのも実際遅いし。
ペルシャとか半端なく怪しい雰囲気だな ヨガテレポートとかの完全上位互換、失われた神秘
>>676 中国拳法なんか体操や筋トレとかと似たようなもので、しかもその手の軍事教義は世界中どこでもあるもの
そりゃ興業じゃなければ物持って殴るから
ズールハーネとかコシティとかプオタ時代に聞きかじった単語はあるけど イランもレスリングが盛んなんだよな。 果たしてペルシアの民は戦場における組討ちも得意だったんだろうか?
>>678 もう少し具体的な話を頼むわ。文献上中国の拳技が現れるのって明代くらいでしょ。
その世界中どこでもあるものって例えばどこの国にいつごろ確認できるようになるとか
把握されてるの?
興業格闘技界で隆盛を極める回し蹴りの歴史がまだ100年に満たないという事実
>>682 ムエタイにも100年前にはなかったのか?
詳しくは知らんが、中国拳法自体、黄河流域の貧民たちの自衛手段として紀元前3世紀末から2世紀に原型が生まれたとされる、そう古くないものであるから、探せばいくらでもほかの地域に先発はありそうではある 一世紀ほど前からインド-ペルシアにおける拳法の記述が見られ、中国拳法の起源とも言わることもある パンクラチオン導入後のオリンピック開催に至っては紀元前648年だ 個人的に一番気になるのが、当時からギリシアの文献中に見られる「古代ボクシング」「古代レスリング」、さらにいえばその原型がどのようなものであったかだな
ちなみに、古代ボクシング(後のパンクラチオンへ繋がる)の優勝者にして創始者は、アナトリアからやって来た戦士であったと詠われていたとも言う まあ「神様が古代ギリシアの乱暴な戦士を倒す際に用いた伝説の格闘法が起源です」と大真面目に書く時代であるので、どこまで信じるかは諸君らしだいだが
>>684 インド-ペルシアなんてまさにかつてアレクサンドロスが征服したエリアだな。
そこはギリシャ発古代格闘競技の影響が残ってたとか言われると
なんか納得しちゃいそうだわ。
中国拳法ダルマ伝播説は日本の柔術陳ゲンピンルーツ説みたいなもんかな?
あくまで伝説か、あるいは起源ではないけど某かの重要な影響をもたらした、とか。
実際のところ明代の少林寺は棍が有名だったし、イメージのような拳の聖地ではなさそうなんだよな。
そしてスレは男塾の世界へ
>>683 スポーツムエタイは1921年から
古式ムエタイには無い
ガチの闘争だと素手の戦闘術は発達しない
武術と言えば打撃系格闘技を思い浮かべてしまうのは、 武器を携帯する習慣が廃れた平和な現代だからこそ。 短剣やら長剣やらぶら下げてるのが普通の時代に、 キック(笑)やパンチ(爆笑)はどうしても低調にならざるを得ない。
ムエタイ近代化以降ってことか。ボクシングのクロンクスタイルみたいに どこのジムだか選手だかが最初に使ったとかはっきりわかってれば面白いんだが。
大マジの武術は
>>670 みたいので、それは今も伝わってるか、へたすりゃ現役だけど
中国拳法とか、中世には朝の体操や坊主の精神統一扱いだもんな
ちがう。鎧をつけてる時代には打撃のみの武術が役立たずだった 戦国時代にできた柔術と柔道・合気道などの派生武術は その完成度の高さから極め技を中心に総合格闘技や軍格闘術に取り入れられている
そこいらが目立つのは中世だな
殴り合いなんか趣味と警察に任せとけ
男は黙ってサブミッション まあコイツだって古代ギリシャから趣味の領域だが
押さえ込みだけでとどめは武器使った方が
鎌倉武士は相撲やったそうだけど、どういうルールだったのかね? 組み討ち同様相手を組み伏せるまでやるのかな?
イリアスとかには重装歩兵同士の決闘話多いよね。あれが半神話としても、 ああいう話聞きまくって興奮すればブルースリー見た後の小学生みたいに真似しようとする奴は絶対いるよね。
>>699 古代相撲なら日本書紀か何かにそれらしい記載があったかと。
鎌倉よりだいぶ前だが。
対戦したところ、優勢なほうの相撲取りが相手を蹴り崩し、
倒れたところを腰骨を踏み砕いて勝利したみたいに書いてある。
どんなルールだったんだよ……とガクブルした思い出がある。
>>683 古代ムエタイも武僧みたいなのがやってたみたいだね。
拳に糸だけ巻きつけて戦ったようだが、結局現代のビルマンラウェーみたいに
ほぼ何でもありだったようで、顔面に肘をいれたら相手の目玉が飛び出ちゃいました
みたいな残虐な記載がどっかにあったかと。
>>701 さすがに鎌倉時代はノミノスクネとタイマノケハヤ時代よりは平和的でテクニカルになったんじゃないかな?
>>702 古式は肘中心だったのかな?
1921年にスポーツ化されて三年程度の時期に中国拳法と対抗戦やって
拳法師範を肘打ちで殺したりしてるみたいだし。
http://mimizun.com/log/2ch/budou/1047086168/ 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/08 10:16 ID:mK4fkSOR
格闘Kマガジン4月号で20世紀に行われたムエタイと中国武術による
異種格闘技戦の記事が掲載されている。1924年に行われた
福建鶴拳師がムエタイのヒジ打ちを頭部に受けて死亡した試合など
中国武術激ヨワの歴史が6ページにわたり紹介されている。
>>705 松田留置氏が紹介してた流派だな。肘打ちで竹胴を破壊したとか。
諸賞流でググって動画見てみたら、どう見ても暗殺用に見える技があって噴いた
>>614 三十三間堂は長さもさることながら、軒までの高さが5mぐらいしかないのがマゾい
三十三間堂って弓道士魂物語の通し矢のやつか。濃ゆい劇画だった。
相撲の系譜はよくわからんのよな 古すぎるせいで
古代はどこの国でも民族レスリングがさかんなイメージだけど、昔は中世に比して軽装だから 合戦における組み討ちってそれほど重要ではなかったんじゃないかな。 大抵密着戦になる前の切り合いの段階で勝負が決してそう。 全部想像だけどねw
重装備でも軽装備でもそれほど重要じゃないんで・・・
真光故実を見る限りじゃ騎射戦での組み打ちの重要度は 鎧が堅牢ではなかったその前の時代より高まってる。
平家物語の成立年代的に言って鎌倉時代中期の合戦様式だけどな
戦場に絶対はないから武芸百般を網羅することが由とされてたわけで
とどめを刺したり盾を構えている相手を崩すには、 組打ちの技法を知っているほうがやりやすいけどね。 素手で組みつく必要はないけど、足さばきとか体重移動とか。
いつの合戦様式だろうが、俺は前の時代としか書いてないから。 かつては騎射で済んでたけど今は鎧に隙がなくなってきたんで狙うところが限られてるから 馬を狙って落ちたところに腰刀使って組み打ちやりましょうって話をしてるわけだからね。 別に舞台設定どおりの平安末の話だろうが成立年代の鎌倉中期だろうがそこは主張に大した影響がない。
ギリシア世界から結局体術話になってどうなったんだ? 良く流れが分からんな、中世の話になったのか
逆手でナイフを振り回すようにして攻撃すると、 順手で突くよりも力が入りやすいらしい。
力も入るし、突く時に体重も乗せやすいと思う。 だけど上は三例とも振り回すのではなく掴むか横倒しの相手に対するとどめだから 日本の右手差し鎧通しの使い方と余り変わらんような。
ただ振り下ろす動作になりやすいしリーチが死ぬから短刀くらいにしかつかえんのやで
アイスピックグリップか 一長一短だからナイフ術は持ち替えテクニックが発達する
あとは逆手抜刀くらいかな?フィクションじゃ逆手持ち大人気だけど。
まあ戦場でそんなもの使う段階になれば、容赦なく長槍で引っぱたかれるか、騎兵に踏みつぶされて終わるんですがね それこそギリシャ重装歩兵の前で逃げ遅れた上に投槍使い果たしたペルシャ散兵
短刀がサイドアームじゃなくてメインアームの蛮兵共って線もあるんやで そこまで行くとそこらの木材で棍棒作ってでもまともな武器を持とうとするが
短刀には西洋や日本では慈悲の一撃って使い方もある。 他にも落馬した騎士をよってたかって殺す時にも。 板金鎧の場合は尖った短刀、エストック、斧、棍棒、槍のほうが剣より良かったみたい。
エストックは鎖帷子用じゃないの?
エストック系はプレート抜きにも使えるけど基本はチェーン相手だな
鎖帷子は刺突とか衝撃に弱いからなぁ。
タックは所謂mail piercing、鎧通しだな
基本的にはチェイン・メイル以外は抜けないが、初期の粗雑なプレート・メイルにも有効ではあったらしいが果たしてどうだろうか
16世紀には相手の鎧の発展とともに姿を消している上に、その発祥が軽騎兵の補助、非常用であったことからも非力な部類だったように思える
もっとも、東ヨーロッパではひっそり使われたとも言うので、無力と言うわけではないだろうが
>>727 実にヴァリャーグ的なので英国を蹂躙してこよう
プレートの隙間をハンパに長い剣で遠くから狙うってのは実に効率が悪そうだもんなw
弾かれるならまだしも、半端に刺さって武器喪失の未来が待ってる
>>184 ガチでロンドン落としたよな。
ロンドン橋の変な歌詞がそれを意図してるんじゃねーかなって思ってたり。
なんでロンドン橋が落ちるんだ?みたいな
プレートメイルは関節部分が歪むと動きが悪くなるという弱点があるから その点でも鈍器は有効だよな。
鉄の塊である剣も打撃武器として機能するわけで刃が付いてるかどうか重要じゃなくね
兜が暑苦しいから頬当てを外して戦うような横着ものも中にはいたらしい。 そういうときは刃があったほうが殺傷力あるかもね。
半端な剣、特に西洋の直剣で、鎧に身を包んだ標的に打撃を与えるのは効率が悪い
衝撃を与える面積が狭すぎて、エネルギーが剣と鎧の破壊、局所的な変形に費やされてしまう
かと言って、脆弱な標的を切り刻むにも効率が悪い
中世直剣の開祖ともいえるヴァリャーグに習えば、突くことがメインになるが、これもある程度刺さると点ではなく線になるので貫きにくい
効率が悪いだけで、出来ないことが無いのがサイドアームとしてはみそでもあるが、剣に期待せず、素直に長弓で射抜いて長槍で引っぱたこう
転がった敵をリンチにしたり止めを刺したりしたいだけなのなら、刺突剣も槌もある
だがまあ十字架っぽいし、イスラムのゴミ蟲を駆除するときには自分と教会と雇い主の名誉を掛けたくもなってくるのはしょうがないな
>>736 ただ、それが有効な鎧がどれだけあるかと言うと、少々微妙な利点だな
まあ変形するような合板鎧と言うだけで有効な武器になるが
>だがまあ十字架っぽいし、 ゲームの設定議論とかしてる時にメタ発言する口だろ
>>739 衝撃を与える面積が大きかったら大きかったでそしたら変形すらしないだろ
重くしてエネルギー量も合わせて増やすことになるがそれは使い辛くてしょうがない
まあ叩いたり切りつけるより突いた方がいいのは同意
剣のいいところは殴打する鈍器としての面と、
敵を斬る武器としても、刺突武器としてもある程度使えるところだと思うよ。
万能性は高いが、殴打する武器としては戦槌やメイスに、
刺突する武器としては槍に劣ると。
ちなみに十字軍騎士なんかは、剣を十字架に見立てて崇敬していたり、
戦いの前に口づけしたりしていたので
>>739 の言ってることも
あながち間違いではない。
まあ室伏広治が使うなら戦槌のほうがいいが、 太田雄貴が使うなら刺突剣のほうが断然いいんだろうな。
板金鎧の接合部分のゆがみは結構やっかいだったみたいだな。 『ばら戦争 装甲騎士の時代』 P44 ・また甲冑の接合部分やその周辺、「スライド式リベット」の軌道部分の へこみやゆがみといった損傷もしばし兵士の敏捷性を奪い、とどめを 刺す(coup de grace)ために近づくこともままならない場合もあっただろう。
室伏兄貴にはぜひ実写版ベルセルクを作るとしたら主演をやってほしい。
>>742 十字架っぽいのは結構重要な要素だよな
特に中世では
>>745 義手に仕込んだ大砲の代わりにハンマー投げですか
そういえば日本だと戦斧や鉈型の剣は出てこないなぁ。
そいつは鳶だよ。偵察に行ったあと総大将の狸に夜襲をすすめ、十二支側を一度敗走させる 狸側の名軍師でもある。
ほほう。鳶なのか。 勉強になる。
甲冑を着た敵には、剣よりメイスなどの打撃武器の方が有利だが、こうした武器は一様に重く、回転が遅いという決定がある。 そして重装備の甲冑を着た者同士では、戦いはいきおい至近戦となり、泥仕合となり、がむしゃらな連打こそが勝敗を決する局面も多い。 よって、そうした戦いで一番使われたのは、古代ローマのグラディウスのように、重くて短い、両刃の鉈のような小剣であった。
サムライって剣術は当然として柔術は必須だったの?
鉞は乱杭や逆茂木を壊すなどに使われ太平記にも多く登場する 確か関ヶ原でも活躍してたような・・・ 古代中国では征伐のときに皇帝から賜るなど節刀と同じくらい意味のあった物らしい
たいらのまさか○
>>741 何のために鎧の発展と一緒にメイスが再び台頭したんだよw
叩いても剣で叩いたような潰れ方や変形のし方しないから強いんだろ
鎧を壊すんじゃなくて壊すのは中身だぞ
まぁ全身甲冑でも、剣で攻撃されるとなぜかやわらかい関節部分の生身にあたることが多いんだけどね。 スペインの細剣のようにハンドガードががっちりついている剣でも、 なぜか打たれれば結構指や手の甲にあたる。 それに弱い部分や蝶番みたいなところも結構あるので、 鋭い剣でぶんなぐるのも有効。
板金鎧でも隙間あるしね。そこを狙って貫くのもよくあったようだ
チェイン・メイル「上着だけ来てる奴とかそんなにいねぇよ」
ブリガンダイン「下着と合わせないとな」
>>742 てか騎士が使い始めたのが「十字架っぽいからこれみんなに配ります」とかからだもん
まあ脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたけど
クロース「俺も合わせればメイスだって怖くないぜ! え・・・熱いし濡れると重いからいらない?」
甲冑を重く分厚くすると、直接殴打されたときの安全性は 増すけどそのかわり動きにくくなったりするよね。 かといって軽装備すぎるとちょっとしたことで負傷してしまう。 火薬全盛になる前の実用的な甲冑の重量って15kg前後だったくさいな。
クロスボウ :お前らは平等に価値がない
火薬と鉛玉がアップを始めました
できたのがてつはうじゃあ笑えない冗談だな
>>761 あの柄の形はもう直剣の柄と=だな
>>761 はて、普通に剣を使ってる図とかも結構残っていたと思うが。
そうだね、ファランクスとかみんな散開して1on1で短刀持って斬り合ってる絵がいっぱいだね。
>>761 >てか騎士が使い始めたのが「十字架っぽいからこれみんなに配ります」とかからだもん
>まあ脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたけど
これのソースは?
中世への旅や十字軍の歴史とかじゃね? そんな記述あったし
ちょうど明日いく図書館に「十字軍の歴史」があったので確認してきます。 脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたけど、的なことが 書いてあるのかどうか。
アーミーズ・オブ・ザ・ダーク・エイジならちょうどヴァリャーグから中世西欧のロング・ソードが生まれるあたりの話が有ったような無かったような もう四半世紀も前の本だが
【レス抽出】
キーワード:ヴァリャーグ
732 名前:名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM [sage] 投稿日:2012/09/08(土) 01:01:07.94 ID:???
タックは所謂mail piercing、鎧通しだな
基本的にはチェイン・メイル以外は抜けないが、初期の粗雑なプレート・メイルにも有効ではあったらしいが果たしてどうだろうか
16世紀には相手の鎧の発展とともに姿を消している上に、その発祥が軽騎兵の補助、非常用であったことからも非力な部類だったように思える
もっとも、東ヨーロッパではひっそり使われたとも言うので、無力と言うわけではないだろうが
>>727 実にヴァリャーグ的なので英国を蹂躙してこよう
739 返信:名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM [sage] 投稿日:2012/09/08(土) 02:46:30.93 ID:???
半端な剣、特に西洋の直剣で、鎧に身を包んだ標的に打撃を与えるのは効率が悪い
衝撃を与える面積が狭すぎて、エネルギーが剣と鎧の破壊、局所的な変形に費やされてしまう
かと言って、脆弱な標的を切り刻むにも効率が悪い
中世直剣の開祖ともいえるヴァリャーグに習えば、突くことがメインになるが、これもある程度刺さると点ではなく線になるので貫きにくい
効率が悪いだけで、出来ないことが無いのがサイドアームとしてはみそでもあるが、剣に期待せず、素直に長弓で射抜いて長槍で引っぱたこう
転がった敵をリンチにしたり止めを刺したりしたいだけなのなら、刺突剣も槌もある
だがまあ十字架っぽいし、イスラムのゴミ蟲を駆除するときには自分と教会と雇い主の名誉を掛けたくもなってくるのはしょうがないな
>>736 ただ、それが有効な鎧がどれだけあるかと言うと、少々微妙な利点だな
まあ変形するような合板鎧と言うだけで有効な武器になるが
774 名前:名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM [sage] 投稿日:2012/09/08(土) 17:00:09.53 ID:???
アーミーズ・オブ・ザ・ダーク・エイジならちょうどヴァリャーグから中世西欧のロング・ソードが生まれるあたりの話が有ったような無かったような
もう四半世紀も前の本だが
抽出レス数:3
何が言いたいのか主張も付けろよ 趣旨がわからん
新しい言葉知った中二みたいにヴァリャーグヴァリャーグ使ってるのがいるなw
空母のことかと思った
ヴァリャーグの意味も知らないアホが居るのかと思った
スウェーデンのことを知らない奴がドヤ顔で揚げ足取ろうとして失敗した図だろ
無知な俺は何を揉めてるのかわからん
言っておくが、十字軍の時代、騎士がまとったのはチェインメイルとグレートヘルムで、これならロングソードも必要充分な威力だったぞ? チェインを一撃で断ち切れはしないが、相応に打撃ダメージは与えるし、突けば貫く可能性も高く、メイスなどに比べて先手が打てるから。 いわゆる甲冑の騎士が全盛期を迎えたのはバラ戦争、この戦いでロングボウ兵も大量に消耗し、スイス傭兵やランツクネヒツの時代を迎える。
>>783 薔薇戦争ってイングランド内戦だろ?なんでドイツ人傭兵やスイスの傭兵が関係するのさ
定期的にアホみたいな流れが挿入されるのはなんなの
そういう奴がいるんだと思えばいい。2chなんだし。S/N比は一定以上の向上はしない。
ラメラとかスケールとかの制作がめんどくさそうな鎧のメリットって何 もうちょっと大きい金属片というか金属板にすればいいのにって思うのだが
忍者は武士・侍に比べて徒歩での移動能力・体術・暗器の使用などに 長けているイメージですが合ってますか?
忍者が長けているのは情報戦の能力であり、戦闘力はほとんど全ての領域で 武士に負けるといっていい。 忍者は戦士じゃありません 諜報員、工作員ですから。
>>783 チェインメイルは衝撃をまったく吸収しないので、
騎士の膂力でぶんなぐれば、直撃すればかなりのダメージになるかと。
斬る系の軽いサーベルみたいなのにはある程度有効だけど。
矢にも槍にも弱いし、当時はあくまで盾と兜で防御のほとんどを行うという思想かもね。
当時の城塞の階段とかは侵入されたときのことを考えて、侵略側は
盾をかまえにくいように螺旋階段とかは設計されていた。
>>788 たとえば島原の乱なんかで、
敵の兵糧の蓄積状況を調査してきたとかあるので、
相当な潜入・偵察能力だったんだとは思うけど。
記録上は、戦国時代も
侵入してきた敵忍者が侍にめっかってあっさり斬られたりしてるよ。
忍者が使う投擲武器程度なら、武装している相手にはききにくいし、
忍び刀なんかも忍こと前提に形状変更してるから普通の刀より使いにくいし。
幕末にも、忍者はペリーの黒船に潜入するなどの活動をしているが、外国語が分からず役に立っておらず、島原ですらなまりと外国語で苦労してる。 また島原の乱で、ある大名家が看破した事だが、忍者の情報収集は内部の人間(それも敵方に雇われた同じ忍者)との取引に依存する事が多いとか。 ただし武術・武道化した心得そのものは、幕末どころか、戦中の陸軍中野学校で、教材として使われている……実際に役立ったかどうかは不明だが。 例えばホースを口に加えて、池に潜る練習、と言うか体験をさせた事があり、大抵は数分しか保たなかったが、中には30分粘った者も居たそうな。
汚いなさすが忍者きたない
現代でもスパイ活動のかなりの部分は、 対人による情報収集(ヒューミント)だから 忍者の活動はとても現実的で実際的だったというのはわかるな。 それでも得られない情報については潜入してたんだろう。
795 :
名無し三等兵 :2012/09/09(日) 06:40:59.39 ID:hx5w0UYe
>>792 > また島原の乱で、ある大名家が看破した事だが、忍者の情報収集は内部の人間
(それも敵方に雇われた同じ忍者)との取引に依存する事が多いとか。
二重スパイだな。
>>795 微妙に読み違えてたw
忍者の談合か。いまならかなりコンプライアンス違反だな。
視野が国内の、それも地域限定だから、情報活動にも限界が出たんだろ。 ぶっちゃけ、情報戦に特化した傭兵なんて、世界的にも他に類を見ないものだし。
情報局を外部発注って普通に考えて怖すぎるわな
だから裏切りも談合も発生するのさ。 逆にそれが心配なところは、正社員を雇用してるしな。 徳川に使えた伊賀の服部一族の他にも、武田や上杉、北条なんかは有名だ。
農民掻き集めたり傭兵掻き集めたりして軍隊造ってたくらいだから情報掻き集めるのも外注で良いんだよ
801
今だって似たようなもんだよ。中立国でスパイ同士が情報交換するんだよ。スパイというか情報局がなんも 入手できないと予算とかいろいろまずい。それはどちらも同じなので、情報をお互い交換する。あまり大したことのない 情報だとやっぱりたいしたもんはこないし、さりとて本当に重要な機密を流しちゃえば裏切り者、二重スパイだ 有能なスパイってのは無能と裏切り者の狭間をうまく泳ぎ切れる人材だ。
>>792 日本国内でも、潜入先が薩摩だと何言ってるかわからなかったという話だしな
>>792 >幕末にも、忍者はペリーの黒船に潜入するなどの活動をしているが、
何気にすごいこと知った。これってすごくね?マジですか?
忍者も、徳川時代末期になると、ただのリーマン公務員か、
百姓になってしまったとばかり思い込んでた。
教えてくれてありがとうございます!
詳細御存じでしたら、御教示いただけますでしょうか?
今度小田原で忍者サミットと言うようなものをやるらしい。
まち興しの計画討論らしいが、
>
http://www.odawara-kankou.com/ 後北条の風摩は情報収集というより撹乱が主な仕事のように思う。
風摩以外に北条になんかあったんかな?箱根修験、八王子の御嶽修験、大山薬師とか
あと外郎売りの方が情報収集がかりの気がする。打から談合とか正社員とか意味不。
武田の三つものや上杉ののき猿もどんだけ資料があるのやら、あと武田には武田ミコとかもいるし
忍者なんてとても曖昧な言葉だよね。
「動揺を誘うため、おびただしい数の草を放っておるわ・・・」
諸賞流の盛岡藩とか、藩には忍者の記録はほとんど残ってないが、周りの藩には南部の忍者の話いっぱい残ってるんだよな。 まあ津軽藩主を狙撃しようとした相馬大作は有名だけど。 伊達政宗の情報集めるのは、なで斬りやら一揆煽ってすっとぼけとかで伊達が憎んでいる奴をいっぱい集めれば簡単だったらしい。 上方の情報は近江商人に一任だったらしい。情報と引き換えに砂金や銅のとか採掘権与えるとか言えば喜んで片棒担いた。 逆に南部に対する幕府の隠密が馬買い役人であることは周知の事実だった。
>>804 忍び込んだのは伝統忍者の伊賀者なのか、それともお庭番か?伊賀者忍者は吉宗の時には使い物にならなくなつていたと言うから、お庭番のほうかな?
せめて古代〜中世の部分くらいは読める語力付けろよって話だな
>>792 これか。
http://www.iga-younet.co.jp/ninja/post-7.html 澤村甚三郎保祐(さわむらじんざぶろうやすすけ)
>特筆される事は嘉永6年(1853)ペリーが浦賀来航の際、甚三郎保祐は老中の命により黒船探索をしている。
>時の老中阿部正弘は藁をもすがる思いで、幕府伊賀者でなく本場藤堂藩に最高の伊賀者に黒船内を探索せよと命じた。
>決して表に現れないのが忍びであるが、この時、甚三郎はまさに最後の伊賀者としての大仕事を国家的大事件、
>黒船来航という表舞台で行った。オランダ語の2通の手紙が乗船の証拠として残っており、
本場の伊賀忍者は、幕末でも現役だったということか。
歴史に残ってないところで、幕末に、他にもいろいろ活躍したんだろうな。
武士と岡っ引きが素手で戦ったらどっちが強いですか?
武士にもピンきりあろうし、岡っ引きだって同様だ。 そもそも「どっちが強い」なんて論争は、このスレッドにはそぐわないと思うが。
>>805 > 後北条の風摩は情報収集というより撹乱が主な仕事のように思う。
興味あるなあ。
>>771 「十字軍の歴史」見てきましたよ。
スティーヴン・ランシマン「十字軍の歴史」
P115
武器
:騎士にとってもっとも重要な武器は、剣、槍、短剣そして盾であった。
P175
ノルマンディーのロベール公がイスラム教徒を馬から剣で突き落とす図。
:剣は騎士にとってはもっとも重要な武器であった。
P195
戦う騎士
:白兵戦では剣が使われたが、弓矢も投石器も同じように重要な武器であった。
で、「てか騎士が使い始めたのが「十字架っぽいからこれみんなに配ります」とかからだもん
まあ脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたけどまあ脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたけど」
というような主張はどこにもなかったんですが、どういうことですか?
>まあ脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたけど が重複しちゃいましたね。失礼しました。
結局、いろいろ工夫して武器作っても接近戦は槍最強で終わるのか? 棒の先に刺すものつけただけの単純な構造なのに
そりゃその単純なものが石器時代からついこないだまで廃れなかったんだから 使えるものに決まってるわな
今だって廃れてないぞ。直系の子孫である銃剣を、特に英軍が愛用してる
リーチが長いってのはそれだけ有利なんだよ。かいくぐってとかじゃ後手に回る。
騎士だって剣なんてもらったはいいが、脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたもんな。
間合いの長さが強さに直結するなら鎖鎌最強じゃないの? 飛び道具と違って近づかれても鎌があるじゃん
合戦で鎖鎌を使った記録はない、これが全てだよ。
騎士だって剣なんてもらったはいいが、脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたし。
>>823 習得が難しい。槍が優れてるのは習得が容易だというのもある
でも騎士だって剣なんてもらったはいいが、脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたんだぜ?
騎士も剣なんてもらったはいいが、脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてただけ。 これマメな。
鈴木説の西洋版みたいなのがあるのかと思ったら
>>761 の何の根拠もない駄法螺かよ。
一家に一本槍が欲しいな
お前には股間の槍があるj…すまんその袋槍じゃ…ぷ
時代劇でよく長押に槍がかかってるけど あれって外に出すだけでもフスマや障子を破ったりしないように気を使いそうだな
>>832 日本家屋は風通しいいから…
長さ三間もあるような足軽の長槍ならともかく、普通の槍や薙刀ならまあなんとかなるべ
刀だけじゃなく家に槍を置いとけるような武士は、それなりに上士で家も広かろうし
逆に実用するような状況なら、家具になんてかまってられないw
あれで天井に潜伏する忍者を刺殺するんだろう。
たまにまともな話が出るまで誰も内容に期待しちゃいないから良いんだよ 変な奴も常駐してるし
忍者という呼称はいつ頃出来たんだ
>>835 >>788 以前にさぞご立派なカキコをされた方なんでしょうなあ。
できればそのご立派なカキコにアンカーをつけて示していただきたいものですが。
騎士だって剣なんてもらったはいいが、脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたよ?
>>835 自分だけは例外ですかw
ヴァリャーグおじさんが固定外して名無しで暴れてんのかな?
>>837 ウィキによると忍者という呼称は戦後のようだす。
ただ戦前は「忍術使い」と言われたようで、忍術を使うものが忍者とするなら、
存在自体は体系だてられのが「萬川集海」だとするなら、1676年。実際にはそれ以前。
八門遁甲を使うものとするならわが国では天武天皇説もあるよん。
私はスイスのパイク傭兵(戦国期の伊賀者甲賀者は似てないか?)
と似た立ち位置でないかと思うのだが、全然根拠ないけど。
だとしたら
>>814 風摩は風祭村の山岳民なので情報収集より潜入撹乱のような任務が
主だと思う。ちなみにこれは生涯学習事業で個人研究してるらしい一般お爺さんの説を
聞かされたこと。打から学問レベルでないのですんません。
風祭村は川漁や樵や時に山賊のような仕事をしていたとか。
箱根修験と関係があったか否かは不明。
威力偵察のようなことはしていたのか?
中国の邑的な組織でしょ 伊賀甲賀者にルイ王朝を最後の一兵まで死守するような使命感はない
ほんとにキチガイがいるんだな
さすが階級コテ、名前だけでアホ共を一気に釣り上げたぜ ってか
晒しageるな
しっかり忍者はスレタイ通りの時代までさかのぼったんで無罪だよ。
タイムトラベラーか
ガンダムネタが酷すぎてバンダイに睨まれたんだろ
>>840 >ヴァリャーグおじさん
東スラヴに引っ越してきたのか
850 :
名無し三等兵 :2012/09/09(日) 20:38:52.33 ID:???
>>841 北条の風摩は、城攻めの際に夜間敵城へ潜入し、放火したり裏切り反乱を
装ったりして混乱に陥れ、その隙に本軍が攻め入る・・・といった使われ方
をしているね。
>>849 上級大将なんてコテ名なのにソビエト・ロシアから嫌われそうな生い立ちだな
彼はルーシの破壊者だったのか
最強思ったんだが、ロングソードって十字架っぽいけど、手に持って構えたらむしろ逆十字にならない? 十文字槍みたいなのの方が良いと思うんだけど
まあ膝ついて祈るときは逆さにするし。
つってる時も当然柄が上だし
>>851 単純にスウェーデン人のおじさんだろ>ヴァリャーグ(の)おじさん
・・・あれ、やっぱり西側寄り
>>842 どうしても朝鮮行政のことを連想する>邑的な組織
なんで忍者は武士より強いみたいなイメージが付いちゃったんだろうね
近世の創作忍術が明らかに超人向けだったからじゃないか
>>855 東スラヴ語(ロシア)でありルーシに現れたゲルマン系(ドイツ)を指すわけだし
どっちをとっても上級大将と言う希少な階級に関係してるって主張できるレベル
>>834 君は新しいタイプの人間かも知れない…!!
忍者漫画のせいだろ。実際は忍者が戦うはめになるというのは任務失敗だからな
他国でも情報部とかスパイってフィクションだと凄いべ ボンドとかクラークとか
ばれるのが趣味の忍者しかいない…
フィクション忍者は目立ってなんぼよ
ばれない忍者漫画は通にしか受けないから、メジャー少年誌とかは無理だな ビッグコミックとかならいけるか…
>>859 謎の戦闘民族”忍者”を作り出す流れは江戸時代からあるからな
>>857 もうほとんど絶滅状態にあるのにそこまで階級コテで続ける意欲はどこからくるんだ
ゴルゴ十三とか言う名前で狙撃に重点を置かないダークヒーローを描かねば
>>855 元々は黄河流域に点在した自治体ですよ>邑
だから「邑的な組織」からの連想だと
>>859 それは一面的な考えで、伊達は伏兵やらゲリラ戦みたいなのに
「草」を活用している。
>>857 んな面倒な連想ゲームせずとも言語がもろだろ
古代中国の戦車戦って長柄武器での突撃が主体だったんですかね? それとも弓?
>>870 戦車は、御者1名、弩を持った戦車長1名、戈を持った兵士1名だったかと。
そういえば秦軍って、 首に布巻いた重装歩兵(布を厚めに巻くことによる首防御)を 前列に、軽装の歩兵を後列においてたんだっけか。
>>871 両方ですか。スペックだけ見ると強そうだなあ。
>>873 アレクサンドロスと決戦したペルシアの戦車は、
「戦争の起源―石器時代からアレク?サンドロスにいたる戦争の古代史?」
だったかなんかに、
まともに戦場で使うためには使うべき戦場でいちいち溝を掘って戦車が
まっすぐ走りやすいように工作したりとか大変らしい。
正面から衝突すると強いのかもしれないが、
使える地形が限られていそうだったり、転覆するとまとめて戦力を
失ったり、案外使いにくかったから騎兵に置き換わっていったのかもね。
さすがにそれは重装・大型化したペルシアの戦車だからと思いたいが、 にしても事前に戦場に工作が必要とかあんまりだわw
ガリア戦記だとブリタニアでは騎乗歩兵みたいな使い方してたってあるね。
オール・チャリオット・ドクトリン!!!
中国だと「戦車は威厳を持って静々と進み、敵を威圧すべし」なんて“孫子”が書いているくらいだし、あまり実用的じゃなかったんだろ。 そもそも現在に残る実践的な『孫子』は、実は巍の曹操が自分の経験を加味して編纂した『巍武註孫子』だし。
そんな戦車も騎乗技術が普及していない時代は脅威であったはず。 「万乗の君」は実際それくらいの数準備できたんだろうかね?
古代ローマが現在のイギリスに攻め込んだ時は、地元の女王が戦車で突撃してきて、大損害を出したそうだしな。 何でも、戦車の両脇に鎌のような刃が付いており、ローマ兵の臑を刈りまくったとか。
ブーディカ?
ずっと前のアレクサンダーさんは巧みにその戦車無力化したというのに…
イエスが奇跡起こしてたような時代だし
鐙ができたのって意外と後の時代なんだってな 鐙がないとまともに踏ん張れないから武器が振り回せないとか そういえば戦車が活躍してたのって鐙のなかった時代と一致してるような…
正確な起源が分からないから何とも 騎馬民族はかなり昔から似たようなものを作っていたとも言うし 広まった時期だって幅が広いし
一致はしてないよ 鐙が普及する前に戦車廃れた
むしろ戦車ではなく馬に直接乗るのがブレークスルーかな?
戦車は、まっすぐ突っ込んでくる使い方が主だったんじゃないかな? 長槍で槍襖を立てると案外楽に対処できそうだ。 長い槍をそなえたマケドニア歩兵のほうが、実用的な長さの槍、短剣の ローマ歩兵より戦車には対応しやすかったんじゃないかな。 ペルシアとの戦争経験もあるわけで。
BBCでも見てろ
白兵戦はさすがにキンタマ潰れる
戦車(チャリ夫)とか言うから、なんか特別に見えるだけで、馬車だと思えば・・・
長槍とかも昔は対戦車兵器だったんだな。
弓ってすごいんだな。
341 : ツシマヤマネコ(北海道):2012/09/10(月) 11:17:53.86 ID:DF72mr/p0
>>340 流石にその頃になると銃の方が弓矢より命中率も殺傷率も上だったろうが
17〜18世紀辺りまでは実は銃より弓の方が命中率・殺傷率共に上だったと言われている
じゃあ何で銃が広まったんだというと、弓は子供の頃から訓練して大人になる頃にようやく使い物になるのに対し
銃はその辺にいる学のない農民引っ張って銃の撃ち方と戦場でやる事だけ教えれば
取り合えず使い物になるという手っ取り早さのおかげだったりもする
弓兵は訓練に時間がかかる分1人でも死ぬと痛手だが、後者の銃ならいくら死んでも何の問題も無いしな
銃も幼少期から生活の一部として扱ってればすごい使い手になるよな シモ・ヘイヘとかヴァシリ・ザイツェフとか猟師出身だもんな
という思想で作られたのが猟兵なわけだが、そろそろスレ違いな話題だな
それと、なんだかんだ16世紀くらいまでの火縄銃は、 ライフリングがないので命中精度は低かったし黒色火薬のため エネルギーのロスも多かったけど、 大きな口径の銃口から放たれる弾丸の威力は大きく、 当たればその運動エネルギーで甲冑も置き盾もブチ抜いてしまうため、 至近距離での殺傷力は本当にすごかったのだと思う。 うまく使えば手練れの兵士相手に勝つことができるというメリットは大きい。
ライフル信者
春秋戦国時代の李克さんが「裁判ではっきりしないときは弓勝負で勝ったほうが勝訴」なんて法律作って、 住民が必死に弓の練習するようになって秦に勝ったなんて話がある。 訓練の費用もかけずに弓の熟練者を大量に育成したのだ。李克さんすばらしい。
それまじかw
中国人は得がないと練習せんからな。
間抜けな法律に怒って君主を殺す条件が謎すぎる
馬鹿だから三大欲求に訴えないと何もしません
天の天たるを知る者は王事為すべく、王は民を以って天となし、民は食を以って天と為す
イングランドのロングボウも同じようなことやってるから、人間の考えることは変わらんね
春秋戦国時代初期に剣の製造間に合わないから鋳造で大量生産するようになったんだっけ。 手間かけられる日本はまだ平和だったんだな
ヒストリーチャンネルかなんかでフリントロック銃の命中率の話やってたが、とても人を狙う精度ではなかったな やはりライフルの発明までは鉄砲はド派手なクロスボウって感じなんかね、というか最近思うのだが狙い撃つならクロスボウの方が精度いいんじゃないか?
倭銃は命中精度は比較的よかったようだけど、 あれはもともと猟銃ベースだからという話があるな。 欧州の戦闘用の銃は基本、肩当式か胸当式。 しかし日本の火縄銃は頬当式。 基本的には頬当式は猟銃に多かった、という説を書いてる人がいた。 もちろん元は猟銃とはいえ獣を打ち倒す火器だから威力は相当にあるんだけどね。
あと、装填が楽なように支給弾が若干小さかったそうな>欧州マスケッター それで精度があまり出なかったらしい。
あ、そうなんだ。 口径ぎりぎりじゃなくて少し小さ目のものを詰めて放つのか。 だとしたらとりあえず前方に飛ぶ以外はどこにいっちゃうかわからんねぇw そういえば前に鉛玉の作り方をヒストリーチャンネルか何かでやってたんだが、 溶かした鉛をじょうごのような機器にいれとくんだと。 じょうごの先には、冷たい水を張った桶が置いてある。 ここにぽたっぽたっと鉛のしずくが落ちてくるのだが、 そいつが水で冷やされて鉛玉になる。 もちろん何となく丸っぽい形にはなるが形も大きさも結構ばらばらで 精度は酷かったんだろうなと思う。
黒色火薬だから、酷く汚れて炭酸カルシウムの結晶がいっぱいこびりついたんだと思う。 そしたら口径ぴったりなのは使えなかったんじゃないかなあ
その頃の武器は青銅器だから鋳造で問題ないんじゃないの 弥生時代の日本にも歩兵用の青銅戈が伝わって使ってたみたいだけど 春秋戦国時代の大陸から戦禍を逃れてきた難民による伝播だろうか
>>915 まん丸の型にはめて作るのが普通
水に鉛を直接なんて相当に古い方法なのか
散弾用に適当に小さいサイズのを作ってたんじゃないの?
>>918 そうか、忘れがちだけど戦国春秋時代の武器は青銅か。
当時の日本には競争の過程で敗れていった呉越系の住民が
逃げて行ったという説もあるよね。
魏志倭人伝に出てくる日本人の習慣が呉越の住民の習慣に似てるからとかなんとか。
鉄器が使われるのは秦による統一後だけど これもまだ鋼鉄ではないはず
>>919 どうだろう。
結構前に見た製造法だから記憶は定かじゃない。
>>922 鉄器はあったけどまだまだ発展途上だから短剣しか作れなかったみたいだね
戦国時代末期には鍛造の鉄剣があったみたいだから普及してなかっただけで
高級武官の装備なんかは鋼鉄製だったかも
やはり製鉄技術は軍事機密だったのか国によって格差が大きく
秦は鉄に関しては遅れてて秦王政の剣すら青銅器
一方楚なんかでは鋼鉄の長剣を生産してて
政は楚の剣は鋭いと言って恐れたとかなんとか
やっとことかペンチに似た道具の先に窪みがあって その窪みに鉛垂らして作ってたと読んだ記憶が 日本だけかな?
>>924 ほうほう、楚軍の強さって、鋼鉄の長剣のおかげだったのかな?
アレクサンドロスって、 インド攻略後は中国までなだれこむつもりだったよね。 ちょうど戦国七雄の時代か。 実際に中国までアレクサンドロス軍がやってきていたらどうなったんだろう。 秦軍の装備とか戦い方を見る限り、アレクサンドロスに利があるような気はする。
ヒマラヤとタクラマカンを超えられるとは思わん。
タラス河畔の戦いのとき、両軍ってどっからどういうルートだったんだっけ?
アレクサンドロスが中国を窺がうなんてありえないんじゃない。 インダス川をチョビっと越えたところで、部下に反発されたてたし、 ポーロス王国に徹底抗戦され、おそれおののいてたらしいし、 多数の戦象にビビってたらしいからね。
プルタルコス英雄伝にはガンジスの対岸を窺うところまで行ったことが書かれている。 これが本当ならヒマラヤも遠くないところまで行ってたんだろうな。
西洋では銃はたくさん並べて弾幕張るためのものだったから命中精度より数が大事。 日本では弾幕を張るほどの数がなくても配備することがあり、命中精度が重視された。 そのため、信長が山道か何かで狙撃されたこともある。 あと日本では室町後期から江戸にかけて様々な砲術やらの流派が作られており、命中精度や火薬の調合が重視された。 とかなんたらかんたらが、中学三年生の時の自由研究に書いてあった。
宇田川武久氏の「鉄砲と戦国合戦」だかに弾幕云々の記述はあったな。 砲術流派の伝書なんかもかなり研究してる人でもある。氏の著作を参考にしたのかな?
弾幕を貼れるほど火薬がなかったろ
そんなに火薬が足りてなかったのか?
日本では硝石が手に入らない。人造方もあるけど消費量にまったく追いつかない
>>938 それは知ってるけど具体的にはどの程度足りてなかったのよ?
鉄砲を催促する書状は多いけど、火薬が足りてないから何とかしろって書状も多いの?
西洋でも確実に当てるために、 ナポレオン戦争くらいまでは相手の白目が見えるまで射撃しないとか あったぜ。そんなにたくさん弾丸も携行してないだろ。 あくまで目前に迫った敵に一斉射撃して倒すのが戦法。 だいたい弾幕で相手を打ち倒すっていつの時代のどこの国の話?
近世総合スレかと思った
>>934 16世紀の戦国末期には、欧州の銃の総数を凌ぐ銃が、日本一国に存在したのだが。。。
これで数が足りない何て、どういう理由だ?
朝鮮の役では、日本軍の銃の技量と用兵の高さは、明軍すら圧倒されているし
>>924 春秋戦国時代に存在したと言われる「干将・莫耶」
この逸話を読む限り
当時の剣は鍛鉄法ではなく鋳鉄法で作られていたような印象を受けるが
鋳鉄法は鍛鉄法よりずっと高温が必要であり、それが可能な技術が当時あったとすればの話だが
製鉄を始めて可能にしたのは、ヒッタイタだと言われているが 長い間、ヒッタイタは製鉄法を国家機密として隠蔽したために、なかなか広がる事はなかった それ以前の鉄器は、隕鉄から作られている事がスペクトル分析などで証明されている。 だから非常に高価だった。それこそ黄金の何百倍の価値があった。 もちろん、これは武器というよりも、富の象徴あるいは祭具だな。そもそも隕鉄で作られた鉄はもろいし、武器としての有用性はあまり高くなかった 加えて、ヒッタイタの時代の製鉄法では大量生産は難しく。 ヒッタイタが強かったのも、鉄の刀や槍が存在したからではなく、戦車を用いた用兵術の高さからだったと考えられているし
はいはい、ヒッタイタヒッタイタ。 祭具としての価値しかないけど国家機密として厳重に隠蔽したんですね。
あんまり杓子定規すぎる自治厨はいりません。
スレ違いのレスが続くと本来の話題が失われる
別に続いてもいないのに自治厨さんがしゃしゃり出てるだけなんだが。 触れずに流すとかさりげなく別の流れに誘導するほうがはるかに 上手いやり方だと思うよ。それができないから厨なんだけどね。
>製鉄を始めて可能にしたのは、ヒッタイタだと言われているが 今時どんだけ情弱なんだよw 鋼ですらヒッタイト前なのに
ヒッタイタさんはプロトヒッタイトもご存じないのかな? 情弱に限って祭器説とか大好きだよねww
スレチが沸いたあたりから鉄の起源とかまたアホ丸出しな流れになってきたな
鉄の起源は重要だぜ〜。なんたって青銅時代のエジプトが鉄器時代に入ったヒクソスとかいうマイナー民族に負けちゃうぐらいだからな
いいんだよ、まったりいこうぜ。
エジプト軍って、どこで目にしたか忘れたんだが、 結構後の時代のほうまであえて石器を軍隊に装備させてなかったっけ。 石器といっても、日本の弥生時代なんかに出土する磨製石剣みたいなものなんだろうけど。
鉄の起源がアホとか言われてもなあ。
>>945 のヒッタイタさんはアホそのものだけど、この問題自体は重要だろ。
誰が鉄の起源を考えること自体があほだなんて言ったんだよ間抜け
アホ丸出しの奴がいるのなんていつもだろw ときどき加速したときでもまともな奴がいるけど
しかしせいぜいBC1700年に届くかどうかのヒッタイトが鉄器の起源って誤解はどこから来たんだ
国名間違えてるんじゃないのか
>>948 にわか知識で乗り込ませると向こうまで駄スレ度が上がる
結局スレチスレチうるさいヤツが荒らしなんだろうな。こいつが来るといつも空気が悪くなる。
スレ違いのレスを続ける馬鹿は 早めに注意しないと本来の話題がかき消される
>>940 弾幕というのはともかく、欧州では銃は沢山並べて撃つものっていうのは間違ってないだろ。
欧州で銃器が発達した理由は雑兵でも手軽に扱えて強力だから。
例えば、イングランドでは百年戦争・ばら戦争と戦争が長期間続いたことから、育成に時間のかかる長弓兵が足りなくなり代替として銃器が使われるようになった。
フス戦争でも練度の低いフス派が銃器を使った。
それで、こういう練度の低い兵に銃を扱わせるもんだから沢山並べて撃つって戦法が主流になったし、兵の練度を信用してないからこそ相手の白目が見えるまで射撃しないとかいう事もあった。
一方、日本では、戦国時代を通じて、職業軍人や半職業軍人みたいな層が形成されていった。
そんで銃器もそいつらが使うわけで当然精度も要求しうるから、銃器自体のそのように進化していった。
加えて、日本では地形ゆえに小規模に諸兵科を組みあわせて運用することが多かったから、銃兵の精度が欧州よりも重要っていう必要性もあった。
だから、日本では精度重視になったんだろ。
言葉足らずなところはあるけど、
>>934 は大筋で間違っていないと思うよ。
>>956 今では「ヒクソス侵入」など無くて、単なるエジプト内部の
シリアパレスティナ系移民によるクーデターって説もあるけどな。
傭兵として使ってたら乗っ取られたと。
13王朝や14王朝はエジプトでは小国家が乱立してて、傭兵の活躍する舞台なら事欠かなかった
実際当時の地方の太守クラスには明らかに東方系と取れる名前の人間がゴロゴロ居る
そういや日本じゃ応仁あたりから雑兵の大動員始まったけど、鉄砲以前の足軽ってどれくらい役にたったんだろうか 地方の領主、豪農は訓練するヒマも良質な武器もあったろうが、適当に農閑期に集めた雑兵って士気も練度も期待出来ないと思うんだけど そんな雑兵ばかりでは損害出まくる攻城戦なんか絶望的な気がする。甲斐みたいな略奪しなきゃ飢え死にするような場所は雑兵でも強そうだが
だから槍もたせて、密集させて、なおかつ逃げたら家族が凄惨な処刑くらうんだよ
基礎体力はあるんだし、 時折訓練していれば、いざというときに集合訓練だけやれば大丈夫なんじゃないかな。 若干スレチなんだが、 日本軍が満州やらで急遽、男子をかきあつめてもすぐ戦力にできていたのは、 軍隊経験がなくとも学校なんかで銃を撃ったり行進訓練くらいはしたことのある 素質のある若者が多かったから、というのを何かで耳にした。
まあいくら逃げないようにしても、部隊規模でまるごと崩壊・逃亡したりなんてざらなんだよな
若干というか全力でスレチ
せめて幕末なら分らんでもないけど旧軍か
まあ、あんまりスレ違いというと怒り出しそうだが
>>958 木製の棍棒振り回したりするのは結構後の時代までやってるな
>>970 まぁ細かな戦闘スキルとか期待するものじゃないしな。
>>973 日本軍の例をみる限り毎日訓練する必要はないよね?
という話。
体力ができあがっているなら、軍人だって毎日射撃訓練するわけじゃないから
何とかなるんじゃないか。
商人を使うとかだと鍛え直しだろうけど。
>>969 ケースバイケースなんだろうけど、室町以降、幕府の治安維持機能は低下していて農民の自立が進んでいたから、結構士気は高かったんじゃないか?
惣村から動員された兵とかは、ある程度共同体のためって意識を持って戦っているんだろうし。
個人的なイメージだけど、王朝国家的なただの農民の寄せ集めというよりは、スイス傭兵やブリテンの自由民みたいな連中で構成されてるイメージがあるわ。
時期的に信長がくたばったあたりからはその傾向が強かったような
いずれにせよ、応仁の乱以降は、足軽が活躍したっちゅうこったな。
承久期後期からすでにノースキルの召集兵員が増えて、旧来の武士のスキル、弓馬が軽視されるようになってという愚痴歴史文書がなかったっけか?
軽視はしてないだろ、集めやすい大量の槍持ちで引っ叩くほうが強かっただけで
武士はたくさんの武芸に水泳やら鉄砲術まで身につけて訓練してるから 汎用性は高かっただろうけど、使えるようになるまでものすごく長い時間がかかるものなぁ。 足軽集めて、行軍と陣形の変更とか必要な合図だけ教えて、 密集させて槍でたたいたり矢を放たせたりしたほうがコストは安いわな。
>>976 貧しいとこの足軽は略奪して女犯して人質取って儲けて冬を越すべ、万一だけど大将首取れたらいいなって考えてるイメージ
尾張や近江みたいな米取れるとこの兵隊は死にたくないし畑荒らされない侵攻戦では適当に戦うイメージ、むしろ取水権とか宗教絡んだ方が本気出す
>>980 訓練してなくても兵力が倍や三倍いたら気がでかくなっていい戦いできそうだしな
突撃役は武士だった
どうしようもなく連度が低い兵は雑兵にすらなれなかったのが戦国時代 数合わせでつれてくる場合もあるが基本的には戦国大名が禁止している
連れていても行軍と戦闘のどさくさで颯爽といなくなる
飯食べられるから従軍しようぜみたいな集め方もしてたら、 そりゃあいなくなる奴もいるわなぁ。
「ええい、家族が人質だぞ」→反乱で全滅 「ええい、勝てんと飯がないぞ」→反乱で全滅
まあ練度が低くても、土掘ったり荷物運ぶ人間はいくらでも必要だったから 戦えない言われても途中でほっぽり出されるってことはない
>>987 秦はそのやり方で天下統一したというのに…
反乱で上を全滅させても家族が死ぬし飯が無い状態の国だから良いんだよ。
ローマ帝国の軍隊が強かったのは、やはり高度に組織化されていたからだろ 当時のガリアなどの軍隊は、これって言った戦術は存在しなかったようだしな カルタゴの名将ハンニバルは、彼の戦術はいまでも世界中の士官学校で教えるほど 完成したものだが。。。 って、一つ感じるのは、現在の自衛官がタイムスリップして 戦国自衛隊のように勝って当然の自動小銃とか装甲車を使わず 当時の武器で士官学校で習った戦術を使い、勝利を治めるって物語はないものか 自衛隊の元幹部あたりが書いてくれないかな
単に訓練が行き届いてたからだよ 並んで行進ができないなんて軍隊以前の戦闘集団とは違う
>>971 そんな早くから軍事教練が取り入れられてたのか?
まだ国民学校じゃなかった頃だと思うが。
>>991 近代科学技術の威光なしに
現地人を平伏させる自信がない
そうだな、そろそろ必要なのは中世ファンタジーではなく古代ファンタジーだ
>>994 戦術も戦略も科学だ
まあ自然科学かと言われればそれは違うだろうが
>>991 だけどスパルタクスの反乱時に連敗したのはどういうわけなんだろうな。
スパルタクスがトラキアの貴族で用兵を心得ていたにしても基本は
烏合の衆だし。
>スパルタクスがトラキアの貴族で用兵を心得ていた という説はあるにしても、だな。
序盤は良いとして、それ以降は烏合の衆でも少々の鎮圧部隊を圧殺しかねない物量(諸説あると言うか正確に数えようもないが)であるとも言える 舐めてかかったか、少しずつ膨れ上がる蜂起の規模を把握していなかったのか、鎮圧軍も心なしか少ない
>舐めてかかったか、 シュトラウスも言ってたな 1000
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