>>990 >「アディ機と全く同じ針路上を15分遅れで飛行していたチェイス機は・・・」
どこの資料に基づいたのか判りませんが、著者の大塚好古氏の間違いです。この
時期は日米双方とも二段偵察は行っていません。チェイス(3V58)はアディ
(4V58)の一本南側の索敵線上を飛んでいます。
索敵範囲はニミッツの指示によるものです。また「地上または水上での撃破を
避けるための措置を取る」ことも命じています。為に大・中型機は夜明けと同時に
「上空に退避」3時間ほどして基地に戻るようにし、小型機は即発進状態で地上で
待機を6月に入ってから行っていました。「真珠湾の再現」は無理だったのです。