南雲忠一中将を再評価するスレ(礼)

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988ゲショゲショ
>>987の続き
同記事は、PBYの哨戒計画等を策定しミ島基地航空隊の作戦指導を行った中心人物はローガン・ラムゼィ中佐と紹介しています。
彼は米太平洋艦隊参謀長マイロー・ドレーメル少将の推薦でニミッツ長官より、ミ島基地司令官シリル・シマード海軍大佐の航空幕僚として任命された。
前任は真珠湾フォード島基地飛行艇部門の作戦士官。
ニミッツ長官との打ち合わせで、ミ島が保持出来ない場合はPBYとB-17をハワイへ避隊するよう命じられる。
海戦当日、索敵に発進したPBY11機は任務終了後、全機がハワイに向かうよう計画。
(他のPBYの計画については言及無し)
等言及されています。

同記事のニミッツとラムゼィの打ち合わせ内容は、米機動部隊の行動については特に触れていません。
しかし、彼がハワイからミ島へ赴任したのは5/29(増援PBY12機に便乗。ミ島PBYは合計32機となる)。
ハワイからのTF16出港は5/28、TF17出港は5/30。
直前までハワイにいたラムゼィ中佐が自身の任務に関連して、米機動部隊の行動が全く思い至らない、というのもどうかなぁ?とは思います。