[武士・騎士] 古代・中世 軍事総合04[弓・刀・馬・船・城]
1 :
名無し三等兵:
軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
950を踏んだ人は次スレを立てて誘導すること。2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士・騎士] 古代・中世 軍事総合02[弓・刀・馬・船・城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1334948359/
2 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 22:28:26.16 ID:???
{ ! |\ /ハ, |
ィ彡三ミヽ `ヽ ||ヾ\,,,.‐‐ー−// ヽ|
彡'⌒ヾミヽ `ー i ,,,ゝ..-‐‐ー−一''''' ' |
ヾ、 i/" _,,,,,憂●国 -‐一|
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ィニ=-/ ミ/ 者 ,:.:.:.:.::::|
3 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 22:29:11.88 ID:???
4 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 22:30:54.56 ID:???
5 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 22:54:47.97 ID:???
6 :
名無し三等兵:2012/07/08(日) 00:06:50.31 ID:???
おつおつ
7 :
名無し三等兵:2012/07/08(日) 21:47:27.24 ID:???
>>1 乙
そういえば古代ローマスレもなくなって久しいんだな
8 :
名無し三等兵:2012/07/09(月) 11:30:36.48 ID:???
アホのせいで過疎ったな
9 :
名無し三等兵:2012/07/09(月) 22:08:35.95 ID:???
戦車主体の軍が騎兵主体の軍に敗れて時代の変化を印象付けたような
戦いってありますか?
10 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 00:09:24.86 ID:???
11 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 00:25:22.42 ID:???
>>1 乙です。
ブサヨのマルチコピペ
>>2は酷いな。ここのスレタイ100回嫁と言いたい
12 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 02:08:41.43 ID:???
なんでカルタゴ海軍はぽっと出のローマ海軍に負けちゃったの?
よく爪の付いた渡し板のおかげだと言うけれどこれ並走してる相手にしか使えないよね
触角攻撃するなら敵の船に対して直角に進んでくるはずだと思うんだけど
13 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 02:26:49.13 ID:???
船の頭をななめにゴツンとぶつけて、コルウウスをどっかん
ローマ兵ぞろぞろぞろ
こういう使い方 爪が刺さればいいだけだから別に併走は必要ない
14 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 02:35:07.08 ID:???
つーかまー
燃やす気ないなら結局乗り込まないと勝負つかないんじゃないか当時の海戦って
橋がありゃ飛び乗らんでいいから重装備でいけるわな
しょうかくなんて当時あったっけ
15 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 03:03:51.05 ID:???
衝角は古代ギリシャの頃からあるだろ
16 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 04:03:33.55 ID:???
ローマ船からは盾と剣でフル装備した重装歩兵が来るから
一回乗り込まれたが最後、水兵ではとても太刀打ちできなかったてことか
17 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 05:40:54.80 ID:???
専門の海兵隊がいたからなぁ
18 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 13:05:24.07 ID:???
藻刈で引っ張ればいいですやん
19 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 22:27:24.91 ID:???
コルウスは落とす向きを自由に変えられた
20 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 22:53:53.59 ID:???
海戦にド素人のローマ人だからこそ考えついたような戦術だからな。コルウスみたいなもの
積むとひっくり返りやすくなるし、重装歩兵も、海に落ちたら助からない。海のプロのカルタゴ人には
出てこない発想だ
21 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 22:56:12.00 ID:???
というか単純に運用が大変になるだろう
22 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 23:18:21.24 ID:???
カルタゴもまさか船に重装歩兵乗ってやってくるとは思ってなかっただろうな
相手の意表をつくのは重要だ
23 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 23:23:42.42 ID:???
24 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 23:30:56.49 ID:???
いや、そこのサイト新紀元社のお子様向け本ばかり参考にしてるところだぞw
25 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 23:34:36.28 ID:???
問題は内容だろ
26 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 23:43:28.96 ID:???
>>23 言われているって誰に言われているんですか?
27 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 23:45:31.45 ID:???
俺や!俺、俺!
28 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 23:46:57.83 ID:???
29 :
名無し三等兵:2012/07/11(水) 23:49:28.39 ID:???
>>28 リンク先にも誰が言ってるのか書いてないよ。
30 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 00:46:16.71 ID:???
1対1だったらローマ兵より強いというのは鎧がなくて素早いから?
鎧で急所攻撃を防ぐよりも効果があるのか
ファルカタは突く剣らしいから鎧の効果が薄いのかな
31 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 06:24:15.20 ID:???
>>30 書籍の挿絵を見る限り、ファルカタはどっちかと言えば斬り用だお。(書籍名は「武器事典」「武器と防具 <西洋編>」)
32 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 07:45:30.90 ID:???
>>23 ローマの海兵隊の鎧は革製だったので、陸の軍団兵よりは防御は劣っていたかもね。
その分、身軽に動けただろうから総合的な優劣は判らないけど・・・
あくまでも船上での話ね。
33 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 08:32:39.90 ID:???
>>32 一対一なら重装歩兵より強かったというのは別に船上に限らないことだが。
そう言われているんだから間違いない。
34 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 09:39:11.68 ID:???
戦闘においては一対一に強いことに大した意味はない
と言うと波風立つから、穏便に言うのも大変だな
35 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 10:16:27.75 ID:???
>>34 単にあんたが日本語ヘタクソなんじゃないかな?
36 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 11:01:30.63 ID:???
マスコンバットだと兵站と集中と戦術が強弱を決める
37 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 20:06:02.99 ID:???
狭い場所や乱戦では重装歩兵より軽装歩兵のが有利ってのはあるだろ
攻城戦やゲリラ戦が主体のレコンキスタでのスペイン軍は軽装だったろ
38 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 20:10:45.73 ID:LNIsyEpm
馬がしんどい
39 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 20:27:02.37 ID:???
山だらけのギリシャでなんでファランクスなんだろう
というのを読んだ覚えがある
40 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 21:29:09.89 ID:???
>>37 狭い場所だとローマは重装歩兵で壁を作り後方から弓矢や投石機やバリスタで攻撃したり、古代中国は戦車の前面と側面に盾をつけたので壁を作り弩で攻撃しとるが?
41 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 22:00:55.80 ID:???
投石機やバリスタに戦車が展開してる時点で狭くないだろ
42 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 22:47:13.66 ID:???
狭いところでは歩兵同士では1対1に近づくけど、そしたら軽装歩兵側は生命線のフットワークを失うんでない?
あ、イメージは塔のらせん階段で。
ゲリラ戦は狭いことが重要なのではなく奇襲が前提だからでしょ。敵が隊列を組む前に突っ込んで反撃される前に
撤収するから軽装歩兵や騎兵が向いている
レコンキスタ期のスペインってそもそも重装備揃えられるほど経済力があったの?
スペインには貧乏なイメージしかないもんで
43 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 22:59:19.31 ID:???
だから狭い場所や乱戦ではだと言ったでしょ
スペインはレコンキスタの後すぐイタリア戦争での戦いで重装備のフランスに敗れ(戦争には勝利する)
装備を重装化させる
44 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 23:43:28.84 ID:Y2sVMn0Q
>>39 山だらけってのが間違い
山に囲まれた平野部に有名都市国家が存在する
かなりの後背地を抱えてるぞ
45 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 12:25:47.11 ID:???
よく日本は山地が多く云々とか言われるが、ギリシャもイタリアも半島部分は
かなり山がちだよな。半島といえばあの半島も七割が山地って言ってたっけ。
46 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 14:24:14.52 ID:rVaI5j/h
火縄銃て 一発打つのに二分 有効射程100ぐらいらしいな 2000人いれば武田軍は突破できそうなものなのになぜできなかったんだろ
47 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 14:29:06.21 ID:???
>>46 突破されてます。
乱戦になって武田軍だけでなく、織田、徳川連合軍にも死者は出ています。
48 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 14:42:06.87 ID:???
戦場を地図でみればわかるが、川あり谷あり、丘ありでしかも梅雨の真っ最中で増水期と
一直線で突撃できるような状況じゃなかったから
49 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 14:48:46.03 ID:???
>武田軍は突破できそうなものなのになぜできなかったんだろ
長篠の戦い WIKIよりコピペ
武田軍は善戦し、土屋昌続らは三重に築かれた馬防柵のうち2段目まで突破し織
田・徳川軍に6000名近い犠牲者を出した。しかしその後、猛反撃を受け総崩れと
なる。敗走する武田軍に織田・徳川軍は追撃を行い武田軍は1万2000名の犠牲
(鳶ヶ巣山攻防戦も含む)を出した。結果は織田・徳川軍の勝利であった。
50 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 14:53:08.29 ID:???
織田側の切り札は野戦築城だしね。
51 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 14:58:12.95 ID:???
織田徳川軍は三段撃ちのアウトレンジ戦法で武田軍を一方的に殲滅した訳ではなかったのね。
三段撃ちも武田軍に突破され相当な被害を出しているのね。
52 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 15:00:55.35 ID:???
>6000名近い犠牲者
盛りすぎだろw全体の何割だよ
53 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 15:06:46.21 ID:???
http://www.shinshiro.or.jp/battle/battle-n.htm この合戦は、信長の鉄砲を用いた新戦術の前に、無謀な突撃を繰り返す勝頼率いる
騎馬軍団のイメージが強いようですが、実際の戦闘は織田徳川連合軍の
死者六千からわかるとおり、両軍が入り乱れてのし烈なものでした。
設楽原独特の地形と馬防柵、三千挺の鉄砲に守られた連合軍に対し、
兵数も半分以下、全面決戦の準備もない武田軍は退却をも考えていました。
そのような不利な状況の中における奮闘ぶりは、さまざまな文献のなかに見受けられます。
地元商工会のホームページでも織田、徳川連合軍の死者は6000名となっている。
54 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 15:14:02.28 ID:???
>>52 織田徳川連合軍3万8000と武田軍1万5000。
織田徳川連合軍は武田軍の倍以上の兵力を持っていた。
鉄砲隊の存在と、野戦築城が無くても織田徳川連合軍には勝酸の高い戦い。
55 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 15:24:22.08 ID:???
名和弓雄は逃亡兵が大半じゃないかって言ってるけどな
56 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 15:27:57.19 ID:???
ナワユミオコレクションってどこかで公開してるの?
57 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 15:53:31.81 ID:???
軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
58 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 20:19:57.66 ID:???
>>41 ローマは重装歩兵の後方以外にも周囲の高台に投石機やバリスタを配置し砲撃してる。
古代中国の戦車なら壁に出来るが?
ローマにはチートな弓兵もいるが?
59 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 20:26:33.83 ID:???
ローマに弓兵なんていたっけ?
60 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 20:32:02.92 ID:???
ローマのチートな弓兵w
何の漫画ですかそれ?
61 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 21:22:44.46 ID:???
多分投げ槍と弓の区別が付いてないんだろ
62 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 21:23:55.22 ID:???
そのチートな弓兵のいるローマがどうしてパルティアの弓騎兵に完敗したんですか?
63 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 22:24:45.45 ID:???
まあグラディエーター序盤でのローマ弓兵はチートといえるかも知らんが映画だしな
狭い場所で投射兵の展開する後背地がある状況って要は陣地戦だわな
陣地戦で投射兵が活躍するのはローマに限らずあたりまえ
網野善彦の馬・船・常民によると和弓の中心より下に握りがある形は中国南部沿岸から
東南アジアの広い地域でみられ、その地域には射魚の習慣が共通するとか。俯角をとる
ための形だと。で蝦夷の弓は当時の絵巻物では握りが中心に描かれているそうな。
他にも騎馬文化のルーツが西国と関東で違うことを指摘したりして面白い本だった
64 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 00:23:52.36 ID:???
重装歩兵同士の戦闘では無敵のローマン・レギオンも、
遠くからアウトレンジ攻撃で矢を射て来る軽騎兵には無力だろ。
むしろトライヤヌスとか、どうやって勝ったのか、それが不思議。
65 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 00:26:59.24 ID:???
66 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 00:34:22.86 ID:???
>>64 ローマもゲルマンとかガリアとかヌビアとか強い騎兵雇ったんだよ
67 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 03:38:47.54 ID:???
68 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 03:41:17.45 ID:???
弓騎兵だけでもなかなか勝てないだろ
後の十字軍がそうだったな
69 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 07:04:47.52 ID:???
>>54 ええと、織田の兵は三人で武田の兵一人に換算するから・・・パチパチと。勝ったな
70 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 09:32:15.57 ID:???
長篠の合戦の決め手は銃を用いた大規模な包囲殲滅戦だったと天正記に書いてあった
71 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 10:21:41.02 ID:???
漫画ソースとかさすがだら
72 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 10:27:09.99 ID:???
信長の時代も○○だぎゃー ○○うみゃー
とか言ってたの?
73 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 10:55:45.73 ID:???
十字軍の時代からイスラム側の馬はアラブ種だったのかな?
ヨーロッパでのアラブ種導入はポーランド・リトアニアだよね
74 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 12:49:11.85 ID:???
>>52 遅レスだけど
鉄砲万能論はおかしい
鉄砲は次弾発射までに1分強掛かる
75 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 15:16:12.02 ID:???
>>66>>67 なるほど。トライヤヌスは騎兵で勝ったのね。ありがとう。
重装歩兵でも、騎兵でも戦えるって、トライヤススはさすがだなぁ・・・。
76 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 21:32:02.16 ID:???
>>75 超大国だから出来たんだろ。
前スレや書評の過去スレ漁ればソースとかも出てるぞ。
77 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 11:32:04.56 ID:???
>>54 死者ではなくて死傷者総数だと思うけどなぁ
死者6000人だとその倍は負傷者が出ているだろうから12000人
足して死傷者の合計が18000だと全軍の半数近い犠牲だし
78 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 15:18:17.82 ID:???
ウィキだと織田徳川600武田1000が信憑性が高い風な書き方だけど
79 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 16:06:38.29 ID:???
ウィキは間違いだらけ
ちゃんと図書館で資料あたった方がいいよ
80 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 16:26:08.54 ID:???
否定する根拠はある?
81 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 16:45:25.97 ID:???
武田軍の死傷者は同時代資料に1千余〜数千人と書いてるようだな
織田徳川軍の死傷者を600としたのは謎だが
82 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 18:41:14.16 ID:???
てか武田って上田原といい川中島といい長篠といい
重要な戦いでの武将クラスの討死率の高さが半端無いな。
一体武田の武将はどんな戦い方してるんだ?
83 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 18:47:34.21 ID:???
先頭に立って兵を鼓舞するタイプの武将が多かったんだろうな
84 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 20:16:22.38 ID:???
長篠ではそういう指揮官を集中的に狙撃されたから
重臣クラスが沢山討死したっていうね
85 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 20:44:15.46 ID:???
>>82 武将ったって手勢ごとに分割された一人あたりの兵力は大隊とか下手すりゃ中隊クラスだからな
前に出て指揮する他にないという
鉄砲があればそういうの潰すのは効果的にやれるよね、と
86 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 21:00:35.35 ID:???
大隊、中隊なら一武将に500人程度か
侍大将クラスが重臣とかまあ田舎武将の限界って感じだな
システマチックな信長軍には敵わんわけだ
87 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 21:27:39.25 ID:???
これで信長厨叩きに持って行く流れですねわかります。
88 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 21:33:21.05 ID:???
三河兵一人で尾張の弱兵3人に相当するとうたわれ、その三河兵より甲州兵は
強いんだから、信長軍だって楽な戦いではないよ。野戦築城、丘あり水田ありで機動力を
活かせない地形、梅雨の増水期でぬかるんだ地面、大量の鉄砲とこれだけ有利な条件
積み上げて勝てるようにしたんだから
89 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 21:45:51.10 ID:???
結局ほとんど全て戦は、兵力の大小に主将の能力で決まってるし
地域の兵の強弱は話半分に聞いとかなきゃ
90 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 22:59:19.66 ID:???
よく野戦築城は信長が初めて日本に導入したみたいな説を見るけど
日本は地形の起伏が激しいから緊要地形に城立てて敵を引きつけその攻城戦が多かったてことかな
長篠の場合は信長は攻撃側なのに武田が攻撃せざるを得ないように仕向け、防御陣地を築いたんだな
大量の資材調達とそれによる兵站負荷もかかるのに
91 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 23:55:44.64 ID:???
>>90 長篠に動員された部隊には、丸太やその他築城資材を全員もれなく担いで来い、とかかなり無理な命令出してるみたいよ
進軍速度確実に遅くなるのに
武田側の侵攻に対する救援後詰だから、速度命なのにね〜
まあ信長は、都合がわるいと同盟国見放すことでは定評あるけどな
形ばかりの兵力出してお茶濁すとか、見え見えでみっともないことしたりな
92 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 01:44:49.79 ID:???
>>90 弘安の役も防塁前に逆茂木を大量に設置して、更に海中に侵入妨害用の杭を設置してたし
奥州合戦では阿津賀志山の戦いで藤原側が現地に巨大な防衛陣地作ってたが
これらはいずれも合戦より大分前から作っておいたものだからなあ。
ゴンサロみたく即席で戦場に陣地築いたのは織田信長が初めてじゃね?
93 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 01:58:34.84 ID:???
墨俣城とか
もともと信長はロジスティクスに着眼してたんだろ
94 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 04:28:57.35 ID:???
鎌倉は本当に守りやすかったのかな
95 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 11:44:08.99 ID:???
鎌倉は天然の城塞都市ですよ
城壁の代わりに地形を利用していただけで
そういう意味では朝倉の一乗谷も似ているかな
96 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 13:03:56.03 ID:???
じゃあ、どうすれば鎌倉や一乗谷は落ちなかったと思う?
鎌倉は援軍を期待して戦っていたのか、
その数がいかほどなら北条氏は滅亡せずに済んだのか?
97 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 13:12:59.39 ID:???
御家人に裏切りが続出したんだから防戦では無駄。乾坤一擲で勝利しないと
日和見連中が次々裏切っていく流れは止まらない。鎌倉がおちないためには鎌倉に
こもっていては敵が増えるだけだし、事実そうなった
98 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 13:14:47.00 ID:???
1600万人必要
99 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 13:16:27.30 ID:Hhq/vxap
「攻城3倍」じゃないの
>>96 鎌倉の場合は既にみんな倒幕側の四面楚歌状態でどうしょうも無かった。
一乗谷の場合はその前の刀根坂の戦いで殆ど決着がついてたのでどうしょうも無かった。
上杉禅秀の乱でも禅秀側にあっさり鎌倉は制圧されたな。秘密裏に事を運んだということが
何より大きいけど。
で、鎌倉公方擁する今川氏側が鎌倉奪還を試みると今度は鎌倉にこもる禅秀が自刃。
その後の永享の乱で鎌倉府は終了だし、本当に鎌倉って
守りが堅いのか?
地形自体は堅いんだけど、有名すぎて長所も短所もモロバレなのが
鎌倉最大の弱点
地形は堅牢なのかも知れないがどうも鎌倉に籠る人間に軍事的才能がない場合が多いというか
時勢に反する者が籠る場合が多いというか。
戦国時代は玉縄城とか住吉城とか周辺の城での合戦はあったけど
鎌倉の地形自体が防衛に利用されたことってあるかな?
105 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 17:03:26.68 ID:Zce7xwzA
>>100 >刀根坂の戦い
この時点で織田軍総勢3万に対し、朝倉軍は2万。
地元の利を考えれば、名将が指揮していればしばらく粘れたようにも思う。
籠城ってのは救援が来ないと結局勝てないから
事前工作で、朝倉家をばらばらにしてから攻め込んできたのだから、その時点では
誰がやっても無理だよ。もう勝敗はついてるんだ
>>106 敵が攻略を諦めれば勝ちだろ。上杉の小田原攻めみたいに。
あれにしても武田の圧力があったからだしな
秀吉みたいに徹底的にやったら成す術ないからな
まあそのときはもう兵力が違いすぎてどうやっても勝ち目ないんだが
双方背後の憂いがなければ攻囲軍と救援軍の野戦もありうるけどな
>>102 神奈川県民だが、山坂ばっかのほんとうぜー地形
横浜川崎は住宅地としてここ数十年に山稜も余さず急速に開発されたが、それ以上に急峻な地形に数百年前から市街建設したかと思うとホント呆れるわ
道路が限られてるから、相応の兵力で隘路固めれば陥ちるのが不思議
>>104 際立った産業があるでなし、わざわざ首都に定めるようなことしなきゃ土地としての価値はほぼない事実
交通不便だし、拠点としての価値もないんだよね…
113 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 19:56:25.40 ID:Zce7xwzA
>>112 > 道路が限られてるから、相応の兵力で隘路固めれば陥ちるのが不思議
田原坂みたいな地形だよね。
>>105 織田軍の基本方針として、誰かが侵攻の企画を立て、その相手を調略したら、企画者に兵力を与えて、侵攻を開始するってことになってる。
四角四面にそう動くだけではなく、何らかのの思惑で恣意的に、企画と責任者が変わったりもするけれど、ある程度、調略済みなのは同じ。
侵攻後だって、前線で戦闘を繰り広げながら、何らかの寝返りを期待するのが、戦国時代の合戦のスタイルだし、織田軍もそれを世襲してた。
名将が率いれば、確かにその場は対抗は出来たかも知れないが、最終的には国力の差で負けるし、それなら有利な条件で寝返った方がまし。
そんな条件では調略は防げないし、やはり敗北は避けがたいと思うよ。
>>114 ただ織田家って寝返る側にしたらトンデモなく寝返りにくいところなんだよな
主に信長の性格的な理由でw
降伏してもなんか機嫌が悪いと受け付けられなかったり
平気で虐殺するし
傘下に入っても皆平等に人使いトンデモなく荒いし
働きが悪いとあっさり放逐粛清されるし
まあ浅井朝倉潰してた頃ならそんな信長のキャラクター敵もよくわかってなかったけどな
勢力拡大の過程でどんどん殲滅戦に近い様相になってきてる
侵攻の事前での帰順帰服はあるけれど
でも浅井にはもう裏切られてるけどな
>>112 いや鎌倉は幕府が開かれる前から源氏の重要拠点だし
鎌倉は三浦ー房総の律令東海道を抑える位置にもあるよ
でもこの海上ルート朝廷にいつごろまで使われていたのかな?
東国といえば馬産だけど頼朝は船も影響下に置きたかったのかな
両方押さえれば流通も抑えられるし
118 :
名無し三等兵:2012/07/17(火) 04:14:42.56 ID:FdX2rYfK
>>117 >頼朝は船も影響下に置きたかったのかな
> 両方押さえれば流通も抑えられるし
それはそうでしょ。商船だけではなく、水軍もほしかったはず。
とくに伝令としての早舟は必要だった。
119 :
名無し三等兵:2012/07/17(火) 09:29:48.29 ID:Npguu9rp
大坂城だって真田幸村が守ったときは難攻不落だったが、
鳥羽伏見のときはあっさり占領された。
そもそも大阪城討幕で戦ってないだろ
121 :
名無し三等兵:2012/07/17(火) 14:17:16.67 ID:CQPevldP
幕府側としては鳥羽伏見のように野戦で戦わずに、
いきなり大阪城に籠城すればどうだったんだろうね?
慶喜が本気なら熊本城みたいになったかもしれんが
どうせ幕府軍も寄せ集めだし
ってかスレチ
慶喜は幕府がうかつに結んでしまった外国の租借権なんかを不覚と悔いて
全部反故にするためにあえて自発的に負けて政権交代したって説もあるな
その辺の密約が新政府とあったから実質的に罪は問われなかったと
コンスタンティノープルの艦隊山越えについて
詳しく載ってる資料をご存知の方いませんかね
>>123 この説は知らなかった。
幕府軍が兵力で勝ってたのに、あまりに簡単に負けたのが、今まで不思議だったんだが、
なるほどね!目からうろこ。
現実的に考えればそれだけで反故になんて出来る訳ないけどな
そっちには西欧式の近代法がないから、権利を保障するには
こっちの法を優先するけど仕方ないよね? って建前で色々勝手を押しつけてたんだから
政体変わっても意味ねーし。そもそも実力に差があり過ぎて無視とかできましぇん
マジだったら単なる間抜けだろ
まあ実際アメリカの鉄道建設とイギリスの軍隊駐屯は
維新後に白紙に戻されてるからなぁ
幕府が続いてたらこれらはやられてた
128 :
名無し三等兵:2012/07/17(火) 20:27:19.07 ID:Npguu9rp
横浜のフランス軍は明治八年まで駐屯していたらしいが。
港の見える丘公園のあたりにフランス坂としてその名残がありますな
トワンテ山には、英軍の第20歩兵連隊。
フランス山には、仏軍のアフリカ軽歩兵第3大隊、海軍陸戦隊、海軍歩兵隊。
その名残が地名に。
>>106 >籠城ってのは救援が来ないと結局勝てないから
中世(兵農未分離時代)なら、農繁期まで、あるいは場所によっては冬到来まで耐えれば
寄せ手は退くしかないんじゃないか?
謙信による小田原城包囲戦は、寄せ手は10万にものぼる大軍だったため、
寄せ手の方が先に兵糧が尽きて1ヶ月ほどで包囲が維持できなくなっているし。
>>104 篭城戦というのは、多くの場合数の上では寄せ手に比べ城方が劣勢な場合が多いわけだが、
一般的な城郭と比べて鎌倉という都市全域は非常に巨大です。
城の縄張りが大きさに比して篭城する兵の数が少なければ、
防備の穴が多く生じてしまいます。
城郭がいくら堅牢でも、そこを守備する兵がいなければ簡単に破られてしまいます。
城の縄張りの広さはその守備兵の数と均衡していなければなりません。
一千の兵なら一千なりの縄張り、一万の兵なら一万なりの縄張りでないと十分な守備はできません。
鎌倉という都市域全体を長期間守備するには、数万の兵が必要だと思われますが、
鎌倉北条氏にしても、鎌倉公方にしても寡兵で立て籠もることになったので、
鎌倉の縄張りの大きさが災いしたんじゃないかと思います。
数千や一万程度の兵では巨大な鎌倉の縄張りはとても防備しきれない。
鎌倉の中にさらにコンパクトな城があれば簡単には落とせなかったかもな。
あったところでな。一国の中心に防ぎきれないほどの大軍勢がくるって時点でもはや戦争は
終わってる。守備兵だって死にたくないし、たとえ城があっても内応するやつがでて終わりだろ
とりあえず、新田義貞の引き潮からの侵攻に気づけたら、
もっと持ちこたえられたかどうかだな。
潮が戻れば、新田勢も引き上げるか溺れ死ぬかの
どちらかしかないわけで、
そこで上手く義貞を討ち取れれば、義貞の後釜をめぐって、
寄せ手に内輪もめが起きてくれたかもしれない。
>>132 鎌倉とコンスタンティノープルって同じくらいの大きさかな?
>>134 ググルマップでぱっと見で比べただけだけど、
鎌倉の七口を結んだ範囲と、コンスタンティノープルの城壁内側の範囲を比べると、
コンスタンティノープルの方がデカいな。面積は鎌倉の1.5倍くらいある。
ただし、コンスタンティノープルは三方が海なので、陸地側の大城壁の長さだけを比べると、
鎌倉の七口を結んだ線の方が2倍近く長いかな。
海側からの侵入を考えなかった場合は、コンスタンティノープルの方が少ない人数で
守備できそうだな。
136 :
名無し三等兵:2012/07/18(水) 18:38:25.46 ID:LYddaiz3
>>134 >
> とりあえず、新田義貞の引き潮からの侵攻に気づけたら、
> もっと持ちこたえられたかどうかだな。
幕府の水軍が警戒を怠っていたのもまずかったかと。
潮が引けば稲村ヶ崎が干上がることくらいは鎌倉に住んでいれば誰でも知っていたとは思うが、
やはり各切通口の防衛に掛かり切りで稲村ヶ崎にまで回す守備兵力がなかったんじゃないかな?
>>135 鎌倉と比べても1.5倍程度なのか。
正直もっとデカいと思ってたんだが>コンスタンティノープル
>>138 いや、コンスタンティノープルはデカいよ。
鎌倉は切通の近くは山だから人は居住していなくて、平地は半分くらい。
一方コンスタンティノープルは全域が平地の居住地だし。
また、戦になれば放棄されることが多いけど、金角湾の北の対岸、
今のイスタンブールのガラタ地区もコンスタンティノープルの市街だしな。
居住地域の面積なら鎌倉の5〜6倍は下らない。10倍くらいあるかも。
ちなみに鎌倉は鎌倉時代末期の人口が6万〜8万人くらい。
コンスタンティノープルは最盛期で40万〜60万人くらい。末期では6万〜10万人くらいだったらしい。
よく食い物が持ったものだ
アサシン時代の記憶がよみがえる
イスタンブールは小麦貿易の中継基地だったため、食料は唸るほど蓄えがあったらしい。
イタリアやギリシャは紀元後の早い時期には土地が荒れ、穀物生産が減少して
食料自給ができない状態だったから、今のウクライナやクリミアやコーカサスといった
黒海沿岸地域の穀倉地帯から小麦を大規模に輸入していたが、その中継貿易港だったのが
コンスタンティノープル。
144 :
名無し三等兵:2012/07/18(水) 20:14:45.57 ID:LYddaiz3
>>137 > やはり各切通口の防衛に掛かり切りで稲村ヶ崎にまで回す守備兵力がなかったんじゃないかな?
水軍は使えたはずなんだが。
村上水軍とかの豪族が水軍をやってるから、
当時は、有力な水軍を味方にすることだけが、
水上覇権を得る方法だったのでは。
というか、覇権でもなんでもない。
単に勢いのあるほうになびくだけだ。
コンスタンティノープルは
ボスフォラス海峡利権がすさまじかったらしいからな、
この分野の経済学研究って聞いた事無いから、ぜひ聞きたい
コンスタンティノープルが陥落した時代はまだ火砲が未熟だったので、
コンスタンティノープルのテオドシウス城壁(三重城壁)の防御力は絶大だったようだ。
強固な城壁を崩すくらいの威力を持つ大砲が現れるのはコンスタンティノープル陥落の100年くらい後。
コンスタンティノープル包囲戦でオスマン軍が用いたウルバン砲は、
砲弾が石だったり、一発の発射に数時間〜半日くらいの準備が必要だったりで、
攻城戦には実効的な威力は発揮できなかったみたいだ。
現実にウルバン砲ではテオドシウス城壁に対してほとんどダメージは与えられなかった。
城内の人間に脅威を与える精神的な効果はかなりあったみたいだが。
また、ウルバン砲は相当扱いにくい武器で、持ち運びがほとんど不可能だったため、
コンスタンティノープルの最前線近くで鋳造していたくらいで、
オスマン帝国のような超大国による総力戦だからなんとか使えた兵器だった。
しかし、この頃から攻城兵器として大砲の活用が広まるにつれて、城壁の形状は変化していった。
テオドシウス城壁にみられるような、高く垂直に切り立った城壁は大砲にとって格好の標的になるため、
大砲で狙いにくいように低くなっていった。
また、砲弾が城壁に直撃した場合にも水平方向への衝撃を和らげるため、
河川堤防のような台形の形状に変化していった。
ところで、日本の城郭は城壁ではなくて、土台ごと盛り上げて斜面を石垣で
補強する方式が主流なったのはなぜなんだろう?
西洋の城郭も中国の城郭も、城の周囲を城壁で囲うのが一般的なのに、
日本の城は、城の地面そのものを盛り上げるよな。
城壁は大砲で集中攻撃すれば崩せるけど、石垣は大砲では崩せない。
石垣の表面は崩せても盛り土がなくなるわけではないから、崩れた城壁の隙間から
城内に雪崩れ込むということはできなくて、攻撃は城門突破が主軸になる。
日本以外の国で、日本の城のような土台を盛り上げる方式を多用しているところはあるのかな?
この前やってたNHKスペシャル「大英博物館B古代日本」で、
古墳について解説していた。
はじめは、土を盛り上げて葺き石で覆ってたんだけど、
次第に天辺を掘り下げて棺を置くのではなく、
横から坑道を掘って棺を置くようになった。
はじめはその坑道に使う石もそこそこの大きさだったんだけど、
あとになればなるほど、巨大な石を使うようになった。
しかも、不揃いな巨石の形をそのままに積み上げて。
古墳時代から戦国時代の石垣まで、
この伝統が続いたというのは言いすぎだろうけど。
>日本以外の国で、日本の城のような土台を盛り上げる方式を多用しているところはあるのかな?
年代ばらばらだけど。
イスラエルのマサダ要塞。
イギリス中世のモットアンドベイビー式
マルタ島の要塞。
ノイシュバイタン城。
日本もだが基本的に元からある丘を削って成形するので合って
人口的に丘つくってそこを土台に上部構造物建築ってわけじゃないだろ
152 :
名無し三等兵:2012/07/19(木) 14:52:12.92 ID:bbFdz5sb
>>148 > ところで、日本の城郭は城壁ではなくて、土台ごと盛り上げて斜面を石垣で
> 補強する方式が主流なったのはなぜなんだろう?
当時の土木技術とか労務者人件費、あるいは日本の高温多湿な気候と関係かな?
>>150 真ん中の2つは詳しく知らないけど、盛り土じゃなくて一番上と一番下の2つは山城だろ?
俺が言いたかったのは、平城のはなし。
日本の場合、大阪城にしても名古屋城にしても江戸城にしても熊本城にしても、
本丸や天守台は地面の水準から盛り上げて建てられている。
天下普請はちょっと特殊じゃね
>>151 下からあった丘陵を利用するのは平山城。例えば姫路城などがそれ。
一方、大阪城、名古屋城、江戸城などは完全な平地に築かれていて、
濠を作ったときに出た土を盛り上げたり、近くの山から土を運んで
盛り上げたりしている。
>>155の訂正
江戸城は平城ではないかもしれないらしいな。
家康が築城する前から西の丸辺りは小高かったみたいだ。
太田道灌が盛り土をしたのか、天然の丘陵なのかは不明。
言葉遊びぽくなるが、天下普請の化け物城は例外であって主流ではないだろう
>>158 天下普請の城じゃなくても、福井城、津城、広島城なんかも
本丸と天守台は盛り土をして高くしてるよ。
なら主流と言っちゃっていいのか
秀吉の統一以降、権威の象徴としての高石垣と天守のセットが流行ったからってのはあるな
天守に砲台つければよかったのにと思った人は全国に1万人はいるはず
大阪城なんかは元々、石山があった所にたてられたよ。
城壁は都市を囲む壁から発達したんじゃないかね
都市が自衛する時代が長かった文明は、都市を囲むタイプの城が発達したんじゃないか
んで都市を囲まないものも同じ手法で造った
流通の結節点が都市に発展すると考えれば、「そこを通らざるを得ない」から発展したところと
「そこを通ると便利になるようにしよう」から発展した都市では防御の仕方が変わるのでは?
都市が自衛しない時代なんてどこの文明でも中央集権化まで来ないでしょ
>>166 日本の京都「平安京」という城壁のない例外をどう考えるかだねえw
そういや、江戸も無かったな、川に橋は架けなかったけど
日本は水が豊富だったからかな?
日本の都市や集落の防衛は、壁よりも水濠が中心だよね。
壁は人間が隠れる程度の築地塀だけで、敵兵が登れないような
高い壁を築くという発想はないよな。
長安は高い城壁に囲まれているが、それをモデルにした平城京や平安京では
建設時にこそ低い築地塀が作られたが、その後は補修もされることなく、
風化し完全に消滅した。
城郭は山城ばかりだったので、平地の防衛例では、
中世の環濠集落や堺なども塀ではなく水濠で防衛していて壁はなかった。
堺も大阪城も防衛力を削ぐために濠が埋められた。
でも、実は西洋では中世までは防衛は城壁が中心だったけど、
攻城兵器の主役が火砲になった近世城郭は高い城壁は砲撃に弱いので、
城壁を低く抑えるのにともなって、濠(多くは空濠)が重視される
ようになった。
>>167 江戸の防衛も濠だよな。
日本の城の縄張りは城壁ではなく、濠で線引きされるよね。
大前提として、ヨーロッパや中国の街を囲むカーテンウォール(市壁)と、城主が住むシタデル(城塞)は別のものだぞ?
日本の城はシタデルばかりだが、一部には街そのものを囲む防御施設があったし、ヨーロッパでもカーテンウォール内にはガチンコの城があった。
良く調べもせず混同しなさんな。
それと“防御施設”と書いたのは、それが市壁だろうが環壕だろうが、鎌倉や一乗谷のような、山がちの地形だろうが同じことだからだ。
もちろん城だってそうで、城壁を築いても堀切を切っても、堀を渡しても、敵に対して地形的アドバンテージを得る点に違いはない。
でも、堀では矢は防げないから、やっぱちょっと不安だよね。
距離で防いでいるのかも知れんけど。
そういや、中国やインドの場合は、
火砲が発達した近代になっても、高い城壁のイメージがある。
実際はちがうのかもしれんけど。
173 :
名無し三等兵:2012/07/20(金) 13:02:43.70 ID:Z2tWdueW
>>163 > 天守に砲台つければよかったのに
↑
付けなかった理由を知りたい。
天守だと射程的に考えて位置が悪くね
大砲とか砲弾とか火薬とか担ぎ上げるの大変だろ(´・ω・`)
当時の大砲は精度が悪いし、爆発しないから、天守に担ぎあげたとして、何撃つの?
大阪城天守閣から真田丸への直接砲撃か。実現してれば歴史的大事件になってただろうな
クーデター起きてかえって大阪側が強化されるかもな
180 :
170:2012/07/20(金) 14:59:26.49 ID:???
【堀切】と【掘】って、同じことを二回も書いてしまった、これは【切岸】と【掘】の間違いです。
ちなみに【切岸】とは、丘陵の斜面を掘削して、人工的に急斜面にした崖のことで、ここに石を並べて補強すれば石垣になる。
それと「堀では弓を防げない」との意見があるが、弓は取り外し出来る垣楯で防げば良い。
実際に北条氏の城などは、秀吉の北条征伐の頃まで、堀と柵だけなんてのが多い。
ひやー!なんつってwwwwwww
モンゴルがまともに攻めずに封鎖して5年かけて落とした襄陽・樊城ってどんなつくりだったの?
>>170 >日本の城はシタデルばかりだが
そうとも言えないな。
城下町の惣堀の内側はシタデルではない。
内堀の内側はシタデルだと思うが、内堀から惣堀の間は町人地も多い。
一般的な中世後期のヨーロッパの都市の場合、ガチンコの城は市壁の外側の山城で、
平時に暮らしているレジデンスは市壁の中にあるが、一般的なレジデンスには
城壁も堀もない。
185 :
170:2012/07/20(金) 16:25:57.89 ID:???
ドイツ諸侯のブルグだね
186 :
名無し三等兵:2012/07/20(金) 18:45:18.30 ID:lBbzgqr6
日本にはローマ帝国みたいな石造建築の技術や伝統がないからなあ・・。
どっちかと言うと土造・木造。土塁、土塀、土蔵。
あと地震が多いから石造城壁は危険かも。
>>167 魏志倭人伝なんか読むと、そこでの国は柵で囲って見張り台建てて、本格的な城壁こそないものの原初的な都市国家として記述されてるけどな
それが時代が下ると平城京も平安京も城壁なしで、それこそ中央集権国家の成立で個別防御の重要性が薄れたからとしか言いようが無いな
まあでも、城壁なし=防御無視、じゃないけどな
そのために進入路の限られた盆地に都市建設してるんだし
>>186 日本は木に困らなくて逆に良質の石は産出しないんだから
伝統も何も石造り文化になる訳がなかった。
和弓って使いづれぇぇぇぇぇ。
肩入れが出来てないと筋力があっても引くことも出来ず。
手の内が出来ないと手首や耳を弦で強打。
etc,etc,etc
誰だよ、こんな弓開発したやつは。
誰って言うか必要性に応じて改良が重ねられていった結果だろ、単に
逆に言えばコツさえ掴めば強弓もそんなに力入れずに引けるのが和弓の利点
弓は訓練に時間がかかるから、すぐ戦力化できる鉄砲に切り替わったわけで。まあがんばれ
日本にはレンガ(セン:石編に専)も伝わってたけど定着してないな。
和弓の大きさは複合化が進むにしたがって小型化してるそうだ
正倉院には3mクラスの代物が残ってるが鎌倉時代には240cm位に小型化し
江戸にいたり221cmで固定された
3mとか何センチ引くんだよってかんじですな
ところで室町時代?から騎射が廃れて歩射が主流になったけど、その弓兵は下馬した
武士だったの?専門の弓兵だったの?農民の徴兵による足軽の発達より前の時代に
限定して聞きたいのですが
おお、ほんとですね
鎌倉時代といえば騎兵と思っていたもので
ついでに、鎌倉時代の野戦での歩兵、弓兵についていい資料ないですか
1548年(天文17年)、ゴアの聖パウロ学院長ニコラオ宣教師がインドに来た日本人(アンジロー)から聞き取った『日本の世俗的な事柄について』のインド総督宛ての報告書を一部抜粋
この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。
戦国時代でも完全に騎射が廃れたってわけでも無いんかな?
講談レベルの話だが三河物語だと、徳川家康は三方ヶ原で騎射で追手を倒しつつウンコ漏らしながら脱出したとあるし。
>>196 承久の乱だと歩兵が一斉に弓を射かけたって記述が割とあるな。
軍記物以外だとあんまし戦闘経過詳しく書いてる史料は知らないが
鎌倉遺文で当時の武士達の書状や感状調べてみるといいかもね。
元寇の文永の役だと騎射しながらの突撃がメインだったようだが。
源平の合戦から歩射が主流みたいなことをいう川合康という人もいる。
「通説をうたがえ!」「日本の在来馬は、現在の馬の分類にあてはめるとポニーに相当する
小さな馬しかいない」とか鈴木眞哉みたいな感じなんで話半分で読むべきだと思うけど。
というか96年に本出してるから鈴木のポニー強調の元ネタなんだろうね。
長弓はどこも訓練に時間が掛かるみたいだな
イングランドもウェールズ人を平定して初めて戦力化出来たんだろ
>>189 >肩入れが出来てないと筋力があっても引くことも出来ず。
>手の内が出来ないと手首や耳を弦で強打。
和弓とアーチェリーやったことあるけどその辺は変わらんよ
(まあ洋弓に手の内はないけど、相応の正しい押し方というのはある)
多少の違いはあっても、弓の引き方なんて大筋は変わらんし
>>193 だってレンガ作りは地震に弱いですしお寿司。
でも中東や地中海沿岸も地震が多い地域だし、むしろ湿気の問題か?
木で作れば安くて丈夫なものが手に入るのに
わざわざ高価で脆いものを選ぶやつなんていなかった
それだけの話さ
瓦の技術はあるから派生してもよさそうだが
耐火建築としては土壁+漆喰塗り込みの土蔵造りが採用されてるな
>>199 まあ数的に騎射よりも歩射のほうが多くなるというのは何となく思う
つか射撃戦だと馬傷ついちゃうよね
西洋だと人も馬も殺すから弩とか嫌われたらしいけど
軍馬が最高の戦利品なのは万国共通だな
馬を射ることは比較的行われていたらしいが、少々の矢傷では簡単には死なないからか?
藤平実光「最近のゆとりは集団で馬を狙い撃ちしやがるDQNばっか。マジで死ねよ」
最近のゆとりは騎射がまともにできないから形だけ弓射たあとすぐ組み討ちにもっていきたがる
ってのもあったな
>>209 いつの時代の人?ぐぐると源平盛衰記がでてきたが。
>>206 西欧は捕まえて捕虜にして身代金取るんだよな。
人質は金づるだから大事に扱うし。
日本で捕虜の返還とか家康幼少のころの一件しか知らない。
チェス:駒を取ると使えない
将棋:駒をとっても再利用
とは、逆の話だな。
和田義盛の郎党。近藤好和センセは彼の発言を「真光故実」と名づけてよく引くよ。
>>211 家康みたいな人質のケースなら日本でも数多くあるでしょ。
あれは捕虜とは違う。
>>213 いやいや、信長の親族が戦で捕まって捕虜になったってやつ。
その結果、そいつと竹千代との人質交換が行われた。
>>199 話半分どころかそいつの主張は無茶苦茶だから
幕府側が弱かったのは、やはり体制が前近代的だったからでしょ? 身内のはずの水戸藩だって、思想的には勤皇派だったりするし。
ちょうど革命時のフランスだって、ブルボン王家があてに出来たのは、スイス傭兵だけだったのと似ているよ。
貴族階級は自分たちの権限を強化するため、王権の低下を望んでいたし、王族すら自身が玉座に付くのを狙ってたから。
才能と野心的があって、地位の低かったダヴーやラファイエットのような貴族は、革命側についてたくらいだ。
薩摩や長州が倒幕に向かったように、そして明治維新を通じて、次第に身分制度が崩壊し、薩摩・長州も失権していったように。
ここで皇帝(天皇)が君臨して国民国家を形成した辺りは、ナポレオン時代のフランスや、後のプロセインと同じ。
対ナポレオン仕様の軍隊は別に革命で国民国家を形成せずとも用意できた
219 :
名無し三等兵:2012/07/22(日) 07:05:30.03 ID:oyDnkxvS
>>186 > あと地震が多いから石造城壁は危険かも。
地震とか台風を考慮すると、城壁に頼る防御はリスキーだね。
城壁の形状にもよるだろうが、普通は川の土手みたいに、厚く低く傾斜の緩いものでないと、日本では地震で崩れてしまう。
例えば石垣にしても、基部は傾斜が緩く上部は鋭くするなど、国情に合わせた工夫が成されている(が、緩むことはある)
維新後の川越でも、当時としては最新のレンガ造りが崩れ、昔ながらの土蔵は地震にも火災にも強く、蔵造りの街になった。
15世紀頃のヨーロッパ圏の弓兵の防具ってどんな物だったのですか?
綿詰め込んだ軽い鎧とバックラーとあとは日本でいう掻盾みたいなバリケードもあったはず。
もし火縄銃より先に軍事にクロスボウを導入していたら
戦国時代を制覇できたかね?
火縄銃と同様で射撃と装填で隊列を組む戦法でさ
クロスボウはねぇ
連射性に劣ったり壊れやすかったりで欠点も多いからねぇ
>209 :名無し三等兵:2012/07/21(土) 18:15:50.94 ID:???
>藤平実光「最近のゆとりは集団で馬を狙い撃ちしやがるDQNばっか。マジで死ねよ」
>
>210 :名無し三等兵:2012/07/21(土) 18:31:47.59 ID:???
>最近のゆとりは騎射がまともにできないから形だけ弓射たあとすぐ組み討ちにもっていきたがる
>ってのもあったな
これ、じわじわくるわーーwww
何度見ても笑いが止まらん。
他にも御存じでしたら、ぜひご教示下さい。<(_ _)>
>>222 ありがと
でもクレシーの戦いの絵を見ると
ブレストプレイト・グリーヴをつけてる人もいるんだけども
それはごく一部の人だけなのかな?
>>223 クロスボウは日本も平安時代の頃からあったような
>>217 >身内のはずの水戸藩だって、思想的には勤皇派だったりするし。
だって勤皇思想作ったの水戸藩だし正確には水戸光圀(水戸黄門)が天皇中心の歴史書を書かせたのが発端
水戸藩は御三家中最弱で割合権力から遠かったためなんとか地位を上げたかったそこで
元々朝廷とのつながりが強かった水戸藩は朝廷の権威を上げれば自身の権力強化につながるだろう
という算段だった
>>227 頃からあった、というか頃まではあったの間違いじゃね
武士の世の中になって徴兵制が廃れると、訓練時間が短くても使える
という弩の利点がなくなるからね…
>>223 包囲網食らう恐れがあるから最終結果はなんとも言えんが
1500年代前半に弩を大量に揃えて足軽に持たせる鉄砲と同じ運用ができるなら
国力的にもシステム的にも圧倒的に優位な状況だな
武士の弓を弩に変えただけならむしろ弱体化する
一応源平の頃まで弩の使用例はあるみたいだな
拠点防衛で
弩が現役だった律令時代でさえ騎射優遇の方針だからね。
武士の時代になって弓が選ばれたわけではない。
http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/yoro17a.html ○02 隊伍条
兵士はおのおの隊伍を作ること(5人で伍、50人で隊)。弓馬が得意な人は騎兵隊とすること。
それ以外を歩兵隊とすること。主帥以上(校尉・旅帥・隊正)は、種別(騎兵/歩兵)ごとに統率すること。
両者を混成してはならない。
○13 軍団大毅条(※01条と同じ条名)
軍団の大毅少毅は、おしなべて部内の散位、勲位、及び、庶人の武芸を
称えられる人を取って充てること。校尉以下(校尉・旅帥・隊正)には、
庶人の弓馬が得意な人を取ること。主帳(軍団の書記)には、書算が巧みな人を取ること。
『続日本紀』神亀元年(七二四)四月癸卯(十四日)条
坂東九国の軍三万人をして、騎射を教習し、軍陳を試練せしむ、
武士は弓術が最も尊ばれたんだっけ
俺の感覚では剣や槍強いやつのほうが尊敬するんだが
なんで弓なん?
そっちのが戦場で有効やん?
強い弓を正確に引けるとかまさに心技体パーフェクツやん?
>>234 武士の時代の前の律令時代に尊ばれていたからだろうね。
武士以前に上級兵士のイメージとして弓騎兵があった。
南北朝の頃とかはバカデカイサイズの大太刀振るうことがステータスだったりするし
わかりやすさが重視されてるんじゃね
の 使 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ
は う 弩 L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 何
健 .の を //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ と と
児 が. /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i な 弩
ま 許 l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !!
で さ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶,
じ れ l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ
ゃ る ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
ぞ 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' ', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
/ ヽ. L__」 「 止 笑 L_ ヽ〈 i| Vi゙、
ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ ま い 了゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
ハ ハ ヽ. ハ ) ら が | ',.' ,  ̄ , ' ノ /./ ヽ,
ハ ハ > /|ヽヽ、___,,,,、 'く ん > ヽ.  ̄´ / ,、 ' / / \
ハ ハ / ノ. | ヽ フ / ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙ /
蝦夷の騎射戦術を相手にするには手弩じゃ荷が重かったんだろ。
いっつも遭遇戦ばっかりだから即応性の低い弩は使いにくかったとかないだろうか
冶金技術が発展すると弓は不利になるのでは?人間の引ける張力には限界があるし、
威力を高めるために矢じりを重くすると射程は短くなる
それに対し鎧は時代が下ると金交ぜが増えて防御力を上げてきてる
南北朝のころには大太刀で直接殴りにいかないとダメージを与えづらくなってたんでは。
逆に律令時代は鎧の防御力低いから弓兵いっぱいいると有利だったんじゃないかな
防御のかなりの部分を盾に頼る時代だから射撃中は相手の行動を封殺できた、とか
南北朝より後の時代の応仁の乱の時代の記録だと、今日は終日、矢戦だったとか
矢で戦ってた記述が多いけど。刀や槍で戦うことは珍しいことだったよ
『盛衰記』版の真光故実は重武装化について語ってる。
鎧が発達したから馬を射るようになったということ。
・昔は馬を射る事候はず、近年は敵の隙間なければ、まづ馬の太腹を射て、
主を跳ね落として、立ち上がらむとする所を追物射にもする候、
だったら長弓じゃなくて短弓にならないか?
512 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 18:59:19.60
この間戦国板に貼ったものだけど、烟田(かまた)文書(京都大学総合博物館所蔵・『鉾田町史中世資料編 烟田史料』所載)から
手柄や受傷など、それが白兵戦によるものか遠距離戦によるものか、不明かを分類してみた。
白兵戦:9件
「二九 塙政茂軍忠状写」
手柄:怨敵三騎を討ち捕え(白1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人井河又三郎幹信御敵一人を切り落とす(白2)
負傷:家子鳥栖太郎三郎貞近右小膝を切られ(白3)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人富田左近允信之、御敵の頚を捕りおわんぬ(白4)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
手柄:鳥栖太郎三郎貞親壁を切り破り、城内に責め入り、散々に合戦を致し、切り捨てせしめおわんぬ。(白5)
:同じく若党富田次郎太郎信行、同じく城内に責め入り切り捨ておわんぬ。(白6)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:(飯田民部丞)前浜の御合戦において太刀打致し(白7)
:武者一騎切って落とし、頚を捕らんと欲するところ、御敵堕ち重なる間、押し隔てられ分捕れざるの間、証拠として腰刀を捕りおわんぬ。(
白8)
負傷:飯田民部丞御不審の刻、乗馬を切られ(白9)
244は240宛て
513 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 19:00:15.79
遠戦:4件
「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:旗差弥次郎男射殺されおわんぬ(遠1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
負傷:(家子鳥栖太郎三郎貞近)同じく乗馬を射らるる(遠2)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
負傷:旗差別当三郎国重左肩を射られおわんぬ(遠3)
「一一四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:日々矢戦仕る。(遠4)
>>244 短弓はだいたい動物素材だからなぁ
日本では文化的に発達しなかったんじゃね
249 :
名無し三等兵:2012/07/22(日) 20:55:01.66 ID:garbUy/E
514 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 19:00:58.59
不明:8件
「二九 塙政茂軍忠状写」
戦死:山本四郎義長討ち死に(不明1)
「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:家人鳥栖彦太郎幹安討死におわんぬ(不明2)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
負傷:若党新堀修理亮公夏右脛に疵を被りおわんぬ(不明3)
「七一 烟田重幹軍忠状写」
負傷:家人小高根三郎左衛門尉・塙衛門二郎疵を被る事(不明4)
「七五 烟田重幹軍忠状写」
負傷:切岸において合戦、若党鳥栖式部丞疵を被りおわんぬ。(不明5)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:(前浜の御合戦において太刀打致し)若党松山左近将監疵を被る(不明6)
「一○六 烟田幹胤代胤幹軍忠状写」
負傷:城責めの時、最前に切岸に上り、合戦を致すの間、家人小高根左衛門四郎疵を被るの条、(不明7)
「一一二 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:庶子上谷田疵を被りおわんぬ。(不明8)
というわけで南北朝でも白兵戦は結構多い。
250 :
名無し三等兵:2012/07/22(日) 20:57:22.99 ID:garbUy/E
>>250 このサイズでも木が張り出してるところだと不便そうだ
253 :
名無し三等兵:2012/07/22(日) 21:11:33.89 ID:usvQOd03
>>242 応仁の乱は両軍とも、白兵戦を避けてダラダラ戦っていた印象がある。
>>253 トーマス・コンラン氏も南北朝時代の中でも一勢力が滅亡するような
時期では刀傷の申告が多いが、比較的平和な時期では傷の申告自体が少なくなり
矢傷も多くなる、というようなことを書いていたな。
矢傷も多くなる→矢傷の割合も多くなる
の方がいいな。
参陣して矢戦やってるだけでも手柄になるんなら楽なほう選ぶよね。
弩もそうだけど日本で戦斧が発達しなかったのはなんでだ?
甲冑をものともしない破壊力は魅力的だと思うが
ちなみに中国だと戦斧は結構使われてんの?
>>258 絵巻物見るとたまーに鉞持ってる奴がいるが
普及しなかったってことは刀のが使い勝手いいと思った奴が多いんじゃね?
大太刀のがいいわな
斧やメイスでないとかち割れないような甲冑じゃねーしこっち
つか戦斧がメインウェポンの国というか地方というか
何かあったっけ
>>266 2chのまとめサイトじゃ出典なくてもしょうがないよ
このスレ、中世までだけど、
ばら戦争なんかの話題はここでも大丈夫?
いいんでない?
なんの話がしたいの?
4メートル近い奉納された大太刀って奉納専用で実用品とは隔絶したものなんかね
どうやって抜くんだそれ
西洋のクレイモアとかどうやってサビ防止してるんだ?
よく考えると槍の穂先とか矢じりもそうだ
>>271 4メートル?4尺の間違えじゃねえの?
馬上槍だってそんな長くないぞ
4尺だって人力で振り回すには限界超えてる
まあそんな奉納太刀の中には、打ち合った形跡のあるのが結構あったりするわけだが
ステンレスの複製なんだろ
ヨーロッパは日本のように高温多湿じゃないから、野外にほうっておいてもサビはでないよ。
これならでかいマグロも一息に切れるな!
まず持ち上げられる人間がいるのか?
っていうか振ったら自重で折れたりしないだろうなw
ガッツさんご指名で〜す
でかい剣は男のロマンだが、槍でよくね?って突っ込みも思い浮かんじゃうなぁw
じゃあ間を取って長巻にしよう
じゃあ俺は薙刀で
組み打ちになると脇差や鎧徹しで急所を掻くから
斧や大太刀だとか無駄にデカく重い武器は使わないよ
実際に30〜50cm程度の棒切れ持って人の前に立ってみればそれで十分だと分かる
大太刀の基本は馬上でラリアット的にぶつけるわけでして
>>287 お互い得物持ちだったら長い方がいいじゃん
とか言ってたら役に立たなかったのが勤皇刀だったか
ラリアットするなら木芯の金棒の方が折れる心配も無くて良さそうだけど
太刀って所に武士のこだわりがあるのかな
斧は組み打ち用にはでか(重)すぎて、主武装としては槍や長巻より短すぎる
中途半端な位置な気が、使うなら斧槍かいっそ手斧かかな?
弓道でも小笠原流最強
組討ちという言葉は資料中でどこまでふくむんですか?
剣道の試合みたいに相対しての剣戟も含むか、それともつかみ合った状態だけを指すんでしょうか
また、剣戟が含まれないとしたらそれに対応する言葉は何でしょうか
>>290 打刀ならともかく、大太刀ともなればそうそう折れないし
鎧を貫いて致命傷を負わせられる刃物の方が鈍器よりは良いでしょ
メイスとかって結局、鎧の発達に伴って打撃が重要になったというだけで、重さの割には致命傷にはなりにくいんだから
【鎧組み打ち】とか、【小具足腰回りの術】略して【小具足】なんてのがそう。
ここから【柔らの術】すなわち【柔術】が生まれた。
そして面白いことに、泰平の世になると、柔術にも隠し武器を用いた、原点回帰が見られるようになる。
ついでに言うと、明治くらいまでは防具を付けた竹刀剣術も、鍔迫り合いでの柔術や、足払いくらいはやってた。
この超近距離だと、柳剛流の臑打ちも、馬鹿にならない技になってくる。
(普通の間合いだと、相手の足を切って自分は頭を打たれるか、リーチで負ける)
>>287 だったら小太刀で十分なはずなのに現実はそうはならなかったね。
十分だと勝手にあんたが思ってるだけで現実にはそうではなかったってことだね。
>>287 全然説得力がないね。
剣道の竹刀には上限規定はあるが下限規定はないのに、
初心者でもない限りみんな上限いっぱいの長さを使う。
小太刀のような短い竹刀を使う人などいない。
遠藤はこの際あまり関係ないと思うが
状況が超限定的なうえに竹刀軽いし
>>292 現代剣道の駄目なとこはお互いに背筋を立てて
得物を構えて間合いを計ったりするとこ
試合じゃないんだから人が喧嘩する時は殆んど掴み合いになるだろ
それ以上の距離になると槍の出番だしもっと遠ければ弓や鉄砲になる
>>295 武器が殺人の為だけにあるのは近代に入ってからだからね
二本差が武士の証だったように
中世の素朴な人々はゴツイ武器持ってるだけで鬼が出た蛇が出たって意識だよ
>>294 なぜ中世で柔術や相撲が発達したのかってことだよな
有り体に言えば取っ組み合いで有利に立てるから
>>298 江戸以前では二本差しなんて武士の証ではないんだが。かなり無知だなあんた。
フロイス「日本史」
・日本では、今日までの習慣として、農民を初めとしてすべての者が、
ある年齢に達すると、大刀(エスパーダ)と小刀(アガダ)を帯びることになっており、
彼らはこれを刀と脇差と呼んでいる。彼らは、不断の果てしない戦争と反乱の
中に生きる者のように、種々の武器を所有することを、すこぶる重んじている
『東インド巡察記』
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg564.html 世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、
若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、
十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
>試合じゃないんだから人が喧嘩する時は殆んど掴み合いになるだろ
>それ以上の距離になると槍の出番だしもっと遠ければ弓や鉄砲になる
西洋の剣なんかのことも合わせて考えれば5、60センチの長さじゃ不足ってことがよくわかる。
長槍を持つ明軍も倭寇の大太刀の強さを認めて自軍に取り込んで
韃靼相手に有効活用してるしなあ。
戚継光『紀効新書・長刀解』
日本人には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。その勢いを止められない。
日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を
備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm 隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm 嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)この論断は歴史的事実と確かに一致している。
切り結ぶ刃の下こそ地獄なれ 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
なんて歌もあるが、ぎりぎりのところで地獄に入らないという選択をしたいのが人情というもの
へっぴり腰で先端かすらせて安全圏から斬りたい
結果両者血まみれになりながらも戦闘続行だったりするようだが
終わったあとは指とか耳とか落ちてる
日本刀は流行ったとはいえ、中国人は日本刀操法の妙を十分に身に付けていなかった
という主張もあるな。
『手臂録』
・いま倭国の単刀は中華の間にその法を得たる者あり。しかしてついに
倭人の精なるに及ばず。
片手剣文化とは相性が悪かったのかな
>>300 噛み付けるのそこだけ?
しかも近代以前と断ってるだろうに
大太刀を振り回す人もいたからそれが一般的に使用されていたのか?
話の要点はそこだろ
>>301 実際に戦闘でとどめを刺すのはスティレット
>>302 長刀という表現からみると長巻や薙刀を総称してるんじゃないの
もしくは大太刀を使っていた者が印象に残っていた
武士の証なんてこととは関係なく、長い歴史の中で不利な武器が淘汰された結果が太刀なんだろ?
>長刀という表現からみると長巻や薙刀を総称してるんじゃないの
うわ、こいつ本当に無知だなwwww
無知なヤツに限って突飛な自説を展開するし、それを頑強に引っ込めようともしない。
彼は固定付けてほしいわ。NGできるから。
罵倒しか出来ないのかよ
>>308 具体的に指摘する能力がないなら黙っていた方がいいよ。
>>310 根本的に無知なヤツは罵倒されて当然だろ。
それが嫌なら知識もなく電波説書き込むなよ。
剣道が背筋伸ばして構える事への苦情の行き先は柳生兵庫だな
剣道は一刀流系だけど、最初にこの変化をもちこんだ大物はここ
>>308 中国だと刀状の柄先の付いた長柄武器も刀と呼ばれるけど
日本でも中国に倣って薙刀状の武器を長刀ということもある
一応wikipediaの記述を参考にすると
長柄:ポールウエポンの総称
長刀=なぎなた、長柄に分類される
長巻:大太刀に長い柄を付けたもの、刀に分類される
知識は知れば済む話です
調べてて知ったけど形が似てる薙刀と長巻の違いの一つは重心の位置なのね
長巻は重心が切っ先寄りだから真ん中のほうを持つ必要があって、リーチを生かしづらい
薙刀は重心が比較的後ろにあるから端っこの方を持って長さいっぱいに振り回せる
あーあ、ドヤ顔してるのにまだ戚継光の長刀に辿りつけてないわww
現代日本では長刀と言えばポールウエエポン
なぎなた 【長刀・薙刀・眉尖刀】
[1]幅広で反りの強い刀身に、長い柄をつけた武器。平安時代から主に歩卒や僧兵が用い、
南北朝時代以後は上級武士も使用したが、槍の発達で戦国時代以後は戦いの
主要武器ではなくなった。江戸時代には婦人も用いた。
[2]「薙刀草履(ぞうり)」の略。
大辞林
九環刀、象鼻刀、鷹頭刀、青龍偃月刀
やはり中国では長い柄のついた武器も刀
流派やら時代によって変遷があると思うけどねえ
否定論いくら出してもしゃーない
どんな本でもいいから例示してくれんとしょうがないだろう
だんだんずれて来てるが根本的には倭寇で猛威を振るった日本兵の装備を表す
長刀がポールウエポンなのか長い刀なのかって議論だよな
ちなみにどれぐらい刀身が長いと長い刀になるんだ?
大太刀が一般的に使われていたかが議論の発端じゃないの?
>>327 だから倭寇が使ってた長刀は太刀のことだと、引用史料からバッチリ書かれてるやん。
287 自分:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 02:49:39.82 ID:???
組み打ちになると脇差や鎧徹しで急所を掻くから
斧や大太刀だとか無駄にデカく重い武器は使わないよ
実際に30〜50cm程度の棒切れ持って人の前に立ってみればそれで十分だと分かる
ここからだよな?
仮に大太刀≒長刀だったとして
倭寇が長刀を使っていた=組み打つ段階でも使っていたのか?
戚継光の記述だと槍のように中距離の間合いで敵の陣形を崩す或いは戦力を低下させる使われ方とも取れる
>>332 伝・足利尊氏像も馬上で大太刀を持っているが。
近藤好和などは一撃離脱戦だから使用も十分可能、としている。
>>336 便宜上の定義だからね。俺も柄が長めの大太刀でも構わんと思うよ。
論点ずらしが酷いな
柄がそこそこ長い大太刀と長巻の間の区別は作者の自己申告以外にあんの?
>>327 ポールウェポン主張のヤツは漢字を忘れた現代半島人並みのアホだから
一方的に笑われてるだけだよ。議論になんて成り得ない。
>>311に定番と書かれてる意味もわかってなさそうだな。
その前に組み打ちの話しはどうなったの?
寒山、薫山派だと長柄に刃がつくのは全部「薙刀」
でそもそも長巻という武器は存在しないそうな
>>342 新当流の一派だと薙刀術とは別に長巻術を伝えているな。
薙刀の応用で扱うだけでは本領を活かしきれないと考えたんだろう。
その辺りは流儀や個人の認識によってかなり異なりそうだな。
組み打ち、つまり互いに手の届く間合いで相手を絶命させる段になった時
大太刀や斧などの大型武器が使われていたかってことだろ?
槍使いたいです
日本では長刀で薙刀をさす
なぎなた で長刀に変換できるレベル
長い刀は大太刀・野太刀
長巻は大太刀の柄を長くしてバランスをよくした武器
中国では戟刀・鈎鎌刀・筆刀・眉尖刀などポールウエポンの先端が刃物になっている武器にも刀の字を当てる
中国・朝鮮の倭寇がらみで長刀の記述がでてくるが
関連して出てくる挿絵は長い刀
論点整理したら誰も食いつかないスレになっててワロタwww
みんな大太刀とか長巻には興味あっても斧と組み打ちがどうのとか
別に興味ないわけだwww
349 :
名無し三等兵:2012/07/23(月) 20:02:09.45 ID:5lqptnJy
>>348 長巻は秀吉も白兵戦用に装備させてたな。
朝鮮の役では半切りの盾も…
首切るだけなら右手差し使うだろうし
論点整理したら遁走したの間違いだろ
全然関係ないいちゃもんで強引に勝った気になってるだけだし
結局根本的な知識が不足してる奴が頭で一生懸命考えた説ってのは
説得力ないんだよね。
また論点のすり替えか
自分が不利になるから枝葉で勝った気になってるだけじゃないの
>>350 「刀と首取り」書いた鈴木眞哉も首取りは実際には右手差しなどの短刀で行っただろう
ってしれっと書いてんだよなw
357 :
名無し三等兵:2012/07/23(月) 21:01:47.53 ID:5lqptnJy
>>356 鎧通しとか脇差でやったんじゃないの?
太刀使ったらサブウエポンが無くなるぞ。
一人切っただけで油で切れ味が落ちる。
フロイス『日本史』
第八一章 「主が会の一司祭を通じて、古河、日見、長与の諸城、および他の地方であげ給うた成果について」より
(兵士たちが)三番目の処刑を終えようとすると、(受刑者の)男は少しも気負ったところがなく、また勇気ある様子を
示すこともなく、むしろ信心深い言葉と、悲しげな表情をしながら次のように乞うた。
「どうあっても死なねばなりませぬからには、(武士の)情けと憐れみから、せめて両手を前に括っていただきたい。
そうすれば(縛られてはいても)両手をあわせて、私を救って下さる仏様や神様を目の前でよりよく拝むことができましょうから」と。
その囚人は別に武器を携えていたわけでもなく、兵士たちは彼を恐れる何ものも見出さなかったので不憫に思って
その願いを聞き入れた。
兵士の一人が彼の両手(の紐)を解いて、それを前で縛ろうとした時に、囚人は驚くばかりの迅速さと身軽さで
自分を縛ろうとしていた兵士に襲いかかり、彼の太刀を鞘から抜き取るやいなや一撃のもとに相手の首を切断した。
四人(の兵士)は、このあまりにも突然で考えも及ばなかった出来事に仰天し、抜刀して、やはり相手に近づきながら
彼が逃げられぬように包囲した。だが彼は腕利きであり勇者でもあって、一人一人を倒していき、自らは掠り傷一つ
負うことなくついに相手をみんな殺してしまった。
彼は五人がいずれもそこで殪れたのを見届け、新たにせめて来る者がいないことを確かめると、刀を収める鞘を
持っていなかったので、抜身を手にさげたまま海辺の道を遁走した。
五人も敵がいるのにいちいち組み打ちなんかやってたらこっちが殺されるわなw
11 :剣恒光@Free Tibet ◆yl213OWCWU :2012/07/18(水) 02:10:53.33 ID:??? ?2BP(3200)
>>8 なんか勘違いが多いので、
>実際に日本刀で動物を斬ると、脂肪分、血糊が付着し、切れ味が悪くなります。
これは戦後出てきた話で、嘘です。
包丁などは切る刃物は確かに脂肪分などが着くと切れなくなります。
が、刀は斬るものなので、あまり関係無い。
近いものとして、鉈に油を塗ってもガッツリ樹に切り込めますでしょう
(どちらかというと脂がのってる方が斬り抜く抵抗が減るので、斬れやすいとも)
ttp://sorceress.raindrop.jp/blog/2005/06/ Q:人を一人斬ると刀身に膏がべっとりと付いて、二人目からは斬り難くなるという話がありますが、本当でしょうか?
A:以前、肉屋から豚の頭をそっくり買って来まして、真正面から頭蓋骨ごと(ただし牙だけは避けて)スパリ、スパリと
何度も斬撃を試みたことがありますが、スライス・ハム状になるまで、何回でも抵抗感なく骨ごと断ち斬ることができました。
どうも、膏のせいで日本刀が切れなくなることはないのではないか、というのが、現在の心証です。
津本陽『人生に定年なし』
中村(泰三郎)先生は、十八キロの豚肉をまえに、身をわずかに右向きにして立った。
「こういうものは、まっすぐ斬るもんじゃない。体をわずかに斜めにして斬るんだ」
先生は刀を抜き、ふりかぶる。
気合もかけず、斬りこむと、切り口が大きくひらいた。白い骨が二本あらわれ、
血がタラタラと流れる。
太い骨は直径十センチもあるように見える。
「さあ、やってみろ」
私は体をやや斜めにしえ、両足をひらいて踏んばり、刀身の棟を背筋につけると、
「やあっ」とかけ声もろともに打ちおろした。
おどろいたことに、人間の胴よりも太い豚肉を斬った手応えは、まったくないに
ひとしかった。土壇の板を、パチーンと叩いた音だけが耳にのこり、骨も
きれいに斬れている。
「こりゃ、たいしたものだ。これまでまったく経験がなくて、これだけできる者は、
めったにいないよ。
私は先生にすすめられ、それからさらに二度斬った。
手応えはやはり、嘘のようになかった。
361 :
名無し三等兵:2012/07/23(月) 21:05:51.15 ID:5lqptnJy
>>361 他の二つはそのキチガイとやらに関係ないぞ。
まあ頑張って脂で刀の切れ味が人を切れなくなるほどに
鈍るという実験でもやって実証してくれたまえよ。
素肌間合いは相手の陣形を崩して首取りになってからだろ
柔術の話まで出てんのに、そこで腰刀を使うんだよ
朝鮮の総理にあたる人が記したものでは普通に抜き身の「長刀」が猛威を振るってる
だけにしか見えないけどね。あっちの人間からすれば組み打ちは別に目立つものではなかったんだろう。
柳成竜『懲録』
・日が暮れ、賊(日本軍)は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
中国人がどう言ったかじゃないだろうに
そういや大陸に渡った日本刀術で甲冑組み打ち的なのって
『武芸図譜通志』の「投刀相撲畢」くらいしか見たことないな。
ちなみにこれは首取りというよりは刀で相手の刀の打ち込みを受けたあと
自分の両手で相手の両腕を拘束する技術で首取りというよりは捕縛の技。
何しろ自分の両手が塞がってんだからw
>>365 だったらその件について当時の多数の日本人がどう考えていたかがわかる
同時代史料を愚痴ってないで早くお願いしますよ。
その中国人が全て説明してるわけじゃないからねえ
>>358 状況がおかしいw
首とる意味がないだろw
中国の記述読んでると長刀持ってるのみんな徒歩のような気がするんだけど
倭寇の日本人は馬持ち込むの難しいんじゃないかな
徒歩より詣でけり
>>368 で、日本側の史料はどうなりました?
>>369 「試合じゃないんだから人が喧嘩する時は殆んど掴み合いになるだろ」と言っている人がいてね。
首取りのことだけ言ってんじゃないんだわ。
源平盛衰記の藤平実光が最近の合戦のについて嘆く下りや
太平記巻第九の設楽五郎左衛門尉と斉藤玄基の組打ちとか有名だけど
最後は腰刀で組打つね
375 :
名無し三等兵:2012/07/24(火) 06:00:23.23 ID:kuB5CSPI
>>304 > 日本刀は流行ったとはいえ、中国人は日本刀操法の妙を十分に身に付けていなかった
> という主張もあるな。
これは仕方ない。良い指導者が少なかったと思う。
戦斧は発達しなかったというが、金砕棒(or棒)は? 「鬼に金棒」という言葉があるけど鉞よりはメジャーだったのかな?
そういや金撮棒を使う棒の流儀はあっても鉞術ってのは聞いたことがない。
>>376は日本のこと言ってるんだと思うが。
それはともかく宋の大斧ってのはどんなのなんだろ。
遺物を見てみたい。
382 :
名無し三等兵:2012/07/24(火) 16:39:43.00 ID:1fH3rn3S
>>380 宋は重装歩兵戦術だったな。
機動力で劣るんで大量配置しなければならないので
軍事費で国が滅んだ。
三国志演義みたいな講談でお馴染みの武器が生まれたのは宋の頃みたいね。
日本の弓矢って大陸から伝わってきたの?
それとももともとあったの?
>>384 魏志倭人伝でも倭の弓は上が長く下が短いとある。
南方系の弓。
>>381 「武器と防具 <中国編>」に載ってる挿絵で見る限り細かい部分を除けば金太郎が持ってるような刃幅の広い長柄気味の斧だったな
短下長上は長弓を騎乗で使うための工夫て聞いた
>>387 俺は手に伝わるショックが最小になるからだと聞いたが
イギリスの長弓兵はイラストみてると上下対称だよな
上下非対称だと不都合がなかったのか
ローマ軍の大型カタパルトに萌える
カタパルトとかトレビュシェットとかで生きた兵士を壁越しに投げ込んで奇襲する作戦はなかったのか?
着地の時、間違いなく死ぬだろ?
ソ連だったらやったかもしれない(ないない
雪が積もってるから大丈夫に違いない!
>>398 漫画「墨攻」でならあった。
パラシュートというか忍者みたいに四肢に風呂敷つけた感じ。
一人目は着地に失敗するも、成功の笛を吹いて絶命。
二人目以降はどんどん成功してついに攻略に成功した、だったとおもう。
決着にはあえて触れない。
なら、パラシュート開いて減速した瞬間が
理想的な射撃タイミングだなw
矢で串刺しにされた死体投げ込むのと一緒だよw
405 :
名無し三等兵:2012/07/26(木) 14:23:01.64 ID:hFYpChDc
>>404 カタパルト並べた時点か、少なくとも発射時点でバレてるだろ
ヘリボンだって、ヘリが飛んできた時点でバレるけど
それに敵が対処するより早く展開できれば奇襲成功なんだし、いいんじゃね?
夜襲なら大丈夫だな。着地の危険も増すけどw
危険が増すってか、不可能だろw
408 :
名無し三等兵:2012/07/26(木) 14:45:59.72 ID:kOkuFROQ
そういやそれメタルギアソリッド4でやってたな。
カタパで打ち込んで着地できるような超人なら
弓矢ごとき軽く捌くだろう
そんな超人は正面から堂々と乗り込んで敵陣をおとしてきてください
水面なら着地の衝撃は回避できるが鎧着てたら溺れて死ぬな
というかこんな距離飛び越えてもしょうがねえw
マーズ・パスファインダーみたいにエアバッグ方式はどうなんよ
>>413 攻城戦で使っても水堀に飛び込むだけだわなw
100キロ以上の石を何百メートルも飛ばすというトレバシェットなら
もっと行けるでしょ。
そうだね、肉弾だね
その飛距離で着地できるような超人ならry
広い川か、海に向かって投げられる訓練で着地カンを養うところからだな。
その熱意を他の準備やらに使えと
当時にカタパルトとパラシュートを頭の中で結び付けられる人がいたら
空挺降下の歴史は千年早まっただろうな
着地はロケットの逆噴射でいいだろ。ロケット兵器は金代には実用化されてるし。
ははっ
和弓最強。もののけ姫を見れば良くわかる。
アシタカの矢は鎧騎馬武者の首をも飛ばす。
あれはアシタカさんが祟られて厨二アーム獲得してるからだろw
>>404 笛を吹かないと、試みが失敗ということになって、
パラシュート作戦が中止になり、
自分の死が無駄死にになってしまう。
それに真昼間、敵城壁の目前から飛ばしてるから
元からばれてる。
攻城側は、撤退命令にも逆らった将軍に従って残った勇者たち。
(目指す結果が篭城側の虐殺になるからアレだが)
篭城側は烏合の衆の民兵に、戦えるのはみんな城壁上にいるから、
城内は女子供だけだから射ち落とすとかは難しい。
和弓は弓の弦を離す瞬間に勁力を使って弓を押し矢のスピードを倍加させないと
強い速度で打てないよ。
一介のジェネラルでしかない頼朝、尊氏、家康などが国家の最高指導者など
日本の中世は国家としては異常だと思う。
肩書きくらいなんでもええやんねん
正常な国家とは?
432 :
429:2012/07/26(木) 22:08:57.95 ID:???
国王とか、教皇とか、天皇とか、神聖皇帝とかが最高指導者の中央集権国家。
大佐とか将軍が最高指導者なのは異常な国家。
433 :
名無し三等兵:2012/07/26(木) 22:09:55.53 ID:aT4dL/r/
>>432 かっての日本も長い間、征夷大将軍が事実上の最高指導者だったのだが。
>>433がン愛を言いたいのかいまいちわからない
>>429を読んだのか?
つまり現代日本は異常な国家ですね
わかりました、革命だ!
>>432 徳川幕府は代々日本国王を対外的に名乗ってたけどな
>>432 中世は封建領主の国家内国家が大量にある時代の事だから
中央集権国家を前提にしてる時点でおかしい
あと現代じゃ大公や侯爵が国家元首の中央集権国家があるよ
>>436 >
>>432 > 中世は封建領主の国家内国家が大量にある時代の事だから
> 中央集権国家を前提にしてる時点でおかしい
それヨーロッパ限定じゃね
中国は一応ずっと中央集権だし
438 :
名無し三等兵:2012/07/26(木) 22:25:50.25 ID:aT4dL/r/
>>437 > 中国は一応ずっと中央集権だし
でもなあ。節度使とか軍閥があるからなあ。
数百年単位でバラバラの時代が続いてるが>中国
一国の政治システムとして中央集権のシステムだよねということ
絶対王政化が進む前の中世ヨーロッパと比べれば征夷大将軍の権限は大きいような
>>429 卑弥呼の頃から、日本は彦姫制の二重国家w
たとえば、
光明皇后がつくった役所が、本来の政府とだぶってるとか、
どうもすぐに二重行政にしたがる傾向があるような。
あと、いままであったものをなくさずに棚上げして、
無力化させるとか。
フランスを例にすると力的には
ブルボン朝の国王>江戸幕府の将軍>室町幕府の将軍>ヴァロア朝以前の国王
くらいの差があるよね絶対王政下の国王と封建時代の国王は。
幕府の将軍の権限も代によるからな
>>437 てか中世とかの時代区分はヨーロッパ基準だから
まあ他の地域にヨーロッパの時代区分を当てはめようとするのが間違いという意見もあるが
役所作るとその役所が儀礼の場所になって
仕方が無いから新しい役所を作り出す
ナポレオンも一介の司令官から成り上がったんだが
449 :
名無し三等兵:2012/07/27(金) 05:43:48.64 ID:uyABVz8x
>>444 室町幕府の将軍といっても、足利義教はガチだろう。
450 :
名無し三等兵:2012/07/27(金) 09:15:20.35 ID:BKXCz1QN
ローマの皇帝(カエサル)はもともと軍隊の将軍だよな。もともと宗教的権威は何もない。
ヨーロッパで天皇に当たる宗教的権威は教皇。御所にあたるのはバチカン。
東ローマは後醍醐天皇の建武の親政が続いたような状態。
神聖ローマ皇帝はもともとフン族やマジャール人のような異教徒と戦うためのまさに征夷大将軍。
フランス国王ももともとノルマン人、イスラム教徒と戦うのが任務だった。
451 :
名無し三等兵:2012/07/27(金) 09:55:21.29 ID:ptboRhdn
>>450 > 東ローマは後醍醐天皇の建武の親政が続いたような状態。
非常にわかりやすいたとえw
>>444 諸侯への強制力見るなら、ブルボン朝も大した権力無いんだけどね
貴族への課税を狙ったのが、革命の原因になっちゃった位に
その意味では、徳川幕府の方がかなり優越してる
>>450 そこは皇帝(インペラトール)と言うべきじゃね?
>>448 ナポレオンが成り上がった当時、革命のおかげで軍の中核にはロクな人材がいなかったからだ。
まともに軍事学を学んだ者と言えば、どうしても貴族階級とかになるが。
革命で貴族排除をした結果、そういう人間は軍にはいない。
そんなところに革命の波及を恐れた周辺諸国の侵攻があったもので、フランス軍は太刀打ちできなかった
そこに士官学校のエリートだったナポレオンが華々しく活躍できる余地もあったわけだ
>>441 封建制度は西ヨーロッパと日本でしか誕生しなかった。
中央の力と地方の力がある程度、拮抗しなければ封建制度は成立せず
そのような状況にはなかなかならないものだ
>>435 自ら国王は名乗ってなかったんじゃないの?
日本国王宛ての親書は将軍家が受け取っていたけど、
返書の署名では国王を名乗らなかったんじゃないか?
つぅか「日本国王」を名乗ろうとした足利義満がどうなったかとか
正徳の治で初めて朝鮮通信使宛の署名に「日本国王」
(それ以前は「日本国大君」)使ったとか知らんのかね?
封権制度の軍って勝ち戦の時は良いけど、関が原の戦いのように勝敗が判らない戦いなどは
各領主の部隊が様子見を決め込んだり。
国家紛争などの規模の戦いには使えないと思う。
国家紛争って何?
国家間戦争と言いたかったけど単語が出てこなかったんだろう
関ヶ原だとどっちについた方がお家安泰かって判断に迷う微妙な状況だからああなったが
異国との戦争だと主家の乗り換えによるお家存続が狙いづらいから必死こいて戦うしかないだろう
関ヶ原なんて
選挙の代りに殺し合いで議席争うようなもんだった
元々イデオロギーとか全く関係ないからなw
家康はすきじゃないけど、光秀だけはだめだで、東軍についたの多いからな。光秀もお前は人気が
ないから出るのやめろ、毛利に総大将になってもらえと言われてるし。
関ヶ原の時に光秀はもう死んでるのに何言ってるんだ?
すまん三成だった。ぼけてたみたいだ
普通そんな基礎的なとこ間違わないだろ?
しつこいなお前。間違ったといってるんだろうが。
>>461 さすがに元寇の時に敵方に内通した奴は居なかったしなw
>>463 それは流石に後世の講談に影響されすぎ。
好きとか嫌いとかでつく方選ぶほど戦国武将は単純じゃないし
「お前はへいくぁいものだから云々」のやり取りも常山紀談が初出の創作という説が有力。
そこで逆切れもどうかと
>>446 日本史研究者によると、1850年までが中世で、幕末以降が近代になるって分類をしてる人もいるけど。
元々、豊臣の内紛だろ
で、押した方も政権内で家康が実権を握ると思ったら強引で徹底的な論功行賞もあって
逆らえる者がいなくなり、遂に自分で政権を起こしたと
統一前のイタリア、ドイツあたりはどうなのだろう?
フランス、スペイン、オーストリアなどの大国に対して領主達は団結できたのだろうか?
>>470 というか封建制度=中世とするなら、中世という時代区分自体
日本とヨーロッパにしか存在しないことになるな。
>>473 中国だと始皇帝以前が封建時代じゃなかったっけ
475 :
名無し三等兵:2012/07/27(金) 20:00:48.80 ID:dT2jLNV3
>>450 >ローマの皇帝(カエサル)はもともと軍隊の将軍だよな。もともと宗教的権威は何もない。
ローマ皇帝がカエサルを名乗るのは、家系の正当性を主張するため
軍の統帥権を表すインペラトールや、宗教的権威を表す称号としてはポンティフェクス・マクシムス(最高神祇官)なんてのも併用する
で、統治権を市民から委託された者としてのプリンケプスとあわせて、やっとローマ皇帝の完成
>>474 清の初期と最後の方とか唐末とかね中国の封建時代はちょくちょくあるよ
>>474 確かに周の弱体化→春秋戦国の流れは
室町幕府の弱体化→戦国時代の流れに近いかも
宋から近世とする見方と宋から中世とする見方がある
そうか
そうだよ
そうそう
そうやろか
孟徳乙
中国は封建制が出来てもすぐに華夷秩序に入っちゃうからな
覇者=王のために夷狄を討つ諸侯
西洋の時代区分論争は今でも議論されてるからな。
古代〜中世の連続性も強いから、東ローマ帝国滅亡を古代の区切りとする論調も学会だと否定的だし
鎌倉幕府の始まりが1192じゃなくなるご時世だしな
最近はいいくに作らないのか
頼朝暗君だし
最近はどうなってますか?
頼朝は「蜂起からしばらく自分の領地すらない」「だから直属の兵力が皆無」
という状況からのスタートということを考えてやらにゃ
被官なら自分の都合だけで動かせるけど御家人は大義名分がなければ強制はできん
彼の手持ちのカードは源氏の棟梁・坂東大豪族と縁戚・京とのコネクションだけだった
上の方で石垣の話があったけど中国の城壁ももともと土盛り(工法は違う気がするけど)
煉瓦を張るようになったのは唐末からだそうだ
版築?
その通りでございます
弩って中国が作ったの?
>468
さすがに元へ内通した者は居なかったが、「こんな時はお家が大事」と籠城した者ならば居たし、実際にその懸念は当たっていたよ。
出兵で、主が留守になった隣地へ進攻し、その土地を奪う挙に出るという、火事場泥棒みたいな者も居たからね。
499 :
名無し三等兵:2012/07/29(日) 16:19:07.40 ID:npXSZRlz
>>498 > 出兵で、主が留守になった隣地へ進攻し、その土地を奪う挙に出るという、火事場泥棒みたいな者も居たからね。
そういうのは幕府から処罰されなかったの?
されたに決まってる、後に領地を没収された。
また戦役で断絶した家とかも、領地を没収されたが、結果として幕府の焼け太りが御家人の不満を招いた。
防衛戦でロクな論功行賞がなかったしね。
元寇が鎌倉幕府滅亡の遠因っていうけどよく誤解されがちなのは
元寇がキッカケで幕府の支配力が弱まったり日本全体が疲弊したからってのは間違いで
逆に鎌倉幕府は異国警備を大義名分に九州はじめ西日本の支配を
今まで以上に強めて御内人が専横を極めたのが原因なんだよね。
で、それに皇室の継承問題も複雑に絡んでまさに「メタボになった」状態をバッサリやられるわけだ。
502 :
名無し三等兵:2012/07/30(月) 06:22:01.90 ID:qIVdk9Fq
>>501 > 逆に鎌倉幕府は異国警備を大義名分に九州はじめ西日本の支配を
> 今まで以上に強めて御内人が専横を極めた
強大な敵が攻めてくるのだから「挙国一致」で戦うべきなのに
どさくさにまぎれて利権あさりをする日本の権力者の体質が現れた一件である。
結構な損害を受けつつも勝利したのに
分け与える領地がなかったから武士の不満が高まって滅亡したって
日本史で習ったんだが違うの?
>>503だいたいあってるよ
鎌倉幕府の滅亡には、貨幣経済の浸透により農村経営者である従来の武士階層
が貧乏になって日本経済に占める影響力が低下していたという背景がある。
鎌倉幕府はそいつらを基盤としていたから身動き取れなくなっていく。そいつらが
既得権益を守ろうとして商業的な成り上がりの受け皿を作れなかったからね
元寇はそんな中での大出費。仮に分け与える領地があったとしても武士階層と鎌倉の
地盤沈下は続いただろう
足利は絹の特産地の関係から商業に結びつきが強く新興勢力をうまく取り込めた
いくら大兵力があっても金がなけりゃ動かせん
>>497 欧州の弩は火薬とともに中国から伝来したの?
オリエントでは古代からバリスタがあるやん
>>506 バリスタが小型化してクロスボウになったという決定的な証拠ってあったっけ?
クロスボウからバリスタじゃないの
>>509 その古代世界のクロスボウはどの程度使われてたのかね?
秦が大きな弩部隊持ってたと思う
バリスタは砦や船に取り付ける据え置き式の大型弩が発展したんじゃないかと
日本でも奈良時代〜平安中期まではバリスタ使ってたんだよね。
古代中国の投石機という「霹靂車」を調べようと画像検索すると
ゲーム画面か西洋の投石機かナイトライダーしかでないから困る。
どういう原理で飛ばすヤツだったんだろうか?
バリスタって焼き討ち以外、割にあわなくね?
517 :
名無し三等兵:2012/07/30(月) 21:41:29.03 ID:zW03Ys06
>>514 使ってたっていうか、大陸の最新兵器をコピってみたけど
見せびらかす以外に、使いようが無かったんじゃないか?
>>504 尊氏が九州に逃げてる間、足利の地元はどうなってたんだろ。
まさか東国から九州にまで軍資金を送金できてたわけでもあるまい。
そこらへんはよくわからない。九州でも勝ったことはわかるけど
どうやって勝ったのかよくわからない。尊氏が九州に落ちてから
再び京にもどってくるまでの間は謎が多い
しょうにとか九州北朝派が援助したんでないの
>>519-520 足利の領地は九州にも多数あったんで
九州の有力御家人とも以前から繋がりがあった
そして尊氏が上洛したのが1月、九州に落ち延びたのが2月
九州を掌握した多々良浜の戦いは3月と殆ど間をおいてないので送金とか難しいだろう
恐らく上洛の時に金銭や絹といったゲンナマを持っていったことと
あとは勝った時の恩賞約束という空手形で押し切ったんだろうね
まあ中先代の乱の始末の過程で坂東一円は足利派が抑えてて
更には新田義貞は九州に落ちた尊氏を追撃してて(赤松に阻止されてるが)
坂東の所領回復を行える状況になかったので
尊氏が坂東から海路で連絡を行うことはできなくはなかったろうけど
タイムスパン的に実行力はあまり期待できないだろうね
>>522 とりあえず尊氏が留守にしている間、
東国の足利の領地が新田とかに荒らされるとか
そういうことは無かったわけかな。
>>523 小規模な所領争いは日常茶飯事みたいな世界だから
完全完璧に無事とは行かないだろうけど
新田義貞の親族まで足利派になっちゃってるのが実情だったから
どっちかというと残る新田派所領が足利派に荒らされてたんじゃないかと
>>524 悲惨ですな、新田。
一休さんに懇願して新田の小坊主が一旗揚げたくなるわけだ。
一応新田さんも名門なんだからな 没落気味だったけど
>新田義貞の親族まで足利派になっちゃってるのが実情だったから
源平までだと、親族分かれて両陣営についていた方が一族だれかは生き残ると言う考えだったけど。
それ以降、応仁の乱までは親族内の相続問題がらみで一族が割れて有力者の両陣営に、それぞれ付くので
(勝った方に付いた親族が領地を相続する)新田義貞親族が足利派に付いたのも
別に深い意味は無いかもしれない。
新田さんが日本初の二刀流ですか?
この所領がバラバラという状態が通用するのは朝廷なり幕府なりの影響力が
それなりに保たれているからなんだね
>>527 ところが中先代の乱の論功行賞では、新田義貞の領地を勝手に足利一門が貰ってて
尊氏に与した新田一族は従前の所有領を
尊氏に「所領安堵」してもらったに過ぎなかったりする
つまり新田家の家督争いの一環ではないんだな
ただ一門の所領をどのようにするかは総領の権限で、他は立ち入れないのが原則
つまり「新田一族」の領地はどれも「新田義貞」が定める、所領安堵も義貞の権限だ
これを尊氏が所領安堵するということは
彼らは新田一門から離脱した、総領として義貞を認めない、見限ったということになる
>529
諸侯が力を持つ前の神聖ローマ帝国みたいなもんで、御家人はライヒス・リッターみたいに
「たとえ小身たろうとも、将軍(皇帝)に使える身という意味ではみな等しく対等」
ってな意識があったんだよ。
後になっても、堺とかの自治都市や、惣村の自権断などはこれを根拠にしている。
どっかの小説でそんなのあったなぁ
メルヘンだなあ
中世でレイドと呼ばれてよくあったこと
盗賊騎士って奴か
名誉がどうのとかいちゃもん付けて略奪していくとかいう
我ら維新志士に対して金子を用意できんとは、
貴様には報国の志が分らんと見える!
>>532 日本でもポン刀使った強盗事件がしょっちゅう起こるしこんくらい普通
普通というと、オチで怒った大原部長が完全武装で派出所にやってくるくらいに?
誰だよ、日本の鎧と違って着たら満足に動けないって言ったのは
だからそれは馬上試合専用で歪な進化した鎧だけだと
話ぶった切って悪いけど
中世や古代の穀物の収穫効率ってどんなもんだったの?
西洋の10世紀くらいの麦は1粒あたり3〜4粒程度の収穫って聞いた。
>>542 どんだけ荒れ果てた土地に植えてたんだよ・・・
>中世初期のヨーロッパにおいて、麦は1ヘクタールあたり100sの種籾を撒き、300sを収穫する作物であり、主に税金(年貢)用として育てられていた。食用とされたのは大麦のオートミールとライ麦パン。
>中世後期のヨーロッパでは、1ヘクタールあたり100sの種籾を撒き、700sを収穫するまでに改善されており、食卓に小麦で作ったパンが上がることもあった。
>ちなみに現代においては1ヘクタール、100sの種籾は変わらず、収穫量は3トン程度まで向上している。
荒れた土地だったってのもあるし品種改良もされてなかったろうからそんなもんだろ
>>542 中世初期、中期のアイルランドや北欧の穀物収穫はそんなもんだよ
8世紀頃から、肥料の改良と、馬の使用(パワーとスピードがあってより深く土を反せる)、
あと、ロワール川以北のパリ周辺なんかは3年輪作で地力が向上した。
やっと種:収穫の割合が6倍を超えたのは、農業革命を経た13世紀当たり。
コメは偉大だな。
東北でまでコメ中心でやったのはよくなかったが。
コメに炭水化物を頼ってる日本って、
芋に炭水化物頼ったアイルランドの徹を踏みそうな気がする
あ、豆があるか
>>547 江戸時代に必死で開墾したからな
米の北限だろ確か
米は直接食べる作物では面積あたりの収量が最高だからなあ。
米より上のは牧草とかしかないよ。
まあその代わりアホほど水が必要だから、できる地域が限られるが。
戦後に農林一号ができるまで、東北地方の農村はものすごい不作か、すこしの不作しかなかったからな
しかも、収量を多くするために冷害に一番弱い晩稲種を使ったもんだから、餓死者が出るのが当たり前という
貧困地帯になってしまった。
ナイルの氾濫原とかは小麦の収量古代から凄かったみたいね
553 :
名無し三等兵:2012/08/03(金) 15:26:22.56 ID:1xVt/p/x
sk
薩摩のサツマイモみたいに開き直ってジャガイモ祭りに転向していれば……
種芋の管理を厳重にしないとアイルランドの二の舞になったと思う
あれは産業革命と重なったのも大きいんじゃないかな
単一種で病害って日本の米でも経験してるし
557 :
名無し三等兵:2012/08/03(金) 18:31:40.53 ID:KD7dyUkC
東北でも早稲や雑穀、畑作、狩猟採集を併用してた山村は意外に飢饉に強かった。
飢饉に弱かったのは灌漑してつくった平地の新田。
仙台藩とか「米どころ」だけど江戸に出荷して領民の口には入らなかった
いわゆる飢餓輸出が常態化してた
アイルランド飢饉は、棄民がアメリカに大量に流入して
アメリカ北部の労働力を担ったという思わぬ副産物があったな
ケネディ、クリントンもアイルランドの移民の子孫
>>559 北前船でやってるけど、海産物を運ぶほうが多いみたい
てか当時の流通制度として、一度大阪に運んで集散するんじゃないのか?
そっから先どこにどう運ばれて売られるかは出荷元としてはどうでもいいことじゃね?
>>562 その流通集荷地を江戸にしたことがポイントなんじゃね?
大阪商人を介さずに消費地たる江戸と直接取引することで
無駄な輸送と中間マージンを削ることで出荷者も消費者も幸せと
最近仙台のそのあたりの話読んだ覚えがあるんだがなんだったかな…思い出せん
でも徳川幕府は商人から米の価格の決定権を奪えなかったんだよな
公定価格で食料が政府に専管的に管理されるなんて総動員体制の一環としての食管制以降だし
>>567 戦時体制でやらかすのは、
元寇のときにも同じようなことやってたらしいですね
>>566 価格の決定権で言えば、幕臣への家禄を現物支給のままで続けちゃったのが敗因かもな
あれを現金支給に切り替えていれば、巨大シェアの一次出荷者が成立して米価を握れたかもしれない
まあむしろ、明治政府以降のように租税を金納にさせちゃったほうが歳入の安定って意味では気が楽だったかもしれないがw
米の支給から塩の支給に切り替えるんですね、分ります
サーラリーマン!
赤穂が儲かりますね
直轄地になって絞られるだけだろ、砂糖地獄みたいに
「清盛」見てると、播磨が一番いい国なのかな
574 :
名無し三等兵:2012/08/04(土) 08:30:31.93 ID:jVcDC9N5
大塩平八郎の乱のときは、大阪に集まった米を水野忠邦の弟の奉行が江戸に回そうとして、
大阪の貧乏町人が大量に飢えたんだったな。
経済が成長するときは、1次産業の比率はどんどん下がっていくのに、支配階級がその現物を収入源にしちゃったのがな。
まあ、お陰で、商品先物市場とかもできたし、その売りサイドは、徴税権を担保にしているので国債(地方債)と考えても
良いわけだし。そして、農業生産新興にものすごい力入れて、人口も増えたし。貨幣価値の毀損による景気建て直しって
のもやってるし。ベストじゃないけど、なかなかの成長戦略だったのかも知れない。
戦国時代の年貢徴収ってもちろん領主ごとに違うんだろうけど
境界にいるような農民は両方から二重取りされたりしなかったのかな?
>>577 しようとしたらそれが戦争の発端になっただろう
てか、農業自体が江戸時代以降の自作農主義じゃなく在地の土豪が支配してその上に戦国大名が乗っかってたから、貢税の感覚が後とは大きく違う
殿様が誰につこうが末端の農民にとって変化なし、という
勢力境界線付近の農民にとって、それよりは敵勢力の青田刈りとかのテロ行為のほうが脅威だったろうな
579 :
名無し三等兵:2012/08/04(土) 14:08:43.90 ID:jVcDC9N5
刀狩り、兵農分離以前の農民はそれ自体が地方武装勢力だから、二重取りはないだろう。
むしろボーダー農村はどっちにも年貢を払ってないような武装農村の方が多かったかも。
伊賀惣国一揆とかそういう状態では?
戦国農民は強いな。
ボーダー農村はは青田刈りやられたり、侵入されて略奪や焼き討ちされるから
戦国時代の大部分の戦闘はそういうもので、守ってくれない、頼りにならない領主だと見ると
強い方になびく。
独立性の高い農村だと「村の城」ってのがあると聞いたんだが。
そんなもんは国持大名にかかれば一捻りだな
>>583 そりゃそうだな。村同士の争いに使うとか聞いた。
どんな砦なのか言葉だけではちょっと想像がつかない。
土塁に囲まれた中に物見やぐらが立ってるだけとかかな?
タイムスクープハンターの出番だな
全盛期には全国に城が2万くらいあってそのほとんどは城主も建てた者も不明って話だ
なんか子供のひみつきちレベルだった悪寒w
村の城とか泡沫地侍の不届け城だろ
単体では有効に機能しない支城とかね。
592 :
名無し三等兵:2012/08/05(日) 11:18:44.70 ID:N4rJWttE
立派すぎるw
594 :
名無し三等兵:2012/08/05(日) 11:33:34.98 ID:ZKKHh+jP
>>593 せいぜい、「警備隊の砦」規模にみえるが
そんなに立派か?
595 :
名無し三等兵 :2012/08/05(日) 11:34:00.08 ID:???
>>579 逆もあるよ
たとえば里見・北条の角逐で勢力境界が曖昧な上総西部・三浦半島では、
「半手」と称して双方へ半分ずつの年貢を納めていた
領主側もその地域を確実に守れる自信がないから黙認せざるを得なかった
その半手の者を如何に味方に付けるかで支配領域が変わる上、敵味方の情報源にもなるから、信用ならないけど、敵に回したくもないと言う面倒な存在。
時代は変わるけど、旗本の知行が錯綜した江戸時代には、一つの村から二人の領主? に年貢を払うことも多かったそうな。
最大で23分割とか……給金にすりゃ早いんだけれど、知行を持つのは武士のステータスなんで、なかなかそうもいかなかったみたい。
石垣と瓦と漆喰重層建築の近世城郭は完全に職人芸によるものだが、
土塁と空堀の城は地元農民を駆り出して作ってる
北条とかは補修点検の労役も定めてた
そこでノウハウを身に着けるしたたかさがあれば、虎口、馬出し、横矢掛け完備で
寄せ手の導線を意識してキルゾーンを設定した高度な城もつくれたかもね
もちろん規模は小さくなるが
>>592は立地はよさそうだが縄張りに工夫は見られないな
>>596 どうせ知行地なんて名目だけで収税は代官に任せっきりなのにな…
てか代官に代行させないと、武士階級の窮乏化が進んでからはとんでもなく紛争が頻発しそうだ
「歴史群像」で毎回やってる城郭紹介面白いよね
昨日やってたロードオブザリングには
全く虎口などが見受けられなかった。
そういう時代設定だったのだろうか。
馬出しみたいなのって日本でも戦国時代になってからじゃなかったっけ
>>599 毎号のカラーイラストが城の縄張りをわかりやすく説明してくれているのが良いね
>>600 中世の城にも2重の城壁とかあるけど
あれは虎口や馬出しの役目果たすんだろう
南京攻略戦で日本軍が戦った中華門も虎口のような構造だったそう
>>603 経済封鎖だけにとどめておくべきだったよなあ
封鎖にも失敗したけどw
>>605 攻めてのほうが経済的に厳しくなりそうな
欧州中世の攻城戦でも攻め手の兵糧や軍資金が尽きて撤退ってパターン多かった気が
>>606 北条氏の失敗の例から考えると
大規模に軍を駐屯させるより
周辺の住民を懐柔して寝返らせて村八分にするほうが
干乾しにするには有効かな
ヨーロッパの城は、中世の段階で跳ね橋や、釣り上げ式の城門を備えてたから、馬出しなどは余り必要なかったんじゃね?
場合によっては出城として、城門に付属してる事もあったようだけれど。
それからクラク・ド・シュバリエには、長大な回廊があり、ここが迎撃施設にはなっていたみたい。
ただ出撃の際に、ここに並んだりはしなかったと思うけれど、実態は知らない。
やがてイタリア戦争後に、大砲と星形要塞が発達してくると、ラヴェランなどの形で、本格的に、馬出しに似た施設が造られるようになった。
>>608 そもそも西国では、対蒙古の出陣で破産して没落した領主の土地を北條得宗が摂取していって
北條憎しの気運が満ちていたから蜂起が多発し、畿内周辺の御家人に鎮圧を命ずるも動きが悪く兵を出し渋ったから、
わざわざ鎌倉を空っぽにしてまで東国から兵を差し向けたってのに、畿内で人望が高い楠木からの寝返りなど期待できないよ。
時が経てば経つほど反北條の蜂起が増えて帝が勢力を固めつつあったから慌てて鎮圧に乗り出したんだから、
悠長に懐柔なんてしている暇はないだろ。
>>610 奥州で反乱があったのは知ってたけど、
もっと危ないのは九州だったのか、なるほど。
九州といえば、熊本のあたりは、
島原の乱から水俣病、諫早湾干拓問題といい、
どうも反乱というか失政の地なのだろうか。
ほかには西南戦争の熊本城とか
景行天皇の親征くらいしか知らないが。
北条が九州の土地を手放すか、そこから得た利益から
九州御家人に保障してやればいいだけの話かも知れん。
612 :
名無し三等兵:2012/08/06(月) 13:12:14.69 ID:WPPIJYvc
北条家から見て一番よく反乱起こすのは京都の天皇家だろ。
>>611 蒙古の侵略に備えるためなんだからどちらもできない。土地とられた御家人にすれば
北条の糞野郎としか思えんだろうが、北条のほうからみれば、3度めの元寇に備えるために
一族を配置して、防備を固めるためなんだから。
>>613 いつまで北条は3度目の元寇を警戒していたんだろう?
まさか鎌倉が落ちて北条が滅亡したときまで?
日元貿易は実は盛んだったとか一度聞いたことがあるんだが、
ソースが見つからないんだよなあ。
>>613 弘安の役(1281年)の6年後の1287年にフビライの身内である東方三王家やカイドゥらが反乱を起こして
日本遠征どころではない状態に陥っているし、1290年にやっと反乱を鎮圧した4年後の1294年には
フビライが死去。フビライの跡を継いだテムルの時代以降も、明に中原から追われるまで身内との
争いが絶えなかった。
東方三王家やカイドゥの反乱はかなり大規模な内乱だったから、1287年以降は警戒を解いていた
んじゃないかな?
時宗が死んでから鎌倉が落ちるまでの
各地の蜂起の年表とかどっかにソース無いですかね?
このあたりは全然触れてくれない取り上げてくれないから
頭の中は真っ白。
大陸の情勢は商人とか通じてアンテナ張ってたんじゃないの?
日元貿易に関するデータが待たれる
>>613-615 その辺まで行くと、北条一族の既得権益を守るため、蒙古の内乱は極秘にされていたかも。
>>620 直接の外交ルートが閉ざされてて情報源が博多あたりの貿易商人に頼らざるをえないから秘匿は無理だろ
むしろ、人の口に戸は立てられぬな状況じゃないかねえ
風聞のたぐいが主になるから正確な情勢も掴めず、政治的な判断の材料には成り得ないわけだが
警戒を緩める判断もできないまま西日本一円に不確実な情報が拡散して御家人の不満は高まって、って最悪の状況だよね
>>617 カイドゥの乱なんかは、元冦なんかよりずっと大規模な戦なんだから、
日本に伝わらないはずがないだろ。
平将門が
シナでも国が興ったのだから、
日本でも興せないわけがない
とか言ったのなら聞いたことがある。
大河ドラマで「時宗」〜「太平記」のあいだをやってくれないかな。
一応第三次計画が正式に取り消しになったのはフビライ死んで
テムルになってからだから、それまでは安心できなかっただろうな
>>622 伝わるか伝わらないかじゃなくてタイムラグがどんだけあるかって話よ。
628 :
名無し三等兵:2012/08/08(水) 08:50:36.01 ID:dJt9MU4t
>>626 桓武天皇崩御は8ヶ月後には、唐(この時、空海が滞在中)に伝わっていたそうだ。
そういや日蓮はなんで蒙古が日本に攻めてくるって早いうちから吹聴してたんだっけ?
野蛮で好戦的な連中がついに朝鮮を征服したんだ、次は日本にも来るんじゃねえかぐらいは、
海外の事情を知ってる一部の人間は考えてた。
南宋商人から情報を聞いてたみたいね
事情知っている連中からすれば、知っていることを吹聴して人心を惑わし、
自らの宗派に染めようとした奴になるな>日蓮
そりゃ、殺そうとするわ
つか日蓮は単純に性格が悪い
悪口雑言ばかり
竜の口で斬られてれば世の中もっと平和だったろうに
斬られてれば日蓮宗が世に蔓延ることも無かったかな?
飢饉が起り、餓死者が全国で多発、権力争いによる内乱が生じそして、蒙古の脅威
末法思想が広く受け入れられる状況だから、カルトが出てくるのは当然。日蓮宗は
なかっただろうけど、違う名前の宗教がはびこってただけだろう
時宗(じしゅう)がもっと広まってた方がチャカポコやって楽しそうだ。
近くで毎日やられたらうるさいかもしれんが。
カルトったら親鸞の浄土真宗だろ
親鸞から見たら日蓮なんか全然穏やかだ
日蓮宗と一向宗は戦ったことあるんだよな。
宗派抗争かなにかわからんが、
ああいうのは取り上げられたら困るところとかあるのかね。
なんかあの頃って寺同士でも結構戦ってなかったっけ
寺に僧兵がいた時代は戦いまくりですね
神人ってなんて読むのか悩まなかった?
かみんちゅ
>>640 隆慶一郎にどこぞの高僧が
「仏教が人を殺すか!」
って一喝して風の呪殺陣が未完になったってことがあるけど、歴史を見たらヒッでえ逆切れだよなw
阿闍梨、殺しまくりですがな…
信長が殺しまくって牙抜いてからだからな。
寺社と水軍と武士はそれぞれ暗黙の了解のもとに棲み分けしてた武装勢力
悟りのために猫切ったりする話もなかったっけ?
僧兵と言えば薙刀だけど神人はとくに思いつかないな同じ頃暴れ回ってたんだけど
大山崎の神人が態度でかくて色々大変だったみたいな話を聞くが
どんな格好で暴れたのかのイメージすら湧かないな。
>>639 寺だって食う必要があるので
寺社領という荘園と、色んな所からの寄進が命綱
だから影響力発言力が高いほど美味しい
中央政界とつながりが強ければ、朝廷や幕府の介入を制御しやすくなる
(偉い坊さんがお話しに行くか、門徒を連ねて強訴するか、手立ては色々)
寺社領への国司や地頭の立入りすら排除できるようになったりする
多くの土地が寺社に寄進され、祟りが怖いので真面目に寺社に納税されてたけど
当の農民が従来寺社権威を完全否定する浄土宗・浄土真宗に汚染されると
書面上は寺社領なんだけど、その寺社に税が入ってこなくなる
そしてそれまでの経緯から守護地頭による徴税協力が得にくいので
(協力を得たら、それを前例に居座られる)寺社は干上がっていく
651 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 09:43:58.49 ID:F5otcc7p
薙刀ってあまり流派とかないみたいだけどなんで?
>>651 平和な時代になる前に廃れちゃったからでね?
中世以降の戦場では槍の方がメジャーになってったからじゃね?
江戸時代にはもう婦女子の武術みたいな感じだし
654 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 10:32:03.92 ID:F5otcc7p
薙刀ってやっぱ槍より弱いん?
もっと戦場で広く普及しても良さそうだけどなぁ
扱いが難しいのかな
あと婦女子の武術みたいなイメージが定着したのはなんで?
>>654 振り回すので集団では使いにくい
比較的古くからある武器なので儀礼や装飾としてもポピュラーだったこと
武家の女性の武装は家屋敷の防衛・防犯的な面が強く
小人数、腕力が弱い、徒歩といった条件に適した武器でもあったということじゃないかな
656 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 11:18:36.70 ID:ERvUA5Ct
>>654 薙刀の扱いが難しいってよりは
薙刀兵を部隊として運用するのが難しい・・ってか無理
個人が多数を相手にするなら、超強力なので
大型の戦闘用薙刀は江戸時代に個人所有が禁止された
結果、残ったのが腐女子用の小型薙刀
腐……( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
>>654 槍より弱いっつーか、集団戦術的には横の味方にも影響がある横方向の動作より、隊列を乱さない縦方向の動作の方が都合がいいから。
柄の構造とかが横動作主体の薙刀は、縦方向の動きで扱いやすく、柄を長くしても支障がない槍に淘汰されてったんじゃね
中世欧州のスイス傭兵が、アルベドの苦戦後にハルバードや戦斧を廃してパイク主体になったのと同じような流れ
歩兵が使う5メートルクラスの長槍になるとかなりしなるから刃物としては扱いづらい
先端をわざわざ薙刀形状にする意味は薄いんじゃね
>>656 >大型の戦闘用薙刀は江戸時代に個人所有が禁止された
ソースplz
wikipediaはソースとしては……
662 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 13:55:40.84 ID:yvL/vw4M
強弱よりもどっちかって言うと
万疋の高価な太刀を持っても、百疋の安価な槍百丁には勝たない。万疋の金で百疋の槍百丁を買えば、一塁は守ることができる、
的な理由で槍の方が普及したんじゃなかろうか?
高価なカスタムメイド狙撃銃一丁より安価なカラシニコフ百丁を買えば一個中隊編成できるみたいな。
そこまでコスト考えなくてもいい武士も鑓に移行してるから上のように戦術の変化だろ
>>661 だから、「だけど」って書いたんだよー、責めないでくれよー
武器と鎧は関係し合うものだから
当世具足だと薙刀が効かなくなったとか?
666 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 14:10:25.06 ID:ERvUA5Ct
>>659 禁令により太刀へ作りなおしたって由来の刀剣が多々存在するぞ
探してみ
667 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 14:14:09.05 ID:ERvUA5Ct
>>659 あと
現存する大薙刀には、その頃に社寺へ寄進された由来の物が多くあるね
>>665 いやいや、全然効くよ。
ただ戦術の変化で一対一の戦いが減ったから、10人で一斉にプスプスされたら
長刀の剛の者もひとたまりもなかったので廃れたということかと
日本に存在する武術の流派はほとんどが泰平の世になった江戸時代に作られたものと聞きます
戦場では効果的に発揮できなかった薙刀・鉞などは
この時期にもっと活性化してもよかったと思うのですが、
流派はほとんど剣術と弓術ばっかりな気がしますがなぜですか?
カッコよくないから…
まじでそんな理由だったりする
太平の時代だと実用性より見栄え
671 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 15:58:56.93 ID:ERvUA5Ct
>>669 >流派はほとんど剣術と弓術ばっかりな気がしますがなぜですか?
気のせい
現存する薙刀流派だけでも、あれだけあるのに
>>669 その大元は室町中期〜安土桃山に出てきてるから。
薙刀槍術もたくさんある。棒、薙鎌、鎖鎌、鎖杖等の武器術が伝えられてるのに
鉞は皆無ってことはその価値は推して知るべしってこと。
鉞が流行したのは南北朝の頃だねえ
>>673 御伽草紙が書かれたのもその頃でしたっけ。
てことは、金太郎が鉞を持ってるのは、その頃の流行で、
本当の金太郎は鉞を持ってなかったのかも?
それを疑っちゃうと熊と相撲を取ったのも怪しくなってくる。
いや、お話だからといわれると身もふたもないけど。
牛若丸だって五条大橋で弁慶と戦ってないし、
戦ったのは清水寺だし、
五条大橋があるのは室町時代かららしいし。
>>674 鉞かついだイメージの金太郎は室町時代から確認できるんですか?
ところで薙刀も別に横方向の動作が主体じゃないぞ。
幅1m(だったかな? うろ覚えだが)の道幅があれば自在に振れる。
源平の時代には薙刀こそ歩兵の主力武器だったし、南北朝時代には騎兵が持つこともあった。
戦国時代の初期には薙刀も槍と同様、使用されていた。
最終的に槍が主流になるのは穂先の大きさの問題じゃないかな?
叩きつけるだけでいい長槍の穂先はかなり小さいものもあるけど、薙刀は切ろうと思うとあまり小さくできず、したがって柄を長くするにも限界があったのでは(バランスとか)。
自在に振れるっていうのはメン、コテ、ドウ、スネ、ツキ、どれでも狙えるってことな。
最後の(バランスとか)は、柄を長くするには穂先を小さくしないと重心位置が先端寄りになりすぎて振りづらくなるってことな。
一応補足。
別に長槍は叩きつけるだけでいい武器じゃないからなあ。
>>677 密集方陣でコテメンドウとか狙ったりしないからw
慶長期の絵巻物にも槍に混じって薙刀担いでる武士が見える
681 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 19:12:49.67 ID:yvL/vw4M
江戸時代は槍術、なぎなたより杖術とか棒術の方が盛んだった気がする。
足軽同心の日常の勤務では杖術の方が実用的だった。
槍衾やるなら薙刀いらんもんな
棒と槍って似てるしな
天下泰平の世の中じゃ薙刀なんて使う機会もないし
杖の方がはるかに実用的だったろう
殺したらいかんもの。合戦どころか人を斬ったことのない武士が大部分になってた。
>>680 外国人も薙刀のことはしきりに報告してる。
シミテルに柄がついたもの、とか日本のハルベルトとか
>>676 > 源平の時代には薙刀こそ歩兵の主力武器だったし
これは、その頃の歩兵の数が少なかったってことでもあるんだろうなあ。
鈴木理論みたいな、一方的な考えの人多いな。一次資料添えてくれよ
>>687 で、騎兵の主力は弓で、白兵戦をする時にゃ弓と薙刀は同時携帯が出来ないから
結果的に太刀が白兵戦の主力になると。
どっちも刀より有利だけど、(突いて)先手をうてる槍の方が上かなあ・・。とは宮本武蔵の談
明治時代の薙刀の名人は今より大分レベル高い剣道の達人と試合しても一度も負けなかったらしいからなー
スポーツチャンバラでやってみればいい、相当実力に差がなければ一方的に負ける
渡辺昇子爵と海江田信義子爵が宮中済寧舘で竹刀と薙刀で
対戦したときは剣の渡辺が勝ったと高野佐三郎の著作にある。
試合用の薙刀ってのはどのくらいの重さなのかな?
女の人でも軽々扱ってる印象だが。
あれで当てっこゲームやったらそら強いでしょうな。剣道の側は
普段と違って下段対策もしなきゃ成らないし。
逆に懐に潜り込んで鍔ぜり合いやそこからの突き飛ばしてからのラッシュは剣道に分があるな。
潜り込むまでが難し過ぎるけどね……
剣道は脛切りは対策されてないから、それ対策しないと簡単にやられておしまいになるぞ。
かといって足元だけ注意払ってると、今度上からやられる。右肩にフェイントかけられて
左脛と対角線の攻撃されると、薙刀が視界の外に消えて、あたってから気がつくことになる。
試合でこれだから、実戦なら薙刀に刀で挑むなんて嫌だ。
鎧でも着なさい
ところで、薙刀と青龍偃月刀って何が違うの?
>>699 崩す方法としては円を描くようにしつつ接近する。
長物は小回りが効かないから小回りを生かす戦術を取る。素人対素人だと長物有利だな。
長物側も離れるように動けるんじゃねそれ
閉所ならまだ行けるかも知れんが
対薙刀は小柄を投げるんだよ。
弾くか避けるかした瞬間に懐に入る。
>>701 円月刀とかは柄まで全部同じ金属で作るそうな
前にどこかで見たが明治の頃、薙刀の女名人と警視庁の剣豪(たしか幕末生き残り)が練習で立ち会ったが
一人を除いて刃が立たず一本も取れなかったとか
>>703 閉所だと新撰組の装備が参考になるのでは?
彼等は屋内や市街戦に通じてるから。
古代だと長物対策だと弓矢や投石機で潰したり乱戦に持ち込んだりしてる。
複数で挑めば良いのか
710 :
名無し三等兵:2012/08/10(金) 09:00:14.46 ID:WOkcrhG0
盛岡南部藩の無辺流なぎなたでは型のときにに木の脇差だか懐刀も差してて、
接近戦に入ったらそれで突く。蹴りや手刀、肘打ちも使う。
刀vs槍でも槍有利
つか一騎打ちなんてとっくに廃れた訳で
そもそも一騎打ちがメインの時代なんて最初からねえよks
関羽と弁慶の違い
>>672 欧州で武術の流派がないのは戦場では個人の武技よりも
集団戦法が勝敗を決めるからと何かで見た記憶があるんだけど
日本の武術は実際の戦場でも通用するってこと?
一騎打ちはガセだと思ってたけど実はそうじゃなかったり?
欧州にも一定の流派はあるぞ
そもそも、訓練もしない兵士が使い物になるか
そして、戦闘訓練ともなれば一定の型や流派は生まれるもの
単に著者が知らないだけでしょ
日本みたく、剣術指南の民営化が乏しかったから誤解されてるだけ
集団戦法の中国は流派だらけのイメージあるけど
有名なのでドイツ流剣術ってのもあるしな
少なくとも「体系化された剣術の技法が無い」みたいな理解で「流派が無い」
なんて言ってはいけないぞ。それは完全に間違いだから
719 :
名無し三等兵:2012/08/10(金) 12:37:58.75 ID:WOkcrhG0
オリンピック競技のフェンシングでフルーレ、エペ、サーブルの三種目があるのも流派の違い。
ものすごい体系化されている。
兵種によっても違う。将校や胸甲騎兵はエペだが、軽騎兵、猟騎兵、砲兵はサーブル。
フルーレは護身用。
昔の武家は一族で伝えてきたやり方みたいなのはあるわけで
流派なんて他者に提供したかどうかぐらいの話じゃねえかと
>>722 演舞しか知らんけど
くるくる回転して頭や脛を切ってたな
>>723 あるね、江戸時代以前から似たようなもんはあったってことよ
>>724 あっちの大陸の鎧は伝統的に薄いからな
フェイントしながら隙を窺って、チマチマ切る方が効果的なんだ
欧州でも貴族の決闘用や護身用だと、そういう剣術が増えるだろ?
所謂フェンシングみたいな
>>724 女性の流派とか言ってちんまい刀振り回してたけど
ほんとにくるくる回してるだけでワロス、見世物だな
でもあれなら肉そぎの刑とかできそう
>>72 西洋剣術の本買ってきたけど
レイピアはどれもこれも一撃必殺くさいぞ
突きは殺傷率高いからな
そりゃレイピアはれっきとした戦術での武器だもの
重量や刃渡りなら日本刀と変わらんぞアレ
護身用や決闘用だともっと細いのを使うよ
レイピアってフェンシングのあれとはまったく別物だからな
>>729 フェンシングは観ててわかりづらくてイライラしたわ
てか、点数40:41とかなに?バレーボールでも25点制じゃん
ちま ちま ちま ちま よくやってるわ、ほんと
電気式が採用されてからあれでもマシになったんだよ。それ以前は審判が決めてたもんだから、
審判による露骨なえこひいきがあったりした
剣道も高段者同士の試合になるとスーパースローカメラないと訳分からんな
審判が能力者じゃねえのって勢い
フェンシングも攻撃権とかどこから来た発想なんだろう
>>711 廃れたも何も名乗りを上げての一騎打ちなんて平安・鎌倉時代だって那須与一の余興みたいに
提案とそれに対する了解があって発生する余興みたいなもんだよ。
西洋にだってリヒテナウアー(Liechtenauer)の剣術とかあるだろ。
>>734 Wiki読んだら、一騎打ちなんてむしろ少ねーよって書いてあった
まぁ上のレスで何が言いたかったかと言うと、合戦場の話で1vs1での武器の優劣について
余り突き詰めても仕方ないんじゃないかなと、そういうことでした
一騎打ちが滅多に無かったなら尚更
乱戦になると必要な技術なんだよ
実際に衝突すると、戦陣を維持したまま戦い続けられる訳でもないからな
すみません、騎士って北欧や東欧、ロシアにもいましたか?
北欧・東欧にもいたが、ロシアはどうだったかな?
ポーランド騎士とかは普通にいた。ドイツも元は東欧だしね
プロイセン領が今は無いから、東欧ってイメージは薄れてるよねドイツは
騎士を馬に乗って戦う専業戦士階級と定義するならいた。
>>732 剣道の場合は、年長者を敬うのが、勝ち負けより大事だから、年寄りが多い審判の判定には文句を言わないのよ。
「道」がつくと、そうなる傾向があるよね。
騎士っていうと銀行員の事だったりする場合もあるからなぁ
>>739 プロイセン領はたしかに東欧だがドイツが東欧ってのは違う
古い基準で見てもドイツの半分は西欧だし
744 :
名無し三等兵:2012/08/10(金) 18:36:46.46 ID:WOkcrhG0
エペは攻撃権とかないぞ。フルーレとは流派が違うから。
剣の形もレピアーに酷似する。フルーレより重い。
>>743 ドイツの中核をプロイセンと見るか
神聖ローマ(東フランク)と見るかで見解が分かれそうですな。
自分の意見としては、
フリードリヒ大王以来の拡張政策の結果、
プロイセンは祖先からの領土を全て失った。
結果論からすれば愚かだったの一言。
プロイセンにしてもドイツ騎士団の虐殺と同化政策の結果だし
本流はあくまで神聖ローマでしょ
>>746 俺は、分家とか支流とかを重んじるね
でなければ、例えば足利と新田の確執がありえないことになる。
足利と新田は、新田側の勝手なライバル心じゃないかとw
>>733 フェンシングとは剣による会話。
会話だから、こっちが話したら相手の返事を待たないといけない。一方的にしゃべりまくるのは礼儀違反。
だからフェンシングでは攻撃したら次は相手の番になる。
フルーレとサーベルには『攻撃権』があり、先に攻撃をした方にこの攻撃権がある。
先攻に対し後攻は、これを受けるのがルールで、まず受けてからでなければ、後攻の攻撃は無効になる。
後攻が受けに成功して反撃に入ると、攻撃権は後攻に移る。
ただフェンシングの試合を観れば分かるように、先攻後攻の見極めが難しい、そこで審判がその判定をする。
>>750 ということは、剣道の抜き技みたいに相手の攻撃にカウンターで…的な
攻撃はしちゃ駄目なのか
752 :
名無し三等兵:2012/08/11(土) 09:35:51.89 ID:imMAQWFL
エペはそれでいいんだよ。と言うかそれが基本。流派の違い。
貴族の決闘のルールはどうなってんだ
突き主体だから、一度受けてからにせずにカウンター狙ったら、相打ちになりやすいからじゃない?
>>751 カウンターや抜き技ではなく、いったん受けてから返す、リボストが基本戦術だね。
ただし
>>752が上げているエペは、実際の決闘に基づくルールなので、『攻撃権』はなく相打ち判定もある。
ただ『フルーレ』『サーブル』『エペ』は競技ルールの違いであって流派の違いではないよ。
これら競技フェンシングとはまた別に、マントや楯、短剣を持った二刀を使う古典フェンシングだってあるしね。
因みに、欧米の流派(スクール)の概念は、東洋の『流派』より、もっと個人的な関連性の方を重視している。
大学などの専攻でも、何を学んだかより、『〜大学』で『〜教授』より学んだかが、より重要になってくる訳だ。
決闘のルールだと、普通は「先に血を流した方が負け」だが、もちろん生死を判定しする事もある。
『陣形』を組めば『個人の武技』は重要ではなくなる。
古代ギリシア・ローマや、西洋、中国の歩兵はみな『陣形』を組んで戦ったのに、
日本の歩兵は『陣形』を組まず、『散兵』で戦ったのはなぜだろう?平野が狭隘だったから?
レイピアと日本刀持ったサムライが、ガチ真剣勝負するとこを想像すると燃えるわ。
>>757 長柄槍を持った足軽は陣形組んで戦ってるけど
760 :
名無し三等兵:2012/08/11(土) 13:30:07.96 ID:imMAQWFL
>>757 そちらのほうが高い機動性、相手を選べる等、イニシアチブを掌握できるから
ただしこれを行うには自分から突撃し、高い個人戦闘力を有す者が多数いる必要がある
>>757 陣形自体は普通に組んでるよ
編成が違うだけでしょ。戦国時代の軍制は、備を最小単位としており、その備が
各個に兵糧を持っていたし、一定の戦場判断を行う権利を持っていた
その頃の欧州の軍制は・・・この頃は軍制なんて立派なモンはなく、傭兵を
かき集めてただけだったっけ?
基本単位は中隊〜大隊だったか。下士官から下級士官までは、戦場判断を
行う余地は無かったかな
日本のこの軍制の最大のメリットは、乱戦や衝力に強いって事だな
下士官役の侍が戦場で共に戦いながら小部隊をある程度独自に指揮するので
いわゆる現代米軍のドクトリンである「敵軍の指揮系統の接点を断つ」という
のが軽減されてしまい、混戦に陥っても士気と統制の減退が抑えられる
>>764 スマン、補足すると「現代米軍のドクトリンが狙う様な、軍隊に麻痺を起こす類の
効果を、日本の編制は軽減出来る」と言いたかった
だから、乱戦に陥っても強いと
騎士と武士の最大の違いって弓を使うか使わないかですかね?
騎士道精神と武士道精神はほぼ同じですよね?
>>766 どっちも弓を使えるよ
名誉を重んずる騎士道と武士道は似ているが、武士道は自家の名誉よりも主家の名誉を重んずる点が騎士道と違う。
戦術面での最大の違いは野戦での歩兵戦に対応しているか否かだな。
武士=必要があればすぐ馬からて歩兵戦をする
騎士(主にフランス)=騎乗専門で騎士の中の騎士王の命令でもなければ馬から下りない
訂正
すぐ馬から降りて歩兵戦をする
騎士道と武士道は戦士階級の心得として似てるところもあるが基本的には別物
>>769 レコンキスタ、スペイン山岳戦では騎士も馬から降りて戦ってるけど。
騎士も武士も必要があれば馬から降りて戦う。プロの軍人として戦争に勝つために最適な手段をとるだけだわな。
773 :
名無し三等兵:2012/08/11(土) 18:09:39.69 ID:vZddla3i
>>769 ルイス・フロイスが日本の騎士は歩兵戦をするって驚いてたね。
>>773 ルイス・フロイスは欧州での山岳戦を目撃したことがなかったのかもね
騎士って戦場以外では弓を使ってたの?狩猟とか?
大規模な陣形組んで戦う欧州じゃあんま山岳戦やらないだろ
777 :
名無し三等兵:2012/08/11(土) 19:52:53.69 ID:imMAQWFL
厳密な意味の狭義の騎士道は、ペルシュロンみたいな重ばん馬に乗った乗馬格闘専門の奴らの道徳だろうな。
ウェールズの猟師、スコットランドのハイランダー、スイスの農民、ポーランドのウイングドフッサールも別な意味で誇り高いが狭義の騎士道とはちょっと違う。
フランス騎士は弱点を補うためにジェノバのド兵とかスイスの歩兵を雇ったが、自分たちは乗馬突撃命だった。
馬降りてもなお地形が悪くて一方的にやられたのがクレッシーだっけ
779 :
名無し三等兵:2012/08/11(土) 20:36:01.44 ID:WpIQuL7K
ローマ軍も関が原の東軍も戦闘力とかは変わらんのでしょ?
日本語でおk
古代ローマの軍隊の事なら、東軍と戦ったら半刻もせずに壊乱して大敗すると思うよ
鎧がしょぼいから盾に頼る
盾で片手が塞がるから両手持ちの武器が使えない
鐙が無いから騎兵が弱い
いくらローマ軍が白兵戦強かったっても、もう火器全盛の時代なんだから相手になるわけないじゃん…
>>777 ペンシュロンって中世の頃は今みたいなデカさじゃなかったでしょ。
>>773 他の宣教師の報告だと「ケースバイケースっすね。あと馬はフランス馬に近い感じっすね」ってなってるな
787 :
名無し三等兵:2012/08/11(土) 22:24:40.21 ID:imMAQWFL
中世のペルシュロンが今より小さくても、他の馬も今より小さいでしょ。
ヘンリー八世の布告で出てくる数字を見ると平均して10センチくらいはでかそうかな
J.クラットン=ブロック『馬と人の文化史』あたりも定番ソースだが俺は読んでねーや
790 :
名無し三等兵:2012/08/11(土) 22:50:45.89 ID:imMAQWFL
トゥールポワティエでカールマルテル率いるフランク軍が戦ったときは、
古代ローマ・警視庁機動隊式の大楯歩兵だったから、そのときはまだ騎士道ではないだろうな。
ハイランダーと同じとだろう。
戦国〜江戸時代の日本の軍隊は、欧州軍隊の騎馬戦法に果たして対抗出来るのか
朝鮮征伐で朝鮮に援軍に来た明軍が、対モンゴル・女真族用の騎馬中心の編成で
あった事が、一つの資料になると思うのだが
つまり、少なくとも正面から当たった場合、歯が立たないという事は無いだろうと
792 :
名無し三等兵:2012/08/11(土) 23:22:33.21 ID:RzlZk9dM
>>791 どう当たるかの決定権を持つ機動力に勝る方が、なんで正面から当たるって選択をせねばならんのよ?
そのような体勢を強要できる地勢と布陣でなきゃ、歯がたたんってことじゃん
>>789 講談社現代新書に「馬の世界史」って本があるよ
古いから古本しかないだろうけど
>>792 だから「少なくとも」だ
少なくとも、これだけ条件を揃えても当り負けるという事は、およそ有り得ない
だろう、という事だよ
その上で、騎兵によって背側面に突撃をどの程度許してしまうのか、背側面への
突撃を受けたとして、どの程度の損害を受けるのか、というのを考察してみたいと
思うのだが・・・
>>792 馬の機動性が発揮できない場所では日本の方が機動性は高いね
当たり前のように山岳機動を行うし
正面からぶつかって負けるかどうかは、これが結構重要な部分だと思うんだよ
正面からぶつかれば負けないなら、背側面を突かれればたちまち壊乱してしまう
と仮定しても、テルシオや方陣の様な全周防御陣形を取れば、取り合えず対抗は
出来るという事だからな
そして、日本軍の戦法には円陣に代表される様な全周防御陣形が存在する
敵が騎兵だけの事なんてそうそうないしな
日本軍は陣形も糞もなく遮二無二突っ込んでくるんで明は辟易したそうだが
799 :
名無し三等兵:2012/08/12(日) 00:00:14.41 ID:imMAQWFL
信長が長篠で柵をつくったのは槍襖だけじゃ乗馬突撃を阻止しきれないからだろうな。
姉川でも浅井軍にかなり突破されてる。それを阻止したのは徳川軍の迂回、側面突撃だった。
関が原の島津、大阪の陣の真田幸村もかなり突破してる。
マルタ騎士団みたいな奴らに後ろから乗馬突撃されたらまず壊滅だろうな。
姉川は徳川マンセーだって説がある
島津と真田は死兵だしなぁ
つか後ろ突かれた騎兵とか関係なしに瓦解するわ
>>797 陣形はちゃんとあっただろう。明軍に気付かれなかっただけじゃないか
>>799 何が言いたいのか良く分からん
長篠の武田も、姉川の浅井も、関が原の島津も、大阪の陣の真田も、別に
騎兵突撃した訳じゃない。歩兵突撃に騎馬武者が随伴してたってだけだ
歩兵突撃になら、テルシオや方陣だって紙の様に破られたという記録が
欧州の戦記に記録がある
歩兵突撃と騎兵突撃を一緒にしちゃいかん。マルタ騎士団が騎馬突撃する
のとは全然違うだろうよ
むしろ、同質の突撃として考えるべきは、ドイツ騎士団の歩兵突撃だろう
>>802 出典は知らんが高島俊夫が書いてた
中国は敵の陣形に合わせて陣形を変えるのが基本なのに
日本はそんなこと構いもせず突っ込んでくるって
あの国は水滸伝みたいな陣比べガチにやってたんだなぁと思ったわ
兵の士気や装備・突破力といった質の部分で勝り、かつ数で劣ってないなら
そりゃ陣形もクソも無く、突撃すりゃ勝てるからなぁ
一番槍が最大の栄誉の文化だしねぇ
6mの槍で槍衾というパイク的なことをやっているんだから何とか防げるんじゃないの?
騎士側も鎧の装甲を減らしていく頃だし
6mの槍で槍衾というパイク的なことをやっているんだから何とか防げるんじゃないの?
騎士側も鎧の装甲を減らしていく頃だし
ごめん二度書いてしまった・・・
長槍もってる足軽の戦意がどれくらいもつかだな
ナポレオン時代ならともかく
騎士の騎馬による一斉突撃ってあったの?
なんか想定してる騎士の突撃がいまいち見えてこないんだが
時代とか装備とか
>>763 >>757ですが、日本の歩兵も、備などで、集団戦闘はもちろんやってたよ。
諸兵科連合で、効率的な戦闘をやっていた。別に、日本の歩兵をディスってるわけじゃない。
日本の歩兵をリスペクトしている。明軍にも、質では勝ってたと思う。
強い弱いとか、統率がとれているとかとれていないとか、そういう意味ではなく、
ファランクスだとか、テルシオだとか、ああいうのが、何故に日本ではやられなかったのか?と。
そういう問題意識。
兵士や下士官の質が高ければ、ガチガチに固めないである程度
裁量任せてしまった方が強いからだろうな
質が高い故の戦法というか
名前をつけることに興味がなかったんじゃないかなぁ
学問的に分類する気がなかったというか
一つには国内線ばっかりだったことと
もう一つは「うちはうちのやりかたで行くわ」
みたいな感じで
古代ギリシャの密集陣による決戦志向は、経済形態の問題って話をどっかでみた
小麦が輸入で主な農産物のオリーブとかブドウとかは少人数では焼き討ちするにも手間で
荒らし合いとか青田刈りがあんまり効かない
結果多人数集めて一発勝負になる
大軍を戦場で維持するだけでも大変だし申し合わせたような決戦になると
その結果が歪なファランクス
ヨーロッパは軍隊維持してるだけで国家が破綻するからなw
日本の地形や野戦築城の戦法だと、伏兵仕込み放題だってのもあるかもな
下手に密集陣形で攻めると伏兵に横槍入れられて崩される
>>811 古くから弓が主戦武器だった関係で、密集=敵の的という問題があったのかも。
交戦距離も大陸より短いだろうから、もたもた陣形整えている間に切り込まれちゃうし。
西洋みたいに硬直した陣形の方が異端な気もするが
アレクサンダーもローマもそれで勝ったんだよなぁ…
迂回されたら終わりのテルシオじゃなぁ
テルシオも結局大隊編成になったからな。日本の備が先行してたというわけだ。
いや、そんな単純なことじゃないけどw
>>818 テルシオが、まずはパイク兵にハルバートを混ぜる事から始まり、最終的には
大隊となった事を鑑みれば、歩兵突撃に弱かったのは事実だろう
勿論、突撃される前に銃隊の一斉射で敵の突撃を撃破出来るという点はあるが
それを越えて肉薄されると、厳しい物があったと考えられる
なんのためのパイク兵だよ
パイク兵は切り払われたり打ち下ろしをされると崩されてしまうからな
騎馬みたく的の大きいのが突進するのと違って、歩兵に潜られて切り払いを
受けると崩壊してしまう
戦列が崩れたパイク兵など、大して役に立たん
スイス槍兵が無双してた頃はどうなってたんだその辺
その頃は、先に言った様なハルバードを混ぜるなどの対策と、錬度でカバー
していた様だな
パイク兵という兵科が優れていたのではなく、単にスイス槍兵が精強無比
であったというだけなんだと
空堀に気付かず整然と徒歩突撃して、立ち往生したところを射撃されまくり
結局整然と撤退とかキチガイとしか思えんエピソードあるしな
そりゃ現代バチカンの衛兵任せるわ
まず簡単に槍衾の懐に潜り込めるというとこからおかしい
基本的に剣は槍には勝てない
6mもある槍を正面に突き出したままの姿勢で密集してる状態で、肉薄された剣兵相手に
まともな迎撃など出来るはずがないだろ
まず肉薄するのが難しいんだってば
難しくは無い
パイク兵は槍を突き出す事すら難しい。剣で切り分けて突入してしまえば良い
実際、ツヴァイハンダー兵などはそうして突撃していただろう
騎兵突撃は、歩兵隊が整っていない封建時代、騎士とその郎党の小戦力同士の戦いでは威力を発揮した。
これは編成的にも時代的にも、概ね鎌倉時代から室町時代の日本における、武士とその郎党に似ている。
ただし、実際には騎士団同士が隊列を組んで、大規模な開戦に望んだのは、東欧や十字軍などが主になる。
西欧においては、あまり記録に残らないような小規模な戦闘、騎行戦術などの方が多かった。
その全盛期は薔薇戦争がピークで、スイス傭兵が、続いてドイツ傭兵が登場すると、その神通力を失っている。
これも概ね、日本の戦国時代と、編成の変革や時代と期を一にしている。
もっともフス戦争の時代から、既に馬車要塞による陣地戦が、騎兵突撃を無効化する事に成功していたが。
よって、実はフルプレートを着用した騎士が、ランスを持って活躍した時代というのは意外に短い(薔薇戦争前後)
因みにマルタ騎士団は、既に騎士突撃が廃れた時代のもので、その戦いは主にイスラム勢力に対する私掠、即ち海賊行為だった。
ポーランド騎兵がよく分からん
長槍を備えた歩兵隊列同士の戦いについては、映画『アラトリステ』が詳細な描写を行っている。
まずは(効果は低かったが)銃騎兵や散兵が牽制し、隊列の両脇に配備された砲兵が、敵隊列に対して十字砲火を浴びせる。
続いて銃兵が至近距離から銃撃を浴びせた後、味方の隊列に潜り込むようにして後退して槍兵と交代する。
槍兵同士の戦いになると、スクラムを組んでがむしゃらな消耗戦に突入するが、一部の切り込み隊が状況打開に乗り出す。
まだ騎士突撃があった頃は、突入して来た騎士を迎撃する約であった、鎧を装備した重武装の兵士がそれだ。
スイス傭兵においては、ハルバードやバスタードソードを装備した兵士、ドイツ傭兵においてはツヴァイハンダーを持った倍給兵。
或いはブロードソードと楯を装備し、ブロードソードマンと呼ばれた者たちは、騎士突撃が廃れた後も、役割を変えて一定数が保たれた。
ポーランド騎兵がWW2で槍持って突っ込んでたってのは俗説か
ドイツではなく、ソ連軍戦車兵の人が、実際に自分の戦車部隊に突撃してきたと証言してる。
ポーランド軍騎兵は、ソ連戦車は木でできてるから、槍で破壊できると教えられていたと言ってる。
>>836 俗説
ポーランドに限らず、あの頃の騎兵は、軽戦車、装甲車、火砲などを装備した機械化部隊
ポーランド騎兵部隊が戦車部隊と戦ったのは事実だが、ランス構えてチャージしたわけじゃなく、
普通に対戦車砲や軽戦車を持ち出して交戦している
>>836 「戦車に」騎兵突撃かましたというのはドイツのプロパガンダ
移動中の歩兵には騎兵突撃して普通に蹴散らしている
当時のポーランド騎兵旅団は75mm砲と戦車を編成に組み入れているので、
トラックの代わりに馬で機動化を達成した歩兵ともいえる
>>834 ポーランド騎兵はステップ民族に対抗するために大規模な騎兵を維持していたのと、
軽快かつ耐久力のあるアラブ種の導入成功が三兵戦術時代に花開いた感じ
>>839 三兵戦術の時期ってもうロシアに征服されるかされかけてなかったか?
841 :
名無し三等兵:2012/08/12(日) 10:23:07.63 ID:ygSV4mOq
マルタ騎士団も乗馬突撃はやったよ。火力と築城、海戦、白兵戦、乗馬突撃の全てを総合できたのが、
マルタ騎士団の恐ろしさ。任務は要塞を包囲する敵軍への後方からの襲撃。
実際の騎士は、野戦の決戦用というよりは城の防御を機動防御で補完するのがもともとの任務かもしれない。
城と騎士は常にセット。
>>839 >>838 ありがとう
なるほど遊撃部隊として山砲や軽戦車で普通に近代的戦闘を行ってたんだな
843 :
名無し三等兵:2012/08/12(日) 12:07:22.81 ID:WzE5IzU6
>>842 お前、遊撃って言葉の意味がわかってないだろ
>841
陸戦はクラク・ド・シュバリエに居た頃の、聖ヨハネ騎士団の話ではないか?
海戦の話は、キプロス以降の事だろうし、時代背景がごっちゃになってるぞ。
それにマルタ島に移ってからは、本格的な陸上戦など殆どなかったろ。
「ヨハネ騎士団は何でもこなした」と言うより「時代の変化に応じて柔軟に変わっていった」と言う方が正しい。
>>840 グスタフ・アドルフの時代を想定したので17世紀初頭の話です
ナポレオンで言うならおっしゃる通り征服されています
ポーランドの最盛期は、ポーランド・リトアニア連合の頃じゃないのか?
まぁポーランド騎兵、ないしポーランド騎士団の完成期と、最盛期は別ものか……
馬車要塞というと、馬車を野戦築城のユニットとして実際に使った事が欧州ではあるのか?
正直、過分にして聞かないのだが・・・
フス戦争でフス教徒がやったのは?
寡聞な
ワゴンブルグのことならその通り。
後年にはハンガリー辺りで、フス残党が用いているし、これに習ってオスマン・トルコもやったはず。
東洋ではまだ火器も無い時代に、中国で騎馬民族相手に使用されている。
「奇襲されたら馬車を防壁として円陣を組み、周囲にマキビシを蒔いて中から石弓で撃て」
と文献に残されている。
しかし馬車の用意が必要な上、柔軟性にも欠けるため、大砲が発達してくると、歩兵による野戦築城に取って替わられた。
フランスなどが野砲を持ち出してくると、要塞(ブルグ)とも言うべき馬車陣地は良いマトになってしまう。
イタリア戦争では、本物の城や要塞ですら、攻め落とされていた訳だしね。
テルシオの強みは、スイス傭兵やドイツ傭兵と異なり正規軍だった事に加え、奨励金を出してまで野戦築城に力を入れたことなんだ。
どうせ隊列を組むのに時間が掛かるんだから(最悪で半日掛かったとか……)
マウリッツの軍制改革や、グスタフ・アドルフの三兵戦術が発達した頃には、騎士もピストル騎兵にかなわなくなった。
よって馬車陣地の必要性は薄れ、ハルバード兵や倍給兵、ブロードソードマンな必要不可欠ではなくなる。
射撃戦がメインとなって、長槍兵すら要らなくなって来たので、これらも消えていった。
この辺りから銃剣が発明されて、長槍兵も消えて行くことになる。
しかし皮肉な事に、防御力の低下した歩兵相手に、胸甲騎兵などが斬り込み役として復活する。
また騎兵のサーベルをアウトレンジするため、軽量のランスを持った槍騎兵も復活した。
この辺りからナポレオン戦争に突入する。
グスタフ・アドルフ 「当たらなければどうということはない」
テルシオってセルジオに似てる
>851
いや、当たってるよアンタっ!
今日、有明でファランクスを目撃した。
それも一隊や二隊ではなく無数のファランクスを。
整然とした動きに胸が熱くなった。
いまだにサーベル騎兵の有効性がわからない
武器の持ち替えが困難な槍騎兵に対し納刀時はほかの武器に持ち替えられる
のが優位な点だと思っているんだけど、軽騎兵にではなく胸甲騎兵に持たせ
て突撃させるメリットって何?
突撃の第2列に持たせるならわかるけど、映画なんかだと陣頭にもいるからさ
銃剣にリーチで負けちゃうじゃん
しかし
>>850みたいな時代から騎兵不要論とか長槍不要論とかやってたのかと思うと感慨深いものがあるな
戦艦不要論とか戦車不要論とか見てると歴史は繰り返すって実感するね
>>838>>839 ありがとう!このスレは、本当に勉強になるな。
ドイツ戦車に、ポーランド騎兵がサーベル突撃してるプロパガンダ絵を、
今の今まで信じてたわ。
スレで見ただけじゃダメやで
資料当たる参考にはなるけど、結局は自分で調べなきゃイカンで
>>855 ランスはリーチの長さが利点だけど、逆に懐に飛び込まれると不利になるみたいだよ。
ナポレオン戦争中、フランス軍に従軍したポーランド槍騎兵は同じ連隊内でも装備により、
ランサー:ランス、サーベル、ピストル
カラビニエ:カービン、サーベル、ピストル
に、分かれていた。
突撃時、カラビニエはランサーの前に位置し一斉射を実施、その後は後ろに廻り(ランサーが追い抜く)サーベルに持ち替えランスの苦手な近すぎる間合いの敵に対処した。
この編制を取ったのは戦列ポーランド人槍騎兵連隊だけで、戦列フランス人槍騎兵連隊や親衛隊槍騎兵連隊(ポーランド人、オランダ人共に)はカラビニエは無し。
ただし各自が、ランス、カービン、サーベル、ピストルの全てを装備していたので戦術は実施は出来たかも。
胸甲騎兵の最大の武器は、その巨大な人馬かと。
ランスも対銃剣に有利だとも言い切れないし。
ワーテルローで親衛隊槍騎兵連隊は一つの方陣も崩せなかったから・・・
戦列歩兵の時代になると、騎兵の役回りは敵の戦列の撹乱ってのが主目的に
なってくるからねぇ
方陣敷かれる前に突っ込めれば充分だし、ランスじゃ敵戦列に突っ込んだ後の
白兵戦で戦い辛いんじゃない
>>857 それどころか開戦初日、第19装甲軍団司令部は軍団長グデーリアンが前線視察で不在中にポーランド騎兵接近の報に触れ、慌てて対戦車砲を据え付けたりと混乱状態に。
視察から戻ったグデーリアンから誤報だと説明されてやっと落ち着いた。
夜には同じ装甲軍団内の第2自動車化歩兵師団がポーランド騎兵に襲撃され、グデーリアンに退却の許可を求めたところ、
「君はポンメルンの擲弾兵が敵の騎兵に蹴散らされたと言う話しを聞いたことがあるかね?」と諌められた。
こうして見ると騎兵が敵に与える最大の効果は士気の破壊かな?
逆に、士気や練度の高い歩兵は方陣の一角を崩されても踏み留まっているけど。
>>838 >>839 『バイオレンスジャック』のドラゴン重騎馬軍団みたいなのが実在したんだな。
さすがに甲冑はつけてなかったろうが。
>>861 >軍団長グデーリアンが前線視察で不在中にポーランド騎兵接近の報に触れ、慌てて対戦車砲を据え付けたりと混乱状態に。
>第2自動車化歩兵師団がポーランド騎兵に襲撃され、グデーリアンに退却の許可を求めたところ、
ドイツ人も、実際に戦うまでは、ポーランド騎兵を『ドラゴン重騎馬軍団』と思ってたんだろうな。
865 :
名無し三等兵:2012/08/14(火) 10:36:45.72 ID:coPgq3Eq
いや戦車相手には乗馬突撃してないだけで、歩兵相手には実際乗馬突撃してる。
フランスの軽機械化騎兵師団とかは、実際は馬なしのソミュア戦車の集団だが、
ポーランド騎兵旅団の主力はあくまで馬だった。装甲車の任務は乗馬突撃の補助、援護射撃。
当時は歩兵でも銃撃はあくまで一時的制圧手段で、最後は走って銃剣突撃してキメると言う考えだった。
日本だけでなく英仏ソ、アメリカ海兵隊もそうだった。
>>855 歩兵が陣形を保ってるとこに正面から騎兵突っ込ます時点で負けフラグじゃね?
>>866 敵歩兵が騎兵を警戒して対騎兵の陣形を組んだら騎兵の役目は一先ず終了。
次は騎兵に随伴する騎馬砲兵が進出して砲撃を行う。
方陣の様に密集していて移動も遅い陣形は砲兵にとっては絶好の標的。
砲撃で陣形に穴が開いたり崩れたりしたら、今度こそ騎兵がサーベルに物を言わせる時。
まぁ、連携が難しい上に、方陣を援護する騎兵が配置されている事も多いので・・・
なんだ騎馬砲兵って
小型の大砲を馬で牽引し、砲手も馬か馬車に乗る
>>868 大砲一門を馬20頭くらいで牽引するんだったかな。
いざとなれば、騎馬隊と砲兵隊に分離も可能な夢の兵種。
ただ、費用などがとてもお高い。
だったとおもう。
欧州最強の騎士団はドイツ騎士団ですか?
872 :
名無し三等兵:2012/08/14(火) 17:34:53.32 ID:coPgq3Eq
日露戦争のときはホ式機関砲も日本軍騎砲兵の兵器だった。
歩兵が陣形組んだところを機関銃で一斉になぎ倒す。
>>867 それだけではない
敵が方陣を組めば、我の戦列歩兵が横陣のままであれば、敵の方陣のうち、我の戦列歩兵と相対して
いない敵兵は全体の3/4となり、その3/4は我の戦列歩兵との銃撃戦では遊兵となる
残りの1/4も、我の騎兵への迎撃のため、我の戦列歩兵との銃撃戦には消極的になる効果もあるだろう
しかも、方陣を組んだ敵戦列歩兵はその間、機動力が失われるが、これによる優位は何も砲兵だけが恩恵を受ける訳ではない
>>874 スレ違いだろ。いい加減にしろ。戦列歩兵を語りたいのなら近世スレへ行けよ。
現代の武士は警察官・自衛官のどちらが近いですか?
武士を現代に例えるのなら、職業って事から自衛隊かな?
後は交戦もするし
武士って、どんな武士?
御恩と奉公の鎌倉武士?
成り上がって一国一城の戦国武士?
滅私奉公の葉隠れ江戸時代の武士?
救国救幕の幕末武士?
現代の武士ってちゃんと書いてあるじゃないか
ワロタ
平安後期の軍事組織を現代に例えると、
衛府:自衛隊(衰退して儀仗兵のみ残る)
検非違使:警察
武士:指定広域暴力団〇〇組
てとこか。
現代で武士に近い存在って、日本じゃないけどアフガニスタンあたりの軍閥とかかな
ソマリアの軍閥や海賊はもちろんだが、スーダンの反政府組織にも、それらしきのは多いよ。
もう革命のゲリラ闘士ではなく単なる山賊とか、国際援助の利権が目当てとか、人数は十指に満たないとか。
そんなのが最大で二十組ぐらいあるんだから。
中には織田信長もいるだろうが、明智光秀もいるんだろうよ。
正に戦国。
主君に封地貰って〜って武士は現代には居ないんじゃない?
日本の剣道・弓道に相当するスポーツは中国にはないのですか?
日本と欧州含む大陸全般の城との比較に関して
平原が多いから城壁を立てるのはまあ良いとして、大陸の城は火網形成と縦深形成に
不熱心なのはどうしてだろうか?
日本の場合は、山城主体の時代から郭の配置によって、火網の形成と縦深形成を図って
いるのに
欧州って割と山城も見かけるね
大陸系
異民族の襲来がある→都市を囲う城壁
日本
山がちな地形→郭による縦深性
多分、平地に土を盛って丘を作って郭とするよりも、城壁を建てる方が速かったんじゃないかな?
後、異民族に襲われても城壁に逃げ込めば略奪されずにすむから迎撃専用の郭が必要ないとか
そもそも都市と砦を同列に扱うべきではない
日本の山城は大陸の砦と比較すべき
大陸の城塞都市は日本の惣構えと比較すべき
>>892 無いよりはマシだろうが、あまり良い工夫には見えないな。城壁の凸部に攻撃を集中されると
逆に左右からの援護が難しくなる構造じゃないか?
>>893 城壁を破られて進入された例は枚挙に暇が無いだろう
城壁都市にしても、例えば城壁の中の都市部を碁盤上に区画分けし、その区画の
境界線上に堀か塁を作るなりして、縦深を築く事は出来るはずだ
あるいは、城壁を二重三重にする、という方法だってあるだろう
しかし、大陸の城で城壁が二重三重になっている、という城はあまり無いし
二重三重になっている城も、縦深性を重視したというよりは、単に施設を拡張更新
した際に、旧来の防衛施設も残してあるだけ、というのが多い気がする
>>894 イタリア式だと、日本の戦国時代以降の物になるからな。中世とはちょっと離れるかな
近世以降の日本の城との比較が妥当な物になるから、比べるとやはり縦深が日本より
浅いという事になるかね
日本の城郭たって今に残るものは戦国時代以降のだが
昔の山城だって日本のは縦深性と火網形成を重視してるだろう。それと遅滞性も
郭はちゃんと備えていた訳だしな
戦国時代以降のは、平山〜平城に変わっていく過程で、大型化と水掘などを張り
巡らせた、一層大掛かりな物になった訳だが
真田丸に代表される、出城などの技法が導入されて来た時代の物は、時代的にも
流石にイタリア式城塞と比較すべきだと思うが
つまりは日本でもヨーロッパでも大して変わらないってことだろ
比べるのなら各国、同じ年代の城どうしって事でしょ
ロシア・イスラム・インド・東南アジアではどうだったのかな
更に言うなら地形や領主や敵の規模や財力も考えないとな
中小領主主体だった室町時代までの日本の城は、言っちゃえば領主の館でしかないし
同様の条件にあった英国なんかも基本的に変わらん(山作る分だけ上かって程度)
イタリア式城塞は、15世紀半ばに現れ、17世紀頃に一定の完成を見る
そして日本の郭を重視した城も、15世紀後半に現れる訳だが、二つには大きな
違いがある。
イタリア式城塞は、初期は単純に大砲対策であり、斜面化させた城壁やそれを
補強し、更に攻め辛くするための堀との組み合わせが主だった
縦深性や火網の形成は、初期はそこまで重視されていなかった訳だな
また、火網の形成は次第に重視され、積極的に採用されて行くものの、縦深性は
比較的、軽視されていた傾向にある様だ
これは、イタリア式築城を城壁都市に採用しており、にも関わらず堡塁が多重に
設置されてない点から観察出来ると思う
勿論、明らかに縦深を重視している城塞もあるのだが
思ったんだが塔ってそれだけで縦深じゃね?
塔?……いや、中世で見る様な塔は、城壁と一体化した様なのが主だった様だし
日本でいう櫓程度の物で、縦深を形成する様な二の丸・三の丸としての機能は
特に無いと思うぞ
イタリア式築城では、塔は無くなって行くしな・・・
中世のの西洋城郭で壁が二重なのは普通
壁の間が狭いのは高い内側の城壁から一方的に打ち下ろしたり
狭い場所で通せんぼするためなんで、それ自体が防御構造
(狭いので第二の壁を登る道具を持ち込みにくいので狭い回廊を回る必要がある)
回り曲輪+殺し間と考えれば非常に効果的ではあるな
>>906 回り曲輪というからには、次の入り口は90度以上離れたところにあるんだよな?
壁を壊されると終わるんだよなそういう構造って
>>909 で、この画像の場合、打ち破るべき正解の箇所はどのあたり?
というかエッシャーの騙し絵の無限回廊に見えたw
画像の右側、城塞の狭くなっている面からが良いんじゃないか
ここならば火力投射を受ける面は少なくなるし、縦隊での突入も有利に運べる
まあ、だからこそなのか、城塞にも右側に門は無い訳だが
南北朝時代に重要拠点だった小田城とか関城とかって平城なんだよな。
戦国以前にも平城って結構あるのかな?
それを言ったら鎌倉時代の武家屋敷ってしょぼいよね。
一応門の上に櫓をつけてるけど、
攻める気になったら火攻めとかして簡単に落とせそう。
日本住居はそもそも火に弱いし。
馬出し構造とか屈曲スロープによる誘い込んでの撃退とかは
武田と後北条が発達させて行ったものだから、それ以前の縄張りは
元の地形頼みであんまりたいしたことない
>>915 だから後には屋根は瓦葺になったんじゃね?
元の地形頼りっていっても、周囲を伐採して禿山にし、投射がやりやすい様に
とかはやってたんだけどな
鎌倉時代の武家屋敷はまさに住居だったから簡易な防御だったのでは
生活と領地経営は麓でやって襲撃されたらいったん後背の山城にさがるとか
小田城と関城は確か水上交通を抑える城だから平城なのでは。水上の関所というか
例えば、戦国期の堺なんかは町全体を城壁で囲ってたわけで、
日本人に、町全体を囲うという発想がなかった訳じゃないと思うんだ。
鎌倉は三方の山を城壁とした城塞都市ともいえなくもないな
>>920 役割はともかく、関城なんかは正面からは無理だからってことで
坑道を使って落とそうとするくらいの堅固な城だったわけだよな。
そういやあの坑道の技術はどこから出たのやら。日本でも結構攻略に
使われてるのかな?篭城側も掘ったみたいだし。
>>923 坑道の技術自体は古墳をつくるときに実践済み
時間的に離れすぎてる。
金山銀山掘ってたからじゃね
室町時代も鉄はたくさん掘ってたよな
と思ったがどこ掘ってたんだろう?鉱山名とか聞いたことないぞ
基本的に日本の製鉄原料は砂鉄とかだと思ったが。
何とか流しって奴じゃね?
上流で山崩して、下流に土砂流しながら沈殿させて、砂金すくう奴。
金の話だけど。
城下町や村への乱暴取りや狼藉はあっても、基本的に国内の戦争は封建領主同士のもので、日本では大陸やヨーロッパほど市壁の必要性が高くなかったんだろ。
一方で、山腹を加工して切り岸にした山城は攻略が困難だし、攻城兵器の接近も難しい。
石垣にしても、基本はこの切り岸を石を積んで強化したようなものだし、こうした要塞は坑道戦でも、ほとんど攻略不可能だ。
戦国末期になって、それまでの攻城兵器より、小型で高威力の大砲が導入されてたが、それも平野部でしか運用実績がない。
しかも導入初期に、戦国時代が終わって、平和な時代となって必要なくなってしまった。
もっとも市壁と違って、石垣や切り岸は大砲でも簡単には崩せず、天守など構造物の破壊に止まるのだが。
何しろ山を打ち崩すようなものだから。
普通、攻城戦とかになったら、部隊が展開する平地が必要なので、先に城下町に火を放って、
焼け野原にしちゃうと思う。防御側もやってたりするんじゃないかな。
略奪じゃなくて、地ならしね。
つか、城下町に農民とかいたのかね。家臣団が集まっていただけじゃね?
>>932 毛利と尼子の郡山城合戦なんかがそのイメージだけど
他の例ってどんなのがあったっけ?
>933
いま気が付いたんだけれど、例えば星型要塞の時代の土盛りにさえ、数メートルも潜る事はあったか?
このスレで語る内容では、多分ウルバンの巨砲でも、それは無理だったんじゃないかと思うのだが。
戦国以前の武士の領地はとびとびだから、攻撃されたらいったん逃げて仲のいい周囲の領主
を集めて反撃して相手を撃退とかできたけど、戦国期は一円支配が進んだから
逃げたらその地域は「飲み込まれる」、これが城塞都市の発達の一因かな
異民族間の争いにも言えるかな?
ていうか戦国以前は自分の周囲の領主は血族とかでなければ全員敵にも味方にもなるんだな
鎌倉幕府が訴訟処理でパンクするわけだ
異民族間の戦争となると、執拗な虐殺は基本だったみたいよ
日本国内みたく、戦時にだけ山林に逃げ込んでやり過ごせば略奪を免れるって訳ではなかったらしい
まあ異民族間の戦争は「敵民族の排除と自民族の入植による版図拡大・人口増加」が目的な所があるから
むしろ虐殺は必要な政治的措置だったりするのよね
日本だって何ヶ国にも分かれていた古墳時代は
城塞都市の前段階である環濠集落を作っていたが統一政権が出来てからは
戦いといえば支配階級戦士階級による内戦だけになって
民衆は支配者が変わるだけでたいした損害も受けなかったから
ほぼ唯一の大都市の京以外の地域は軍事要塞である城館だけで事足りた。
しかし戦国時代になり民衆が主体的に戦争に参加し
大名領国が一個の国のようになってくるとそうも言ってられず
堺などの都市は周辺を堀で囲むようになり、近畿では環濠集落が復活し
城下町が発展して守る必要が出来ると簡易城塞都市の惣構が形成される
もう百年戦国時代が続けばあるいは城塞都市だらけになった可能性も
>>939 > ほぼ唯一の大都市の京以外の地域は軍事要塞である城館だけで事足りた。
まるで京が軍事要塞だったみたいな口ぶりw
攻めやすく守りにくいと評判の京に向かってw
環濠集落は古墳時代より前じゃないのか?
>>938 なるほどね。
やっぱその辺が理由だろうね。中国や欧州で、都市全体を城壁で囲んだのは。
古代ローマの都市も城壁はなかったけど、ローマ軍の力が衰えて
異民族の侵入を許すようになってから、城壁を造りだしたしね。
943 :
名無し三等兵:2012/08/18(土) 20:45:45.76 ID:ZXNzNVu6
>>938 >まあ異民族間の戦争は「敵民族の排除と自民族の入植による版図拡大・人口増加」が目的な所があるから
>むしろ虐殺は必要な政治的措置だったりするのよね
それ、いつどこの話?
>>940 だから京は塀で囲まれてて除外ってこったろ
日本だと地震とか自然災害でいずれ壊れるじゃん
日本で平地っていったら河川とセットなんで
塀建てなくても堀の類はあるしなあ
誰か一人くらい
盾+小太刀の戦闘スタイルで戦った武士はいないんですか?
(宮元武蔵みたいに怪力なら太刀でもOK)
一対一なら結構いい感じのスタイルだと思うんですけど
筋金を入れた篭手を嵌めて小盾のように使ったという野口一成の逸話があるけど
史実かはわからん。
当てっこゲームと違って盾は壊れるから甲冑が充実した時代ならば
別にいいスタイルとも思えんが。
建て前として馬上で弓を射るのが武士だし、モンゴルとかも楯は使わなかったろ?
兵法としては、柳生心眼流が陣笠を楯にする技術を伝えているよ。
それと意外だろうけど、格闘技として楯を使う技を伝えてる流派は、実は中国にだって少ないよ。
空手や琉球古武術と同じく、流派の中でわずかに型が伝わってるとか、そんなのばかりだ。
恐らくある程度の規模があって、乱取りで実践的に使う練習をしてるのは、
@『アヴァロン』などの西洋剣術。これは世界的な組織と関係があるけれど、日本国内ではマイナー。
A『スポーツチャンバラ』。これはほぼ国内限定だけど、日本ではかなりの数になる。
日本だとこの二つに絞られるだろう。
ケルト人(ゲルマン人も?)が戦場で持ち歩いてる部族の旗印みたいの
(猪や馬の頭がついてて無理すればポールハンマーとしても使えそうな奴)
あれって名前あんの?
盾+片手武器は歩行で一対一とかだと不利になりやすく
両手で大き目の武器振り回すほうがリーチ含めて有利な局面が多いからな
防盾戦は日本の機動隊が育てた
片手で武器ブンブン振り回せば、どうしたって盾もつられて動いて隙が出まくるからな
防御に有効な強度とサイズの盾ってそれだけで負担だし
密集の槍陣とかならともかく、個人戦闘ならまだ甲冑依存の介者剣術のほうがマシだろ
古代ギリシア・ローマ、中世ヨーロッパ、中国。
盾と槍が、歩兵の基本の装備だろ。
わが日本国で、なぜに盾が廃れたか?
盾を排して、両手武器を持つ方が有利だとか、そんな簡単な理由じゃないと思うんだ。
だったら、古代ギリシア・ローマ、中世ヨーロッパ、中国、みんなそうしてたはずだから。
山がちな地形と関係あるのかな
重弓騎兵もそうだけど日本は色々特殊化するよな
両手持ちの超長槍であるサリッサを持った古代マケドニア歩兵も、
肩のところに小型の盾をつけていた。
古代マケドニア歩兵は、金属製の兜と鎧を着ていたのだが、
その上でやはり、盾が必要だったのだろう。
どちらが優れている劣っているではなくて、
わが日本国には、盾を使わない、何かの理由があったのだと思う。
>>954 古代ローマのファランクスでも両手で槍を持つように進んだし
(片手じゃ長い槍を持てないので)
古代中国でも早々に長柄武器(両手持ち)に移行した
古代地中海系の鎧はスカスカすぎるだろう
>>956 大和朝廷成立前後まで普通に片手盾は日本でも使われてる
でも弓が使えない、長い柄の両手武器が使えないので廃れた
あと中国文化圏は西欧より鎧が発達したのもあるかも
(西欧はプレートメイルが出てくるまでチェインメイル主体)
>>957 古代ローマ歩兵は、
大型盾+グラディウス(短めの直刀)+投げ槍
だろ。
>>960 どんどん重武装化が進んで盾を事実上捨てていくんだよ
日本の戦国時代みたいな長い槍を両手で持った兵団になってくわけだな
重武装化で盾が廃れるってのはその通りだと思うな
装甲である程度飛び道具防げれば歩兵同士の乱戦状態じゃ両手持ち武装が圧倒的に有利だもんな
963 :
名無し三等兵:2012/08/19(日) 11:03:14.45 ID:t7U7z1q0
明治以前の日本に鎖帷子はありましたか?
もしあったなら、江戸時代に侍が着流しの下にこっそり装備すれば
刀の斬撃による致命傷を回避できませんかね?
なんか卑怯ですけど
許可なく着たらしょっ引かれる。
>>963 あった
新選組が殴りこみの時に着込んで行ったり
忍者装束ではお約束だったり(こっちは創作だろうけど)
ただ、日常でわざわざあんな重たいもの着込んで出歩く馬鹿はそうは居ないだろう
鎖帷子をこっそり装備するのは無理だろ
ジャラジャラいって五月蠅いし
鎧が発達すると重い武器でないと制圧が難しくなってくるんだろうな
>>965 江戸時代じゃないが、
宇喜多直家の弟が直家と合う時は下に鎖帷子を着て行ってたとか
ニュー速系の奴でよく刀剣のうち両刃のモンのほうが片刃のモンより強いって言うやつ多いけど
じっさいの使い勝手に差は?
片側の刃が潰れてももう片側残ってるのは戦場での一般兵用量産武器としては実用的なんじゃないか?
当たり前だろ、少なくとも一発の威力は大きくなるよ。
それと両手持ちの武器は、制御し易いという利点もある。
日本の刀もそうだが、西洋剣術でも両手持ちの長剣は、カウンター狙いで、一瞬の勝負になる。
YouTubeで色々と探してみると面白いよ。
余談だが、ある程度の使い手の武器ってのは、けっこう侮れないものがある。
名古屋の貫流槍術は、槍で行うフェンシングだし、欧米人のロングボウ使いも、秒間一発以上の速度で速射してた。
用途と適正
使う地域の風土によって条件も違うので何とも
単純に○○より△△のが強い! ってのはどうかと
道具なんてそれぞれ適した用途に合わせて使うもんだし
両刃だと反りなしの直刀しか使えん
そうなると単純に比較できないだろ
>>969 大抵の場合は片刃
薄くしなくて良い部分が広く取れるので強度面で有利
曲刀のような切味狙いのものも作れる
安全な側があるというのは扱いやすい
刃が多少潰れたって戦闘中に困ることは殆ど無い
両刃は一定以上の技量があって裏刃を活用できるならアリ
また片手じゃ振り回しにくいので
刺突メインなら両刃、振り下ろしメインなら片刃が有用
結局は使い方だろう
日本にはいいとこ取りを狙った鋒両刃造というものがあってな
騎馬民族の刀は三日月のように反りがあって片手で持って振り回すようだな
もう片方の手で手綱を持たないといけないし
日本のは何故か両手持ちだけど・・
978 :
名無し三等兵:2012/08/19(日) 13:07:19.13 ID:/85QGv0g
別に剣に刃なんかいらないだろ。スパイク剣・スパイク銃剣の方が刃こぼれもしないし、
刃を研ぐ必要もなくて便利。刃なんかなくても敵には刺さる。
三角形とか十字形なら強度も十分。
>>977 日本では騎乗でも徒歩でも強い形としてあれが選ばれた
片手剣にすると馬下りたときに弱くなってしまうから
>>978 そんな君に金砕棒
剛の者が使うと敵無しだった武器だよ
981 :
名無し三等兵:2012/08/19(日) 13:27:32.20 ID:/85QGv0g
そういう相手に対しては華麗なフットワークとフェイントで対抗するのさ。
スペインの闘牛士が雄牛をあしらう要領だ。
闘牛士のように片手にマントを持って金砕棒をグルグル巻きにして動きを封じる手もある。
でも突きは一人で多人数相手だったり足場がぬかるんでたりすると不利じゃないかい
ヨーロッパにも騎兵用バルディッシュみたいな両手持ち武器はあったよ
騎兵は弓兵との交戦距離に滞在する時間が短い(又は短くできる)から
歩兵と同じく盾が廃れていくので武器の両手持ちの下地はできていたかも
でもどちらかというと馬に対する攻撃を避けるために横方向のリーチを
求めた結果の気もする
ゲームの話で恐縮だけど、Mount&Bladeっていうゲームで片手剣で馬上から
歩兵を切りつけるにはぶつかるつもりで近づかないと届かないからさ、
相手が長柄を持っていると先に馬に攻撃が当たるので
984 :
名無し三等兵:2012/08/19(日) 15:04:13.49 ID:/85QGv0g
一人で多人数を相手にするのは確かに不利である。
そこで必要になるのがダルタニヤンや三銃士の精神、one for all, all for oneの精神である。
フランス語で桶
986 :
名無し三等兵:2012/08/19(日) 15:45:47.81 ID:/85QGv0g
un pour tout,tout pour un!のエスプリざます。
飛び道具>長い両手武器>短い片手武器+盾>飛び道具>短い両手武器
一般論として上記のような認識なんだけど、どうなんでしょ?
長い両手武器を持つと接近戦では有利だけど鎧が厚くない限り飛び道具に対して不利。
盾を持つと矢や投石を防ぎやすくなるけど、片手では短い武器しか使えない。
両手で使うのに短い武器はどうやっても不利。
>>956 日本では大鎧の袖が盾そのものとして使われてる。
馬上太刀も右手に太刀を持って片手で使いつつ、左側の袖で防御するため、相手を左側に見て戦ったらしい。そのために太刀が長尺化したとか。
正直盾ってそんなに使い勝手良いもんでもない
盾は腕で使うには重くてそのくせ脆い
ヨーヨーみたいにして使えばいいんだよ
バコーンバコーンて
どこのキャプテンアメリカだよ
最強武士はこの俺
両手持ち武器を扱うのに邪魔にならず、全身を覆い隠せるほど巨大で、500g以下で、自分の視界を遮らず
刀剣や矢が刺さらず、斧や強打撃を受けても割れずに衝撃を吸収出来たなら、盾はきっと流行った
ポリカーボネイトでも無いとなw
飛び道具から身を守るために、地面において使う盾はかなり後まで使われてたけどな
ぶっちゃけ日本の城なんて、『城』とは名ばかりの、切岸の上に柵を並べただけの砦が多い。
それで困るか? と言えば、必要なら垣盾を並べて、臨時の壁にするから問題ない。
そもそも砦の意義も、そこに立てこもるためと言うより、地形を利用して有利な状態で敵を迎撃するため。
だから切岸の高さは、そこから堀の底に落ちた敵を、長槍で突ける程度しかなかった。
逆に言えば、立てこもる為の本格的な城は、切岸に石垣を並べるし、柵ではなく漆喰の土壁になったりする。
鉄砲が発達してくると、柵と垣盾だけじゃどうにもならないしね。
だから関東以北では、戦国末期まで、結構な数の『土の城』が残っていた。
それを極限まで洗練させたのが、武田氏であり北条氏で、丸馬出しなどに特徴が見られる。
日本の城は基本的に有利な地点の戦術拠点であって
欧州や中国の城市みたいに絶対堅持じゃないもんなあ
オワリ
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。