【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る12
1 :
名無し三等兵 :
2012/07/06(金) 16:27:05.45 ID:???
2 :
名無し三等兵 :2012/07/06(金) 16:31:24.75 ID:???
3 :
名無し三等兵 :2012/07/06(金) 16:34:21.68 ID:???
スレ自体とは直接関係ないが 1レス目が31行まで行ったから次のスレ立てる人は過去スレを2に移動した方がいいね じゃあ、前スレ使い終わったら、以下何事もなかったように開始
4 :
名無し三等兵 :2012/07/06(金) 16:37:50.01 ID:???
5 :
名無し三等兵 :2012/07/06(金) 17:24:50.82 ID:???
このスレ続くな 初代から参加してるが 佐山さんの著書内容にまで影響与える圧力団体スレだ 荒れることもあるが概ね良質 糖質100%オフでいきますかい
6 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 02:22:11.09 ID:???
前スレ終了
7 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 05:22:22.29 ID:???
そろそろ夏季休暇防備計画を練ったほうがいいかもしれんな 水際防御か、内陸複郭陣地で持久か 砲の配置をどうするか 弾薬基数と備蓄場所の分散とか、射表区画作製やら
8 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 08:59:17.70 ID:XCf5iZ1y
速射砲って言う言い方は、日本だけ?
9 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 09:03:37.35 ID:???
英吉利のQF
10 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 13:10:34.21 ID:???
11 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 13:17:04.65 ID:???
このスレの熟練教官殿おしえてください 台児荘戦での支那軍はラ式15榴を使いましたが、何門ほど投入したんでしょう? 日本軍側記述にはそこまで載ってないので・・・
12 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 15:14:00.61 ID:???
13 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 15:23:00.50 ID:???
台児荘戦は根本的に戦力差あり過ぎだけど あれで国軍を殲滅出来ないっちゅうのもどうなんだろうか?
14 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 15:35:43.47 ID:???
包囲される前に撤退した日本の前線指揮官の好判断ってところじゃないでしょうか? 一発撃てば逃げ出してた中国軍が粘り強く戦う(こともある)ようになった分水嶺のような。
15 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 16:55:23.38 ID:???
>>14 国府軍に関しては逆じゃないか?
上海戦からこの直後の徐州戦までは手強いが
徐州戦まででほぼ精鋭部隊はガタガタ
この後は確か40年冬に冬季攻勢を掛けて一定の成果は出すも
未だに時期尚早として結局45年まで長らく戦力の回復期かと
中共は中共で百団大戦とその後の国軍の反撃で
せっかく付いたと思った正規戦遂行能力がまた低迷するしね
16 :
暫編第一軍 :2012/07/07(土) 17:36:06.35 ID:???
>>11 当時ラ式15榴を装備していた砲兵第10団の残存火砲は10門。
内、1個連(2門)を除く主力が台児荘戦に投入されたとのことですから差し引き8門。
元々24門を装備していた筈ですからこの時点までに14門を失っていたことになります。
遅れて輸入されたsFH18は砲兵第14団が装備していますが当時未だ訓練中で前線には出ていないとのことです。
「抗戦時期陸軍武器装備 野戦砲兵篇」より
17 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 17:50:13.59 ID:???
>>10 乙
左うえのやつ、やたら方向、附仰ハンドルがでかいな
廻す力はすくなくてすむだろうが
18 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 19:47:20.27 ID:???
leFH18も国府軍がつかってる写真があるんだが 日本軍は鹵獲使用しなかったのかな 九一式十榴にくらべると射程は同等、重くて日本軍好みでなさそうな砲だが 信頼性は折り紙つきなんだよなぁ ソ連のM38 122mmと撃ちあって、射程不足は目立ったが
19 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 20:17:52.12 ID:???
>>18 でも補修部品のアテがなく、駐退機の油も違うから
日本でドイツと同等の信頼性が担保できるとも言いがたいかと
20 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 20:29:42.21 ID:???
以前のスレで日本軍が大陸で鹵獲十加使ってたってのがあったが、正体はなんなんだろうな ソ連の107mm、シュコダ100mmあたりなのか、はたまた一次大戦のドイツK17 10cm が候補だろうか
21 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 21:50:26.67 ID:???
>>16 おぉありがとうございます!!
台児荘戦当時はラ式15榴8門ですか。
日本軍瀬谷支隊の重砲は、野重2の半分(第1大隊。定数通りなら四年式12門)
と支那駐屯砲兵連隊第3大隊(15榴2中隊。定数通りなら四年式8門)だから、
兵力では大幅に劣っていたが重砲火力では2.5倍あったわけですね。
他にも野山砲が6ヶ中隊あり、それらを含めた砲兵火力では支那軍の
数倍以上でしょう。
兵の士気練度に加えて、この砲兵戦力(+機甲戦力も。戦車軽装甲車3ヶ中隊)
が日本軍の善戦に繋がったんでしょうね。
22 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 23:40:33.43 ID:???
>>20 あれは結局よくわからずにうやむやになったね
>>22 射程を活かした火力の機動だけじゃ追い付かないだろうしね
23 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 23:43:30.29 ID:???
24 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 01:04:52.91 ID:???
24榴
25 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 01:39:50.04 ID:???
>>8 世界的には速射砲(相当)って呼称の由来はもっと昔にさかのぼったり
あと、帝国陸軍は「対戦車砲」って呼称も普通に使ってるのよね
26 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 07:35:36.20 ID:???
>>21 たしかに重砲の数は日本軍が圧倒的に有利なんだけど、
そのあとの武漢作戦で四年式十五榴が射すくめられるわ、九六式が一門オシャカにされたりしてんだよね
アウトレンジのラ式十五榴には、まったく対砲兵戦で歯がたたなかったのが真相
航空機、気球観測や砲兵練度で日本側は性能差を補ったんだろうけど
27 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 08:18:42.45 ID:???
九六式十五糎榴弾砲の砲身をラ式並まで長砲身化すれば射程も延びて 無理か
28 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 09:44:32.92 ID:???
砲架の故障はノモンハンの九二式十加だけでなく、九六式十五榴でもあったらしいからね 日本は牽引車性能で自信なかったもんで、砲の軽量化による坑堪強度の不足と装薬最大チャージの試験が甘かったんだろうね
29 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 09:49:48.95 ID:???
そういやアウトレンジ(1万km以上?)ってやられたってことは、観測ちゃんと出来てたのか国民革命軍
30 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 11:40:00.21 ID:???
国府のラ式装備ときた日にゃあ、支那砲兵最精鋭なんだからそりゃ観測ぐらいできたでしょうよ 日本軍重砲兵連隊の練度には及ばないにせよ
31 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 12:12:50.93 ID:???
しかし
>>16 のごとく、台児荘までに24門中14門を失っていたわけだから、
性能差ではラ式>>四年式だが、練度・観測・射法等において日本側が勝り、
トータルでは日本側やや優勢(もしくは拮抗)だったんじゃないかね
32 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 12:44:40.04 ID:???
射程で届いても、直撃もしくは至近弾でないと意味ないわけだからね …大陸ではシナ服着てカニ眼鏡で着弾観測してる将校たちの写真も残ってるね いいのかなぁ、とは思う。完全に反則だろう 捕虜になったら、即、銃殺されても文句いえないレベル
33 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 12:49:26.09 ID:???
中国の民間人や便衣兵に偽装する小日本軍の新式迷彩服アルよ
34 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 13:02:59.17 ID:???
>>31 損失数が多いからと言って、砲兵戦で撃破されたとは限るまい。
撤退時に捨ててくような形で失うのが多いんでは。
35 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 13:07:22.40 ID:???
丸天帽っていうの?やつらの中華ドーム型の鍔なし帽子被って 日焼けして険しい顔した厳めしい砲兵将校が眼鏡覗いてるんだよ、もうバレバレw 辮髪のお下げでも糊つけしてりゃ、すこしはマシかもしれんが
36 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 16:41:37.59 ID:???
>>31 偵察機や気球で観測してる日本軍は連中の砲兵布陣状況なんて丸わかりなわけでしょ?
おそらく夜間で歩兵の迂回移動なんかで、早朝にワッと銃剣突撃なんか仕掛けたんでないかな
虚を衝かれた支那砲兵は遁走と
37 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 21:25:48.29 ID:???
>>36 航空も含めた観測体制は日本軍が完全に上だったろうが、少なくとも台児荘
戦当時は支那空軍もかなり活動しており制空権は完全ではなかったから、
それほど自由に観測しまくりとはいかなかっただろう
又それまでの戦闘で喪失したということは上海南京戦と台児荘の前哨戦だが、
共に戦域は狭く、兵力も支那軍圧倒的な状況下で、夜間歩兵の迂回移動なんて
無理だろJK
38 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 21:34:36.77 ID:???
>>37 思い込みと妄想で適当にほざいてる子供にマジツッコミしても無駄
39 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 21:41:16.56 ID:???
いや、だからおれは推測を書いてるだけで… 子供でもないしね もっと、いい推論があれば書き込むのがよろし ソースで確たる証拠を示すのがいちばんいいけどさ
40 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 22:00:44.04 ID:???
32の写真は検閲不許可で載ってた
41 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 22:27:18.16 ID:???
台児荘戦で日本側の慰めとなる点は火砲の総数が相手に比べかなり多め AFVが纏まって存在している点か 航空優勢は確か台児荘戦だと現地では国軍有していたような?
42 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 22:42:28.35 ID:???
流れ遮ってすまん おれ、大陸戦闘のダイジェストとして、戦車マガジン「中国大陸の機械化戦争と兵器」の 大幅改訂版を望むんですよ 2012年の研究成果の水準で いま、古本で読み返してもなかなかの良書だし GP別冊で期待したいですね
43 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 22:48:46.32 ID:???
そういや国軍史上もっとも山砲が集中使用された戦場って何処だろうか?
44 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 22:54:44.72 ID:???
地域面積からいって、密度がいちばん高いのは香港でない? 四一式、九四式、ボ式… 個人的に10cm山砲の戦績がちっとも判明しないのが気になる
45 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 23:06:03.61 ID:???
確かに香港攻略戦にはやたら山砲が投入されているね 九九式山砲は八重山と伊豆諸島に居たんだよね
46 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 23:07:19.53 ID:Chl7HZSk
ボ式山砲ってやっぱり南支での活動が多いの?
47 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 23:09:40.42 ID:???
山砲って基本大隊砲(国軍だと連隊砲もだが)だから、小規模戦闘に少単位で分散運用にどうしてもなるから、集中ってのにまずイメージがそぐわない気分が 兵力を集中すりゃ、そこに結果として山砲も集まるだろうけど
48 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 23:14:26.52 ID:???
結構な師団が山砲師団だから 師団の砲兵連隊の装備が山砲だし 独立山砲連隊、大隊もそれなりにあるよ 大陸打通作戦だと野砲師団も臨時に山砲師団化していたから 集中度だと大陸打通作戦もかなりだろうなあ
49 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 23:35:51.05 ID:???
>>46 海上封鎖と占領があとのほうになったんで、輸入砲が南支に集中したんでないかな?
当然、日本軍の鹵獲も多い地域で
50 :
名無し三等兵 :2012/07/08(日) 23:39:05.60 ID:???
50cm砲
51 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 00:07:33.06 ID:???
>>47 日本軍だと師団砲兵に山砲兵連隊が非常に多いので、だいぶ事情が違うかと。
52 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 08:36:08.65 ID:???
53 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 08:45:25.76 ID:???
ざっと見てみたことがあるけど、野砲兵連隊のほうが山砲兵連隊より少なかったりする
54 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 08:47:23.35 ID:???
そういや香港攻略戦ってなんであんなに野砲の影が薄いんだろうな?
55 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 09:10:58.29 ID:???
相手が香港島、こっちが対岸の陸上からだから、九〇式野砲以外は射程が不足しそう
56 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 12:54:45.25 ID:RVImABEy
日本では十サンチ以上の砲で砲口制退器つけて後座力を弱めて砲架を軽くしたりせんのですか
57 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 15:37:47.88 ID:???
九一式式十榴の原型シュナイダー試製砲はずっと長砲身でマズルブレーキつきだった 九○式野砲でも、「大砲入門」やGP佐山連載の写真みてわかるとおり、 砲口制退器を何種も試製してるように最適化設計はむずかしいらしい 装着すると、命中精度に悪影響するそうなんで、砲弾生産量が欧米列強に二桁劣る日本としては、 それを嫌ったのかもしれないね
58 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 15:39:49.86 ID:???
九一式10Hが結局砲身短くした理由も機動力重視の軽量化のためだもんな
59 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 15:50:34.44 ID:???
>>46 蘭印でオランダ軍仕様のゴムタイヤつきのを相当数鹵獲した模様
ジャカルタに現存してる個体もかつて日本軍が使用していた
ガ島には香港から転戦のボ式装備独立山砲大隊が投入されたし、ボルネオで獲った
山砲をもちこんだとあるから、おそらくこれもボ式だろう
防衛大の敷地に現存してるのも、ゴムタイヤで転輪が当時オリジナルと思われるから、
おそらくオランダ軍仕様なのだろう、原型砲はスポーク転輪
60 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 16:19:09.14 ID:???
以前、書き込みしたんだけど ポルトガル軍事博物館に九六式十五榴はいまも現存してるのであろうか? 以前の写真だと、転輪がオリジナルでない以外は防盾も完備して欠品はほとんどなさそう かなり程度がよかったんだが
61 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 21:23:34.59 ID:???
>>56 アジ歴にある若手士官の宿題的な論文じゃ、ほんとうに必高初速砲には抗胆力不足だし
制退機そのものや後方への爆風対策でかえって重くなるであろうとのこと
62 :
名無し三等兵 :2012/07/09(月) 21:37:24.05 ID:???
ドイツ軍がW号F2型のシングルバッファーからダブルに改良して、現代もあの 形状のダブルが多いこと考えるとおそらくベストのかたちなんだろうね 米軍もM4やM18ヘルキャットでPAK40とKwK40のフルコピーのマズルブレーキ採用 してるし 九○式制式採用の時期には、あの形状では性能的に未熟だったのであろうね あえて装着するメリットはそれほどなかったと
63 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 00:26:19.22 ID:???
64 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 05:48:52.43 ID:???
>>62 その論文じゃ
・初速800mほどの高初速じゃぶっ壊れる
・90式野砲程度の初速でギリギリ
・10センチ加濃でも実験したけど微妙
・野砲以下の初速砲だと遅くなるほど効率が悪く短砲身だと後方爆風が危険
・砲身地震にもダメージがかかるし後方爆風対策でかえって重くなる。
と多分こんなまとめ。まあ技術的に未熟だったようだけど、お手本なしにそこから先に進めなかったの
が当時の日本だなあって感じ。ただ90式使った車載砲で鼻血だなんだと問題になったのは
90式のマズルブレーキが「細いスリットから」「後方に」「鋭く吹き出す」形式のせいじゃないかと思ったり
あくまで見た目からの想像だけど。
65 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 05:53:06.08 ID:???
支那事変だと39年と40年の冬に国府側の攻勢があったみたいだけど 国軍側が砲兵の猛射で凌いだ局面はあったのだろうか?
66 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 06:29:22.46 ID:???
>>64 「大砲入門」でも各種マズルブレーキの図版載ってるんだけど、ソ連152mm
加農榴弾砲タイプや胡椒ビンタイプやら
ドイツ軍ダブル形状が載ってないことからして旧式考案特許のやつばかりばかり
らしい。添付してる年代数字も旧いし
現代の火砲じゃ、ほとんどみない形式だらけなんだよね
67 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 06:32:55.85 ID:???
>>64 戦車砲も自走砲用もマズルブレーキとっぱらってあるから別の問題だよ
68 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 08:04:13.57 ID:???
マズルブレーキ外して補強砲口リングつけたのは一式自走砲 三式中戦車、三式自走砲にはマズルブレーキがついてるよ マズルなしの一式砲でも、砲手が鼻血だす問題がたしかにあったね
69 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 14:57:37.04 ID:???
三式中戦車にはマズルブレーキなしの車両もあった 試作車だったかな
70 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 16:00:47.23 ID:???
尖閣諸島を東京都、政府が買い取るとか、竹島でも 結構、日本も中国、韓国の無茶無体ぶりにを観察してて領土問題に本腰いれてきたんだが… ロシアと北方領土交渉を継続するのは、もちろん 占守島の九六式加農は取り戻すべきだよな おれは右翼ではないけど、あの砲は日本独立自衛のシンボルと思うから
71 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 17:23:37.65 ID:???
別に九〇式野砲でなくとも火砲からの距離配置次第で発射ガスで鼻血出るよね?
72 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 17:33:05.69 ID:???
高圧で燃焼有毒ガスが吹き付けられるわけだからね 砲兵特有の難聴、耳鳴りといい、あまり健康にいい職種ではないな 発砲衝撃なんかも、ぜってー生体にはいい影響あたえないと思われ
73 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 21:23:55.68 ID:???
いざ戦争になれば生き残る確率が高い職種でもあるけどな。歩兵や機甲部隊 は勝っても負けても損害率がすさまじい。砲は勝ってるときはもちろん負けてる ときでも、前線の歩兵達よりは少ない
74 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 21:43:17.51 ID:???
だよな 健康に悪くても歩兵のように死ぬよりましだw
75 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 21:48:16.32 ID:???
ストレスが多いと実証されております、 テキとの一次的接触は控えましょう
76 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 23:29:48.35 ID:???
広州に突入した時に野砲兵が上手い具合に支援したとか聞いた事あるなあ
77 :
名無し三等兵 :2012/07/10(火) 23:51:59.21 ID:OknTCr02
七糎七
78 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 15:40:56.57 ID:???
ボフォースの砲身の口径変えられる奴とボ式山砲は別だよね?
79 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 16:00:38.21 ID:???
75mmと47mmの二重砲身みたいなやつだね タイ軍が使ってる写真があるね。前スレ、防衛省の資料、支那事変鹵獲砲写真帳にも載ってたような… ボ式山砲はM1934で別物だね
80 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 17:41:14.13 ID:???
80cm
81 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 19:49:26.73 ID:???
ボ式山砲も九九式山砲もけして駄砲ではないんだけど、日本軍の用兵ドクトリン には頗るあわなかったみたいなんだよね 国産山砲に比較して兵隊の不満は半端ない シュナイダー105mmなんて、もともと軽榴弾砲だからね 山砲運用はハナから無理があったろう 地形が急峻な伊豆や八丈島で陣地据付で運用するのが、やはり自然だろうな
82 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 19:58:30.63 ID:???
訂正 伊豆と八重山諸島
83 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 20:38:46.08 ID:???
84 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 20:46:21.63 ID:???
タイ軍装備は魅力的ではある ボフォース10cm加農、15cm榴弾砲、ランズベルク牽引車とか シャム・マウザー小銃… 小規模世帯なだけに、いいとこどりなんだよな 装甲板割れた九五式軽戦車とか隼の評価はどうだったんだろうか、日本製艦艇も
85 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 20:47:38.65 ID:???
75mm高射砲もボフォースだったね
86 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 20:54:30.72 ID:???
タイ国軍は装備は良いのに練度と士気がね・・・
87 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 21:27:43.78 ID:???
>>81 もう少し自動車化、機械化が進んだ部隊でなら山砲として使えたかな?
>>84-86 魅惑のタイ王国軍だな
確かに装備を見ると実に楽しい
88 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 21:30:17.01 ID:???
九九式八糎高射砲
89 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 21:48:16.90 ID:???
タイは二次大戦でうまく立ち回ったとは思う ガチで日本軍とやりあうには、さすがに能力不足と悟ってたわけでしょ? 小競り合いは惹起したけど それで、日本の援助をうまく引き出した点では、アジアでは珍しい独立国の狡猾さと 思うんだよ
90 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 22:20:05.66 ID:???
虹大戦?
91 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 22:28:56.95 ID:???
なんだそりゃ 二次元ネタの話かい?
92 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 22:31:16.29 ID:???
二次元大戦 レディ、セット、GO!
93 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 22:41:34.06 ID:???
地味でほとんど知られてないんだが、日本軍の最後の勝利は仏印ビシー軍の 鎮圧、武装解除だろう 当時では旧式でないよりまし程度のmle1897野砲なんて鹵獲しただろうな ベトナム旅行でサイゴン川に二門あったし
94 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 23:42:39.64 ID:???
明号作戦か カンボジア方面には2Dが侵攻していたな
95 :
名無し三等兵 :2012/07/11(水) 23:52:21.76 ID:???
>>84-87 タイ国軍っていいよなぁ
個人的には軍装があの時代あの地域にしては凄いスマートなところに興味がある
正直、日本の陸海軍より垢抜けてる
96 :
名無し三等兵 :2012/07/12(木) 00:02:39.19 ID:???
九九式十糎山砲って結構好きなんだよなあ 確かに軽いし もう少し国軍に余裕があればねぇ
97 :
名無し三等兵 :2012/07/12(木) 00:16:47.71 ID:???
タイ軍だって日本に協力して中国軍と対戦してたけどね 一進一退だったようだけど その戦闘の様子は、戦史叢書にほんの少しだけ記述されてたような・・・
98 :
名無し三等兵 :2012/07/12(木) 01:52:30.30 ID:???
帝国陸空軍と共同戦線をはって、一式戦「隼」をもってB-29迎撃に活躍してたってのも意外と知られてなかったり タイ軍に隼を売却・軍神部隊64FRが教育、までは知られてても
99 :
名無し三等兵 :2012/07/12(木) 02:00:49.97 ID:???
>>97 雲南方面の一翼を担い
国府軍と衝突していたね
>>98 バンコクは空襲の舞台だもんぬ
タイ軍は何故英軍スタイルの軍服なんだろ? 日本の影響が強かったのに何故日本軍スタイルの軍服じゃないの?
仏エイドリアンヘルメットも被ってるよ
>>100 いや日本の影響を本格的に受けたのは1930年代後半からで
19世紀末から英仏の勢力圏境界線上の国として双方相手に苦しい譲歩を繰り返した来た国だし
特に西と南から圧力を与えていた英からは常時影響を受けていたんだが
タイはビッカース6t戦車を導入してるが 火砲はやたらボフォース製がお好きだったみたいだ 日本の四一式山砲も使用した。なぜかタイの博物館に九七式自動砲がある 供与されたものか?
日本ニュースでタイ軍の閲兵式の映像見てるけど、装軌装甲車にボ式40mm?積んだ自走高射機関砲とか持ってるのよね
>>100 立襟多釦に斜革だから、古い英軍みたいだな
ボフォース社って本当に全世界に販売してたんだな まぁ代理店経由だろうけどさ 北欧や西欧小国はもちろんのことアジアの小国タイにまで販売してたんだから・・・
新参者なのに良く売れたなあ、 て思ったけど、後ろにドイツが いる事は分かってたのかな
無断コピーにはしるぐらいなら、ライセンス買っとけばよかったね
何の?
40mm機関砲と75mm高射砲
40mmなんて…彌式がすでにあるだろ。 75mmなら軽量なものを採用してるし …て昔の話を蒸し返してるの?
彌式は使いものにならなかったろ。大口径で威力と射程の長い機関砲よこせと 陸でも海でも戦闘詳報に書かれてるし、実際鹵獲したボフォース40mmをコピーして生産してるわけだ
やっておいたほうがよかったとは思うぞ 結果論でしかないが
>彌式は使いものにならなかったろ。 ビッカースと懇意だったから当時は間違いともいえないし >実際鹵獲したボフォース40mmをコピーして生産してるわけだ 駆潜艇用の、潜水艦にも使える奴のことか?
日本軍もボ式75o高射砲をライセンス生産してればなぁ いつまでも88式なんかポンコツ使わずにすんだと言うのに・・・ 88式も兵士の訓練のおかげでそれなりの戦果を出せたんだから、ボ式だったら相当な戦果出せたでしょ
232 : 名無し三等兵 : 2012/01/07(土) 17:46:33.13 ID:??? 世界各国がラインメタルやボフォースの40mm級機関砲導入に積極的だったのに くらべ、日本陸海軍の認識は甘く遅れてたのは事実だろう …またループかな
>>114 228 : 名無し三等兵 : 2012/01/07(土) 17:18:48.54 ID:???
>>225 いや、だから鹵獲砲をおおっぴらに使ってる負い目で当然スウェーデン側の
心証わるしもあるんだが、いまとなっては後知恵だが、関係修復しとけば
わざわざ大戦も終盤になってボフォース40mm機関砲、高射砲口径的には
むしろ旧式な1929年式75mm砲を遅い時期にコピーする愚は避けられたかな?
と思うわけよ
?
やっぱりか…
88式後継は素敵にラジカルなの開発してて それがどうにも上手くいかないとなって 仕方がないから、こんなんでも無いよりはマシと鹵獲ボ式をコピったわけでな 最初からライセンスしてればってのは後知恵でしかない
>>113 導入したまでは間違いではないが、実際には不具合が多発して開戦前には撤去したんだから
その代わりを用意せず放置したのは間違いだろ。
>>119 >その代わりを用意せず放置したのは間違いだろ。
なんで?
実のところ、アメリカでも40mmの短射程に文句が出てたようで、
結局戦後早々に75mmを巡洋艦などに載せてるが。
>>120 それ3in砲弾にVT信管乗せられるようになった後の話だから。戦時中にはアメリカでもVTが
乗せられたのは5inまでだし、3inVT砲弾がなかった戦時中は復元力が低下することを承知で
重い40mmを増設してる
>>121 >それ3in砲弾にVT信管乗せられるようになった後の話だから。戦時中にはアメリカでもVTが
>乗せられたのは5inまでだし、3inVT砲弾がなかった戦時中は復元力が低下することを承知で
>重い40mmを増設してる
射程や威力に満足してたの?
結局、20mmも山のように載せていたのは事実で、
日本ではそんな贅沢できないと思うが。
>>122 不満はもちろんあったけど、40mmよりいいVT信管つき3in砲弾はその時点ではない。
戦績でいえば、アメリカ艦隊防空戦闘で、対空砲の成績では、日本機の50%が40mmで落ちてる。
おいおい日本だって使い物にならなかったけど、彌式乗せたろうが。貧乏だからは言い訳にもならん
>>123 >不満はもちろんあったけど、40mmよりいいVT信管つき3in砲弾はその時点ではない。
>戦績でいえば、アメリカ艦隊防空戦闘で、対空砲の成績では、日本機の50%が40mmで落ちてる。
28mmがちゃんと機能してたら?
20mmが威力不足だってのはアメリカも認識していて、それ以上の口径の28mmが
アメリカじゃ不具合でまくりだから40mmのコピーに走った(実際最初はアメもw)てのが
あちらの事情だが。
失敗した機銃のストップギャップだってのは、今年はじめのスレにも出てただろw
>おいおい日本だって使い物にならなかったけど、彌式乗せたろうが。貧乏だからは言い訳にもならん
それと20mm無いし13mmを併用して使えと?彌式の代替をボフォースだけでするの?
そのばあい、貧乏ってのが問題になってくると思うよw
しかしなぜ陸軍はラ式があるのにボ式をコピーしたんだろうか それほど陸軍にとって優秀だったということなのだろうか
>>125 ラ式の生産が進まず、海軍がボ式やるそうだから一緒にするべとなったような
仮にラ式の量産が順調だったら陸軍はボ式やらなかったろうし
海軍もラ式を陸軍からもらってくるとか弾薬だけでも共通化するとかがあったかも
>>124 アメリカが第二次大戦前に、近距離と中距離の防空につかってたのは12.7mmと28mm機関砲で
それでは発達した航空機の脅威には対抗できないというので、12.7mmの代わりにエリコン20mm
を28mm機関砲の代わりに40mm機関砲をというのが流れだけど。28mmが不具合だからとか
20mmでは威力不足とかなんのこと言ってるの?、
エリコン20mmあるけどな。ま、そこまでいえば後知恵すぎるが。
>>123 そりゃVTを勢子にしたハンターキラー的組立の防空コンプレックスだから当然
撃墜役として配置されてたのが40mmだから撃墜結果の多くを40mmが占めただけ
>>127 28mmと故障は有名な話だが・・・
ネイバルウエポンでもボロクソ評価だったと記してるぐらいだ
戦争終盤でわざわざボ式コピーしようとしてること考えると 製造がラ式よりボ式機関砲のほうが、難易度低かったのかな? 「知られざる日本の兵器」「要塞砲」のラ式/一式記述は重複してるんだが、 生産状況が隘路だらけなんだよね 下請け会社の部品納入がてんでおっついてないんだ
アメちゃんの話になっちゃうが、28mm(1.1インチ)なんて中途半端なサイズ、何に由来しているのだろう?
親指の太さとか? インチが度量均だと違和感はなかったと思う 米工業製造でメートル表示に変更したのが1980年代のクライスラーM1戦車 のころで生産現場では混乱と製造歩留まりのわるさが問題になった いちど定着した単位は途中で変更しても、旧来の意識や慣習を払拭するのが 至難の技なんだよ おれは建設業だけど、いまだ脚立は尺だし電気のパイプはインチだぞ 設備の配管ねじ切り旋盤もインチでロック位置を変えるようになってる
内径20mmのパイプを6分と呼んだりするしね
国産の一式高射機関砲は完成品でも、不具合でまくり 整備調整に苦労しまくってる様子が佐山記述である 大口径の自動火器なんて当時の日本でもっとも製造が不得手だった分野のはず 発条(バネ)がラ式やボ式現設計同寸法で所定の性能がでない 冶金技術はもちろん精密加工でも列強一流メーカーに劣るんで 撃ってて、振動でまくりで命中精度はだめ、振動に各部品強度が足りず自壊、 弾はジャムりまくりでないか?
>>117 115、116はおれが正月にたしかに書いたよ
だけど、114とは別人だ
佐山さんの新刊は「野砲 山砲」でした。
まぁ戦闘詳報では欲しい欲しい言ってるけど 当の海軍は8cm高角砲の軽量な後釜扱いって辺りに見切りを感じる>40mmボフォース
>>137 それはインサイダー情報ですかね?
ちょっとググってみつからなかった
GPバックナンバー買ってたけど、新刊割引で五冊で一マソとか…
息切れしてるんで嬉しいですぅ
できれば文庫よりGP別冊でほしいというのは贅沢かな
尼でもう予約受付中だよ
>>139 今月31日発売予定だよ
待望の野山砲本だなぁ
それは九九式軽機のレブリカだよ 自分もその映画の考証に関わっていたのでよく覚えてるよ
てことは、たぶん「野戦重砲」で加農と榴弾砲を纏めるのかな
137ですけど、東京では既に平積みで売ってましたよ。
ゲー!! おれ、きのう都内で仕事して帰りに神保町寄って古本屋しか覗かなかったんだよ〜 いもやで天丼くって
>>143 99式軽機のマガジンと全然違うように見えるんですよ
四角いし、大きいでしょ?だから機関砲だと思ったんですが該当する武器は
見当たらない 自分にはどうしても99式軽機には見えません
もう一番槍がでたか… 前回「機関砲 続要塞砲」とおなじく連休まえのフライング・プレセールだよな 売ってた書店をおしえてくださいな。おおっぴらにすると本屋としてまずいの かもしれないから伏字で
軍事に強い大型書店でわかります? 秋葉原、神保町に店舗があります。
>>125 他の人も言ってる様に小倉で生産するつもりだったラ式37mmが下請け企業の能力不足で
量産化に失敗したのでその変わりみたいな雰囲気が強い
海軍は海軍で小艦艇向きに旧式の8サンチだけだと……みたいな気持ちがあったから
載せられた艦艇のラインナップが全てを物語っているかと
>>148 ラノベと違って別に協定日ガチガチとかでもないんでね?
それに連休前だし解禁自体大丈夫なのかも
最近やたら煩いラノベも公式発売日前が協定日な事もあるし
あと残るは「野戦重砲」?
それこそ三八式十二榴で一冊つくれるくらいの一次資料が発見されたりな 佐山さんがいよいよネタに困ったら「鹵獲砲」とかいいんでない? 制式兵器なのに七糎七野砲、十四年式十榴なんて日本軍での実体が謎の部分が多いわけだし
>>142 動画のリンク間違ってないか?
ただ恐らくあれは九三式十三粍機銃/ホ式十三粍高射機関砲(銃)の単装型の筈
よく見ると操砲してるのが海軍の兵士(肘章を佩用)だから設定は九三式か
>>143 軽機じゃないわー
公開当時はホ式十三粍ってマイナーだったからか(しかも混同されてたし)九八式二十粍ってよく言われてたよね そういや地下陣地の採掘現場で三八式野砲?のセットが片隅に転がってたり、 なによりあの九八式臼砲を描画した点を評価したい 映画ではピンポイントでM4を撃破してたけど、実際はもっと高威力だとか精度はないとかあるけどそこは演出上のご愛嬌として ウィンドトーカーズと並んで火砲ヲタの間では注目
GPのバックナンバーで野砲山砲連載では山砲3だけもっていない 九九式山砲のやつ NF文庫版で加筆訂正があるのか気になる 雑誌でざっと七冊15000円ぶんの内容が千円で買えるんだよ、お買い得だよな 破格値といっていい。内容は学術書レベルだし GPもってるおれとしては複雑な気分…
九九式十糎山砲か
結局実戦での戦果ってどんなもんなんだろうね?
>>157 ウィンドトーカーズはこのスレで定期的に名前が上がるね
サイパン四年式十五榴の砲弾威力による損害が過大に伝説化してるらしく 八九式加農や四五式二十四榴らしいのがでてくるんだよね
神保町の目当ての古本、新刊ゲットしたあとは、いもやグループの店でトンカツ定食や天丼 がおすすめ リーズナブルな料金でつけあわせの大根漬が何気にんまい。大学生の頃からのお気に入り 駿河台に軍装品店もあるしね 喫茶店の老舗も多い 夏休みのブラブラ散策にいいんでないかと思う
ここの住人なら大阪陸軍造兵廠跡と靖国神社遊就館の二大聖地は当然行った事あるよな?
次いで土浦や沖縄
>>159-160 実物の聯隊砲仕様の四一式山砲(実物)や改造三八式野砲?も出てくるんだよね
火砲も凄ければ歩兵火器も凄いし、皇軍の鬼火力映画
それも日本軍側の大道具としてわざわざ重砲を用意したってのは相当
嵐山美術館がいまでもあったらな 若い人に見せてやりたかった… あのコレクションが散逸してしまったのは残念
市谷の自衛隊に九九式山砲って、いまでも現存してるの?
北富士駐屯地と駒門駐屯地にもそれぞれ一門あるようだ 104門という生産数にしては現存数が多い 戦地にあまり持ち出さなかったものと思われ
>>160 おそらく上陸当日の米軍側の死傷数のかなりに黒木大隊が関与しているからね
低く見ても1000人に近い人数を死傷に追い込んでるので
印象も強いんだろうね
>>162 ウィンドトーカーズの国軍はマジ火力の鬼w
>>165 九九式十糎山砲も実際はもう少し作られてた気がするんだよね
伊豆諸島、八重山に加えて本土にも居た筈だし
一応支那方面にも派遣されていたような?
原型シュナイダー鹵獲砲が20門とかあるんでなかろーか?
大抵の陸軍火砲で、昭和十七年十月末以降の数字はおそらく未来永劫不明だろうから もうすこし生産されてた可能性はあるね
とは言えそれ以降これだけは確実に生産されただろうって分はわかるし 地道に資料、史料を見るしかないんだろうな
航空機なんかは一桁単位まで生産数出てるのが大半なのにね やっぱ民営主体で生産会社が分かれてたのと、軍営の造兵廠との違いか 資料の破棄
厄介なのは砲に刻印してる製造番号が昭和十七年六月くらいから連番でなくなるん ことかな 防諜上の理由でね
散逸した資料、史料は本当に惜しい
>>172 戦時体制が一応立ち上がって複数の工場で並行生産されるようになったからじゃね
製造番号帯が工場ごとに割り当てられるから、それで死に番や空白がかなり発生する
じゃんじゃん生産して割り当て番号が埋まって次々に新しい番号帯が割り振られていれば違うんだけどねorz
いや、山砲と大口径高射砲は民間で生産してるんだが、 一般の重砲は大阪造兵廠関連以外で生産してる記録はいまのところ未聞なんだ 南満州がクサイとはおれは思ってるけど
陸戦スレで以前の頭のおかしい糖質が暴れてて参ったよ
なんかネタ、提供してみて? 糖質って言葉以外でさw
万力の話でもしよっか
統計の話とか、出てくるの? 自分の「体験」談とか、じゃなくてさw
相変わらずか…w
アホ基地外は放置の方向で
そういう方向で… 糖質とか、万力の話を始めたりとかねw
うわーやっぱキモイわー 相手するのやめよ
火砲の話をすれば良いのに …自分の体験談とかじゃなくてさw
体験談ってなんの話してんだよ
これこれ、構うな こっちに居つかせるんでないよ 住民票は陸戦だからな
>>175 山砲は予想以上に生産実数多そうで驚いたな
おまけに民間の関与具合も予想以上だた
高射砲は高射砲で八八式、九九式共に結構作ってるよね
南満州は間違いなく四年式15Hは量産してるからね
記録は残ってないんだけど、外堀埋めてくとその結論が自然なんだよね
奉天兵工廠接収前に大阪砲兵工廠が製造図面下附して奉天軍むけに生産してたらしいから 満州占領後に引き続き日本軍が増産させたと考えるのが妥当だろうね
ちなみに学研のなんかのムックで奉天にて量産中のチハって写真が 多分だが中共のチハが長らく活躍したのは部品ゲトしてたからだろ
四年式十五榴って大阪でも17年10月以降生産分があるんだよね 隠れ生産分多いよね
一貫生産はできなかったみたいだけどね>南満州造兵廠 戦車も砲も 砲身素材なんかは、やはり日本から運んだっぽい
どの程度内製化していたのか気になるよね
砲架の側板部分が納期に間に合わないから、半製品を内地から送って もらう旨の要請書がアジ歴にあるんだよな。前スレの 軍縮期に泰平組合ルートで輸出した砲と奉天兵工廠製の四年式、ともに鹵獲 して損傷部の補修などは接収後の南満州造兵廠で実施したはず
四年式十五榴は昭和十七年十月末までで、414門は最低限生産されたことが判明してる 以前は280門とかいわれていたが、おおきな研究成果だと思う 鹵獲砲ぶんと、南満州造兵廠生産の数字がすこしでも解明されれば、 さらに数字は上乗せされるね 十七年十月以降の生産実績も
>>164 殉職隊員慰霊碑の裏の大砲のことなら、まだ有るよ。
大戦後期には少なくない師団砲兵が四年式を装備して火力をあげかつ大活躍してるから凄い見直した
九六式も従来言われていたより生産されてるし ある程度構想通り師団砲兵に回せたんだろうね
日本の馬格で4tの九六式十五榴牽引はキツかったろうからね 生産能力で九八式6t牽引車を重砲兵連隊以外に充当するのは、難しかっただろうし 分割搬送の煩わしさはあっても、ディスコンで放列重量2.6四年式を歩兵の 師団砲兵に配備するのは理にかなってる 射程は短くとも、砲弾威力は九六式とかわらんわけだから
おれ、ガキの時分の大昔に歯医者の待合室で読んだ沖縄戦本に 首里近郊に放棄してある四年式十五榴、三門だったかな… あの写真、てんでいまの媒体で見ないんだが だれか心当たりあればupしてください
そういや四年式十五糎榴弾砲が師団砲兵に回されたのは知ってるけど 沖縄以外だとどこで師団砲兵として活躍したの?
>>204 「ルソンの砲弾」という文庫であるので読んでみてください
八師団の師団砲兵、四年式十五榴中隊長だった人の手記だね
おもしろいんだけど、記述がアルツのためか???の部分が多々あるので
クロスチェックを勧めますよ
ああルソンですか 支那とかビルマとかには四年式十五糎榴弾砲は師団砲兵としては投入されなかったのでしょうか?
前スレで重砲兵連隊の装備内容を詳しく書いてくれた人がいたな… おれも師団砲兵装備の四年式の全貌は知りたいな あのお方、ぜひ召喚願います
木俣さんの記事で最初に師団砲兵で配備されたのは二四師団だった、とあるけど 同時期にいくつかの師団でも実現してるんでなかったかな?
少なくとも数個師団は改編された筈なんですよね
210 :
名無し三等兵 :2012/07/17(火) 01:12:35.31 ID:Z6N4/HHO
支那戦線には師団砲兵に四年式15Hを装備した師団いただろ 確か
前に話題になった時にも書いたけど、レイテに行った第1師団も4年式15榴持ってるね。 関特演でもらった在満師団が結構あったような気がする。 朝鮮の第19師団は、山砲兵だけど一時は第4大隊を4年式15榴で編成してた。 あと対ソ戦前の根こそぎ動員師団でも、寄せ集めた中に混じってる例があったような(38式かも)。
ああ在満師団の内優良師団はかなりが師団砲兵に四年式15Hを貰っているのか
野砲兵部隊ではなく山砲兵部隊にも隷下大隊に四年式十五糎榴弾砲を組み入れた部隊があるよね
214 :
名無し三等兵 :2012/07/17(火) 17:09:58.45 ID:stsXNE0s
しかし上積みされた生産数含めてもかなりアクロバティックに軍内で 上手く保有砲を回している印象がw
野戦重砲を他国の重砲部隊並に引き回して使ってるよね日本…
マレー・シンガポール、ビルマ、ガ島と四年式装備部隊を転戦させてる例があるね それだけ期待もされてたんだろうけど
緒戦のビルマ侵攻時の砲兵部隊の活躍ってどんなもんなんだろうか?
九六式十五榴ぶっぱなしてる写真は「日本の戦史」に載ってる 詳細はあまり知られていないね。おれも知りたいわ 比島、蘭印の野砲部隊の活躍は小林よしのりがマンガで描いてるけど
ごめん訂正 野砲がビルマの補給路を叩いて、退却の英軍大混乱ってのが戦争論である
あの描写って何処まで本当なんだろw 後、蘭印方面には一応重砲兵大隊も居たんだよね 侵攻時には野戦重砲兵部隊だけだったようだが
蘭印作戦には野戦重砲兵連隊1個と高射砲連隊2個か
そもそもこの当時の国軍の火力発揮の為の指揮統制管制システムってどんなもんだったの? システム的には独軍と大差ねーですとか何度か読んだ事あるけど これは独軍が意外に遅れていたのか、国軍が意外に進んでいたのか? されともある意味どちらも正しい?
山本七平は否定的なこと書いてるね 独軍がタンネンベルクで達成した集中管制射撃を、何十年も経って日本軍は成就の悲願にしていた なんて記述で 光学兵器は日本も結構なレベルだったろうが、通信機器の発展具合は英米独に はるかなる懸隔があるから トーキーの無線技術の差なんて絶望的だろ?
ただ七平さんの場合補給がかなり悪い場所だったかならなあ ある程度準備されて野戦重砲以上がいる場所だと かなり優秀な指揮統制が出来た可能性も なんだかんだで橋頭堡破砕射撃を狙っていた軍隊だぜ?
沖縄は日本軍砲兵の管制射撃能力がフルに発揮できた条件だったろうけどね
基本的に有線でやるんじゃないの?
有線は敵の砲撃で断線するからなぁ。予備線はもちろんパイプで保護して埋設 したりしてるけど 観測機の協調なんかで無線技術がモノいうわけでね 末期の日本軍だと有線頼みだろうね
戦力差を考慮すると軽いとも言えるかも? おまけに米軍側の自己申告でそ?
>>228 指揮所なんかの無線はある程度能力を期待出来んじゃね?
おまけに陸軍はかなり無線の改善に熱心だし
着実改善していたのは間違いないみたいよ
無線は傍受されやすいるからなぁ>ウィンドトーカーズ 薩摩弁とかで話さないと容易に解読されるW ケーブル発見されると有線でも敵に傍受されるけどね
薩摩弁や津軽弁で打電な 受信した友軍も「ハァッ?」とか
そういや島田戦車隊の話が少し前の歴史群像で出てたけど 歩兵の攻撃には現地に投入された野戦重砲を含む砲兵が協調支援したらしい 具体的にはどんなだったんだろうね? 教本上では味方の最終弾に膚接して陣内に突入せよとしているけど
歩戦共同の魚骨戦法なんてのは紹介されてるけどね マレーの手柄はマスコミ上、戦車と銀輪部隊と山下将軍にとられてしまった感が 砲兵もさんざ活躍してるんだが
シンガポール戦で弾薬不足したとかしなかったとか言われる位の弾量を投射したんだっけ?
もう少し24榴は活躍して欲しかった
勝利に興奮してバカスカ後先考えないで撃ってしまう感覚はわからんでもない ここや関連スレも一日100レスいくことあるじゃない? 正月、連休モードで たいてい好ましくない事態だったりするんだけどw
>>236 四五式も九六式も砲弾の詰めがイマイチだったみたい
腔発事故の多さはね
あれって治せなかったのかな?>24榴の砲弾
フィリピン前線の重砲兵連隊から腔発噂が内地にも拡散して、多少砲弾を是正したとしても わるい印象は払拭できなかったものと思われ
241 :
名無し三等兵 :2012/07/17(火) 22:19:07.54 ID:Z6N4/HHO
結局支那戦線にも八九式15Kや28Hは投入されているが 四五式24Kはまともに投入されてないんだよね
>>207 十五糎装備の師団砲兵
●満州(関特演)
野砲兵第1聯隊(第1師団)
野砲兵第8聯隊(第8師団)
野砲兵第10聯隊(第10師団)
野砲兵第13聯隊(第23師団)
※比島派遣に際し野砲兵第17聯隊に改編(九六式から四年式に換装)
野砲兵第42聯隊(第24師団)
●一時装備
山砲兵第25聯隊(第19師団)
※昭和10年12月、十五糎大隊を編成
※昭和12年6月、十五糎大隊は野戦重砲兵第15聯隊として独立
山砲兵第27聯隊(第27師団)
※昭和12年8月、支那駐屯砲兵隊として編成(三八式のち九六式)
※昭和13年2月、支那駐屯砲兵聯隊に改編
※昭和13年6月、山砲兵第27聯隊に改編、第27師団に編合
※ノモンハン事件後、十五糎大隊は野砲兵第13聯隊(第23師団)に転属
>>242 ありがとうごぜえますだ
これでヨメの乳でるってもんでげす
●満州(昭和19年編成)
野砲兵第107聯隊(第107師団)
※阿爾山駐屯砲兵隊と独混第7聯隊砲兵大隊を改編
※野砲12門、山砲9門、十五榴12門
野砲兵第119聯隊(第119師団)
※比島派遣に際し改編された野砲兵第13聯隊(第23師団)の残部と第8国境守備隊砲兵隊で編成
※九〇式野砲3大隊36門、十五榴1大隊12門
●満州(昭和20年編成)
野砲兵第116聯隊(第124師団)
※比島に派遣された野砲兵第8聯隊(第8師団)の残部と国境守備隊砲兵隊等で編成
※四一式山砲4中隊、野砲1中隊、十五榴4中隊:計24門
野砲兵第123聯隊(第123師団)
※比島に派遣された野砲兵第1聯隊(第1師団)の残部で編成、国境守備隊の装備火砲を充当
※野砲・十榴20門、山砲2門、十五榴2門、十加2門、迫撃砲4門
●その他
近衛野砲兵第1聯隊(近衛第1師団)
※近衛野砲兵聯隊補充隊と野戦重砲兵第25聯隊を基幹に編成ので十五榴装備?
>>242 ×十五糎
○十五榴
24Dと27D以外みんなフィリピン行きとかフィリピン戦域パネぇ
後光がさしております…
27Dは結局15榴召し上げられたけど 支那戦線での奮戦は凄いよね 山砲兵も活躍したのかなあ
烈とか何とか色々居るから互角に戦えると 思ってた頃が、自分にもありますた
うん31D?
野砲では支那兵は逃げない、十五榴よこせって話だろ
103D
>>250 いやいや
早々に15榴取り上げられてるやんw
そうや103D砲兵隊の詳細な編成ってよく知らんな…… 七平さんの件で良く聞くのに……
分かってるのって15榴と、75mm自走砲?
三八式十二榴というキワモノ人気砲をわすれているのか?
あんなお嬢様を配備された師団砲兵とかマジ気の毒w
そういや3単位ではなく混成旅団2個纏めた師団の師団砲兵ってかなり編成バラバラなんだっけ?
沖縄戦には九八式臼砲や20cm、40cm噴進砲が投入されている筈だけど 硫黄島戦と違い戦場での話をまるで聞かない 沖縄戦での実際の運用はどんな感じだったのです?
何度も話題にしてるけど帝国陸軍の編制マジ複雑
野砲兵の部隊が山砲も混成装備とか
>>234 ブキテマ高知の戦いはガチだよね
有り合わせの火砲で回さないと駄目だからだろうな
>>242 野砲兵第13連隊は、96式15榴じゃなかったかな?
262 :
261 :2012/07/18(水) 01:16:44.19 ID:???
あ、読み違えたスマヌ。下の方に九六式って書いてあったね。
>>253 ここに情報があるね。なぜか125mmと書いてあるのが三八式十二榴かと。
野砲・迫撃砲・臼砲・自走砲の4個中隊?
臼砲は迫撃砲の翻訳ミスの疑いもあるけど。
>師団砲兵隊は4個中隊編制で、砲数18門。野砲編制。
>うち38式改造野砲4、「12センチ榴弾砲(125mm口径)」1以外は、鹵獲兵器中心で装備。
>「旧式山砲」や沈船から回収した船舶砲兵の野砲(これも38式か)なども保有。
>迫撃砲中隊(第3中隊)、臼砲中隊を保有。
http://yamanekobunko.blog52.fc2.com/blog-entry-121.html
>>259 マレー半島でもガッツリ火力支援したようだ
あんまり印象に残らない風にしか戦記には書かれていないが
マレー、蘭印、ビルマ侵攻戦での国軍砲兵の活動を詳細に記述した書籍が出版されたら
家宝にするレベル
第一軍さん来ないかなあ 南方作戦時の国軍砲兵の活動とか知りたい……
>>257 沖縄に転用された第62師団のように、支那で編成された丙編成の治安師団(歩兵旅団2個=独立歩兵大隊8個または歩兵聯隊3個)には師団砲兵なし
ただし、昭和20年2月に対米充当予定師団については大隊規模(3個中隊)の師団砲兵隊または師団迫撃砲隊が編成されてる
●師団砲兵隊
山砲12門 第60師団,第65師団,第69師団,第117師団,第131師団,第132師団
野砲8門・十榴4門 第61師団
十榴12門 第70師団,第133師団
野砲12門 第118師団
●師団迫撃砲隊
迫撃砲12門 第59師団,第63師団,第115師団
同じ独立大隊を有する旅団を元に編んだ103Dには師団砲兵隊あるんだけどね 同じ計画で誕生した姉妹師団にも確か師団砲兵隊居た筈 後、同じ独立大隊8個師団でもフィリピン同様ちらちらとだけど 他でも師団砲兵隊が居る師団があるみたい
268 :
名無し三等兵 :2012/07/18(水) 03:49:46.77 ID:6WyWzvGU
迫撃砲も生産数の割には色んな場所に投入されてるな 確かブーゲンビルにも投入されていた筈だし
軽迫の代わりに曲射歩兵砲持ってたりしないのかな 海洋編制の部隊みたいに
そもそも曲射歩兵砲も色んな場所に居ていまいち配備の基準がわからん
なんかホイホイ作れるからって 作る先から足りないところに全部充当してった観が……>曲射歩兵砲 歩兵砲代わり、はまあ本来の用途だからいいとして 中迫の穴埋めまでしてるんだから笑えないわ
ソ連の120mm迫と160mm迫があったら国軍は喜んだだろうなあ
そりゃ砲弾込みで余分に貰えたら大喜びするだろうけど それしかないとなったら牽引車必要な迫は煙たがられるんじゃないだうか 実際牽引車必要なのは試作中止されてるし
そういや以前スレで大口径迫撃砲の弾量比較してたけどやっぱりソ連が一番凶悪だったっけ?
12cmのこと? 迫撃砲弾は詳しくしらんが、ソ連M38をコピーしてドイツ工業精度で量産、 照準器も定評ある42年型が最優秀と言われているね ドイツ迫撃砲の跳躍弾なんて、連合軍にはかなりの脅威だったそうだね
いや160mm迫の威力が相当な物だったので
牽引重量が野砲並になる時点で駄目だな
それこそ
>>273 みたいにスターリン給与?とかなら喜ぶだろうけどさ
そういや米の日本陸軍便覧に砲兵連隊の上位に砲兵団(歩兵団相当)を置いた 強化師団編制があるけどあれって構想レベルでは実在したのかなあ 潤沢な独立砲兵と機材があればプチソ連軍的な砲兵運用ができたかもしれん
香港とコレヒドールの砲兵団組織して、砲の集中運用を過大解釈したんだろうけど 連中には、それほど開戦碧頭の日本軍砲兵活用が脅威だったのが確か ずっと、この調子どころか、さらにパワーアップしてればよかったな
そんな国力あるなら戦争してねえよ
贅沢戦争したドイツの例があるけど 鉄も石炭がある、ルーマニアの油田も手にいれた ヨーロッパ占領でチェコ、フランス、ベネルクス諸国の自動車産業と軍需産業も接収した 「共産主義許すまじ」で開戦したんだからな ソ連がルーマニアで対独戦を計画してて脅威があったのも、歴史的事実だけど イデオロギー戦争だったと
>>282 食料足りなくてウクライナの穀倉地帯占領したの知らないの?
戦争経済を謳うヒトラーがソ連領内の穀倉地帯を欲しがったのはたしかだが、 贅沢いわなきゃ占領圏内で自給できただろ? スレ違いだな、すまん
>>284 ある意味国民を贅沢させて政権の存続図るための拡大政策だから
贅沢戦争は言い得て妙
戦争中でも、あと数十キロまで戦線が来てても
鉄道さえしっかりしてるところならドイツ国内に限れば食い物は潤沢にあった
だから暗殺未遂は何度もあったが反ナチ運動は盛り上がらず
抗戦意識はムチャクチャ旺盛だった
もちろん奴隷同然に働いてる被占領地民のお陰ではある
当時の日本人が聞いたら卒倒しそうな話
Lambs to the slaughter>抗戦意識はムチャクチャ旺盛
開戦直前のドイツ人労働者階級はヨーロッパ一の好待遇だったんだよ 1918年一次大戦休戦のち一年間で英仏に経済封鎖され、100万人くらい乳幼児中心に 餓死した国が ヒトラーが政権とって数年でだよ? これはネ申あつかいされるわ 日本もそうだけど、大多数の国民は積極的に戦争協力したんだよ 勝ってるうちは熱狂に酔えるしな
それに戦費で良いか悪いかは別として金が国内に流通する。つまりは金が量や程度の差はあれ 国民全部で動くから景気が良くなった様に感じるしね。 意外と戦争支持するのは何処の国でも貧乏人なんだよなぁ。貧乏人からみれば何かとんでも無い事が 起これば今の生活から抜け出せるように感じるから jヒトラーはヒトラーユーゲントでそれまで、キャンプとかそんな娯楽とは無縁だった労働者の子供にそうい楽しみや スポーツに触れる機会を提供したり、労働者に旅行や低価格で車を買える様な政策をとったから人気はあったでしょ おかげで戦争して他の国占領でもしないと破産寸前だったけど
なんか返せない借金して遊びまくってから心中する家みたいだ・・・
国の経済政策と兵器開発の因果関係をしらべるのは面白いかも 昭和十二年あたりの、世界水準を超えた日本の航空機開発ラッシュは どう説明できるんだろうね
初飛行の日時 F4F 37年9月 隼 38年12月 P38 39年1月 零戦 39年4月 F4U 40年5月 P51 40年5月 世界水準を超えた?
こつこつ積み上げてきた技術がようやく世界並みになったって事では?それでも漸く空冷エンジンだけだけど 零戦に見られるように素材の技術も一部は世界に追いついたって事でしょう。でも国内に機械に対する需要が 民需において少ないから歪な発展の仕方だし、スケールメリットを要求されないからその点でも欧州やアメリカには 劣る。特に民需が無いから積極的な投資も生まれにくいし 液冷エンジンの信頼性の無さと電装品の弱さは如実に表してると思うけど
チート国家とくらべんなや!
>>291 まあまあ、徳田八郎衛さんNF文庫「間に合った兵器」が面白いかと
読んでみてくらさい
歪な発展
歪なら歪なりに、その突出ぶりとギャップを調べるのも面白いかと 「あいつウォシュレット頻繁に使ってるのに、糞クサイのなw」とか ちょっと、違うか?
>>267 >>266 (支那編成)以外で独立歩兵大隊編成の師団
●比島の100・102・103・105
師団砲兵隊あり
●北千島の91
師団砲兵隊2個
●南千島の89
旅団砲兵隊2個、師団砲兵隊なし
●小笠原の109
旅団砲兵隊2個、師団砲兵隊なし
何をもって正常か、考えるのが先かと 大のトイレに扉がとかあと横の壁が 付いてない国なんてのもこの世界には あるんだぜ? …それもふたつ
戦地でもないのに、数人がタンデムでならんで用足す 塹壕トイレってやつは隣国旅行したやつから聞いてますが…
>>297 ありがとうございます。
師団砲兵隊ありは北千島だけで他は旅団砲兵隊なんですか
固有編制ではなく編合だが独立野砲or山砲連隊を組み入れられてる師団もあるから ちょっと不公平だゆねw 後、緒戦に砲兵団を投入したのは米軍に意識されてたんだね
>>279 師団隷下に「砲兵団司令部」を持ってたのは、
●平時編制で隷下に2個以上の砲兵聯隊を持つ内地常設師団(5個)
近衛師団、第2師団、第3師団、第4師団、第19師団
●関特演で動員された在満鮮師団(12個)
第1師団、第8師団、第9師団、第10師団、第11師団、第12師団、第14師団、第20師団、第24師団、第25師団、第28師団、第51師団
※第23師団と第57師団は砲兵団司令部なし
香港、コレヒドール、沖縄に投入された「砲兵司令部」は、軍直轄の砲兵指揮機関で「砲兵団司令部」とは別物
終戦までに12個(第1〜第12)編成されてる
満鮮師団の充実っぷりよ……
マンセー
いちばん師団砲兵で装備よかったのは、やはりノモンハン戦あとテストケースで 九六式十五榴配備された一時期の二三師団かね?
>>302 これ砲兵団が編成内にあったのって内地とか満州とかに居た時だけだよね?
支那事変、大東亜戦争での四一式騎砲の活躍ってどんなもんなんだろうか? 後、結局失敗した四一式騎砲の後継騎砲計画ってどんなんだったの?
>>274 最近の中国製かなんかの戦争映画?
kwsk
弾装以外はいい感じだね九八式高の大道具
軍装や機関砲兵の雰囲気も
>>307 4KA(騎砲兵第4聯隊)の軍人さんだった方を御父様に持つ方から資料を少し頂いた事あるけど
かの老河口の戦いに従軍されてるから使用されたのは確かっぽい
騎砲自体は佐山さんの新刊に載ってるかも?
騎兵第4旅団位しか支那事変以降の使用実績を知らないんだよな>四一式騎砲 でも火砲が足りなさ過ぎる国軍だし 何処かで使っていそうだが
311 :
名無し三等兵 :2012/07/19(木) 13:12:16.76 ID:zNoRRxo0
結局九六式15Hだけでなく四年式15Hも1945年まで生産してたん?
なんか以前考えられていたより大阪砲兵工廠の生産力は上振れしそうな希ガス
野戦重砲の中で十四年式十糎加農の影の薄さは異常 中支位でしか活躍していないからか……
315 :
名無し三等兵 :2012/07/19(木) 20:55:59.36 ID:PbP/bqa/
でも初めて最初から機械化野戦重砲兵たるべく開発されたんだぜw もう少し評価されても良い火砲なのは間違いないw
>>311 GP佐山記事で九六式は昭和十八年度までは年産90門を継続生産したらしい
十九年(度の文字抜けに注)は20門たらず
例によって昭和十七年十月末以降の数字は不明なんだが、
「大砲入門」の昭和二十年火砲調達計画で23門となっている
四年式の数字は例によって…十月末以降の製造門数は不明だね
きょうおもしろそうな本を買った
米軍が怖れた「卑怯な日本軍」
帝国陸軍戦法マニュアルのすべて 一ノ瀬俊也著
前著、皇軍兵士の日常生活がなかなかの出来だったので
じっくり読むとしよう
皇軍兵士の日常生活
>>311 四年式十五榴は昭和二十年度火砲調達計画に載ってないので、
員数外でもないかぎり、終戦までは生産していないものと思われる
>>313-315 本当に64門なのかしら?
これまでの経緯を見るに増えてもおかしくない気がw
とりあえず支那戦線、本土、台湾に保有連隊が存在していたし
増えてもおかしくない気もするんだよね
>>318 確か昭和十九年度には生産してたし
部品を組み上げた可能性はある位でしょうねぇ
廃砲の使用可能な部品あつめて再生とかね
>>307 >>309-310 使用した部隊数を考えると一定数製造されているし
仮に4KB以外の部隊の大半から引き揚げられていても
本土決戦準備や満州での根こそぎ動員で倉庫から引っ張りだされていそうなのにね
弾重量のある十五榴と異って旧式十加って生産続ける意味があんまりない気が ちなみに「野砲 山砲」に騎兵砲の記事はないです
あしたは都心で仕事なんで、おれも帰りに神保町で新刊ゲットするよ
四一式騎砲ってそもそも記事なんかもあんまり見ないよね
>>325 面倒そうな榴霰弾を普通に使ってる時代だし、手作業でも問題無いだろ
>>321 装備した部隊は実質4個の騎兵旅団(第1〜第4)だけでは?
聯隊と言っても実質は中隊か大隊規模だし…
以下、グラパ別冊2009年10月ほかから
●騎砲兵第1聯隊(騎兵第1旅団)
昭和7年6月 旅団騎砲兵中隊を編合(4門)
昭和11年6月 廃止(騎兵集団騎砲兵聯隊第2中隊に改編)
昭和13年6月 旅団騎砲兵聯隊と改称(2個中隊4門)
昭和14年10月 自動車化
昭和14年12月 騎砲兵第1聯隊と改称(2個中隊4門)
昭和17年6月 廃止(旅団は戦車第1師団に改編)
※騎兵第1旅団【騎砲兵第1聯隊】→戦車第1師団【機動砲兵第1聯隊】
●騎砲兵第2聯隊(騎兵第2旅団)
昭和11年5月 騎砲兵聯隊を編合(野戦重砲兵第3旅団所属の騎砲兵大隊を改称)
昭和14年10月 自動車化
昭和14年12月 騎砲兵第2聯隊と改称
昭和16年11月 廃止(人員・装備は満州の騎兵第3旅団へ転用)
※騎兵第2旅団【騎砲兵第2聯隊】→騎兵第3旅団【旅団高射砲隊】
●騎砲兵第3聯隊(騎兵第3旅団) 昭和10年5月 旅団騎砲兵中隊を編合 昭和16年3月 旅団騎砲兵隊と改称 昭和17年9月 騎砲兵第3聯隊と改称 昭和20年1月 廃止(旅団は独立混成第77旅団に改編) ※騎兵第3旅団【騎砲兵第3聯隊】→独立混成第77旅団【旅団砲兵隊】→第135師団【野砲兵第135聯隊】 ※野砲兵第135聯隊は十榴・野砲・騎砲・迫撃砲を装備 ●騎砲兵第4聯隊(騎兵第4旅団) 昭和7年9月 旅団騎砲兵中隊を編合(4門) 昭和11年6月 廃止(騎兵集団騎砲兵聯隊第2中隊に改編) 昭和13年6月 旅団騎砲兵聯隊と改称(2個中隊4門) 昭和13年10月 2個中隊8門編成 昭和14年12月 騎砲兵第4聯隊と改称、機関砲中隊を増設 昭和17年6月 2個中隊4門編成 ●騎兵集団騎砲兵聯隊(騎兵集団) 昭和11年6月 集団騎砲兵聯隊を編合(騎兵第1旅団騎砲兵中隊・騎兵第4旅団騎砲兵中隊を改編)(2個中隊8門) 昭和13年6月 廃止(騎兵第1旅団騎砲兵聯隊・騎兵第4旅団騎砲兵聯隊に改編)
>>327-328 あれ、そんなもんなんですか?
なら殆ど生産していなくて少数が本土か満州で引っ張り出された位?
それなら特に記録にないのもそのせいか……
四一式騎砲はPANZERの松井記事があるよ 部屋に埋もれて何号かはわからない…
>>151 261 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2011/01/03(月) 23:43:23 ID:???
部品の困難さは確かなんだけど、銅金少将の言によると19年ごろに五式四十粍の陸海統合使用という決定にともなって
一式は中止になったんだ。当初から製造予定数が少なくて、それも部品の困難で遅れてるうちに兵本の新方針で終ったんだな。
このスレ情報のおかげで「野砲山砲」を神保町でフライングで買えた パラパラ見の範囲でGP連載とかわらんようだ 七糎七野砲をドイツ式という記述は文庫化のさい、墺式にしたほうがよかったと思う このスレ住民には納得できないんでは 腰巻帯の文句は編集者作なんだろうが、毎度羅列オンパレードで… 「きみもムリヤリだか、担当させられた仕事でたいへんなんだろうが、もっと火砲に愛をもとうよ」な感じ
>>167 NF文庫新刊によると、九九式十糎山砲は昭和十七年十月末で104門製造
米軍戦略爆撃調査団に応じて大阪造兵廠の回答で
昭和十七年度に50門
昭和十八年度に30門製作だそう
GP連載内容とおなじだろうが
木俣さんの九四式山砲記事で「戦史叢書・陸軍軍需動員<2>」 の付表から、生産実績の経緯を抜粋してるので、 本をもってる方がいたら、紹介してほしい 他の砲でも何らかの生産数の概略が掴めるかもしれない
>>333 って事は18年度分の30門と17年11月からの生産分幾つが上乗せか
後は上の人が言うようにオリジナルの鹵獲砲が何門かあったろうしね
そういや以前このスレ昭和19年度と昭和20年度の 火砲生産目標値が投下された気がするけど覚えている人いる?
九四式山砲はよくあんだけ生産したよね 後は九一式榴
おれが知りたいのは、PANZER桑島記事「日本陸軍の火砲」で九五式野砲生産548門って やつなんだよね 佐山さんが掴んでない情報を握ってたのか?と勘繰るのも楽しかったりもするが…
あれはたまたま大阪砲兵工廠の元幹部にでも聞いたんでないかなあ? 全くのガセとは考え難いしね
340mm
>>336 うーん、昭和十九年くらいからいよいよ鋼材生産が逼迫してきたようで
航空機割り当てが最優先、火砲だと高射砲、速射砲、山砲に傾斜生産シフトしてしまう
一般重砲なんて必要不可欠なもんが、削減の筆頭になってしまう悲しい事態で
正確な数値わかったところで昭和十七年十月末以降で判明したとて
バカみたいな増加はないと思うよ
>>336 昭和二十年度の数字なら「大砲入門」P284〜285にリストがあるよ
344 :
暫編第一軍 :2012/07/21(土) 00:10:08.92 ID:???
>>334 九二式歩兵砲500/250/275
九七式曲射歩兵砲?/?/600
九四式三十七粍砲1000/200/0
一式四十七粍砲400/700/700
四十七粍戦車砲?/?/330
九四式山砲190/0/250
四一式山砲?/?/250
野砲110/60/0
十榴230/0/0
十加?/?/0
十二糎迫撃砲?/?/1200
十五榴177/20/0
十五加37/24/0
七高700/700/420
八高100/200/400
十二高?/?/180
※ 同書「昭和十七、十八年度武器整備比較表」「昭和十九年度地上武器弾薬整備基準」より作成。
数字は左よりS17年度実績/S18年度軍需動員計画/S19年度整備基準となっており、つまり一番左の数字以外は計画値ということになるかと思います。
345 :
暫編第一軍 :2012/07/21(土) 00:12:03.67 ID:???
一方同書の別表「自昭和六年至昭和二十年類別主要武器生産数量一覧表」ではまた違う数字が挙げられており 迫撃砲,臼砲848/6297/1160/1474/1684/1103/275 ロケット砲0/0/0/0/0/1820/455 特小口径砲(57mm以下)917/2793/1450/2550/1310/1548/425 小口径砲(88〜75mm)1736/2730/1024/1634/1967/1116/269 中口径砲(155〜105mm)789/1591/859/662/1505/2640/364 大口径砲(200mm以上)131/97/55/50/33/15/0 ※数字は左からS6〜11計/S12〜15計/S16/S17/S18/S19/S20 先のデータで実績が明らかなS17年度に限っては差し引きして推定することは可能かも知れません。
話をぶった切ってわるいけど運用の話なんだが 例えば師団の山砲兵連隊や配属された独立山砲兵連隊が 攻撃時等に協調して全力で砲撃する場合は 山砲36門とかでも移動弾幕射撃なんかはするの?
347 :
暫編第一軍 :2012/07/21(土) 00:50:48.43 ID:???
尚、S19年度の整備基準にはまた違う数字もあり、「動員概史」不二出版によると 九二式歩兵砲100 九七式曲射歩兵砲600 一式機動四十七粍砲400 一式四十粍(四十七粍の誤記?)戦車砲200 四一式山砲120 九四式山砲250 十二糎迫撃砲400 対潜用十二糎迫撃砲400 九○式野砲30 九六式十五榴20 ロケット発射器100
>>334 335
347
ありがとうございます。参考になるな
日本国内の旧軍火砲厨上位100人が集うスレな気がしてきた…
大阪難波近辺の大型書店にて 佐山先生の野砲 山砲入手
俺が厨の上位100入りだと……?(積極的誤読 いや第一総軍氏は間違いなく20人以内に入ってるだろうけど 田舎だから佐山本は尼で注文する 今から連隊砲の図面にわくわくしている初心者でした
年配でネットをまったくやらない古書薀蓄がやたらある仙人みたいな人も 稀にいるんだろうけどね バイク関連で土日はネットしない団塊の人が、直接店にきて質問してくるのがうざい から定休日にしてるってところがあるよ
年配でネットをまったくやらない古書薀蓄がやたらある仙人みたいな人も 稀にいるんだろうけどね バイク関連で土日はネットしない団塊の人が、直接店にきて質問してくるのがうざい から定休日にしてるってところがあるよ
間違えた、連投すまぬ
>>350 内容がエロすぎるんで、家人にしられぬ様ドアに鍵かけて
布団にもぐって懐中電灯かざして灯火管制で読むようにな
なんせ15000円ぶんの内容が千円だぜ?
344の記述よむと、空襲下のドイツで7.5cm PAK40をひと月で1000門以上生産 したこともあるのは、やはり偉業としかいえない… 陸軍偏重のお国柄もあるだろうが、日本のざっと十倍だろう 開戦前にFH18 15cm(ラ式十五榴)だけで4000門ほど保有してたし
ドイツのデータ見て驚くのは、砲の生産数よりも砲弾の生産数だと思う。
357 :
355 :2012/07/21(土) 17:17:18.18 ID:???
訂正 FH18は開戦時に1353門配備で、1939〜1945の大戦中に5423門の生産 戦前の製造門数はわからない
>>356 それでも一次大戦の砲弾生産量を越えるのは、やっと1944年なんだろ?
いかに塹壕戦での砲弾投射量が凄まじかったってことだね
局地の独仏国境のかぎられた面積にだもの
二十世紀初頭の鉄鋼生産量でイギリスを越え、ドイツが世界第二位 ヨーロッパで突出した軍事力を誇るようになる 人口の面でも英仏を凌ぐ数と増加率だし、兵員数で絶対的優勢 重砲でタンネンベルクの数にまさるロシア軍を粉砕 ディッケ・ベルタで要塞をつぎつぎ陥落させ、未曾有の長射程パリ砲だろ? 一次大戦のドイツは重砲信仰国だね 通常装備の野砲、榴弾砲では、やはり火砲先進国のフランスに劣る部分はあっても
火砲先進国のドイツとフランスの製品を取捨選択してた日本陸軍は馬鹿じゃないと 思うよ タイ王国軍のボフォース一辺倒はダンピングなり、リベートのきれいごとでない受注成功だろう 支那のドイツ兵器偏重も かれらの導入した75mm野砲、十加、十五榴のユーザーは東欧、アルゼンチン等 中進国ばかりだ スペックだけとっても列強には物足りない出来のはず ボフォース製75mm高射砲、40mm高射機関砲、75mm山砲はいい砲であったが
>>358 ドイツが電撃戦を考え出したのは、物量戦をやらないで勝つためだから。
局地への弾量投射量集中が結局ところ、従来の戦法より経済的と判断したんだろうな ヒトラー政権下の若手逸材の登用で二眼レフ ローライ・フレックス、蛇腹イコンタ 35mmのライカ、レチナが1930年代に異常発達して、光学兵器への技術スピンアウトが 半端なかったし カメラと戦争の関係は調べると、とかく面白い ベトナム戦争の沢田、市ノ瀬の名作写真もだけど
そういや戦間期からWW2に掛けての各国の砲弾生産量ってどんなもんなんだろうか?
またぞろカメラの話でも始まるのかな
米ソ独英……二桁はさんで日本の順番ぐらいのはずだけど… 詳しい数量は誰かうPしてくらさい イタリアと日本の差はどうだったのかね? 戦費ではイタリアが上だが
米軍砲弾生産量との懸隔は佐山さんが「大砲入門」で書いていたな
367 :
8時間 :2012/07/21(土) 21:55:44.92 ID:???
「野・山砲」確保、しかも地元の本屋!
独立山砲兵連隊・大隊って意外に少ない?
369 :
名無し三等兵 :2012/07/21(土) 23:13:48.55 ID:vKMnV0Hr
三一式シリーズって結局どん位支那事変、大東亜戦争に投入されたん?
>>368 独立山砲兵聯隊は22個(1〜20,10と12は再編あり)
平時常設2個(1,3)
昭和11年 +1個(12)
昭和12年 +2個(2,4)
昭和13年 +1個(10)
昭和15年 −1個(12)
昭和18年 +1個(5)
昭和19年 −2個(1,10)
昭和20年 +15個(6〜20) −4個(7,9〜11)
独立野砲兵聯隊は11個(1〜11)
昭和11年 +1個(11)
昭和13年 +1個(1)
昭和17年 −1個(1)
昭和18年 +1個(2)
昭和20年 +8個(3〜10) −4個(3〜5,7)
344の表みると、佐山記事九六式十五榴の生産実績のソースとなっているで あろうことが読みとれるな 前年からの遁減ぶりはなんなの?だよねぇ 十五加はもともと生産門数がすくないんだが
大口径高射砲や四十一糎榴生産に日本製鋼所がおおく関与しているのは既知として 山砲はもちろん、十榴以下の野砲生産にも民間会社が関わってたそうだから 最近の佐山研究で民間工場の製造門数判明で山砲がワッとふえたように 十榴、野砲は数字が増す可能性はある あくまで火砲調達計画は書面上のものなので
>>344 >>345 >>347 を見ると計画も時期によって修正されているのが覗えるけど、計画は民間も含めての数だろうから計画より実績がわっと増えるのは考え難いんじゃないか。
リソースは限られているから何かを増やせば何かが減ってくる筈。
いまの国家予算みても、隠し金庫みたいなもんで額面以上のもんが多大だったり する計上外の不透明で胡散臭いカネ 現在知られている当時の鉄鋼生産量だって、正確なものか疑わしいもんだぜ? 製鋼は財閥系と山師みたいな魑魅魍魎が群がる利権の巣窟だったし おれ、南満州造兵廠は関東軍の暴走よろしく、中央の監視が行き届かなかったから、 かなりの帳簿外の支出やら生産量があったんでないかな?と想像してるよ
つまり現地で砲弾をそれなりに、むしろ申告以上に生産してるのに、 内地に追加発送を要請してたり 裏金作りなんかは、おそらくデフォだろう
南満はなあ。 一貫生産出来ないから地金なんかは本土からの搬入前提だし帳簿外も限られちゃうと思う。
>>282 そもそも1938年でナチスの経済力が大国フランスを上回っていたわけで
日本よりも国力が格段に高いのを無視するのは如何なものかと
>>376 そういうこと言うと次は秘密の工場とか密輸とか言い始めると思う
一応、満州にも製鉄所やら、冶金工場はあったんだよね? 装甲鋼板や砲身素材につかえるだけの良質な製品生産は無理にしても
造兵廠は贈収賄がらみで逮捕者が何人もでてる部署なんで… 一線越えれば、甘い汁もさんざ吸えたんでないか?
>>377 無視はしてないよ
日本より資源もあって工業力も経済力も国民の生活水準もずっと上
なのに対ソ戦を惹起した
おれは前の書き込みに対するレスなんで
豊かでも開戦する事例があることいいたかっただけ
ナチスの政策で生産力が膨張して、その消費の矛先が戦争だったわけだね
公共事業として。ピラミッド建設みたいなもんで
国内の活力と生産余剰力を処理、再循環するため戦争した
いまのアメリカの軍産複合体でもおなじだろう
Pyramid Scheme だが >いまのアメリカの軍産複合体でもおなじだろう 装備はどんどん劣化してるようだが。 普通、旧冷戦のように(神戦車チョーこえー) 危機感煽ってどんどん更新するのが一番美味しい ことはわかってるはずだが。
仮想敵がアレだからね…極東の糖質国家とか、法治主義すら通らないから 近代国家といえるのであろうか? オスプレイの珍妙なスタイルと事故続出の事実がアメリカや日本国民を説得 するにははなはだ苦しい スターリン戦車ほどの、ビジュアルで素人にも伝わりやすいインパクトがあれば、 施政者も軍の指導層もやりやすいだろうな
>>379 鞍山の昭和製鋼は八幡に次ぐ規模だったと言うし、質も良かったそうだよ。
そんな規模の製鋼所があって、奉天の兵器生産実態がいまだ謎というのは怪しすぎるよな 山師、大陸浪人パラダイスの無法地帯だったんでは? 引き揚げてきた関係者一同が口つぐむぐらいの
満州侵攻したロシアの資料あされば出てくるかもしれんよ
>オスプレイの珍妙なスタイルと事故続出の事実がアメリカや日本国民を説得 ? 軍産複合体ってそのままのコースを続けてればコマンチだの新型軽戦車だの LCSだのもっと早く導入できてたのにねえ…陰謀論ってその辺どうなってるの?
砲じゃないけど、三八式歩兵銃の総生産数も、実態に比べて少なすぎるって話が ちょくちょくあるね。 そのたびに、怪しいのは奉天造兵廠だと言われる。
胡散臭い余剰金で芸者はべらしてドンチャン騒ぎの写真とかでてきたりしてw ガ島で行李捕獲され、米軍に公表された芸者とツーショットの川口少将の写真はワロタ
シーメンス事件だけのハズはねえよな
>>387 あなたはひょっとして、例の糖質さんご本人ですか?
筆致が似てるもので
別人なら失礼至極で謝罪ものですが
>>391 >あなたはひょっとして、例の糖質さんご本人ですか?
ん?
誰?
軍産複合体がどうだの書いてる人?
ご本人のようですね…
>>393 軍産複合体の話をしてる人?
回答、ないようだがなぜ?w
>>381 何言ってんだよ
独ソ戦はソ連がルーマニアの油田地帯を占領する姿勢を見せたのが直接的なきっかけだろ
その前、BOBでナチスが敗れてからソ連がナチスに強硬姿勢を示すようになったという前段階を踏んでいる
ソ連の対ナチス外交が融和政策に転換しない限り独ソ戦の勃発は時間の問題だろうが。
>>395 ルーマニア油田の件はおれも書きこみしてる。ソ連が対独戦計画してたともレスした
ただ、動員計画実施して作戦発動した時点でドイツの侵略なんだよ
イデオロギー戦争は国民を煽るお題目で、クルップなど財界にたいしては
ビジネスチャンスの提供と
日本の天皇制と似たようなもんで、当時の大卒は2%以下ほどだし、エリートには天皇機関説は自明
大衆にとっては神と
顕教と密教の関係みたいなもんかな
侵略って、言葉じりから負のイメージ強いけど中性的な概念で さきに戦闘を惹起した側の行動のこと。宣戦布告をきちんとしてれば国際法 でなんら問題はない 別宮さんがこれに関していい文章を書いてるね スレ違いすまん
夏休み・・・というよりはおかしな人か
以前から特定の発狂ワードで発狂するキチガイが一匹このスレにいたよ。何回かみたから間違いない
あまり放送禁止用語を連発するのも、神経疑われる人という感じはする
ぐ、軍産複合体
>>384 粗鋼生産量は大きいけど特殊鋼は作れないよ。
質かいいというのも鉄鉱石としての話で砲身素材や防弾鋼板の話じゃないし。
軍板で軍産複合体なんて語句に過剰反応するなんて情けない… 田舎のオカンがきみの不甲斐なさに泣いておるぞ 佐山新刊の読書感想文とかないの?夏休みの課題で GP連載で読んでる俺には新鮮味はないけど、ほかの人の感想には興味あるもんで
>>370 有難うございます
むしろ少ないのは独立野砲連隊なんですね
満州で特殊鋼と言えば、大連の鉄道工場で鞍山の鉄を使って日本刀作ってたよね。 わりと高度な電気精錬と鍛造の技術があったそうだから、兵器の材料にもなりそうな気がする。
昔サンデーモーニングの今週の一枚で天皇が高射砲かカノン砲か視察してるしてる写真があったんだが その砲がめちゃくちゃでかかった、三式五式高射砲より断然でかく長いような気がした 写真は調べても出てこないし、謎すぎる 誰かヘルプ、海外製かも
>>402 鞍山の鉱石は、埋蔵量は多いけど質はあまり良くないよ。
当初は事業化が危ぶまれたレベル。
機関車の転輪なんかは特殊鋼なわけでしょ 鋳物なんだけど、衝撃で割れてもいけない粘りを要求されるし 耐摩耗性なんかもいると 板バネつくれる程度の冶金技術があれば、装甲や徹甲弾、砲身は無理だけど そのほかの兵器部品造るのに応用できるんでないかな?
実際問題40年代初めの満州ってどれ位の質の鋼を生産出来たの?
411 :
暫編第一軍 :2012/07/22(日) 16:44:22.03 ID:???
個々の兵器生産数量は別として、満洲での兵器や鉄鋼の生産についてはそれなりに資料も残っています。 兵器生産については奉天造兵所と後に設立された協和工業を合わせ、生産額は年3千〜5千万円。 因みにS16年の陸軍全体の生産額は単位を揃えれば167.3千万円。 鉄鋼については 満洲の鋼材生産高333/375/569/244/20 内特殊鋼0?/9/9/5/0? ※左からS16/S17/S18/S19/S20年度 単位千t 但しS20年度は第一四半期。 因みに本土では 5,120/5,163/5,609/4,320/492 内特殊鋼499/650/923/1,181/169 となっています。 数量・金額的に見ると総数を大きく左右するほどではないことになるかと。
>>411 昭和製鋼の資料みると、昭和製鋼だけでもその倍は作ってるみたいだけど、どうなんだろう?
帳簿外なんでね?
414 :
暫編第一軍 :2012/07/22(日) 17:07:29.02 ID:???
>>412 昭和製鋼のみの「鋼材」生産資料は持ち合わせないのですが、
鉄鋼生産で大きな誤差がある場合は「鋼材」だけなのか「銑鉄」も含めるのか
「鋼塊」であるかによることもありますね。これで倍位ちがうことも珍しくありません。
私が上で挙げたのは明記したように「鋼材」です。説明不足でしたが主力であった鞍山(昭和製鋼)のみの数字のようです。
因みに同じく鞍山の「鋼塊」の生産量にすると
573/724/837/437
となり上記「鋼材」とは1.5〜2倍位違ってきます。
統計によっては鉄鉱石でトン数を示すものもあり、その場合も数字が異なりますが、
まあ大抵はFe分も併記される筈ですね。
>>414 なるほど。
鞍山には日本鋼管や神戸製鋼の子会社や系列会社も工場構えてたみたいだけど、
昭和製鋼の鋼塊を使ってこう言う会社が鋼材を作ると、どうカウントされるんでしょうか?
416 :
暫編第一軍 :2012/07/22(日) 17:16:24.74 ID:???
>>410 鉄鉱石の質として見れば色々です。
鞍山地方だけで見ても品位鉄分26〜62%と場所により異なります。
本渓湖地方でも32.7〜68.6%。
かの大和も満洲産の鉄鉱石で作られていたはずです。
特殊鋼として作るのは本土に送らないと難しいようですが。
おれは第一軍さんではないけど、一次生産品である鋼塊とそれを加工した パイプやH鋼は別に計上するのが常識だよね 生乳出荷量と牛乳、バターやチーズ、ヨーグルトなんて二次生産品の数字が 二重にカウントされるなら、それは詐欺だよね…
418 :
暫編第一軍 :2012/07/22(日) 17:35:34.19 ID:???
>>414 ちょっと訂正。一行目はあれだと意味不明ですね。「
>>412 氏がお持ちの」を頭につけ加えてください。
>>415 その場合はと゜うなるかわかりません。普通に考えれば別計算でしょうけれど。
>>412 で私が挙げた資料には鞍山のみと書いてはあるのですが実は少し怪しい部分もあります。
1938年のデータでは同資料は鋼材生産を490としています。
しかし別資料では昭和(鞍山)の生産実績は同年314に過ぎません。(その他41)
統計には取り方や資料で誤差はつきものとは言え少し食い違いが大きいんなと。
412の数字は鞍山のみと注釈があるものの、他の工場も含んでいるかもしれません。
>>394 面倒くせぇからにきまってるだろ?
休みの日に疲れたくない
421 :
暫編第一軍 :2012/07/22(日) 17:37:41.83 ID:???
又もや失礼しました。
>>418 >
>>412 で私が挙げた資料には鞍山のみと書いてはあるのですが実は少し怪しい部分もあります。
これ
>>411 の間違いです。
422 :
暫編第一軍 :2012/07/22(日) 17:40:26.02 ID:???
>>420 いえいえ。タイプミスが多くて済みません。
もし宜しければお持ちの昭和製鋼の数字をご教示いただけないでしょうか?
>>396 誰も侵略じゃ無いなんて言っていねーよ
先に手を出せば侵略なんだからな
お前は文盲か?
それにルーマニア油田について書いたとお前が主張するならコテをつけて発言しろよ
名無しでそれを言っても全く説得力が無い
>>403 独ソ戦の開戦理由で軍産複合体はおまけに過ぎない
ところが
>>381 はさもそれが最大の理由であると言わんばかりであり
著しくバランスに欠けるんだよ
少しは事情がわかったか?
>>397 左様。
すなわち大東亜戦争は疑いも無く完全なる大日本帝国の侵略戦争であったのである
>>396 お前さ
>>381 で
>ナチスの政策で生産力が膨張して、その消費の矛先が戦争だったわけだね
>公共事業として。ピラミッド建設みたいなもんで
>国内の活力と生産余剰力を処理、再循環するため戦争した
そんなに余剰生産力を使いたいならソ連と戦争する前に国民車を作ればいいだろ
戦前にそういう約束で国民から金を集めてたしそれで全く問題ない
実際はそんな余裕は1939年以降全く無いだろうが
すでにお前の論理は破綻していることに気づけよw
>>422 ピークだった昭和18年で109万トン(第一製鋼工場48万トン、第二製鋼工場61万トン)
とあります。
>>427 国民車普及させるより戦争したほうが有効だし優先させるって政権の判断だって
ドイツ人にとっては一次大戦からの名誉回復の戦争であるし、イデオロギー戦争でもあるし
財界との結託もあるし、ソ連の脅威もあった、資源もより欲しかった
ナチス政権、経済、軍事、思想、国際状況ともども理由があって開戦したとおれは書いたよ
おなじ人間を相手にしてるようだが
スレ違いは迷惑だと思わんのかね?おれは思ってるよ
430 :
429 :2012/07/22(日) 19:08:17.22 ID:???
あと、他人ときちんと議論しようとするなら、お前呼ばわりはやめたほうがいい ケンカごしの文体も こちらは、怒るんでなく気分が重くなるだけ 誠実なレスする気も失せるってもんだ
ポーランドとのダンツィヒ問題なんかまさにそれだよね>名誉回復戦争
432 :
暫編第一軍 :2012/07/22(日) 19:17:52.24 ID:???
>>428 ありがとうございます。
同じS18年度で私が既に挙げた鋼材56.9万t、鋼塊83.7万tのどちらとも異なる数字ですね。
後者なら2割程度の違いですから統計に使用した資料の違いに過ぎないという線も有り得るかも知れません。
そういえば日本はS18年度に満洲から銑鉄として68万tを輸入しています。
とすれば109万tには銑鉄を含んでいる可能性もあるでしょうか。
>>427 VWは1938年に完成して生産車500台くらいは国民に売ったよ
たしか月賦券みたいな証書を分割ぶん金払うごとに出したはず
まぁ数百台くらいだと詐欺みたいなもんなので、購入権利のある人は
戦後にVW購入の際、かなり金額の便宜をはかる社内特例があった
VWビートルの本が押入れに埋もれていて、記憶たよりで正確ではないことを
お断りしておく
>>432 製鋼工場からの出荷分らしいので、鋼塊だと思います。
>日本はS18年度に満洲から銑鉄として68万tを輸入しています。
の部分にピンときてよく見てみたら、生産量も「昭和18年度」となっていました。
鋼塊だけだと意外と満州生産分もある? つか一応特殊鋼も出来たんだ どの程度の物かは知らないけど
436 :
暫編第一軍 :2012/07/22(日) 21:15:31.96 ID:???
>>435 全体から見れば鋼塊もそれほどでもないですね。
満洲(鞍山)537/724/837/437
本土6,837/7,099/7,821/5,911
※S16/S17/S18/S19年度 単位千t
大雑把に言って本土の1/10前後です。
特殊鋼に至っては本土の1/50〜1/100程度と誤差のレベル(朝鮮以下)
ですから品質的に特別高かろう筈も無いかと。
銑鉄は日本の同時期輸入量の60〜81%(556.6〜711.2千t)を満洲産が占めています。
一方鉄鉱石としては不明な点が多いものの1〜4%。(10〜50千t位)
満洲の鉄資源は主に現地で銑鉄や鋼塊、鋼材に加工、本土へ輸送されたのでしょう。
朝鮮は確か北部に特殊鋼も生産出来る製鉄所開設したんでしたっけ?
平壌にも工廠あるみたいだが活動内容がわからねー
>>439 こう見ると格好良いよな
しかしWW2のイタリア軍って駐退復座器がなかったり
駐退復座器を後から取り付けた火砲一杯だったんだよね
欧州って後から駐退復座機付けた火砲が多い印象が まあ、火砲の数が多いから更新が追い付かなかったからなんだろうが
写真はおそらく30年代のもの
>>441 一杯じゃないよ!
だいたい1100門程度だよ!
砲自体で衝撃を受け止めるタイプの火砲を 駐退復座機付きに改造するのって意外と簡単なの?
>>444 少なくとも砲身は流用できる
あとはほとんど作りなおしか大改造だと思うけど
19世紀中盤の前装銃改造後装小銃とかもそうだけど、まあ砲身がやっぱ一番コストの掛かる部品だから
>>439 これって加農の牽引用砲車だよね、そうだよね
この手の見て、いつも思うんだ 下駄が物悲しい…
佐山さんの新刊によると九五式野砲は毎度お馴染み1942年10月末の調査で318門製造されていて 更に終戦時には砲身、砲架共に10数門かそれ以上の半途品があったみたい 総計548門は有り得る気がするね しかし九五式野砲の総生産数約200門とか何処のどいつが流して広まったデマなんだろうか?
いや、それはたしか丸別冊で佐山さんがたしか書いてたよ 二十年前の情報を責めるのは酷と思われ パンツァーの桑島記事も90年代で最新研究の成果だったんだぞ
451 :
名無し三等兵 :2012/07/23(月) 21:35:51.97 ID:???
>>439 イタリア兵がM35ヘルメットを被ってるから、1935年以降。
イタリア軍はWW.IIのリビアとかで駐退器なしの重砲も使ってるから...
初期のポーランドやフランス軍もだが
リビア、で5 た Armata 1940年3月には、内48銃149/35を持って Raggruppamento Artiglieriaの5° 'armata の37の部分に加えて、 GAFこの前面に展開。1942年1月に、46北アフリカのこのタイプの銃と、 1943年2月のチュニジアで16以上は、まだありました。 1943年6月には、砲兵隊の16大隊は、何百もの、35分の149のバレルと まだあった部品は、イタリア、アルバニア、フランス、ギリシャ、ダルマチアと エーゲ海の沿岸防衛に降格。シチリア島では、35分の149沿岸部門の銃は、 7月に連合国との戦いに参加しました。
後知恵だと日本も三一式シリーズを駐退復座機付きに改造しておけば良かったのに…… となるのであろうか?
>>450 佐山さんが引っ張って来た時点で誰かか
或いはなんらかの資料、史料がそういう主張だったと思うのだが
元ネタは永久にわからんかもな
他スレが過疎っているから書き込むけど、知っている人がいれば教えてください。 古参下士官で、将校と同じように軍帽や乗馬袴・乗馬ブーツを誂えた人っていたのでしょうか? 古参下士官であっても私物は肩章、改造は立襟のみだったのかなぁ
誂えではないが、「最悪の戦場に奇跡はなかった」でガ島、ビルマを転戦した 筆者が、被服廠から朴った将校の服と長靴を身に着けている同期の曹長の様子 をみた描写があるね
吊るしの既製品、偕行社の将校服ぐらいはストックしてたんだろうね
騎兵科なら伍長でも軍刀持ってるし、乗馬袴・乗馬ブーツも持ってるけどなぁ。 将校用とはちょっと違うけど。
460 :
名無し三等兵 :2012/07/24(火) 17:23:59.28 ID:Uu8PfO06
大東亜戦争時にも一応乗馬した部隊は4KB以外もそれなりに存在してたんだよね?
満州にも居たはず。
>>454 軍縮時は三八式野砲でさえ余剰で泰平商会通して支那に輸出したんだから
第一、三十一年式の砲身性能がそれほどでないんだから、手間と費用かけて駐退復座に改造するメリットはないだろうよ
昭和期の野砲兵連隊は三八式、改造三八式でさんざ不満だったんだよ?
それで射程と運行重量がなわらん代替の九五式という妥当な砲が採用、それなりの数が生産されたと
庶民の足の軽自動車が使い勝手よく、小回り利く経済的な存在であるように 山砲のみならず、九五式野砲ももっと評価されていいと思う 本官は九五式野砲名誉回復委員会発起人くらいは就任してよいぞ
464 :
456 :2012/07/24(火) 20:24:15.60 ID:???
みなさんご回答ありがとうございます
とある日本軍装品のプロから、下士官で将校用ブーツ・将校用軍帽(官給品じゃなくて私物)や乗馬パンツを身につけてる人はいないって聞きました
服務規定で下士官兵は官給品以外に身に付けてはいけないのかなぁ(襟章・肩章・軍刀を除く)
>>457 そんな曹長がいたと聞くとうれしいですね
そんなことをしていいのかと思いますが・・・
見習士官の曹長が将校用ブーツを履いていた例はあるようです
>>459 騎兵科の兵下士官は乗馬袴は履いていないのでは?騎兵の写真でも普通のズボン履いていた気がしますが・・・
ブーツは官給品の安っぽい物ですよね
下士官で、将校と同等のブーツと乗馬袴を履いた例は無いものでしょうか
中隊で曹長なんていったら階級では上だが、小隊長の新米少尉はアタマあがらん 兵隊は副官の曹長のいうことばかり従ったそうだよ 経験の乏しい若造のいうとおりしてたら即、靖国だから なりふり構わない戦地では、下士官が将校服着てても黙認せざるを得ないだろうね 部隊の根幹なんで
>>464 そら、制服は規定のもの以外は規則でダメでしょう。
あるとしたら、軍紀が機能していない状況下でしょうね。
末期の物資欠乏のおりには、召集された兵士が現役時代の服を着てきて
旧式の軍服が混じってる事とかはあったみたいですが、下士官が将校用の
軍装を身に付ける事はないでしょう。
>>466 兵隊は官給品でしょう?お古の昭五式に襟章つけたり
末期で召集されたロートル将校写真で昭五式の肩章だったりするけど
私物だから
>>467 兵隊でも私物の軍服持ってる人はいたんだよ。
在郷軍人会の写真とかみると、兵服で写ってる人がいっぱいいる。
満期除隊後に地元のちょっとした式典出る時とかでも、軍服に勲章(あれば)つけて
みたいな例もある。
日露戦争後に流行ったそうな。
じゃあ、グンソー・フナサカの昭五式に襟章なんて写真は古参兵らしさを 誇示するための私物の可能性もあるわけか…
満期除隊の時は軍服でお家へ帰るのが普通だから、基本みんな持ってんじゃないのか?
うーん、入営の際の私服は実家に送ってるから、逆に帰郷してのち軍服を 部隊に返納する可能性もある… そのへん、詳しいひとどうなの?
>>470 そういや、うちの田舎は、除隊前に軍服新調して帰るのが粋だったそうだ。
473 :
名無し三等兵 :2012/07/24(火) 21:21:08.95 ID:???
>>466 そうとも言い切れないよ
例えば歩兵科の帯刀本分者は本来、将校・准士官・本部付曹長までだが、
支那等の戦地では軍曹・伍長の帯刀(私物軍刀)も黙認されてた。
日本の戦史シリーズに写真も載ってるよ。
平時の内地はともかく、戦地では古参下士官相手に臨機応変の対応がとられて
いたってことだろう
支給品って名前欄がたくさんあるから中古を使い回すもんだと思ってた
連隊営門の近くに通称員数屋というのがあって、水筒やら飯盒売ってたそうだからね テーラーも当然あった おれのもってる長靴は旭川偕行社製だね
支那の輜重部隊が自衛用に板バネ軍刀持つのが流行ったとか聞くし
>>473 それは私物の携行が許されているだけで、正式に軍刀を持ってる訳じゃないだろ。
なんで軍装でレス伸びるんだよw 正規のスレじゃダメなのか?
>>474 使い回すよ。
服なんか一人に何着も支給するのに、全部新品なんてやってられない。
当時のウール製冬用軍服は重いよな 現在のサープラスものと比較にならない あれで雨露吸った日にゃあ、たまらんよ 拘束具みたいなもんだ
火砲スレで軍服の話とか
>>468 通称在郷服な
>>469 舩坂氏16年現役で乙幹だから写真は17年初頭かな
恐らく古い昭五式をあてがわれたんだろう
>>470-471 退営時に私服に着替える
内地帰還後しばらく兵営に間に連絡とって出迎えの人間に持ってきてもらう
>>478 メンゴ
兵役終わっても五年間は予備役だから軍服持ってるよ 年に何回か演習があるから軍服で参加する
そういえば、まえの職場で予備自衛官がいたな かれらも制服は保管してるのかな? 震災番組では被災地召集で私服だったが…
>>483 駐屯地で保管してるはず
といっても「予備自用」として個人ではなくなってるけど
>>462-463 九五式野砲の名誉はマジで回復されるべきだと思う
そういえば嘘か本当か米軍は九五式野砲を
四一式騎砲の後継でないかと推測したらしいが
肝心の四一式騎砲は騎兵第4旅団以外では終戦時にどの部隊で使用されていたのかなあ?
さすがに根こそぎ動員では使用可能だった四一式騎砲は全て引っ張りだされたと思うのだが?
大陸の夏季は陽炎現象で対ソ戦以外、九○式の射程はもてあました気がするんだよ 5000m以上は一般の光学兵器は地上の観測が困難になるようだから 馬匹牽引できついという判断で機動砲に改修、第五師団や戦車連隊の限定使用 に限られたようだから 十榴に主力はシフトしたといえ、野砲の本筋は九五式の感じがする
相手がラ式十五榴や敵の堅陣粉砕でもないかぎり、大陸の戦闘では山砲、野砲の7.5cm砲弾で 大抵ことたりたんでは? 問題は砲数と弾薬備蓄量だけで
いや流石に可能なら十榴は欲しかったのでは? なんだかんだでWW1流の築城術は保持している訳で
>>486 いやあ機動以外の九〇式野砲はあくまで通常の野砲兵連隊向けでしょ
確かに射程は光学機器の限界で抑えて射つのが普通だろうから勿体ないだろうが
そう考えると九〇式野砲は野戦重砲みたいな感じで
長射程加農部隊に纏めるべきだったのかもしれないが
そもそも牽引重量は変わらないからキツいのは馬匹牽引ではなく 人力が必要な設置撤収の段階だからこれは機動九〇式野砲でも変わらん
491 :
名無し三等兵 :2012/07/24(火) 23:26:13.64 ID:iCDK03er
評価されるべきと言えば野戦重砲兵の活躍もだな どうも温い軍オタとかには未だに国軍の野戦重砲兵とか重砲兵がまるで活躍してないと思っている臭いし
四年式十五榴名誉回復は当スレの功績と思う
砲兵の戦記って少ないし、たくさんある歩兵の方の戦記だと砲は弾をけちってろくに撃たない アメリカの砲弾は雨にように降ってくるのに、味方は撃ち返しもしない、そんな感じだ
和製ラッチェポムとして対戦車砲として歩兵師団に大量配備・・・無理だな
>>456 >>464 掌握した官給品に新調並の改造を施すのは当たり前だったけど、
一からの新調、それも将校准士官服制並の物を誂えた人は限りなく少数派
1943年頃、大東亜戦中後期で文金高島田に振袖姿の奥さんと納まってる
古参下士官殿の結婚記念写真では襟張替えの上質改造冬衣、
青年将校もビックリの膨らみがもの凄い冬短袴に、質の良い革脚絆・編上靴、
(しかし時代故に軍帽でなく略帽なのが惜しい)で写ってるのを観た事あったり
それくらいの下士官以下のオシャレは帝国陸軍において決して珍しいもんじゃない
あと見習士官が将校准士官刀と刀帯以外で(陸軍少尉任官間近になると)将校服制の物を佩用する事はそこそこあったよ
それに官給短袴はもともと腿の膨らみは大人しいし、かつ昭13制で官給袴は全兵種短袴に統合されて
>>468 在郷服だね。あと未入営補充兵も似たような服持ってるよ
明19制の官給軍衣は貴重。在郷服ばっかだし
>>470 海軍と違って帝国陸軍では除隊時に原則被服は貰えないよ
だから上述の在郷服を買ったりする。上は将校並の高級品から下は超安物まで
例外は大正軍縮時の隊営者用
素材が軍服絨じゃなくて夏衣みたいな綿だから在郷服とか夏服って間違われやすいけど
では火砲ネタにお戻りください…
国軍砲兵万歳
軍装にも造詣の深い人が居るなんてさすが火砲スレ。
濃いねw
>>491 沖縄で現役米陸軍中将の首を戦地で討ち取ったという
世界戦史に残る大戦果でさえイチャモンつけられてたもんね…。
南方作戦でさえ歩兵・航空部隊と海軍艦艇の力で大勝利!とか思われてるし。
マレー作戦とかWW1後の野戦重砲兵らしくガッチリ調整攻撃しているのにね
>>489 「(前略)本砲は師団砲兵の主体火器とすることを中止し、機動野砲または戦車砲として利用する(後略)」
と「野砲 山砲」にはある
国軍砲兵は南方だからこそ活躍できたという事情もあるから…
前に凄い話題になったネタだよね、九〇式野砲のこれ 九五式はどっちつかず出来損ないみたいな従来の偏見が是正されて俺みたいな一年兵は目から鱗
>>499 いや、言葉足らずだったがただそれを考慮しても機動九〇式野砲はともかく
素の九〇式野砲は嫌でも普通の野砲兵部隊で使わざる得ないんでね?って事ね
無論野砲兵部隊内で対戦車砲的運用を期待されたとかはあるだろうが
機動台車があるでしょ そもそも焼蝕が問題になったみたいだし
佐山先生の新刊にも「機動台車」や「迅速運搬車」に九〇式A乗っけてる写真沢山あるね
でも機動砲兵部隊や一部の機械化師団の数を数えると九〇式野砲の内結構な数は 普通の野砲兵連隊、大隊に配備されたままだと思うのだが
オリジナルの九〇式野砲ってそんなに作ってないだろ それに牽引車持ってる優良部隊って意外と多いみたいだし
つか野砲兵連隊、大隊って戦史叢書でも野砲か十榴かしか書いてない事多いから 野砲が三八式か改造三八式か九〇式か九五式かわかんねー
>>504 なんかこれまでこのスレで出た数字とちょっと違う資料をお持ちのようなんで訊くけど
素の90式が何門作られてその内何門が改造されたかの資料とかお持ちなのかな
できれば具体的な数字が知りたいのでご教示願いたい
ノモンハンでは独立野砲兵が機動九〇式装備して参加してるね 機動砲改修されず、台車も貰えない状態の九〇式がもし存在していたとしたら この手の独立砲兵部隊として纏められるんじゃないの 射程14kmは十榴と混在させるには半端過ぎる
シンガポール攻略戦に参加した野山砲兵部隊 近衛野砲兵連隊・野砲兵第五連隊計 九〇式野砲 32 九四式山砲 24 九一式十榴 16 山砲兵第十八連隊 三八式野砲 12 四一式山砲 18 「大砲入門」の記述だから九〇式が機動砲かどうか、三八式が改造三八式かどうかは不明 しかし近衛は九〇式装備してたんだなぁ
近衛砲兵連隊は機動九〇式装備だから今の話題とは無関係
>>497 現役米陸軍中将の首を戦地で討ち取ったという
映画じゃ狙撃兵の手柄になってるのが悪い。
ビルマ戦とかも初期から終盤まで野戦重砲兵が奮戦してるのにな
>>509 野砲兵部隊に山砲がそれなりにあって
山砲兵部隊に野砲がそれなりにあるんだな
質問があるのですが十四年式十糎加農は南方には送られなかったのですか?
515 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 16:00:07.64 ID:pq2bbnTJ
機動台車好きだわw
>>514 GPの加農当該連載を持っていないが、立ち読みの範囲で南方記述はなかったね
>>515 ハンドキャリーでも自分でカスタムしてるのかい?
板バネ装着したり
>>516 やっぱり松戸と台湾と中支にしか保有部隊は居なかったんだ
そして自分で書いてて思ったが少なくとも大東亜戦争後半には
十四年式十糎加農って満州にも居なかったのか
十四年式は、そう悪い砲ではないんだね 東京湾要塞七年式十加を改修してそれなりに熟成されてるもんだし 射程15kmは榴弾砲以上、列強40年代の加農以下 ニッチ狙いで練度と装備が大抵劣悪の支那軍には充分すぎる気がする
>>497-499 香港、フィリピン以外の初期の南方侵攻に参加した野戦重砲兵連隊は
第3、第17、第18だけど、この3連隊の連隊史やら証言やらを元にした
南方侵攻作戦の戦記が読みたい……
>>513 三八式野砲と九四式山砲の射程は同等だからね…
山砲兵第十八連隊に回されていたのが改造されてない三八式野砲だったら結構頷ける話
しかし同じシンガポール行き部隊でこれだけ装備に差があるとは、なんだかなぁー…
笑える位に装備に差があるからなw
522 :
456 :2012/07/25(水) 20:24:37.15 ID:???
そういや結局七糎七野砲を関東軍から広島に50門送れって話の顛末は不明なのか
機動台車と言えばお茶所の道路脇には機動台車がぞろぞろ駐まってるぞ お茶の刈り取り機用のだけど形が火砲のやつと似てる
それは軽トラックの荷台部分を流用したものかね?
少候の曹長がいままで着てた服を出入り業者の仕立て屋にみせたら 「染めて、ちょっと手をくわえたら立派な将校服になりますよ」というのを 聞いて演習用の服にでもしようと思ってた折、 教官の区隊長が「それでは、いかん、貴様は将校になるんだろう。第一それ着て 戦死でもしたら末代までの恥だぞ」なんて諭され目が覚めた、あの区隊長には いまでも感謝してるなんて手記がある 服は私物だったんだろうな
527 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 21:04:13.82 ID:???
>>501 支那事変緒戦の察哈爾作戦時、独混第1旅団の独立砲兵第1大隊は
素の九〇式野砲+機動台車で参戦したよ
ちみなに同砲は82門製造らしい。
>>509 近衛・第五師団は希少な機械化師団だから、砲兵連隊が機動90式を持ってる
のも不思議じゃないね
>525 それ専用の台車っぽいよ 背が低くてタイヤ上半分がが荷台に出てる タイヤくらいは自動車のを流用してるんだろうけど農家毎に作って貰うらしく同じ物が無い
なんだか師団砲兵の山砲兵連隊と独立山砲兵連隊、大隊の装備が気になる流れな件
では、旧軍レプリカ製作も不可能ではないと… 「お客さん〜このサイズのタイヤはいま国内で生産してないんですよ〜」とか
九四式山砲って野砲兵連隊、大隊でも頻繁に使われたのも あの大量生産に繋がったのかねぇ?
しかし黒木大隊ばかり話題になるサイパンの山砲兵連隊だが主力の山砲はどんな戦いぶりだったのか?
山砲はみんなのアイドル
実物見ると速射砲並の山砲のサイズに驚く
反面、野砲は十榴並の大きさだし
>>522 写真の採り易い・残り易い将校准士官と違って、下士官兵の鮮明なポートレイトが
ネット上には意外と少ないだけで実際下士官のオシャレやカスタムって別に珍しくもなんともないんだ
逆に言えば、憲兵みたいな最も風紀に厳しい立場の人間が、
それも30年代中ごろの平時の内地で堂々とオシャレを出来るってのが証左だったりする
「陛下からお預かりした栄えある皇軍の被服を〜」何て野暮な事を言う奴は少ない
逆に、頑迷な海軍では将校下士官共に陸軍でいうオシャレ文化なんて全く育たなかったけどね
>>526 区隊長殿が将校生徒に「軍装品にケチケチするな。金をかけて好きな良い物を持て」って諭すのはよく聴きますね
>>509 >>527 他
学研「日&米 陸海軍基地」によると
第五師団の第五野砲兵連隊は混成編成で野砲兵大隊二個、山砲兵大隊一個
内訳は野砲兵大隊が機動九〇式二個中隊八門、九一式十榴一個中隊四門
山砲兵大隊が九四式山砲装備で三個中隊十二門
丁度
>>509 の数字の半分になるので、近衛野砲兵連隊も同じ装備だったと思われる
完全に機動野砲編成にしなかった理由はこの資料では不明
侵攻作戦用としては小回りの効く山砲は有効なのかもしれないし
単純に機械化の限界だったのかもしれない
海軍でもそういう話がちょくちょくあるね。>金を惜しむな ある程度の立場にあるものは金を落とさないと経済がまわらないというのが根幹なんだろうな。
貧乏少尉、やりくり中尉、やっとこ大尉と揶揄されたわけでな。
>逆に、頑迷な海軍では将校下士官共に陸軍でいうオシャレ文化なんて全く育たなかったけどね 一応突っ込んでおくけど、 海軍が服装を陸軍のように私物化しなかった理由は「頑迷」なんて理由ではないよ。 海軍をある程度調べていれば海軍軍人が何に金銭をかけていたかはわかるはずなんだけど。 思慮に欠ける発言は残念だね。
539 :
名無し三等兵 :2012/07/26(木) 02:03:06.04 ID:Xe2prADr
>>535 48Dが能動的に師団砲兵として山砲兵を選択らしき所を見るに
積極的に山砲を編成に組み込んだのかも
ただ完全に機械化牽引された野砲、十榴の編成にするのも難しかったって側面もあるかもだが
確かGD、5D、48Dの山砲は車載編成 単純に牽引車不足、もしくは帝国陸軍大好きな側面奇襲を考慮したかでないかい
>>518 まともな牽引車がないんだよ
砲のカタログスペックの問題じゃないんだわ
一応十四年式十糎加農装備部隊は30年代半ばには機械化重砲兵化されたようだけど
ビッグサイズな91式軽榴でさえ弾薬車と一緒に九四式自動貨車に載せられるなら
小さな山砲なんて余裕だろうが実際はどうだったんだろ
南方作戦で活躍した自走砲相当の貨車山砲でなく純粋な載せる運ぶの輸送手段として
>>534 海さんの服や軍帽って実際は凄い地味で面白みないよな
やれスマートだって持ち上げられてるけど士官2種の実物見ると凄い野暮ったくて幻滅する
テカツル化繊を使った戦後の映画用衣装のが逆に立派
>>542 それはつまり九二式十加の牽引車を使うことで達成したわけでな
それ以前は事実上使いものになってない火砲で
それ以降は九二式十加を製造するほうが良いということになる
>>540 歩兵団基幹の支隊を分離して迂回させ包囲殲滅って得意ワザだもんな
皇軍砲兵部隊って一つの部隊を分離させるの好きだよね 分遣隊じゃないけど、聯隊級の単一の砲兵「部隊」をバラして数個の砲兵「隊」みたいな
18Dは派手な上陸作戦とその後の苛烈な消耗ぶりで有名になったが 元は特設師団上がりの兵力だけ多い四単位師団なので師団砲兵は弱体だろうね
548 :
名無し三等兵 :2012/07/26(木) 16:21:57.62 ID:aV02v172
大正時代の改45を折襟に改造していた古参下士官はいたらしい。
南方の日本軍兵士ってふんどし一丁で戦死してたり捕虜になってたりってのが結構いる。 捕虜になってるのは完全に武装解除したと確認できるように米兵が脱がしたのかもしれんが、 死体はそういうことはないだろう。高温高湿の南方で、どれくらい軍服が衣服として機能し続けたのかね。 あと、気のせいか、皇軍砲兵の戦地での写真って、上半身はだけて、肉体を誇示してるかのような写真が結構あるような。 まあこれは暑いからなんだろうけど。
いいかげん被服関連はスレチだと思うの
>>547 独立山砲兵第18連隊の連隊史とかあるなら読みたいなあ
後、18Dって最終状態だと独立速射砲第13大隊と野戦重砲兵第21大隊が編合されているんだね
そもそもそんな詳しいなら軍服スレを盛り立ててやってくれw
ロムると軍服スレは業者やアンチの書き込みで雰囲気わるいね。罵りあい多くて こっちに避難してきたくなる気持ちはわかるよ 当スレは荒れることあっても、この状態はまずいんでないか?で自浄作用がいちおー機能するから
陸戦スレもあれてたよ 火砲は知らないことばかりで話についていけないがしばらく避難してるか
ビルマ戦線はしっかり九二式10Kと九六式15Hが肩を並べて戦っているんだな
>>551 独立山砲兵第18聯隊だと第3次兵備による編成部隊なので注意が必要だ
あと独速13大と野重21大って編合じゃなくて指揮下だったはず
確か独速13は火砲なし、野重21は軍隊区分で18D臨時砲兵隊になった記憶が
間違ってたらスマン
>>553 最近の軍服スレはしんみり進んでるみたいだ
>>554 陸戦スレは今夏の被害担当艦になってしまった
上部構造物はほとんど損傷で、戦闘に堪えず かろうじて回航状態? 内地のドックで大規模改修せんと…
陸戦は火砲スレの盾になってくれた 野戦で煌々と探哨灯照らし 故意に敵艦の砲撃を一身にうけ、敵の位置を暴露させて当スレ有利に導いてくれたんだ 彼らの尊い犠牲に感謝せにゃならんぞ
×野戦 ○夜戦
>>532 月刊沖縄社「サイパン・グアムの戦い」でタ弾が木箱梱包でかなりの数が纏まって鹵獲されてる写真あり
実際、山砲でタ弾使って敵戦車を何両かしとめてるみたいだけどね
>>548 古参を誇ってもいつまで下士官ってのも悲哀を感じるだけのような・・・
いくら学がなくとも准尉くらいまでは昇進できるだろうに
そりゃ憲兵や軍楽、経理なんか消耗の少ない科なら昇進も遅いだろうけどさ
下士官のカッコしたいんだけど、将校が誂えたクラッシュキャップを買っちゃうか
むしろ兵下士官用軍帽の方がレアだし
>>561 流石にそのレスは軍服スレで言ってくれとしか
>>560 対戦車戦闘で奮戦していたのか……
やっぱり山砲は頼りになりますね
>>561 まぁいいんでないの
多少は脱線しても、日本軍にからめてれば
軍板の難民をそれなりに受け容れた実績と寛容さで、当スレが続いてる部分が大で
教条主義者が常駐してるスレは窮屈で、他者を攻撃しまくり雰囲気わるしで結局は過疎って落ちてしまうものだし
火砲に話もどすと、新刊「米軍が怖れた「卑怯な日本軍」」はおもしろい
カネだす値段以上の価値はあるんでないかと
ブーゲンビル島に終戦までいた十七軍司令官、神田中将の証言で
手榴弾は導火線が湿るので一時だめになりかけたが、野戦病院に山積みされていたサックで防湿したところ性能よく、
第一線からも好評であった。また、敵戦車も「今迄傍若無人の行為をしていたのが行動萎縮してしまった」
15センチ榴弾砲を四○メートルの近距離で撃ち直撃させた非常手段も効果があって「軍が壊滅することなく、終戦に
及び得た大きな原因」
とか興味ふかい記述が満載なんだよ
565 :
名無し三等兵 :2012/07/26(木) 21:41:59.01 ID:???
>>535 >>540 山砲は木製スポーク車輪でサスペンションがないから機械化牽引なんて
したら壊れる
しかし小型軽量な山砲は、自動貨車積載も容易で多用されたよ。
ただ積むだけでなく、満洲事変頃から車上射撃の研究もしていて、
「貨車山砲」というトラック自走砲の改造要領まで決めてる。
比島作戦の山砲兵第48連隊の場合、4ヶ大隊(各8門)のうち3ヶ大隊が機械化
されており全てが「貨車山砲」だった。[日産80型+94式山砲]
そして緒戦においてM3軽戦車を少なくとも2両撃破してるよ。
サイパン増援(逆上陸)の歩兵第145連隊・独立速射砲第8〜12大隊・中迫撃第2〜4大隊が部隊装備(弾薬半会戦分) のほかに第31軍補給用として携行予定だった弾薬類(昭和19年6月25日付け大陸指第2021号) 九二式重機実包(500,000),擲弾器用タ弾(1,000),四一式山砲用タ弾(1,000),九四式山砲用タ弾(250), 同徹甲弾(3,000),同榴弾(5,000),同榴霰弾(3,000),47粍砲用徹甲弾(7,000),同榴弾(1,800), 高射機関砲弾(20,000),戦車地雷(1,000),破壊筒(40),急造点火具(2,000),発煙筒(若干) ※これら弾薬類はサイパン増援(逆上陸)作戦の中止により小笠原兵団に交付された(昭和19年6月26日付け大陸指第2036号)
ブーゲンビルの十五榴とは、九六式ですか?それとも四年式?
>>567 以前にここの過去スレの何スレ目かに各野戦重砲兵連隊、大隊の装備野戦重砲が列挙されたレスが投下されたから
それ見たら分かる筈……
>>564 >神田中将の証言
ソースは戦史叢書かな
その手榴弾は九二式歩兵砲弾から作ったものとか
対戦車兵器がないため敵の前進を予定通り遅滞できない
ジャングル内では不期遭遇戦になるので、小銃では自動小銃にかなわない
軽機は重くて行動が不便だし、そもそも数自体が少ない
手榴弾が一番好いのだが数が少ない
そこで九二式歩兵砲弾から手榴弾を作ったということらしい
片手で持てそうにない手榴弾だな…
>>569 「神田正種中将回想録 ソロモン列島作戦の回想」からの引用だそう
九二式歩兵砲弾からも手榴弾改造したと、たしかに記述があるね
>>571 多分弾頭信管抜いて導火線式の火管か手榴弾用の時限信管付けただけ
両手で持って高所から待ち伏せ投擲するか地雷的な用法になると思う
>>568 http://toro.2ch.net/army/kako/1327/13276/1327600767.html 113 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 01:03:45.00 ID:???
野戦重砲兵連隊の装備@日本陸軍機械化部隊総覧(別冊歴史読本1991春号特別増刊)ほか
甲連隊=十五榴
九六式
1,3,4,17,20,23,26,27
四年式
2,5,6,9,10,13,14,15,25,28,29,52,53,54
三八式
11,12
乙連隊=十加
九二式
7,8,18,22,30,独立15
一四年式
16,19
参考
野重3:昭和20年2月に野重第11大隊(ビルマ)・野重第12大隊に改編され解隊
野重9:昭和19年2月に第2大隊を独立山砲兵第3連隊(サイパン派遣)に転属,第2大隊は再編
野重13:昭和19年7月に第1大隊を中支に派遣(後,野重第10大隊に改称),釜山滞留中の野砲兵第17連隊第2大隊(比島派遣の第23師団所属,四年式十五榴装備)を編入再編
野重25:昭和18年5月に近衛野砲兵第1連隊に改編され解隊
野重30:昭和20年7月の満州根こそぎ動員部隊,火砲未装備
一ノ瀬さんの新刊は日本軍地雷に関する記述では、これまで刊行された本で最高の 出来と思う 急造地雷について実に詳しい
大隊砲なら、砲弾より装薬の方から手榴弾を作れそう。 余ってる分、適当な缶に詰めて信管付ける。
577 :
続き :2012/07/26(木) 23:14:16.19 ID:???
一発3kg以上とか砲丸投げかよ!っていう… 紐でもつけてハンマー投げよろしくぐるぐる回し投げでもしたのかねえ…?
室伏みたいな熊系ガチムチ日本兵もなかにはいただろうからねぇ
その頃にはもう半病人しかいないだろ
いや、餓死して人数が減ったおかげで、以前からやってた甘藷栽培の成果がでて却って生存者の 体力は回復したそうだ 皮肉な結果ではあるけど
582 :
続き :2012/07/26(木) 23:29:39.96 ID:???
俺
>>562 だが
>>564 のお言葉に甘えて
>>561 ドイツ軍じゃあるまいにクラッシュキャップって
略帽のことか?
ただまあ国軍の骨幹は下士官にありと言っても過言じゃないんだから悲哀とか言うなよ
俺なら決戦服でキメるけどねw
>>574 >>577 乙です
南東方面に展開していたのは野戦重砲兵第4連隊だから
九六式15Hみたいですね
>>576 グラパ2001年11月号に
>>564 や
>>569 とほぼ同じ記述がある
「九二式歩兵砲装薬を脱薬して手榴弾や対戦車地雷が製造され、
小銃擲弾機も製作された」とも書いてあった
装薬を使ったのか となると砲弾の方は地雷用途かねぇ
一ノ瀬新刊で九二式歩兵砲砲弾に導火線つけたやつの米軍イラストがあるよ 機関砲薬莢に導火線とか 47mm砲弾二発のうえに圧力板載せた地雷の写真もある
ブーゲンビルは南東方面の最後の盾だから砲兵部隊も豊富すなあ
いいや違う〜〜 クラッシュ・キャップは一次大戦独軍から続く鍔つき旧型略帽のこと 鍔は軟らかい 二次大戦途中で製造中止になったもんで、わざわざ制帽の針金ぬいて模したもの を拵えたりした。当然オリジナルはプレミアがついた 独軍若手将校は旧型略帽にオートバイ兵用のゴムコートを羽織るのが粋とされていた 588のイカ頭巾みたいな形のやつは某軍装品店で何個かおれもみた 値段を聞いて絶句だったよ…
>>588 クラッシュキャップでクラッシュ式を思い出せなかった俺は
15榴の直撃で肉片ひとつ残さず土に還るべき
…●買ったのでうかれてサルベージしてみたが
6スレ目の濃さは近年まれに見るレベルで異常
十四年式十榴のルーツ探し旅だっけ?
いいかげん軍装の話は他所でやれ。 砲弾改良手榴弾と言えば、小型のヤシの実の殻に装薬や炸薬充填したのがあったな。
>>589 あーあれですかい
勘違いしてました。混乱させてどうもすみませんでした。
値段は状態にもよるけど2~7万くらいだったような・・・
サイズが小さくて困るんだよね。当時の人は坊主基準だから現代の帽子よりもかなり小さめだし
ブーゲンビルって迫撃大隊も投入されているし 独立山砲兵、野砲兵もいるから何気にミニ国軍砲兵展覧会状態
>>566 硫黄島で皇軍が無双できた理由の一つか…
しかしタ弾って意外と開発・実用化・配備・装備・使用されてるよね
いまだにジェット機並に間に合わなかった秘密兵器的扱いされてるとこあるけど
>>566 榴霰弾に目が引き付けられる
やっぱり近接戦闘だとあれば安心出来るのかな?
>>595 四一式山砲向けタ弾がなかったら国軍ヤバすぎですしね
>>595 硫黄島ではよく闘ったとは思うけどそれを無双とはいえないと思う。
米軍上陸初日に噴進砲や、一式速射砲が上陸用舟艇や水陸両用戦車を数十両撃破の大戦果を挙げている しかし、軒並み艦砲射撃の返り討ちで潰されたようだしね
>>523 50門じゃなくて砲車が20門だな。50両は弾薬車
押収兵器還送方の件
C04012301500
押収兵器還送方の件
C04012316000
七糎七野砲は中途半端な口径で弾薬補給で頗る不便だったんで、 砲架が共通の十四年式十榴に改修された個体もあったんでないか?と思う
>>599 ありがとう
しかし結局どうなったのかなあ、これ
604 :
名無し三等兵 :2012/07/27(金) 21:52:10.53 ID:???
>>566 この94式山砲用タ弾て、41式用から改造したものなんだろうか?
ビルマでも多用してるけど、94式山砲用タ弾は生産されてないはずだから、
41式用の弾頭を94式用の薬莢にすげ替えたものとしか考えられない。
自衛用とかいざって時の為に製造してたのかな
前にもおれが書いたが、それが四一式山砲とおなじ弾頭の九四式用二式穿孔榴弾制式図面が存在する GP連載かNF文庫新刊参照のこと 最初、現地部隊が弾頭すげかえで使用していたものを、追認のかたちで生産した らしい 九四式は初速が四一式と異なるから、これとは別に最適化設計のものを終戦までに試験していたと もっとも、山砲は発射装薬の量を段階的にかえて使うものではあるが
おそらく、射程1000m以内の平射で撃つときの発射薬量と初速が異なってくるんで、 四一式用タ弾は九四式で最適ではないんだろう
608 :
名無し三等兵 :2012/07/28(土) 08:50:21.58 ID:ZZ1rteGl
七十ミリ洗車砲をチハたんに装備したら無双ではないか
>>609 あれはチハ車台だと駄目らしいぜ
試作はチハ車台だったが反動と相性最悪とか
ケホ車改造して積もうとしたのははどうだったんだろ
>>610 kwsk
>>611 ケホ車には固定する予定だったから
砲塔上に搭載するのとはまた違ってるんじゃね
>>612 ホイの開発経緯の簡単な概要が書いてる本なら大抵載ってる筈だけど
チハ車台で試作した時に振動が激しくてあんまり良くなかったらしい
このスレでも何度か書かれていた気がする
鋲接構造だと、大口径榴弾の至近弾で命中しなくとも壊れたりするらしい からな 強度が溶接にくらべ大幅に劣る 発砲衝撃の反動吸収は砲塔装備できつかろう。車体にケースメート搭載なら なんとかいけるだろう あと、砲塔の回転機構のベアリングやリングとかが、強度確保の設計が むずかしい部品なのだそうだ しかし溶接は技術ハードルが高くて、開戦時に列強で戦車に採用してたのはドイツと ソ連ぐらい フランスは鋳造ブロックをボルト接合したが、これも被弾には弱かった
回転砲塔に75mm級以上の口径を積むのも技術難度が高い 開戦時でドイツW号、ソ連のKBとT34ぐらい アメリカもM2中戦車車体ベースに75mm砲搭載したM3では車体に搭載、やっとM4で念願の 砲塔搭載なぐらいで
シャール2Cさんがなにか言いたそうにこちらを……。
ああ、そういうのもあったね。ソ連のT35とか陸上戦艦みたいの 重量70tで電気式トランスミッションのすごいやつ GPでW号の影絵で大きさ比較してたけど、デカすぎ… 多砲塔重戦車は実戦でまったく役にたたないことが、冬戦争、西方電撃戦、 独ソ戦で証明されたね
70ミリなら日本でも積んでるけどなぁ。
75mm級を砲塔搭載でも、開戦時だと、ほとんどの戦車は短砲身なんだよね 発射反動の強い野砲級長砲身をムリヤリにでも積んだT34とKB重戦車の先進性は やはり他国を抜き出ていただろう
「75mm級の対戦車戦闘に使えそうな野砲」自体は各国が持ってたけど(例外はドイツくらい?)、 砲兵の任務や縄張り意識に差し支えないくらい量産しまくった事自体も凄いと思う。 「九〇式野砲の制式時期を考えれば開戦前にチヌ車が量産できるかも!」なんてのは 誰もが一度は考えるけど、砲兵の需要すら満たせてない状態で譲って貰えるはずもなく…
赤軍砲兵局はクーリク元帥の無能さで印象わるしだが、 キャパは十分にあったんだろうね 元帥の罷免後に実力発揮で でもやはり、縄張り意識やコネがものいう世界でスターリンの取り巻きコーチン技師 技師が自分の設計局のKB重戦車には無線機完備、主砲供給で優先させたため、 T34のほうは76.2mm砲をあらたに生産しなければならなかったとか事実があるね 両車で砲の形式がちがう
T34は当初、無線機装備は小隊長車くらいの普及率だった
>クーリク元帥 話がループしてるような
>>613 強度不足…あのときの試製七糎半戦車砲はまだ四一式山砲相当だったのにな
なら榴弾の威力範囲が似たようなモノの九四式七糎戦車砲を積む手も有りそうな気が…
やっぱり「山砲と同程度の徹甲弾で硬目標破砕」が第一義だったのだろうか
七糎戦車砲はなんで重戦車装備止まりで終わっちゃったのかね
やっぱり信管脱戻があかんかったのか……
昨日までヒストリーチャンネルで第一次世界大戦の番組をやってたんだけど、もう戦車登場の直後にドイツ軍が 装甲トラックに高射砲搭載した対戦車戦闘車両を開発/実戦投入してて(この見た目がエラい洗練されてて、間違って一つ後の 大戦の映像を差し込んだんじゃないかと思えるくらい)、戦果を上げてる見たいだった。 日本陸軍は一次大戦から色々学んだわりに、陸戦への高射砲の積極投入って発想には至らなかった見たいね。 八八式も一応陸上目標が撃てるって程度だったし。
ほかの軍隊みればドイツがちょっとおかしいだけで日本は普通なんだけど。 それとも世界各国が軒並み高射砲で地上目標を撃ってたっけ?
よく↑こういう意見見るけど 高射砲で何撃たせるつもりなんだろうね 経空脅威が一番、次が海上目標って状況下で
ソ連はクルスクでパンターへの対抗策で85mm高射砲を使ったね 英軍はボフォース40mm機関砲でビルマの日本軍トーチカ潰しをした程度かな ドイツの高射砲陸戦使用は特記できる現象 機関砲もふつうに地上目標を攻撃できるよう設計されていた 汎用兵器化をめざしていたんだろうね
>>629 単純に対戦車砲として利用可能な75mmクラスの野砲が少なかったという事情もあったりする
ドイツは戦前から師団砲兵に10cm榴と15cm榴装備の方向だったし
第一次大戦までの野砲のストックも極端に少なかった
しかも対戦車砲といえば37mmしかなくて
よほど接近するか迂回しないとフランスの歩兵戦車の装甲が射抜けないのは理解していたから
イタリアの90mm砲、イギリスの94mm砲、ソ連の85mm砲、アメリカの90mm砲、みんな陸上目標撃てたし、対戦車砲の 母体にもなってるけど。 小型軽量で機動性の面で日本陸軍の高射砲は有利だったはずなのにね。 シャーマンが丈夫だと知った後、泥縄で陸上目標攻撃への積極転用を考えはじめてる。
ドイツの高射砲にしたって最初は最後の切り札的にフランス戦のロンメルやアフリカで使ってたのにな。
>>631 撃てるだけなら日本の高射砲でも撃てるわけでな。
で、それらの砲がどれだけ実戦で役に立ったわけ?
スペイン内戦で陸上目標撃ってなかったっけ。>88mm
>>631 >>627 「〜も撃てる」って話なら高射砲には高射尖鋭弾しか配備されてなかったわけじゃないよ、としか。
車載転用されなかったのは後座量が一定かつ当初から平射火器として作られた九〇式野砲があったから
有意な貫徹力の差は無い訳で、ならば野砲転用の方が短期間に実用できて有利
シャーマンショックはもう撃てるものはなんでも水平に撃て、の時期だからまた話が別
>>632 新兵器の実験場スペイン内乱にすでに8.8cmの徹甲弾があったんだね
7.5cm野砲不足のドイツ軍が対戦車用のギャップ埋めに高射砲を転用したというのは、説得力あるね
>>636 「いろいろクドい話」でググってブログ読むといいよ
読み終わるまでレスしなくてもいいから
じゃあ暫くレスしなくていいよ(^-^)/~~
ドイツの高射砲陸戦転用も日本軍の山砲偏重装備も実戦で一定以上の戦果があったんだから、 それでいいんでない? ほかの列強国の装備や運用にくらべ特異だったにせよ 変わってて悪いの?
平射を考慮してない野戦高射砲って少ないと思うけどね 何が問題ってソ連と戦うつもりだったわけで
ノモンハンでも自信満々だったんだよな「鶏頭割くに牛刀を」ノリで 虎の子の野戦重砲群を投入した 辻の対ソ戦作戦要綱だっけ? あれは誇大妄想の産物でないのか? 日本の諜報部も馬鹿ではないから、ほぼ正確なソ連軍の兵力、装備も把握してただろうに
日本軍というか、日本人の組織の今もなお続く欠点として、情報を共有せず、情報をためこむのがある。 さまざまな部分的な情報を統合すればわかっただろうが、その統合する組織ってのがないか あっても、機密をたてに他がろくに情報をよこさないので、機能しない。結果情報を活用できずボロ負けする。
台湾沖航空戦の大戦果とかな 戦果の確認誤った海軍はもちろん、のちに誤情報と判明しても、握りつぶした陸軍の瀬島なんて国賊モンだよな 瀬島が戦後に重用されたのも、事実が世間に認知されてなかった証拠だろうな
独は一応戦間期に75mm級の野砲、山砲を制式兵器のラインナップに加えたけど 結局それだけだったからな 直射野砲として高射砲を投入しないとどうしようもなかった面もあるかと
>>642 高低差とか弾薬不足とか客観的条件からして戦果が少ないこと自体は仕方が無いよね。
でも、砂地の長距離砲兵戦で相手をつぶすのがどれだけ大変か、理解して無かったくさいのは別だよね。
畑勇三郎日誌なんか見ても破壊・制圧の文字が躍ってるけど、
どうも有効な打撃を与えてなかったというのが真相なんじゃないかな。
撃破しても撃破しても湧いてきてるんではなく、そもそも当たって無い。
でも、戦死傷者が日本側より多いってのは、歩兵戦闘の結果のみではないだろうよ 山砲、速射砲でソ連戦車を多数撃破したのが効いてるんでは? 果たしてノモンハン戦、ソ連側の記録で日本軍砲兵の脅威を記したものはあるのかな…
全く効果がなかった訳でもなかろうが 軍事的に見れば完敗だったのは間違いないだろうね>ノモンハンの対砲兵戦
派手にドンパチやった割に、日本側も実害はさほど無かったのかね? 脚が折れたとか復座不能になって使用不能になったくらいで
コレヒドール砲撃戦を見てもそうだが対砲兵戦で砲撃で的確に敵火砲を潰すのはかなり難しいのでは?
虎の子の野戦重砲が自損のほか、ソ連軍にほとんど破壊、鹵獲されてるんだよ これ以降は対ソ戦に慎重になるのわかるわ 写真は「ノモンハン戦車戦」に載ってる 日本軍が鹵獲したソ連砲は戦車による夜襲の戦利品らしい
653 :
名無し三等兵 :2012/07/28(土) 23:41:40.31 ID:DpHaxyuF
ノモンハンでの対砲兵戦で日本側に破壊されたソ連火砲ってあるのかな?
「はじめてのノモンハン戦」にアルビン・クックスの著書引用で 重砲の砲撃でソ連の砲と兵隊が芥子粒みたいに空中に舞い上がったとか描写があるね
>>654 みんなそういうから、あんまりあてにはならないんだよな。
機銃掃射してる敵のパイロットの青い目と笑った白い歯が見えたとか、
特攻機が命中した空母が爆発して真っ二つになるのが見えたとか。
>>651 難しいよ。だから沖縄で国軍のたった4門の重砲に軍団砲兵すべてが指向されるなんてことになる。
482 : 名無し三等兵: 2012/04/25(水) 22:30:59.25 ID:??? 「ノモンハン戦車戦」よりソ連・モンゴル軍の鹵獲兵器数量の一部を抜粋 擲弾筒 189 150mm迫撃砲 7 90mm迫撃砲 6 83mm迫撃砲 5 150mm砲 5 150mm曲射砲 7 105mm砲 8 120mm曲射砲 11 77mm砲(中国製) 5 75mm師団砲 31 75mm山砲 26 九二式70mm臼砲 30 九四式37mm速射砲 55 九七式20mm自動砲 1
沖縄の国軍砲兵は被害担当って意味合いでも実に良い仕事したよね
沖縄戦における皇軍砲兵はもっと顕彰しないとね
120mmって三八式十二榴しか該当砲がないんだが まともに戦闘できずにほぼ引き回しで終わったと言われる十二榴が半減してたとは…。
大戦後半に送り込まれた戦場では嫌でも戦闘に参加したから フィリピンとか硫黄島とか つか硫黄島の三八式十二榴の戦いぶりが知りたい
鼬の最後っ屁で米軍に痛撃浴びせたと思いたいよな>十二榴
硫黄島とかで直射で使う分にはそれなりに使える気もするけどどうなんだろうね?
遠距離砲戦じゃなければそれなりに使えたでしょ 弾量は……うーん十榴程度は一応あったわけだし
九八式榴弾なら全備20kg、炸薬3.17kgだから強烈 ソ連の122mmの榴弾が全備21.76kgで炸薬3.67kgだから、そんなに変わらない
ノモンハン時点でさえ榴霰弾が主じゃなかったかと思うんだが 決戦場の硫黄島(元々はサイパン用?)にはちゃんと榴弾持ってったんだろうか
>>660 多分第二十三師団砲兵隊の装備分だけだから、12門中11門鹵獲されとる勘定よ
鹵獲122mmの再鹵獲が数の内になければ
末期に実力以上に活躍したんだが、玉砕地のため、以前の悪評以外伝わっていない 砲だったりして
150mm迫撃砲 7 →九六式中迫 90mm迫撃砲 6 →九四式軽迫 83mm迫撃砲 5 →多分再鹵獲 150mm砲 5 →十五加 150mm曲射砲 7 →十五榴 105mm砲 8 →十加 120mm曲射砲 11 →三八式十二榴 77mm砲(中国製) 5 →七糎七 75mm師団砲 31 →三八式野砲 75mm山砲 26 →連隊砲含む こんな理解でいいのだろうか
結局、またぞろ始まった高射砲の話は ノモンハンの話に転移?
ブーゲンビルの米軍タロキナ飛行場を稜線上から攻撃した際は 90o高射砲での反撃を受けたとさ。稜線は航空機以外の攻撃には随分強いので、 損害は僅少。
火砲の種類が多すぎだな、種類を整理して量産できなかったんだろうか。
日本は多いってより古い砲を後生大事に使いまわしてるだけじゃ・・・他国を本気で調べたらチビるぞ 実際生産は対米開戦近くに10榴15榴に絞ってるし
制式で現時点で生産してる砲種はすくないね。675のいうとおり 旧式砲をあとあとまで使ってる。 四一式と九四式山砲、四年式と九六式十五榴の並行生産が674の感想になるんだと 思う。無理からぬことで。 十一年式曲射歩兵砲も二十年度火砲調達計画にあって、「ホント生産していいのかよ…」 とゆーのがおれの感想ではあるが。
>>676 II型ってことは爆弾投射法用だろうから既存砲からの改修か?と思ったんだが
よく考えたら全生産数<調達予定数という( д ) ゜ ゜ な状態
これまで生産に参加していなかった地方の町工場でも動員する予定だったのかも
まああの調達計画ってどう見ても無理な数字が並んでるから
これだけ作る、っていうより本土の根こそぎ動員師団の武装にはこれだけ必要ってことなのかも
十一年式曲射歩兵砲をわざわざ終戦まぎわに調達って、 九七式などより町工場水準のローテクで造れるメリットがあったのだろうか? 九七式は砲身の製造で技術的ネックがあったそうだが
南方からの船団もとうに途絶え、工作機械も摩耗が激しく、故障だらけ、工員も食糧確保に忙しくて 欠勤だらけでまともに働いてないというのが昭和20年の実態だから、単なる数字あわせでしかないような
680 :
名無し三等兵 :2012/07/29(日) 21:47:58.69 ID:???
十一年式曲射歩兵砲は旋条砲身だから、どう見ても迫の滑腔砲身より 製造難易度高そうだが・・・
あれ上の方で第一軍さんがあげてくれた計画値だと昭和20年の数に 個別の兵器名がないけど十一年式は迫、臼なんかの中なのかな? 正直昭和19年、昭和20年の計画値は資料、書籍によって提示されている数値に差があるような……
>>680 II型と限定してるところがミソで、要するに概略十一年式曲射歩兵砲のままで
砲身なんかはただの筒の可能性もあるよ
爆弾投射法とか破壊筒投射用に使うならだけど
683 :
暫編第一軍 :2012/07/29(日) 22:24:58.69 ID:???
>>681 >>345 で挙げたS20年も含んだ数字は
「自昭和六年至昭和二十年類別主要武器生産数量一覧表」に基づきますから、
或いは集計漏れもあるかもしれませんが、一応実績と考えていいと思います。
S19年の計画値に違いがあるのは、多分計画が何度も改訂されているからでしょう。
戦史叢書の該当巻からもそれは覗えますし、残っている資料も成立日が
正確にわからないものもあるようです。
今まで挙げられた数字以外に最終案がある可能性もありますね。
>>683 乙です
当スレは困ったときの貴氏たのみのようで、面目ねぇです
>>671 まあ、高射砲の話自体は良いんだけどなあ
最近国軍高射兵器、部隊はかなり正確かつ良い評価をされる事も多いし
そういえば九一式十糎榴弾砲は結局機動も含めて何門生産したんだろうか?
シュナイダー輸入砲が300門 昭和17年10月末で1155門 米軍戦略爆撃調査団に大阪造兵廠が提出した書類で昭和17年に200門18年に100門 製造とある 機動砲は昭和17年に40門、18年に40門 前スレにおれが書いたし、NF文庫新刊を買ってくだされ
NF新刊と言えば 既出だけど九〇式野砲の生産数が少なすぎて笑った 82門とか…全数機動台車or改修で機動砲化しておかしくないくらいの数 あと、やっぱり一式徹甲弾の貫徹力は70mm/1000mって数字なのね…
いや、1000mで70mmなら良いんでない?
金質が劣る日本の装甲板でそれだとアメリカ製の装甲だと、絶望的な数字が見えるぞ 実戦だと垂直に当たらないからますます貫通力は減少する
>>689 いや四式中戦車スレで
第一総軍氏のお持ちの資料には全く別の数字が出ていて議論になったことがあったんだよ
#個人的には第一総軍氏提示の資料が今ひとつ鵜呑みに出来ない気はしている
#しかし、冷静なはずの氏が結構この点に固執しているので
#少なくとも氏は提示した資料の信頼度をそれなりに評価していると思われる
「歩兵砲・対戦車砲 他」にも70mm/1000m、特甲の場合85mm/1000mと明記されてるんで
佐山氏の手持ちの資料はそういう数字なんだな、ということ
絶望的な数字が見えるぞ ↑
鵜呑みにできないという自分で資料挙げろよ
>>690 装甲の質は極端には劣らないか一部欧米に勝るとかも聞くけど
時と場合によりけりか
ただ米軍が試験すると同じ砲弾ブッ放ってる筈なのに威力が上振れているような気が
>>691 その時の資料だと貫徹力はどれ位だったの?
貫通の可否の基準も国によりけりだからね 米軍は結構甘めの基準で貫通判定してたはず
ttp://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/army/1320804633/491-493 「Tは被帽を有するもの、Uは有しないものを示す」
※の方の資料は「1、2種とあるは徹甲弾によるものとし(後略)」だそうな
機動九○式野砲 初速680m/s
200m 105mm/90mm
500m 98mm/82mm
1000m 88mm/70mm
1500m 82mm/62mm
2000m 75mm/55mm
※300m 102mm/88mm
※400m 99mm/85mm
※500m 98mm/82mm
暫編第一軍氏自身の「I、II種」の見解は
>501 : 暫編第一軍 : 2012/02/18(土) 11:35:53.25 ID:???
>
>>500 > 近衛第三師団資料の47mm砲の貫通力500mで75mmは、
> 陸軍大学校研究部の資料に拠る一式徹甲弾T種の同距離で貫通力78mmとほぼ一致しています。
> 九○式野砲も同様で500mで95mmに対し、同98mm。
> 試製75mm砲も1000mで100mmと全くの一致を示しています。
> この辺りを見る限りTとUは実際には鋼板の種類ではないかと思えます。
> 被帽の有無としたのは恐らく元資料か近い資料にある幾つものデータの中で、
> そういうTUで被帽について区別した資料があり、
> それをそのまま混同してしまったのではないかと疑います。
>>687 ありがとう
佐山さんの新刊まだ買えてないんだ
しかし機動砲そんな少ないのか
意外
>>696 これだと九〇式野砲の1000mでの貫徹力は88mmということになってくる
(普通は貫徹力と言った場合には均質鋼板の数値の方を指すから)
それに対して色々な意見が出た訳だが
個人的には
試験用弾薬で試射が済んだばかりorまだ試験前くらいの
試製75mm砲の数値が普通に出ていたり
明らかに誤記が混じっていたりするので
この資料は試験結果そのものから引いた数字の集まりではなくて
様々な資料から引っ張ってきた数値の寄せ集めじゃないかと推測している
I、IIについても、単なる誤記でなく鋼板の種類やら砲弾の違いやらをかなり混同してるんじゃないかと
で、九〇式については該当スレで話題になったようにIは特甲、IIは通常の弾丸を示しているように思ったが
あくまで個人的な見方なので
>>691 のような感想になるわけ
結局一から十まで詳細な試験環境、条件を列挙してされた物がガッツリ残ってないし ブレブレなのは仕方無いのかもね しかし一式徹甲弾も実際はどん位滑ったんだろうなあ?
>>699 機動九〇式野砲の生産数に比べて少なすぎよね
いくら野砲の方が配備先が多いとはいっても
>>698 の資料の一種と二種って鋼板の種類じゃないだろ…
硬化鋼板と圧延鋼板だと、前者はAPに対して特に高速側で有利さが顕著になる傾向がある
つまり距離が離れれば離れるだけ差が縮まるのが普通
距離が離れるに従って差がでかくなるのは
例えばAPBC(APCBC)とAPを比較したときの特徴がそれに近い
しかし、近距離でも逆転してないのは腑に落ちない
まるで硬化装甲に対してAPBCとAP撃った時みたいな結果
オランダ軍も改造三八式野砲と同じような改良をしていた…らしい
>>704 それ、クルップ野砲を?
写真みたいもんだね
やはり成功とはいえない改造だったのかな
野砲山砲の九四式山砲の穿孔弾の図見てて思ったんだが これ四一式と同じ初速になるように装薬加減してるよね 元々九四式山砲の薬筒は三八式野砲と同じもので 装薬減らしてその分空隙に詰め物してるから、調整すること自体は普通のことかと
山砲で装薬量を三段階くらい使いわけるんでなかったかな 射程と砲弾落角のからみで 中西立太さんの「日本の歩兵火器」に四一式の詳しい砲弾図が載ってた 本が埋もれててみつからない 九四式の平射で四一式の初速にあわせると、弾道性能が思わしくなかったんで ないかなぁ?
「大砲入門」P207の表が誤りの可能性もあるけどね たしか「日本の大砲」とタ弾記述表がおなじでなかったかな 初版は旧いんで 九四式タ弾は四一式用と同時に採用されていたのかもしれない
>>703 そんなあなたにお勧め陸軍技術研究会。
47mmタングステン鋼徹甲弾
T種鋼板79/70/56/45
U種鋼板55/45/31/23
T-U24/25/25/22
47mm弾丸鋼製徹甲弾
T種鋼板72/65/52/43
U種鋼板48/39/28/20
T-U24/26/24/23
左から距離200/500/1000/1500m
>前者はAPに対して特に高速側で有利さが顕著になる傾向がある
少なくとも日本軍のAPに関してはあんまり変わらない。
>>698 氏のリンク先だと47mmはこう
一式機動47mm 初速830m/s
1000m 54mm/35mm
※300m 84mm/57mm
※400m 81mm/54mm
※500m 78mm/51mm
300から500は同じ。1000mになってやっと差が小さくなる。
陸軍技術研究会の94式37mmだと
タングステン鋼
T種53/44/34/25
U種31/26/19/(15)
T-U22/18/15/(10)
弾丸鋼
T種49/41/31/23
U種28/24/16/15
T-U21/17/15/8
こちらは差が少しづつ小さくなっている。
大威力砲になるほどTUの差が維持される傾向があるみたい。
>>710-711 そう、どちらを見ても遠距離側で僅かながら差が詰まっている
少なくともどんどん開いてはいない
つまり、九〇式野砲のデータはあからさまにおかしいわけ
>>712 良く見て。
>>710 だと
タングステン鋼T-U24/25/25/22
200mから500mはむしろ僅かに差が開いて1000mは横ばい。1500mでやっと僅かに縮小。
弾丸鋼T-U24/26/24/23
これも200mから500mはやっぱり僅かだけど差が開いて1000mで僅かに縮小が始まってるけど200mと同じ。
1500mでやっと200mより小さくなってる
47mmの場合順当に小さくなってはないんだよね。
で
>>698 氏の抜粋した九○式の数字も
左から200m500m1000m1500m2000mが
15/16/18/20/20
200mから1500mまで微増して2000mは横ばい。
47mmタングステンの1000mまで弾丸鋼の500mまでに傾向が似ていると思わない?
大威力の九○式だと差が縮小し始めるのは47mmより遠距離で2000m以上になるんじゃないかとね。
俺もあの議論参加者だったからあのころ当然考えたわけで。
俺はあの議論で全然違う方から見てた訳だけど
>>698 のリンク先見ると
八八式7糎高射砲 初速690m/s
200m 95mm/76mm
500m 85mm/68mm
1000m 75mm/60mm
1500 65mm/53mm
2000 56mm/46mm
かなり順当に詰まってる。初速やら口径は九〇式野砲に一番近い
一式37mm 初速800m/s
500m 40mm/30mm
※ 300m 57mm/37mm
※ 400m 54mm/34mm
※ 500m 52mm/31mm
そもそも二つの資料で一致しない。
まあ、さまざまだから、俺としては初速が高い七高がなんで全域で野砲を下回るのか?
とかいう方に目が行ってしまったよ
そういやT種、U種は鋼板で データそのものが九〇式野砲のは特甲使用の場合を示してるって筋もあるわな ただ、九〇式のU種の数字と七高のT種の数字比べると 丁度存速差に該当しそうな絶妙な按配で重なるんだよなー 偶然なのか何なのか というところで計算機に突っ込む作業をする気力がなくなったのを思い出したw
>>713-714 悪いが差分を比較してその結論が出るのが理解できない
陸軍研究会の数字はフリーハンド作図からの読み取りであるはず
作図の荒っぽさについては第一総軍氏等が認めていたことは当時の議論に参加した面子なら覚えているはず
更に数字を出す段階で丸め方による誤差が指摘されていた
2から4ミリの差は誤差の範囲ではないのか?
せめてご自分でプロットして出した数字を出して見ませんかと言いたいが意地悪すぎるか?
>>715 何を言いたいのか理解できない
まあ久々になんか懐かしい話になってるからしゃしゃり出ただけw また計算機にぶっこんだらデータ持ってくるわw だけど結論先にありきで話してもつまらんよー じゃあまたw ノシ
>>717 それを言ったら九○式の数字も1〜2mm単位なんだけどね。同じこと。
>>719 陸軍研究会の作図について言っているのだが
721 :
暫編第一軍 :2012/07/30(月) 22:47:17.25 ID:???
おやおや。 一式徹甲弾の話題は四式スレのUがあるのでそちらでやった方がよいのではないでしょうか? あちこちでやると後で探すのが大変になりますから。 あちらの方で6月頃でしたか、75mm一式徹甲弾の対第T種鋼板50mmと80mm射撃の 限界速度データを書き込んでありますのでご参考に。 計算している人がきちんと見れば面白い数値の筈ですから。
おや暫編氏乙です この話題荒れるねえ、なんかいい解決はないもんかね とりま、お体大事に ほいじゃこんどこそまたノシ
723 :
暫編第一軍 :2012/07/30(月) 23:08:24.64 ID:???
>>722 みんな九○式野砲への愛が強いんです。ただのディープラヴですよ。
ストレンジ・ラブでは? 旧軍火砲なんて軍オタでもかなりの希少種だからな キューブリックの映画「博士の異常な愛情」はおもしろいよ あんなのが火砲設計者だったら、マジキチ級のすごいのを開発するんだろうな 日本だったら、大川周明か死神博士の天本英夫みたいなの ふたりとも東大出だったな
>>724 現実化するだけの国の基盤がないよ
我が国にも100トン戦車とか素敵な試製高射砲とか
マジキチ度マックスのものはちらほらあるわけで
工業力にマッチした適切な火砲を設計する能力に長けた天才なら
92式歩兵砲や96式中迫なんてのも ある意味マジキチものだと思うけどな…。 欧米の基準なら「あんなに優秀な分解式75mm榴弾砲があるのに何故?」 「なんでこんな複雑なギミックの迫撃砲作ったの?」 ってなるだろうさ…。
47mmと75mm試製高射砲のスタイルはたしかにヤバすぎ…
機関砲の拡大版と考えれば……。
歯弧だったか、あの部分の切削加工面積と精度もださなきゃならんこと考えたら、 コストがめちゃくちゃ高くなるはずだからね。特殊鋼だし たとえ性能でクリアしてても コスト高を容認するにせよ、ふつうはほかの部品にカネかけるだろうよっていう
俯仰部の歯弧は、普通の形式ならドイツのFLAK18とかも採用してるから これといって問題が出ない部分なのでは? ムチャクチャ低い位置にあるけど、やっぱり反動は主に砲耳にかかるような気がしてならない
あの砲は歯弧のデカすぎが異様なわけで ピニオンギアとベベルギアを組み合わせれば、あそこまで大きくする必要はないね ああ、そういや日本は傘型歯車の切削加工がてんでダメだったんだな… 車のギアのデフケースの件で
傘歯車用のグリーソンカッターは日本では最後まで製造できなかったからね。輸入品がすべて。 そもそも精密歯車がアメリカからの輸入品だった
あの機構はどこか松本零士とか宮崎駿臭さを感じるw マンガやアニメなら見栄えのするギミックになるんだろうなあと 脱線失礼
当時の日本の工業水準を考えれば、製造に合理性があって秀逸なデザイン案なのかもね 見慣れてないから、現代のわれわれがアグリーに感じるだけで
結局水子となった四一式騎砲の後継騎砲ってどんなんだろうか?
GPに載ってたな。持ってないのですまん。
蘭印で鹵獲した火砲ってどんなもんなんでしょうか 国民党軍と蘭印軍のボ式山砲は違ってたらしいけどそんな早く再利用できるものなのかな
藤田さんの「もうひとつの陸軍兵器史」にオランダ軍のは載ってたね ボ式山砲は秋の防衛大学園祭に行って、おれが写真撮ってくるよ ゴムタイヤのみならず、サスペンション装備か否かの確認で
当時の在蘭印オランダ軍の火砲ってどんなもんなのよ?
ttp://www.ww2incolor.com/forum/showthread.php?2936-KNIL- (Royal-Netherlands-Indies-Army)/page4
75 mm Mountain Gun M/1922 Bofors L/22 - 28 total
105 mm Howitzer M/1928 Bofors L/19 - 14 total
75 mm Field Gun M/1911 Krupp L/30 - 40 total
12 guns M/1911 were 1938-39 modernized with pneumatic air tires - (75 mm Field Gun M/1911-38 Krupp L/30)
75 mm Field Gun M/1917 Bethlehem L/30 - 50 total
75 mm Field Gun US Ordnance M2A2 L/40 - 12 total (2nd Bn 131st US Field Artillery - Texas National Guard)
75mm M2A2というのは、学研ムックかなにかで、最前列に二門が日本軍鹵獲蘭印写真にあったやつかも フレンチ1897の砲身流用のやつか あの写真だと、たしか、写真だと防盾が3インチ対戦車砲とおなじタイプだったはず
>>743 九六式十五榴が偽装だけでなく迷彩塗装されてるね
GP佐山連載の写真で米軍鹵獲された個体もあきらかに二色以上で塗られているね
ご存知の方がいたら教えてください。 96式15榴を南方でゴムタイヤ装備に現地改造したものがあったそうなのですが、 ・それは事実か ・写真等は残っているのか 教えてください。よろしくお願いします。
ゴムタイヤ改造のが、存在したのは事実 南方の重砲兵連隊だったかな?GP当該号が部屋に埋もれてるんで… 写真はいまのところ公表されてないね
>>747 佐山先生の大砲入門p.317によれば
野戦重砲兵第十七聯隊が独自に
改造したらしいね。
>>748 >>749 ありがとうございます。
GPの記事にも写真はありませんか…。
ゴムタイヤ装備なら結構近代的な外観になるのになと、96式を見ていつも思います。
写真は気長に探してみます。それにしても何のタイヤを流用したんだろう?日本の火砲には適当なのがないから、トラックのダブルタイヤでも流用したかな?
北京の博物館に現存してる九六式十五榴、九二式十加が中共軍仕様でゴムタイヤ や防盾が改造されてるね 野重十七をググると、写真帳がでてきて四年式十五榴のショットもでてくる 南京攻略にも参加、でのち連隊が関東軍所属だそう 北京に現存九六式は、もともと野重十七の装備砲だったかもしれない ソ連砲みたいな改修で、日本軍時代に手を加えたものとは到底思えないけど
>>752 もと二重帝国ゆえ、ベーラーM18とシュコダM17 8cm野砲と共通部品がかなり多いみたい
部品下請け工場がだぶる様で酷似した砲
10cm M14とM14/19で砲架の形状がちがう、後者はベーラー野砲の流用かもしれない
ベーラー砲で当該10cm軽榴はないようなので、支那仕様の一四式十榴は砲身をシュコダ
から供給うけたものかも…
754 :
名無し三等兵 :2012/08/05(日) 22:30:36.06 ID:rbhbwaXl
31式山砲で対戦車戦闘なんか戦歴ありますか
オーストリアはドイツに併合されてしまうから、「日本の大砲」から新刊の野砲本でも ドイツ式砲という表記は間違いではないが、 満州事変で奉天兵工廠を接収するのは、それよりずっと前のことで、正確を記するなら苦しい感じはする
756 :
名無し三等兵 :2012/08/06(月) 21:25:53.96 ID:???
>>754 聞いたこと無いわw
31式山砲にはそもそも徹甲弾が無かったかと。
十加とか八八式七高って(九〇式野砲、山砲と十〜十五榴と違って)人気ないな。対戦車砲として。
九二式十加がビルマで対戦車戦闘してなかったか?
ビルマだと15榴と10加が揃って対戦車戦闘しているな
しかしシンガポール攻略戦の国軍の砲撃は凄まじかったとよく言われるが 師団砲兵と軍所属の各砲兵部隊の砲数を数える限り 正直WW1、WW2の欧州戦線に比べたかなりショボいけど あれは国軍としてはあり得ない程撃ちまくったって事なんかなあ?
英軍の要塞砲は海の反対側向いてるのがほとんどで、日本側の砲撃にほとんど 対抗できなかったってことだろうと思う 報復手段もたない側からは一方的な脅威ってことでは? 英軍の記録では、最大の降伏を言い訳する内容がやたら多いし なにかと「敵は強かった」と書きがち
総督官邸に着弾した八九式15Kの砲弾の威力に狼狽した総督夫人が 半ば発狂してそれが総督らの降伏決断につながったという伝説付き
水源池取られたからだろ。
佐山さん本には降伏決断の理由の一つ的な感じで書いてるけどな あの佐山さんが
大阪城みたいだな。
いかにも日本人好みの逸話すぎて疑いたくなるw
旅順攻防戦でも似たような話があるわな 市街地が砲撃されてステッセル夫人が騒いで、降伏決断したと お決まりの落城逸話であって、眉つば
しかし水源を取られたのに米で馬を洗う伝説はなかったな……
逸話はどうあれ、大口径弾丸や特種火砲弾の炸裂が心理的にも凄い効果を与えるのは事実よね
スターリングラード攻防戦の時もドイツ軍の重砲不足が敗因と言われているし
771 :
名無し三等兵 :2012/08/07(火) 21:25:59.48 ID:???
>>757 九二式十加はノモンハンで対戦車自衛戦闘してるよ
直撃したBTは文字通り宙に吹き飛んだと。
772 :
名無し三等兵 :2012/08/07(火) 21:28:16.55 ID:???
すまん771だが、これは89式十五加の話ね 勘違いスマソ
>>771 いや大戦中のこと。九〇式の影に隠れて目立たないのは分かるけど、なかでも十加の影の薄さはアレ。
ビルマでは奮戦してるのに そして中支では十四年式が活躍
>>761 実際は旋回出来たから撃てたらしい
不味かったのは砲弾の大半が徹甲弾だった事らしい
榴弾じゃないから散開した陸上部隊にはあんまり脅威にならんしね
コレヒドールも海向きの砲が多かったと聞いたがどうだったんだろ
アラビアのロレンスのアカバ攻略のシーンみたいだな
>>774 すまない、正確に言うと大戦中の対戦車戦闘の十加の事
撃破した時の距離とか状況とかあまり出ないし
戦争末期のフィリピン戦で高射砲部隊が米軍戦車を迎え撃った話を読んだことがあるんだけど 高射砲部隊が徹甲弾を持っていたのかね? それを書いた筆者はすぐその場を離れたみたいだから戦車を撃破できたかはわからないけど
>>779 配備状況は知らんが、八八式と九九式には破甲榴弾や徹甲弾も用意されてる
781 :
名無し三等兵 :2012/08/08(水) 11:47:08.43 ID:4MZ1lyKa
九二式十加30年前インパール作戦での当事者の話を直接聞いたことがあります。 覚えているのは対戦車戦闘では指揮する将校が真っ先にやられた。 最後砲身だけトラックに乗せて退却したことくらい。 もう故人なので話しは聞けないが・・
>>778 普通に野戦重砲として仕事してるなら
戦線崩れて敵戦車がなだれ込んできた時の自衛戦闘なわけだし
威力と米英戦車の性能考えれば当たれば一発だろうし
そんなに語るような事はないんじゃね?
高射砲と言えばアッツ島では平射で奮闘したそうな アッツ島はかなりの激闘だったみたいですね。
784 :
名無し三等兵 :2012/08/08(水) 21:29:23.58 ID:???
>>779 高射砲の徹甲弾はケースバイケースかもね。
サイパン戦では、アスリート飛行場で八八式が徹甲弾で
M4を確か6両撃破してる。
逆にビルマ・ペグー戦では、野戦高射砲金子部隊がM4を迎撃し200mで命中・
擱坐はさせたが、対空用榴弾しかなく撃破できなかった事例がある。
一発の弾丸も一粒の米ももとめなかった、で美談になってるんだけど、 実際は山崎守備隊長が補給と増援の打電しまくりだったそう おととしあたりのNHK終戦番組で放映してた 「郷土の兵隊を見殺しにはできん」で奪回作戦を七師団の鯉戸中将が、樋口軍司令官に直訴したとか
アリューシャンや千島では、弾薬備蓄も米の備蓄も乏しかったんだが、 海産物が豊富で毎日の食事が浜鍋状態で栄養十分だったらしい アッツや占守の奮闘に影響してるんでないかな
それアメリカ軍が来る前の話し。来た後は、すぐ攻撃されるんで、漁もできず飢えに苦しんだ
藤田さんの本で新聞紙ぐらいの大きさの平目か鰈を吊り上げ、 満面の笑み兵隊写真があるな
健康食品だよな 昆布の消費量が産地でない、一番の沖縄が長寿県だし 仕事で沖縄のひとと付き合うが、たしかにハゲがすくない気がする
>>787 アメ公が来る前のアッツ島って意外と写真残ってるよね
それもスキー板履いて皆笑顔とかそういうのが多い
そういう理由だったのか
鳥飼さんのサイトであるけど、アッツ写真はほとんど米軍の鹵獲品だね
>>792 デカいだけで味はヒラメやカレイと大差ない
おまいもそれと知らずに食ってると思われ
アッツ八八式七高や、キスカ四一式山砲写真が有名と思う
>>795 回転寿司ネタは深海魚が多いっていうからな
あと、マンボウを染めてビンチョウマグロとかインチキやりまくりとか
まぁ、食あたりしないで、それなりにうまけりゃいいんでない?
>>782 野砲級の装甲の貫通限界はよく見るけど、105o級以上の加農や120o以上の榴弾砲の貫通力とかほとんど見ないから気になっちゃって。
あったとしても一式徹甲弾の結果なのかそれ以前の旧式の徹甲弾の結果なのか分かんねえ事が多いし。
799 :
九六式 :2012/08/09(木) 22:49:06.47 ID:5ZyOMR0P
ユーチューブで The battle of Java 1942 見てください。 戦前の蘭印軍の動画30分
120以上の榴弾砲なら、貫通しなくても至近弾で戦車撃破できる気がする。
>>792 エンガワって殆どオヒョウだよ、つかようはデカいカレイだからね
ただし食用としてはカレイではなくヒラメの代用にされる事が多いけど
>>798 確かにその辺りの火砲の貫通限界とか不貫限界とか気になるね
>>800 まぁ、出来るのはわかるが
細かい数値が気になるのがオタじゃないかw
重砲級の対装甲の威力なら労農赤軍辺りが詳しいじゃない
ソ連の122mmはドイツ戦車の装甲を貫通ではなく、破断だっけか
装甲厚にもよるけど、IS戦車の122mm砲は貫徹力のみならず 徹甲弾25kgの弾量効果でパンターの前面装甲板を脱落させたりしてるね 榴弾でも、戦争末期のレアメタル不足で材質低下したドイツ戦車の装甲板、溶接部には甚大 な効果を発揮したとか古是さんがGPで書いてた
海軍の14センチ通常弾が25mmNVNC装甲相手で(角度20度) 表面で炸裂して500x600mmの大穴を作るとのこと 大口径榴弾って恐ろしいわ
三八式十二榴でもM4にダイレクトヒットしたら、榴弾で間違いなく閣坐するな 「かく」が変換ででない…
擱坐 えっ出るじゃん
擱座 擱坐 ぐぐる日本語にゅーりょく
810 :
名無し三等兵 :2012/08/11(土) 00:47:43.24 ID:CdHLp0nk
アッツにオモチャみたいな11年式高射砲なかったか
811 :
798 :2012/08/11(土) 06:41:35.80 ID:???
米の鹵獲兵器射撃試験のサイトには、重野戦砲は九六式十五榴と十榴しか貫通力が書いてなかったけど 他の重砲は鹵獲出来なかったのかな? それともこの二つにはいやな目にあわされたとか? 徹甲弾が一式かそうで無いか分かってんのはこのサイトくらいなんだよなあ。
上海陸戦隊が使ってた山内短五糎砲って口径と砲身長はベーラー47ミリと ほぼ同じだけど、まともな徹甲弾は配備されていたんだろうか NF文庫で陸戦隊の装備火砲とか纏めてくれないかなあ
短5糎砲の弾丸は事実上一種類で「通常弾」 完備重量1.085kg、炸薬は黒色火薬0.06kg 信管は「六糎五糎」という明治30年制式の弾底信管 砲の装薬は戦時中だと5C2、初速455m/s、常装命数は4000発ちょっと 砲身重量107kg、砲架は二種類あって、仰角20(叉状)が重量360kg 75度(円錐)が450kg、その他付属品があるので装備重量は481kgと570kg 以上、呉海軍工廠造兵部史料集成(下巻)
>>813 昭和期になっても明治時代の旧式通常弾だけだったのか…
>>814 昭和期には礼砲用としての運用が殆ど全てだったから
実弾は一応ありますというだけの状態で海軍としてはそれで特に困ることもなかったと
あとこの砲にかぎらず明治時代の砲弾は名称が色々あったのを 明治末期にある程度整理した結果、大抵の弾は「通常弾」に分類されたんで 弾底信管で炸薬比6%だから、破甲榴弾かしょぼい徹甲榴弾の類ではあるんよ とはいえ明治の砲弾だから金質や熱処理は後の時代ほどじゃないし 信管もちょっと鈍いだけの着発信管(水雷艇等の防盾を抜くのが目的) そして水面で炸裂しないので直撃しないとダメージにならない(炸裂しても威力範囲狭いし) 薄いところだと上手く作動しないしで、軽艦艇撃退にも意外と向かないことが判明 もっと大きな口径の弾に瞬発信管付けた高勢弾なら全部解決ということで こういった小口径は日露戦争中に基本的に76mm以上に置き換えられ 実戦用装備としては事実上終了しちゃってたわけ
明治31年発行の「改正増補砲兵須知」を通販で買ってみた 積む前にパラ見した中身は軍人教育問答・馬術教範・馬学・砲兵操典摘要の4部構成で 部ごとの頁数はほぼ均等、つまり半分が馬関係という当然の内容のようです
お馬さん頼りですねぇ
砲兵の半分は馬でできてるんだな
自動車が無ければ馬か牛しか無いからな
二本足で歩く生物がいるじゃないか
人力じゃ大隊砲が関の山
大隊砲でも南方の密林じゃ運べず、重機と曲射歩兵砲しか無理だった
イラワジ会戦だっけか 15榴を人力で運んだのは
昔の砲兵の愛馬精神が高いのはそういう事ですかね
>>822 四一式山砲歩兵用の砲身を一人で担いでいる有名な「つはもの」の写真があるじゃないか
たしかに山砲は人力輸送は可能だわな
大隊砲、連隊砲は人力で運べる ただ人力頼りだと弾薬が続かない 道をブルドーザーで整備しつつ、弾薬運べればねぇ ただ制空権がないか・・・
ブルドーザー捕獲したけど、それが何のための機械か誰もわからず、捕虜に 教えてもらったくらいの後進国だったんだから無理言うな
コマツの均土機に謝れ。
ブルドーザーの用途を捕虜に聞いた云々は確かガセだったような? 確か現地で速成運転教本作るために聞いたんじゃなかた?
ウェーク島で飛行場修復の際に 日本軍の設営隊が大人数でやってるのを 捕虜が見て「俺に任せてみ」と言って放置された ブルで、という話と同じくウェーク島の飛行場修復作業に 百人単位の捕虜の作業を要求したら「そんなの3人でいいよ」 と言ってこれまた放置されてたブルでとか何通りかの話があるよな あくまでウェーク島の日本軍がブルドーザーを知らなかったなら 有り得る話じゃないかな。試作レベルの日本製ブルドーザーも開戦時には あったというけど少なくともメジャーな作業機械ではなかったんだろうし
二十八さんの意見で、労務者の失業対策で土木工事用機械が日本で発達しなかったというのは本当なのか? 単純に日本のモータリゼーションやら、工業生産力、技術力の限界で産業機械化が遅れていただけの気もするんだが…
あと、内燃機関用の燃料がないでしょ? 欧州で使われてた木炭車とか、もっと 早く導入できれば少しは違ったかもだが
禁輸措置でアメリカから八割の石油を輸入してた日本としてはつらいところでも、 戦前に土木車両の萌芽ぐらいなかったのかね? トラックと牽引車でさえ、需要満たせず、いっぱいいっぱいに終始かい?
インフラを整備するだけの予算がなかったんだろう 戦後みたいに軍事費圧縮して公共事業やりまくればあるいは可能だったかも知れんが
東京には何台か有ったみたいだけど、せいぜい何台かのレベルだからなぁ まず土木工事機械を使ってやるほどの工事が無ければ機械が導入されないしなぁ。大規模な舗装工事やらが 無いとねぇ 結局、貧乏というかそういう機会(短期間で工事をしたり飛行場をつくる場面)があんまり無かった所為じゃないの
実の所、馬に引かせる農耕器具も普及してなくて、 内地からくるそう言った貧乏人達をどーしよー、 てのが満州国での悩みだったとか。 まあそう言ったものを木炭車同様ばら撒けなかったかな? なんて時々夢想したりする。
満州の農地開拓で機械化を積極的に導入 トラクター普及率が結構だったとも聞くけど、真相はどうなの
フォード三トンかなんかの古い戦車に排土板付けたのがあった気がする。
トラクタの普及率って、小峰和夫氏の本とか読んでるけど 出てこないんだよね。 そもそも内地の人間が馬力使った機械農耕(北海道流)も 慣れてない、って先の話で終わってた気がする。
当時の超エリートたる大学卒の初任給が60円の時代に、わずか15馬力の おもちゃみたいな小型車ダットサン14型フェートンが1800円もした。 土木車両一台買う金で、労働者何百人も雇えるんだから、需要がない
当時の日本人の精神構造も近代化の足ひっぱった気はする ココロの問題でね 砲弾生産でも、オートメーションの旋盤、塗装仕上げより、「大和魂こもる」 手作業のほうが偉いみたいな事例は多かったそう 機械が耕した畑の野菜より、お百姓さんが鍬と鎌で丹精に育てた野菜のほうが、 ずっと、美味いとか思ってた節
まあ、満州ではあり得たかもってのはある。 あそこは現地の漢人大規模農家と競争するなら 日本人も対抗して大規模経営をしなければならないが その場合の現地労働者の賃金がかなり高かったと聞く。 この辺はトラクタを大量導入したアメリカ、あとはイギリスと 似ていたらしいが、今度は内燃機関の燃料が問題になる。 どっかで安く入手できてたらなあ(
>>842 普及率ではないけど、どんなトラクターを農業用に戦前の列強が使ってたか
二十八さんが書いてたな
>機械が耕した畑の野菜より、お百姓さんが鍬と鎌で丹精に育てた野菜のほうが、 >ずっと、美味いとか思ってた節 今でも全然変わってないじゃん。
内地だと、農民の7割近くは耕作規模一町未満だから、機械化するには規模が小さすぎるし 高い小作料から来る貧困のため、化学肥料もろくに使えなかった。
個人的には、野菜の味は鮮度、土壌と肥料でほぼきまると思う 鶏糞の肥料だと、芳醇で甘かったりする 実家の家庭菜園の話だが
鶏糞でおいしくなるのは実野菜だな。
>>846 まあ日本はランツブルドッグ(これは自分で調べてる所)、小松、
キャタピラー、ハノマーグ、あとインターナショナル・コンバイン?だな。
(地獄のX島〜より
化学肥料、農薬抜きでやるとありの倍手間かかって、半分しかとれんから 最低4倍の価格でないとぺいできん
>>852 それが、趣味の都民菜園とか、農家の自食用の野菜だろうね
コスト度外視で自己満足ももちろんあるだろうし、うまいもん食いたい、安全なもん食いたいで
うちも家庭菜園やってるけど、農薬はともかく科学肥料は使ったほうがおいしいのができると思う。
>>854 素人で有機肥料つかいこなすより、市販の科学肥料つかったほうがいい結果でる
気はするね
本職の農家には、やはり叶いませんわ
なんの世界でもそうだけど、シロートが簡単に修行訓練なしでできるなら、プロや職人はいらないよ
だから、彼らが必要とされるわけで
盆で砲牽引の馬や牛に喩えたキュウリ、ナス割り箸刺し野菜話題がでるのも 当然なわけで…
馬が碌に飼えないからじゃなくて、日本の農業は島国で鎖国状態だから国土が農地がある程度以上増えないから、 大規模化するより単位面積当たりの収入を増やす方に向かったからで牛馬で引く鋤きで田畑を起こすより、人力で丁寧にやるほうが収穫につながったから その証拠に江戸時代初期と江戸時代末期じゃ単位面積当たりの収入は1,5倍になってるけど牛馬はどんどん数が減っていってる 平野部では牛馬の餌で苦労するから減っていってる。山間地とかはあまり減らなかったけど その所為で意外と牛馬が居なかったのも馬匹を必要とする場面では不利だったのかなと
大阪から江戸への米の回送、北前船とか海運のほうが、経済効率よかったもんで、 馬車、さらには馬車道なんてモータリゼーションの伝統が発達しなかったんでないか? せいぜい飛脚、速馬、駕篭かきが通れる道幅と道路の地盤が確保できれば十分で
ごめん、モータリゼーションの伝統でなく、前段階だな
つうたって明治になったら乗合馬車事業が大々的に流行るわけで 許認可とか身分制度とかの影響じゃないかと そしてせっかく流行った乗合馬車や馬車鉄道が 蒸気機関車や電車に一気に置き換えられて近代的馬産業が根付かなかった
山地が多い日本では、馬車での輸送はやり難いからなぁ。 そりゃ水運のほうがよかろうて。
ある意味で合理的なんだけど ある意味で馬を飼育するだけの余裕がなかったんだなあ 本格的に足りなくなるのは昭和に入ってからだし そりゃ官営主導じゃ馬は増えないよな
機械化に関してはアメリカにもフォークロアがあるね 炭鉱の削岩機と競争して、人力のえ鶴橋で掘って奮闘のすえ勝った、黒人のケーシー ・ジョーンズとか 彼を英雄視する意識は民衆に濃厚にあった。一種のラッダイト運動 日本の民話だと「きかんしゃやえもん」とかのノスタルジー賛美の類 ケーシー・ジョーンズ銘のジーンズを、おれは高校で履いておった 私服の学校だったんで 結局、近代化に逆らった結果は、蛮勇はそれなりに評価されるけど、没落のみでしょ? ドイツ戦車に立ち向かった、ポーランドのモポルスカ騎兵旅団とか
865 :
864 :2012/08/14(火) 21:40:15.61 ID:???
ちなみに削岩機には勝ったが、ケーシーは過労死したというオチ
制服のない私立か
近代化に逆らったわけじゃなくて、馬による輸送という段階を飛び越してしまったのが問題なのでは? 建設機械については、失業者対策もかなり効いてるんで、政策ミスと言えるかも。 しかしこれもイデオロギーとは無関係で、多分に場当たり的なもの。
868 :
864 :2012/08/14(火) 21:45:29.47 ID:???
いちおー、もと旧制中学の公立 日教組の管理教育にたいするアンチ表明だったとか
パブリックスクール系出身の人間としては …アホか
私服だと、個人のセンスとか生家の意識や経済状態とかモロにでるんだよ ことごとく露骨にね。ホント残酷なぐらい 戦前戦中の下士官や将校軍服と一緒でさぁ
大恐慌の煽りでコストが 機械>人間様 だったから、では
>>870 >私服だと、個人のセンスとか生家の意識や経済状態とかモロにでるんだよ
>ことごとく露骨にね。ホント残酷なぐらい
結果、下らんことにエネルギーを割く結果になる。
共学同様で、実はそんなに望ましいことではないな?
ある程度均一のレベルの学生を作りたいのであれば。
騎兵突撃って本当に騎兵単独で戦車だけに向けてやらかしたのかな 自分とこでも戦車持ってるから、やるなら対戦車火力の援護がありそうなもんだが
>>871 二等兵の月給が5円程度、女中一人が都市部で月給5円、農村だと年5円
外国製の車両は1万円以上。これで建設機械を導入しようって気にはならないな
でも、寄宿制だと、たしかに禁欲の結果で学業成績だと優秀だけど、ホモの温床とか 性格歪むとか弊害も多いみたいだぜ 営内女人禁制の軍隊や刑務所が同性愛、PTSDの発症率なり自殺率が民間の水準を群ぬいてるみたいに
>>877 >でも、寄宿制だと、たしかに禁欲の結果で学業成績だと優秀だけど、ホモの温床とか
>性格歪むとか弊害も多いみたいだぜ
大不況(1930年代の世界恐慌ね)でなくなったところもあるけどな。
辺鄙な所になければ通えば良い訳で、その頃になれば家族単位で交通手段が
取得できたり電鉄などの交通手段も張り巡らされるようになるから無理に寄宿舎に
閉じ込めておく必要もなくなる。
>営内女人禁制の軍隊や刑務所が同性愛、PTSDの発症率なり自殺率が民間の水準を群ぬいてるみたいに
ま、風通しが良くなればそういうのも減るよ。
>>864 >>875 確かにポーランドの各騎兵旅団やその他騎兵部隊はは独戦車と交戦しているが
ちゃんと対戦車火器と遮蔽物を活用して有効な打撃を与えている
おまけに独歩兵部隊には側面から騎兵突撃して
大混乱に陥らせて一時壊乱させているし
まあどこもリッチメンな騎兵の中の人達、オートモービル位 持ってるから利点や弱点は把握してるんじゃない?
ポーランド戦で騎兵はドイツ戦車を対戦車砲に誘いだすための囮を買ってでるのが、 戦術だったのか? 自己犠牲の美学をふくめて
世の中には、ソ連軍に騎兵突撃して勝ったイタリア軍もいるからな。
まぁ、歩兵だと騎兵突撃でブルってしまう場面が多いと思う 迫力があるから 実際は小銃と機関銃で騎兵突撃は無力化できることを、日露戦争で証明してるんだけど 独ソ戦でも、ソ連軍騎兵突撃を損害ゼロで粉砕したドイツ砲兵の戦果がいくつも あるし 有効性実効性より、精神感作が実戦で作用する場面も多いということだろうね 日本兵の日本刀ふりあげて銃剣突撃にアメリカの新兵さんは銃捨てて逃げたように
>>882 イタリア萌のひとが怒るぞ
当スレは不振の伊スレ移民も多いみたいだし
>>883 とは言え適切なタイミングで側面から突撃されたら
歩兵では騎兵突撃に火力を投射するのは難しい
例え冷静でも対処が追いつかない可能性も高いし
で、森林からのパルチザンやら歩兵、騎兵の不測の攻撃に備え 鉄道と幹線道路の周囲を数100m伐採させて見通しよくしたドイツ軍はなかなかのもんだと思う 実施するまえの損害が半端なかったんだろう 血の代償を活かしてる
887 :
名無し三等兵 :2012/08/14(火) 23:51:06.35 ID:z2yvdx2w
戦前に耕運機を大量生産できないかな
焼玉エンジンなら可能 農家の脱穀やらの動力源と船でも普及してたし
その金誰が出すの?つくってどうするの?土地の集約化しないと機械いれる意味ないよ。
ただ発生出力のわりに重いから、耕運機には適当でないね
>>889 戦後の土地改革で却って、農地が細分化して
そののち高度成長時代の都市化工業化による地方の過疎による離農で農業の機械化が飛躍的に促進したという皮肉な歴史が
あるね
ランつブルドッグ
馬をお試し程度で、内燃機関の車両に移行する手法もなかったわけではないんだが… 世帯のちいさなタイ王国軍みたいに 下手に列強の一員で見栄はって規模がそれなりの軍隊、さらに貧乏国の日本では厳しかったんだろうな
海軍国の癖に、支那事変以降は陸軍の規模もでかかったからねぇ 平時の17個師団体制のままならある程度は機械化できたかも知れんが
日中戦争による軍事費の青天井化がなければ、チハたんだって配備できなかった貧乏国だよ。
それでいて大東亜戦突入以降は航空優先
海軍が無駄なもん作りまくってたり
>>857 きゅうりと割り箸で八九式十五糎加農の砲身車作ってみようかな…
うろおぼえなんだが、19世紀の末に、アメリカとかアルゼンチンとかで 農業の生産性が急激に上昇して農産物の価格が低下し、 それ以外のヨーロッパとかの農業が大打撃を受けた、ってなんかで読んだな。 「あー、母をたずねて三千里の背景かー」って思った記憶もあり。 この農業の生産性向上って機械化によるものかな?
>>885 >適切なタイミングで側面から突撃
たぶん、これがすごくむずかしい。
>>897 冷凍船の導入で牛肉が輸出できるようになったのとはまた別?
>>899 たぶん別。アルゼンチン産牛肉をシカゴまで冷凍で運べるようになったのが
アルゼンチンの経済成長の原動力、みたいな話でしょ?
ズッキーニと割り箸で試製四十一糎とか むかし上京してから、盆にあの茄キュウリの細工ものみてビックリしたな 「新興宗教のまじないかァ?」で 信心ない葬式仏教徒だし、おれの出身地ではなかったな あれは昔は地域限定の盆慣習だったんではないかな?
アメリカ30年代の農村恐慌も機械化が一つの原因だって話があるな。 生産性が上がって作物の値段が下がって、機械のローンが払えなくなるという。
スタインベック「怒りの葡萄」がその頃の話なわけでしょ? 小説も映画も観てないけど オクラホマ農民が食い詰めて、軽トラックに家財道具を一切合切つんでカルフォルニアに流れ着いたはいいが 「オキィ」とバカにされて…などなど受け売りで読んだ 地域差別って、どこの国でもあるそうな
沖縄出身、日系ブラジル、日系ボリビア(南米だと、二重国籍とれる国が多い) 彼らと仕事する機会が多いんだが、話きくとひでぇなぁって思うことは頻繁にある 戦中の朝鮮、台湾出身日本兵も差別や屈辱はつきまくったはずとは思うね 隣国反応は尋常なレベルではないけど
戦争にいった爺ちゃんの話では、南方の島で何が食えるか、食えるものはどこにあるか ネズミの捕まえ方とか高砂族出身の兵隊しかわからず、差別どころか神様扱いしてたってよ。
台湾、朝鮮出身だと、陸軍で歩兵以外に召集配属される事例がすくないわけだろ? 砲兵や機甲兵でおれは、いまのところ未聞だ 「蛍、帰る」で朝鮮出身の飛行兵のエピソードはあるが ああ、「ニューギニア砲兵戦記」で山砲兵連隊に配属された朝鮮出身の兵隊がいたか…
904ではないがさすがにこれを指して向いているとは言わんだろw
構造が単純で安価 燃料も安い で、出力のわりに図体のでかい焼玉エンジンが脱穀、小型船舶、町工場の 動力源で戦前から1960年代まで多用されたのはもっともなことで 車両には適性であまり向かないだろうね 木炭自動車よりは、燃焼効率と取り出せるエネルギーははるかにいいだろうけど
旧車の二輪四輪のスワップミートっていわゆるフリマがあるんだけど、 焼玉エンジンがまれに売りに出てるんだよw 旧車二輪誌に小学生のマニアの記事があったし… クルマとバイクに飽きたらなくなってくると、行き着く先は焼玉機関となるらしい かなり渋い趣味で、濃い〜ィ分野とは思う マニアの集まりの記事も濃くてドロドロだったわ
>>908 極端すぎる例だろそれ。
適材適所って言葉を考えれば、焼玉機関は車両搭載向けじゃあない。
ホルト・トラクターは最初は蒸気機関だったぞ 大昔の「世界の戦車」にイラストが載ってた
>>912 >適材適所って言葉を考えれば、焼玉機関は車両搭載向けじゃあない。
あんまり産業が発達してない、または破壊された国なら十分選択肢だよ。
オーストラリア、あと戦後のアルゼンチンやポーランドなどでコピーが
作られてるし。
戦前だったらフランスでライセンス生産されてるな。
>>914 上の写真は楽しそう、運転してみたい気がする
下のは家庭用の除雪機みたいだな。現在のはゴムキャタピラだけど
地主の既得権益におもいっきり踏み込まなきゃいかんし、人間の安さ<<<<機械の値段 である以上大規模農業なんて無理。
ぶんぶ〜ん
>>920 >有るか無いかではなく向く向かないかの話だし
?
実用化されて、多国でコピーまで作られてるのに?
実際それ以前は外燃機関(蒸気式)のトラクター
なんてのもあった訳で、ニーズがある時に何を
使うか、て事だと思うんだが。
>向いていると言うのはいささか憚れるぞ
>どう考えても
憚れる?
どう考えても?
ようつべで焼玉機関トラクターを子供が楽しそうに運転してるのを観た 内燃機関のプリミティブな魅力はあるね 過渡期の技術だから、現在の製品ではない ただ、黎明期のガソリン、ディーゼルエンジンだと性能と技術的に褒められなかった もんだから、焼玉機関という選択もあったってことだろう 機械も燃料も安価で製造の技術ハードルも低いしね。日本向けだったかもしれない 疲れるとへばってしまう牛馬より、最初の機械化の選択として悪くない 導入すれば立派な進歩だよ ただ、農業用では事足りても、軍隊では厳しいって感じだね
>>917 そんなの思い込みに過ぎないわけで
結局導入してみれば、機械力に人力は敵わない
市場が成立すれば、量産効果と競争でぐんぐん機械の値段なんて下がってくしな
市場が成立するまでが大変だけどな ユーザーが金もっていなければいつまでたっても人力のままだし 戦前の日本は富の絶対量が少ない上に、 富の分配が不適切で自動車化なんて夢また夢なのが現実
>>925 >富の分配が不適切
貧乏人も金を持ってたってこと?
>>926 お前、アタマ悪いってよく言われるだろ。
>>927 >お前、アタマ悪いってよく言われるだろ。
何が言いたいのか教えてくんない?
…
>>925 とかさw
糖質警報発令、総員相手しないように
どうかした?w
>>903 冷静に考えると、おんぼろだろうが家財道具一切売り払おうが、
1930年代の貧乏農民が軽トラ持てるってすごくね?っていうソ連ジョークがあったような。
自動車化もといモーターリゼーションというのは一人当たりGDPが3000ドル以上(1970基準)から始まると言われている これを大雑把にインフレ修正して1937年時に当てはめるなら必要な一人当たりGDPは700〜800ドル程度だろう 1937年のドル円相場は1ドル=4.1円程度であったから、日本人の一人当たりGDPは3000円程度が必要となる 一人当たりGDP=可処分所得と仮定すれば 1世帯4人とすると各世帯の可処分所得は毎月1000円となるが、 これはどう考えても絶対的に出来ないということになる というわけで自動車化は無理ゲー
戦前日本で農業機械化するとしたら、地主が機械買って小作農全員お払い箱だろ。
その機械を動かす人間もいなければ、簡単に壊れる機械を整備する人間もいないな。 自動車運転は今で言えば、自家用飛行機免許みたいな特殊技能者だぞ
元々、内燃機関の前進の蒸気機関トラクターは個人や家族と言うより専用のコンタトラクターが所有していて、
収穫の季節に村から村を練り歩いて(?)、脱穀の作業とかを委託作業でやってたんだよな。
http://en.wikipedia.org/wiki/Steam_tractor あくまでもトラクターは作業効率化のための資本財であって(当然専門の業者による分業は可能)、
モータリゼーションがどうだのとは関係ないわけだが
>>932 >自動車化もといモーターリゼーションというのは一人当たりGDPが3000ドル以上(1970基準)から始まると言われている
>これはどう考えても絶対的に出来ないということになる
>というわけで自動車化は無理ゲー
え?何?w
>>933 >戦前日本で農業機械化するとしたら、地主が機械買って小作農全員お払い箱だろ。
スタインベックの、怒りの葡萄そのまんまの世界だな。
たしか、どっかの倅が日給3ドルで何エーカーも耕して、
主人公の家族とかを追い出すんだっけ。
>>935 >その機械を動かす人間もいなければ、簡単に壊れる機械を整備する人間もいないな。
>自動車運転は今で言えば、自家用飛行機免許みたいな特殊技能者だぞ
誰かを教育すれば?
小作を何人も「養う」より、実はもっとも合理的な考えだと思うぞ?
あれだったら、専門の業者作って頼むってのもありかも知れんしw
戦争がなければ1940年代にはモータリゼーションが発達し始める下地はあったんだろうか? 経済力や工業力が開戦時の水準に戻ったのが1950年代なかば頃だし
>>935 簡易な小型免許(試験すら無い)があったのだよ
たいていのバイク、オート三輪、今でいう軽自動車クラスはこれで間に合った
車両が増えれば整備する業者も出てくる(実際街の自転車屋がその役割を担った)
あと5年あればかなり変わっただろうと思えるぐらいに変化は急速に始まってたんだよ
ダイハッツゥ! マツゥダァー!
>>937 小作人は年5円で雇える時代だぞ。自動車運転できる人間はそんな給料じゃ雇えない。
初期投資にかかる金だけ考えても不合理すぎだわ
>>935 せいぜい重機のオペ程度だろw
飛行機だって、需要があるアラスカあたりならライセンスの所有率段違いだし
>>941 じゃあ日本は永遠に人力で農業を続ける未開国のままなんですね
>>941 >小作人は年5円で雇える時代だぞ。自動車運転できる人間はそんな給料じゃ雇えない。
あの、「小作」を一人雇って、そして教育すれば、その他何人かを首に出来るんだけど。
怒りの葡萄では実際に、そんなどこかの「倅」がトラクターに乗って現れて主人公の
知り合いの家を更地にしている。
>初期投資にかかる金だけ考えても不合理すぎだわ
アメリカから価格破壊のフォードソンでも個人輸入すれば?
合理的じゃない?w
>>938 悪名高き自動車製造事業法の存在があるからなあ
アレの施行が1936年
これで外資が締め出されたけど、それだけじゃなくて国内資本も参入制限されちゃってるんだよね
当時自動車製造に参入を目論んでいた豊田は駆け込みで認可を得、スズキなどは間に合わず断念してる
競争排除の典型的な統制法なわけだが
そして生産力はほぼ軍需に振り向け
需要はあっても供給が実質絶たれた状態という
官僚の身勝手な政策のおかげで実質無理ポ
>>943 昭和30年あたりまでは人間集めたほうが機械使うより安かったので、人間の給料が
あがらなければ、今もそうだっただろうね。GHQなしに農地解放できるかといえば、たぶん不可能だっただろう
>>944 覚えた時点で、都市に逃げ出すよ。もっといい給料出してくれる職場が自動車運転できるなら当時でもあったので
自動車運転できるのが大勢いたアメリカと、少数しかいなかった日本は同じようにはならないよ。
それからトラクターもそれで使う農具も非常に高価だったんだよ
プラウ一台百二十円、カルチベーター百五十円、フォードソントラクター776円
一式そろえるだけでも小作人何人分になると思う?
>>936 うるせーよ
俺がネタ振らなきゃ何もできねークズのくせに
でかい口たたくんじゃねーよボケ
>>938 戦争がなければ、40年代には不況が悪化して共産革命成るか否かの状況になる下地はあったと思う。
>>941 小作人は年五円で雇ってたんじゃないよ、収穫の半分で雇ってたんだよ。
その半分をやりくりして、手元に残るのが年五円。
だから、小作人が一人減れば、その分増える地主の取り分は五円よりずっと多い。
>>946 >覚えた時点で、都市に逃げ出すよ。もっといい給料出してくれる職場が自動車運転できるなら当時でもあったので
どういう所だい?
実際の所、都市部で運転可能な人間に対してどれ位需要があったのか書いてみて。
>それからトラクターもそれで使う農具も非常に高価だったんだよ
>プラウ一台百二十円、カルチベーター百五十円、フォードソントラクター776円
>一式そろえるだけでも小作人何人分になると思う?
小作人一人、って、幾ら掛かるの?
そしてもっと重要なことだが、幾ら儲かるの?
自立した農家で年間の粗収入が(六町半を耕作した場合)
1300円ほどになる、て実験結果が戦前に出てるわけだが
(ソース:<満州>の歴史)、これはかけ離れた値か?
>>941 >小作人は年5円で雇える時代だぞ。
このソース、書いてみて?w
>>947 >うるせーよ
>俺がネタ振らなきゃ何もできねークズのくせに
>でかい口たたくんじゃねーよボケ
え?
焼き玉トラクターのネタ出したの、俺なんだがな。
>>945 これの記事がむかし「歴史群像」に載ってたな。
ゆうべは終戦記念日で盆、地獄の釜びらきで>?の亡者が召喚されましたか 松沢病院、葦原将軍が彼の前世な気もするが… 盆で医者も休み、診てくれなくて、暇でしゃーないから、久々にスレにきたんだよな?
>>953 >ゆうべは終戦記念日で盆、地獄の釜びらきで>?の亡者が召喚されましたか
…大丈夫?
糖質葦原将軍乙
糞ジャップにスポーツからの栄誉なんてあるわけがないだろイチロー()クラスで最高に讃えられているんだからw
>>945 ディーゼル一本化もそれで進んだんだよな…
実際のところ統制型の惨状を見ると
自動車用ガソリンエンジンにも少しくらい資本投下しておけばと思わなくもない
本当に車両用エンジンの総ディーゼル化は良い判断だったのだろうか?
なんか'30年代初頭の「これからはヂーゼルだぜ!」みたいな風潮に乗ってしまった結果のように見えなくもないんだが
統制型って別に大規模資本投下したわけじゃないぜ どっちかというと資本(開発資金)の分散の回避だったし 正直いって統制以外の国産ディーゼルはゴミばかりだったんで ディーゼルを統制に絞るのは間違ってない また車両用ガソリンも資本投下してる(商工省標準型ってのが数種ある) そして車両用エンジンの総ディーゼル化なんてやってない 普通に大戦末期までガソリンエンジンのも多種作られてる
日本戦車のディーゼル化が陸軍全般の傾向と思われてる節はあるね そりゃあ、戦車は燃料消費量が半端ないし、 輸入ホイペット戦車の試験で火災事故おこしてリアルタイムで視察してた陸軍高官が惨状を目撃したんだから ドン引きして、日本には石油資源がほとんど産出しないし火災の可能性の低いディーゼル化は当然だろう 乗用車、トラックでディーゼルのメリットといったら、寒冷地の始動性と燃料消費量すくなさぐらいだぞ エンジンの吹けのよさはガソリン車と比較にならんし、重くて容積を食うし値段も高い 騒音も同排気量でガソリン、エンジンよりやかましい 新潟や北海道の解体屋中古車屋でロシア人がディーゼル車をこぞって求めたのは、そういう理由なわけで
>>958 ただその一点張りの博打って、外れたら目も当てられないぐらい悲惨なんだよなw
統制型は爆死クラスの失敗ではないが、やっぱ汎用エンジンってなんに使うにも帯に短し襷に長しで不満が残るのよね
集約すれば開発力上がるかって言えばそんなことなくて船頭多くして船山に登るになる場合のほうが多いし、リスクヘッジを考えても競争させて結果を裁定して優秀品を採用したほうが賢明
その辺は後知恵で当時は統制への幻想最高潮の時代だったけどねorz
てかユーロファイターやF-35の惨状見てると、人間学習しないよなってつくづく呆れるw
まあ最近の国際共同開発のgdgdは、どこも揃って金が無いって現実の反映でしかなかったりするけれどw
でもだからますます混迷するんだよな
>>959 技術的にはディーゼルのほうがハイテクで技術屋には魅力的だったってことがあるからな
だから連中が眼をキラキラさせてこれからはディーゼルですって主張したしそっちをやりたがった
戦後少しするとバイク需要やレースなんかの影響があって、ガソリンエンジンの高回転化の方に焦点が移ったりするんだが
あとは何より乗用車か
ディーゼルが乗用車で使い物になるようになったのって、平成になってからみたいなもんだもんなあ
カネのあるところに才能があつまりやすいんだけど 石油成金の中東や中国みてると、必ずしもそうではないな 中東は工業化に不可欠な水に乏しいし、中国はたとえ個人が優秀だとしても一党独裁やら システムに問題ありすぎとか… 資金や資源に乏しくとも、戦前にある程度のモータリゼーションを達成した イタリアの場合はどうだったのかな?と思ったりはする
ろくな航空エンジン作れなかったジャン
ふつうの国は自動車エンジンをまともに造れるようになって、それから航空機 エンジンを開発しはじめるんだよ モータリゼーション未熟なうちにイタリア、フランスの航空機生産凌駕した日本の場合がかなり特殊なわけよ 歪な軍主導、航空機メ−カー主導でね 現在でも、コピー以外で自動車エンジンを自主開発できる国はすくないよ
歪か… 違う奴が出てきたかな?
結局、まともに航空エンジンを開発できるようになった国ってどこだ? その中で、自動車エンジン円熟→航空エンジン開発できる国が どれだけあったことやら
統制型も戦後のトラックバスの発展に多いに寄与した傑作エンジンだろう
>>965 いや、糖質でない常連だが…
歪というのはまずかったかな?レアケースとでもいったほうがいいのか?
戦前戦中日本の産業構造がピラミッド型の裾野あるものでなく、ペンシルビル状であったのは確かだよ
むらがありすぎのアンバランスなものだったと
>>966 戦前自動車レース入賞国とか
米英独仏伊だろう?
航空機エンジンに移行すると?なのがイタリアだろ?
>>968 >いや、糖質でない常連だが…
?
>歪というのはまずかったかな?レアケースとでもいったほうがいいのか?
>戦前戦中日本の産業構造がピラミッド型の裾野あるものでなく、ペンシルビル状であったのは確かだよ
航空エンジンを作れる国は世界何カ国あってもものすごく限られており、
自動車エンジンもやっぱり限られており、実は開発能力を持つこと自体が
特異、て考え方から始まるべきだと思うがな。
普通に国際的に分業してて、「面倒くさそう」(資本投下が必要)な
工業製品の開発をしないのが割と一般的な国だって考えは持った方が良いな。
レシプロ航空機が商業になるというのは極めて限られた列強のみというのは 今の航空業界から考えても容易に理解できるはずなんだがな。
>>970 おれは列強の話をしているのは自明だろう
だれが、オリンピック陸上入賞常連のアフリカ諸国やサッカーの強い南米諸国の後進国中進国の話をするものか!
貴様は例の糖質だろう?
歪じゃない、普通の(一般的な)工業発展てのが何に当たるか、 分からなくなるな。 該当するサンプル国数が世界の中でもかなり少ないんじゃネ
>>972 >れは列強の話をしているのは自明だろう
歪と、そうでない国の話が列強限定?
>だれが、オリンピック陸上入賞常連のアフリカ諸国やサッカーの強い南米諸国の後進国中進国の話をするものか!
いや、(経済発展のサンプル)国って意味じゃどこも十分対象国になるが。
…オリンピックやサッカー?なんでそういう話が出てくるんだ?
>貴様は例の糖質だろう?
統合失調症?誰のことだろうな、それ ↑
盆休みで薬のストックが切れたのか?
完全にモータリゼーションの話とかすっ飛んだな。 歪なのが何に当たるか(基準は何か)、てのもだがな
>>964 歪みつーか、需要と供給の関係。欧米は自動車の需要があった後に航空機の
需要があった。だからWW1で飛行機エンジンの大需要が発生した時には
自動車メーカーがこれを作った。ところが日本では自動車の需要はさして
ないうちに、航空機(しかも軍用機)の大需要が発生した。
特異っちゃ特異かも知れないけど、日本史がそうなんだから仕方がない。
>>974 ボールペンぐりぐりを火ィ起こすまでやってろ
>>977 >欧米は自動車の需要があった後に航空機の
>需要があった。だからWW1で飛行機エンジンの大需要が発生した時には
>自動車メーカーがこれを作った。
そんなに差のない時代の話だろ?
大体アメリカみたいな大量生産を行ってたわけでもないし
欧州のモータリゼーションは米国でWWI後の1920年代、
欧州で1930年代とWikiで書かれてるし、それも
T型フォードを始めとする大量生産型の車が普及してきた
(これは1910年以降)時期とも一致する。
まあ木炭自動車が当初それなりに普及してたこととも
つながるが、例えば給油所や高速道路がそれなりに
普及しないとモータリゼーションは進まない。
日本史でなく、世界史のほうがおかしい気がするよ?
糖質アラームがさかんに鳴っております 現在レベル5 みなさま以後、レスは慎重に願います
火砲の話しようぜ? モータリゼーションなんちゃら言ってるんじゃなくてs
三八式野砲が当時の野砲初速の限界ギリをクルップに要求した 日本陸軍先進性とムチャぶりとかな
そんなに差のある時代だと思うがねぇ ベーラー47mm砲を蘭印で鹵獲した日本軍が使ってる画像を見つけた 探せばあるもんだね
>>979 >日本史でなく、世界史のほうがおかしい気がするよ?
なんだぁ、コレ?
脳内の尋常でない狂気を物語っているな
>>983 ベーラー砲と国軍にそんなところで繋がりが
しかし絵面的に国軍と似合う火砲すよねぇ
西欧列強に比較すると日本の工業化、近代化はレアケースでおK? 中国は現代化してるけど、近代化はしてない 前段階の中世の封建制を歴史で経験してないんで その民主化を達成してないやりかたが、低コスト労働力をつねに国内で供給でき、グローバル競争で有効という皮肉
ホストの問題で次スレ建てられん どなたか頼みます
うめ
梅ちゃん砲兵
梅
国軍野戦重砲の先の戦争での奮闘を称えてこのスレを終えたい
>>960 誤解が大きいようだが
統制型は競争試作の結果ぶっちぎりで良い結果だった
自工のエンジンを共通仕様としただけのことだぞ
>>988 ロシアは日本に近いかもしれん
農業の機械化は日本とは比較にならんほど進んでたが
逆に二輪車や三輪車も含めた「自動車」は日本よりも遅れてる
統制型エンジンって改良されつつ1960〜70年代まで使われたんでしょ 熟成期間とかノウハウ不足も大きいんじゃないの
>>960 こういう、うっかり信じちゃいそうなレスが最近増えたなぁ
>>997 当時の日本のエンジンはどれも何らかの理由で調子が悪い
米軍ですら「信頼性がある」とした九四式六輪でも
開戦直後に「レブリミットまで回すな、制限回転数を下げて運用しろ」って通達が出るぐらい
(開戦直後なので戦前生産で、末期の個体より丁寧に作られてるであろう条件で)
手間がかかった、故障が多かったというのが統制固有のものなのか
当時の国産自動車だったら当たり前のことなのかを切り分けないと
統制がどうだとかいうのはね・・・
日本車の故障発生率が大きく下がったのは、産業用ロボットの導入が大きな転機
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