1 :
名無し三等兵 :
2012/05/29(火) 04:56:20.03 ID:??? 軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
950を踏んだ人は次スレを立てて誘導すること。2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2 以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士・騎士] 古代・中世 軍事総合02[弓・刀・馬・船・城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1334948359/
2 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 04:58:56.07 ID:???
3 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 05:17:52.89 ID:???
>>1 乙 古代・中世で話を抑えられるように、 まずは投石、礫について語ってみたいな。 なぜかあまり大河にもでてこないけど、 タイムスクープハンターでは一回やったけど、 真似したら危ないから触れちゃいけないのか、 ロマンが無いからかw
4 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 09:46:43.91 ID:???
いちおつ
5 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 10:17:59.37 ID:???
侮りがたい威力だというのはわかるが、日本の場合だと投石は近年過小評価が改まって逆に過大評価になった感があるな。 『信長公記』や『三河物語』等の既述だと武田の投石は挑発や牽制レベルでしかない。 逆に投石で大勢が決したような合戦ってあるかね?
6 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 10:28:08.12 ID:???
>>5 それだけ威力を発揮したなら
投石機が使われてたんじゃね
7 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 10:31:24.64 ID:???
あるとしたら弓も鉄砲も満足に揃えられない貧乏小勢力同志のショボイ合戦かなあ 記録に残るのは難しそうだ。
8 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 11:10:14.53 ID:???
というか、石合戦といえば、子供の模擬戦闘訓練兼お祭りかなと。
9 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 11:20:37.72 ID:???
投石と言ってもただ投げるのと投石器使って弓よりも長距離投げるのとある 前者は子供の遊びだが後者は立派な殺人兵器
10 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 11:24:58.25 ID:???
>>9 日本にも「ふりずんばい」があったよ。
ただ、投石が合戦の大勢を決した例がどれだけあるのやら。
11 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 11:25:33.60 ID:???
12 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 12:26:55.95 ID:???
日本は山地での戦闘が多かったから、投石の威力が激減なんですよ。 木がいっぱいだから狙いを付けにくいし、枝に当たったら弾道もずれる。 それがあまり流行らなかった理由。 欧州みたいに平地の戦いが多ければもっと有効に使えたかもしれないが…
13 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 12:41:35.70 ID:???
何か誤解してるみたいだが、欧州だって近代以前は森林地帯だぞ
14 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 12:47:17.08 ID:???
印地打ちなんつー言葉が残ってる位だし戦場で有効だったのは間違いないだろ >5 投石器とか作ったり運ぶのめんどいわ。そのへんの石拾ってガツンと手軽にやれるのがいいんじゃないの 戦国時代のお城って広くて深くて、物見櫓しか高い建物ないしなー 城壁をぼっこーんとかやってるの大陸の攻城戦の話ですよねー
15 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 12:54:26.36 ID:???
>印地打ちなんつー言葉が残ってる位だし戦場で有効だったのは間違いないだろ これは石合戦の遊びから来ているだけで戦場とは関係ない。 実際の戦場で有効だったのは否定しないが。
16 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 12:57:47.54 ID:???
律令時代にはちゃんと投石器もあった。平安以降廃れただけ。 日本の戦場には合わなかったんだろうな。
17 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 13:33:57.06 ID:???
>>14 投石器って基本は単なる紐だぞ。日本だと細く折った手ぬぐいでも代用できる程度の。
18 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 13:35:16.19 ID:???
スリングだな。どちらにせよ、 日本の地形じゃあんまり流行らなかったのかもしれんが
19 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 13:59:53.47 ID:???
応仁の乱では「発石木」や「飛砲」という記述があり これはカタパルトやトレバショットの類のものじゃないか?と言われてる。 石弓については源平盛衰記にその記録があるが、これは守城用のバリスタだった模様。 あとは室町時代の遺跡からクロスボウが見つかったみたいな話があったような。 室町時代にはしばしば当時既に一部では明経由で 火薬兵器を使ってたんじゃないかと思われる記述がある。 まあ、すぐお隣の明にあんだけ火薬兵器があんのに勘合貿易だの 倭寇だので色々とお付き合いしてた日本人が全く知らなかったという方が不自然だわな。 尤も全国的に主力となるのは16世紀の西洋人との邂逅を待たねばならないが。
20 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 14:01:49.34 ID:???
個人が使うスリングタイプの奴は結構頻繁に使われてたよ
21 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 15:10:45.12 ID:???
微妙にスレ違いかもしれないが 蘇我入鹿が殺された時点では、父の蘇我蝦夷が生きていたし、要塞風の邸宅もあったのだから 戦おうと思えば戦えたのではないか? どうだろう?
22 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 15:11:27.60 ID:???
威力っても生身ならヤバイだけで頭巾程度の防具があれば殺傷力は激減 岩投げる攻城兵器はともかく投石兵が主要兵科なんて相当古代の話か一揆みたいな非正規兵の話でしょ? まともな戦争で記録に無いのはやっぱり効果が無いためだと思う
23 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 16:37:14.59 ID:???
廃れたのは威力より習熟度の難点さじゃないかね
24 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 17:09:55.33 ID:???
弓の方が習熟が難しそうなんだがw
25 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 17:11:06.15 ID:???
俺にはスリングのほうが難しく思えるわw
26 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 17:47:47.79 ID:???
補給の問題もあるでしょ 遊びで投げるならともかく部隊で一定時間投げ続けるなら落ちている石じゃすぐ尽きるし スリングみたいな道具を使うならなおさら適したサイズは限られる でもあらかじめ割って持ち歩くには大変重いしかさばるわけで 弓矢に比べたメリットがあまりにも少ないのでは
27 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 18:05:07.10 ID:???
>>26 投げるものに関しては石ではなくテラコッタ製のを生産して使ってる国もあった。
ただ、軽くはない投擲物を大量に肩掛けカバンに入れて持ってくのは結構な負担になったと思う。
28 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 18:06:20.03 ID:???
スリングと言えば聖書に出てくる英雄の武器だな
29 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 18:08:22.08 ID:???
ダビデとかだっけ? まあそこらへんの取りまわしの悪さもあって廃れたんだろうな
30 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 18:44:13.01 ID:???
ダビデって包茎だよね
31 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 19:13:46.02 ID:???
オチンチン
32 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 19:17:03.92 ID:???
割礼の習慣は古代ユダヤには無かったのか?それともミケランジェロが包茎だったのか? ってもう軍事じゃねーなw
33 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 19:52:06.31 ID:???
ユダヤ人だから割礼してあるんじゃないの?
34 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 19:53:31.15 ID:???
まああれはこんな装備でも勝てたのは神の御加護のおかげ!って話だから 古代イスラエルですらスリングはまっとうな装備じゃなかったんだろうな
35 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 19:59:08.26 ID:???
海の民の一派とされるペリシテ人はユダヤより先進的で 戦車とか重装歩兵戦術持ってたとか。
36 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 20:33:16.92 ID:???
どこも投石部隊を抱えてるくらいにはポピュラー 大量の投石で動きを止めるだけでも戦況に影響したんだろ 殺すことだけが戦争じゃないし
37 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 21:25:26.69 ID:???
釣りの経験から考えると 竿や紐使って遠心力で100〜150m飛ばすぐらいは難しい話じゃないよね 何回か練習すれば、よっぽど間抜けじゃない限りそれなりに飛ばせるし 20m前後なら人的サイズに集弾させることも難しくはないだろう そして殆ど力が要らないから鍛錬もいらないし 弾の重さはよほど極端じゃなければ投げるときの手応えで対応できるかと
38 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 21:26:26.03 ID:???
あてるのが難しそうだよなー 弓もだけどさ
39 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 21:32:18.07 ID:???
釣り針は餌重り込みでどれぐらい重いんだw 20mじゃ武装して100m20秒ぐらいの速さとしても4秒で近接してくるぞw スリング振り回して投げたら次弾はないなw
40 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 21:32:30.87 ID:???
中世ヨーロッパでは投石はどうだったの?
41 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 21:34:16.01 ID:???
投石紐は次弾むりだなw
42 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 21:34:21.85 ID:???
集団運用した場合、誤って味方の方向に飛び出すという事故が多そうな気がするんだけどどんなもんなんかね
43 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 21:36:05.52 ID:???
ふりまわすタイプだと、兵士同士の間隔もかなり必要なのかな
44 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 21:48:51.84 ID:???
>>39 投げ釣りで5〜20号ぐらいを使うから、20〜100gぐらい
ルアー・フィッシングで重い奴で1オンスだから20〜30gぐらい
そして振り回すたって、何周も要らんかと
スタッフスリングなら釣竿と同じで一回降るだけだろうし
また20mまで待ってから撃たなくても良いし
Youtubeで物好きな外人が色々やってるけど数秒間隔で放れそう
45 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 22:03:12.89 ID:???
ああ、そんなもんか 遠心力つけたり、安定させるためにぶんぶん振り回す印象だったわ
46 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 22:26:58.56 ID:???
>>44 そんぐらいの重さじゃ直に当たってもあざができるぐらいじゃないか?
47 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 22:32:17.73 ID:???
>>39 それで敵がキレて向かってきたら釣り出し成功だな。
そういう挑発的な運用だったんじゃないのだろうか?
48 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 22:35:27.11 ID:???
相手の注意をひきつけるってのはあるかー しかしそれこそ手で投げればいいなw
49 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 22:43:08.99 ID:???
>>46 まあゴルフボールの直撃と大差ないだろうね
当たりどころ次第では死ぬこともあるけど
ちゃんとした鎧着てればそう問題にはならんという程度
とはいえ完全に覆われた高級鎧なんて偉い人だけだから
雑兵だとむき出しの部分に食らったら、運が悪いと骨折ぐらいはあるだろうな
50 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 22:52:25.57 ID:???
スリングで“震天雷”(てつはう)みたいな擲弾を遠距離に投擲することは可能か?
51 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 22:55:50.40 ID:???
重過ぎて回せなくねそれ
52 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 22:58:24.59 ID:???
丈夫な紐をつけて、ハンマー投げの要領で飛ばせばあるいは…
53 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 23:00:43.30 ID:???
そこまでいったらもう砲丸投げでいいだろ
54 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 23:21:26.14 ID:???
亀だが近代以前は森林というのは間違い 特に日本においては戦乱の中世こそ伐採しまくりの時代 国土的に山地が多い地勢ではあってもスリングが振れないほどのような場所の合戦はそれほど多くない
55 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 00:13:21.74 ID:???
重装歩兵の本場のギリシャだって国土の7割が山岳地帯だし
56 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 00:25:11.27 ID:???
>>49 ゴルフボールに2回当たった俺的には、落下付近のゴルフボールなんて大した威力じゃないのよね。
左乳首付近に当たった時で、ちょっとアザになった程度。ま、当たる瞬間に身体を引いているけど。
これがドライバーの初速付近だと、そんなものじゃ済まない。頭部だったら即死レベル。
ゴルフボールなんかは、ディンプルでそれなりに空力的に考えられているけど、石とかだと結構終速は
低くなってるんじゃないかなぁ。
ところで、皆、石というと回して飛ばしてボヨヨヨ〜ンってイメージばかりだけど、城の守備隊的には、
石狭間みたいな落下用途もありますよね。
57 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 01:21:48.18 ID:???
58 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 03:06:39.00 ID:???
うわあ 香具師って五年ぶりに見た
59 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 05:44:14.74 ID:???
>>46 釣りキチ三平って漫画では、桶をぶち抜いて見せて拳銃弾に匹敵するから人向けちゃいけないって説教してたな。
やってみたんだろうか作者の人
60 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 09:52:59.04 ID:???
>>57 個人研究発表は興味あるな、継続戦争とか。
こういう講義って「軍事研究」の巻末によく紹介されてるよね
61 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 09:54:02.00 ID:???
>>59 あの人自信がものすごい釣りキチガイだから、たぶんやったことあるんじゃないかな
62 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 10:02:15.69 ID:???
>>50 それね、擲弾じゃなくて手榴弾なら、第一次大戦のとき考えた人いっぱいいたんだけど
普通投げに比べて投げミスで味方に被害が出るのが半端なくて、すぐみんな諦めた
63 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 10:14:42.49 ID:???
>>62 スリングはスリングでも、スリングショット、いわゆるパチンコを使えばいいかも。
64 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 10:33:42.80 ID:???
>>62 スリングの進化系がスタッフスリングだが
同様の原理の柄付き手榴弾というものがある
65 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 10:42:15.79 ID:???
66 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 11:39:29.04 ID:???
>56 矢よりも重いことを利用して、高い位置から落とすのは投石の威力を高める良い方法だろうね 位置エネルギーを予め溜めておけると言う意味で ただ、射程考えると城壁とかから落とすぐらいしか現実的ではなさそう 会戦で丘陵地隊に陣取れても射程短いから敵まで届けられなかったりするし、 崖上みたいな地形に奇襲以外で陣取るとかはあり得ないし
67 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 11:42:22.69 ID:???
>>63 あったんだよ、クロスボウみたいので榴弾とばす武器が。
結局使い勝手の面で擲弾筒にかなわなくて全部廃れちゃった。
68 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 11:43:38.30 ID:???
69 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 12:25:44.46 ID:???
70 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 12:35:18.81 ID:???
>>69 なんか近代的な軍服着てる兵士が真面目にそういう器具を扱うとシュールだなw
71 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 13:22:34.43 ID:???
>>69 源文さんの本にも書いてたカタパルトか。
初めて写真で観た。
72 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 19:38:30.60 ID:???
>>70 大山巌の息子で、考古学者の大山柏が、WW2末期に召集を受けたとき、
自分の部隊の火力があまりにも貧弱なので、ありあわせの材料で投石器を作ったらしいな
73 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 20:04:11.94 ID:???
>>72 トレビュシェットみたいなの作ったってヤツ?
74 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 20:11:48.18 ID:???
>>73 車の板バネと角材を利用したらしいので、
>>69 のリンク先にある写真のものに近いんじゃないかな
米軍の戦車の破壊に必要とされた20kgの爆薬を、50m先まで投射することができたそうだ
75 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 20:19:11.40 ID:???
>>72 孫じゃなくてか?
どんな根こそぎ動員だよっていう…
76 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 20:27:10.06 ID:???
>>75 大山柏さんは、予備役の陸軍少佐だったから
とはいえ、既に50台半ばでの召集で、かなり異例の出来事だったそうだ
77 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 20:39:21.61 ID:???
前スレで刀の峰打ちの話題が出てたけど、『甲陽軍鑑』にいくつか出てくるよ。 品第三十一で北条配下時代の原美濃守が、甲斐時代に仲間だった敵を落馬はさせるが 命は助けるために使うところなんてまさに時代劇の場面みたいだw 『甲陽軍鑑』は取り扱いの難しい文献だけど元和頃には成立していたという説を考えると 峰打ちは近代の作り事の世界で生まれたわけではないと思うわ。
78 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 20:52:10.85 ID:???
>>74 >50m
射程短っ!
爆薬を抱えて体当たりするよりはましなんだろうけど…
79 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 21:03:40.15 ID:???
>>78 大丈夫、パンツァーファウスト30よりは射程が長いから・・・
80 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 21:07:34.10 ID:???
>>78 我が軍が誇る刺突地雷さえあれば兵士に爆薬を抱えて体当たりなんて
原始的な真似をさせる必要はありませんな。
81 :
名無し三等兵 :2012/05/30(水) 22:53:30.29 ID:???
そういやアニメに出てくる牛に戦車引かせるってのはなんか遅そうなイメージだが実際に使えるのか?
82 :
名無し三等兵 :2012/05/31(木) 00:11:30.68 ID:???
牛は力こそあるけど、反芻始めると動かなくなるんで 食事を与える時間を適切にコントロールし 暴れだしても困らないような状況でなら使えなくもない 長距離の移動とか、緊急に使おうとかになると正直言って話にならない
83 :
名無し三等兵 :2012/05/31(木) 02:06:07.14 ID:???
戦場じゃないが、牛は比較的大人しい性格に加えて、、皮や肉、乳などの 付加価値の高い家畜だから、鍬引きとか食用、商業品として中世を通して重宝されてたよ。 10世紀の農業革命からは、よりパワーとスピードがある馬が使われるようになったけど
84 :
名無し三等兵 :2012/05/31(木) 02:22:15.77 ID:???
山本七平が、旧日本軍の輜重隊の話をしていた。 4頭の馬を自在に操る腕を持った兵隊なんだけど、 肝心の馬を支給してもらえず、現地調達しろとか言われて、 馬も無いから水牛で代用しろとか言われて、 山本が無理だと答えた、ひどい話。 水牛はすぐに疲れるし、餌もたくさん食べるから駄目だ、 だったかな。
85 :
名無し三等兵 :2012/05/31(木) 10:23:49.89 ID:???
>>59 あれは初速の話だからな。
野ざらしでボロボロの防火桶なら板一枚ぶち抜く事は可能だと思うけど、
中に入っている水の抵抗を乗り越えて反対側の板まで抜けるってのは
流石にないと思う。つか、拳銃弾でも厳しくね?
つか、まあ、あとがきに、漫画だから誇張・大げさな表現は普通にやってるよと
書いているわけで。
86 :
名無し三等兵 :2012/05/31(木) 10:56:20.65 ID:???
馬は、中世半ばに軛が改良されるまで、大型の荷車を牽く用途には使われず、主に牛が利用されていた 古代〜中世前半のタイプの軛だと、馬が全力で車を牽くと胸が圧迫され、息が苦しくなるので、 力をセーブしてしまうんだって
87 :
名無し三等兵 :2012/05/31(木) 22:24:14.04 ID:???
石も直線軌道だと殺人的な威力だと思うが 放物線軌道ではそれほどではないんじゃないかな?特に甲冑着用の 相手には。
88 :
名無し三等兵 :2012/05/31(木) 22:44:11.64 ID:???
>>87 甲冑着た人間には、銃登場までの時代には極論すれば近接して直接攻撃する以外に確実に倒す方法はないわけで
だからこそコストその他あらゆる苦難をこらえてあんなものが工夫され続けた
89 :
名無し三等兵 :2012/05/31(木) 22:56:05.01 ID:???
そういや雑兵物語にも投石兵の心得ってないな。それなりに有用だが兵農分離や専業化が進む頃には なくなる運命の兵科だったのかも。
90 :
名無し三等兵 :2012/06/01(金) 11:25:54.52 ID:???
>>87 戦場ではほとんど放物線軌道で投げてた。
1.直線軌道だと、射程ぎりぎりだと速度が落ちすぎて威力なくなるけど
放物線なら再加速して当たるので威力上がる
2.前からより上からの攻撃の方が避けにくい
特に2が大きかった。
91 :
名無し三等兵 :2012/06/01(金) 13:16:32.27 ID:???
その再加速ってのがどれほどのもんなのか。 弓なんかだと放物線軌道だと直接狙うのと比較にならないほど威力は落ちるようだが。
92 :
名無し三等兵 :2012/06/01(金) 13:45:46.00 ID:???
>>90 直線も何も、重力がある以上どうあっても放物線だし
再加速は上に向かって放った分の位置エネルギーを取り返してるだけなんで
飛翔時間に従って空気抵抗で減速する一方だっての
ピッチャーライナーとピッチャーフライ、どっちが速いか考えれば馬鹿でもわかるだろ
93 :
名無し三等兵 :2012/06/01(金) 14:04:20.63 ID:???
放物線というか迫撃砲の軌道だな 高角度で上に向かって投げてる
94 :
名無し三等兵 :2012/06/01(金) 14:51:55.06 ID:???
手投げの石でそんなことしたら20m飛ぶかどうかw スリングでやるのは難しい 会戦での投石は役立たず、でいいじゃないか 歴史に残る活躍も無いんだし
95 :
名無し三等兵 :2012/06/01(金) 21:11:41.12 ID:???
まっすぐ投げて石を飛ばせる距離なんてたかが知れてることぐらいわかろうに
どうせ決定的な打撃与えられる期待は持てないんだから、射程は少しでもないと
迫撃砲の軌道は言いすぎだろw
>>94 牽制、挑発、陽動、打撃力は知れてるけど結構使いまわしが利くしあれば便利かと
何よりコストがタダ同然だしw
弓兵みたいな特別な訓練もいらんし
ただ主兵力にはならんな
96 :
名無し三等兵 :2012/06/01(金) 21:53:01.60 ID:9gozni3B
嫌がらせとしての石の利用価値よりも 兵に持たせることによる即応性の低下のデメリットの方がデカイと思う。
97 :
名無し三等兵 :2012/06/01(金) 21:57:23.87 ID:???
河の向こうとか城砦に篭った側とか 相応に問題のない機会はあるんじゃね?
98 :
名無し三等兵 :2012/06/02(土) 01:11:26.27 ID:j0Iroplx
守備側援軍が来ない。 包囲が完璧である。 本国、衛生国までの後背地の安全が確保されている。 これを満たした時に投石兵器は活躍できるからな。逆に包囲側が奇襲食らったら重量あるこの兵器は廃墟せざるを得ない。 包囲側で有効に作用したのはグラナダ包囲戦やコンスタティノープル包囲戦があるね
99 :
名無し三等兵 :2012/06/02(土) 01:27:36.46 ID:???
攻城兵器としての大型投石機は今の話題とはまた別だろう
甲冑着てる相手には効きづらいわな 軽機と一緒で当たったら致命的だと相手に思わせる殺傷力を持ち合わせてないと
半弓ら修得しやすいんじゃないの?
石がそんなに使えるなら、誰もわざわざ弓矢や投槍つかわんし、だからといって まったく有効じゃないなら、古代において投石兵が広く使われてたわけもないだろうし
スリングの威力をなめてる人が多くて驚愕。
>>103 ではどうして中世ヨーロッパなんかじゃほとんど使われなかったんですかね?
別に舐めてはいないよ 弓も投げ槍も無ければ投石も使うさ
投石は中東では現役(ry インティファーダ華やかしき頃の新聞に、イスラエル兵へのインタビューが載っていて 「投石は殺傷能力こそ無いに等しいが、直撃すると後送が必要な負傷をする事も珍しくない。 かと言って、殺傷能力の有る火器で反撃する訳にも行かず、始末が悪い。」 みたいな事が書いて有ったなぁ 結局は火器どころかAFVで反撃する様になったけど・・・
>>107 5世紀のローマのウェゲティウスの著述によると、当時の弓の射程は180m程度だったとされているのに対し、
アナバシスの記録から考えて、投石器の射程は400mを超えたと考えられる。
また、投石器から弾丸が飛び出すときの初速は100km/hを越すと考えられており、ヴェジティウスによると
前後を円錐形に加工した弾丸は皮革製の鎧をつけた兵士に対して弓矢よりも致命的で内臓を損傷する傷を負わせ、
鎧をつけていなければ人体を貫通したという。
時速100キロ超えた程度のクソ遅い弾が400メートル飛ぶとか人体貫通とかどうなってんだよ
なぜか中世になるとそういう威力が認められなくなるんだよなあ。 どうしてだろうなあ。
>>109 岩明均のシチリア防衛戦の漫画に投石器があったなぁ。
バリスタの強力版だけど。
左右の円盤が高速回転して中央から撃ち出すんだけど、
一撃でローマ兵に風穴が開く。
しかも、不揃いな岩石がかえって散弾の効果を生み出す凶悪さ。
原理的に考えると初速エネルギーだけなら モーニングスターの一撃に匹敵するレベルまで可能じゃね?
だからこそ初速かそれを減衰しない段階で当てないとただの石の雨となり イヤガラセ武器に成り下がる。
スリングの話と大型投石機を混ぜてるのはわざとか?
別に直線軌道で狙うわけじゃなし、十メートル上から落ちてくる石の雨だって剣呑だろ
確かに剣呑だけど剣呑だよねって程度。
剣呑マジック
>>113 野球のボールとか外野からホームに届いた時に半分以上の速度は残ってる
それより小さく重たい石なら100mなら7割程度は速度残るから
半分ぐらいの威力はあるんじゃね?
それで人が怪我しないとかはないだろう
確かに素肌だと危険ですね。
チンコ丸出しでも兜だけは必要だな
ギリシャ・ローマ時代の裸に兜の理由がよく分かるなw
>>121 ギリシャの兵はでっかい盾を持つから鎧の重要度は
日本とかより低いのかも。でも、視界を確保するためには
盾の防御範囲から出ざるを得ない兜だけは欠かせない。
……って、裸に兜って剣闘士とかじゃなく戦場にいたのか?
裸のスパルタ戦士ってのは史実どおりのイメージなのかね?
>>118 現在の野球選手は、投石部隊としてどれくらい優秀なのかな?
メジャーリーグ:少佐
マイナーリーグ:大尉
日本プロ野球;中尉
日本マイナーリーグ:少尉
高校野球:軍曹
中学野球:上級兵
リトルリーグ:初等兵
こんなかんじかな?
問題は投げられた石を
バットで打ち返したり受け止めたり出来るかどうか、だがw
その昔に剛速球で知られた投手が、兵役で手榴弾投げに酷使されたあげく 選手寿命を終わらせたって話があってな。
>>125 ありがとうございます。盾からはみ出す頭と脚は防具を着けるのか。
右腕に防具を着けないのはちょっと意外だけど、軽さ重視かな?
プロじゃないと効果が低いのなら コストが高い兵種になる
実際、投げるのも石でなく投げやすい形に成型したテラコッタになるとか 色々と高コスト化したようだね。
投石兵は古代は練度の高いプロのお仕事だったし
>>129 スリングは普通、遠心力で打ち出すから剛腕投手だからスゴイの投げれるってわけじゃないよ
巨人冷たい
須田博「確かに」
>>134 知ってるから”御生還?”って突っ込まれてるんだろうが
カッコ悪いなお前w
まあ、復員中に引退に追い込まれてるから、選手生命終わらせてはいるんだけどね
鋳鉄は武器防具の材質として最悪?
砲弾ならば問題無くね?
防具には使えるだろう。 武器には向かん。
>>141 砕けない榴弾ってどうすんのよ?w
粉々に破砕されても困るけどなw
古代や中世の砲弾だと大砲ではなく投石機や投石兵の砲丸ではなかろうか?
>>140 鍛造日本刀が一本出来る間に鋳造青龍刀が百本出来てたらどうよ
ヨーロッパで中世後期に当たる室町時代の戦術や詳細な動員数なんか残されてるものって全くないのだろうか? このあたりは全く専門外なんでわからないんだが、戦国期や同時期のヨーロッパは、多かれ少なかれ残っているんだが。
>>148 戦術に関しては応永記とか永享記辺りを読んでみればある程度掴めるかも。
永享記には石弓の記述があったりして、従来日本では投石機やバリスタの類は
無かったとされてるんだけど、個人的には城や砦を守る装置として
使った例もあるんじゃないかなあって思ってる。
ただ、詳細な動員数や編成については難しいね。
誰々の手勢が数千騎とかそういう記述ばかりで
具体的に槍が何人とか弓が何人とかいう記録は無いんだよね。
具体的に兵科を分けるのは応仁の乱以降を待たなければならないかな。
>>具体的に兵科を分けるのは応仁の乱以降を待たなければならないかな。 太平記の山崎合戦の記述では騎馬、歩兵、騎歩混成の部隊が明確に分けられてたりする
>>150 太平記はこれっぽっちも史書や記録じゃないだろw
太平記は史実を基にしたフィクションです、ご了承くださいだからなあ
そもそも中世の日本の合戦は 双方名乗りあって、矢合わせして一騎打ちが殆どで 戦術もへったくれもあったもんじゃなかったのでは。 その装備と戦術のガラパゴス化の弊害が現れた好例が元寇なわけだし。 16世紀後半になって、ようやく12〜13世紀頃のヨーロッパレベルの戦術になったはず。
>>149 その「石弓」は石を紐で吊るしたものを指しているのだと思うけど
明との交易であちらの床弩の類が紛れ込んできたとしたら面白い。
あと、竹の弾力を使った焙烙火矢飛ばしは戦国後期にあるから
同じ原理で石を飛ばす装置もありえるとは思う。
>>153 いまだに、元寇は日本側大苦戦で神風に救われたと思ってるのか?
>>145 ほとんど異常者の帝王どもが身内で争い、国をぐちゃぐちゃにする話だぞ。
むしろ現在の皇室との連続性を直接的に表現するほうが不敬じゃないのか?
いまだに日本の会戦のイメージが
>>153 なんだよな
もっと一次史料研究が進んでその結果が広く公表されるといいんだけど
古い会戦や戦術のイメージで飯食ってる漫画家やメディアがあるから中々かわらんだろうな
元寇神風論は戦前だと右翼的で現代だと左翼的だなw
>>157 教科書をまず何とかしないと…ってその効果が出るのはずっと未来なんだよなw
最近のフィクションだとセンゴクあたりが頑張ってはいると思うんだが微妙に外してる気もしはするんだよな
東郷隆もノンクレジットだが原作に関わってるらしいが
まあ織豊政権の成立期だともうこのスレだとスレ違いか
鈴木説採用からいつのまにか抜け出したセンゴクか
>>159 教科書がなんとかなれば、10年程度で大学生まで正しい知識に置き換わるでしょ。
全ての教科書がきちんとした内容になるまでの時間は分からないけど、
変わりさえすれば効果が表れるのはそんなに先じゃないと思うけど。
>>157 名乗りを上げること自体はあったみたいよ。
保元物語、平治物語、平家物語、吾妻鏡には割と頻繁に出てくる。
尤もこれらの合戦では普通に集団戦やってたみたいだがね。
バカ向けのスレか
つまり
>>153 を否定する奴はニュー速レベルのバカだと
>>163 あほか
モンゴルはポーランドまでしか行ってないじゃないか
こんなアホスレは153にお似合いだ
こういう話でモンゴル帝国って規模がでかすぎて各方面軍が別物であんまり役に立たんよな
>>149 ありがとう。ちょっとネットで見てみたけど現代語訳の一部があって面白そうだったのでここから手を付けてみます。
よく、モンゴル軍がヨーロッパ騎士団を破ったと言われるリーグニッツの戦いなんだけど
ドイツ騎士団から戦士者は数十人しか記録されてなく、正直あまり大きな戦いだったとは言い難い。
むしろ、同時期に行われたハンガリーとの戦いの方が大規模。
もう少し、モンゴルが侵攻していればフリードリヒ2世と戦っていただろう。
フリードリヒ2世なら、相手に不足はないだろうから本当の意味でどちらが強いかがわかったかもしれない。
>>162 「三国志演義では関羽や張飛はよく一騎打ちをやってたよ」
っていうのと同じような発言に思えるんだが気のせいか?
プレートアーマーが普及した15世紀以降なら問題ないだろうが 13世紀の装備だとモンゴルの矢の嵐を防げるかどうかわからないな。
>>169 吾妻鏡もあがっているんだから、「史記」くらいにしておけば?
>>163 こういうアホな三段論法はやめて欲しいな。
日本を攻めた元軍は決してただの寄せ集めじゃなかったし
武士達はかなり強かったとは思うけどさあ。
リーグニッツのドイツ騎士団はちょこっと援軍に来ただけで 軍の主力はハンガリー歩兵部隊が中心でしょ 騎士の戦死数だけ見て軍の規模が小規模だったと判断するのは早計かと
ちょうどイングランドがロングボウを導入した頃だよな? 当時のイングランド軍とモンゴル軍を戦わせてみたいなw
>>163 のスレに威力棄民偵察厨が来てたw
431 名前: ノルウェージャンフォレストキャット (愛知県)[] 投稿日:2012/06/04(月) 18:51:46.24 ID:jNMY4A8I0
バイバルス(マムルーク朝)→フレグの家臣キドブカ率いるガチ騎兵と平原で戦って撃破、その後もモンゴルをシリアに入れさせず
バルバン、ハルジー、アラーウッディーン(デリー・スルタン朝)→アフガニスタンから侵入を企むモンゴル軍を何度も撃破、インドにモンゴルを入れず
ジャラールッディーン(ホラズム)→パルワーンの戦いで正規モンゴル軍5万を撃破、チンギス・ハーンの西方遠征でモンゴル軍唯一の敗戦、その後もモンゴルに土をつける
豚飼いイヴァイロ(ブルガリアの農民)→キプチャク・ハン国の王族にして有力者ノガイの軍を寄せ集めの兵で撃破、モンゴル軍も何度も破り、ブルガリア皇帝を殺し皇帝になる
鎌倉武士(日本)→一度目は威力偵察、二度目は南宋などのいらない兵の厄介払いでモンゴル人のほとんどいない雑魚軍(しかも渡海遠征)を追い払った
鎌倉武士は強い(笑)
節子、それは元寇スレでやる内容や。
このスレで煽っても、レスもらえないだろうから被害担当官スレで暴れたらいいよ
本人とやり合う気力がないか味方募集中のどちらかと見た
流石に軍板住人で威力偵察説を信じてるバカはいないだろ。
本のスレ見たら、既に突っ込まれまくってたわけだが。
まあ油断するとどんどん話題がスレ範囲を飛び出していくね 古代・中世で留まり続けるのは難しいね
当時の装備の話題以外は元寇スレでした方が無難だな。
近世には古代同様歩兵の槍衾に苦しめられる事になる 騎兵が中世では主力になった理由が良く分からない
鐙と鞍の発明により、弓や槍を馬上で自在に扱えるようになったからじゃね?
騎兵は戦場でイニシアチブを取れるから。 歩兵側が密集体型を取らざるをえない状況に持ち込んでるだけでも騎兵の価値がある。 中世は、あまり良質な歩兵に恵まれないために重装騎兵が圧倒的に優位だったが、 近世になると歩兵の質も良くなり、騎兵と歩兵は19世紀半ばまで対等の関係に落ち着く。
それで騎兵を揃えやすくなったのは分かるんだけど ローマの頃同様弓騎兵は打撃力不足で重騎兵は味方の騎兵が両翼を守っていれば 密集した歩兵を破れるものではないでしょ
それがわかってるってことは騎兵の有用性も理解してるように見えるのだが
ローマの頃の事はちょっと読んだから知ってるだけで 中世に騎兵の優位性が高まった理由が良く分からない 重装歩兵のなり手の中産階級が没落して二分化したから?
ニコメディアの戦いだっけ? ローマがボロ負けして、当時のローマ人がローマは滅んだとか思ってたのって。 塩婆の御本じゃ何故負けたのか詳しい解説とかなかったから、 よくわからないけど、そのあたりを調べられれば何か分るのかもな。
>>147 vipやニュー速、その他の連中が西洋刀剣や中国刀剣は鋳造って言うけど元ネ
タは?
違和感があるんだが
鋳造と鋳物を同一して、鉄瓶のイメージで刀剣を語るアホ連中だからなあ
>>184 その槍衾はかなり訓練が必要だから中世の徴用形態ではなかなか難しかったとか。
>>191 中国は知らんが、欧州では中世末期になるまで鉄を溶かせる炉自体が無かったんだから鋳造の筈がない。
中国でも刀剣に関しては鍛造だったはず。
「日本刀は最強で他のありとあらゆる刀剣より優れていなければいけない」という願望から生まれた妄想じゃね?
そういう無知なヤツが鈴木説にかぶれると今度は「刀は実戦では役に立たない」「首取りの道具」とかの 真逆の極端なことを言い出すんだよな。
刀の形をした置物ならともかく、実用にする刃物なら、鍛造じゃないと無理だろ…
製鉄法自体が、ユーラシア大陸のどこかで生まれて、中国を通り(直接か半島経由かは不明だが)、 渡来したものなのに、何で日本だけが鍛造技術を持ってるんだよ もちろん、日本独自の改良はあったし、当時の刀鍛冶の技術は素晴らしいが、 同時代の他国を不当に貶めて、何が楽しいんだ?
ニュー速に関しては本を正せば、ポン刀なんて柳葉刀や ロングソードと打ち合えばすぐ折れるだなんて根拠も無く吹聴する奴が多かったからじゃね?
ニュー速のアホには話が通じないから付き合うだけ無駄だと思う。 まあ、そのアホの説がまとめブログとか通じて拡散したりするから タチ悪いけどね。
郭も縄張りも土塁も知らずに本丸だけを見て 日本の城はショボいから簡単に落ちるとかな。
日本刀=新々刀だと思ってたりとかな
ギリシャ・ローマ時代の鐙無しの騎兵ってどれくらいの衝撃力があったんだ? 歩兵の激突で優勢になった側が調子扱いて追撃しようとして足並み乱れたら できた隙間に騎兵突撃かけて全部ひっくりかえすような力あったの?
大鎧の結構な重さも、漆での強化による防御性の高さも知らずに 「日本の鎧は防御力が究めて低いが軽くて動きやすい」 とまるで正反対の事を言ってみたりな。
206 :
名無し三等兵 :2012/06/05(火) 13:00:29.35 ID:E/KTXS2K
いわゆる古代戦車戦戦術 あれは嘘らしい。まず 1 古代にあれだけの 馬車そのものがない。というか科学証拠もない。厳密 にいえば古代の馬車政策そのものが嘘かもしれないし、証拠すくない 位であって、戦に使って、有用な兵器か疑問。 なんせ弓でせきとめられるんだもん。 2 当然古代なんたら〜とかいうけど、当時 統一規格 共用調達 大規模な鉄職人 すらなく、その科学証拠がないというか、どこも小規模鉄鋼だったので、ほぼ間違いなくあれほど武器、 装備がなかった。 ほぼ10世紀まで 1 好き、桑を普通にしようする 2 よろい以前に、そもそも共用の服などなく、布切れ装備 の蛮族 民兵みたいのが主力であって、そもそも統合よろい部隊が少ない。これは世界共通 弓をもってるだけで、強くて、そもそも弓に勝てる武力が非常に少ない自大。 都合ファンタジー以外でわ。所詮最強の弓 そして戦争ならぬ、事実上武装暴動が大半という自大。ぶっちゃけ たいした戦争も技術もない。 そして古典戦争論、技術なるものは、ほぼファンタジーで、実質戦争原理、技術でもない。 それこそ武士とかそういうものじゃないと弱い。
という電波でした
>>206 まともな根拠が何一つないじゃないのw
説得力を持たせたいなら誰の説なのか最低限挙げろ。
つかよそから来た人みたいだしさっさと巣に帰れ。
209 :
名無し三等兵 :2012/06/05(火) 13:03:27.41 ID:E/KTXS2K
さらにいえば、騎兵の積極採用ってのは 小規模の交戦、一部部隊を除けば 武士や、モンゴルなど、事実上最近になれなければ登場してない。 まず古代になると、時事交渉もむずかしく、記録の正当性もまったくなく、 何より緒戦100の歩兵に10の騎兵がまじってそれを指し騎兵の軍団といってるようなもので まったく科学検証性もない。 少なからず、騎兵の集中運用は武士 モンゴル意向じゃないとほぼなく、 せいぜいあの地帯にいた、あのきば軍団がつかってたが、それほど本格的な軍事アクションでも数でもなかった。 そして逆に古代の古典ローマ型などの戦術はまったく実用的じゃなく、くそやくにたたなかった。 もうあの当時の記録はファンタジーだよ。
小文字という有名な基地外なのだが…
ID出してくれる分だけNGできるからまだマシかな。
オリジナルっぽくね?
鐙そのものは農耕民の漢民族の発明だからね。 遊牧民はそんなもん無くても自在に槍や弓を扱ってたんだろうね。
ニュース板とアフィブログのコンボで謎の電波説が拡散されていく…
http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-2551.html 272:名無しさん@12周年:2012/05/24(木) 15:05:26.89 ID:4OInhGAmO
>>271 中国はどうして鉄器が発明された後もずっと銅剣使ってたんだろうな?
人海戦術しかやらないから要らないとか?
>何でシナは銃が生まれた後も剣使ってたの?
戦国時代から種子島銃をポコポコ量産してた日本人にはピンと来ないかもしれないけど、当時銃を作るのは手間がかかった。
特にネジを作るのが滅茶苦茶大変。
ヨーロッパでもネジを作る技術を習得しているのは、一部の高等職人だけ。
シナは銃をうまく生産出来なかったから、当然銃を揃えるのが困難だった。
シナじゃ1912年くらいまで弓が現役だったみたいだし。
[ 2012/05/25 07:15 ] 名無さん [ 編集 ]
基本、肉食獣は、敵よりも味方にとって危険だと思う
古代のローマや中国やインドだと猛獣を利用した例無かった?
>>214 いい加減しつこい。
そもそもそういう手合いばかり挙げるけど
逆に
>>153 みたいな主張するアホはもっと多いよ。
ローマはコロッセオの見世物であって、軍事じゃない。 インドは象だから、象を猛獣にいれるかどうか
>>215 弾運びするクマならたしかポーランドにいたが
現実問題として、肉食獣を軍用にするメリットはあるのか? 草食獣に比べて調教は大変、人を乗せた速度は馬より遅いし、荷車を引かせても牛馬より弱い、 犬以外は使い道がないんじゃないかな
そういえば、軍用犬はいつ頃からいたのかな 猟犬は先史時代から存在していたらしいが
犬を使った山狩りや追跡なんて猟犬の延長だからやはり古代から存在はしてそう。 ただ、ある程度の訓練された集団での特定任務となるとかなり時代は下るんじゃないかな。 日本の太田資正の逸話は史実かな?
>>222 昔の軍艦にはネズミ捕りの猫が乗ってたぞ
どこからカウントするかになりそうだなw
>>226 島津義弘なんて猫を時計代わりに使ってたんだぞ。
あとうかぶのは敵の伝書鳩を襲う鷹とマスコットのペンギンぐらいか
鍋島騒動も肉食獣が活躍した例だな。
>>224 太平記巻第二十二
畑六郎左衛門事
彼が甥に所大夫房快舜とて、少しも不劣悪僧あり。又中間に悪八郎とて、欠脣なる大力あり。
又犬獅子と名を付たる不思議の犬一疋有けり。
此三人の者共、闇にだになれば、或帽子甲に鎖を著て、足軽に出立時もあり。
或は大鎧に七物持時もあり。様々質を替て敵の向城に忍入。
先件の犬を先立て城の用心の様を伺ふに、敵の用心密て難伺隙時は、此犬一吠々走出、
敵の寝入、夜廻も止時は、走出て主に向て尾を振て告ける間、
三人共に此犬を案内者にて、屏をのり越、城の中へ打入て、叫喚で縦横無碍に切て廻りける間、
数千の敵軍驚騒で、城を被落ぬは無りけり。「夫犬は以守禦養人。」といへり。誠に無心禽獣も、報恩酬徳の心有にや、
攻めにも守りにも大活躍かよ。 高橋よしひろ作品の犬みたいだな。
ほー、おもしれえな
そういや元寇で思い出したが当時のベトナムやインドの装備や戦術はどんな感じだったんだ?
>>232 高橋よしひろの漫画で犬が織田信長に奇襲策を献策したり、犬が馬に乗ってるのがあったなあ。
>>235 しゃべる犬のヤツなw
俺もそれ思い出したんだけど内容まではよく覚えてないわ。
なに人面犬かなにかの話?
それか!
やっぱり宋に近い感じの装備だね
そうだね
審議
>>231 だから太平記はソースにならねえっての。あんなオカルトと創作まみれの作品を資料にしたなんて言ったら笑いものだぞ。
史書ではないが参考にする価値はあるくらいの態度で接するべき文献だな。 南北朝時代直後に成立が確認されている以上、武装だの戦術だのを考える手がかりにはなる。
>>191 そういやコナン・ザ・グレートやロード・オブ・ザ・リングなんかの映画では、鋳した後で鍛しているね。
太平記であてにならないのは兵力の誇張やオカルト描写であって 戦術や装備、編成自体はむしろかなり参考になると思うんだが。
『甲陽軍鑑』なんかもウソ一辺倒でまったく参考にならないという態度から 史料批判をしながら見るべき箇所は拾う、という感じに変化して 使う人も増えてきてるな。 オカルトがあれば使えないというなら『八幡愚童訓』なんかも使えなくなる。
>>248 八幡愚童訓も最近はそうとう叩かれて文永の役の神風はなかったってのが主流になってきてるが
>>248 でもあれ他の史料と矛盾する記述も割とあるし。
>>250 いや、八幡愚童訓では風が吹いたわけじゃないぞ。
暴風雨って根拠は『高麗史』じゃないの?
撤退中の出来事だけど。
>>251 だから史料批判ってことでしょ。
文永の役を扱った文献が少ない以上
ウソやオカルトの中から本当らしいものを洗い出して使うしかない。
逆風なる表記は『勘仲記』にも出てくるとのこと。
元軍が撤退したって結果以外は武家の記録、宗教系の記録、高麗史、元史、全部ばらばらで何もわからん
>>245 というか、あの時代の戦術や装備を詳細に記した同時期の史料が太平記くらいしかないんだから、それを否定したらどうしようもなくなるわな。
そもそもどんな史料も史料批判せずに鵜呑みにするなんて事は馬鹿げてる。
>>252 八幡愚童訓の一夜にして敵軍が消えていたも神風の論拠の一つだったんだけど
>>253 竹崎さんと元気な姿で出会ってる菊池さん
>>253 竹崎さんと元気な姿で出会ってる菊池さん以下100騎が
八幡愚童訓だと菊池さん以外全滅したことになってるしなあ。
ちょっと前に会った知り合いが後でその時すでに死んでいたことが発覚するというのは怪談の定番だが 逆バージョンか
菊池さん一行が実は北斗神拳的な技をくらってて 竹崎さんと別れた直後に全員アベシしたという可能性が・・・?
史料が少ないせいで『八幡愚童訓』なんかも活用しなきゃなんないんだよな。 ちなみに頑張ったから恩賞を出せと主張したのは箱崎宮だけではないw 関幸彦『神風の武士像』(吉川弘文館) ・真夜中に箱崎宮から八幡大菩薩の使である白装束の者三千人が突如立ち現れ、おびただしい 矢を蒙古軍に放ったという。その光景は「身ノ毛モ竪テ怖シク」なるほどで、「波ノ中ヨリ猛火」が あって、これがために蒙古軍は肝を潰し敗走したという(『八幡愚童訓』)。まさしく「神軍ノ威勢」だった。 同様の報告は各地から届けられた。紀伊国高野山金剛峯寺の鎮守丹生明神の場合もそうだった。 弘安合戦に際し、日本国の神々も蒙古に発向することになった。天野明神(丹生明神)は第一陣として 四月二十八日丑刻(午前二時)と決し、それにむけて不動火界呪を修して神の威光を増すべし、 そうすれば、六・七月中には本朝安全なるべし、との霊托の旨が報ぜられた(『紀伊興山寺文書』 正応六年三月二十八日「太政官牒」)。 ・この異国との戦争で神慮なり神威なりが、いやがうえにも高められた。日本国中の神仏を総動員しての 異国撃退の祈願、それはあたかも武士達の警護番役に対応するかのようであった。春日・住吉・日吉・ 祇園の各社が、各月を分担し異国降伏の祈祷をした。 神や仏も動員され、加持祈祷という世界で戦った。当然ながら、諸国でのこうした神々の 軍忠状に対し、武士と同様に恩賞の要求も激しかった。 ・肥前国武雄社の場合もそうであった。(中略)文永合戦のときには神殿から発せられた鏑矢が賊船を射ぬき、 これがために敵は撤退したこと、弘安合戦では紫の幟が異国の船の方向に飛び去り、大風を起こしたこと、 などが述べられていた。こうした神の軍忠にもかかわらず行賞に漏れたことは、堪え難しとするものであった。 ・異国合戦での神々の参陣は神の戦争を演出することで、神威を高めることにつながった。 すでにふれた弘安七年(一二八四)の神領興行令を含め、以後の三度にわたる神領の復興運動は、神の戦争と その軍忠に対しての当然の恩賞だった。
数に誇張があったら内容の全てを否定すべきなんて言ったら『史記』なんか使えないだろw
当の参戦した武士達の記録ではみんなピンピンしてるのに オカルト要素の強い記録では大将1人残して壊滅した記述になってるとか斬新すぎるなw 普通逆だろw
武士が自力で異賊を退散させたとあっては神様恩賞出なくて困るんだよね。
>>263 同時代に成立したものなら装備や編成に関してはかなり信頼できるよね。
逆に兵力の規模とか無双しまくってる豪傑達の描写とかはあんま信頼できないが。
戦術に関しては、あまりにも非現実的なもの以外は信用していいんじゃない?
項羽の最期なんてまさに無双だな。一人で何百人も討ち取ったうえ自分は討ち取られずに 自らの手で首を落とす。
というか項羽は戦略的にどんどん追い詰められてるのに 最後の最後まで戦場では圧勝し続けたとかチートすぎるわw
ハンニバルも同様で戦えば勝つけど戦えない場を作られるんだよな フリードリヒ大王もオーストリア継承戦争の時には同じようなことやられてる 古今東西を問わず無敵の名将相手にする方法は戦略で勝つ以外にないんだろうな
>>269 ピュロスの勝利ってやつですな。
ただ、それでもアレクサンダーみたいな真チート相手にはどうにもならない。
カンネーでの戦い方は今でも戦術の教科書に載るほどのものだというけど、 ハンニバルの軍略は中世ヨーロッパ世界ではやはり忘れ去られていたの? ヨーロッパ版孫子みたいな本があって脈々と伝えられたりしてたら面白いが。
>>271 ウェゲティウスの「軍事論」は中世において最も多くの写本された本の一つと言われる位ポピュラーだったよ。
当時軍事についてある程度体系的に記した著作といえばこれ位しか無かったわけだし。
カンネーと言えば二重包囲だが、何を思って二重包囲なんて訳を付けたんだろう
ヨーロッパの中世は識字率がものすごく低い。領主階級でも読めない書けないのは普通 知識の伝達は修道院だが、やはりキリスト教関連が最優先されたので。 今伝わるギリシアローマ時代の本は、アラブ世界で伝えられたものが多い。
>>271-272 軍略としては知識にあっても、諸侯や騎士階級の独立性が強かった
封建体制下では実行に移すは難しかったのでは?
>>271 戦記モノは延々と語り継がれたよ。
たとえば、アレシアの戦いの記録はカエサルのガリア戦記に
ほぼ全面的に依存しているわけだし。
ただ、中世では古代とは軍隊の規模が違いすぎてまるで適用できない。
普通は、国王が集めても数百人で、退屈な日常を紛らわしてくれる、 人死がでることもある危険なスポーツぐらいだったからね。 1万人も集まるような戦いは、それこそ子々孫々まで語り継がれるようなめったにない戦いだし
戦象や戦車、投げ槍等の既述を読んで使ってみようと思った諸侯も一人くらいいるかなw
>>276 もちろんすべてをそのまま当てはめるのは不可能だろうが、訓練の仕方、武器の扱い方、基本的な戦術など応用できる部分も多いだろう。
>>281 「人間の集団を指揮して戦わせる」という骨子はどの時代でも変わらないからね。
じゃなきゃ孫子だってとうに忘れ去られてただろうし。
>>279 中世でも後期ならイングランドのようにさほど人口の多くない地域でも数万くらいの兵士を動員してるけどね。
1347年のカレー包囲では、海外の戦いにも関わらず戦闘員を32,000人以上動員してる。
第一、中世後期あたりならかなり正確な史料が残っているから、リアルな数字が残ってる。情報が多いものほど過小評価され、少ないものほど過大評価される。
>>281-283 日本でも室町以前の戦いの記録でもしばしば中国の故事や兵法の記述が出てくるしな。
ぐぐると孫子は日本では平安時代朝廷によって秘されておりしばらく後まで一部源氏のみに相伝されたなんて既述があるんだが本当かね? なんか大東流合気術の流派伝承みたいだな。
>>284 細かい行政記録から正確な数字がわかるのは羨ましいな。
同じ時代に誇張表現がデフォの太平記くらいしか史料がない日本ェ・・・。
応仁の乱でいろいろ焼けまくったのが痛かったな。 やはり戦争は野っぱらでやるに限る。
>>282 バレアレス諸島の投石兵の卵たちは
飯の時間になると杭の上に置かれたパンを狙って投石してたそうな
当てたら飯食っていいよみたいな
>>288-289 軍忠状とか着到状とか引付とか漁るしかないな。
弘安の役では九州で実際に元軍と戦闘した鎮西軍が40000
長門周辺の守備にあたったのが25000、京都〜山陰を守った本隊が60000の
計125000の軍を動員したとされてるが1300年頃の日本の人口が
700〜800万人程度だったのを考えると割と妥当な数字かな。
あとは室町中期だと幕府中枢にいた満済が満済順后日記に
各守護大名の騎馬武者と歩兵の数を記してるとどっかで聞いたことあるんだが・・・。
>>199 遅くなったけど、返答どーもおりがとう。「武器と防具<中国編>」や「武器
事典」などの書籍を読んでてずっと疑問に思ってたんだ。
>>292 その数字も確か旧陸軍が出した特に根拠がある数字では無かったらと思う。
まぁ、125,000人なら総人口の1〜2%以内だから十分あり得る数ではあると思うけどね。
>>273 > カンネーと言えば二重包囲だが
二重だっけ?
>>199 日本では、あまりたくさんの鉄が見つからず、
砂鉄しかなかったので、それをかき集めて製鉄するには鍛造しかなかった、
みたいな説明は見た覚えがある。
たくさん鉄鉱石が見つかる海外では、鋳造で大量生産できたとか、
鍛造で強い製鉄が出来るようになったのは日本だけというのは、
むしろ怪我の功名か、瓢箪から駒的な説明で、
現在は、海外の鋳造技術と日本の鍛造技術を組み合わせて製鉄しているとかなんとか。
>>295 >二重だっけ?
偶に「両翼包囲」のことを「二重包囲」と言ってる文献などがあるんで、
>>273 はおかしいだろ、と言ってるのだと思うが。
まぁ実際の動きをイメージせず、「double envelopment」って言葉を直訳したらそうなったんだろうけども。
>>たくさん鉄鉱石が見つかる海外では、鋳造で大量生産できたとか、 >>鍛造で強い製鉄が出来るようになったのは日本だけというのは、 >>むしろ怪我の功名か、瓢箪から駒的な説明で、 >>現在は、海外の鋳造技術と日本の鍛造技術を組み合わせて製鉄しているとかなんとか。 既に言われているが、西洋では鉄を溶かせる温度が出る炉自体が、中世後期に高炉が登場するまで存在していなかったのでただの妄想だな。 そもそも鉄その物が砕けやすいんだから鋳造の剣なんて糞の役にも立たん。
>>296 なるほど。
だけど「二重包囲」と聞くと、まるでアレシアだよなぁ
鉄鉱石を熱する→不純物がガスとなって排出される→海綿状になった鉄鉱石を叩いて鍛えることで刀身を作る うろ覚えだが西洋での刀剣は↑の方法で作られていたと記憶している。
というか単にまともな製鋼技術が無かったから 熱しただけの鉄をトンカチするしか知らなかっただけでしょ。 鍛造技術だって実に原始的なものしかなかったし。 ていうか、中世の日本なんて世界的に見ても未開の土人国でしょ。
>>301 未開の土人国を十万以上もの軍で正面から侵略しようとして大敗した世界帝国がありましたね。
世界的に見ても未開の土人国 土人国を征服できない世界帝国 世界帝国に支配された国は土人国以下
その土人国から大量に刀や鋼製品を輸入してた明帝国の立場がないなw そういえば、勘合貿易では刀だけでなく槍や鎧や弓も輸出してたようだが 明側では刀に関する記録は多く一部では軍に導入するくらい 興味を引いたようだが一方で、日本の鎧や弓に関する記録はあんまないな。 明にとっては交易で入ってくる和鎧や弓はあくまで芸術品という認識だったってことかな?
>>295 日本でも6世紀くらいから鉄鉱石による製鉄も行われていたと天田昭次氏の『鉄と日本刀』にあるよ。
日本刀だって、実は鎖国以前は輸入鉄でつくってたし。江戸時代初期に舶来鉄の在庫が なくなったので、これからは日本の鉄でつくるよという刀工の記録が残ってるし
>>297 そもそも日本では砂鉄しか取れなかったって話自体が俗説だからね。
>>305 鉄鉱石は東日本、砂鉄は西日本で産出してたみたいね。
あと、鎌倉時代の鎧を成分解析したら付近で取れた鉄鉱石を原料にしてるのがわかった話があったな。
>>306 輸入鉄「も」使用してたのと輸入鉄「が」メインだったのとでは全然意味が違うんだが。
>>308 江戸後期の水心子の書き残したものをどこまで信じるべきなのか。
だいたい彼の実戦刀復元の試みは大失敗したのみならず、今にいたるまで
弊害を及ぼしているし。
>>309 天田氏も古刀期は鉄の精錬方法・作刀法ともに様々な技術が各地に並存して使われていたと
書いているわ。
>>310 後には日刀保による変な俗説が広まったしなあw
まあ、あれはGHQ占領下での苦肉の策の面もあったから
あまり非難ばかりもできんが
日本刀伝説ってにわかには信じがたいのだが
大慶直胤の試し物失敗話は松代藩が予算ケチったせいだと思ってる。
荒試し以前に直胤の刀を差料にしていた藩士から折れやすいという評価が出ていた。 家老鎌原氏、寺社奉行山寺源太夫常山といった上級藩士からね。 しかも常山は「直胤刀折れ易し」の世評に対して疑いを持って試刀を行った結果 「直胤刀試仕候、容易に折れ申候」と書簡に記すハメになったわけだし。 彼らも予算ケチったのかな?
当時は江戸も半ばを過ぎ、刀も形骸化してた時代だからね。
直胤の刀は殆ど芸術品のようなもので名刀と名高い=よく斬れるわけじゃないってお話。
たしかその後に別の刀匠の刀も試したらそっちはよく斬れたはず。
>>312 さすがに貴重な南北朝時代の刀で実際に試し斬りするわけにはいかないからね。
未だに日刀保の俗説が広く信じられてるのもアレだが 最近は板の傾向からなのかどこぞの怪しげな軍刀信者のサイトの記述を 鵜呑みにして「輸入鋼を使わなければカスみたいな刀しか作れなかったのが真実!」 って語る輩があっちこっちで湧くのにもウンザリするな。 まるで10年前の鈴木信者や5年前のネトウヨを見てる気分だよ。
土方歳蔵曰く 刀は駄目だ。これからの戦は鉄砲ですな
>>316 で、その「怪しげな軍刀信者のサイトの記述」は具体的にどこがどう誤ってる訳?
定番コピペの程宗猷 「単刀法選」、「武藝圖譜通志」、何良臣「陣記」、屈大均「広東新語」 、「懲秘録」 あたりも輸入鋼によって作られた刀の成果なんかね 国産鉄ゴミ理論が正しいなら
>>317 エンフィールド銃やアームストロング砲に刀で対抗出来たら完全にラノベの世界やんw
>>318 一時期流行った鈴木説のトリックと全く同じやり口なんだけど
「必ずしも心鉄が必要だったってわけでもないみたい」
「中には舶載鉄をブレンドしたものもあるみたいね」
「折り返しの回数が少ないものもあるね」
という話をいつの間にか
「古刀は全て無垢鍛えだったんだ!」
「舶載鉄を使わなければ糞みたいな刀しか出来ない!」
「折り返しなんて意味は無い!古刀は素延べだったに違いない!」
という話にすり替えてしまってるんだよ。
>>229 ここで注意すべきは、鉄鉱石は熔けなくても鉄に変えることができることである。一酸化炭素COが鉄と結合している酸素を奪って二酸化炭素CO2となり、
鉄鉱石は金属鉄になる。この化学反応に必要な温度は400〜800℃程度で、温度が低ければ、固体のまま還元されて酸素を失った孔だらけの海綿状の鉄になり、
温度が高ければ、粘いあめ状の塊になる。これは炭素分の少ない錬鉄といわれるものであり、一般には1500℃以上にならないと熔けないが、熔けなくても鉄ができるのである。
ただしこれは不純物を含んでいるので、硬いものの上で赤熱のまま打ち叩いて不純物を絞り出し、鉄原子どうしをくっつけなおさねばならない。これが「鍛える」という操作である。
この操作をすることで純粋な鉄にすることができる。さらにこれを炭に包んで熱して炭素分を加えて鍛えて鋼にすることができる
炭素を含有した最も融点の低い銑鉄でも融点は1200℃程度である。そのため歴史上青銅器文明が鉄器文明に先行して発達したと言われている。
しかし、鉄は青銅の場合よりもさらに低い温度で鉄鉱石から鉄に固体のままで変えることができ、これを鍛えれば使用できる鉄ができる。つまり鉄はその融点から想像されるよりも、
遙かにやすやすと製造できた。また銅や錫の鉱石の産地は地球上で偏在しており、広範な交易の発達が必要であったのと比較して鉄鉱石は何処にでもあった。
そのため冶金学的には青銅に先行して鉄が用いられた可能性がある
引用元
http://fnorio.com/0056history_of_iron_manufacture1/history_of_iron_manufacture1.htm
322 :
321 :2012/06/06(水) 15:31:15.36 ID:???
323 :
名無し三等兵 :2012/06/06(水) 16:00:55.60 ID:IT3r/HHj
戦国時代の弓衆はなんで石弓発明できなかったんだろう、鉄砲隊の合間には 弓隊も攻撃しているようだが和弓では弱いし命中率も低い、もし石弓があったら 覇者は信長ではなかったかもしれないな。
>>319 その認識で正解。
>>320 そのサイトの引用史料とか読んだことある?
史料読んだらその「すり替えた」論理が正しいことがわかると思うが。
>>319 とっくに和鋼オンリーの新刀の時代に入った江戸中期〜幕末でも
ゴローニンはじめ刀の性能に驚く記述があるから多分違うと思うよ。
>>323 本格的な国盗りゲームの開始と鉄砲登場とのタイムラグがなさ過ぎる
弩の競合相手は弓じゃなくて鉄砲だから
弓は生産が楽で使い手の技量が問われる支配的な戦士階級にうってつけの武器
弩と鉄砲は生産のための技術レベルが問われ使い手は即席でおk
戦国の世に綿襖冑と弩装備の足軽とか夢があるけど、やっぱり鉄砲で正解だ ファッキン雨天中止
>>323 そもそも和弓が弱いとか何をソースに言ってるのよ。
そりゃ弓だからクロスボウに比べりゃ威力は低いがな。
逆に言えば、古代にはあったクロスボウの大量生産ノウハウを
資金を費やして復活させるほどのメリットを感じなかったんだろ。
中世日本でクロスボウが廃れた経緯は ・蝦夷との戦いと律令制の崩壊により民兵主体の戦から、戦士階級の弓騎兵が主力の戦に変わったから ・竹弓や丸木弓のみの古代と違い、中世には複合弓の登場により弓の性能が格段に上がった。 ・クロスボウの製造法は国家機密(新羅に製法漏洩した者を罰したくらい)で律令制崩壊と共に生産ラインが失われた。 ・己の武勲に拘る武士にとって「誰でも簡単に撃てるクロスボウ」は好ましくなかった。 ってとこかな? 次に再び民衆も戦闘員として動員するようになる戦国期には より使い勝手の良い種子島が伝来しクロスボウはもう用済みだった。 因みに中世の記録に登場する石弓やおおゆみはどちらかというと 拠点防衛用のバリスタや投石機みたいなものに近い。
>>320 あそこのサイトが引用している天田氏の『鉄と日本刀』では南蛮鉄は沸かしが効かないから
日本刀には向かないとかはっきり書いてたりするんだよね。そういうつまみ食いも似てるわな。
つか、あそこも鈴木説大好きじゃなかったっけ?
>>319 欧陽脩が宝刀と讃えた刀も舶載鉄製だったんですかね?
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_018.htm 同じページの上の方に
>全国4ヶ所で発掘された鎌倉末期〜室町末期の鉄刀類の内、南北朝期(43%)の物は
全て大陸の含銅磁鉄鉱、室町期(57%)の多くが燐を含み(岩鉄・南蛮鉄?)、和鋼類推は
14%に過ぎなかった※。これは鉄器全体に共通であろうから、当時の日本国内には舶載鉄が
大量に出廻っていた証しである。
とさも燐分を含む鉄は舶載鉄であるような印象を載せておきながら
下の方では南蛮鉄の刀が国産鉄製だったことに反論するために
燐分は南蛮鉄の識別指標に必ずしもならない、と書いたりするからなあ。
>これらの事から何が導き出せるだろうか。1.南蛮鉄が含有する燐は鍛造工程で激減する。
2.高価な南蛮鉄は刀身の部分に使われた可
能性がある。3.短冊形南蛮鉄には和鋼と成分が変わらぬものもある。4.和鋼が世界で
最も清浄な鋼とは言えない。
従って、試料の刀にも検討を要するが、燐分は南蛮鉄の識別指標とは必ずしもならない。
偽銘が常識の世界だから、中には刀を高く売る為に偽銘を切ったものもあったかも知れない。
然し、一刀の例を以て総てと結論づけるのは軽率ではなかろうか。
況や鬼の首を取ったようにそれを利用する人達は自戒すべきだと思う。不信感を増幅するだけである。
ダブルスタンダードは基本ですよ
タブスタぶりまで鈴木眞哉と一緒かよw
話半分で読むべきサイトだね。
今までの説とまったく異なる説を提唱する場合、その論法には人一倍気を配るべきだと思うんだが あからさまなダブスタが見える時点でもう読む気しないわ。 論敵に対して感情的・主観的なレベルで貶めようとしてる部分も目立つし。
339 :
名無し三等兵 :2012/06/06(水) 20:12:13.92 ID:RhKSWAcv
刃物板からの拾い物ですがやはり疑問を呈している人が。
392 :名前なカッター(ノ∀`):2012/06/06(水) 19:11:17.11 ID:IVTRnQcX
>>390 日本は平安から明治初期までたたら製鉄で銑やケラを製鉄をしてたけど
品質が悪いとは思えない生産性は悪いと思うけど
日本の鉄についての評価は
ノエル・ペリン『鉄砲を捨てた日本人』
15〜17世紀の日本の製鉄、製銅技術は西洋を圧倒する水準であった事が述べられています。製品が欧州中に輸出されていました
(当時は運賃がべらぼうに高かったにもかかわらずペイしていた)。
オランダ商人が取り扱った銅の場合、長崎港での引渡し価格は100ポンド当り33フロリン、アムステルダムでの販売価格59フロリン。
しかし60フロリンのスウェーデン銅より安く品質も良かったのです(主に大砲の鋳造に使用)
製鉄。欧州で当時最も技術力があったのは英国。しかしその英国をして「全く相手にされない。日本鉄に比べて品質が劣るとみなされている。
イギリス鉄の売れ行きはさらに悪くなる見込みである。日本鉄は最良のものでも1ピクル当りわずか20メイスしかしない。」(東インド会社1615年の期末報告書より)
勘合貿易についても調べたんですが日本が刀剣や鉄を輸出してたと言う
サイトは見つけられたんですけど鉄を輸入してたと言う記事が見つけられないのでurlを貼ってください
あと西洋でも19世紀末までは高炉で造った鉄を刃物や刀剣など高級な鋼には
スエーデン錬鉄を原料にるつぼ中で炭素付与物とともに溶解するるつぼ鋼は生産性低いし価格も高い
事実並べてこう解釈すればしっくり収まるんじゃね?ってあるべきだが 先にこういう主張を事実と言い張りたいって決めちゃって、後から論拠を求めるからなー
そのサイトについては眉にツバをつけて読むべしってことでいいと思う。
スレ違いといえない部分もあるけど、あんまりその話題で引っ張ると
やはり別スレになるし。
>>323 >>328 >>329 あたりから再開しよう。
弩が現役であった養老律令の時代ですら弓馬重視の面が見られるんだよね。
庶人であっても弓馬に巧みならある程度の出世が約束されるようにも見える。
時代はちょっと隔たりあるけどこのあたりが武士の弓馬の道に繋がっていきそうにも見える。
http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/yoro17a.html ○02 隊伍条
兵士はおのおの隊伍を作ること(5人で伍、50人で隊)。弓馬が得意な人は騎兵隊とすること。
それ以外を歩兵隊とすること。主帥以上(校尉・旅帥・隊正)は、種別(騎兵/歩兵)ごとに統率すること。
両者を混成してはならない。
○13 軍団大毅条(※01条と同じ条名)
軍団の大毅少毅は、おしなべて部内の散位、勲位、及び、庶人の武芸を
称えられる人を取って充てること。校尉以下(校尉・旅帥・隊正)には、
庶人の弓馬が得意な人を取ること。主帳(軍団の書記)には、書算が巧みな人を取ること。
『続日本紀』神亀元年(七二四)四月癸卯(十四日)条 坂東九国の軍三万人をして、騎射を強襲し、軍陳を試練せしむ、 健児制も役人の子弟で弓馬に達者なものから選ばれている。 律令時代に上級兵士はかくあるべしとされたものが 後の武士道の原型となんじゃないのかな?
↑ごめん、強襲→教習です。
逆に蝦夷との戦さで弩ってのはどれだけ役に立ったんだろうか? 大陸に倣って導入してみたものの思ったより役に立たず 日本の国土にあった騎射重視になったのではなかろうか?
>>339 > 日本鉄は最良のものでも1ピクル当りわずか20メイスしかしない
ごめん、単位がわからないから意味も分らない。希少価値ということかな。
> あと西洋でも19世紀末までは高炉で造った鉄を刃物や刀剣など高級な鋼には
> スエーデン錬鉄を原料にるつぼ中で炭素付与物とともに溶解するるつぼ鋼は生産性低いし価格も高い
悪文すぎて、どう読めば良いんだw
> あと西洋でも19世紀末までは
> (スエーデン錬鉄を原料にるつぼ中で炭素付与物とともに溶解する)るつぼ鋼は生産性低いし価格も高い
なら読めるんだけど
347 :
名無し三等兵 :2012/06/06(水) 21:05:29.66 ID:RhKSWAcv
この手の話で一番突っ込み能力高そうな材料物性板が過疎板すぎるんだよなー スレ自体が20くらいしか無いw
350 :
名無し三等兵 :2012/06/06(水) 21:20:46.06 ID:LiFP5IBT
化学の授業でも、ここらへんをこそ詳しくやってほしいのに、 全くやる気無いもんねえ。
材料物性板まじ凄い 勢い順にソート 1位 【鉄屑?】 鉄屑Part.5 【屑鉄?】 勢い1 2位 テスト用スレin材料物性板 勢い1 3位 X線業界裏事情 勢い0 以下ずっと勢い0
他板からの出張組でカンタンに乗っ取れそうな板だw 逆に他板の関連スレとリンクさせればいくらか活気も出そうだが そもそもこの板常駐の専門家が少ないんだろうなあ。
ちなみにこのスレは勢い63、軍板8位
古代の日本に槍騎兵はいなかったの?
古代ってどこらへんだ?魏志倭人伝には倭国には馬がいないといってるから 騎兵そのものがなかった時代も古代だ
このスレの連中くらいならそれらしいサイトを作れば簡単に騙せそうだな
短期的には騙せても長持ちはせんだろう
>>339 ノエル・ペリン『鉄砲を捨てた日本人』
この本は宛にならない。
歴史の専門家でもない筆者が書いた上に日本が世界一の銃保有国という根拠ないデマを撒き散らした元凶。
>>342-343 なんかこうやって見ると、中央集権下の国軍なのもあってか
大和朝廷時代の軍の方が鎌倉時代や南北朝時代より強そうに見えるのは気のせいか?w
>>351 大学でも理系の中でも材料・金属系は人気無いからなあw
うちの学科でも大抵の奴が機械選ぶから、一部の機械志望者がランダムで材料に回されるくらいw
>>360 その東インド会社の報告書ってのをちゃんと見てから
判断した方がよさそうだな。日本語訳されてるのかな?
>>361 まあ人数とか見ると後世の武士団よりはるかに大規模だよね。でも前スレにあったように
鉄の防具が維持できないから木で作ったものに漆を塗って外見は
鉄兜らしく見せて誤魔化すとかやってるように、内実はボロボロだったようだ。
あと、自分の土地を守る必死さもない分恐らく後世の武士より士気も高くないと思う。
>>361 気のせいだよ。成人男子の3人に一人なんて実はできず、兵役逃れや税逃れが横行してた
ある地域には戸籍上3人しか男子がいないとかすごい記録もあるんだぜ。
大体のクニは、1000人前後ぐらいしかいなかった。しかも兵役は税の一種だから
兵役中の負担は全部自前、これがすごい負担で、逃げ出すやつがあとを立たなかった、
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sandai/sdj39.htm 出羽國,元慶二年,為夷虜所燒盜穀類四十二萬五百一束六把八分六毫,
糒七百五十斛,革短甲三百四十七兩,冑五百卅三枚,鐵鉢一百五十七枚,
革鉢五十枚,木鉢三百廿六枚,箭八千三百八十隻,大角六枚,小角八枚,
鼓六十面,太刀五十五柄,弓七十一張,鐵鉤五十五柄,「弩」廿九具,「手弩」百具,
561 :名無し三等兵:2012/05/12(土) 18:27:09.79 ID:???
弩とは関係ないけど冑五百卅三枚のうち大半が木の鉢というのが興味深い。
565 :名無し三等兵:2012/05/12(土) 20:20:50.94 ID:???
その木の兜も出土例があるんだな。つか、これだけっぽい。
しかも数合わせの偽物だってんだから律令軍団も苦労してるな。
9世紀の井戸から木製かぶと…岩手徳丹城
http://www.wood.co.jp/web/web/web-w607.html 世紀の木製兜は「偽の鉄兜」−文化財研調査
http://www.wood.co.jp/web/web/web-w2460.html 566 :名無し三等兵:2012/05/12(土) 21:01:15.10 ID:???
鉄製品は保守管理がめんどくさそうだしな
続日本紀 宝亀11年(780年) 8月18日の詔
「諸国の甲冑は次第に年月を経て、ことごとく皆さびを生じ綻び多くは用をなさないという。
三年に一度の割で修理するのを例としていたが、修理する後から綻び、この上なく手間と労力を要していると聞く。
しかし今、革の甲は堅固で久しく使え、身につけても軽くて便利である。
また矢が当っても貫きにくい。その手間と日程を考えてもとりわけ作りよいものである。
今後、諸国が造らせる一年間に必要な甲冑は皆革を用い、前例通り毎年見本を進上するように。
ただし、以前に造った鉄の甲もいたずらに腐らせることなく、三年を経るごとに修理させよ」
弩って敵が重武装じゃないと存在価値が低そう。 軽装の蝦夷相手ではあまり意味がなかったのでは?
>>364 そいうや、ちょうど私渡僧続出での時代か。
4メートルを越える長鉾を持っていたり、スペック上は律令軍強そうなんだよね。
>>361 確かに編成「だけ」なら古代ローマやマケドニアを彷彿とさせるんだが・・・。
実際には民兵中心で士気は低く、製鋼技術もまだ未熟で鎧も武器も不足気味だったから
仮に大和朝廷軍が後の時代の鎌倉幕府や室町幕府の軍勢とやり合ったら
兵科のバリエーションに富んでるとはいえ、士気と練度と装備の質で圧倒されて
対アテルイ軍の時と同じ結果になりそうだなw
兵力に関しては奈良時代より大幅に人口増えてる分大して変わらなさそうだし。
すいません、ワールシュタットの戦いと、リーグニッツの戦いが同じものだと、 最近まで知らなかったレベルですが、このスレにレスするのは100年早いですか?
>>371 そうですね、2112年6月7日になったら書き込んでください。
>>356 ちょっと暴論だけど西洋と東洋の古代の時代区分を全く同じと解釈すると
古代〜中世の時代区分は西ローマ帝国崩壊からになる
ただ古代と中世の区分については、研究者から結構色々な意見が出てる
有名な歴史家のM・フロッグはどういう解釈してたかは忘れたけど
374 :
名無し三等兵 :2012/06/07(木) 13:17:03.47 ID:7zDDlXJo
>>342 軍団の大毅は1000人を統率すること。少毅は副官としてそれを統率すること。
校尉は200人。旅帥は100人。隊正は50人。
大毅:1、少毅:1、校尉:5、旅帥:10、隊正:20
軍団:1000
計:1037人?
(大毅:1、少毅:1、校尉:1、旅帥:1、隊正:1、隊員:45)×1
(校尉:1、旅帥:1、隊正:1、隊員:47)×4
(旅帥:1、隊正:1、隊員:48)×5
(隊正:1、隊員:49)×10
それとも、こっち?
>>364 こんな頃から員数主義がorz
藤原頼長の目指した律令制とは一体・・・いや、道長当時の摂関政治全盛期ならちがうのかな
>>365 前スレでは、革でも鉄と同じ性能だったという意味での引用だったのに、
今回は、こんなにぼろいという意味で使われているorz
375 :
名無し三等兵 :2012/06/07(木) 13:51:26.69 ID:t2cYcBqt
とある郷土史の本で赤松氏が短弓を使ったってあったんだけど 南北朝時代の戦術って歩兵による集団戦術が本格化するころだよね?
漆で強化しても木製だと割れてしまって構造が維持できんだろうな 皮と違って
>木製兜は06年、矢巾町教委の発掘調査で井戸跡の内部から見つかった。 >トチノキ製で、表面に黒漆が塗られ、水桶に転用されていた。 古代からニセッパチがあったんかw
魏志倭人伝の倭国は主に”西日本のどこかの大勢力”の話で
少数集団や東日本の情報は伝わってないだろうから
その時期でも、日本列島に「馬に乗って槍で戦う戦士」が居た可能性はあると思う
多分槍は主に投げ槍用だったと思うけど
>>374 木製と革製をごっちゃにしてないか?
そういや蝦夷が騎乗戦術覚えたのはいつなんだか。
380 :
名無し三等兵 :2012/06/07(木) 14:52:26.72 ID:t2cYcBqt
>>377 員数合わせは何時の世のならいなんじゃね?
381 :
名無し三等兵 :2012/06/07(木) 16:08:28.33 ID:7zDDlXJo
東日本は南部馬や三春駒みたいな木曽馬より大型の馬を多く産出してたしね。
南部馬はポニーじゃないの?
>>383 南部馬は大きい個体は肩高150cmを超えるそうな
逆に言えば大きくない奴や平均的な奴は150に満たないわけで
ポニーの上限が147cmとされてるので、まあ一応はポニーだ
どうせ秋田犬みたいにヨーロッパの種類と交配したんだろ。
どうせw
軍用はデカイ方がいいけど荷物運びには低い馬の方がいい 荷物の積み下ろしが楽だから
輜重用の家畜に高低が求められたとか言う記述見たことがないんだが
>>378 漁民が「銛」を使ってる状況で同じような用法する武器が
対人で用いられることはないって言うのは無理だもんな
>>385 とーほぐの馬は恐らく大和とは別ルートで渡来してるから
もともとデカめなんだよ
>>385 逆。
明治期の西洋馬との配合で純血の南部馬はみんな絶滅しちゃったんだよ。
>>389 まともな馬具がない時代にそれやったら落ちるよね
箸墓出土の輪鐙はどう解釈されてんの?
>>389 いや3世紀の槍の出土例とか皆無だろ
3世紀以前の長柄武器といったら鉾か戈
金属器が超貴重品だった時代で、投槍みたいな武器が成立したかも疑問だし
>>394 槍と書いて「ほこ」とも読むからあまり細かく考えてもしょうがない。
本来南北朝以降の槍を表すのは「鑓」が正しいわけだし。
今話題になってるのは刺突用の長柄武器という認識でいいと思う。
正倉院の鉾って結構数が残ってるけど ほとんどが柄に滑り止めの巻きが施されてるんだよね。 後世の槍みたいにしごいて使うものではなかったんだろう。 ひょっとしたら馬上用だったのかもね。
397 :
名無し三等兵 :2012/06/07(木) 23:23:48.10 ID:7zDDlXJo
>>396 基本的なこと聞いてごめん、槍をしごくのは何のため?
槍をしごくだなんて卑猥だなあ
>>396 ではないが槍を半身に構えたとき、前側に位置する手(槍術では一般的に左手)の中を通して
柄を滑らすように動かして突く動作を「しごく」と言う。この動きは「遣る」ともいい、「鑓」の漢字や
「やり」の名はそこから来ているという。
正倉院の矛は滑り止めがあるから必然的にその動きができない。
ホコらしいですね
管鑓は革などでできた管を鑓に通すことでシュッ!シュッ!シュッ!と より早くしごくことができるようにしたもの。
>>402 弓とか大好きなのに不思議なこというよね
日本って白兵戦やるとなったら徹底的にやるけど
基本的には遠距離戦を好む戦争文化なのに
弓はいいけど鉄砲はダメで刀こそ武士の本懐!とか、まあ武士の身分制度が窮屈になった江戸時代ならではじゃないですか。
修学旅行でどっかの博物館で弩のトリガー部分の機構を観たことがあるけど (あそこだけ青銅製だから残るんだよね) あれはまさしくオーパーツだったわ。どうみても工業部品。 製造法を国家機密にするのもむべなるかな もし弩が紀元前くらいで廃れて現在に残ってなかったら あの部品は何に使うものかで一大論争になってたかも
てか飛び道具とは卑怯なり!とか、実は江戸時代すら関係ない明治以降の講談文化なんじゃねえの? 幕末だって各種洋銃大量流入でカオスだったわけで
>>405 引き金は火縄銃なんぞよりよっぽど構造複雑だからな
小さな部品に弓のテンションが掛かって、しかもそれを指の力で落とせるようにしなきゃならない
408 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 01:18:35.27 ID:YnLp3tpx
>>406 欧州では銃兵は捕まると手首を切り落とされた。でもそのうちそんな気風はどこかに吹っ飛んだ。
日本もそうでしょ。というか戦国期に武士道なるものやそれに類似するものがあったとは思えない。
ただ責任を取らされる職務に対する重みがあるくらいで。そういう武士道などの美徳は現実の前に霧
散するのが常のような
礼節を重んじ匹夫の蛮勇を侮蔑する程度には、成立してたでしょ。
武士道ってどちらかといえば匹夫の蛮勇側じゃねえの?
口から出任せで中傷なら、なんとでもいえるよね。
葉隠だって、実際に戦争してた連中がいなくなった頃に、武士道とはこうだと 妄想でつくったもののように、武士道なるものは幻想だろ。
武家の第一はお家の存続
武士道とかは一連の思想でありモラルであり、慣習であり、規範なのだから、 軍事的側面だけをもってあーだこーだなんて、浅薄すぎるよ。 匹夫の蛮勇なんて批判にもならん批判は論外だな。
戦時の振る舞いや行動に顕著に現れるものだと思うが。
>>408 鎌倉武士道の研究って日本史だと割りとメジャーな研究分野なんだがな
敵の首を取る習慣はいつからなんだろう 弥生時代には首のない死体が見つかっているからその辺からかな
首を落とすことそれ自体より、首検分という慣習の起源の方が重要じゃね?
420 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 05:00:13.60 ID:DA4PaM3w
>>399 >>401 >>402 なるほど、日本版投槍具みたいなものですな、すごい。初めて知った。
>>410 それは後三年の役くらいでは。
>>418 弥生時代:結構マジで殺しあってた?
古墳時代:古墳を日本国民全員で作ってたろうから、多分平和では。
律令時代:戸籍をごまかしたり、私度僧になって徴兵逃れ?
荘園時代:荘園に囲われて税からも逃げる?
院政時代:突如ヒャッハーな首取り時代?一番槍とか先駆けの功名とかどっから出てきた?
〜
江戸時代:そうか、もう戦は無いのか・・・突如みんな腑抜けに平和満喫
幕末明治:尊皇攘夷だ!富国強兵だ!一等国だ!八紘一宇だ!鬼畜米英だ!
戦後時代:あやまちはくりかえしませんw
この切り替えスイッチはどのあたりかなぁ、スレ的には武士の出現についてだけど。
♪ ♪ Å ♪ ヽ<丶`∀´>ノ ( へ) ♪ く ♪ ♪ Å ♪ ヽ<丶`∀´>ノ ♪ (へ ) ♪ >
>>420 のーたりんが身に余る総論染みた事やって悦に入ってるとアホがバレるぞ。
>>418 食人しなくなった時にトロフィーとして首だけを持ち帰るようになった説がある
食ってたころは体ごと持ち帰ってたのね
食ってたのか
アフリカの食人種は襲ってその場で焼肉にする(レヴィ・ストロース)し、中国や東南アジアだと肝だけ抜いて食ったりするし、どんなもんだかね。
戦果確認で、一番相手がわかりやすいのが首だからなぁ 首とって顔みても、誰かわからん文禄慶長の役じゃ鼻や耳になったし
>>420 投槍具とは全然違うわ。槍を突くときの動きとかマジで知らないのかよ。
部隊規模や階級編成が高度になって敵を倒したと(矢玉の届かない後方の高官に)報告する際に 証拠が必要とされるようになったとかかな? 騎兵が槍(投槍用のと馬上用のは用語の使い分けが微妙なので矛とかも含むで)を投げる のは古代ギリシャの鞍なし布一枚騎兵(股間が・・・)からレコンキスタ期の イスパニア軽騎兵(馬上でクロスボウも使用)とかほぼ同時期のインドの重騎兵とかまで 結構ポピュラーだったし 古代日本で投槍が使われたとしたら穂先は石製じゃないかな
投げ槍は騎兵以前の戦車の時代からやってるしね。
431 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 10:24:37.99 ID:DA4PaM3w
>>427 いやまあ、補助的という意味で。動きが全然違うことくらいはわかりますよ。
>>428 西欧には、紋章官とかいうのが従軍していて、
誰が戦っているか見分けられたそうだけど、
日本の軍記物もそういうのがいたとしか思えない記述だ。
でも、日本にそういう職種?みたいなのがあったの・・・かな?
軍監ていうんだっけ?義経と仲の悪かった人とかそうかな?
でも、家紋はともかく、日本に各個人に紋章みたいのがあったとは知らない。
戦闘前の名乗りを一々覚えてくれる人がいたのかな。
最近この方亡くなられたな。元国会議員。
>>410 礼節とか蛮勇とか抜きにして、ああいう内部統制の不文律がかなり広く浸透していたということは、
実際には不文律とは逆の人が結構いて、それを改めるために権力者サイドが、それこそ朱子学だ
なんだの道徳部分を抜き出して「こう行動しなさい」という事を半強制していたって事じゃないかと
思ったりするんだけど。
イギリスの紳士文化とか、江戸時代の武士道精神とか、よその国から評価されたわけじゃなくて、
両方とも自称なわけで。
大和朝廷が蝦夷人から馬を調達していた謎。 てかさ、朝鮮半島が名馬の産地だったら、中国の史料に残っているはずだよね。
>>435 蒙古襲来絵詞の竹崎自身の注釈では
「先駆けの最中に旗差しの者の馬が蒙古の矢に射抜かれてしまった」
って記述があるから、竹崎が主従五騎程度だった事から見て
割と身分が低い武士にもそういう旗印はあったんじゃないかな。
>>437 降伏したり和睦した蝦夷人から馬を買ってたんじゃね?
蝦夷人全員が反抗的だったわけじゃないらしいし
あと魏志倭人伝にある倭って西日本のことだろうから東日本のことはあまり書かれてなさそう
律令時代なら蝦夷が都まで馬売りに来たりしてたよ。
436の口からでまかせを揶揄っただけ。
>>437 馬自体は蝦夷のかもしれんな。考古学的には五世紀以降に朝鮮系の馬具や対騎馬戦用の鉾が多く出土して、日本的なものは姿を消す。
なんでイングランドはスコットランドみたいな蛮族に勝てなかったの?
揶揄の対象は441なのだが本人は一生わからんだろうな
>>443 朝鮮系というより満州系じゃね?
その後の朝鮮半島で騎兵戦術が発展したって話も聞かないし。
『梁書』高句麗伝で山岳向けの小型の馬がよく使われてたって話があったような
>>445 勝てなかったのはボンクラのエドワード二世だけじゃなかった?
451 :
名無し三等兵 :2012/06/09(土) 09:53:27.38 ID:+VWabNKx
>>436 3世紀に既に騎兵はある。
朝鮮半島は鋳鉄の武器だが日本は既に鍛鉄。
朝鮮半島が進んでるとか思ってるお前はアホ。
新羅の王脱解王とその大臣瓢公は倭人。
三国史記に書いてあるぞ。
>>451 その頃鉄を鋳ることができる高温を作り出せたなんて朝鮮半島は進んでるんですね。
で、その鋳鉄という出典は?
どうせ成りすましだろうけど。
>>452 農機具と違って武器は鍛鉄の方が優れてるんだよw
お前が朝鮮人だろw
出典じゃなく考古学だw
脱解王の出典は三国史記でお前の国の歴史書の話だw
「既に」鍛鉄って表現がおかしいんだよ。 どうやっても順序としては鍛鉄→鋳鉄になる。 鋳鉄があるのに鍛鉄が無いというのはありえない。
>>454 お前中国史しらんのか?
中国では鋳鉄→鍛鉄なんだよw
その為青銅器の武器が長く使われた。朝鮮でもこれは同じだ。
西洋武具の変遷見ると鋳鉄から鍛鉄に変わって頑丈さが益して行くんだが 鋳鉄武器は大量生産に向くから大陸の一般兵士には広く出回ったんだろうがね
九州で出土した銅剣は、鋳造かな、鍛造かな
>>455 はいはい、じゃあソースをお願いしましょうかね。
まあ文体からあんたがキチガイってのは薄々わかるからどうせ脳内なんだろうけど。
>>456 たとえばその鋳物の武具ってのはどういう遺物があるんですかね?
>>459 4世紀のゴート族、8世紀〜10世紀頃のヴァイキングの刀剣
鍛鉄製は位の高い者のみだったよ
http://kuramotokeisuke.ebo-shi.com/higasiajia.html >従って楽浪郡を通して導入された技術は、あくまで鍛冶技術だけで製鉄は含まれていなかったと
思われる。楽浪漢墓出土の鉄製武器類はいずれも鍛造品であり、楽浪の鉄器類が朝鮮独自の
文化に影響を与えたのは鍛造製の鉄器類の普及と言う面であろう。朝鮮西北部の慈江道時中郡
魯南里南坡洞遺跡での製鉄遺構では、鋳造製の鉄斧と鍛造製の鉄斧が出土し、鋳造製から鍛造
製に推移する過渡的な様相を示している。この鍛造製の鉄斧は鋳造製に比べ不純物の少ない精良
な製品であり、銑鉄を脱炭した高炭鋼であれば、中国の状況から紀元前1世紀以降と見られる。
>本邦に初めて流入した鍛造製あるいは鋳造製の鉄器の発祥地は中国であると考えられるが、
その中国での鉄器出現時期は、現在の考古資料で見る限り、西周晩期の「人工鉄」の1例があるが、
出土例が増えるのは、鍛造鉄器・鋳造鉄器とも春秋晩期から戦国早期(紀元前400年前後)であり、
使用に耐える鍛造鉄器(鋼による)はそれより時代が降る。
朝鮮半島において、初めて鉄器類が出現するのは鴨緑江以南の地で、戦国晩期(紀元前3世紀)、
燕の東方勢力圏のはずれ朝鮮半島の西北部に見出せる。その鉄器類の特徴は、明らかに燕の
鉄器文化であり、燕の領域から拡がるものが朝鮮半島に定着し、以後鋳造鉄斧を象徴とする独自
の鉄文化を形成するに至った。鉄器を初めて本邦に齎したのは朝鮮半島からと思われる。
>>458 お前が基地外だろ?
いい加減にしろ。
知識をブラッシュアップしないと時代遅れになるんだよw
「痛いネトウヨ」を演じてる人なのかな?
どうしても古代〜中世では半島の技術が日本より優れていた現実を認めたくない人なんだね。
>>465 いやだからお前がソース出せよw
人からソースばっかし聴きだしてんじゃねーよw
そいつリアルチョソっぽい。本物の右翼だったりして。 右翼も朝鮮人が多くて反日だったりするからな。
鋳造と鍛造がゲシュタルト崩壊を起こした
もっと熱くなれよ
お米食べろよ!
諦めんなよ!
籠城してて飯とか水に困ってるとき修三みたいなのが檄とばしてたら余計に疲れそうだな
逆にうってでて戦略戦術関係なしに勢いだけで解囲突破に成功しそうでもある
ああいうのはメシ食えなくなったら一番最初に元気なくなるから無理
苦労もないのに元気な奴ってなぁ
451で湧いたキチガイが粘着しているのか…
真面目な話、日本の騎兵にそれだけ影響を与えたという 高句麗や新羅から時代が下ると、朝鮮半島の騎兵が全然大したこと無くなるのは何故なんだぜ?
朝鮮は陸続きで常に脅威に晒されてたからだろ しかしこいつの貧弱な語彙しか出てこない文体どっかでみたことがあるなあ
脅威に晒さ続けて大陸の刺激を受けていたんなら なおのこと、それに対抗すべく戦術も装備も発展しそうなものだが?
「全て朝鮮起源」「朝鮮を経由した事すら認めない」
同類だな
>>477 中国系の官僚社会で戦士階級が下に置かれたからではないかな
最近は何がなんでも朝鮮経由を認めず中国からの技術導入なら手放しで持ち上げるのがネトウヨに流行ってるみたいね 韓国起源説に浮かれる朝鮮右翼とぜんぜん変わらん 東朝鮮人ってのは言い得て妙だな
>>483 日本の弓を朝鮮経由とでも言うつもりか?w
お前が捏造朝鮮人だろうが。
弓の国を名乗りたいらしいがな韓国。
ウヨだのチョンだのうっせーよ。
昔の知識で軍事板なんかに来るから論破されちゃうんだよ。 右翼とか東朝鮮とか言ってる人。
>>484 どっから弓の話が出てきたんだよキチガイ
弓なんて旧石器時代からある狩猟道具に伝来も糞もあるか
>>487 古代スレで弓の知識もないのかお前。
日本の弓は古代から現在の形なんだよw
朝鮮由来でもなんでもない。
489 :
名無し三等兵 :2012/06/09(土) 19:45:12.07 ID:+VWabNKx
人をキチガイ呼ばわりしてる奴が一番基地外という。。。
日本語検定会場 兼 スルー力検定会場
491 :
名無し三等兵 :2012/06/09(土) 19:58:23.95 ID:+VWabNKx
前にもちょっと書いたけど、南北朝時代の赤松氏の軍勢が 短弓使ってたって郷土史の本で読んだけど、珍しい例だよね。 射程に劣るから近接戦闘で使用したらしいけど。 弓の話が出たのでちょっと質問したい。
っていうか日本の弓って無駄に長くね?
493 :
名無し三等兵 :2012/06/09(土) 20:06:18.56 ID:+VWabNKx
南北朝の頃にほぼ仕様が統一されてる軍用弓 弓の長さは七尺五寸、矢の長さは三尺になってるね。 この頃には歩兵が弓持ってて、武者は打物武者に変化始めてる。
材質が竹ですし
>>491 狩猟用としては短弓のが取り回し易いから、鉄砲が普及する前は
狩人さん達なんかは短弓を使ってたみたい。
>>492 強度と威力を両立するためにあんな変態仕様になっちゃったんです。
>>495 変態エゲレスのロングボウを上回ってますよw
日本の弓。
足軽弓はかなり適当なものだったという話もあるけど。
ディスカバリーで和洋の弓の比較やってたな 銃弾の銃創を研究する為の特殊ゴムに撃ち込んでたけど 和弓の方が5cmだけ深く刺さってた 因みに鉄板は和洋共貫通した鎖帷子は和弓だと未貫通だった
>>497 鏃をちゃんとボドキンに似た奴使ってた?和弓。
戦術でいろいろな鏃使い分けてた。
赤松氏の軍勢の頓宮又次郎とか鎖帷子着てその上に鎧来て
名乗りあげてた足軽なのに。結局鎌倉側に射抜かれてハリネズミになって死ぬんだけど。
防御力に自身があってのことだと言われてる。
>>498 ボドキンは日本の鏃にはないんじゃないの
ニコニコ動画に転がってたんだが削除されたかな
あれはあくまでも「張力が同じ」という条件での比較だったかと。
だから実際にはメアリーローズ号みたく、室町時代の実物が見つからないと何とも言えない。
ただ、弓の性能はともすれば張力ばかりで語られがちだから
張力だけが弓の性能を決めるわけじゃないって話としては良い例かも。
>>497 チェーンメイルを貫け無かったのは鏃の違いじゃないかな?
ロングボウ側はボドキンを使用していたからメイルの隙間を縫って貫けた。
チェーンメイル装備の十字軍やポーランド軍を針鼠にした
モンゴルやイスラムの場合は単純に弓の張力が大きかったのか
はたまたボドキンみたいな鏃を使っていたのだろうか?
モンゴルは毒矢使ってたから、かすり傷でもつけばいい。
それなんの毒?
>>497 ディスカバリーじゃなくてナショナルジオグラフィックだったかと。
つべに転がってたと思うよ。日本刀とロングソードの動画みたく米欄で外人がメッチャ議論してたけどw
>>498 南北朝時代に既に鎧の下に鎖帷子着たりしてたのか。
当世具足でなら見たことあるけど、鎌倉時代の絵巻物では見たこと無かったし
中世の頃は鎖帷子は使って無かったものだとばかり思ってたわ。
そういや日本で毒矢ってあんまり使われてないよね
アイヌが毒矢を狩りに使ってたくらいか
506 :
名無し三等兵 :2012/06/09(土) 21:02:40.22 ID:L5bu8GAP
>>501 それモンゴルに徴用された宋の兵士じゃない?
ボドキンは元々アラブ軍が使ってたものだよ 十字軍が持ち帰って後の百年戦争で使ったんだろ
>>492 弓の威力は「弓を引き絞る過程の積分値」だから引き尺を稼げる方が絶対的に有利
で、同じ材質・構造で引き尺を稼ぐためにはとりあえずデカくするのが手っ取り早い
まあ威力を増す方法はそれだけではないんだけど
>>506 フロイスの「日本史」に朝鮮に関して
・彼らはトルコ人の弓のような小弓を巧みに操り、〔聞くところによれば〕毒を入れた小箱を
使用するという
こう書いてあるから高麗兵じゃないのかな?
>>507 少なくともクレシーの戦いでは既にプレートアーマーが主流じゃなかった?
毒矢なんて南方文化なのに朝鮮にもあったのか
靺鞨だか満州だかにも毒矢はあった。 ツングース系諸部族に伝わるのかもね。
アイヌは5種類の毒矢を使い分けていたという話を聞いた事があるな 最強のは熊さえ倒すがその肉は食えなくなるらしい。 しかし毒矢の一本や二本で人一人に十分な量を注入できるのか、 歴史的な毒矢についての使用成分とか詳しく書かれた資料ってある?
日本ではあんまそういう話聞かないね。 緩鏃とか腸抉りみたいな生々しいのはあるけど。 吹き矢にはトリカブトの毒塗ってたのにね。
>>497 ああいうのは焼入れをしてある特別製で金持ちしかつけてない
フツーの鎖帷子は抜けちゃいます
マジで? というかプレートメイルと違ってチェーンメイルなら 高級品でも割と簡単に手に入りそうな印象があるんだが。
プレートでもチェインでも安物は安物で高級品は高級品ってこった
チンギス・ハーンも、タイチウト部との戦いで毒矢を受けたと伝わるから、北方の騎馬民族 たちが戦争で使ってたのは間違いない。
521 :
名無し三等兵 :2012/06/10(日) 09:48:43.62 ID:W691R7iQ
>>5151 NHKの堂々日本史とか言う番組{その後番組かもしれないが}シャクシャインの乱を取り上げてたけどトリカブトだった。
アイヌの人がそれを少しペロッて舐めて「効果」を試してNHKの人を驚愕させてた。戦闘記録では「少し触れただけで倒された」
らしい。ただ誇張はあると思う。
血管に直接入るのと違うと思う
虫歯とか歯槽膿漏とかあったらヤバいけどな
ペロッ・・・これはトリカブト!
>>515 詳しく書いたのが広まると誰でも簡単に毒殺できるようになっちゃうから
そういうのはほとんど一子相伝で書物に残さない
>>521 ウィキによるとトリカブトの毒アコニチンは
>経口致死量は成人の場合1.5〜6mg/kgと推定されている
だから体重60kgとして90〜360mgのアコニチンを食べると死ぬ
トリカブトのアコニチン含有量はばらつきが大きくて一部地域のトリカブトはほとんど含んでないらしいし
どれぐらいのトリカブトを食べれば死ぬのかは分からないけど舐めるぐらいなら大丈夫なんじゃない?
伝統的な方法らしい。 トリカブトの毒には個体差があり、舌に刺激が強いものだけを煮詰めて、矢毒にするんだと。
>>504 矢戦が主流の時代なら毒矢も組織的に使われていても不思議はないのだけど
軍の規模と毒物を大量に確保する点が普及を妨げたのかな
狩猟とかならアイヌなどでも使われてるけど、戦(いくさ)となると矢の消耗も激しいから
物資備蓄・維持費と輸送など兵站の観点がネックになったのかな。
多分お互いになあなあで済まして終わるために毒を使わなかったんだろう。 日本の戦争って殲滅戦じゃないから、できるだけ敵も殺さないで終戦したい。 誰かが毒使っちゃうとみんな使っちゃって最終的に全員疲弊して損をする。
毒性の少ないトリカブトなら園芸店に売ってるからな
戦後処理も儀式的な城割(土塁の角を崩すといった儀礼的)なものにとどまっている。 子供まで含めて殺害しての御家断絶、軍事機能を失わせるまでの城割(城の破壊)などは、戦国時代後半からか。
>>530 なあなあというわけでも無かったが、毒や虐殺で後々まで恨まれるような事を避けてたのは確かだろうね
たいていの毒矢って即死しないんだよ 麻痺させて身動き取れなくさせて、しばらく放置すれば死ぬかもっていう感じ 傷つけた獲物を逃さずに取っ捕まえるには非常に有用だけど 戦場では必ず死体を確保しなくちゃいけないわけでもない どうせ傷つけた時点で撃退はほぼ確定してて かなりの確率で予後不良で死ぬんだから 手間のかかる毒矢を用意しなくても目的達成には十分だ これが即死するような強烈なものだったらもっと使われたかもしれんが
535 :
名無し三等兵 :2012/06/10(日) 17:06:46.58 ID:W691R7iQ
>>530 信長あたりからおかしくなったような。あの残酷な性格は日本では杞憂だし。
どちらかというと大陸系の物の考え方。
既に足利義教という前例がいますが何か?
信長はやってること一つ一つ見れば別に革新的ってわけじゃない
冷酷には違いないが、信長は当時としては、上杉謙信と並んで「話(信義)の通じる方」だからな。
冷酷というか、裏切ったやつには容赦しないね。
毒は敵を殺すより無能な味方の司令官殺すのに効果的
一番恐ろしいのは敵ではなく、無能で働き者の味方というのはもはや定説だな
無能な働き者の話はただの作り話だから
543 :
名無し三等兵 :2012/06/10(日) 18:30:43.94 ID:42Xz0F4E
>>539 老害で使えなくなった奴にも厳しいよw
信長。
だてに比叡山焼き払ってないw
比叡山焼き討ちと老害と何の関係が?
毒の値段が高価すぎるってことでしょう 毒弓使いは必然的にプロの弓兵になるけど プロの弓兵なら毒を使わなくても十分効果を発揮する 素人兵に毒を持たせるのは危険すぎる
トリカブト自体はそれこそブスの語源になったくらい出回ってたと思うんだが。
プロの弓兵+毒の値段 プロの弓兵の値段の比較 毒の値段分効果が高くなるかという問題
一方モンゴル軍は附子に漬け込んだ矢を大量に用意した
実際に中世の地雷としては埋火があるな。
毒矢といっても発酵させた糞尿に鏃浸せばいいんでない? 破傷風で死ぬだろうし臭いで毒矢射掛けられてるだと判ると士気下がるだろうしなにより調達しやすい
自軍内で伝染病が発生するリスクのが高そうな希ガス
死人だとたいして手間はかからないけど 負傷兵だと後送とか負傷兵分の食料が必要とか 足手まといに出来る
敵が降伏したときに降伏した敵に まともな兵士がいないと 兵士の増加が無いので 増えた土地の分だけ手薄になっていく
特に戦国時代は今日の敵は明日の戦友状態だしよっぽどのVIPPER相手でないと使わないんじゃない?
559 :
632 :2012/06/11(月) 07:45:13.69 ID:???
>>558 敵は殺さずにいてくれたのに、味方に殺されるんですね。
諸行無常…(-人-)ナムー
「生きたまま無力化」したいなら矢毒ってのは状態異常を引き起こす 麻痺毒とかが好ましいってわけか(ゲーム的なたとえでですまん) あと、吹き矢にトリカブトってのはほとんど「なんか毒みたいのが塗って あるっぽいから吹き矢には気をつけろ」って相手(というか世間)に 思わせる”ブラフ”用だったんじゃないかと予想してみる。 吹き矢の矢で(経口ではなくて血液ダイレクトだという事を考えても)人間に 重大な影響が出るほどトリカブトの毒を注入するのは難しいと思うんだよね
負傷した後の予後だろうね 傷の治りが悪く破傷風でアボン
古くは屍毒(動物の死骸を腐らせて作った毒。破傷風を起こす。)がよく使われてたし、 より強力な毒としては毒蛇や毒魚から抽出した神経毒も使われていた。 弓矢は遠距離から攻撃できるけど相手に致命傷を追わせるのが難しい武器だが、 毒矢を使えば遠距離から相手に致命傷を追わせることができる。 ただし毒は取り扱いが難しく、一般的な軍の部隊には向いてない。 小規模が守備隊が辺境を防衛するのには向いてるかもしれないが。
そう言えばベトナム戦争ではベトコンが毒を使った罠をよく仕掛けていたな。 浅い落とし穴の中に屍毒や人糞が塗られた竹槍などのスパイクが仕込んであって、 脚を刺された兵士が破傷風に掛かるというものだが。 今でも世界中の紛争地帯ではこの手の毒を使った兵器が使われてるかもよ。
>>539 いやそんなことないだろ
最終的にどうしたかはわからんが、織田家継承時に背いた連中最登用してるし、松永久秀とかも赦されてるし
事蹟の峻烈さからかなんか誤解されてるが、利用価値がある間は相当の不満があってもこらえて使い続ける超実利主義者だし
>>564 > 織田家継承時に背いた連中最登用してるし
これは、単に宿老を切るほどの力がなかっただけじゃないかな。
譜代の力を削ぐために自分の信任だけが頼りの「有能な新参者」を
登用するというのは、昔からの定番。
上の方にもあったが、むしろオーソドックスな手を徹底的に尽くすと
いうのが、一番の凄味だと思うな。
織田家継承時に背いた連中って勝家とかのことか? あれはまだ信長が織田家中をまとめる前に起きた事だし斉藤家に押されてた時期にそんなごたごたして られなかったんだろ この後信勝を裏切って密告した勝家は使われたが秀貞は結局蒸し返されて追放だったしな
松永が一度は許されたのは信長にとっては”悪名高いペット”扱いだったのかもな 織田配下では勢力としては小さな三好残党系の一人に過ぎなかったし
中国では長槍密集方陣はあまり聞かないけど発達しなかったの? 長槍自体は鴛鴦陣の構成要素だし存在していたのは知ってるけど。
発達し掛けて歩兵の持てるサイズの弩が普及して終了だと思う 密集してると針鼠だからどうしても散兵隊形を取らざるを得ない もっと絶望的なことに三国時代〜西晋の頃には西洋でいうターボル戦術が開発されてて 騎兵対策そっちでやるから長槍密集方陣する意味自体が相当薄くなってた
ターボル戦術? どんなん?
リナックスでよく使われるアーカイブ
中国は将棋の配置からして散開してるよな
ローマの重装歩兵よりも、蛮族の騎兵が強く、 蛮族の騎兵よりも、中世の重騎兵が強い。それは分かる。理解する。納得する。 だが、ランツクネヒトなどという、チャラチャラした奴らが、 中世の重騎兵の時代を終わらせたというのは、どうにも納得がいかない。 ランツクネヒトなどという、チャラチャラした奴らよりも、 ローマの重装歩兵の方が、明らかに強いと思う。 同数の5000対5000でぶつかれば、あんな奴らなど、ローマ軍団の前には、鎧袖一触だ。 ローマ軍団 >>> マケドニアファランクス >>> ランツクネヒト だと思っている。
兵装というのは、じゃんけんのグー・チョキ・パーの関係になってるのよ。
古代地中海世界の騎兵と比べて、中世ヨーロッパの重騎兵は、 あぶみの普及、馬格の大型化、人馬の重装甲化で、 第2次世界大戦時の戦車と、現代の第三世代MBTくらい、 戦闘力に差があると思うのだが、 それを、あんな、そこら辺の喰いつめ百姓に、 長槍やハルバードを持たせたような、ランツクネヒトごときに、 なぜに負けたのかと。実に不可解。
中世の重騎兵が、イングランド長弓隊に敗北したのは、 理屈の上でも、感覚の上でも、全く納得するが、 ランツクネヒト・・・。なんで・・・、あんな奴らに・・・。
つまりパイクはジャベリンということですね いやもちろんパイクは投げられ無いのでジャベリンではありませんが ここでいうジャベリンってのはそのジャベリンではなくてあっちの方のジャベリンでしてその
>>576 1000人の騎馬は1000人の歩兵より強いが1万人の歩兵には勝てんし
馬格なんて近世まで大して進歩してない
例えば15世紀に英が作り上げて門外不出扱いだったハクニー種は
肩高140〜150cmで戦国〜江戸時代の南部種と同じか小さい
16世紀最高とされてハプスブルグ家が独占したリピッツァで145〜155、南部と同じぐらい
欧州の最強軍用騎馬は、日本の在来馬の大型のと同レベル
もちろんこれより小さい品種は山のようにあったのも日本と同様
>>579 馬格の話に深入りしようとは思わないのですが、
Wikipedia(騎兵)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5 >欧州のフランスなどでは、騎手が全身鎧を装着し、騎馬にも鎧を装着させるなど騎兵の重武装化が進んだ(重装騎兵)。
>欧州地域では馬種改良により大柄で力の強い重種馬が出現していたことも騎兵の重装化を支えたが、
>騎兵の過剰なまでの装甲化は、魯鈍な重種馬の利用と重量の増加から機動力を殺ぐ結果をまねいた。
>重装備の装甲騎兵は、軽騎兵や歩兵陣形の側面または後方に温存され、戦闘の最終段階で敵歩兵を突破する戦力として用いられた。
Wikipedia(ウマ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E >重種
>主に農耕や重量物の運搬のために改良された品種。中世ヨーロッパでは重い甲冑を着込んだ重装備の騎士の乗馬とされた。
>大きな個体では体重1トンを超えることも珍しくない。また、軽種よりも美味とされ、食用として用いられるのは重種馬が多い。
中世ヨーロッパの重騎兵は、そういう、ポニーのような小型の馬には、乗っていなかったようですよ。
Wikipedia(ペルシュロン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%83%B3 >ペルシュロン(Percheron)は、重種、冷血種に分類される馬の品種の1つ。
>原産地はフランス・ノルマンディーで、成立は8世紀に遡りフランス原産の重種にアラブ種等の血が入っているとされる。
>毛色は青毛、芦毛等が多く、体型はサラブレッドに比べ足が短く、胴が太い。
>体高(肩までの高さ)は160-170cmで大きなものでは2mを超える。
>体重は1トンにもなりサラブレッドの倍ほどにもなる。性格はおとなしく鈍重だが、非常に力が強い。
>その強い力を生かし、馬車馬、挽馬、ショーなどに使われる。
>かつては軍馬として、全身甲冑を着こんだ重装騎兵の乗馬や、大砲の牽引などに用いられた。
>日本ではおもに北海道で導入された。ばんえい競馬にも使われ、初の1億円馬キンタローもペルシュロンの影響を強く受けている。
>記録が残る最大の馬はドクトゥール・ル・ジェア(Dr Le Gear)という牡馬で体高7フィート(211cm)体重1,370 kgにもなった。
馬の話はためになるな、それはそれとして
>>577 重騎士に夢を抱くのはかまわんがツクネ人を舐めるなって
やつらは食いつめ野郎だからこそ後が無くて必死に戦ったし
スイス傭兵式の勝手な行動を許さない(体制と)密集した陣形は
人間を歯車にして戦場を蹂躙できたわけで・・・更にその密集陣形の
内外には弩や初期の小火器を装備した兵士も数多く配置されていた
あと、重騎兵がオワタ理由は結局鎧を重ね着しようがどうしようが
ランツクネヒトだけではなくて徴兵された歩兵の槍衾&弾幕には
適わなかったせいが大きいだろうし
S・ホールによると重騎士はピストルを装備した騎兵が天敵だった、らしいよ
兵士は無限に沸いて出てこないから コストも計算しなよ
>>573 同数なら鉄砲持ってるランツクネヒトが一方的な勝利収めるんじゃね
鉄砲なんていくら集めても重騎兵には勝てない。 重騎兵に勝つにはパイクが必要。 これは当時からの認識。ジェフリーパーカーの長篠のなんとかって本にも書いてるよ。
イギリスの在来馬は、島国の常でだいぶ小型だったらしいな
話の流れがよくわからなくなってきたが 鉄砲を大量に用意できる軍勢ならパイク兵は更に多く集められるだろ。 うろ覚えだがスイスのパイク兵5000に先陣をきる砲撃手”決死隊”300とかの 数字を見た事があるような
>>585 鉄砲装備の歩兵隊単体が平地での野戦に於いて同数の騎兵隊に勝つのは、ミニエー銃が登場してからだしね。
他の要素が加われば、それ以前でも勝ってるかも。
パイク必須か否かは何とも言えないけど…
>>581 今のペルシュロンは19世紀に産出された馬の子孫ですお
17世紀のペルシュロンは今ほど大きくないですお
体高150〜160センチほどだったらしいですお
それでも当時としては充分な大きさだおね( ^ω^)
http://www.ansi.okstate.edu/breeds/horses/percheron/index.htm Percheron
>By the 17th century horses produced in Le Perche had attained widespread notoriety and were in demand for many different uses.
>The Percheron of this time showed less scale and was probably more active. He stood from 15 to 16 hands high.
>>580-581 その関連項目でデストリアの英語版見たら
中世の騎士達が乗ってた馬は140〜150cmくらいだったとあるぞ。
ヘンリー八世が馬の大型化政策をしようとした際に
140cm以上の牡を種馬として奨励したり、130cm以下の馬を
軍馬として使う事を法律で禁止したけど、逆に言えば
>>580-581 で上がってるサイズの馬が騎士達の馬の標準なら
そんな法律が端から出来るわけないのでして。
∧ ∧ / ヽ‐‐ ヽ 彡 ヽ 彡 ● ● 馬。 彡 ( l 最近まで140〜150cmくらいだった。 彡 ヽ | マジでお薦め。 彡 ヽ l / ` ( o o)\ / __ /´> ) (___|_( /<ヽ/ | / ´ | /\ \ | / ) ) ヒl ( \ \二)
>>570 戦車で壁を作りその背後や戦車の中から鉄砲、弓矢、槍で攻撃する戦術。
フス派が用いた戦車は全周囲に装甲が施された荷車。
古代中国が用いた戦車はオープントップな上に背後ががら空きで装甲はフス派のより薄い馬車。
三国志の頃まで戦車使われてたんだ。
三国志の頃だと、戸籍上の人口が後漢末の5600万人から400万人と激減し農民から徴兵した 歩兵の大部隊なんてのを編成するのは無理で、曹操は匈奴や烏桓といった異民族の 騎馬軍団を切り札として重要してる。
三国志の頃の戦車はもう司令官が乗る指令車になっていた。 戦闘力はほぼ0。
それが戦車だというのなら、輿なんかも戦車になっちゃわね?
輿はそもそも車ついてないから戦車になりようがないな
あ・・・
でも
>>569 の話だと、三国時代にタボール戦術で戦車が使われてたらしいが。
三国時代末期の晋で馬隆が戦車とは別に偏箱車というものを作ってて それでフス派のターボル戦術によく似た戦術を取ってる
三國志時代の資料って玉席混合なので信用出来ないって唐代の偉い人が言ってたような。
信用できないで思考停止するのもしょうがないわな。 その手の戦車だったら明代の戚継光も使ってる。 中国に確かに存在する戦術だよ。
専用の車輌ではないけど車を使っての騎兵対策は中国のお家芸みたいなもんだしね
北方異民族の騎射戦術に対して長槍密集陣は効果薄いだろうしな。 あまり使われた形跡がないのはそのせいかもしれない。 ローマだってパルティア騎兵相手に一度歩兵戦術で大敗してるよね?
>>602 明確に嘘だってわかるようなものならともかく
単に怪しいって一言書かれただけで全否定とか頭おかしんじゃねぇの?
タイヤも無い時代の戦車って鈍足でコロコロしてただけだろ
だから平地以外では脆いので趙武霊王による胡服騎射が一大軍事革命に繋がったというわけだ
>>607 エジプトやアッシリアが戦車で無双してた時代もある
戦場の花形だった頃もあるんだな
>>608 チャリオットと今話題にしてる戦術を混同しないように。
胡服騎射の前に密集陣なんて弩で溶けるだろ
>>603 >>606 三國志の時代の資料だと晋書だがその晋書が無茶苦茶な内容が多すぎて信用出来ないと唐代の人が言ってるんだが。
今でも渡された書類が誤字脱字だらけな上に出鱈目な数値ばかりだったら信用出来ないだろ。
ローマやパレスチナみたいにチェック出来るような資料や発掘品等があれば楽なんだが。
>>612 迂回や側面からの攻撃。
弩だけでもローマみたいに投石機とかを野戦に持ち込むようなとこだと通常の弾以外にも焼夷弾や毒蛇やサソリ、蜂を入れた壺をぶん投げてアウトレンジしてくる。
>>613 それ言ったら古代の中国史なんかほとんど未解明で終わるね。
>>613 唐の時代の人の本では馬隆の戦術に関しては批判ないから問題ないだろ
そもそも唐代の学者が批判したことは晋書が信用できないってことではなくて
晋書の編纂方針とその学者たちの編纂方針の違いの批判
「信用できない」とは一言も書いてないぞ
デタラメ抜かして晋書disる前に史料批判の仕方と漢文の読み方勉強してこい
現代中国人の書類が杜撰だから晋書も杜撰とか、軍板とは思えない発言過ぎて涙が出てくるな。 その批判書いてる唐の人も中国人だから信用できないってことにはならないの? 嘘吐き村のパラドックスでももうちょっとまともなこと言うよ。
>>616 んじゃ聞くが馬隆のMRI並みの磁石に関しては?
そんなのが大量に正しいの中に混ざっていてチェック出来る資料や発掘品が無いと判断が難しい。
MRI並ってのは誰が言い出したんだ? 唐の人はMRIなんて知らんよな
>>619 鎧が吸い付いて動けなくなるような磁石だとMRI並みの磁力だろ。
わかりやすく例えただけだ。
唐書なんて不老不死の仙人について書いてあるから信用できないんですね。 日本書紀にいたっては神(ry
>>620 MRI並というのは君の判断なの?
晋書よりも胡散臭いな
>>622 十字軍時代の西洋の歴史も軒並み神や聖人のお告げやら何やら出てくるから信用しちゃいかんね
>>623 そうだが?
なら、君は鎧が吸い付いて動けなくなるような磁力を出す磁石に関してはどう例えるのかね?
>>625 どういう状況で動けなくなってるのかわからんし例えないよ
何で例えないといけないの?ワインかよ
そもそも著者が千里眼か順風耳でもない限り 歴史書なんて全部伝聞なんだから いちいち間違いがあるからと言って全ての記述を疑ってたら史学なんて成立しないよ もちろん物的証拠があればベストだけでないから怪しいとかいってたら 墓が見つかってない人物は全て実在が怪しいことに
そんなことになったらチンギスハーン存在しなくなっちゃう!
>>624 発掘品やアラブ側や他の人物の記録があるだろ?
古代中国にしても発掘品があれば信用は出来るが。
秦は兵馬ようとかでわかるが三國志の時代はスッポリ抜けてて文書は無茶苦茶なのが1つしかなく発掘品も少なければ信用しにくいのは当然だろ?
逆に信用出来る資料が安定し出すのはどの時代から?
>>628 お墓がさっぱり出てこないところを見るとチンギスハンは存在しなかったと考えるのが妥当だろうな。
>>629 じゃあお前は信用しなくていいから参加もすんな
>>630 ビデオカメラが発明されてからじゃない?
愉快なコテ日和だな で、話をずらすけど方位磁石って本当に十世紀以前には無かったの? 原理的に見れば古代エジプトとかでも”発見”されそうなんだが
>>634 最低限写真かね
写真も古いものだと映像がはっきりしないから映像史料としては微妙か
>>635 磁石が南北を指すことに気付くのは正確な南北がわかる測量技術が出来てからなのかね。
>>638 夜空を眺め北極星がわかれば北はわかるだろ。
そもそも厳密な方位への需要が東洋と西洋で違ったんじゃねえの 中国は八卦というニーズがあった 欧州は外洋に出るまで方位を正確に図る必要があったのかどうか
>>615 まあ実際に遺跡や当時の遺物が発見されるまで史記はでたらめで殷・夏は実在しないと言われてたしな
なんの裏付けもないものは実在性を疑われてもしょうがない
ヤン・ジシュカのワゴンも現物が伝わってないところを見るとガセだな
最近は王政時代のローマの発掘調査も進んでいて、王政時代の記述も以前言われているほどデタラメではないんじゃないかと言われているようだ。
>>641 兵馬俑で火事の痕がつい最近も発見されたな
そういえば曹操の墓ってどうなったのやろか もう観光できるのかな?
>>640 欧州というかローマやアレキサンダー大王のマケドニアだと広大な領土に砂漠や荒野を進軍する必要があるから方位の確認は必要だろ。
>>642 史料に書かれているだけじゃ実在したとはいえんだろ
もし史料に書かれているものが全て真実だとしたら無茶苦茶な事になる
最低限それが存在した時代の史料に記述がなければ信じるに値しない
>>647 だからと言って特定のことに関して単独の史料しかない場合は原則的にはその史料の記述丸呑みだな
科学的に考えてまずありえないようなことは除外するだろうが簡単に否定できないものは大体信じられてる
オスプレイの中世フランスの軍隊は良くまとまってていいね。 民衆の賦役と軍装の戦場の扱いに関するきじゅつがあればよかったけど
>>647 だから日本書紀をボロクソに言うのはヤメロと
ここで史観展開する奴はEHカーの書物くらい読めよ
>>613 >>三國志の時代の資料だと晋書
……?
普通に三国志だろ
演義しかないとでも思ってんの?
後漢書や晋書も部分的にかかってくるが
三国志は中国史書としては稀有な幸運な史書なんだが
魏→西晋が禅譲でしかも早い時期に編纂されてる
逆に当事者まだ生きてたりいろいろ配慮された部分もありそうだが
それが晋書だと、西晋は異民族に侵略滅亡の上成立がずっと後だから、確度が疑問で当然ではある
どのみち中国史書は官製歴史で政治が入るから、中立性とかなにそれの世界だけどな
一次史料が多ければ多いで混乱する時も有るけどね。 記述が食い違ったりとか。
だがそれが面白い! と言って精査できるようになればオタじゃなくって研究者の境域にいけるんだろうな 俺は海外本の訳書をながめて妄想するのがせいぜいだから3.6次資料ぐらいか
>>477 山がちな地形を生かして弓歩兵を連ねるようになったらしい。だからフロイスや朝鮮の史料をみても近接武器が廃れていて弓が主力だったことがわかる。
三国時代から統一新羅は例外と言えるかもしれない。統一新羅は時代が下ると共に騎兵の比率が高まっていくから。
山がちな地形なのに騎兵が重視されたのは何故だろうか。古代特有の事情でもあったのかな。
いつの間にかこんなコテが居着いてたのか
>>655 その騎兵の装備は?ただ単に弓兵の移動速度を上げるためだけに馬を使ったって可能性はないの?
エロくないのにエロく聞こえる歴史用語 局部磨製石器
>>655 李朝は女真対策に騎兵を整備してたようだが
フロイスも都から大半が騎兵である軍が送られてきたとか 書いてるけど。むしろ朝鮮が歩兵化したというソースは?
ウヨ様の脳内に決まってんだろ言わせんなよ恥ずかしい
唐入りで騎兵中心で編成した朝鮮軍が歩兵中心の日本軍になぶり殺しにされた戦いがあったな。 同じく騎兵中心の明の李家の軍勢も碧蹄館の戦いで大敗してるし 東洋においてもこの時代は騎兵の優位性みたいなのが崩れ始めてたのか?
鉄砲などの火器が少し入って来るだけで、 歩兵と騎兵のパワーバランスが、歩兵側に傾くのかな? 鉄砲を知らない馬は、一斉射撃の音を聞いただけで、 怯えてちゃんと走らなくなるのかも?
大砲やロケットはあったのに?
明軍は銅銃とかも装備率それなりだったんじゃないの?
騎兵は主導権握れるけど別に戦闘では常時騎兵>歩兵ってわけでもないし
少なくとも火薬兵器が充実してた明はそういう対策もしていた筈だと思うが。
>>660 に出した朝鮮騎兵軍も碧蹄館の明軍北方騎兵も
鳥銃と刀の組み合わせに敗れているような報告があるな。
もちろんそれのみで決したわけではないだろうが活躍が目立ったんだろうな。
馬防柵なしに、火縄銃でアッサリと騎兵の突進を止められるというのは・・・。 分からんことだらけだ。
元々、女真族やモンゴル対策だったんだから 明や朝鮮の騎兵というのは弓騎兵が中心だったんじゃない?
他国の兵士ならともかく日本の兵士なんだから、馬防柵が無ければ槍衾で 体張って止めたに決まってるわなあ 蹴散らさせて時間食ってる間に銃で撃たせると
段々、話題が近世に傾いてきたから中世に戻すけど フルプレートアーマーって西洋以外じゃ流行らなかったのかな? 鎖帷子はどこの国でも装備してるけど。
『日本史』「アゴスチイノが朝鮮の都に入るに先立って生じたこと」 朝鮮軍も戦陣を整え、(三日)月型に兵列を敷いた。彼らは敵が少数であると見ると、 (その)陣地の中央を襲撃し、一兵も逃すまいと包囲し始めた。 (両軍)がすでに接近した折、朝鮮軍の予想は裏切られた。旗幟がひらめき、多数の兵士が 姿を現して朝鮮軍の両端目がけて猛烈な砲火を浴びせかけた。朝鮮軍はそれに堪えきれなくなって、 やや後退したが、すぐに態勢を立て直して、一、二度攻撃に出た。だが日本軍はきわめて計画的に 進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、 朝鮮軍は戦場を放棄し、 足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。
日本側が兵を伏せるのが上手いのかな? 『懲録』 ・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、 四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、 仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、 ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように 斬り倒し、死者は数しれなかった。
源平期の倶利伽羅峠でも伏兵で取り囲んだんだっけ?
山がちな朝鮮の地形では日本の戦術がそのまま活かせそうだな。
伏せるというか、武士の戦い方が、散兵みたいな少数部隊の浸透みたいな戦いが多くて 大規模な隊列組む戦い方をあんまりしなかったからじゃね?
>>672 西洋って結構寒いからまだいいんだけど
あんな板金で囲った鎧は温かい地域で使うと死ねる
熱中症になるぞ
案外フリードリヒ・バルバロッサの死因も熱中症だったりして
バルバロッサの時代はまだ鎖帷子だったよ
明とか朝鮮は偵察がしょぼいのかね
もうフリードリヒ・バルバロッサの時代には お金持ちはプレートを鎖帷子の下に着込む 所謂コート・オブ・プレートを装備してるから 暑さ対策という意味ではあまり変わらないな
十字軍も水源奪われて熱中症に苦しみながら戦い負けた戦いあったな。
日本の戦術も城郭も所詮ガラパゴスだろ。 世界では通じないよ。
しょせんは封建制諸侯連合にすぎないからクレーシーのフランス騎士のごとく言うこと聞かない烏合の衆ですねー(棒)
世界各地がそれぞれの戦術環境、戦争文化に適応してるから 日本が他と違うのは当たり前 通じるか通じないかは実際にぶち当てない限りは本当のところはわからんが どこまで通じそうか議論することは可能だな そして日本の戦術は他の国に通じないということはないのは元寇と朝鮮出兵でわかってるから あとはそれ以前の時代でどうかってことだな
歴史上、直接対決した数が少ないとはいえ、どれも互角以上の戦いをしてるんだから 充分通用してるな そもそも、どこの国の戦術も、自国の環境や都合に適応したガラパゴスだろ?
日本の城なんか大砲あれば簡単に落ちる。 天守も本丸も紙で出来てるようなもんだし。
大砲揃えてから言ってね そもそも日本の城は鉄砲に適応してああなったんだけど
>>687 なるほど明の大砲の前に倭城は紙のごとく簡単に溶けたから唐入りは失敗したわけですね
>>689 そうだよ。ガラパゴスゾウガメを他の地域で野生化させようとしても不可能なのと一緒。
その点東アジア以外の全てを征服した近代ヨーロッパの軍備はすごいな
>>681 コートオブプレートって12世紀から既にあったのか。
あの時代は王侯でもまだ鎖帷子メインだとばっかり思ってた。
>>683-690 元寇スレや唐入りスレで相手にされなくなったからってこっちに迷惑かけるなよ。
元軍や明軍に鎌倉武士や戦国武将の戦術が全く通用しなかったとか
倭城が大砲で簡単に落ちるとか、一体どこの平行世界の話をしてるんだ?
ほむほむやオカリンがタイムリープしすぎて真っ青になるレベルだわ。
まあ、大陸の征服には向いてなかったと言えばその通りだが。
アニヲタアピールきもいんだけど
唐入りの問題点は、戦術よりも異民族統治ノウハウの欠如だからなぁ
あとは日本海が当時の航海技術ではやはり結構大きな障壁だよな
そういやこのスレ城攻めの話はあったけど城塞そのものの話してないね
城塞そのものを話すには建築技術知らんといかんから中々ハードルが高い
中世の西洋の城というとシンデレラ城しか浮かんでこない
豊臣秀吉vs山海関
>>693 それがアニメの話題だとわかる時点でおかしい
「ほむほむ」なるものが「タイムリープ」するんでしょ? 字面だけ見てもアニメじゃなきゃ何だ状態。少なくとも純文学にも見えない
ドラえもんかバックトゥザフューチャーならみんな分かったのにな
内部の反乱対策とかでは天守・本丸相当の建築物が重要になることもあるけど 大規模な戦争では縄張りが全て
>>697 むしろ城塞のメインは土塁とか堀とか郭じゃね?
>>698 あれのモデルになった城は19世紀の代物やんw
日本の場合は街を囲む必要がなくて、防衛拠点での地形の有効利用がしやすいから特にね 朝鮮に作った倭城もうまく立地選んでる 順天城とか1ヶ月そこらで作ってるけど国内の城と遜色ない硬さ
楠木正成「加熱したウンコを浴びせる。マジお薦め」
加熱したら菌が死んじゃうじゃないですか〜
>>704 あれはメルヘン王が中世に憧れて作った城だから中世でOK
これが本当の「ゲリ」ラ戦!なんつってwwwwww
馬出しの付け方が一番センス問われると思う
よく、クレシーの会戦が引き合わせられるね。 タウトンやアジャンクールの会戦も規模や運用とかでは見ものあるけど、資料が中々見つからないな
「切り通し」の付け方だろ、中世の城なら
日本の近世城郭の防御力はかなりなもんだと思う。同時代のヨーロッパの攻城砲 にもかなりな程度耐えうるよ。 問題はむしろ、守城側からの火力の小ささじゃないかな。ヨーロッパの稜堡式築城の肝は、 如何に効率的かつ死角を残さずに火力を発揮するかにあるわけだから。
虎口での火力集中が前提だしな。
>>711 クレシー:イングランド12000、フランス30000〜40000
アジャンクール:イングランド7000、フランス20000
タウトン:ランカスター方42000、ヨーク方36000
とあるな。
明兵数万人の全力ラッシュを12日間押しとどめるくらいには火力を発揮してたよ
同時代の日本では応仁の乱で山名方、細川方が どちらもそれぞれ約10万いたとされてるがこれはやっぱり誇張かな? 両軍の顔ぶれを見てると甲信越〜九州までの武将まで参戦してるから 割とそれに近い規模にはなってそうな気はするがw
一日で形が付いた関ヶ原 結局終わらなかった応仁 何処で差が付いた
>>713 日本の近世城郭で、同時代のヨーロッパの攻城砲に攻撃された例は有ったかな?
後の時代、会津若松城と熊本城はヨーロッパの砲に攻撃されたけど、攻城砲では無かったし・・・
ただし、幕末のフランス軍事顧問団の一人が大阪城を見て、
「この城と仏式伝習隊さえ有れば持ちこたえて見せる」
と語った話しは残ってるけど。
大阪の陣のアレは心理作戦に近かったしなあ。
>>719 乱の主催者自体がgdgdだったんだから仕方ないw
>>720 豊臣時代の5分の1にまで縮小した江戸時代の大阪城を過大評価してないかその軍事顧問。
豊臣時代の大坂城が異常なだけで 徳川時代も普通に日本有数の大城郭だから。
>>720 朝鮮の役で明軍が使ってた大砲がポルトガル製の青銅砲だった
>>725 でも日本の城が大砲に弱いというのはみんなが言ってる定説だから
本当にヨーロッパの大砲使ってたら倭城なんて簡単に落ちるだろ。
>>726 いつ定説になったの
西南戦争で西郷軍が落とせなかったり
清正公に負けたとかいう故事も残ってるのに
日本式が駄目ってことは大砲の発展で西洋では城壁だけではなく、水堀や天然の高低差までが無力化されて イタリア式築城以外全て無意味ってことか 大砲すげー
西洋は城攻めにトマホークミサイルでも使ってたのか?w
常識で考えて投石機もないし大砲もろくに普及していない日本の城が 西洋の技術で落とせないっておかしいだろ。 お前ら常識ないのか?
大砲があれば丘は更地になり水堀は埋め立てられる
日本にも普通に投石機やバリスタはありました。 ただ、日本の山城では守備側が使う以外にはあまり効率の良いものではありませんでした。 終わり。
>>732 だからそんな環境に守られたガラパゴス城を島国から引っ張り出したら
使い物にならんてことよ。
あれ?論調変わったなw
だいたい投石機やバリスタは技術が伝承されなかっただけだろ。 高度な技術が失われ、原始的な武器でやあやあ我こそは、とやるしかなかったのが 武士なわけで。
なんだ釣り師か。
>>727 本格的な攻城砲で砲撃されていないからなぁ
熊本城攻囲で使われたのは四斤山砲、幕末維新の頃の臼砲は小型の野戦用。
天守閣(熊本城のは攻囲時には無かったけど)はともかくとして城壁は崩せないかと。
城壁を崩せなければ水壕に対処出来ても余り意味が・・・
会津若松城が落ちたのは城が持たなかったのでは無く、人が持たなかっただし。
フランス軍事顧問団の評価も、その辺(日本の洋式火砲の火力不足等)を考慮したのかもね(想像w)。
>>737 まあ黒色火薬時代の青銅大砲には十分耐え得た
アームストロングだの撃ち込まれりゃ知らんが
西洋で堡塁を砲撃により無理矢理崩すにはどれくらい撃ち続ける必要があったんだ?
740 :
名無し三等兵 :2012/06/15(金) 19:46:52.26 ID:F2m+t6TP
地雷。 砲弾が炸裂しない場合、 純粋に運動エネルギーが鍵になるけど、 中世の冶金技術じゃ大質量の飛翔体を打ち出す砲内圧に耐える筒が出来なかった。
西欧では大砲の発達に合わせて城の城壁は低く厚くなって最終的に堡塁になっていったが 日本の城は背の高い建造物が多く砲戦には向いてないように見える
>>739 城壁をガラガラと崩すのは流石に難しいのでは?
城壁を完全に崩すのが難しいからこそ、臼砲で城壁越えの攻撃をしたのかと。
直射なら、守備兵のいる狭間辺りにダメージを与えて守備兵を追っ払い、その下に取り付く。
後は、梯子で登るも善し、地雷工兵が作業するも善し。
ナポレオン戦争の頃は、こんなパターンだったみたい。
もっとも、30年戦争中の砲撃要領書には、直射で城壁に穴を開け、その穴から砲弾を打込み、
城壁と内壁の間で跳弾させて城壁内の人員を殺傷する方法が出ていたりするけど、
本当に出来るのか?って感じだよ。
だから天守閣だけの印象で日本の城を語るなって何遍言えばわかるんだよ。 戦国期以降の城郭は構造に関しては稜塁式要塞とそんなに変わらないし 中世の山城も言って見りゃ山全体を砦を含めてネットワーク化してるから そんな簡単に落とせるもんじゃねえよ。
×稜塁 ○堡塁 だわ
ネーデルランド継承戦争の末期なんかは オランダ側が、アホみたいに城築いたから、砲術の運用なんかは 30年戦争に引き継がれたのかもしれない
なんか、どうしても日本の城が防御性で劣ってる現実を認められない奴がいるのか?
明が本気なら倭城なんか落ちてたろ。
それはどうかな
明のゴールは日本に撤収させることだから秀吉が死ぬのを待てばよかった。 落とす気になれば落とせるけど面倒な城攻めはする必要がなかったんだよ。
>>750 なにその、まだ俺は本気出してない、理屈w
うん、明ちゃんはやればデキる子でチュよね〜♪
でも朝鮮、お前は駄目だ道路にもならねえ
>>751 >>750 みたいなあおりくんに与するつもりは毛頭ないし
倭城を本気の明が落とせるかしらんけど
その発言はちとバカっぽいぞ
孫子曰く、
(中略)
故に上兵は謀を伐つ。
その次は交を伐つ。
その次は兵を伐つ。
その下は城を攻む。
攻城の法は己むを得ざるがためなり。
上の熊本城模型でも、石垣でエッジを固めた鏡餅みたいな構造になってるわけだが その高低差をどうすんのって話
>>737 むしろ17世紀初頭(これも既に近世でスレチだがw)の攻城砲で落とせるのか?
>>752 賢いふりして白痴なこと言うのもどうかと
>>攻城の法は己むを得ざるがためなり
まさにやむを得ない状況なわけですが
属国に敵軍が侵入して籠城してるわけだから
どうやって落としたっていいわけだけど、攻城戦の基本の包囲兵糧攻めも何度も解囲されてるよね
>>750 総勢10万を超える大軍で三方面同時作戦で総攻撃して大失敗しといてそれはないわ。
>>753 まさか天守閣狙い撃ちして壊して、はいおしまいとか思ってねえだろうな?w
てかそろそろスレチだから城スレに行こうぜ
>>754 丘陵利用して石垣組んで、その内側にはみっちり土が詰まってるしな
こんなんに砲撃してもしゃあないわw
石垣崩してもせいぜいよじ登る足がかり作るのが関の山だろ
近代の平城のイメージが結構元江戸城と再建大阪城基準になってたりするしな
あれならまあ大砲で何とかなりそうに思えてしまう
それ以前に近世や近代の話しだろ。
楠木正成「じゃあ引き続き籠城戦におけるウンコ攻撃の有効性について語ろうぜ」
>>760 西洋だと汚物や死骸を投石機で城に投げ込むのはよくあるコトだが。
死骸だと天然痘やペストの死体とかも投げ込んだようだ。
m2twでも牛さんの死体投げ込めたな
一番悲惨なのは、中世末期の総決算の グラナダの城攻戦だな。敵味方、城壁をまたいで死体の投げ合いだったし
中国って化学兵器つかってなかったっけ? 守るほうだけど
明代に毒ガス兵器があったはず
何かを燃やして、煙や有毒ガスでいぶし出す戦術は世界各国で使われてるよ
異文化間戦争の街ごと囲んで年単位の攻城戦で我慢比べってのは嫌すぎるな
>>764 汚物や死体と毒などは世界各地で使われてなかった?
>>767 宗教違うだけでグラナダはスペインと文化が違うわけじゃないよ
769 :
名無し三等兵 :2012/06/16(土) 19:58:30.78 ID:cvsBkjPH
日本を貶したい奴がいるな 旧軍は決して褒められたもんじゃないけど戦国時代までなかなか
そのレスは
>>690 辺りか
>>750 辺りでするべきだったな。
今はもうウンコとか死体の話に変わったから。
勝った方が負けた方より死人が多いなんてよくある話。 日露戦争の日本とか。
772 :
名無し三等兵 :2012/06/16(土) 20:24:18.34 ID:cvsBkjPH
論破しておかないとまた沸くぞ
この手のキチガイに論破したしないとかまったく関係ないから
キチガイだからわかんないんだろう
攻城戦だと煮えたぎる油も守備側がよく使うな。
油攻撃って、大量の油を保存したり移動させたり加熱させたりと大変そうな割に効果が地味すぎる気が。 敵兵に油を浴びせる→火矢で着火 なんて漫画みたいなコンボがそうそう決まるかね あるいは最初から武器として勘定してるのではなく、窮余の策で備蓄物資を切り崩して…なんて代物なのだろうか?
ああ勿論、衣服を着てるところに油を掛けられれば大火傷は避けられないだろうし、 攻城塔に向けてぶちまければ心理的効果だってあるだろうけど、油でなくてもええんじゃ?って事でさ。
>>777 水と違って温度がめちゃくちゃ高く出来るんで
熱してから当社して被害与えるまでの時間を長く取れる
冷めてくると粘度が高くなるので付着し続けて効率的に火傷させられる
火傷は苦痛を与えるので恐怖させやすい
飛び散った冷えた油は滑りやすく攻撃の邪魔になる
うまく火を付けられれば美味しいけど、別に火付けしなくても構わないんだよ
城壁を登ってる時に液体降ってくれば避けられないし、鎧でも防げない。大やけどだからまず 助からない。利点だらけだけど
油が手に入らない場合には熱湯や糞尿も使われたな。 よじ登ってくる兵士にしては悪夢に違いないが。
中東では熱した砂も使われたらしい。
783 :
777 :2012/06/17(日) 01:37:49.71 ID:???
すんませんググったら英語版wikipediaに煮え油について色々出てきました。 「焼夷効果を期待して手やバリスタで打ち込んだりもした」とか「強力だが非常に効果なので頻度・量の面で制限があった」とか。 「煮え油は熱湯や焼いた砂よりかは使われていなかっただろう。焼き砂は鎧の隙間に入るから効果あるよ」とか。 「場合によってはピッチやタールも使った」って、どんだけ油が好きなんだと。 小分けにして投石機でぶち込むのが通らしいけど、使う方も危ないなぁ
つうか石油に関してはアレキサンダー大王も戦象部隊に対して使ってる。 油系だと壷に入れたり染み込ませた布を砲弾に巻いてぶちこんだりしてる。 危ないって言ってもビザンチンのギリシャ火薬に比べれば扱いやすいだろ。
ナファトゥン!
>>739 「砲列から40ヤード離れた壁に、長さ20ないし30ヤードの突破口を作るには、大口径の
砲弾1500発が必要だろう。(中略)だから500ないし600ヤードでは9000から一万発が
必要になるかもしれない」(J・G・ベントン、19世紀の人物だが状況は多分ウォーバンの
の時期の城壁と砲を想定していると思う)
”40ヤード”ってのが近すぎてちと納得がいかないんで誤記誤訳の類かも。
ウォーバンは壁と砲列の距離を300から400ヤードと指示している。
なんにせよ兵站係には悪夢のような数字かと(対するウォーバン式城塞も作る費用が莫大らしいが)
結局功城戦での大砲の役割はは大砲同士の勝負と心理的圧迫や、兵士による城攻め
のサポート(守備兵の妨害とか)がメインだったんじゃないかな
ギリシャ火ってナパームみたいな感じかな?
火炎瓶程度だったろ それでもあの時代では驚天動地の兵器に見えた
火炎放射器説もある
>>788 火壺?みたいなのは古代からなかったっけ?うろ覚えで済まんけど。
スマン誤爆
すっごい弓の張りが弱くない?遊戯用?
>>787 軽質油(ナフサとか灯油とかその辺)が主に使用されたっぽいね
備え付け型の火炎放射器っぽいのもあったかもしれない(古代中国の城にはあった)が
硝石や硫黄なんかを混ぜた”カクテル”は火炎瓶か焙烙玉みたいしてに投擲しただろうね
(村上水軍だっけ?焙烙玉で敵船を焼き払ったのは)
バリスタで焼夷弾を撃ち込んでたとかだったらロマンだな
どこかの伝承者が教えたのかw 忍術というとキワモノ臭いけどまあ諜報の古典だと思えば。
藤田西湖とかは関係ないんかね。
これは藤田だろきっと
忍者部隊月光は実在したんだな! 胸熱!!
なんかの本で読んだけど、100年戦争時代のシャルル4世は、王領化の領民に対して 1448年と、1451年の二度にわたって、50戸に対して1人の弓もしくはクロスボウ兵の供出を命じたそうな。 イングランド側の百年戦争時の兵士の供出について書かれた史料と残ってないのかな
シャルル七世じゃね?
ロングボウと言えば、ウェールズだよなあ ロングボウ隊の兵士は、やっぱりウェールズ人の割合が相当多かったんだろうか?
ごめん。シャルル7世だった。シャルルは1445年に 王軍を作ろうとしたみたいだね 騎士:従者;弓兵:小姓が、1:2:2:1: の6人で1単位×100組=600の機動単位が15部隊分の編成を命じてる 古代ローマ末期のディオクレティヌス皇直属の遊撃騎兵部隊みたなもんかな
和城なんぞ焼き玉食らわせれば上部構造物は炎上。
中世ならヨーロッパだって金ないから木製だけど。石作りの城は中世も後半、それも金持ちの領主や 都市じゃないとつくれないものだったが。
物置だよね
ロマネスク様式の石作り教会なら結構立てられてなかったか あの時代は教会=城=政治拠点だったから、石作りの上層構造物自体は物見や権力の象徴として意味はあるよ
日本でも寺社のが石垣技術進んでた
小規模な戦やクーデターでは寺や神社に立てこもることもあったのは そういう防御施設としても利用できたからだろうね。 実際、お寺や神社の長くて傾斜が急な坂は十分障害になるし 戦になるケースを見越して周囲に土塁を築いてた神社もあるし。
日本の城は城壁張り巡らし過ぎだし複雑に入り組んでるから砲を運用しにくいだろ
ちょっとすまん。古代中国の都尉、校尉、司馬、将軍、都督の序列とそれぞれの職掌、有事に率いる兵力について聞きたいんだが 司馬は大司馬とかあるし、将軍にも偏将軍や碑将軍から車騎、標騎、大将軍まであって何がなにやら 大将軍と大都督はどっちが偉いんだとかさ
大都督は古代中国にないので偉いのは大将軍
>>817 それでは、前漢初期におけるそれぞれの序列についてご教示願いたい
おっと、すまない。
>>817 ではなく
>>813 でお願いする
自分でも調べてみるから時間に余裕あったらで構わない
>813の本だと前漢の位階だど以下のような俸給になっている 一万石…大尉、前後左右将軍など 中二千石…光禄寺、衛尉、執金吾など 二千石…京輔都尉、左輔都尉、右輔都尉、司隷校尉、城門校尉、中壘校尉、屯騎校尉 歩兵校尉、越騎校尉、長水校尉、胡騎校尉、射声校尉、虎賁校尉、諸侯中尉、大郡都尉など 比二千石…護軍都尉、五官中郎将、左中郎将、虎賁中郎将、監羽林中郎将、西域都護、 奉車都尉、(馬+付)馬都尉、騎都尉、郡都尉など 千石…大司馬長史、将軍長史、光禄丞、衛尉丞、執令吾丞、諸侯郎中など 比千石…郎中車将、郎中戸将、郎中騎将、期門僕射など 六百石…左輔都尉丞、右輔都尉丞、郡輔都尉丞、武騎常侍など 四百石…県尉 二百石…県尉
高級軍人の位階としては 大司馬大将軍、大将軍、将軍、将、などの名称があり、大将軍と前後左右将軍は 特に高位の将軍号であり、皇帝の高級武官であるとしている。このほか、遠征地 などを冠した各種将軍号が多数登場している
大将軍やその他将軍には、戦役中幕府を開く権限が付与されている その中でも大将軍が最も規模の大きい幕府を開く権限があり、(馬+票)騎将軍がその次 その他の将軍はそれよりも小規模の幕府の開設しかできない(後漢になると状況は変わる)
それぞれの位階と率いる部隊の規模は以下の通り 軍(最大単位。有事に編制)…大将軍・将軍 部(1000〜7000名)…校尉・軍司馬 曲(200〜500名)…軍侯・千人 屯/官(100名)…屯長 隊(50名)…隊率・隊史 什(10名)…什長 伍(5名)…伍長
>813の六巻本には各官の職掌も色々記載されているが、もう限界なのでこのぐらいで 許してくれ
>>820 人が五人で伍、人が十人で什かなんとも分かり易いな
京大様とな
米が千で米千(キロメートルと読む)って国字があったと思ったんだが、 上手く変換できないな
粁
>>817 〜
>>821 これは興味深い。GJです。
>>817 について、もし分かったらご教示いただければと思うのですが、
中国の『石』というのは、日本の『石』とは、同じなんでしょうか?
違うのでしょうか?
日本の『石』だと、ざっくりと住民1人ということで、
10000石であれば、動員兵力が数十人〜数百人のオーダーだと相場勘があるのですが、
中国の『石』はどうなのかな?と。
一番上の大尉と前後左右将軍が10000石というのは、
少ないような気がするのですが、これは封土なのでしょうか?それともサラリーなのでしょうか?
とりとめもない質問ですみません。
後漢の人々は皆官僚だよ
>>830 >>828 ですが、よく分かりました。ありがとうございます。
大変興味深いです。いい資料をご存じですね。
専門家か、よほどお詳しい方とお見受けしました。
話は変わりますが、後漢末で、例えば三国志の董卓が軍閥化していたというのは、
中央に送るべき租税を送らずに、それを使って、官兵でなく私兵を養っていたんですかね?
カエサルが、クラッススから借りた金で編成した、私兵軍団みたいな。
税は送るべき額は送らないと反逆者になってしまう ただ、決まった分送ればそれ以上徴収した分は全部自分のもの 遠いから官憲の目も届かない
>>831 董卓は官兵を持っていたんですがその返還命令を無視して辺境に居続けました
軍費は官から出てるんですが完全に私物化しているわけです
ただの官僚のはずがいつの間にか世襲領主と化してたり
守護大名ってヤツだな
>>832 >>833 >>831 です。なるほど。董卓の兵が官兵とは・・・。
ローマで言えば、軍人皇帝時代の、軍事能力に長けた属州総督みたいな感じですかねぇ。
後漢の霊帝が、売官で私財を蓄えた、というのも、 感覚的には、なかなか納得できないのだが、 逆に考えれば、国の財産と、皇帝の個人財産とが、その当時において、 徹底的に峻別されていたということに、ある意味、すごいな、という気がする。 後漢の皇帝とは、専制君主でもなく、未開国の酋長の規模の大きいものでもなく、 血筋で就任する終身内閣総理大臣のようなもので、後漢の行政機関の一つであったのだろうな、 と思う。
それはさすがに世界史板へ行け ここでする話題じゃないというか軍事絡んですらいねぇだろ
>>837 なんか夢見てるみたいだが
行政機構が絶望的に崩壊してただけだろ
自分の生活のために行政権の切り売りする皇帝って…
献帝なんかはリカク・カクシに腐った飯を食わされたらしいしな ひどすぎる・・・
もしかして三国史的な架空戦記が書きたい方なのでしょうか この時代の兵制は、呉が豪族の私兵集団を中心としているので、漢の官兵だけで見るのは危ういかと また、黄巾の残党や黒山の賊と言った良く分からない集団も多々あるので、専門書や研究者の論文に当たる事をお勧めします
霊帝期は、さすがに生活のためというわけじゃないけどな。 そうやって蓄えた財貨の一部は、皇帝直属軍(西園軍)創設に充てられたとか。 単なる愚帝という従来の評価に対し、最近は軍制や人事登用制度を改革し 皇帝権力の強化を図ろうとしていたという見方も出ているようだね。
>>842 その辺が、今の感覚で考えると全く分からんよな。
そもそも何で皇帝直属軍が存在してなかったのか、とか、
どうして国家予算じゃなくって、皇帝が売官して得た個人資産で編成するのか、とか。
建前上は、全て皇帝の臣下だしすべての官軍は皇帝の軍なんだろうけどね。 日本でも、令制五衛府に加えて、首皇子(聖武天皇)や阿倍内親王(孝謙天皇) の私兵色が強い授刀衛が設置されたりしているし、さほど珍しくはない気が する。
忠臣の子が忠臣とは限らないからな
中国の歴史ではよくあることだが、官僚が税金を自分たちで分け取りにして、税金はくそ重くて 反乱が続いてるけど国庫は空という。
平安後期以降の日本でも、本来の国庫は完全に空で、それこそ天皇も含めた みんなが荘園と称する私領からの上がりに頼っていたね。
それで今度は自分の正規の仕事がうまくいかないというジレンマに悩まされてたんだよな 戦国期困窮した天皇家は皇室御用達と名乗る許可とか直筆の書物を売って食いつないでいたらしいが 金で停戦の斡旋とかけっこう儲かったんじゃないか?
そういう泡銭は身につかんとです
話は変わるけど、白村江の戦いで、 倭軍が、兵力42000人、軍船800隻というのが、今の感覚からしたら凄い。 その前の三韓征伐でも、おそらくは万の軍勢を、半島に送り込んだのだろう。 兵糧は百済からもらったのだろうが、それにしても、万の軍勢を渡海させて、 朝鮮半島で戦うなど、古代日本の国力には侮れないものがある。
>>851 まあその手の公称数値は常にあてにならんものだけど
その前の弥生後期で、魏志倭人伝に出てくる倭国の人口が当時としてはかなり異常な数字だしな
記述の単位が戸数で、その単位が不明だから具体的な数字がわからんが
倭人伝の里程記事だけ見てると北九州の都市国家をひょいひょい移動してるだけの感あるが、万単位の戸数の国と考えると相当な広さの領域でおかしくないんだよな
しかしこれまたどこまであてにしていいのやら?というw
兵力と軍船の比率の方が気になりはするな
単純に割り当てて一隻あたり50人ちょいって、ほんと丸木舟に毛の生えたレベルだったんだろうな〜とw
文永の役の元軍もだいたい同じ規模の兵力と船数だしそんなもんだろ
wikiの白村江の戦いを見ると、倭軍の損害が、兵10000人、馬1000頭とあるんだが、 相当アバウトな数字なんだろうが、 (馬を1000頭単位で渡海させたのか?) というのが驚き。オレら日本人は、自国のことは、どうしても卑下してしまう習性があるんだが、 1000頭以上の馬を含む42000の兵力が、800隻の船に乗って渡海するというのは、 海を埋め尽くすような大軍に見えたんじゃないだろうか。
wikiを見ると、こんなことも書いてあって、 >倭国・百済連合軍は、福信事件の影響により白村江への到着が10日遅れたため、 >唐・新羅連合軍のいる白村江河口に対して突撃し、海戦を行った。 >倭国軍は三軍編成をとり4度攻撃したと伝えられるが、多数の船を持っていたにもかかわらず、 >火計、干潮の時間差などにより、663年唐・新羅水軍に大敗した。 倭軍が大敗したのはいいけども、その理由が、唐・新羅水軍に、 物量で負けたんじゃなくって、物量では勝ってたのに作戦で負けたというのも、 驚くばかり。
古代の倭国も、なんとなく(弥生式住居がいっぱいあった)みたいなイメージだけども、 よくよく考えてみれば、あんなでかい古墳をバカスカ、日本津々浦々、そこら中に建築して、 冷静になってみれば(とんでもない土木工事力)があったことを意味する。
むしろ敵側の誇張表現という線は? 正直、同盟国のお家再興にここまで兵出すかなあ?
中世のかなり後期まで弥生時代とほとんどかわらん住居は普通にあるよ
登呂遺跡がじつは室町時代の遺跡なんて説も聞いたことあるしな
んな話聞いたことねえよ
写真に現役の竪穴式住居残ってる朝鮮半島と一緒にすんなよ
登呂遺跡がある駿河国は室町時代には今川家が守護大名としていたわけで。 この時代の今川家はちょっとしたもんだぞ。 遺跡の一部のコンタミならわからんではないが、登呂遺跡まるまるとかはありえん。
そもそも弥生人自体が、春秋戦国時代に江南から逃れてきた呉、越人の末裔らしいからな
>>855 NHKだと、豪族連合だからまとまりがなかったとかなんとか
もうちょい詳しく説明しましょう。 倭国水軍はもともと百済抵抗軍の拠点、周留城を救援するために白村江までやってきたの だけど、肝心の余豊璋が城を抜け出してさっさと倭国水軍のところまでやってきてしまったので 周留城を救援する意味がなくなってしまった。 そこで決戦回避しておけば、水軍規模で上回る倭国水軍が海上でにらみを利かせている限り 唐新羅連合軍は海上作戦のほとんどを封じられたはずだった。 だが規模で唐新羅軍を上回ってしまったため、倭国軍に驕りが生じてしまった。 戦功をあげたい多くの有力者が小勢の連合軍など突入粉砕すべし、と言い出した。 こうなると豪族連合体であることが裏目に出て、軍を率いる将軍でさえも、決戦を押しとどめるのは 難しくなってしまった。 かくして意思統一の取れぬまま、突入を決行して撃破されるという最悪の結果を迎えることになった。 それでもまだ半分以上の水軍が残っていたので唐新羅軍は追撃して倭国軍を壊滅させることは できなかった。 その水軍を使い、半島内部で奮戦していた倭国軍と亡命を希望する百済民を乗せて帰国した。
>>857 ここまで半島に拘った=皇室は・・・
おっと誰か来たようだ
>>866 そうじゃなくて当事日本は半島南部にそれなりの権益持ってるから
同盟国というか緩衝国作って唐とかと距離置かないと損害がでかくなるんだよ
たんなる同盟国の復興じゃないんだわ
とは言え中国史の伝統で戦果10倍の法則があるから
実数は
>>857 の言う通り誇張が盛大に混じってるだろ
誇張だろ。もし本当に4万人もいたなら日本から、半島までの航海にいる分の水どうやってもってきたんだ? また半島についても唐新羅の勢力圏で補給できそうなところないし
半島に着いたら、この時期は百済側の抵抗軍の城がたくさん残ってたから 補給の問題はそれほどなかった。
日本の派兵数は日本書紀からの推定だから、中国史の誇張は関係ないよ 初回に5000送って、さらに大規模なのが2万とか追加派兵があったから 「総派兵数」が4万超えてたのはほぼ間違いないところ 白村江に4万揃ってたわけじゃないよ そこ勘違いしないように
すごい妄想をみた
ローマ軍団の持ち盾ってのはどのくらいの強度なのかな? パルティア兵の矢に貫通されまくったというのは本当?
あの時代の盾はまだ木か革じゃなかったかな? 盾が鋼製になるのは中世も終わりに近づいた頃じゃない?
ローマのスクトゥムは大きいし木製じゃないかな? 壊れるときはあっけないだろうな。
数枚の木板をノリで重ねてキャンバスで多い、フチと中央部は鉄で補強。厚さは5mmくらい。
パルティアはその頃、合成弓は持ってたのかな? 合成弓だと、5mの木盾じゃ、ずぶずぶに貫通されてしまうと思うんだが。
全部防がないと駄目ってわけでもないだろう 防弾ベスト着けてても撃たれて死んだりするし
空間もあるから貫通というか割ってきた矢でいきなり死ぬことは無いだろうけど 一方的に射られ続けると耐えられんな 映画とかだと軽いし強度無限だけど
ローマ兵の盾って防具じゃなくて打撃武器でしょ? 重かったら取り回し辛くてかえって扱いにくいんでは
打撃武器ではなく押し合い用の補助具
スコップは打撃兵器でしょ?ってなもんだなw
或いは「槍は叩くもの(キリッ」みたいなw
>>881 待てよ
古代の歩兵の盾、特に地中海世界だと
防御のためどころかむしろ押し合い用の道具としてのが主用途だぞ
亀甲隊形で押し合うのがローマ軍団の主戦法だったんですねわかります あれなら上空から来る相手も押せますし。
ファランクスも敵が接近してくると槍を引っ込めて盾でぶつかるんだよな 有名だよ
マケドニア式ファランクスでは盾を胸当てのように身体に装備する形にしたことで ボディプレスのようにより強力に押せるようになったんだよな。
地中海世界っても広くて長いしな ホメーロスに「盾に巧みなテューデウス」って表現があるけど、 これは片手で扱える軽量小型の盾を器用に操って身を守ること を表現しているのであろう、って学者が言ってた
青空文庫で読める古い訳だと「堅盾揮ふチュウヂュウス」って書いてあるね
で、押し合いが主用途という説の出典がそろそろ出てもいい頃だと思うんだが。
じゃ、押し合いでなかった説のソースも頼むわ
884 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 15:04:41.82 ID:???
>>881 待てよ
古代の歩兵の盾、特に地中海世界だと
防御のためどころかむしろ押し合い用の道具としてのが主用途だぞ
892 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 18:49:24.64 ID:???
じゃ、押し合いでなかった説のソースも頼むわ
これはもう押し合い主用途で間違いないわ。盾の主用途が押し合いじゃないなんて
非常識にもほどがあるし。
>>886 6mもある槍をどうやって引っ込めたんだ?
あ
>>894 盾で押し合いをするという主目的のためならどうとでもなるだろ。
ローマのレギオン以前の、ギリシア・マケドニア風ファランクスでは、 槍を使った集団チャンバラではなくて、 『ファランクス同士の押し合い勝負』 でしょ。敵陣のどこかを、押し崩して勝つ。 エパメイノンダスも、レウクトラの戦いで、左翼を50列の厚さにし、 ペロポネソス同盟軍の主力であるスパルタ軍を 『もう一歩進んで私を喜ばせてくれ』と、撃破している。 マケドニアのシンタグマにしても、16列の厚さを持っていて、 後ろの奴の槍は、前まで届かない。後ろは何のためにいるかというと、 突き刺すとか、切るとかじゃなくって、スクラムで押し倒すのがメイン。
じゃあ槍持たず盾と鎧強化した方がいいな
>>898 あと槍を構えて上から降ってくる矢から前列守ったりとかな
槍がなければ騎馬が突っ込んでくるけどいいかい
そんな接近して戦うなら槍じゃなくて取り回しのいい剣で戦いそうなものだが?
実際レギオンは槍は投げるもので、近接したら剣で戦ったよ
ローマ帝国の時代になると敵は騎兵主体のパルティアや寄せ集めのケルト人になって 相手がファランクス組むことなんてなくなるしそれは別だろ
>>899 それはない
というのも槍は槍で接近前の攻撃手段として優秀だし
後列が前列の盾の隙間から攻撃することもないわけじゃない
槍は槍で必要
最後部からスクラムで押してるのに中段の奴が槍で攻撃?
色々まざりすぎだろw
ここまでの話をまとめるとファランクスとは 前列は接近する前は槍で敵と戦い突き合い接近してくると6mの槍を引っ込めて盾でぶつかり 後列は槍を構えて上から降ってくる矢から前列を守ったり前列の盾の隙間から攻撃する そして槍の届かない奴はスクラムで押し倒す 複雑な戦法である
それもうファランクスクラムって新戦法や
>>898 後ろから49人がスクラム組んで押したら敵の前に味方が押し倒されるだろそして圧死する
どこかのパニック事故みたいに主な死因は圧死でしたってなりそうだなあ
>>908 6mの槍を使うのはマケドニアンファランクスで一般的なファランクスではない
ちょっと調べてから参加してくれ
908に言っても仕方ないだろ
このスレの中のファランクスをまとめただけだしなw
ちなみにマケドニア式のファランクスってのはどの程度普及したんだろうか?
マケドニア式以前にイフィクラテスが槍を4メートルにしたりしてる。
蛮族の集団が盾越しに武器で叩きまくる 隊長のホイッスルが鳴ると一斉に剣を突き刺す いやぁ格好いい
>>917 盾の主用途は押し合いをやることだぞ。現実にはそんな戦いはなかった。
>>918 蛮族は武器で盾を攻撃して装甲を削ったりはしなかったのか
>>919 フランク族の投げ斧は盾ぶっ壊しまくってたし
ローマ軍のピルムも相手の盾に刺さって使用不能にしていた
盾そのものの破壊は結構試みられてるよ
ポリカーボネイトで盾作っておけば破壊されなかった
>>910 もちろん、テーベとスパルタの前列同士は、圧死した奴も大勢いたかも知れん。
それでも屍を乗り越えながら、テーベの市民兵が50列の力でスパルタ戦士を押し勝ったのが、
レウクトラの戦い。(ホモ部隊も大活躍したが)
ギリシャ世界においてはマケドニア式ファランクスが勝ったわけだから優れていたのは 盾重視ではなく槍重視だったことになるよな。
>>924 槍や盾がってよりも、他の兵科も合わせた運用の仕方が優れてたんじゃね?
ファランクスだけだったら槍が長かろうが打ち崩す方法はいくらでもあるだろうし
ただ、ファランクス同士のぶつかり合いならば、武装が先に相手に届く側が有利なのは明らか。
相手よりも先に(短時間であっても)一方的に殴れるってのは強力。
マケドニア式ファランクスの槍衾の中を進めるのか?
両手で槍を持ってちゃ盾の主用途である押し合いがしづらいだろうが。 フィリッポス二世やアレクサンドロス大王ってのは軍事オンチなのか?
(笑)
なんか、今後ラグビー見るたびに、このレスを思い出してしまいそうw
ローマの対マケドニア戦役で、レギオンがファランクス打ち破ってるから槍が長いだけではやられるようだな
>>924 マケドニア式で槍が重視されたのはその歩兵での押し合いをしないためだぞ?
さらに騎兵を同時に運用して本来歩兵同士のぶつかり合いで決してた会戦を一変させた
歩兵を壁と割り切って相手よりも長い槍で相手を停滞させる
これまで衝撃力も期待されてた歩兵を完全に防御に回すところがキモ
騎兵で味方歩兵に足止めされた敵歩兵を挟撃、側面攻撃するところが重要
装備の良し悪しではなく、兵の運用によって勝利してる
従前のファランクスの強みを打ち消すための処置をしてるものを取り出して
だから槍有利というのは近視眼的過ぎる
>>930 一回近付いてしまえばスパタの方が武器としては有用だし
長槍って機動力駆使して左右から迫ってくる相手には
穂先揃えて槍衾でお出迎え出来ずに接近されてしまうからね
さらにローマ軍の嫌らしいところはピルムで長槍よりもさらに遠い間合いからまず攻撃するところと
後列がピルムなどを使って遊んでる人員になり難いところが挙げられる
長槍の間合い以外では全レンジにおいてローマが装備で優位性を得てるから
ただ槍が長いだけでは意味がないよな
ラグビーのスクラムやモールで重要なのはがっちりバインドして一体化することだが (それができてないと味方の押しも邪魔になって潰れる)両手ふさがってるファランクスはどうやってたのかな
ローマン・レギオンは、ギリシア風ファランクスと違って、押し合いからは脱却。 ピルムでのミドルレンジ攻撃、大型盾とグラディウスによる近接戦闘。 (接近戦では、大型盾の隙間から、短い直剣のグラディウスを突き出すだけ。 その使い方だと、長い剣よりも、短い剣の方が使いやすくて有利。 ガリア・ゲルマン戦士と比べて、タイマン戦闘では弱いが、 普段から訓練をしまくって集団でそれをやったら、めちゃくちゃ強い) さらに、チェスの黒マス、白マスのような部隊(百人隊)配置で、 前衛・中衛・後衛を柔軟に交代。 重装歩兵戦闘の、最高峰を極め、マケドニア・ファランクスをも、 さんざんに撃ち破った。
>>933 ファランクスは自分の盾だけで押すんじゃなくて右隣の人の盾も押す
自分の盾は左隣の人を守る盾であり左隣の人が後押ししてくれるものでもある
だから劣勢になると保身を求めて右の盾に入りたくなってしまうので
ファランクスは右方向に崩れてくし右にはベテラン兵を配置して陣を崩れさせないようにする
もしスクラム組んで押しあうなら後列は槍も盾も邪魔でしょうがなかったろうな てかもう盾じゃなくて最前列の死体を押し合う事になるだろうな
史料に出てくる「押し合う」を意味する言葉、Othismosが本当に文字通りファランクス同士の押し合いを意味するかどうかはまだまだ議論中で答えなんて出てないよ。
>>937 おま都市部の朝の通勤列車に乗ってみろよ気持ち悪くなってしゃがみ込みたくなっても絶対に無理だからな
全部の力抜いて重力に任せればいずれ床につくよ しゃがんだ姿勢にはならんだろうけど
いや挟まれた状態で止まるね
直立した姿勢は一番専有面積少ないから、満員電車の中ではある意味最も安定した最終到達姿勢とでも言えるものだから そこにずっぼり填まってしまうと倒れることもできないって瞬間があるのも不思議ではない
あえていおう、なにスレであるかと
古代・中世 電車総合
まとめると 電車には盾もって乗る ということですね
日本の武士は押し合いをやらなかったため盾が発達しなかった。
日本のサラリーマンは最強だ。日々、押し合いにまみれてるからな
ま、隣の乗客の肩にアゴ載せて寝る奴もいるからな。
弓騎兵で手持ちの盾を使う例てどんなのがあるの? 武士の下馬戦闘に限って言えば太刀・薙刀・長柄とも振り回す(swing)武装だから 集団戦には向いてないんでね?密集してたら突きと振り下ろししかできないし。 だから集団戦闘は槍足軽が受け持つ方向に行ったのかな? その時代だと鉄砲が普及して矢除け用の個人盾では効果が薄かったから竹束へ
アジアは弓戦が主体だから ファランクスにせよランスチャージにせよ 集中して衝撃を与える概念がない
企業戦士ってそういう意味だったんだな なんてこった
>>949 弓騎兵が盾持っても弓使う邪魔になるだけなので盾は持ちません
>>949 伝統的に投射兵器が強い土地柄で自然に散開戦術が基本になってて
元から密集が危険だから密集を前提にしない、振り回す武器が発達したんだろうね
954 :
名無し三等兵 :2012/07/04(水) 15:21:39.83 ID:WrrcTa7y
?
>>949 ああ、つまりハルベルトを主武器としていたころのスイス傭兵は集団戦術ではなかったと。
ビッグドッグに乗る現代版騎兵が見たい 超胸アツ
ローマ軍団も主に剣による斬撃を用いていたようだから集団戦術だったかどうか怪しい。 『共和制ローマの軍隊』 「この剣は攻撃的な武器として優れており、刃身は非常に強度が高く、両刃の部分は よく切れた(ポリュビオス)。スペイン式の剣はマケドニア人にすさまじい衝撃を与えた。 リウィウスは、第2次マケドニア戦争の初期の小競り合いで、スペイン式の剣が死体に どれほどの傷を負わせたかをマケドニア軍が見たときに、彼らを襲った戦意喪失について 記している。多くの場合、剣は四肢を切り離し、死体の首をはねた。」
対ファランクス戦は、槍投げて隊列乱してから、その孔から斬り込みして圧勝したんだよな
wikipediaで確認したけどスイス傭兵の装備はハルバート→パイクなのね。勉強になった。 じゃ、ハルバートを使った集団戦闘てどんなの? パイク戦闘は「アラトリステ」ていう映画のイメージがあるけど、ハルバートはイメージわかない
古代の鎧だと肌の露出多いから切れ味の良い刃物相手にするのはそりゃ嫌だわな
>>958 平地で真正面からぶつかるとそれでもレギオンが負けることあったりして
ファランクスも弱点あるもののやっぱり強いんだよな
ローマみたいに重装歩兵に投擲させるのとギリシャみたいに軽装歩兵に役割分担させるのとでは どういう戦術の違いが考えられるんだろうか? 鎧を全軍にいきわたらせることができるならローマ式のほうが激突後の遊兵を減らせるから有利 なのかな
ピルムとピラは別物でローマの重装歩兵はその二本の投げ槍と盾と剣を持って戦ったというサイトがあるけど 兵士とは別に荷物運びがいたのかな?
密集した重歩兵が目前で投擲するからそれを相手にする側はある程度散って被害減らすか 全部食らう覚悟で密集しておくかという選択を迫られるけど どっちにしてもその直後の突撃防ぐのが難しくなる これが投射専門の軽歩兵相手にした後で重歩兵が来るなら 軽歩兵をやり過ごした後、重歩兵の移動見ながら再密集とか可能だから かなり勝手が違うと思う 反面装備を全員分揃えるお金が大変だろうな
>>964 ファランクスとやり合ってた頃の兵士の装備は自前なんよ(´・ω・`)
お金ない兵士は鎧の代わりに毛皮着てたりしてたん
>>963 戦闘中もピラとピルムを各1本づつ自分で持ち歩いていたみたいだよ。
ピラは投げてしまうけど、ピルムは手槍(片手持ち)として使う事も。
行軍中の兵士は全ての個人装備+生活道具+野営地用の杭2本を各自が持ち歩いて、
将校クラスは輜重を利用していたらしい。
ここら辺りの兵士と将校の事情は南北戦争の頃でも変わらないけど…
マリウスの改革で装備も支給品になったけど、その代わり兵士が財布の面倒 見てくれる将軍の私兵みたいになっちゃって、大規模内戦の時代になったんだよなあ
装備が自弁ってことは街の鍛冶屋が武器屋も兼ねてたんだろうな 戦争のたびに矢じりとか大量に消耗するから、鉄の入手経路と鍛冶職人の確保は 各勢力の死活問題だな。農業生産でも当然重要だし 矢じりを回収することってあったのかな
>>968 軍がいちいち回収なんてしないよ
ほっといても近所の農民が勝手に回収して市場に戻ってくるからw
>>965 ん?
今話題になってるグラディウス持った重歩兵がピルムぶん投げてから切り込むって話だと
第二次ポエニ戦争でイベリア半島制圧以降の話だろ?
装備自弁してる時期と供給してる時期の半々くらいじゃね?
薬莢を回収している某国自衛隊さんに謝れ!(T_T)
剣槍と盾だけ官給品とか 鎧?裸でええんや
何その剣闘士スタイル
ウェテリスは邪魔だから早くどいてください
>>967 退役しても食ってけない土地無し民が不憫で、将軍が
私的に給金を払って雇い続けたのが広がったんだっけな
>>968 ああ、ローマ軍団には編制上、専属の鍛冶師が所属してますから
宿営地には必ず工房が開設されます
>>966 いったい総重量何十キロになってたんだ?
総重量は30-40kg程と推定されている。実は現代のフル装備の歩兵よりは軽い。
そんな軽いの?武器と盾だけで7kgぐらいくよね
日本と違って鎧は意外と軽いんじゃないのかな 残りは自分の食い扶ちが大半じゃないのかなぁ
マリウスの驢馬・・・。
日本の鎧って無駄に重いだけで実用性ゼロだよな
そんなあなたにパレードアーマー
>>982 日本は盾持たないからその分鎧を重く出来るじゃん
日本だと盾もって道路以外の場所歩きたくないけど
外国だと盾もってそこらじゅう歩けるのかな?
チタンやセラミックのない時代装甲は重く造るほど頑丈
ローマのレギオンは、部隊運用が柔軟で、疲れた部隊を入れ替えたり、 崩壊しつつあるところに増援を送ったりできるので、 横1線になって平押しし、どこかが崩れたら負け、のギリシア式ファランクスじゃ、 長引くと勝負にならない。
>>980 ロリカ・ハマタ:約15kg
ロリカ・セグメンタタ:約10kg
>>986 何の本で読んだのかは忘れたけど、
「ローマ軍のレギオンは白兵戦を流れ作業に変えた」
と書いて有ったなぁ。
会戦単位ならローマは相手が優秀な場合負けまくってるイメージだが
勝つのが当たり前だから負けた時しか目立たないんじゃね。
>>984 日本は道路も無い未開のジャングルかいw
パルティアみたいな遊牧民には手も足も出ないな
>>991 道路はあるだろうけど、戦争をやるようなシーズンは、ちょうど今のように雑草伸びまくりで
人間の背丈くらい軽く越えちゃうと思う。
だから、草薙とか焼津とか言うようになったんじゃね?
このスレタイが個人的にはよかったので復活させてほしい [武士・騎士] 古代・中世 軍事総合02[弓・刀・馬・船・城]
>>991 ヨーロッパの森と日本の森くらべればまじそれくらい違う。日本の森だとヘンゼルとグレーテルの
ように子供だけで森を歩くような話は成立しないくらい下生えが密集しててまともに歩けない。
ヨーロッパの森は、ドイツの自然保護区で、手入れされてない黒い森なんかでも木はすごいが、下は開けてて歩きやすい
>>995 日本の森でも木の種類にもよるよ。
杉、桧などの森、松林、ぶなの森、雑木林と呼ばれる薪を取るための森
さまざまの森があり、木の種類によって生える下生えの種類も密度も長けも違う。
射精さんを倒す。
射精さんごめんなさい。
射精さん、覚悟して。
1000なら射精さんが35まで彼女が居なく異性との若い頃の青春も無いのに 35ぐらいになってお見合いでアラフォーおばさんと結婚して 働いて、働いて、働いて、働いて、働いて、働いて、働いて、働いて、働いて ただ、家立てて、生活費、養育費稼ぐ収支決算の悪い人生になる。
1001 :
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