1 :
旧陸軍省軍務課:
宮城事件、別名「玉音盤奪取事件」とも言われる
国体護持の確保を目的としたこの陸軍最後のあがき
について思う所を話しませんか。
2 :
旧陸軍省軍務課 :2012/04/26(木) 16:21:26.60 ID:???
「ミヤギジケン」ではなく「キュウジョウジケン」なり。
「タマオンバン」ではなく「ギョクオンバン」なり。
3 :
名無し三等兵:2012/04/26(木) 17:25:17.82 ID:???
フツーに天皇かっ拐えばよくね?
4 :
名無し三等兵:2012/04/26(木) 17:51:32.73 ID:???
いや、天皇になりすませばよくね?
5 :
名無し三等兵:2012/04/26(木) 18:09:18.87 ID:???
6 :
名無し三等兵:2012/04/26(木) 19:22:10.33 ID:???
宮城前で日本の飢えた労働者達が訴えたあの有名な言葉のことでしょうか。
「国体は護持されたぞ。」
「朕はたらふく食っているぞ。」
「汝ら臣民は飢えて死ね。」
7 :
名無し三等兵:2012/04/26(木) 19:35:16.54 ID:???
梅田村事件の方が切実だと思うわ。
8 :
旧陸軍省軍務課 :2012/04/26(木) 19:43:04.50 ID:???
>>5 読了ずみ、持参しております。畑中さんの墓参り等々経験ずみ。
関係者はすべて鬼籍に入りました。
>>6 1946年(昭和21年)5月19日の食糧メーデー(米よこせメーデー、正式には「飯米獲得人民大会」)の際の日本共産党員の台詞です。
プラカード事件ともいうもので戦後の話です。
9 :
5:2012/04/26(木) 21:23:44.00 ID:???
以前の上司のお母様が当時、佐倉女子の女学生だったんだけど、
宮城内の東部軍管区司令部で空襲警報の仕事で動員されていた
らしく、この朝は夜勤明けのところ異様な雰囲気で「早く帰れ」
「一刻も早く宮城から出ろ」とセカされたらしい。
佐倉女子は頭いい学校だから、情報の仕事手伝わされてたみたいよ。
10 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 01:21:46.16 ID:???
>>1 上官殺して勝手に命令書を偽造したけど
陛下が激怒して単身乗り込んできたら一体どういう対応するのか知りたい
見物だな
11 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 02:37:22.16 ID:???
>>10 昭和天皇が激怒して乗り込んでくることはない。
なぜならば、その森師団長射殺の奏上は連夜の終戦のための会議で受けていないから。
11年の2・26の時とは違った展開で敗戦へと向かって御前会議はおこなわれた。
一つ覚えて置かなければいけないのは、彼らは昭和天皇を崇拝していたのではなく、
連綿として続いてきたこの神国日本の天皇制という国体を奉じていたのである。
よっていざとなれば、昭和天皇を殺すまではなくても幽閉して、他の皇族に天皇の譲位もありえた。
12 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 03:52:19.34 ID:???
大逆中の大逆罪だなそれは
御心に叛く叛徒だ
13 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 05:39:52.45 ID:???
>>9 大日本帝国陸軍の軍管区の1つである、東部軍管区の司令部が置かれたのは、宮城内ではなく第一生命館(ビル)です。
敗戦後GHQが接収しマッカーサーが公務で使用しました。
14 :
5=9:2012/04/27(金) 12:40:05.22 ID:???
>13
そうなんです。
空襲のときのスクランブル管制部署みたいなのがあったのは第一生命館
だったのですが、宮城内(現在の武道館・北の丸公園にあった近衛師団
兵営?)にも東部軍管区の何らかの通信部門があったようです。
この辺、機会があれば詳しく聞いておきますね。
15 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 13:15:29.79 ID:???
つまり反乱を起こした連中は国家の行く末も陛下も無視した戦争ジャンキー
16 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 17:24:39.20 ID:???
反乱を起こした連中だけでなく当時のほとんどの日本人は狂っていたとしか
言いようがないが、それは今から過去を振り返ったから言えることで、当時は
みんなマジだったんだろうな。佐倉の女高生たちもそうだ。
ある意味、クーデターは失敗に終わって良かったが、あの時陸軍が天皇の命ずるままに「承詔必謹」的態度で収束していたとしたら、さんざんパラ日本を破滅の断崖の一歩手前まで連れて来たこの集団は一体なんだったんだと、きっと今の我々は侮蔑の目で見るだろうな。
17 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 17:50:44.07 ID:???
そもそも軍部は陛下が止めてるのに戦争に突っ走った無能集団
即位の時代も臣下も選べない陛下もある意味被害者
18 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 20:15:09.70 ID:???
道義的責任は別として、立憲君主制の中での昭和天皇にも辛いものがあっただろう。軍人を含む臣下たちは無能な者たちが多かったような感がする。
明治大帝を取り囲んでいた幕末以来の者たちとは明らかに違う連中だった。
19 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:04:26.46 ID:???
その均衡を保ってきたハイ、ハイあんたは偉い、あんた等が大将の既存システムが将来的には
破綻すると危惧する者が一人くらい居てもいいはずなのになんでこうなったの?
20 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:19:03.78 ID:???
>>19 I CANNOT MAKE OUT WHAT YOU INTEND TO SAY.
21 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:41:54.41 ID:???
>>19 You can dance You can jive Having the time of your life
See that girl Watch that scene Dig in the dancing queen.
22 :
名無し三等兵:2012/04/28(土) 09:57:49.53 ID:???
ふと思ったが、夷狄な土蜘蛛の分際で恥ずかしげも無く宮城を名のる宮城県って最低だよな
遠慮って言葉を知らんのかと、
23 :
5:2012/04/28(土) 11:44:04.68 ID:???
>>1さん、まず基本図書でも列挙しませんか。
あなたが思われるところからでよいですよ。
24 :
名無し三等兵:2012/04/28(土) 14:00:02.55 ID:???
>>23 尤も有名なものでは『日本のいちばん長い日』
(文藝春秋社・半藤一利/¥1571)です。
英文も出ています。まずは、ここからでしょう。
簡単に概要を知るには同名のDVDが出ています。
が、畑中健二少佐を黒沢年男氏が演じていますが、実像とは少しかけ離れて
大仰に演じていますので、初めてみる人は誤解を受けると思います。
ですので本からの方がいいかと思われます。
また、制作当時存命している方々もいましたので、森赳師団長・白石通教中佐を殺害するシーン(風車の弥七迫真の演技)はぼかしてあります。
インターネットで検索すると、私の様に研究している方々がサイトをつくっていますので、そちらで概要を知るのもいいかと思います。
他にもそんなではありませんが、井田中佐共著の本などもありますが、どうぞ
お好きなように。この板はスレにそって書けば問題ないとおもいますので23番さんが仕切りたければどうぞ。私には異存はありません。佐倉女子高の話は為になりました。
25 :
5:2012/04/28(土) 17:29:33.54 ID:???
あ、いやいや気分害したらゴメンね。
まず一番目に上げるべき書籍はそれだね。それは間違いない。
26 :
名無し三等兵:2012/04/28(土) 17:59:38.81 ID:???
閏秒があった訳でも無し
27 :
名無し三等兵:2012/04/29(日) 01:54:02.94 ID:???
みやぎ事件って何?
と言ってみるw
28 :
名無し三等兵:2012/04/29(日) 06:21:35.77 ID:???
29 :
名無し三等兵:2012/04/29(日) 17:52:54.36 ID:???
しかし命令書出すの拒否して殺された上官は可愛そうだな
結局有耶無耶にされてしまってる
30 :
名無し三等兵:2012/04/29(日) 20:03:48.79 ID:???
映画だと陸軍はすでにコピー機をもって居たようだな
31 :
名無し三等兵:2012/04/30(月) 04:59:56.25 ID:???
>>29 森師団長のご子息は神戸におられて、いつ書く時間があったのか綺麗なカタカナ文字、達筆な漢字
の侘び状が、畑中少佐からは届けられていました。畑中さんとはそういう人です。
息子さんは「あの時代は、私心なく国にとって皆が一番良かれと思って行動した。
だから恨んでなどいない」と語っていらっしゃいました。
よくできた立派な方だと感服いたしました。
>>30 NHK放送局員アナウンサーに拳銃を突きつけて、自分たちの蹶起趣意書を国民にむけて読ませてくれと、
その原稿を机の上においたが、その上の方の紙の文字は謄写版にて作成されたものだったそうです。
32 :
名無し三等兵:2012/04/30(月) 06:02:19.24 ID:???
33 :
名無し三等兵:2012/04/30(月) 14:15:14.63 ID:???
このスレいい話が出てくるネ
34 :
名無し三等兵:2012/05/01(火) 01:51:28.36 ID:???
>>30 映画の中で、畑中少佐が携帯していた拳銃は、実際は同僚から借りたもので自分のではないのですが、あの自決にもちいた銃は、当時陸軍内にはなかった種類の拳銃をあり合わせに小道具として使ったようです。
また、宮城内で車を後方に下がらせる時、兵隊が『バックさせろ』という場面があるのですが、バックという敵性語は陸軍内では許されていた言葉なのでしょうか。後者が疑問です。知っている人教えて下さい。
因みにサイドカーは側車と言ってました。
36 :
名無し三等兵:2012/05/01(火) 20:50:29.61 ID:???
ホンマかいな?
せいぜい「後退ヨーソロ」くらいじゃネ・・
37 :
名無し三等兵:2012/05/02(水) 07:46:27.44 ID:???
後背位
38 :
名無し三等兵:2012/05/03(木) 07:46:44.67 ID:???
>>37 後背位に霊が、年取った老婆の姿が見えます。
除霊が必要です。
どのコースでやりますか?
39 :
名無し三等兵:2012/05/03(木) 07:49:42.37 ID:???
>>36 ここ、旧陸軍の話でおま。旧海軍ではござりませんよって。
40 :
名無し三等兵:2012/05/03(木) 15:02:58.33 ID:???
『平泉先生には失望した。本当に失望した。』弟子の畑中少佐、井田中佐たちが、クーデターの件を相談したあとそう洩らした。
日頃の教えからは予想もつかぬ、むしろ裏切る回答であったらしい。
『自重せよ』の一言だったらしいが、その点、吉田松陰先生は過激だったが偉かったのだな。日頃の言動といざと言う時の言動が一致していたのだから。
41 :
名無し三等兵:2012/05/04(金) 07:38:20.21 ID:???
密航はいかんぞ
42 :
名無し三等兵:2012/05/08(火) 21:19:20.50 ID:???
畑中少佐、椎崎中佐達の昭和天皇に対する「直諌(ちょっかん)」とはいかなる内容であったのだろうか?井田中佐が森師団長説得の時「このまま無条件降伏すれば、形骸化した形ばかりの皇室が残るのみです」と言ったが、やはり頭の良い彼らの言うとおりになってしまったなぁ。
今となっては、皇室のあり方は戦前と戦後のどちらの形がよかったのか?分からなくなってしまったなぁ。
ただ皇室は、あのまま戦争が長引けばマイナス要因だけが増えると言う事はちゃんと計算していたのだな。
両てんびんにかけて、降伏を選んだのだろう。
何世紀にもわたり絶えることなく継続してきた皇室らしい賢い立ち回り方である。
43 :
名無し三等兵:2012/06/02(土) 16:24:52.38 ID:???
終戦の日直前にクーデターが起き、
陸軍大臣が自決したということを知っている人はどれくらいいるだろう。
そこにさまざまな喜悲劇があったということも、私は知らなかった。
終戦というあまりに大きな物を題材にしたこの本を、面白いといって良いですか?
どきどきするといって良いですか?
44 :
名無し三等兵:2012/06/02(土) 16:30:09.56 ID:???
45 :
名無し三等兵:2012/06/02(土) 22:08:33.00 ID:???
>>44さん
あなたはどのような「悲喜劇」だと思われますか。
もしよろしければ具体的に想像できることをお聞かせください。
※「悲喜劇」が普通
46 :
名無し三等兵:2012/06/03(日) 13:57:31.37 ID:???
日本語でOK
47 :
名無し三等兵:2012/06/03(日) 14:05:27.59 ID:???
ついでに書けば、、『日本の一番長い日』なんてオールスターキャストの映画=それだけの動員数を見込んだ映画だし、
8月になればしょっちゅうテレビでやっていた映画だよ。
それだけ大勢の人の目に触れていたって事ね。
知らないのは自分だけ、って事もあるかも知れないとは考えないのかなぁ?
48 :
名無し三等兵:2012/06/04(月) 00:18:47.00 ID:???
>>47 でも、近頃は「それだけ大勢の人の目に触れている」ということもないんじゃ
ないかな。国体と言うと別の意味を連想するから。戦前の人たちは骨の髄まで
子供の頃から皇国史観を文部省と軍隊とがタッグを組んで叩き込んでいたから
オウムと同じだったに違いない。いわゆる大日本帝国臣民、総「洗脳」ね。
だから、ある意味、あの決起将校たちは悲劇だよ。良し悪しは別として「純粋
な高級将校たち」だったんだろうな。
49 :
名無し三等兵:2012/06/04(月) 00:47:13.36 ID:???
まず、日本語から勉強しろよ。
>戦前の人たちは骨の髄まで
>子供の頃から皇国史観を文部省と軍隊とがタッグを組んで叩き込んでいたから
これだけでバカがバレるぜ。
50 :
名無し三等兵:2012/06/04(月) 14:30:50.42 ID:???
>>49 その日本語の達者な人とやら、訂正をしてみな。
うどん屋の釜の中 わかるかい?
そうならないようするんだよ。
↑
これも分からないんだろう。
で引用文は、実は宮城事件に参加した井田中佐の言葉です。
この優秀な井田中佐をバカ呼ばわりする奴ってなんなのかね。
君、電通職員でもない只のつとめ人でしょ。
井田中佐はそんなお前如きに言われたくないってさ。
51 :
名無し三等兵:2012/06/04(月) 15:02:07.58 ID:???
>>49 まず、日本語から勉強しろよ。
と書きだす奴に限って経験からして、まず碌な奴がいない。
その証拠になぜ相手がバカと断定できるのか、理由が書けてない。
だから、バカはこの49の方。
52 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 19:53:08.52 ID:???
やはり、このクーデター(彼らはそういう意図ではなく、直諌と思っている筈)は、
失敗して良かったのではないか。敗戦が一日遅れればソ連が入ってくる。そして
今よりも多くの日本固有の土地を不当に占拠されているだろう。戦は始めるのは
簡単だがやめるのが難しい。今、にわかに自分の領土だと喚き出した中共や台湾にも
注意しなければならない。
53 :
名無し三等兵:2012/07/20(金) 22:17:30.01 ID:???
大津事件も
54 :
名無し三等兵:2012/07/21(土) 21:47:39.18 ID:???
36人殺し
55 :
名無し三等兵:2012/08/06(月) 03:35:11.25 ID:???
>>54 反乱の際には森師団長、白石中佐の二人しか殺めてはいない。
ただ、参謀本部、陸軍省では玉音放送が流れたあと自決する者が相次いだ。
本来なら井出中佐の言うように、市ヶ谷台の将校全員が腹を切れば見事、
天晴と後世の語りぐさともなりえたろうが、言うは易く、実行は難しい。
反乱を静めた田中大将も自決した一人である。
56 :
名無し三等兵:2012/08/27(月) 10:30:19.37 ID:???
白石通教中佐は広島の新型爆弾(原爆)で命が助かったのに、最後の瞬間に
命を落としたのは悔やまれる。人の運命とはこういうものだろう。
57 :
名無し三等兵:2012/08/27(月) 16:27:59.05 ID:???
畑中少佐はあの世で吉田松陰先生からさぞ褒められていることであろう。
先生の日頃言われたように行動した人間だ。だから彼ら決起した将校
たちも同じだ。
58 :
名無し三等兵:2012/09/10(月) 02:01:30.48 ID:1m4Q/5/l
戦争が早く終わってよかった
本土決戦なんかしてたら原始時代に戻ってただろう
59 :
名無し三等兵:2012/09/10(月) 18:19:38.90 ID:???
>>10 > 陛下が激怒して単身乗り込んできたら一体どういう対応するのか知りたい
首謀者は場合によっては誤った考えにある陛下を正すって理念で動いてたからな
陛下に雷落とされても殺めはしないとは思うが説得されても聞く耳持たんだろうな
直接陛下を拐わなかったのはかえって部下達が動揺し自分達にも展開が予想できないからだろうな
60 :
名無し三等兵:2012/09/11(火) 14:54:56.04 ID:???
>>59 陛下がご乱心なされた、
屋敷牢に幽閉しよう
61 :
名無し三等兵:2012/12/11(火) 19:45:53.24 ID:???
宮城事件については今月号と先月号とに特集で出ていますので、関心の有る方は
どうぞ読まれたし。
62 :
名無し三等兵:2012/12/27(木) 00:45:46.88 ID:???
新橋の慈恵医大病院のすぐ近くにある青松寺に行って、畑中さんたちの石碑を見てきました。
お寺のあんな隅の方に押しやられて、しかも爆弾三勇士が一人しかいないのもさみしげ
でした。
国を愛するとか、国防軍を創設するとか、九条を変えると言うのなら
誰よりも国を愛し、国体の事を思い無駄と思いつつも行動した方々のそうしたものをきちんと整備しろと言いたい。
幸いに彼らのクーデターは失敗し、その結果ソ連とか中国とかに国土を割譲されたわけではないのだから。(四島は別)
彼らの心情をくんで、ぜひそうしてやって欲しい。
63 :
名無し三等兵:2012/12/27(木) 14:13:44.11 ID:???
義務教育や授業内容を見直す時が着たな
64 :
名無し三等兵:2012/12/29(土) 19:04:52.83 ID:???
結果的に失敗したからいいようなものを要らんことをしたことには違いないのだがな
65 :
名無し三等兵:2012/12/30(日) 01:23:07.92 ID:???
殺された森師団長と白石参謀が気の毒だわ
66 :
名無し三等兵:2013/01/25(金) 13:49:12.00 ID:???
>>64 「要らんことをしたことには違いないのだがな 」と書かれている様に
いらんことをしたに違いないことは(今から思えば)間違いないと思います。
ですが、もしあの時最後の段階で、国体護持の確約も連合国より
しかとされていない中、「はいそうですか」と詔承必謹で終わっていたならば、
私は一日本人として、あの大日本帝国陸軍という軍組織はいったい
何だったのだろうと思うでしょう。さんざん皇国思想のもと
国民をここまで引っ張ってきて最後の最後の段階で
「詔承必謹の美名のもと」を隠れ蓑にして一命を賭けることに逡巡する
クソ集団だと思います。畑中さんたちは、確かに一歩踏み違え成功すると
大変な事となり、偏狭な考えで動いたかもしれません。しかし、そう行動する
ように仕向けたのは、市ヶ谷台での教育だったのでしょう。セットされたように
正確に作動したという、それも悲しい話です。
彼らの行動もも2・26事件の決起趣意書の前段と同じ国体観を持ちそれに基づくものでしょう。
67 :
名無し三等兵:2013/01/25(金) 23:47:56.37 ID:???
「行動は間違いだが、彼らの心情をくんで…」というのは、典型的な
亡国の思想だな。
68 :
名無し三等兵:2013/01/27(日) 18:53:35.22 ID:???
>>67 いや、あの吉田松陰ならば「亡国云々は別として、彼らの真情の発露として、あれは誤った行動ではない。」と言い切るだろう。
だからこそ畑中さんは自決前に、吉田松陰先生の「身はたとえ〜」の句を引用したのだと思う。
《「行動は間違いだが、彼らの心情をくんで…」というのは、典型的な
亡国の思想だな。》
と、
>>67さん同様、昭和天皇が昭和11年の226事件の時にそう思ったのかどうか確かめようもないが、
一連の天皇発言からみて決起将校たちに対して、不快の念を抱いていたことは間違いない。
自分の一言で彼らを逆賊にしてしまった。だから北一輝は「若殿に兜取られて負け戦」と詠んだ。
その後の日本は歴史が物語るように、統制派主導のもと昭和20年8月の亡国寸前に向かってまっしぐらだ。
むしろ歴史は滅亡へと逆走していった。
あの終戦時の畑中さんたちの行動も226同様、「行動は間違いだが、彼らの心情をくんで…」という考え方が、
必ずしも国家が即滅亡することに直結するとは限らないと思う。
なぜなら陸軍にしてみれば乾坤一擲の一大会戦をやっていないのだから、
不完全燃焼の降伏だったはずだ。
しかも、日本の軍隊は降伏も敗北もないと健軍以来教えられそれを
忠実に遂行してきたのが大日本陸海軍の将兵たちだった。
だから本当は連合国相手に開戦の火ぶたを切るとき、「勝利」かそれとも
「滅亡」かの恐ろしい二者択一の選択肢しかなかったはずなのだが。
あんな中途半端なやめ方では、勝利を信じ死んでいったものたちが
あまりにもかわいそうで、生まれあわせが悪かったと言わざるをえない。
69 :
名無し三等兵:2013/01/27(日) 19:46:34.43 ID:???
>>68 吉田松陰が言い切ったとして、それがどうした?
あの時の行動を、
> 必ずしも国家が即滅亡することに直結するとは限らないと思う。
とは、能天気だな。あの時に「乾坤一擲の一大会戦」とやらをやっ
た結果がどうなるか、想像すらできんらしい。
70 :
名無し三等兵:2013/01/28(月) 00:48:43.48 ID:???
>>69 @吉田松陰が言い切ったとして、それがどうした?←敗戦とは、明治維新の終焉を意味するのだよ。
だから、大仰に言えば松蔭先生の精神の死でもある。
だからあのような平泉の言ではなく、吉田松陰先生の言葉が出てくるのだよ。
A「能天気だな。あの時に『乾坤一擲の一大会戦』とやらをやっ
た結果がどうなるか、想像すらできんらしい。」←君はどう想像するんだい?
陸軍省でも予測できていたし、もちろん畑中さんたちも十分にわかっていた。
小生も想像できている。「ガツンと一撃を食らわす。ただその後がなぁ・・・」とは
ある高級将校(親泊氏)の言だよ。そしてそのことは小説(本土決戦)にもなっている。
君は、当時の国体の本義・天皇制について想像すらできないらしい。
一大会戦がなかったために、今現在脳天気でおめでたいのが、君も私もそして現代日本人の多くがそうだということに
気が付かないのだろうか。
一体あれはどういう教訓をもたらした戦さであったのか?
その答えは日本人の中で沖縄県人が一番良く知っている。”War, Never Never Again!”だ。
それにひきかえ、本土の我々は何だ?本土決戦もやらずして、その結果、戦の悲惨さも不十分、広島、長崎もまるで他人ごとだ。
まさに平和ボケの脳天気民族となったではないか。
当時の皇室、政府は臣民の怨府を恐れ、自らに利得のある道を、臣民の犠牲云々を口実に、一石二鳥で幕引きをしたのだ。
畑中さんたちには、陸軍大臣に接するなかでそうした動向が分かっていたのだろう。
それがあの敗戦の幕引きだ。連綿と続いてきた日本の国体に固執する大臣を「阿南、もうよい。朕には確信がある」と言って
のけ、発言を制止した昭和天皇。したたかで、政治的展開にかなり長けた男だ。ちょっと考えてみれば、各国の占領下のもと
辿り着く政治的帰結まで見通していたような男だと思うとゾッとする。
71 :
名無し三等兵:2013/01/28(月) 11:39:16.05 ID:???
>>69 皮層的表現しかできていないぞ。
>>70さんの如くもっと突っ込んだ文を書け。
書いてあることぐらいのことは小学生でもわかる。
恥だ。
72 :
名無し三等兵:2013/01/29(火) 15:59:18.06 ID:???
>>70へ
70番さん、この
>>69は「自決・こころの法廷/澤地灯久枝/NHKライブラリー」も
読んだことがなく、「69のSEX本」しか読まない野郎だな。
73 :
名無し三等兵:2013/01/29(火) 16:02:47.58 ID:???
74 :
名無し三等兵:2013/02/05(火) 23:35:35.09 ID:???
自慰行為のために一億総自殺なんてほざいた
国賊を持ち上げるのか。
お前らも国賊だな。
75 :
名無し三等兵:2013/02/06(水) 10:36:05.55 ID:N5cu8+5U
南三陸町の志津川高校避難に集まった募金・義援金を臨時職員とボランティア団体が共謀して横領しました。
盗んだ金で店を出して今だに活動しています!
子供を使った活動や偽ボランティア活動でお金を集めています!
76 :
名無し三等兵:2013/02/06(水) 21:34:55.41 ID:???
>>68 >「行動は間違いだが、彼らの心情をくんで…」という考え方が、
必ずしも国家が即滅亡することに直結するとは限らないと思う。
畑中みたいな何か勘違いして悲劇の主人公背負ってんのや我が物顔の不逞の輩が跋扈していたから滅んだんだろww
>陸軍にしてみれば乾坤一擲の一大会戦をやっていないのだから、
不完全燃焼の降伏だったはずだ
本土で竹槍で総突撃挑めば一大会戦か?屍の山を築いたら気が済むのか?
77 :
名無し三等兵:2013/02/07(木) 02:06:29.98 ID:???
>>74 「自慰行為のために一億総自殺なんてほざいた」
↓
「自慰行為のために一億総懺悔なんて(敗戦後)ほざいた」馬鹿がいたっけ。
責任者もなくあの戦争は行われたのかい?
軍歌「出征兵士を送る歌」にある大君って誰だよ?
78 :
名無し三等兵:2013/02/08(金) 07:28:26.22 ID:???
>>76 時代が違うだろ。
命の価値が一番安かった時代の話だぞ。
今の時代の価値基準を基にして批判すること自体、
話は噛み合わなくなる。気づいてる?
79 :
名無し三等兵:2013/02/08(金) 23:14:21.95 ID:???
>>78 当時の価値基準でも問題視された行動なんだけど。
ごくごく一部に、問題視したがらない人間はいるけどね。
80 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 13:08:35.07 ID:???
>>79 なら、どうしてポツダム宣言受諾・降伏の(正式発表前に)最前線から
それに異議をとなえる何千通もの電報がガンガン陸軍省等に届くんだい?
大方の人間は本土決戦で死ぬことを覚悟していたはずだ。
そして最後の特攻機には天皇自身が搭乗し敵艦に突入すると思っていた。
つまり、御国のために見事に散華していった忠良なる兵士たちはいっぱい食わされたって
わけだ。
また、あの2・26事件で決起将校たちが、昭和天皇の一声で「逆賊の汚名」を着せられたのと同じ構図で
「天皇がやめろと言うからやめる」とは、まるで中学校の低学年くらいの子供の行動パターンだ。
そのパターナル社会を実利主義者のマッカーサーはよく見抜いていたわけだ。そして政治的利用へともっていったわけだ。
※ 2・26事件で決起将校たちが銃殺刑なら、満州事変の時、朝鮮軍司令官であった
林銑十郎大将は、「増援は派兵の勅命・大命がある迄動かすな」という参謀総長の命令を無視し、
独断で勝手に朝鮮軍を越境させた。「陸軍刑法」の第二章「擅権(せんけん)の罪」第三十七条に該当し
死刑になる。しかし昭和天皇はそれを追認する。こうなると、こいつの頭は支離滅裂だな。
81 :
名無し三等兵:2013/02/09(土) 14:35:37.56 ID:???
>>79 ごくごく一部に、問題視したがらない人間はいるけどね とあるけど、
ごくごく一部なら畑中少佐たちの行動は陸軍刑法に抵触するわけだが
それに対する処罰は一切陸軍ではなかった。
海軍は厚木航空隊の小薗安名が抗命罪にとわれている。
だからごくごく一部は矛盾する。つまり書き手の間違い。
多くの陸軍軍人たちは彼らの行動を、一応鎮圧はしたが、処罰しなかったのは事実でしょ?
だからごくごく一部ではなかった。
82 :
名無し三等兵:
小薗安名大佐は夜間戦闘機月光の斜銃を考案して名をあげた。
彼は鹿児島出身で薩摩半島の川辺町にある川辺中学校を卒業し海兵へ行った。
子供の頃の写真は、おとなしそうな、引っ込み思案の少年に写っている。
それが後年あのような抗命罪に問われようとは夢にも思わない。
ただ、上層部の連中の戦争指導のやり方を快くは思ってはいなかった。
それは畑中少佐についてもいえることで、温厚で決して偉ぶらない、参謀たちで
たてた作戦がうまくゆかず、兵たちの玉砕を耳にするたびに「すまない、すまない」と
わびていた心優しい人だった。軍人などにならなければ戦後は、行きたかった京都大学の
教壇にも立てたろうにと思うと、おしい人物たちを戦争は奪ってゆくものだ。