[武士・騎士] 古代・中世 軍事総合02[弓・刀・馬・船・城]

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1名無し三等兵
軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する

軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など

上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。

このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。

このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
950を踏んだ人は次スレを立てて誘導すること。2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは>>2以降を参照のこと。

一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。

参考
軍事百科事典 ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/index.htm
統合戦争辞典 ttp://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/index.html

前スレ
【軍馬】古代・中世の戦闘技術【弓矢】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1293253477/
2名無し三等兵:2012/04/21(土) 04:02:59.29 ID:???
関連スレ

近世総合
[近世総合]大坂の陣、火縄銃、戦国・江戸・大航海時代3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1296659597/

日本史で見ればペリー来航・幕府倒壊・明治新政府・西南戦争・日清戦争。
世界史で見ればパックス・ブリタニカ、インド大反乱・南北戦争あたりの19世紀後半総合スレ
幕末(19世紀後半)の軍事全般4
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1309702976/


古典理論・歴史系
[孫子]戦理・戦略・地政学・歴史・理論0010[戦争論]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1290002931/
3名無し三等兵:2012/04/21(土) 04:03:50.19 ID:???
前スレが埋まるまで、しばらくお待ちください。

前スレ
【軍馬】古代・中世の戦闘技術【弓矢】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1293253477/
4名無し三等兵:2012/04/21(土) 06:46:51.81 ID:???
>>1
5名無し三等兵:2012/04/21(土) 20:53:22.06 ID:???
朝鮮忍者が忍者刀の嘘をごまかそうとして墓穴を掘ったようです
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm17601250
6名無し三等兵:2012/04/22(日) 12:34:54.57 ID:???
検索して引っかかりやすいナイスなスレタイだな。
71 ◆tVomVu6aICMr :2012/04/22(日) 19:40:53.82 ID:???
>>6
サンクス

前スレのスレタイと1の本文があまりにも酷く、スレの立て逃げにしか見えず、前スレ10では厳しいことも言っちゃいました。

前スレ1さんとみんなが良ネタ投下で、ここまで良スレに育ったのなら、
あとはスレタイと1本文を改良すれば良質なシリーズスレとして長続きするはずなので
スレタイと1本文に手を入れてみました。

8名無し三等兵:2012/04/22(日) 20:08:34.05 ID:???
>>1
スレタイが素晴らしい
GJです
9名無し三等兵:2012/04/22(日) 20:38:35.96 ID:???
【朝鮮日報】「日本は刀、韓国は弓の国」★3[04/01]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1333289289/
10名無し三等兵:2012/04/22(日) 21:12:00.76 ID:???
【考古学】古代ローマ「女剣闘士は実在した」 上半身裸の女性が鎌のようなものを振りかざす彫像から新考証★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1335020534/
11名無し三等兵:2012/04/22(日) 22:14:49.11 ID:???
そういやアテナ像みたいな女の重装歩兵っていたんですかね?
12名無し三等兵:2012/04/22(日) 23:48:29.82 ID:???
ニュー速から来たけど全然進んで無いじゃん。
13名無し三等兵:2012/04/23(月) 00:25:22.34 ID:???
ニュース板や雑談板でない専門板に来て
スレの進み具合を期待してどうするw
14名無し三等兵:2012/04/23(月) 01:14:40.93 ID:???
>>10
ローマ帝国頃の日本

三国志・・・・半島南端の「狗邪」は「日本の北限」

広開土王碑・・・・・・・・・日本が海を渡り百済と新羅を臣下にした。

日本書紀・・・・・・・・・「391年に日本神宮皇后が百済と新羅を征服した。」

宋書・・・・・・・・・・・・日本が朝鮮半島南部を領地にした。

随書・・・・・・・・・・・・日本は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は日本を大国として敬っている。
15名無し三等兵:2012/04/23(月) 01:15:12.63 ID:???
三国志に・・正始元年、魏使の梯儁が来日するに当たって朝鮮半島の北西から南東へ向けて洛東江沿いに陸行し
狗邪韓国に着いた際にその経路上にあった国が賣廬國である 朝鮮半島南部に日本の地があり
狗邪韓国は日本国を構成する30国の中の一国である。

漢の時朝見する者あり今、使訳通ずる所三十国」
この使訳通ずる所三十国とは対海国一大国末盧国伊都国奴国不弥国投馬国邪馬壱国その余の旁国21国対海国から
その余の旁国21国まで合せて29国。 あと1国で30国このあと1国は狗邪韓国か?それとも狗奴国か?
だが狗奴国は「女王に属さず、素より和せず」だから 日本国を構成する30国は狗邪韓国になる。

また朝鮮半島南部に日本式古墳がある、古来より半島南部が日本領土支配なのは世界で常識。
16名無し三等兵:2012/04/23(月) 10:21:04.03 ID:PhE8Y0NK
「稲城」って防御力低そうなイメージあるが。
17名無し三等兵:2012/04/23(月) 10:42:51.84 ID:???
稲城文之信はディスられても仕方がないな。
18名無し三等兵:2012/04/23(月) 20:23:08.42 ID:???
■歴史上唯一 日本と朝鮮が戦った「応永の外寇(1419年)」…対馬の領土化を狙った、李氏朝鮮の対馬侵略■


◆わずか600人の日本の武士団が、朝鮮軍17,285人を降伏させる◆

世界史上、日本が朝鮮半島での戦争は、古代から豊臣秀吉の朝鮮征伐まで、支那との戦いであった
しかし、歴史上唯一 日本が朝鮮と戦った戦争が「応永の外寇(1419年)」である

永楽17年(1419年)6月、李氏朝鮮の太宗は倭寇撃退を名目(…実際には対馬の朝鮮領土化が目的…)にした
対馬侵攻を決め、対馬の守護や主力兵が不在である時期を狙って、李従茂率いる227隻、17,285名の精鋭の軍勢を
対馬に侵攻させた。

日本側の武士は留守を預かる600人程度であり、通常の軍事的常識から見れば朝鮮軍の圧勝のはずであった。


【戦争の結果】

動員兵力: (日本) 600人   (朝鮮) 17,285人

戦死者 : (日本) 20人    (朝鮮) 2,500人以上

◆このような兵力の差でも、結果は日本の武士団の圧勝でした

★★600人で1万7285人を10日ほどで完敗させ、朝鮮側は最終的に対馬が日本であることを再確認させられ、
その上、毎年大量の米を対馬に献上することを約束させられた(…この献上は明治になるまで続けられた…)★★

この戦いの時に対馬に滞在していた中国人商人が朝鮮軍に捕まりました。この中国人商人の扱いについて…
「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」「事大の礼を尽くして送り返すべき」と朝鮮国内で議論となった
ttp://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-54.html
19名無し三等兵:2012/04/23(月) 21:05:18.48 ID:???
7世紀ごろまでは日本と朝鮮(新羅など)との戦いは頻繁に起きてたけどね
20名無し三等兵:2012/04/23(月) 21:52:47.72 ID:???
スレ違いかも知れないが個人的に塩野さんのファンなんですが…
軍事板の皆さんから見たら、ローマ人の物語や十字軍物語はどんな評価なんでしょうか?
時代孝承とか史実と違う部分ってあるのですか?
m(_ _)m
21名無し三等兵:2012/04/23(月) 22:29:16.88 ID:???
世界史板とかのがいいんじゃない?
22名無し三等兵:2012/04/23(月) 22:48:10.83 ID:???
学者じゃなくて作家だからね
意識するしないにかかわらず(主に自分にとって)面白く書くわけ。
話の面白さが好きなのか、この人の主張が好きなのか、史実が知りたいのかを
自分ではっきりさせてから世界史板へGO
23名無し三等兵:2012/04/23(月) 22:50:22.00 ID:???
まあ軍人の自伝でもしっかり疑うからね、今時はw
24名無し三等兵:2012/04/23(月) 23:37:17.89 ID:???
誰が書いた自伝でも鵜呑みにはせず、複数資料で裏付けは必要だろJK
25名無し三等兵:2012/04/23(月) 23:57:41.24 ID:???
【日韓】朝鮮王室の武具など 東京国立博物館が所蔵認める…韓国市民団体、本格的な返還運動へ[04/23]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1335174714/
26名無し三等兵:2012/04/24(火) 00:23:14.69 ID:???
>>20
塩野七生は歴史家じゃないからな。
司馬と同じ。
27名無し三等兵:2012/04/24(火) 00:58:18.79 ID:???
>>20
読者が感情移入しやすいような主観で歴史を再構築したほうが面白いからね。
NHKの毎時のニュースより、民放のワイドショーの方が面白いのと一緒だよ。
「木嶋死刑囚にぞっこんになる男のタイプは?」みたいな話の方が興味あるだろ?
28名無し三等兵:2012/04/24(火) 00:59:21.89 ID:???
塩野は一般人に古代ローマの興味をひきつけたのはいいけど、
史料批判が足りないからな、主観もガンガン入ってるし。
ただ歴史家でも弓削(故)さんみたいなのもいたし…
29名無し三等兵:2012/04/24(火) 03:52:36.76 ID:???
NHKの大河ドラマでも有名になったが
皇室を王家呼ばわり、イデオロギー優先の政治運動家みたいな歴史学者もいるからな

歴史学者といっても一概に信頼できるとは限らない
30名無し三等兵:2012/04/24(火) 04:09:06.33 ID:???
関連スレ
平清盛 考証スレ Part4 【王家・武家政権】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1326287468/
31名無し三等兵:2012/04/24(火) 09:28:58.54 ID:???
>>29
お前が馬鹿ってことは理解してあげたから、消えろ
32名無し三等兵:2012/04/24(火) 10:23:58.78 ID:???
実際元寇や朝鮮の役研究なんかはイデオロギー優先の連中ばっか目立つな。
33名無し三等兵:2012/04/24(火) 10:26:04.82 ID:???
>>32
「俺はそんな連中とは違う、真実を見極められる優秀な人間だ」と言いたいの?
34名無し三等兵:2012/04/24(火) 10:28:38.82 ID:???
せっかくのいいスレ立てだったのにおかしなヤツが常駐するようになっちゃったな。
まあ、前スレから変だったけどねw
35名無し三等兵:2012/04/24(火) 12:27:04.52 ID:???
少数派だけど日本の中世史を研究する学者のなかには
本当に皇室を王家呼ばわりする論文を書いている香具師もいる(ガチなマルクス主義史観)

どのジャンルの学者・研究者でもピンキリなのは当たり前

軍事評論家だって、エバケンからキヨタニまで様々なぐらいだからね
36名無し三等兵:2012/04/24(火) 15:18:16.32 ID:eboKLB76
壬申の乱で、大友皇子(弘文天皇)の側が意外と弱かった理由を知りたい。
37名無し三等兵:2012/04/24(火) 15:40:32.18 ID:???
日本史学会はまあ左寄りが多い
日本史から塩野七海婆のような勇ましい作家は出てこないだろうw
網野史観が入ってきてだいぶ空気の強張りは無くなったけど
38名無し三等兵:2012/04/24(火) 16:49:21.38 ID:???

古代は、剣、槍、弓、攻城塔が兵種だったけど、
現代は、銃、戦車、榴弾、ミサイルなわけで、
射程が10倍以上になってるから、
現代においてはどういう風に戦術を考えればいいんだろう。

単純に、攻城塔=ミサイルで考えて良いんだろうか。
他にもっと上手い考え方はないだろうか。
39名無し三等兵:2012/04/24(火) 16:57:25.48 ID:???

そういえば、天智天皇が西日本に作りまくった城砦群は、
戦国時代の城と比べてどれくらいの性能をもっているんだろうか。
40名無し三等兵:2012/04/24(火) 17:32:49.00 ID:???
>>35
当時の資料でどうかかれていたのかすら知らないで左翼左翼叫んでいるキチガイ乙
41名無し三等兵:2012/04/24(火) 17:48:46.70 ID:???
なぜ攻城塔がミサイル?
42名無し三等兵:2012/04/24(火) 17:49:20.24 ID:eboKLB76
>>39

朝鮮式山城だが、当時の日本軍はゲリラ的な戦いができそうにないので、
城塞そのものはそれなりの防御力があっても、軍隊が遊撃戦や籠城戦の訓練をしていない状態では
きつかったと思う。
43名無し三等兵:2012/04/24(火) 20:43:31.89 ID:???
>>35
「王家は皇室より劣る」という発想自体が中華思想丸出しじゃん。愛国者なのにそれでいいの?
44名無し三等兵:2012/04/24(火) 22:20:29.92 ID:???
>>37
たしかに日本史の古代・中世史は酷い

45名無し三等兵:2012/04/24(火) 22:33:17.77 ID:???
>>40
ソースは?
46名無し三等兵:2012/04/24(火) 22:34:35.57 ID:???
>>42
水際防御陣地としては水城はなかなかのものでは?
47名無し三等兵:2012/04/24(火) 22:39:57.70 ID:???
>>43
んー、王家だったら実権が無くなった辺りで立ち消えになっちゃうけど、象徴天皇に至るまで生き残れたのは機能が違うからだとか、そういう話がしたいんでない?
中華皇帝の方が王家なのはそういう意味で正しいがと。
48名無し三等兵:2012/04/25(水) 00:25:01.11 ID:???
>>44
スレ違いだけど、国分寺に行けば風呂にも入れたし、
荘園に囲われたりして安い年貢のほうを選んだり、
男が生まれても女で届出して
軽い年貢を選んで戸籍制度を役立たずにしたり、
墾田永年私財法までは田んぼ捨てて逃げ出したり、
年貢払うのが嫌だから猫も杓子も坊主(私度僧)になったりと。

庶民もまあ結構散々やってるはずだけどな。

あまつさえ軍隊制度も崩壊して、必要なときだけ徴集するありさまだったのでは。
49名無し三等兵:2012/04/25(水) 01:45:22.20 ID:???
西洋ヨーロッパとかも含めて語りたいんだけど、
ココでいいの?、他に相応しいスレがあるなら移住したいが
50名無し三等兵:2012/04/25(水) 02:31:35.71 ID:???
>>49
西洋ヨーロッパの何を語りたいの?
51名無し三等兵:2012/04/25(水) 05:32:47.98 ID:aYjgcvVG
>>46

水城の防御力については議論したい。
52名無し三等兵:2012/04/25(水) 06:09:00.44 ID:???
もともと西洋も含めたスレだろココ
53名無し三等兵:2012/04/25(水) 08:20:15.36 ID:???
>>50
西洋中世時代の穀物生産量や社会制度、おおよそ人口とか
そこからどの様に兵力を捻出してるのかとか。
兵器の進捗については疎いから、そういう所から軍事を語りたいんだが
54名無し三等兵:2012/04/25(水) 08:36:31.97 ID:aYjgcvVG
古代ギリシアの重装歩兵と、古代日本のしょぼい歩兵をいっしょくたに語るのはしんどい。
55名無し三等兵:2012/04/25(水) 10:44:09.95 ID:???
それを言ったらケルトやゲルマンの下っぱは鎧も着けずに染料で体を塗りたくり狂乱状態なのだが…
バイキングはキノコ食べてラリッて戦ってるし…
56名無し三等兵:2012/04/25(水) 11:21:02.16 ID:???
ギリシャの歩兵なんか重装なのは上だけで、下はフルチンだったそうじゃないか
57名無し三等兵:2012/04/25(水) 11:35:11.13 ID:???
ギリシャは平地決戦は異常に進歩してたけど攻城戦はどうだったの?
ペリクレスが決戦回避戦略をとったときにスパルタが攻めあぐねてたけど、攻め手の具体的な戦術がよくわからん
58名無し三等兵:2012/04/25(水) 12:11:15.50 ID:???
>>57
攻城塔や破城槌が広まるのはヘレニズム期からで、それ以前は攻城兵器の類が無かったので力押ししかない。当然損害が大きいので嫌われ、兵糧攻めに始終するのが殆ど。
だがこれは攻める方にも大きな負担がかかるので、奇襲や内応が無ければ成功する確率は低かった。
59名無し三等兵:2012/04/25(水) 13:28:47.35 ID:???
攻城塔はアッシリアの時代からあるそうだから
ギリシャ世界にはオリエント征服でもたらされたってことなのか。
60名無し三等兵:2012/04/25(水) 13:36:06.39 ID:aYjgcvVG
>>46


時代は下るが大宰府は藤原純友にあっさり占領されているからなあ。

外敵に耐えられる造りだったか疑問。
61名無し三等兵:2012/04/25(水) 13:51:46.18 ID:???
>53
中公文庫の歴史書だったか、ユグ・カペーなるフランス王室の祖になる男が
600人もの「前代未聞の大兵力」を集めた為、敵対していた貴族連合が大恐慌
におちいったとかなんとか・・・て記述があったな。
62名無し三等兵:2012/04/25(水) 16:06:02.40 ID:???
>>53
ココは軍事板だしねぇ。
自分がわかってるのは中世の一時期はイングランドでワインが大規模に醸造出来る位に温暖だったコトかな?
この温暖化により人口爆発が起きヴァイキングの活動や十字軍が起きたとも言われてる。
63名無し三等兵:2012/04/25(水) 16:11:26.62 ID:???
>>59
ギリシャ人のなかで一番最初に使ったのはシチリア島のシラクサで、これは恐らくカルタゴとの接触からもたらされた物。
でも広く使われるようになるのはやはりアレクサンドロスの東征後。
64名無し三等兵:2012/04/25(水) 16:14:10.90 ID:???
中世欧州と一口で言っても、日本で言えば飛鳥時代から室町時代に渡る非常に広範囲な区分なので簡単にまとめられる筈がないよね
65名無し三等兵:2012/04/25(水) 20:01:04.96 ID:???
>>61

スパルタ陸軍がペルシア軍と戦ったときは
100人くらいではなかったか?
66名無し三等兵:2012/04/25(水) 20:33:08.33 ID:???
>>63
カルタゴの攻城兵器はフェニキア本土譲りか。
やっぱギリシャよりオリエントの方が進んでたんだね。

よくペルシアのことバルバロイとか言えたもんだ。
67名無し三等兵:2012/04/25(水) 20:37:44.51 ID:???
15世紀前半のイングランド対仏遠征軍
1415年 10,435名
1417年 10,809名
1418年  2,000名
1420年  1,275名
1421年 4,100名
1422年  1,079名
1423年  1,520名
1424年   568名
1424年  1,641名
1425年  1,396名
1426年   800名
1427年  1,200名
1428年  2,694名
1429年  1,000名
1429年   800名
1430年  3,199名
1430年  4,792名 
1431年  2,649名 
1431年   799名
1432年  1220名
68名無し三等兵:2012/04/25(水) 20:51:10.28 ID:???
1433年 1,110名
1434年  920名
1434年 1,168名
1435年 1,987名
1436年 1,745名
1436年 1,981名
1437年 2,076名
1438年 1,646名
1439年  963名
1440年 2,081名
1441年 3,798名
1442年 2,500名
1443年 4,549名
1444年  400名
1448年 1,000名(?)
1449年  563名
1450年 2,635名
1450年  400名
ソース 確かこれ Illustrated Atlas Warfare The Middle Ages 768-1487
69名無し三等兵:2012/04/25(水) 21:35:00.33 ID:???
15世紀前半って、14世紀の飢饉や黒死病からまだ立ち直ってないのに
これだけ派兵したんだな。
70名無し三等兵:2012/04/25(水) 21:58:36.26 ID:???
>>53
兵站・補給スレの方が良いかもよ。
71名無し三等兵:2012/04/25(水) 23:05:36.57 ID:???
67,68の数字はイングランド行政府が予算を付けた兵士で、
諸侯が勝手に連れていったものや、現地封建軍は含めない数字。
また、全員が戦闘員(メンアットアームスとアーチャー)で構成されていて、
非戦闘員は含まれていない。
一部詳細なものだと
1417年 10,809名(装甲兵2,221名、射手7,794名+近衛兵)
1428年  2,694名(装甲兵444名、射手2250名)
1437年  2,076名(装甲兵299名、射手1,777名)
1441年  3,698名(装甲兵801名、射手2,997名)
1443年  4,549名(装甲兵600名、射手3,949名)
1449年   563名(装甲兵55名、 射手508名)
1450年  2,635名(装甲兵255名、射手2,380名)
72名無し三等兵:2012/04/26(木) 00:54:36.98 ID:???
思ったんだが、これだけの射手を支える弓の素材って何なんだ
百年戦争の遠征組ってウェールズやスコットランド(主に下部のローランド)
から射手調達したらしいけど
73名無し三等兵:2012/04/26(木) 05:12:54.35 ID:???
>>72
ロングボウは、確かイチイの木製
74名無し三等兵:2012/04/26(木) 07:34:35.33 ID:???
>>72
ロングボウの素材はイチイ。心材と辺材の固さが違うので、天然の複合弓のような働きをしたらしい。

ちなみにイチイは、14世紀エドワード三世の時代に不足して、イタリアなどから輸入するようになった。


あと、射手の供給源は14世紀の初めはともかく、百年戦争全般はイングランド全土から集められている。
75名無し三等兵:2012/04/26(木) 11:35:51.58 ID:???
フランスだと中世後期に始まった「農業革命」で森林資源が枯渇したらしいけど
14世紀に不足したって事は、似たようなことがイングランドでもあったのかな。イチイって成長遅いって聞くけど。
もしくはエドワード1世のフランスやウェールズ、スコットランドに対する戦没が影響したとか?
76名無し三等兵:2012/04/26(木) 11:39:33.77 ID:???
実際イチイはもうイングランドで枯渇しちゃってる
77名無し三等兵:2012/04/26(木) 13:45:51.39 ID:???
北日本に自生するイチイ(オンコ)も、アイヌが弓材に使っていたそうだ。
弾力があるんだろうな。
むかし祖父母の家の庭に植わってたから、よく実を採って食べてた。
78名無し三等兵:2012/04/26(木) 14:33:22.75 ID:???
本州にも古代からイチイは自生してたみたいだけど
和弓の素材は真竹と黄櫨だよね。使われなかった理由はなんだろ。
79名無し三等兵:2012/04/26(木) 15:03:34.76 ID:???
>>78
ハゼノキが日本に伝わったのは安土桃山の末期で
ろうそく用の油を取るためだったとWikipediaには書かれてる
弓への適性のある栽培植物というのがポイントだったんじゃね?

そして古代から丸木弓によく使われたイヌガヤは
分類次第ではイチイ科になるそうで、つまりイチイと似たようなものなんじゃないかと
で、これじゃ張力と威力のバランス・効率が悪いんで
竹と合わせ、更には竹をカーボンファイバー化して改良していったのが日本
効率なんか知らん、強く張ればそれなりに強いだろって開き直ったのが英国土人
80名無し三等兵:2012/04/26(木) 15:13:01.67 ID:???
イチイの実はおいしいけど、種を噛み砕くと
アルカロイド毒で死ぬので注意しよう
81名無し三等兵:2012/04/26(木) 15:14:44.74 ID:???
どこにでも生えてる竹で作れる日本の弓の方が
大量消費される兵器としてすぐれてるな
82名無し三等兵:2012/04/26(木) 15:53:32.69 ID:???
しかも竹の用途の広さは異常。枯渇の心配もないし。
83名無し三等兵:2012/04/26(木) 16:24:16.67 ID:???
竹は気がついたら塀とか超えてというか潜って広がりまくって邪魔
84名無し三等兵:2012/04/26(木) 16:49:41.99 ID:???
竹は耕作地をものすごい勢いで侵食するけど
中世の庶民にとってはどんな扱いだったんだろ
85名無し三等兵:2012/04/26(木) 16:59:24.61 ID:???
バンバン利用して伐採してるから問題にならなかったんじゃね
86名無し三等兵:2012/04/26(木) 17:10:51.49 ID:???
日本だけでなくインドとか東南アジアとか
竹が多い国はやっぱり竹を弓の素材として活用してるね。
構造の違いはあれどいずれも長弓という点も共通してる。
尤も中国はモンゴル式の角弓を使ってたみたいだが。
87名無し三等兵:2012/04/26(木) 17:32:09.33 ID:???
まあ竹みたいなものがあれば、弓を作ってみたくなるのが人情。
88名無し三等兵:2012/04/26(木) 18:58:32.05 ID:???
>>86
中国でも北と南で弓の素材が違ってたりとかはないのかな?
89名無し三等兵:2012/04/26(木) 19:11:33.30 ID:???
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2177125/1289272
中国で伝統的な弓を作ってる職人さんだそうだが
素材は竹と木だそうだから日本と変わらんな
90名無し三等兵:2012/04/26(木) 19:14:10.73 ID:???
ああ、よく読んだら、牛の腱を接着してるんだな
それと満州族だから北方の遊牧民族系か

でも北の人でも竹も弓に使うんだね
91名無し三等兵:2012/04/26(木) 19:56:26.90 ID:???
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku265.htm

長弓の分布とか色々と興味深い。あと『清水寺縁起絵巻』は永正年間のものだから
平安時代の風俗としては参考にならないけど
蝦夷軍が半弓を使うように描かれているのが面白いな。
92名無し三等兵:2012/04/26(木) 20:16:43.07 ID:???
>>91
おおおお、素晴らしい。
よくぞ見つけてくれた。

http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-10.gif

これだ、これが見たかったのだ。
93名無し三等兵:2012/04/26(木) 21:42:13.28 ID:???
>>82
なんにでも使えちゃう分、消費も激しかったみたいよ
盛本昌広『軍需物資から見た戦国合戦』によれば、
後北条氏や長宗我部氏は、指定した竹やぶで勝手に伐採したりたけのこを取ること禁止してた
伐採規制を行なって竹やぶも育成はかってたみたいね
94名無し三等兵:2012/04/26(木) 22:07:09.24 ID:???
戦国日本の消費量恐るべしだな。

朝鮮の役のときの竹束は現地調達だっけ?
他にも倭城の防備なんかにも竹材を使っただろうし
あっちの乏しい竹林伐採しつくしたかな?
95名無し三等兵:2012/04/26(木) 22:33:34.77 ID:???
それが今じゃ厄介者扱いなんだよな
96名無し三等兵:2012/04/26(木) 22:39:02.48 ID:???
水筒によし!煮炊きや弁当箱にもなるし!纏めれば盾になるし!
槍にも弓にもなるし!筍は食べられるし!
40日で成長が完了するし!
最強の自然資源だね
97名無し三等兵:2012/04/27(金) 04:12:54.39 ID:???

>>95 戦後日本は、木材も自給できなくなったね、価格で負けたから
おかげで、日本中で森林がピンチ

98名無し三等兵:2012/04/27(金) 07:04:39.19 ID:???
中世日本の寄親寄子制と、
中世西洋の騎士と従者制度の違いが今一判らない
これ違いってあるのか?

両方、領主経営力に比例して兵力を拠出する当たり似てると思うんだが
99名無し三等兵:2012/04/27(金) 09:23:04.63 ID:???
>>97
中国がレアメタルでやってるのと、まったく同じ状況だと思うけどね。<国内の木材
100名無し三等兵:2012/04/27(金) 09:29:19.21 ID:???
手入れが行き届かないと商品価値が高い木はそだたないが
日本は土壌豊かで降雨量が多いので放っておくと森林になる

とはいえ九州あたりじゃ、最近山の木を根こそぎ切って
売り払い禿山にしまうという朝鮮人見たいなやり方をしてる
と聞くが大丈夫なのだろうか
101名無し三等兵:2012/04/27(金) 11:03:19.46 ID:???
国内の林業は担い手が少なすぎるためにピンチになってる
102名無し三等兵:2012/04/27(金) 11:13:29.98 ID:???
禿山は朝鮮だけと思ってるやつが多いが、日本も中世から近代にかけて禿山がたくさんあった
というか世界的にそうなんだな
日本の山が今のように森に覆われる姿が当たり前になったのは明治以降の大植林政策によるところが大きい
現在はむしろ木材需要の大幅減少のため空前の林地率だったりする
103名無し三等兵:2012/04/27(金) 16:04:14.46 ID:???
伐採しすぎたからはげ山になって、外国木材に勝てなくなったからあちこち手入れされて無くて…と。
国家百年の計って大事ね
104名無し三等兵:2012/04/27(金) 16:51:15.64 ID:???
室町時代には既に神社仏閣周辺をはじめとして植林が行われてたっていうけど?
105名無し三等兵:2012/04/27(金) 17:20:03.02 ID:???
人間社会のスピードが上がって植林とかじゃ間に合わんようになってしまったのだよ
106名無し三等兵:2012/04/27(金) 17:42:26.19 ID:???
いわゆるひとつのコモンズの悲劇
107名無し三等兵:2012/04/27(金) 17:49:45.40 ID:???
戦国時代は建設ラッシュと鍛冶ブームのおかげで
とにかく山林が切り払われた
108名無し三等兵:2012/04/27(金) 18:03:50.13 ID:???
戦争は金ばかりかかって空しいものだなあ
109名無し三等兵:2012/04/27(金) 19:10:57.67 ID:???
金属資源は戦後に拾い集められる分リサイクル率高いだろうけど
森林資源はどうにもならんもんな。
110名無し三等兵:2012/04/27(金) 19:13:49.00 ID:???
もののけ姫の世界だなあ。
それでも森林が消えてしまった中国やヨーロッパのようにならなかったのは、高温多湿の気候のせいかな。
111名無し三等兵:2012/04/27(金) 20:53:52.29 ID:???
フィリピンの南にミンダナオ島というでかい島がある。その中心都市ダバオから車で6時間くらいかけて
北方の山間部に入っていくと、ハゲ山に出くわす。現地の人が曰く、マホガニーの森が延々と続い
ていたがアメリカ人がすべて持っていった。いまは低木と草しか生えていない。

山間部に入る前くらいにバナナプランテーションがしばらく続くがこれは米国企業の資本である。
112名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:05:15.22 ID:???
>>55
ケルト人はただラリってるだけの後進地域じゃないぞ。
カエサルがブリテン島に侵攻したときなんか、戦車を使った竜騎兵みたいな兵科を駆使してローマ軍を翻弄してる。
ガリアのケルト人も金持ちはローマ軍団兵並みの装備だし、鉄の加工にも長けてて金も持ってる。
奴らが弱いのは、部族間対立が激しかったせいだ。
実際、ウェキンゲトリクスがガリアを纏め上げたらカエサルすら追い詰めたし。
113名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:14:28.63 ID:???

>>99 なんのことだ?

>>103 間伐も枝打ちも出来てないから、
木は細くて何にも使えないわ、
日光を遮ってるから下の土壌が貧困になってるわ、
坂に生えてたりしたら、根っこが浅いから土砂崩れの恐れがある
のが日本全国の現状ってことなんだが

>>110 「文明崩壊」の日本の章に詳しいが、
江戸時代初期の日本でも森林全滅の危機にあった。
そこで、幕府など行政が徹底した管理を行ったから、
森林が回復した。木を無断で切ったら死刑だったかな。

上下巻のなかで日本の章だけが唯一の救いの章。
イースター島なんか木が無くなって、食人が横行するところまでいった。
114名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:14:29.64 ID:???
ヨーロッパの様な中世の爆発的人口の増加を経験してなかったから、耕作地の拡大がゆっくりだったのも大きいらしい
フランスだと10世紀で700〜900万の人口が、13世紀末には1200〜1500万まで一気に増加してる。
それの人口を補う為の、カトリック教会の組織的な大規模開発入植、農具や生産物、農法(二圃制から三圃制への以降)の劇的な改良。
これで、森林資源の20%は消失したらしい。
ただ1315〜1317年の大飢饉、1347〜1950年の黒死病で、人間の生活圏が狭まると
森林は一時期だいぶ回復したらしいけど、産業革命でトドメ喰らった。

日本は人口の爆発的な増加が、まだはっきりと認められてないし、耕作地の拡大が緩やかだったのかも知れん
農法の劇的な進化がなかった部分も重要かな。
治金技術だとは、石見銀山を代表する「灰吹き方」とか進歩があるけど、農作物生産量には殆ど活かされなかったし
中世期は国人衆の小規模開発が続いて組織的な森林伐採が行われなかったのと、
高温多湿故に、耕地開発だと「灌漑」を中心に行われたのも、森林資源が保護された理由
115114:2012/04/27(金) 21:15:34.01 ID:???
>>110へのレスです
116名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:18:25.03 ID:???
>>110

あと、火山の噴火で定期的に養分が補充されるのも大きい。
南米のジャングル等はそれが無いから、木が伐採されると一緒に養分も
無くなっちゃうから植林が難しいそうな。
(焼き畑みたいに灰として残ってりゃねぇ。。。)
117名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:31:47.04 ID:???
>>114
日本の場合、戦国時代が終わったんで
落ち着いて土地に手を入れることが可能になったのと
田畑に転用しづらく木を植えても構わない山地が多かったてのが大きいかと
118114:2012/04/27(金) 21:33:15.67 ID:???
×1347〜1950年の黒死病で、人間の生活圏が狭まると
○1347〜1350年の黒死病で、人間の生活圏が狭まると
推敲してなかったスマン
119名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:53:22.53 ID:???
日本の人口は江戸時代を通してほぼ2倍に増加していのだが。
120名無し三等兵:2012/04/27(金) 21:59:12.98 ID:???
ガリア人の築いた土の防壁はローマ人の攻城兵器に対して
耐性を示したとかあるみたいだな。

投石機だの破城槌だのは石積みの壁には強いだろうが、土に対して使っても
かなり衝撃を吸収されるし。
121名無し三等兵:2012/04/27(金) 22:12:53.94 ID:???
一番でかいのは日本の森林はほとんど山地にあるということ。
平地の森林だとあっという間に無くなっただろう。
山は何をするにしても厳しい土地だから手を付けにくかった。
122名無し三等兵:2012/04/27(金) 22:21:09.59 ID:???
>>119
江戸期の人口増加は、農業技術の急速な発展や、大規模干拓事業による農地拡大などの功績が大きいよ。

江戸期までに、大規模な土木事業抜きで開発できる場所は、あらかた農地化されていたから。
123名無し三等兵:2012/04/28(土) 00:28:59.29 ID:???
>>120
航空写真や、発掘調査から判明してるけど
投石機だの破城槌が余り見られなくなった9世紀前後は
西洋の領主館は殆ど土壁だからなぁ。それで事足りたんだろう。

石造りの建築物って殆ど修道院とか、あってもよほどの重要拠点だけなんだよな
しかも、中世中期までは大量に石を使用する「ロマネスク様式」「初期ゴシック様式」。
124名無し三等兵:2012/04/28(土) 03:15:18.15 ID:???
調べもしないでてきとーのことを書くやつが多いな
125名無し三等兵:2012/04/28(土) 03:21:52.92 ID:???
たとえばどれ?
126名無し三等兵:2012/04/28(土) 07:56:18.82 ID:???
>>124
そういうのは具体的に指摘したほうがいいぞ。
あんたも書き逃げだと思われるし。
127名無し三等兵:2012/04/28(土) 11:50:11.24 ID:???
幕府が保護したのは建材などに使う特定の林地
これは乱伐すると建物が作れなくなるので勝手には切れなかったし、金になる木は藩が押さえて積極的に植林も行われた
中世の木材需要は主に建築、製陶、冶金、薪炭
しかし幕末に近づくにつれ財政がカネコマになってくると御林でも保護による回復力以上に切らざるをえなくなってくる地域が増えていった
例えば津軽の白神山地などは使える木が減りすぎて山奥の高地まで伐採が進んでしまった

御林を切らせてほしいという要望は、資源が木ぐらいしかない奥地ほど深刻だった
幕府の思惑で整備されていた街道は今日的な公金投入による公共事業と違って地域の自弁で維持していたので、沿道の山林は宿場のために使われて丸刈りに近い状況だった

薪炭や芝刈りなど庶民が生活に使う平地に近い山間林地は入会地と呼ばれ、ガンガン切られた
今では殆ど残っていないが、地方では食料生産として山地の焼畑による粗放栽培が全国的に行われていた
もちろんこれらの生活需要とはいえ野放図に全伐したら生活できなくなるので、広大な山地を輪番で切る仕組みができあがっていった
現代的な感覚では人口は平地に密集するものという固定観念があるが、近代以前は意外に思うほど山間の人口が多かった
これは平地には生活に必要な林地が少なく、平地に近い山間部の方が食糧調達に困らなかったことと、平地の木材需要が山地の生活者を後押ししていたため

それでも日本の森林が消えていないのは恵まれた気候のおかげによるところが大きい
128名無し三等兵:2012/04/28(土) 17:26:08.26 ID:???
いまでも山の木を5年間隔ぐらいで伐採して、椎茸のボタ木にしたりする
クヌギとかは成長が早いんで、切り株から再生して、次までに元通りになる
129名無し三等兵:2012/04/28(土) 17:28:45.98 ID:???
ちなみに中国から降ってくる黄砂は
火山灰同様土壌を豊にして
森林再生の原動力になるんだぜ
これが無いオーストリアとかイースター島は砂漠化した
本当は黄砂対策名目で中国に金払う必要がないんだぜ
130名無し三等兵:2012/04/28(土) 17:29:41.67 ID:???
おっとオーストラリアの間違い
イギリスから流されてきた連中が
本国の感覚で農業やって砂漠にしちゃった
131名無し三等兵:2012/04/28(土) 17:31:49.24 ID:???
>>128
本題と関係ないが「ボタ木」なんて言う地方があるのか?
うちの田舎じゃ「ほだぎ」って言ってるが。
132名無し三等兵:2012/04/28(土) 17:43:57.64 ID:???
>>131
俺自身は山の人じゃないのできき齧りのうろ覚えだ。
ほだぎが正しいと思う
133名無し三等兵:2012/04/28(土) 18:11:14.90 ID:???
了解した。確かにクヌギとかは成長早いよな。
うちの県で山火事があったところを今までのような針葉樹じゃなくて
雑木を植樹しまくったんだがすぐにいっぱしの山林になったよ。
134名無し三等兵:2012/04/28(土) 18:33:36.56 ID:???
中世日本で作られた掻楯ってのは決まった特定の木材で作られたんだろうか?
板塀にでもするような建材をそのまま流用して作るだけかな?
135名無し三等兵:2012/04/28(土) 18:43:45.23 ID:???
>>133
雑木林はほんとうに早い。材木として使えるような木じゃないので、商業価値は
ないから、昔はこんな植林するのはありえなかった。

なので、手入れしないとダメな木を植えて、採算が合わないからってことで
放置されて山荒れになったわけだけど。
136名無し三等兵:2012/04/28(土) 19:38:12.94 ID:???
黄砂が肥料になるから砂漠化対策は必要ないとか頭おかしいんじゃないか
オーストラリアが砂漠化したのは黄砂がないせいとか、狂ってるとしか思えないw
137名無し三等兵:2012/04/28(土) 19:41:56.38 ID:???
人間が居なくなれば立地がいいところを占めてる都市はすぐ森になる
138名無し三等兵:2012/04/28(土) 19:45:13.29 ID:???
>>136
これも上で出ててた『文明崩壊』に書いてあることだよ
ジャレドダイアモンドらしい読みやすい本だからよんでみるといい
139名無し三等兵:2012/04/28(土) 20:08:37.34 ID:???
あの本の日本に関する記述は眉唾な気が
少なくとも英訳されたソースしか当たってないはずだし
140名無し三等兵:2012/04/28(土) 20:11:33.50 ID:???
砂漠化は表土の流出によって起こることで
黄砂は中国の表土が剥がれて降ってくるんだから
理屈としては理解できる
141名無し三等兵:2012/04/28(土) 20:38:31.92 ID:???
黄砂は洗車した翌日とかにどっさり積もってると涙目になる
142名無し三等兵:2012/04/28(土) 21:14:03.06 ID:???
トンデモ本宣伝すんな
143名無し三等兵:2012/04/28(土) 21:23:49.33 ID:???
E・H・カーが「歴史とは何か」でやっちゃいけないって言ってた
「故意の主観による史実の選択」をストレートど真ん中でやってるトンデモ本が持ち上げられるのがいまの日本だからな・・・
史料批判?何それ?ってスタイルの人が多いこと…
144名無し三等兵:2012/04/28(土) 21:36:25.94 ID:???
まあヨーロッパや中国では森林資源が減少したせいで石炭を活用するようになり、更にヨーロッパでは
そこから発展して蒸気機関のエネルギーとして使う事で産業革命に繋がった訳で、皮肉ではある。
145名無し三等兵:2012/04/28(土) 22:24:45.86 ID:???
wikipediaにいくつか出典付きで記述があるね>黄砂の利益
メリットよりデメリットの方が遥かに多い気はするけど
146名無し三等兵:2012/04/28(土) 22:45:08.14 ID:???
ジャレド・ダイアモンドの本は、恣意的に都合の悪い事実を見逃したり
自説で説明できない地域を無視するきらいがあるのでなんとも。
147名無し三等兵:2012/04/28(土) 23:13:13.01 ID:???
銃鉄病原菌しか読んでないけど、視点は面白いけど個別の事例を見ると雑な感じした
148名無し三等兵:2012/04/29(日) 00:01:49.46 ID:???
>>127
日本の山間人口の多さは、農業利水のためだろ
平野部で水田が大々的に作れるようになったのなんて、平和になって、灌漑治水技術が飛躍的に向上した近世以降なんだし
それ以前の稲作なんて、山間部の流水を引きこんで給水するしかなかった
そんなだから武田とか、今の感覚だと山奥の僻地が本拠地の勢力が強力だったりしたんだし
149名無し三等兵:2012/04/29(日) 00:07:44.45 ID:???
栄養ってのは多過ぎても良くないからな
例としては赤潮とか巨大エチゼンクラゲの大量発生とかメタボとか
150名無し三等兵:2012/04/29(日) 00:48:01.38 ID:???
話し折って悪いが
日本で火縄銃が休息した理由って何なの?
携行火器って14世紀のイタリアでは既に使われているみたいだけど、
3兵戦術として、ヨーロッパの主戦力として扱われるのは
マウリッツの軍制改革16世紀までで、2世紀も間があるんだけど
日本は40年で日本何処でも銃が生産されてたよね
151名無し三等兵:2012/04/29(日) 01:11:32.03 ID:???
オスマントルコは15世紀には銃を主力としてブイブイ言ってる
単にヨーロッパが後進国で、ヤラセの戦争ごっこの時期だったからじゃね
152名無し三等兵:2012/04/29(日) 01:31:53.54 ID:???
>>150
初期の銃は性能が悪くて、実戦投入にはほど遠い代物だったけど
16世紀ころになると、実戦で大いに役立つレベルに進化して
ちょうどその時代に謂わば最新版のモノが日本に伝わったからじゃない?
元寇の頃の震天雷は結局日本では普及しなかったし。
153名無し三等兵:2012/04/29(日) 01:33:31.06 ID:???
×休息
○急速に発展した
撃ち間違いスマン
154名無し三等兵:2012/04/29(日) 02:36:11.83 ID:???
西欧人が東アジアに到達してヨーロッパの技術が輸入されたってだけでしょ
その後日本で前装銃が大きく進化したかというと幕末まで火縄銃のままいっちゃうし
火薬の原料も輸入に頼った
155名無し三等兵:2012/04/29(日) 04:22:06.41 ID:???

>>150 古代日本も青銅器時代はほんのわずかで、
あっという間に鉄器時代に替わったんだったな。
156名無し三等兵:2012/04/29(日) 04:24:15.55 ID:dOGXPnpq
梅雨の間は鉄砲が使いにくかったわけだが
(篭城している側が城内から鉄砲を撃つ場合を除く)
かといって信長軍の動きが梅雨の間は悪くなるってことはあまりなかったんだよね。
157名無し三等兵:2012/04/29(日) 04:26:01.63 ID:???
そういえば山間から平野へというスレの流れがあったけど、鉄砲の普及もそれに加担しているよね。
山城から水濠を利用した平城へと。
防御側にとっては、攻撃側に遮蔽物を与えない構造が有利だしね。
158煮魚 (⌒▽⌒) ◆RPZierT17. :2012/04/29(日) 04:44:49.86 ID:???
三層甲板戦列艦。
159(⌒▽⌒)煮魚 ◆RPZierT17. :2012/04/29(日) 05:14:41.24 ID:???
昔、NHKで偉い先生が大阪夏の夏の陣、冬の陣の頃には
日本の鉄砲総生産数が90万丁もあったと言っていたが。

それだったら槍を持つ兵士が居なくなり日本の武士が
全員鉄砲を持っていても不思議ではないと思うが、
そうでは無かったみたいだね。
160名無し三等兵:2012/04/29(日) 05:23:58.54 ID:dOGXPnpq
>>159

それでは白兵戦ができないし、雨天の野戦ができない。

161(⌒▽⌒)煮魚 ◆RPZierT17. :2012/04/29(日) 05:31:13.95 ID:???
当時の日本の総兵力考えると90万丁はうそ臭くね?
武士一人に付き3〜4丁の火縄銃がある計算になるが。
162名無し三等兵:2012/04/29(日) 05:33:16.75 ID:???
鉄砲撃ちは足軽だろ
要は農民
163(⌒▽⌒)煮魚 ◆RPZierT17. :2012/04/29(日) 05:36:56.33 ID:???
刀狩のあとは足軽は農民では無くね?
兵農分離して刀狩のあとでも農民が
火縄銃を大量に持っていたのだろうか?
164名無し三等兵:2012/04/29(日) 06:18:03.69 ID:mapL+ai2
なんか、戦国日本の鉄砲保有数が南京大虐殺の死者数みたいに増えていくなw

165名無し三等兵:2012/04/29(日) 06:56:16.85 ID:???
ageてる馬鹿は何なの
166名無し三等兵:2012/04/29(日) 07:46:59.46 ID:???
大阪の陣のころだと武将が持筒を使用していたし
もちろん鉄砲足軽も大量にいた。
百姓に対しては鳥獣に対する鉄砲使用のお触れなども出ていたはず。

ただ、九十万丁にどれだけの根拠があるのか。
167名無し三等兵:2012/04/29(日) 08:04:50.74 ID:???
>>144
実は蒸気機関が木材より費用面で優位にたつのはだいぶ後何だよな
コスパだけなら水車に勝てなかった
蒸気機関のすごかったところは労働力さえ炭鉱に投入すれば
ほぼ無尽蔵に調達できたこと
168名無し三等兵:2012/04/29(日) 08:20:50.82 ID:???
>>150
同じ鉄砲=前装式滑腔銃と言っても発達段階がかなり違うからな。これは文禄・慶長の役時の中華式銃

ttp://bohshi.fc2web.com/100528s-315.jpg
ttp://bohshi.fc2web.com/10korea05.html

いわゆるタッチホールというやつで狙って撃つというよりどちらかというと景気づけというか・・・

いっぽう日本の種子島銃は完成された瞬発式点火機構をもち、前装式滑腔銃としては世界最高レベルの命中率。

現在でも行われている国際的な前装銃射撃 (マズルローダーシューティング)競技大会でも
「しかしながら江戸時代の匠の業はすばらしく、その匠の手になる「瞬発式メカ」を備えた銃を携えた日本選手は、火縄銃競技に限れば毎回メダルを獲得するほどである。
また火縄銃競技に出場する欧米の選手の多くは、日本製または日本型レプリカの火縄銃を使用している。」
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BA%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC

発火方式はタッチホール->援発式火縄銃->瞬発式火縄銃 の順で進化。
以後西欧ではホイールロック(歯輪発火式)、フリントロック(火打石式)が登場するが個々の命中率では瞬発火縄式に劣る。

169名無し三等兵:2012/04/29(日) 09:59:29.34 ID:???
藤木尚志『刀狩り』によると
一五七四年、一五八〇年、一五八九年などに武蔵や相模では
特定の地域内で弓・鉄砲での鳥の狩猟を禁じているというから
結構早い段階で百姓の方にも鉄砲が行き渡ってたんだね。

170名無し三等兵:2012/04/29(日) 10:05:34.80 ID:???
藤木氏の『刀狩り』には多分十七世紀末のことだと思うがこんな数字も載っている。
この鉄砲は新規に作られて売られたのか、それとも戦乱の世が終わって払い下げられたものが
渡ったのかはわからんが、なかなかの数字ではあるな。

・塚本(塚本学氏)によれば、仙台藩の村々には三九八四挺、尾張藩の村々には
三○八○挺以上、紀州藩の村々にはじつに八○一三挺、長州藩の村々にも
四一五八挺の鉄砲があり、没収されたのはごくわずかであった。鉄砲改めといっても
、村の鉄砲をすべて没収しよう、という武装解除ではなかった。
171名無し三等兵:2012/04/29(日) 10:13:40.26 ID:???
江戸時代になってから作る方がどんどん減ってくんだから、戦国の中古品だろ
172名無し三等兵:2012/04/29(日) 10:30:12.69 ID:???
鉄砲なんて撃つだけで火薬の残留物で錆びるんだから、江戸時代の新品だよ。
数十万丁あったと言われる、戦国時代の鉄砲も現存品なんてまず無い。
173名無し三等兵:2012/04/29(日) 11:14:20.47 ID:???
基本的に実用品であり消耗品だからな。
174名無し三等兵:2012/04/29(日) 11:20:15.17 ID:???
そもそも、戦国時代に数十万挺の火縄銃があったって何がソースなんだ?まさか、N.Perrinの鉄砲をすてた日本人だけ?
175名無し三等兵:2012/04/29(日) 11:22:12.04 ID:???
そもそも戦国時代に数十万挺の火縄銃があったって何がソースなんだ?まさか、ペリンの鉄砲を捨てた日本人だけ?
176名無し三等兵:2012/04/29(日) 11:23:08.91 ID:mapL+ai2
間違って二回書いてしまった。
177名無し三等兵:2012/04/29(日) 11:28:15.19 ID:???
じゃあ今の鉄砲保存会はどうやって保管してるんだ
昔は整備用の油の入手も難しかったとか?
178名無し三等兵:2012/04/29(日) 11:30:39.40 ID:???
農村や山村に火縄銃が多数残された理由としては害獣駆除や毛皮を採るためだな。
イノシシ、熊、狼、鹿なんて火縄銃じゃなければキツイだろ。
179名無し三等兵:2012/04/29(日) 11:45:51.87 ID:???
総生産数90万挺はそんな非現実的な数じゃないとおもう。
鉄砲伝来1543年〜大阪夏の陣1615年。この間72年。
年間12500挺、日当たり35挺造れば90万挺イケる計算になる。
180名無し三等兵:2012/04/29(日) 11:47:26.68 ID:???
>>177
撃つたびに分解して底のネジ抜いて丸洗いしないと
あっという間にガビガビに錆びる。
昔は錆びたら銃身内の錆を削って穴を広げて、
銃身が火薬の爆発に耐えられなくなるくらい薄くなるまで使い倒したものらしい。
181名無し三等兵:2012/04/29(日) 12:05:35.86 ID:???
>>178
綱吉時代の元禄二年でさえ鳥獣相手に実弾を使うことが認められたくらいだしね。
182名無し三等兵:2012/04/29(日) 12:13:30.66 ID:???
>>180
火縄銃の底栓って抜けるように作られてるのか?
183名無し三等兵:2012/04/29(日) 12:25:18.01 ID:???
1615年の鉄砲総生産数が累計90万丁でも同時に使用可能だったわけじゃないだろう
184名無し三等兵:2012/04/29(日) 12:28:26.55 ID:???
>>182
日本最初のねじだし
ただ、相当きつく噛み合ってるわけだから、よっぽどしっかりした工具がないと尾栓の分解は困難かと
通常整備は水か薄めた酢を銃口から注いで金属ブラシやボロ布先につけた槊杖でこするだけだろ
火口の穴が開いてて完全閉鎖じゃないし、ちゃんと乾かせば水分が残る心配もないし
185名無し三等兵:2012/04/29(日) 12:29:02.79 ID:???
90万は行き過ぎだと思うが、大阪の陣に使われた分だけでも数万はありそうだから民生用も含めて普通に十数万は行くんじゃない
186名無し三等兵:2012/04/29(日) 15:14:51.19 ID:???
アルマダ迎撃でイングランド側が4〜5万梃の銃を用意しているが、
国力、人口でイングランドの数倍のスペインが数十万梃の銃を保有していても不思議じゃない。
ヨーロッパの銃の合計より日本の方が多かったなんて大嘘だろう。
187名無し三等兵:2012/04/29(日) 15:29:01.81 ID:???
輸出もされてるから生産された全てが国内に留まったわけではないし。

>>174
メンデス・ピントのお話じゃないのかな?
188名無し三等兵:2012/04/29(日) 16:53:25.04 ID:???
>>187
ピントがいたのは、16C前半で鉄砲が普及する前のはなしじゃないか?
189名無し三等兵:2012/04/29(日) 19:05:53.87 ID:???
>>155
ほんのわずかどころか、ほぼ同時期じゃね?
190名無し三等兵:2012/04/29(日) 19:27:52.69 ID:???
>>148
上杉(長尾)家もそうだよな
栃尾だの魚沼だの、現代の新潟県人からみて山にへばりついてるようなとこにしか暮らしていない
越後平野で農業できるようになったのが江戸時代中盤以降だから仕方ないけどさ
191名無し三等兵:2012/04/29(日) 19:44:02.20 ID:???
集団での運用に不向きな瞬発式使っていながら世界一の保有数ってなんだかな
まあポルトガル人が持ってきたのが瞬発式だったんだから仕方ないが
192名無し三等兵:2012/04/29(日) 20:15:47.99 ID:???
そもそも世界一の保有数ってのが根拠はないからなぁ
193名無し三等兵:2012/04/29(日) 22:24:29.65 ID:???
>>186
1978年に海外の学者さんが推定から出した結果だと
16世紀末期頃でブリテン島の総人口は600万人でスペイン「本国」の総人口は800万人ってなってる。

因みに同じ推定では日本列島の総人口は2000万人って結果が出てる。
日本については日本国内ではもう少し少なくて1200〜1500万人程度だったって説が有力みたいだが。
194名無し三等兵:2012/04/29(日) 22:52:20.85 ID:???
600万〜800万って日本が元寇食らってたころくらいの人口だな
195名無し三等兵:2012/04/29(日) 23:10:26.72 ID:???
1591年のイングランドの人口は推計391万人で、スペインは本国で確か800〜900万人、それにポルトガル、北イタリア、フランドル等もスペイン領なので1200〜1500万人くらいになる。

日本は1600年の人口は、2000万人てのは過剰で、1500万人くらいってのが主流だね
196名無し三等兵:2012/04/30(月) 01:00:57.48 ID:???
イングランドは1066年前後の人口なら「ドゥームズデイブック」で結構正確にわかるからな
フランスなんかは中世の人口はバラつき多い印象。
197名無し三等兵:2012/04/30(月) 02:05:14.75 ID:???

>>189 まあ、そこらへんは言葉のあやなんだ
198名無し三等兵:2012/04/30(月) 08:26:25.40 ID:???
>>189
一応僅かだが時差がある
青銅は鋳造がラクだから比較的はやく技術が定着したってのがあるし
199名無し三等兵:2012/04/30(月) 11:10:27.00 ID:???
移動: 案内, 検索
和銅(わどう)は、日本の元号のひとつで慶雲の後、霊亀の前。708年から715年までの期間を指す。この時代の天皇は女帝元明天皇である。

目次 [非表示]
1 改元
2 由来
3 和銅期におきた出来事
4 西暦との対照表
5 関連項目
6 外部リンク


改元 [編集]
慶雲5年1月11日(ユリウス暦708年2月7日)、和銅が献じられたことにより改元。
和銅8年9月2日(ユリウス暦715年10月3日)、霊亀に改元。
由来 [編集]
続日本紀卷四には、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市黒谷)から、和銅(ニギアカガネ)と呼ばれる銅塊が発見され朝廷に献上されたことを祝い、年号が慶雲から和銅に改められたと記されている


WIKIより。
その頃は日本で銅はみつかってなかったはず。
青銅器は朝鮮半島製
200名無し三等兵:2012/04/30(月) 11:43:40.42 ID:???
逆に言えば和銅になるまで銅が見つからなかったから鉄器が早く普及したってこと?
でも銅はその後は輸出品目のひとつになるほど盛んに産出してるよね
201名無し三等兵:2012/04/30(月) 12:27:48.29 ID:???
>>199
「和銅」は自然銅で、これは珍しいもの
普通の銅鉱は錫が混ざった最初から青銅状態なんよ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E9%8A%85#.E6.97.A5.E6.9C.AC
紀元前4〜1世紀なら輸入ぽいが、以降は国産化されてたようだぜ
202名無し三等兵:2012/04/30(月) 15:13:45.77 ID:???
日本最古の銅山と言われている長登銅山の開山が、7世紀後半から8世紀初頭とされているから、銅資源に関しては
かなり遅くまで輸入中心だったっぽいよ。


長登銅山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%99%BB%E9%8A%85%E5%B1%B1

>長登銅山は 7世紀末ないし8世紀初頭から銅を中心とした鉱物の産出を開始し、特に奈良時代には東大寺の大仏
>の銅として利用された可能性が高いことで名高い。
203名無し三等兵:2012/04/30(月) 18:21:49.82 ID:???
鉱石を見つけても朝鮮から精錬技術を導入する必要があったからねえ
204名無し三等兵:2012/04/30(月) 19:07:53.48 ID:???

出雲かどこかで大量に銅剣が見つかったんじゃなかったっけか。
あれは、そのころそのあたりに鉱山や技師がいたということじゃなかったのか。
205名無し三等兵:2012/04/30(月) 19:32:52.94 ID:???
出雲は朝鮮から鉱石か地金でも輸入してたってのが普通の考え方でないの?
206名無し三等兵:2012/04/30(月) 21:22:27.54 ID:???
鉱物資源は産地特定が余裕だし、多分調べれば調査結果でてると思う
207名無し三等兵:2012/04/30(月) 22:07:50.66 ID:???
荒神谷の銅剣に関しては含まれる鉛の同位体比分析から
その素材は中国華北産がほとんどという説があるけど。
208名無し三等兵:2012/05/01(火) 11:08:42.25 ID:???

>>207
半島は関係なかったのか。
当時、華北まで直接航海できたのか。
なんか啓蒙された気分だ。
209名無し三等兵:2012/05/01(火) 14:56:35.11 ID:???
スレで啓蒙なんかされてないで自分で学習しろ
ネット以外でだ
騙されやすいぞ、お前
210名無し三等兵:2012/05/01(火) 15:03:59.23 ID:???
211名無し三等兵:2012/05/01(火) 19:25:03.52 ID:???
207は嘘ってことか?
212名無し三等兵:2012/05/01(火) 21:34:55.86 ID:???
華北なんて紀元前から直接渡ってたぞ
古代人の航行技術甘く見すぎ
213名無し三等兵:2012/05/01(火) 21:50:25.78 ID:3MhKyMEw
取引されて渡ってきた素材という可能性もあるわな。
214名無し三等兵:2012/05/01(火) 21:55:16.88 ID:???
>>211
そこで人に聞くんじゃなくてさ、その気になれば大学の講義や図書館も解放してるんだし
史学部のある大学の研究紀要とかも国会図書館行けば見つかるんだから、自分の足で探しなよ。
「第2回日韓歴史共同研究報告書」も去年辺り出て地方の図書館でも入庫してるぞ(只、一人やけに右よりな教授いるけど)
215名無し三等兵:2012/05/01(火) 22:05:46.96 ID:???
日韓歴史共同研究w
216名無し三等兵:2012/05/01(火) 22:42:19.34 ID:???
ネットコピペの方が信じられるよなあw
217名無し三等兵:2012/05/01(火) 23:06:43.12 ID:???
華北から直接ってことないだろ朝鮮半島沿いに南下したはず
218名無し三等兵:2012/05/01(火) 23:16:35.20 ID:???
そういや、魏だか後漢の植民地だか直轄地が朝鮮半島にあったよな。
219名無し三等兵:2012/05/01(火) 23:53:54.34 ID:???
>>203みたいになんか朝鮮朝鮮うるさい人がいると思ったら
やっぱり日韓歴史共同研究か
220名無し三等兵:2012/05/02(水) 00:11:49.50 ID:???
劣等民族チョンが日本に何かを伝えたわけがないだろ。単に支那の技術の通り道になっただけ。
近代にいたるまで水車すら実用化出来なかった程度の知能なんだぞ?w
221名無し三等兵:2012/05/02(水) 02:01:10.19 ID:???
>>220
恥垢臭い
222名無し三等兵:2012/05/02(水) 02:09:18.29 ID:???
>>207
渤海とは同盟国だった高句麗滅亡後も国交続いてたからね
日本と北朝鮮から華北に掛けては昔から縁がある
223214:2012/05/02(水) 02:19:56.17 ID:???
>>219
やっぱりって何なんだよ。
俺は別に朝鮮びいきでも何でもないんだが。元々、専門はアメリカ奴隷史だし。
「日韓歴史共同研究」は今まで包括的な学壇の議論が行われていなかった
お互いに今まで水掛け論だった禁忌の議題を、本音で話し合ったことに意味があると思う。

今煽ってる>>219>>215人達には「当然報告書を読んだ」という前提で話し進めるけど、
日韓研究者達とも程度の差こそあれ話し合いは平行線だったが(特にお互いの国の教科書問題、日本統治時代の認識の違い)
全体的に、将来の歴史研究に向けた意義ある話し合いだったで、共同宣言が出ているんだがな。

古代〜中世の章に関しては、前方後円墳の日本からの韓国の伝播の経緯、それと伴う日朝交易の実態、
任那伽耶、特に金官伽耶の倭国の影響力や主権に関して、かなり実のある議論がされていた

歴史認識ってのは豊富な文化的、物質的な史料を多く使い、あらゆる可能性に客観的に分析することで成り立つもの。、
これらを放棄して、意図的に抽出されたネットの恣意的な情報に傾聴して
なおかつこれが「史実」だという認識で周り吹聴するのは、
世界で90年代の民族意識の過激化が多くの悲劇をだした事を例に出すまでもなく、危険な行為だと思うんだけど。
224名無し三等兵:2012/05/02(水) 04:02:00.79 ID:???
A国からすれば国を代表する愛国者でも
B国からすればテロリストという話も珍しくない

国が違えば文化・歴史認識も違う。正義も違う。

>>35のように、イデオロギーに基づく信念で、自らの都合のよい研究成果を求める学者もいるわな
一部の政治勢力・革新勢力のように日本国内の民族主義を敵視し、中国・朝鮮・韓国と様々な分野での連帯に動く人たちもいる。

とある共同研究を実りある結果とみる立場もあれば、ゴミとみなす人たちもいる
ピンキリです
225名無し三等兵:2012/05/02(水) 04:12:26.57 ID:???

>>209 きみこそ真に受けすぎだよw
226名無し三等兵:2012/05/02(水) 08:17:12.47 ID:???
>>224
もちろん具体的に共同研究のなにがいけないのか指摘する事は出来ないわけですね
227名無し三等兵:2012/05/02(水) 08:20:09.24 ID:???
軍板でageるな
228名無し三等兵:2012/05/02(水) 08:47:05.64 ID:???
所詮は兵器に萌えるだけの軍板だな
229名無し三等兵:2012/05/02(水) 08:58:28.39 ID:???
近代戦術や戦史の板だし
このスレはあくまでイレギュラーだってこと理解しといた方がいいで
230名無し三等兵:2012/05/02(水) 09:08:15.95 ID:???
日本の学者が韓国の学者だの学会だのに強く物申せない状況を考えれば
日韓協同研究なるものの主導権をとっているのはどちらかが明らかだもんな。
231名無し三等兵:2012/05/02(水) 09:10:48.94 ID:???
>>230
だから文句があるなら具体的にどこがどう間違ってるのか指摘してみろって
232名無し三等兵:2012/05/02(水) 09:40:36.07 ID:???
共同の見解とか利用されてろくなことにならんという話をしているんだろうに

その場の学術的間違いを言えっていわれても
233名無し三等兵:2012/05/02(水) 09:46:22.13 ID:???
結局は「チョンだから信用出来ない」「チョンに協力してるブサヨだから信用出来ない」って事だろ。
234名無し三等兵:2012/05/02(水) 09:53:05.64 ID:???
あんなのただの政治的産物だろw
真に受けてる奴いんのかよ
235名無し三等兵:2012/05/02(水) 09:54:12.15 ID:???
朝鮮人が呼吸をするように嘘をつく連中なのは事実なんだから、そいつらが主導権を握ってる研究の信頼性が低いのは当たり前だろ。
日本の学者は自虐史観持ちとマルクス主義者の集まりだし。
236名無し三等兵:2012/05/02(水) 09:56:04.87 ID:???
参考程度にするならわかるがこのスレの共同研究さんはなんか妙に鼻息荒いからなあ。
それでみんな引いちゃってるというか。
237名無し三等兵:2012/05/02(水) 09:56:53.19 ID:???
>日韓研究者達とも程度の差こそあれ話し合いは平行線だったが(特にお互いの国の教科書問題、日本統治時代の認識の違い)

これお前が書いたんだろ、で>>233はおかしいだろ。それは個々の内心の話でどうでもいい。
正解が平行線なら平行線でいけるのかどうかということ

238233:2012/05/02(水) 10:00:54.80 ID:???
>>237
いや、俺はそいつじゃない。単にチョンとブサヨの共同研究なんて信用に値しないって言いたいだけだ。
239名無し三等兵:2012/05/02(水) 12:28:50.05 ID:???
史料の信憑性から判断しないといけないから
学問してるほうが正しいと言えないんだよな
自然科学と違って。残念ながら
240名無し三等兵:2012/05/02(水) 12:52:52.88 ID:???
>>238
そうか。誤爆だったw
241名無し三等兵:2012/05/02(水) 13:44:09.56 ID:FZXyrfWO
そんなすぐれたぎじゅつをにほんにつたえたはんとうが
なんで1000ねんごには木をまげることすらまともにできないほどにたいかしたんですか?
242名無し三等兵:2012/05/02(水) 14:06:58.75 ID:???
>>229

同意する。本当は歴史板に立てるべきだった。
243名無し三等兵:2012/05/02(水) 14:18:30.80 ID:???
>>242
既にある
244名無し三等兵:2012/05/02(水) 16:51:14.82 ID:???
チョンとブサヨとネトウヨは歴史を語るのには百万年早い
245名無し三等兵:2012/05/02(水) 17:11:37.60 ID:???
などと意味不明な発言をしており
246名無し三等兵:2012/05/02(水) 21:41:16.75 ID:???
>>229
ここの>>1をよく読め
247突撃兵 ◆hpJg4qOM9M :2012/05/02(水) 22:03:22.74 ID:???
つうか、チョンとかブサヨとか言ってる時点でお引き取り願いたいな。
うちは古代東洋史の書籍や資料はほとんど無いが、遣唐使で使われた北路で魏や後漢に行ってたんじゃない?
248名無し三等兵:2012/05/02(水) 23:26:25.93 ID:???
おかしな空気固定こそ
お引取り願いたいわ
249突撃兵 ◆hpJg4qOM9M :2012/05/02(水) 23:44:54.65 ID:???
んなコト宣うより資料や書籍を持ってきたまえ。
東洋史が無ければローマやギリシャとかでもいいぞ。
250名無し三等兵:2012/05/03(木) 00:20:11.15 ID:uVKbG9pq
中世ならマルクスフロッグの論文は読んだ方がいいかも。中世研究の第一人者だった人。
一時期、学界でブームになったウォーラーステインの世界システム論は、中世にも適応できる部分があると思う
251名無し三等兵:2012/05/03(木) 00:33:20.86 ID:???
日韓歴史共同研究へのメディアの取材に対する日本側委員達のコメント
>『2年半にもわたる「歴史共同研究」を行いながら…はっきりした点がある。
>それは日韓の歴史教科書共同研究が不毛だったということである』

>「韓国側のサンプリングは恣意(しい)的。
>当初から善玉・悪玉史観があり、それに合わせて資料を張り付けた観が否めない。
>日本側は多くの資料からの帰納的研究を目指したが、議論は全くかみ合わなかった」

>「文化的なテーマ設定に韓国側はことごとく反対し、議論は“格闘技”だった」

韓国側委員達のコメント
>「極端な植民史観である“任那日本府説”あるいは“任那支配説”は廃棄されたが、
>植民史観を裏付ける根本的問題はまだ残っているという事実を留意しなければならない」

>「自国中心の偏向した歴史観を持つ日本側の委員との摩擦により、本格的な議論は非常に低調だった」
252名無し三等兵:2012/05/03(木) 01:31:28.36 ID:???
中世末期の火気の発達は
構造もそうだけど、火薬の粒化技術が上がって、年少が効率的になたったからって聞いたな
小型で均質な火薬粒を量産できるようになったから、火薬を乾燥させるときにムラがなくなって
燃焼の際は、不燃焼物の割合が減って効率的な圧力を砲身内に加えることが出来とか。
出展の書物あったけど、題名忘れちった
253名無し三等兵:2012/05/03(木) 02:40:41.72 ID:aaN31wFB
そもそも他国と比べ装備も戦術も著しく遅れ稚拙だった日本を
他国と同じ土俵に上げて語ること自体が不本意だ。
日本史板か東亜板に引きこもっててくれ
254名無し三等兵:2012/05/03(木) 02:51:52.42 ID:???
255名無し三等兵:2012/05/03(木) 02:52:55.78 ID:???
>>253
議題として土俵に上げるのは問題ないだろ。そこから比較して軍事を語れば良い
そもそも戦術と戦略、軍事の編成と思想は、その土地の環境と政治体制に左右されるの。
戦術や装備が劣ってても、戦闘の陣形や地形、兵站、気候を適切に把握して
決戦的な地点に兵力を配備できればいくらでも会戦なんてひっくり返せるもんなんだぞ
代表的なのが第二次ポエニ戦争の「カンナエの戦い」。
256名無し三等兵:2012/05/03(木) 02:58:13.88 ID:???

「カンナエ」において、カルタゴの第一陣はかなりやられたとおもうが、
よく損害を引き受けたな、第一陣はハンニバルによくもついていったとおもう。
完勝したにしろ実際、どれだけやられたんだろ。
257名無し三等兵:2012/05/03(木) 02:59:43.93 ID:???
>>253
なにがどう遅れて稚拙だったか具体的に。
258名無し三等兵:2012/05/03(木) 03:06:37.54 ID:???
上で延々とやってる銅剣の話のことじゃねーの
当時なら何もかも遅れてることだろう

全時代にわたって日本しょぼいから日本の話するなってレスならスレタイにもお怒りになるはず
259名無し三等兵:2012/05/03(木) 03:25:30.46 ID:???
>>253
> そもそも他国と比べ装備も戦術も著しく遅れ稚拙だった日本を

是非ソースを上げて欲しい。
広開土王のときとか白村江のときくらいしか他国との戦力比較の機会なんか無いと思うが。
干戈を交えた他の機会も、朝鮮と蝦夷くらいしか無いんだが。

元寇は、前スレで日本勝利とやったばかりだし、
朝鮮の対馬侵攻を散々に返り討ちにしたのは最近のコピペがある。
倭寇は、海上勢力が大陸に優勢だった現象だ。
トドメが秀吉の朝鮮出兵なわけで、武家の登場以来、日本の装備のほうがよかったといえるのでは?
もどって唐代はすぐに和平、朝貢?したわけで、この平和時の装備を云々言っても仕方ない。
日本の軍隊も消滅して、必要時のみ徴集になったらしいから。
それでも各地の叛乱は鎮圧できてるから、武が絶えたわけでもないとおもう。

あえて言うと、554年の百済聖明王の敗死から663年の白村江の大敗あたりが、
遅れを取った時期だと思うが、その頃でも東北への侵攻・進出は続いてるわけだし。
260名無し三等兵:2012/05/03(木) 04:09:37.45 ID:???
>>259
多分、そこまで突っ込んだ話じゃなくて
単に中世〜戦国の日本について「○○が無かったから〜」
みたいな中学生レベルの事を言ってくれるんじゃないかな?w
261名無し三等兵:2012/05/03(木) 05:20:54.21 ID:???
コピペw
いかにもお子様向けのスレであることだ
262名無し三等兵:2012/05/03(木) 05:47:29.86 ID:???
>>253

> そもそも他国と比べ装備も戦術も著しく遅れ稚拙だった日本


当時の工業生産技術は遅れていたからなあ。

あと、地形的なことや道路状況があるから馬車も実用的ではなかったと思う。
263名無し三等兵:2012/05/03(木) 06:13:44.60 ID:???
>>朝鮮の対馬侵攻を散々に返り討ちにしたのは最近のコピペがある。
馬鹿だろお前。マジで言ってんの?
264名無し三等兵:2012/05/03(木) 07:45:54.14 ID:???
■歴史上唯一 日本と朝鮮が戦った「応永の外寇(1419年)」…対馬の領土化を狙った、李氏朝鮮の対馬侵略■

◆わずか600人の日本の武士団が、朝鮮軍17,285人を降伏させる…爆笑◆

世界史上、日本が朝鮮半島での戦争は、古代から豊臣秀吉の朝鮮征伐まで、支那との戦いであった
しかし、歴史上唯一 日本が朝鮮と戦った戦争が「応永の外寇(1419年)」である

永楽17年(1419年)6月、李氏朝鮮の太宗は倭寇撃退を名目(…実際には対馬の朝鮮領土化が目的…)にした
対馬侵攻を決め、対馬の守護や主力兵が不在である時期を狙って、李従茂率いる227隻、17,285名の精鋭の軍勢を
対馬に侵攻させた。

日本側の武士は留守を預かる600人程度であり、通常の軍事的常識から見れば朝鮮軍の圧勝のはずであった。

【戦争の結果】

動員兵力: (日本) 600人   (朝鮮) 17,285人

戦死者 : (日本) 20人    (朝鮮) 2,500人以上

◆このような兵力の差でも、結果は日本の武士団の圧勝でした(笑)

★★600人で1万7285人を10日ほどで完敗させ、朝鮮側は最終的に対馬が日本であることを再確認させられ、
その上、毎年大量の米を対馬に献上することを約束させられた(…この献上は明治になるまで続けられた…)★★

この戦いの時に対馬に滞在していた中国人商人が朝鮮軍に捕まりました。この中国人商人の扱いについて…
「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」「事大の礼を尽くして送り返すべき」と
朝鮮国内で議論となったとの記録があるくらい、朝鮮軍は尋常ではない負け方をしました(爆笑)

http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-54.html

★朝鮮人という民族が「万年属国民族」の理由がわかりますね(爆笑)★
265名無し三等兵:2012/05/03(木) 07:48:10.75 ID:???

【日韓】 豊臣秀吉が亀甲船に乗って朝鮮を侵略する日本のアニメ「UN-GO」〜ネチズン「私達の歴史がうらやましいのか」[05/01]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1335877275/500

とりあえずここにあったのをコピペしてきた。
反論ヨロ。
266名無し三等兵:2012/05/03(木) 08:14:05.32 ID:???

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E6%B0%B8%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%AF%87
ソース⇒http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-759.html

・・応永の外寇
負け戦っていうか・・・w もう、当時、対馬にいた中国の商人達が大笑いするほどに朝鮮軍が惨敗した。

朝鮮の兵力は、精鋭部隊1万3000人(奇襲上陸)、それを迎えうった対馬兵って、留守番役で数が少なく、
足軽級もいれて、たったの600人。(当時、藩主他、主力は京都や天津にいた)

それで、当時、対馬にいた中国人が記録してるが、もう、笑っちゃうほどに朝鮮将兵は弱かった。
最初の弓合戦でも、ただの一矢も朝鮮側は届かすことが出来ず、逆に対馬兵の弓矢は百発百中、
それだけで、対馬兵に殺され放題だった。

日本武士は、一人で600人斬ったのもいたそうで、最後は、適当、バラバラに斬り込んで、斬り殺し放題、
朝鮮将兵は、日本刀で切られると、刀、兜、鎧ごと、スパスパ切り落とされるので、泣き喚いて逃げてたと。
最初の朝鮮軍の奇襲で殺された対馬村民以外は、朝鮮将兵は一方的に狩り取られたw

日本側は多勢に無勢を気にする風もなく、奇襲強襲、釣り野伏せ(待ち伏せ)など、したい放題で一方的に勝利、
600人で1万3000人を10日ほどで完敗させ、朝鮮側は最終的に対馬が日本であることを再確認させられ、
その上、毎年大量の米を対馬に献上することを約束させられたw

(コメント)
軍事的な法則として有名な、ランチェスターの法則の第二法則に「戦力はその2乗に比例する」というものがある。
たとえば2人対3人がほぼ同じ条件で戦った場合、2×2:3×3=4:9となり、戦力差は約2.25倍になると言われている。
3人対6人では戦力差は4.0倍にまで広がり、実際に戦場で戦えば、ほぼ一方的に勝負がついてしまう。

同条件の戦力が10倍以上開くと、多勢の軍は敵を打ち負かすのにほとんど損害を受けないと考えれられるが、
あくまで同条件の話であって、たとえ戦力差が十倍以上開こうとも、
鍛え込まれた日本刀、堅固に作られた鎧、良く訓練された日本武士と、装備が貧弱で未熟な朝鮮軍の兵士との戦いでは、
結果は全くの逆になってしまったようである。
267名無し三等兵:2012/05/03(木) 09:05:55.70 ID:???
>>262
その遅れていた国に、半島の南のかなりの面積長いこと占領されていた朝鮮ワロス
268名無し三等兵:2012/05/03(木) 09:13:22.23 ID:???
ID強制表示の板だったらもう少しマシな進行だったのかな?
269名無し三等兵:2012/05/03(木) 10:14:43.49 ID:???
>>262
産業革命以前は大して差は無かったろ
270名無し三等兵:2012/05/03(木) 11:08:03.29 ID:???
そいや秀吉の朝鮮出兵って
中世後期に、十数万の動員能力を持つ国同士が戦った、
かなり稀な例なんだよね。

その割に日本じゃあんまり知られてないよなぁ。
欧米でもマイナーなんだろうか。
271名無し三等兵:2012/05/03(木) 11:09:41.60 ID:???
>>253
>>262
そりゃどの時代でもその時代の先進地域と比べりゃ田舎だわな。
でも、それは日本に限った話じゃないな。
272名無し三等兵:2012/05/03(木) 11:39:55.51 ID:???
>>270
> そいや秀吉の朝鮮出兵って
> その割に日本じゃあんまり知られてないよなぁ。

それは日教組やNHK大河が詳しく教えないだけだから
273名無し三等兵:2012/05/03(木) 11:45:01.30 ID:???
こいつそのうち勝利宣言とか出しそうだなw
274名無し三等兵:2012/05/03(木) 11:50:49.63 ID:???
>>253
>>262
少なくとも冶金技術と治水技術はそう馬鹿にしたものではないぞ。
オリジナルのものは無いじゃんと言っちまえばそれまでだが。

>>270
元寇もモンゴルが行った侵攻作戦の中じゃ割と規模がデカい方だよ。
因みに海外では李舜臣を「並み居る戦国武将達を次々と撃破したアジア最強の将軍」
とガチで信じてる人が結構いたりする。
旧日本海軍のリップサービスを真に受けちゃったのかそれとも
ドラマの影響なのかはたまたかの国の人がなりすましてるのかどうかは知らんけどw
275名無し三等兵:2012/05/03(木) 12:35:52.73 ID:???
>>274
いや李舜臣は実際に海戦の天才だったと思うぞ。
10倍の相手と戦って艦船の被害ゼロ、人的被害がキルレシオ10,000:1で
圧勝というのは世界史上例がないわな。
276名無し三等兵:2012/05/03(木) 12:42:37.80 ID:???
おいおい釣りか?
277名無し三等兵:2012/05/03(木) 12:50:23.06 ID:???
戦国後期の日本って装備の質、練度、動員数と
全てが緒外国と比べてトップクラスだったらしいが、
兵站はどうだったんだろうか


大阪の陣や小田原攻めを見ればそこまで低レベルじゃない気がするが。
国内とは言え、敵領地に踏み込んでる訳だし
278名無し三等兵:2012/05/03(木) 12:59:06.06 ID:???
軍板ってレベル低いなw
279名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:10:41.68 ID:???
>>278

軍板の住人は史料批判を省略して議論するから仕方ない。
280名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:18:19.44 ID:???
レベルが低いしIDが出ないからスレが荒れ放題だな。
281名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:19:12.14 ID:???
>>264
>>266
具体的なソースが何一つ示されていない、レイシズム丸出しの扇情的な文章がソースですか。馬鹿にしてんのか?
282名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:20:40.24 ID:???
こりゃ軍板なんかに立てたのが間違ってたね。
どこかいい板はないものか?
283名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:23:38.42 ID:???
>>266
コピペじゃなくてその「当時、対馬にいた中国人」の記録を直接出してみ。
その文は明らかに「歴史を使ってチョンを馬鹿にする事」が目的なので信頼性はゼロだね。
284名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:25:41.11 ID:???
コピペ、wiki、ブログがソースになるわけ無いだろ…

285名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:29:41.69 ID:???
2chのコピペを堂々とソースに使う奴が未だに存在していたとは……
>>253みたいなアホに与するつもりは無いが、そいつと同レベルにまで落ちてどうするんだよ
286名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:29:45.11 ID:???
数年前と比べると専門的項目でもWikipediaの充実は凄いが得意分野以外は嘘書かれてもわからんから
調べ物の根拠として信用しきれないのは変わってないのよね
287名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:36:27.95 ID:???
>>277
文禄・慶長の役の際には、戦役のほとんどの期間、日本軍は本土から運び込んだ物資で戦い抜いたと言われ
ているから、それなり以上の兵站能力はあったんじゃないかな。

まぁ、当時の朝鮮が貧しすぎて、現地調達がさっぱり行えないことが明らかになったために、当時としては例外
的に大規模な兵站網が組織されたって面も大きいみたいだけれど。


ちなみに、動員能力の高さはかなりのものだったと思うが、装備とか練度はどうだろうなぁ?
288名無し三等兵:2012/05/03(木) 13:45:12.68 ID:???
>まぁ、当時の朝鮮が貧しすぎて、現地調達がさっぱり行えないことが明らかになったために、当時としては例外
>的に大規模な兵站網が組織されたって面も大きいみたいだけれど。

流民が大量発生し、略奪上等な軍隊や半分盗賊みたいなゲリラがそこら中にいるような状態じゃ農作業の効率はガタ落ちだし流通網も麻痺する。
一旦ある分の食料が食いつくされればもうそこで終わり。だから日本から運び込まざるを得なくなったわけだけど、内陸部になると輸送が全く追いつかない。
沿岸部なら船が直接届けられるが、内陸部になると兵站の難度が飛躍的に上昇する。輸送に使う人間や動物だって食料が必要なわけだから。

だから慶長の役末期には倭城を海岸線沿いにドンドン作ってそれを補給拠点として使おうとしたわけだ。
この戦略が実る前に秀吉が死んだからどれだけ通用したかは未知数だけど。
289名無し三等兵:2012/05/03(木) 14:12:16.88 ID:???
兵站能力で完璧な国はローマとメリケンぐらいしか居ない
こいつらと比べたらどんな国でもショボく見える罠

特に後者は赤玉急行とかベルリン空輸とか信じられない事するし
290名無し三等兵:2012/05/03(木) 14:20:12.70 ID:???
>>283
そのコピペには間違いが二カ所あるね。
ひとつは明に云々は中国人が記録したんじゃなくて敗退後の朝鮮で
「従軍した明人が対馬での敗退の一部始終を見てるし
こいつら明に帰したら俺らが糞弱い事バレちまうよ。どうするよ?」
「そんなときはエクストリーム土下座しようぜ?wwwww」ってやり取りが朝鮮王朝実録に記録されてるのね。
もうひとつは朝鮮側の被害2500人は日本側の記録によるものなので
実際はもうちょい少なかった可能性あり(ちなみに朝鮮王朝実録では被害は数百人程度)
なお、兵力差についてはマジ。
朝鮮側の兵力は朝鮮王朝実録によるモノだし
対馬側の兵力は当時の対馬の生産力や人口から考えて1000人を越える事は考えられない。

>>287
練度と士気については申し分ないんじゃない?
装備に関しては大規模な騎兵隊が無い(数十〜数百騎単位の騎馬突撃はあったが)のがやや痛いか。
291名無し三等兵:2012/05/03(木) 14:24:15.40 ID:???
ローマの兵站能力ってすごかったっけ・・・というかいつのローマ・・・
292名無し三等兵:2012/05/03(木) 14:36:24.13 ID:???
っと、騎馬云々は装備じゃなくて兵科の話になるなw
装備に関しては、足軽の長槍が6mで武者の槍が2mだがリーチとしてはどうなんだろう?
日本の槍は刀のように刃を柄で挟み込んで柄を切り落とされにくくしてるが
この形式を採用してた国は他にどこがあるんかな?
弓は同じ張力でも他の弓より威力を出せるように工夫してるっぽい。あと鏃がアホみたいにデカいw
刀の恐ろしさについては今更語るまでも無いだろう。
鉄砲は保有数世界一は流石に眉唾な話だが、それでも相当数保持してたのは確かみたいだな。
ただ、硝石をどれだけ国内で生産しどれだけ輸入頼りだったかがネックだ。
大砲は城攻めに関する価値観の違いからかあまり重要視してなかったのかな?
海軍は流石に当時のヨーロッパと比べるのは酷だなw
293名無し三等兵:2012/05/03(木) 14:44:22.65 ID:???
(ローマの兵站)と言って、ゴート族に散々荒らされた後のローマを想像する人はなかなか居ないんじゃないかな

監視拠点や前線基地と軍団基地(兵站集積所)を街道で全部繋げて、後方の穀倉地帯から糧秣を前線まで運んでる。
さらにトラヤヌスやユリアヌスがパルティア(ペルシャ)攻めた時も補給船団を組んで川下りさせてる

二千前にコレ
ローマ帝国マジ異常
294名無し三等兵:2012/05/03(木) 14:48:21.52 ID:???
>>277
そりゃ日本が150年も内戦し続けたからでねえの?

平和が続いた江戸時代末期には黒船にビビリまくり。
武士達は刀や鎧は質屋にあずけるだけでなく
剣道場では農民出身者(後の新撰組)達にいいようにボゴられ。
幕府の軍隊は長州の農民出身の鉄砲隊に負ける始末。
295名無し三等兵:2012/05/03(木) 14:52:05.51 ID:???
>>294
ただし薩摩隼人のマジキチもとい勇猛ぶりは健在でしたと。
296名無し三等兵:2012/05/03(木) 14:52:48.53 ID:???
論点はそこじゃないだろ
なに当たり前の事いってんだ
297名無し三等兵:2012/05/03(木) 15:11:37.06 ID:???
戦国末期の日本は大砲はどれぐらいもっていたの?
スペインとイギリスはアマルダの海戦に大砲を数千は持ち込んでいたようだけど?
298名無し三等兵:2012/05/03(木) 15:27:08.37 ID:???
>>297
大阪城の天守閣に大砲が一発クリーンヒットしただけで豊臣方はビビリまくり結ぶ。
その程度の装備数。

ちなみにヨーロッパでは要塞砲から木製の帆船などを攻撃する場合、
窯で大砲の弾を赤熱するまで焼いてから大砲に込め打ち込む。
日本の城の場合、窯で焼いた大砲の弾を打ち込まれた場合、
木製建造物の日本の城は炎上する事でしょう。
299名無し三等兵:2012/05/03(木) 15:28:14.64 ID:???
>大阪城の天守閣に大砲が一発クリーンヒットしただけで豊臣方はビビリまくり結ぶ。
>その程度の装備数。
         ↓
大阪城の天守閣に大砲が一発クリーンヒットしただけで豊臣方はビビリまくり和平を結ぶ。
その程度の装備数。
300名無し三等兵:2012/05/03(木) 15:33:42.63 ID:???
上部構造物を燃やしてしまってから籠城すればいいけど
大阪城クラスではやりたくないな
301名無し三等兵:2012/05/03(木) 15:37:21.55 ID:???
今ならミサイルか爆弾1つで全壊・全滅だもんな すげえなハイテクってやつは
302名無し三等兵:2012/05/03(木) 15:42:57.72 ID:???
まあ昔は大砲こそがハイテクだったんだろうけれども
303名無し三等兵:2012/05/03(木) 15:43:36.91 ID:???
>>297
コンスタンティノープル攻略戦で、オスマン帝国は600門もの大砲を装備していた。
日本では鉄砲を大量生産していたけど、ヨーロッパ、イスラムでは鉄砲より大砲の数を揃える事を重視していたと思う。
304名無し三等兵:2012/05/03(木) 15:53:02.13 ID:???
1453年の時点ではまだいい銃が無い
歩兵の主力装備にするには火薬の供給も不安定
305名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:10:31.84 ID:???
>>282

日本史板
306名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:12:15.53 ID:???
>>300
> 上部構造物を燃やしてしまってから籠城すればいいけど
> 大阪城クラスではやりたくないな


西南戦争の時、熊本城の天守閣がなぜか全焼したので、かえって篭城側に有利になった。
出火理由はいまだに不明のまま。
307名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:16:00.04 ID:???
>>304

雨天や、雨ふりそうな曇天の場合を想定しないといけないからね。

信長は長篠に大規模な槍部隊を連れて行ったが
雨が降ってきた場合には勝利を諦めて、槍部隊で武田軍を適当にあしらいつつ撤退することを考えていた
との説がある。
308名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:21:25.10 ID:???
レパントの海戦ではオスマン帝国は大砲750門を持ち込んでいたよ。
ぼろ負けだったけど。
309名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:22:15.03 ID:???
>>270
学校の授業中寝てた奴を基準に話されてもねえ
310名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:25:30.12 ID:???
>>308

ドン・フアンのガレー船はドーリアの進言により衝角を短くしていたため高い位置にあり、
射撃(火縄銃による)の際有利であった。

(ウィキ)
311名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:31:16.37 ID:???
>長篠の戦いで
鉄砲隊の3段撃ちも、武田騎馬軍団も存在しないんだよ。
うわぁぁぁぁぁぁん。
312名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:36:40.46 ID:???
>>310

この戦闘によりアリ・パシャが戦死したため、オスマン艦隊の旗艦は投降した。双方のガレーの櫂手はキリスト教徒とイスラム教徒の奴隷で構成されていた。

(WIKIのその続きの分より)

ようするに、鉄砲隊で指揮官のスナイプ最強って事ですか?
313名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:42:46.74 ID:???
>>307
織田軍3万、徳川軍8千の連合軍、それに加え柵と堀の野戦陣地
武田軍1万5千

これだけの数と防衛体制の優位を雨で鉄砲が使えないだけで撤退と言うのもどうかと思う。
314名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:44:42.82 ID:???
>>305
となると日本史限定になってしまう。
315名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:46:25.88 ID:???
>>312

> ようするに、鉄砲隊で指揮官のスナイプ最強って事ですか?


壇ノ浦では義経が武将ではなく、軽武装だった操舵要員を矢で狙ったので
平氏側の船は操舵不能に陥ったものが続出した。
316名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:49:13.83 ID:???
>>297
下にあるレパントの海戦での大砲が750門としたら
アルマダの海戦で数千の大砲ってのはいささか多すぎやしないか?

>>298
あれは偶々天守閣にヒットした大砲にビビった茶々さんが悪い。
あと、当時の大砲をちょっと打ち込んだくらいで落ちるほど日本の城は甘くないぞ。

>>311
それも極論。
従来みたいな律儀に凸してくる武田を一斉号令で狙い撃ち
みたいなステレオタイプな構図じゃなかったというだけ。
各部隊ごとの指揮で、銃を撃つ人と弾込めする人に役割分担してた説とか色々あるし
「武田は騎馬で乗り入れてくるから柵周りの防御気合い入れろよ」って指示した記録もある。
317名無し三等兵:2012/05/03(木) 16:52:53.43 ID:???
薩摩の大砲で熊本城は落ちなかったしね。
318名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:08:28.26 ID:???
炸裂しない砲弾で石垣崩して内側の盛り土というか削った丘も崩すくらいに砲撃するにはどれくらい撃てばいいんだろうか
319名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:14:03.26 ID:???
炸裂しない砲弾で城を更地にする事に何の意味が
城門とか櫓とか壊せれば十分だろ。
320名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:23:32.20 ID:???
>>317
コンスタンティノープル攻めから旅順攻戦に至るまで古今東西
攻城砲、対要塞砲ってのがあってだな。
それに、西南戦争の官軍の大砲が百数十門。たったの。
321名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:25:51.58 ID:???
若松城も一月は持ちこたえたな。
322名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:26:55.12 ID:???
>>320
その百数十門の官軍の大砲は熊本城が落ちないことと何の関係が?
323名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:29:09.10 ID:???
考えてみれば青銅砲とはいえ多数の砲を備えていた明軍相手に
倭城は落とされなかったわけで。
324名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:39:50.98 ID:???
つまり、薩摩は数百年前の明軍レベルと
325名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:42:41.88 ID:???
日本低レベル過ぎる
326名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:45:51.34 ID:???
でも黒船の大砲にはビビリまくりで不平等条約を結んだ幕府チキン。
327名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:47:53.35 ID:???
>>320
日本の城は大砲で簡単に落ちるはずだったのに、「対要塞砲が必要」にまでなったか。
随分評価が変わるんだな。
328名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:52:23.69 ID:???
一番厄介なのは水堀
329名無し三等兵:2012/05/03(木) 17:54:43.19 ID:???
つーか熊本城って西南戦争の時点で郭を廃棄して石垣も削って天守閣周りしか残ってない状態だべ。
330名無し三等兵:2012/05/03(木) 18:15:35.20 ID:???
>>316
無敵艦隊が保有していた大砲は2,431門(青銅砲1,497門、鉄製砲934門)砲弾は123,790発、火薬517トン。
レパントは1571年でアルマダは1588年。17年で戦力は桁外れに強化されている。
マスケットとアルケブスからなる銃装備率は、スペイン軍全体で45パーセント前後。
火力では間違いなく世界最高だろう。
331名無し三等兵:2012/05/03(木) 18:23:18.24 ID:???
ガレーとガレオンだしな
332名無し三等兵:2012/05/03(木) 18:36:53.92 ID:???

>>306 守将が自ら燃やしたんだろ、有名な話では
333名無し三等兵:2012/05/03(木) 18:59:49.05 ID:???
>>290
やはり伝言ゲームのように間違いは出てくるってことですね。
所詮、ホルホルコピペ、嘲笑コピペなので、
そこらへん(朝鮮王朝実録に記録されてる)が出てくるのは致し方ない。
損害については、たどれば同じくそのような注意書きは出てくる。

大筋では間違いになってないようで何よりだけれど、
これがあと2,3回伝言を繰り返せば、怪しい主張になるでしょうね。
334名無し三等兵:2012/05/03(木) 19:02:19.50 ID:???
>>332

それは噂にすぎず、谷干城は否定したまま生涯を終えた。

料理作っていたら失火したという説もあるが、はっきりしない。
335名無し三等兵:2012/05/03(木) 19:05:28.27 ID:???
>>332
真相は不明
ついでに当時司令官はお留守
参謀の児玉が勝手に燃やしたって説は絶えないけどな
それにしては類焼がひどく段取りが悪すぎるし、火事の後の児玉のうろたえは尋常じゃなかったったとも言われる
命令でやったなら、口封じしてもあとでやりましたって実行者で名乗りでるのがいてもおかしくない
ただの火事だった可能性も否定出来ない
336名無し三等兵:2012/05/03(木) 19:59:59.48 ID:???
西南戦争の頃の大砲はアメリカ南北戦争で使ってた兵器の中古品だろ
政府軍はすでにフランス・イギリス製から直接大砲を輸入してたかもしれんけど
337名無し三等兵:2012/05/03(木) 21:19:04.50 ID:???

古代日本の装備について返事が無いから、
以前読んだ「毛皮の歴史」の最後の日本の皮革品の章から
思い出して書くけど、

温暖湿潤な日本では毛皮の保存は難しいからそのかわりとして、
皮革品の話だったんだけど、皮革は主に武具に使用された。
例えば、乗馬時の膝掛け防具には鹿の背の皮が丸ごと使われたんだけど、
(つまり両足分で2頭、鹿を殺すことになる)
それは東南アジアから輸入してたから、
輸出しすぎて東南アジアの鹿は絶滅したらしい。

また、古代日本の鎧は金属製だったんだけど、
重くて費用も高くなるから生産を止めて、
皮を厚く張った革鎧に切り替えたらしい。
このほうが安くて軽い上に防御力もそれほど変わらないとか。
勿論、今まで使っていた金属鎧も捨てたりせずに使える限りは
大事に直し続けて使うようにというお達しもついていたらしい。

但し念のため、以上はそう書いてあっただけで検証したわけではない。
338名無し三等兵:2012/05/03(木) 21:28:07.86 ID:???
>>337
奈良時代になると皮も不足して綿を使うようになるんだよね
339名無し三等兵:2012/05/03(木) 21:34:07.14 ID:???
コンスタンチノープルは城壁で横からの衝撃に弱い
堡塁式の日本の城郭とは違うから
ヨーロッパも大砲が発達すると多角形の堡塁式の要塞になっていくし
340名無し三等兵:2012/05/03(木) 21:44:28.38 ID:???
金属鎧ってあの短甲っていう
銅だけ守る一体成形やつか
遊就館で実物見たけど
341名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:01:54.28 ID:???
朝鮮出兵の頃も明軍は大小の大砲をポルトガルから購入していて
北方軍に配備していたが平壌城は落とせても倭城は落とせなかった
342名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:02:16.46 ID:???
>>339
コンスタンティノープル陥落の1453年から27年たった
1480年のロードス島の聖ヨハネ騎士団とオスマントルコの戦いでは
既に城壁に大砲対策はされている。背が低く、分厚くなって。
343名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:09:04.47 ID:???
日本の平城ってヴォーバン式の城塞と通じるものがあるんだよね、意外と
まあ砲戦や銃撃戦に対応するための進化だから似て当然か
344名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:18:04.21 ID:???
>>342
厚く作っても縦深の浅い同じ箇所を何度も砲撃されると突破口を開いてしまう
結局堡塁式に移行したのも縦深の浅さが原因だろう
345名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:23:11.29 ID:???
臼砲とボム弾の登場が全てじゃね?
346名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:27:35.64 ID:???
>>337-338
大鎧も最初の頃は牛皮を固めた部分が多く、鋼を使用していたのは急所だけだった。
全部鋼になったのは鎌倉時代に入った辺りかな?
意外にも当時の鎧は西洋のチェーメイルに比べて重かったとか。
347名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:28:44.25 ID:???
>厚く作っても縦深の浅い同じ箇所を何度も砲撃されると
塩野の婆の本では砲撃がやむと守備側が破損箇所を修復工事する描写がある。

その描写が正しいなら城壁が大砲で簡単に崩れるというより、
石で分厚く出来た構造物を大砲でちまちまと削っては
砲撃の弾幕が切れた隙に守備側が城壁を修復してしまう。
その繰り返しみたい。
348名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:32:51.56 ID:???
>>337
古墳時代の革盾  派手というか民族色ゆたかというか、ネイティブなかんじ
ttp://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/genchi-kasugasha/index.html
349名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:37:18.44 ID:???
朝鮮出兵で明軍は大砲に上部構造物を燃やせる焼き玉を使ったの?
西南戦争の弥助砲には上部構造物を焼夷弾はあったの?
350名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:39:30.97 ID:???
>>339
熊本城では火災で全焼した。それでも陥落しなかった。
上部構造物を全て燃やしても日本の城は堀と石垣で守る構造の為
日本の城は陥落しない。
351名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:41:41.67 ID:???
>>347
冶金技術の発達で一発の砲の破壊力と兵站概念の進展で戦場に用意する弾薬の量が増えた
そうなると城壁だと段々厳しくなる
352名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:44:12.22 ID:???
上部構造物が仮に一切無かったら門の守りはどうするんだ?

敵兵が突っ込んできたらどう守る?
353名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:49:30.89 ID:???
>>351
大砲が西洋の城壁に対しても圧倒的と言うわけではなく
長い間、いたちごっこを続けていき最終的に城壁が大砲に負け堡塁式になったのか?

冶金技術の発達で短期間で城壁が無力化し、堡塁式城壁の発明までは
西洋の城は大砲に無力な空白期間が存在したのか?

どちらだろ?
354名無し三等兵:2012/05/03(木) 22:58:09.68 ID:???
>>346
チェインメイルは肩に全重量がかかっちゃうので
重くできないんだよね
一部の高級品を除いて焼き入れもしてないから
突かれるとガスガス抜ける
そのかわり制作費が安いという代物
当時の騎士が盾を手放せなかったのも当然
355名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:07:47.85 ID:???
>>353
ナポレオンの登場ですよ。
356名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:12:00.73 ID:???
>>346
大鎧の素材の変化というのはどういう遺物からわかるんだろうか?
357名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:17:11.54 ID:???
>>354
そうなのか。
見た感じ全身にほどよく重量が分散されそうに見えるがw
大鎧も肩に全重量がかかるように出来ていて、馬に跨がる事前提な作りだったな。
実際当時から徒歩の者はもっと軽くて動きやすいの着てて南北朝期にはそっちの鎧が主流になるな。
358名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:17:46.07 ID:???
>>353
旧来の城壁が多数残ってるイタリア北部が幾度と無くフランスに占領されたの見ても
16世紀にはもはや城壁式だと限界があると段階的に経験したんだろう
堡塁式が発明されるまでは篭城戦より野戦の方が有利だったんじゃないか
359名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:24:19.82 ID:???
>>352
堀と高低差でつっこませない
360名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:28:03.18 ID:???
欧州だと結局、住む側の都合の問題だろうな
防御・軍事施設と都市をずっと分離できなかったから
防御の都合で都市国家の城壁の周囲を半径数百メートル荒蕪地として放置しろだなんてまあ無茶な要求
住民の(直接)防御を放棄して、防御拠点としての要塞は成立する、と
361名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:33:29.73 ID:???
日本は都市住民を守るけど、ヨーロッパでは放棄すると?
362名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:36:36.63 ID:???
日本は最初から切り離されてる
大陸は都市ごと囲ってる

例外はもちろんあるけど
363名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:40:51.83 ID:???
都市を放棄して何のための城塞かと。

守るべきは都市であって城そのものではない。

まぁ日本は都市の守りを大半は放棄してるから、京や堺が毎度荒廃する。
364名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:44:08.11 ID:???
そのへんは閉じた島国と異民族異教徒で戦ってるところのちがいがどうたら
遊牧民の掠奪とか定期的にくるとやってられんわな
365名無し三等兵:2012/05/03(木) 23:59:32.85 ID:???
>>361
だから(直接)って断ってあろうがw
だったら日本の城下町なんて、人間の盾だわw
366名無し三等兵:2012/05/04(金) 00:02:04.63 ID:???
日本の場合は近くの山に領主に許可を取った上で避難用の基地を作って
有事になればそこに貴重品含め避難してたらしい
367名無し三等兵:2012/05/04(金) 00:06:47.92 ID:???
「村の城」だね。村同士の争いのときにも使用したなんて話も聞いたな。
368名無し三等兵:2012/05/04(金) 00:17:53.45 ID:???
源平〜室町期は戦は武士だけがやるもので、ぶっちゃけ庶民は蚊帳の外だったからな。
戦国期の小田原とか安土桃山期の大坂なんかは一種の城塞都市化してるな。
369名無し三等兵:2012/05/04(金) 00:26:14.15 ID:???
>>368
”町人”(都市生活者)はな
農民は、自分の田畑荒らされるし下級兵士や人足として徴用されるし、とてもじゃないが蚊帳の外にはいられない
武士自体、兵農分離が進むまで開発領主の末裔で農民の元締めだし
370名無し三等兵:2012/05/04(金) 00:33:25.71 ID:???
そもそも武士と農民って鎌倉時代の頃はあんまし区別つかない印象があるなあw
371名無し三等兵:2012/05/04(金) 01:40:19.71 ID:oKuUvCwu
気になるのは鎌倉時代や室町時代には
実際のところどれだけの兵力を動員してたのかって話だな。
軍記物を始めとする記録は誇張が強くてあてにならんからな。

戦国時代の場合は明智光秀や北条氏などに石高(もしくは貫高)あたり
どれだけの軍役を割り当ててたのかという記録が残ってるから大体わかるんだが。
372名無し三等兵:2012/05/04(金) 01:46:38.62 ID:???
戦国時代ので誇張が酷いのあったっけ?
373名無し三等兵:2012/05/04(金) 01:50:35.77 ID:???
古戦場の発掘で大体分かるような
鎌倉から出土してなかったっけ
374名無し三等兵:2012/05/04(金) 02:03:47.77 ID:???
近年、実は普通に素早く動けたと言われてるフルプレートアーマーだが
イギリスの大学の実験では15世紀のフルプレートアーマーは
やっぱりスタミナ消耗が激しくてちょっと動きにくいって結果が出てた。
流石にWikipediaにあるような俊敏な動きは難しいだろって。
ただこれはいつぞやの騎馬武者の実験と同様、現代人にいきなり鎧着せた実験だから
日頃から鍛錬に励んでた当時の騎士達はもっと上手く動けただろうね。

>>371
有名なとこだと上杉謙信の北条征伐の際の11万じゃね?
いくら他の諸侯も連れてたからとはいえ、この数字は盛りすぎって言われてる。
375名無し三等兵:2012/05/04(金) 02:16:51.16 ID:???
つうか今の自衛隊の普通科のフル装備をガテン系含む一般人に装備させても行軍さえ出来ないだろ。
376名無し三等兵:2012/05/04(金) 02:26:54.66 ID:???
慣れない動きするとすぐ疲れるからな
377名無し三等兵:2012/05/04(金) 02:57:45.67 ID:???
重たい上に通気性最悪な物着て走り回って得物振り回すんだから
並の人間じゃ無理だわな

百年戦争で、フランス騎士達に下馬突撃させた事もあったらしいが
何のためにそんな事したんだか
378名無し三等兵:2012/05/04(金) 03:03:33.07 ID:???
栄養状態の良い現代人でそれなら中世人だと結構大変
重い鎧は騎乗した貴族だからこそじゃない?
日本でも足軽は胴丸一丁だろ
379名無し三等兵:2012/05/04(金) 03:55:18.30 ID:???
>>340
>>337で読んだのは、鹿皮は多分中世の武士だけど、

古代日本の金属鎧は、
多分小片の金属板をたくさん縫い合わせたようなものだとおもいます。
古代日本にそんな大きい鉄板を加工する技術は・・・
あったのかもしれないけど、
小片のほうが動きやすいですから。
380名無し三等兵:2012/05/04(金) 05:30:45.90 ID:???
>>353

万里の長城も、要所は堡塁式城壁だったらしいが。
381名無し三等兵:2012/05/04(金) 05:35:31.72 ID:???
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%B2%A1%E5%9F%8E

龍岡城(たつおかじょう)は、長野県佐久市にある近代城郭跡。龍岡藩の藩庁が置かれていた。
日本に二つある五芒星形の西洋式城郭のうちの一つであり、もう一つの西洋式城郭である五稜郭から
龍岡五稜郭や桔梗城とも呼ばれている。
国指定の史跡。
382名無し三等兵:2012/05/04(金) 05:38:39.91 ID:???
話題はズレるが、鎌倉幕府の滅亡の時。

幕府の水軍が戦闘した記録がないみたいだが
幕府は水軍を活用すればもうちょっとは粘れたんだろうか?
383名無し三等兵:2012/05/04(金) 05:52:35.52 ID:???
平家の様に海上の拠点を転々としたり、或は南海に行って琉球に王朝を開いたり、蝦夷地に行って新政府を樹立したり、
色々考えられますね。
384名無し三等兵:2012/05/04(金) 09:59:43.78 ID:???
>>383
新大陸が狙い目。
385名無し三等兵:2012/05/04(金) 12:40:54.94 ID:???
>>384
ジャンク船もどきの当時の日本の艦船で新大陸?
太平洋の荒波で、ぶっ壊れる。海の藻屑。
386名無し三等兵:2012/05/04(金) 13:03:20.11 ID:???
>>378
日本では大鎧は南北朝時代以降は「正式の鎧」っつって完全に儀式用の代物になったけど
西洋でもその実験で使ったような重い奴が実際に活躍したのはほんの一時期だけで
後には儀式用になって、実際に使われてたのはプレートアーマーと
チェーンメイルをいいとこ取りしたような感じの奴だったんじゃない?
ちょうど日本の当世具足みたいな感じの。

>>379
自分は日本の鎧はラメラーアーマーの一種という認識。
387名無し三等兵:2012/05/04(金) 13:10:03.24 ID:???
ピザばかりの現代人よりも近代以前の方が栄養状況が悪くても屈強だよ
388名無し三等兵:2012/05/04(金) 13:48:15.44 ID:???
古代の日本鎧は純粋な防具というより、着用者の威厳を表すステータスシンボルでもあったと思うね。
389名無し三等兵:2012/05/04(金) 14:21:35.58 ID:???
身分の高い者の鎧なんとそんなもんじゃねえの?
390名無し三等兵:2012/05/04(金) 14:37:35.73 ID:???
16世紀のマルタ島大攻囲では聖ヨハネ騎士団の居城は堡塁式だったよ。
日本の平城の出現とほぼ同時期に西洋でも堡塁式要塞は誕生していた。
391名無し三等兵:2012/05/04(金) 14:50:25.13 ID:???
加藤清正は熊本城の一部を堡塁式要塞っぽくしようとしていたみたいだが
一代でそこまでやるだけの余力がなかったようだ。
392名無し三等兵:2012/05/04(金) 14:54:19.48 ID:???
西南戦争では熊本城郭西端の先に独立した小丘「段山」があって、その周辺での戦闘が熾烈だった。

清正は当然このあたりを城郭というか、大阪城の真田丸のような出丸にしたかったのだろうが
一代ではそこまでの工事は無理だったのだろう。
393名無し三等兵:2012/05/04(金) 15:00:45.44 ID:???
すぐに幕府が禁止しちゃったしね。>城の強化
394名無し三等兵:2012/05/04(金) 15:04:50.79 ID:???
>>390
となると16世紀が防御拠点が「城郭や砦」から「要塞」へと転換するポイントと考えるといいのか?
395名無し三等兵:2012/05/04(金) 19:41:49.86 ID:yVFEuvrr
結局、銃器も大砲の装備率も西洋の方が高かった。
造船技術力も西洋の方が高く、城も保塁式要塞があった。
396名無し三等兵:2012/05/04(金) 20:08:48.82 ID:???
「戦国時代の日本は火縄銃の保有数が世界一」説とはなんだったのか
397名無し三等兵:2012/05/04(金) 20:16:37.83 ID:???
そこまで西洋優位だったら宣教師が本国にあいつらヤベェ的な連絡しないんじゃね?
当時の宣教師なんてスパイみたいなもんだし、自国と他国の比較や分析なんかは正確なんじゃない?
398名無し三等兵:2012/05/04(金) 21:05:35.54 ID:???
百年戦争後半、フランスでビュロー兄弟の国王砲兵隊が猛威を振るった時点で対砲撃を考慮した要塞の研究は始まっている
大規模工事になるだけに、実戦投入は随分あとになってからだが(1500年のピサが最初)、1400年代から理論はあった

・城壁は低くするとある程度撃たれたところで自重で崩れる現象を防げる
・城壁は傾斜をつけることでry
・城壁は厚くすることでry
・多角型で側面射撃を複数方向から行えるとよい

このあたりは考えるだけならアイデアの飛躍が必要なものでもないしね
399名無し三等兵:2012/05/04(金) 21:20:46.42 ID:???
>>397
すくなくとも、本国から遠く離れたアジア地域じゃ、当時の西洋勢力は弱体だっからじゃないの。

フィリピンのスペイン植民地政府は、いつか日本が渡洋侵攻してくるんじゃないかと本気で心配していたようだし。
400名無し三等兵:2012/05/04(金) 21:28:38.02 ID:???

日本人をキリスト教に改宗させて中国侵攻の尖兵にするんだろ
401名無し三等兵:2012/05/04(金) 21:33:45.28 ID:???
>>398
つまり石垣でいいんじゃね?てことだな
402名無し三等兵:2012/05/04(金) 22:44:43.45 ID:???
鉄砲の比率は場合や軍によりけりだな。
例えば大坂の陣の徳川方や雑賀攻めの際の秀吉軍は
全軍の半数近くが鉄砲隊だったとの見方もあり
唐入りの際の鍋島軍は半分以上が鉄砲足軽だったとか。
逆に謙信時代の上杉家は鉄砲の保有率が一割を下回ってた。
因みに織田信長の場合は大体全軍の2割前後と意外に少なめ。
全体的に鉄砲の比率が高いのは西日本勢(代わりに西日本は騎馬の比率が低い)ようだが
東北でも伊達政宗なんかは鉄砲の比率が高かった模様。

>>399
オランダやスペインの商人が東南アジアで日本人傭兵を重宝してたのもそれが一因だろうね。
403名無し三等兵:2012/05/04(金) 22:53:37.24 ID:???
>>401
いいけどコストと労力がかさむ
404名無し三等兵:2012/05/04(金) 22:54:51.23 ID:???
その頃の日本人傭兵だとイギリス領の東南アジア、タイでも引っ張りだこだったな。
405名無し三等兵:2012/05/04(金) 23:00:17.81 ID:???
>>401
>>403
実際、当時の城には石材の不足を補うために
その辺のお地蔵さんとか仏さんとかぶっ壊して
石垣に使った例なんかもあったりするw
406名無し三等兵:2012/05/04(金) 23:15:34.33 ID:???
ヨーロッパって15世紀から〜18世紀の間は
殆ど毎年戦争やってて、日本に上陸させようなんて余力は無かった
フス戦争から、ネーデルランド継承戦争、三十年戦争、第二次英仏百年戦争・・・
新大陸と、宗教、中央集権成立過程の利権、とにかく色んな戦争それどころじゃない
407名無し三等兵:2012/05/05(土) 00:11:02.28 ID:???

          壁とか上部構造物
             ↓_                  ______
              l  l  外郭             /
              l_l________     / 主郭
 わーわー       /              l    /
λ_         /               l__/
   \       /石垣     もともとちょっとした丘 
    l〜〜〜〜/         上を平に削って縁を石垣で固め、掘った溝には水を引く
    l 水堀 /    ・石垣は土塁より角度を急にして高さも出せるため、突撃防止と射撃戦に強い
              ・石壁と違って砲撃で石を砕いても、表面が崩れて土塁に戻るだけ


そりゃこんなんが一番頑丈だけどさー金も労力も立地も条件が厳しいわな

秀吉の朝鮮出兵の後で倭城まじ半端ねえって話にはなってるが、
結局朝鮮で採用されることはなかった
大陸では遊牧民対策で町を囲う壁から脱却できん
町全体を↑の防御構造とか絶対無理だし
408名無し三等兵:2012/05/05(土) 00:14:03.26 ID:???
>>402
当時の鉄砲装備率って信頼できる史料が残ってるのか?
例えば、上杉家軍役帳のように詳細に残ってるものもあるが、
大半は具体的に何梃使用したとか学者やマニアの妄想ばかり。
別スレで、関ヶ原で石田三成が3000挺の鉄砲を使用したと書かれていたが、
根拠を聞かれると、それくらい持っててもおかしくないといった個人の推測ばかり。
409名無し三等兵:2012/05/05(土) 00:18:39.72 ID:???
×大半は具体的に何梃使用したとか学者やマニアの妄想ばかり。
〇大半は具体的に何梃使用したとか無く、学者やマニアの妄想ばかり。
410名無し三等兵:2012/05/05(土) 01:59:37.58 ID:???
>>148
なぜ水田しか思い浮かべないのか不思議に思うな

少なくても中世までは陸稲がコメ作りの中心であったことは
遺伝子工学的に明らかになっている

水利が難しい山間部のコメ作りが陸稲と考えるのが自然だし
ならば山間部でも畑が作られていれば収量1〜2t/ha程度は確保でき
自給自足は十分に可能と推測すべきだ
411名無し三等兵:2012/05/05(土) 04:04:38.07 ID:???

>>410 なんか隠し田っぽいな

>>404 そこらへん、大河ドラマにならないかなぁ
山田長政以外に名のある人とかいるのかな



412名無し三等兵:2012/05/05(土) 09:09:09.56 ID:???
タイじゃ聞き分けのない子供に言い聞かせるときに
山田長政がやってくると言うそうな。
413名無し三等兵:2012/05/05(土) 10:59:37.76 ID:???

ハンニバルかよw
414名無し三等兵:2012/05/05(土) 11:11:12.56 ID:???
けど俺がタイのガキだったらこええと思うわw
415名無し三等兵:2012/05/05(土) 12:34:07.62 ID:???
>>412
そんなムクリコクリじゃあろまいしw
416名無し三等兵:2012/05/05(土) 14:16:14.18 ID:???
平地の田んぼでも陸稲が多かった
417名無し三等兵:2012/05/05(土) 14:37:39.21 ID:???
>>410-411
先日「稲作以前」って本読んだけど、陸稲だけじゃなくて雑穀も混ぜた
3毛作とかやってて、十分に自給自足できたみたいだよ。

日本は縄文時代的には、南方系焼畑陸稲栽培地帯の北限地域で、
一応、今でも若干の焼畑集落が残ってたりするらしい。
昨年だか一昨年だかにNHKの番組で、焼畑集落率いている高齢な婆さんの
話をやっていたけど、残念ながら見なかったし、録画するのも忘れた。後悔してる。

そうやって考えると、中世から近世の新田開発ってのは、意外と低湿地帯の開発
なんだろうと合点がいく。うちの近所の「何とか新田」って地名のところは、大抵そう
いう感じの、河川や水路の周辺だったりするし。

登呂遺跡みたいな弥生式の水稲と、山間部の陸稲の並存期間が、かなり長かっ
たんだろうね。
418名無し三等兵:2012/05/05(土) 14:41:34.03 ID:???
>>417

> 登呂遺跡みたいな弥生式の水稲と、山間部の陸稲の並存期間が、かなり長かっ
> たんだろうね。


同意する。が、地域によってもだいぶ差はあったと思う。
419名無し三等兵:2012/05/05(土) 14:44:43.04 ID:???
特に有名人を輩出したわけでもない地域の、
地元の偉人って、けっこう新田開発者が多いよなw
もちろん食をしっかり確保したのだから偉いんだが
420名無し三等兵:2012/05/05(土) 15:08:16.38 ID:???
サトイモってタロイモだしな。
421名無し三等兵:2012/05/05(土) 15:36:18.88 ID:???
台地では水田が作れない
かといって低地にいくと氾濫原
だから中世以前は水田が少ない
山間の谷間の方が水田に向いていた
弥生式の水田といっても、平野部では古代の日本人はきちんと大陸の技術を継承できなかったようで苦労している
稲の割合が陸稲の方が多いのはそのせい

平野の水田が増えてくるのは灌漑の発展と大規模治水工事をするようになってからなんだよ
422名無し三等兵:2012/05/05(土) 15:40:40.57 ID:???
というか必要とされる技術が違うんじゃないかと。

大陸の河川と、日本の河川は全然違うと思うし。
なんというか、日本の河川って、基本的に雨樋みたいなものだし。
423名無し三等兵:2012/05/05(土) 15:45:03.36 ID:???
日本で最も川幅が広い川はどこだろね?利根川?

あそこであっても、対岸は見えるからね。


揚子江や黄河とは大違い。
424名無し三等兵:2012/05/05(土) 15:50:40.64 ID:???
江戸川と利根川の流域を変えたやつは偉人じゃん
425名無し三等兵:2012/05/05(土) 16:35:28.22 ID:???
>>421
江戸時代以前はそういう利用できない台地や低地で合戦やってたんだろうな
426名無し三等兵:2012/05/05(土) 17:29:54.36 ID:???
大河川から用水引いて水田作るのって容易じゃないしね。
だって川はそもそも低いところに流れてるから。
用水作るとしたら上流から掘削して流してこなきゃならないからね。

だったら台地の谷筋、或は扇状地の端とかから湧水のある小河川を利用した方がいいわけで。
427名無し三等兵:2012/05/05(土) 18:11:54.35 ID:???
流れぶった切って悪いけど

江戸時代とか鎌倉時代の古鉄使って刀作ったらいいのできるかな?
428名無し三等兵:2012/05/05(土) 19:16:12.66 ID:???
当時の製鉄遺跡から出土した鉄を使って人間国宝の刀匠が刀を作ったけど
出来上がったのは普通の刀だったよ
http://www.katana-japan.com/?p=119
429名無し三等兵:2012/05/05(土) 19:42:25.98 ID:???
ありがとう
いっしん虎徹って本で古釘とかを卸して刀作ってたから
いいの出来るかと思ったけどそういうわけでもないのか
430名無し三等兵:2012/05/05(土) 20:54:28.61 ID:???
>>408
俺が知ってるのは北条、上杉、明智(織田)くらいだな。
こん中で一番比率が高い明智でも1581年の時点で1000石辺り
騎馬5鉄砲5槍10としていて弓の数によるが二割前後ってとこなんだよな。
多分、鉄砲保有数の俗説は1687年に徳川綱吉が鉄砲改めした際に
仙台と長州が各4000丁、紀州が8000丁てな具合にわんさか出てきたから
「泰平の世ですら狩猟用とはいえこんだけあったんだから」
てな具合で広まったんじゃないかな。

>>429
当時の製法がわからないことには無理だろうね。一番有力なのは製鋼技術の進歩により製作過程で
チタンなどの組成物を落としすぎて
かえって刀としての性能は落ちてしまったという説。
431名無し三等兵:2012/05/05(土) 21:21:20.94 ID:???
>>428の天田刀匠が書いてた説だな。
432名無し三等兵:2012/05/05(土) 22:21:13.67 ID:???
現代刀の評価ってのはどのようなもの?
433名無し三等兵:2012/05/05(土) 22:57:58.15 ID:???
美術品としての価値は無いが
(日本ではこれが無いと所持できない)
人殺しの道具としては優秀
アメリカで量産されて売られてる
イギリスなどで所持禁止
もっとも、内部の構造までコピーしてないくさいので
芯のじん性がなくてパッきり折れたりするかもしれん
434名無し三等兵:2012/05/05(土) 23:14:24.51 ID:???
いや、逆だよ。
国内で作られてる現代刀の多くは美術品という
建前があるから性能面では過去最低レベル。
アメリカで作られてる奴は分類的には昭和の軍刀に近い。
中には藤安さんみたいに古のものに劣らない業物を打つ人もいるけどね。
435名無し三等兵:2012/05/05(土) 23:14:28.34 ID:???
現代刀は用と美に極端に二極化してる。
436名無し三等兵:2012/05/05(土) 23:54:28.88 ID:???
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_111.htm
日本刀=新々刀じゃねーぞ!って話ね。
437名無し三等兵:2012/05/06(日) 00:18:55.16 ID:???
>>253
こういうスレではよく比較議論があるが
正直、戦国時代ですら日本は装備の質にしろ戦術にしろ
どう見ても後進地域だとしか思えないな。
鉄砲無けりゃ(あっても?)同時代のヨーロッパやオスマンどころか
古代のローマやギリシャにすら負けるレベル。
ましてや鎌倉や室町の頃は論外。
紀元前のケルト人にすら勝てないだろう。
438名無し三等兵:2012/05/06(日) 00:20:51.73 ID:???
鋼の時代に生きた侍が
蛮族に負けたら逆に恥ずかしいわ
439名無し三等兵:2012/05/06(日) 00:28:51.91 ID:???
日本に追い返されたモンゴルが世界最弱だな
440名無し三等兵:2012/05/06(日) 00:38:47.78 ID:???
モングルは弱くないよ!
先遣隊だった現地軍の半島部隊が駄目だっただけだよ!
そうじゃないと色んな立場の人がかわいそうだwww
441名無し三等兵:2012/05/06(日) 00:43:25.53 ID:???
鋼を装備した軍隊が、青銅器で武装した蛮族に敗れるなんて数多の例があるんだが。
戦闘を決着つけるのは、古今東西、兵站と兵力の集中と投入のタイミングであって
鎌倉室町の武士が、古代ローマ軍に敗れることだって十分にあり得る
442名無し三等兵:2012/05/06(日) 00:45:10.99 ID:???
そういう条件を無視して比較することで
どちらかを弱いと決めつけることが無意味ですね。
443名無し三等兵:2012/05/06(日) 00:55:51.26 ID:???
最弱の侍にすら追い返されたモンゴルに蹂躙された地域は軍隊なかったんじゃねw
444名無し三等兵:2012/05/06(日) 01:06:07.08 ID:???
>>443
なるほどっ
ユーラシア大陸には兵と呼べるようなものは存在しなかった時代があったんだな
445名無し三等兵:2012/05/06(日) 01:19:28.84 ID:???
>>430
返答ありがとう。
明智家や北条家の軍役は見たことはあるが、困ったことにあくまで軍役であって実際どれだけの装備だったかわからない。
同時期のヨーロッパなら行政史料が多数残っているから、詳細に装備や兵数を確認することはできるが
残念なことに我が国には、あまり残されていないようだ。

1581年当時で鉄砲装備率が20%程度なら、少なくとも同時期のヨーロッパに比べてかなり低い割合だと思う。
1588年当時のイングランドの銃装備率は歩兵の42%。スペインも40〜45%、オランダは50%前後。
446名無し三等兵:2012/05/06(日) 01:30:16.48 ID:???
硝石を輸入に頼る日本では、鉄砲の数揃えても弾薬が揃わない可能性が。
447名無し三等兵:2012/05/06(日) 02:33:34.00 ID:???
>>437
どういう理屈でそうなるの?
日本のサムライはピクト人みたいに半裸で戦争してたのか
448名無し三等兵:2012/05/06(日) 02:36:35.09 ID:???
>>444
人がオアシスと数少ない河川流域にしか住んでない中世の中東諸国は
どこまで動員出来たのかアヤシイ
449名無し三等兵:2012/05/06(日) 05:10:22.57 ID:???
モンゴル軍とそこそこ戦えたのは

日本
ベトナム
ドイツの騎士団
ジャワ島

この4つだけだろうか?
450名無し三等兵:2012/05/06(日) 05:11:35.83 ID:d6OQlqT3
>>447

> 日本のサムライはピクト人みたいに半裸で戦争してたのか


戦国時代の紀州なんかは、夏の戦闘はカブトだけかぶって戦ったと司馬本で読んだ。
451名無し三等兵:2012/05/06(日) 05:50:58.50 ID:???
紀州は海賊だからな
平均的な武士とは言い難い
452名無し三等兵:2012/05/06(日) 07:25:27.72 ID:???
後進地域の軍隊に負けまくりその城さえまともに落とせなかった中韓が
ただただ惨めなだけだなww
453名無し三等兵:2012/05/06(日) 07:51:39.57 ID:???
>>449
何年も対峙して数度に渡り撃退したが最終的には屈伏したってのは
そこそこ戦えた内には入らないのか?
454名無し三等兵:2012/05/06(日) 08:09:27.39 ID:???
>>452
朝鮮半島一つも落とせなかった倭国惨めすぎ。
455名無し三等兵:2012/05/06(日) 08:11:06.87 ID:YSHg7OvY
>>97
173* 名前:名無しさん@十一周年 [sage] 投稿日:2010/08/19(木) 12:13:18 ID:vUcIO+mZP
「日本の家屋で国産材の使用率が著しく低い一因は、日本建築学会が59年に木造建築を否定したため」
これもどうしようもなく間違ってるな

http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_18/no18_c03.html
> 1956年(昭和31)には成長量以上の木材を伐らないという立場と、成長量以上の木材を伐る拡大生産の立場とで論争がありました。
> 当時は木材バブルでしたから、ある大新聞の社説に「国有林伐り惜しみ論」というのが載り、
> 「国有林が伐り惜しんでいるから、木材の値段が吊り上がるのだ」という論陣を張ったそうです。そういう狂騒的な世の中でした。

http://homepage2.nifty.com/tomoiki/sanrin/yama02.html
> NHKテレビ「日本の素顔」で「山林地主」が放映されたのはこの頃である(1961年・昭和36年・6月)。
> 「大林業家とチビたワラジをはいて歩いている山村民を対照的に映し出して、山林地主を否定してかかった。
> 左翼がかったマスコミ、それに教育された一般国民が、山持ちに対する批判を集中して反山持ちという社会的な世論ができかかってきた。」
> (6) の発言に見られるように、財産保持的乃至伐り惜しみ集団という社会的そしりを肌で感じた4000人は存亡の危機に立たされる。


1970年前後は、戦後復興に団塊の成人という空前の木材需要の増大を迎え、
左翼がかった層が木材の生育過程を無視して「ブルジョワ山林家は貧乏人のために木材を全部切りつくして出すべき」
という主張を出し、大新聞を賑わせ、成長量以上の木が伐採された。
その結果として、国産材で樹齢70年を超えるような良質のタマが山にないんだよ。
樹齢40年そこそこの、まだまともな値がつかないような木が大半。

人件費も山間部の地形も日本と大差ないオーストリアでは立派に木材産業が成立している。
国産材が使われないのは、単に国産材が若すぎて使えないからだ。
その原因を作ったのは、雁屋哲、あんたみたいな団塊左翼なんだよ。いや皮肉でもなんでもなくマジで。
456名無し三等兵:2012/05/06(日) 08:35:36.87 ID:???
祭りで御輿を担ぐのが諸藩、祭りで相撲を取り力比べをするのが薩摩藩
寺子屋を開き学問を志すのが諸藩、塾を開きそのまま一師団にするのが薩摩藩
税金を上げて「これで贅沢ができる」が諸藩、「これで戦争ができる」が薩摩藩
外国が開国を迫ったら慌てふためくのが諸藩、とりあえず戦ってみるのが薩摩藩

戦争で領地が獲得できたと喜ぶのが諸藩、戦費が獲得できてまた戦争ができると喜ぶのが薩摩藩
平時に武士は働かないのが諸藩、平時に武士が畑仕事で筋トレをしてるのが薩摩藩
妻「生きて帰ってきてね」が諸藩、妻「立派に死んでこい」が薩摩藩
ご飯のとき醤油を回すのが諸藩、火縄銃を回すのが薩摩藩
http://livedoor.blogimg.jp/hanagenuki-jet/imgs/a/0/a036f872.jpg
457名無し三等兵:2012/05/06(日) 09:47:49.33 ID:???
>>456
若い男が夜中に集まって夜這いに行くのが諸藩、ひえもん取りに行くのが薩摩藩
458名無し三等兵:2012/05/06(日) 09:51:49.81 ID:???
薩摩の者ですがそろそろ勘弁してください
459名無し三等兵:2012/05/06(日) 10:03:26.98 ID:???
制圧された琉球カワイソス
460名無し三等兵:2012/05/06(日) 10:05:07.32 ID:???
>>446
硝石が輸入頼りの日本が世界で一番銃を使用してたというのは、どう考えてもおかしい。
461名無し三等兵:2012/05/06(日) 10:05:23.48 ID:???
中世は武士も騎士も大差ないけど強いよ
基本的に一人か二人で野党を殺害するのが任務だったから
462名無し三等兵:2012/05/06(日) 10:11:47.11 ID:???
>>460
別に他国で潤沢だったわけでもあるまい
動員力の差による需要の差だろう
動員力:日本>>>>>>>>ヨーロッパ諸国、諸侯
463名無し三等兵:2012/05/06(日) 10:17:06.71 ID:???
>>456
これって二才だけじゃなくてコイツラ束ねる教官?にも当たる可能性あるよなw
464名無し三等兵:2012/05/06(日) 10:29:03.02 ID:???
動員が増えたからと言って硝石が増える訳も無し、相当の金銀が流出したんだろうな
465名無し三等兵:2012/05/06(日) 10:34:28.54 ID:???
>>462
中国や中東諸国、南欧諸国は自国で硝石が産出するので日本より遥かに潤沢にある。

動員力も勘違いされているが、16世紀のヨーロッパ諸国もかなりなもので例えば、アルマダを迎え撃ったイングランド軍は武装した兵士を歩兵8万、騎兵5千を動員してる。当時のイングランドの人口は約400万人で日本の1/3〜1/4たがそれでもこれだけ動員している。

同時期のスペインは、正規軍陸上部隊だけで15万前後。
466名無し三等兵:2012/05/06(日) 11:15:28.21 ID:???
最終的に硝石は国内で作られるようになったけどね。
人糞や馬糞、鶏糞、小便等から。
467名無し三等兵:2012/05/06(日) 11:21:01.33 ID:???
戦国時代の大量消費が無くなったからな
468名無し三等兵:2012/05/06(日) 11:23:32.52 ID:???
>>462
あと鉄砲装備率の差
469名無し三等兵:2012/05/06(日) 11:27:16.31 ID:???
あと輸入だよりと言っても売れるとなれば
オランダ人スペイン人が商魂たくましくもってくるんだからそこはあまり気にしなくて良い
普段の生活に常用するものでもなしな

470名無し三等兵:2012/05/06(日) 11:28:06.70 ID:???
鉄砲装備率は同時期のヨーロッパのほうが上だから
471名無し三等兵:2012/05/06(日) 11:57:08.19 ID:???
>>465
唐入りの際に動員した15万の内、4割が非戦闘員だったのを
考えると実際の戦闘要員の数はさほど変わらないのかな?
472名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:08:31.19 ID:???
>>471
唐入りの島津の鉄砲装備率は45%
大陸や南蛮との交易で硝石が手に入る西国の武将は鉄砲装備率が高い
473名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:11:54.11 ID:PO90iOe0
>>471
「唐入り」の時は、外国への渡海侵攻だから、最低の要員だけ動員したんだろう。
陣夫等は、現地調達
474名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:22:07.87 ID:???
硝石の国産自体は1560年頃に本願寺を中心に始まってるが
姉川の戦いや唐入り前に秀吉が大量に輸入した記録が残ってるから
やはり大量に需要があった戦国時代は輸入がメインだったんだろうね。

硝石は天然モノはスペイン、イタリア、中国内陸部、中東が主で
逆に日本みたいに湿気の多い国では取れにくいみたい。
当然の話だが天然モノが沢山取れる国で火薬が生まれたり発展したりしてるな。
475名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:22:31.55 ID:???
なんかスレ違いの話題が続いているが
ここは銃が登場する以前の時代での軍事総合スレだから

火縄銃などが登場する時代は>>2のスレへ
476名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:23:15.28 ID:???
実際に当時一番おおいのはオスマン帝国?
477名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:24:59.04 ID:???
>>476
スレ違いだと言ってるだろ
478名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:42:57.80 ID:???
俺の先祖農民のクセに馬乗って侍の後くっついていって戦に参加してたっぽいんだけどさ
農民の騎兵ってあんのかい?村では一応農兵のまとめ役だったぽいけどさ。
479名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:44:35.10 ID:???
>>473
鍋島とか龍造寺もよく言われるし
東北だけど伊達政宗なんかもよく聞くが一次史料のソースがあると助かる
480名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:50:01.86 ID:???
よし、スレチの話題はここまで。


つーわけで南北朝時代ってなんであんなアホみたいにデカい太刀が出回ってたんだ?
481名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:53:40.08 ID:wrXRQSp8
>>480
乱戦だと振り回せば相手近寄れないからじゃね?見栄もありそうだけど。

俺が分隊率いてたら投石して一斉に切りかかるけどさ
482名無し三等兵:2012/05/06(日) 12:55:29.40 ID:???
>>480
同時代のスコットランド人やドイツ人もアホみたいにデカい剣振り回してるよ。
483名無し三等兵:2012/05/06(日) 13:04:37.25 ID:???
>>480
武威を高めるためでは?
実際のメインは弓だからね

武威を高めるためといっても、お飾りな武器ではなく、
長い太刀を完全に使えこなす武士もいたけど
生産性を考えるとメインの武器ではなく
装備する武将の武威を高める贅沢な装備といったところかな

現在でも一部の古武術に
長い太刀の技を残している流派もあるから、興味ある方は見てみると楽しめるかも
484名無し三等兵:2012/05/06(日) 13:06:10.70 ID:???
>>480

土佐兵は幕末まで長い刀「物干し竿」で戦っていたが、
不利ということで短めの刀に切り替えた。
485名無し三等兵:2012/05/06(日) 13:19:09.87 ID:???
>>484
元々野戦を想定していた長い野太刀と
幕末の京都などでの狭い市街地での斬り合いは
また別の話だわな
486名無し三等兵:2012/05/06(日) 13:23:04.53 ID:???
>>483
薩摩の示現流が代表的やね>野太刀の流派
当時は基本的には馬上で馬の速力を生かして
すれ違い様にスパーンってやる使い方だったみたいね。
中には振り回して無双してた力自慢もいたけど。
487名無し三等兵:2012/05/06(日) 14:26:19.56 ID:???
武士って装備固定じゃなくて
従者を何人も従えて、甲冑、槍、弓、長巻、銃を使い分けてたから
488名無し三等兵:2012/05/06(日) 14:41:40.68 ID:???
中世の日本の合戦は楯突戦とかいって置盾をバリケードにして
矢を撃ち合うのがメインじゃなかったのかい?
その上で騎馬武者同士の戦いが段々騎射→打物に移行したと。
489名無し三等兵:2012/05/06(日) 14:49:56.36 ID:???
>>478
名主、肝煎クラスや馬産地の馬に乗れる人間は
騎乗で従軍することもあったらしいよ。
490名無し三等兵:2012/05/06(日) 18:44:40.57 ID:X37wYakc
>>480
実際のところ源平〜室町の日本の戦いってよくわからない。
少なくとも従来言われてた名乗りあって一騎打ち云々は違うことは確かなようだが。
491名無し三等兵:2012/05/06(日) 19:40:58.80 ID:???
>>449
エジプトのマムルークが抜けてる
492名無し三等兵:2012/05/06(日) 20:08:33.41 ID:???
ポーランド騎士・・・
493名無し三等兵:2012/05/06(日) 20:11:53.30 ID:???
ヨーロッパ騎士団はスコボコにやられたろ
王子や貴族どんだけ死んでんだよ
494名無し三等兵:2012/05/06(日) 20:21:53.22 ID:???
>>449
文治国家でありながら、30年持ちこたえた宋はもっと評価するべき。
モンゴル撃退に関してはインドのハルジーが一番凄いかも。
十万を越す敵軍を四回くらい撃退してる。
ドイツ騎士団がモンゴルに勝利した戦いって何?
ググっても逆にやられたリーグニッツの会戦しか出てこないが。
495名無し三等兵:2012/05/06(日) 20:40:49.18 ID:???
中世日本の戦場に無かったものとして
手持ち式の盾とクロスボウの他にメイスがあるけど
なんでメイス使わなかったんだろう?
他の2つが無かった理由は大体わかるんだが。
496名無し三等兵:2012/05/06(日) 20:48:02.18 ID:???
>>494
モンゴルは金を屈服させた後は西に行ったから
常に30年戦い続けてたわけじゃないんだよ
幾度と無く淮河で防いだことは評価できるけどね
497名無し三等兵:2012/05/06(日) 21:03:24.13 ID:???
>>495
メイスが一般的じゃないのは身代金の文化が無かったから
騎乗してる貴族を殴って落馬させ捕縛するのがヨーロッパやアラブ世界の戦い方だった
殺すつもりなら槍や薙刀で突いて瀕死のところを首取った方が早い
498名無し三等兵:2012/05/06(日) 21:10:49.47 ID:???
いや、メイスがヨーロッパで使用されたのは、鎧の上からダメージを与えるには剣ではダメだったことと、聖職者が戦場に立つときメイスしか使えなかったため。
499名無し三等兵:2012/05/06(日) 21:15:17.47 ID:???
日本にも一応金砕棒とかいうのはあったがマイナーだったとこを見ると
鎧の上から撲殺より、鎧の隙間を突いたり斬る方がやりやすかったんだろうな。
500名無し三等兵:2012/05/06(日) 21:26:19.12 ID:???
鬼に金棒って言葉があるぐらいで、日本でも珍しいものではないだろ
分銅鎖とかはモーニングスターと同じようなもんだろうし
武装階級の正装的装備になってなかったってだけのことじゃないかな
501名無し三等兵:2012/05/06(日) 21:26:51.19 ID:???
>>498
鎖帷子は突きに弱い槍で突かれると致命的だった
プレートメイルになると殴る方がダメージは入ったろうが殺すには不向き
実は殴り殺すのは切ったり刺すよりとても体力がいるんだよ
502名無し三等兵:2012/05/06(日) 21:30:11.84 ID:???

>>455 なるほど、老朽コンクリと同じレベルの問題か

>>475 投石器や投石、飛礫の話をしろってことか

>>487 長巻って、馴染みが無いな

>>498 Wizはまじかw
503名無し三等兵:2012/05/06(日) 21:42:00.70 ID:WsWYtSKM
長巻は、目立たんけどそこそこ普及はしてたっぽい
「槍が使えないなら長巻使え」みたいな言葉もあったようだし
504名無し三等兵:2012/05/06(日) 22:00:28.13 ID:???
中国の弓はあまり聞かないな、黄忠が弓の名手だってことくらい
性能も存在も微妙だったのか
505名無し三等兵:2012/05/06(日) 22:02:27.38 ID:???
呂布だって弓の名手で有名だったし、
他にもいくらでもいるだろ
506名無し三等兵:2012/05/06(日) 22:05:31.07 ID:???
まず最初に出すべきは百発百中の語源の人だろ
507名無し三等兵:2012/05/06(日) 22:05:48.84 ID:???
>>502
弓や船がある。
508名無し三等兵:2012/05/06(日) 22:07:58.27 ID:???
いくらでもと言うほどいないような
岳飛は酒と漢詩だし
509名無し三等兵:2012/05/06(日) 22:10:04.70 ID:???
飛将やら飛将軍ってもともと弓の上手い人って意味じゃね
510名無し三等兵:2012/05/07(月) 01:27:19.75 ID:???
>>508
自分の無知さを晒すのがそんなに好きなのか、お前?
511名無し三等兵:2012/05/07(月) 01:51:13.02 ID:???
>>509
飛将やら飛将軍は李広のこと
騎兵部隊の指揮官で弓の名手
飛が馬の事か弓の事かは知らん
512名無し三等兵:2012/05/07(月) 05:45:28.46 ID:???
三国志の曹操の100万の軍勢が出てきたら?
513名無し三等兵:2012/05/07(月) 06:56:37.05 ID:???
中国名物メタミドホス入り水餃子を振舞う
514名無し三等兵:2012/05/07(月) 07:10:45.73 ID:???
「自分が知らない」と「存在しない」をイコールで結ぶ奴って多いよなあ
515名無し三等兵:2012/05/07(月) 11:39:42.12 ID:???
弓と言えば、前スレでチート臭いローマ帝国の複合弓の話題が出てきたな
そんな弓やスコルピオンを持っていながら、何故パルティアに苦戦したのかね。やはり機動性の違いは大きいのか

それとも単純にパルティア弓のが強力だったのかな?
516名無し三等兵:2012/05/07(月) 13:01:25.95 ID:???
>>486
中世だと大将クラスが普通に最前線に出てきたりするからな。
例えば室町幕府の要人である大内義弘が
明徳の乱や応永の乱では野太刀振り回して無双しまくってるし。

>>490
戦術もそうだが、当時の戦争がどんくらいの規模だったのかも実際にはわからんのよね。
太平記なんかの云十万だのってのは明らかに誇張だし。
当時の日本の総人口が1000万人程度ってこと考えると
万越えてる数字は実際は1/10くらいだったと考えるのが妥当かもね。
ただ、筑後川の戦いは何故か日本三大合戦のひとつに数えられてるから
実際に六万とか四万規模の軍勢が激突したのかも。
517突撃兵 ◆hpJg4qOM9M :2012/05/07(月) 20:09:03.08 ID:???
>>515
最初にガチで戦った時は軍団兵と騎兵主体で弓兵は少なく弓騎兵、重騎兵はいなかったうえに策略にはまった。
何度か戦ううちにローマ側も弓騎兵や重騎兵を運用し始めローマ側が勝ち始めた。
518名無し三等兵:2012/05/07(月) 21:06:50.53 ID:???
>>515
ローマ軍でそげなチート弓持ってるのは半ば傭兵みたいな支援軍の面々で
しかもその支援軍の中でも中近東出身の人々だけだったから最初は数が揃わなかった
数揃うようになると今度スコルピオンが打ち捨てられたけどな
519名無し三等兵:2012/05/08(火) 07:11:19.92 ID:???
>>290
それどころか、太田弘毅は朝鮮の作戦は成功と評したり、対馬郷土史家の永留久恵は意義ある外征と評してるしな。
520名無し三等兵:2012/05/08(火) 15:45:16.80 ID:???

>>519 それは内患の輩だなぁw、どう言ってるのかもっと詳しく教えて欲しい
521名無し三等兵:2012/05/11(金) 18:35:27.64 ID:???
流れぶった切りごめん

>>379
挂甲は小札(こざね)を沢山威(おど)して作るけど、
短甲は大きい長方形や三角形の板を、革綴じか鋲止めで作るよ。
522名無し三等兵:2012/05/11(金) 18:42:55.81 ID:???
なぜ挂甲の子孫が日本の甲冑の主流になり、短甲タイプは廃れたのか?
523名無し三等兵:2012/05/11(金) 18:53:50.03 ID:???
>>521
>>522
短甲形式が戦国時代まで廃れてたのは謎ですね
防御力は短甲の方が高そうですけど
524名無し三等兵:2012/05/11(金) 18:57:41.57 ID:???
動きやすさの問題が一番大きいんじゃないかな。

短甲→挂甲への変遷過程を見ると、
胴の部分は大きな板の短甲だけど、
肩甲とか草摺は小札を威したものになっている例がある。
つまり、腕や脚がより動かし易いようになって行ってる。

で、挂甲→綿襖甲(めんおうこう)→大鎧、と変化していくんだね。
525名無し三等兵:2012/05/11(金) 19:15:37.33 ID:???
古代の短甲は革製じゃなかった?
526名無し三等兵:2012/05/11(金) 19:28:59.35 ID:???
漆塗りの革製短甲の出土例はあるけど(奈良県東大寺山古墳)、
残存しにくいせいなのか、出土しているのは鉄製が殆どだった気がする。
正確な数はちょっと今すぐは判らないけど。
527名無し三等兵:2012/05/11(金) 20:10:32.59 ID:???
イングランド北部のハドリアヌスの長城のヴィンドランダ遺跡からは
古代ローマの青銅の鎧が発掘されてたな。日本古代で状態の良い古代装備って余り聞かない
528名無し三等兵:2012/05/11(金) 20:40:22.59 ID:???
刀に関しては古墳からの出土品ながら刀身も拵えもかなり良好に残ったものや
神社のご神体として伝世されたものがあるんだよね。
甲冑に関してはこういうケースはないのかな?

双龍環頭大刀
http://www.izm.ed.jp/db/osusume.php
金銅荘環頭大刀拵・大刀身 ≪国宝≫
http://www.kochinet.ed.jp/hidaka-v/sub4_1.html
529名無し三等兵:2012/05/11(金) 20:45:05.88 ID:???
これが実用品ではなかった、からかもしれないが、
平造りの直刀って華奢に見えるね。

http://www.izm.ed.jp/data/rekihaku/image/siryo/130900L.jpg
530名無し三等兵:2012/05/11(金) 20:49:19.81 ID:???
それは切刃造りだ
531名無し三等兵:2012/05/11(金) 21:00:10.49 ID:???
錆び付いたりパーツが欠損しているのは多いけど、
江田船山古墳の短甲なんかは保存状態がいいと思うよ。

http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0035047
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0035045
532名無し三等兵:2012/05/11(金) 21:01:20.90 ID:0oz9UIMX
田村麻呂のってのはともかく、律令時代の黒漆大刀なんて
むしろ古墳時代の直刀より現存例が少ないのではないだろうか?

ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/data/kinkou/katana01.htm
533名無し三等兵:2012/05/11(金) 21:19:06.76 ID:0oz9UIMX
田村麻呂といえば、京都時代祭の延暦武官行列で披露された
田村麻呂の甲冑姿だそうだがちょっと大鎧に近すぎないかね?
つか、挂甲に大鎧の付属品をつけただけというかw

http://digiphto.up.seesaa.net/image/IMG_5567.jpg
534名無し三等兵:2012/05/11(金) 21:26:19.64 ID:???
奈良時代の綿襖甲は、遺物が残っていないんだよね。

それとは別に、身体の前後に垂らす形の「裲襠(りょうとう)式挂甲」ってのがあったんだが、
これも遺物は見た事がない、私が探せてないだけなのかも知れないけど。
ただ、舞楽の太平楽の装束にその形式が残ってるから、どんな感じのものなのかは判る。

古墳時代までと、平安時代以降は遺物が豊富なんだけど、
奈良時代あたりがすっぽり抜け落ちてる感じ。理由は良く解らない。
                   
                
535名無し三等兵:2012/05/11(金) 21:37:16.67 ID:???
>>533
面白いね、この写真!
右下の馬を引いている人は衝角付冑を被ってるけど、
馬上の人の被ってるのは明らかに厳星兜だし、
着ているのは裲襠式挂甲でほぼ合ってると思うけど(胸板や据文金物は?だが)、
裲襠式挂甲にこういう袖が付いてたかどうかはよくわからないなあ。
536名無し三等兵:2012/05/11(金) 21:42:10.65 ID:???
矛類の伝世品って正倉院のものくらい?

綿襖甲といえば最近『ケンカ必殺拳骨法』って昔の漫画を読んだら
律令時代の場面でちゃんと考証どおり綿襖甲着てたり正倉院の手鉾持ってたりして
その細かさになんか笑ってしまったw
537名無し三等兵:2012/05/11(金) 21:55:10.56 ID:???
うーん、平安初期の鍬形なんか遺物あったっけ?
ミッシングリンクって惹かれるんだけどやっぱりちょっと無理が
ある試みだよなあw

http://www.heianjingu.or.jp/03/0207.html

>この将軍の冑の鍬形、太刀の形式などはすべてその遺物と
伝えられるものによって考証されたものです。



将軍以外は古墳遺物からの復元って感じだね。短甲は田村麻呂の時代には
ちょっとなさそうなんだけど。でもこういう武装をした人が練り歩く様を見るだけで面白そう。
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/h/o/h/hohaka/2009110712012851a.jpg

あと兜をアミダに被るのは矢の当たりやすさや打たれたときの脱げやすさから言って
ありえないでしょう。これは考証の問題とは違うかもしれないがw
538名無し三等兵:2012/05/11(金) 21:58:02.15 ID:???
愛媛県の大山祇神社に、変わった形の鉄鉾が伝わってる。
作用に小さい刃先と、飾りのヒレのようなものが付いてる。
あと、石上神宮の七支刀を「六叉鉾」と呼ぶこともあるらしい。
539名無し三等兵:2012/05/11(金) 22:02:52.01 ID:???
>>455
> 「日本の家屋で国産材の使用率が著しく低い一因は、日本建築学会が59年に木造建築を否定したため」
不勉強で人殺しの家を建てまくっていた癖に、無駄にプライドだけ高い大工が
はびこっていたからな。
「俺は筋違がなきゃもたんような家は建てん」と豪語して、直前の地震で人を
押しつぶしたのと全く同じ家を建てて平然としていたのが実態だよ。
幕末期には、その手のクズ大工の戯言を聞き流しつつ、「奴らが建てた
ままの家に住んでたら死ぬぞ」という、「耐震補強の知恵」本が流通してい
たくらいだし。
540名無し三等兵:2012/05/11(金) 22:04:27.10 ID:???
>>538
×作用
○左右
541名無し三等兵:2012/05/11(金) 22:07:49.37 ID:???
>>540
さすがに訂正されなくてもわかるw
気になる情報をありがとう。
ネット上じゃその画像は見られないようだから図書館ででも探してみる。
542名無し三等兵:2012/05/11(金) 22:24:14.40 ID:???
>>541
粗忽者でお恥ずかしい、フォローありがとうw

愛媛県の大山祇神社の鉄鉾だけど、それを模したものの写真が、
『決定版・図説・日本武器集成』(学研 2005 \2200 )のP.38に載ってる。
本屋の歴史関係のコーナーにあるかも知れないから、よかったら探してみて。
543名無し三等兵:2012/05/11(金) 22:41:55.80 ID:???
>>542
サンクス
544名無し三等兵:2012/05/12(土) 13:19:23.46 ID:???
奈良時代の武具の遺物が残ってないのは短い期間に遷都したのと関係あるのかね
545名無し三等兵:2012/05/12(土) 13:38:33.53 ID:???
武具が国家によって一括管理されていたことと関係があるかも
546名無し三等兵:2012/05/12(土) 14:14:56.01 ID:???
日本でクロスボウが廃れた一因に、律令政権下で朝廷の正規軍以外が
クロスボウを持つことを禁じたからというのもあるみたいね。
547名無し三等兵:2012/05/12(土) 14:20:43.03 ID:???
そもそも日本の土壌は酸性で、湿度が高いため、遺物の保存に向いていない
神器として扱われ、自社に奉納されることが多く、現代まで残っている刀剣類が例外的存在
548名無し三等兵:2012/05/12(土) 14:21:33.34 ID:???
ごめん、自社→寺社
549名無し三等兵:2012/05/12(土) 14:31:17.55 ID:???
クロスボウ禁止なら、ヨーロッパじゃ10世紀に
ローマ法皇が「これ威力高すぎ。チートだし騎士の立場ないから廃止な」
って禁止令出したけど。現場の実用性から中世末期には立派な主力兵器になってたけど
なんで日本じゃ流行らなかったのかね
550名無し三等兵:2012/05/12(土) 14:40:12.81 ID:???
装甲歩兵の戦争がトレンドだったら
威力を稼げるクロスボウは発達しただろうけど
田村麻呂以降、弓騎兵相手に苦戦して
これを取り入れていくというのが日本のトレンドだったからな
馬乗で使うなら弓になるだろうよ
551名無し三等兵:2012/05/12(土) 15:08:15.91 ID:???
社会構造的にも武家社会では弓が適してる
552名無し三等兵:2012/05/12(土) 15:17:05.81 ID:VrZkHFEB
>>549
禁止令が出てクロスボウの使用が廃れたなんて話は全く聞かないから諸侯にとっては「うるせー知るかボケ」って感じだったんだろうな。
553名無し三等兵:2012/05/12(土) 16:11:12.88 ID:???
技術力の問題と良く言われるけれど、モンゴルだってクロスボウは発達しなかったんだよな。
元帝国になってからは征服した民族も傘下に入ったし、結構な数の歩兵もいたろうが。

やはり大規模な会戦が発生しにくい地形と政治体制、当時の軍事ドクトリンの関係としか言いようが無いだろ。
554名無し三等兵:2012/05/12(土) 16:30:04.36 ID:???
>>550
蝦夷って騎乗してたのか?
555名無し三等兵:2012/05/12(土) 17:01:58.64 ID:???
弓馬に長じているというから騎射が得意だったらしい。
この戦闘技術は大陸との独自交易などで大和とは別ルートで入って来たんだろうか?
それとも古墳時代あたりに日本に入ってきた騎乗戦闘の技術が
東北にも伝わり独自の発展を遂げたものか?
556名無し三等兵:2012/05/12(土) 17:16:46.12 ID:???
出雲系の名残りじゃねーのかな
557名無し三等兵:2012/05/12(土) 17:19:27.35 ID:???
馬の源流が分かれば戦闘技術の伝播も分かりそうだな
558名無し三等兵:2012/05/12(土) 18:00:44.06 ID:???
クロスボウに関しては意外にも源平盛衰記にも記述があるんだよな。
少なくとも平安末期までは使われてたって事なんかな?
後三年の役の絵巻物なんて、バリスタやカタパルト?っぽいものも描かれてるし。
559名無し三等兵:2012/05/12(土) 18:13:38.15 ID:???
確かに律令軍は投石機も持ってるんだよね。ちなみに個人用のクロスボウは
「手弩」というような名称とのこと。

http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/yoro17a.html

○11 衛士上下条

衛士は半分に分けて、1日は勤務し1日は非番とする(=毎日交互に上番勤務する)こと。
{特別な事情のない日を言う。}下日(非番の日)ごとに、当府(衛士府)で弓馬を教習させ、
刀を用い、槍〔ほこ〕を弄〔と〕り、また弩〔おおゆみ〕を発射し、投石機を操作させること。
午の時(昼12時)になったならおのおの解放して帰らせること。こうして本府は試練して、
その技術の向上を確かめること。別勅でない場合は雑仕は(教習)してはならない。
560名無し三等兵:2012/05/12(土) 18:19:14.11 ID:???
手弩について補足、三代実録には手弩と弩が分けて書かれているのに注目。
手弩は個人用、弩はバリスタ的な中国でいう床子弩を指すという説が有力。
そういや「弩」は「おおゆみ」という和訓が振られるけど「手弩」は何と読むんだろう?

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sandai/sdj39.htm

出羽國,元慶二年,為夷虜所燒盜穀類四十二萬五百一束六把八分六毫,
糒七百五十斛,革短甲三百四十七兩,冑五百卅三枚,鐵鉢一百五十七枚,
革鉢五十枚,木鉢三百廿六枚,箭八千三百八十隻,大角六枚,小角八枚,
鼓六十面,太刀五十五柄,弓七十一張,鐵鉤五十五柄,「弩」廿九具,「手弩」百具,
561名無し三等兵:2012/05/12(土) 18:27:09.79 ID:???
弩とは関係ないけど冑五百卅三枚のうち大半が木の鉢というのが興味深い。
562名無し三等兵:2012/05/12(土) 18:33:32.50 ID:???
カタパルトについては応仁の乱の時にも、それらしきものを使った記述がある。
ていうか、室町時代の記録って読んでると
「え?当時の日本にこんなのあったの?」
ってなったりする事がよくある。
足利義満は応永の乱で大内に火攻めかける際に、爆竹使ったって記録もあるし。
563名無し三等兵:2012/05/12(土) 18:34:05.21 ID:???
>>559
> 確かに律令軍は投石機も持ってるんだよね。


これは城壁がある中国では有効だったかもしれないが
日本ではあまり役に立たなかったような気がする。
564名無し三等兵:2012/05/12(土) 18:42:52.41 ID:???
>>563
機動戦の得意そうな蝦夷相手には無用の長物だろうなあw
565名無し三等兵:2012/05/12(土) 20:20:50.94 ID:???
その木の兜も出土例があるんだな。つか、これだけっぽい。
しかも数合わせの偽物だってんだから律令軍団も苦労してるな。

9世紀の井戸から木製かぶと…岩手徳丹城
http://www.wood.co.jp/web/web/web-w607.html
世紀の木製兜は「偽の鉄兜」−文化財研調査
http://www.wood.co.jp/web/web/web-w2460.html
566名無し三等兵:2012/05/12(土) 21:01:15.10 ID:???
鉄製品は保守管理がめんどくさそうだしな


続日本紀 宝亀11年(780年) 8月18日の詔
「諸国の甲冑は次第に年月を経て、ことごとく皆さびを生じ綻び多くは用をなさないという。
三年に一度の割で修理するのを例としていたが、修理する後から綻び、この上なく手間と労力を要していると聞く。
しかし今、革の甲は堅固で久しく使え、身につけても軽くて便利である。
また矢が当っても貫きにくい。その手間と日程を考えてもとりわけ作りよいものである。
今後、諸国が造らせる一年間に必要な甲冑は皆革を用い、前例通り毎年見本を進上するように。
ただし、以前に造った鉄の甲もいたずらに腐らせることなく、三年を経るごとに修理させよ」
567名無し三等兵:2012/05/12(土) 22:23:42.78 ID:???
錆びやすい鉄を朽ちやすい布で綴じた綿襖甲が残るはずがない道理だな。
568名無し三等兵:2012/05/12(土) 22:23:53.23 ID:???
保守管理は組織が正常に機能してないと成り立たない「兵站」に関わる問題だからなぁ。

バルカン半島で見つかった1〜2世紀のローマ軍の装備「ロリカセグメンタ」
の部品だけど赤銅、真鍮で作られてる
http://www.roman-artifacts.com/Armor%20Fragments%20&%20Attachments/Segmentata%20buckle%20Complete%20with%20Iron/segmentata%20buckle%20old%20style.htm
これで更にプレート状にした薄い鉄板を何枚も重ねてひとつの装備にするんだから恐ろしく手間が掛かる。

異なる合金を沢山使うから、イオン成分の差で錆の頻度も凄いことになってたろうな
メンテナンスの為の油や、予備の部品、整備の為の人員と考えただけで頭が痛い。
後期帝政ローマになると、絹だけの装備の兵士とかが多かったらしいが、
国家が疲弊してた煽りが諸に装備に影響してるわ
569名無し三等兵:2012/05/13(日) 12:21:48.70 ID:???
盛衰記のはやはり大型の弩みたいだな。


475 :人間七七四年:2009/12/01(火) 23:15:03 ID:MVt9hcxQ
>>473
もうちょっと後かな。
源平盛衰記には以下の3例がある

1、山門南都同心せば、合戦ゆゝしき大事也、三井寺には、大関小関を伐塞、山には東西の坂に弩はり、

2、此佐々迫と云所は、東西は高き山、谷に一の細道あり。左右の山の上に弩多く張り立たり。

3、大形高所には弩を張柵を掻、卑所には堀ほりひしを植、屋形屋形の前には、此にも彼にも赤旌立並て、

いずれも拠点防衛のために設置されていて
前記2は大日本史にも引用され
「この後の戦闘、弩みるところなし」と述べられているそうだ
570名無し三等兵:2012/05/13(日) 12:51:29.51 ID:???
>>534
>>544
本来は正倉院に鎧があったそうだ、
目録には鎧まであったと記録しているから、
ただ、その後の恵美押勝の乱のときに鎧を拝借して
それっきりになったそうだ
571名無し三等兵:2012/05/13(日) 13:17:23.80 ID:???
>>569
これに関しては拠点防衛用に古代からあったものを再利用したのかな?
572名無し三等兵:2012/05/13(日) 15:08:47.12 ID:???
威力だけは強力な前時代の遺物を利用するってなんか燃えるなw
573名無し三等兵:2012/05/13(日) 16:50:23.13 ID:???
巨神兵とかか?

高温多湿だと、やっぱ腐ってやがるのかな。
574名無し三等兵:2012/05/13(日) 16:53:47.83 ID:???
ヤツカミズオミツヌノミコトやら大串貝塚の巨人にちょっと来てもらうか。
575名無し三等兵:2012/05/13(日) 18:00:30.36 ID:???
そこはオットコヌシ様だろjk

西洋剣術ってググれば色々あるんだなあ。
576名無し三等兵:2012/05/13(日) 18:20:28.32 ID:???
やはり復元ばかりだけどね。
日本のものも形骸化が激しいけど、やはり連綿と伝承されてきたという点が素晴らしい。
もっとも、有名流派でも伝書からの復元でのみ成り立ってるところとかあるし
失伝した技術を伝書解読で蘇らせるとかやってるからあまり西洋のことも言えないかw
577名無し三等兵:2012/05/13(日) 18:25:29.01 ID:???
http://en.wikipedia.org/wiki/Flos_Duellatorum
14世紀末期に書かれた、現存している中では最古の西洋剣術書
578名無し三等兵:2012/05/13(日) 19:42:52.78 ID:???
>>576
個人的には江戸時代の泰平の世のバイアスがかかった状態で
体系化されてしまった分日本の古武術や剣術の方が
武士達の実際の戦い方から離れてるような気がするw
579名無し三等兵:2012/05/13(日) 19:48:03.47 ID:???
>>578
かといって完全に断絶したものには伝統としての価値がまったくないからね。
580名無し三等兵:2012/05/13(日) 22:09:33.47 ID:???
ただ、当時のものを再現しようという試みは
日本でももう少し盛んになって欲しいなあと思わなくもない。
特に鎌倉〜室町の戦闘方法とかわからないことだらけだからね。
581名無し三等兵:2012/05/13(日) 22:25:01.57 ID:???
古流ってどこも素肌剣術しかないの?
582名無し三等兵:2012/05/13(日) 22:42:39.69 ID:???
マニュアルが多く書かれた西洋と違い、日本は口伝が主だったのも謎が多い理由じゃね
583名無し三等兵:2012/05/13(日) 22:50:27.53 ID:???
一番隆盛した一刀流系は戦国時代に間に合ってないしな
584名無し三等兵:2012/05/13(日) 22:53:35.58 ID:???
介者剣術もあるよ。
585名無し三等兵:2012/05/13(日) 23:40:19.44 ID:???
>>581
竹内流とか柳生心眼流とかに甲冑兵法がある。
前者は甲冑を着た状態でやる柔術って感じで後者は形の演舞だった。

>>582
それはあるかも。
江戸時代あたりまで一子相伝だったとか、口伝のみって流派多いし。

>>583
室町時代だと陰流とか神道流だね。
陰流は倭寇を通じて明の将軍も取り入れた人がいるな。
もしかしたら中国武術に日本の古流剣術の系譜の流派があったりして。
日本刀をヒントに苗刀なんてものが生まれたくらいだし。


西洋剣術の動画を見ると、盾持った状態でやる剣道って印象が強いなw
動きなんか見てても、まだ色々と模索中って感じだね。
日本ではネットでバロンステファンとかスポランって名乗ってる
多田敬一って人が色々熱心に研究してるみたいだが。
586名無し三等兵:2012/05/13(日) 23:50:59.00 ID:???
陰流は上泉の系統以外絶滅状態なので普及状況はわからんなあ。
開祖の愛洲移香斎には住吉なる弟子がいたらしいけどその系統は伝わらないし、
佐竹に仕えて出羽に渡った移香斎の子孫も武芸の家であることをやめてしまっている。
587名無し三等兵:2012/05/14(月) 00:03:32.78 ID:???
どっちかというと軍板より武板向きの話題になってきたなw
588名無し三等兵:2012/05/14(月) 00:23:46.48 ID:???
昔の戦闘技術ってことでひとつ
589名無し三等兵:2012/05/14(月) 07:52:15.25 ID:???
戸山流は実践的だろうが伝統は全く無いな
でも剣術はマシな方じゃね?

弓術とか槍術は今やる人まずいないし
590名無し三等兵:2012/05/14(月) 09:21:11.31 ID:???
集団戦の中の日本刀術ってのは伝統流派からはわからんよね。
戚継光の著作集にも倭刀や腰刀の使い方は出てくるけど
やはり中国流にアレンジされていることは否めないし。
591名無し三等兵:2012/05/14(月) 13:23:19.94 ID:???
中世の戦闘のメインが徴発農民だけど
その中で訓練を必要とする流派ってのはどれ位意味があったのだろうか
592名無し三等兵:2012/05/14(月) 16:03:57.14 ID:???
そもそも農民と武士の区別も曖昧な時代だったしな
593名無し三等兵:2012/05/14(月) 16:21:20.68 ID:???

宣教師の記述に、

「日本では成人した男はみんな刀持ってる」

みたいのがあったな。

「女は化粧濃すぎ!」みたいなのもあった。
舞妓さんを見てそう書いたのか、みんなそうだったのかどっちだろ。

594名無し三等兵:2012/05/14(月) 16:39:18.22 ID:???
武士の妻はみんな白粉塗ってたろ
あと顔の刀傷を誇っていたとも述懐してたな
595名無し三等兵:2012/05/14(月) 16:40:15.53 ID:???
地域集団とか一族レベルで基本的な刀の使い方なんか習うのかな?
596名無し三等兵:2012/05/14(月) 16:55:00.70 ID:???
>>593

当時はまだ鈴木その子さんが在世だったからね。
597名無し三等兵:2012/05/14(月) 18:07:19.72 ID:???
>>595
室町時代なんかは国人や地侍が農村に密接に関わってたからなあ。

>>596
楠田絵里子も当時からいたしな。
598名無し三等兵:2012/05/14(月) 18:09:40.61 ID:???
農民でも村内の若衆とかのコミュニティが刀や槍の使い方くらい教えるんじゃないのかな
武士の戦でなくても、農民同士で水争いなんてよくあっただろうし、そのほうが自然に思える
知らないけど
599名無し三等兵:2012/05/14(月) 19:27:32.58 ID:???
中世の武士団はそういう農民同士の争いを収めたり
賊の輩を討伐する治安維持がメインで、当たり前な話だけど
数万規模で合戦する機会なんてそうそう無かったんだよな。
600名無し三等兵:2012/05/14(月) 23:52:46.03 ID:???
僧兵とかとも戦ったのかな。
やつらは結構集団戦の訓練してたんじゃね?
601名無し三等兵:2012/05/15(火) 00:07:06.44 ID:???
馬上の薙刀ってどうやって扱うんだろう?こうやって鎌倉時代の絵に出てるあたり
行われていたのは確かだろうが、ランスチャージのように脇に抱えるだけでは
ダメだろうし。

http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y04/html/n02/p025.html
602名無し三等兵:2012/05/15(火) 00:09:35.52 ID:???

今やってる大河ドラマ「清盛」だと
神輿を担いで押し通るだけで武力より神意に頼ってる感じ。
でも、
東大寺が平重衡に燃やされたときは、
僧兵の抵抗が激しかったかららしいから、
武力で戦ってたんじゃないかと推察。
603名無し三等兵:2012/05/15(火) 01:55:57.28 ID:???
>>601
馬上での薙刀や大太刀はすれ違い様に馬の速力活かしてフルスイングってのが主流。
絵巻物なんかを見ても、馬を走らせながら思いっきり振ってるのがわかると思う。
604名無し三等兵:2012/05/15(火) 02:39:32.59 ID:???
西洋だと中世末期には焼き戻しして強力な鎧を作ってたが、日本ではやらなかったのかな?
あれだけ強靭な刀を量産しておきながら、焼き入れと焼き戻しの重要さに気付かなかったとは考えにくいが。
605名無し三等兵:2012/05/15(火) 04:15:56.58 ID:???
僧兵の話はよく聞くが神人の話はあまり聞かない気がする
坊主より神主のが戦闘に向いてそうな気がするがなんでだろ
606名無し三等兵:2012/05/15(火) 07:29:16.79 ID:???
地理的に比叡山とか京都に干渉しやすいからじゃね
607名無し三等兵:2012/05/15(火) 08:03:38.93 ID:gPyF6n0/
>>585
そのbaron stephanとかいう人、言っちゃ悪いがなんか胡散臭いんだよな。
知恵袋や武板でのレス見ててもなんか宗教がかってるというか
何というか、一昔前の骨法の先生と同じ匂いがする。
608名無し三等兵:2012/05/15(火) 08:20:24.41 ID:???
>>606

高野山は京都から遠いからね。
609名無し三等兵:2012/05/15(火) 08:28:09.85 ID:???
>604
気候にあった防具があり、それに対応した武器が発達するんじゃないの?
砂漠は暑い>金属鎧無理〜>革鎧着よう>じゃあ武器は切りやすい曲刀で、みたいな

日本も高温多湿で、騎乗ならともかく徒歩でゴツイ鎧はしんどいとかあったんじゃないかな
610名無し三等兵:2012/05/15(火) 08:34:02.54 ID:???
>>607
骨法の堀辺と同じ人種って相当だなw
611名無し三等兵:2012/05/15(火) 09:43:06.30 ID:???
spporanが偏屈なのは確かだが
まあ悪い人間じゃないよ
612名無し三等兵:2012/05/15(火) 09:57:19.61 ID:???
偏屈な自称バロンってだけでもうおなかいっぱいですw
613名無し三等兵:2012/05/15(火) 10:18:39.86 ID:???
中世の絵巻物見てると大太刀で鎧ごと両断してたりその威力の恐ろしさが垣間見える
614名無し三等兵:2012/05/15(火) 10:34:12.30 ID:???
615名無し三等兵:2012/05/15(火) 10:40:14.88 ID:???
あ、ごめん凄く無駄が多い。一部の絵でホウバークを豪快に斬ったりしてるのよ。
つか、この片刃の両手持ち人斬り包丁みたいなのってなんだろう?

http://www.medievaltymes.com/courtyard/images/maciejowski/leaf10/otm10va&b.gif

興味のある人は元サイトへ。
http://www.medievaltymes.com/courtyard/maciejowski_images.htm
616名無し三等兵:2012/05/15(火) 11:21:51.72 ID:???
実際はサクッと切れ込みを入れる感じなのか
大太刀で両断してる描写とかは政敵に対する宣伝効果もあるんだろうな
617名無し三等兵:2012/05/15(火) 13:07:20.84 ID:???
というより、蛤刃だったからツヴァイハンダーに近い使い方してたんじゃね?
618名無し三等兵:2012/05/15(火) 16:33:16.64 ID:???
応仁の乱辺りに日本に、スイスのバイク戦法やイングランドの弓兵騎兵のハイブリッド戦術持ち込んでみたい
619名無し三等兵:2012/05/15(火) 16:40:01.54 ID:???
>>615
おそらくサイスじゃないかと
刈り取り器具を戦闘用に拵え直したもの
620名無し三等兵:2012/05/15(火) 17:15:22.58 ID:???
>>618
おいおい、どう考えてもその時代にスイスのバイク戦術は反則だろう。
だいたいガソリンはどうやって調達すんだよ。
621名無し三等兵:2012/05/15(火) 17:21:12.36 ID:???
>>>619
サイスだったら内反りじゃないのか?
622名無し三等兵:2012/05/15(火) 18:22:47.55 ID:???
>>608
つ 東寺
623名無し三等兵:2012/05/15(火) 18:31:19.03 ID:???
>>613
さすがにそんなスラムキングかガッツみたいなことが現実にできたかというと…
不可能とも断言できないが、大半は棍棒替わりで馬からたたき落として、落ちたところを本人か従者が組打ちに持ってったんだろうさ
624名無し三等兵:2012/05/15(火) 18:37:06.60 ID:???
>>418
応仁の乱ではヨーロッパでいう傭兵隊長みたいな連中が大活躍したよ。
そいつらはコマンド作戦やゲリラ戦が得意だった。
625名無し三等兵:2012/05/15(火) 19:00:54.08 ID:???
スラムキングで思い出したけど、日本の中世近世の文献で
ああいう大太刀のことを「斬馬刀」という例ってあるのかな?

それとは別に中国に正式な(?)斬馬刀ってのがあるとは聞いたんだが
本当に↓のことなの?
http://www.youtube.com/watch?v=2CAHilZFftM
626名無し三等兵:2012/05/15(火) 19:45:36.56 ID:???
西洋史専門だから、知識足らずで申し訳ないんだが、
日本中世の武具の調達目録とか、人頭調査や徴税簿とかの一次史料って残ってるモンなの?

黒田氏の後北条研究によると、1580年代以降の対上杉や豊臣対策の賦役記録とかは結構残ってるらしいが
他の地方領主に関する史料って余り聞いたことがないんだが。
627名無し三等兵:2012/05/15(火) 20:49:43.12 ID:???
徴税や調達目録はわからんが、少なくとも人頭調査の類は
律令体制が崩壊してから江戸時代前期まで500年以上やってないw
628名無し三等兵:2012/05/15(火) 21:28:03.86 ID:???
>>626
逆に西洋の武器の調達目録ってどういう形で残ってるんですかね?
日本国内で結構見られるものなんでしょうか?スペインとか興味あるんですが。
629名無し三等兵:2012/05/15(火) 22:21:14.71 ID:???
ドゥームズデイブック以外にもそういう記録があったのか>ヨーロッパ
630名無し三等兵:2012/05/15(火) 22:49:01.66 ID:???
徴税簿の類だと太田文なんかがそれに該当するかな?
あとは室町時代だと段銭帳なんかもそうかな?
武具の調達目録に関してはちょっとわからん
631名無し三等兵:2012/05/15(火) 22:50:14.25 ID:???
>>628
626ではないし、中世とも言い難いが16世紀以降のスペインの軍事記録なら
行政史料そのものが残ってて、文字通り一日毎の報告書が残ってたりする。
http://www.british-history.ac.uk/
ここのサイトには、当時の史料を英訳したものが置いてあるが残念なことに
全てを見るには会員にならないといけないようだ。

上のサイトで見れたスペインの具体的な記録だと、1588年4月29日のフランドル方面軍の
総兵力が兵士の出身ごとに何人いて、月に生じている費用がいくらかなんてものもあった。
ちなみに兵力は歩兵56,265人、騎兵3,650人で費用は380,421クラウン。
632名無し三等兵:2012/05/15(火) 22:55:34.31 ID:???
>>628
スペインの一次史料は漁った事ないけど
中世ヨーロッパの調達目録でいうと、都市毎に調達されてたりするから、記録に残りやすい。
ただ、フリーデータベースの非常にアバウトな範囲を網羅したサイトから、
自分の知りたい史料を地道に探すしかないのが現状かな

中世フランスならこのサイト(フランス語)
http://gallica.bnf.fr/
古代〜中世を知りたいならここ(英語)
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/

どれも敷居たかいから。気軽にってのは難しいかも。
日本語でいいなら「西洋中世」で図書館や大型書店をさがせば、案外それ系の本はあるもんだよ。
633名無し三等兵:2012/05/15(火) 23:20:12.61 ID:???
>>631
>>632
丁寧にありがとうございます。気軽に、ではなく気長に勉強してみます。
634名無し三等兵:2012/05/16(水) 02:49:26.87 ID:yDvMploU
>>604
そういう20kg程度の軽くて頑丈なのは16世紀のマクシミリアン式以降の話で
14〜15世紀のものはやはり相当な重量があったよ。下にチェーンメイル着てた人もいるし。
勿論、転んだら云々ってのはさすがにガセだけどね。

>>609
ふと思ったんだが、日本の大鎧は着ていてそういう事は起こらなかったのかな?>熱中症や重さによるガス欠
あと大鎧は40kgもあったっていうけどホントかな?
いくら馬上での使用が前提とはいえ、むしろ馬への負担が半端ないし
組み打ちなんかも普通にやってたのにそんな重い鎧で出来たのかな?
635名無し三等兵:2012/05/16(水) 03:37:15.07 ID:???
つうか行軍中常にフル武装してるわけじゃないしな
東洋関わらず基本騎乗身分一人に従者が数名付いて
馬の世話や武具の持ち運びや装着を手伝ったりする
636名無し三等兵:2012/05/16(水) 04:03:54.18 ID:???
暑いから陣中で鎧脱いで褌一丁でいたら、奇襲食らって全滅した間抜けがいたような。
637名無し三等兵:2012/05/16(水) 04:15:09.40 ID:???
行軍中の苦労だと持ち盾装備の軍はきつそうだな
638名無し三等兵:2012/05/16(水) 05:17:57.85 ID:???
行軍中は背中に背負えるタイプもあったよ
639名無し三等兵:2012/05/16(水) 07:33:05.05 ID:???
中世ドイツ史の鈴木直志氏によると、
行軍自体は最小限で、その後に商人や娼婦隊がくっついて行って
戦場近くの宿営地で宿開いて装備そろえることもあったそうな。
640名無し三等兵:2012/05/16(水) 08:00:26.45 ID:???
>>609
ギリシャだと布を重ねてにかわで固めた胸甲も有ったよね。
部分的に金属の補強が入ってる物も有るけど、盾がメインだからそれでもよかったのかも。

>>637
行軍中のローマ兵は、盾に肩紐付きのカバー(革?布?)を掛けて背負うか、
他の装備と一緒に天秤棒みたいなやつにくくり付けて担いでたみたい。
どちらにしても負担は負担だけどね。
641名無し三等兵:2012/05/16(水) 08:33:58.81 ID:???
>>634
国宝の赤糸威鎧が約25キロ。
篭手や太刀、やなぐいフル装備で30キロ強ってところじゃないかな。
642名無し三等兵:2012/05/16(水) 08:34:26.80 ID:???
有名な赤糸威大鎧の実物は単体で26キロ。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120330/wlf12033022070023-n1.htm

武器や付属品諸々で40キロ近くなる、というらしい。弓とか太刀とか兜は
郎党に預けておけるから鎧を着ながらの行軍だとしてもその重さってことはないはず。
643名無し三等兵:2012/05/16(水) 08:35:36.86 ID:???
こんな時間に被るのかw
644名無し三等兵:2012/05/16(水) 08:37:58.27 ID:???
お前もとっとと仕事行けよww
645名無し三等兵:2012/05/16(水) 12:09:52.79 ID:???

現代の自衛隊の装備も、それくらいの重さになるらしいなあ。
限界まで持たせようというのか、それで全力で戦えるのか。
戦国時代だと騎馬武者一人に六人だったかな、従者は。

荷物持ちを一人でこなしてた横島君は優秀だw
646名無し三等兵:2012/05/16(水) 13:30:13.21 ID:???
人が背負える重さの限界が40kgと聞いたが
とにかく死なないためには重装備になるしな
647名無し三等兵:2012/05/16(水) 14:11:33.41 ID:???
『新戦略の創始者』のデルブリュックの章に、
マラトンの戦いでのギリシャ重装歩兵の装備と、現代(19世紀末)のプロイセン兵の完全装備の重さは殆ど同じ
と書いて有った気がする…うろ覚えだけど。
648名無し三等兵:2012/05/16(水) 14:43:52.53 ID:???
19世紀末ってシェリーフェンとかその辺りだっけか
鉄道輸送を重視した19世紀の戦闘が、戦場まで武装引っさげて集合した昔と比べるのはどうなんだろう
649名無し三等兵:2012/05/16(水) 15:15:03.27 ID:???
昔の装備は、歩兵が直接対峙するし、鎧・盾なんかの防御に重点が置かれていたけど、
今は、飛び道具全盛で、遮蔽はそこにあるものを利用しているから、ヘルメットを除けば
携行武器が主体になるのかな。
650名無し三等兵:2012/05/16(水) 15:38:45.40 ID:???
その思い込みがWW1の大惨事を招いたとしか
651名無し三等兵:2012/05/16(水) 15:49:17.67 ID:???
あくまでも一兵士が身に付ける範囲の装備だと思う、ランドセルとかも入れて。
当時は突撃時(陣地戦は除く)でもランドセルは背負ったままの国が多かったし。
突撃前に降ろすのはロシア位かな?
(ロシア版の「戦争と平和」でも再現されてる。
勝てば回収出来るけど、敗走したら諦め…)
重装歩兵はどれ位の距離を走って突撃出来たか?を完全装備の現代プロイセン兵士に当て嵌めて考察してた。
まぁ体格とかで一概には言えないとは思うけどね。
652名無し三等兵:2012/05/16(水) 17:37:05.38 ID:???
>人が背負える重さの限界が40kgと聞いたが
シェルパは100kg以上を背負って山を登るよ。
653名無し三等兵:2012/05/16(水) 17:45:42.69 ID:???
>>652
代わりにあの人等はそれ専用と言っていい体の鍛え方してる
生まれつきそういうことだけやってる上で且つ専用トレーニングしてるから何とかなるのであって
普通の兵士が真似できることじゃない

ましてやその辺のあんちゃん徴兵してるんだし
654名無し三等兵:2012/05/16(水) 18:36:45.29 ID:???
兵隊は荷物を運ぶのが仕事じゃなくて、運んだ装備を身につけて敵と戦うのが仕事だしな
655名無し三等兵:2012/05/16(水) 18:43:34.91 ID:???
>>646
条件がいろいろと違うので単純な比較はできないが、現代の軍隊では、
携行装備品の重量は本人の体重の1/3までとされている
それ以上担がせて歩かせると、戦場にたどり着くまでに体力を消耗して、
戦闘時に役に立たないんだそうだ

※体力の優れた奴を選抜してさらに鍛える、特殊部隊みたいなのを除く
656名無し三等兵:2012/05/16(水) 18:53:46.51 ID:???
そもそも出兵から会戦まで、終始に渡って装備をまとってた訳ではないし、兵士には奴隷やロバがあてがわれるもんだよ。
657名無し三等兵:2012/05/16(水) 22:17:26.98 ID:???

>>646 身長2m、体重100kgも、身長1.5m、体重50kgでも同じ40kgっぽいよな
658名無し三等兵:2012/05/16(水) 22:57:04.77 ID:???
大鎧に多く使われる組みひもの繊維が矢を止めることに役立ったみたいな話を
聞いた気がするが本当だろうか?
659名無し三等兵:2012/05/16(水) 23:40:02.22 ID:???

俺も聞いた気がするが、本当かどうかは知らないなあ
660名無し三等兵:2012/05/17(木) 04:59:29.82 ID:???
>>337
ヤマト王権遠征軍の将阿倍比羅夫をフィーチャーした古代武具展が、
明日香村で6/3まで開催中ですね。
”朝鮮半島や北方でのいくさに一人の将軍が関わったことが日本書紀に
記載されています。阿倍比羅夫です・・・・”
飛鳥資料館春期特別展 「比羅夫がゆく ?飛鳥時代の武器・武具・いくさー」
【期間】2012年4月14日(土)〜6月3日(日)
【場所】奈良文化財研究所 飛鳥資料館(奈良県高市郡明日香村奥山60)
【料金】一般260円、高校生無料
http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/event_info/event0011602.html
http://www.nabunken.go.jp/info/event.html#exhibit03
661名無し三等兵:2012/05/17(木) 10:13:46.54 ID:???
むしろ漆で強化したのが良かったんじゃね?>和鎧
662名無し三等兵:2012/05/17(木) 10:24:37.34 ID:???
この番組は良かった。甲冑師の三浦先生も出てきたし。


TV朝日
奇跡の地球物語
#121 2012.4.29鎧兜〜受け継がれてきた和の心〜

http://www.tv-asahi.co.jp/miracle-earth/backnumber/20120429/index.html
日本の甲冑には、ある特徴がある。連なる小さな部品『小札』を二千枚から三千枚つなぎ合わせることで、
日本独特の鎧が形取られていると言う。小札の素材となるのは、主に乾燥させた牛の革だ。
これを、刀や弓矢に勝てる固さにまで加工するのだという。まずは、決められた穴に革紐を通していく。
この作業で少し重ねながら厚みを持たせて、短冊状に縛り上げる。そして、登場するのが「うるし」だ。
段階的に種類を変えながら5回から6回、塗り重ねてゆく。
そうして乾いた小札は、刀の刃に負けないような強いものになるのだという。
では、漆で固められた牛の革は、どれほど固くなったのだろうか。
乾燥させただけの牛の革と、漆を6回塗り固めたもの、それぞれに一定の力を加えながら針を刺していき、
どれほどの抵抗力があるのかを計測するため、それぞれに針を通して測定してみる。
一見すると、同じように針が刺さっているように見える。しかし、測定結果のグラフを分析していただくと。
試験官「漆を塗った方は、300ニュートンくらいの力をずっと掛けていないと(針が)進まないわけですから、
そこで一回(矢が)当たって力が無くなってしまうと、もうそれより先に進めず、(矢は)落ちてしまうということになるでしょうね。」
漆を塗った革は、まず矢の勢いを受け止めると、それ以降、矢の侵入を拒み続ける。
しかし、漆を塗らない革は矢の勢いが無くなっても、ある程度矢が進んでいくと言うことだ。
なぜ、漆は矢の勢いを止めてしまうほど固くなるのだろうか。
漆の科学的分析と有効利用を研究する明治大学の宮腰教授にお話をうかがった。
宮腰教授「漆の液は元々、液体です。これが酵素の作用と空気中の酸素の作用で乾いて流動性が無くなって、固体の膜が出来る。これが、塗膜になる。」
漆は元々液体だが、酸素に触れることによって、酵素が反応しそれぞれの分子同士が結合して、固体へと変化するのだ。
『小札』に漆を何度も塗ることによって、どんどん強度が増していくのである。
663名無し三等兵:2012/05/17(木) 10:33:35.12 ID:???
ちょっとした複合装甲だな。
664名無し三等兵:2012/05/17(木) 10:47:20.89 ID:???
表面硬化防弾鋼のイメージ?

絡めて止めるケブラー繊維の防弾ベストをイメージしていたけど違うんだね。
665名無し三等兵:2012/05/17(木) 10:52:02.52 ID:???
上のは漆の効果を調べるための実験だから単に乾燥させただけの革を使ってるんだと思う。
現物の革小札は強化加工をした練革では?
666名無し三等兵:2012/05/17(木) 11:23:44.76 ID:???

>>337 の書き込みに

>>566 >>662 >>660
こんなに素晴らしいレスが返ってくるとはなんと有難い・・・
667名無し三等兵:2012/05/17(木) 11:46:36.58 ID:???
そういや弥生時代の鎧とかには木製で漆を塗ったものとかあったね。
これは実用目的ではなかったろうと見られているが。

http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku/03kanzo/yayoikouko.html
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2006/japan/0406.html
668名無し三等兵:2012/05/17(木) 12:24:36.05 ID:???
>>657
2乗3乗の法則で考えるに、その比率だと体重は120kgくらいじゃないかと。
で、筋力は2倍まで行かないから、積載可能量も多少増える程度かなと。
669名無し三等兵:2012/05/17(木) 12:38:06.82 ID:???
>>662
>漆は元々液体だが、酸素に触れることによって、酵素が反応しそれぞれの分子同士が結合して、固体へと変化するのだ。

酸素との反応云々は別にして、その辺のゴムやプラスチック、合成繊維だって分子の結合(重合)により
固体化しているって意味では同じだよ。木材の中のリグニンやセルロースだって同じだ。

性能を決めるのは、分子量と立体構造。フィルムみたいな奴でも、延伸かけて繊維の方向をそろることに
よって、強度の方向性をコントロールしたりしている。

この大学の先生は、面倒くさくて、一番基本的な一般論を語っただけなのか、それとも記者が馬鹿で、
漆の塗り方に起因する層状構造みたいなのへの言及を理解できなかったのか。
670名無し三等兵:2012/05/17(木) 13:38:53.58 ID:???
>>662
http://www.tv-asahi.co.jp/miracle-earth/backnumber/20120429/index.html
> それ以降、合戦の形式も、槍などを用いた徒歩による接近戦が主流になる。
平安時代は、従者は非戦闘員で首を切られることも無かったんだっけか。
応仁の乱あたりから、足軽が出てきて、
少ない武者の人数では矢数がとても足りず、
大勢の足軽に引き摺り下ろされて首を掻き切られてしまうのかな。

> これにより、重い大鎧は姿を消し、軽い構造へと変化していく。
大河ドラマのすっきりした鎧のことかな。
「元就」とかでは大鎧を着けてた気がする。
そこらへんの変遷はどうも曖昧、混在におもえる。
671名無し三等兵:2012/05/17(木) 14:30:55.11 ID:???
元寇で元軍の雑兵がワラワラと攻めてくる様を見て、氏素姓で構成された武士団だけでは厳しくなった。
教科書に載ってる以降集団戦法に移行するって記述はまさに郎党たちも戦闘に参加しだしたってことだね
672名無し三等兵:2012/05/17(木) 14:48:44.21 ID:???
元寇に関しては武士側も別に一騎打ちやってたわけじゃないしな。

個人的に戦術の転換は元軍との戦いそのものがキッカケでは無いと思うな。
元寇と南北朝時代とでは半世紀ものタイムラグがある。
もし元軍が多大な影響を与えたのなら、霜月騒動や平頼綱の乱でもその影響が出るはずでは?
むしろ一族郎党の繋がりを重視した=騎馬武者とその従者たちって編成がメインだった
鎌倉時代のシステムが土地の相続問題などで崩壊した関係で
南北朝時代以降、一族の繋がりより地縁すなわち地域の地侍や
国人勢力との繋がりを重視するようになった=従来の騎馬武者とその従者たち
っていう編成からの脱却に迫られたのが大きいと思うよ。
673名無し三等兵:2012/05/17(木) 14:55:20.36 ID:???
徒歩武者や軽装の戦闘員が参加する形態はそれ以前からある。

http://blog-imgs-16.fc2.com/t/e/i/teitodennoumou/20071207163240.jpg

トーマス・コンラン氏の研究によれば集団戦化が進むのは南北朝後期。
元寇がキッカケというのは疑問だな。
674名無し三等兵:2012/05/17(木) 14:59:27.48 ID:???
あと元就がつけてたのは大鎧じゃなくて腹巻のはず。
毛利博物館にある元就の鎧は腹巻タイプだよ。
ただ、大鎧自体は室町時代以降も「正式の鎧」って
権威的な象徴とされてたから(武田家の「楯無」とか)
戦国大名でも名門クラスだと大名個人は大鎧を着てたケースもある。
例えば島津義弘の鎧はもろに平安時代の大鎧だよw
675名無し三等兵:2012/05/17(木) 16:16:14.98 ID:???
>>672

平頼綱の乱は合戦いうより、クーデターに近い性質だと思う。
676名無し三等兵:2012/05/17(木) 17:57:06.90 ID:???
南北朝前期に盛んになった馬上打物に対するカウンターとして徒歩武者の槍などが発達してきたんじゃないかな?
だから南北朝後期に槍傷が増えてくる、と。
677名無し三等兵:2012/05/17(木) 21:08:53.49 ID:???
>>669
いやペンキみたいに溶剤が蒸発して硬化するのとは違うって言いたいだけだろ
勘違いしてるヤツ多いし。
678名無し三等兵:2012/05/17(木) 22:29:29.85 ID:???
>>635
ああいたよ。10倍の戦力で攻めてたのに河で休養してたとこ
奇襲うけた上に援軍まできてボコボコにされたのが…

島津が有名にになる一方、一時期はライバルだった
一向に変わらない地元の大名のマイナーさが少し悲しい
679名無し三等兵:2012/05/17(木) 23:05:15.91 ID:???
戦闘民族とか過剰ないわれ方をしてる地元民も困惑してます
680名無し三等兵:2012/05/17(木) 23:11:22.88 ID:???
ヒラコーとかが火に油を注いでるな
681名無し三等兵:2012/05/17(木) 23:21:11.34 ID:???
でも四兄弟で歳久が好きっていうヒラコーさんは好きです…
682名無し三等兵:2012/05/17(木) 23:21:18.61 ID:???
ただ、あながち間違っているわけでもないのがナァ。
683名無し三等兵:2012/05/17(木) 23:57:49.07 ID:???
示現流とか見てるとマジキチだと思う>薩摩
684名無し三等兵:2012/05/18(金) 00:08:43.67 ID:???
示現流・自顕流の掛け声(猿叫)が本当は「チェスト!」ではないということは
いつになったら広まるんだ?
685名無し三等兵:2012/05/18(金) 00:10:35.01 ID:???
薩摩は超男尊女卑でかつ男は大体掘られているというデマを聞いたことがある
686名無し三等兵:2012/05/18(金) 00:11:26.53 ID:???
まあ島津の強さなんて江戸時代の創作だけどな。勝ち戦は全部数でゴリ押ししただけで工夫なんて何もない。
関ヶ原の退き口とやらも、本当にあったのなら同時代の他家の人間がいくらでも証言してる筈だが、残ってるのは数十年経ってから書かれた島津側の記録だけだからただの捏造だろ。
687名無し三等兵:2012/05/18(金) 00:14:45.20 ID:???
チェスト!ってなにから広まったんだろうな
688名無し三等兵:2012/05/18(金) 00:25:10.81 ID:???
二十万はさすがに誇張だが大陸で数倍の数の明軍を撃破したのは事実だけどね>島津
689名無し三等兵:2012/05/18(金) 00:33:02.62 ID:???
>>686
それはない。フロイスの日本史始め、宣教師は島津の剽悍さを記している。
当時は鉄砲も多く持たなかった蛮族みたいな連中に自分達の庇護者である豊後国王が押し込まれていったことから
強く印象に残ったものと思われる。
690名無し三等兵:2012/05/18(金) 00:36:20.72 ID:???
フロイス『日本史』
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その真只中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。

・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
691名無し三等兵:2012/05/18(金) 01:09:44.94 ID:???
>>687
空手馬鹿一代の類じゃね?
692名無し三等兵:2012/05/18(金) 01:13:16.75 ID:???
>>689-690
ハイランドチャージみたいな物かな?
693名無し三等兵:2012/05/18(金) 04:35:00.46 ID:???

>>684 「ちぇりお!」ですか
694名無し三等兵:2012/05/18(金) 04:35:12.62 ID:???
そだね
明も日本兵が獣みたいに突っ込んでくるので
鉄砲一発しかうてねと書き残してる
695名無し三等兵:2012/05/18(金) 05:51:06.42 ID:???
薩摩とか秀吉に一蹴された鳥無き里の蝙蝠でしかなかったのだけどね
696名無し三等兵:2012/05/18(金) 07:43:56.80 ID:???
どんだけ恨み妬みもってんだ
697名無し三等兵:2012/05/18(金) 09:24:53.24 ID:???
確かにここまでしつこいと僻みにしか見えないw
698名無し三等兵:2012/05/18(金) 09:27:55.24 ID:???
関ヶ原退き口()に関しては反論はないようだな。
島津は民間人への乱暴狼藉だけは得意なホラ吹き糞DQN集団でFA。
699名無し三等兵:2012/05/18(金) 09:30:44.87 ID:???
薩摩は旧会津兵に殲滅された
700名無し三等兵:2012/05/18(金) 09:40:00.48 ID:???
抜刀隊の主力はやはり薩摩人ですよw
701名無し三等兵:2012/05/18(金) 09:48:35.25 ID:???
>島津は民間人への乱暴狼藉だけは得意なホラ吹き糞DQN集団でFA。

そうですね。豊後なんか殿様が薩摩との決戦から逃げたせいで
多くの民間人が犠牲になりましたもんね。なんで民間人への乱暴狼藉が得意な集団と
戦わなかったんでしょうかね?


フロイス『日本史』「豊後の最後の破壊、および本年当初の出来事について」

・そのようになった原因は、嫡子(パンタリアン親盛)と他の殿たちが、なんら通告することもなく
突如として逃走し、秩序を欠いたことにあった。そして哀れな民衆と府内の市民および
その周辺の住民が、その犠牲となったのである。
702名無し三等兵:2012/05/18(金) 09:51:37.19 ID:???
抜刀隊到着以前に薩摩の切り込み戦法は
銃剣装備で複数人組ませる事によって対処出来ている

西南戦争が日本の歴史的に重大な点は、
鎮台の兵でも日本最強を謳われる薩摩士族と渡り合えると言う事実だな
703名無し三等兵:2012/05/18(金) 09:52:32.60 ID:???
>>702
ますます旧会津兵なんかいらない子ですね。
704名無し三等兵:2012/05/18(金) 09:54:11.83 ID:???
別に会津をそこまで下にみんでもいいでしょ。
なんで薩摩にそこまで憎しみもってるやつがいるのかしらんけど
705名無し三等兵:2012/05/18(金) 10:34:43.47 ID:???
そろそろ中世の話しようぜ
706名無し三等兵:2012/05/18(金) 11:58:30.39 ID:???

>>695 それ、長宗我部w
707名無し三等兵:2012/05/18(金) 17:08:22.45 ID:???
中世って、5世紀から15世紀くらいまでの事?
708名無し三等兵:2012/05/18(金) 17:32:19.73 ID:???
古代の話はダメなのか?

戦象とチャリオットが一対一で決闘したらどっちが勝つのか考えようぜ。
709名無し三等兵:2012/05/18(金) 17:55:56.96 ID:???
そういやキングダムに象さんが出てきたな
710名無し三等兵:2012/05/18(金) 18:03:48.01 ID:???
象さんも戦車も戦闘員複数載せるから一対一になるのかどうかしらんが。
711名無し三等兵:2012/05/18(金) 18:10:33.09 ID:???
アレクサンドロスの遠征も大帝国の戦車軍団を打ち破ったかと思えば
地の果てで戦象の大軍団と遭遇したりほんと一人の人間の事績とは思えんw
712名無し三等兵:2012/05/18(金) 18:25:52.49 ID:???

>>708 普通に逃げ回ってチャリオットが勝つだろう。
戦象って、はじめのびっくりしてるあいだしか勝ち目ないよ。
弓矢を使ったら駄目なら、さすがに象さんが勝つけど。
713名無し三等兵:2012/05/18(金) 18:41:51.89 ID:???
象さんはハンニバルと愉快な仲間たちの話が過大評価されているような気がする
714名無し三等兵:2012/05/18(金) 18:42:51.17 ID:???
話に聞くだけでインパクトもあるしな
715名無し三等兵:2012/05/18(金) 18:43:15.25 ID:???
Aチームのハンニバルと
殺人鬼のハンニバルと
カルタゴのハンニバルの三人と麻雀がしたい。
716名無し三等兵:2012/05/18(金) 18:57:45.54 ID:???
>>713
象にも射手は乗るから使っていいんじゃない?
つか、戦象も集団で運用してナンボじゃないかな?

>>713
他にもディアドコイ戦争で戦象を擁する軍同士が戦うとか
エペイロス王ピュロスの戦いとかいくらか活躍はある。
それでも一時代の流行ではあるけどね。
717名無し三等兵:2012/05/18(金) 19:33:52.29 ID:???
ゲーム話だけどAoKの戦象は転向されやすいってのは、
実際のどんな特性を反映したものだったんだろうか
718名無し三等兵:2012/05/18(金) 19:39:13.15 ID:???
>>717
単に足が遅いから聖職者に弱いだけじゃなかったっけ?
じゃないとすれば戦象の制御の難しさをイメージしたかな?
719名無し三等兵:2012/05/18(金) 20:23:51.46 ID:???
   ∧∧
  (・ω・`)
   // )
/ ̄ ̄《 ̄ ̄\
| ・ U      |
| |ι        |つ
U||  ̄ ̄||
   ̄      ̄
   戦 象
720名無し三等兵:2012/05/18(金) 20:23:56.86 ID:???
象さん軍団は無視されるとめっぽう弱い!
721名無し三等兵:2012/05/18(金) 20:28:12.57 ID:???
華麗にスルーされておしまいだもんな。
それは鎌付き重装戦車にも言えるけどね。
722名無し三等兵:2012/05/18(金) 20:29:04.72 ID:???
戦象って戦争無いときどうしてんの?
馬くらい自在に動くなら普段から使えるけど
723名無し三等兵:2012/05/18(金) 20:47:34.64 ID:???
>>719

力作AAだ

ほめてつかわす
724名無し三等兵:2012/05/18(金) 20:49:47.98 ID:???
>>722

以前は象が小田原城の天守閣を守っていた(この象さんは近年、死んだ)。

北条氏康は名将だったから、ハンニバルのような象部隊を作ろうとしていたのだろうな。
725名無し三等兵:2012/05/18(金) 22:22:10.30 ID:???
>>722
10年以上前の「歴史群像」で戦象の特集を組んでたことがあった。
それによると、
戦象で一番ひどいのは、
象が理性失って暴れて自軍を踏みまわって全軍崩壊する場合。
たとえば、蜂を放つとか、象を役立たずにする方法は色々あるらしい。
だから、味方を踏んでしまわないためには、象を先頭に出すしかない。
でも、先頭に出すと真っ先にやられる可能性が高くなる。
しかも、やられたときは一気に士気が下がる。
つまり、軍隊で戦象を使うのは、戦象と運命を共にする覚悟がいる。
ただし、恐ろしく勝ち目が低い。心中するのと同じ。

ゆえに、戦象はあまり使われなくなっていったという結論だった。
726名無し三等兵:2012/05/18(金) 22:25:00.37 ID:???
>>719
シチュー引き回しの刑AAとか色々あるねえ。
こういう兵隊AAを一杯並べて、軍団AAをつくってほしい。
727名無し三等兵:2012/05/18(金) 22:33:06.57 ID:???
だけどインドでは銃兵を象に乗せるとかやってんだよな。
大きな音とか苦手そうだけど訓練次第で克服できるんだな。
728名無し三等兵:2012/05/19(土) 00:24:41.16 ID:???
近代というか現代に入るかわからんが旧帝国陸軍や国府軍も象を輸送部隊として使ったな。
>>726
象を無力化する方法としてはマキビシを撒く、象使いを狙撃する、陣形を柔軟に動かせるようにし突撃を回避させる、駱駝騎兵を使う等がある。
729名無し三等兵:2012/05/19(土) 03:37:22.41 ID:???
>>728
> 駱駝騎兵を使う
どう使うんですか?
730名無し三等兵:2012/05/19(土) 04:42:11.66 ID:???
横からだけど
頭がいいから見たことが無い動物を恐れるんだってさ
馬も初見はびびるとか。
731名無し三等兵:2012/05/19(土) 06:15:11.94 ID:???
駱駝騎兵というのがあったのか。
732名無し三等兵:2012/05/19(土) 06:15:51.00 ID:???
駱駝の場合は匂いとかもあるんちゃうん?
733名無し三等兵:2012/05/19(土) 07:59:55.14 ID:???
そういやインドで駱駝に小型の大砲乗っけて運用した例なかったっけ?
734名無し三等兵:2012/05/19(土) 08:20:08.41 ID:???
馬や象は駱駝の臭いを嫌がるから小屋を隣同士にして飼うとかしないかぎり
いつまで経っても苦手。
735名無し三等兵:2012/05/19(土) 09:53:35.89 ID:???
>>733
象じゃなくて?
駱駝に機関銃ならイギリス軍がやってたから、スイベルガン位なら行けそう。
736名無し三等兵:2012/05/19(土) 10:12:07.97 ID:???
ペルシュロンみたいな怪物馬に大砲乗っけて運用しようぜ
737名無し三等兵:2012/05/19(土) 10:45:14.90 ID:???
【栃木】「キャー」「ワー」と甲高い叫び声 「刀、刀」と叫ぶ女性…腕切断後、左肩目がけてさらに一太刀
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1337391295/


実際のところ切れ味のいい刀に一方的に襲われたときの恐怖感というか
戦意喪失ってかなりのもんだろうな。こんな話もある。

『共和制ローマの軍隊』 
「この剣は攻撃的な武器として優れており、刃身は非常に強度が高く、両刃の部分は
よく切れた(ポリュビオス)。スペイン式の剣はマケドニア人にすさまじい衝撃を与えた。
リウィウスは、第2次マケドニア戦争の初期の小競り合いで、スペイン式の剣が死体に
どれほどの傷を負わせたかをマケドニア軍が見たときに、彼らを襲った戦意喪失について
記している。多くの場合、剣は四肢を切り離し、死体の首をはねた。」
738名無し三等兵:2012/05/19(土) 13:20:26.89 ID:???
>>736
シャイアーとかペンシュロンって平均体高が180cmでデカい奴は2mくらいあるんだろ?
中世の騎士達はあんなお化け馬に鎧着せて乗ってたんだよな。
そう考えると一見アホの一つ覚えに見える騎士様の
ランスチャージもそう馬鹿にしたものじゃないよなあ。
あんなデカい馬で大軍で来られたら俺ならチビって腰抜かす。

>>737
日本刀の中でも戦後に作られた現代刀は近世以前の刀や軍刀と違い
脆くて人を斬るなんて無理と聞いたが意外とそうでも無いんだな。
739名無し三等兵:2012/05/19(土) 13:30:13.11 ID:???
>>738
中世の軍馬の大きさは、長い間議論の主題であった。伝説によれば、騎士の馬は頑丈な軍用馬であり、
これは、現代の荷馬車用の馬と同じぐらいの大きさがあったことを意味するが、そのような馬の遺物は
十四世紀以前には発見されていない。中世後期以前の考古学遺跡から出土した馬の遺物は、体高は、
せいぜい一四二・二センチであった。

J.クラットン=ブロック『馬と人の文化史』
740名無し三等兵:2012/05/19(土) 13:35:05.15 ID:???
装甲騎兵の本場だった古代〜中世の中東の軍馬の血を、最も受け継いでるのはトルクメニスタンのアハルテケ種だと考えられているが、これは体高14〜16ハンズほど。
741名無し三等兵:2012/05/19(土) 13:52:24.59 ID:???
>>739
日本の南部馬とほぼ同じくらいの大きさと考えたらいいのかな?>中世ヨーロッパの馬
742名無し三等兵:2012/05/19(土) 14:29:19.49 ID:???
[再]平清盛「鳥羽院の遺言」★2
http://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1337401867/688

688 名前:公共放送名無しさん[sage] 投稿日:2012/05/19(土) 13:56:39.00 ID:w7oC9fdC
>>674 間違えたお
保元の乱 勢力図
尚、軍勢は京入りが禁止されたので手持ちの兵での争い
崇徳方 約280
ダメ義→50 忠正→50 家弘→50 源頼憲→100 和製呂布→30
後白河方  約350
義朝→200(但し50騎は関所詰) 源頼政→50 源義康→100(但し50は関所詰) その他50 
平氏一門 300 
清盛が味方した方が勝つ状況になるまで日和見してますたw

743名無し三等兵:2012/05/19(土) 15:02:47.84 ID:???
>>738
現代刀とは限らないだろ、家伝とか、趣味で購入した近世以前の刀の可能性もある
744名無し三等兵:2012/05/19(土) 15:35:02.24 ID:???
>>743
そんな由緒正しい刀を犯罪に使った日にゃ御先祖様が草葉の陰で泣きそうだなw
745名無し三等兵:2012/05/19(土) 15:49:10.99 ID:???
まあ刀なんて人を切るために作られたものだしな
746名無し三等兵:2012/05/19(土) 18:50:28.50 ID:???
>>744
案外、名刀ほど罪人で試し切りとかやってたりして。
江戸時代とか罪人の死体を積み重ねて業物の刀の試し切りとかしていた。
747名無し三等兵:2012/05/19(土) 19:19:22.86 ID:???
>>746

家康が死の床で名刀での試し切りを命じた(罪人を処刑)したのは有名。

その刀を徳川家の家宝とした。

748名無し三等兵:2012/05/19(土) 19:45:09.93 ID:???
当時ですら名刀って評判が先にあって、切れ味は試してみないと分からないって物か日本刀は。
749名無し三等兵:2012/05/19(土) 19:45:58.77 ID:???
なにいってんだ?
750名無し三等兵:2012/05/19(土) 20:03:30.87 ID:???
日本刀しょぼいな
751名無し三等兵:2012/05/19(土) 20:27:03.05 ID:???
日本刀は優れたものです。
大陸では日本兵が100人切りも達成しました。
752名無し三等兵:2012/05/19(土) 21:17:01.96 ID:???
首切り朝の山田朝右衛門はよく刀のスポンサーが付いたらしいが
753名無し三等兵:2012/05/19(土) 21:46:31.87 ID:???
刀がらみのことになるとすぐ極端なこと言うのが湧いてくるな
754名無し三等兵:2012/05/19(土) 21:56:26.20 ID:???
清盛の小烏丸ってなんで刀身の半分は両刃だったんだ?
755名無し三等兵:2012/05/20(日) 01:07:39.06 ID:???
刺突の効果あげるためじゃないか
756名無し三等兵:2012/05/20(日) 01:54:18.94 ID:???
不思議なのは律令時代に既に片刃の大刀が主流になってたはずなのに
あんなのが出てくるってことだね。矛を参考にしたのかな?
757名無し三等兵:2012/05/20(日) 09:11:54.33 ID:???
正倉院御物にも蕨手刀にも切先諸刃のものがあるから、その流れだろう。
758名無し三等兵:2012/05/20(日) 16:02:21.74 ID:???
蝦夷ってやっぱりモンゴル軍みたいな戦い方してたんかな?
759名無し三等兵:2012/05/20(日) 16:02:59.55 ID:???
生活習慣が全然違うだろ・・・
760名無し三等兵:2012/05/20(日) 17:28:59.12 ID:???
そういや北の元寇があったんだよな。
761名無し三等兵:2012/05/20(日) 17:48:05.43 ID:???
蝦夷の弓の構造とか知りたいな
762名無し三等兵:2012/05/20(日) 18:06:44.30 ID:???
アイヌっぽいイチイの丸木弓なんじゃね?
763名無し三等兵:2012/05/20(日) 22:10:39.51 ID:???
アイヌとエミシは別ものだろ
764名無し三等兵:2012/05/20(日) 22:24:21.84 ID:???
蝦夷って投石器つかったんじゃなかったっけ?
それで源氏の討伐軍陣地に石の雨を降らせたとか?
765名無し三等兵:2012/05/20(日) 22:48:03.77 ID:???
安倍氏は蝦夷だとしても朝廷に帰順していたわけだから
律令軍の投石機を持っていてもおかしくはないけど、
『陸奥話記』の記述からははっきりわからないね。

陸奧話記 群書類従本
http://www.j-texts.com/chuko/mutsu.html
>城内奮呼、矢石亂發。

現代語訳 陸奥話記
http://www.st.rim.or.jp/~success/mutuwaki_yaku.html
>これに反応するように小松の柵内から敵軍の声が上がり、矢や石(つぶて)がいっせいに放たれ、
766名無し三等兵:2012/05/20(日) 23:39:20.75 ID:???
中世っつか、平安〜安土桃山時代の戦術って地域によって、兵科や運用とかに差は出なかったのかな?
ヨーロッパならフランス、イングランド、スコットランド、スイス、オスマントルコ、ノルド人で運用が全然違うんだけど
日本が均一に温室湿潤気候ってのも運用に差異が出にくかった原因だったりするんだろうか
767名無し三等兵:2012/05/20(日) 23:49:57.91 ID:???
民族同じだし
768名無し三等兵:2012/05/20(日) 23:54:53.01 ID:???
軍忠状見ても関東武者は「馬にて乗りわけ」「馬を入れ」と言った感じで
騎馬戦闘を積極的にやっているとか。

『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候

・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事

・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、

・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、

・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、

・一、結城よりとちきへ動之時、内より出申候所ニ、川島主税・たかや采女・我等同前ニ馬をかへし走廻申候、つれ合候衆太木信濃存候事
769名無し三等兵:2012/05/21(月) 00:17:53.49 ID:???
雑兵物語だと東の武士たちの騎馬戦闘を誉め
その点で劣る西の武士たちも操船技術が優れていることを
挙げている。
770名無し三等兵:2012/05/21(月) 01:08:08.60 ID:???
火器登場以前に民兵を組織するとしたら皆はどんな装備選択するね?
コストや練度考えて素人が扱っても威力を発揮するフレイルとクロスボウ辺りがあん牌かねぇ
771名無し三等兵:2012/05/21(月) 01:24:08.47 ID:???
クロスボウは糞高いし、作れる工房も限られる。フレイルよりはパイクのほうがいいんじゃね
飛び道具はスリングで
772名無し三等兵:2012/05/21(月) 01:48:54.69 ID:???
>>771
でも、中国じゃ大昔からクロスボウがメインの飛び道具やん。
773名無し三等兵:2012/05/21(月) 01:57:50.07 ID:???
普通の弓を素人でも使えるようにするために引いた状態で引っかけて
トリガーで撃てる機構を付けただけって程度ならなんとかなるんじゃね
長弓より遙かに強力で板金もぶち抜くぜみたいなのは大変だろうけど
774名無し三等兵:2012/05/21(月) 02:07:13.45 ID:???
>>766
戦国時代はかなり地域の特色が表れてるよ。
大まかに言うと東日本へいくほど騎馬武者の比率が高くなってる。
鎌倉時代でも坂東武者は騎射が得意と言われたくらいだから
昔から東国→騎馬が多い、西国→下馬して戦う者が多い
っていう傾向があったのかも。
775名無し三等兵:2012/05/21(月) 02:08:16.97 ID:???
弩は国が管理してないとすぐ劣化するだろ
民兵ならメンテの楽な白兵武器主体だろうな
776名無し三等兵:2012/05/21(月) 02:32:52.53 ID:???
国民国家以前の軍隊の構成員がすでに民兵みたいなものだけど、
意訳してその辺の農民を即戦力にしたてるという話とする。
歴史的にみれば鉄砲でFAだが、まだ高価なので除外。
白兵戦は一向一揆みたいな例外をのぞいて士気が保てないな
やっぱり距離をおいて戦える槍が最有力
投石も有力だが意外と鍛錬がいる。
史実どおり直接戦うというより土方や運搬などの労働力が適切だな
777名無し三等兵:2012/05/21(月) 05:52:49.43 ID:???
費用を度外視していいならそりゃクロスボウだがなあ
費用対効果なら竹槍一択だろw
あんな安くて強い武器はない
778名無し三等兵:2012/05/21(月) 08:09:45.39 ID:???
熟練者なら爆撃機程度おとせるからな
779名無し三等兵:2012/05/21(月) 08:45:39.63 ID:???
総合すると竹槍を発射できる弩というかバリスタが最高の武器ということだな。
780名無し三等兵:2012/05/21(月) 08:48:46.48 ID:???
781名無し三等兵:2012/05/21(月) 09:10:07.31 ID:???
たしか、中世の火器や弓と戦術だけをダイレクトに扱ってた書物があったはず
今は倉庫に歩けど、仕事から帰ったら漁ってみるわ。
782名無し三等兵:2012/05/21(月) 09:24:06.57 ID:???
>>780
サスペンションと同じ構造してるな
素材こそ違うものの板バネだからか
783名無し三等兵:2012/05/21(月) 11:49:05.67 ID:???
昔の人も板バネで金属製のクロスボウ作るのは思いつかなかったんかな?
多分思いついたけど、金かかるからやめたんだろうな
最終的には何でも金だからな
784名無し三等兵:2012/05/21(月) 12:04:59.40 ID:???
今みたいなバネ鋼ってあったの?
785名無し三等兵:2012/05/21(月) 12:58:25.58 ID:???
ゼンマイはあったんじゃね?
あ、鯨のひげか?
786名無し三等兵:2012/05/21(月) 12:58:29.74 ID:???
当時の金属バネじゃストローク量取れないだろ
787名無し三等兵:2012/05/21(月) 14:10:19.54 ID:???
ググったら16世紀のプレートアーマーは
スプリング鋼製だったみたいなことが書いてあったから
その技術応用したら作れるんじゃね?
788名無し三等兵:2012/05/21(月) 14:19:36.06 ID:???
16世紀の素材でわざわざクロスボウなんか作ろうとする男の人って
789名無し三等兵:2012/05/21(月) 14:25:37.26 ID:???
スプリング鋼とかはともかく、その竹バネのデッキュは大型化すれば
甲冑相手に通じるくらいの威力になるのかな?
790名無し三等兵:2012/05/21(月) 14:32:41.75 ID:???
小学生の頃に、割り箸鉄砲改造して作った、輪ゴムクロスボウは、
割り箸の矢の先っちょを鉛筆削りで尖らせただけなのに、
普通にダンボール貫通していたな。
1射でビビッて封印した。

40年近く昔の思い出。
791名無し三等兵:2012/05/21(月) 14:40:53.00 ID:???
胸に刺さったら気胸起こすくらいの威力はあるぞ。
封印して正解w
792名無し三等兵:2012/05/21(月) 15:00:10.13 ID:???
793名無し三等兵:2012/05/21(月) 21:50:16.87 ID:???
そもそも16世紀頃にクロスボウが廃れたのって、威力が劣ってたとかじゃなくて製造が難しかった事から銃に駆逐されたんだろ。
クロスボウの欠点は、古今東西どこでもコストパフォーマンスだよ。

作ろうと思えば、プレートアーマー抜くクロスボウは作れたと思うよ。
ってか、最悪バリスタみたいに大型化すればいいんだし。
794名無し三等兵:2012/05/21(月) 21:57:31.56 ID:???
あれ?強力なクロスボウならプレートアーマーって普通に抜けるんじゃないの?
795名無し三等兵:2012/05/21(月) 21:58:29.38 ID:???
初期のマスケット銃はクロスボウにも劣る威力だったけど音という副産物があったからな
あれの威嚇能力はもう少し評価されてもいいんでないか?
隠密性は喪われるから一長一短ではあるが
796名無し三等兵:2012/05/21(月) 22:25:37.62 ID:???
勘違いしてる人が多いみたいだが、初期のマスケットでもスティールクロスボウより10倍以上のジュールがあるぞ。

16世紀のプレートアーマーには基本的に従来型の弓は殆ど通用しない。
だから銃が使われた。
797名無し三等兵:2012/05/22(火) 00:06:07.04 ID:???
初期のマスケット銃ってジュールはあっても無駄にし過ぎだ
弾が丸っこい上にスピンも滅茶苦茶で有効射程は短いし集弾性も劣る
クロスボウと違って運用に腕力がいらないことが最大の利点だな
798名無し三等兵:2012/05/22(火) 00:22:12.21 ID:???
>>790
厨房時代に悪友と竹刀の竹を二枚使った弓を作成したがあまりの威力にたまげて焼却炉にぶちこんだな。
薄いベニヤくらいならば貫通しちゃうし…
799名無し三等兵:2012/05/22(火) 01:41:30.78 ID:???
>>795
ただ爆音がすればいいならわざわざマスケットを使うまでもなく
それまでの手銃や焙烙玉でいいだろ
800名無し三等兵:2012/05/22(火) 02:02:47.19 ID:???
当たったら死ぬ威力で轟音なほうが怖いだろ
801名無し三等兵:2012/05/22(火) 09:04:05.53 ID:???
ヤオイ
802名無し三等兵:2012/05/22(火) 09:19:34.15 ID:???
>>801
宗主国にお戻り下さいm(__)m
803名無し三等兵:2012/05/22(火) 11:41:20.86 ID:???
>>797
当時のマスケット銃の火薬は球状でさえない。
中世の火薬屋の写本があるけど、
パン屋みたいに火薬をペースト状にして、酢を加えて、びろーんと台の上において、日干し感想
それを木槌で叩いてにして、網目の付いたボウルに入れて、料理みたいにサッサと振ってその小さい塊を使った。

球が球状になるのは15世紀の中世末期だな
804名無し三等兵:2012/05/22(火) 13:49:14.83 ID:???
>>803
軍用の火薬は後世でも余り質が良いとは言えなかったみたいだね。
18世紀にはペーパーカートリッジが開発されていたのに猟兵やライフル銃兵がパウダーホーンを下げていたのは、
精密射撃に使用する為の、きめの細かい良質な火薬を持ち歩く必要から。
火の着きが良く種火を起こすのに適していたので農民が欲しがり、酒や食糧と交換してしまう兵士が後を絶たなかったらしい。
805名無し三等兵:2012/05/22(火) 14:08:37.75 ID:???
ペーパーカートリッジって日本でいう早合だからなあ。
806名無し三等兵:2012/05/22(火) 14:16:31.83 ID:???
獣脂を塗って防湿処理はしあったんじゃなかたっけ。
豚の脂を使っていたせいでセポイの乱が起きて鎮圧用にダムダム弾が開発されたというのを昔月刊GUNで読んだ。
807名無し三等兵:2012/05/22(火) 14:34:58.19 ID:???
早合はバンダリアの方が近いかと。
808名無し三等兵:2012/05/22(火) 18:20:39.53 ID:???
>>799
爆音がすればいいのではなく爆音という副産物も強いって話をしてんのだが
特に馬のいる戦場では爆音耐性の調教方法が確立されるまで音と火力両面で意味があった
戦場では火薬以外にも人の声や金属の激突音とかあるから爆発音無双したとかそういうわけではないが
それでも訓練されてないことに対して馬はかなり臆病だぞ
809名無し三等兵:2012/05/22(火) 18:25:37.57 ID:???
>>803
丸いというのは弾薬の弾の方で弾薬の薬の方じゃないんだ
15世紀の弾丸が丸かったかどうかは確かに知らんので
それも丸くなかったと言われたらそれまでなのだが
810名無し三等兵:2012/05/22(火) 18:30:27.35 ID:???
球状じゃなかったらどんな弾を使っていたのな?
気になる
811名無し三等兵:2012/05/22(火) 19:58:18.68 ID:???
そのへんの石ころをいっぱい詰め込みます
812名無し三等兵:2012/05/22(火) 21:07:49.10 ID:???
石といえば射石砲に使う石弾ってのもやっぱ丸く整形されたものなんですかね?
813名無し三等兵:2012/05/22(火) 23:50:17.20 ID:???
>>812
ウィーンの陸軍史博物館に展示されてる、15世紀初期の射石砲
口径が80cmで、1533ポンド(697kg)の石弾を放つことが出来たとか。

こういうメガホン状の形状では、球は砲身内で激しくぶれるから、弾道力学上たいへんよろしくないが
これは中世末期の技術的限界の妥協の産物で、完全な筒上にすると内壁が長時間の爆圧に耐え切れなくて破裂して
付近の兵士が大変危険だった為らしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Bombard-MortarOfTheKnightsOfSaintJohnOfJerusalemRhodes1480-1500.jpg
814名無し三等兵:2012/05/22(火) 23:56:24.93 ID:???
大砲と言えばシャルル突進公って野戦砲を採用して200年速い三兵戦術してたんだよな

スイス歩兵と戦った時、雨降ってて死んだけど
815名無し三等兵:2012/05/23(水) 00:09:58.99 ID:???
実は百年戦争一番で、長弓とクロスボウのタペストリーで有名な「クレシーの戦い」
でも火器が使われてたって記録が2つほどある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B
一つは、ジョヴァン・ヴィラニというイタリアの歴史家が記録を残してる。
もう一つは著者不明の「ピストイアの歴史」(イタリア北部の都市)。
ちなみに、2つの著者は、猛威を振るった黒死病ですぐ亡くなってる
816名無し三等兵:2012/05/23(水) 10:40:30.09 ID:???
騎兵の突撃って前列が倒れたらめっちゃ邪魔な障害物になるが
そのへんどうしてたんだ
817名無し三等兵:2012/05/23(水) 10:47:50.47 ID:???
クレシーだと、フランス側は倒れた騎士や前方にいたクロスボウ傭兵を
踏みにじって突進したと歌われてる
818名無し三等兵:2012/05/23(水) 12:38:06.62 ID:???
例えじゃなくて屍を物理的に越えてくんだなw
819名無し三等兵:2012/05/23(水) 12:44:45.60 ID:???
人間程度なら蹴散らせそうだけど倒れた馬は馬任せで避けてくれること期待なんかな
820名無し三等兵:2012/05/23(水) 15:13:33.40 ID:???
そこんとこは華麗な手綱さばきで飛び越えるんじゃね?
821名無し三等兵:2012/05/23(水) 17:19:43.06 ID:???
そういうのを踏み超える訓練も込みで調教なんじゃないの?
822名無し三等兵:2012/05/24(木) 22:48:24.97 ID:???

キングダムは遊兵が多いなあ

歩兵は最前列が戦ってばかりで、後ろのほうが戦う頃にはもう劣勢だろう。
長篠の三段構えみたいにどんどん交替できるなら別だけど。

そう言えば、第三列とかいうあだ名のやつがいたな。
823名無し三等兵:2012/05/24(木) 23:36:23.73 ID:???
ファランクスなら後ろの奴も参加するんだけどね
824名無し三等兵:2012/05/24(木) 23:37:03.36 ID:???
長篠は交替したんじゃなくて射手と装填手を役割分担してたんだお。
まあ雑賀衆からパクった戦法なんだけどね
825名無し三等兵:2012/05/24(木) 23:42:55.45 ID:???
薄いと槍衾作っても騎兵の突撃に耐えられんぞ。厚い陣形は防御のためにあるんだ。
隊列を薄くできるようになったのは火器が発達して、騎兵の突撃を食い止められるように
なった後の話しだ
826名無し三等兵:2012/05/24(木) 23:48:28.91 ID:???
>>824
そういう戦術は弩とかクロスボウの時代からあるとか聞いたことあるんですが
記録に残ってる最古の例ってはっきりしてますかね?
827名無し三等兵:2012/05/25(金) 00:25:06.89 ID:???
>>826
蹶張士は腕力あって体が丈夫なことが必要な条件で射撃能力は問われない
多分これが最古の例かと思う
828名無し三等兵:2012/05/25(金) 01:34:31.75 ID:???
>>827
装填専用要員ですか、そんなものを用意するなんて弩って相当に重視されてますね。
時代はやはり古代中国でしょうかね?
829名無し三等兵:2012/05/25(金) 02:25:07.42 ID:???
春秋戦国から現役でそ
830名無し三等兵:2012/05/25(金) 02:47:25.73 ID:???
>>828
具体名で蹶張士というのが出てくるのは史記で前漢建国の功臣である申屠嘉の伝の注釈

それ以前に始皇帝が「蹶張之士」を集めたという話はあるけど
これが射撃能力を問わない「主張強弩(主に強弩を張る)」する蹶張士なのか
射撃能力込みの腕力自慢なのかはわからない
831名無し三等兵:2012/05/25(金) 03:45:40.44 ID:???

>>825
まあ、それはそうなんだけど、
余裕があるなら虎口くらいは仕掛けたいねえ
832名無し三等兵:2012/05/25(金) 12:19:31.44 ID:???
中世からは少し外れるかも知れないけど、棒火矢って一種の擲弾だよね?
833名無し三等兵:2012/05/25(金) 15:55:43.96 ID:???
棒火矢は焼夷弾にちかいんじゃなかったけ。
834名無し三等兵:2012/05/25(金) 17:18:27.94 ID:???
【文化】 「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」で、「ロンギヌスの槍」を刀匠が再現…岡山
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1337827520/271

271 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/05/24(木) 14:59:31.26 ID:mIjCgVg/0
>>269
中国の剣ってのは役立たずで、明の時代には日本刀が主要装備になったくらいだからなあ。
漫画とかアニメもいいけど歴史も学ぼうや。

戚継光『紀効新書・長刀解』
日本人には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。その勢いを止められない。
日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を
備えるべきだ。

ttp://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm  
嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。  
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、  
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)この論断は歴史的事実と確かに一致している。  

835名無し三等兵:2012/05/25(金) 18:17:19.15 ID:???
そういや日本刀が輸出されて使われた話は有名だが、弓とか鎧はあんま聞かないね。
中国人やヨーロッパ人の記述でも刀ほど多くないし。
836名無し三等兵:2012/05/25(金) 19:27:04.32 ID:???
>>835
逆に戦国時代日本では、西欧から鎧を輸入してましたな。
837名無し三等兵:2012/05/25(金) 19:33:40.63 ID:???
>>835
フロイスは日本の鎧はヨーロッパの槍に耐えられるものではないとか書いてるな。
弓は何かあったかなあ、ちょっと調べてみる。

あとバックラーと片手剣を秀吉に見せたが秀吉は日本刀のほうに満足を示した、
みたいなことも書いてあった。
838名無し三等兵:2012/05/25(金) 19:53:55.41 ID:???
>>835
鄭成功軍向けに日本刀と鎧が輸出されたって件は?
鉄人隊も日本人だけでは無かったそうだし。
もっとも、史実と言うよりは軍談の世界だが。
839名無し三等兵:2012/05/25(金) 20:04:04.31 ID:???
>>837
ヨーロッパの槍って、ランスチャージだろ?
そりゃそんなもんに耐えられるはずないわww
840名無し三等兵:2012/05/25(金) 20:08:08.16 ID:???
>>839
いやいや、パイクだって有るだろうに。
841名無し三等兵:2012/05/25(金) 20:17:18.39 ID:???
パイクに耐えられないなら、日本の普通の槍にだって耐えられないわけだが
842名無し三等兵:2012/05/25(金) 20:55:06.01 ID:???
日本の長槍はしなるから
843名無し三等兵:2012/05/25(金) 22:29:52.48 ID:???
変なことでもめるなよw
なんとなくだけど、ランスチャージの方じゃないかな。
パイクは威力について語られることの少ない武器だし。
どうしても知りたければ原文の単語を検討すればわかることだと思う。

ちなみにインド副王に送られたその甲冑のうち一領は肋骨胴具足だそうだ。
板金鎧で胴丸とかより強靭なはずなんだけどね。これらは余計な附録をつけられたり
勝手な解釈で補修されたりしながら現在も王宮武器庫に納められているとのこと
なのでちょっと検索してみるわ。
844名無し三等兵:2012/05/25(金) 22:38:57.46 ID:???
でもフロイスさんは16世紀も後半の人ですよね?
もはや欧州の戦場でもランスチャージは廃れているんじゃ?
845名無し三等兵:2012/05/25(金) 22:41:29.58 ID:???
ちょっと手間取ったが"real armeria samurai armor" で検索したら出た。
現存というにはちょっと痛々しい状態だけどなんとか残ってる。
肋骨胴も現存だな。薙刀も秀吉が送った目録にあるものだろうかね?


http://www.flickr.com/photos/8036453@N07/477640363/
http://www.flickr.com/photos/8036453@N07/477640291/

これも肋骨胴の同一品だろうかと。
http://i.ebayimg.com/00/s/MTQzMFgxMDAw/%24(KGrHqV,!p8E-64bB!LOBPu%2BCnC2M!~~60_57.JPG
846名無し三等兵:2012/05/25(金) 22:51:47.57 ID:???
>>844
前代の武芸ってのはすぐさま完全に廃れたりはしないでしょ。
日本でも騎射なんかは16世紀後半になっても個人レベルでは行われていたことが
報告されているし。
847名無し三等兵:2012/05/25(金) 23:01:51.02 ID:???
つか、槍を持ったレイターもいるし。
848名無し三等兵:2012/05/25(金) 23:04:06.34 ID:???
若干スレ違いのような気もするが、16世紀後半でもランサーは結構使われてる。
849名無し三等兵:2012/05/25(金) 23:06:05.43 ID:???
近世になるか。
過渡期ってのは色々いて面白いな。しかも後々ウーランとして復活するし。
850名無し三等兵:2012/05/25(金) 23:46:30.22 ID:???
>>838
鉄人部隊には興味があるがどういう史料を当るべきなのかわからん。
851名無し三等兵:2012/05/26(土) 00:29:21.23 ID:???
>>836
南蛮胴といえば織田信長や上杉謙信のイメージが強いが
実際にはこの2人は南蛮胴を着てなかったって説があるな。
852名無し三等兵:2012/05/26(土) 00:31:32.80 ID:???
>>839
むしろ、アレまともに食らったら鎧とか関係なく死なね?
853名無し三等兵:2012/05/26(土) 00:33:23.13 ID:???
日本に板金鎧が入ってきたのは信長死んでからって話だな
854名無し三等兵:2012/05/26(土) 00:42:53.53 ID:???
さすがに戦国時代ネタはスレ違い

軍事板内でのスレの時代分け

中世・古代総合スレ ここ

近世総合スレ
[近世総合]大坂の陣、火縄銃、戦国・江戸・大航海時代3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1296659597/

19世紀後半総合スレ
日本史で見ればペリー来航・幕末・明治新政府・西南戦争・日清戦争。
世界史で見ればパックス・ブリタニカ、インド大反乱・南北戦争あたり
幕末(19世紀後半)の軍事全般4
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1309702976/


古典理論・歴史系
[孫子]戦理・戦略・地政学・歴史・理論0010[戦争論]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1290002931/
855名無し三等兵:2012/05/26(土) 00:50:12.39 ID:???
>>854
そっちのスレでも頑張ってるけどなんか頑張り方が間違ってるような。
どちらのスレにしろ議論が終わればあっさり話題が切り替わるようなスレなんだから
多少は流れに任せようぜ。
856名無し三等兵:2012/05/26(土) 01:08:10.78 ID:???
鎧で思い出したが、ニコラオ・ランチロットが
1547年にポルトガル王に宛てた書簡には

>閣下の質問、日本人の間に、戦いが行なわれるかということについて、彼(アンジロー)が言うところによると、 ・・・・・
>日本には、鎖帷子、胸当、兜、頤甲及び腕章があります。
>彼等はまた腿や脚部に鉄でできた具足を付ける習わしがあります。

ってあるんだが、鎧の下に鎖帷子着るようになったのはいつぐらいからかな?
857名無し三等兵:2012/05/26(土) 01:09:17.98 ID:???

このスレで扱う時代は足利義政が死ぬまでくらいか?

北条早雲は入りますか?
858名無し三等兵:2012/05/26(土) 01:40:18.32 ID:???
ヨーロッパだと1520〜1530年頃からが近世
日本だと室町幕府滅亡あたりからが近世
っていう見方が一般的。
とりあえず応仁の乱〜寧波の乱辺りまでは問題ないんじゃない?
859名無し三等兵:2012/05/26(土) 01:50:57.50 ID:???
いや、Mフロッグ提唱だと(ちょっと古い考え方だけど)
西ローマ帝国崩壊の5世紀後半から
ビザンツ帝国陥落の15世紀中盤から後半が中世
860名無し三等兵:2012/05/26(土) 03:32:31.00 ID:???
軍事板近世総合スレの話題取扱い範囲は西暦1400年〜1850年ぐらいとのこと

[近世総合]大坂の陣、火縄銃、戦国・江戸・大航海時代3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1296659597/1
>国ごとで、中世・近世の区分けの解釈が違ってきますが、
>だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで
861名無し三等兵:2012/05/26(土) 03:39:33.83 ID:???
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm (軍事百科事典 軍事年表より)

1281年 弘安の役(元寇)
1301年 ドイツのアムベルグ市に火砲が登場
1313年 ドイツ、フライブルグの僧、ベルトルド・シュワルツが黒色火薬を製造して火砲に応用
14世紀中頃  ハンドカノン(ハンド・ガン)登場(後の小銃)
1337年 百年戦争はじまる
1338年 パリに火薬と火砲が出現
1340年 スルースの戦い
 木造軍艦にはじめて火器が持ち込まれて使われた戦いとされているが異説もある
1346年 クレーシーの戦い
 火器(銃筒のようなもの)がはじめて使われた戦いとされているが異説も多い
1368年 飛槍登場 (明)
 ロケット(推進力として火薬をもちいた兵器)としてはこれが最初。ただし、槍が飛ぶだけで爆発はしない。
1400年 フランスに初めて鋳鉄弾が登場
1419年 フス戦争(ハザイト戦争)勃発   野戦においてはじめての大砲が使用される
1450年頃 鉄から青銅製の大砲が主流になりはじめる   弾も石弾から錬鉄弾が主流に
1467年 応仁の乱
1498年 ライプチヒの銃工ガスパルト・コルナが銃腔に腔線をきる技術を発明
1500年 歯輪発火装置発明
1510年 ニュルンベルグのコッターがライフル銃の射撃テスト実施
1515年 歯輪発火装置をもちいたアルクビュス銃が作られる
1526年 第1次バーニーバットの戦い  インドで初めて鉄砲が戦場で使われる
1540年 ビッテリ、ピストルを発明
1543年 種子島に鉄砲伝来  島の古老が伝え聞いていた蒙古軍がつかった火薬を使う手投げ弾”てっぽう”から、鉄砲(てっぽう)という言葉が生まれる。
1544年 種子島に大筒製法が伝わる
1550年頃 ライフル銃が戦場に出現するようになる
862名無し三等兵:2012/05/26(土) 03:57:22.76 ID:???

>>1
> 軍事板の古代・中世の総合スレです。
> 古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する

ってあるね。
ってことは、このスレでの日本なら1543年以前だね。

863名無し三等兵:2012/05/26(土) 04:31:45.55 ID:???
>>862
その時代、種子島以外にも伝来はしていたと思うのだが
マラッカ式火縄銃が伝わったとはっきり記録に残っているのが種子島の1543年

北条五代記から永正七年(1510)初伝来という説もあるけどね

何年と区切らず、弓・刀・槍・馬などに鉄砲出現以前の戦争・軍事については、ここのスレでの話題でいいじゃない。

864名無し三等兵:2012/05/26(土) 08:13:22.45 ID:???
>>863
応仁の乱に「飛砲火槍」が登場するからもっと早めないと。
865名無し三等兵:2012/05/26(土) 08:50:19.11 ID:???
>>845
4、500年もほったらかしだと保存状態がヒドいな
きちんと補修すれば見違えるだろうに
866名無し三等兵:2012/05/26(土) 09:17:51.69 ID:???
片方は胴鎧が失われているのがイタイな。
いっそ肋骨胴にあっちの大袖つけてニコイチにするかw
867名無し三等兵:2012/05/26(土) 10:01:40.94 ID:???
>>863-864
まあ、明で普通に火薬が使われてた時代だし
当時の日本人が火薬を知らないっていう方が不思議だよな。
室町時代に関してはホントに研究する人が少ないからなあ。
868名無し三等兵:2012/05/26(土) 10:47:26.78 ID:???
>>863
> マラッカ式火縄銃
東南アジアのほうが火器銃器の使用は早かったってことか。
朱印船時代に、これでよく日本人傭兵がぶいぶい言えてたものだ。
869名無し三等兵:2012/05/26(土) 11:15:47.87 ID:???
>>868
白兵戦の能力を買われたのかね?
銃士は日本人で有る必要も無いだろうし。
「南洋日本人町の研究」か「続・」に、オランダ東インド会社の日本人傭兵の記録(給与支払)が載っていた気がする。
870名無し三等兵:2012/05/26(土) 11:18:35.70 ID:???
突火槍とよばれるこういった瞬発火縄式以前のタッチホールといわれる段階の銃なら種子島鉄砲伝来より前に伝わっていた可能性は高いと思う。

http://img5.pcpop.com/ArticleImages/0x0/0/650/000650713.jpg
http://big5.china.com/gate/big5/military.china.com/zh_cn/history2/06/11027560/20050607/images/12377672_2005060708503771270100.jpg
871名無し三等兵:2012/05/26(土) 12:01:09.47 ID:???
てつはうのような投擲して威嚇するものなら応仁の乱の頃には入っていたと聞いたよ
872名無し三等兵:2012/05/26(土) 12:15:16.22 ID:???
火縄銃以前の原始的な火器では、硝石を輸入する手間に合わない程度の威力しかなかったんじゃね
873名無し三等兵:2012/05/26(土) 12:16:34.62 ID:???
流れと違うが、「火器の誕生とヨーロッパの戦場」平凡社
によると、百年戦のクレシーの戦いだと、イングランド側は
6時間の戦闘で約50万本の矢を放ったらしい。移動や、隊列の建て直しとかの時間を考えると、
凄い密度の矢の嵐だったんだろうな
874名無し三等兵:2012/05/26(土) 12:23:27.96 ID:???
すさまじい発射速度だな。
875名無し三等兵:2012/05/26(土) 12:26:18.87 ID:???
>>869
どの外国人も日本人は刀槍で突っ込んでくるみたいなこと書いてるからなぁ
でも中世・近世のような世界だと戦士階級が居る国と皇帝と官吏と奴隷の国では
兵士の特性も変わったのかもしれない
876名無し三等兵:2012/05/26(土) 12:30:16.93 ID:???
フランス側にとっては、バリスタのマシンガンを喰らった感じか
877名無し三等兵:2012/05/26(土) 13:00:28.39 ID:???
>>873
1461年のタウトンの戦いではヨーク軍が1分間に12万本の矢を放ったと推測されてるね。
それを無視して突っ込むランカスター軍も凄いが。
878名無し三等兵:2012/05/26(土) 13:11:55.85 ID:???
そこまで来ると伝説の域の気がする。
879名無し三等兵:2012/05/26(土) 13:15:22.04 ID:???
しかしちょっと想像できん数だよなあ
880名無し三等兵:2012/05/26(土) 13:26:16.76 ID:???
タウトンでは、ヨーク軍だけで少ない説でも25,000、多いものだと48,000の兵がいたというから
15,000〜20,000くらいのロングボウ射手が矢が尽きるまで射てばそれほどおかしい数ではないと思う。

すぐに矢が尽きて白兵戦になったことからも、相当無茶苦茶な射撃を行なったんだろう。
ランカスター軍は、風の関係でヨーク軍に対して矢が届かなく一方的に射たれたようだ。
881名無し三等兵:2012/05/26(土) 13:35:10.62 ID:???
矢が尽きたから白兵戦って正直あまり意味のない射撃じゃないかw
882名無し三等兵:2012/05/26(土) 13:39:52.87 ID:???
多分、両軍数が多すぎてグダグダだったんだろうw
それで、戦死者13,000〜28,000人というから無茶苦茶w
883名無し三等兵:2012/05/26(土) 13:42:29.34 ID:???
>>877
タウトンの戦いはイングランド内での会戦では
最も規模が大きくかつ最も凄惨な戦いだったとされてるね。
884名無し三等兵:2012/05/26(土) 13:43:47.46 ID:???
外征に失敗したあとでそうやって思う存分国内で天下分け目の戦いできるのは島国の特権だな
885名無し三等兵:2012/05/26(土) 14:00:09.49 ID:???
矢ってどれくらい持ってるもんなんだ?
886名無し三等兵:2012/05/26(土) 14:14:57.09 ID:???
射手一人当たり、24本か30本の矢を束にしてそれが1つか2つ。
1417年のヘンリー5世の遠征では議会に鏃20万個(?)を用意するよう要請してる。
また、エドワード3世は1341年から1359年の戦役で1,232,400本の矢を使用したらしい。
887名無し三等兵:2012/05/26(土) 16:01:29.46 ID:???
気が遠くなる数だなぁ。矢と初期のペーパーカートリッジとどっちが手間かかるかな
888名無し三等兵:2012/05/26(土) 16:04:41.79 ID:???
それだけ矢を放っても置き楯並べられてたら大して効果ないような
889名無し三等兵:2012/05/26(土) 16:05:56.10 ID:???
>>852

まともにくらったらまずいが、ファールチップなら鎧でなんとかなる。
890名無し三等兵:2012/05/26(土) 16:06:17.16 ID:???
弓兵は銃兵(火縄銃)より、育てるのに時間がかかる
891名無し三等兵:2012/05/26(土) 16:40:40.12 ID:???
あと、ロングボウにしろクロスボウにしろ歩兵の前進を阻止するには十分な威力が無いのだろう。
初期の銃でも弓とは比べ物にならない威力がある上に、育てる時間もコストも安い。

火縄銃が廃れてマスケットが主役になったのも、威力が足りなかったからだと思う。
結局は、マスケットも小型化したが。
892名無し三等兵:2012/05/26(土) 17:08:55.13 ID:???
ここにあるような初期の中国の火薬兵器には惹かれるものがあるんだが
広まらず大した進化もなかったことをみると実用性はイマイチだったのかな?
集束火箭とか威力はどんなもんだろう?

http://hk.chiculture.net/0818/html/0818c09.html
893名無し三等兵:2012/05/26(土) 17:26:00.22 ID:???
>>891
火縄銃ってマスケットの一種だろ?
何言ってんだ?
894名無し三等兵:2012/05/26(土) 17:29:01.80 ID:???
アルケブスとマスケットで分けてるんじゃね
895名無し三等兵:2012/05/26(土) 17:41:04.91 ID:???
>>893
894の言うとおりアルケブスとマスケットって意味ねw
分かりにくかった。

17世紀以降は小型化したマスケットが殆どのため、違いはわかりにくいが
16世紀は、大きさでアルケブス、キャリバー、マスケットと分けて分類されてるね。
日本なら、アルケブスが中筒、キャリバーが士筒、マスケットが大鉄砲に相当するのかな。
896名無し三等兵:2012/05/26(土) 17:44:33.15 ID:???
>>887
スレ違い言われるかもしれないけど18世紀には、

・先端が半球形で球弾より少し太い棒に油紙を巻き付ける。
・半球形を利用して先端の形を整えつつ糸で縛り、その後棒を抜く。
・球弾を先端まで落とし込んだ後に球弾の後ろ辺りを縛る。
・その後ろに規定量の火薬を入れ、残った部分を折り返し糸で縛る。

一個に掛かる時間は判らないです…
897名無し三等兵:2012/05/26(土) 18:40:45.02 ID:???
http://www.cos.url.tw/tacticspattern/id10001.htm

宋の時代の『武經總要』には張弩人、進弩人、發弩人の三列でやってるのが確認できるようだ。
まさしく三段打ちだな。
898名無し三等兵:2012/05/26(土) 19:11:28.31 ID:???
高価な弩を1人に弩1つだと1人殺られたら弩1つが無力化されるのが
1つの弩に複数人割り当てる事で防止出来るし装填作業の疲労軽減になるし行軍時に弩1つに対して矢束をたくさん持てるしなかなか良いね
書いてて思ったけど二次大戦のソビエトの「銃は2人に1つだ!」を思い出した('A`)でも分隊機関銃の運用みたいな物か
899名無し三等兵:2012/05/26(土) 21:06:15.23 ID:???
>>888
アジャンクール・クレシー
いずれもイングランド側が設定した戦場にフランスが乗ってきたわけやからな
900名無し三等兵:2012/05/26(土) 21:31:29.57 ID:???
防御側だからこそロングボウの威力を最大限に発揮出来たって事かね。
901名無し三等兵:2012/05/26(土) 22:03:23.52 ID:BIShRYUU
しょうもない質問だけど 刀剣のうち、両刃のものと片刃のものの利点と欠点ってなんだと思う?
902名無し三等兵:2012/05/26(土) 23:54:35.73 ID:???
メンテのし易さかな

片刃の方が研ぎが楽だし
903名無し三等兵:2012/05/27(日) 00:24:56.66 ID:???
片刃は斬るのに適していて、両刃は刺すのに適していてるって聞いたことがあるお。
904名無し三等兵:2012/05/27(日) 01:26:42.76 ID:???
>>888
当時の長弓の威力はすてたもんじゃないぞ

イベリア半島産イチイ単材の2mの長弓だと、
作り出せる瞬間張力は180kg、矢の長さは36インチ。
長いから空力抵抗受けて、150m以内でないと有効な威力は出なかったらしいけど
長い矢自体の質量と、運動によって一般的な盾を貫通する威力があった

あと持ち前の連射速度で、中世を通じて戦場の重大な要素になり続けた
クロスボウにその存在が取って代わられることは、結局無かったらしい。
攻城戦とか、射撃体勢に余裕がある場面だとクロスボウはよく使われてたらしいけど。
905名無し三等兵:2012/05/27(日) 01:38:48.75 ID:???
しかしタウトンの死傷者の大半は敗残兵狩りによるものと言われてるし
実のところあんまり成果上がってないよね
906名無し三等兵:2012/05/27(日) 01:49:27.33 ID:???
戦闘序盤で矢を射ち尽くしてる。
その上、一方的に射たれた側のランカスター軍は数でヨーク軍を大きく上回ってる。
数で劣勢でしかも側面攻撃を受けて左翼が崩れたヨーク軍がノーフォーク軍が来るまで長時間戦闘を継続して
互角以上に戦ったのは、序盤の射撃が相当成果を挙げたからだろう。

第一、戦闘で死傷者を最も多く出すのは追撃戦であるのは常識。
907名無し三等兵:2012/05/27(日) 01:50:24.15 ID:???
戦闘序盤で矢を射ち尽くしてる。
その上、一方的に射たれた側のランカスター軍は数でヨーク軍を大きく上回ってる。
数で劣勢でしかも側面攻撃を受けて左翼が崩れたヨーク軍がノーフォーク軍が来るまで長時間戦闘を継続して
互角以上に戦ったのは、序盤の射撃が相当成果を挙げたからだろう。

第一、戦闘で死傷者を最も多く出すのは追撃戦であるのは常識。
908名無し三等兵:2012/05/27(日) 02:22:29.79 ID:???
張力180kgって人間に引けるもんなのか?w
909名無し三等兵:2012/05/27(日) 04:57:56.62 ID:???

隆慶一郎の「前田慶次」は鉄弓をひいていたな。
弓の化け物だとか。
一矢で3,4人死ぬとか。
910名無し三等兵:2012/05/27(日) 08:16:10.52 ID:???
三人張りとか五人張りの強弓は、数値にすると何kgぐらいなんだろう。
911名無し三等兵:2012/05/27(日) 08:19:14.82 ID:???
そんな弓を引けるようになるためには、子供の頃からのながい訓練が必要で
左右で腕の太さが違ったとか。
912名無し三等兵:2012/05/27(日) 09:38:06.85 ID:???
大西洋に沈んでいた
1545年イングランド船籍の弓兵の遺体の病理検証だと
左前腕、上部背骨、右手の3指に激しい骨格変形が認められたらしい
これらは弓を打つ際に負担が掛かる部分だから、相当ハードな訓練をしていたと思う割れる
913名無し三等兵:2012/05/27(日) 09:46:56.17 ID:???
>>904
180kgじゃなくて180lbsの間違いじゃない?
メアリーローズで発見された弓で最も重かったのが180lbs。
914名無し三等兵:2012/05/27(日) 09:50:04.36 ID:???
>>908
大人2人ぶら下げて3本指で片手懸垂するレベル
915名無し三等兵:2012/05/27(日) 09:52:57.43 ID:???
ぱねえ!
916名無し三等兵:2012/05/27(日) 10:11:39.37 ID:???
そこまで行ったら素手で充分闘える気がする・・・
917名無し三等兵:2012/05/27(日) 10:13:42.20 ID:???
>>910
現代の弓道でもたまに50kg以上の弓引く人がいるからそんくらいはあったんじゃね?

>>913
だとしても張力90kgくらいだろ?
果たしてそんなの引ける奴いんのか?w
918名無し三等兵:2012/05/27(日) 10:39:47.39 ID:???
>>917
きっとアリスターオーフレイムやブロックレスナーみたいな奴がいたんだよ
919名無し三等兵:2012/05/27(日) 10:42:37.23 ID:???
>>917
↓の動画で現代の弓術家が150lbsのロングボウを撃っている。
http://www.youtube.com/watch?v=MwnibCKqYbk

この人の最大記録は202lbsらしい。
920名無し三等兵:2012/05/27(日) 10:43:22.57 ID:???
まあ一人くらいいたかもしれんが、その集団とかほんと勘弁してって感じだな
921名無し三等兵:2012/05/27(日) 10:48:49.24 ID:???
>>919
いかにもって感じのガタイのいいおっさんやねw
922名無し三等兵:2012/05/27(日) 12:29:14.92 ID:???
>>920
メアリーローズで見つかった130張以上のロングボウの平均張力が150lbs、つまり70kg弱。
メアリーローズに乗っていた射手は、ヘンリーの親衛隊だろうからエリート射手なんだろうが、
それにしても恐ろしい集団だ。
923名無し三等兵:2012/05/27(日) 13:44:37.08 ID:???
>>920
まあ為朝とかはやっぱり人外クラスだから記録されたわけで
コンスタントに戦列に揃えられるレベルってどれぐらいなのかねえ…?
上の方のヨーク軍とかだと、相当の数がいたっぽいが
924名無し三等兵:2012/05/27(日) 14:00:20.41 ID:???
ナショナルジオグラフィックで和弓とロングボウ比較してるやつ無かった?
925名無し三等兵:2012/05/27(日) 14:02:52.45 ID:???
どれくらい凄いのかよくわからん
ベンチプレスで言えばどんなもん?
926名無し三等兵:2012/05/27(日) 14:09:22.67 ID:???
>>923
>>71に百年戦争で英軍が動員したロングボウ兵の詳細な兵数がある。
927名無し三等兵:2012/05/27(日) 14:18:37.69 ID:???
>>925
とりあえず片手で90`持ち上げてみるといいんじゃないか
928名無し三等兵:2012/05/27(日) 14:21:30.04 ID:???
>>919
この人、腕を固定して体を反らすことで背筋の力使って弓引いてんだね
これなら200いくのもわかるわ

プロのアスリートなら背筋300とか普通にあるし鍛えれば到達できる境地だな
929名無し三等兵:2012/05/27(日) 14:28:00.10 ID:???
問題はそのプロのアスリートを数千人揃えることで・・・
930名無し三等兵:2012/05/27(日) 14:34:51.29 ID:???
だから樵に金出して骨格変わるまで訓練するんでしょ?
樵って背筋力むっちゃ凄いから下地があるわけだよね
931名無し三等兵:2012/05/27(日) 14:46:46.07 ID:???
引くこと自体は納得できなくもないが、180ポンドクラスの力がもろにかかってる矢を摘んで抑える右手の握力ってのは心底信じがたい
932名無し三等兵:2012/05/27(日) 15:03:50.88 ID:???
>>928
弓道でも腕力より背筋使うっていうしな
933名無し三等兵:2012/05/27(日) 15:40:16.27 ID:???
まあシルバーグリップのナンバー4、握力166キロ相当を閉じる人間も何人かいるくらいだから
934名無し三等兵:2012/05/27(日) 15:46:13.41 ID:???
力に頼るだけじゃ数はこなせないから
握力よりもやはりやり方の問題じゃなかろうか?
もちろん骨格変形するまでの訓練前提で。
935名無し三等兵:2012/05/27(日) 16:32:45.28 ID:???
>>924
「張力が同じ条件なら」和弓のが威力高いって結果が出てたな。
弓の張力は威力を知る上で重要なファクターなのは明らかだが
それ以外にも威力を高める為に弓職人は色々と工夫してたんだろうね。
936名無し三等兵:2012/05/27(日) 17:05:25.28 ID:???
安息日の教会の帰りは必ず弓を引くことという法令があったり、賞金つきの競技会が
開かれたり、裁判の判決は弓の腕で決めるとして、熱心に練習させたりとあの手この手で
確保してるよ。
937名無し三等兵:2012/05/27(日) 17:24:45.82 ID:???
弓の射手も特殊技能みたいなもんなんだね。何のかんのでマスケットが普及した理由が分かった気がする
938名無し三等兵:2012/05/27(日) 18:08:15.82 ID:???
引き尺が長い方が結果として矢に大きいエネルギーを与えられる
単純な張力ではなく、引き絞っていく途中の加重の積分値が矢に与えられるエネルギーだから
939名無し三等兵:2012/05/27(日) 19:12:39.09 ID:???
中央アジアの遊牧民が使う弓は大きくないけど
湾曲させた形状により小さい引き尺でも大きいエネルギーを得えられる

遠距離用の矢で600m飛ばした記録があるそうな
940名無し三等兵:2012/05/27(日) 19:19:09.07 ID:???

銃の普及により兵士の大量供給と消費が可能になった
941名無し三等兵:2012/05/27(日) 19:24:29.17 ID:???
>>929
それを上回る威力を誰でも出せる銃の偉大さが解るな。
942名無し三等兵:2012/05/27(日) 19:58:57.07 ID:???
トルコ弓の最高記録は800mだよ。
943名無し三等兵:2012/05/27(日) 20:40:39.69 ID:???
800m飛ばした後で人を傷つけれるかね
飛ばしただけじゃ戦争には使えんぞ
944名無し三等兵:2012/05/27(日) 20:43:17.74 ID:???
>>943
放物軌道で落下してくるわけだから、終端速度は結構なものかと
945名無し三等兵:2012/05/27(日) 20:49:32.34 ID:???
トルコは知らないが、日本の戦場で800m先を見通して敵を狙うチャンスって
そう多くないのでは? それぞれの国と軍隊の事情に応じて、適当な距離から
自分と同じ鎧を貫通できることが、弓兵に要求されることなんだろう。
946名無し三等兵:2012/05/27(日) 21:25:13.97 ID:???
別に800mで射撃するというわけではなくて、それくらい飛ぶ力があるということを言いたいのだろう。
947名無し三等兵:2012/05/27(日) 22:16:21.23 ID:???
そういや和弓は鏃の重さの関係で曲射にはあまり向いてないって聞いたことがある
948名無し三等兵:2012/05/27(日) 22:24:38.29 ID:???
>>944
落下速度≠発射時の速度
949名無し三等兵:2012/05/27(日) 22:52:22.85 ID:???
>>944
落下速度はその前の上昇で減速した分を取り返してるだけで
全体的には空気抵抗で減速してるだけなんで遠距離ほど速度は低い

砲弾みたいに空気の薄い高空まで上がるなら
少し長い距離を狙った場合より高くなることもあるが
それだって初速の半分以下の速度域で10%変わるかどうかって程度
銃弾とかだと速くなんかならない、距離に応じて遅くなるだけだ
950名無し三等兵:2012/05/27(日) 22:56:13.46 ID:???
下がった後の威力で敵兵に十分なダメージを与えられるなら、それでも良いんだろうけど。
日本の武士みたいに甲冑を纏った兵に効く(しかもこの場合兜を射抜けないと)となると…。
951名無し三等兵:2012/05/28(月) 03:00:10.34 ID:???
ところでヨーロッパだと、クロスボウやロングボウ使う人達は
どんな感じのバリケード築いてたの?
日本みたいに巨大な置盾とか土俵を並べた感じ?
952名無し三等兵:2012/05/28(月) 03:20:38.41 ID:???
>>947
日本の鏃はばかでかいというのは、
前スレでみた書き込みだったかな。
953名無し三等兵:2012/05/28(月) 04:28:05.38 ID:???
そんなに言うほどでかくなくね?
ここ見ると為朝のやつ以外は精々5cm前後だし。
http://www.juuso-kidokan.com/kyuguhakubutukan043.html
954名無し三等兵:2012/05/28(月) 10:02:22.61 ID:???
>>951
野戦なら陣地に空堀作ったり、
槍兵でファランクス組んで前線に並べて騎兵対策。
篭城戦なら言わずもがな
955名無し三等兵:2012/05/28(月) 11:36:31.24 ID:???
置盾のこと聞いてるんでしょ。mantletやpaviseってのがあるよ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mantlet

http://en.wikipedia.org/wiki/Pavise

元々は形状のことを指していたみたいで小型の手持ちのpaviseもあるのがちょっとややこしいが。


日本の掻盾や竹束なんかも日本のmantletやpaviseとして紹介されるくらい。
http://www.twcenter.net/forums/showthread.php?t=409233

ただ、一般的には掻盾の方もpaviseとする例が多いような。
956名無し三等兵:2012/05/28(月) 13:10:56.15 ID:???
>>943

威嚇とか牽制には使えるでしょ。
957名無し三等兵
パイクと言えばイングランドはすぐ隣にスコットランドがあったけど
百年戦争やバラ戦争にパイクを導入したことはあるの?
見た感じイングランドにパイクが現れ始めたのはヘンリー8世の頃みたいだけど。