【月光改】日本航空機開発史改竄編15【陸軍彗星?】
1938年9月、三菱は一社特命で、14試局戦の内示を受けた。
陸軍の依頼で三菱は、九二式重爆撃機の後継機としてユンカースJu90四発旅客機の購入検討のため、
ユンカース社に三菱重工の本社営業課長を派遣して交渉したが、交渉は1938年9月に断念。
ドイツ滞在中の三菱スタッフはFw200に興味を持ち、交渉の結果Fw200の訪日飛行が実現する。
11月28日、立川に向け、ベルリン・テンペルホーフ空港を飛び立つFw200。
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パイロットはクルト・タンクだった。
三菱は、14試局戦の開発にあたり、フォッケウルフ社にどこまで協力を仰げるのかどうか、
それを探るため、東京にクルト・タンクを招聘したのだ。Fw200の売り込みの目的も兼ねて。
クルトは、Fw190のコンセプトを熱弁し始めた。
この時期、零戦は熟成の途中(1号機初飛行39年4月)である。
堀越チームに、14試局戦を零からの新規開発という負荷をかけるよりは、
フォッケ社の図面から改造設計した方が、早期に局戦を開発できるだろう、と三菱上層部は判断した。
Fw190に火星を搭載し、零戦で培った軽量設計を加味すれば、6000m5分30秒の上昇力を誇る局戦が完成するだろう…