1 :
名無し三等兵:
Z旗上げ!
2 :
名無し三等兵:2011/12/11(日) 21:54:30.66 ID:???
2ゲット
3 :
名無し三等兵:2011/12/11(日) 21:55:08.80 ID:???
戦争は何も語らないよ
体験した人が、知った人が語るだけ
4 :
名無し三等兵:2011/12/11(日) 22:05:37.51 ID:???
日露戦争経験者はさすがにいない
5 :
名無し三等兵:2011/12/11(日) 22:30:58.39 ID:???
おちんちんきもちいいお(´;ω;`)
6 :
名無し三等兵:2011/12/11(日) 22:39:09.71 ID:???
このお腹の痛みが消えるなら征露丸でもヒロポンでも何でもいい
とにかく助けて…
7 :
名無し三等兵:2011/12/11(日) 22:55:17.95 ID:???
韓国人のイメージ100年
「上流階級は不正でまひし、無駄食いしている。
出世への道を閉ざされた中産階級にはエネルギーを発散できる職場が見つからない。
下層階級は飢え死にしない程度に働く」。
英国の地理学者イザベラ・ビショップ氏が『韓国とその隣国』に書き記した朝鮮王朝時代末期・大韓帝国時代の韓国人の姿だ。
ビショップ氏は1894年から97年にかけて4回も来韓し、韓国の問題点として三つのことを指摘した。
国家システムの崩壊、官僚の腐敗、寄生虫のような両班(貴族)階級だ。
同氏は、韓国人が最も劣った民族で、その状況が改善される見込みはないと考えた。
そうした中、ロシアの自治区で韓国人の移住者に出会った。
「政府の干渉なしに村を興そうとしている彼らは美しく活気に満ちあふれ、豊かに見えた。
国を後にした男たち特有のしょげた姿はみじんも感じられなかった。
疑心と怠惰、自分よりも恵まれた人をねたむ奴隷根性は、主体性と独立心に変わっていた」。
さらに「母国の韓国人たちも、正しいことを行う政府の下で生計の保護を受けることができれば、真の市民として発展するだろう」とつづった。
日本占領軍司令官のダグラス・マッカーサーは1947年、次のように話した。
「韓国人は日本人と違って、民主主義を行う用意ができていない。韓国人には権威的で力強い統治者が必要だ」。
さらに、血生臭い韓国戦争(朝鮮戦争)を経験することで、韓国に対する世界の人々の否定的な見方はいっそう深まりを増していく。
しかし、戦争ドキュメンタリー作家のジョン・トーランド氏はピュリツァー賞を受賞した『大日本帝国の興亡』で「韓国人は嵐のように強烈な性格を秘めている」と表現した。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/12/11/2011121100201.html
8 :
名無し三等兵:2011/12/12(月) 02:25:43.60 ID:???
フィリピン獲られて悔しくて大騒ぎした坊ちゃん爺が何言ってんだよ
米軍内でもめんどくて扱いに困ってたようなアホだろ
9 :
名無し三等兵:2011/12/12(月) 04:36:37.80 ID:???
10 :
名無し三等兵:2011/12/12(月) 21:18:08.84 ID:???
アウ・・ォォォウ・・
○ ○ グッポグッポ
( ヽ ○/l ))
)))」 ̄[ 乙
11 :
名無し三等兵:2011/12/12(月) 23:32:31.33 ID:???
12 :
名無しでいいとも! @放送中は実況板で:2011/12/14(水) 23:17:29.78 ID:PNj5myx6
28センチ榴弾砲ぱねぇ〜
13 :
名無し三等兵:2011/12/15(木) 00:35:40.15 ID:9a4nGqcj
14 :
名無し三等兵:2011/12/15(木) 17:22:44.57 ID:qIBZPt3+
「三笠・長門見学」
船は横須賀の波止場へ着いた。ポーッと汽笛が鳴る。私達は桟橋を渡つた。薄曇りで、また酷い暑さの今日は、海迄だるさうだ。
併し、僕達は元気よく船から飛び出す。三笠の門の前に集合し、そして芝生の間の路に歩を運ぶ。艦前に来て
再び集まり、三笠保存会の方から、艦の歴史やエピソォドを伺つた。
お話が終ると私は始めて三笠を全望した。
見よ! 此の勲高き旗艦を。そしてマストにはZ信号がかゝげられてゐる。
時に、雲間を割つて出でた素晴らしき陽は、この海の館を愈々荘厳ならしめた。艦頭の国旗は、うすらな風に
ひるがへり、今にも三笠は、大波をけつて走り出さうだ。一昔前はどんな設備で戦つてゐたのか、早く見たくなつた。
やがて案内の人にともなはれて急な階段を上り、艦上に入る。よく磨かれた大砲が海に向つて突き出てゐる。
こゝで日本の大きな威力が世界に見せられたわけだ。伏見宮様の御負傷の御事どもをお聴きして、えりを正した。
其処此処に戦士者の写真が飾られてあるのも哀れだ。
(続く)
平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
15 :
名無し三等兵:2011/12/15(木) 17:23:08.67 ID:qIBZPt3+
「三笠・長門見学」
私達は最上の甲板に登つて東郷大将の英姿を想像してみた。手に望遠鏡、頭上には高くZ信号。……皇国の興廃
此の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ……。とは単なる名文ではなくて、心の底から叫んだ愛国の声ではないか。
士官の室が大変立派なのにも驚いた。又会議室へ行つて此処でどんな戦略が考へられたかと思つた。艦の全体に
ペンキで戦痕が記されてある。こんなに沢山弾を受けたのに一つも艦の心臓部に命中しなかったのは畏い極み乍ら、
天皇の御稜威のいたす所であらう。艦を出て、暫時休憩し、昼食を摂る。休憩が済むと、再び海に沿うた道を歩く。
そここゝにZ信号記念品販売所等と看板があるのも横須賀らしい。さうする中に海軍工廠の門内へ入つた。
クレーンや、色々の機械の動く音と、金槌の音が、あたりを震はせてゐる。「今造つて居る戦艦は、十一月に
進水式をするのです」と案内の人が言つた。あちらでは古い旗艦を保存してゐるのに、こちらでは新しい軍艦が
どんどん生れて来てゐる。一寸面白く思つた。
(続く)
平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
16 :
名無し三等兵:2011/12/15(木) 17:23:35.51 ID:qIBZPt3+
「三笠・長門見学」
其の内にランチへ乗る。さうして五分も経たないで長門につく。先づ此れを望んで、さつきの三笠と較べて見ると、
余りにその設備の新式なのに驚いた。艦上には四十糎(サンチ)の素晴らしい大砲がある。其の太い砲口から
大きな大きな砲弾が出たらどうであらうと思ひ乍ら、案内の人にともなはれて下へ行く、水兵さんの頭を
刈つて居る所、色々な室、何も彼も物珍らしく面白い。時間が無かつたので、ゆつくり見学することが出来ず
残念であつたが、記念撮影をして再びランチに帰つた。あゝ日本の精鋭長門、こんな軍艦があつてこそ、
日本の海は安全なのであらう。ランチが着き菊丸まで歩いて、かうして今日の有益な見学を終つた。
平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
17 :
名無し三等兵:2011/12/17(土) 01:09:36.99 ID:???
伊地知 幸介は評価されるべき。
18 :
名無し三等兵:2011/12/17(土) 04:15:41.11 ID:???
評価ならちゃんとされてる。
あれほど悪評ふんぷんの人物も滅多にいるもんじゃない。
19 :
名無し三等兵:2011/12/19(月) 16:02:21.14 ID:???
乃木批判家はうそつきしかいない。
根幹的にうそしかかかない。
あれ、乃木無能なら間違いなく部隊全滅。
乃木ががんばったから無理で極端な奉天追撃戦ができた。
単に最初から自爆するのわかってて、乃木自殺命令だしただけだよね。で乃木がおしきって勝ったんだよ。
20 :
名無し三等兵:2011/12/23(金) 12:23:28.67 ID:???
20
21 :
名無し三等兵:2011/12/23(金) 15:39:58.25 ID:???
>>19 司馬史観に沈んでる老人が沢山いるからな。そして中高年は現在は「平成の開国」という言葉に酔ってる。
サイエンスの記事の中に司馬をけなしてる一文があったけど、かなり毛嫌いしてるのだと思った。
22 :
名無し三等兵:2011/12/24(土) 06:10:15.66 ID:???
F-22
23 :
名無し三等兵:2011/12/30(金) 08:54:06.74 ID:???
日ロ戦争で日本がロシアに勝ったことが
第ニ次大戦で日本がロシアに負けたことの最大の原因である
24 :
名無し三等兵:2011/12/31(土) 05:02:36.99 ID:???
シベリア出兵はスルーかよ
25 :
名無し三等兵:2012/01/07(土) 21:24:06.27 ID:???
おれもかなり長い事、乃木無能説に組していたし有能説には抵抗を覚えるけど
もしかしてもしかして、
チェルノブイリで軍30万人を投入して火消しの決断をした赤軍将軍と同じ心境だったんじゃないか
だって
26 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 11:07:40.59 ID:???
自分が犯した戦略のミスを、前線まで出向いて自ら処理した
ヒトって児玉さんくらいかな。
27 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 12:00:39.15 ID:???
まあ聞いてくれ
最近、フクシマで大惨事があって、いまだあーでもないこーでもないと原因が入れ替わっているが
203高地論争、旅順論争ってのはそういうもので
おれは結局、乃木は、誰かが人殺しとして人命を投入しなければいけない時に
甘んじて人殺し将軍、無能将軍の汚名を着て、「木石」となって汚れ仕事を引き受けたのではないのかと
ふっと寝しなに思って・・・乃木の生前の気持ちを思うとたまらなくなってしまった
もしかして乃木は、まさしく
>満州軍児玉の旅順要塞戦力算定ミス
(でも最新刊の歴史人とかよむと、当時、旅順要塞は開戦後も急速造成中で外郭要塞未着手、内郭のみ急造)の
で第一回総攻撃で、死傷15000人を出して、以降、外債募集、第三軍の北方への完全転用、大連補給港の安全の為に
児玉ともども旅順決戦に勝利しなければいけなくなってしまったのではないのか
そのためには旅順要塞を完全攻略しなけれなならないし
以後、大本営と海軍の稚拙な203高地早期攻略圧力をのけて・・・
そうだな、11月26日に予備兵力の白襷隊3000人を投入した時点で名将でも何でもなく
本当に人間の限界まで知力を振り絞って以降、児玉に指揮権を譲ったんだろうな
そこら辺が、おれは昨今の乃木名将論には違和感を覚える
28 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 12:05:34.45 ID:???
たぶん明治帝の更迭拒否、終生の敬愛は
統帥中枢だからこそできる俯瞰で、
乃木が明治37〜8年戦役で果たした機能を
純粋に評価しての結果だろうし
そして乃木の殉死は西南戦争の連隊旗などではなく
やはり自死を禁じた明治帝の不在にともない
心おきなく自分が死を命じた爾霊山(二〇三山)の同胞への
過不足ない自分への罰だった・・・としたら浪花節か
29 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 12:23:33.96 ID:???
乃木の無能はババから逃げなかったこと。
明治帝が自決を禁じたのは、任命者責任を追求されるのを嫌がったからだろ(w
30 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 12:40:53.38 ID:???
>乃木の無能はババから逃げなかったこと。
ごめん。こっちはババ(JOKER?)の意味が判らない
>明治帝が自決を禁じたのは、任命者責任を追求されるのを嫌がったからだろ(w
なるほどな そういう見方もあるわな
乃木が有能・名将という説には違和感を覚えるが
第一回強襲は、満州軍総司令部の敵要塞戦力算定ミスで、死傷者15000で総攻撃中止
第二回総攻撃(塹壕・坑道延長による強襲)は、死傷4000程度で、露軍死傷5000で拮抗でややまさっている
第三回総攻撃 (塹壕・坑道延長による強襲)で・・・このあたりから第三軍司令部は死傷者の多さに
たぶんPTSDとかストレスで機能停止したんだと思う
攻撃目標203高地転換のあたりから、満州軍総司令部の派遣参謀が徐々に第三軍の指揮権に浸食し
結末として大山さんが指揮権割譲の書類をこさえて、児玉が最終、名目的に派遣されたのだろう
ちなみに第三軍と満州軍の意見の対立はそれほどなかったはず
31 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 12:56:16.64 ID:???
戦術的にはミニWW1の塹壕戦だからね。
敵の一線を占領しても通信が間に合わずに敵の逆襲部隊に奪回される。
これの繰り返し。
203高地のときはロシアの逆襲の前に援軍が間に合った。
32 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 13:36:53.91 ID:???
予備兵力の抽出合戦で、203高地でついにロシア軍の予備いうか戦意がつきたということかな
昨今、戦略的には黄海海戦で旅順艦隊は戦意を失い戦略的には日露戦争の帰趨が決まったいうし
早計にも203高地、引いては旅順戦の意義を否定する誤解も多いが
「同兵力のバルチック艦隊は、遠征疲れの分、日本GFに必敗し、ロシアは制海権を失う」は
かならずしも主戦場の満州への補給を、陸路シベリア鉄道に頼るロシアの敗北条件ではない。
やはり旅順要塞を陥落させ、外債募集に好影響を残し
反転、第三軍は奉天会戦にまにあい、左翼で包囲延翼運動をして
クロパトキンの後退動機にならなければ、そのあとの日本海海戦、革命運動のコンボで
講和には至らなかったろう
いろんな要素が同時進行して、奇跡的に日露戦争は短期決戦講和がなった
そのなかで・・・やはり203高地は戦争全体の中の天王山だったんだろうな
33 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 13:43:47.19 ID:???
たまたまNHKで先日、(あきらかに東電の資料提供で)福島原発事故の回避の可能性を
遠からずガンで死ぬであろう現場職員のECCS系作動ミス(点検のための停止)に矮小収斂させようとする番組を見て
反吐が出た
(違うだろ、そもそも重心の高い軽水炉が津波以前の震災で配管が破れて(つまり耐震設計ミスだ)
放射能漏れを心配しての停止じゃねえか)
あの事故の後、ありとあらゆる情報操作、印象操作があふれて真相が見えにくくなったが
日露戦役後、乃木の没後の、神格化と、すでに大正時代から始まった愚将批判は
長岡外史はじめとする生存者の名誉欲とか、海軍の旅順港封鎖失敗の責任回避とか
いろんな要素が多すぎてなあ
34 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 13:46:17.52 ID:???
>>30 君は第三軍司令長官を引き受けるか?
自分なら全力で辞退する。
35 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 13:57:47.67 ID:IEA0NjXf
日露戦争体験者の本なら「肉弾」桜井忠温、「此の一戦」水野広徳が
手元にあるんだが、軍上層部が本音でどう考えていたかは「日露戦争:
英国参謀本部機密文書集 全5巻」でも読まないとわかんないよな。
36 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 14:05:45.74 ID:???
まじか そんな本があるのか
図書館とかで借り出せないかな
いやさ、先日の坂の上の雲第三期の神ぶりに驚嘆してさ
とくに「203高地」は、2000年代以降の軍事研究家が参加している時点で
児玉督戦という見せ場をつくるための、悪役伊地知のポジションとか怒りとか、要所要所でよく研究しているなと思ってさ
あと村上連隊の高地奪取に至る最後の突撃「決別!命の落とし所は戦場(いくさば)じゃ」以降
NHKは一線を踏み越えた よくもわるくも別時代、戦前の価値観、突撃の高揚感と歴史的評価を
うまく映像化したなと思った
超望遠で、豆粒のような日章旗が榴散弾破裂する丘陵を、延々のぼっていく様でちょっと泣いた
37 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 14:24:36.87 ID:???
>>36 その後の村上連隊長のいく末を考えると嫌な気分になるのは、
俺だけ?
38 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 16:48:01.01 ID:???
いや、村上のその後を知っていれば現代の多くの人は嫌な気分になるだろうよ
後の「生きて虜囚の辱めを受けず」という価値観は当時からあったにしても
「肉弾」として先頭で戦った人には敬意を払うべきとは思うわな
流石に無礼を働いたのはごく一部の将校だけとは思いたいが…
39 :
名無し三等兵:2012/01/08(日) 17:59:39.90 ID:???
こんな話もあったそうな。
陸軍少将守永弥惣次が日露戦争の捕虜についての思い出として語っているところによると
彼が歩兵第三連隊付の大尉のころ、開戦いらいはじめての捕虜が連隊本部に送られてきた。
大隊からロシアの捕虜が見たいものは許可するから本部まで来いと言ってきた。
命令ではないので希望者だけを行かせることにして、兵を整列させ、見たいものは手を挙げろと言うと、半分の者が手を挙げた。
そこで、手を挙げない兵に、守永中隊長が「どういう理由で見たくないのか?」と尋ねると
いろいろ答えが出たが、兵の一人金子亀作という一等兵が
「気の毒でありますから」
と答えた。なぜか? と聞くと
「敵とは言えロシア軍人として懸命に戦った者が、武運つたなく捕らわれの身となりました。
それがあちらこちらに引き回され、見世物扱いにされては無念でしょう。
自分は捕虜を辱めたくありませんから見物に行きません」
その答えを聞いて、それでも見物に行こうという兵がいなくなった。
守永中隊長も「自分も同感である」と誉めたという。
日本捕虜志 長谷川伸
40 :
名無し三等兵:2012/01/09(月) 01:40:47.31 ID:???
41 :
名無し三等兵:2012/01/09(月) 17:10:00.08 ID:???
煙突の太さと位置に命をかけるキチガイさんのサイトか
42 :
名無し三等兵:2012/01/10(火) 12:53:23.35 ID:b4wyIDZj
日露戦争で日本が勝利したことが、親ロシア感情を持ったロシア・東欧
出身ユダヤによるコミンテルンという組織を作ってしまったからな。
その後明石将軍がやった手口で日本に対する工作を続ける事になる。
日本国内の不満分子を指導組織化し、多額の工作資金をつぎ込み国内を
混乱させる。共産党や社会党がクレムリンからもらっていた政治資金の
一部はソ連崩壊の後に判明したが、戦前のソ連大使館、上海、モスクワ
経由の資金についての全体像は不明。
43 :
名無し三等兵:2012/01/12(木) 17:41:30.48 ID:???
>>39 WW.2で、んな事言おうもんなら
この非国民めッ!とボコボコに殴られるか即、銃殺www
44 :
名無し三等兵:2012/01/13(金) 00:27:25.38 ID:???
>>43 日露戦争は国家の名誉のための戦いでもあったからね。
WW2には名誉はないから。
45 :
名無し三等兵:2012/01/15(日) 12:30:36.86 ID:???
二〇三高地で督戦隊があったときいたけど
誰か詳細知りませんか?
いや、まじあれ
仏映画スターリングラードでおなじみのあれ
おい、あそこに喝をいれてやれ
46 :
名無し三等兵:2012/01/15(日) 12:33:21.66 ID:???
>>45 ギニューの連中があの戦場に居たのか知らなかったゾ
チェンジ!
47 :
名無し三等兵:2012/01/15(日) 12:39:32.91 ID:???
最近何冊か旅順モノ読んで、機密日露戦史の分析で、
どこかでたった1行 「●●17大隊についてその機能は研究の余地あり」は督戦隊と思われると
誰かが言っていたんだ
48 :
名無し三等兵:2012/01/15(日) 13:15:20.43 ID:???
督戦隊とは異なるかもしれないが、
よく引用される志岐守治少佐(後の中将)は、
攻撃の際に各部隊に補助憲兵が配置された事に不満を述べている。
49 :
名無し三等兵:2012/01/15(日) 15:35:01.70 ID:???
日露戦争でまぁちょっと有利に講和
↓
時は流れてWW1では英仏露に日本も加担して連合国 ← ここが大日本帝国の天井
↓
アメリカの横槍で日英同盟破棄 ← 終わりの始まり
50 :
名無し三等兵:2012/01/15(日) 18:23:44.79 ID:???
PHP文庫の別宮本「旅順攻防戦の真実―乃木司令部は無能ではなかった 」探しに
きょう書店行ったけど見つからないorz
大庭二郎日記とかも見つかったらしいし、読みたいなぁ
51 :
名無し三等兵:2012/01/16(月) 16:03:23.90 ID:J/xVS4rV
なんだよ 乃木有能説いうけど
203高地への攻撃変換は、すでに第三回総攻撃前に
東北正面攻撃失敗時の予備案として、すでに満州軍大山巌元帥の命令があったんだね
これじゃあ「最初から203高地だけ落としていればよかった」いう
海軍〜長岡・井口〜大本営〜司馬遼太郎の説が正しかったことになる
52 :
名無し三等兵:2012/01/18(水) 12:28:46.53 ID:???
203高地占領作戦って海軍の要請に応える為だけの作戦だろ
陸軍の面子だけで殺された兵隊はタマラン
53 :
名無し三等兵:2012/01/19(木) 00:16:25.50 ID:???
一応、11月26日の第三回総攻撃まで要塞東北正面2保塁を抜いて
最高地点の望台を落し、もっと旅順要塞を制するというのは
満州軍児玉の意志だしね
児玉督戦の正体は、児玉の主導で第三軍が東北攻撃を重ねていたら
とうとう12月になってしまった。
ここでせめて203高地を落して旅順港の観測射撃をしなければ責任問題になる
「私が行って乃木を指揮してきます」
「行けよ児玉さん、行って落さなければ、乃木に東北正面攻撃を継続させた、おはんの責任だぜ、はっきりいって死んでもらわなければならない」という
大山巌の冷たい視線による
54 :
名無し三等兵:2012/01/19(木) 00:36:48.74 ID:???
児玉が来る前に乃木は203高地を主攻にしてますがな
55 :
名無し三等兵:2012/01/20(金) 05:18:19.08 ID:QU/rGfR3
56 :
名無し三等兵:2012/01/21(土) 11:21:09.96 ID:???
手元に旧刊の類しかないので断言できないが・・・
旧参謀本部編さん「日本の戦史/日露戦争」(徳間文庫)によれば
明治37年11月 東郷GF長官→伊東海軍軍令部長→山県陸軍参総長質問
「12月までに旅順が落ちなければ、艦隊整備休養修理の為、港湾封鎖を一時解く(バルチック艦隊向けにGFを引き上げる)」
これに対して山県⇔大山巌満州軍司令官
「12月初めまで旅順要塞攻略(望台攻略)ができなければ、港湾を見下ろせる高地(203高地)をとり、市街軍需施設+旅順艦隊を砲撃するつもりだ」
と回答したとの一文がある
かりに11月26日に第三回総攻撃が失敗し、総予備の第7師団さえ全消耗する直前なら、
いちおう満州軍の総意として、乃木も、戦術ではなく国家の戦略として
「203高地攻略」を<えらばざるをえなかった>と思うな
57 :
名無し三等兵:2012/01/21(土) 11:37:51.05 ID:???
もっとも、よりジャーナリスティックで、
昨今の旅順戦再評価(黄海海戦時点で旅順艦隊は機能を失い、第三軍もそれを把握している)、
あるいは日本海海戦再評価(バルチック艦隊の接敵直前位置の誤報により、東郷はやむをえず敵前回頭を行うしかなかった)についての材料も
すでに記載している児島穣『日露戦争』なんかよむと・・・。
11月初旬 GFの「対バルチック艦隊戦に備えて旅順港湾封鎖作戦を解きたい」→
海軍軍令部「203高地をとれば旅順艦隊を俯瞰射撃できる」→
参謀本部次長長岡外史「旅順を陥落させるのがベストだが、できないなら203高地とって敵艦隊を処分するが次善だ」→
→(論点衝突)←
←満州軍「旅順を落とせばおのずと旅順艦隊は全滅する」
←(多少の温度差あり)第三軍「要塞外の203高地は、要塞攻略とは無縁」で
<203高地をおとす>という満州軍≒第三軍回答は、ついになかった・・・
58 :
名無し三等兵:2012/01/21(土) 11:56:42.97 ID:???
その他、第三軍は清国密偵を使用して
旅順港内の敵艦位置の「素人目測による通報」をうけ
予測半径内への「28センチ砲推測射撃」を10月にも実施し
被弾見込みもうけている
だから203高地主攻撃でなく旅順完全攻略に固執したんだろうけど
でも結局、11月27日に東北正面を抜けず
日本国最後の予備総兵力第7師団いよいよ投入しようとしている時
203高地主攻変更を命じた瞬間、
「現場のプロ」としてどんな見込みがあったというのか
とれば維持ができるものなのか
敵の逆襲、隣接敵保塁からの防御射撃、回復攻撃の有無は?
11月29日なると敵歩兵の回復攻撃がはじまり
予備兵力の消耗合戦になり、自然「決戦になる」と第三軍司令部(津野田)も
見込みを立てられたけど
11月26日の乃木の203高地攻撃主軸転換の重さというのはどんなものなのだろう
検討モトム ヲワリ
59 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 12:48:02.07 ID:???
二百三高地争奪戦って
旅順要塞攻略じゃなくて、あくまで要塞の外で決戦したって事だよね?
60 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 14:06:16.85 ID:???
203高地の奪取成功にはそれまでの正面攻撃での戦果があってこそってのが完全に無視されてるよね
最初から203高地攻撃してればロシアも予備兵力潤沢なんだから泥沼でしょ
61 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 15:09:50.43 ID:???
攻撃目標を203高地に変えずに望台のままならどうなったのかな。
1月1日までに開城させられたかどうか。
実際望台を攻略出来て開城の決め手になったのだから、正攻法を続ければ攻略できたのか。
或いは203高地で消耗戦に持ち込めなかった分、予備兵力があるロシアに更に苦戦して1月1日以降になるか。
62 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 18:22:08.20 ID:???
兵力 死傷者数
第一次総攻撃 日 50765 15860
露 33700 1500
第二次総攻撃 日 44100 3830
露 32500 4532
第三次総攻撃 日 64000 16936
露 31700 17000
第三次総攻撃で、ロシア軍の死傷者数が17000に飛躍したのは
やはり27日から要塞外の二〇三高地に「予備兵力を派遣」して
決戦したからでしょうね
これが望台占拠の為の前哨砲台争奪戦だけで、ロシア軍の被害は増えたかどうか?
ブルアリモン式要塞として、一旦、陣地を後退させ、側面からの回復攻撃
(要塞からの一方的な射撃)で、肉弾の日本軍を撃退させるだけでしょう。
旅順要塞内の露軍は、攻囲下ゆえ人的資源の再補給を受けられないのに比べ
日本軍は内地からの増援を受けられる
31700人から17000人も死傷者を出したら、これは降伏するしかないんだろうな
もっとも旅順要塞内の野戦病院のロシア兵の仮病率(=厭戦率)も相当なものらしいけど
63 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 18:33:18.32 ID:???
まあ9000人が壊血病にやられてるわけだが。
で、開城の後入った日本人が一言
「もやし食ってればよかったのに…」
64 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 19:22:39.13 ID:???
豆は食うけど、芽が出たらロシア人は食わないんだっけ
65 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 19:23:15.01 ID:???
日本軍は脚気で相当死んだんだろ?
66 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 19:24:03.15 ID:???
ロシア側にとってそこまで203高地にこだわる必要はあったのかね
後知恵で見たら、要塞外でいたずらに予備兵力減らしてるように思える
67 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 19:30:49.95 ID:???
>>65 まあ、あっちは兵士の補充が出来ないわけで
68 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 22:26:46.49 ID:???
陸軍の面子が203高地だろ
69 :
名無し三等兵:2012/01/22(日) 23:04:45.94 ID:???
一応、第二回総攻撃の頃から
二〇三高地は「旅順港=旅順艦隊を見下ろせる西北側の瞰制地」で
これをとられると、旅順艦隊を観測射撃され、要塞の存在意義を失うと
反ステッセルの、スミルノフ要塞司令官=コンドラチェンコ陸正面防衛司令官で認識されている
だから11月27日から12月5日にかけて日露両軍の第消耗戦がおきたけど
・・・でも要塞の更に1ヵ月後の先の降伏は、食料とか弾薬は一応あるし
壊血病といっても兵隊もけっこういるから
やっぱ旅順艦隊全滅や主戦派コンドラチェンコ中将戦死による士気の低下と・・・
2月まで頑張って全滅するより正月明に降伏して、無事に帰国したいって突き上げで
ステッセルも1月1日降伏したんだろな
70 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 22:24:36.25 ID:???
>>67 旅順戦だけ考えればその通りなんだが、日露戦全体で考えると
日本の方も補充は効かなかったわけで。そう考えると、日本軍に
大被害を与えた旅順守備隊はいい仕事をしたとも言える。
71 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 22:29:20.19 ID:???
>>70 >そう考えると、日本軍に
>大被害を与えた旅順守備隊はいい仕事をしたとも言える。
軍港が落ちちゃ、バルチック艦隊もマジで困るわけだが。
わざわざ大公開した後、ウラジオストックを拠点に活動?
無事にウザイ艦隊かわせたとして。
72 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 22:57:40.40 ID:???
>>71 旅順が維持できなきゃバルチック艦隊の有効な活動はほぼ不可能だったわな
往路で連合艦隊にボコられても、乾ドックのある修理施設すらなかったんだし
旅順に逃げ込んでも、ユトランド海戦後のドイツ艦隊と同じ状況だったろうさ
半壊状態の浮かぶ鉄塊が狭い軍港に雪隠詰、と
旅順陥落でバルチック艦隊の回航取りやめって意見少なからず出たみたいだが、まあ当然だよな
73 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 09:22:52.50 ID:???
ロジェントウェスキーはウラジオに逃げ込む予定だったんでしょ
74 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 09:24:58.57 ID:???
75 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 10:39:44.24 ID:???
カムラン湾を出た時点で
決戦意図に欠けて
76 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 17:21:45.37 ID:???
>>73 ああ、72は旅順とウラジオ書き間違えたw
? 旅順に逃げ込んでも
○ ウラジオに逃げ込んでも
77 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 19:24:21.21 ID:???
いいさ、おれだって
×ロジェントウェスキー
○ロジェストウェンスキーと書いている
78 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 19:58:06.89 ID:???
菊田愼典「東郷平八郎 失われた五分間の真実」(光人社)読了
内容は・・・黄海海戦で2時8分
島村参謀長と秋山参謀との間で南東に舵を切るか、北東に舵を切るかで
3分ほど意見が分かれて、東郷は島村案に賛同
しかし、その3分がたたり結局、日没まで3時間以上、敵を砲撃距離に収めるまで苦労したという
山本英輔の見分記事(水交社)を引用し
東郷は秋山を嫌った
だから日本海海戦では敵前大回頭以降
「司令長官と参謀長以外は、みな艦橋からおりろ」(史実)と
秋山を除けた・・・と信じると作者は言う
さらに上村艦隊(第2戦隊)の独断専行を
第一戦隊の射撃を妨害した5分間だと切り捨てる
筆者は防衛研究所戦史部OBというけど・・・・うーん、そんなものかね
無闇に通説への反論をこじつけているようにしか読めなかった
79 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 20:52:33.27 ID:???
>>78 みなおりろ、だったら誰かを嫌ったのか、それが誰だったのか断定できねえじゃねえかなあw
追っかける進路とか、博打みたいなもんだし
論理の飛躍と牽強付会がひどすぎるわ
まあ秋山は行儀の悪い札付きの秀才みたいなとこあるから、東郷が好む要素もないけどな
間に島村くんがいてくれてよかったところはあるんでね
80 :
名無し三等兵:2012/02/04(土) 21:21:21.73 ID:???
日本の歴史の真の国賊、本居宣長ねえ
魏に知られてしまっている邪馬台国の王統や血統と皇室との
関連を庶民にまで疑問視される事態を怖れて、「やまと」とから
「やまたい」と読むように仕向け、おまけに当時の中国に
朝貢していた事実までも認めたくないという、学者とは掛離れた
下衆の我の強さ故に、邪馬台を神夏磯姫の国に無理やり比定する
低脳国賊ぶり。
こうい奴らの過ぎた真似が、その後日本玉砕への直接間接の原因に
なってるんだからな。
そろそろ、A級ばかりじゃなくて、このあたりを総括しろよ。
81 :
名無し三等兵:2012/02/06(月) 22:16:44.42 ID:???
日露戦争も100年を過ぎてしまうと
さすがに語る奴も少なくなったのが寂しいね
82 :
名無し三等兵:2012/02/07(火) 00:27:50.08 ID:???
三国干渉されても、中国みたいにトチ狂ったかのように列強に戦争吹っかけまくるのではなく
10年間耐えに耐えて忍びに忍んで大国ロシアに勝ったってのが大東亜戦争よりもずっと格好いいところなんだけどな
83 :
名無し三等兵:2012/02/07(火) 00:36:39.85 ID:???
太平洋戦争(第二次世界大戦)は大規模過ぎるんだが、日露戦争はコンパクトだからわかりやすい
そろそろ自分の専門分野にしようと日露戦争を勉強しようかなあと思ったり
84 :
名無し三等兵:2012/02/07(火) 00:43:51.93 ID:???
85 :
名無し三等兵:2012/02/07(火) 02:35:22.73 ID:???
>>81 「坂の上の雲」の映像化で、もっと盛り上がっていいはずなんだが。
86 :
名無し三等兵:2012/02/07(火) 21:33:52.67 ID:???
だよね
司馬の行過ぎたプロパガンダをそっと静かに訂正して映像化した
奥ゆかしさがよかった
87 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 08:10:20.91 ID:???
あと、司馬がおそらく意図的にスルーしたであろう
日清戦争の旅順虐殺をにおわせる描写を入れたり。
88 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 14:08:12.75 ID:???
あれか・・・「日本の兵隊さん有難う」だっけ?
大江志乃夫の研究あたり、紛れ込んでいるのかなと思った
旅順戦は別宮暖朗とか兵藤二十八とか絶対ベースに入っているはずだけど
タイトルクレジットには出なかったのかな
89 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 20:24:11.65 ID:???
>>78 極端な新説出さないと本が売れないからね
史実だけならもう腐るほど本が出てるわけで
露天艦橋から退けたのはもし自分が戦死した時のためだろうどう考えても
第二戦隊がいなきゃどうなってたんだか
敵前大回頭前の航跡図見てもわかるけど第一戦隊は結果オーライとは言え褒められた機動してないだろw
映画とかドラマになるとなぜか敵前大回頭前の機動が触れられずにガン無視になるけどさ
90 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 22:15:14.73 ID:???
例の連携機雷・・・つまり黄海海戦でT字戦法が有効に機能しないと判った時に・・・敵艦隊の進路にばら撒き
陣形を乱して肉薄水雷を挑むか、進路を限定し決戦を強制するかのあれ。
「天気晴朗ナレドモ波高シ」で実は、当日荒天で水雷出撃困難、
実施不可を暗に大本営に通知したんじゃないかというアレ。
秋山が考えた苦肉の策というソースだけど、
『明治37・8年機密日露海戦史』なんだね
全150巻×3セットのみ印刷して 海大、軍令部、皇室に配布。
昭和20年8月敗戦時に、前2セットは焼却したけど、皇室だけは保管
昭和天皇が昭和40年代に、防衛研究所に下賜されたので公になった
酸素機雷出現以前、昭和初期までの海軍の決戦時の「秘密兵器」として
その存在を消されて、その代わりといっては何だが
「日本海海戦のプロパガンディスト」「東郷の腰巾着」小笠原長生が
「日本海海戦は肉を切らせて骨を断つ!必殺の東郷ターンことT字戦法で勝った」と大衆に宣伝しまくった
でも『公刊 明治37・8年日露海戦史』(全4巻)にも『機密海戦史』にも「T字戦法が日本海海戦で使われた」とは
1行も書いてないんだよね
91 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 22:33:52.74 ID:???
>映画とかドラマになるとなぜか敵前大回頭「前」の機動が触れられずにガン無視になるけどさ
そうなんだよな
本当はバルチック艦隊の進路左右いずれか(ウラジオ入り妨害が主なら大陸側だから左)を
日本艦隊はそもそも占位しなければならない
ここから取り舵(左回頭)して、敵の頭を抑える。
回頭時には艦が遠心側に傾斜して砲が使えない(俯角上限でも海面を撃ってしまう)から
できれば敵の砲撃距離から遠いところで済ませたい
ところが通報艦の誤報で敵位置を東西1万m間違え、会敵時、正面に見てしまう
だから東郷は間合いを取るため、まず・・・
13:40 面舵・右回頭して西に行き、
14:02 取り舵左回頭(A)バルチック艦隊と並行=反航針路をとる
・・・ついで安保砲術長「どっち側で戦をなさるのですか!?」の大声で
14:05 さらに取り舵左回頭(B)いわゆる東郷ターンを開始する・・・
92 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 22:46:32.02 ID:???
もちろん基本戦策はT字戦法、あるいはイの字で
なぜかというと敵艦縦列の前方砲のみに
味方側面砲の全力を集中して、
火力比で圧倒できる陣形だから
でも風力のトラファルガル海戦と違い、蒸気時代、敵艦隊は縦横に進路を変えられるから
いずれにせよ並航戦には、最終なる
なるが東郷はやはり、敵砲撃距離内で、うまく敵艦の頭を抑えられる回頭時期を
14:02から14:05 じりじりと待ったんだろうな
よく「実質、あれは同航戦、並航戦」「いやα運動だ」というが
緒戦のT字の基本戦策(教導艦スワロフへの初弾集中)は動かないと思うんだ
そこから延々、同航戦にならざるを得なかったろうけど佐
93 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 23:15:15.20 ID:???
>>90 第三艦隊のお陰でロシア艦隊の隊列乱れたんだっけ?
94 :
名無し三等兵:2012/02/09(木) 00:04:26.27 ID:???
>>92 T字戦法から同航戦への移行は難しいぞ。バルチック艦隊が逃げる気なら、
日本艦隊とは逆方向に針路を変えるだろうから、同航戦にはなりにくい。
だからこそ敵前回頭で、相手に逃げる間を与えずに同航戦に持ち込んだんだよ。
日本の方が速度が速いので、同航戦でも結局「イ字」になって有利に戦える。
T字戦法は陣形を維持できる時間が短い。そしてこの時代は、大砲より装甲の方が強い。
よって敵戦艦を沈めるためには長時間の砲戦が必要で、T字戦法は適しない。
というのが黄海海戦の戦訓なのでは。
95 :
名無し三等兵:2012/02/10(金) 18:39:16.51 ID:???
>日本艦隊とは逆方向に針路を変えるだろうから、同航戦にはなりにくい。
しばらく考えたが、黄海海戦の図譜をみて納得した
一応、開戦から3回、連合艦隊戦策は改定されて、最終4月12日(日本海海戦が5月27日?)
いずれもT字戦法の記載はあるけど
そういわれると東郷が「実質目指したものは同航戦」という物言いがやっと納得できた
96 :
名無し三等兵:2012/02/11(土) 07:25:04.41 ID:8SaBVPZq
本当かね?
97 :
名無し三等兵:2012/02/12(日) 10:21:11.69 ID:???
丁字戦法をT字戦法と書くニワカに言われても
98 :
名無し三等兵:2012/02/12(日) 18:49:50.18 ID:???
どっちでも変わりやしない。
99 :
名無し三等兵:2012/02/12(日) 20:19:17.17 ID:???
どっちも普通に使われてないか?
あのさ・・・なんか揉めるの好きじゃないんで頭のいい人はいい人同士でやって欲しいんだけど
安保砲術長「どっち側で戦をなさるのですか!?」って
以前から、史実の台詞なのか疑問を持っていた
結論から言うならもちろん実在の台詞らしいけど
砲撃時間を長くしないと打撃を与えられないなら
反航戦(左砲撃戦)は明らかに取り逃がすから
同航戦(右砲撃戦)しかない
じゃあ右舷で合戦やるのは自明だから、なんでそんな台詞が出るんだろう
ようは有速を生かして敵の頭をおさえつの同航戦が決着点なら
東郷ターンとは02:05「左17点敵前回頭」じゃなく
01:40から始まる長大な「α運動」全体を指すことになるのか
するとT字(丁の字でもええや)の結成が、必殺技=東郷ターンとなったという
小笠原長生のプロパガンダは難だったんだろう
T字戦法を完全に実行したのはレイテのオンデンドルフ
東郷のやったのは同航戦
安保が分かりきったことをわざわざ確認するか?と言う話?
安保の質問の意味が「転舵をいいかげん決めてくれ」と言うことだった場合、
それは驚くにはあたらないのではないかな
ま、みなさん1977年に公開された日露秘密海戦史をもとに
幾多の研究者の論文を読んでおられるから
回頭ではなく「転舵」という時点で
読者として結論はお分かりでしょう
ただnHKの例のドラマは、なかなか陸戦もそうだけど
例の津軽への移動命令、石原軍団の中でも島村参謀長の突出振りから
秋山神話にも結構切り込んでいるなと、今になって感心したわ
>>103 あのドラマって秋山兄は別として弟は大して優秀に見えなかったねw
秋山は黒島亀人タイプで理論先行
脚本書いている連中も苦慮したろうな
旅順戦は、第三軍および乃木伊知地の再評価だが
日本海海戦については・・・「日本を救った兄弟のより救った弟の方」については
島村参謀長役の館ひろしの巴投げとか、東郷の冷たい視線とか
・・・「最新の史実」を判っているけど直接には描かないのがいいよね
日露戦争ってもうちょい早く始めれなかったのかねって
端的に言えば旅順要塞が完成される前に
旅順要塞は未完成言うか造成中でしょ
分派堡塁式要塞いうの?
司馬の書き方だと城壁都市みたいにイメージするけど
実際は縦深防御で堡塁間を抜いても、突出部として後方から切りはなされ
堡塁からの側面射撃で全滅する
だからべトンの堡塁を、いやでもひとつひとつ潰していくしかなかった
第3軍が乃木じゃなくて黒木ならどうなってただろうね
大差ないだろ
時間に追われた条件で力攻強いられるわけだし
緒戦の被害がどの程度か、ぐらいじゃね?
>>106 それを言うならむしろシベリア鉄道だろ
まあ日露戦争は龍岩浦事件でのロシア側の協定破りが端緒だから、時期は動かんよ
まともな理由なく日本側から戦争仕掛けたら、せっかく味方についたイギリスに見放される
戦機を伺ってのある程度の調整はできるけどね
第一次総攻撃前に大弧山からの観測で、旅順艦隊に重大な損害を与える砲撃をしてるんだよね。
旅順要塞の当初の計画では、大弧山も含めた大規模なものになる予定だったらしいけど、予算と期間の関係でできなかったとか。
艦隊を防御できなかった段階で、要塞としては片手落ちの感じはする。
8月7日が最後でなく、その後も第三軍は前進のたびにできる限り観測点を設置して
港内を砲撃している
死角部分は地図上で格子に区切って全砲撃もしているし
10月にはほぼ9割がた被弾機能停止と中国人密偵その他で情報も得ている
実際9月にロシア艦隊も水兵を上げて陸戦隊に組み込んでいるしね
でも確かに港内東北側が死角となり、そこに生き残りの1割、稼動戦艦もあったのも事実
仕方ないから北西の「旅順港湾1望の」203高地を獲れいうのも、まあ
南山まで死者4200を許容して(でもこのころから海軍砲艦の支援射撃でようやくおとせた。ようは火力不足)
すすめたけど、もうそこが分岐点だったんだろうな
人死許容、歩兵強襲で敵陣を攻めて、ついに旅順で第一回総攻撃(M37.8/19)で
死傷者15000で失敗してしまった。死者5000余
以降、官僚として長岡ー井口ライン(井口は伊地知と犬猿の仲)が
「命令出したのは俺たちだが、乃木が無能だから死傷者が増えた」
「おれらは西北主攻を主張していた」と戦後まで手を変え品を変え
宣伝しまくったから、なあ
谷寿夫の日露秘密陸戦史だって、陸大講義用だけど、ずいぶん派閥におもねって
偏向しているぜ
日露戦争時のハバロフスクやウラジオストクってどうなってたか知らない?
旅順以上の要塞になってたのか?
>>112 海軍重砲隊の黒井中佐が区画に仕切って順々に砲撃して、たまたま貯水タンクの近くに当たって
もしこれがやられたら水なしで降参となるので、ステッセルが「知ってて砲撃したのか?」と
大慌てした、って話を歴史群像で読んだ記憶がある。
>>103 敵艦隊の捕捉が出来ず、転進を検討するシーンじたいは司馬の原作にも出て来るよ。
伊東實の研究が明らかにしたのは、実際に連合艦隊が1回は津軽海峡方面への転進を決めていたということ。
ただ移動の日時を遅らせた結果、発見の報が入ったに過ぎないということでしょ
東郷の「それは対馬海峡よ」と言うセリフはあり得なかったんだよ
×伊東實 ○野村實
実際に津軽方面に移動してたらビアクの陽動に引っかかって
マリアナで壊滅した連合艦隊と一緒だったろうね
絶対本命がある一方で、相手が奇策にでる可能も完全には拭い切れない。
こういうときは集結位置を壱岐にしてどっちの選択にも対処
できる体制にしとくのが良かったんじゃないかなと思う。
>>115 その貯水タンクを破壊していたら飲料水なしで旅順は降伏。
陸軍も多大な死傷者出さずに済んで、海軍重砲隊は殊勲甲だったね。
たられば話しを言っても仕方ないけど。
児島譲(こざとへん)の「日露戦争」(文春文庫全8巻)は、
連携水雷への言及とか<機密戦史>公開後の著作で悪くないんだけど
28センチ砲による10月の港湾射撃、これは気球による観測射撃なんだってね
気球使用のソースを知りたいわ
122 :
名無し三等兵:2012/02/18(土) 04:21:52.65 ID:RdCq43zl
早朝4時に妄想こじらせると厄介だな
お大事に
九州小倉第十二師団は、気前が足りん。第一軍で逃げるロシア兵を
追う鬼ごっこならイケイケの九州人じゃが戦闘が膠着すると、敵の後が
無あし、九州人得意のハッタリ虚勢の勢いが止まるけんのう。
まあ、九州兵団は負けっぷりも見事で、熊本第六師団が第二次長沙作戦で
中国軍に敗北し遁走したよう踏ん張ることが出来ん。朝鮮の文禄役の
加藤・小西の肥後熊本勢も李如松の遼東軍に敗北し遁走した歴史は、
繰り返された云うことじゃのう。
一方広島師団は、日清の平壌でも、日露の奉天、日華事変の忻州でも
敵軍の反攻に踏ん張り通したんとの違いよのう。正面のガチンコ戦闘に
強い広島師団ゆえの激闘よのう。攻撃でも
>>418のよう九州の熊本第六師団
と違い、広島第五師団は突破口を築いて攻略する器用さも含め、
九州人の奥司令官の誉める通り。
キチガイヒバゴン、コテ外したのか?
126 :
名無し三等兵:2012/03/08(木) 06:50:52.61 ID:aQkPE2cR
129 :
名無し三等兵:2012/03/13(火) 02:57:00.26 ID:U3GUS9a5
奉天会戦でロシア軍を殲滅しておけば世界史は変わったかもな。
日本軍はロシアの援軍の移送阻止のためにバイカル湖南部に要塞を築くことが可能となり、
ロシアはいかに大軍を送ろうが軍事的に極東奪還は困難となる。沿海州は日干しとなって容易に
屈服可能。そして、バイカル湖以東は日本領土となっただろう。
シベリア極東部およびシベリア鉄道極東部が日本のものとなれば、満州は日本の領土になることは
なく、南北満鉄はロシアから譲渡されたとしても清国との間に使用期限があるから、日本としては、
米国の満鉄共同経営案に軍事的にも経済的にも心理的にも十分乗れただろうし、そう決断したはず。
満州が日米共同運営になり、ロシア極東が日本領土となれば、日本としては韓国併合の意義は
薄くなるから、日韓併合はなかったかもしれない。
やがて満州で米資本は大慶油田を発見するなどして、満州の中国からの切り離しを日本に打診して
きただろう。そして、米国を中心に国際社会の許容の下で、満州国建国。
日本は米国の経済・技術支援を受けて、高度経済成長を辿り、今頃、核武装をして国連安保理の
常任理事国として世界に君臨しているかも。
終わり間際に樺太取ったから、お返しに4島取られのでは
28サンチ砲を荷車押して運ぶのはえらい大変じゃった
丁字戦法が大東亜戦争ではアメリカ海軍の必殺戦法として日本海軍を壊滅させてるのがな・・・
制空権のない戦艦部隊の末路というか
スリガオ海峡の西村ドンなら
喫水の深い大型艦で島嶼水路を抜けようとすれば
どうしても縦列になってタコ殴りぞナ
西村さんはあくまで栗田艦隊との同時突入前提だからなぁ
俺の叔父さんが扶桑で戦死してるだけにもうちょっと自制して欲しかった
翌日の栗田艦隊の突入時に調整攻撃できてればキンケイドは大混乱だったろうに
確か失敗の研究とか、中公文庫で出たケーススタディの古典で
捷1号作戦(レイテ)の項目で、奉天会戦を引用並列し
「日本軍の作戦は、いずれも「高度な平凡性」を欠いている」と
批判されていたな
まあ、そら奉天での戦力比は4:3〜5:3くらいだからな
敵の片翼を攻めて「敵がビックリして中央から戦力を抽出したら中央突破だ」って
ワーテルローでもナポレオンの初手だけど
それを右翼もやる、左翼もやるって満州軍の参謀はちょっとおかしい
>>129 ひえー。イルクーツクまで進軍するってこと?一体何年かかんのw開戦から1年半かかってハルピンにもついてないんだよ?
第一ロシアの予備兵力400万からしたら、たとえ日本が奉天で30万殲滅しても全然致命的じゃない。
泥沼化→莫大な戦債→満州どころか日本国内まで外国資本が浸透→働いても働いてもすべて外人に利益が吸収される奴隷国家日本の完成ですね。
要はヒトラー出現前のドイツ。
そんな凄いんだったらシベリア出兵で頑張ればいいのにね
139 :
名無し三等兵:2012/03/24(土) 22:24:11.20 ID:5hMkMJ1D
奉天
奉天会戦でクロパトキンが早逃げせずに死守命令を出していたらどうなっていたかな?
やっぱり日本側はどこかで敗走に追い込まれる?
32万と25万じゃな
ひかなければロシアが勝っていたんじゃね
そら当たり前だ
しかし史実はクロパトキンは戦線を後退整理して、予備兵力をどんどん抽出
攻勢主軸を右翼の乃木第三軍(日本軍左翼)にぶちあてようとした
ところは早すぎて「勝ってるのになぜひくんだ」と
全線に渡ってロシア軍の士気崩壊が一時的におきた
奉天会戦でロシア軍勝利となると日本側は一気に厳しくなるんだろうなあ。
ロシアの革命機運はしぼんでしまうだろうし、戦債の販売もままならなくなる。
日本海海戦の結果にかかわらず日本敗戦になってしまいそう。
つまり乃木は旅順を落す事で第三軍を北方総軍に転用し
日本軍15〜20万人を25万人に増やし、左翼攻勢を支える事で
日露戦争を勝機に導いた名将だな
日本海海戦は・・・長距離の航海疲労をべつにしても
石炭だきの艦隊の航続距離を考えれば
最短の対馬を通らなければならないだろうし
日本海軍が内戦作戦を取れるのに対して
バルチック艦隊は戦闘速度を出せば、いずれ燃料切れでウラジオ到着前に漂流船が出る
旅順〜奉天会戦を支えた乃木第三軍は評価すべきじゃな
そうじゃろ?松川
そうじゃろ?井口
長岡にも言っとけよ
奉天でロシアが勝てば・・・つまり奉天を守りきれば
もう日本軍に継戦能力(兵弾薬ほか)は6ヶ月先までなくなるからな
ロシアは補充を待って夏季攻勢で南下すれば事済む
日本海の制海権は、仮に日本が獲ったにしても、
その補給路をつかって送る、日本の国力が尽きてるからな
1年戦争じゃなく、2年戦争となれば日本は自滅よ
奉天戦での秋山支隊の評価を知りたい
3月7日夜には奉天北方まで進出し、鉄道線遮断を恐れたクロパトキンが
過敏に撤退を始めたと、俗にいうけどどんなものなんだろ?
劣勢の日本軍が両翼包囲という時点でなんかあれだよね
ロシア軍が日本軍の兵力・配置をしっかりと偵察できてれば
長篠の武田軍並の大敗になってた可能性もあると思うが
あれ松川・井口作戦なんだけど>両翼包囲
右翼は1階の攻撃で撃退され、中央も前進できず
結局、左翼の乃木軍の片翼延伸作戦になるんだよね
>>147 ハンニバルにでもなったつもりだったのかねえ?
>>148 ロシア側にまともな戦略眼があれば突出した左翼が壊滅させられて終わりじゃね?
ロシア側には予備兵力あったんだし
大東亜戦争でも日本軍は奇策ばっかりだっただろ
大東亜戦争では初期のマレー攻略戦は運動戦だし奇策ってわけでもない
島嶼戦は水際撃滅、陣地戦
ガダルカナルではある程度戦力増強を待って攻撃してるし案外オーソドックスじゃね?
フィリピン戦も台湾沖航空戦の過大評価がレイテ決戦になっちゃったけど
実際はルソン島での決戦を志向してたわけで
奉天での劣勢からの両翼包囲程酷い作戦ではないと思う
負け戦だから大東亜戦争での日本軍首脳部は叩かれてるけど作戦内容とか見れば
大東亜戦争の日本軍の作戦>>>>>日露戦争の日本軍の作戦だと思うぞ
要するに相手のレベルが違っただけの話でしょ
マレー作戦にしてもガダルカナルにしても兵站を全く軽視している時点で、
日露戦に比ぶべくもない。近代戦を理解していないじゃん
奉天会戦では乃木軍が到着しもう自軍戦力の増強が見込めない以上攻勢に
出るのは当然だと思う。
それに作戦の本旨は両翼攻勢でロシアの予備隊を釣りだして、第1、2、4軍が
中央突破するというものだったはず
ただ見込みが浅くて中央突破できなかったあげく乃木軍の包囲運動に望みを
託さざるを得なかった。
とはいえ、飯と弾がなくても大和魂で敵を粉砕し敵の物資で現地自活だ
みたいな、つじーんやむちゃぐちよりよっぽど理解できる
つーか銀輪部隊だのジンギスカン作戦だの特別攻撃隊だのが奇策じゃなかったら一体何なの?
開戦直後の銀輪部隊はべつに奇策でもなんでもないだろ
ふつうに使える軽二輪を使用しただけだ
大東亜戦争の話になると盛り上がるね〜
黒木大将とか戦上手が居ても硬直化した陣地戦に近い奉天会戦とかになるともう活躍できないからね
遼陽辺りで補足撃滅出来なかった時点でもうね
「勝ちに不思議の勝ちあり、 負けに不思議の負けなし」
とはよくいったものだよな。
奉天会戦というのはまさに不思議の勝ち。
日本軍の行動はお世辞にも妥当とはいえないのに敵将の不可解な早逃げのせいで
勝っちまったんだもん。
159 :
名無し三等兵:2012/03/29(木) 00:59:45.04 ID:AcWBpBlK
コン河南岸の日本軍への補給路は@営口、A大連、B義州の3本あったけど
コン河南岸(奉天防衛線)のロシア軍の補給路は、長春-鉄嶺-奉天を結ぶ東支鉄道南満線1本きり
ロシアは補給線が1本きりだから迂回され、これを遮断されると確かにロシアは戦わずして負ける
また即席野戦陣地といえど、正面から攻勢をかければ、かけた方が負ける
だからクロパトキンは最初から、31万程度では、
100kmの戦線に散らばった日本軍25万に攻勢をかけるのは無理と判断
すなわち防御作戦を最初から念頭に置いていた
(実際、奉天会戦で、ついに日本右翼は敵撤退まで露軍左翼陣地を抜く事が出来なかった)
乃木第三軍がロシア軍右翼で片翼包囲作戦を開始したら、
クロパトキンは左翼を維持しつつ、戦線100km31万から予備兵力を抽出し
乃木軍殲滅にかけねばならなくなった
乃木軍は善戦し、クロパトキンは純粋に軍事的観点から、
1本の長い補給線(東支鉄道南満線)をいたずらに防衛して、片翼包囲の圧力を受けるよりはと
戦線整理を考えて、さらに北方の四平街まで友軍主力を後退させ・・・
結果、日本軍は奉天に突入した
あとは奉天占領の戦略、政治的意味を宣伝した日本軍の勝利
実際、ロシアは後日、クロパトキンを更迭することで「奉天陥落=ロシア軍の敗北」と認めたしね
しまった 上げちまった
つうわけで、203高地を落せばいいんじゃなく
乃木第三軍は、旅順要塞を落して後顧の憂いなく北方に転用
総軍に合流、もって奉天の決戦に勝利しなければならなかった
みんな今日、日本があるのは乃木さんのおかげ
実際、旅順艦隊の壊滅も旅順を落とさないと確実には分からないわけで
203高地だけおとしてあとは放置ってのは難しい
補給がないとはいえ要塞守兵は腐っても4万だし
それに早期陥落を目指すなら鉄道、道路から近い要塞正面を強攻せざるを得ない
陸軍悪玉論の槍玉にあげられた乃木さんは気の毒という他ない
要塞はどこも正面じゃないか
別に西側は「側面」だとか言うつもりはないが、少なくとも203高地は永久要塞じゃなかったんだから「正面」じゃなくね?
165 :
名無し三等兵:2012/03/29(木) 13:29:15.40 ID:Hf/kAe8E
機械化がまにあわず
自転車が大量に調達可能なら使うだろ?
自転車化軽歩兵部隊なぞ世界中でげんようしています
166 :
名無し三等兵:2012/03/29(木) 13:59:45.25 ID:LTHTWBCZ
日露戦争では、露軍が機関銃の有効性を他の国よりもいち早く証明した、というのは本当なんですかね?
電撃戦という概念は機動の問題であって機械化部隊でも銀輪舞隊でもどーでもいいんだけどな
168 :
名無し三等兵:2012/03/29(木) 15:00:57.68 ID:Hf/kAe8E
南雲機械化動力部隊と理解しています
機械化動力戦士ガンダムと解釈していますので
>>160 RSBCいわく、日露戦争に負けた方が日本が発展するそうですが
ホンマですかね?
>>165 その考え方がもうね。
はじめから物量に対する諦めがあるじゃん。
一応列強国なのに銀輪とか安易な代替で満足する考えがおかしいといってるわけ。
世界では自転車軽歩兵で800km攻勢するのが普通なわけ?せいぜい後方警備でしょ
装備と兵力が調達ができないなら自重して好機にむけ策動すべき。三国干渉に自重して、軍拡と日英同盟を達成したように。
>>163 203高地は正面とか側面以前に主要堡塁外だよ
>>171 別に203高地を要塞正面とも側面とも言ってないけど?
というより言いたかったことは
>>171と同じ。
>>169 たぶん朝鮮半島、台湾、満州のインフラ整備とかに突っ込んだコストを国内に全部突っ込む計算じゃないかな
>>173 国内と国外で投資乗数がそんなに違うとも思えないのですが…
植民地のお陰で安価な食料、原料や石炭が手に入り、かつ独占的な市場を確保出来た
単に資本収支を比較して、植民地は足手まといだったとか恩着せがましく言う人もいるけど違和感覚える
朝鮮半島経営は終戦まで赤字だったわけだが
いや、だから、植民地経営には有形無形の経済的利点があったでしょという話
たんに投資以上の利益を投資事業で回収できなかったからって日本の植民地経営は
慈善的だったみたいな考えって視野が狭い
例えば満鉄を経営すれば、経営部門に日本人が大量に雇用されて日本の利益に
なるけど、そういう人件費は植民地経営上は支出になるわけでしょ
>>178 ”日本の”国民経済にとっては、資本の逃避であり雇用の喪失であり、全くのマイナスでしか無いな
現地法人やその関連企業で得られる日本人の雇用なんて微々たるものでしか無いし、それは現地で消費され日本には益をもたらさない
いまの日本企業の中国投資と長期不況の関係みたいなもんだ
中国朝鮮半島ってほんの少し前まで絶望的に貧しかったから、生産拠点にはいいけど市場になんてならなかったし
中国で売れる商品なんて、台湾産の阿片だけ
逆にそれでも市場にしようとすれば、マッチポンプなインフレ投資をせざるを得なかったともいえるが
資源なんて、国の貿易収支には購入先は重要だが、消費者にとってはどこから買っても同じ
むしろ紐付きの割高な資源を強いられることのほうが国際競争力には致命的
中国の炭田なんてみんな内陸奥地で、輸送だけでも条件最悪だし
その割にアメリカは中国の市場に執着してるよな
>>179 微々たるって満鉄の社員数知ってて言ってるの?
加えて朝鮮の主要行政ポストは当然日本人だぞ?朝鮮総督府って知ってる?
そして植民地を根本から理解してない。流通や行政を握って市場として独占してるからこそ、
現地で金を落としても、日本製品がガンガン売れて金は本土に還流するの。
中国が世界の工場化して中国人は自国製品で自給できる現代とは事情が違う。
当時の中国は市場として魅力ないとかいってるけど、ならなんでアメリカが
門戸開放政策でしつこく中国市場参入を迫るわけ?
中国の資源が割高って、フーシュン炭鉱もアンシャン鉱山も知らないの?
質問返しばっかで申し訳無いが前提知識が根本的に違うんで説明しようがない。
たぶん植民地は貢献したよ派は一人なんだろうけどさ
そういう話の展開するなら満州国の建国による防衛正面の増加と軍事コストの増加
日本の国際的信用力の低下とかも考慮しないとねぇ
なんだそりゃ。満州国建国で守ろうとしたのは植民地と結び付いた日本の経済圏全体であって
植民地経営の収支なんて低レベルなものじゃない
「満蒙は日本の生命線」ってのはそういう意味。石原莞爾が泣くで。
満州が日本の市場として機能したという数字を見たことがないなぁ
>>183 石原莞爾と仲間たちが守ろうとしたのは、自分たちのメンツとマスターベーションの
産物であって、「日本の経済圏」なんて上等なものじゃない。
経済のケの字すら知らない奴らがそんなこと考えるかよ。
南満州 綿織物 日本とかでググるとたくさん出てくるよ
>>181 >>満鉄の社員数
具体的に何人で日本人の占める割合どれぐらいよ?
満鉄関係の書籍は幾つか読んだが随分前だし具体数まで覚えてないわ
>>朝鮮総督府
要するに無駄飯食いの役人が大量発生しただけだろ
夢の植民地経営の幻想に取り憑かれてる奴は絶えないけど、そんないいもんじゃないよね
ガンガン売るどんな製品があったの?
戦前だって石橋湛山みたいにその問題を冷静に指摘した人はいた
アメリカの門戸開放政策って要するに自由貿易の要求だからね
特別なことじゃないし
>>185 経済を知らんて・・・当時の日本経済を支えたのは統制派と呼ばれる軍官僚だぞ。
統制派扱いされたら、石原莞爾は激怒するだろうな。
>>188 支えたんじゃなくて勝手なことやってガチャガチャにしただけだけどな
統制派だけじゃなくて戦前の革新官僚だが
うーむ。軍板でも小日本主義で独立自衛できたなんて思ってるふくしまみずぽみたいな人
結構いるのかな
>>187 南満州鉄道株式会社のウィキをみると、たくさんの日本人を養ってくれたことが分かるよ
>朝鮮総督府
こいつらがインフラ整備して朝鮮半島で食料増産したお陰で日本は重工業化に邁進できた
実際39年に朝鮮が干魃で凶作となると日本の米流通が麻痺し、時の阿部内閣総辞職へ
ついでに大学令以後増えた大学出の受け皿にもなった
自由貿易を推進したのはイギリスやアメリカなど自由競争でも打ち勝てる自国資本の豊かな国。
GATTができるまでは世界の常識として自由貿易というわけではない
だいたい、植民地によって儲からないなら植民地争奪戦争なんて起こらないと思うのだが。
世の中、経済的合理性だけで動くわけじゃないんだが。
大体、市場から締め出された契機の一つが大日本主義なわけで、
本末転倒もいいところだ。
朝鮮半島への投資だなんだで、国内に投じるべき金が出て行った
わけだし。
>>190 日本が大恐慌から脱出できたのは軍需と保護政策中心の財政出動のおかげ
革新官僚と統制派の提携あってこそ
>>191 聞く前にWiki程度確認してるが、具体的な数は書いてないから聞いてるんだが
言い方からしてちゃんと把握してるんだろ?
約40年も存続して資本金で最終的に7倍にもなってるから、最初と最後じゃ全く数も違おうが
まあそれよりも、設立当時で2億円という当時の国家予算クラスの巨費が資本金として流出した事のほうが大問題だわな
>>193 支那事変下の大財政支出下でGNP縮小というちょっとありえない醜態を晒してるわけだが
不況脱出なら、高橋財政は革新官僚関係ないしな
坂の上の雲を文章で読むと
(そして90年代まで司馬遼太郎の孫引きで大江シノブあたりまで)、
旅順要塞を「ベトン20万樽の<城壁>」という風に誤解するんだよね
日清戦争ではまさに城壁要塞だから、ひとたび城砦を越えて内部に入れば
それだけで防衛機能を失い陥落する
ところがロシアの旅順要塞は、最終的には
港湾機能を拠点として防御する、
ベトンの堡塁間を連絡塹壕でつないだ「縦深防御陣地」なんだよね
堡塁間を(それこそ白襷隊のように)抜いても、結局は両側面からの十字砲火を浴びて全滅する
いやでも一つ一つの堡塁を、火力で、弾がなければ肉弾で潰していき
十字砲火を、せめて一文字砲火に減殺しなければ「抜けない」
だから乃木軍は堡塁一つ一つに攻撃をかけた
それが「ベトンの要塞に肉弾で正面攻撃の愚を犯した」という風に
後世、歪曲誹謗中傷されるのはたまらんなぁ
>>192 いやいや、実は締め出されたんじゃなくて領土分割による中国経済の規模縮小で
中国の経済力が弱まったから、という研究もある。加藤陽子の本だったと思うけど
いずれにせよ、確かに本末転倒の面はあると思う。
ただ、そうはいってもこの頃の大半が小作人の日本にまともな内需なんぞないわけで
ブロック経済下で自国ブロックまで放棄したら7000万総コジキ化するよ
というか逆に考えたらわかると思うんだけど、植民地に投じた資本を国内に投じて
生産力拡大したところで売る相手がいなければ内需も拡大しないわけ。
20世紀初頭は大概の列強が産業革命を経て生産力が向上し、世界中で売る相手を争奪してる。
当時の安かろう悪かろうの日本製品が世界中で売れまくるなんてありえんのよ
だからこその経済圏確立と拡充なわけ
>>197 クソの役にも立たない「植民地」を獲得するために、顧客に一生懸命喧嘩を売っていたんだが。
締め出しってのは、欧米市場からの締め出しの事だよ。
>>194 資本金2億円が「流出」って。ウィキにも内1億は炭鉱や鉄道といった現物と書いてあるやん
従業員数も書いてあるからちゃんと読んで
>>198 ABCD包囲網は仏印進駐が直接の原因
仏印進駐は援蒋ルート遮断が目的
日中戦争が大日本主義を原因とするかは微妙じゃね?
政府の不拡大方針を貫徹できなかった、日本の政治機構の問題が大きいのでは?
それにリットン調査団が何だかんだで日本の権益に配慮したように、列強は帝国主義=悪とはしてないよ
さすがにもう日露戦争と関係無さすぎるね
賛同者いないとこみると説得力のある議論できなかったようだしスレ汚し失礼しました
消えます
日露戦争までは自存自衛のための戦いといっても過言ではない
しかしその後の満州の利権への固執と朝鮮半島の併合という二つの過ちが日本をダメにしたってことでしょ
>>196 むしろ司馬さん的にはどうするのが正解だったんだろうか
要塞は東北の正面に鉄壁の防御火線があったけど
西北には203高地という裏口があったから
最初からここを占領して山頂に28サンチ砲を据え付ければ(原文ママ 直接射撃)
二階から石を落とすが如く旅順艦隊を撃滅できる
・・・と司馬が敷衍したのが種本の谷寿夫「機密日露戦史」だけど
それは海軍の観測所設置趣旨であって、海軍はそれ以上の結果は考えないし
司馬も考えてない
東京の参謀本部が9月ゴロから203高地攻撃を唱え始めたのは
あくまで作戦主攻撃軸であって、ココを抜いて新市街地になだれ込み
要塞を降伏せしめるという発想だけどそれはむりだろ
旅順要塞自体は落とさず放置って現実的にどうなの?
陸軍の当初計画はそうだったんだし可能ではあったのか、
それとも一度攻囲した以上引けばロシア優勢の評がたって戦債が売れなくなったりしてたのか
>>205 一度要塞に突っかかって跳ね返されてから放置(というか閉じ込め) → ロシアの格好の宣伝
最初から閉じ込め → ロシアが宣伝しても日本側は当初の作戦通りだし大して意味はない
じゃないの?
逆にロシアが要塞から出撃するはめになりそうだがw
203高地だけ奪取して艦隊砲撃後撤退、放置
としてもロシアは「旅順艦隊は健在である」とか「日本は優秀なロシア軍によって要塞奪取を諦めた」と主張して
宣伝合戦になったりして
米英は味方だから情報合戦では日本に分があるか?
当時は観戦武官がいるんだから「旅順艦隊は健在」なんてのは通用せんでしょ
要塞は健在とは言えるだろうけど
209 :
名無し三等兵:2012/03/30(金) 18:42:39.11 ID:GVvMaJHe
日本軍は従軍記者がいたけどロシア軍は要塞内に記者が…いたな。
いたいた。
厳しく報道管制したろ
日本だって八雲初瀬の触雷沈没報道管制したんた
当たり前じゃないか
>>203 外周を小兵力で包囲して拘置
主力は満州で決戦、だろ
旅順艦隊の存在はスルー
打って出られて解囲されて北方野戦軍主力に合流、挟撃の危険も無視で
報道管制もクソも日本側が203高地から取材させれば終わりじゃん
北の老虎溝山堡塁
南東の椅子山堡塁、
南の案山子山堡塁から
203高地観測所が撃たれるだろうな
歴史群像 2012年 02月号
従軍イギリス人記者が見た日露戦争の最前線
旅順攻囲戦レポート
旅順要塞の状況
乃木軍司令官の印象
第1回総攻撃の失敗について
負傷者の対応
野営風景
戦線の膠着と日本軍の自信過剰
形勢逆転から旅順陥落へ
ロシア軍はなぜ降伏したのか
旅順包囲戦を振り返って
読んだけど、なかなか面白かったよ
214 :
名無し三等兵:2012/03/31(土) 13:42:09.56 ID:Kg+rqATe
>>213 ・旅順の攻囲軍に脚気が大発生した
・脚気は米に住む菌が原因で発生する
・脚気を予防するためにパンを配給した
・パンの製造能力の制約から米とパンの比率は1:5
と書いてあった。
当時の陸軍軍医はそういう説を採っていたのかと興味深い。
そして対策は海軍の後追いだ。
>>214 誤)・パンの製造能力の制約から米とパンの比率は1:5
正)・パンの製造能力の制約から米とパンの比率は5:1
経験則的に、陸軍軍医総監部は
戦時中満州軍に、「兵隊はあまり精米するな、5分ヅキくらいで食え」と命令したけど
「あんちゃん、白い飯は甘くてうまい脳ラララ」
「ほうじゃ、わしこんな白い飯、国では食った事なかったけんのう」と
勝手に、7分ヅキ、9分ヅキと脱穀して食ったらしい
乾燥味噌くらいしかろくに副食もないところで
そら栄養バランス崩れるさ
男たちの大和でも、白米ばかり食って、本来混ぜて消費すべきだった麦を
こっそり袋単位で捨てるエピソードがあるじゃん
実際、麦飯は臭い
食べたくない
2年くらい前、新米30kg貰ったんで
うまいんで毎日、おかずなしでおにぎりばかり食ってみたら
2〜3日目でふらふらになった
なんつうか腹に異物いれて空腹感おさえるだけで
栄養も何もない感じ
かといって、現代では玄米食は有り得るのかな
残留農薬がありそうだが
いわゆる東郷ターンの直前って
みんな息をつめて東郷の命令を黙って待つわけでなく
東郷がしきりに加藤と打合せをして
秋山もごにょごにょ物言い
ともかく自信なさげに「話し合っていた」と思うんだけどな
どこかで当日艦橋に詰めていた誰かの談話を読んだ記憶があるんだが
同航戦はもう前提なんだから
どこらへんで相手の頭を押さえて反転するか
そこへ安保さんが「どっち側で戦をなさるのですか?まさか左舷じゃあるまいですよね!!」とたたみかけたんだろう
軍神安保さんの功績を奪った東郷&小笠原コンビに呪いあれ
まぁその辺りは軍神化されてるからなぁ
東郷が朝から夕方まで一歩も動かずに足跡が残ってたとかもどこまで本当なんだか
敵前大回頭前の航跡とか明らかに焦りが見えるし
陸軍の大山といい、大将は黙して語らず泰然自若がいいんだみたいな悪い神格化だよな
戦場命令の最上位なんだから参謀なりスタッフと積極的にコミュとって司令官自身が果断に決断しないと
>大将は黙して語らず泰然自若がいいんだ
チマチマピリピリしていると部下、参謀が動揺するから。
そうはいっても限度があるでしょ
武士道的精神主義も相まって、下から命令案があがってくるまで何のイニシアチブも
取らない劣化乃木みたいな軍司令官が大戦中たくさんいたじゃん。
スプルーアンスみたいに参謀と四六時中議論しろとは言わないからせめて
作戦失敗なんかの緊急時には果断に「転進」の決断をしてほしかった
下から命令案があがってくるまで何のイニシアチブも
取らない劣化乃木みたいな軍司令官が大戦中たくさんいたじゃん。
>>225 >下から命令案があがってくるまで何のイニシアチブも
>取らない劣化乃木みたいな軍司令官が大戦中たくさんいたじゃん。
例えば誰?
ノモンハン事件の植田関東軍司令官とかインパールの寺内南方軍司令官とか。
坂の上の雲でも大山さんが「負け戦にこそ大将が必要。勝ちは児玉サンに譲ります」みたいなこと
言ってたけど本当にそうだと思う
>ノモンハン事件の植田関東軍司令官とか
>インパールの寺内南方軍司令官とか。
この両名は上がってきた情報を意図的に無視しての
作戦強行というイニアシチブは取っているよ。
もちろん悪い意味での。
だからイニアシチブを取っていないという表現は
少し違う気がする。
>坂の上の雲でも
これは小説なので(苦笑
情報に対して唯々諾々なのはイニシアチブなの?植田寺内が強力に作戦を推進したとか初めて聞いたわ(苦笑)
小説であの大山の発言は何度も出てくるがあれは軍事専門家的には苦笑物なんですねお見それしました
大山の黒溝台会戦時の「今日は大筒がなっとりますなぁ」みたいなエピソード
本当かどうかは知らないけど事実なら参謀に対する凄い嫌味じゃね?
言われた参謀はどうか知らんが俺の中では大山元帥はドラえもんみたいなマスコット的存在だから全然嫌味じゃない
>>230 >植田寺内が強力に作戦を推進したとか
増派要求をしていますよ。
>軍事専門家的には苦笑物なんですねお見それしました
いや小説なので、資料的価値としてどうかと。
>>231 実際は暗い雰囲気の司令部が明るくなったとか。
増派要求したのは辻と牟田口でしょ?
それとも植田と寺内が独自に増派要求したことあったの?逆に独自の作戦中止命令でもいいけど
資料価値について言うなら件の大山の発言は創作だとか明確に指摘してくれ
別宮本とか読むと日本軍は軍令はお世辞にもよいとは言えないとか何とか
ようは世界最先端のプロシア参謀本部に何人か留学させたけど
参謀のレベルはかなり低いとか何とか
大山「こ〜だ〜ま〜ボックス〜」
明治「これは何?オヤマえもん」
大山「困ってる戦場を教えると中の人が(列車で)飛んで行って火消ししてくれるでゴワス」
>>235 第7師団と第2師団及び野戦重砲兵連隊を6軍指揮下に入れる
許可をもとめてなかったっけ?植田司令官。
寺内司令官は援軍は送らなかったけど、ビルマ方面軍の兵力移動
を認可しているよ。
>大山の発言は創作だとか明確に指摘してくれ
創作かどうかはわからないが、その小説には
間違いがそこそこある。たとえば天保銭の引きちぎられた相手とか。
日露戦争に関係ない長文レスですみません。
>>238 >>238的には植田寺内両名は作戦において実務的統率力を発揮したわけでしょ。
なら、第6軍なんて事件発生から3ヶ月後にできた軍の編成の話を出すのおかしくね?
その一月後には事件自体収束してるんだが。どうみたって23師団が消耗して
ソ連軍も充実しちゃったからっていうただの泥縄的対策じゃん
寺内の例にしても、声がでかい牟田口が第15軍の司令官になった43年3月からずーっと
主張してうるさいからやらせてやった(兵力移動を許可した)だけ
一人の軍人として自身の合理的理性的判断を示したものには見えないんだが。
そんなわけで日露戦争の神格化はその後の将官の堕落に繋がっています
オワリ
>>239 >ソ連軍も充実しちゃったからっていうただの泥縄的対策じゃん
そのとおり。でもそれは参謀の作戦案に唯々諾々としてたという
ことにはならないのでは?
>そんなわけで日露戦争の神格化はその後の将官の堕落に繋がっています
それはどの本にそう書いてあるのか教えてください。
日本軍の参謀は司令官の願望に忠実な索案をするか
弱気な策案が嫌なので強気の索案をする2タイプが居る
というのは理解できますが。
薩摩人が上に立つほど無の風格を取り入れるとか
多分に、現実の薩摩人というより、
そういう幕末の東洋思想や王道思想があって
司馬が「そうであろう、そうであってほしい、なぜなら講談的に日本人の快楽原則にそのほうが合うからだ」と
書き散らしているってことはない?
大山巌はけっこう神経質で情報全把握のために
部下を細かくせっついて怒鳴っていたという話もあるが
>>240 自軍を過大視し敵戦力を軽視した関東軍参謀が暴走(この時点でおかしい)
↓
7月攻勢失敗
↓
参謀達は作戦失敗を認めたくないのでさらなる戦力を集中し攻勢の再興を図る
この時点で参謀たちがいかに敵を蔑視し戦力見積もりが誤ってたのかが明白なんだから、
軍司令が参謀べったりじゃないとしたら、問いただして作戦を中止し防勢に移るなり
事変収拾へ策をうつでしょ。なんですぐ第六軍創設して戦力増強なのよ
>本
いつから2ちゃんは自説を披瀝しちゃダメになったの?w
大山さんや東郷さんみたいに人の上に立つものはここぞという時だけ動いて余計な容喙をすべきじゃない!
↓
部下の暴走(特に陸大出の参謀)を止められない大将だらけ
と俺が思っただけです。
>>242 >軍司令が参謀べったりじゃないとしたら、問いただして作戦を中止し防勢に移るなり
>事変収拾へ策をうつでしょ。なんですぐ第六軍創設して戦力増強なのよ
これこそ軍司令官も乗り気だからという証左では?
>いつから2ちゃんは自説を披瀝しちゃダメになったの?w
いやその文言はどこかで読んだ記憶があったので。
>部下の暴走(特に陸大出の参謀)を止められない大将だらけ
>と俺が思っただけです。
イメージってことですね。
でも実際は参謀って上司の思惑にかなり忠実ですよ。
現場に引きずられてというのは一面しか見ていないと
思います。
>>241 それは多分にありえる。
要は軍自身もそういう講談的な神格化に荷担し軍人教育に役立てていたのではという話。
東郷ターンや丁字戦法みたいな俗説を広めたのだって軍人の小笠原長生による伝記でしょ?
>>243 あなたは自分で決断できるリーダーシップのある司令官です。あなたの作戦が失敗しました。
どうやら参謀達は誤った情報で作戦を立てています。反省の色もありません。
どうしますか?
すぐに同じ参謀でリトライ!
作戦を再考する
植田が乗り気かとか関係あるの?
>イメージ
なんという徒労感・・・何のために辻や牟田口を交えて植田や寺内の例を出したんだ。
参謀スタッフなり下級司令官の暴走の実例じゃん。
>>241 というか官僚が物分りのいい親分の下好き勝手やりたいって願望を正当化するための屁理屈だなありゃ
小西郷−山本ラインになるとそれが一層顕著になるが
司馬遼太郎がソースにした連中の言外の主張や、あとは新聞記者時代の取材の官庁の空気だったんじゃないの?
大山巌は、実際には茫洋とした大人物とは程遠い、細かい人だったと
いう話もあるけどね。
西郷隆盛にしても、出自からすると、本来は非常に細かい人間だった
んじゃないかな。切れ者のつもりの殿様が、便利な手足として取り立て
たわけだし、本人もそのつもりで奔走していたわけだから。
>>245 >植田が乗り気かとか関係あるの?
大有りですよ。参謀は上司の顔色を伺っているんだから。
>何のために辻や牟田口を交えて植田や寺内の例を出したんだ。
>参謀スタッフなり下級司令官の暴走の実例じゃん。
インパールは牟田口の暴走だけど寺内も共犯でしょう。
止めるどころか乗っかって作戦の認可を大本営にお願いしてますよ。
むしろ司令官が内心消極的に判断しているのに
参謀に引きずられたという事例が知りたいですね。
ただ参謀も消極的な作案は嫌なので積極案を出すことが多いのはありますが。
>>247 全国の士族の立場を代弁し最終的には生死を共にした英雄が、こまごました実務家だったとはさすがに信じがたいなあ
若い頃は自分で動いてたとしても終生そうだとは言えないだろう
大山も児玉も軍人というより元老、政治家だしね
乃木が旅順で伊地知を抑えられなかったという風説が本当なら
大山、児玉も、終始、井口、松川を戦争の全期間を通じて同じ程度に抑えられなったと思うよ
伊地知が悪役となったのは、終始、攻城弾薬不足の正論で満州軍の作戦指導に抗ったからだし
その上、井口と犬猿の仲。
谷寿夫が取材した「日露機密戦史」は、長岡、井口、松川のラインで
第三軍は取材から外されたから
昨年F1で惨事が起きた時、最終的にはTDはNHKに情報を提供してまで
現場のECCS操作ミスに問題を矮小化、<現場の責任>に事をおさめようとしたろ?
私企業も含めた高級官僚たちの神経は、常人には計り知れないよ
>谷寿夫が取材した「日露機密戦史」は、長岡、井口、松川のラインで
>第三軍は取材から外されたから
この機密日露戦争史も参謀教育のテキストだから
意図的に問題点をクローズアップしているんだね。
事実かどうかは重視していないんだ。
いや正確に言うと、満州軍総司令部の児玉ラインは、乃木第三軍とほぼ一体化していたけど
何分第一回目の総攻撃、死傷者15000は、帝国陸軍始まって以来の大惨事だったからな
誰かがスケープゴートにならざるをえなかった
東京の長岡外史からの「203高地に攻撃転換を」電報を見ながら、
親分の児玉が、終始、要塞東北正面の攻撃を乃木に指示しつづけたにもかかわらず
巧みに井口、松川は、付和雷同の「公文書記録」残したんだろうな
下種な世界だよ
>>248 はい。わかりました。仮に植田さんは乗り気です。仮に植田さんがやる気なので参謀も攻撃再興案を出したとします。
で、無能を晒した参謀を使い続ける理由はどこにあるの?
>インパール
たぶん勘違いしていると思うんだけど、南方軍か推進したのはビルマ防衛を目的とした攻勢防御
牟田口が強行したのはインド侵攻を目指す純粋な攻勢
なので攻勢の重点からして違う
作戦の経過も知らないでしょ?
44年3月に作戦開始し、4月末には戦力が40%に低下し5月末には攻勢持続の不能は
誰の目にも明らかになったにも関わらず、牟田口が観念する6月末まで作戦続行。
この事からも作戦のリーダーシップが牟田口一人にあったことは明らか。
>>252 それ以前に4万人がこもる近代要塞をたった三個師団で攻めろってんだから。
まず責められるべきは編成を決めた中央だよね。
>>253 >で、無能を晒した参謀を使い続ける理由はどこにあるの?
だから無能という評価はしてないんでしょ。軍司令官は。
>作戦のリーダーシップが牟田口一人にあったことは明らか。
そのとおり。軍司令官の牟田口がリーダーシップを握っていた。
軍参謀もそれに従っていた。
でも作戦中止は方面軍の河辺が下したんだよね。
それとディマプール進撃命令取り消したのも河辺中将でした。
>>252 巧みに事実を隠蔽したというわけですね。
>>255 河辺は6月上旬にも会ってたのに作戦中止出来なかったけどね。
河辺「牟田口の口から言ってもらいたかった」
牟田口「顔で察してもらいたかった」
お前ら初恋か!
まともな組織じゃない。
第15軍司令官のリーダーシップはあった。ではより上級のビルマ方面軍や南方軍のリーダーシップは?
そいつらはお飾りか何かなの?
極めつけは、敵を軽視して師団主力規模の渡河作戦を軍橋一本でやった挙げ句渡河一日半で挫折した作戦に
植田司令官は満足していたと。いやーその可能性は考えてなかったわ。参った。もうあなたの勝ちでいいです。
スレチすまんね
だいたい近代陸軍の軍司令官が部下に丸投げとかあり得る訳がないわなぁ
参謀がやりたい放題するために大山の話を作ったってのはあり得るけど
逆に大東亜戦争の方は参謀の暴走のせいで指揮官は被害者みたいな情報操作を感じなくもない
大山巌の場合、参謀長が児玉源太郎だったからお互いに遠慮していたという
ことはあるだろうね。
児玉は長閥で大臣経験もあるから、大山としても遠慮せざるを得ないし、
実力的にもがみがみいう相手ではないから。
常識が通じる軍隊ならあんなぼろ負けしないでしょw
だいたい、大臣経験のある藩閥の領袖が野戦軍の司令官で出征ってのがかなりの異常事態だもんなあ
手下に任せてなんかおけない気分だったんだろうさ
それこそ、下手な総司令官じゃ児玉とその部下どもがどんな暴走やらかすか分かったもんじゃないし
今風に言えば総務大臣→満州軍総参謀長って感じかな
田村怡与造が死なずに参謀総長になってたら戦争はどう経過したろうか
そもそも日本陸軍は、対露戦を朝鮮半島防衛戦と捉えていて
開戦直後の満州作戦そのものを考えていなかったんじゃなかったっけ?
山本ゴンベイが海軍の開戦劈頭、旅順艦隊奇襲作戦(極論すれば海軍は封緘命令一つで出撃できる)にこだわりすぎて
陸軍(召集動員令で準備期間が数ヶ月必要)参謀本部に開戦を秘密にした
明治37年2月8日海軍駆逐艦で旅順口奇襲
以降、旅順艦隊は逼塞し、主戦場はいっきに満州に北上、
そして冬季寒冷で、陸軍は北朝鮮の移動が不可能になり
田村怡与造策定の「明治36年国防計画」そのものが無効になった
陸軍が遼東半島に上陸を開始したのは、ようやく5月
その間、ロシア陸軍は懸命に満州群を増強した
杜撰な戦争らしいね
>>265 当初の予定はなし崩しに崩れてるよね
まあ戦争なんてそんなモノっちゃあそれまでだが
逆に、事前の予定の遂行に固執すれば、シェリーフェンプランみたいな無理筋を通さなきゃならなくなる
満州で本気で戦争やる気あるなら、朝鮮半島に南北縦貫の鉄道線を軽便鉄道鉄道でもいいから敷設しとかなきゃならないとこだし
てか、朝鮮半島を主戦場と考えてもその程度の準備は必要なんだけどな
この際韓国の主権は棚上げの方向でw
海軍に引っ張られてああなったなら田村が生きていても大筋は一緒か。
>>266 あれ釜山から義州まで普通に無かったっけ?>鉄道
ソウルを真ん中として05年に南半分が、06年に北半分が全通したらしいな
結局のところ結果オーライなんでしょ
日露戦争は勝ったからさ
スケープゴートとして乃木と伊地知だけ叩かれてるけど
大東亜戦争では負けたから悪い面ばっかり探して戦争責任を参謀や第一線に押し付けてる
作戦の内容なら明らかに大東亜戦争の方が優れてる
でなぜ負けたかといえば貴族軍隊や軍閥とは違ってアメリカが本物の軍隊だったという相対的な問題でしょ
大東亜戦争における貴族軍隊や軍閥ってなによw
2・26事件がなんで起こったかくらいは日本人として知っておこうな
頭悪いなぁ
文脈からして
日露〜支那事変・・貴族軍隊・軍閥
大東亜・・本物の軍隊
って分かりそうなもんだが
ここまで説明しなきゃ理解出来ない時代なのかね?
大東亜戦争の明らかに優れた作戦力とやらは何をさしてるの?
>>272 日露〜支那事変のころアメリカ軍と戦った国の話でしたかw
これは失礼しましたwww
支那事変入れてるってことは2・26事件が何年に起きたのかも知らないのかw
朝から和んだわありがとう
>>272 あなたがあなたの言ってることを分かってるか不安だから解説すると
大東亜戦争で負けたのは米軍が本物の軍隊だったから
↑
比べ日本軍は貴族軍隊、軍閥
ただし作戦力は日露時以上
という話なんでしょ?対米戦時に軍閥(藩閥のこと?)じゃないとダメじゃん
てっきり厨房だと思ってたがいい年してこの日本語力じゃ先が思いやられるぞ、おっさんw
しっかし軍板にいるのに日中戦争と226事件の時系列も知らないとか高等教育を受けたと思えんな
中卒が顔真っ赤にしてウィキペディアを必死に手繰りながらレスしてたんだろうな。いじめてごめんな笑
うーん、もはやスレ違いとしか
(あんま下品な方向に持っていかないで欲しいな。煽っているほうも言うほどレベルは)
ん?
貴族軍隊=帝政ロシア軍
軍閥=民国軍
じゃねえの?
相手が悪かった、って話だろw
ところで明治37年2月8日に旅順口奇襲の海軍作戦で日露戦争は始まったけど
陸軍が本格的に戦争を開始したのは5月1日の鴨緑江を第一軍が越えた時でしょ?
なんでタイムラグが3ヶ月もあるの?
この間、敵が防備を調えないと 思わなかったのかな?
「まさか日本がロシアに戦争を挑むなどあるまい」とロシアが戦争準備を怠っていたので
ある程度ロシアが兵力を溜めるのを待っていた。
空き家を攻めても仕方なく、ある程度兵力が溜まった所を叩かないと意味がないでしょ。
陸軍は動員(召集令状の郵送、兵営出頭、終結、訓練)がどうしても4〜8週間必要だから
市井に知れ渡れば、敵国外交筋にも知られる。
動員=開戦意図だから、モルトケ以来、宣戦布告の同義語になる。
(だからWW1では、動員合戦が宣戦布告の連鎖反応となり、世界戦争になった)
陸軍の開戦〜奇襲攻撃は、基本的に不可能
ところが山本権兵衛は、連合艦隊によって開戦〜奇襲攻撃をしようとした
開戦劈頭、旅順+ウラジオ艦隊を撃滅すれば
ロシアは極東で海上兵力を失い、継戦意思を大いに失う=短期決戦が可能とふんだ
海軍は乗艦将校さえ秘密を守れば、GF規模で動いても秘密を守れる。
海軍の奇襲を成功させるには企画意図の隠蔽が重要。
@陸軍に動員させ、ロシアに開戦意図を悟られてはいけない
Aゆえに山本は、元老会議で伊藤、小村寿太郎らとくんで、終始、山縣、桂の陸軍早期動員令=開戦意図をおさえた
ところが、山本が万全の備えで望んだ開戦当初、旅順口奇襲=旅順艦隊撃滅〜旅順口封鎖は、結局失敗した
陸軍は海軍の意を組んで開戦直後まで動員をかけられなかった
だから・・・
(制海権、兵員輸送の船舶量、朝鮮半島北部の悪路、冬季氷結で北朝鮮の上陸不可その他)
このスレで流行の方式で、無関係の時代をぱっと思い付きのアナロジーで引用するなら
ラムズフェルドが空爆と特殊部隊群の投入だけでイラク軍の指揮系統を分断できると思ったら
できずに、米軍は陸戦に望んだらどうなる・・・・いう、イラク戦争当時のIFみたいなものかな・・・
ガダルカナルみたいに海軍の違約(制海権を取れず補給が続かない)で作戦総崩れですね
284 :
名無し三等兵:2012/04/04(水) 13:48:21.22 ID:WE6MzJLo
あのさ、もしかして日本陸軍って対ロシア作戦なしで開戦した可能性ない?
このスレ、レベル高いな!
一例
>>105 >日本海海戦については・・・「日本を救った兄弟のより救った弟の方」については
>島村参謀長役の館ひろしの巴投げとか、東郷の冷たい視線とか
>・・・「最新の史実」を判っているけど直接には描かないのがいいよね
禿同ですたw
旅順要塞での決戦や日本海海戦の同航戦とか、もう感動
287 :
名無し三等兵:2012/04/04(水) 14:39:09.02 ID:8ykvUsoB
288 :
名無し三等兵:2012/04/04(水) 16:09:55.22 ID:Jc1ixIXQ
日露戦争なんて、そもそもやるべきではなかった。シナ朝鮮は放棄して、対馬を盾に10年頑張れば、第一次大戦でロシアは崩壊していた。海軍増強にカネが掛かったろうが、日露戦争の戦費と朝鮮満州に投入したカネより少なくて済んだと思う。
>>288 アホかお前
どうせ第一次世界大戦では朝鮮・満州からロスケを駆逐するまで戦わされるんだよ
290 :
名無し三等兵:2012/04/04(水) 17:39:08.84 ID:WE6MzJLo
教科書的には日露戦争ってなぜ起こったの?
昔習ったはずだけとわすれちまった
日本の南部仏いん進駐と同じでロシアの朝鮮侵略?
291 :
名無し三等兵:2012/04/04(水) 20:37:23.03 ID:vJyR9v10
まあそうだけど
アレクセーエフがニコライからの電報を握りつぶしたのは残念だったね
逆命利君って便利な言葉でさ
どこの国の官僚も自分こそが国益の体現者、
たとえ命令に逆らっても、東方を征服する事こそ、神と祖国と王室の為になるって
結構本気で思いこんでいる
294 :
名無し三等兵:2012/04/05(木) 12:23:58.55 ID:EAQM18J+
満韓交換、つまり朝鮮の領土保全を日本は求めたら、ウィッテみたいに外交的にやんわり誤魔化すかわりに、大国意識剥き出しで軍人上がりの極東総督一派が、保証しないと乱暴に言い切ったから。
当然、日本は反抗しないという前提だから不意討ちになる。
こまけえこたあいいんだよ
あれはロシアの侵略戦争
日本の自衛戦争
バルチック艦隊を完膚なきまで撃滅して、そこが大日本帝国の頂点だったな
日本の頂点は第一次大戦でドイツの植民地を毟り取った所だ
シベリア出兵から下り坂だしな
300 :
名無し三等兵:2012/04/07(土) 23:09:16.24 ID:ihwBC3Lz
よく海軍の旅順口封鎖失敗の結果としての乃木の旅順攻略戦というけど、むしろ海軍戦略だけで早期開戦して、封鎖に失敗したとたん、戦略なき陸軍に丸投げ。
乃木と第3軍はその不始末を15000の人命で火消ししたと思うよ
301 :
名無し三等兵:2012/04/07(土) 23:29:25.34 ID:3sO7s6A9
学研歴史群像シリーズ24 日露戦争/陸海軍進撃と苦闘の500日(初版1991)に
元防大教授 桑田悦(陸士58期)が旅順攻略戦について短文を寄せているけど
この頃からかね、一般に以下の視点が流布したのは?
@第三軍を北方に転用するには、要塞完全攻略が必要
Aゆえに要塞の外側の高地にすぎない203高地攻略だけでは、陸軍作戦の目的(要塞攻略)が達せられない
Bいずれにせよ旅順艦隊は、203高地陥落前、すべてキングストンベンを抜いて自沈していた
C1月1日に旅順要塞が陥落したのは、203高地争奪戦で、ロシア軍が逆襲兵力(予備兵力)を枯渇させた
>>299 コレヒドール米軍陥落をもって東南アジア全域を制覇?
>>301 29日、東証の大納会で日経平均株価が史上最高値の38,915円87銭を記録?
山本ゴンノ兵衛が2月に早期開戦した理由ってなんだろ?
冬季で陸軍は5月まで待たなければ北鮮、満州に開進、上陸展開できないだろうし
日進春日の納品回航で、連合艦隊の戦力が増えるから?
あとウラジオ艦隊が氷結で出撃できないから?
日露戦勝100周年、坂の上の雲のDVD発売もあったけどあんま盛り上がらないね
一応、19世紀20世紀を通して、二国間の戦争としては戦場で戦った兵士の数は1番なんだけど
(二位がイラン・イラク戦争)
別宮暖朗「日露戦争陸戦の研究」(筑摩書房文庫)いうの読んでいるけど
別宮さんって評価はどうなの?
以下、おれが読み取った第1章概要、これだけでも結構、斬新かつなかなか説得力あるが・・・
ロシアが不凍港大連にシベリア鉄道終点を置いて、鉄道経営に腰を入れたとする。
その場合、大連防衛に旅順要塞を新築、艦隊基地をおいて
仮想敵・日本海軍に備えたとする
当時のボロジノ級戦艦の積載石炭で航続距離1300海里
旅順、ウラジオ間の距離1100海里
だから旅順、ウラジオの2港運用の場合、
裏日本全海岸を補給港に使える日本連合艦隊と決戦を行うと燃料不足に陥る
だから朝鮮侵略をして、南朝鮮に海軍根拠地を作りたい
ゆえに朝鮮侵略(鴨緑江朝鮮側に1903.04龍岩浦秘密軍事基地を設置)をした
だから日英同盟(侵略が起きた場合、日英は中国及び朝鮮の相互の権益を守る)発動条項ゆえ
伊藤と小村寿太郎は、条約遵守の為に対露開戦を決意
海軍力だけで対露短期決戦(1ヶ月戦争)が可能とする山本は、陸軍にほぼ内緒、海軍独断に近い形で
1904.02 旅順口奇襲、そして失敗・・・日露戦争は長期化(1年半戦争)した
つまりロシアは海軍戦略=朝鮮南岸の海軍基地獲得の為に
朝鮮侵略を開始(1903.04龍岩浦事件)した
条約や外交で、シベリア鉄道終点の大連港の保全を求める代わりに
軍事的に安全保障を求めて、仮想敵・日本海軍に勝つために
朝鮮南岸を求めた
たしかにこの考えはすっきりするよね
というのは満韓交換論(満州におけるロシアの既得権、朝鮮における日本の既得権の相互保障)だと
なぜ戦争に至ったのか、判らないから
「なぜ遼東半島占領、満州権益だけで、ロシアは満足できなかったか?」
「いや満足するはずだ、満韓交換で戦争には至るまい」というのが
桂や、児玉の陸軍閥の見解。だから彼らは開戦を信じられなかった。
朝鮮における日本権益を保障すると、ロシアは朝鮮南岸進出不可
つまり太平洋進出、両岸ロシア帝国の野望を捨てることになるから
坂の上の雲最終回でバルチック艦隊旗艦に乗っていた旅順帰りの士官
ウラジミール・セミョノーフって、シベリア鉄道か何かで帰ったのかと思ったけど
黄海海戦の生き残りだったんだな
この時、世界の海軍戦術の常識を打ち破ったところの、異様な陣形が指示された。
ドゥーエの空軍力みたいに、権べいは海軍力=制海権だけで戦争するつもりだったんだろうな…
311 :
名無し三等兵:2012/04/18(水) 19:52:17.23 ID:kCzAqeX6
権兵衛は国益と私運が重なる男だと思うと
2等戦艦八雲と快速戦艦オスラビアの模型箱を見比べながら。
312 :
東郷:2012/04/19(木) 01:56:48.28 ID:???
でもぶっちゃけ初瀬と八島が沈んだ日には
足元が震えるような恐怖を覚えたぜ
国が滅ぶ瞬間をみた気がした
313 :
権兵衛:2012/04/19(木) 10:35:29.85 ID:???
お前の怠慢だろうが
平八郎
314 :
伊藤:2012/04/19(木) 10:44:22.12 ID:???
だから止めろというたんじゃ。
315 :
明治帝:2012/04/19(木) 12:05:48.88 ID:???
東郷を変えてはならん!!
316 :
牛若:2012/04/19(木) 18:58:07.77 ID:???
どうせわしらは消耗品ですけぇ
日本の第一、第二戦隊
戦艦4隻(18ノット)+装甲巡洋艦8隻(20〜21ノット)=12隻
バルチック艦隊の第一、第二、第三戦隊
戦艦8隻(14〜18ノット)+装甲巡洋艦1隻(16ノット)+装甲海防艦(16ノット)3隻=12隻
T字戦法とは言わないが、日本側が優速をいかして、常時、12隻で
ロシア艦隊の戦闘5隻を、ロシア後続7隻の射程外で叩いたからな
日露戦争はクロパトキンの馬鹿が撤退せず、攻撃しておれば
日本が負けていたという認識でいいの?
クロパトキンの馬鹿っぷりまで考慮した児玉の作戦だから
しかし極東軍総司令が黒鳩でなければどんな作戦立てたんだろ
クロパトキンはウィッテと並んで
開戦前、対日部分融和派だけどな
でもいい露助なんてものはない。死んだ露助だけがよい露助というから
321 :
名無し三等兵:2012/04/20(金) 22:50:07.22 ID:wPLQ8J6Z
ぶっちゃけ@遼東半島、A満州、Bウラジオ含むウスリー方面が広すぎるんだよ
日本軍がどこを攻めるか判らないし
極東ロシア軍3個軍団で@〜Bを守るには広すぎる
これは日本軍も一緒、だから@を乃木軍、Aを黒木、奥軍しか開戦後、せめられなかった
日本軍の攻勢主軸を見極めて、奥地に釣り上げ
ロシア軍3個軍団(うち1軍は遼東半島で乃木軍に潰されたけど)をハルピンに集中して決戦を挑む
だって、この時点でもA満州=奉天を攻めるか、Bウラジオ・ウスリー方面に来るのか
判らないからね
だからクロパトの後退戦術「とりあえずハルピンまで下がり」は、ある程度、仕方のない部分も
>うち1軍は遼東半島で乃木軍に潰されたけど
乃木GJ!
半ば潰れたと言うか、中身が入れ代わったと言うか…
>乃木の軍団
知ってる昔ヤマトの裏番組でやってたよね
豊田有恒が原作
ググってそういやそんなものがあったなーって程度の・・・
いやいや、無理を言うな太田君
地方だったから放送時間が違い、両方見れた俺は勝ち組
乃木が奉天に間に合わなければ惨敗してたわけで
そうだそうだ
203高地を落さなければ旅順の陥落もなく
第三軍の北方転用も奉天の勝利もなく
仮に日本海海戦に日本が勝って制海権を得ても
海路、送る弾薬、兵、それに財政が尽きれば無意味だ
そのままロシア軍は満州に居座り、夏季大攻勢で
日本軍を鴨緑江まで押し戻すだろう
>>328 さすがに第三軍が到着しなければあそこで攻勢に出ようなんて思わんだろ
消耗戦でじりじりすり潰されてたかなぁ
軍事的には、日本列島に対して長い横腹をさらす
東清鉄道一本で補給を行うロシア遠征軍の脆さを理解してあげて下さい
332 :
名無し三等兵:2012/04/27(金) 19:29:55.18 ID:lbbbWhLZ
ポーツマスの旗読んでるけど面白いわ
>>332 吉村 昭の著書は面白いわ
ニコライ遭難もお勧め
海の史劇だろ、やっぱり
335 :
名無し三等兵:2012/04/29(日) 08:32:02.63 ID:Vd5fy8jW
また「第三軍は旅順要塞<正面>に無意味な突撃をかけた」か!
旅順要塞は「城壁都市」でなく、あくまで堡塁環状線に囲まれた
縦深防御陣地に過ぎないのに
そこを突破するには堡塁を一つ一つ潰していくしかない
それがいわゆる正面攻撃だ
あたりまえだ、堡塁に向かわずに攻撃は掛けられないからな
じゃあ正面攻撃を避けて堡塁線を抜こうとした
夜間浸透戦術のさきがけ白襷隊はどうなんだといいたい
堡塁の側面を彼らは抜けようとしたんだぞ!
司馬の言う所の「無意味な正面攻撃を避けて」!
そんな電波サイトに、真面目に取り合っても
確かに失敗だったが、着想はまんざら間違ってもいないと思うんだよね>白襷隊
結果だけで論じるのは愚昧だろう
338 :
名無し三等兵:2012/04/29(日) 14:55:20.62 ID:yMrLHMlg
対人口比での動員力がロシアは日本より、すごいけど
この差はどこからくるの?
穴掘って爆薬で吹き飛ばすようなコトもしたんだよな。
ある意味、第一次世界大戦の縮尺みたいな戦争だったのかな?
第一次世界大戦の前哨戦争でしょ?
この戦争の結果、独露仏同盟が崩れて、英仏露とドイツの対立が始まった。
さらばビスマルクの叡知よ!!
341 :
名無し三等兵:2012/05/01(火) 23:59:48.39 ID:8G30RUgM
民間人は商売の話を、官僚は権力の話を、外交官は政策の話をする。兵士は何も話さない。行動するのみだ。
だからこそ、戦争に勝利するのは兵士なのだ。
大山巌を参謀に一任して責任だけ取る薩摩の大器というけど
実際の所は、陸大教育を受けた参謀たちが暴走して
戊辰の野戦促成士官にすぎない大山司令官に情報を上げず
大山はそうとう苛立ったらしいね
「児玉さん、きょうはどちらで戦かな」というのは
悠然というより、自分に無断で作戦を展開する
参謀たちへの皮肉や怒りを込めたあてつけらしい
つうと第二次世界大戦の敗戦の原因の一つである参謀の暴走はすでに日露で始まってたのか…
でも、大山巌ってジュネーブ留学して専門的に軍学も学んでいたでそ。
おまけにフランス語ペラペラだったそうだし。
でも、陸大出てない戊辰の野戦促成士官にすぎないんでそ?
というのが、日本の伝統のような気がしないでもない。
遼陽と奉天の二大会戦だけど
概ね、松川・井口の満州軍参謀がプロシア流とやらの机上の作戦計画を立てて
現場の第一軍、第二軍、第三軍、鴨緑軍の参謀長たちと不仲になりながら
総司令部の権威で、ごりおし、修正を認めずみたいな感じ
問題は、松川・井口に限らずこの時代の参謀教育は、同時代のクロパトキンとかに比べ
レベルが低かったという感じかな
松川・井口は児玉を取り込んで、大山が児玉の顔を立てて、それに文句を言えず不満蓄積という感じ
じゃ何で勝ったのかというと、やっぱ日本軍の士気の高さと現場の智恵工夫
けして軍令が素晴らしかったからじゃない
あと基本的にはロシア軍はいつも遠く策源地のハルピンから
東清鉄道先端で、線路1本で補給を受けつつ外線作戦をしていたから
つねにU字包囲の危険を孕んでいた(突出部の防衛)のに比べ
日本軍は、大連と北朝鮮から2本ないし最終3本の近距離兵站線を維持しつつ
内線作戦を行いえた
軍司令官の奥と黒木が実戦に強い武将だったことが大きい。
特に黒木大将の追撃すべきか留まるかなどの状況判断は的確で
「戦場の臭いで判るんじゃ」と児玉大将も同じことを言ってたし。
後のパットンなんかも霊感のようなもので吹雪で足止めを食ったが
「この雪はじきに止む、さあ進撃だ」と言ったら途端に雪が止み日が
さっと射してきた、というのは実話。
>>346 軍事的経験も知識も一般教養も、幕僚より大山巌のほうが
圧倒的に上だろうになぁ…
>>351 戊辰戦争ではちょんまげと刀を振り乱して戦場走り回ってた人が近代戦で指揮してるって不思議な感覚だ。
年功序列
西郷の親戚
ちょっとうがった見方をすれば。
参謀ってのは随分と楽だ。
試験の成績さえ優秀なら、第一線将校としての有能無能は大して問われずに済む
戦いに勝てば自分の手柄、負ければ現地指揮官や幕僚の責任。
戦況が有利ならそのまま居座ってればいいし、不利になったらさっさと逃げ出せばいい。
……まあ、というような参謀ばかりだった訳でもないだろうけど、これに近い奴は随分居たんじゃないかな
>>355 ここでは
参謀=上級司令部からの派遣者
幕僚=現地下級司令部の参謀
程度の意味だよ
>>354 スレ違いだがインパール作戦ではそのまんまだね。
>>347 児玉源太郎は初期の陸軍大学校で幹事や校長をやっていたから、
陸大出としても遠慮するところはあったろうね。
仕事を散々引っ掻き回した挙げ句、いつの間にかいなくなって責任は取らない奴
美味しそうなプロジェクトには首を突っ込みたがるが、やばそうな案件からは逃げ回る奴
会社にも役所にも沢山いるよね
児玉がそうだったとは思わないが(第三軍指揮権代行伝説だってどうにも虚構くさい)、
後の辻とか花谷とかは明らかにそういう小役人タイプだったのだろう
辻はどう考えても参謀向きじゃなくて連隊長とかの前線指揮官向き
辻は体が以上に丈夫だしw
無能ではあっても自己宣伝には長けていたんだな
乃木とは対極だ
もちろん江戸時代の幕藩体制も官僚政治だけど
文官と武官を兼ねる「武士」という存在は
視野の広さという点で貴重だね
日本びいきの英ハミルトン観戦武官も、大山巌をそのへん褒めている
逆に国軍教育機関が成立して官僚教育が始まると
初期は結構、夜郎自大な精神がふくらんだみたい
つまり「おれは参謀教育を大学で受けたのだから、
現場視察などせずとも地図上の地形と書類上の部隊序列で
戦争計画を立てられる」
「現場のノンキャリアに意見されるいわれはない」
ほら戦後のパナソニックとか日立とか
設計屋でも営業でも会計でもひととおり「現場」を経験させるという
プロレタリアートな事が、初期の参謀教育(大村益次郎〜日清日露)では
やや欠けているような気がしてならない
>>364 いやそのへんは、ドイツ参謀本部の制度取り入れてるから、ちゃんとやってるよ
ラインとスタッフのジグザグ体験とかな
ただ陸軍の場合は結局、現場がしんどいからどうしてもエリート様は逃げたがるんだわw
将官だってキャンプ生活だし、責任はやたら重いからな
これが海軍だと、省部で書類仕事やってるより艦隊勤務のほうが気楽で居心地よかったりするから、現場に人気が出るわけだが
軍隊組織を上手く泳ぎ回って、楽して出世しようとしか考えていない俗物からみれば、
そりゃ乃木さんみたいな聖将は疎ましい存在だったんだろうねえ
そういう連中の言いふらした陰口悪口に乗っかったのが司馬さんだったと
人間として立派というなら、ヒデキも立派な人間。
大抵そーゆー立派な軍人としては無能。
訂正
大抵そーゆー立派な人間は軍人としては無能。
>>367 人の好き嫌いが激しくて、親分にはつくし子分は可愛がるが、嫌いな奴は
とことん冷遇というのが、「立派な人間」だとはとても思えないが。
引き立てた子分が「逃亡将軍s」だったりするんだから、何をかいわんや
だが。
そういえば、坂の上の雲第三部で
乃木はなにかといえば津野田と会話していたな
早稲田の書生気分の若手参謀とか
現場および満州軍派遣参謀からも悪く言われているけど
津野田はなくなった次男に似て
可愛かったんだろうな
「進めぇ!首山保の敵など大したことないのだ!」
(遼陽戦)
「いやあ、難戦でしたな」
(黒溝台?秋山旅団長の警告を無視)
「おい、聞け!総司令部は第三軍に多くを期待していない」
(奉天戦で、第三軍の若手参謀津野田あいてに)
NHK坂の上の雲より満州軍作戦参謀松川の失言録
東映の203高地だと、丹波総参謀長の懐刀としてそれなりに見せ場があったけどな
ポーツマスの旗、読み始めたけど面白いね
これよむと、確かに10万の将兵、20億の国幣であがなった満蒙特殊権益を
失うわけに行かないと、やがて満蒙領有論、満州事変につながる真情はわかるな
>>372 今、そのしっぺ返しか日本がチャンコロ、チョンにことごとく
なめられた上にご機嫌うかがってるもんなあ。
平気で嘘は吐く、約束は守らない、強い者には媚びへつらう、弱い者には居丈高になる
シナ人や朝鮮人と付き合うと、こちらまで腐ってくる(腐らないと付き合えない)からなあ
まあ、個人的にはマトモな奴もいるんだが
将兵の血で贖った土地を失うわけにいかない、という気持ちは判るんだけど、
ロシアを一発ぶん殴ったら、あとは満州も朝鮮も英なり米なりにサッサとくれてやって、
我関せずを決め込んだ方が良かったんじゃないのかな
まあ、後知恵だろうけどね
なにかの間違いで伊藤博文が暗殺されずに伊藤の意見が通って韓国を併合せず保護国のままにしておく、といっても
韓国は日本と協調してくれたかな?
日本に支援を仰ぎながらも自分で近代化して日本と二人三脚で東アジアの安定に寄与してくれるなら
日本の負担も相当軽減されたんだろうけれど、どんなに妄想重ねてもそんなにうまくはいかないよな
併合だってむしろ向こうが望んだことだもんなあ
もし仮に日本が対露戦勝の後、満州と半島から粛々と撤兵していたら?
やっぱり自立なんか不可能で、ふたたび清の属国化してたんじゃ?
とうぜん近代化もありえず、相も変わらぬ極貧国のまま
で、「どうしてあの時併合してくれなかったニダ!」と逆恨みされる、と
>>378 当時のチョンの本音は鎖国を続行したかったはず。
日本も少なくとも海軍はロシア海軍を完膚なきまで叩きのめした。
米英と協調路線をとれば島国の日本を侵略する驚異のある国はなくなったんだから
満州はアメリカと共同経営で良かったのに惜しまれる。
小村が余計なことしたなあ。
>>379 後から評価すれば正にその通りなんだが、強大な米英資本が満州に入ってくることを、
暴動まで起こして講和に反対した国民が果たして許すかな?
それをやってみせるのが大政治家だとは思うけどね。
まあ当時は競争力が懸絶してたからな
自由競争では勝てないという現実への認識が、変な排外主義につながっていくわけだが
ただそれでも、大陸経営には鉄道運営だけでも膨大な資金が必要だったわけで、その資金源はアメリカ以外ありえなかったのにね
if話とかしょーもないけど
満州に英米引き込んでたら後のWW2がかなり変わってたと思うんだ
仮想戦記だったらそういうのあるぜ?
なぜか、日本が第一次世界大戦に
参加してたりとか、別の所で悲惨な
状況になってるけど
仮想戦記ってジパングみたいなタイムスリップもの?
赤城と加賀が1904年にスリップしたら陸海とも空からの援護で圧勝だ。
逆にロシアが仮想戦記作ったらT-34を100輌と原潜1隻スリップさせて日本を属国にしてる。
なぜか日本が3枚舌な連中に言いくるめられて
ヴェルダン要塞に攻めてきたドイツ軍に白襷隊で
夜襲かけたり、ユトランドで第二巡戦戦隊に
参加、させられてた金剛がデアフリンガーの
直弾食らって真っ二つに折れて沈んだり、
とかそんな世界のお話。
ちなみにその海戦に参加して大ダメージを
食らった世界一(完成当時)の戦艦、扶桑が
航空母艦に改造させられてた。
そんだけ犠牲払わせれば、コメ国はともかく、
英国と仏蘭西は仲良くするわな。
でもそれって、日本は東洋での欧米列強の番犬になれ、ってことだろ
そりゃ現在の視点で見れば、シナやチョンと関わり合いになるよりはそっちのがマシだったと思うよ
しかし明治末の段階ではまだ、あいつらがそんなにウザくて悪辣な連中だとは、
殆どの日本人がまだ気付いていない訳だから
国民大衆が「アジアの国々が手を組んで悪い白人を追い出そう」って大アジア主義的な思想に惹かれるのも
ある意味仕方が無いとは思うな
欧米列強の番犬になれ?
実際に第一次世界大戦に参加して国力が
疲弊してそんなこと出来ません、てのが根底に
あって、その中で満州も自由貿易圏にして
先進国で共存しましょうや、て流れになっている。
国民はと言えば、海戦ですぐに使えなくなる戦艦を
増産しようとしたり、逆に独の通商破壊に対策せず
多大な犠牲者(戦死者の半数)を出した海軍に
対してのお怒りで頭が一杯のようだ。
(まあアメリカに対しては、先の大戦でも見たように
あまり役に立たない()戦艦の軍縮を更に加速し、
なぜかその過程で廃棄した伊勢山城をブラジルや
メキシコに鉄屑材料として(砲弾付で)売却、で
あまり好い感情は持たれてないw)
まあその間隙をついて蒋介石が上海などに
ちょっかいを出して日本が迎撃、て話になってるが
それも蒋介石の後ろについてるにっくき()ドイツとの
抗戦、てのがメインだったな。
388 :
386:2012/05/27(日) 09:47:58.04 ID:???
>>387 ああ、別にその架空戦記とやらについて述べた訳じゃないんだよ
紛らわしい書き方をしてすまん
兵頭二十八の新刊を読んだら、日露戦争後の経済政策としては、
減税と軍縮をして、浮いた国力を東北・北海道の産業開発に回せばよかった――
てなことが書いてあった
ああ、なるほどなって思ったよ
なんか震災後の日本とダブって見えるね
>>388 >兵頭二十八の新刊を読んだら、日露戦争後の経済政策としては、
>減税と軍縮をして、浮いた国力を東北・北海道の産業開発に回せばよかった――
アメリカがグレートホワイトフリートで(平和的に)押し寄せてきたり、
ロシアの陸軍の本体がほぼ無傷の状態で?
そっちこそかなり空気が入ってる気がするな。
まあX島での話のように、もっと追い込まれてるなら
それもありかもしれないけど
本日は日本海海戦記念Dayですぞ。
>>389 たしかに当時の情勢では、軍縮は無理かもしれんね
しかし半島や満州に国力を突っ込むぐらいなら、内需主導による発展を目指した方がマシだったと思う
所詮はそれも後知恵かな
内需が確保できたかて言うのが疑問だなあ、
東北方面なんて不作ばかりだし。
ただ、またX島記載だけど、そもそもあそこらは
米作中心にするようになった江戸時代から
飢餓に悩まされるようになったから、大陸、
ないしは以前のように雑穀やら麦やら、後
酪農とかにシフトしてたら十分食っていけ、
内政に関してはもっとマシになったかも。
その辺、二十八の新刊ではどう書いてるの?
>>391 その後のWWTの時に空前の特需と好景気に湧き、米英とは友好的な協調路線だったので
ここで国防方針を軍縮方向に向けられれば良かったが、青島や南洋のドイツ領を貰って
美味い味をしめちゃったから、これが後の満州、日華事変へと続く事になるとはね。
これ以上は日露から脱線するので止めとく。
>>392 テーマが函館戦争なんで、そこまで突っ込んだ記述があるわけじゃないよ
基本的には今までの著作と同様の説明
一部だけ抜粋
「(前略)ところが、デンマーク型の有畜&粗放畑作をベースとした自給経済は、
入植者に単に「コメ本位経済」を捨てさせるにはとどまらず、日常的に肉食し、
乳製品を多く消費し、コメ食をすっかり忘れることも強いるのです。これが、
日本人には、とうてい受容不可能な食文化なのでした。
(中略)第二次大戦中の南方戦線で、日本陸軍の島嶼守備隊が、コメ中心の
糧食兵站にこだわっていたために、考えれば回避できた飢餓にわざわざ苦しむことになりました。
同じ問題は、北海道の攻防戦で既に発生していたのです。そしてその教訓は、
帝國陸軍が消滅するまでの70年間、遂に生かされませんでした。(後略)」
国策としてもっともっと畑作と畜産を奨励し、岩手以北の無理な稲作は極力止めさせるべきだった、
ということかな。いやまあ、当時の政治家官僚も出来ることはやっていたんだろうけど
ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルムU世が、日露戦争で、
「有色人種のロシアを支援するイギリスの行いは、白人種に対する裏切りである。」
と言っていましたが、
何故ヴィルヘルムU世は、白人国家のイギリスを批難し、
蒙古系有色人種国家のロシアを擁護したのでしょうか?
日本はロシア軍に対し万歳突撃や肉弾攻撃を繰り返したので20万もの死傷者が出た。
兵士よりも、まずは榴弾砲、迫撃砲、重機関銃、軽機関銃、弾薬を買い揃えるべきだ。
米飯に固執せず、麦、芋、雑穀、乳製品を喰うべきだった。
この点では戦後日本は上手くやっている。
日露戦争の時に大和があれば、旅順港外側からの艦砲射撃で旅順艦隊全滅できたんじゃね?
>>394 なんせ、麦とかは単なる代用食で、絶対に米がいいという価値観だものなぁ。
糧食にまで白米求め、結果陸軍で脚気の大量発生に…
>>395 起きたら落ち着いてもう一度推敲して書き込みして下さい
>>398 46cm砲なら旅順要塞も粉々に出来ただろうな。
でもそういう妄想しても空しいな。
>>399 当時の日本人の「白米嗜好」は、飽食の時代に生きる我々には想像もつかないものだったんだろうね
いや、本質的には今日も変わっていないかも
クソ暑い中東にわざわざ冷凍寿司を持ち込んだりとか……
切実な問題として、米食わないとクソの切れが悪くなるんだよな
腸の長さの関係なのか知らんが、普段食うものに身体が適応してるからねえ・・・
前一週間コメ抜いたことがあって、2〜3日寝込んだな。
今は大丈夫だから、それなりに順応できるんだろうけど
「我々日本人は二千年以上もの間、米の飯ばかり食ってきたので、身体がそのように出来てしまっておるのじゃ」
と、斎藤一が『一刀斎夢録』で語っていたけど、案外その通りかもしれんね
やっぱここぞというときは、御飯を食べないと力が出ないもんなあ
で、いざ飢餓に直面してから慌てふためいてももう遅い、と
その辺りは、戦後のGHQ/官僚様のお陰でコメ依存症から
少しずつ体質改善するような。
「知ってるか?コメを食ったら頭悪くなるんだぞ!!1!」
コメ好きじゃないから一週間コメ抜きでも余裕だぞ
つまりただの好み
突然抜くとダメ、て事。
まあ代わりにアイスクリームとか小麦粉の
捏ねたものとか漠々毎日食ってると、そりゃ
可笑しくなるw
>>399 白米でも良いから、玄米、小豆、麦を10%以上混ぜていたら脚気が蔓延せずに済んだのにw
ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルムU世が、日露戦争で、
「有色人種の日本を支援し、白人のロシアを攻撃するイギリスの行いは、白人種に対する裏切りである。」
と言っていましたが、
何故ヴィルヘルムU世は、白人国家のイギリスを批難し、
蒙古系有色人種国家のロシアを擁護したのでしょうか?
>>409 米しか食わんからなぁ。当時の兵隊連中は。
>>410 皇帝が従兄のロシア帝国を「蒙古系有色人種国家」等とはは思ってなかったからです
>>411 軍隊に入れば白い米が食えると評判だからな
いよいよ今日は決死の突撃だ、って朝に何を食べたいかといえば、
やっぱり白いご飯に温かい味噌汁だと思う
海兵隊みたいにビフテキと卵ってのは、ちょっと…
日本人なら、カレーだろ
日露戦争当時の陸軍にはカレーはまだ広まってなかったろ。
現代ならゲンを担いで「勝つ!」でトンカツと米に味噌汁かな。
カツ丼だろ
カレーは海軍
1000 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/05/13(日) 16:24:39.89 ID:???
どうせなんで
日本軍従軍時代は、村上は砲兵として才能を示したため、
何度も異動勧誘があったものの調理任務は上官が拒否しており、
本人も戦闘に従事する事を望んでいた。しかしながらその経歴から、
公式ではなかったが従軍のコックも兼任している。
中国展開中、決死隊に最後の料理を出す際に食料不足な持ち物から
カレーを作ったり、シベリア抑留中には瀕死の兵士の希望により
リンゴをパイナップル味に真似たデザートを作ったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E4%BF%A1%E5%A4%AB
日本人が米に限らず食い物に賭ける執念は凄まじい物があるよな
東北とか本当は米の生産に向いていないのに無理矢理米を生産して
ついには寒冷地用の米を開発しちゃうくらいだし
地域が貧しすぎて商品作物を生産する農業モデルが成立しなかっただけにも思うがな
流通が整備されて大都市圏に販売できるようになれば、普通に果樹やら作る農家も出てるわけだし
貧乏人どもは麦でも高粱でも食ってろ!
そう言われるの嫌がってたねあの人たち
東北は、寒冷であるゆえに脆弱ではあるが、夏の日照時間考えれば極端に米作に不利ではないしな
北海道は灌漑のことも考えると明らかに無茶だがw
問題は、ロシアンルーレット的確率でやってくる冷害へのセフティネットをどう構築するかのような
>>424 うどんでも脚気になるし、うどんはご飯に比べてエネルギー量が少ない
>>423 秋田平野や津軽平野は普通に米どころだしな
冷害の年にも餓死者や困窮者が出ない対策としては、品種や地盤の改良は当然として、
機械化、化学肥料や農薬の開発、作物を運ぶ流通網の整備、中央政府の資力向上……
一朝一夕にできることじゃないな
ローマは一日にしてならず、だ
>>424 うどんで使う白い小麦粉じゃだめ。小麦粉だと全粒紛じゃないと。
うどんは消化が良いぶん腹持ちが悪いよね
ソバの方がマシじゃね
>>425 うどんは脚気予防にならないのか!!!
原料は小麦なのに何故だ!
米だって玄米で食えば脚気予防になるぞ
明治の陸軍は米食で脚気に悩まされたが、後のガ島のように餓死者が出なかったのは
補給路が近かったせいもあって兵站が上手くいっていたのは上出来だった。
脚気以外に凍傷で手足の指を失い兵士として使えなくなった者が3万人だったかな?
高級将校は別として、下士官兵は何週間に1回のペースで風呂に入れたのだろう?
後に判った事では凍傷を治すには37℃の湯に浸かるのがベストの治療法。
手足だけでも毎日湯で温められれば凍傷もかなり防げた(後知恵だけど)
脚気、コレラ、壊血病、凍傷……
現在の視点でみれば膨大な戦病者が発生したように思えるが、
当時としては戦死者数>病死者数ってだけでも画期的な出来事だったんだよね
それが大東亜戦争ではむしろ退化……情けない
434 :
名無し三等兵:2012/06/11(月) 23:09:42.96 ID:Mz10IjFr
その点、海軍は海戦が予想される前日は風呂に入れたから陸軍に比べたらマシか。
435 :
名無し三等兵:2012/06/12(火) 06:37:53.06 ID:CwZFiC+S
>>435 国家予算の1.4%って数字を今の予算に当てはめて出してるね。
購買力でいうと100億〜400億ってところか。工作を欧州でやるとなると、当時の円の弱さからして
もっと目減りすることになるね。
>>336 >「第三軍は旅順要塞<正面>に無意味な突撃をかけた」か
あのな 乃木は旅順要塞の強度が不明だから一番最短距離に
突撃した。 この東北を正面としたのは日本陸軍な
そして強度が不明なのに強襲したらあかんだろ。
西方は12月にやっと東北正面よりも弱かったという認識をしていたし、
偵察不行き届きはどーしよーもない。 坂上ドラマではそこらへんは上手く
演出していた。
>>366 >軍隊組織を上手く泳ぎ回って、楽して出世しようとしか考えていない俗物からみれば、
>そりゃ乃木さんみたいな聖将は疎ましい存在だったんだろうねえ
え? 乃木って出世の速度は異常だぞ。そういう意味では俗物だな。
>>388 北海道と東北に産業なんてできるんかよw 兵頭二十八は大バカだな。
なぜ 日本の産業が日本海側ではなく ”太平洋”に集中したのか まったく
理解してないわw 君も明治期の日本の政治の選択肢などを
勉強しないといけないぞ。
脚気や凍傷や握り飯も凍って食えない日露は想像以上に悲惨だが赤痢やマラリアに苦しみながら
蛙や蜥蜴や雑草食って明日の命を繋いでたクソ暑いガダルカナルなんかよかフツーにマシだろwww
>>121 気球については公刊戦史にも記載があり、大江の軍事史的研究にも
書いてあったとおもう。実際はロシア側の砲撃(半分威嚇な)と揺れるせいで
禄に観測できずに終わったとい記述だったとおもう。
>>206 >逆にロシアが要塞から出撃するはめになりそうだがw
>>210 >打って出られて解囲されて北方野戦軍主力に合流、挟撃の危険も無視で
打って出るかよw ばか者w ロシア軍陣地内では日本の攻囲軍の後方状況なんて
ほとんどわかってなかったのに、そういう状況で突破して逆包囲殲滅されて兵力が
減るほうが厄介だろ。 せいぜい、史実通りに海軍艦艇で砲撃するのが関の山。
打って出るよりもまず、海軍、艦船を維持し続ける(振りでもOK)のが重要なんだけどね。
打って出るという有り得ない想定でホルホルするのはよくないぞ。
つか、ほぼ完全に包囲された攻城戦で防御側が打って出て勝利したとか先例あるのか?
>>250 >谷寿夫が取材した「日露機密戦史」は、長岡、井口、松川のラインで
>第三軍は取材から外されたから
ああこれもウソ。第3軍からもしっかりと取材されている。
というか、記述された当時は乃木は軍神として扱われてたので こういう
機密のような資料の方が珍しいくらい。(当時の書籍の多くが乃木を
名将としてたたえている)
官邸が基本的な事を質問したために、その説明、対処に判断する
時間をとられて、対処が遅くなったのが真実っしょ。
今は官邸が介入の権限を限定させる方向に向かっている。
TDは中間に入って、しっかりと調整すべきであった。
その点、旅順攻略時の満州軍はよく調整していたと言えますね。
>>252 >親分の児玉が、終始、要塞東北正面の攻撃を乃木に指示しつづけたにもかかわらず
指示してない。 支持はしていた。
つか、児玉は現場状況も確認できていないのに指示なんてできっこないってばさ。
現場の判断を尊重したけど、乃木に足元すくわれただけ。
>>254 4万人も篭ってるなんて情報8月の時点であったか?
情報としては2万人程度だろ。
大本営は損害も出した後、補充も出し、第7師団も送り、できる限りの砲弾、大砲も送ってるだろ。
ちゃんと責務は果している。
なんだこいつ?
2〜3ヶ月も前の話題にどや顔でレスつけて
しかもだいぶ的外れ
官邸がうんぬんてなんなの
文章適当に切り貼りしても
いわんとすることがまるで通じません
>>437 >西方は12月にやっと東北正面よりも弱かったという認識をしていた
誰だよ、そんなこと言ってたのは?
第三軍の参謀の証言によると、西方諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かったようだが
>>443 「乃木に足元すくわれただけ。」ってどういう意味?
>>446 官邸の話題は
>>250がTDの情報操作論を出しているけどさ、
>250はこういう根拠もなくうがった視点で見るから、実相からは離れすぎw
(あ 的外れって自覚してないのかな・・?)
とりあえず事故調査委員会の報告位 通してから話せばいいのになw
>>447 乃木本人 (公刊戦史6巻P647 12/26)
第3軍の参謀がいくら後知恵で述べようと説得力皆無で、
参謀達の初期誤判断の言い訳にしか聞こえない。
NHKドラマではこの辺りはうまく演出してたな。
こういう資料はさらっと流して、言い訳ばっかり論拠にするヒトが
ここ10年近く多いよね。
>>441 >ほぼ完全に包囲された攻城戦で防御側が打って出て勝利したとか先例あるのか?
戦国時代:今山の戦い
>>448 乃木が東北正面を攻撃して 何日までに落とすという約束 を反故されてる。
折角乃木を支持したのに、児玉は足元をすくわれてる。
つかさ、 さくって落とせないんだから仕方ないけどな。
>>398 >日露戦争の時に大和があれば、旅順港外側からの艦砲射撃で旅順艦隊全滅できたんじゃね?
零式水観で観測できれば できるんじゃね。
堡塁は破壊できても兵員は殺傷できんと思うけど。
>>449 「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
たったこれだけの記述でそんなドヤ顔をされても、ねえ。正直反応に困るんだが
ちなみに井上参謀はこんな証言をしています(陸大課外講演集)
・203高地奪取後、「攻撃正面を西北側に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった
・井上参謀が203頂上から偵察したところ、西北正面の防御設備も「決して東北正面に比して劣ってはおらぬ」
・「殊に椅子山及び太陽溝の堡塁は極めて堅固であって、二龍山又は鶏冠山北堡塁に比して少しも遜色はない」
・203の斜面を下って対壕作業を進めることは、上り斜面に向かうよりも一層困難
・「而して堡塁の外壕に達するまでは更に今後二ヶ月間を要する」
・「その結果は矢張り攻撃正面を変更する必要は無いということになりました」
・「此の意見は児玉総参謀長も能く承知せられたるを以て、依然東北正面より攻撃を進めることになりました」
あなたにとってはこれも、「後知恵」で述べた「説得力皆無」の「言い訳」ですか?
いやはや、おエライことで。
きっと実生活でも、今まで一度たりとも判断ミスや錯誤を犯したことのない、完璧人間なのでしょうね。
449はちょっといろいろ電波じみているから
まず自分の心の中を整理してから
書き込めよ
455 :
名無し三等兵:2012/06/13(水) 23:59:53.98 ID:XBzPIaVi
>>452 日露戦争時に大和があれば水偵の観測で要塞の兵員にも相当な損害を与えるぞ。
旅順で死ななくて済んだ陸兵が奉天に行き、今度はT-34とKV-1の大群にフルボッコに
されて結局海軍は勝ち、陸軍はボロボロの末に講和って結末は変わらんかもな。
大和じゃなくて観測機だけで充分果たせそうだがww
大和があればロシアが挑発してこないから
戦争自体がない
だが待ってほしい、当時の日本に大和と観測機の燃料が確保できるのだろうか
>>457 もし大和があれば日本海軍が公表すると思うかい?
内心バルチック艦隊が来るのをビビっていた海軍が「これで100%全滅できるw」と
陸軍にも外国にも極秘にするよ。
大丈夫
日本の防諜はザルだ
>>458 仮に燃料満タンでタイムスリップしたら佐世保から旅順へ行って砲撃。
そのまま対馬でバルチック艦隊の来航を待ち伏せ位は余裕で出来るでしょ。
>>453 >たったこれだけの記述でそんなドヤ顔をされても、ねえ。正直反応に困るんだが
12/初旬 井上参謀はこんな証言をしています(陸大課外講演集)
・203高地奪取後、「攻撃正面を西北側に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった。
・井上参謀が”203頂上から偵察したところ”、・・・・・・・・・・・・
・(ry
・「而して堡塁の外壕に達するまでは更に今後二ヶ月間を要する」
上記のように判断した・・。
12/26 実際の軍司令官の確認。
「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
12/初旬の井上参謀の誤判断を そんな風にドヤ顔で何を言ってるの?
恥の上塗りだね。 素直に、NHKドラマの演出風にしておれば恥さらさないでいいものを。
実際偵察不行き届きでしょ? 堡塁の外濠に達するのは2ヶ月もかかっていませんが?
それを陸大課外講演 で述べたって言われても、ああ 偵察って大切だ。
失敗の教訓にしかなっていませんがw?それを論拠にするのがおかしいw
>>447 >第三軍の参謀の証言によると、西方諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かったようだが
偵察して攻めてもない時点で 攻め難さと あたかも攻めてるような言い草は
どうかねー。 韓国人の捏造歴史と一緒である願望の歴史のためには捏造も厭わないの見苦しい
>きっと実生活でも、今まで一度たりとも判断ミスや錯誤を犯したことのない、完璧人間なのでしょうね。
君は 実生活でも失敗したら言い訳ばかりでどーしよーもないんだろうね。
注意をしてくれた人物を恨んだり妬んだりする傾向にあるんだろうね。
>>455 >要塞の兵員にも相当な損害を与えるぞ。
さぁ どうかねー。 実際の榛名、金剛のガダル砲撃も零式通常弾が一番効果があったと
なってるし、日本海軍の貫徹力と爆発力は堡塁向けじゃないから そんなに効果は
ないと思うぞ。
それよりも 観測機からの宣伝ビラと 通常弾での市内砲撃で開城を迫るほうがいいかな。
どうせ 大和なんてハードウェアとしては大したことはないから、未知なる兵器として
畏怖させるほうが良い。
今だったら それこそ神の矢(衛星軌道上からの質量攻撃)だな。
>>462 いろいろと日本語がおかしい
何を言いたいのかわからん
454がいうとおり、自分で自分の意見を整理してから書き込んだ方がいい
>>464 反論もできないんだったら黙っとけばw?失敗から読み取れない捏造歴史家君。
ほぼ同数の戦力が篭る近代要塞を4ヶ月足らずで陥落させただけでも軍事的には大成功。
損害が多いのは許容範囲。
欧米の基準では陥落するほうがおかしいレベルの偉業。
乃木以外ならもっとうまくやれたというならその証拠をうp
>>466=ウソツキ 近代要塞では陥落日数は遅い部類で他はもっと早く陥落している。
セバストポリ攻城戦 (1854年) 約330日間 防衛側ロシア軍増援あり
ストラスブルク攻城戦 (1870年) 約29日間
ベルフォール攻城戦 (1870年) 約105日間
メッツ 攻囲戦 (1870年) 約69日間
パリ 攻囲戦 (1870年) 約132日間
ブレブナ戦 (1877年) 約150日間
7月-9月は強襲作戦 防衛側のトルコ軍に増援あり。
9-12月は包囲して12/5増援の見込みが絶たれた時に攻撃し2時間後 降伏。
旅順攻城戦 (1895年) 約2日間
旅順攻城戦 (1904-1905年)6月末-1月1日 約180日間
主要塞線を攻囲し始めてからは約140日間
ただし、6月末から防衛側のロシア軍の増援は不可能
リエージュ攻城戦 (1914年) 約15日程
プルゼミスル攻囲戦 (1914-15年)約150日間
2月に防衛側は攻囲を崩そうと増援の攻撃するも崩せず。
一月後の3月に防衛側降伏。
ベルダン戦 (1916年) 約150日程 防衛側増援あり
占領ではなく敵の殲滅が目的。
旅順要塞 降伏後の残存糧食量
小麦27日分 雑穀23日分 馬糧30日分 肉類1日分の予備を有するに過ぎず。0日
同数ではない。味方の増援もあった。実際は150日ほど。損害も許容できない。
陥落させた第3軍はなぜか組織改革された。
乃木の復命書
〜港内にチップクせる敵艦を撃沈せり〜
〜旅順の攻城には半年の長月日を要し、多大な犠牲を供し、〜
乃木って天皇に報告するのにウソを言ってたわけか。
いい加減 乃木を貶める意見はやめてくれ。
469 :
名無し三等兵:2012/06/14(木) 12:44:02.89 ID:r3g9A0eh
白襷隊に謝ってくれ
白いタスキなんか掛けていたら
夜間に目立って的になると思うのだが
夜間にお互いを識別するためには必要な行為だと思うが、
敵にもわかるわけで・・・。新参の第7師団が大半だったし、
作戦準備に対する怠慢が見受けられる。
ここら辺の管轄は参謀だから参謀の問題だけどな。
バシっと締め付けて 戦に望めばいいんだが、無理っぽいなー。
乃木はこのとき自殺願望もあったから 勇気はないし、
参謀からは信頼されてないし、参謀に対する厳しさも足りない。
乃木自身の智謀もこの時点では??だしなぁ
義侠心と礼はかろうじて維持しているけど、将軍の才能には関係ないからな。
孫子の兵法からみた将軍としての才能は203高地直前は残念ながら皆無に等しい。
>>462 どうも本当に、日本語能力が欠けているようなので添削してあげよう
まあ添削したところで意味不明なのは変わらないんだけど
×12/初旬の井上参謀の誤判断を そんな風にドヤ顔で何を言ってるの?
○井上参謀が12/初旬にそう誤判断したからといって、そんな風にドヤ顔で何を言っているの?
×NHKドラマの演出風にしておれば恥さらさないでいいものを。
○NHKドラマの演出風にしておれば恥を晒さないで済むものを。
×偵察して攻めてもない時点で 攻め難さと あたかも攻めてるような言い草はどうかねー。
○偵察だけでまだ攻めてもいない時点で、「攻め難さ」とか、あたかも既に攻めてるような言い草はどうかねー。
×韓国人の捏造歴史と一緒である願望の歴史のためには捏造も厭わないの見苦しい
○韓国人の歴史捏造と一緒で、ある歴史上の願望のためには、捏造も厭わないのは見苦しい
せっかく注意してやったんだ。こっちを恨んだり妬んだりするなよ、なりすまし日本人のチョンくんw
孫子の兵法
>>467 時代が違うんじゃね?1854年なんて大砲、小銃とも前装だよ。
1870年でも大砲は微妙。小銃は後装単発で黒色火薬の旧式な
大口径リムファイファーで有効射程は短い。
旅順は駐退機つき速射砲、無煙火薬ボルトアクション連発銃、
水冷機関銃...etc 第一次大戦は航空機があり、大規模な航空
作戦が行われてる。旅順は火力的にはWWTに近いが航空戦力がない。
時代の狭間みたいなもので、攻める方には辛い状況だと思う。
>>472 何をそんなに悔しい思いをしているの?的外れなことしているの理解してるw?
>>453で
>あなたにとってはこれも、「後知恵」で述べた「説得力皆無」の「言い訳」ですか?
>いやはや、おエライことで。
って言ってるけどさ、実際、12月初旬のは井上参謀の見立ては間違っていたんだ。
それを陸大課外講義で述べてもさ その時点での偵察の困難さを言い訳にするなら、
ともかく、
>>447 >第三軍の参謀の証言によると、西方諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かったようだが
なんて読み取り方なんて、しねーよw
だから、ある願望(乃木は名将)の為、韓国人の他国史だのみの
自国史と一緒で すっげー気持ち悪いんだよな。
>>474 時代が違うとか言われてもなー。
じゃぁ旅順だけは特別だー。
他時代と違うー。
史実では乃木しか落とせなかったから(そりゃ一人だからな)。」
神聖不可侵だー。
ってこと?
君の視点だと比較できないから評価はなしということでいいですね。
実際の技術はお互いそんなに変わらないのでしっかりオレは比較できると思うがねー。
オレから言わせれば旅順攻略なんて、兵糧がほとんどなくなっている兵糧攻めって認識なんだけど。
(小麦27日分 雑穀23日分 馬糧30日分 肉類1日分の予備を有するに過ぎず)
海軍が旅順艦隊を壊滅させた後、乃木第3軍は一個師団+と削減した上で
包囲して陥落っていうのが、本来のプランだったんだろうね。
正直 包囲して相手の損害を出さなかったほうが兵糧が減って良かった はずなんて意見は
ほぼ出なきてない。さらに当時の日本軍は兵糧攻めで陥落したなんてPRする理由には絶対できない。
攻めて、攻め続けて、相手の艦隊を破壊しつくすために努力し続け、最終的には陥落させた
というイメージが対外的に必要だよね。
もちろん 乃木はそのイメージにもっとも最適な将軍だったともいえる。
多角的な視点を持って歴史というのは見なくちゃいけないけど、
信者は見れなくなってるよね。悲しいこった。
>>468 柔道選手が
天皇陛下には嘘は言えないじゃないですか
ってのを思い出した
>>467 1800年4月 ゲヌアの攻囲 46日間 攻 英軍24000(勝) 守 仏軍12000(敗)
英国艦隊海正面より封鎖す仏軍飢渇きのため降伏。
1807年3月 コルベルグの攻城 45日間 攻 仏軍14000(敗) 守 普軍6000(勝)
海正面は全く開放せらるる 普 名誉の守城休戦となる。
1807年3月 ダンチヒの攻城 76日間 攻 仏軍(勝)45000 守 普軍21000(敗)
弾薬欠乏の為降伏
1808年12月 サラゴサの攻城 61日間 攻 仏軍(勝)49000 守 四軍31000 (敗)
頑強なる抵抗の末降伏
1813年1月 ダンチヒの攻城 11ヶ月間 攻 普連合軍 35000 守 仏軍29000 (敗)
分艦隊より海正面より市街を封鎖、名誉ある守城の後食料弾薬欠乏のため降伏
1828年5月 プライラの攻城 38日間 攻 露軍18000(勝)守 土軍8000(敗)
トルコ降伏。
1828年7月 ヴァルナの攻城 70日間 攻 露軍20000(勝)守 土軍2000(敗)
艦隊正面より封鎖す内応者ありて降伏す。
1829年5月 シリストリヤの攻城44日間 攻 露軍10000(勝)守 土軍15000(敗)
トルコ降伏。
1854年10月 セバスポトールの攻城11ヶ月間 攻 仏英土170000(勝) 守 露軍195000(敗)
連合軍の艦隊海正面より封鎖す激烈なる解囲戦の後最後の大逆襲を受け材料船舶を放棄して退却す
1870年8月 ストラスブルクの攻城 29日間 攻 普軍40000(勝)守 仏軍23000(敗)
仏の降伏
1870年11月 ベルフォールの攻城 105日間 攻 普軍23000(勝)守 仏軍17700(敗)
3日間に渡る大出撃戦は撃退させられ降伏
1870年9月 パリの攻囲 132日間 攻 普軍200000(勝)守 仏軍400000(敗)
大突撃功を奏せず糧食の欠乏と抵抗力尽きてついに降伏。
司馬さんのことは許してあげよう
乃木の武勇伝のおかげで戦争が激化して
その戦争に参加した司馬さんがつらい思いをしたから
この乃木の武勇伝は歴史から消す必要があった
>>475 「西北正面の防御設備も「決して東北正面に比して劣ってはおらぬ」 」
と書いてあるのを、
「西方諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かった」
と、読み取ることの、どこがおかしいの?
しねーよ、って、それはおたくが日本人じゃないから、そう読み取れないだけでしょ。
一生懸命背伸びする前に、日本の小学校にでも入って日本語を勉強したら?
韓国人の自国史なんて知らねーよ、興味ないもの。
>>476 べつに乃木さんには全然興味ないので。
兵器の性能が違うんだから、単純に日数を較べても意味ないよってこと。
WWTなんて、同じ場所で野戦が数年も続く訳で、それ以前の戦争とは
比較しようがないじゃん。そう言うこと。
>>480 >「西北正面の防御設備も「決して東北正面に比して劣ってはおらぬ」 」
そんなのは
>>453のどこにも書いてない。
「殊に椅子山及び太陽溝の堡塁は極めて堅固であって、二龍山又は鶏冠山北堡塁に比して少しも遜色はない
と書いてあるだけ。
12/初旬 井上参謀はこんな証言をしています(陸大課外講演集)
・203高地奪取後、「攻撃正面を西北側に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった。
・井上参謀が”203頂上から偵察したところ”、・・・・・・・・・・・・
・(ry
・「而して堡塁の外壕に達するまでは更に今後二ヶ月間を要する」
上記のように判断した・・。
12/26 実際の軍司令官の確認。
「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
12/初旬の井上参謀の誤判断をそんな風にドヤ顔で何を言ってるの?
恥の上塗りだね。 素直に、NHKドラマの演出風にしておれば恥さらさないでいいものを。
実際偵察不行き届きでしょ? 堡塁の外濠に達するのは2ヶ月もかかっていませんが?
それを陸大課外講演で述べたって言われても、ああ 偵察って大切だっていう
失敗の教訓にしかなっていませんがw?
その偵察に失敗した部分でもって
>>447”西方諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かったようだが”
とあたかも実際攻めてるかのように述べてるのは可笑しい。
言った本人の頭もおかしいんだろうね。
韓国の東海論争と一緒で、名将乃木のためには あらゆる資料を偏見で見て
捏造論を展開するから 気持ちわるいーw
>>481 あのさ、君が言ってるのは攻撃側の火力ばっかりでさ、
本来はもっと早く攻め落としても問題ないというときの論拠で使うんだよ?
技術の出し方が逆。
旅順要塞はベトン堡塁と塹壕線での防御戦線の構築、そしてそれらは
君が述べた火力を防げるほどの防御陣地であったから 攻撃側が苦戦した。
>WWTなんて、同じ場所で野戦が数年も続く訳
いや 続いてないから。そもそもいろいろ間違っている。
韓国の東海の主張は妥当なのにこんな下らない議論で引き合いに出すのはやめてくださいよ
RSBCのもし日露戦争に負けたら、イギリスがロシアの南下政策を防ぐ為に
イギリスの市場を日本に開放して日本を成長させるって論だよな。
そういえば桑田悦が 旅順陥落後に外債条件が良くなったと書いていますが・・
第1回外債公募 1000万ポンド 1904年5月2日
第2回外債公募 1200万ポンド 1904年11月10日
第3回外債公募 3000万ポンド 1905年3月25日
第4回外債公募 3000万ポンド 1905年7月8日
第3回の外債公募は 奉天陥落の影響の方が大きいし、
第4回は日本海海戦の勝利の影響だろ?
旅順陥落したのも一因ではあるが、それがすべてではない。
どちらかというと、奉天やら日本海海戦の方が遥かに功績としては大きい。
>>483 >>474のどこをどう誤読したら、
> 攻撃側の火力ばっかりでさ、
と読めるんだろうな。旅順で攻防双方に
> 旅順は駐退機つき速射砲、無煙火薬ボルトアクション連発銃、
> 水冷機関銃...etc
がなかったら、相当様相が違っていたはずだけどね。
あそこで上がっている話は、むしろ防御側の火力が貧弱だったから
> 他はもっと早く陥落している。
ということになったんだという主張じゃないかな。「普通に読めば」だが。
> 近代要塞では陥落日数は遅い部類で他はもっと早く陥落している。
に対する反論として、「攻撃側の火力が貧弱だったから」なんていう
話を持ち出す奴は普通はいないだろうし。
>>482 >
>>480 >「西北正面の防御設備も「決して東北正面に比して劣ってはおらぬ」 」
>そんなのは
>>453のどこにも書いてない。
はあ? 一体全体ナニをいってんの? マジで意味不明なんですけど
日本語がおかしいじゃなくて、目玉か脳味噌かがおかしいんじゃないの? 病院行ったら?
>>488 これはコピペするのを間違ってるね 慎んで 訂正するよ。
>>480 >
>>447”西方諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かったようだが”
そんなのは
>>453のどこにも書いてない。
12/初旬 井上参謀はこんな証言をしています(陸大課外講演集)
・203高地奪取後、「攻撃正面を西北側に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった。
・井上参謀が”203頂上から偵察したところ”、・・・・・・・・・・・・
・(ry
・「而して堡塁の外壕に達するまでは更に今後二ヶ月間を要する」
上記のように判断した・・。
12/26 実際の軍司令官の確認。
「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
12/初旬の井上参謀の誤判断をそんな風にドヤ顔で何を言ってるの?
恥の上塗りだね。 素直に、NHKドラマの演出風にしておれば恥さらさないでいいものを。
実際偵察不行き届きでしょ? 堡塁の外濠に達するのは2ヶ月もかかっていませんが?
それを陸大課外講演で述べたって言われても、ああ 偵察って大切だっていう
失敗の教訓にしかなっていませんがw?
その偵察に失敗した部分でもって
>>447”西方諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かったようだが”
とあたかも実際攻めてるかのように述べてるのは可笑しい。
言った本人の頭もおかしいんだろうね。
韓国の東海論争と一緒で、名将乃木のためには あらゆる資料を偏見で見て
捏造論を展開するから 気持ちわるいーw
>>486-487 乃木って台湾征討時に 現時族に対抗するのに砦に機関銃を
配備したりしてたりするんだよね。
乃木が機関銃を装備した堡塁の防御方法も理解してたはずだが、10年の
間にボケたのかな。
砦に機関銃とかむしろ当たり前じゃね?
>>489 「劣ってはおらぬ」 を 「大差無い」 と解釈するのはダメで、
「堅固ならざるを知り」 を 「偵察不行き届き」「失敗の教訓」 と解釈するのはOKなんだ?
なにその自分に都合が良いだけのダブスタ
さすがは特亜人だね
面の皮の厚さは見上げた物だ
>>492 井上参謀の12月初旬の意見は 君が主張している ”西方方面の堡塁は攻めにくい”
という論拠になってるわけだな。
しかし、実際は12月末までに堡塁の外濠に2ヶ月もたたずに達っしているし、
12/26には軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り
と述べてる。 実際は攻めやすい地域だったってこと。
そこで旅順要塞の偵察の困難さを訴えるならともかく、 君の言う 西方地域が攻めにくい!なんて
論拠は井上参謀の意見が崩壊している以上、屁のツッパリにもならない。
それをここまで引っ張って ダブスタやら言うのもねー。 バッカじゃないw
ああ 西方地域は強固な陣地だ!!!だから 西方主攻は間違っている!
東北正面攻撃は当然だ!! 司馬や機密の意見はダメダーwていう論の為に
さも実際攻めたかのように捏造しまくって 火病ってるのはどうかねー。
>>485 >第3回外債公募 3000万ポンド 1905年3月25日
>第4回外債公募 3000万ポンド 1905年7月8日
>第3回の外債公募は 奉天陥落の影響の方が大きいし、
>第4回は日本海海戦の勝利の影響だろ?
>旅順陥落したのも一因ではあるが、それがすべてではない。
>どちらかというと、奉天やら日本海海戦の方が遥かに功績としては大きい。
ああ これって学研の日露戦争にも書いてあったけど、さも旅順陥落が
外債公募に影響したって書いているけど、実際は奉天の方が大きいだろうね。
>>27,32 でだれかが 旅順陥落が外債に影響を及ぼしたって言ってるけど、実際は
微々たるもんだろ。
>西方は12月にやっと東北正面よりも弱かったという認識をしていた
原文のどこにも比較した文章はないのだが
実際は12月末までに堡塁の外濠に2ヶ月もたたずに達っしている
↓
(斜め上の変換装置)
↓
西北正面の堡塁は攻めやすかった
ですか? わかりません!
大庭参謀副長や白井参謀も全く同趣旨の証言(西北側の堅固さも東北側と同等)を残しているが、
それらもウソですか?
>>495 >>西方は12月にやっと東北正面よりも弱かったという認識をしていた
>原文のどこにも比較した文章はないのだが
(公刊戦史6巻P647 12/26)
「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
それまでは 西方も防備堅固 であったという認識は周知というか、常識じゃないの?
それともw もともと 西方が弱くて、12/26に再認識したって意見でいいのかw?
どんどん乃木や第3軍首脳部のボケ具合が暴露されちゃうよー。
なんでそこまで乃木を貶めるん??
やっぱり比較した文章はないね。
なのになんでそんな文章を創作するの?
>>496 12月初旬 井上参謀の12月初旬の意見
203高地奪取後、「攻撃正面を西北側に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった。
・井上参謀が”203頂上から偵察したところ”、・・・・・・・・・・・・
・(ry
・「而して堡塁の外壕に達するまでは更に今後二ヶ月間を要する」
井上参謀の誤判断だがこれに大庭、白井参謀の入れていいんだね。
状況判断は刻一刻と変わるものだから仕方ないんだけどねぇ。
結果的にウソになってしまったのはかわいそうだね。
偵察困難だったという言い訳以外は通用しないんだけどなぁ。
ああ ある目標の為に歴史を捏造しているヒトは認めたくないから仕方ないけどさw
・実際は12月末までに堡塁の外濠に2ヶ月もたたずに達っしている
↓
・12/26 「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
↓
・×(斜め上の変換装置) ではなく ○認めたくない事実。
↓
・実際 西北正面の堡塁は攻めやすかった だろ。
(ただし、西方方面の偵察状況が不完全なため、判断を誤ったってとこかな)
>>498 え?えっと東北正面って30日程度で本防御線外濠までたどり着いて、
西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるのような 状況だったの?
もちろん 東北正面が上記よりも弱い状況ならば おれの意見は創作したってことだよね。
それを証明してみなよw たぶん君の脳内戦史では 東北正面なんて
あっという間に抜けてるんだよねー。
第3軍の東北正面 主攻の理由:
伊地知は今日まで知りえた兵力と防備状況によれば強襲戦法でも
目的達成は必ずしも困難ではないとして東北正面に主攻する。
これを
>>453 のようなバカが考えると・・
伊地知が東北正面の方が攻めやすいってことだから 東北正面の
方が弱いってことになる。これは名将乃木希典でも書いてあることだ!!
って主張できるよねー。
実際はどういう状況だったかというと・・
陸軍は開戦前から、旅順の要塞は西は椅子山、案子山の永久要塞を
終端とし、東は鶏冠山を最右翼として半月状に築城されており、
二百三高地には築城がないことや、東北正面よりも西正面が手薄で
あることを知っていた。その情報は日本側にも通知したことと思うが、
なぜに乃木軍は東北正面に総攻撃を指向したのだろうか。
〜英観戦武官 キッチナー〜
椅子山より西にはオウコシ保塁・西太陽溝保塁・北太陽溝保塁があり、
鶏冠山より東には白銀山新保塁・白銀山旧保塁があり、
203高地には築城がありました。
こんなんでは、最後の「東より西が手薄だと知っていた」は正しい判断であったとは
とても思えないですね。
まさか最初から西北側を主攻すればよかったとでもいうのかな
文字どおり机上の空論だね
バカの一つ覚えみたいにコピペを繰り返してるけどさ
「西太陽溝堡塁以南」ってことは、手薄だったのは鴉シ(戸へんに鳥)嘴、盛家溝等の諸堡塁であって、
北太陽溝、案子山、椅子山等が「防備堅固ならざる」だったという証左にはまるでならんわけだ
地図ぐらい見たらどうなのよ
バカのふりをしているのか、それとも本当にバカなのか
504 :
名無し三等兵:2012/06/16(土) 21:24:43.52 ID:jr6W3l65
例えばこんな日本びいき 目次と案内
http://tatoeba1.seesaa.net/ ヨーロッパのお話
http://tatoeba2.seesaa.net/ 【最後のロシア皇帝は日本びいき】
ロシア帝国最後の皇帝、ニコライ2世。
日本では、日露戦争当時の敵国ロシアの元首として知られています。
驚く人もいると思いますが、このニコライ2世も、間違いなく、日本びいきの
外国人の一人なのです
彼の日本好きは、どうやら叔父アレキシス王子の影響のようです。
アレキシス王子は明治六年ごろ来日。日本を気に入り、帰国後、甥のニコライに、
自身の見聞を伝え、もし東洋を訪れる機会があれば是非とも日本に滞在するように
薦めたといいます。
また、ニコライは若い頃から日本を舞台にしたピエール・ロティの小説「お菊さん」を
愛読していたとの話もあります。
明治二十四年(1891年)4月。
当時、皇太子であったニコライに、待望の日本訪問の機会が訪れます。
シベリア鉄道の起工式に伴い、アフリカを回り、インドを経て、極東の各国を周遊する
旅行が計画されたのです。
ニコライの旅行計画は、他の国々の滞在予定は数日ずつ。日本の滞在予定は
一ヶ月以上。この辺も日本への期待の高さの現れでしょうか。
この周遊では、ニコライはロシア帝国海軍の最新装甲艦「バーミャチ・アゾーファ」に
乗り込み、さらに七隻の軍艦が同行。彼個人の思い入れとは別に、ロシアの軍事力の
誇示が目的であることは明白でした。
505 :
名無し三等兵:2012/06/16(土) 21:26:33.98 ID:jr6W3l65
さて、この年の日本の国家予算は年八千万円ほど。比較は難しいのですが
ロシア側の国家予算は二十億円前後だったといいます。常備軍は日本27万人。
ロシア300万人。
国力は文字通りのケタ違い。圧倒的な差があります。
科学・工業技術での差も大きく、ロシアとの間に軍事衝突が起これば、
日本の敗北は火を見るよりも明らかでした。
ちなみに、この後、国力を急速に向上させた日本でしたが、それでも明治三十八年の、
日露戦争当時ですら、日本の国家予算は二億五千万円、常備軍も20万人規模でしか
なかった。よくこの戦争で日本が勝てたものです。
「万が一にも、ニコライ皇太子の機嫌を損ねるようなことがあってはならない」
日本政府は、接待役に外交通の皇族、有栖川宮威仁親王をつけるなどニコライの歓待に
万全の準備を整えます。
ニコライは、5月4日に長崎に上陸。翌日から何度もお忍びで下船。
従兄弟であるギリシアのゲルギオス王子とともに観光を楽しみました。
このとき、長崎市内より彫師を呼び寄せ、右腕に和彫りの「昇り竜」の刺青を
ほどこしたといいます
鹿児島・神戸を経て、京都へ。
京都では、ロシア皇太子歓迎のため季節外れの五山送り火まで行われました。
この間、彼は、太刀、蒔絵の入った長角箱、鉄瓶、有田焼、七宝焼、竹杖、
茶箪笥、行李、煙草盆などなど、大喜びで日本の美術品・民芸品を買いあさりました。
この辺、現在の一般外国人観光客とあまり変わりません。
面白い所では、京都のホテルの畳を気に入り、30枚ほどを「バーミャチ・アゾーファ」に
積み込ませたという話があります。
琵琶湖遊覧を楽しみ、京都に戻る際に大騒動が起こります。
警備についていた巡査、津田三蔵が、人力車で移動中のニコライに切りかかったのです。
後の世に言う、大津事件です。
506 :
名無し三等兵:2012/06/16(土) 21:28:53.44 ID:jr6W3l65
人力車の車夫2人、それに同行していたゲルギオス王子が津田を取り押さえます。
ニコライは命に別状は無かったものの、頭部に9cmほどの傷を負いました。
「ロシアと戦争になる!」国中が慌てふためきました。
ニコライのもとには明治天皇、松方首相をはじめ、当時の政府首脳、皇族が次々に
お見舞いに訪れます。日本各地から二万通の電報が届けられ、寺社仏閣では、
傷の平癒のための祈祷が行われます。
千葉県在住だった畠山勇子という女性は、事件の謝罪のため、遺書を残し京都府庁の
前で自殺までしたのです。
しかし、これらの多くは杞憂でした。
ニコライは日本人の医師の診察は断ったものの、日本側の随伴員を安心させるように
努め、見舞い客には、終始紳士的にふるまったといいます。
彼を救った人力車の車夫、向畑治三郎・北賀市市太郎は、ロシア軍艦に呼ばれ、
叙勲され、報奨金を受け、さらに終身年金まで保証されました。
ニコライはこの後の日程をすべてキャンセルし帰国。
彼自身は、まだまだ日本に滞在したかったようですが、父親である皇帝から
帰国命令が出されたのです。
帰国の3年後、1894年、ニコライはロシア皇帝に即位。
1899年、彼の提唱により、ハーグ平和会議が開催。1904年、日露戦争勃発。そして敗北。
かつて、自分が熱烈に歓迎された東洋の小国に負けた気持ちはどうだったで
しょうか。
戦争のさなかロシア第一革命がとり行われ、ロシア国内の政治状況は混乱。
1905年、血の日曜日事件。
その後、彼とその妻、アレクサンドラ皇后が、怪僧と呼ばれるラスプーチンを重用。
大きな権力を与えてしまいます。
1914年より、第一次世界大戦に参戦。
1917年、二月革命により皇帝を退位させられ、そして、家族とともに
革命政府に処刑されてしまいます。
507 :
名無し三等兵:2012/06/16(土) 21:29:29.30 ID:jr6W3l65
彼は、保守的で革新勢力との政治的な妥協ができず、対立を生み出し、結局処刑されて
しまいました。政治家としては、あまり優秀とはいえなかったいようです。
一方で、個人の人柄としては、温厚で、信義を重んじ、家族を愛し、そして何より、
自分の身が傷つけられても、日本人に友好的でした。
明治二十四年に、日ロ間で戦争が起こらなかったのは、彼個人の落ち着いた対応が
大きかったといわれています。
もし転生というものがあるのなら、彼が、普通の外国人として生まれ変わり、訪日し、
そして、その時こそ日本滞在を最後まで楽しむことができるように祈ります。
吉村昭の「ニコライ遭難」の要約ですね。
大変分かりやすく簡潔で良いです。
明治天皇も日露開戦と決まった際はさぞ複雑な心境だったでしょう。
「大津事件の時、ニコライU世が憤怒していたら日本はなかった…」というお気持ちだったと思います。
たいていのロシア人は日本びいきだと思う
ソースはオレ
日本人の多くはロシア嫌いだと思う。
個人として付き合うには良い連中なんだが、国家としてはどうもね>露助
特亜の奴らは個人としても国家としても最悪だけど
ロシアがかなり凶悪な国になったのは、レーニンに変わってからだな
日本はロシアに対して後先を考えずに工作等を少しやりすぎたと思う
ロシアの歴史を加速させてしまった
ロシアの歴史上、最悪な指導者はピョートルかスターリンか甲乙つけがたいな
>>502 >椅子山より西にはオウコシ保塁・西太陽溝保塁・北太陽溝保塁があり、
>鶏冠山より東には白銀山新保塁・白銀山旧保塁があり、
>203高地には築城がありました。
あのさー。なんでそういう風に思い込み激しいかなー。
実際12/26に軍司令官が確認したら・・
・12/26 「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
なんだよ?
あと203高地の築城は東北正面よりも弱かったのは周知の事実だと思うが・・。
なんだよ。
陸軍は開戦前から、旅順の要塞は西は椅子山、案子山の永久要塞を
終端とし、東は鶏冠山を最右翼として半月状に築城されており、
二百三高地には築城がないことや、東北正面よりも西正面が手薄で
あることを知っていた。その情報は日本側にも通知したことと思うが、
なぜに乃木軍は東北正面に総攻撃を指向したのだろうか。
〜英観戦武官 キッチナー〜
という戦前からの情報ではこういう風になっている。
>>503 だれも最初から西方から攻めればいい とは言ってないのにねw
バカじゃねw
偵察不行き届きって言ってるだろw? それとも 偵察が完璧だったのかw?
陸軍は開戦前から、旅順の要塞は”西は椅子山、案子山の永久要塞を終端とし、”
東は鶏冠山を最右翼として半月状に築城されており、
二百三高地には築城がないことや・・・
〜英観戦武官 キッチナー〜
こういう状況だったんだよ。 偵察が完全じゃなかったのにさも偵察も完璧!!
って思い込んでるから、猛烈に捏造意見になっちょるねー。
この辺り、坂之上のドラマでは一万の兵を損耗してやっと堡塁の強度が確認できた
西方など攻めれるのか!!!っていう風に演出してて、そりゃそうだよな。って
納得しているけどさw
まぁ 実際は第3軍の偵察能力は情報能力はきわめて低かったとしか
言いようがない。(日本軍全体にいえることだけどね)
その上で乃木がしっかりと過去の経験を活かして指揮すべきだったとは思うが・・。
ボケてたんだろうねー。
>>504 全く意味不明。
その英国の情報は間違いだらけです。現実を見ましょう。
第一の疑問。
「西方から攻めればいい、とは言ってない」のなら、西北方諸堡塁(本防御線)の偵察が不行き届きだからといって、
何か実害がある(あった)の?
そして実際、西北側堡塁の堅固さも、東北側と同等だったわけだ。
仮に偵察が出来たからといって、どうなるものでもないと思うが。
第二の疑問。
そもそも、偵察ってどうやってするの?
偵察衛星も飛行機も無い時代、地上から肉眼で観察するしかないわけだ。
12月初旬までずっと、203周辺で取った取られたの激戦を繰り返している状態。
その更に後方の本防御線諸堡塁を、いったいどうやって偵察するわけ?
(だからこそ、203奪取の時点で児玉が「井上、ちょっと見てこい」となったわけだ。)
ちなみに、偵察が「完璧」だなんて誰も言ってないから。捏造と一人芝居はいい加減やめようね。
518 :
516:2012/06/17(日) 13:08:33.11 ID:???
>>516 ソースもなく否定するのは愚かだねー。説得力皆無
ちなみに西方の防備は薄かったという結論に達しているんだけどね。
>>517 望台でも203高地でも高所から俯瞰で観測すればいいんだけどねw
昔の戦の基本ですわ。高いところを抑えるって。望台が抑えられなかったら
次を抑えるのは当然の策です。
それがまぁ中途半端になったりして、挙句に責任転嫁して文句ばっかじゃ
解体もされるってな。
(その文句を論拠に何か騙ってるヒトも多いけど)
>>519 ソース?地図をご覧下さい。
英国の掴んだ情報はまるで見当違いだったのです。
陸軍は開戦前から、旅順の要塞は西は椅子山、案子山の永久要塞を
終端とし、東は鶏冠山を最右翼として半月状に築城されており、
二百三高地には築城がないことや、東北正面よりも西正面が手薄で
あることを知っていた。その情報は日本側にも通知したことと思うが、
なぜに乃木軍は東北正面に総攻撃を指向したのだろうか。
念のため確認。
この文章の冒頭の「陸軍」って、英国陸軍のことだよね。
×旅順の要塞は西は椅子山、案子山の永久要塞を終端とし、
○西端が西太陽溝と鴉シ(戸へんに鳥)嘴、ただし南の老虎尾半島方面にも堡塁あり
×東は鶏冠山を最右翼として半月状に築城されており、
○その更に右翼、白銀山から海岸に至るまでも築城あり
×二百三高地には築城がない
○8月上旬時点で相当に強固な野戦築城あり
確かに大間違いもいいところだね
西側から奇襲しろ! と机上の空論をいってた我が大本営も、この程度の認識だったのかな。
旅順要塞内郭の望台攻略と、
要塞の外郭外側にある、203mの高地を
ひとつにならべる論法が間違っている
はっきりいって要塞の西北にもりあがった203mの高地をとっても
要塞攻略にはあまり関係が無いのでは?
少しはあると思う
しかし、要塞攻略に決定的かというと完全にノーでしょう
現に、203が陥落して艦隊が全滅してもまだ一ヶ月近く粘ったわけだし
日露戦争は明石元二郎が一番活躍したって聞いたことがあるが
それよりも大本営で直接戦争指導した明治天皇の功績は大きい
日本を守るために命をかけて戦う心が兵士に芽生えて激戦にも耐えた
それに比べロシアの皇帝は血の日曜日事件などで兵士達の士気を落として敗因作った
日露戦争は国のトップの指導力の違いが勝敗を決めた
で、どうなんですか
>現に、203が陥落して艦隊が全滅してもまだ一ヶ月近く粘ったわけだし
203高地陥落以前に艦隊が全滅・・・とはいわんが9割がた自沈していたとしたら
それこそ203高地は別宮さんのいうところの予備兵力抽出合戦で
ロシアを息切れさせたという意味しかないのでは
いや別宮さんの著作=ほぼ出版当時の防衛大教授連中の共通認識だけどさ
>203高地は別宮さんのいうところの予備兵力抽出合戦で
>ロシアを息切れさせたという意味しかないのでは
うん、その認識で正しいと思うよ
この説を最初に唱えたのは桑原さんだと思うが、それに近いことは機密日露にも書いてあるよね
(203高地戦は)野戦的な性格を有し云々、とか何とか
日露戦争って完全な失敗戦争だからな。
1 戦争目的がはっきりしない。利権以前でつまり国家のすう税をかけるにしてはいい加減であやふやな戦争。
2 そもそも扇動準備があまりにもようちなやっかみと扇動で、国際法制、ルール上かなりめちゃくちゃな難癖戦争。
3 日露戦争の戦災は膨大。
つまり大東亜戦争の戦費、その他支払いは小銭であるが 大東亜戦争戦費といか
1940年から最後までの軍費計上は実質対GDPでほぼ2倍まで類型で。
たったGDP2倍。ただし内需支払い あと暫定数字もあり、実質はほぼ1〜1.5倍で妥当 でも日露戦争の軍費は対GDP50パーセント
これ数字の見方なんだ。
借金なしでの調達で1〜1.5倍。
借金ありでの50パーセント
つまり
GDPは400兆で 事実上国庫からだす500兆一般会計w 実質5年分担実質100×5兆
GDPは400兆で 緊急増税40兆 緊急内債80兆 緊急外債80兆短年
これわかりにくいけど、後者のほうが普通に国際経済上やばいんだよ。なんでかわかるか?
1 丹念緊急しかもこれ最悪もっと増える計算だった。最悪外資どれいが 確定。
2 緊急支出をうめるプランがない。返済などがたってない。
3 実質GDPがこれで下がってる。外貨に負けるようになる。
実質日露戦争でGDPさがってるんだ。ようは対外GDP下落するんだよ。
だから内需投資がとどこおるだろ。あれって普通に日本のGDPさがってるから
ようは輸入赤字になったから。ようは輸入投資赤字をだせなくなったから。
どこを縦読み?
いや最悪だで。
1 国難には実質ならず、実質自衛戦争でもない。もう本格戦争でもないのだから無駄な戦争
2 だから扇動もいうことめちゃくちゃ。
3 もうかる欧米はだから応援する。
4 膨大な借金ではっきり言ってGDPの成長停滞。実質外貨負けして国際GDPランクが下がる。
5 膨大な赤字獲得。赤字拡大。
6 ロシアが倒れることで、単独でアメリカ相手にしないといけなくなる。
なおアメリカはこの投資と通貨上げで、実質
日本GDP1 アメリカ2以下までだったのが
実質
日本GDP1 アメリカ4以上とかむちゃな数字にあがる。つまり完全に欧米かたせ経済で負けさせる。
つまりロシア倒して単独対米 単独GDP高いアメリカ
という不利な状況つくったんだ。マジ最悪だ。
ただの馬鹿か
大東亜戦争のほうがまだましだよ。
1 実質内需経済化してるから、ようは石油だしほうだいだから戦費は安い。
だから後年借金とか成立しないだろ。
2 燃料自由でもしかしたら、結局戦費調達は列国でもっともやすかったのかもしれない。
調達は楽だった。
けど日露戦争ひどいわ。あれ戦費全返却1980年だと
で利息6パーセントとくそたかいから、それの支払いは。
1980年の値段で換算し
年次利息6パーセント元本返却2パーセントで換算すると
1980年時点の価格で
元本 6000億円 利息の総支払いが1〜2兆とかのレベル。だいたい最終支払いがほぼ2兆ってとこ。
つまり1900年換算でいうと、ほぼ25億円くらい。
完全に戦費の1.5倍以上 つまり
緊急戦費3億円 内部債6億円 外債7億円 それ以外いわゆる利息各種支払い18億円ほど
最終費ほぼ34億円 当時の対GDPの1.05倍
アホみたいな金額。
当然これアメリカが大半需給です。そりゃ相対的に相場とGDPがずれこむわな。
日露戦争の赤字がなによりでかかったんだ。
そして支払い金額は
1970年の銀相場、ドル相場から換算しても実質2兆円 年次1500億円くらいで支払う計算か。
多分1970〜1980年のほぼ10年で多分最後の残りの30パーセント以上を
1960〜1970年で20パーセント
1940年〜1905年まででほぼ年次元本3パーセント利息6パーセントで支払う計算。
値段でいうと、1940年の支払いが元本がほぼ(正確なレートがわからないため)127億円。ほぼGDPの5パーセント
(金1グラム1.5ドル ÷6が銀相場で換算すると 1ドル 4.35円ならほぼ1円1グラム)
1970年で年次GDP70兆 政府歳出を10兆として、支払いがほぼ200億円今で言うと2500億円くらいの感覚か?
でわかったわ。日本けいざいは それ以上に
日露戦争の支払い、と恐慌→そもそも明治日露以降の金融における相場は
半島赤字 支払い アマチュアな政府の相場操作からきてる。 まぁ逆に輸出攻撃したんだけどな。
そして1940年段階で半島赤字が年次100億程度
利息支払いが普通に10億円程度あった。でもこれようは外貨銀の支払いになるからかなり打撃でかいんだ。
いわゆる利息の支払いだからね。キャッシュの払いなの。
そしてその額は為替の相場でいうと、相対的に常に年次
多分間接輸出が関与しない黒字益で、年次
タイGDP0.5パーセント いまでいうと、ほぼ2.5w兆 つまり相当な貿易黒字ださないと相殺できないんだよね。
当然これアメリカが大半需給です。そりゃ相対的に相場とGDPがずれこむわな。
日露戦争の赤字がなによりでかかったんだ。
そして支払い金額は
1970年の銀相場、ドル相場から換算しても実質2兆円 年次1500億円くらいで支払う計算か。
多分1970〜1980年のほぼ10年で多分最後の残りの30パーセント以上を
1960〜1970年で20パーセント
1940年〜1905年まででほぼ年次元本3パーセント利息6パーセントで支払う計算。
値段でいうと、1940年の支払いが元本がほぼ(正確なレートがわからないため)127億円。ほぼGDPの5パーセント
(金1グラム1.5ドル ÷6が銀相場で換算すると 1ドル 4.35円ならほぼ1円1グラム)
1970年で年次GDP70兆 政府歳出を10兆として、支払いがほぼ200億円今で言うと2500億円くらいの感覚か?
でわかったわ。日本けいざいは それ以上に
日露戦争の支払い、と恐慌→そもそも明治日露以降の金融における相場は
半島赤字 支払い アマチュアな政府の相場操作からきてる。 まぁ逆に輸出攻撃したんだけどな。
そして1940年段階で半島赤字が年次100億程度
利息支払いが普通に10億円程度あった。でもこれようは外貨銀の支払いになるからかなり打撃でかいんだ。
いわゆる利息の支払いだからね。キャッシュの払いなの。
そしてその額は為替の相場でいうと、相対的に常に年次
多分間接輸出が関与しない黒字益で、年次
タイGDP0.5パーセント いまでいうと、ほぼ2.5w兆 つまり相当な貿易黒字ださないと相殺できないんだよね。
たとえばもうこれ関連チャートでみればまるわかり、
1970年までは日本は貿易黒字はほぼ相殺なんだ。
だいたい平均+マイナス1000〜2000億 最大+1.5兆 マイナス2兆
でも80年から一気に即効で
黒字2兆 黒字2兆 黒字4兆と10年で黒字8兆までなる。
なんでかわかる?
ちょうど支払いがおわって、赤字要因がなくなった。これが最大の原因だ。
そしてGDPが実質100兆しかなかったのが、500兆まで一気に空前絶後に拡大する。
当然だわな。なんせ実質生産でアメリカと同等くらいだったのが
借金相殺でつぶせるようになるんだもん。そりゃ破綻するよ。
銭を惜しんで命を失う、だったっけな。
いくらカネがかかろうと、国を守れたんだ。それでいいじゃないの
経済はよくわからんが
外敵との戦い(外的要因)で衰退する国なんてアジア史でも
いくらでもあるだろうに、何が言いたいんだ?
>>537 変な自説の展開と異常な文章ですぐに小文字だと分かった
>>522 地図ってどの地図ですか?戦前の情報と陥落時の情報が同じですかw??
だから論拠も示さず 捏造論を展開するのは止めとけって。
【堡塁】と【築城】と【野戦築城】を混ぜてごまかそうとしているな。
×西端が西太陽溝と鴉シ(戸へんに鳥)嘴、ただし南の老虎尾半島方面にも【堡塁】あり
○戦前は鴉シ(戸へんに鳥)嘴(ほぼ竣工)、西太陽溝堡台(未完)、潘家溝西堡塁(着工できず)
曲家小山砲台(完工) 西太陽溝堡塁(半ばで未完成)
(公刊戦史 攻囲初期に於ける要塞防備の状況より)
×鶏冠山を最右翼(ry・・・その更に右翼、白銀山から海岸に至るまでも築城あり
○東鶏冠山と鶏冠山を取り違えてる 地図を見れないんじゃない?
鶏冠山は海岸砲台なんだけど???
×8月上旬時点で相当に強固な野戦築城あり
○スミルノフ中将は〜南山戦闘後旅順に帰還せし東狙兵第5連隊をして
爾霊山 大頂子山 化頭溝山近辺の工事に任ず 〜
然れども東狙兵第5連隊及び同第7師団の諸部隊は時々要塞外に
出て前進陣地の防御に任せしと地質一般に堅硬にしてしかも土工具
不足せしとに因り進捗尚遅々たるを免れず。 (公刊戦史)
露軍爾霊山の防御は従来その中腹に散兵壕を有するに過ぎさりし(公刊戦史)
そりゃ散兵壕や臨時トーチカも強固な野戦築城って思い込めばそうだけど・・
ある点では比較して、ある点では絶対的な視点という2枚舌で捏造論を展開
しないと 君の脳内戦史はできないのはわかるけど・・
チラシの裏で落書き程度で抑えときな。
>>523-524 もともと要塞状況が見えにくいってのが苦戦の理由って理解できない
人たちには仕方ないけどさ。 俯瞰しできる高所を抑えて観測するのは戦の定石
なんだけどねー。
それで 2箇所 望台と203高地を示したのみ。
>旅順要塞内郭の望台攻略と要塞の外郭外側にある、203mの高地
ならば、最初から203高地を攻めてから 内部進行の計画を立てるのが良しとなる。
>現に、203が陥落して艦隊が全滅してもまだ一ヶ月近く粘ったわけだし
ゲームじゃないんだから。ただ、ロシア将校は203高地が落ちてからはそこから
桶が割れるように陥落していったという表現をしている。
重要地点とわかっていたからこそ、日本は12月に大軍を送ったんだし、ロシアも
増援を送って 激戦となった。
それが大したことない・・っていう輩はねー。ぜんぜんわかってない。
203高地は旅順要塞の外側
望台は旅順要塞の内側
この違いを理解しようとせず
あるいは判っていても自説に固執するおばかさん現る
築城があったかなかったかの単純な話。
そして結論は、ありました。英国の掴んだ情報は間違いでした。
以上のことを踏まえたうえで、ではその強度は?とかの話になる。
了解?
>>541 もともと要塞状況が見えにくいってのが苦戦の理由って理解できない
人たちには仕方ないけどさ。 俯瞰しできる高所を抑えて観測するのは戦の”定石”
なんだけどねー。
それで 2箇所 望台と203高地を示したのみ。
>旅順要塞内郭の望台攻略と要塞の外郭外側にある、203mの高地
ならば、最初から203高地を攻めてから 内部進行の計画を立てるのが良しとなる。
もし上記以外の箇所を攻めるのがいいというならば、具体的に示さないと
何の説得力もありませんー。
>>542 >築城があったかなかったかの単純な話。
だから論拠も示さず 捏造論を展開するのは止めとけって。
【堡塁】と【築城】と【野戦築城】を混ぜてごまかそうとしているな。
203高地は初期から8月末までは散兵壕を有する程度に毛が生えた
程度で 堡塁やら砲台やら完全な防備や兵員があったとは言えない。
英国の情報は大筋間違ってはいない。細部に拘泥して否定したがる
御仁のように、情報を収集する段階で軽視された感は否めない。
これは日本軍の問題点として考えていかなくちゃいけないけど・・
(そういう視点には永遠に辿り着けないんだろうなー このヒトは)
君の論ならば、高崎山も東北部前進陣地も全部 ”築城”されてた訳だから、
旅順要塞は無敵ってことになるなww?? ありえーね。
ダブスタでどーしよーもないけどさー 地図も見れない、資料も読めない、捏造論しか
出せないどーしよーもない。
>>532-535 えっと、日露戦争から戦前までは経済やら国債の状況やらしっかり出ているので
ご自分の経済計算方法ではなく、しっかりとした資料を元に考えてみたらどうかな。
ちなみに君の計算”方法”が正解かどうかはわからんが、元になってるデーターが
いい加減なので 結論は間違っている。
日露戦争で得られたもの不平等条約の改正。 これによって戦前の日本は
大きく躍進できた。
546 :
名無し三等兵:2012/06/18(月) 09:58:37.27 ID:jQ5+U1Wq
>>544 >【堡塁】と【築城】と【野戦築城】を混ぜてごまかそうとしているな。
堡塁、築城、野戦築城、の3つを並べることに疑問を抱かない感性にも
問題があると思いますが、結局のところ、規模の程度の問題はさておき
203高地には築城がありました。
実際に攻囲戦となった段階のことを考えるに、いや戦前の状態はどう
だったとか、戦前に得た情報ではどうだったとか、何かの役に立つの
ですか?
>>546 >203高地には築城がありました。
はい。君の意見の
>>522×8月上旬時点で相当に強固な野戦築城あり
という意見では”野戦築城”であり、”堡塁などの築城”ではない。
さらに強固とは言えない。 これは公刊戦史をもとに話しています。
よって 君の意見は捏造でしかない。
それを【堡塁】と【築城】と【野戦築城】を混ぜてごまかそうとしているだけ。
君の論ならば、高崎山も東北部前進陣地も全部 ”築城”されてた訳だから、
旅順要塞は無敵ってことになるなww?? ありえねーって。
ダブスタダブスタ。挙句に地図は見れない、未完なのも理解してない。
>>539 >実際に攻囲戦となった段階のことを考えるに、いや戦前の状態はどう
>だったとか、戦前に得た情報ではどうだったとか、何かの役に立つの
>ですか?
過去の情報は役に立たないって言外にあるな。
情報なんてすべて過去のもんなのになw 未来の情報が分かればそりゃいいさw
ありえない仮定で煙に巻こうとしているの? オバカさん。
あらゆる現在、過去の情報を収集して分析して計画を立てるのが普通の事だと
おもうが、君にとっては違うようだね。
何を元にして計画を立てるのかねー。
しかも、その英国情報が日本に伝わったのか、更に現地軍に伝わったのかも
分からないわけですね。
確認する術はあるのでしょうか。
まぁだからといって 最初から西北から攻めればいいとか、結果論的に
論じるのは馬鹿らしいので んなことは言いません。
ただ、何故第3軍がああいう錯誤に陥ったのか、戦場諜報が不完全だったのか
それを取り仕切るべき参謀がなぜ 厳しくできてなかったのか。
乃木が何故 厳しくできなかったのか。という疑問点はあるけどね。
今のところ当時の日本軍全体の問題(習慣?)としか言いようがない。
ああでも意固地になって旅順東北も西北も強かったんだー
203高地なんて大して重要じゃないんだーって思い込みたいヒトには
203高地が消耗戦の重要地点とか スルーして上記諜報問題は
目をつぶるよね。
東北正面でも消耗戦展開して ロシア軍に大損害を与えられれば
誰も文句いわないのに・・そういう資料はまったく出てこない。
長岡の論は結果論だし、桑原の神話は捻れて捏造的なのが多いし、
坂の上も所詮小説だしねぇ。でも読み物としては坂之上が一番なんだよな。罪だねー。
だから言語的寄生虫のように坂の上の〜〜て本しか出せない。
>>548 多分 伝わってないんじゃない。陸軍の情報収集能力はそこそこでも
現地での分析できる能力は限定(かなり低い)的だったので。
つか、もともと東北正面って伊地知が決めてたし、井口と喧嘩したくらいだし
意地になったんじゃないかなー。意地になったらそりゃ、思考も固まってしまうしね。
例え、伝わっていたとしても 聴いてないって言われればそれまで。
203高地攻略中の旅順艦隊砲、兵陸揚げの情報も 現状の退避状況を
見て壊滅と判断できなかったのは仕方ない。実際壊滅してても復活しているしね。
そういうのと一緒でたとえ、英国情報があったとしても別ルートの情報が
なければ信用できない。
そして最終的に
12/26 実際の軍司令官の確認。
「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
この時点まで判明できなかったわけだ。 日本軍の情報処理能力が悪いとしても
さすがに これはヒドイ事象です。
と俺は考えたいけど、それ以前に旅順はどこも強かったという意見に毒されてる
ヒトがいてね。 ウンザリしているんだわ。
そりゃ 最初から西北を攻めろという結果論もウンザリするけどさ。
伝わってない可能性が高く、伝わっても利用されなかった
可能性が高いということでしょうか。何の意味もないですな。
人騒がせな事を書き残したもんですね英国武官。
総攻撃目前に、外壕の規模などの情報が大本営?参謀本部?に
伝わったものの、海軍との約束?合意?連携?だかを重視して
そのままにしたというエピソードがあったと思いますが、これ
もそんな感じでしょうか。
現地軍レベルの問題ではないですね。
片方だけが意地張りなら腕力沙汰寸前にはならない。
井口も意地になったんでしょーなー。意地になったらそりゃ
思考も固まってしまうかねー。
相手を「伊公」とか罵らないだけ、伊地知の方がましでしょうか。
このあたり外交折衝で鍛えられていたのかもしれません。
そして最後。
公刊戦史第六巻647ページでしたっけ。
「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
これ、全体はこのように書かれていますね。
「軍司令官は、老鉄山半島と要塞内との交通を遮断せんと欲し、しかも、西太陽溝堡塁以南の
本防御線の防備堅固ならざるを知り、本攻撃正面の攻撃進捗とともに第7師団を以てこの方面を
攻撃せんことを計り、午後五時十五分同師団長に訓令するに、後三羊頭方面より逐次老鉄山半島
方面に前進すべく・・・」
この戦闘の目的は、老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、要塞全体の攻略では
ありません。そしてその部分の本防御線の防備は堅固でないことが判ったということです。
実際に戦闘が行われた方面というか方向は、当たり前ですが要塞内部へ向かうものではなく、
西方の平地帯から老鉄山半島方面に向かって行われていったわけですね。
つまりこの記述は、西面が東北面と比べて堅固とかどうとかということを示すものではなく、
要塞と半島との連結部分の本防御線が堅固では無い、という意味に過ぎません。
554 :
550:2012/06/18(月) 15:02:25.61 ID:???
勝手な想像だが、中央の参謀員などはキッチナーの情報をある程度掴んでたとはおもうんだ。
ただ、その情報の信頼度を高めるためには 現地やチーフなどの他の情報が
必要なんだけど、もったいぶって 第3軍に流したのと違うかなー。
(おれこんなこと知ってんだぜー的なね)
参謀員になれるヒトってってかなりプライドが高くてね、それなりの情報網
(軍人会の奥方やらそういった系な)もあるので いらん情報まであるわけだ。
ここら辺のエピソードは『曠野の花』 石光真清手記あたりにざらーって
書いてある。
出征地でおもった以上の激戦でストレス溜まっててそんな風に言われたら、そりゃ
喧嘩になるわなぁ って想像。
>>550 >現地軍レベルの問題ではないですね
現地の戦場諜報てのがあってだな。現地でも状況を探らなくちゃならんの。
何ゆえ責任転嫁しようとするかなぁ。
>>552 機密に残ってしまうほどの喧嘩をさ、演じた段階で二人ともだめだね。
あんな貧乏くじでも乃木は基本的に淡々(たまに破綻してるが)としたのはえらいねぇ。
>>553 『西太陽溝堡塁以南の本防御線の防備堅固ならざるを知り』
が
「つまりこの記述は、西面が東北面と比べて堅固とかどうとかということを示すものではなく、
要塞と半島との【連結部分の本防御線】が堅固では無い、という意味に過ぎません。」
斜め上の変換部分 連結部分が出てきましたねー。
東北面は防備堅固じゃなかったのだったら 君の言うとおり比べる必要もない。
しかし、
東北正面は8月から12月初旬までほとんど進撃できないほどの防備堅固な状況。
西太陽溝堡塁以南の本防御線の防備堅固ならざる 状況。
さて上記を鑑みて 東北正面よりも防備堅固ならざる状況と認識したってことで
いいとおもうけどね。連結部分って語句を捏造しなくてもね。
こういう 意固地な奴が情報を軽視するわけだ。模範例ができてよかったよかった。
ところで、どうして、最初にこの文章を記す時に、
これは要塞内部と老鉄山半島との交通を遮断する戦闘
の説明であると書かなかったんですか?
この説明があるとないでは全然意味合いが変わりますよね。
>>556 軍司令官が西太陽溝堡塁以南の本防御線の防備堅固ならざる状況を知った事
は変わりようがありません。
というか 変わるの?連結部分なんて記述はないしね。
連結部分って言葉で煙に巻こうとしているのかなぁ。
西太陽溝堡塁以南の本防御線の防備を突破しても遮断することにはなる。
知ったあとに交通の遮断をする作戦を行ったのは書いてあるけど、
交通の遮断する戦闘の途中で防備堅固ならざる状況を知ったわけではありません。
もうちょっと捻って物事を見ないで しっかりと日本語を読んだらいいのに。
地図もまともに見れないのに 偏った意見しか言えないヒト
>>539がいるしさ、
気をつけたほうがいいよ。
こんな程度でこだわる理由が・・・ ご自分の捏造論に都合が悪いとしか 考えられないよ。
要塞攻略に必要な偵察と、単に半島との交通遮断に必要な偵察とは、
そりゃ場所からして違うでしょう。
>>558 まったく、意味不明なこと言ってますな。
>要塞攻略に必要な偵察と、単に半島との交通遮断に必要な偵察とは、
要塞攻略と 交通遮断に必要な偵察がなんで別れるの?
つか・・要塞攻略のための偵察をしてるから、交通遮断部分が特定できるわけで
なんで そこの関連性を無視しちゃうのかねー。
もう自分の中の妄想歴史でホルホルしちゃってるのかねー。
ここって近代日本史板でもないぜ?軍板だぜ??
実際、攻めている方向が全然違うでしょ。
>>539 >×鶏冠山を最右翼(ry・・・その更に右翼、白銀山から海岸に至るまでも築城あり
>○東鶏冠山と鶏冠山を取り違えてる 地図を見れないんじゃない?
鶏冠山は海岸砲台なんだけど???
一体全体何をいってんだか……
お前さんのいう『鶏冠山』は老虎尾半島にある『鶏冠山』のことだろうが
旅順要塞右翼(東側)の記述をしているのに、どうしてそれが海岸側(南)の『鶏冠山』の話になるんだよ
文脈からみれば明らかにこの『鶏冠山』は、『東鶏冠山』のことだ
バカの振りじゃなくて本当のバカだったか
背伸びして「偵察が〜」とか「情報を収集して分析して計画」〜、とか、いえたレベルじゃないよ、とても
ましてや乃木や伊地知の批評をしようだなんて、身の程知らずが過ぎて滑稽この上ない
乃木は芝居をして自分の汚点隠そうとするからだめだな
過去に連隊旗を西郷軍に奪われた時に責任をとって自殺をする芝居をして
周りから同情をしてもらおうとしたり
日露戦争で次男が死んだ時にも芝居をしてこれを利用して日本兵の死をたなに上げて
国民から同情をしてもらおうとした
正面突破をするなら弾除けの盾を作らせて装備ぐらいはさせよう
> 【堡塁】と【築城】と【野戦築城】を混ぜてごまかそうとしているな。
混ぜて?
英国武官の言葉の中に「築城」とあるから、その「築城」の有無について
述べただけです。「保塁」とあったら「保塁」、「野戦築城」とあったら
「野戦築城」について述べるまでのことです。
貧弱な散兵壕であれ、あるとないでは大違いです。実際はそんなかわいい
ものではなかったんですが。
>>561 >お前さんのいう『鶏冠山』は老虎尾半島にある『鶏冠山』のことだろうが
>旅順要塞右翼(東側)の記述をしているのに、どうしてそれが海岸側(南)の『鶏冠山』の話になるんだよ
>文脈からみれば明らかにこの『鶏冠山』は、『東鶏冠山』のことだ
あのさ、右翼とはどこも書いてなく”最右翼”。陸面ばかり見ていて 海上面を理解
してない御仁には何を言っても無駄かもしれないけどね。
地図も見れない、当時の西方、西北状況も理解せず、偏った思想で捏造する。
韓国人も真っ青ですね。やれやれですわ。
>>563 君の論ならば、高崎山も東北部前進陣地も全部 ”築城”されてた訳だから、
旅順要塞は無敵ってことになるなww?? ありえーねーw
つか、そういう前進陣地などは記載されていない以上、堡塁、砲台以上の築城
と認識するのが当然だがw
>実際はそんなかわいいものではなかったんですが
ああ だから根拠示せって。鶴嘴や土工具が人員不足で8月まで禄に工事できなかった
203高地の状況なんだけどねー。
>>561>バカの振りじゃなくて本当のバカだったか=ブーメランw
陸軍は開戦前から、旅順の要塞は西は椅子山、案子山の永久要塞を
終端とし、東は鶏冠山を最右翼として半月状に築城されており、
二百三高地には築城がないことや、東北正面よりも西正面が手薄で
あることを知っていた。その情報は日本側にも通知したことと思うが、
なぜに乃木軍は東北正面に総攻撃を指向したのだろうか。
〜英観戦武官 キッチナー〜
>>522=561 のおバカな反論
?西端が西太陽溝と鴉シ(戸へんに鳥)嘴、ただし南の老虎尾半島方面にも堡塁あり
?その更に右翼、白銀山から海岸に至るまでも築城あり
?8月上旬時点で相当に強固な野戦築城あり
>>539 実際の状況 時期を混ぜて語っているので未完成もさも完成しているかのように話してる。
○戦前は鴉シ(戸へんに鳥)嘴(ほぼ竣工)、西太陽溝堡台(未完)、潘家溝西堡塁(着工できず)
曲家小山砲台(完工) 西太陽溝堡塁(半ばで未完成)(公刊戦史 攻囲初期に於ける要塞防備の状況より)
○東鶏冠山と鶏冠山を取り違えて述べてる。鶏冠山は海岸砲台
○然れども東狙兵第5連隊及び同第7師団の諸部隊は時々要塞外に
出て前進陣地の防御に任せしと地質一般に堅硬にしてしかも土工具
不足せしとに因り進捗尚遅々たるを免れず。 (公刊戦史)
露軍爾霊山の防御は従来その中腹に散兵壕を有するに過ぎさりし(公刊戦史)
>>561 火病
×お前さんのいう『鶏冠山』は老虎尾半島にある『鶏冠山』のことだろうが
旅順要塞右翼(東側)の記述をしているのに
○いやキッチナーだけど。しかも海岸線を防御しないなんてありえないし。
半月状って書いてあるしね。それをしたり顔で言っても説得力ナシ。
どんなにオレに罵詈雑言を浴びせても、君の愚かさがクローズアップされるだけなんですけどね。
>>560 実際 西太陽溝堡塁に対して攻撃命令でしていますが?
>>553 これ、全体はこのように書かれていますね。
「軍司令官は、老鉄山半島と要塞内との交通を遮断せんと欲し、しかも、西太陽溝堡塁以南の
本防御線の防備堅固ならざるを知り、本攻撃正面の攻撃進捗とともに第7師団を以てこの方面を
攻撃せんことを計り、午後五時十五分同師団長に訓令するに、後三羊頭方面より逐次老鉄山半島
方面に前進すべく・・・」
この続きに・・・
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
と書いてある。
意図的にはずしたのは下記の思い込みを捏造するためですか??w
>この戦闘の目的は、老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、
>要塞全体の攻略ではありません。
>実際に戦闘が行われた方面というか方向は、【当たり前ですが要塞内部へ向かうものではなく】
要塞全体って意味不明だがw 本防御線の攻略する作業を継続しているので
上記の戦闘目的は君の思い込みですね。当たり前って何?
乃木は、君の妄想する当たり前の事の要塞内部に向かうなと、指示していません。
>>562 芝居かどうかはわからん。ただ、現代人とは違った価値観、仕事に対して
命を賭けるということはあったと思うな。本人は力不足と認識していたんだろうけどね。
台湾統治も旅順や奉天も西南戦争も。
力不足と認識してなかったら自殺する芝居をする必要もなかろ。
あと、弾除けの盾はあったし、突撃壕も構築したけどね。
なんかウザイ連中がいるな。
>>564 >あのさ、右翼とはどこも書いてなく”最右翼”。陸面ばかり見ていて 海上面を理解
>してない御仁には何を言っても無駄かもしれないけどね。
お前の頭の中では、海を通り越して老虎尾半島が「最右翼」なのかよw
つーかその理屈なら、「最右翼」は鶏冠山ですらなく、番家溝とか老鉄山とかになるわなw
そんなべらぼうな屁理屈が通用するのは、お前さんのオツムの中だけだろうが。
もう支離滅裂ですな。
「南沙諸島は全部シナのものアル!」と、堂々と主張して悪びれないシナ人みたいだ
570 :
名無し三等兵:2012/06/19(火) 19:39:16.19 ID:YV4IVc3S
そもそもキッチナーって観戦武官だったっけ? 部下のイアン=ハミルトンは有名だけど。
いつの間にか近代デジタルライブラリに、佐藤鋼次郎『旅順を落とすまで』がUPされていますね。
伊地知、大庭らをクソミソに貶している一方で、大本営や参本のことも容赦なく批判しているのが面白い。
「オレ様は予めお見通しだったんだぞ、どうだ偉いだろう」的な自我自尊が若干、鼻に付きますが
自我自尊で我田引水だよ
ネットの後知恵とまり俺らと同レベル
>>569 >お前の頭の中では、海を通り越して老虎尾半島が「最右翼」なのかよw
・・・旅順の港の入り口が中心だ!!!!なんて思い込みしているのは誰かね。
そもそも、そういう枝葉に拘って大筋から目を逸らそうと必死だねー。
キッチナーがそう表現しているだけで、そりゃ違うだろーって思うのは自由だが
君の意見は的外れだね。
>そんなべらぼうな屁理屈が通用するのは、お前さんのオツムの中だけだろうが。
西は椅子山から案子山って位置関係はスルーかなw
西北の防備が薄かったという史実を述べるだけで 屁理屈やらw
おかしいやらw いわれてもなぁ。
>>565にまとめて書いておいた反論にもなりゃしない。
どんなにオレに罵詈雑言を浴びせても、君の愚かさがクローズアップされるだけなんですけどね。
>>570 反論防止ねらい?って?
公刊戦史の部分引用で自説をぶったヒト
>>553が 捏造したのがばれて
>>566の
意見に反論できなくなったってことでいいのかな?
だから桑原の乃木神社の神話なんてさらって流し読み程度にしておけばいいのに。
あれに拘泥するのは坂之上の雲と拘泥するのと一緒。
仮に日本が何もしなくても、ロシアが満洲、万里の長城以北、朝鮮半島を抑え、
日本に攻めて来るのは西暦1910年以降になると思う。
仮に露西亜帝国側から日露戦争を仕掛ける場合、
対馬海峡の制海権を巡り、対日強硬派が日本に仕掛けてくる場合が想定される。
大陸と半島の全域が露西亜領で、ウラジオストック、釜山、旅順に露西亜海軍の軍港がある状態で、
果たして日本海軍は勝てるのだろうか?
203高地占領直後のあたりから引用しなきゃいけなくなるとは思わなかった。
公刊戦史P567
『軍司令官の決心 (203高地陥落後、おそらく12/6)
「・・・老鉄山方面に対しては漸次敵の拠点を略取し、以て敵の最後にこの方面に逃避し
余喘を保つが如き顧慮なからしめ・・・とするに在り」』
この時点では上記のように敵を老鉄山方面に逃して攻略戦が長引かないようにする、という考え。
この方面を担当する第七師団は、203高地戦ののちの整理につとめている。その後12/10に軍命令。
公刊戦史P584−585
『攻撃に関する軍命令 (12/10)
「・・・
4・本攻撃正面外の各方面において、特に西太陽溝堡塁および椅子山堡塁に対しては努めて
前方の地域を占領して各前面の敵を牽制し、かつ攻撃を準備すべく特に第七師団は努めて速に
高丁山を攻略すべし。
・・・
・・・敵兵、羊頭湾南方の海湾より老鉄山北麓を経て旅順市内に日々車両をもって物資を
運搬せるを偵知し、その交通を遮断するため、同山北麓を占領せんと欲し第七師団をして
速やかに敵情を捜索せしむ」
第七師団への命令はこのようなものであり、203高地から南側の地域を制圧することが主任務とされている。
203高地の南側には、標高100程度の小山が数個あり、それをさらに南へ進むと本防御線の西太陽溝堡塁や
北太陽溝堡塁が現れる。
203高地(標高208)、直近の藤家大山が(標高162)、そこから南に下がって東小山(標高110)、上の
軍命令に出ている高丁山(標高96)。しかし西太陽溝堡塁のある鍋丁山は標高が130を越えるため、中間地点
のこれら目標を攻略するために激戦が行われる。
これと同時に、市内との交通を遮断するために老鉄山北麓を占領する目的で敵情捜索が命じられる。
以後、激戦のち、12/23に東小山の占領が成り、これを受けて第七師団の部署が変更される。
公刊戦史P643
『第七師団の部署の変更(12/24)
「第七師団長は更に四羊頭山および石版山に対して攻撃作業を進めんと欲し、
24日午後三時命令を下し歩兵第十三旅団をこれに任じ左の部署を為せり。
1右翼隊・・・
2中央隊・・・
3左翼隊・・・西太陽溝堡塁および北太陽溝堡塁に対し攻撃作業を開始す
・・・」』
(四羊頭山、石版山は、鳩湾近くの地名)
ついで公刊戦史では、軍司令官の作戦方針が示される。ここで今の話題となっている「防備堅固ならざるを知り」が出てくる。
先に第七師団に命じた「市内との交通を遮断するために老鉄山北麓を占領する目的」で行われた「敵情捜索」の成果か。
公刊戦史P647
『第七師団使用に関する軍司令官の作戦方針
「26日軍司令官は老鉄山半島と要塞内との交通を遮断せんと欲し、しかも西太陽溝堡塁
以南の本防御線の防備堅固ならざるを知り、本攻撃正面の攻撃進捗と共に第七師団を
もってこの方面を攻撃せんことを計り・・・後三羊頭方面より逐次老鉄山半島方面に
前進すべく、先四羊頭山および石版山を略取し要すれば将軍山および上対庄溝付近に
前進し、この運動に際し常に高丁山および東小山を確実に守りてこれと連携を維持し、
なお西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続し、もって該堡塁将来の攻撃を容易なら
しめかつこの方面の敵を牽制するを要し・・・」
前進する目標は老鉄山北麓、老鉄山半島方面であり、目的は交通の遮断です。
その目標到達、目的達成に関連する箇所の「本防御線の防備」について述べた文章なのですよ。
また、西太陽溝堡塁への対処は、あくまで「将来の攻撃を容易ならしめるためと、牽制」に過ぎません。
あと、何度も
>堡塁の外濠に達するのは2ヶ月もかかっていませんが?
と書いてますね。
どの堡塁のことですか?
公刊戦史付図55の、「第三軍諸隊の位置」は1/1の状況を記したものです。
水師営西の三里橋から、椅子山北側を抜けさらに北太陽溝堡塁北側、西太陽溝堡塁のある鍋頂山の北西の楊樹溝まで
道が通っていますが、このラインを越えて攻撃作業が行われているのは西太陽溝堡塁近くの東小山に至る一本のみです。
この道からさらに距離と高低差を経て、ようやく本防御線に至りますが、その前面に引かれた鉄条網線は全く健在な
ままです。
堡塁の外壕はこの鉄条網線の更に内側にあるわけですが、どの堡塁のことを述べていたのですか?
>>576-581 >203高地占領直後のあたりから引用しなきゃいけなくなるとは思わなかった。
え?「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」 をあえて抜かして
>>553 >この戦闘の目的は、老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、
>要塞全体の攻略ではありません。
>実際に戦闘が行われた方面というか方向は、【当たり前ですが要塞内部へ向かうものではなく】
の捏造論をまだするの? どこまで乃木を結果的に貶めることになることやら・・w
>>576 「・・・老鉄山方面に対しては漸次敵の拠点を略取し、以て敵の最後にこの方面に逃避し
余喘を保つが如き顧慮なからしめ・・・とするに在り」』
上記判断は
>>453の下記井上参謀の ”誤判断”が元になっています。
12/初旬 井上参謀はこんな証言をしています(陸大課外講演集)
・203高地奪取後、「攻撃正面を西北側に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった。
・井上参謀が”203頂上から偵察したところ”、・・・・・・・・・・・・
・(ry
・「而して堡塁の外壕に達するまでは更に今後二ヶ月間を要する」
>>577 攻撃に関する軍命令 (12/10)
「・本攻撃正面外の各方面において、特に西太陽溝堡塁および椅子山堡塁に対しては努めて
前方の地域を占領して各前面の敵を牽制し、かつ【攻撃を準備すべく】特に第七師団は努めて速に
高丁山を攻略すべし。
>>578 >先に第七師団に命じた「市内との交通を遮断するために老鉄山北麓を占領する目的」で行われた「敵情捜索」の成果か。
いや、12/17頃から23日にかけて東小山、高丁山での戦いがあったし、君の思い込みは間違ってるだろう。
>>579 >前進する目標は老鉄山北麓、老鉄山半島方面であり、目的は交通の遮断です。
12/10
>>577 軍命令 西太陽溝堡塁および椅子山堡塁に対しては〜という主語に対し、 かつ攻撃を
準備すべくとなっているので、上記の意見 目的は交通の遮断は 君の思い違いですね。
軍命令をしっかりと見ればいいのに。
>>581 攻撃命令があってわずか 3週間で203高地から東小山を越え、西太陽溝堡塁外縁の
鉄条網前まで達しているわけです。残り3週間で取り付くことは 不可能なことですか?
井上参謀の見立てどおりの8週間ならば、もっと遅くともしかるべきですね。
いずれにせよ、東北正面に比べて西北面の防備が薄かった、そして乃木第3軍の戦場諜報や
それに基づく判断は錯誤が多かった。言い換えれば、初期は第3軍参謀の気の緩みによる怠惰、
後期は損害における判断の錯誤によって、きちんと偵察ができてなかったと言えるね。
俺にとって要塞内部への攻撃を向かいつつ、交通遮断をしている乃木の判断については、
まぁ普通じゃないかなって考えてたけど・・・攻撃に関する軍命令 (12/10)
(26日軍司令官西太陽溝堡塁以南の本防御線の防備堅固ならざるを知り)
ただ、いま少し、厳しく参謀に叱るべきだろうね。攻囲初期の状況とかからね。
でもさ・・
>>579のドアフォが
『前進する目標は老鉄山北麓、老鉄山半島方面であり、目的は交通の遮断です。』
>>553 『この戦闘の目的は、老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、要塞全体の攻略では
ありません。』
なんて バカな捏造論を主張して引き下がろうともしない。
これは
>>453 の井上参謀の判断が正しい!!って思い込みたいので視野狭窄に陥ってる
んだろうね。
>>579のドアフォ
『前進する目標は老鉄山北麓、老鉄山半島方面であり、目的は交通の遮断です。』
>>553のドアフォ
これ、全体はこのように書かれていますね。
「軍司令官は(ry」
この戦闘の目的は、『老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断すること』で、要塞全体の攻略では
ありません。そしてその部分の本防御線の防備は堅固でないことが判ったということです。
実際に戦闘が行われた方面というか方向は、『当たり前ですが要塞内部へ向かうものではなく、
西方の平地帯から老鉄山半島方面に向かって行われていったわけですね。』
これらの意見をそのまま汲み取ると
乃木は西太陽溝堡塁の強度を見誤って、さらに防備堅固ならざるを知っても
老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、要塞全体の攻略では
ありません。という作戦に拘泥したってことになるんだけど?
つまり 乃木は現場の状況から判断できない無能者ってことだな。
なんでそこまで貶めるのかなー。 乃木愚将論者でもそこまでしないってのになw。
>>576-581 >203高地占領直後のあたりから引用しなきゃいけなくなるとは思わなかった。
ってまだ我を張ってるが、その意見の先に何があるのかまったく見えずに何を
言ってんだかねー。
>>584 つまり外壕というのは、嘘だったんですね。
>>586 実際、西太陽溝堡塁を攻撃開始する前に要塞本体が陥落したのを
無視して何をおっしゃっるのかね。
達しているというのは これは私のミスですね。 実際はほぼ目前まで
達している。
しかし 君のこの意見
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」 をあえて抜かして
>>553 >この戦闘の目的は、老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、
>要塞全体の攻略ではありません。
>実際に戦闘が行われた方面というか方向は、【当たり前ですが要塞内部へ向かうものではなく】
を捏造した事実は変わらないんだけどね。
ツカ 昨日朝から捏造論を論破されて 萎縮してたのとはえらい違いだな。
一人でご苦労様。
>>577 攻撃に関する軍命令 (12/10)
特に【西太陽溝堡塁および椅子山堡塁に対しては】努めて
前方の地域を占領して各前面の敵を牽制し、かつ【攻撃を準備すべく】
と書いて自分で引用しているのに・・
>>578 >先に第七師団に命じた「市内との交通を遮断するために老鉄山北麓を占領する目的」
>で行われた「敵情捜索」の成果か。
となる斜め上変換装置は 偏見のなせる業だね。
もう唯我独尊の妄想史にどっぷり使ってて 何も見えないとしか言いようがない。
でもその結果、乃木の判断は実情に沿ったものでなく、的外れな
指導になっていくのが笑えるw
何がしたいのやら。
何度も外壕に達しているといい、それを根拠に自論を展開していたのに、
いまさら何言ってるんですか?
そして今度は、直前とかあやふやな言葉を使うわけですね。
>>589 いずれにせよ ほぼ目前まで達している以上、君か
誰かが出した井上参謀の
>>453の見立ては誤判断だったわけだ。
そして 12月26日には
特に西太陽溝堡塁および椅子山堡塁に対しては努めて前方の地域を
占領して各前面の敵を牽制し、かつ【攻撃を準備すべく】
という結果
軍司令官は老鉄山半島と要塞内との交通を遮断せんと欲し、しかも西太陽溝堡塁
以南の本防御線の防備堅固ならざるを知った。
もちろん乃木は井上参謀の意見も汲み取りつつ、信用せずに 本防御線への
攻撃準備も抜かりがない点は 将軍としては当たり前の事だな。
ここら辺りは普通に対処しているね。
でもなw
>>578 >先に第七師団に命じた「市内との交通を遮断するために老鉄山北麓を占領する目的」
>で行われた「敵情捜索」の成果か。
となる斜め上変換装置は 偏見のなせる業だね。
もう唯我独尊の妄想史にどっぷり使ってて 何も見えないとしか言いようがない。
挙句に乃木の判断は実情に沿ったものでなく、的外れな棚ボタ指導になっていくのが笑えるw
ほぼ直前って具体的にどのくらいですか。
客観的に判断出来る言い方をして下さい。
>>591 君はまず 下の意見と 12月26日の違いを説明すべきじゃない?
>>453ちなみに井上参謀はこんな証言をしています(陸大課外講演集)
・203高地奪取後、「攻撃正面を西北側に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった
・井上参謀が203頂上から偵察したところ、西北正面の防御設備も「決して東北正面に比して劣ってはおらぬ」
・「殊に椅子山及び太陽溝の堡塁は極めて堅固であって、二龍山又は鶏冠山北堡塁に比して少しも遜色はない」
●26日軍司令官〜西太陽溝堡塁以南の本防御線の防備堅固ならざるを知り
井上参謀の証言は根底から覆されてる風に見えるが、君は12月初旬の判断は誤っていた
ってことじゃないんでしょw??
>>591 12月7日頃、2ヶ月かかるという井上の証言
>>453とは違い
実際ひと月も掛からず東小山まで落とし、ほぼ目前まで侵攻し、
12月26日の段階で
誰かが 自分の捏造論のために 敢えて記述しなかった
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
って、 西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を ”継続” ってことなんだよね。
それがどうかしたの?
そういや、
>>453の外壕なんてどこの外壕とも書いてないから
西太陽溝堡塁とは限らないね。どこのだろうねー椅子山かな、
案子山かな東小山かな 高丁山かなー
迂闊だなー 思い込みって怖いわー。気をつけないとねー。
思い込みって、外壕に達していると思い込んでいた事ですか?
直前などあやふやな言葉を使わずに、客観的に判断出来る言い方をして下さい。
>>594 12月7日頃、2ヶ月かかるという井上の証言
>>453とは違い
実際ひと月も掛からず東小山まで落とし、ほぼ目前まで侵攻し、
12月26日の段階で
>>553が 自分の捏造論のために 敢えて記述しなかった
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
って、 12月26日にて西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を ”継続” できる場所まで
侵攻してたってことだよ。
それがどうかしたの? それが違う状況ならば ぜひぜひ 出してくださいなーw
直前などあやふやな言葉を使わずに、客観的に判断出来る言い方をして下さい。
間違い。
目前などあやふやな言葉を使わずに、客観的に判断出来る言い方をして下さい。
>>596 12月7日頃、2ヶ月かかるという井上の証言
>>453とは違い
実際ひと月も掛からず東小山まで落とし、ほぼ目前まで侵攻し、
12月26日の段階で
>>553が 自分の捏造論のために 敢えて記述しなかった
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
って、 12月26日にて西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を ”継続” できる場所まで
侵攻してたってことだよ。
それがどうかしたの? それが違う状況ならば ぜひぜひ 出してくださいなーw
1月1日夜
公刊戦史 P757 この夜第7師団(ry 左翼隊を以って之に連なる高丁山西南高地
を経て東小山に亘る間を守備し〜 左翼隊を以って攻撃作業を進め西太陽溝堡塁
に迫らんとし・・
という状況。ここで軍使が軍司令官宛の封書を持ってきたので、君が言う
地図の書き方になったという事。
実際は【左翼隊を以って攻撃作業を進め西太陽溝堡塁に迫らんとし】ということだ。
それがどうかしたの?
>西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を”継続”できる場所まで侵攻してた
具体的にどのあたりまでという主張なのですか?
付図見れますので、すぐに確認出来ると思いますよ。
ほぼ20日かけて東小山を占領。その後、約5日経過して1/1。
その5日の間にどれだけ攻撃作業が進められましたか。
付図で見る限り、そこから先には進んでいません。
外壕に達するまでの時日を基準にしていましたね。
ここから下がり勾配の斜面を少し進まなければなりません。これにどの位要しますか?
ついで鍋頂山の斜面を伸ばして行かなければなりません。
鉄条網のラインに到達するのにどの位かかりますか?
鉄条網のラインを突破して漸く外壕に到達です。どの位要するでしょうか。
この後、更に坑道を掘り、爆破作業が始まります。
守兵の妨害も考慮しなくてはなりません。
東北面に比較して砲兵の支援も劣ります。
5日間の進捗がほとんどないのに、その後飛躍的に伸びる
とは考えられませんが、何か算段でもあるのですか。
結局
>12月末までに堡塁の外濠に2ヶ月もたたずに達っしているし
これはウソってことでFA?
>>573 >東鶏冠山と鶏冠山を取り違えてる 鶏冠山は海岸砲台なんだけど???
>右翼とはどこも書いてなく”最右翼”。
とわざわざ御自分で書いてらっしゃる以上、
>旅順の港の入り口が中心だ!!!!なんて思い込みしているのは誰かね。
誰かね?と問われても、それは、あなただ、と判断せざるを得ませんが、何か?
間違ったものは間違ったと、訂正なり謝罪なりすればいいものを。
ウソをウソで塗り固めようとするから、どんどん破綻していく。
過ちて改めざる、是を過ちと謂う。
小人の過つや、必ず文(かざ)る。
嘘だったようです。
本人いわくミス。何か違いを強調したいようですが。
間違って嘘書いてました、とは認めたくないのでしょう。
ミスったけど嘘は書いてない、と言いたいのでしょうか。
そして今は直前とか目前とか言い出してます。
しかし具体的な場所を明記することは頑として避けてます。
初めは鉄条網の前とか書いてましたが、今はそういう目安
になるものも書かなくなりました。
でも目前なんだそうです。
>西太陽溝堡塁および椅子山堡塁に対しては〜という主語に対し
主語...?
>>602>バカの振りじゃなくて本当のバカだったか=ブーメランw
このウソの妄想反論には何もなしなの?
陸軍は開戦前から、旅順の要塞は西は椅子山、案子山の永久要塞を
終端とし、東は鶏冠山を最右翼として半月状に築城されており、
二百三高地には築城がないことや、東北正面よりも西正面が手薄で
あることを知っていた。その情報は日本側にも通知したことと思うが、
なぜに乃木軍は東北正面に総攻撃を指向したのだろうか。
〜英観戦武官 キッチナー〜
>>522=561 のおバカな反論
?西端が西太陽溝と鴉シ(戸へんに鳥)嘴、ただし南の老虎尾半島方面にも堡塁あり
?その更に右翼、白銀山から海岸に至るまでも築城あり
?8月上旬時点で相当に強固な野戦築城あり
>>539 実際の状況 時期を混ぜて語っているので未完成もさも完成しているかのように話してる。
○戦前は鴉シ(戸へんに鳥)嘴(ほぼ竣工)、西太陽溝堡台(未完)、潘家溝西堡塁(着工できず)
曲家小山砲台(完工) 西太陽溝堡塁(半ばで未完成)(公刊戦史 攻囲初期に於ける要塞防備の状況より)
○東鶏冠山と鶏冠山を取り違えて述べてる。鶏冠山は海岸砲台
○然れども東狙兵第5連隊及び同第7師団の諸部隊は時々要塞外に
出て前進陣地の防御に任せしと地質一般に堅硬にしてしかも土工具
不足せしとに因り進捗尚遅々たるを免れず。 (公刊戦史)
露軍爾霊山の防御は従来その中腹に散兵壕を有するに過ぎさりし(公刊戦史)
>>561 火病
×お前さんのいう『鶏冠山』は老虎尾半島にある『鶏冠山』のことだろうが
旅順要塞右翼(東側)の記述をしているのに
○いやキッチナーだけど。しかも海岸線を防御しないなんてありえないし。
半月状って書いてあるしね。それをしたり顔で言っても説得力ナシ。
どんなにオレに罵詈雑言を浴びせても、君の愚かさがクローズアップされるだけなんですけどね。
>>603 >>594 12月7日頃、2ヶ月かかるという井上の証言
>>453とは違い
実際ひと月も掛からず東小山まで落とし、ほぼ目前まで侵攻し、
12月26日の段階で
>>553が 自分の捏造論のために 敢えて記述しなかった
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
って、 12月26日にて西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を ”継続” できる場所まで
侵攻してたってことだよ。
それがどうかしたの? それが違う状況ならば ぜひぜひ 出してくださいなーw
>>601 >ほぼ20日かけて東小山を占領。その後、約5日経過して1/1。
12/11第7師団長は 軍命令に依り準備を完了して高丁山を攻略せんと
欲し11日命令を下し 歩兵第13旅団および第14旅団をして各当面の
地形および敵情を偵察し 攻撃作業を開始せしめ(ry(公刊戦史)
12/17未明を期し高丁山を攻撃するに決し之を軍司令官に報告し攻城砲兵の
援助射撃を要請せり。12/17未明午前 占領(公刊戦史)
12/17 第7師団 歩兵13旅団の攻撃作業は当時大いに進捗し(ry
12/23 第7師団 東小山の占領確実となるや・・(ry
2週間もかかっていません。 こんな言い方好きではないが、
20日という数字の根拠を出してくれませんか?
>その5日の間にどれだけ攻撃作業が進められましたか。
>の5日の間にどれだけ攻撃作業が進められましたか。
>”付図”で見る限り、そこから先には進んでいません。
27日第7師団方面の敵情以前静寂なりと雖も北太陽溝付近に防御工事を施し・・(ry
同師団左翼隊の北太陽溝堡塁に対する攻撃作業はした板橋にし北谷地より二次路を進め
その右翼攻路を以って同村西南高地の西麓を経て上板橋方向に掘進し左翼攻路を以って
下石板橋東端付近の高地端に攻撃陣地を構成し 爾後東南方に掘進し北太陽溝付近に
突撃陣地を構成せんと欲し
12/28 第9師団二龍山攻撃のため 第1.7.11は牽制攻撃
12/30 第一師団松樹山攻撃のため 第7師団は牽制攻撃
(6-P706)左翼隊の北太陽溝堡塁に対する左翼攻路は日々之を掘進し 38年1月1日までに
下石板橋付近に攻撃陣地を構成し又、同村南方約100mに達し之に攻撃陣地を構成しさらに若干
測量して北太陽溝堡塁を距る約700mに達せり
という状況。それ以下のキミの想像はあくまで想像。
この間の東北正面の状況
この間、第一師団は12日に椅子山堡塁の西部に対して攻撃作業を開始す(6-P587)
15日開始し17日までに専ら攻路を掘進し・・・(6-P597)
25日第一師団方面において化頭?山及び、三里橋西北高地は終夜大案子山堡塁、椅子山堡塁
及び小案子山砲台の放火を受け攻撃作業の妨害少なからず。・・(ry
西北面の状況
27日第7師団方面の敵情以前 静寂なり と雖も・・
結果論だが、こっちの方がはるかに防備が薄い。
ああ 西北も東北も強度が強かったと言い張る 意固地な方には何も
見えないだろうけどね。
>>608 >この間の東北正面の状況
>・・・三里橋西北高地・・・
ここ龍河よりも西側で椅子山の近くですが。
>>609 12月7日頃、2ヶ月かかるという井上の証言
>>453とは違い
実際ひと月も掛からず東小山まで落とし、ほぼ目前まで侵攻し、
12月26日の段階で
>>553が 自分の捏造論のために 敢えて記述しなかった
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
って、 12月26日にて西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を ”継続” できる場所まで
侵攻してたってことだよ。
(6-P706)左翼隊の北太陽溝堡塁に対する左翼攻路は日々之を掘進し 38年1月1日までに
下石板橋付近に攻撃陣地を構成し又、同村南方約100mに達し之に攻撃陣地を構成しさらに若干
測量して北太陽溝堡塁を距る約700mに達せり
って状況な。付図ではなく本文を見ないとね。
あと・・
>>601 >ほぼ20日かけて東小山を占領。その後、約5日経過して1/1。
12/11第7師団長は 軍命令に依り準備を完了して高丁山を攻略せんと
欲し11日命令を下し 歩兵第13旅団および第14旅団をして各当面の
地形および敵情を偵察し 攻撃作業を開始せしめ(ry(公刊戦史)
12/17未明を期し高丁山を攻撃するに決し之を軍司令官に報告し攻城砲兵の
援助射撃を要請せり。12/17未明午前 占領(公刊戦史)
12/17 第7師団 歩兵13旅団の攻撃作業は当時大いに進捗し(ry
12/23 第7師団 東小山の占領確実となるや・・(ry
2週間もかかっていません。 こんな言い方好きではないが、
20日という数字の根拠を出してくれませんか?
>>607 203高地陥落から約20日。
ここに厳密性を求めるのでしたら、より厳密な日数計算をどうぞ。
その700mにどれだけ掛かる目算ですか?
>>610 あ、それは東北正面ではなく、椅子山方面
椅子山方面も谷底とはいえ近接していたので拾い出したのをそのまま
書き込んでしまいましたね。
ところで・・
>>553 これ、全体はこのように書かれていますね。
「軍司令官は、老鉄山半島と要塞内との交通を遮断せんと欲し、しかも、西太陽溝堡塁以南の
本防御線の防備堅固ならざるを知り、本攻撃正面の攻撃進捗とともに第7師団を以てこの方面を
攻撃せんことを計り、午後五時十五分同師団長に訓令するに、後三羊頭方面より逐次老鉄山半島
方面に前進すべく・・・」
この続きに・・・
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
と書いてある。
意図的にはずしたのは下記の思い込みを捏造するためですか??w
>この戦闘の目的は、老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、
>要塞全体の攻略ではありません。
>実際に戦闘が行われた方面というか方向は、【当たり前ですが要塞内部へ向かうものではなく】
要塞全体って意味不明だがw 本防御線の攻略する作業を継続しているので
上記の戦闘目的は君の思い込みですね。当たり前って何?
乃木は、君の妄想する当たり前の事の要塞内部に向かうなと、指示していませんが、
なぜ こういう風な思い込みをしてるのですか 間違って嘘書いてました、とは認めずに
相手のミスばかりあげつらうのですか?
>>612 >203高地陥落から約20日。
12/11第7師団長は 軍命令に依り準備を完了して高丁山を攻略せんと
欲し11日命令を下し 歩兵第13旅団および第14旅団をして各当面の
地形および敵情を偵察し 攻撃作業を開始せしめ(ry(公刊戦史)
12/17未明を期し高丁山を攻撃するに決し之を軍司令官に報告し攻城砲兵の
援助射撃を要請せり。12/17未明午前 占領(公刊戦史)
12/17 第7師団 歩兵13旅団の攻撃作業は当時大いに進捗し(ry
12/23 第7師団 東小山の占領確実となるや・・(ry
実際は14日程度ですね。
つまりキミの目論見は間違ってたってことですね。
700mは3週間21日もあれば掘進できるでしょうね。(東北部や他所地域)
もちろん、軍砲兵部隊の支援も必要ですが、公刊戦史では東北部が中心に
なっているので 支作戦たる西北部は遅くなる可能性はある。
しかし・・ 井上参謀
>>453は 西北部を正面に変更したら2ヶ月ということであり、
東北部に主攻をしつつ、この地域でここまで掘進、躍進できるのは
防備が薄かったってこと。
12/24に第7師団長が西太陽溝堡塁への攻撃継続命令をして やっと12/26に
軍司令官は、老鉄山半島と要塞内との交通を遮断せんと欲し、しかも、西太陽溝堡塁以南の
本防御線の防備堅固ならざるを知り、というのも どうかなーってなるな。
やはり情報伝達が遅い。
>>602 訂正と謝罪?て 全部ブーメランでキミに帰ってるからね。
キッチナーの資料をまともに理解できずに 大法螺吹いて逆ギレする
んだから 信者って 困るよね。
>間違ったものは間違ったと、訂正なり謝罪なりすればいいものを。
>ウソをウソで塗り固めようとするから、どんどん破綻していく。
>過ちて改めざる、是を過ちと謂う。小人の過つや、必ず文(かざ)る。
って
>>522=561=602の 捏造論だろうに。
詳細は
>>565ね
>>522 ×二百三高地には築城がない
○8月上旬時点で相当に強固な野戦築城あり
相当に強固な野戦築城ありってさ、こういう自説に都合のいい意見ははいい加減でOKで
相手に対しては厳しくもとめる その2枚舌がすばらしく・・・おろかだねー。
自説が間違ってないという信者が二人いると 無意味にレスが伸びるね。
いいことじゃないか
信者でない歴史の客観を知っているなら
君が回答を書き込めばいい
>>614 >700mは3週間21日もあれば掘進できるでしょうね。(東北部や他所地域)
客観的に検証出来るように、根拠込みで書いてください。
>西北部を正面に変更したら2ヶ月
日本側と同様に、露側もこちらは支作戦と考えていたからこその進捗
ということですね。
こちらを正面として本格的に兵力物資が移動したら、また違うより激しい
抵抗があると考えるのが妥当です。
それら勘案して、当時の第一人者と言ってよい(よね)、井上参謀の見込みは、
やはり尊重してしかるべきと考えます。
>619
>客観的に検証出来るように、根拠込みで書いてください。
反論するにもちゃんと 根拠を示さないとね。
想像だとおれの想像ですがってちゃんと書くんですよw
203高地から東小山まで1.5km程度を2週間で進撃か。すごいな。
反論の前段階です。
客観的に検証出来るように書いてもらえないと、反論しようにも出来かねます。
外壕に達していると言っていたのを、違うでしょと反論出来たのも、
「外壕」という具体的に検証出来るように書いてあったからです。
>>623 >>612 >203高地陥落から約20日。
12/11第7師団長は 軍命令に依り準備を完了して高丁山を攻略せんと
欲し11日命令を下し 歩兵第13旅団および第14旅団をして各当面の
地形および敵情を偵察し 攻撃作業を開始せしめ(ry(公刊戦史)
12/17未明を期し高丁山を攻撃するに決し之を軍司令官に報告し攻城砲兵の
援助射撃を要請せり。12/17未明午前 占領(公刊戦史)
12/17 第7師団 歩兵13旅団の攻撃作業は当時大いに進捗し(ry
12/23 第7師団 東小山の占領確実となるや・・(ry
実際は14日程度ですね。つまりキミの目論見は間違ってたってことですね。
これの謝罪とか陳謝とかはおれは求めないけど・・君は対論者には
求めるのですねw
ところで・・
>>553 これ、全体はこのように書かれていますね。
「軍司令官は、老鉄山半島と要塞内との交通を遮断せんと欲し、しかも、西太陽溝堡塁以南の
本防御線の防備堅固ならざるを知り、本攻撃正面の攻撃進捗とともに第7師団を以てこの方面を
攻撃せんことを計り、午後五時十五分同師団長に訓令するに、後三羊頭方面より逐次老鉄山半島
方面に前進すべく・・・」
この続きに・・・
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
と書いてある。
意図的にはずしたのは下記の思い込みを捏造するためですか??w
>この戦闘の目的は、老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、
>要塞全体の攻略ではありません。
>実際に戦闘が行われた方面というか方向は、【当たり前ですが要塞内部へ向かうものではなく】
これの実証をしませんか?
>これの謝罪とか陳謝とかはおれは求めないけど・・君は対論者には求めるのですねw
具体的に書いてくれという要望ですが。
>>625 その交通遮断を目的とする作戦については、既に指摘された続きとともに、
203高地陥落からの経緯を含めて書き直しております。
>実際は14日程度ですね。
そこには、11日、17日、23日なる日付が記されています。
どうやって14という数字を導かれましたか。
>>627 訂正してるの?これで???
>>576 「・・・老鉄山方面に対しては漸次敵の拠点を略取し、以て敵の最後にこの方面に逃避し
余喘を保つが如き顧慮なからしめ・・・とするに在り」』
上記判断は
>>453の下記井上参謀の ”誤判断”が元になっています。
12/初旬 井上参謀はこんな証言をしています(陸大課外講演集)
・203高地奪取後、「攻撃正面を西北側に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった。
・井上参謀が”203頂上から偵察したところ”、・・・・・・・・・・・・
・(ry
・「而して堡塁の外壕に達するまでは更に今後二ヶ月間を要する」
>>577 攻撃に関する軍命令 (12/10)
「・本攻撃正面外の各方面において、特に西太陽溝堡塁および椅子山堡塁に対しては努めて
前方の地域を占領して各前面の敵を牽制し、かつ【攻撃を準備すべく】特に第七師団は努めて速に
高丁山を攻略すべし。
>>578 >先に第七師団に命じた「市内との交通を遮断するために老鉄山北麓を占領する目的」で行われた「敵情捜索」の成果か。
いや、12/17頃から23日にかけて東小山、高丁山での戦いがあったし、君の思い込みは間違ってるだろう。
>>579 >前進する目標は老鉄山北麓、老鉄山半島方面であり、目的は交通の遮断です。
12/10
>>577 軍命令 西太陽溝堡塁および椅子山堡塁に対しては〜という主語に対し、 かつ攻撃を
準備すべくとなっているので、上記の意見 目的は交通の遮断は 君の思い違いですね。
軍命令をしっかりと見ればいいのに。
>>628 えっと 203高地陥落後から 20日ほどで 東小山陥落と
>>612で述べてるが・・
12月23日から20日を引くと 12月3日ですが????
どういう計算ですか?
あのな 相手に論拠を求める前にいい加減な妄想を根拠に
文句を言うばかりじゃ だれも信用しませんて。
挙句にその論拠もいい加減な言い訳ばかりを集めてくるんだからな
それだったら 8月初旬の軍司令部の東北正面の攻撃事由を
論拠に展開すればいいのにw 当時の偵察状況とかね。
20日ほど、と書きました。数日の誤差はあります。
そちらの14日という計算はいかが?
14日程度と言っていますがね。理由は12月10日に軍司令官が
発令しているので そこからと 師団長の発令からの時間を
考えて14日程度とした。13日から15日程度ってことだな。
しかし 君の意見は陥落してから20日程度と言ったわけだ。
実際 23日は陥落しているのに何を言ってるの?ってなる。
>>631の言い訳で数日だと24、5日日程度かもしれないわけですね。
それだと 203高地陥落は11月末日かもしれません。
そうやって 自分の意見のときはいい加減で相手には
厳しくする 2枚舌は なんでですかね。唯我独尊の自己中でないと
しか考えられんl。
了解しました。
私は203高地陥落からの日数とし、そちらは命令からの起算とした差ですね。
起算方法はどちらでも構わないと思います。
やりあってる子達は日露戦争の真実を語るとかいうスレでも立ててそこで気の済むまでやってろよ
キチガイの相手をする奴もキチガイであってどっちも邪魔
635 :
386:2012/06/21(木) 20:51:06.13 ID:???
>>615 >キッチナーの資料をまともに理解できずに
だから、そのキッチナーの資料(なのか、本当に? 怪しい物だ。)とやらの内容が誤りだ、といってるんだが
で、その文中の『鶏冠山』ってのは、『東鶏冠山』のことなの? それとも、『老虎尾半島にある「鶏冠山」』のことなの?
お前さんは
>東鶏冠山と鶏冠山を取り違えてる 鶏冠山は海岸砲台なんだけど??? >右翼とはどこも書いてなく”最右翼”。
と書いた以上、後者だと考えたわけだよな?
でも後から、
>旅順の港の入り口が中心だ!!!!なんて思い込みしているのは誰かね。
>そもそも、そういう枝葉に拘って大筋から目を逸らそうと必死だねー。
なーんて書き方をしたのだから、それは間違いだと、明らかに気付いた訳だ。
自分の間違いに気付いた以上、訂正の一言ぐらいはあって然るべきじゃないの?
少なくともオレだったら「ゴメン、勘違いだった」程度はいうけどね。
>相当に強固な野戦築城ありってさ、こういう自説に都合のいい意見ははいい加減でOK
いい加減も何も、ロシア側の記録にきちんと述べられているけど?
佐藤鋼次郎の手記でも、12センチ以下の火砲では掩蓋部を破壊できなかった、とあるね。
疑うのなら自分で調べてごらん。俺は君と違ってウソはつかないから。
おっと、名前欄は間違いだ。失礼
>>635 陸軍は開戦前から、旅順の要塞は西は椅子山、案子山の永久要塞を
終端とし、東は鶏冠山を最右翼として半月状に築城されており、
二百三高地には築城がないことや、東北正面よりも西正面が手薄で
あることを知っていた。その情報は日本側にも通知したことと思うが、
なぜに乃木軍は東北正面に総攻撃を指向したのだろうか。
〜英観戦武官 キッチナー〜
>>561=635
一体全体何をいってんだか……
お前さんのいう『鶏冠山』は老虎尾半島にある『鶏冠山』のことだろうが
旅順要塞右翼(東側)の記述をしているのに、どうしてそれが海岸側(南)の『鶏冠山』の話になるんだよ
文脈からみれば明らかにこの『鶏冠山』は、『東鶏冠山』のことだ
>>564 お前の頭の中では、海を通り越して老虎尾半島が「最右翼」なのかよw
つーかその理屈なら、「最右翼」は鶏冠山ですらなく、番家溝とか老鉄山とかになるわなw
そんなべらぼうな屁理屈が通用するのは、お前さんのオツムの中だけだろうが。
・旅順の港の入り口が中心だ!!!!なんて思い込みしているのは誰かね。
・そもそも、そういう枝葉に拘って大筋から目を逸らそうと必死だねー。
>>635 >なーんて書き方をしたのだから、それは間違いだと、明らかに気付いた訳だ。
>自分の間違いに気付いた以上、訂正の一言ぐらいはあって然るべきじゃないの?
>少なくともオレだったら「ゴメン、勘違いだった」程度はいうけどね。
キッチナーの意見を勘違いして未だに勘違いで ギャク切れして、今に至ると。
ロシア側の記録や佐藤鋼次郎の手記の何ページに書いてあるとかも書かないなんてな
説得力皆無。つか キッチナー程度の文面も読み取れないんだからタカが知れてる。
638 :
過去スレ:2012/06/22(金) 07:43:02.97 ID:???
9/22までの状況
・各山頂に歩兵の為の【野堡一つ】ずつと鉄条網を備えた
400mから500mの2列の散兵壕 上方の(散兵壕)は掩蓋があった
下方のはきわめて平で竣工せず。
・爾霊山の防御は従来その中腹に散兵壕を有するに過ぎさりしも(公刊日露戦史)
・平和の時分にはヴィソカーヤは全くの丸腰であった。戦争が始まってからやっと鉄条網を
めぐらした散兵壕を2段つくり、6インチ要塞砲若干を剥き出しのまま据え付けたに過ぎなかった。
「この陣地についてから、2ヶ月にもなるのに技師の連中は連絡路回収にとりかかってくれないんだよ」
とガーエフは憤慨した。山の指揮官は10ウェルショーク角の梁材から出来ている【堅固な掩堡】のなかに
いた
旅順口(中)P377
・「・・・ここにどうしても迫撃砲が欲しいね。【士官の掩堡】のなかに据え付けてもいい。
【掩堡はベトン作りで非常に堅固】にできているからその窓から水雷発射管の砲口を突き出したら
どうだろう」 掩堡をみまわしてポドグールスキィーは迫撃砲の据え付けに好適との結論を
下した。「屋根があるから 昼間だって作業が続けられますね」とスヴォナリョーフは言った。
掩堡に迫撃砲の部分品が運び込まれたが、水兵と兵隊の祭事をしているブロヒーンの働きぶり
に少尉はびっくりした。 旅順口(中)P379
・スヴォナリョーフは近くに【未完成の掩堡】をみつけ、そこへ潜り込んだ。岩に掘られたせまい隙間
で大人一人がはいるのがやっとであった。少尉はそこから土やゴミを吐き出しワラを一抱えほど
運び込んで、横になった。 旅順口(中)P380
もう どっかいけよこいつら。
いや・・・それはないぞ
日露戦争スレは彼らがいないとな
わしゃあおっかなくてみているだけだがのうw
>キッチナーの意見を勘違いして未だに勘違いで ギャク切れして、今に至ると。
なにそれ。わざわざ自分のことを解説してくれてるの? 愉快な人だね。
>ロシア側の記録や佐藤鋼次郎の手記の何ページに書いてあるとかも書かないなんてな
その怪しげなキッチナー意見とやらの出典も示さずに、まあ、よー云うわ。
流石は恥知らずの特亜人だ
まあいい、露軍側の資料を貼ってやるよ。日本近代史板からのコピペだ
>『旅順に於ける203高地の戦闘』偕行社記事第446号付録 大正元年
>著者:コスチウッコ大尉 旅順要塞西方面作戦部隊参謀
>訳者:太田工兵中尉 近衛工兵大隊附
>この資料の冒頭で、203高地の防備工事が説明してあるのだが、こういう状況だったそうだ。
>・1期工事 明治37年5月着手 高地左側に膝射散兵壕を設置 右側は「単ニ火線ノミヲ標示シ」という状態
右高地に15cmカノン砲×2 鞍部に75mm砲×2を配置
>・2期工事 東部シベリア第五連隊が工事 37年6月2日着手8月2日完了
1期工事の散兵壕を改良 爆薬・鶴嘴で掘削 鞍部に指揮官用掩蓋を設置
高地全体を取り巻く形で全長1.6kmの立射壕 屋根・銃眼あり 榴散弾に対して安全
主要部は掩蓋に20cm角の梁を用い、上に厚さ12mmの鉄板又はレールを敷き、
そのまた上に35〜70cmの岩石を盛る 15cm砲弾の直撃に耐える
>・3期工事 9月末着手11月下旬完了 高地の両頂部に角面堡を増設 レール2層岩石1mで覆う
これは28cm砲弾に対して完全に防護できるようにした
その他各所に連絡用交通壕(一部掩蓋)、陣前に鉄条網を設置
佐藤の手記ぐらい自分で探しな。近デジで検索すればすぐだ。
君にとっては不快な現実かもしれないが、事実は事実としてきちんと認めようね。
でなきゃ、南京で30万人が〜、とか、従軍慰安婦が20万人〜、とか喚く、シナ人や朝鮮人と同じだぜ。
>>635=641=522 >×8月上旬時点で相当に強固な野戦築城あり
>いい加減も何も、ロシア側の記録にきちんと述べられているけど?
>佐藤鋼次郎の手記でも、12センチ以下の火砲では掩蓋部を破壊できなかった、とあるね。
>疑うのなら自分で調べてごらん。俺は君と違って "ウソ" はつかないから。
>1期工事の散兵壕を改良 爆薬・鶴嘴で掘削 鞍部に指揮官用掩蓋を設置
>高地全体を取り巻く形で全長1.6kmの立射壕 屋根・銃眼あり 『榴散弾』 に対して安全
> 『主要部』 は掩蓋に20cm角の梁を用い、上に厚さ12mmの鉄板又はレールを敷き、
>そのまた上に35〜70cmの岩石を盛る 15cm砲弾の直撃に耐える
佐藤鋼次郎 旅順を落とすまで
P183 9月20日の状況
敵の掩蔽部は以前として現存しそれから出て火線に就きせん滅的な射撃を浴びせかけるので
ことごとく死傷してしまった。よく偵察してみると敵の陣地の掩蔽部は厚板と鉄板から
成って居り 銃眼は堅固にして砲兵の火力ではいかんとも破壊し得ないということが
知れた。 P184
敵陣地の掩蓋に鉄板や厚板を用いてあることは今度我々が始めて知って驚きました
しかし掩蓋を厚板で構造し、その上に鉄道ノレールを並べ其の上に土を積んだならば、
15センチ以上の榴弾でしかも多量の爆弾を有っているものを打ち込まなければ破壊し得ない
とドイツなどでは事実上確認しています。
指揮官用掩蓋が上記野戦築城されてたのは以前からこちらの資料でも指摘
しているだけのこと。 其の程度のことを、さも
>>522の203高地全体の話に
しようとしているのかね・・?
実際は ”全長1.6kmの立射壕 屋根・銃眼あり 『榴散弾』 に対して安全”と野堡程度。
東北主要地域などに比べるべくもない防御程度。針小棒大も天晴れだね。 やはり資料が読めない人だったのか。
スミルノフ中将は〜南山戦闘後旅順に帰還せし東狙兵第5連隊をして
爾霊山 大頂子山 化頭溝山近辺の工事に任ず 〜
然れども東狙兵第5連隊及び同第7師団の諸部隊は時々要塞外に
出て前進陣地の防御に任せしと地質一般に堅硬にしてしかも土工具
不足せしとに因り進捗尚遅々たるを免れず。 (公刊戦史)
9月中旬(第1回二百三高地攻撃前) 【西太陽溝堡塁より爾霊山附近に亙る間】を
東狙兵第5連隊第一大隊(第1.3中隊欠)同第28連隊第1中隊及び海兵第6中隊
兵員合計613名 (公刊戦史 第6巻P57)
【西太陽溝堡塁から爾霊山まで第一大隊 第2.4中隊、その他2個中隊 4個中隊のみ。】
9月23日露軍の配備
露軍南山坡山及び水師営附近の前進陣地を失うや更に爾霊山を左翼の拠点とし
新たに老虎溝山 化頭溝山 三里橋北方高地の線を外防御線とし【全力をもって
防備に努めし】 老鉄山 鳩湾附近及び・家大山以南の状況概ね従前に異ならず
・家大山は東狙兵第5連隊第8中隊
爾霊山は同連隊 第6. 第11、同第13連隊 第2中隊、同第14連隊第7中隊
同第16連隊第6中隊 同第27連隊 第7第11中隊 同第28連隊第4 第8中隊
海兵 第6中隊 6インチカノン砲3門 10センチ半カノン砲2門 37ミリ砲3門
機関銃4丁
【爾霊山に10個中隊】 儲には見えてない(見たくない)ようです。
もちろん9月中旬までの兵力の配備数もぜんぜん違う。防備が薄いというのはこういうのも含めて
話しているんだけどねぇ。 結果的に
>>641 は何を言ってもウソになるわけだ。バカだねー。
>>641 キミが近代日本史の過去スレから引っ張ってきたあと
465レス目
この資料を読む限りでは、ベトンを用いた永久築城は、最後まで203には存在しなかったようです。
「……故に平時より「ベトン」製の堅固なる掩蔽部を構築し装甲せる強堅の築城を適当の時期に施し置きたらんには
更に一層の効果を収めたりしならんに敢て此の挙に出ざりしは実に千秋の恨事なり」
その他、日本軍に多大な損害を与えたのは確実だが、本国からの補充が可能な日本軍に対して露軍は兵力が尽きた、
と、消耗戦に引きずり込まれて負けたことを率直に認めています。
11月以降の203高地戦での露軍損害は、「算定するに甚だしき困難」ながらも、投入兵力は約80個中隊、
「全然戦闘力を失ひし者」約8000、「内戦病死せる者」約5000、だったそうです。
という永久築城はないということや消耗戦にて13000名もの損害を出したことなどは
たぶん 無視というか見えてないというか・・キミの脳内ウソ捏造史では邪魔な意見だから
スルーしてたんだよね。
そういう所が卑しいっすよね。 捏造論のためにはここまで針小棒大にしてアピールするから
うっとおしいよね。
645 :
名無し三等兵:2012/06/23(土) 10:19:46.26 ID:uILKPKkh
>防備が薄いというのはこういうのも含めて
>話しているんだけどねぇ。 結果的に
>>641 は何を言ってもウソになるわけだ。バカだねー。
>永久築城はないということや消耗戦にて13000名もの損害を出したことなどは
>たぶん 無視というか見えてないというか・・
あのね。
「二百三高地には築城がない」とお前さんが(キッチナーの資料とやらを持ち出して)いうから、
「あった」といってるだけなんだがね、俺は。
防備が厚いとか薄いとか、損害が多いとか少ないとかの話は全然してないんだけど…。
論理で負けると、ひたすら論点をずらして誤魔化そうとする。
その心性の下劣さが、まさにシナ人そのものですわ。見下げ果てた奴だ。
うはw
上げちまった、ゴメン
外壕まで達していないわ、203には結構な築城があるわ、
これがリテラシーってやつですかね。
イギリスの観戦者のレポートと当事者ロシアのまさにその場の担当参謀のレポートでは
信頼度として比べるべくもない。
>>645-647 >>502 >こんなんでは、『 最後の「東より西が手薄だと知っていた」は正しい判断であったとは
>とても思えないですね。』
>>503 >まさか最初から『西北側を主攻すればよかった』 とでもいうのかな
>『文字どおり机上の空論』 だね
>>517 >そして 『実際、西北側堡塁の堅固さも、東北側と同等』 だったわけだ。
>仮に偵察が出来たからといって、どうなるものでもないと思うが。
これらの根拠ってまったく出てきてないのだがw 何を言ってるのw?
>>453 12/初旬 井上参謀はこんな証言をしています(陸大課外講演集)
・203高地奪取後、「攻撃正面を西北側に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった。
・井上参謀が”203頂上から偵察したところ”、・・・・・・・・・・・・
・(ry
・「而して堡塁の外壕に達するまでは更に今後二ヶ月間を要する」
上記のように判断した・・。
12/26 実際の軍司令官の確認。
「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
12/初旬の井上参謀の誤判断を そんな風にドヤ顔で何を言ってるの?
恥の上塗りだね。 素直に、NHKドラマの演出風にしておれば恥さらさないでいいものを。
実際はほぼ 主攻でないにもかかわらず、ほぼ目前まで達している。
なんぼほど弱いねんってこった。
主戦場でないからこそロシアの抵抗も強くなかったとは考えないのがとても不思議。
>>650 >主戦場でないからこそロシアの抵抗も強くなかったとは考えないのがとても不思議。
第3回総攻撃時に203高地が主戦場になったとき、
第9師団、第11師団は牽制していました。
もちろん ロシアの抵抗もそれまでは 強くなかった。が 落ちてないですよ??w
いったい何をいってるのw?
>>502 >こんなんでは、『 最後の「東より西が手薄だと知っていた」は正しい判断であったとは
>とても思えないですね。』
>>503 >まさか最初から『西北側を主攻すればよかった』 とでもいうのかな
>『文字どおり机上の空論』 だね
>>517 >そして 『実際、西北側堡塁の堅固さも、東北側と同等』 だったわけだ。
>仮に偵察が出来たからといって、どうなるものでもないと思うが。
これらの根拠ってまったく出してきていないのに 何を言ってるのw?
東北が主戦場であったからこそ、攻め手も比較的楽に進められたというように
考えられないのか、という事ですが。
正直、700m残ってるのに目前と言い切るのもどうなのと。
そこからが地獄じゃないの?
700mって目前か?これこそ根拠を示さないと話にならんでしょ。
>>650 >主戦場でないからこそロシアの抵抗も強くなかったとは考えないのがとても不思議。
>>652 >東北が主戦場であったからこそ、攻め手も比較的楽に進められたというように
>考えられないのか、という事ですが。
第3回総攻撃時に203高地が主戦場になったとき、
第9師団、第11師団は牽制していました。
もちろん ロシアの抵抗もそれまでとは強くなかった。が 落ちてないですよ??w
いったい何をいってるのw?
『実際、西北側堡塁の堅固さも、東北側と同等』 なんでしょ?
そういうのを全部まとめて考えてからお話してくれないかねぇ。 部分拒否ばかりなんだよね
>>502 >こんなんでは、『 最後の「東より西が手薄だと知っていた」は正しい判断であったとは
>とても思えないですね。』
>>503 >まさか最初から『西北側を主攻すればよかった』 とでもいうのかな
>『文字どおり机上の空論』 だね
>>517 >そして 『実際、西北側堡塁の堅固さも、東北側と同等』 だったわけだ。
>仮に偵察が出来たからといって、どうなるものでもないと思うが。
これらの根拠ってまったく出してきていないのに 何を言ってるのw?
>>652-653 北太陽溝堡塁まで700mで 西太陽溝堡塁まではもっと短いんだけどね。
地図見ろーとか言ってる割には・・見てないってか
でもどのくらいとはけして書かないんだから、なんつーか闇は深いな。
>>655 『実際、西北側堡塁の堅固さも、東北側と同等』 という根拠も出せずにそういう
ことばかり 揚げ足を取るしか 能がないけどな。
つか・・出てきている内容はとてもじゃないが、東北側と同等とは言えん。
あと、
>>652 >東北が主戦場であったからこそ、攻め手も比較的楽に進められたというように
>考えられないのか、という事ですが。
これだが、203高地が陥落したからこそ、攻め手は比較的東北部を楽に進められた
という 考えも できるわけですが・・。
いいのか?こんな考えしてて。
いいんじゃない?
というか、そのくらい柔軟に考えられないというほうが信じられない。
>>656 根拠は書いてあったでしょ。井上参謀の見立て。
その内容を妥当と認める認めないはともかく、
書いてあった事を書いてないと、明らかなウソを言ってはいけない。
そして、話を戻すが、700mを目前と言い切る根拠は書いてないし、
もっと近いといいながらも、どのくらいかとは書いてないね。
てか、あなた、そもそも外壕まで達しているとかデタラメ垂れ流した時点で
おミソ扱い決定なんだからあんまりハネない方がいいよ。
>>658 >根拠は書いてあったでしょ。井上参謀の見立て。
>その内容を妥当と認める認めないはともかく、
12/26 「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
これに対する返信
>>447 ”西方” 諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かったようだが
(あたかも実際攻めてるかのように述べてるのは可笑しい。)
上記根拠
井上参謀の見立て
「攻撃正面を ”西北” 側に変更してはどうか
「殊に椅子山及び太陽溝の堡塁は極めて堅固であって、
二龍山又は鶏冠山北堡塁に比して少しも遜色はない」
”西方” 諸堡塁の根拠に西北を出す 君の神経がおかしい。
さらに12/初旬の井上参謀の誤判断をそんな風にドヤ顔で何を言ってるの?
恥の上塗りだね。 素直に、NHKドラマの演出風にしておれば恥さらさないでいいものを。
実際偵察不行き届きでしょ? 西方諸堡塁の目前まで達するのは2ヶ月もかかっていませんが?
それを陸大課外講演で述べたって言われても、ああ 偵察って大切だっていう
失敗の教訓にしかなっていませんがw?
まぁ 井上参謀の見立ては偵察不足で片付けられるが、西方諸堡塁の強度に対応して
これを論拠に出してきている人は、西方と西北もごっちゃにして、煙に巻く ”詐欺師” だね。
>>659 >ミソ扱い決定なんだからあんまりハネない方がいいよ。
12/26 「軍司令官は……西太陽溝堡塁以南の本防御戦の防備堅固ならざるを知り……」
これに対する返信
>>447 ”西方” 諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かったようだが
(あたかも実際攻めてるかのように述べてるのは可笑しい。)
上記根拠
井上参謀の見立て
「攻撃正面を ”西北” 側に変更してはどうか
「殊に椅子山及び太陽溝の堡塁は極めて堅固であって、
二龍山又は鶏冠山北堡塁に比して少しも遜色はない」
”西方” 諸堡塁の攻め難さ 根拠に西北を出す 君の神経がおかしい。
>502
>こんなんでは、『 最後の「東より "西” が手薄だと知っていた」は正しい判断であったとは
>とても思えないですね。』
>>503 >まさか最初から『 ”西北” 側を主攻すればよかった』 とでもいうのかな
>『文字どおり机上の空論』 だね
>>517 >そして 『実際 、”西北” 側堡塁の堅固さも、東北側と同等』 だったわけだ。
>仮に偵察が出来たからといって、どうなるものでもないと思うが。
自分の妄想する素敵な脳内史の為にミスリードしてきているの わかってる?
そんな人に何を言われてもねー。 何かの遠吠えにしか聞こえん。
>>659 下記のように捏造しているのもお忘れなく。
>>553 これ、全体はこのように書かれていますね。
「軍司令官は、老鉄山半島と要塞内との交通を遮断せんと欲し、しかも、西太陽溝堡塁以南の
本防御線の防備堅固ならざるを知り、本攻撃正面の攻撃進捗とともに第7師団を以てこの方面を
攻撃せんことを計り、午後五時十五分同師団長に訓令するに、後三羊頭方面より逐次老鉄山半島
方面に前進すべく・・・」
この続きに・・・
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
と書いてある。
意図的にはずしたのは下記の思い込みを捏造するためですか??w
>この戦闘の目的は、老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、
>要塞全体の攻略ではありません。
>実際に戦闘が行われた方面というか方向は、【当たり前ですが要塞内部へ向かうものではなく】
みそっかすって大概大声で騒ぐもんだし
×12月末までに堡塁の外濠に2ヶ月もたたずに達っしているし
○達していない
×『実際、西北側堡塁の堅固さも、東北側と同等』という根拠も出せずにそういうことばかり
○つ「井上の証言」
平然と嘘は吐くし、
×東鶏冠山と鶏冠山を取り違えてる 鶏冠山は海岸砲台なんだけど???
○その文中の『鶏冠山』は海岸砲台のそれのことではなく、『東鶏冠山』のこと
×消耗戦にて13000名もの損害を出した
○死者が5000名、戦線復帰不可能な重傷者が3000名。併せて「全然戦闘力を失ひし者」8000。軽傷者数は詳らかでない
小学生レベルの日本語読解能力も無い。
もうこんな奴は、ミソッカスの刑で宜しいかと。
じゃ、おミソはその都度対処という事で、個人的に気になることをお題として提議したい。
大正元年にはそのロシア軍参謀のレポートは翻訳されていたわけだが、どうして日露戦史
講義録摘要(いわゆる機密戦史)にはそれが反映されずに、ただ長岡回顧録からの引用のみ
に留めたのだろうか?
まぁ結論の出るはずのないお話なのだが、諸兄の意見をお聴きしたい(おミソはいらん)。
203に施された工事の内容に関しては、そのレポートも、機密日露戦史も、読み比べてみたところ大差は無いと思う
レール+岩石の掩蓋とか、6インチ砲の設置とか、交通壕とか
ただ、飛躍的に強化された時期が前者は8月以前だったといい、後者は9月下旬以降だったという
となるとやっぱり、第2回前半の際に「今一息奮発すれば完全に占領し得る筈であった」、という結論が先にありきで
こういう記述になったのでは?
実際にはそんな単純なものじゃなかったわけだけど
>>664 ×12月末までに堡塁の外濠に2ヶ月もたたずに達っしているし
●達していない
○井上参謀の指摘した堡塁がどこかは定かではないし、ほぼ西太陽溝堡塁までは
ほぼ目前まで達している。
×『実際、西北側堡塁の堅固さも、東北側と同等』という根拠も出せずにそういうことばかり
×つ「井上の証言」
>平然と嘘は吐くし、
>>447 ”西方” 諸堡塁の攻め難さも東北側と大差無かったようだが
(あたかも実際攻めてるかのように述べてるのは可笑しい。)
に対して、 ”西北”を出してきた。 君が西から西北にミスリードしてウソ論を展開
○鶏冠山と鶏冠山を取り違えてる 鶏冠山は海岸砲台なんだけど???
×その文中の『鶏冠山』は海岸砲台のそれのことではなく、『東鶏冠山』のこと
ありえない。鶏冠山は鶏冠山で最右翼と右翼は場所が違う。
×消耗戦にて13000名もの損害を出した
●死者が5000名、戦線復帰不可能な重傷者が3000名。併せて「全然戦闘力を失ひし者」8000。軽傷者数は詳らかでない
「全然戦闘力を失ひし者」約8000であり、戦線復帰不可能な重傷者とは出てきた記載では
書かれていない。
えっと上記のように偏見になるのは仕様ですかねぇ。
>>666 9月中旬(第1回二百三高地攻撃前) 【西太陽溝堡塁より爾霊山附近に亙る間】を
東狙兵第5連隊第一大隊(第1.3中隊欠)同第28連隊第1中隊及び海兵第6中隊
兵員合計613名 (公刊戦史 第6巻P57)
【西太陽溝堡塁から爾霊山まで第一大隊 第2.4中隊、その他2個中隊 4個中隊のみ。】
9月23日露軍の配備
露軍南山坡山及び水師営附近の前進陣地を失うや更に爾霊山を左翼の拠点とし
新たに老虎溝山 化頭溝山 三里橋北方高地の線を外防御線とし【全力をもって
防備に努めし】 老鉄山 鳩湾附近及び・家大山以南の状況概ね従前に異ならず
・家大山は東狙兵第5連隊第8中隊
爾霊山は同連隊 第6. 第11、同第13連隊 第2中隊、同第14連隊第7中隊
同第16連隊第6中隊 同第27連隊 第7第11中隊 同第28連隊第4 第8中隊
海兵 第6中隊 6インチカノン砲3門 10センチ半カノン砲2門 37ミリ砲3門
機関銃4丁
【爾霊山に10個中隊】 儲には見えてない(見たくない)ようです。
「今一息奮発すれば完全に占領し得る筈であった」は 所詮 IFでしょ
奇跡はロシア側で起きたってことさ。
しかし 乃木って運がないですね。本人の心の持ちようもあると思うが、
ラッキーな出来事が見えないよねー。
東郷とえらい違いや。
>>666 講義録執筆にあたり井口の影響が大きかったとよく言われる。
それは理解できるのだが、長岡回顧録をほぼ無批判に採用して
いるのが解せない。
>>667-668 うんそうだね(棒
>講義録執筆にあたり井口の影響が大きかったとよく言われる。
これの根拠は??
軍事史学会副会長の原剛が歴史街道2011.11で書いてた
「長岡の偏った証言を谷が採用したのは、陸大校長の井口が長岡と親しかったから」
歴史は人脈で語られるのか。
>>670 >「長岡の偏った証言を谷が採用したのは、陸大校長の井口が長岡と親しかったから」
井口省吾が陸軍大学の学長をやっていた期間は1906年から1912年
谷寿夫が陸軍大学の教官をやっていた期間が1919年から1927年
井口省吾 少将(1906年2月6日 -)
大井成元 少将(1912年11月27日 -)
由比光衛 中将(1914年5月11日 -)
河合操 少将(1915年1月25日 -)
浄法寺五郎 中将(1917年8月6日 -)
宇垣一成 少将(1919年4月1日 -)
これだけ学長だけでも代わっているし、さらに 井口と谷との接点を
しっかり説明しないとね。どういう根拠ですか?
陸大の問題点
かつての長州優位時代の反動から、
反長州を掲げる高級将校が力を持ち始めた大正後期以降しばらくの間、
山口県出身者の入学が排除された時期もあった。
(谷寿夫が陸軍大学の教官をやっていた期間が1919年から1927年)
まさに機密日露戦史はその時代に書かれたもの。
それが長州閥を優遇した井口と 反長州時代の谷教官の時代に
書かれた機密日露戦史の矛盾をちゃんと説明しないと納得できないっすよー。
運送種
親しかったから、ってのもなんか弱いとは思うが、
軍事史学会副会長とみそっかすかー
比べるのもバカらしい。
谷にしろ長岡・井口にしろ、偕行社記事を読んでいなかったとはちょっと考えづらい
読んでなきゃ単なる怠慢、不勉強だよね
講義録には、明らかに佐藤鋼次郎の手記(『旅順を落とすまで』)から引用したと思われる箇所があるが、
彼が大本営や参謀本部を痛烈に批判している部分については殆ど触れていない。
「中央は悪くないやい! 苦戦は現地軍の責任だ!」という自己弁護のエゴが、多少なりともあったんじゃないのかな。
戦艦と装甲巡洋艦がそれぞれ10隻づつ以上あれば、
旅順要塞を落とす必要が無かったね。
戦艦四隻と装甲巡洋艦四隻を旅順の番人用に貼り付けて、
戦艦六隻と装甲巡洋艦六隻でバルチック艦隊迎撃に当てられる。
長岡外史って司馬からも児玉、大山に比べて評価されず、
反司馬からも評価されず、なかなかかわいそうな人物だな。
>>677 それだけの金がないからな。まぁ 駆逐戦隊や巡洋艦戦隊
を構築するくらいなら 戦艦一隻の方が安いとはいえ、
66艦隊計画で満足すべきじゃない?
>>675 >軍事史学会副会長とみそっかすかー
>比べるのもバカらしい。
まともに考えもせずにそれで終わりか。 こういう権威に弱くて
思考硬直がこの人の特徴だね。
井口校長時代の谷”学生”への影響力がどこまであったかなんて
実際は分かりはしないけどな。
ただ、長岡外史という人物はかなり社交的というか対外的には気をつかう
人物であったので、陸軍大学に私的に訪問していたのは間違いないと思う。
その延長線上にて その時代に谷”学生”と交友関係を持ちえた可能性はある。
実際 長岡外史は部下の家にも遠慮なく訪問してたからね。
しかしあくまでも可能性であり、根拠を知りたかったんだけどね。
何も調べずに権威だけで物事を信じる愚か者にはなりたくないなぁ。
運送種
>何も調べずに権威だけで物事を信じる愚か者にはなりたくないなぁ。
てか疑問に思うなら自分で調べたらいいじゃん?
他力本願なみそっかすにだけはなりたくないなぁと痛切に思う。
675 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 21:38:34.94 ID:???
>親しかったから、ってのもなんか弱いとは思うが、
682 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 14:21:05.23 ID:???
>てか疑問に思うなら自分で調べたらいいじゃん?
>他力本願なみそっかすにだけはなりたくないなぁと痛切に思う。
思ってるのに調べないで、自力で確認せずに権威だけで物事を信じる
愚か者で、さらにご自分が他力本願なのに上記のような事を述べる
性質なんですね。
よーくわかりました。
当時の日本の経済は右肩上がりだし、日本が満洲、朝鮮半島、済州島から撤退すれば、
ロシアとの開戦を遅らせる事が出来たから、
十十艦隊は実現できたはず。
>>683 軍事史学会副会長という肩書きが全く影響ないかと言われればそりゃあるけども。
原剛さんの過去の著作など、いうなれば過去の実績の方が大きいんだよ。
ああこの人の書いてる事なら信用していいかな、とね。
で、実績の点で、軍事史学会副会長原剛と、ここで管巻いてるみそっかすと、
比べ物になると思うかい?アホらし。
>思ってるのに調べないで
疑問に思うなら自分で調べたら?
俺?俺は原氏の書いてる事には一応の信頼を置いてるんでね。
>>679 1910年以降まで日露戦争を遅らせれば、十分に揃うでしょう。
ただ、その時期になると日露戦争を戦う意味が無くなるかもね。
ウソつきな上に日本語もマトモに使えないチャンコロのみそっかすが、
原さんの見解に噛み付きますか。
バカくせー
>>677 それいうなら、8月時点でもう一個師団と各砲宛1000発ずつの砲弾があれば、
第一回総攻撃で旅順は落とせた…かもしれない。
そもそも、露西亜が日本に戦争を仕掛けたり砲艦外交を仕掛けないのであれば、
やる必要の無い戦争だ。
露西亜と戦うなど馬鹿げている。
満洲も朝鮮半島もくれてやればいい。
>>685、
>>687 >「長岡の偏った証言を谷が採用したのは、陸大校長の井口が長岡と親しかったから」
井口省吾が陸軍大学の学長をやっていた期間は1906年から1912年
谷寿夫が陸軍大学の教官をやっていた期間が1919年から1927年
井口省吾 少将(1906年2月6日 -)
大井成元 少将(1912年11月27日 -)
由比光衛 中将(1914年5月11日 -)
河合操 少将(1915年1月25日 -)
浄法寺五郎 中将(1917年8月6日 -)
宇垣一成 少将(1919年4月1日 -)
これだけ学長だけでも代わっているし、さらに 井口と谷との接点を
しっかり説明しないとね
陸大の問題点
かつての長州優位時代の反動から、
反長州を掲げる高級将校が力を持ち始めた大正後期以降しばらくの間、
山口県出身者の入学が排除された時期もあった。
(谷寿夫が陸軍大学の教官をやっていた期間が1919年から1927年)
まさに機密日露戦史はその時代に書かれたもの。
それが長州閥を優遇した井口と 反長州時代の谷教官の時代に
書かれた機密日露戦史の矛盾をちゃんと説明しないと納得できないっすよー。
あと
>>553 は
>>662のように突っ込まれた ”ウソ” を吐いているし、
>>667のようにさらっと 息を吐くように”ウソ”を吐いている。
そして権威が有る人が述べたから!!っで逃げて自説を確立しないという輩ってさ
どーしよーもない人物だよね。
>>684 >当時の日本の経済は右肩上がりだし、日本が満洲、朝鮮半島、済州島から撤退すれば、
>ロシアとの開戦を遅らせる事が出来たから、
そんな強力な独裁力を発揮できる政治家は残念ながら 当時の日本にはいないな。
三国干渉によって富国強兵をしつつ、 公務員の給料を返上してやっと三笠を買った
日本に十十艦隊なんてできないだろうね。
さらに1906年にはドレットノートが進水しているし それによる軍備の一新を図れるほど
日本の国力はない。
満州はもともとロシア、朝鮮は保護国として日本が管理しているけどね。
朝鮮半島から撤退したら金を借りる担保もなくなるし、どうしよもない。
>>686 1910年までロシアとの戦争が遅れればシベリア鉄道の完成によってウラジオストック、旅順がもっと
強化されてるので もうロシアの言いなりにならざるを得ないだろうね。そうなったら
各国との不平等条約も解消されにくい状況だし それで富国強兵が成しえるのか疑問ですね。
1904年に開戦になったのはシベリア鉄道、極東ロシア軍の増強がキーワードになってる。
そもそも、下関条約で遼東半島を要求したのが大きな間違い。
南方進出の足がかりの確保と日本が支配する海洋の拡大を目指し、
海南島と広州南部を要求するべきだった。
>>690 日露戦争によって大勢の日本人が死亡し、米英ユダヤに借りた金で第一次世界大戦まで借金地獄に苦しみ、
国内のインフラ整備と経済発展が遅れたじゃん。
日本海海戦について質問。
日本海海戦は、その戦いが必然のように考えられているけども、本当に日本にとって必然の戦いだったのか疑問。
旅順の艦隊と違って、バロチック艦隊はその戦力を撃退する必要はなかったのでないかと思えてならない。
日本のとって、ロシア艦隊の合同こそが最悪の事態であったけども、旅順艦隊の殲滅に成功した以上は、その危険を排除出来たことになる。
バロチック艦隊が回航してきたところで、連合艦隊とは良くても実力伯仲。
しかも、ロシアのとってまともな拠点は旅順を失ってウラジオストクしかなかった。
日本の連合艦隊はバロチック艦隊を見過ごしてウラジオストクに追い込めるという選択肢もあり得なかったのか?
史実で勝てた海戦だけども、もし負けていれば、戦力の残存の如何によってはロシアに制海権を奪われた可能性だって考えられる。
その危険を犯すよりも、ウラジオストクを海上で閉塞するということもあり得たんじゃないのか?
695 :
名無し三等兵:2012/06/28(木) 13:50:13.96 ID:LT7VU6cb
井口については、後世の研究者に問題があったのが不幸だった。
後継者は出ないのか・・・
>>693 それではロシアは負けを認めないだろう。
ロシアに早期に停戦交渉を受け入れさすには希望を粉砕するしかない訳で
それにはバロチック艦隊を撃破するしかない。
バロチック艦隊???
普通表記はバルチックだろ
693と696は寂しい一人芝居か?
698 :
名無し三等兵:2012/06/28(木) 15:48:58.08 ID:KWSdwJ8A
エロチック艦隊
グウチック艦隊
バロック艦隊 ロココ艦隊
いいな 響きが素敵。
ファンタスティック艦隊
プログレッシブ艦隊:コアなファンが多い
wikiを見る限り、長岡や井口は、第一線部隊指揮官としての実戦経験が無いんだね。
それが現地軍の作戦への、無責任な横槍を助長したのかもしれない
706 :
名無し三等兵:2012/06/29(金) 01:12:37.69 ID:fIsGFxX+
やっぱり日本軍はかっこいい
>>705 津野田是重もそうだな。無責任な横槍を実際行ったし。
昨年の長南氏の
井口研究のちょっと情けない頓挫に比べると、
昨年の長南氏の伊地知研究は素晴らしかった。
あの人は松川についての研究もしている。井口研究もしてくんないかな。
伊地知の開戦前後の活躍というか暗躍というか、これが従来から広く
知られていれば、伊地知受爵への否定意見など出なかったかもしれない。
このような活動はそもそも早くに表に出てはいけないわけで、その意味で
明石活動よりも大成功だったわけだ。
伊地知が生前から受爵についてあれこれ言われていたかは知らないが、
多少の批判はあったろう。(児玉が生前、旅順は本当は児玉閣下が落とした
というではないか、と話す軍人の後ろから声をかけたというエピがある。
裏を返せば第三軍への批判なわけで。)
秘密の活動について語らず、墓場まで持っていった伊地知の態度、そして、
語りはしないが書き残しておいたという点、素晴らしいと思う。
>>707 津野田なんかした?
何れにしても、参謀本部次長と満州軍総司令部参謀の立場にある者が
それではいかんだろうという話に絡めるとはまあナンセンスな。
>>707 ”奉天会戦の際、彼が出向した第一師団で大々的な潰乱が起こるのだが、
まごまごしている機関砲(銃)担当の指揮官に代わって自ら軍刀を抜いて指揮し、
前線ロシア軍を退却させたという話がある。 参謀に指揮権はなく、
彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの先駆けになったといわれ、非難される”
津野田は参謀でありながら、指揮を取ってしまった。
無責任な横槍を実際行っているでしょ。
こういう風潮が第一線部隊を指揮してない参謀にあったと言えるでしょうね。
ってことだが?
それとも満州軍のみに拘る理由はなにかい?第3軍を批判すると
君にとっては何か問題あるの?
>>712 なるほど。しかしそれは止むを得ない事態というものではないか?
後方の司令部参謀の問題を論じていたのに、
混乱の第一線でのとっさの指揮に及んだ参謀の問題を混ぜ返すとは、
やはりセンスの欠落があるとしか言いようがない。
>>713 止むを得ない訳ないだろ。指揮官を支えるのが参謀の役目だ。
あくまでも指揮官から命令させるべき事態。無責任にもほどがある。
それを止むを得ないって何を言ってんだ?
>後方の司令部参謀の問題
違うな、当時の日本軍全体に言えることだよ。
さらに井口、長岡は組織の順序をまだ保ってる。
>>712 >満州軍のみに拘る理由はなにかい?
長岡は満州軍でないが?
元の話題が長岡、井口という将軍レベルの話なのに、なんで尉官レベルをもって来たのか
逆にこっちが聞きたいところだ。
満州軍総司令部指揮下の第三軍に、頭越しに
>>714 止むを得ないでしょ。
職権に拘泥して死地を逃れる機会を逸しなかったのは良しとすべし。
杓子定規で死んでもよし、とでも言うのかい。
満州軍総司令部指揮下の第三軍に、頭越しに口出ししていた事は不問ですか。
そもそもね。
>それが現地軍の作戦への、無責任な横槍を助長したのかもしれない
ちゃんと読んでる?
>現地軍の作戦への
機関銃隊の咄嗟の指揮は、作戦レベルの話なのか?
718 :
鮭:2012/06/29(金) 23:07:17.52 ID:???
http://tatoeba2.seesaa.net/article/ 【100年前の誓いの金貨】
1904年(明治37年)2月8日。日露戦争ははじまりました。
この戦争では、日本側がロシアの捕虜に人道的かつ寛大な対応をしたことで
知られています。
ロシア兵の捕虜収容施設は日本各地に作られましたが、中でも、
一番最初に作られた愛媛県松山市の俘虜収容所は有名です。
ここでは捕虜の外出は自由。温泉に入ることも可能で、既婚の将校はロシアから
妻を呼び寄せて一般家屋に住むことまで許され、市民との交流も盛んでした。
『捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して破れた心情をくみとって、
一時の敵愾心にかられて侮辱を与えるような行為はつつしめ』
これは当時の愛媛県が県民にあてた布告の一節。
気候は温暖。人の心も優しい松山は、捕虜にとって楽園のような場所だったのです。
この話は、母国から前線の兵士にも伝わり、降伏・投降する際には
「マツヤマ、マツヤマ」と日本軍に叫ぶロシア軍兵士が続出したといいます。
日本赤十字社もロシア人負傷兵の救済に尽力。
病院に収容されていたロシアの負傷兵の多くは、献身的な日本人看護婦に
恋心を抱いたとか。
719 :
鮭:2012/06/29(金) 23:08:29.69 ID:???
そして、2010年の松山市。
松山城の二の丸にある防火用水を兼ねた古井戸より、表面にロシア語とカタカナが
刻まれたコインが見つかりました。1899年製造のロシアの10ルーブル金貨です。
ロシア語は、人名で「M・コスチェンコ」。
カタカナは「コステンコ・ミハイル」、それに「タチバナカ」と読めます。
調べてみると「コスチェンコ氏」は、当時24歳のロシアの歩兵少尉の名前。
では、「タチバナカ」も名前でしょうか?
「カ」の字を漢字の「ちから」と考えた場合、「橘 力」あるいは「立花 力」。
日本人の男性名です。
そのため、当初、このコインは、「日本人男性と将校との友情の証ではないか」との
推測がなされていました。
私が計算してみたのですが、当時の10ルーブル金貨の価値は、現在の
日本円で25万から30万円程度になるようです。
それなりの覚悟がないと、井戸に投げ込める額ではありませんよね。
資料が調べられましたが、当時の捕虜収容所の関係者に該当しそうな人物は
見つかりません。その後、「チ」と思われていた文字が、「ケ」ではないかとの
指摘がありました。
そうなると刻まれていたカタカナは「タケバ ナカ」です。
その名で探してみると、該当者が見つかりました。
当時の日本赤十字社の看護婦で、捕虜収容所に勤務していた「竹場ナカ」さんです。
さらに、1904年の海南新聞に二人が恋愛関係であったことや、
その後、別れざるを得なくなったことをうかがわせる記述が見つかったのだそうです。
720 :
鮭:2012/06/29(金) 23:09:42.64 ID:???
ルメイやルーズベルトが捕虜になったら激昂した市民に撲殺されるかもね
>>715-717 705 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 22:24:41.90 ID:???
wikiを見る限り、長岡や井口は、第一線部隊指揮官としての実戦経験が無いんだね。
それが現地軍の作戦への、無責任な横槍を助長したのかもしれない
・第一線部隊指揮官としての実戦経験がない人物(これも誤謬があるけどね)が、
”自分の責務” を超えて 無責任な横槍を”助長”した話だろ?
その例で 一番最悪な津野田を出したまで。
津野田が止むを得なくて、井口、長岡にこだわる理由ってのは、
君の”ツマラナイ”ミスリードが リードできなくなったからだろw
>>716 >>713 >止むを得ないでしょ。
って言ってるのはもう組織員としては論外。児玉がなぜ旅順行きのときに
手札を取ったとか、乃木と神妙な打ち合わせをしたとか、の意味がわかってない。
ああ キミの脳内ではなかったことだから問題ないんだよね。
一般的な当時の常識と乖離しているから ズレた結論になるんだろうね。
そして
>>717の都合の悪いところは全く無視してご満悦なのですね。
だからみそっかすなんだよ。
えええ?津野田が最悪って何なのよ
奉天会戦で第三軍が左翼で頑張ったが延伸しすぎて
部分潰走もあったのよ
参謀の輔弼で司令官が攻撃を命じ続けている作戦で
機関砲のひとつやふたつが機能を停止したのをみた、
視察中に参謀が再発砲を戦闘中、再発砲を命じると
軍法に違反するの?
最前線に偶々居合わせた大尉参謀が、咄嗟の指揮をしたことと、
後方の司令部に在る少将参謀が、前線の作戦が自分の意図に合わないと横槍を入れるのを
並べたてるナンセンス。
更に大尉参謀の方が最悪とかセンスどうこうでなくもう非常識のレベル。
みそっかすは第三軍司令部に何か怨みでもあるのかね
「何としても貶めてやりたい」的な、すんごい負のオーラを感じるんだけど
津野田の失敗と云えば白襷隊だよね
ただそれも、弁護の余地は色々あると思うが
数日間 放置プレイでよくわかるな。なんか がんばってるねご苦労さん。l
>>724 >視察中に参謀が再発砲を戦闘中、再発砲を命じると
>軍法に違反するの?
違反する もちろんこんなのは当時の日本の軍事組織では常識。
>>725 >最前線に偶々居合わせた大尉参謀が、咄嗟の指揮をしたことと、
>後方の司令部に在る少将参謀が、前線の作戦が自分の意図に合わないと横槍を入れるのを
>並べたてるナンセンス。
>更に大尉参謀の方が最悪とかセンスどうこうでなくもう非常識のレベル。
軍法会議に類すること、と後方ではなく、上層司令部が前線の作戦に
指導をするのは 確かに並べるのはよくない。上層部が前線の指導に口を
出すのが ダメで 軍法会議に類する違反は 当然と考える人は
もう 頭が狂ってるとしか言いいようがない。
こういう なんも判ってない人が何かを擁護するんだって
よく解るレスだね。
>>726 君の第3軍への被害妄想 どうにかしてくれんかね。
おれは日本軍全体の問題じゃない?って
>>714で言ってるのに
なぜか、満州軍、上層司令部に拘って 津野田のやったことは
許されることと言い張る バカ(近視) がいてるんだけどね。
君もそのバカの一員なのか? 類はともを呼ぶとはいえ、
愚かだねぇ・・・。
>”奉天会戦の際、彼が出向した第一師団で大々的な潰乱が起こるのだが、
>まごまごしている機関砲(銃)担当の指揮官に代わって自ら軍刀を抜いて指揮し、
>前線ロシア軍を退却させたという話がある。 参謀に指揮権はなく、
>彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの先駆けになったといわれ、非難される”
このソースを確認しないことには話が進まないな。
なんか、緊急避難という言葉を知らない馬鹿が一匹わいているな。
本当の緊急時に独断専行できない軍人は、ものの役に立たんよ。
みそっかすのバカに何を言っても無駄
>>732 「津野田是重」でググったら1ページ目にあったから、そのまんまコピペしたんじゃね?
つくづく安直な奴
これでは、そのサイト作成者の意見なのか、参考資料からの引用なのかも
検証出来ませんね。
>>729 ソースってこんなん日露戦争の奉天戦では常識だろw?
坂之上ドラマですら描写されてたのに何をいってんだお前はw。
>>730>独断専行できない軍人
指揮系統がしっかりしてて、責任が負える人物が独断専攻することと
部外者が無責任に独断専行するのが 一緒なのかよw お前の頭の中ではw
>>731 儲に何を言ってもホントに無駄だよね。 でも軍法違反をしっかり
述べても 真っ向から否定するその姿勢 もう バカだよねーw
津野田の悪行を全力で否定するその姿勢w
>>732-734 それで?テイシャの語源になったことも書いてある位でしょ。
坂之上に書いてあったことは除外しても 信じるに事足るんだが
あれだよね。ミスリードできなくなって吼えまくっても説得力皆無っすな。
こいつらってさ、大津市の自殺事件で、いじめた方の母親の意見とそっくりの
キチガイ振りにワロタw 検証したら、どうしようもないのがわかるから、
したくないんだろうけど。。そういうキチガイッ振りは最低だなーw
ソース希望したらそんなの常識だと。なんという斜め上。
お前はちびまる子ちゃんか。
>彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの先駆けになったといわれ、非難される
この説明は、どこがソースなのかってことなんですが。
サイト作成者?引用元資料?わからない?
>>736 >ソース希望したらそんなの常識だと。なんという斜め上。
だから出てるだろ? その程度を信じるも信じないもそりゃチミの自由さ。
ここのスレで、全部の妄言に根拠書いてあるのか?
批判、否定するならば、ソースを持ってしないと 何の説得力もなし。
それで 君は何がしたいの?
津野田の悪行は当然許せるものって言うなら、 君自身が
”根拠” をもって そんなネット程度の情報を一蹴したらいいだろ?
それで
>彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの先駆けになったといわれ、非難される
ここを部分引用して何かリードしようとしているのが見え見えなんだけどね。
是以前に彼ないし彼以外で参謀たちの勝手な振る舞いを出してきたら
先駆けという点は否定できるけど、 そんな意味不明なことをしたいの?
とある権力によって日本陸軍の組織的問題が出てきたらまぁそこそこ
勉強したかなって言えるけど・・まぁ検証云々とか検討違いなこと
言ってる時点で だめだめね。
>>736はね、多分こういう事をしたいんだ。こういうのを検証という。
@>”奉天会戦の際、彼が出向した第一師団で大々的な潰乱が起こるのだが、
A>まごまごしている機関砲(銃)担当の指揮官に代わって自ら軍刀を抜いて指揮し、
B>前線ロシア軍を退却させたという話がある。 参謀に指揮権はなく、
C>彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの先駆けになったといわれ、非難される”
736:このCの説明は、どこがソースなのかってことなんですが。
ケースT ソースが出ない→ ソースもない資料だし●●だから@からBは信用しない!
ケースU ソースが出る → 沈黙→別の揚げ足を取って@からBは信用しない
いずれにせよ信用しないので意味無し。第3軍関係の批判意見は
脊髄反射でヒクヒク信用しなくて 脳内妄想史でホルホルするのは
韓国捏造史と 韓国人と一緒。
津野田の行動を非難されるという主張の、根本ソースを希望しているだけですが?
2012年発行の学研の「日露戦争兵器・人物事典」では津野田のこの行動について
何も言及していない。
この行動が、それ程の重大事ならば、それ相応の言及があって然るべきと思うのだが。
この書籍の人物紹介ページを通して読むと、結構細かいところまで書いているので、
なおさら気になる。
なので改めて聞くわけだが、
>彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの先駆けになったといわれ、非難される
という説明というか評価のソースは何か?
適当にググりました、ってんでもいいんだよ。そこ聞きたいだけだから。
>>739 >津野田の行動を非難されるという主張の、根本ソースを希望しているだけですが?
君にとっては 津野田の行動が非難されなくて、当然なんでしょ?
君は軍参謀部員が指揮官を補佐するのみならず、下級の指揮権を取るのが
当然なわけだ。(ここには自称他人の人が皆この意見に賛同しているw)
そのソースを出してくれよ。 批判するんだったらその位出してもらわないと
ね。がんばって 参謀本部条例のこの項目に 戦時においては参謀は指揮を
取ってよいというような法律を出してきなよw
まさか、そんな法律すら見ずに 脊髄反射で批判しているんだったら
救いようがないわ。
当然とは?
その状況を考えて、止むを得ないとは言ったけど?
正直、あたま大丈夫ですか?
>>740 ググリました?w?w
あのさ、旧日本軍の参謀部員がどんな役目を担っているか
もちろん 調べた上で 津野田の行為が問題ないって言ってんだろうな?
参謀本部条例に ある状況のときに参謀部員が指揮を取っていいという
条例があるなら 早くだしてこいよ。
もしあったとしたら、そりゃ大発見だわ。がんばってくれたまえ。
そういうのを見ずに話をしてるのだったら マジ ある意見に対して
状況を調べもせずに 脊髄反射で否定する バカ確定だね。
しかし、おなじ事を 自称他人が何回も聞くなんて異常なレスだな・・。
ここ軍板だろ?やれやれだぁね。
>>742>その状況を考えて、止むを得ないとは言ったけど?
>>716 >止むを得ないでしょ。
>職権に拘泥して死地を逃れる機会を逸しなかったのは良しとすべし。
>杓子定規で死んでもよし、とでも言うのかい。
ああ、杓子定規にシンテモなんて仮定を述べてるひとか。
君は軍参謀部員が指揮官を補佐するのみならず、下級の指揮権を取るのが
当然なわけだ。(ここには自称他人の人が皆この意見に賛同しているw)
そのソースを出してくれよ。 批判するんだったらその位出してもらわないと
ね。
がんばって参謀本部条例のこの項目に
“戦時においては参謀は指揮を取ってよい”
というような法律を出してきなよw
まさか、そんな法律すら見ずに 脊髄反射で批判しているんだったら
救いようがないわ。
つか救いようがないわ。
まじで救えないというか・・だめだめね。
>>716 >止むを得ないでしょ。
>職権に拘泥して死地を逃れる機会を逸しなかったのは良しとすべし。
>杓子定規で死んでもよし、とでも言うのかい。
止むを得ない事態で死地を逃れる機会を逸しなかったという事だが・・
だからと言って、軍紀違反を免れるわけには行かないんだが。
反論にもなってないのになぜ ここまで 拘泥するんだろうね。
頭が可笑しいって言ってても、常識とか色々欠けてるんだろうね。
まぁ乃木儲はどこか狂ってるもんだから仕方ないけどな。
なにこのひと?
どうしてこんなに攻撃的になれるのか不思議だ。
たまたまの憂さ晴らしのようにも思えない。
素でこんななんだろうな。
なんかしらんが、暴れているカスの論理に従うと、目の前に敵が迫っていて
かつ味方の兵が壊走しかけているという事態を目の当たりにしても、参謀た
るものは一切口を出さず、後方の指揮官のところに走ってだか伝令を走らせ
てだかして、「大変です。命令を出してください」とやるのが正しい決断だと
いうことになるわけだ。
実に木端役人的な妄想だね。
ところで、このカスは
> 参謀本部条例のこの項目
としきりに書いているが、「どの」項目なのか一度も書いていないんだよな。
そもそも参謀本部条例のどこに、「参謀が指揮をとってはならない」と書いて
あるのかな。
まあ、こんな臨機応変であっても認めずにキーッとなる人の下には居たくない。
あ、上にも居たくないな。
本当にこのような臨機応変すら認めていなかったのだろうか。
役所って、杓子定規に見えるけど、なかなか融通性もあるものだ。
>>747 >彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの先駆けになったといわれ、非難される”
>>736はこれのみを 抽出して ミスリードを行っていますが、
実際その前の文言に ” 参謀に指揮権はなく、 ” を抜かして捏造するのが
736という人物 なんだよw。
>>748 そうだよね。津野田の行動が軍法に違反しているのに 何の根拠もなく
批判して攻撃しているんだもの。 ああ そういう風にあなたも誰かを攻撃
しているのが理解できてないかな?其の発言はすべて貴方に当てはまるので
自重された方がいいですよ。
>>749-750 司令部付けで軍への報告書を書いているときの敵襲でね、
キミは飯田師団長が退却を下令しているときに、師団長を補佐すべき参謀が
指揮官を補佐せずに 勝手に飛び出して指揮をするのが 許されることだと?
星野大佐のように砲兵指揮官を叱咤するならともかく、
”僥倖にも予の命令に従った”なんて回想録に書かざるを得ないような
行為を行ったのは誰かね。そして 本人が僥倖にもと自覚しているのに
ここの連中は 大津市のいじめた方の母親並みに 愚かな連中だわな。
止むを得ない、と何時も書いている。
師団長を補佐するのは師団の参謀であってもよいわけで。
臨機応変に危機に対応した軍参謀の行動は、止むを得ないというべき。
前線で生死の選択に直面している兵士は、そりゃ的を射た指示に従いますわな。
まして本来の指揮官が茫然自失としていたのなら。
これまさしく僥倖ですね。上もよし、下もよし。
>>752 >止むを得ない、と何時も書いている。
だから お前の勝手な恣意的な思い込み(妄想)なんてどうでもいいんだって。
>前線で生死の選択に直面している兵士は、そりゃ的を射た指示に従いますわな。
えっと飯田師団長の 退却の下令の方が、はるかに前線で生死の選択に
直面している兵士にとっては的を得た指示になっていますが?
もう むちゃくちゃキミの妄想のために捏造しまくりだね。 頭おかしいわ。
韓国人の妄想捏造史のようにどんどんある目的のためにこういう風に脳内
変化して ホルホルするんだね。
まともに検証できない人かw
状況はこうな。
師団司令部付けで軍への報告書を書いているときの敵襲でね、
キミは飯田師団長が退却を下令しているときに、師団長を補佐すべき参謀が
指揮官を補佐せずに 勝手に飛び出して指揮をするのが 許されることだと?
星野大佐のように砲兵指揮官を叱咤するならともかく・・・
”僥倖にも予の命令に従った”なんて回想録に書かざるを得ないような
行為を行ったのは誰かね。そして 本人が僥倖にもと自覚しているってこった。
普通は機関銃指揮官を叱咤して、さらに飯田師団長をまず補佐すべきだけど
そういうのは ぜんぜんわかってないんだな。
>>751 「非難されている」と、他人が非難しているような書き方をする以上、
「誰が」非難しているのかを根拠付きで示せ、と要求されるのは
普通の事だが。その程度の日本語も読み取る能力がないのかな?
で、繰り返しだが、日本語で
> > 参謀本部条例のこの項目
と書くときには、同じ文の中で具体的に「この項目」を挙げていなくちゃ
いけないんだが、どこに書いてあるんだね?
>>753 全体に対しての退却命令と、目の前に来た敵兵を撃退するための
行動は全く矛盾しないんだが。
つーか、「機関銃(当時は「砲」かもしれんが)で薙げるほど接近した
敵部隊」を放置して逃げ出そうとしたらどうなるか、想像すらできん
のか?
なぜ退却が難しいのかとか、なぜ退却時に大損害を被る事例が多い
のかとか、ほんの少しでも考えれば理解できるはずだけどな。
まあ、日本語も脳みそも不自由な
>>753に理解する能力があるとは
思わんけど。
>>754 >非難されている根拠
誰かが敢えて抜かして抽出した語句、”指揮権のない一参謀”が 部隊を指揮するのは
非難されるべき行為だ。 それが判ってなく軍組織を理解してないんだったら 話すな バカw
僥倖にもと 津野田自身が書いてあるとおり、津野田があの時点で命令を下す
権限はない。 それとも参謀が指揮できるというならば、貴方が根拠をもって
示すべきだろ。 参謀本部条例とか しっかり見ればと書いているが、
まったく理解していないようだ。 ”おバカには” 難しいし、認めないからどうしようも
ないけどな。
>>755 >全体に対しての退却命令と、目の前に来た敵兵を撃退するための
>行動は全く矛盾しないんだが。
一から説明しないと 判らないオバカさんだろうけどな。昨今の例だとな。
尖閣諸島の海上保安庁のビデオ流出な。
あれは公開する権限のない人物が ”勝手”に流出させたわけだ。
結果的に 外交的にも国内的にも いい判断であるし 皆が望んでたわけだが、
機密を保持すべき公務員なので”規律違反”な。しっかりと処罰されただろ。
だからキミが いくら 止むを得ない、とか書いても、それは
君自身の思い込みであって 何の説得力もない。
だから 早く 一参謀が 指揮権を駆使できる法律とか出してこいよ。
出せないのに ワーワー喚いても、 負け犬が吼えるよりも見苦しい。
>>756 「誰が非難しているんだ」と聞かれているのが理解できないのか。
まあ、本当は提示できないから逃げているんだろうが。
で、「参謀本部条例」のどこにお前が主張するようなことが書いて
あるんだ?示せるなら示してみろ。嘘つきが。
で、目の前に来ている敵を放置するかどうかということと、尖閣の
ビデオ垂れ流しを、どういう感覚をしていたら混同できるんだ?
機関銃で薙げるというのは、文字通りの意味で「目の前に敵部隊が
いる」という状態なんだが、お前の肩の上に載っている腐ったトマト
じゃ、理解できないのか。
お前は、まさに襲撃している敵を目の前にしても、「師団長閣下、
早く判子をください」と嘆願して、自分も自軍も全滅させそうだな。
で、
> 君自身の思い込みであって 何の説得力もない。
ここまで書くなら、津野田参謀の行動が「軍法会議」か「公式の譴責」
という形で処罰されたということを提示できるはずだな。
「参謀本部条例」に「参謀が指揮権を行使できないと書いてある」と
でも言わんばかりの勢いだが、読んでもいないくせにどうやったら
ここまでかけるんだろうね。
>>756 > 参謀本部条例とか しっかり見ればと書いているが、
参謀本部条例の何条に書いてあるのか、きちんと提示しろよ。
ごたくも言い訳もいらんから。
なんというかね。
この時に、作戦要務令や操典類の綱領にある「独断専行」を
しなければいつするんだ、というような状況だと理解できない
のかな。一般に言う「緊急避難」の最たるものだと思うが。
> 誰かが敢えて抜かして抽出した語句、”指揮権のない一参謀”が 部隊を指揮するのは
> 非難されるべき行為だ。 それが判ってなく軍組織を理解してないんだったら 話すな バカw
ようするに、「ぼくちゃんは『非難されるべきだ』と思い込んでマース」
という以上の根拠は全く存在しないわけだね。ばかばかしい。
あそこまで自信たっぷりに書いているんだから、「公式に非難された」
「譴責、処罰された」という証拠を出してくれるのかと期待したんだが。
たしかに、津野田の自省の弁は語られているが、公式また非公式であれ
当時それが批判されたというのは、あるのだろうか。
>>757-758 あのな、 参謀ってな ようはアドバイザー程度なんだよ。そいつが勝手に
指揮を執るのが ダメ なんだけど? わかってないんだよね。
指揮官と参謀はあくまでも責任と役割が別れている。
キミが どれだけ 正当だ! 仕方ないだろ! やむをない!とか言っても
単なる言い訳。
もし共通理解を得たいならば、 その批判の根拠を示さなくちゃならないけど
まったく出てきません。 挙句に なんか悲しい 文句ばかりじゃ・・
はやく 参謀が指揮をとってもよいとか出してこいよw ばか者w
星野大佐(第一師団参謀)のように 指揮官を叱咤して対処するべきであって
指揮をとるのは もってのほか。
>>760 バカがまた 同じ時間帯に 出てきたよ。
>この時に、作戦要務令や操典類の綱領にある「独断専行」を
>しなければいつするんだ、というような状況だと理解できない
>のかな。一般に言う「緊急避難」の最たるものだと思うが。
戦術の一般原則 作戦要務令 (私のは大橋武夫解説分な)
" 指揮官 ”は作戦を指導するにあたっては必勝の信念を持つことが重要であり、
部隊の軍紀を維持増進し、また不測の事態に直面すれば任務を踏まえた上での
”独断専行”を行わなければならない。
昭和13年にできた作戦要務令を出す神経もどうかとは思うが・・。
指揮官と参謀の違いを理解してないんだろうね。
参謀が独断専行で 指揮をするなんて どこに書いてあるんだよ
>>760 お前は非難しないんだったら ちゃんと非難しない理由を述べたらいいだろうw
参謀が指揮を執るのは 構わないという 文面を拾い出してきて あの行動は
軍人としては正当なる行動だと 示せばいいだけ。
3分程度 置きにレスを書いてると 同一人物しか思えないよw−
もっと 文面も変えて考え方も変えないと。
まさしく 思い込みのためにはなんでもする キチガイだな。
わーわー喚くだけ。
>>761 津野田は旅順攻略時、参謀同士の議論に口をはさんだ乃木に対して 閣下は黙ってください
と言い切って 参謀長から注意どころではない叱られ方をして軍機違反として国内に送り返されそう
になってる。これは乃木によって諭されてるが、こういう部下の管理に対しては乃木も問題あるね。
伊地知も秩序を保つのに苦労したんだろうか。
さらに津野田はステッセルを召使として ステッセル婦人を下女として扱ったり、尊大な感じがしますね。
しかしさ、ぜんぜん調べもせずに 自分の気に入らない意見に対しては
即効で根拠もなく妄想で批判する 輩の 多いこと 多いことw
バカばっかしだな このスレは。
> バカばっかしだな このスレは。
> しかしさ、ぜんぜん調べもせずに 自分の気に入らない意見に対しては
> 即効で根拠もなく妄想で批判する 輩の 多いこと 多いことw
「参謀本部条例にある」という嘘を平然と垂れ流しておきながら、
訂正もせずにひたすら駄弁を垂れ流してごまかそうとするゴミクズ
が一匹暴れているだけだよ。
>>766 >>741 >参謀本部条例のこの項目に 戦時においては参謀は指揮を
>取ってよいというような法律を出してきなよw
と書いたのが
「参謀本部条例にある」 という嘘を平然と垂れ流しておきながら、
訂正もせずにひたすら駄弁を垂れ流してごまかそうとするゴミクズ
なんて脳内変化しないと やっていけない 気持ちは理解するが、
傍から見たら・・キミの バカさ加減を 冗長するようなもんだから
やめておきな。
どーしようもない 人なんだから。お前は。
>>764 > あの行動は
> 軍人としては正当なる行動だと 示せばいいだけ。
公的な処罰はなにもなされていないんだろ?
当時の軍があの行動を「正当なる行動」、少なくとも懲戒や譴責に当たら
ない行動であったと追認しているんだから、問題はないな。
当時の軍が「津野田の行動は参謀として許されざることである」というように
せず追認したから、
> 参謀に指揮権はなく、彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの
> 先駆けになったといわれ、非難される
という話が後代の評論家から出てきたという流れなんだけどね。
公式の懲戒、禁止がなされていたら、そもそも
>のちの参謀達の勝手振る舞い
が生じる余地がない。
後、「参謀本部条例」の件に関しては、お前さんの稚拙なトラップに引っかか
ったようだな。確かに、「禁止されていると書いてある」という書き方はしてい
ないな。「参謀本部条例」には、当然ながら参謀の権限だなんだといった下っ
端向けの規定そのものが存在しない。
>>768 ホントに バカだね。きみはトラップ?w
自分のミスを相手の責任転嫁するなんてな。 そういう性格なんだろw
そういう バカ な連中が 乃木を詣でるなんてしてほしくないだろうし、
迷惑だろうね。
>> 参謀に指揮権はなく、彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの
>> 先駆けになったといわれ、非難される
>という話が後代の評論家から出てきたという流れなんだけどね。
>公式の懲戒、禁止がなされていたら、そもそも
>>のちの参謀達の勝手振る舞い
>が生じる余地がない。
公式の懲戒、禁止がなされて ” ない” から のちの参謀たちの勝手な振る舞い
が生じたんだろうが。
なされてたら、派遣参謀のあるべき姿としていい反面教師になったろうよw
たまたま、本人の回想録で記載されたからわかっただけで、この話のきっけたる
井口、長岡同様 当時の日本陸軍にあった忌むべき風潮だと俺は思うけどね。
ああw 井口、長岡批判じゃないと受け付けないってかw わはは。
バカばっかだw ワハハ
>>769 > 公式の懲戒、禁止がなされて ” ない” から のちの参謀たちの勝手な振る舞い
> が生じたんだろうが。
>
> なされてたら、派遣参謀のあるべき姿としていい反面教師になったろうよw
「公式の懲戒、禁止がなされて」という事で合意が取れたようで良かったよ。
>>770-771 津野田は旅順攻略時、参謀同士の議論に口をはさんだ乃木に対して 閣下は黙ってください
と言い切って 参謀長から注意どころではない叱られ方をして軍機違反として国内に送り返されそう
になってる。これは乃木によって諭されてるが、こういう部下の管理に対しては乃木も問題あるね。
伊地知も秩序を保つのに苦労したんだろうか。
さらに津野田はステッセルを召使として ステッセル婦人を下女として扱ったり、尊大な感じがしますね。
まぁ こういう状態だったから 非公式には何かしらあったのかもしれんけどね。
公式に上記のような軍機違反として国内に送り返されそうになったなんて事例もあるし
もみ消しもありえる話。
狂犬乱舞
774 :
名無し三等兵:2012/07/08(日) 12:48:02.89 ID:0dctjdpc
新宿ウンコ戦争
いやがらせどーぞ
最前線に偶々居合わせた大尉参謀が、咄嗟の指揮をしたことと、
後方の司令部に在る少将参謀が、前線の作戦が自分の意図に合わないと横槍を入れるのを
並べたてるナンセンス。
更に大尉参謀の方が最悪とかセンスどうこうでなくもう非常識のレベル。
これに尽きる。
>>775=725かな
軍法会議に類すること、と” 後方 ” ではなく、
上層司令部が前線の作戦に指導をするのを並べるのは確かによくない。
上層部が前線の指導に口を出すのが ダメで、
軍法会議に類する違反は 当然と考える人は、
もう 頭が狂ってるとしか言いいようがない。
こういう なんも判ってない人が何かを擁護するんだって
よく解るレスだね。
止むを得ない、を当然、と解するのはなんていうのかな。
お気の毒?
そもそも国力に差があるロシアに戦争しかけるのは
正気の沙汰なのですか?(´・ω・‘)
Yahoo!辞書 大辞林 (国語辞書) 止むを得ない
望ましくはないがしかたがない。他にどうすることもできない。
Yahoo!辞書 大辞林 (国語辞書) とうぜん
道理の上から考えて、そうなるのがあたりまえであること。
だれがどう考えても、もっともであること。また、そのさま。
区別出来てない人は、以後改めるように。
>>779 >>775=725かな
軍法会議に類すること、と” 後方 ” ではなく、
上層司令部が前線の作戦に指導をするのを並べるのは確かによくない。
上層部が前線の指導に口を出すのが ダメで、
軍法会議に類する違反は ”止むを得なくて” 当然と考える人は、
もう 頭が狂ってるとしか言いいようがない。
こういう なんも判ってない人が何かを擁護するんだって
よく解るレスだね。
類する(精選版日国)
1. 似る。似かよう。同じ類に属する。同じ仲間になる。
2. ともに行動する。連れ立つ。ともなう。随伴する。
まあ、「類する」は「値する」あたりの間違いだろうけど、
あまりに誤記が多いと意味が読み取れなくなるよ。
>軍法会議に類する違反は ”止むを得なくて” 当然と考える人は、
>”止むを得なくて”当然
日本語としておかしい。
>>779の後で、どうしてその二つの言葉を並べたてる事ができると考えられるのか。
誤字多いねー。
軍機と軍紀、いつまで間違えてるのか。
言われるまで直す必要ないとでも思ってるのか。
というか、明らかに日本人じゃないだろ、このミソッカスのアホは
誤字の多さ、日本語能力の欠如、文章の不自然な区切り
鮮人かチャンコロとしか思えんけどね。恐らく後者だろうが
>>782-785 738 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/06(金) 11:55:40.58 ID:???
>>736はね、多分こういう事をしたいんだ。こういうのを検証という。
@>”奉天会戦の際、彼が出向した第一師団で大々的な潰乱が起こるのだが、
A>まごまごしている機関砲(銃)担当の指揮官に代わって自ら軍刀を抜いて指揮し、
B>前線ロシア軍を退却させたという話がある。 参謀に指揮権はなく、
C>彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの先駆けになったといわれ、非難される”
736:このCの説明は、どこがソースなのかってことなんですが。
ケースT ソースが出ない→ ソースもない資料だし●●だから@からBは信用しない!
ケースU ソースが出る → 沈黙→別の揚げ足を取って@からBは信用しない
いずれにせよ信用しないので意味無し。第3軍関係の批判意見は
脊髄反射でヒクヒク信用しなくて 脳内妄想史でホルホルするのは
韓国捏造史と 韓国人と一緒。
>>787 反応しなけりゃ キミが ” バカ ” なのが知られなくて住むのにね。
何の根拠もなく 否定ばかりじゃ そりゃ ” バカ ”になるわな。
書いている内容が自己脳内完結そのものだから仕方ない。
>多分こういう事をしたいんだ。
>ケースT ソースが出ない→ ソースもない資料だし●●だから@からBは信用しない!
>ケースU ソースが出る → 沈黙→別の揚げ足を取って@からBは信用しない
>いずれにせよ信用しないので意味無し。
脳内完結って楽しいですか?
>>787 >>789 それ 貴方の思考方法なんだけど?
第3軍の批判意見を拒絶して脳内完結しているでしょ?
まぁ 自分を客観視できないのは不幸なこったな。
ま そういう風に何の根拠もなく 否定ばかりじゃ ”バカ”に
なるのも仕方ないけどね。
都合のいい意見を見て ホルホルする韓国人と一緒。
>>790 あなた自身が書いた文章そのままですが?
あなたが「多分こういう事をしたいんだ」なんて奇妙な思考から話を始めているんです。
こんな奇妙な考え方、他人に押し付けないで頂けますか?
>>791 貴方自身がどう考えるかを前もって
>>736で書いたまで。
そして 736の通りに進み、挙句に
>>787 >>789 >>791 と進捗している。
第3軍への批判意見を拒絶して脳内完結している。
>>781-785 >>751辺りでソースが出てくると、
ケースU ソースが出る → 沈黙→別の揚げ足を取って@からBは信用しない
まさしく このケースIIになってるっしょ。
そして、現在は相手を脳内完結と言い張ってる状況。
第3軍を批判すると その意見者をバンバン攻撃するのに その内容を突き詰めると
かなり 根拠薄弱だったりする。独断専攻の根拠が作戦要務令
>>759だったり
しているわけだ。
根本的にここまで軍事組織を理解していない連中が軍事板に居るはずもなく、
バカが 一人でワーワー喚いているだけなんだろうね。
日露戦争のゲームで一番良い出来なのは何かな?
>>792 >まさしく このケースIIになってるっしょ
馬鹿言っちゃいけません。
>@からBは信用しない
どこにそんな発言がありますか?レス番で指摘出来ますか?
>>794 あの発言を信用しているならば 別に反論する必要もないじゃん。
何を言ってんだ? お前が書き込むこと自体が信用してない証左だろうに。
バカか?
>>795 馬鹿言っちゃいけません。私はずっと
>このCの説明は、どこがソースなのかってことなんですが。
という事を聞いているのです。
どなたかがググって一番上のページか?と提示されてましたが、
あなた自身からはまだ何も回答がありませんね。
で、どうなんですか?ググって出たページがソースですか?
それともそのページが参考にしているとしている資料がソースですか?
ソースて散々出しているだろ。
当時の日本軍(ドイツ軍もそうだが)は参謀が指揮を執ってはいけない。
こんなのは常識の範囲。
だからこそ、津野田も”僥倖にも予の命令に従った”なんて回想録に書かざるを得ない
なんてことを書いたの。
それを否定するならば、参謀本部条例など資料でもって
出せって言ってるんだが、一向に出てこない。(出るわけないけどなw)
君が言ってるレベルは
赤信号はなぜわたってはいけないの? ソース求むって程度。
(昔の中国じゃ 赤信号でわたってたけどな。)
そういう ルールを理解せずに何をいってんだ?このバカはって
ことだ。
君は赤信号なんだが、何かの行動のためには臨機応変に対処すべきだとか
例えば中国では赤でも通るからそれは可笑しいとか・・
そういう事を ちょっと難しくしゃべってるだけ。
だから バカって言ってんだよ。
>>797 あなた自身からはまだ一度も、「ここから持って来た」という説明はありません。
なぜソース、出典を気にしているのかと言いますと、
本年学研が刊行した「日露戦争兵器・人物事典」では何も言及してない
のですよ。特記すべきとも思わなかったのかなと思いつつ、ならば
参謀の暴走を主眼を置いた書籍ならばどうだろうかと
「陸軍参謀エリート教育の功罪」(三根生久大)をパラパラ見てみました。
>彼のこの行動はのちの参謀達の勝手振る舞いの先駆けになったといわれ、非難される”
と言われるほどの問題行動であったのならば簡単に見つかると思ってました。
しかし、パラパラ程度では見つからない。熟読しなきゃいかんかなと思いつつ、
いやそもそも、このフレーズは誰が書いたのかな、と。
ページ作者か、または参考資料の執筆者か。どちらか?
というわけです。
>>798-799 基本的な事を質問するね。
・君にとって当時の日本軍の参謀が部隊を指揮する是か否か?
・司令部が下級司令部に対し、作戦指導をするのは是か否か?
ソースに答えない人が質問とか。
非
是
潰走する部隊で、指揮官が機能を失った機関銃座に
上官が発砲を命じることに
何も問題ないはずだが
ことに津野田の事例はまったく問題ない
参謀が指揮をとってはいけないというのは常識だと連呼しているけど、
そんな常識も規定もどこにも存在していない。
指揮をとれないのは指揮をとるものとして委任されていないからで
あり、例えば関東軍参謀長時代の東條英機のように、正規に指揮を
委ねられて兵団を指揮するのであれば問題はない。
で、「参謀本部条例」なんていう、参謀本部の組織規程には、良いと
も悪いとも書いてあるはずがないね。やたらと誤記が多いから、もし
かしたら「参謀本部が出したなにがしかの規程、通達の類」というつ
もりで書いているのかもしれないけど。
程度の問題だろう?車が突っ込んできていて、そのままじゃ
ひかれるのがわかっているのに、「赤信号だから渡らない」と
言ってそのままひかれる人はめったにいないね。
仮にロシアが満洲と朝鮮半島全域を抑えて、
旅順と釜山を要塞化したとしても、
それだけで日本列島を攻略する事は不可能だと思うんだけど。
>>801 ソースは出てるでしょ?参謀は部隊の指揮を執ってはいけないから
津野田の行動は非難される。 (参謀のWIKIでも書いてある常識程度)
もし 参謀が部隊の指揮を執っていいなら、当時の資料からそういう根拠を
出して否定しなさい。 バカモノw
>>802 是か否か という表現もできるだろうに まともな意見も持たずに揚げ足取りかw
>>803 >潰走する部隊で、指揮官が機能を失った機関銃座に
>”上官” が発砲を命じることに 何も問題ないはずだが
津野田は 機関銃座の ”上官” じゃ ありません。
組織がわかってないね。津野田は軍参謀として派遣された人であり、
指揮権を持ってるわけがない。
>>804 >関東軍参謀長時代の東條英機のように、正規に指揮を
>委ねられて兵団を指揮するのであれば問題はない。
あのな、津野田は正規に機関銃座の指揮を委ねられたのか?
だいたい、 一戸少将も部隊指揮官から参謀長に任命されただろ。
非正規に横槍を入れる彼の行動は非難される。だからこそ、
”僥倖にも予の命令に従った”なんて回想録に書いたんだぜ?
>>805 車が突っ込んできて、そのままじゃ轢かれる状態だと
青信号の方に逃げるのが普通だが?赤信号側に渡れば
後続車に轢かれるぞw バカ だねぇぇぇぇ。
こんなバカな連中が何人も軍板にいるなんて信じられんw
参謀本部条例によれば、参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部を統括するとある。
天皇を大元帥とする各級指揮官の指揮系統として制度化されたラインのほかに
参謀本部を頂点とし、各級高等司令部のスタッフを統括する機構があった。
本来の指揮命令系統である軍隊指揮官のラインとは別に、指揮官のスタッフの
組織がいわば軍の神経系統ともいうべき独自のラインを構成するという制度である。
(日本の参謀本部 大江)
だから これを早く否定しろよ?
>>741 7/6から土日を挟んでずっと書いているのに
バカが 思い込みで 参謀が軍の指揮をとるのは問題ないなんてホザクんだからな。
なぜ参謀本部が独立しているのか、その独立の結果どういう状況になっているのか
理解できないのが こんなにいるのかねぇ。
バカだねぇ。
>>806 >仮にロシアが満洲と朝鮮半島全域を抑えて、
>旅順と釜山を要塞化したとしても、
>それだけで日本列島を攻略する事は不可能だと思うんだけど。
可能。攻略するのは海路を遮断して 対馬に上陸の後に九州に続くか、
新潟に上陸でしょうね。そこから、東京に侵攻する予定。
日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
備えてきたに過ぎない。また、鉄道網が海側からの砲撃に対処するために
若干内陸になった。
>>388 >兵頭二十八の新刊を読んだら、日露戦争後の経済政策としては、
>減税と軍縮をして、浮いた国力を東北・北海道の産業開発に回せばよかった――
>てなことが書いてあったああ、なるほどなって思ったよ
>なんか震災後の日本とダブって見えるね
この意見は日露戦争後の衰弱したロシアとはいえ、ウラジオストックが健在の
当時の状況をまったく理解できていない。
>>809 ロシアの海軍は弱い
上陸する前に全滅するぞ
>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>備えてきたに過ぎない
は?
北九州に八幡製鉄所が作られたことがその珍説を明確に否定してますね。
>いまだに製鉄所は日本海側にないんだが。
八幡製鉄所は日本海側なんですよ。
後出しで内陸何キロとか言い出すとか馬鹿じゃないの?
>>813 後だし?それ以前にほとんどの製鉄所が鳥取でも新潟でもなく太平洋側や
瀬戸内側だろ?一部をもって 全部を否定するなんて おろかおろかw
>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>備えてきたに過ぎない
この文言には太平洋側に発展した理由として述べたにすぎない。
日本海側に製鉄所は何もないよーとは誰も言ってない。
上記の論が珍説というならば、当時の明治政府が何をもって 太平洋側に
重工業を発展させたのかその説明をしなければならないけどw
ぜひぜひ出してくれ。非常に興味がある。
八幡製鉄所が一箇所 日本海側にあるから 違うなんて説では
他の釜石、東京、横浜、大阪、神戸、広島の製鉄所の存在理由を
説明したことにはならん。
気に入らない意見には 根拠もなく脊髄反射するのは愚かだね。
(太平洋ベルト) 鹿島臨海工業地域 京葉工業地域 京浜工業地帯 東海工業地域
中京工業地帯 阪神工業地帯 堺泉北臨海工業地域 播磨臨海工業地域
瀬戸内工業地域
(日本海側)北九州工業地帯(北九州工業地域)
大分臨海工業地域
北海道工業地域(道央工業地域) 仙台湾臨海工業地域
北関東工業地域・関東内陸工業地域 北陸工業地域 中央高地工業地域
不知火・有明・大牟田工業地域 日向・延岡工業地域
上記の内、北九州工業地帯 と北陸工業地域が工日本海側だが
他はほとんど 太平洋側や瀬戸内海に集中している。
>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>備えてきたに過ぎない
が珍説というならば、 上記の工業地域がなぜ太平洋側や瀬戸内側に
できたのか 説明しないとね。君が言う ”普通” の説がどんなものか期待するので
是非説明してくれたまえ。
近代発展期に入った時点での主要都市の位置、人口分布、主要港湾施設の位置、
陸上交通網、海上交通網…
ざっと考えただけでも以上の項目が「重工業がとある位置に発展した理由」として
考えられる。
>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>備えてきたに過ぎない
アホかと。
前から疑問なんだけど、この
・約物の使い方が変
・分かち書きをする
という、あきらかに日本語の表記になれていない人は
いったいなんなの?
そのくせ、むやみやたらと文字数が多いので
なにが言いたいのかさっぱりワカラン
>>816 君が言いたいのは、たまたま 太平洋側に集中しただけで
日本政府は日本海側からの攻撃に対処して重工業地帯を作った
なんて妄言は信じられないってことだね。
たまたま?
様々な要因が関与するって事だよ。
>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>備えてきたに過ぎない
なんだこりゃ。寝言は寝て言え。
では、ざまざまな要因の中に
>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>備えてきた。
というのは入る余地はないんですね?
日本政府が日本海側からの攻撃に備えたのが寝言で珍説と
言い切るのは可笑しいですね。
ですから、 タマタマと述べたのですがw?
日本における鉄道建設と艦砲射撃
明治時代の鉄道建設黎明期、日本では海岸沿いよりも内陸を
経由する鉄道の建設を優先する傾向があった。
この原因について「艦砲射撃を危惧して日本陸軍が内陸回りにさせた」
と指摘されることがあるが、実際のところは、当時はまだ海運が大きな役割を
担っており、むしろ内陸部の輸送改善が急務だったこと、また海岸部は
当時の技術で建設困難な箇所が多かったことが主因とされる。
八代駅以南の鹿児島本線はまず現在の肥薩線ルートで建設され[2]、
また東京・京都を結ぶ幹線も、当初は東海道ルートではなく
中山道ルートで計画されていた。一方山陰本線を建設するに際しては、
海岸のすぐそばに余部橋梁という艦砲射撃に弱い構造物を設置した。
これは日露戦争の後という時代であるために、日本海側には敵は来ないという
前提であったのではないかと指摘されている[3]。
さてさて、誰かにとっちゃ 寝言のような珍説がWIKIにも記載されていたから
乗せるね。
>>820 過ぎない、というあなたが使った言葉の意味を確認すること。
そして、「様々」は「さまざま」と読むことも確認するように。
こんな読み方する人がいるとは驚きだ。
>>821 その文章が、あなたの珍説をどのように補強するのか
お聞かせ願いたいものだ。
このような内陸ルートにしたのは、現在の海岸ルートにすると、距離は長くなるし、
戦時に敵の艦砲射撃を受けやすいという理由でした。1897(明治30)年、
八幡村に官営製鉄所が開所し、戸畑村では築港が行われており、
海岸ルートの要望が高くなりました。1902(明治35)年12月、海岸ルートは開通します。
この時開業したのは八幡、戸畑の2駅で、八幡にあるのは八幡の1駅です。
八幡の鉄道と駅 某HPより
日本政府が日本海側からの攻撃に備えたのが寝言で珍説 だそうだが、
日本政府って面白いねー 寝言や珍説みたいなことをやってるよ。
今度 明治政府の工部省あたりの計画書をちゃんと吟味してみるか。
誰かにとっての 寝言や珍説を確認しておかないとね。
>主要都市の位置、人口分布、
>主要港湾施設の位置、陸上交通網、海上交通網…
当時の八幡村には鉄道すらなかったが、その鉄道を敷くに当たって
ロシアの艦砲射撃を考慮しているね。もちろん下関要塞もかなり
増強されている。
>>823 当時の交通施設や交通網が建設途中ということで除外すると 人口分布にて
決まるという人がいるが、八幡の人口は当時そう多くない。交通網は建設途中。
彼の言う 様々な要因の建設前の状況ってのが理解できてないのかな?
まぁこんなところで吼える程度の人だから、工業がどう発達してきたなんて
関係ないんだろうけどねw。
日本海側に官営工場や重工業を設置しても 寝言や珍説という
人にとっては問題ないが、 実際の日本政府は日本海側に官営工場や重工場など
大規模には行っていない。まぁ、工場疎開とかそういうのが理解できない人には
こういうのは寝言や珍説なんだろ。
俺はWW2のアメリカの航空工場の疎開の話とか鉄道建設の推移から ああ
十分にありえるって思ってるというか確信しているけどねー。
工部省の官営工場の策定基準やら 鉄道建設の策定の推移なんて資料を
見てないので確約はできんが。
825 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 14:38:29.36 ID:OTu+Zy6y
>>820 過ぎない、というあなたが使った言葉の意味を確認すること。
そして、「様々」は「さまざま」と読むことも確認するように。
こんな読み方する人がいるとは驚きだ。
>>821 その文章が、あなたの珍説
>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>備えてきたに過ぎない
をどのように補強するのかお聞かせ願いたいものだ。
鉄道路線の選択という一部分の説明で、「日本の重工業」という大風呂敷
を説明出来たと思っているわけではあるまい。
>>823-824 あなたの確信とやらにいかほどの保証もあるまい。
826 :
名無し三等兵:2012/07/10(火) 14:46:50.95 ID:pt21SXGZ
非人間的な肉弾戦を強いられる悲惨な戦争だったが
偉そうに旗振ってた上が勝戦後いざ賠償金を取れないとなると
皆素直に即暴動に入れる等今は廃れてしまったある種の健康さも感じさせてくれる歴史事件
八甲田雪中行軍遭難事件
日露戦争直前の1902年(明治35年)に、ロシアとの戦争に備えた寒冷地における
戦闘の予行演習として、また陸奥湾沿いの青森から弘前への補給路をロシアの艦砲射撃
によって破壊された場合を想定して、日本陸軍が八甲田山で行った雪中行軍の演習中に、
参加部隊が記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し210名中199名が死亡した
ロシアの脅威論だね。
でも、日本海側より交通網が遮断されにくい太平洋側に
大工場とか設置するのは 誰かにとっては珍説であり 寝言なわけだ。
いいようぃいよw 寝言、珍説 結構結構。
>>827 >主要都市の位置、人口分布、
>主要港湾施設の位置、陸上交通網、海上交通網…
当時の交通施設や交通網が建設途中ということで除外すると 人口分布にて
決まるという人がいるが、八幡の人口は当時そう多くない。交通網は建設途中。
彼の言う 様々な要因の建設前の状況ってのが理解できてないのかな?
さらに交通網や交通施設が破壊されにくい場所というのは太平洋側で
日本海側でないはずだが?交通網が遮断されても工場が機能するなんて妄言はなしね。
それで 上記に対する鉄道網(交通網)への補給路遮断を脅威に感じてた事例が
多々出てきているわけだが、
>>823>>821>>827 なぜ日本海側には 大工場ができてなかったの? 様々な要因を
満たす 現 北陸工業地帯とかあるよー。新潟なんて石油やら色々でるしね。
(石油は関係ないけど)
当時の日本政府が鉄道(交通網)への艦砲射撃に対する備えで 日本海側よりも
太平洋側に重工業を集約したのは君のとっては寝言で珍説なんだよね?
珍説、寝言って言うのはいいけど、だんだん 恥ずかしくならない?
なんか一部分しか見えずに全体を見てない感じがするけど・・・
>>826 坂之上ドラマでも表現されていたけど、近代国家が国民に福祉のみならず
死を強制してきたわけで、今の日本の風潮のように安全は仲良くしていれば
大丈夫という時代ではないわな。
仲良くするというのは ある意味”無敵”ではあるが、いじめられないように
誇りをもって凛としていなければならない。
いいから工部省のなんかとか調べてきたら?
>〜に過ぎない、なんてのが寝言ってのが分かるだろうよ。
>>830 批判するにも根拠が必要なんだけどね。
君が出してきた 人口分布と 港湾、交通網については
八幡村と博多の人口の多少を考慮して君の様々な要因から
外れる。さらに交通網、港湾については 当時の日本陸軍が
ロシアの艦砲射撃を恐れてた事実より 遮断されやすい地域に
設置するのは信じがたい。(鉄道網がどう結びつくか理解できない人には関係ないかw)
というわけで 全然的外れになっちゃってるんだが?
八甲田雪中行軍遭難事件
また陸奥湾沿いの青森から弘前への”補給路をロシアの艦砲射撃
によって破壊された場合”を想定して・・・
日本における鉄道建設と艦砲射撃
明治時代の鉄道建設黎明期、日本では海岸沿いよりも内陸を
経由する鉄道の建設を優先する傾向があった。
この原因について「艦砲射撃を危惧して日本陸軍が内陸回りにさせた」
と指摘されること・・・・
八幡の鉄道と駅 某HPより
このような内陸ルートにしたのは、”現在の海岸ルートにすると、距離は長くなるし、
戦時に敵の艦砲射撃を受けやすいという理由” でした。1897(明治30)年、
八幡村に官営製鉄所が開所し、戸畑村では築港が行われており、
海岸ルートの要望が高くなりました。1902(明治35)年12月、海岸ルートは開通します。
だけど だれかさんは日本海側より交通網が遮断されにくい太平洋側に
大工場とか設置するのは 誰かにとっては珍説であり 寝言なわけだ。ぃぃよーいぃよー珍説、寝言。
線の話しかしないのな。
だいたい、八幡は五キロ内陸だからとかいうなら、
日本海側でも内陸ならOKという理屈になる。
しかし実際はそうではないわけで、根本のところが
間違っているわけだよ。
>>832 >線の話しかしないのな。
>>822 >その文章
>>821が、あなたの珍説をどのように補強するのか
>お聞かせ願いたいものだ。
交通網が遮断されることを恐れてない御仁にとっては
何もわからんとは思う。工場の材料や出荷はどうやってするんだろうね。
まさか小学校低学年レベル(工場見学程度)の常識すら把握してないのかw
いやいや、まさかね。
要地に対する艦砲射撃と、沿岸の鉄道網に対する艦砲射撃を混同しちゃいかんよ
当時は観測機もGPSもないんで
直接目視出来ない要地設備に対する艦砲射撃は困難というか事実上無理
また要地を狙い撃つのに適した場所は防備用火砲の射程になるようになってる
(旅順に対する聯合艦隊の射撃が殆ど役に立ってないことを見れば判るな)
それこそ海軍主力を殲滅し、沿岸砲台を沈黙させてからじゃないと
製鉄所に対する破壊的な射撃は実行不能で、そこまでやられた後ならどうしようもない
ところが長い沿岸すべてを守ることは出来ないので
ゲリラ的に本邦沿岸に高速艦が接近することは十分に考えられ
そしてその場合沿岸に面した鉄道はきわめて虚弱だ
>>835 >>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>>備えてきたに過ぎない
>どっから持って来たんだこんな珍説、まあ珍説としか言いようがないわな。
>例えば川崎重工業地帯。
・・? 東京湾要塞に守られてる太平洋側の川崎重工業地帯が何だって言うの?
反論する根拠でここを出す思考がよーわからん。
裏日本:
日本の近代化が挙げられる。明治時代に行われた殖産興業や鉄道・港湾などの投資が
太平洋側に集中しており、日本海側にはあまり行われなかった。これには、
江戸時代の開国以降、特に欧米との貿易が盛んになり、港の必要性が高まったことが
関係する。日本海側の海岸線は単調で大型船が入港できる港をつくりにくい。
日本海側の港では土砂の堆積が起こりやすい河口の港が多く、港湾の拡張や維持に
多額の費用がかかった。このことが、内湾が多く、良港を作りやすい太平洋側に比べ
大変不利な条件となった
>>816の意見は全然違う。 さらに
>>809の意見とはまた違う。
こいつら なーんもわかってない。
わからないのはおまいらのせいだ!ってか?
元々の主張がおかしいんだっての。
>>838だったら 837のようにちゃんと説明すればいいだろ?
>>817 明らかに日本語を母国語としている人間ではありませんよね
韓国人は〜 韓国人は〜、と、やたらと使いたがる割に、
中国人は〜、とは云わないところをみると、
日本人になりすました(つもりの)シナ人なのでしょう、まず間違いなく
端から見ると全く理解不能、支離滅裂な論理展開もそれで納得できるかと
なんだこの流れ?
外国の攻撃に配慮しながら製鋼所のレイアウトを設定した、は
日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に備えてきたに過ぎない
とイコールにならないだろw
結局日本海側に作っちゃったんだからw
製鋼所の立地はまず原料産地に拠るって、火元の珍説軍師二十八も旧著で指摘してたが
まあ当たり前の話でトンデモの入る余地ないな
>>836 ならどこでもお好みの重工業地域をどーぞ?
>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>備えてきたに過ぎない
こんなのが背景として発展したなんて解説されてる所があるもんか。
Yahoo!知恵袋にこんなのがあった。
「どうして日本では「太平洋ベルト地帯」が工業地域として発展したのでしょう??」
誂え向きじゃないか。ここで珍説披露してみたら?楽しみだ。
参謀が指揮をしてもいい!って話はとんと消えたな。
古いところから高度成長期に新しく開発したような工業地帯まで、
いっしょくたにしている時点で話にならんね。
八幡にしても、炭田が近くにあって、防備上も有利でという理由だし、
原料の鉄鉱石(↓のページによると初期は清の大治鉄鉱石)の輸入
や搬出の便もある。
>背後に炭田を控えていることや、防備に優れるなどの理由により、八幡村が選定されました。
ttp://www.nsc.co.jp/yawata/about/history1.html 重工業の原料は基本的に太平洋や東シナ海側から持ってきている
んだから、よほど有利な理由がなければわざわざ日本海側には
工場を作らんよ。
後、水俣やら延岡やらは、水豊ダム事業なんかでも有名な野口遵
の日本窒素系の事業が基で、水力発電をベースにした電気化学だ
から立地もそこで決まっている。
>>808 一度くらい、参謀本部条例を読んでからほざけ。解説じゃなくて、本文をな。
条例のどこにも、「参謀が指揮をとってはならない」なんてことは書いてい
ないぞ。もちろん、「とってよい」とも書いていない。
そんな末節を規定するようなものじゃ無いし、そもそも今回のような文脈で
持ち出すこと自体が見当違いだ。
そもそも日本海側は冬期豪雪地帯が多いから、除雪のローダーやダンプが普及していない時代に
大規模な工業地帯を立地させるのは難しい
(不可能ではないが、優先させるなら太平洋側とどっち?ということ)
金沢や新潟や秋田に一冬住んでみりゃ実感として判るだろう
まあ、
>日本の重工業が太平洋側に発展した理由は、日本海側からの攻撃に
>備えてきたに過ぎない
こんな珍説は初めてお目にかかったがねw
誰だよこんな事いった奴は。シナ人の学者か?
>>847 100歩譲ってそれが事実としても、日露戦争のウラジオ艦隊の通商破壊戦見ればそれが全く意味のない配慮だった事はわかるよな
あまつさえ津軽海峡突破されて、太平洋側でられてるもんw
伊豆沖まで到達して無事帰還させちゃった史実を見れば、東日本に工場なんて作っちゃだめだよねw
そもそも日本の工業地帯って、ようは
・東海道ライン
・瀬戸内海ライン
なんで。もちろん、他にも工業地帯あるけどさ、北海道とか。
これってようするに古くから開けていた海運・陸運筋なんで
明治開国以来の日本で新しい産業を興そうとしたらこのあたりに集中した、ってだけだろう
もちろん日本海側の海運ってのも古くからあるけど、
>>847氏の指摘通り積雪どうすんの?ってことなんで
軍事板だからってなんでも軍事にからめりゃいいってもんじゃねーべ
>>848 そりゃ伊豆沖になんか沿岸砲届かないから当然だろ
もちろん艦隊側からも工業地帯に届かないわけだが
>>849 だからこそ陸軍なんか中央本線に力入れろと主張してたわけで
沿岸の工業地帯だけなら沿岸砲を適切に配置すれば守れるが
数百キロに渡る東海道をカバーするなんてことは無理なわけで
攻撃を恐れて自国で最初の製鉄所を街から100km離れた岩山の中に作った国がある
当然ながらそんな不便な場所には誰も付いてこず
工業地帯は元の街を中心に発展して製鉄所の工員が不便な思いをしただけだった
まあつまり工業地帯なんて自然に出来るのに任せるしかないって事
そろそろ、極めて特異な書き方をするお方からレスが…↓
>>846 >一度くらい、参謀本部条例を読んでからほざけ。解説じゃなくて、本文をな。
>条例のどこにも、「参謀が指揮をとってはならない」なんてことは書いてい
>ないぞ。もちろん、「とってよい」とも書いていない。
参謀本部条例によれば、参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部を統括するとある。
天皇を大元帥とする各級指揮官の指揮系統として制度化されたラインのほかに
参謀本部を頂点とし、各級高等司令部のスタッフを統括する機構があった。
本来の指揮命令系統である軍隊指揮官のラインとは別に、指揮官のスタッフの
組織がいわば軍の神経系統ともいうべき独自のラインを構成するという制度である。
(日本の参謀本部 大江)
上記がまだ読めない人がいるとは・・・。
参謀が指揮を執るのは 独立したラインを保てなくなるって事がまったく理解できていない。
馬に念仏とはまさにこのこと
1876(明治9) 1920(大正9)
1 東京 1,121,883 1 東京 2,173,201
2 大阪 361,694 2 大阪 1,252,983
3 京都 245,675 3 神戸 608,644
4 名古屋 131,492 4 京都 591,323
5 金沢 97,654 5 名古屋 429,997
6 横浜 89,554 6 横浜 422,938
7 広島 81,954 7 長崎 176,534
8 神戸 80,446 8 広島 160,510
9 仙台 61,709 9 函館 144,749
10 徳島 57,456 10 呉 130,362
11 和歌山 54,868 11 金沢 129,265
12 富山 53,556 12 仙台 118,984
13 函館 45,477 13 小樽 108,113
14 鹿児島 45,097 14 鹿児島 103,180
15 熊本 44,384 15 札幌 102,580
16 堺 44,015 16 八幡 100,235
17 福岡 42,617 17 福岡 95,381
18 新潟 40,776 18 岡山 94,845
19 長崎 38,229 19 新潟 92,130
20 高松 37,698 20 横須賀 89,879
21 福井 37,376 21 佐世保 87,022
22 静岡 36,838 22 堺 84,999
23 松江 33,381 23 和歌山 83,500
24 岡山 32,989 24 渋谷 80,799
25 前橋 32,981 25 静岡 74,093
26 下関 30,825 26 下関 72,300
27 八幡 29,487 27 門司 72,111
28 秋田 29,225 28 熊本 70,388
29 米沢 29,203 29 徳島 68,457
30 鳥取 28,275 30 豊橋 65,163
出典 古厩忠夫(1997)『裏日本−近代日本を問いなおす−』岩波新書
明治期:初代政令市の6市が既に上位に見えます。
また、上位30位以内に秋田、新潟、富山、金沢、福井、鳥取、松江と
日本海側の諸都市が名を連ねています。特に、金沢は東京、大阪、京都、名古屋に
次ぐ大都市だったのです。米沢の名前も見えますね。
しかし、太平洋側に偏った近代化の影響もあって、上記の年のうち金沢と新潟を
除く都市はランキングの圏外に消え、替わって呉、横須賀、佐世保などの
軍需関連の諸都市を代表とした工業都市が急成長を見せます。
よって、
>>849 >明治開国以来の日本で新しい産業を興そうとしたらこのあたりに集中した、ってだけだろう
・これは間違い。軍需関連のインフラ諸都市が急成長した以上 自然とか適当ってことはありえない。
しかし、舞鶴の例をみるようにそれ以前9030 明治8,855, 大正11,191 軍港だからと言って
発達するわけではない。
>>847 金沢や新潟や秋田に一冬住んでみりゃ実感として判るだろう
・これも金沢が明治時代に4位というところから、衰退している以上、これも間違い。
金沢が衰退していった理由がどういう事か 他の説明をしないとね。
結局のところ
>>837の港湾の浚渫などのインフラが日本海側は困難であったのが一番の理由といえる。
>>854 「馬に念仏」だってさw
単純な誤字脱字ならよくあることだが、わざわざ高尚ぶろうとして間違えると実に恥ずかしいね。
お前さんの母国語では「牛に向けて琴を弾く」とかいうらしいがw
参謀は別に射撃をさぼっている銃座に撃てと命じることも
身なりの悪い兵隊に「ボタンをきちんと閉めろ」と命じることも
禁止されてないとです
懸命に勝利宣言している奴は
ちょっと偏屈と問題のすり替えで乗り越えようとしているのが見苦しいとです^^
ちょっと偏屈と問題のすり替えで
工場って一般論としては平地に作るもんなんで
ましてそれが集積している「工業地帯」となると
やっぱりだだっ広い平野に作りたいのがフツー
あとできれば川だよね。ていうか水まわり。
そりゃそれこそ例外を探せばいくらでもあるだろうけどさ。
で。日本でそんな場所、関東平野と濃尾平野くらいだろうな
日本の地勢がそんなんなのは「日本海側の防御」を考慮したから
なわけねー
その人口リストで例えば「東京」とあるのは、「東京市」なのだろうか。
だとすると、明治九年の人口はどのように計算して出されたのだろうか。
当時「東京市」なるものは存在しないのだが。
のちの「東京市」に該当する地域に於いて計算したのだろうか。
しかしそうであってもかなり恣意的なというかあやふやな数値と言わざるを得ない。
最上位の「東京」ですら疑問、まして下位の地方都市となってはどうだろう。
あと明治九年というと、まだまだ幕藩体制の名残というか雰囲気が強くあったのでは。
例えば加賀百万石といわれた地域、江戸時代はその地域がいわば一つの国だったわけで。
人口移動の制限なども強くあったのでは。
そのような影響もあって、今から見れば奇妙な人口分布となっているのではと思います。
それが、全体として大日本帝国となったのち徐々に崩れていった推移のデータなのでしよう。
明治9年には人口上位30都市のうち7つまでが日本海側の都市だったのに、
ほぼ半世紀後にはそれがたったの2つになってしまったのか
別に全てが雪のせいというつもりはないが、影響は決して小さくないと思うがね
除雪しない限り、一年のほぼ3分の1は鉄道も車輌も動けなくなってしまうのだから
原料も運び込めない、製品も出荷できない、労働者も通勤出来ないんだぞ?
間違い、だとか何でいえるのかわからん
なぜ太平洋ベルトに先に工業が発達したか?
一言でいえばインフラだが、つまりそれは
>>816や
>>849が言ってること
港湾云々も重要な要素ではあるけれど、それのみに要因を帰するのは明らかに間違い
まして攻撃に備えて云々なんて、脳内妄説でしかない、問題外
まあこんなこといっても、馬の耳に念仏、か? このみそっかすには。
藩がなくなって自由に移動できるようになったからだろ
数字って怖いんで、たとえば
>>855の新潟。
順位でみると一つ落ちてるけど、数値自体は倍増してる
約2.2倍ってところか
首位を守っている東京よりも率では伸びてる
鹿児島は順位同じだけど伸び率だとこれもほぼ倍増
仙台も倍に近い伸び率だけど順位はがっつり落ちてる
数字自体は全体として増えているのだから、
伸びの大きなところで何が起きたのか、というほうが
意味のある問いなんじゃないのかね
日本海側の防備っていうのは当然等閑視していいものでも
ないのはわかるけど、それと工業地帯の発展との因果関係を
云々したいのなら、せめて山縣有朋あたりがなんか言っている、
なんて話くらいは出して欲しいかな。
>>857 馬に念仏ってそんな難しい?
それじゃ バカバカ 言ってる相手にも ”馬を鹿”って言い方を訂正すればいいがw
もしくは、”鹿を指して馬となす” そんなことも知らないでバカバカいってるのかねー。
馬の耳に念仏、鹿を逐う者は山を見ず まさしく キミの為にある言葉だね。
>>858 さぼっていたり、身なりが悪い風紀が乱れた組織を糾すのは指揮官であり、参謀ではない。
参謀は 指揮官に対し、現状を報告し、どうすれば糾せるのかの提案をするために存在する。
参謀自ら、指揮官に代わり 命じるなんて ありえないんだけどねw
こんな 社会的な常識も分らない連中がこんなにいるなんてね。
勝利宣言もなんも・・
>>712から”参謀に指揮権はなく、”って出てますわな。
それが見えない バカな 人が いちゃもんつけてるだけ。
>>860>日本でそんな場所、関東平野と濃尾平野くらいだろうな
>>815で出てる工業地域くらい目を通してくださいな。
>>861-863 夜郎自大儲へさ 何を言っても無駄かもしれないけど
キミはインフラ(近代化)が”どこから” 作るのかってのを理解してないよね。
インフラは鉄道であり、港湾であったりするわけだ。それはキミが書いたとおり。
だけど 交通網いわゆる鉄道の陸軍からの指示をキミが軽視している時点で
君の意見は当時の日本のおかれた状況を理解していないね。
アメリカの航空機産業がWW2を目前に疎開した地域先で戦後も
発展したのを知らないんだろうなぁ・・。もちろん中国のように大げさな例
しか見えてないようだったらどうしようもない。
気候やら其の程度の知識で論を張られても なんだかねー。
ミソッカス呼ばわりされても 何言ってんだ このヘタレがwって思うだけ。
>>865 >山縣有朋あたりがなんか言っている、
>なんて話くらいは出して欲しいかな。
いや仰るとおりです。伊藤博文、山尾が工部省(卿)だったものですから、この辺りの
意思決定段階の資料を探している最中です。申し訳ない。
当時の陸軍がロシアに対する重工業の防御を疎かにするわけにもいかず、北海道、東北、
日本海側の防衛構想などの資料も目を通すつもりではいるがゆっくりと調べていきますね。
話は代わって、日露戦争ってどうしても大陸側の実戦に目が行きますが、明治時代の
日本本土の防衛検証と太平洋戦争時へのその検証の影響力などが知りたい。
>日本海側の防衛構想などの資料も目を通すつもりではいるが
>ゆっくりと調べていきますね
今から調べるのかい!
これからは、調べてから語りなさい。珍説かますとこもなくなるだろう。
まさかと思うが、「明治期国土防衛史」に眼を通すくらい、既にしてるよね。
もちろんあなたの語るような珍説、カケラもございませんが。
>ミソッカス呼ばわりされても 何言ってんだ このヘタレがwって思うだけ。
自分がシナ人であることは否定しないのだな
厭だね〜
平然と嘘は吐く、自分だけが正しいと思い込む、そして恥を恥だと思わない
こういう国民に生まれついてしまうのは実に不幸だ
日本人に生まれて良かったと、つくづく思うわ
>>869 はぁ。 無いからその工部省などのインフラ設備の意思決定段階の資料を探している最中
って書いているだろうに。 何を マヌケな事を言ってんだか。
人口統計、陸軍からの鉄道敷設への指示など そういう情報の視点すら欠けて
ただ気候 だけで話されている御仁には 何も見えないだろうけどね。
>>870 乃木儲のウソほど性質の悪いものはない。神体を守るためには何を言っても
良いらしいからね。挙句に乃木自身を辱めてしまう結論になるのが 真に愚かだが。
愚者だね。 愚者。 参謀が軍の指揮をとってもいいなんて妄言を未だに信じてるところが
ああ 痛すぎるー。乃木儲の兵頭の意見を批判するだけで これだからなw。
872 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 10:00:38.06 ID:M4cPXs8u
カキコして、否定的意見だされてそれから資料を探す、って順番が違う。
ましてゆっくりとか。
873 :
名無し三等兵:2012/07/12(木) 10:07:56.79 ID:M4cPXs8u
まあ国土防衛史くらいはあらかじめ読んでおくべきだったね。
まだネットには上がってないから買うか図書館行くしかないが。
上のリストとその説明部分も、ネットからの拾い物でしょ?それじゃ限界あるよ。
>>868 >インフラ(近代化)
なんだこりゃ。
そういう呼び方・考え方の有無は別として、
古代ローマなんかインフラの鬼みたいな国柄なんだけど、
あれって近代化したってことなのか?
2000年くらい前のはなしだよ?
人とはなしがしたければ、言葉/単語を俺ルールで
かためちゃだめだよ。
理由は馬鹿にされるから。
どうでもいいけどシナ人呼ばわりされて乃木信者叩きを始めるのはどういう理屈なの…
シナ人扱いと乃木信者との間に因果関係はないと思うのだけど、変な被害妄想に陥ってないか?
少しズレるけど、「幕末海防史」も参考になるかな。
>>872 >>447にウソを述べて そのまま間違ってるのを信じきってる人もいるけどな。
>>553なんて否定的意見を述べたつもりが、読解不足だったしどーしよーもないけどな。
そういう人には何も言わずに何を言ってるのやらん。
>>873 国土防衛史は県立図書館で軽くは目を通しましたが まぁ意思決定までは
書かれていませんでしたね。意思決定の資料というのは例えば公刊日露に対する
機密であり、まぁボチボチとね。
>>874 当時の日本の富国強兵に伴う近代化って、歴史上どういう
位置づけを理解してないのかね。流石に 間抜けだ。もう少し
中学レベルの日本史あたりから学ぶことをお勧めする。
>>875 どうでもいいって言ってる割には言わずにはいられないのは悲しい性格だな。
>>876サンクス。
>>877 「インフラ」はどこいっちゃったんだよ
否定的意見出されてから辞書でも引いたのけ?
インフラ?って語句に何をこだわってるの?
>>874ローマ時代に
道路、河川、橋梁、以外に 鉄道からガス、電話などの社会生活基盤と社会経済産業基盤
があったの?軍隊の移動に耐える 道路、河川、橋梁当時の日本国内に整備されてたかw?
何をつっかかってるのか・・。バカの相手するほどヒマじゃないから
WIKIでも見とけば・?
60 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/03/29(木) 01:01:47.40 ID:???
しまった 上げちまった
つうわけで、203高地を落せばいいんじゃなく
乃木第三軍は、旅順要塞を落して後顧の憂いなく北方に転用
総軍に合流、もって奉天の決戦に勝利しなければならなかった
みんな今日、日本があるのは乃木さんのおかげ
>みんな今日、日本があるのは乃木さんのおかげ
いやいや、こんな物言いには何も言わず、重工業の発展の偏りを過ぎないという
事につっかかってくるのは どういう人物がやってるのかは一目瞭然だね。
出してくる資料がネット上ソースばかりなんだもの。
やはり程度が知れるというもの。ネタ扱いされても仕方ない。
国土防衛史も海防史も両方とも原剛氏の著作だけどね。
内容だけでなく、説得力のある物いいというものを学べると思う。
>>881 あのさぁ 出してきている資料に意思決定の過程とか出てるのか?
内容じゃなくて、著者名で判断するのかw バッカじゃねw
さらにその本に社会資本や整備の話があるのか?って話。配備状況や沿革とはまた違う話なんだけどね。
なんかしたり顔でズレた話をする癖はどうもなぁ。見苦しいなw。
黛の本をもともと図書館で読んでたから陸軍の鉄道敷設への要望とかは
把握してたけど 鉄道路線なんてなんか軽視しているのがなんだかねー。
しかしまぁ ネットってバカにしてる感じがなかなか 匂うよねw 匂う匂う。
馬鹿にしてるというか、信頼性の問題がどうもね。
逆に、どうしてホイホイコピペして持って来れるのか不思議。
どこの誰が書いたのかも分からない文章なんだよ?
単に書いてること言ってることが滅茶苦茶だから、誰からも支持してもらえないってだけじゃん
乃木がどうとかって全然関係ないんだけど
それとも何か? 自分の意見に反対する人間は、全部乃木信者だってか?
シナ人の被害妄想ってのは凄いねー
尖閣諸島はシナのものアル! 悪いのは日帝アル! とか
南沙諸島も全部シナのものアル! 比人越人はすっこんでろアル! とか
臆面もなく云えるだけのことはあるわ、流石に
885 :
875:2012/07/12(木) 18:42:18.49 ID:???
>>877 俺は別に悲しい性格でも何でも結構だけど、君が被害妄想に陥ってる点は否定できないんじゃないの?
穏やかに議論してるだけならともかく、一々相手を煽るような言葉を並べて、
気に入らない意見だからといってそこまで攻撃的になる必要はないんじゃないの?
命名:インフラくん
>>884 書いているところがどうめちゃくちゃなん?
批判する側ってちゃんと根拠示しつつ 批判しているのがあるのか?
だったらどのあたりだろうね。
>書いているところがどうめちゃくちゃなん?
>批判する側ってちゃんと根拠示しつつ 批判しているのがあるのか?
>だったらどのあたりだろうね。
>だったらどのあたりだろうね
みそっかす扱いとなった原因で言えば、外壕に達しているとめちゃくちゃな事言ってたんだよね。
批判する側は、鉄条網ラインまでも達していないとちゃんと根拠示しつつ批判していた。
時事ネタでもイジメが騒がしい昨今、フルボッコは痛ましいと擁護する所がないかと思ったが
ないなー。
>だったらどのあたりだろうね。
全部でしょ、そりゃ
賛同する奴なんて一人もいなかったんじゃね? みそっかすの意見に
>さらにその本に社会資本や整備の話があるのか?って話。
いいから読め。
>>817 とかかな。
小学生でも気の利いた奴ならこんな文章は書かない
中学生ならまずあり得ない
高校生でこれは留年する
大学生なら……体育会系でもどうだろうね
こういう文章を書いている奴が資料はきちんと読めてます
ってのは無理がありすぎ
あと、
・助詞の使い方がなんか変
・接続語もなんか変
・慣用表現もおかしい
・むりやり主語っぽいものを入れようとしている
などなど。全体として母語が日本語以外の人が
辞書を引き引き書いている感じ
文章とは話変わっちゃうけど
・いちいち全レスしたがる
これもかなりイタイ
>全体として母語が日本語以外の人が辞書を引き引き書いている感じ
あ〜、そうそう。その通り!
まあ別に日本人でなくても一向に構わんけど、内容も支離滅裂だからなあ
>>南沙諸島も全部シナのものアル!
元、南沙諸島は日本領で台湾の付属地だったから中共北京政府を正統とみなす日本の公式見解によるなら支那領になるんじゃねーの
スレタイから逸脱した人格否定の応酬なら別のスレでどうぞ
レスが冗長でしかもコピペ多用するからはっきり言ってスレにとって邪魔。
それでもマトモな事言ってんならまだいいが、内容も酷いもんだ。
なによりも、上でも指摘されているが、非常に攻撃的に煽るのはどうしようもない。
これだけ特徴のある書き方をするのだから、特定は容易と思われる。
構わないのが一番と思う。
>>896 言いたいことがワカランでもないけど、
技術の低さを指摘するのは人格否定ではないよ。
もうすこし理解できる文章にしてくれれば
また違った流れになっただろうなーという、ただそんだけだ
どのみちスレチだから派生議論スレでやってくれ
上げている工業地帯のかなりの部分が、高度成長期以降に開発された工業
地帯だという時点で、話にならん。おまけに、官営云々と言いながら民間事業
発の工業地帯もごちゃまぜだし。製鉄所にしても、広島のは戦後じゃなかった
かな?
製鉄所なんてのは、鉄鉱石なんていう、かさばる上に重い原料を大量に運んで
こないといけないから、港の存在が大前提になる。しかも、原料はマレーシアや
フィリピン、中国といったところから持ってくるんで、よほどのことがなければわ
ざわざ日本海側に製鉄所を作ったりはしないよ。
>明治7年(1874年) 明治政府 釜石に官営製鉄所を建設開始(9月)
(新日鉄釜石製鉄所のページから)
で、そこまで海岸からの攻撃を警戒していたなら、なんで釜石なんていう守り
にくいところに官営製鉄所を作ったんだろうね?
なんか一人でがんばってる馬鹿がいるね
>>900 戦後の日本がロシアを脅威に思っていなければ別に日本海側に
どんどん大工場を作ったんじゃね?
逆に日本が対米親露政策を取ったならば、新潟を拠点に日本海側に
経済資産を移すだろうね。
実際の日本が満州に経済資産を移そうとして失敗したように。
碓氷峠とか考えると裏日本は難しいんじゃね
何というフルボッコ
自業自得ですな、まあ
結局、何を論点に争ってるんだ?
と残り100レス以下になった時点で
質問
>>906 そんな認識だからフルボッコになるんだよ。現実を認識する力を身に付けよう。
>>907・・・ 何言ってんだ? バカバカって発言してんのはどっちなんだw
それとも? 907が罵詈雑言を吐いているって自覚したから そんな事をいってるのか?
どうしても「人格攻撃」にしたいみたいだけど、
そもそも日本語できちんと書けてないから
一文単位ではともかく、文章全体としては
なにを言っているのかさっぱりわからんのよ
論点があやふやになっているのはそれが最大の理由
あと、これでもいちおう議論の場ではあるわけで、
そういうところで否定されることが人格攻撃に当たると
真剣に思えるのならば、もう議論に加わるのは
金輪際やめた方が良いと思うぞ
とても特徴のある物いいなので、特定が極めて容易です。
罵詈雑言大将は
>>908、あなたですよ。
ヒートアップしての事ならある程度止むを得ないとも言える。
でもあなたは酷すぎる。
馬鹿馬鹿しい発言しているのだから、馬鹿と言われても仕方ないね。
どんだけ言っても同調者が出ないのは、主張に問題あるのだとは考えないで
あまつさえ、ここは馬鹿ばっかりだとか言って憚らないのだから、全くつける薬がない。
全然省みないあたりは、
911 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 14:16:30.97 ID:8BFS7XR6
>>908 つまり「バカ物w」「ホルホル」等と煽りながら
気に入らないレスに罵詈雑言と人格攻撃を繰り返す(参考
>>441)
特徴的な文体の被害妄想気味な人が問題なんですね
自覚があるなら控えてもらいたいものですな
>>905 論点はその時点ごとに移ってっていいんじゃないでしょうか。
とりとめないけど仕方ないかなと。管理者がいるわけでなし。
罵倒のレスすらも、ああこの人こういう語彙使うんだーとか
参考になる。というか人格的な所が垣間見れる貴重なデータ
が得られていると無理やり前向きに考えてみる。
>>909-913 こういう風にまとまりもなく、相手の論点を根拠を持って批判するのではなく、
火病(死語だな)るのが特徴な人って事はよく分った。
多分 誰かさんにとって都合の悪い論や批判は受け付けられない体質なんだろうね。
それでどのあたりのレスが 論点がアヤフヤなんだ?
もう
うんそうだね
でいいんじゃないかな?
916 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 19:08:15.42 ID:8BFS7XR6
>>914 俺は君と思われる人が罵詈雑言と人格攻撃を行ってる根拠を
>>911で(参考
>>441)として出してるよ?
そして被害妄想と思われる根拠は
>>875で既に出てるけど、その点を無視するという事は余程都合が悪いのかな?
最早、不毛ではあるけど、
>>906で
>>905の「論点は何か」という問に対して「気に入らない相手への罵詈雑言」との答えを誰とは言わないが出したのだから、
その論点に従い、率先して頻繁に「気に入らない相手への罵詈雑言」を書き込んでる人がいる事実を指摘して自制を促しているんだけどね
そして、その人の日本語の不自由さについては俺も感じるけど俺自身はそれを論点としてないから
それを指摘してる人と俺の指摘を一括してアヤフヤ≠ノしないでもらいたいね
>>916それで この意見を出した大馬鹿者に対して、 しっかりと根拠をもって
批判せずに ↑のように長々と書かずにはいられない人物って主張したいんだよね。
>>441 >ロシア軍陣地内では日本の攻囲軍の後方状況なんて
>ほとんどわかってなかったのに、そういう状況で突破して逆包囲殲滅されて兵力が
>減るほうが厄介だろ。 せいぜい、史実通りに海軍艦艇で砲撃するのが関の山。
>打って出るよりもまず、海軍、艦船を維持し続ける(振りでもOK)のが重要なんだけどね。
>打って出るという有り得ない想定でホルホルするのはよくないぞ。
>つか、ほぼ完全に包囲された攻城戦で防御側が打って出て勝利したとか先例あるのか?
別にそういう意見もあるよねって思うだけ。
確かに当時のロシア軍が日本軍の攻囲状況を完全に理解できるわけもなく、
城砦の寄って日本軍を吸引することが一番良いかと思うけど?
それとも打って出るのがいいというならば、そういう意見を出してくればいいだけ。
>>444-447 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/12(火) 16:58:27.33 ID:???
なんだこいつ?
2〜3ヶ月も前の話題にどや顔でレスつけて
しかもだいぶ的外れ
445 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/12(火) 17:29:06.90 ID:???
>>444 >しかもだいぶ的外れ
どのあたり?_
446 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/12(火) 19:12:42.31 ID:???
官邸がうんぬんてなんなの
文章適当に切り貼りしても
いわんとすることがまるで通じません
447 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/12(火) 21:20:27.44 ID:???
>>437 >西方は12月にやっと東北正面よりも弱かったという認識をしていた
誰だよ、そんなこと言ってたのは?
第三軍の参謀の証言によると、” 西方諸堡塁 ”の攻め難さも東北側と大差無かったようだが
この後も酷いよね。
>>446の官邸の話はもともと
>>250にも書かれている話なのに
なぜか論点がずれてるってなってるもんな。
>>447は論外だな。
>>453 ・203高地奪取後、「攻撃正面を ”西北側”に変更してはどうか?」という意見が(主に児玉から)あった
・井上参謀が203頂上から偵察したところ、 ”西北正面” の防御設備も「決して東北正面に比して劣ってはおらぬ」
だけど 西方諸堡塁なのに西北の意見を出して論点をずらし始めてる。
そういう論点をどんどんずらして、自分が持ってる資料も読めずに
日本語云々が読めないーって言ってる輩がいるのがわかるよね。
それがどうかしたの?
800 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 17:40:04.48 ID:???
>>798-799 基本的な事を質問するね。
・君にとって当時の日本軍の参謀が部隊を指揮する是か否か?
・司令部が下級司令部に対し、作戦指導をするのは是か否か?
>>801-804 801 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 18:31:24.11 ID:???
ソースに答えない人が質問とか。
802 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 19:57:51.83 ID:???
非是
803 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 20:28:48.10 ID:???
潰走する部隊で、指揮官が機能を失った機関銃座に上官が発砲を命じることに
何も問題ないはずだがことに津野田の事例はまったく問題ない(ry
804 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 22:04:56.56 ID:???
参謀が指揮をとってはいけないというのは常識だと連呼しているけど、
そんな常識も規定もどこにも存在していない。(ry
805 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 23:28:28.61 ID:???
程度の問題だろう?車が突っ込んできていて、そのままじゃ(ry
これの答えが
>>807 らしいけど
>>798-799って怒りに任せて書いている感じだね。
798 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 14:08:37.04 ID:???
799 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 14:10:01.53 ID:???
ほぼ一人に対する答えが
>>801-804になってるんだけど
フルボッコって 一人で何レスもするようなことがフルボッコって表現なんだろうね。
気に入らない相手への罵詈雑言のスレで間違いないと思うけどな。
>>919 >>916に日露戦争での話題などまったく出さずに どっかの意見者の日本語がどう
って 頼むからやめてくれーって意見で長文を打ってる人には何も言わないのねー。
どうしようもないよねー。
もっと日露戦争当時の話題をすりゃいいのにね。
だから 気に入らない相手への罵詈雑言ってあってるだろう。それでそれがどうしたの?
もっと日露戦争の話をしないの?
黒木第一軍の常勝の軌跡なんて書いても 当たり前すぎて
誰も面白くないもんな。
「…よねー」とオーディエンスに媚びるも賛同者なし…
924 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 20:22:07.30 ID:8BFS7XR6
>>917 >>917 俺の指摘してる君の「罵詈雑言」「人格批判」「被害妄想」といった攻撃性や異常性という論点と
旅順攻囲下での露軍守備隊の出撃の可能性は全くないとする君の主張(或いは論点)とは掠りもしないのは理解できるかな?
ここは日露戦争スレなのだから本来は君の主張に対する議論がなされるべきだけど、
俺が指摘する点(君が自己主張する際に積極的に行う暴言等)でそれが困難な状況だということを理解するようにと言っているのだけどね
既に、散々、指摘されてるように、気に入らない意見に片っ端から攻撃的に噛みつき、罵ったり侮辱したりするようでは有意義な議論はできないと俺は思うし、
現に君が出てきてからスレの進行速度は上がっても、内容はどこぞのコピペやら罵倒やらで… 個人的には流石に指摘した方がいいと判断した
「嫌なら見るな」「触れるな放置しろ」等の一言で自己完結する前に君の態度の自制を促したのだけど、
あくまでも俺の指摘する点は、君が自覚し、自制するに値しないことかな?
>>924 そんな日露戦争に関係ない相手への罵詈雑言はいいからさ、
日露戦争の話題を振ったら? 傍から見たら何言ってんだコイツはって感じだぜ?
>>924 触れるな放置しろの立場の者ですが、
相手にするだけ無駄です。
>>925でお判りと思います。
ちちならば ふれずにおかじ やまとだま
いただきめざせ いざやとつげき
個人的に旅順艦隊壊滅さした時点で、満州に張り付くより朝鮮半島まで軍を
後退さした方がよかったんじゃないかと思う。
>>928 旅順艦隊が壊滅したのを日本軍が確認できて砲撃止めたのははいつだっけ?
>>929 ああ、ごめん。つまり旅順の艦隊を壊滅さした後は北進するよりも朝鮮で守りを
固めて、引きこった方がいいんじゃないかなと思ったんだ。
>>925 当事者が「傍から見たら」なんて騙っちゃいけません。
あ、もしかして笑いどころでしたか?そりゃすいません。
傍から見たら、やっぱ津野田が機関銃座を指揮しちゃいけないとか
低レベルな参謀の暴走論で強弁している奴が
わりと痛い流れでしたね
>>932 参謀が軍の指揮を取っても良い 法律によって責任が明確化されているなどの
資料を出さずに何を言ってんだろうね。わらっちゃうよ わはははw
未だに出てこないんだものw 挙句にそれかw
いいとも悪いとも、結局資料は出てないんだよな。
ダメだダメだと叫んでいた奴も、資料を求められたらあたふたと
見当違いの文章を並べ立ててごまかそうとしていたし。
> 参謀本部条例によれば、参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部を統括するとある。
一体いつの時代の参謀本部条例を持ち出しているんだろうね。
日露戦争の時の条例とは全く別物なのも知らないんだろうな。
で、結局「参謀が指揮をとってはならないという明文の規定」
は提示できず、逆切れして逃げ回るだけだったな。
>>934 >見当違いの文章を並べ立ててごまかそうとしていたし。
>>919 >>918 で述べてた人がすっごい見当違いなんだけど。
>一体いつの時代の参謀本部条例を持ち出しているんだろうね。
>日露戦争の時の条例とは ”全く別物なのも知らない” んだろうな。
だったら出せば?資料も出さずに根拠もなく批判をしても 何の意味のないけど?
参謀本部は大元帥である天皇のスタッフである。参謀本部自身には、決定権も
なければ、決定を執行する 【指揮命令権】 もない。形式上の決定権と指揮命令権は
天皇にある。天皇は決定を下した後、其の決定の執行を平時であれば陸軍卿
戦時であれば天皇直属の軍隊式間である監軍部長あるいは戦時特命の司令官に
命ずる。
天皇直属の軍隊でラインを構成するのは陸軍卿であり、戦時においては監軍部長
あるいは戦時特命の司令官であった。
その意味では参謀本部はたんなる天皇の補佐期間であり、政治的責任をともなう
輔弼機関ではなかった。この【性格は最後まで変わらない。】 【大江 日本の参謀本部より】
上記の意見を否定するだけの論拠をだしてきてくださいな。
君がいってるのは 天皇の命令権を犯す行為であり根本的に当時の日本の
軍隊を理解していない。そういう輩が軍板には沢山いるとは考えられないので
一人でがんばってるんだろうなって図式が見える。
資料も出さずにって、お前以外は皆知っている話だよ。
つか、日露戦争のスレで、
>参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部を統括するとある。
なんていう、その時期に存在しない組織名が並べられた条例を、何の
疑問も持たずに引用できる神経が、全く理解できない。
お前さんが引いているのは、全部鎮台だの監軍だのが存在していた
ごくごく初期の話だ。
実際には戦時に天皇の決定を伝宣するのは参謀総長だよ。
奉勅命令で調べてみればいい。
>>936 >実際には戦時に天皇の決定を ”伝宣” するのは参謀総長だよ。
> ”奉勅命令” で調べてみればいい。
奉勅命令は天皇自らが直接統帥大権をもって命令を下すことだし、
〈奉勅伝宣〉は 単なる天皇が決定権を参謀総長が”代理”で伝達しているわけで。
君がいってるのは、伝令兵が命令を伝達しているから、指揮をしているとか、決定権を
持っているとかと一緒って言うレベル。 はっきり言ってむちゃくちゃ。
ミンナが知ってるなんて詭弁を弄するのは論外。
>>937 たのむからさ、もうちょっと日本語で
文章を書けるようになってから
また来てくんないかね
>単なる天皇が決定権を参謀総長が”代理”で伝達している
こんな記述にはなりません。
「はっきり言ってむちゃくちゃ。」
>>937 > 単なる天皇が決定権を参謀総長が”代理”で伝達しているわけで。
日本語で書いてほしいね。何となく言いたいことはわかる気がするが。
で、そもそも奉勅命令の原案を上げるのは参謀総長の仕事だということは
理解しているよな?それに加え、奉勅命令の典型的な形式が
「細項ニ関シテハ参謀総長ヲシテ指示セシム」
であることからもわかるように、細項は参謀総長に任されているんだよ。
>単なる天皇が決定権を参謀総長が”代理”で伝達しているわけで
→単、天皇、決定権、参謀総長、代理、伝達しているわけで
この方が逆に意味が伝わるような気がするのはどういうことか
>>937 > ミンナが知ってるなんて詭弁を弄するのは論外。
日露戦争の話に対して
> 参謀本部条例によれば、参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部を統括するとある。
なんていう無関係の代物を持ち出してくるような奴が、何を言う。
文字通りに受け取ると、日露戦争の時には参謀本部が統括でき
る組織は実質存在しないということになるんだが?
まあ、日本語が不自由なようだから「詭弁」という語の意味も知ら
んのだろうけど。
明治後期の参謀本部条例だと、こうだな。
第一条 参謀本部は国防及用兵の事を掌る所とす
>>938-939 >奉勅命令の原案を上げるのは参謀総長の仕事だということは
>理解しているよな?それに加え、奉勅命令の典型的な形式が
>「細項ニ関シテハ参謀総長ヲシテ指示セシム」
>であることからもわかるように、細項は参謀総長に任されているんだよ。
あのさ、日本語読解能力がキミには無いがよく分るが、
あくまでも天皇が命令を出し、”天皇の補佐” を参謀総長が
行っているにすぎない。もし君の言うとおりならば、参謀総長が日本の軍権を
天皇は握ってないことになり、憲法にも違反する。無茶苦茶を通り越して 正にバカだね。
>>940-941 >参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部を統括するとある。
>なんていう無関係の代物を持ち出してくるような奴が、何を言う。
下記にも書いたが、鎮台が旅団、師団と変遷しているので、特に問題なし。
根本的な参謀本部が天皇から陸軍卿、戦時には軍司令官という指揮系統の
他にラインの存在であり、それが日露戦争当時に変わったというなら
根拠をもって出してくればよい。
>>938-942ここまできて・・
>>935 をスルーしているのにワロタw
参謀本部は大元帥である天皇のスタッフである。参謀本部自身には、決定権も
なければ、決定を執行する 【指揮命令権】 もない。形式上の決定権と指揮命令権は
天皇にある。天皇は決定を下した後、其の決定の執行を平時であれば陸軍卿
戦時であれば天皇直属の軍隊指揮官である監軍部長あるいは戦時特命の司令官に
命ずる。
天皇直属の軍隊でラインを構成するのは陸軍卿であり、戦時においては監軍部長
あるいは戦時特命の司令官であった。
その意味では参謀本部はたんなる天皇の補佐機関であり、政治的責任をともなう
輔弼機関ではなかった。この【性格は最後まで変わらない。】 【大江 日本の参謀本部より】
参謀本部とは軍事組織における師団長・旅団長・連隊長・大隊長に当たる
高級指揮官の作戦指揮を補佐する業務を行う機関である。軍事組織における
指揮系統は単一であるために
参謀本部に "一切の指揮権はなく、"
指揮官が参謀本部の補佐を得ながら作戦指揮において独自に決心する
松村劭『バトル・シミュレーション 戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』(文藝春秋、2005年)112項 - 113項
正直、近代の軍事システムにおいて参謀に指揮権が無いのは常識。
でも そんな常識を軍板の人間が知らないなんてありえない。わーわー一人で騒いでいる
だけなのがよく分るレスだよね。
参謀本部、並びに参謀員が 指揮を出してよいという 日露戦争には変わったと述べてる
>>941 >>934の参謀本部条例を出してきてね、奉勅命令を伝宣するのが命令って思ってる御仁には
どーしようもないだろうけど。
>>943 あのさ、
>日本語読解能力がキミには無いがよく分る
なんだこれ。いや真剣に。
いろんな人に何遍も、お前の日本語はおかしいと
いわれているのにまだわからんのか。
こんな文を書く奴が正しく資料を読めてるはずないだろ
>参謀総長が日本の軍権を天皇は握ってない
これもひどいな。「正にバカだね」
で、こんだけお前の書き込みから
ダメなところを抜き出して指摘してるのに
根拠のない批判が続いていると言いはるのは
なぜなんだ?
結局言い返したいだけのクソじゃん
これじゃ主張そのものだけなく人格まで攻撃されるよ。
そういうレベルの躾が必要なんだもの
> あのさ、日本語読解能力がキミには無いがよく分るが、
とか
> 参謀総長が日本の軍権を
> 天皇は握ってないことになり、
とか
> 根本的な参謀本部が天皇から陸軍卿、戦時には軍司令官という指揮系統の
> 他にラインの存在であり、
相変わらず変な日本語だな。まともな教育を受けた日本人が書いたとは、
到底考えられない。
で、天皇が参謀総長に対して「細部は指示しろ」と命令し、それを受けて参謀
総長が細部を決めて大陸指等の形で指示するという形をとると、天皇の統帥
権がなくなるのか。初めて聞く珍解釈だな。後、
> 鎮台が旅団、師団と変遷しているので、特に問題なし。
参謀本部条例の
> 参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部を統括するとある。
が、「参謀本部は各師団の参謀部を〜」となっているならともかく、
「第一条 参謀本部は国防及用兵の事を掌る所とす」というように、根本的に
改訂されている以上、その解釈は無理だな。
一般の軍司令官等と違って、天皇の場合には自分で具体的な作戦の
立案だの指揮だのはやらないのが基本だからな。
一般の指揮官の場合には、自分でそれなりのことをやるのが前提で、
参謀はその補佐という立場だから、参謀本部の場合とはおのずと立場
が異なってくる。
> 参謀本部はたんなる天皇の補佐機関であり、政治的責任をともなう
> 輔弼機関ではなかった。
というのは、組織の建前の話であって、実際に果たした役割の話じゃない。
この文章自体、「実際には自分たちで立案した案を奏上し、天皇経由で
そのまま下達している」にも関わらず、「政治的責任をともなう輔弼機関」
になっていなかったのが問題だという指摘だろ?
>>943 > もし君の言うとおりならば、参謀総長が日本の軍権を
> 天皇は握ってないことになり
実際、旧軍への典型的な批判の一つがこれだね。統帥権を
盾にとり天皇をかくれみのにして、好き勝手をやっていたと。
実際には、明らかに不興を買うようなことは奏上を控えたりと、
それなりの自主規制が働いていて、なんでもかんでも好き放
題という話ではなかったはずだが。
>>946 >「第一条 参謀本部は国防及用兵の事を掌る所とす」というように、根本的に
>改訂されている以上
明治乃至大正何年に改正された条文をごらんになっているのですか?
>>944の
>参謀本部、並びに参謀員が 指揮を出してよい
これ、「指揮」ってたぶんcommandの直訳なんだろうな
普通の日本語なら「命令を出して良い」あたりだろう
こんな機械翻訳まるだしの文章をポストするのは
ほんとうにやめて欲しい。
たかが2ちゃんかもしれないけど、
ひとつの言語に対する侮辱行為でしかない。
>>945-948 >明治後期の参謀本部条例だと、こうだな。
>第一条 参謀本部は国防及用兵の事を掌る所とす
明治乃至大正何年に改正された条文をごらんになっているのですか?
明治38年以前の資料でしたら是非だしてくれませんか?
それとも 明治41年に統帥権に絡めて 参謀本部条例が改正されていますが、
まさか、戦後の法律でもって、戦中の違法行為を律しようとしているのですか?
いやいや それで これだけスルーする連中もどうかとは思いますが。
ぜひぜひ 明治何年頃の参謀本部条例に基づいて話しているのか書いてくださいね。
>>951 >まさか、戦後の法律でもって、戦中の違法行為を律しようとしているのですか?
少なくともオレは、
お前さんが何語で考え、書いてもバカなんだろうな
と嘲笑っているだけ。
ただ、ここはバカの露出プレイ会場ではないので
キモいから他所でやるか、ちゃんと服を着れるようになってから
またおいで、って言っているだけ
カキコのたびに綴り方レベルのだめ出しを食らうのが
何故なのか、もういちど考え直しなさい
「参謀が指揮を取ってはならない」とは明文化されていないという理解でよろしい?
明治治29年03月12日 / 作成者: 陸軍省陸軍大臣候爵 大山巖 勅令案
朕参謀本部条例ノ改正ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
参謀本部条例
第一条 参謀本部ハ国防及用兵ニ関スル一切ノ事ヲ掌ル所トス
第二条 参謀総長ハ陸軍大将若クハ陸軍中将ヲ以テ親補シ 天皇ニ直隸シ帷幄ノ軍務ニ参画シ国防及用兵ニ
関スル一切ノ計画ー同掌リ又参謀本部ヲ統轄ス
第三条 参謀総長ハ国防ノ計画及用兵ニ関スル命令及条規ヲ立案シ”親裁”ノ後之ヲ”陸軍大臣ニ移ス”
以下略
これは大山巌が出した参謀本部条例の改正案ですが、君が言ってることが第一条にまさしく書いてありますね。
しかし、それは第三条によってしっかりと 指揮命令系統から切り離されている。
参謀本部条例の制定にともなう陸軍職制制定、陸軍省職制章程の改正によって
陸軍部内で軍政と【軍令】が分離され軍令事項は陸軍卿の権限が及ばないものと
された結果 軍令事項は内閣の権限外とされシビリアン・コントロールの原則は崩れた。
いわゆる統帥権の独立である。陸軍卿の権限は、人事監督会計を意味する統理に縮小され、
そのかぎりで内閣の発言権も陸軍卿の権限の範囲内にかぎられることになった。
参謀本部長の権限の最大のものは。軍隊統率権に関しては、天皇すなわち
大元帥に直属する。つまり内閣を経由することなく直接に天皇に上奏し、天皇の親裁を
えるという権限である。これを帷幄上奏権という。内閣はこと軍隊の統率に関しては
一切口出しできないという制度ができた。
参謀本部は大元帥である天皇のスタッフである。参謀本部自身には、決定権も
なければ、決定を執行する 【指揮命令権】 もない。形式上の決定権と指揮命令権は
天皇にある。天皇は決定を下した後、其の決定の執行を平時であれば陸軍卿
戦時であれば天皇直属の軍隊指揮官である監軍部長あるいは戦時特命の司令官に
命ずる。
天皇直属の軍隊でラインを構成するのは陸軍卿であり、戦時においては監軍部長
あるいは戦時特命の司令官であった。
その意味では参謀本部はたんなる天皇の補佐機関であり、政治的責任をともなう
輔弼機関ではなかった。この【性格は最後まで変わらない。】 【大江 日本の参謀本部より】
>>952 >明治後期の参謀本部条例だと、こうだな。
>第一条 参謀本部は国防及用兵の事を掌る所とす
明治乃至大正何年に改正された条文をごらんになっているのですか?
明治38年以前の資料でしたら是非だしてくれませんか?
それとも 明治41年に統帥権に絡めて 参謀本部条例が改正されていますが、
まさか、戦後の法律でもって、戦中の違法行為を律しようとしているのですか?
実際は
>>954 の状況でしたが 何をひねくれて考えて 己の恥を晒そうと
しているのかねぇ。
一生懸命調べたんだね。
で、自分が何度も何度も繰り返してコピペしてきた
> 参謀本部条例によれば、参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部を統括するとある。
がいかに見当違いな内容だったか、理解できたかな。
>>954 あいかわらずだね。
最初に上げた明治29年の改定案と、その後ろで引いている文章にある
「参謀本部条例」は、名称が同じというだけでほぼ完全に別物なんだが。
自分で引いた第一条、第三条と両立しえない
> 参謀本部長の権限の最大のものは。軍隊統率権に関しては、天皇すなわち
> 大元帥に直属する。つまり内閣を経由することなく直接に天皇に上奏し、天皇の親裁を
> えるという権限である。これを帷幄上奏権という。内閣はこと軍隊の統率に関しては
> 一切口出しできないという制度ができた。
とか
> 平時であれば陸軍卿
> 戦時であれば天皇直属の軍隊指揮官である監軍部長あるいは戦時特命の司令官に
> 命ずる。
を平然と並べ立てられる神経は。
>>956-957 >明治後期の参謀本部条例だと、こうだな。
>第一条 参謀本部は国防及用兵の事を掌る所とす
明治乃至大正何年に改正された条文をごらんになっているのですか?
明治38年以前の資料でしたら是非だしてくれませんか?
これだけ述べても 全く出してこないのはどういうこと?資料がないの?
>>956 >参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部
参謀本部は大元帥である天皇のスタッフである。参謀本部自身には、決定権も
なければ、決定を執行する 【指揮命令権】 もない。形式上の決定権と指揮命令権は
天皇にある。天皇は決定を下した後、其の決定の執行を平時であれば陸軍卿
戦時であれば天皇直属の軍隊指揮官である ”監軍部長あるいは戦時特命の司令官” に
命ずる。
とあるとおり。 ぜんぜん問題ないと解釈するが君にとっては違うようだね。
早く どの参謀条例案を見たのか根拠を出してくれたまえ。もともと大江の参謀
本部を読んでるので調べるもなんもない。
>>957 >自分で引いた第一条、第三条と両立しえない
大山巌が改正案を出した原文が見れるわけだが・・。
それが両立しないというのは 大山巌が アホなのか君がバカなのかどっちかだね。
>を平然と並べ立てられる神経は。
神経は。って日本語の用い方って不思議だねーって言ってみる。
あの文面は大江の文面そのままだけどね。理解できなければ大江に言ってみたら。
WIKIの参考文献にも載ってる本程度だけどさー。
>>958 >>を平然と並べ立てられる神経は。
>神経は。って日本語の用い方って不思議だねーって言ってみる。
べつに不思議というほどではない。
ちょっと雑だとは思うが。
冗談でも何でもなしに、揚げ足取りにすらなってないぞ
こんなこと言い出したことで、あきらかに
日本語できない人間だと言うことを自白したようなモノ
何度でも言うが、こんな低レベルの奴がまともに資料読めてる
なんて夢物語だ。
942 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 22:18:51.44 ID:???
明治後期の参謀本部条例だと、こうだな。
第一条 参謀本部は国防及用兵の事を”掌る”所とす
掌るってその役目を掌る=担うって意味であり、この後の第三条と相反するので
国防及び用兵の全権を”掌握した意味” に捉えるのは非常に無理がある。
まさか、全権を掌握したなんて解釈してないだろうね。掌握してなかったら
参謀が指揮をするのはおかしいって思うはずだが。
でも彼は参謀が指揮をするのが当たり前って考えてる節があるので
多分 全権を掌握したって解釈してんだろうなぁ。
ま、それ以前に参謀本部から派遣された軍参謀が越権行為を
した言い訳にもまったくなってなかったりするがw
>>959 平然と並べて書いているのは大江の文章だからね。これが理解できないのは
どうしようもない。(揚げ足まで取ろうとしているんだからねぇ。)
あのさ揚げ足なんてどうでもいいから 下記の件
>明治後期の参謀本部条例だと、こうだな。
>第一条 参謀本部は国防及用兵の事を掌る所とす
明治乃至大正何年に改正された条文をごらんになっているのですか?
明治38年以前の資料でしたら是非だしてくれませんか?
これだけ述べても 全く出してこないのはどういうこと?資料がないの?
資料がないけど ただ言いたいの?
掌るって全権を掌握なんて バカな意見をもってないだろうね?
国防及び用兵の事を 担う って程度だけど?
942 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 22:18:51.44 ID:???
明治後期の参謀本部条例だと、こうだな。
第一条 参謀本部は国防及用兵の事を”掌る”所とす
上の続きな。
第一条 参謀本部ハ国防及用兵ニ関スル一切ノ事ヲ掌ル所トス
第二条 参謀総長ハ陸軍大将若クハ陸軍中将ヲ以テ親補シ 天皇ニ直隸シ帷幄ノ軍務ニ参画シ
”国防及用兵ニ関スル一切ノ計画ー同” 掌リ 又 ”参謀本部ヲ統轄ス”
国防及用兵ニ関スル一切ノ計画ー同” 掌リ だよ。
第三条 参謀総長ハ国防ノ計画及用兵ニ関スル命令及条規ヲ立案シ”親裁”ノ後之ヲ”陸軍大臣ニ移ス”
国防及用兵ニ関スル一切ノ計画ー同を掌ると参謀が指揮を取ってもよいなんて解釈する
のは とっても とっても 無理がある。
こういう風に捏造するのが ある儲の特徴だったが まさしく現れてきたな。
やれやれだね。
>>958 大江氏の文章は、最初に制定された参謀本部条例について論じたもので、
内容も最初の参謀本部条例を前提にしている。
で、「大江氏の文章」と「大山巌改定案」がそのままでは両立しないと書いているのに、
> 大山巌が改正案を出した原文が見れるわけだが・・。
> それが両立しないというのは 大山巌が アホなのか君がバカなのかどっちかだね。
なぜ「大山巌の改定案自体が矛盾している」と読むのかな?
バカは、日本語の読み書きが不自由な
>>958だけだよ。
で、都合よく
> 彼は参謀が指揮をするのが当たり前って考えてる節がある
なんて書いているが、そもそもの出だしは、津野田参謀の行為が緊急避難と
しても容認しえないものかどうか、という話だ。
で、その話の流れで、なぜか知らんがそんな末節の話など出てくるはずもない
「参謀本部条例」を持ち出してきたバカが一匹湧いてきただけのことだよ。
まあ、そのバカは、おそらくは
>>958、
>>960と同一人物だろうけどな。
>>961 大江氏が、大山案と並べてあの文章を書いたとでもいうのかね?
それは、大江氏に対する侮辱だな。大江氏の文章は、あくまでも
「設置当初から終末まで、参謀本部の体質が変わらなかった」と
いうことを示すために明治初の参謀本部条例を上げてあるにすぎ
ない。
大山案や、「明治後期の条例」として上げた奥案も、参謀本部制度
の変遷という意味合いで上がっている話だ。大江氏の著書の中で
も、全く別の文脈で取り上げられているはずだけどな。
>>963 長々 罵倒ご苦労様 日露戦争とは全く関係ない罵倒ばかりですね。
>>964 >「明治後期の条例」として上げた奥案も、参謀本部制度の変遷
参謀本部条例の制定にともなう陸軍職制制定、陸軍省職制章程の改正によって
陸軍部内で軍政と【軍令】が分離され軍令事項は陸軍卿の権限が及ばないものと
された結果 軍令事項は内閣の権限外とされシビリアン・コントロールの原則は崩れた。
いわゆる統帥権の独立である。陸軍卿の権限は、人事監督会計を意味する統理に縮小され、
そのかぎりで内閣の発言権も陸軍卿の権限の範囲内にかぎられることになった。
参謀本部長の権限の最大のものは。軍隊統率権に関しては、天皇すなわち
大元帥に直属する。つまり内閣を経由することなく直接に天皇に上奏し、天皇の親裁を
えるという権限である。これを帷幄上奏権という。内閣はこと軍隊の統率に関しては
一切口出しできないという制度ができた。
参謀本部は大元帥である天皇のスタッフである。参謀本部自身には、決定権も
なければ、決定を執行する 【指揮命令権】 もない。形式上の決定権と指揮命令権は
天皇にある。天皇は決定を下した後、其の決定の執行を平時であれば陸軍卿
戦時であれば天皇直属の軍隊指揮官である監軍部長あるいは戦時特命の司令官に
命ずる。
天皇直属の軍隊でラインを構成するのは陸軍卿であり、戦時においては監軍部長
あるいは戦時特命の司令官であった。
その意味では参謀本部はたんなる天皇の補佐機関であり、政治的責任をともなう
輔弼機関ではなかった。この【性格は最後まで変わらない。】 【大江 日本の参謀本部より】
【指揮命令権】 もない。
この【性格は最後まで変わらない。】
>、参謀本部制度の変遷という意味合いで上がっている話
日露戦争後の明治41年の話で掲載しているが、日露戦争中の話を遡及できるとでも?
さらにそれらの権限も拡大しているわけではないと記述しているね。
>>963 >津野田参謀の行為が緊急避難としても容認しえないものかどうか、という話だ。
師団司令部付けで軍への報告書を書いているときの敵襲でね、
キミは飯田師団長が退却を下令しているときに、師団長を補佐すべき参謀が
指揮官を補佐せずに 勝手に飛び出して指揮をするのが 許されることだと?
星野大佐のように砲兵指揮官を叱咤するならともかく・・・
”僥倖にも予の命令に従った”なんて回想録に書かざるを得ないような
行為を行ったのは誰かね。そして 本人が僥倖にもと自覚しているってこった。
普通は機関銃指揮官を叱咤して、さらに飯田師団長をまず補佐すべきだけどね。
津野田自身が罪の自覚が有る以上 どうしようもないんだけどなぁ。
ここまで引っ張るバカがいるとはね。
> ”僥倖にも予の命令に従った”なんて回想録に書かざるを得ないような
従うという保証がなかったのは確かだろうね。で、従わなければ壊滅させ
られていたことが確実という状況だったから僥倖なんであり、
> 罪の自覚
とは関係ないね。
ま、当時の軍首脳も含め、
>>966以外の人間にとっては津野田大尉の行為
は緊急やむを得ざる行為として容認されているんで、いまさらの話だよ。
軍法会議はおろか譴責もなされていないんだからね。
普通の人間は「緊急避難」という言葉の意味を心得ているよ。
車が突っ込んできて、逃げ場が赤信号側にしかないような状況でも、
>>966は
「何があっても赤信号を冒してはならん」と叫んでひかれるらしいけど。
>>967 >とは関係ないね。 普通の人間は「緊急避難」という言葉の意味を心得ているよ。
旅順から帰着した児玉は作戦課長とともに苦戦中の右翼戦線に
赴き、第一軍と第四軍の参謀長・先任参謀長らを会してとるべき
方針について討議した。情勢の切迫をみてただちに攻勢移転の
命令を下達することを迫った福田雅太郎第一軍作戦主任参謀にたいし
児玉は「おれにはそんな権限はない」と拒否した。攻勢移転の
命令は児玉が総司令部に帰り、大山総司令官の決裁をへて下達された。
スタッフはあくまでもスタッフであり、どんな緊急な場合でも
直接にラインを ”指揮することは許されないという鉄則” を
守ったのである。 (大江 日本の参謀本部より)
しかし 緊急の情勢に対しては軍司令官の独断による対応が
許されている。上級司令部のスタッフが直接に介入することが
許される問題ではない。福田雅太郎第一軍作戦主任参謀が
攻勢移転の命令下達の意見を具申するのであれば、具申先は
黒木第一軍司令官であって児玉参謀長ではない。 (大江 日本の参謀本部より)
そういう状況ならば 指揮官に意見具申するべきであると
重々述べてるが・・君には 何も見えないし、聞こえないし、どうしようもない。
どんな緊急の場合にもと言っても、程度の問題がある。
緊急とは言えそれなりに時間の余裕がある状況と、機関銃で薙ぎ払える
ほどの目と鼻の先まで敵兵が来ている状況では、意味が全く違う。
敵がまさに襲撃しているときに、「師団長殿、判子をください。命令してくだ
さい」なんて言い出す奴は、無能の誹りを免れない。
>>968は、火薬庫に火が入りかけているのを目の当たりにしても、「俺には
命令権はない」と嘯いてそのまま爆発させそうだな。普通は、番兵を叱咤
して消火にあたらせるものだが。
いずれにせよ、
>>968がどれほど強弁しようが、「津野田参謀の行動が公的
譴責の対象にならなかった」という事実は曲げようが無いよ。
>>969>師団長殿、判子をください。命令してください
口頭命令でもいいんだが。自分の有利な状況を妄想して
話す癖が出てるねー。
師団司令部付けで軍への報告書を書いているときの敵襲。
飯田師団長が退却を下令しているときに、師団長を補佐すべき参謀が
指揮官を補佐せずに 勝手に飛び出して指揮をするのが 許されるかどうか
なんて一目瞭然。本人も自覚しているほどの罪なわけですね。
それを、津野田参謀の行動が公的 ”譴責” の対象にならなかった
から ”問題ない” なんて言う方がおかしい。
少なくとも参謀は軍の指揮系統のラインからは外れている。
だからこそ、参謀が軍の指揮を執ってよいというような根拠を出せ!って
言ってるが、 反論者の ”思い込み程度” しか出てこないんだからどうしようもない。
>>969 >火薬庫に火が入りかけているのを目の当たりにしても、「俺には
>命令権はない」と嘯いてそのまま爆発させそうだな。普通は、番兵を叱咤
>して消火にあたらせるものだが。
権限がないから行動に移せないのは当たり前。
火薬庫に火が入りかけている状況ってことは個人の力で
どうすることもできない状況だ。其の中へ何をするの?
管理方法や現場の消化方法など何も分ってない人間が勝手に
行動(叱咤など)を起こして 二次災害を起こしたらどうするんだ?
ミイラ取りがミイラになるんだけどw
つか、まじで君はガキだな。多分 君は権限もないのに余計な事をして
二次災害を引き起こす 最悪な人物だろう。引きこもってる分には
社会に迷惑をかけないだろうから。ぜひそうしてくれたまえ。
「戦後の法律」どころか俺ルールで断罪……
自分の根拠レスを棚に上げて他人にはソース要求……
ここまでのテンプレちゃんは久しぶりにみるな
この人のなかでは、軍人はいちど
・指揮官コース
・参謀コース
のどちらかに入ったら最後、退役するまで異動はないんだろうね
兵科将校が目睫の危難のときに「オレ参謀だから」とかいって
掌握可能な部隊をきちんと掌握しなかったら
それこそ大問題だろうに
よくて予備役編入、最悪不名誉除隊だろ、そんな将校
>>972 >「戦後の法律」どころか俺ルールで断罪……
>自分の根拠レスを棚に上げて他人にはソース要求……
あれ?俺ルール?児玉もちゃんと指揮系統を認識
>>968しているし、
大山巌もちゃんと改正案を出して指揮系統
>>962 とを分離していますが?
大江の日本の参謀本部でも参謀は軍の指揮権はないと
>>965で述べてるとおり。
更に児島譲の日露戦争でも 参謀に指揮権はないと書いていましたが・・
ちゃんと根拠を示して 文面も書き出してる人の意見に対して、
批判を言うならば、 ちゃんと根拠を出さないとね。
>ここまでのテンプレちゃんは久しぶりにみるな
まさしく鏡が見れないんだろうね。
資料をバシーって突きつけて 参謀は軍の指揮をとってもよい!って
出してくれれば気持ちいいんだが・・
何を言ってんだかねー。
無関係なコピペに続けて「常識だ」と連呼するだけで、
「参謀が指揮をとってはならないという規定」なるものは一度も
出てこなかったな。
過疎スレだったのにキチガイが居付いてからの勢いといったら…
続けるのか?
977 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 20:00:41.84 ID:bfwNl/yD
続いてもこの調子ならあってないようなものと個人的に思うが、
続けたいと思う人は990あたりで次スレ立てればいいんじゃね。需要がなければ勝手に落ちるさ
>>975 >「参謀が指揮をとってはならないという規定」なるものは一度も
942 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 22:18:51.44 ID:???
明治後期の参謀本部条例だと、こうだな。
第一条 参謀本部は国防及用兵の事を”掌る”所とす
上の続きな。
第一条 参謀本部ハ国防及用兵ニ関スル一切ノ事ヲ掌ル所トス
第二条 参謀総長ハ陸軍大将若クハ陸軍中将ヲ以テ親補シ 天皇ニ直隸シ帷幄ノ軍務ニ参画シ
”国防及用兵ニ関スル一切ノ計画ー同” 掌リ 又 ”参謀本部ヲ統轄ス”
国防及用兵ニ関スル一切ノ計画ー同” 掌リ だよ。
第三条 参謀総長ハ国防ノ計画及用兵ニ関スル命令及条規ヲ立案シ”親裁”ノ後之ヲ”陸軍大臣ニ移ス”
国防及用兵ニ関スル一切ノ計画ー同を掌ると参謀が指揮を取ってもよいなんて解釈する
のは とっても とっても 無理があるし、それが見えないのは単なる現実逃避
>>971 > 管理方法や現場の消化方法など何も分ってない人間が勝手に
参謀だって隊付士官と同等以上の教育、訓練は受けているよ。軍と無関係など
素人じゃあるまいし。
> 火薬庫に火が入りかけている状況ってことは個人の力で
> どうすることもできない状況だ。其の中へ何をするの?
周辺での火災などであれば、「普通は」消火にあたらせるな。
>>971みたいに「俺には指揮権が無いから関係ない」と言って
その場を離れ、指揮官を呼びに行ったりしたら、それこそ軍法会議にかけられて
もまったく不思議はない。
>>975 >無関係なコピペに続けて「常識だ」と連呼するだけで、
あれ?俺ルール?児玉もちゃんと指揮系統を認識
>>968しているし、
大山巌もちゃんと改正案を出して指揮系統
>>962 とを分離していますが?
大江の日本の参謀本部でも参謀は軍の指揮権はないと
>>965で述べてるとおり。
更に児島譲の日露戦争でも 参謀に指揮権はないと書いていましたが・・
参謀員が参謀本部とは無関係とはこりゃいかにw
>>978 「とって良い」とも「とってはならない」とも書いていないな。
最初から何度も何度も指摘しているとおり、少なくともお前の
主張を支持する内容も否定する内容も、参謀本部条例には
存在していないよ。
一度こういうのに粘着されたら終わり。
つづけたければ、ほとぼり冷めてからのほうが
良いと思われ
>>982 そりゃそうだ。
こっちはちゃんと根拠やソースを出して説明しているのに
参謀が軍の指揮をとっても良いなんて主張している人は
942 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 22:18:51.44 ID:???
明治後期の参謀本部条例だと、こうだな。
第一条 参謀本部は国防及用兵の事を掌る所とす
で中途半端に出して
>>962 で捏造がばれたんだからなぁ。
もう罵詈雑言で粘着するしかないんだろうね。
>>981 第一条 参謀本部ハ国防及用兵ニ関スル一切ノ事ヲ掌ル所トス
第二条 参謀総長ハ陸軍大将若クハ陸軍中将ヲ以テ親補シ 天皇ニ直隸シ帷幄ノ軍務ニ参画シ
”国防及用兵ニ関スル一切ノ計画ー同” 掌リ 又 ”参謀本部ヲ統轄ス”
第三条 参謀総長ハ国防ノ計画及用兵ニ関スル命令及条規ヲ立案シ”親裁”ノ後之ヲ”陸軍大臣ニ移ス”
参謀本部の指揮系統がしっかりと 陸軍大臣と天皇のラインと区別されていますが?
認めたくないのは君だけだろうに。
下記が 大江の解説な。
参謀本部条例の制定にともなう陸軍職制制定、陸軍省職制章程の改正によって
陸軍部内で軍政と【軍令】が分離され軍令事項は陸軍卿の権限が及ばないものと
された結果 軍令事項は内閣の権限外とされシビリアン・コントロールの原則は崩れた。
いわゆる統帥権の独立である。陸軍卿の権限は、人事監督会計を意味する統理に縮小され、
そのかぎりで内閣の発言権も陸軍卿の権限の範囲内にかぎられることになった。
参謀本部長の権限の最大のものは。軍隊統率権に関しては、天皇すなわち
大元帥に直属する。つまり内閣を経由することなく直接に天皇に上奏し、天皇の親裁を
えるという権限である。これを帷幄上奏権という。内閣はこと軍隊の統率に関しては
一切口出しできないという制度ができた。
参謀本部は大元帥である天皇のスタッフである。参謀本部自身には、決定権も
なければ、決定を執行する 【指揮命令権】 もない。形式上の決定権と指揮命令権は
天皇にある。天皇は決定を下した後、其の決定の執行を平時であれば陸軍卿
戦時であれば天皇直属の軍隊指揮官である監軍部長あるいは戦時特命の司令官に
命ずる。
天皇直属の軍隊でラインを構成するのは陸軍卿であり、戦時においては監軍部長
あるいは戦時特命の司令官であった。
その意味では参謀本部はたんなる天皇の補佐機関であり、政治的責任をともなう
輔弼機関ではなかった。この【性格は最後まで変わらない。】 【大江 日本の参謀本部より】
機関銃で薙げるほどの至近距離まで敵部隊が来ている、ということの
意味も、それを放置することの重大性も、軍人には明白だわな。
> 参謀本部条例によれば、参謀本部は各監軍部 近衛 鎮台の参謀部を統括するとある。
これが「日露戦争時に参謀が指揮をとってはならないという『ソース』」か。
罵詈雑言で粘着してる人はどっちだろうね?
>>924とかで細かく指摘されてるのに外野を装って無視したくせによく言うわ
日本語をまともに使いこなせずコピペと暴言で持論を押し通そうとするんだからスレが機能するわけがない
>>979 >参謀だって隊付士官と同等以上の教育、訓練は受けているよ。軍と無関係など
>素人じゃあるまいし。
あのな、参謀は火薬庫に火が回る前の防備状況を考えるのが仕事。
其の後の火薬庫に火が回って爆発したら 次回それを防ぐために
どうするかを考えるのが仕事。
火薬庫の火を消すには 兵隊や装備が必要だよね。その兵隊と装備を
管理しているのはもちろん 参謀ではなく、その現場管理者と直接の上司。
そして、今見えてる 火薬庫の火よりも先に消さなくちゃいけない火が
あるとか、そういう判断がその火薬庫の現場だけで見えるとでも?
勝手な判断でその場をしのいだとしても、その装備と兵員で他の大事故を
防げたかもしれない。緊急事態というのはそういうことなの。
だからお子様なんだよ。君は。
よーやくわかったわ。思考能力がw。
>985
児玉もちゃんと指揮系統を認識
>>968しているし、
大山巌もちゃんと改正案を出して指揮系統
>>962 とを分離していますが?
大江の日本の参謀本部でも参謀は軍の指揮権はないと
>>965で述べてるとおり。
更に児島譲の日露戦争でも 参謀に指揮権はないと書いていましたが・・
それだけじゃないんだけど?何を言ってるの?
そもそものネタのHPにも参謀は指揮権がない的な事が書いてあるのに・・
何をいってんだw
>>986 >罵詈雑言で粘着してる人はどっちだろうね?
976 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 19:58:33.11 ID:???
過疎スレだったのに ”キチガイ” が居付いてからの勢いといったら…
重々述べてるが・・君には 何も見えないし、聞こえないし、どうしようもない。
969 返信:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 19:29:13.00 ID:???
言い出す奴は、 ”無能の誹り” を免れない。
963 返信:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 18:27:25.99 ID:???
まあ、その ”バカ” は、おそらくは
>>958、
>>960と同一人物だろうけどな。
959 返信:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 17:49:24.90 ID:???
こんな低レベルの奴がまともに資料読めてる
952 返信:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 16:03:49.15 ID:???
ただ、ここは ”バカの露出プレイ会場” ではないので
”キモい から他所でやるか、ちゃんと服を着れるようになってから
945 返信:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 12:50:30.80 ID:???
結局 ”言い返したいだけのクソ” じゃん
931 返信:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 22:12:23.25 ID:???
当事者が「傍から見たら」なんて騙っちゃいけません。
あ、もしかして笑いどころでしたか?そりゃすいません。
これくらいかなー。
>>989 間違いなくあなたでしょうね
自分から最初に煽り出してここまで粘着してきたのだから私が言うまでなく理解してるでしょう?
ようするに
>>987とかいう無能な小役人は、目の前で火薬庫が爆発
しそうな状況であっても、参謀たるものは放置して爆発させるべきだ
と考えているわけか。
>>987は、自分以外の人間が「緊急避難」という言葉の意味を心得て
いて、必要な時にはしかるべき措置をとっていてくれていることを感謝
すべきだな。
参謀本部が軍の指揮権がないのは WIKIでも見れるように常識。
参謀本部とは軍事組織における師団長・旅団長・連隊長・大隊長に当たる
高級指揮官の作戦指揮を補佐する業務を行う機関である。軍事組織における
指揮系統は単一であるために
参謀本部に "一切の指揮権はなく、"
指揮官が参謀本部の補佐を得ながら作戦指揮において独自に決心する
松村劭『バトル・シミュレーション 戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』(文藝春秋、2005年)112項 - 113項
これを認めたくない 人が 一生懸命 罵詈雑言やら相手を貶めようと必死(
>>989)になってるけど
逆に軍板でやってしまったが故に一人でやってることがバレバレな状況。
>>991 あのな、火薬庫に火が入りそうな状況って勝手な想定だが、
後だしで 参謀は対処方法を知ってるとか いろいろ条件を変えてる
時点で もう 君の想定はだめなの。他の危険な想定もあるかもしれない
状況で兵や装備が使えるかどうか管理している上司に確認しなくちゃならん。
火薬庫が爆発したのは参謀のたてた防備計画のミスだし、
火薬庫が爆発して責任を負うのはどこまで言ってもその現場監督と其の上司。
次回防ぐための手段を講じなければならない。それが参謀の役目。
わかってないねー。
だから君は勝手な事を無責任に行って二次災害を起こす 迷惑な人に
なっちまうわけだ。監督者もそういう君を許すわけにもいかず、逆に
爆発した責任と勝手に装備と兵を動かした責任を問うだろうね。
それが 社会ってもんだ。
>>990 >粘着してきたのだから”私が言うまでなく”理解してるでしょう?
妙な漢字を使う オオバカ 確か・・嶽原とか言ってたかな生粋の乃木儲が昔いてね
めっちゃ粘着するんだよ日露戦争スレにな。
最近は根拠もいい加減な捏造しか出てこなくなったから、ヘタレになってるけど
まさか君とは違うよねー。下記のように公刊戦史を捏造してまで自己主張するのが
好きだったよ
>>553 これ、全体はこのように書かれていますね。
「軍司令官は、老鉄山半島と要塞内との交通を遮断せんと欲し、しかも、西太陽溝堡塁以南の
本防御線の防備堅固ならざるを知り、本攻撃正面の攻撃進捗とともに第7師団を以てこの方面を
攻撃せんことを計り、午後五時十五分同師団長に訓令するに、後三羊頭方面より逐次老鉄山半島
方面に前進すべく・・・」
この続きに・・・
「尚西太陽溝堡塁に対して極力攻撃作業を継続しもって諸堡塁将来の攻撃を容易ならしめ
さらにこの方面の敵を牽制するを要し」
と書いてある。
意図的にはずしたのは下記の思い込みを捏造するためですか??w
>この戦闘の目的は、老鉄山半島と要塞内とを結ぶ部分を遮断することで、
>要塞全体の攻略ではありません。
>実際に戦闘が行われた方面というか方向は、【当たり前ですが要塞内部へ向かうものではなく】
上記の戦闘目的は君の思い込みですね。当たり前って何?
乃木は、君の妄想する当たり前の事の要塞内部に向かうなと、指示していませんが、
なぜ こういう風な思い込みをしてるのですか 間違って嘘書いてました、とは認めずに
相手のミスばかりあげつらうのですか?
995 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 20:50:21.73 ID:bfwNl/yD
自分の反対意見は一人でやってるのがバレバレとか得意げに断言したり
脈絡もなく唐突に乃木儲がどうこう言いだすから、被害妄想って言われるんだよ
自分への批判は一人がやってるに違いない!って相当頭おかしいぜ
>>993 後出しも何も、参謀も普通に士官学校や部隊での訓練を受けていて、
隊付きの士官と同じ知識を持っているんだから、その知識の範囲で
対応できるかどうかなんてのは当たり前の話だろう。日本の場合、
「参謀」は経歴の一部でしかないんだから。
ましてや、
>>993自身の後付想定だと、「防備計画を立てる参謀」ら
しいからなおさらのこと。
で、事後の反省は当然だが、目の前にある災厄を、「参謀だから」と
いう理由で対処せずに放置することを是とする軍、組織は無いよ。
>>993の脳内社会は知らんが、現実の社会で緊急対応をさせようと
したことへの責任を問うことはないし、そもそもの発端であるところの
津野田参謀も責任は問われていない。
大体、機関銃で薙げるほどの距離と言えば、数百メートルとか、せい
ぜい1キロくらいのところだろ?そこに敵部隊がいてまさに味方を蹂躙
しようとしている状態で、呆然としている兵を叱咤したことの責任までは
そうそう問われることは無いし、実際にも問われていないね。
この粘着くんは
参謀厨=インフラ厨
なのかね
ミリオタのダメな要素が濃縮されとるな
こうはなっちゃいかんですよ
軍法会議ものだ、といわれるのだから、法律に明記してあるはずだね、
違反に該当する行為が。
パッと思いつくものとして、敵前逃亡とか命令不服従とか、そういう
違反行為が羅列されたものはないのだろうか。
あるのならば、その中に参謀職の逸脱行為とかも規定されているのだろうか。
そういうのがあれば明確に分かると思うのだが。
>>995 スルーすればいいのに。 なんでいちいち”自称他人が”干渉するのかねぇ。
>>996 >目の前にある災厄を、「参謀だから」という理由で対処せずに放置することを是とする
>軍、組織は無いよ。
参謀がやるべき仕事は 現場監督の代わりに指揮を執って災厄を防ぐことではない。
指揮官にたいして報告し指揮官でもって有効に装備や兵を使うことだ。
誰も放置するとか書いてないんだけど?
だからこそ、津野田は指揮官を叱咤すべきと書いてあるだろうに。
何をいってんだかね。
999?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。