◆第二次世界大戦で日米開戦を回避するには?◆

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420名無し三等兵
日中戦争の「不都合な真実」: 戦争を望んだ中国 望まなかった日本
著者: 北村稔、林思雲

 ちなみに旧版執筆時には、全く筆者の視野に入っていなかった日本の満州経営をめぐる歴史的事実
を提示しておきたい。小村寿太郎の反対はアメリカ資本排斥のためではなく、小村と密接な家計にあった
アメリカの大財閥モルガン商会との共同経営を考えていたからであったという。そしてこの時のモルガン
商会との提携は、アメリカの景気動向の変化で沙汰やみになった。
 しかしこのあと、満鉄とモルガン商会は一九二七年(昭和二年)に満鉄への共同出資を骨子に急接近
する。三井物産重役から政友会に入り、昭和二年に成立した政友会の田中義一内閣のもとで満鉄社長に
就任した山本条太郎が、モルガン商会代表のトーマス・ラモントとの間で交渉をまとめ、アメリカの
国務省がOKをだせば妥結というところまでこぎつけていた。山本は、日本とアメリカが共通の利害を持つ
ことで両国間の軋轢を回避し、同時に満州における中国人たちの反日活動の矛先をそらそうとしたのである。
しかし中国側の朝野を挙げて大反対にあい、中国得意のアメリカ言論界への巧みな働き掛けが効を奏し、
国務省はOKをださずモルガン商会も年末には出資を見合わせてしまった。昭和二年は日本のその後の
歴史を左右する分岐点であった。以上の経緯は、『歴史街道』( PHP 研究所、平成二十四年七月号)掲載
の帝京大学の小山俊樹氏の論文に詳しい。