@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 9 @@

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279名無し三等兵
航空自衛隊のF86F乗り、服部省吾氏の回想。

航空自衛隊がスクランブルで飛ばす戦闘機には、領空侵犯の証拠写真撮影のためのカメラが積んである。
当時、服部氏が乗っていたF86Fには、アサヒペンタックスSPが積んであった。

抜けるような青空の中で、銀色にきらきらと輝くソ連機、
今の全自動カメラでも露出が決めづらいところで、
アサヒペンタックスSPにも露出計がついてはいるが、服部氏、写真撮影の心得はいまひとつ。

帰投して現像してみたところ、ソ連機が写ってはいたが露出不足で真っ黒にしかプリントできず、
服部氏、上官にえらく怒られ、それからは写真の撮り方も練習したとか。

なお、航空自衛隊戦闘機に搭載されるカメラは、SPからOM−1を経て特別改造のFM2となり、
現在はデジタル1眼レフになっている。
280名無し三等兵:2011/11/03(木) 18:27:35.77 ID:???
>>278
正解。
一般兵が気軽に持ち歩いて写真を撮るほどには、とてもではないがカメラが普及しておらず、
撮ったところでなかなかDPEができなかったし、検閲も厳しかった。

将校にあってはその限りではなく、私物のカメラを携行していた例も多い。

「硫黄島から帰ったミノルタフレックス」のように、
持ち主の将校が硫黄島が激戦地となる寸前、遺品のつもりで日本にいる妻のもとに、撮影済みのフィルムが入ったカメラを送り返し、
戦後、未亡人となった妻がミノルタカメラの技術者のもとにカメラを託し、修理とフィルム取り出しを依頼したところ、
見事に硫黄島での夫の姿や生活の模様が写っていた例もある。
281名無し三等兵:2011/11/03(木) 18:49:26.42 ID:???
連投お許しあれ、海上自衛隊で写真撮影に携わっていた人の思い出話。

愛機はアサヒペンタックス6×7、通称「ばけぺん」か、大判の航空写真機。
愛機を持ってP3Cに乗り込み、日本海沖合いを目指す。

海面ぎりぎりの超低空飛行で、沖合いにいるソ連艦を目指すP3C、
氏の任務はソ連艦の上空スレスレを飛んでの写真撮影。
機を引き起こしたとたん、ソ連艦の射撃レーダーにロックオンされた警報が鳴り響く、
ひとたびソ連艦上空をかすめて飛んだら、引き返して撮り直しなどやったら撃たれるかもわからない、
やり直しのきかない、文字通りの一発必写。

ソ連艦上空をかすめるP3C、対空ミサイルランチャーや主砲が全部こちらを向いている、
撮り終わったら急旋回、全速反転で逃げる・・・のだが、

「あのでかいP3Cで急上昇、急降下、全速反転、とやらかすんですよ、
機の乗員は慣れてますけど、いつも乗ってるわけじゃない私、もう吐きそうになりましたねえ」。