【鮮人】川崎・土井・惨式鮮・誤式鮮【国賊】

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1名無し三等兵
鮮人土井・国賊川崎
設計ミスの国賊戦闘機惨式鮮・誤式鮮を語るスレです
2名無し三等兵:2011/08/05(金) 10:20:33.84 ID:???
おまんこ女学園
3名無し三等兵:2011/08/05(金) 10:24:45.62 ID:???
>>2
氏ね鮮人
4名無し三等兵:2011/08/05(金) 10:52:11.52 ID:???
零戦の金星搭載検討を断った堀越も追加
5名無し三等兵:2011/08/05(金) 11:29:32.58 ID:???
一式陸攻の実質無防弾を主張した本庄も追加
6名無し三等兵:2011/08/05(金) 11:40:17.12 ID:???
なんで?実質無防備じゃん?
7名無し三等兵:2011/08/05(金) 11:54:26.71 ID:???
 大西瀧二郎の防弾重視発言は一式陸攻の計画審議案の検討時からのものでしょう。
この時も大西瀧二郎の「搭乗員の命はかけがえの無い貴重なものだ」との主張が
技術側と業者からの否定的な意見によって押し切られています。
一式陸攻は実戦参加直後からその防御面での大欠陥が指摘される飛行機でしたが、
その改修型であるG4M3について、設計者は一式陸攻の高性能を保証した
インテグラルタンクの利点を損なう改造であり実利が無いばかりでなく無意味、と平然と発言しています。

また、
「そのため(重量軽減要求が過酷ということ)にどうしても防弾面の研究がおくれてしまう。
 みんな元気のいいパイロットにおぶさってしまう。体当たりさえしようというんだから(笑)」
とは、ある主力戦闘機設計者の言葉ですが、愚劣な発言というよりも、
第一線と設計者達の居た世界との距離の大きさをそこに見るべきなのでしょう。
設計者には何も見えていなかったと考える以外、彼等を免罪する道が見つけられません。
BUN

前者は三菱の本庄、後者は疾風の中島の小山な
8名無し三等兵:2011/08/05(金) 12:02:58.73 ID:???
一式陸攻の計画要求審議案決定までの記録は一般人も読むことが出来、計画要求は市販の出版物で読めると思いますが、
明確に防御の要求があります。これが全くの無防御に転換した理由は主翼の独特な構造によるのですが、
それは軍が押し付けたものではありません。設計者達のオリジナルと言われる機構、構造も海軍側の研究と発案に
依っている場合が多くありますが、この件は独自の発想と設計者の口から語られています。

そして設計者は「(当時最も効果的であったことが立証されているG4M3の内袋式)防弾タンクは被弾炎上までの
弾数がやや多くなるだけ」と発言してるのですから、当然責任はあるということでしょう。
こういうことは幾つかの機体において現実に起きていることなのです。
現実には用兵側と業者との間に空技廠が大きく関与しますし、計画要求の一項目を無視することが果たして業者側のみで
可能であったとは思えませんが、上記の通り、当時のエンジニアはこの件に関してはその個性と裁量の範囲でこの件に
十分に関与していると思われます。
BUN
9名無し三等兵:2011/08/05(金) 12:45:36.51 ID:???
長文書き込む奴って
やっぱどこかオカシイんだなw
10名無し三等兵:2011/08/05(金) 19:00:48.47 ID:???
>>9
何が「オカシイ」のか論理的具体的に証明できないなら発言するな。邪魔だから。
11名無し三等兵:2011/08/05(金) 19:29:16.78 ID:???
小山国賊認定な
12名無し三等兵:2011/08/06(土) 11:51:00.84 ID:???
じゃ遠慮なく 大東亜欠陥機証言編

戦史叢書「陸軍航空兵器の開発・生産・補給」

「四式戦の格闘性能は二式戦より遙かに優れ三式戦にやや劣る程度であった。
 その高速性を計算に入れると総合性能としてはまず上々であった。
 しかし、この空戦性能も、発動機の調子の良いものでは十分に発揮されたが、
 調子の悪いものは全く悲惨であった。

 技術の内容を確実に理解せず、多分に希望的観測をした陸軍中央部の幕僚が
 四式戦の性能を誇大宣伝し、十分な審査を行わず、その制式化・戦力化を急いだ結果は、
 このような結末に終わった。」
13名無し三等兵:2011/08/06(土) 11:52:36.69 ID:???
第47戦隊 大石正三少尉の手記 より
(昭和19年12月頃:2式単戦から4式戦への転換に際して)

「この改変には別段トラブルは起きなかった。着陸の容易さは前とは比較にならなかった。
 何しろ座敷ほどの大きな主翼がついているので失速の心配はなかった。

 そのかわり、今度は昇降舵の効きが悪く、どんなに引いても3点姿勢にはなかなかならなかった。
  大東亜決戦機と期待された疾風ではあったが、増産機は試作機ほどの速度は出なかった。
 巡航速度は鍾馗の方が15km/hくらい速かった。突っ込みも液冷機のようには加速がきかなかった。
 操縦桿を押してもせいぜいが20度くらいしか頭が下がらないのである。

  プロペラのピッチ変更も今までは米国式の油圧式で故障はなかったが、今度はフランス式の
 ラチェの電気式で故障が多かった。B29の腹の下をすりぬけて降下旋回に移った途端に
 プロペラのガバナーの調節範囲を越えてしまい、エンジンのシリンダーが一本抜けて、
 真っ黒な煙を吐きながら辛うじて成増にたどり着いたことがあった。
 また無線機も真空管がパンクして故障だらけで満足に使えたためしがなかった。」
14名無し三等兵:2011/08/06(土) 11:53:19.92 ID:???
台湾沖航空戦で疾風の評価

飛行第11戦隊附四至本廣之丞大尉の回想

「グラマンF6Fの性能は、わが四式戦(キ八四)より優秀であり、
 特にスピード、上昇、出足において優れていた。
 艦爆は四式戦の良い目標であった。」

(戦史叢書「沖縄・台湾・硫黄島方面 陸軍航空作戦」)
15名無し三等兵:2011/08/06(土) 11:54:09.12 ID:???
五式戦についての思い出  梼原秀見   手塚博文著『最後の一機』より(原文のまま)

 第三十戦闘飛行集団参謀から明野教導飛行師団司令部付となった私に対し、
 航空総監部から「比島作戦の戦訓を全戦闘隊に普及教育せよ」との命令があり、
 約二ヶ月あちこち回って四月一日明野に帰りました。

 丁度そのとき坂井庵少佐が五式戦をもってきておリ、乗ってみてくれとのことで早速操縦してみました。
 すると各舵の調和がとれて効きがよく、発動機の操作も隼と殆ど同じ、特に発動機の信頼性が高いので実戦むきだし、
 よい飛行機だと思いました。

 実戦性能をみたいと五四期の一人に四式戦に乗ってもらって単機戦闘をやりました。
 高位戦は勿論問題はなく、低位からでも四式戦には殆ど有効な攻撃をかけさせないですぐ反撃出来ました。
 そこで四式戦三機編隊と単機で戦闘をやりましたが、高位から終始有利な域闘が出来ましたし、
 低位でもだんだん態勢を挽回してゆけるので、すっかりほれこんでしまったのです。

 常陸に赴任の途中、航空本部の小森田親玄課長(三四期)と面接し、明野でやった実験を説明し、
「五式戦一機は四式戦三機以上の価値があるので、即刻五式戦の生産に全力を集中して下さい。
 四式戦では今の戦勢を挽回することは至難です」
 といったら、課長から

「梼原何をいうか、四式戦は大量生産に入ってどんどん出来ておる。
 五式戦は中京地区の工場の状態から今すぐ沢山は出来ない。
 君のような戦闘機のオーソリティが四式戦は駄目だなどと言えば、四式戦部隊の士気に大きく影響する。
 今後四式戦の悪口など言ったら即刻馘 くびきり だぞ」
 と叱られたことがあった。

 四式戦は補助翼が重く、舵のバランスがとれておらず、又発動機の取扱いが複雑で故障が多く出足も悪いので、
 これから若い操縦者に乗りこなして戦力を発揮してもらうには不適当だと判断していました。
16名無し三等兵:2011/08/06(土) 11:54:47.19 ID:???
前年(昭和十九年)夏、飛行実験部の今川一策大佐(二八期)が水戸にこられ、「梼原、四式戦をどう思うか」ときかれたので、感じたままを言うと
「四式戦にかわるもっとすぐれた戦闘機をつくらん事にはこの戦争は乗りきれん。
 どうだ、新戦闘機をつくるよう意見具申せんか」
 とのことに、

「そりゃいい戦闘機は欲しいが、今から設計、試作、審査、大量生産となると戦局に間にあわんでしょう。
 四式戦の改修、性能向上の方がいいのではないですか」
 と返事すると、
 「いや、今すぐ中島につくらせれば間に合うのだ」
 との意見を言われたが、私は今川大佐の言葉には余り乗気ではなかった。

 戦後確か昭和二十八年だったと思うが、久し振りに今川少将(昇進しておられた)にお会い出来た。その時に
「梼原、お前が新鋭戦闘機をつくることに反対するから敗けたじゃないか」
 と冗談まじりに不満をのべられた。

 五式戦は今川少将や私達の気持を察してか、駄目な三式戦の水冷発動機の代りに、
 その機体に星型空冷発動機をとりつけた苦肉の策であったが、ほんとに思わぬ拾い物をしたような戦闘機であった。

 グラマンと一度空戦をやってみたいと思っていたが、その機会に恵まれなかった。
 若しオクタン価九五若しくはそれ以上のよい燃料を使ったら、P51とでもよい戦闘が出来ただろうと思われる次第です。
17名無し三等兵:2011/08/06(土) 11:56:12.23 ID:???
二〇〇戦隊 吉良准尉

「さしあたって、P-38やP-39は問題ない。
 強敵はまずF6Fの旋回の早さ、突っ込み初動の早さと、P-51の軽快さだ。」
18名無し三等兵:2011/08/06(土) 11:58:11.56 ID:???
上昇も旋回もFw190(A5)の方が上である、これで格闘戦をやったら疾風が負けるだろう。

前に疾風はムスタングとまずまず互角に戦ったと書いたが、逆に言えば、やや分が悪かったということである。
しかし、五式戦ならムスタングと十分に戦えた。
これは、日本に来たムスタングがあまり高高度を飛ばず五式戦のレンジで戦ったということもあろうが、
数字だけを見れば五式戦は、最高速度では三式戦に劣り、疾風にももちろん劣るのである。
結局ものをいったのは上昇力であった。

空戦では上昇力、旋回中の余剰馬力というものがきいてくる。この点でもFw190は一級品だった。

それにしても、Fw190の操縦性能は魅力的であった。

by荒蒔

疾風は義理で触れてるかんじ
19名無し三等兵:2011/08/06(土) 11:59:54.86 ID:???
黒江の疾風評

・傑作機である
・20ミリと13ミリの威力!
・舵が重いが何となく性能の充実感である
・旋回性能はあの飛行機でこれ以上を望むことは出来なかったろう
・急降下の出足はFw190に及ぶべくもなかったが、不満足ではなかった

結論:傑作機である!!
20名無し三等兵:2011/08/06(土) 12:00:35.41 ID:???
空技廠 飛行実験部 山本重久少佐の手記

「月光や天雷も操縦してみた。また福生の陸軍航空審査部に、甲部員の小福田少佐とともに紫電二機
を空輸し、交換にもらった陸軍の新鋭戦闘機(名前は忘れた)を追浜にもちかえって、飛行テストを
おこなったこともある。これらの戦闘機のなかでは、紫電改がもっともすぐれていたように思う。」
21名無し三等兵:2011/08/06(土) 12:01:30.51 ID:???
渡辺洋二「決戦の蒼空」から
47戦隊パイロットの二式戦から四式戦への乗り換え感想(完全バージョン)

「二式単戦より四式戦のほうがよかった。落ち着いた感じの飛行特性
高高度性能も四式戦のほうが上」47戦隊旭隊長斎藤淳(重爆転科)

「二式戦より四式戦のほうが好きだった。着陸も四式戦が楽。
高速なのと20mmの利点については言うまでもない」旭隊野口博壽

「着速が速い二式戦より四式戦はずっと操縦が容易。皆、楽な
飛行機だといっていた」旭隊吉村實

「四式は重武装、高速で力強いが、機材への信頼感が減った。
 航続力が小さな二単は燃料が気になり、四式はエンジントラブルが心配」富士隊伴了三

「水平巡航速度は二単のほうが15〜20キロ速い。航続力は四式戦がずっと上。
 ただし四式戦は「両手で引け」と言われたほど昇降舵が重く、利きがいい二単と対照的」富士隊大石正三

「二単は飛行中ピクピク不安定なだけに舵の効きが早かった。
 四式戦はどっしりして乗りやすい。悪く言えば鈍重」桜隊一楽節雄

「選ぶなら四式戦。火力が大きく各種装備のレベルが二式戦より
上だし、飛行時間が長いのがありがたい 操舵は重いが」桜隊窪添竜温
22名無し三等兵:2011/08/06(土) 12:02:10.58 ID:???
「七名の回想はお互いに補完し合い、おおむね四式戦を歓迎している。しかし零戦や紫電11型を使っていた
 海軍の搭乗員が、紫電改に搭乗して味わった性能差に対する驚き、過大とも思える手放しの賛美とはだいぶ違う。
 陸軍にとっての紫電改は、真崎大尉が常陸教導飛行師団に転属後、四式戦との模擬空戦で
 「抜群。上昇力も運動性も着陸特性もはっきり上」と感じた五式戦闘機だった」

「大石氏は戦後に三菱重工でテストパイロットを務め、ライセンス生産で完成したマッハ2の
 ロッキードF-104Jスターファイターを次々に飛ばしただけあって、四十七戦隊当時から
 優れた操縦感覚を有し、四式戦の重さを歓迎しなかった。
 この点、重爆撃機から転科の斉藤氏との感想と好対照をなす。」

渡辺洋二氏の「遙かなる俊翼」

「(日本側において編隊空戦が徹底できない点に触れて)
 残された対抗手段は、日本機の得意技の運動性しかない。編隊機動を念頭に置きつつ、運動性で敵を補足し、
 あるいは敵から逃げるのだ。
 この戦法は、日本機の中では軽快さに乏しい四式戦には好適ではない。ときには操縦桿を両手で引かねばならないほど
 操舵が重い、四式戦への操縦者たちの評価は、以外に低い。」
23名無し三等兵:2011/08/06(土) 12:03:11.30 ID:???
渡辺洋二「決戦の蒼空」から  自称可動率100%の実態

「いったん根拠飛行場の成増に復帰した四十七戦隊は、沖縄決戦が終盤戦に入った五月二十七日、
 濃霧をついて発進し、宮崎県の都城西飛行場に移動。出発時27機の四式戦は、途中の故障・不調で
 8機が落伍して19機に減ったが、その後の追及機(遅れて到着した機)が加わって、31機までに増えている。」
24名無し三等兵:2011/08/06(土) 12:03:59.79 ID:???
比島決戦直前(昭和19年4月〜10月)の、
陸軍航空輸送部による内地〜台湾/比島間補給機空輸時の落伍率

小型機
 一式戦   4%
 三式戦  13%
 四式戦  20%
 九九襲   7%

中型機
 二式複戦  9.5%
 九九双軽  5%
 百偵    6.5%
 双発高練  6%

大型機
 九七重   4%
 百重   16%

落伍率とは大破、行方不明、故障に依る長期残置機等の全空輸機に対する比率とす
25名無し三等兵:2011/08/06(土) 12:05:05.07 ID:???
量産だと580キロとテスパイが証言

『悲劇の発動機「誉」』所収 「『航空ファン』1961年7月号「四式戦闘機『疾風』のすべて」 からの引用
談:吉澤鶴寿(元中島飛行機テストパイロット)

「量産型のエンジンでは悪いところが出るというので、結局ブーストを下げて、馬力制限をしたんですね。
 そういうときには、また前の試作エンジンを持ってきて飛んでみると、とてもいいんです。
 しまいには、試作と量産ではこれだけちがうのか、とあきらめちゃった。(中略)
 試作の時百オクタン価をつかってやったんですけども、高度八〇〇〇メートルで、640キロくらい出しましたね。(中略)
 量産だと五八〇キロくらいのものだったでしょう」
26名無し三等兵:2011/08/06(土) 12:07:40.20 ID:???
特攻は4式戦、掩護は5式戦

航空総監部が昭和二〇年初頭に出したガイドラインでは
陸軍特攻は基本的に上陸作戦防禦のため敵上陸部隊のうちとりわけ輸送船を主目標とし
また輸送船団は比較的防御力が弱く攻撃しやすいとみられていた
ただし、それが機動部隊に掩護されている場合は対機動部隊特攻により空母の甲板破壊をおこなうものとされた

対機動部隊特攻には優速機材が選ばれ、具体的には司偵・四式重・四式戦とされた
突入機は5機以内、掩護部隊は四式戦とし突入機の倍の機数とし爆装、誘導機・戦果確認は司偵なるべく2機
攻撃は夜間・払暁・薄暮攻撃、1機動群に2〜3の攻撃隊を指向する
装備爆弾は500kg以上

対輸送船団特攻は比較的機材、要員ともに劣ることとなることが前提
突入機は1隊6機、機材は一式戦、戦果確認は司偵、または軍偵
装備爆弾はなるべく500kg

そこで装備爆弾は重爆は海軍800kg通常爆弾2発、その他双発機同1発、97戦・2単戦のぞく戦闘機は250kg2発
突入時の存速は270〜300km/hとされた

その後三月上旬には比島作戦の戦訓に基づき進攻、接敵、突入要領の詳細化が図られた
進攻高度は強襲の場合高々度急速接敵、奇襲の場合超低空接敵とする
ただし敵機動部隊のレーダーは優秀であって
進攻高度が中空の3000mで200km、超低空の50〜100mでも40kmで探知されると認識されていた
掩護戦闘機隊は直接掩護を突入部隊の前後、間接掩護を後上方1000〜2000mに配置するとされた

7月には、決戦方面の重点配備戦力として二個戦隊からなる第二〇戦闘飛行集団が編成される
機材は五式戦、当面は特攻掩護制空を任務とした
27名無し三等兵:2011/08/06(土) 19:28:43.45 ID:???
まとめお疲れ様
28名無し三等兵:2011/08/06(土) 19:40:16.70 ID:???
新ネタ付き

航空情報 昭和31年3月号 座談会「キ87高々度戦闘機の思い出」

馬場
 (前略)4 式戦「疾風」(キ84)では、B-29の邀撃は不可能だったのですか?
吉沢
 キ84 じゃ難しかったでしょうね。
馬場
 戦闘できる高度は?
吉沢
 私の経験では8,000m ぐらいまでです。
馬場
 一般の人はデータをみて、「11,000m まで昇れるのにけしからん」(笑) 。
 もっともな話ですがね。
小山
 試作l時代は念入りに作り、あらゆる点を十分整備してやってますがね、
 マスプロになるとそうはいかなくなる。それに、ただ昇って行くのと、
 戦闘をするのとでは、大分条件は逃いますよ。
 試作機だって10,000m以上じゃ空戦はできない。
青木
 調布飛行場におったK 隊長の話では、3 式戦「飛燕」 (キ61-1)のほうが、
 もっとみじめだったらしい。装備品を全部おろし、機銃の弾丸が片銃50発
 だそうです。そして30分前から昇っている。そんなことをしても攻撃はたった1回。
吉沢
 キ84でも、宇都宮付近で一撃を加えると、第2撃を加えるのは大洗の海岸あたりになる。
29名無し三等兵:2011/08/06(土) 19:41:06.00 ID:???
馬場
 「疾風」(キ84) はよい戦闘機と思われますか?
吉沢
 もしも額面通りの馬力が出たら、確かにいい飛行機でしたね。
小山
 エンジンが悪いのか、ガソリンが悪いのか。
吉沢
 エンジンでしょうね。私は2年近く、そのために苦労した。
青木
 この間、馬場さんに見せていただいた米国側のテスト結果によりますと、
 大分いいんですがね。
馬場
 ガソリンが91オクタン価と140オクタン価では、 大分差がありますからね。
吉沢
 しかしね、 試作1、2 号機についていたエンジンは、 とてもよかったですよ。
馬場
 中島の「誉」というエンジンは、精密品ですからね。
青木
 圧縮比を下げましたね。
吉沢
 下げました。はじめは7でしたが、これじゃとてももたぬというので…。
 マスプロのエンジンは悪かったですね。
馬場
 脚関係が問題だったのではありませんか?
吉沢
 脚そのものの故障ではなくて、ミスでしょうね。
 会社では、脚が出なくて胴体着陸したのは、ほとんどなかった。
青木
 はじめは、ちょっと弱かった。
小山
 一度補強しましたね。飛行経験の少ない人が乗るようになってから、
 脚の問題が出てきた。
30名無し三等兵:2011/08/06(土) 19:41:54.05 ID:???
吉沢
 黒江保彦さん(元少佐)も述べていたようですが、突っ込みがよくなかったと思いますね。
馬場
 加速性が悪いのですか?
吉沢
 つまり、 突っ込みますと、昇降舵に応えて重くなり、 押さえがきかなくなってしまう。
 だから、機首が持ち上がってしまう。
小山
 あの時の思想としては、ある程度突っ込んでいったら、
 機首が起きるほうがよいと記憶しています。どんどん突っ込んでいったら、どんなことに
 なるか分からぬ。そういうことを審査員が心配されたので、 意識して「昇降舵は速度を
 増してくると重くなる」といっていましたよ。
吉沢
 敵がどんどん逃げたら、どうしょうもない。
小山
 そう、逃げる者は当時としては追わぬ、戦闘機パイロットの思想としては…。
内藤
 結局、戦法が変わっちゃったのだから…。

(以下略)


小山悌  元中島飛行機太田製作所技師長
森重信  元中島飛行機三鷹研究所製造部長
青木邦弘 元中島飛行機三鷹研究所設計部長
内藤文治 元中島飛行機三鷹研究所計画課長
吉沢鶴寿 元中島飛行機陸軍関係テストパイロット
馬場一夫 航空情報(司会)
31名無し三等兵:2011/08/06(土) 20:37:27.21 ID:???
>>26
>特攻は4式戦、掩護は5式戦
>突入機は5機以内、掩護部隊は四式戦とし突入機の倍の機数とし爆装、誘導機・戦果確認は司偵なるべく2機

掩護部隊は四式戦とし
掩護部隊は四式戦とし
掩護部隊は四式戦とし

日本語力大丈夫?在日さんw



32名無し三等兵:2011/08/06(土) 20:59:29.35 ID:???
>>31
>航空総監部が昭和二〇年初頭に出したガイドラインでは

その時点ではまだ五式戦は配備されていないよ
33名無し三等兵:2011/08/06(土) 21:07:36.72 ID:???
〔飛行第二〇〇戦隊概史〕

『昭和十九年十月十二日明野教導飛行師団で編成され、飛行機、操縦者は通常の二個戦隊分(八〇機)を配当し、
六個中隊編成という特異な戦闘隊であった。
戦隊長には元二四戦隊長の高橋武中佐が、副戦隊長には、二五戦隊長として中国戦線で、名声をはせた坂川敏雄少佐が任命された。
明野の精鋭をすぐった決戦部隊と期待され、飛行機(四式戦)も最優先で供給されたが、中隊長六名のうち三名は他機種からの転科者であった。
若干の幹部を除いて実戦経験者は少なく、少飛一三期生、明野(乙)課程を終ったばかりの航空士官学校五七期生の未熟者も相当ふくまれていた。
しかも、編成直後に米軍のフィリピン進攻が開始され、四式戦の未修教育を終るのがやっとで、戦隊としての、訓練はほとんど行われていないまま
比島進出を下令された。

そこで、戦隊の半分(第一〜四中隊)を先行させることとなり、十月二一日高橋戦隊長は約五〇機を率いて明野を出発したが、
テスト飛行を省略したため、離陸直後に戻る機もあり、航空総攻撃の前日に当たる二三日ルソン島のポーラック基地に到着したのは、
一二機にすぎなかった。翌二四日三五機が追及してきたので、二五日午后、戦隊主力はネグロス島サラビア基地に前進し、
第三〇戦闘飛行集団長の指揮下に入った。なお後発隊(第五、六中隊)は坂川少佐が率いて、一〇月三〇日に二一機でクラーク飛行場に到着、
主力に追及してサラビアへ前進した』。
34名無し三等兵:2011/08/06(土) 21:09:50.77 ID:???
『富永第四航軍司令官は、二〇〇戦隊の戦力(最新式戦闘機疾風) に大きな期待をかけ、みずから「皇(すめら)戦隊」と命名したが、
一〇月二六日以降レイテ湾制空を中心とする戦隊の実績は、必ずしも期待に沿うものではなかった。
四式戦の故障続発と飛行場不良による事故機が多く、一〇月末までに撃墜七に対し、宮丸大尉以下老練者をふくむ一一機が、
自爆未帰還となり、可動機は九機にすぎない情況であった。戦隊はネグロス島に展開した二二戦隊と合同して、
レイテ制空、タ弾によるタクロバン飛行場の夜襲、バコロド地区の防空戦闘等に当ったが、兵力の減少のため点滴用法にならざるを得ず、
戦果が上がらない割に損害は大きかった。

一一月一日から二三日までの損害は、自爆未帰還一九機、大破炎上三五機と記録されている。
しかし一一月一日第一師団(玉兵団―満州より)の船団輸送援護の際、単機よくP38型二機を鮮やかに撃墜した吉良准尉や、
一一月五日バコロド地区の迎撃戦でB24を撃墜後、右腕に重傷を負いながら着陸した森田軍曹(感状授与)のような例もあった。

一二月に入ってからは、七日オルモック湾に進入した米艦船の攻撃、一一日には第九次レイテ向け船団掩護等に出動したが、
連日の空襲でサラビア基地は穴だらけになり、一四日ミンドロ島上陸に向かう米の大船団を攻撃すべく、
四式戦一五機が爆装して待機したが、最初に滑走した一機が、爆弾孔にひっかけて離陸に失敗したので、
出撃不可能と判断されて中止となった』
35名無し三等兵:2011/08/06(土) 21:10:58.12 ID:???
『一二月中旬から、戦隊主力は逐次ネグロス島の使用を断念して、ルソン島のマバラカット東飛行場に後退し、
未配分の四式戦約三〇機を取得して戦力回復に入ったが、連日のように米機の来襲があって迎撃に追われ、次々と消耗を重ねた。
二〇年一月九日、米軍は大挙してリンガエン湾に上陸してきた。戦隊は残存機をもって米艦船に特攻を加え、
可動機は皆無となったので、一三日の西哲雄中尉と梶田七之助軍曹の突入を最後に、北部ルソンのエチャゲへ後退することとなり、
生き残り操縦者と地上勤務者は行軍で、エチャゲ(約三五〇キロ)へ向かったが、一三日朝、双発高練(高等練習機)に搭乗して
出発した高橋戦隊長と津崎七二戦隊長は、行方不明になり、途中米軍機に撃墜されたものと判定された。

ついで、空中勤務者はツゲガラオを経て、台湾へ脱出したが、二月中旬までに後退に成功したのは、深見大尉以下十三名にすぎず、
第二〇〇戦闘隊は五月三十日付で解散された。なお、地上勤務者の大部の一九四名は、カガヤン河谷にわたる山中を移行し、
〓原大尉以下約一〇〇名が臨時歩兵第二五大隊に編入されて、地上戦闘に従事した。

また、ネグロス島残置隊(長・長沢中尉)の一三四人は、サラビアからシライに移り、さらに山中のゲリラ戦に移行して、
終戦の日を迎えた。戦隊の総員五一三人のうち、生還者は一三六人と記録されている。』
36名無し三等兵:2011/08/06(土) 23:07:54.20 ID:???
>>32
何意味不明なこと言ってるの?
>特攻は4式戦、
>掩護部隊は四式戦とし

日本語力大丈夫?在日さんw

いずれにせよ誤式鮮には実績がないのだがw
37名無し三等兵:2011/08/06(土) 23:17:11.56 ID:???
四式戦には特攻機用として武装を端折って生産した分も確かにある。
これは四式戦の性能云々ではなく、順調に生産が出来るからである事位わかるよな?
誤式厨は何ら実績が無いから戦争が長引けばとか寝言を言うしか能がないらしいけど
戦争が長引いた場合に期待されているのはハ45の低圧燃料噴射装置付きとかハ44版の
四式戦の改良タイプであって、誤式鮮は改良型四式戦の補助戦闘機という位置づけでしかない。
38名無し三等兵:2011/08/06(土) 23:44:18.34 ID:???
五式戦について語るのは本筋ではないのだが。

>>36
五式戦配備後は五式戦が掩護を担当する

>7月には、決戦方面の重点配備戦力として二個戦隊からなる第二〇戦闘飛行集団が編成される
>機材は五式戦、当面は特攻掩護制空を任務とした

また

戦史叢書 「陸軍航空の整備と運用(3)」より 第111・112戦隊編成の経緯

「昭和二十年春季以降陸軍航空の攻撃戦力の主体は、いうまでもなく特攻隊である。
その特攻攻撃を成功させる要点は、特攻隊を目標上空に確実に到達させるための、
捜索、誘導、掩護である。陸軍航空は、天号作戦引き当ての戦力を除き残された最後の
優良人員、器材を結集して戦闘隊と偵察隊を編成した。

七月十日、第二十戦闘飛行集団司令部が編成された。(略)
そして、その隷下に明野及び常陸教導飛行師団の人員、器材を基幹として編成された、
飛行第百十一戦隊(長 石川正中佐 40期)、同第百十二戦隊(長 檮原秀見中佐 38期)、
を入れた。
両戦隊は編制定員四一一名、飛行機定数五式戦五五機、外に予備機二八機を有し、
当時における最強戦闘戦隊であった。」
39名無し三等兵:2011/08/06(土) 23:50:22.40 ID:???
>>37
誤解しているようだが一連の書き込みは
配備から終戦までの四式戦の運用実績と上層部・部隊の評価を確認するため。

戦争が長引けば五式戦がどうなるか、四式戦がどうなるかについては述べるつもりはない。
五式戦がを引き合いに出すのは当時の上層部・部隊が引き合いに出しているからに過ぎない。

また四式戦が特攻機として扱われたのはまさに性能を評価されたため。

>対機動部隊特攻には優速機材が選ばれ、具体的には司偵・四式重・四式戦とされた
40名無し三等兵:2011/08/06(土) 23:53:49.55 ID:???
>>36
>>37
あと、こちらにカチコミかけるのも結構だが折角立てた本スレを有効活用してはどうだろうか?
存分に四式戦を誉めあげればよろしい。
41名無し三等兵:2011/08/07(日) 00:07:04.43 ID:???
>>37

さらに
>戦争が長引いた場合に期待されているのはハ45の低圧燃料噴射装置付きとかハ44版の
>四式戦の改良タイプであって、誤式鮮は改良型四式戦の補助戦闘機という位置づけでしかない。

このようなことは世傑や学研疾風本など市販書籍を読めば書いてあることであって
わざわざここで述べるようなことではない。

この場所ならではの情報としては、
たとえば陸軍当局がハ45の海軍との配分も含めキ84にどれくらいの生産量を期待していたか、など
容易に入手可能な書籍にはあまり書かれていないような情報を示せば説得力も増す。
キ94や87との関係も記せばより有益だろう。
42名無し三等兵:2011/08/07(日) 00:11:52.40 ID:???
容易に入手可能な書籍にはあまり書かれていないような情報を示せば2000円クンが出てくるからなw
43ウジTV:2011/08/14(日) 02:25:29.58 ID:???
韓国大阪青年会議所 認准40周年記念 
「辛坊治郎氏講演会」 明日を読み解くために〜本物はこうして見つけよう〜
 
日  時:2011年7月2日(土)
      (受付)PM14:15 (開始)PM15:00 

場  所:大阪韓国人会館 5F 大ホール (韓国民団大阪本部)
      〒530-0016 大阪市北区中崎2-4-2
     〇地下鉄谷町線「中崎町」駅A番出口から徒歩3分
         
入 場:無 料 <定員500名 ※定員を超えた場合は抽選となります>

お問合せ:韓国大阪青年会議所 

こいつもチョンコ??
44名無し三等兵:2011/08/19(金) 02:11:26.64 ID:MClo7lt7
晒しあげ
45名無し三等兵:2011/08/19(金) 05:46:54.29 ID:???
>>2
どうしたら入学できますか
46名無し三等兵:2011/08/19(金) 06:23:59.40 ID:???
資料で叩くスレっすか
47名無し三等兵:2011/08/19(金) 09:48:22.75 ID:???
通好みだな
48名無し三等兵:2011/08/26(金) 04:51:59.76 ID:???
土井はメッキが禿杉
49名無し三等兵:2011/08/26(金) 10:16:11.70 ID:???
空中分解は無いけどな
50名無し三等兵:2011/08/26(金) 17:04:11.25 ID:???
そりゃあれだけ安全マージン取ればあたりまえ。
それで性能悪いなら本末転倒。戦闘機として致命的な欠陥だろ。
51名無し三等兵:2011/08/26(金) 18:50:50.78 ID:???
安全マージンじゃないようだが
52名無し三等兵:2011/08/28(日) 02:59:58.94 ID:5Y1pohhe
単なる設計ミスだねw
53名無し三等兵:2011/08/28(日) 08:42:21.50 ID:???
設計ミスなら試作機の段階からダメダメだったのでは。。。
54名無し三等兵:2011/08/28(日) 10:53:15.49 ID:???
非武装の試作機では良かったが、武装した量産機はダメダメだったんだよな。
設計ミスは設計者自身が言っている事なのに今更設計ミスじゃないとでも?知障はこれだからw
55名無し三等兵:2011/08/28(日) 11:12:55.16 ID:???
量産性や生産性考慮の結果なんかねえ
56名無し三等兵:2011/08/28(日) 12:08:55.35 ID:???
キ61をテストした荒蒔氏はその手記で、
キ61試作機を無装備でかつオリジナルのDB601装備であった(これは異説あり)と前置きし、
「操縦性と格闘性」はのちに手に入った「P-51Cとまったく同じくらい」と述べています。
また
「諸装備をつけ、タンク容量を大きくした結果は重量の増加、重心位置の後退などのため上昇性、
 旋回性が低下し、急降下性能が勝っていたくらいに後退してしまった」としています。

「諸装備」が何を指すかですね。
参考までに陸軍の採用した規定では機体自重には武装は含まれず、搭載量に含まれますので、
「諸装備」を搭載量と等価に理解すれば非武装ともとれます。

搭載量の内訳としては以下のようなものです。
燃料、滑油、武装および弾薬、乗員、落下傘、無線機、照準器、酸素吸入器
乗員、落下傘、無線機、照準器、酸素吸入器は合計120kg程度となります。

そして昭和17年12月、おそらく甲型を試乗した海軍は「上昇悪い」「性能向上を要す」とのコメントを残しています。

さて
手記では荒蒔氏は続けて、五式戦を評価するコメントを残しています。
「この大きな原因は、馬力過重、翼面荷重の増加によるもので、ハ112を取り付けた五式戦は重量が軽く、
 馬力が向上したため前面抵抗による速度の若干の減少以外は初期のキ61に近くなり、
 わずかな期間ではあったが、航空審査部でわれわれは大気炎をはいたものである。」
57名無し三等兵:2011/08/28(日) 12:35:40.14 ID:???
>>56はコピペかね?
58名無し三等兵:2011/08/28(日) 12:44:29.55 ID:???
56ですが、コピペではなく私が起こしたものです。
搭載量の内訳については、以前私がキ44の取説から起こしたものを転用しました。
59名無し三等兵:2011/08/28(日) 18:58:08.96 ID:???
>>54
>設計ミスは設計者自身が言っている
実際なんて言ってるの?
60名無し三等兵:2011/08/29(月) 09:33:25.00 ID:???
ラジエターの配置あたりはP-51を見て「ここまでは気がつかなかった」
って丸メカで自身が言っていたけどね。
機体の強度に関しては、むしろ零戦あたりを批判してるとも取れる
自己弁護に終始してるが。
61名無し三等兵:2011/08/29(月) 10:13:09.99 ID:???
954 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2011/02/06(日) 13:29:54 ID:???
>>949
>強度計算手抜き設計という意味だw

それこそキ61の事ですな
荷重試験で強度過剰だったので軽量化しようと思ってたら
予想を超えた速度が出たからいじるのやめちゃったんよ
手抜きっすね


961 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2011/02/06(日) 17:54:02 ID:???
>荷重試験の結果から一時主翼の重量軽減について考えられたが、審査飛行でキ61が
>予想外の高性能を出したので主翼の重量軽減は見送りとなった。(飛行機設計50年の回想)

本人の言でつ
字面通りと思えるんよ
荷重では破壊できなかったとも言ってるんで、その逆なら困るけど
開発を急いで飛行へ進んだんじゃ?
62名無し三等兵:2011/08/29(月) 10:54:31.59 ID:???
翼だけ?胴体は予定どおり壊れたんかな
63名無し三等兵:2011/08/29(月) 12:39:41.58 ID:???
軽く作った物を制限速度増など後からの要求により補強するのと比べて、過剰強度を与えた物からの軽量化は困難でほとんど作り直しに等しくなるからな。
世界の駄っ作機を見ていても目立つのは重量オーバーが原因なのが多いように思うな。
64名無し三等兵:2011/08/29(月) 13:00:13.49 ID:???
例の重心ずらしメカのせいか?翼の過剰強度
65名無し三等兵:2011/08/29(月) 13:02:35.18 ID:???
>>64
それは関係ない
66名無し三等兵:2011/08/29(月) 13:06:49.92 ID:???
>>64
強いて言えば胴体側に若干の重量増をもたらしただけ。
ただ、機種の延長までは設計時に考慮されていなかったため延長後は主翼の位置変更だけでは対応しきれず、胴体後部に死重であるバラストを積む羽目になった。
67名無し三等兵:2011/08/29(月) 13:14:27.46 ID:???
土井手記を読んでいないことはワカった
68名無し三等兵:2011/08/29(月) 13:15:20.17 ID:???
三式/五式が駄っ作機になった原因は重量過大&ホ5搭載不可能な主翼にある。
ホ5が主翼に乗れば胴体の延長を行わずに済んだのだから、土井は主翼再設計を押し通すべきだった。
軽量でホ5が積める主翼さえあれば傑作機とまでは行かなくても凡作機にはなっていたはず。
69名無し三等兵:2011/08/29(月) 16:06:13.32 ID:???
>>64
854 :名無し三等兵:2011/07/30(土) 21:54:19.41
>>821
その20何キロの「翼と胴体の取り付け機構」だけど、
「翼と胴体の取り付け機構」といった局所的なものではなくて
将来の重心位置の変動に対応するために、主翼の小骨を頑丈な構造にすることで
主翼主桁と胴体主肋材の位置が多少ずれても吸収余地を持たせるというものだよ。
つまり最適強度からすると冗長になっている。
これの翼における増分が25kg。

翼の重量はキ43で300kg弱、キ44で300kg程度で、キ61の数字はないけれど
25kgというとまあ1割弱にはなるんだろうね。

857 :名無し三等兵:2011/07/30(土) 22:19:02.51
>>855
重いが故の上昇力不足は、
昭和17年10月の海軍パイロットの試乗、各戦線の現場のパイロットの証言、
昭和18年10月の第四航空軍の具申(これはP-38と較べてのものだけど)
などに記録されてるよ。

>>856
この機構は土井氏によれば
馬力増による重心位置の前進、装備増加による重心位置の後退、
これに対して改修量を少なくするように準備されたものだと。
1型について言えば結果として馬力増はともかく、
機首延長や20mm搭載、防弾装備追加、
などによる重心位置の前後に対してはバラストなどで対応せず
この余地と主翼位置移動で対応できたとしている。
(結局1型改の機首20mm砲の暴発対策の鋼板のカウンターのため
 バラストを積んだようだけど。)
70名無し三等兵:2011/08/29(月) 19:38:23.20 ID:???
土井のクズが暴発対策とか言い逃れしようと結局機首延長でバラストを積む事になったことに変わりはないんだが。
主翼にホ5が乗りさえすればそもそも延長する必要すらなかった。
ウリナラマンセー体質の土井の話は、話半分に聞く必要があるな。
71名無し三等兵:2011/08/29(月) 19:59:13.63 ID:???
暴発対策と記したのは土井氏ではないね
72名無し三等兵:2011/08/31(水) 16:30:34.98 ID:???
「もし飛燕が独でライセンス生産されていれば」 備後ピート
ヨーロッパ戦線の中期、ドイツ空軍がBf109のG型に代わって「飛燕」のライセンス生産をおこなっていたら、
どれくらい活躍できたでしょうか?
エンジンはもちろん本場のD60〜を搭載し、
同時期のfw190が高度6千メートル以上で性能が低下するという穴の部分を埋めるのに格好ではないでしょうか?
ドイツのパイロットでさえ防御鋼板を外して高空空戦している例があるので、
「飛燕」の軽防御(ドイツの基準では)はこの時期それ程問題にされないと思うのですが…?
73名無し三等兵:2011/08/31(水) 18:19:42.00 ID:???
飛燕ヲタでも考えないぞこんな厨妄想…
74名無し三等兵:2011/08/31(水) 19:05:13.47 ID:???
つかここ三式スレでいいのか?
75名無し三等兵:2011/08/31(水) 21:21:59.06 ID:???
設計ミスでグリフォンクラスが必須条件になってしまった三式戦だとDB605クラスでも役不足
76名無し三等兵:2011/08/31(水) 21:36:19.59 ID:???
役不足の誤用の気配
77名無し三等兵:2011/09/01(木) 00:15:25.10 ID:???
軍スレにしばしば出てくる役不足・・・
学の無さが良く出てる。
78名無し三等兵:2011/09/01(木) 01:08:08.46 ID:???
知識も見識も品性もない
79名無し三等兵:2011/09/01(木) 09:40:47.72 ID:???
・役不足の誤用
・「今の現状」って言う馬鹿
・汚名挽回しちゃうやつ
・的を射る、当を得るの混用


まぁ見なれちゃったけどなwww
80名無し三等兵:2011/09/01(木) 10:11:04.14 ID:???
名誉挽回、汚名返上はTV「相棒」で覚えたよw
81名無し三等兵:2011/09/01(木) 12:27:32.40 ID:???
まあ言葉って誤用が多くて大部分の人が使うようになると、
それが正しいってことになるからなー
言葉って時代とともに変化していくからねー
「〜で宜しかったでしょうか?」「半端ない」とか聞くと虫唾が走る
学ある俺はむしろ少数派。
82名無し三等兵:2011/09/01(木) 13:54:13.12 ID:???
まぁ、ブリフォン並みの発動機の当てもないのに、グリフォン並みの発動機を必要とする駄っ作機を作った土井が売国奴であることには変わりはないが。
83名無し三等兵:2011/09/01(木) 14:23:13.47 ID:???
売国奴の使い方間違ってるよ。
84名無し三等兵:2011/09/01(木) 20:29:59.54 ID:???
>ブリフォン

狼狽が文字に顕れてるな
85名無し三等兵:2011/09/02(金) 08:55:09.94 ID:???
>>83
使いたい年頃なんだろうな
86名無し三等兵:2011/09/02(金) 11:43:03.94 ID:???
それしか言葉知らないんだろうな。
育った環境が悪くて親が屡口にしてたとか・・
87名無し三等兵:2011/09/02(金) 11:52:33.44 ID:7GaIdPZQ
惨式厨が必死で自演しているスレはここですか?
88名無し三等兵:2011/09/02(金) 12:05:42.51 ID:???
育ちの悪い馬鹿のスイッチが入ったようです。
89名無し三等兵:2011/09/02(金) 13:23:03.36 ID:???
知恵に乏しく語彙も貧しい、っていうのかね
90名無し三等兵
ワザワザ上げて自己主張するのは馬鹿の証