1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2011/07/03(日) 23:24:57.65 ID:???
3 :
名無し三等兵:2011/07/03(日) 23:33:43.07 ID:???
4 :
名無し三等兵:2011/07/03(日) 23:40:45.62 ID:???
5 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 08:01:37.54 ID:???
前スレ繋がりで、紀伊のドライゼだけど
これが入って来たのは、明治に入ってからじゃん。
使うことなく新政府に没収じゃん。
6 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 18:34:23.14 ID:???
やはり槍だな。
7 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 19:19:34.81 ID:???
ゴムパッキンと加硫法か
8 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 19:22:43.48 ID:???
現代でいえば一つの戦場にkar98からAK47、M16にACRやHK416が溢れてるようなものだろ幕末って。100年間に渡る兵器の進化がよくわかる戦場
9 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 19:31:44.00 ID:???
アフリカにT34とT90が同時に走っている内戦地とか無いのかな
10 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 19:49:42.19 ID:???
米軍の北朝鮮空軍資料では"Ki-43"だの"A6M2"だのが"few"現役だそうだがw
11 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 20:02:47.82 ID:???
前スレ981
> スナイドルの弾が無くなったからミニエーの弾をバラして
> 使ったとかいう記述があるらしいが、どうやってだ?
> とか謎は結構あるな。
スナイドルの弾をばらして鳥羽ミニエーに使ったとかならおかしくないけどな
12 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 20:07:10.30 ID:???
13 :
12:2011/07/04(月) 20:11:56.24 ID:???
14 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 21:11:40.33 ID:???
>>9 ユーゴスラビアはT-34/85やM36・M18とM84が同時に戦ってたな。
15 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 21:38:33.98 ID:???
さすまた(西南戦争)と甲鉄(軍艦)の差をファーストガン○ムで
説明してください
16 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 22:08:50.85 ID:???
トリアーエズとビグザムとの違いかな。
17 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 22:26:45.88 ID:y3Uq4cKC
>>10 ファントムが現役の日本は北朝鮮を笑えないだろ……
18 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 23:23:56.87 ID:???
>>10 ありえない
どう考えても経年劣化で稼動できるはずがない
部品だってないというかあるはずがない
19 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 23:27:07.68 ID:???
>>7はるか殿もとい八重殿
拙者のドライゼ銃の撃茎も
ゴムパッキン済みでござる
20 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 23:56:55.99 ID:???
>>19 日本男児たるもの敵に及ぶは抜き身でやりあうべし!
21 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 07:59:09.35 ID:???
>>19-20 私もゴム製銃口カバーがついているんですけど、
開閉は手動では可能ですが、一応チューンしてもらった方がよろしいでしょうか?
22 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 08:27:49.85 ID:???
23 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 09:01:24.55 ID:???
24 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 09:07:19.65 ID:???
25 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 13:04:43.76 ID:???
>>16 ありがとうございました、幕末に色々でてくる銃もジオンのMSで
お願いします。軍版のエロイ人(`・ω・´)ゞ
26 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 21:19:30.57 ID:???
それはむしろシャア板で。
27 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 22:14:18.38 ID:+9xaZJQi
アメリカのレバーアクションはかなりの発射速度だと思うんだがあれを採用しようとはしなかったんだろうか
28 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 22:31:02.84 ID:???
>>27 あれは近代戦で言うSMGみたいなもんじゃないのかね。
低威力低射程高発射速度。
29 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 22:32:55.49 ID:???
>>27 レバーアクションの小銃は堅牢性に欠けるので軍用にはあまり向いてないね。
高威力化・長射程化も難しいし。そしてコストも馬鹿にならない。
シャープスみたいなものもあるけど、速射性は犠牲にしてるしなあ・・・。
スペンサーも機構的には未成熟だったし。
他国を見ても大量採用した例も長期採用の例もあまりない。ないわけじゃないけど。
それと再装填の手間も問題か。
30 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 22:34:10.79 ID:???
31 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 23:18:18.87 ID:???
正規軍でのレバーアクション大量採用というと英軍のマルティニ・ヘンリー位か…村田経芳に駄銃だって酷評されてたな。
32 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 23:25:08.86 ID:???
レバーアクションが活用された例というとリトルビッグホーンの戦いだな。
33 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 23:38:49.07 ID:???
>>27 強力な弾がM66系のアクションでは機構上使えない
伏射がやりにくい
アメリカ企業はライセンス輸出とか面倒なことやりたがらない
弾は、M76とか45-70が使えるようにしたのもあるけど、あれもかなり無理してるみたいだしなあ
34 :
名無し三等兵:2011/07/05(火) 23:44:35.85 ID:???
まあ、現代だって手動式の散弾銃でもライフルでも、レバーアクションは少数派でしかないしね。
それがすべてを物語ってるよね
西部開拓時代のウィンだって拳銃用の実包を使用するカービンとしての運用がメインだしな。
機構的に袋小路な存在だな
35 :
名無し三等兵:2011/07/06(水) 00:26:12.20 ID:???
ウインチェスターのレバーアクションライフルはM1894でジョン・ブローニングがロック機構を改良して
30-30とか強力な実包を撃てるようになったがアクション時に機関部が露出するので泥・砂に弱い、
チューブマガジンは再装填に時間がかる、尖頭弾はチューブマガジン内で隣の実包の雷管を
突くおそれがあるので平頭弾しか使えないとかの弱点はそのまま。
36 :
名無し三等兵:2011/07/06(水) 07:55:55.97 ID:???
>>30 お前の「銃」は実戦投入の戦歴はあるのか?w
37 :
名無し三等兵:2011/07/06(水) 10:13:04.24 ID:???
ロシア帝国が、血迷って大量発注した
ウィンチェスターM1895は、実戦には使われてないの?
38 :
名無し三等兵:2011/07/06(水) 11:34:36.33 ID:???
>>37 休戦までに二年くらい東部戦線で、あとは内戦で使われたんじゃないの?
39 :
名無し三等兵:2011/07/06(水) 19:23:38.93 ID:???
塹壕戦ならあまり伏せ撃ちしないし多少は活躍できるかも?
なんでモシンナガンがあるのにレバーアクションなんか採用したのか。騎兵用か?
40 :
名無し三等兵:2011/07/06(水) 20:21:54.38 ID:???
前スレにあったが、銃不足の為らしい。モシンナガンだけでは
帝国軍兵士全員に銃を支給することができなくなったことらしい。
41 :
名無し三等兵:2011/07/06(水) 21:33:34.55 ID:???
時期的にも旧式化してるし、細かいことにかまってられなくてまとまった在庫があったの全部引き取ったんでないの?
ナガンもアメリカでかなりOEM生産されてるはずだけどな
武器不足で身動き取れないロシア政府向けの援助物資だが
ウィンチェスターは生産受け持ってたっけ?
30年式/38式も大量に輸出されてるし、WW1当時の小火器の補給大系は担当者は阿鼻叫喚だろうなあ
42 :
名無し三等兵:2011/07/06(水) 21:41:42.70 ID:???
43 :
名無し三等兵:2011/07/06(水) 22:51:49.94 ID:???
44 :
名無し三等兵:2011/07/07(木) 09:50:29.54 ID:???
45 :
名無し三等兵:2011/07/07(木) 20:14:50.24 ID:???
1870年前後の、列強の後装銃の配備比率ってどのくらいだったんだろう?
英国はスナイドル銃、プロイセンはドライゼ銃、
フランスはシャスポー銃とタヴァディエール銃
オーストリア、スペイン、オランダ辺りは、アルビニ銃、レミントン銃
って感じかな。
46 :
名無し三等兵:2011/07/07(木) 20:30:41.64 ID:???
>>45 普墺戦争の時のオーストリア軍は前装銃だよ
47 :
名無し三等兵:2011/07/07(木) 22:42:48.24 ID:2VOGcvbr
そうですね。結構、前装ライフルの国は多いかも。
アメリカも73年にトラップドア式スプリングフィールド銃迄は、前装だし
ロシアにしてもクルンカ銃が全部では無さそうだし。
所でレミントンのローリングブロック式って、何が駄目だったの?
48 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 13:05:10.85 ID:???
49 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 15:03:15.01 ID:???
スナイドル銃の方式も、そうなのにスナイドルの方は、タヴァディエール、クルンカ等結構使われてるが
ローリングブロック式は、あまり聞かれない。
50 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 15:08:28.60 ID:???
スナイドルを連発式に改造するギミックってその後出来なかったのかなあ?
51 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 15:42:46.29 ID:???
素直に決定版のボルトアクションに移行でいいじゃんというw
52 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 17:30:38.39 ID:???
ここの住人が好きそうな漫画、軍靴のヴァルツァーが単行本出てたぞ
53 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 20:25:48.86 ID:???
54 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 20:43:28.43 ID:???
>>52 キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
55 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 22:17:46.14 ID:lyZf9P/x
56 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 23:04:16.67 ID:???
へー、滝沢のガンズ&ブレイズだけかと思ったら、こういう作品もあるんだね。
57 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 23:09:44.51 ID:KtkPFkd2
>>56 前スレで俺がヴァルツァー紹介した時は誰もレスしてくれなかった。
59 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 23:19:46.42 ID:???
>>57 天気もレスも晴れの日も雨の日もあるよ、それでもいつでも撃てるように
しておくのさ!・・え、火縄銃(;・`д・´)
60 :
52:2011/07/08(金) 23:25:53.04 ID:???
>>57 ごめん(´・ω・`)
俺もおまいの紹介で初めて知ったんだ。
61 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 23:38:26.66 ID:???
>>57 明日、ばら物語と一緒に予約してくる。軍装に凝ってる描き方なのかな。
チャンドラーのナポレオンとか資料に揃えてるのかしら。
62 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 23:41:27.31 ID:???
作中にフリントロックの装填シーンがあったんだけど、
火薬弾ペーパーカートリッジの紙の順番で槊杖で突いてた。
この場合、火薬紙弾の順番の方が良いんじゃないの?
その方が発射の際、弾とボアの隙間を紙が埋めてくれると思うけど。
63 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 23:52:48.80 ID:???
64 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 23:56:43.25 ID:???
そうなん?
素人考えだけど、だったら紙入れる必要なくね?
65 :
名無し三等兵:2011/07/08(金) 23:58:49.54 ID:???
>>64 火薬って填圧しないと爆発しないんだわ。
なにかで押さえないとね。
66 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 00:01:06.80 ID:KtkPFkd2
>>64 一番銃口側に紙を詰めると、弾がある程度固定される。
紙を詰めないと、銃を斜めにしたり、揺さぶっただけで弾が転がり出てしまう。
それを防止するために紙を入れる。
67 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 00:06:16.35 ID:???
あ〜、そうか。
前装ライフルみたいに槊杖でガンガン突くレベルじゃないもんね。
68 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 09:41:06.83 ID:???
それに黒色火薬は、粉状だしね。
69 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 13:39:40.08 ID:???
あの頃にはもう粒状になってるんじゃなかったっけ?
つってもまぁこぼれ易さは変わらんかw
70 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 15:17:09.23 ID:???
71 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 18:26:51.45 ID:???
仁じゃないけど、前近代兵器による傷の治療方法とか知りたい。
火縄銃の弾丸とかが当たったら、近代の銃創より酷い傷になるんだろうなぁ…
72 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 18:50:38.00 ID:???
>>71 初速は低いけど散弾のスラッグ並みの大口径だからねえ
盲貫銃創になる可能性高いし
距離や角度でひどくもなるしそうでもないし、条件次第千差万別だろうけど
基本洗浄と止血に効果疑問な膏薬類だけで、体幹部に当たったらもうあとは運を天に任せになるイメージしかないが
摘出手術は当然麻酔抜きでw
73 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 19:01:54.99 ID:???
>>71 タイムスクープハンター戦国救急救命士、医僧をみてみそ
小説なら「おくうたま」 岩井三四二著 光文社 が戦国期の外科医を
扱ってます
74 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 19:22:01.37 ID:???
>>71 ナポレオン戦争以前だと
負傷→トリアージュもどき(自力で野戦病院に辿りつけるか)→たどり着く→アルコールによる消毒→ナイフによる摘出手術(銃弾が深く入り込んでいる場合は省略)→
→場合によっては負傷箇所の切り落とし→あとは包帯まいたり、アルコールで消毒したり。
麻酔なしだから、迅速な作業が求められたとはいえ、のこぎり一分で足切り落としとか、けっこうなもんだと思う。
あと、多くの兵士が消毒だけですまされ、銃弾を体内にいれたまま生きたとか。
75 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 19:30:19.50 ID:???
19世紀までは、完全骨折した足の骨がくっつくことはあり得ないので切り落とすしかないと思われていた、
なんて読んだ事がある
明らかに折れてブラブラした状態の足に添え木を当てて、骨がくっ付く事を発見した人がいて
やっと完全骨折の治療が行われるようになったんだとか
76 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 19:47:57.41 ID:???
弾は鉛じゃなかった?あと体内に木片が入っていると壊疽を起こして死ぬって
帆船小説にあったよ。
鉛が入ったままだったら
、大変じゃん。
77 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 20:02:29.64 ID:???
>>76 鉛毒は案外平気(らしい)
野生動物だと狩られて解体してみると体内から昔撃ち込まれたと思しき鉛玉が出てくることがたまにあったらしい
それでも運がよければ生き延びられたということで
ロス事件の三浦和義とかも、至近距離から撃ち込まれた銃弾の破片全部は摘出できなかったみたいだけど十数年ぴんしゃんして生きてたし
経口とは経路が違うからとか色々説明聞いた覚えもある
変形した破片が体組織や神経傷つける心配は離れないし、極力摘出すべきなのは間違えないが
78 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 20:39:28.48 ID:???
>>74 もどきというか大陸軍こそトリアージの始まり
79 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 21:40:33.66 ID:???
>>76 苦しむ人はいたものの、いろいろな問題からいれたままの場合が多く、歴戦の勇士となれば、二、三発は入ってるものだったらしい。
>>78 だから、ナポレオン戦争「以前」と書いたのだが…
80 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 21:57:54.83 ID:???
現代でも、超音速未満の拳銃弾・散弾と超音速のライフル弾とでは銃創はけっこう違うそうで。
超音速弾だと衝撃波を伴うので組織の破壊がひどく、治療も難しいらしいが、拳銃弾の場合、刃物傷とさして治療手順が変わらないとか。
同じ被甲してない鉛弾でも、ミニエー弾と丸弾とでもけっこう違いそうだね。
81 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 22:41:41.07 ID:???
>>42 それスペンサー・カービン。つまり理由が
>>28。
いましているのは、大口径の正規小銃弾を使う歩兵用レバーアクションの話だからあまり参考にならない。
82 :
名無し三等兵:2011/07/09(土) 23:10:49.06 ID:???
>>79 老親衛隊の入隊条件は負傷経験アリだったっけ?
83 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 09:21:14.50 ID:???
鉛は体内で酸化膜が出来て思ったほどは溶け出さないので平気です!(キリッ
84 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 12:31:45.49 ID:???
85 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 17:57:05.07 ID:???
ミニエー弾は、獣脂まみれだったので、急所に当たらなくても
感染症で死ぬことも多かったらしい。
86 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 19:39:51.71 ID:???
>>85 いわれてみるとそんな気もするが、ソースある?
87 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 20:14:17.07 ID:???
88 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 20:20:08.67 ID:???
>>85セポイの乱ではヒンズーの教えに反して牛の脂を食わされるのかと反乱が起こったわけだが
禁忌に反していなくても、生の獣脂なんか塗ってあるからいつ感染症になってもおかしくない代物だったのか
ちょっと前のコモドオオトカゲの話を思い出した
やっぱりある種の毒もあるという結論に逆戻りしたみたいだが
89 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 00:07:06.51 ID:???
毒なのか単なるバイキンかみたいな話だよね>オオトカゲの牙
90 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 02:12:37.12 ID:???
>>89物凄く大昔は毒と言われていた
その後、歯に細菌がついていてその感染症が原因だと言われるようになった
そして2年前、再び「下顎から出る分泌液に、血圧効果作用がある」と分かり
これで獲物を捕らえている事が分かった
弾丸に毒を入れた例ってあんまり無いなあ
91 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 10:19:36.99 ID:???
「仁義なき戦い」広島抗争事件で実際に青酸カリをまぶした銃弾が使われたことがあったが
効果はあまり無かったらしい
92 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 11:04:42.68 ID:???
戦国時代では出陣中に負傷した時は干した馬糞を傷に塗っておくと手当てになると本気で考えていたらしい。
マジキチ…
93 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 11:40:15.20 ID:???
インド医学の驚異! 牛糞ペーストによる血止め。
94 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 13:12:09.27 ID:???
>>90 ロシアというかその影響下のブルガリア諜報機関がリシン仕込んだ傘銃で
亡命者を消したことはあったな
95 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 13:52:05.85 ID:???
>>92 梶原一騎原作の劇画で、負傷するとこれが体にいいんじゃって肥溜めに浸かるヤクザの親分がいたな
子分たちみんな、お前たちも浸からんかい、って命じられても遠巻きにして逃げてたがw
96 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 13:52:06.43 ID:???
銃じゃないだろう?スプリング仕掛けか何かでなかったか?
97 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 13:53:46.20 ID:???
>>94 傘の先端に毒針を仕込んだだけで、銃じゃないぞ
98 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 14:12:29.00 ID:???
99 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 15:14:51.15 ID:???
100get
空気銃といえば、ナポレオン戦争の時、オーストリア軍が使った空気銃って、本当に無音だったのかな?
大口径空気銃の動画をみると、普通の銃とかわらないくらい大きな音がするんだけど
>>101 弾丸が銃口から出たときに音が出るんだね。
火薬の爆発音がプラスされないだけ低いんじゃね。
糞を傷に塗られて破傷風になるぐらいなら、祈祷でもしてもらったほうがまだありがたいよなぁ
音だけじゃなくて発射煙がでないのがメリットにみえたのかな?
日本の場合、緑茶が普及しているから
免疫力が高く感染症が少ないよね。
医学の臨床試験でもガン予防に効果ありとされているくらだし。
現代の話をしてるんなら緑茶の効果じゃなくて衛生環境と栄養状態の改善だと思うよ。
明治幕末の話であれば感染症は結構発生してる。
日清でばたばた戦病死してるじゃないか。
明治初年のコレラ流行のとき、感染率が一番低かったのは中華街だったという新聞記事がある。
華人は加熱してないものを口にしないから。
カツオの刺身がやばかったんだよなぁ
>>107 戦地入院患者で病死した13,216人のうち、5,211人(39.4%)がコレラ
次いで消化器疾患1,906人(14.4%)、脚気1,860人(14.1%)、赤痢1,611人(12.2%)
腸チフス1,125人(8.5%)、マラリア542人(4.1%)、凍傷88人(0.7%)
確かにそうだね
>>110 緑茶の健康効果の有無の話じゃないよ。
ガン予防の有無の話でもない。
問題になるのは、この部分↓
>日本の場合、緑茶が普及しているから
>免疫力が高く感染症が少ないよね
・日本は他国他地域より感染症が少なかったと歴史学的に言える
・且つそれが緑茶の効果によるものと証明が出来る
・同様に緑茶を消費していた中国との比較(むしろ喫茶の習慣はあちらの方が盛ん
リンク先にもそういったことは記述されてないね。
ところどころに効果が認められない、影響を与えない、リスク低下は認められないという報告も見受けられる。
>>113 >緑茶の健康効果の有無の話じゃないよ。
ガン予防の有無の話でもない。
それなら、
>>106の書き方では誤解を招き不適切だよ。
>>113 >同様に緑茶を消費していた中国との比較(むしろ喫茶の習慣はあちらの方が盛ん
中国は盛んじゃないよ。それに喫茶といっても中国は、
茶はCamellia sinensis以外のも多くある。
ジャスミン茶などかなり日常的に飲まれている。
緑茶を飲んでいれば軍医いらず。そういう結論でOK?
科学的な討論が通りそうもないしな。打ち切ろうぜ。
もまえら陛下のお達しだ。征露丸飲め。
話は弾むわけですが、とりあえず
. ∧_∧ 緑茶ドゾー
( ´∀`)
( つ旦旦旦
>>115 >ジャスミン茶などかなり日常的に飲まれている。
留学生言っていたが、中国緑茶やウーロン茶よりも
ジャスミン茶の方が人気あって飲まれる頻度が多いみたいだな。
もっとも、中国でも地方によって違うかもしれないが。
>>116 科学的疫学的検証なら
>>110のサイトでよいだろう。
国立機関の研究所での公式発表のものだし。
>>114 何故だ?
二行目で感染症について言挙げしてるんだがな。
ガン予防について否定してるように見えたならすまんかったが
それだと
>>105の前段の方が不適切な書き方だと思うけどな。
>>115 うんにゃ中国では日常的に茶を飲んどるよ。
少なくとも清代後半には。
今はどうか知らんが1950年代には各家庭に喫茶のためのお湯を配る仕事があったくらいだ。
後、ジャスミン茶って緑茶混ぜてるよ。
台湾の茶屋で一番種類が多いのも緑茶(まぁそれが日本より多種で高価なわけだが)。
茶がどうのこうのより感染症の比率を証明せんとなー。
>>121 >うんにゃ中国では日常的に茶を飲んどるよ。
少なくとも清代後半には。
意外とチャノキの茶は中国では少ない。
それに裕福な人ほどフレーバーに凝るので、
余計にチャノキの成分が低くなる。
>>123も参照。
実際、中国人が茶を飲んでいる場面見かけなかったし。
日本人の方が多いと中国人が言っていた位だ。
>>123 そういうな、昔は木綿の漂白に人間の尿を使用していたんだから。
大体、有機肥料って糞(牛糞・鶏糞)が中心だろw
肥料を通して経口から摂取しているわけでw
漬物もやばかったんだよな
8年位前中国緑茶が流行ったな。
すぐに消えたがw何故だろう?個人的にはよかったのに。
中国からの留学生でさえ、「中国でも緑茶でさえそんなに飲まねぇーよ」
と言っていたのを思い出したw
>>125 要点としてはそれが感染症にどう影響するかってことなんだけど。
虫糞茶も広く飲まれているとは書かれていないね。
自分が旅行した時は中国人は茶飲んでたな。
それとドキュメンタリーや向こうの映画などでもよく見かけた。
まーこういうのは互いに証明出来ない話になるが。
自分が師事していた中国語教師(ネイティブと引揚者の二人)は
緑茶を飲むことが一番多いと言っていた。
ネイティブの方は烏龍茶を日本に来て知ったとか言ってたな。
年代や地域によって異なるのだろう。
[虫糞茶も広く飲まれている]とは誰一人として言っていない。
>>129は意味不明。
年代や地域によって異なるのだろう・・まあ、そうだろうね
モンゴルとかになるとビタミン摂取の為に必須と聞くが
>>111 戦死よりも戦病死と凍死の方が多かった日清戦争だけはあるな。
134 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 00:14:14.60 ID:9JHwsXMN
>>105 幕末や明治の話だろ? 「感染症が少ない」と言える根拠が分からない。
天然痘やらコレラやらが流行して死者ゾロゾロということが、
幕末の江戸で起こったはずだが。
英仏あたりと比較して少ない、というソースが欲しい。
1、緑茶には免疫を高める効果がある
2、だから日本人は感染症が少ない
かりに1が正しくても2が正しいとは限らない
栄養状態や衛生環境、防疫知識の普及によって感染症の死者数はぜんぜん違ってくるのだから
「免疫力」など、これらと比較すれば誤差程度ではないか?
中華街で感染者が少なかったのは八角をはじめ
きつーい香料も効いていたんじゃないかという気がする。
>>103 いや祈祷よりは告解を聞いてもらった方がw
ここホントに軍事スレ?
ここホントに軍事スレ?
いいじゃん。病気も軍事には憑きもんよ。
19世紀前半では大軍が行軍するだけで三割くらいは消耗したし健康問題も重要な軍事要素では
消耗の一部は脱走だと思うけどね。
通が集うスレだから、話題が広がるのは珍しくないよ
流がいやなら何かネタをだすこと
ナポレオン戦争の話に塩の代わりに黒色火薬を使うスープ…なんてのが出てくるけど、腹壊しそう
アフリカの少年兵は麻薬の代わりにAKのパウダー舐めると聞くが・・
三笠の爆沈で弾薬庫でなにか喰ってたからって説はなんだったっけ?
黒色火薬って尿から造られるんだぜ?
?
>>145 尿というか有機物が分解してできたアンモニアを硝酸バクテリアが酸化して硝酸が出来、それに灰汁とかの
カリウムイオンが結びついてできたのが黒色火薬の原料である硝酸カリ=硝石。
最大の産出量を誇るチリ硝石はグアノと呼ばれる島の珊瑚礁に、海鳥の死骸・糞・エサの魚・卵の殻などが
長期間(数千年〜数万年)堆積して化石化してできたものから出来ている。こちらは硝酸ナトリウム。
肥料や火薬の原料の他、昔からハムやソーセージの防腐・発色剤として硝石は欠かせない。
>>147 太平洋戦争(南米)も硝石を巡るものでしたね
>>143 ジョニーマッドドッグの序盤で確かにそんなシーンあった
弾薬から火薬ぬいてそれ舐めさせてハイにしてから出陣
>>142 モスクワからの退却中の話ね。
硫黄は浮かんできたところを掬い上げるし、
木炭末は腹に悪くない。硝薬はどうか知らないが。
ソーセージやハムの保存料に使われる硝酸化合物は発がん性の疑いありと言われている
長期間多量摂取は好ましいものじゃないだろう
長期間軍隊にいて、硝煙の臭いを嗅ぎまくってる人はどうなるんだろう?
153 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 09:29:47.52 ID:m1icFzlt
そういえば速水螺旋人がMCあくしずで黒色火薬時代という漫画の連載をやってるな。
今月号はフリントロックピストル。
154 :
147:2011/07/13(水) 09:44:45.26 ID:???
ついでに補足すると20世紀始めのドイツで大気中の窒素を鉄を主体とした触媒上で反応させアンモニアを合成することに成功し
(ハーバーボッシュ法)硝酸を含む窒素化合物を生物起源の資源にたよることなく化学合成できるようになった。
ドイツの穀物生産は海外産窒素肥料の輸入に頼る必要がなくなったうえ収穫量の大幅な増産を達成することができ(「水と石炭と空気とから
パンを作る方法」とも言われた)、更に第一次世界大戦で使用した火薬の原料の窒素化合物の全てを国内で調達できたため、
その後の戦争が長引く要因となった。
鎖国政策で、清とオランダに例外的に、窓を開いたのは、硝石確保の狙いもあったのかな
ヨーロッパでも人んちの床下から硝石をとっていたとは思わなかったな。
>>156
>>154に関して
大気を変える錬金術――ハーバー、ボッシュと化学の世紀
トーマス・ヘイガー みすず書房
はおすすめです
グスコーブドリの傳記に飛行船を使って空中窒素を固定して田畑に肥料を降らす実験が書いてあったね。
F135エンジンでも稼動させて板のであろうかw
「ナイトロジェン・フィクサー、すなわち空中窒素固定法」と書くと、なんか怪獣が倒せそうだ。
>>162 空中から硝酸の雨が降ってくるならたしかに色々倒せそうだ。
ゴジラ第1作目の最終兵器「オキシジェン・デストロイヤー 酸素の破壊者」よりは
理屈に合ってるような
軍靴のヴァルツァー読んでみたけど、なかなかおもしろいな。19世紀の兵器と戦術の進化をわかりやすく解説してる。
ただボルトアクション小銃がkar98kっぽかったけど、さすがにそれは19世紀半ばにしてはオーバーテクノロジーでは。
ドライゼ銃と違うん?
普通の漫画家が描くにはドライゼ銃の資料は少なすぎるかも。
このスレでは、ドライゼ銃やシャスポー銃の評価が高いが
そんな良い銃かな?ドライゼは、撃針が折れ易い、発射ガスが顔を直撃する、モーゼルが金属薬夾使用のM1871を開発するきっかけになった。低威力、つまりレバーアクションみたいだね。
シャスポーにしてもガス漏れ、ゴムパッキン、不発の問題は解消しなかった。
結局は、M1871、グラー銃で完成したんじゃない。
>>168 今から見ればお粗末だが、それでも出現当時は画期的な銃であったことに変わりはないからね。
170 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 09:25:48.88 ID:W9e/NKNQ
というか、幕末の兵器が欧米の旧式中古兵器だけでなかったという重要な論拠だし。
アメリカって、金属薬夾の本家本元なのに、金属薬夾使用の銃と言えば、拳銃やレバーアクション式銃ばかり。ボルトアクション式銃を開発する気は無かったのかな〜
南北戦争でそれどころではない と言われれば仕方ないが
ドライゼ銃は威力弱すぎて、距離によってはオーストリア兵のコートを貫通できなかったとかいう戦場伝説を聞いたことがあるんだが。
火薬の性能も安定してないからなぁ
西南戦争では、ドライゼ銃使用部隊から、精密構造故、故障しやすいので
信頼性の高いスナイドル銃に変えてくれ と言われたらしい。
過渡期の銃ということだね。
戦闘中に撃針が折れたりしたらなあ。
比較的簡単に交換できると言っても命をあずける気にはならんだろうなあ
しかしスナイドル銃も低威力、低射程なんだよな〜
射程も45度上向きで1500m、
人を殺傷出来るのが180m
だからすぐに、ヘンリーマルティニ銃に替わった。
178 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 17:30:26.27 ID:vlSulPH/
一応レバーアクションは金属薬局だと思ったが
179 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 17:30:53.35 ID:vlSulPH/
「金属薬莢」だね
はいじゃーバリウム処方しときますねー
一日3回食後ねー
スナイドル以前の金属薬莢のライフルは、更に威力の弱いリムファイヤだし。
>>172 当時のアメリカ軍はとんでもない田舎陸軍で規模も極めて小さかったからな
南北戦争後は一時的に膨れ上がった軍は大リストラだし
他はともかく歩兵銃はスプリングフィールドが独占だし、民間企業のインセンティブが働かなかったのよ
それに対して民間需要が極めて大きかったから、どこもそっちに注力した
アメリカの民間発明家の設計は、リーエンフィールドみたいに海外に流出してる
それで挙句アメリカはクラグヨルゲセンとか奇怪な駄作を19世紀の終わりには制式化するというわけのわからなさなわけだが
まあリーとどっちがマシかっつうとあれだがさすがにクラグヨルゲセンよりはマシだろうというw
リーに限らず、マキシムとかルイスとか、軍用向けの発明家はむしろヨーロッパで仕事してるし
ブローニングは機関銃はほぼコルトで開発してるが、あれはWW1期になってからの仕事だしな
>>177 しかし、リトル・ビッグホーンのような例もあるからなぁ。
>>183 リトルビッグホーンはスプリングフィールドM1873じゃないか。
>>184 いや必ずしも大威力、長射程が絶対条件にならないのではってこと。
>>184 スー族側がWinM66装備してたこと言ってるんだろ
リムファイヤのションベン玉でも乱戦になったら侮れないよね、という
ホイットワース・シャープシューターは、スナイドル銃に負けたんだっけ?
負けたってどういう事?
なんかスナイドルの話からいきなりリトルビッグホーンに飛んだり、
急にホイットワースの話になったり、論点がつかめないんだが。
>>188 負けとは、英軍採用されなかった事を指してるのだと思われ。
ホイットワースはエンフィールド銃の後継をもくろんでいたけど、コストの問題等で不採用になった。
とはいっても試験は1859年なので、スナイドルとは直接対決してない。
ホイットワースライフルといえば南北戦争で、主に南軍のシャープシューター達の手に握られていたことで知られているが、
手元の資料によると、その数すべての型式を合わせても150挺ほどにすぎないとか。
その後どれほどの数が日本に流れてきたのやら。
なんか銃の性能がうんぬんとか正直どうでもいい。19世紀後半の戦場は
指揮官の能力と兵士の士気が勝敗を決めていた。
仮に銃の性能が大して影響しないなら、南北戦争の様相ももっと違っていたろうさ。
戦術面での話題がよければ、ネタを振ってくれればいいと思うよ。
>>192 少なくとも、南北戦争における主な戦いにおいて「北軍の装備していた一般的なライフル銃の性能が
南軍のそれを上回っていたから南軍に勝利した」という記述にはお目にかかったことはない。
北軍であれば、バーダン(ベルダン)大佐のシャープシューター連隊(射撃の名手を集めシャープスライフル等を装備)が、
アンティータムの戦いやゲッティスバーグの戦いで、南軍の猛攻に対して激しい損害を与えたらしい。
まあ個別の戦闘が全体の戦いにどれほどの寄与を与えたかをはかるのは難しいけど、火力の増大が主に防御側に有利に働き、
戦争を長引かせたというのは間違えないんじゃないか?
>指揮官の能力と兵士の士気が勝敗を決めていた。
の反論としての
>仮に銃の性能が大して影響しないなら、南北戦争の様相ももっと違っていたろうさ。
なら意味が通ると思うが
銃の性能っていうか
大砲との差だろう
散兵戦術とそれにふさわしい小銃の存在、かな。
種子島では行いようがないからな。
小銃の性能があがれば、戦術も変わるし、必要とされる兵士の資質も変わってくるから、
単純にどれが重要かなんて言えないな。
南軍では軍需品一般が欠乏していて兵隊に品質の悪い被服しか与えられなかったし、
砲の数も弾薬の量も足らなかったし。
あれだけもったのが奇跡のようなものじゃないか。
まぁ幕末のことを考えると、小銃の性能に格差があれば、劣ってる方は伏兵かゲリラ戦ぐらいしかできないし、
指揮官の能力と兵の士気で劣っていれば当然負けたという普通の結論しか生まれないと思うが。
それでいうと指揮官の能力・兵の士気・小銃の性能が、実戦に耐えうる諸隊は
両陣営でどれくらいいたのかな?マイナーな部隊も希望
戦争全体の勝敗と戦場の勝敗は分けて考えないと。
南北戦争で評価が高い将軍って軒並み南軍の将軍ばっか。
北軍だとグラントとシャーマンくらいか?続くのがミードとマクレラン。
>>205 ま、不利な状況で奮戦したほうが個人としての評価は高くなるでな
>>195 どっちが勝った負けたじゃない。
例えば、銃と大砲の性能向上で横隊陣形での射撃・突撃から
散兵戦術による射撃・突撃と塹壕戦に変わっていったことについて言ってるんだよ。
兵器と戦術が相互に影響し合って変遷したということ。
すでにフレンチインディアン戦争や独立戦争の時に植民地兵や先住民は
そんな常識は無視して戦っていたのにな。
横隊陣形での射撃・突撃
>>208 戦っていただけで、それで勝利できたわけではないんじゃ?
そういえば、新婚旅行でイギリスのグリニッチ天文台に行った時
天文台がある丘の上にウルフの像があった。
仕事でフランス行った時、ベルサイユ宮の戦争の間には戦死した
フランスの将軍の胸像があってモンカルムももちろんあった。
兵器の進歩はおいておいて、作戦・戦術の進歩に一番影響を与えたのは
通信手段の発達だと思う。
アメリカ独立戦争でも戦争に勝つためには正規軍とフランス軍の横隊戦術が必要だったな。
ゲリラや民兵のような戦い方は攻勢作戦では出来ないから。
214 :
213:2011/07/23(土) 18:06:34.23 ID:???
自己レスで推測だけど、南北戦争のころは2列かもな。
もともと横隊での一斉射撃は、命中率が低いのを補う為のものだし、
精度が上がればその分間引いても大丈夫そうな気がする。
流れをぶった切って申し訳ないが
クリミア戦争時の英仏間や下関攻撃の4ヵ国間では、
作戦会議とかで何語が公用語で使われてたんだろう?
南北戦争なら、当時の歩兵操典が復刻されて売られてる。
それをみれば分かるんだが、どこへ行ったか忘れた。
今の教範と違い、諸動作(兵の装填・射撃動作、部隊の号令・行進・展開)
を丁寧に説明したものだけど、散兵の派出、分離、復帰なんかの記述も
ある。
217 :
213:2011/07/23(土) 19:30:45.12 ID:???
>>216 それはなかなか面白そうですね。
昔は歩いて移動する距離が半端じゃないんで、行進、展開なんかも切実だったんでしょうね。
そういえば「グローリー」には訓練シーンが延々と有った気がするので、近いうちに見直してみようかな。
Web ArchiveとGoogleBooksで教練本が大量にあるよ。
特に1800年移行のアメリカ・イギリスの教練本はほとんどあったはず。興味があるなら調べてみるがいい。
manual, practice, exercise, infantry, cavalry, musket, rifleなどの用語で検索すると見つかると思う。
>>215 英語か仏語・・当時の将校の教養なら仏語の方が主流だけど、米や英もいるから
英語も使ってたと思う
銃の性能に関する話題がないと途端に過疎ルな
223 :
名無し三等兵:2011/08/15(月) 21:58:11.11 ID:LFFuEDKI
振武軍が保守しています
幕末の日本では欧米の教練本を翻訳して使用したんだろうけど、歩兵戦術書なんかは
具体的に18XX年のものを使ったんだろう?翻訳・製本に時間も掛かるだろうから、
最新のやつなんか無かったと思うが・・・
>>224 1861年のオランダの歩兵操典が1864年に訳出とか、意外とタイムラグは少ない
幕末の洋式調練って当時としてはかなり近代的
>>225 1861年のものを1864年に訳して使うって、この時期南北戦争開始前と終盤だから
かなりズレたものになっていると推測。
>>227 でも、欧州が南北戦争の戦訓を操典に反映させるのは、もっと後の時代だから仕方なかろう
疑問なんだが、戊辰戦争って個々の戦闘による損害って意外に少ないように
思えるがなんで?南北戦争以前の教科書使ったら損害が大きくなりそうなもんだが・・・
片方が錦の御旗をゲットし、それで片方の頭目が早々と戦意喪失したからじゃない?
鳥羽・伏見の後でも幕府側には上方に十分な戦力があったそうけど
公方様が帰っちゃったりしたし。
世界最大級の都市江戸が無血開城したし、あとは不満分子が脱走して戦っただけだし、
東北も分裂したし。たぶん最後まで錦の御旗が効いていたからじゃない?
白河口の2回戦目は同盟軍2000余の内700余りが死傷。
3割が被害受けるとか相当な損害だと思うが。
あと、比較的射撃戦が多かった面とか。
白兵戦の方が射撃戦よりも双方の損害が続出する傾向ある。
>>229 同盟軍が戦い方を知らなかったので右往左往してしまった。
233 :
名無し三等兵:2011/08/25(木) 22:30:42.58 ID:+Vt2X4He
>>229 個々の戦闘は参加兵力少ないからな
鳥羽伏見の戦い以外は、幕府側は統一して兵力展開してるとはとうてい言えない状態だった
死傷700名は数字で見ると少なく思えてしまうが。
>>231 同じ兵力2000でも船橋の戦いでの旧幕府軍の死者は13人らしい。
>>230 別に皇族をくさすわけではないが実際の戦場で錦旗は役にたったのか?
今まで誰も見たことがない代物だぞw、東北諸藩も(権威的には)東武皇帝として
北白川宮能久親王を担ぎ出してるし、文字通り勝てば官軍だったんでね?
まあ、鳥羽伏見で薩長が敗れてたら玉を拉致して本土決戦やる計画もあったと
いうが・・
>>235 しかし鳥羽伏見の状況で幕軍が総崩れになるにはマジックアイテムでもなければ説明できないこと
>>236 初っ端に事実上の奇襲を受けた上に立ち直りかけたところで淀藩や藤堂藩の裏切りを受けたことは前提条件として無視できないと思う。
南北戦争の速報!? ちょうど150年前の今日の新聞が毎日届くアプリ(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース
ttp://www.excite.co.jp/News/reviewapp/20110630/E1309372984705.html >新聞は「今日のできごと」「今日の名言」「現在の北軍と南軍それぞれの死傷者数」「今日の写真」「戦局地図」などで構成されている。
>記事のお気に入り機能や検索機能もあって、資料としても使いやすい。1日1回だけチャレンジできる南北戦争クイズもあるし、
>なぜかtwitterのつぶやきを投稿するシステムも内蔵していて、投稿するときにはモールス信号を使って文字を打つ必要がある。
ちょっと前の記事だけど面白い話だねぇ。さすがに当時の新聞は残ってないのかな。
>>235 少なくとも後方の総大将慶喜には効果が有った。
勤王の家出身だったからショックが大きい。
まさに、水戸の徳川本家へのコンプレックス(の裏返しの勤皇)が幕府を崩壊させたんだな
いやしかし、鳥羽伏見で勝ってれば流石に無問題だったのでは
見慣れない旗が出たので幕府側(各藩)指揮官の一人が
「それはなんの旗だ?」と聞いて「これは帝の旗、錦の御旗だ」と言われ
「それでは我々は朝敵ということか?」、「そういうことになる」というやり取りの後
戦意喪失したとの記述を見たことがある。
もちろん兵卒には何のことやらだけど、この頃の幕府側で上級中級指揮官がやる気なくしたら
組織的戦闘は出来ないのではないかな。
秩父事件ではオルグの一人は「朝廷の置く役所を打ち毀したからには我々既に朝敵なりよ、気張って戦え」
と煽っていたww
>>243 明治に入って朝敵とかwww
ずいぶん間の抜けた背水の陣だなw
245 :
名無し三等兵:2011/08/31(水) 20:12:01.57 ID:aIGYu61c
>>244 西南戦争の薩軍だって朝敵だし
226事件で蜂起した青年将校は朝敵になるぞって脅された訳だし
戦前は朝敵っと言葉にかなり威力あったんじゃないか?
>>245 薩軍は遠くの天子より身近なせごどんを仰いでいたし、226では秩父宮を担ぎ出そうという
動きもあったというから、抜け道は色々あるんでね?さらには君側の奸を除くというかっこいいw
言葉もあるからな〜
>>246 薩軍はせごどんが通れば各鎮台は道を空けるどころか整列すると思ってたが
実際は朝敵になったことでその目算は狂ってしまった。
薩摩人は西郷を担いでチェスト!で済むけど他の地方が呼応してくれないと状況はひっくり返せない。
承久、建武の時代ならともかく明治幕末となると適当な皇族を担ぎだして
天皇にしても(しようと)おそらく人が付いて来ないと思われる。
当事者たちは出来ると思ってやるのだろうけどね。
鎮台といくさをしないでただただもくもくと東京を目指して歩いていけば各地の不平士族をまきこんで雪だるま式に大軍になったんじゃんないかとおもうんだ
長門や四国へ渡る場所で官軍が船を全部押さえてしまえば九州から出られないじゃまいか。
うん、そだな
関門橋や関門トンネル通れば良いジャマイカ
薩摩兵ノ児が議ィ言うかぁ!
泳いで渡りゃあいんじゃィ!
>>248 不平士族ってカスをどれだけ集めても、所詮烏合の衆
>>248 それは政府が一番嫌なやり方なんだが薩摩兵ノ児は
人の嫌がることはしないのですw
鹿児島県内ですでに暴発して蜂起しちゃってるからそら物理的にムリポ
>>253 政府が恐れたのは農民が動き出すか否かだものなぁ。
>>248 熊本鎮台を放って先に進んだら退路と鹿児島との連絡線が断たれてしまう。
それと食糧・武器・弾薬その他諸々足りないので政府側の軍事拠点から調達せにゃならん。
>>257 戦わないなら普通に買えばいいだけだよw
大集団が移動するだけなら参勤交代と変わらんw
デモ隊襲うようなもんだから、したら政府側の人気がリビアシリア並に暴落するだろう
>>258 既に山県有朋によって各鎮台は戦闘態勢に入っているよw
それと西郷、桐野、篠原の三名は軍籍と官位を剥奪されているから
武装兵を引率してるだけで違法行為となり、討伐対象とされる。
これを打開するには私兵と化した私学校党を解散して、西郷一人か
あるいは上位の人間だけで上京する必要があるんだよ。
繰り返すけど西郷が部隊を率いて進軍していることそのものが叛乱と看做されてるだよ。
そりゃ面白くない冗談ではなぁ。
>>258 蜂起する前から政府が鎮圧、追討に向かった佐賀の乱というものがあってな…
デモ隊だの人気の暴落だの理屈が通じる相手ではないよ大久保はw
同郷の西郷らは江藤らと違ってそれをよく理解してたろうし。
まぁ武装してないデモ隊なら、木戸と大久保が二人掛りで西郷を説得する様が見られたかもなw
木戸は行く気満々だったが、寿命的に厳しいかもしれんが。
>>263 「寿命的に」だと、まるで老人みたいじゃないか
せめて「体力的に」にしとけw
維新後の木戸はほとんど廃人だもんな
>>74 西南戦争がらみで海音寺潮五郎の知り合いの父親の
西郷軍側の医者(郷士出身)の話。
「大抵軽い傷では病院に来ないから大抵は手遅れのものだった。
ある兵士が腕を負傷してきたが、腐って切断しなきゃならない。
そこでのこぎりで麻酔なしでやったがと痛いとわめくので
『普段お前たち城下士は俺たち郷士を馬鹿にしてたくせに
こんな痛みも我慢できんとは本当に情けない奴だ』
というと後はうめき声立てずに手術受けた。
終わったら
『ああさっぱりした、ありがとう』とそのまま戦場戻っていった。
城下士は本当に強いもんだったよ」
>>240 むしろ慶喜の場合は母親の影響が大きい。
>>267 こんな無茶苦茶な奴らと斬り合いとか…どんな罰ゲームだよ…
普通にゾンビ相手のシューティングだろ?頭潰せば良いところも同じだ
言うのはタダ
>>264 いやいや、江藤については殺る気満々だったとしか思えないが、
西郷については違うんじゃないか?w
たしか、俺が西郷を説得してくる!とか言い出してた筈。
同じ案件で木戸の次に大久保を説得する破目になった伊藤の苦労推して知るべし。
私学校党の暴発から即山県を通して臨戦態勢に入らせてるけど。
>>273 私学校の暴発は予定通り。
一蔵どんにとって予想外だったのは吉之助さぁが情に流された事。
つか、うどめさぁ(西郷さん)って戊辰戦争の火蓋を切った(藩邸を焼き払った)庄内藩には寛大な処遇したのに、
(これが縁で西南戦争では庄内勢が一部薩軍入りしているし、今も庄内と鹿児島は姉妹都市)
坂本を見殺しにしたり藩邸の3人組を抹殺したという説が罷り通ったりと冷酷な面も見せる。
まー、兵を残して逃げてきた江藤を冷淡に追い返すのもまた情の深さ。
いやだから鹿児島の軍議で桐野利秋の「今や区々たる大義名分論がないごて必要があっか」に対して
「お前様がたがそのつもりなら何も言いもはん、俺の身を預けもす」と返した時点で決まってるんじゃないの。
軍議でも提案された代表上京案等の穏便な手段じゃないと大久保もテは抜けないだろう。
>>275 そう、卒兵上京の上奏が出されて初めて一蔵どんは吉之助さぁの薩軍加入を知った。
それ以前の暴発の時点では私学校党=西郷、という認識はなかった。
最終的に確認したのは大山巌が薩軍戦死者の日記から吉之助さぁが薩軍本営にいる事を知った時じゃなかったかな
>>276 西郷は西郷で大久保らによる西郷暗殺の試み(西郷側はそう捉えた)をかなり恨みに
思ってるからなあ。
大山綱良に言明した記録が残ってる。
心情からして政府と私学校の間に立って仲裁という方向に行かない気がするよ。
進発前に大山県令が西郷の名前で各府県・各鎮台に上京通達書を送ってるから
西郷が居ることは分かってたんだじゃないかな。
庄内へは新政府側が押されっぱなしだったから、寛大な処置は当たり前。
それを西郷の人徳と思ってしまう庄内の人の不思議
>>278 確かに庄内の寛大な処置はは自らの力で勝ち取ったものだけど、それを取り次い
だのがせごどんでしょ、あと薩摩への留学生が参戦して戦死してるのも大きいとは
思う・・戊申の復讐と称して政府の旗についた旧東北諸藩藩士と比較するとね〜
そら江戸の薩摩藩邸の連中に江戸市中で乱暴狼藉を働かせたのはせごどんだし、
それにブチ切れて藩邸焼き払った庄内藩の連中には負い目があったんだろうよw
西郷にしてみりゃ、まず上手くいかないと理解していても
失敗しても悪くない結果を得られることまで勘案してそう
ラストサムライ初めて観た
あんな映画だったとは・・・
あれは良くも悪くもハリウッドって感じだったな。
ファンタジーニッポンになるのは仕方ない。
描き方はアレだが、一応ネタ全部現実にソースがあるんだけどね、ラストサムライ
(いくらなんでもねーよ、な忍者に至るまで、桑名の第十三代服部半蔵正義が西南戦争で官軍の部隊長やってたっていうのが下敷きになってたりする)
>>284 監督が言ってたけど、日本人以外の観客に見せるためには
どうしてもデフォルメせざるをえなかったらしいね。
まあパールハーバーとかに比べりゃ真摯に作ってあるよ
>>284 そこまでこだわって細部の考証はあのザマか
デフォルメじゃなくて不勉強の域だろ
天子様の前で和装なのに無帽だったり
そもそも敵に捕まることを潔しとしないからこそのハラキリなのに捕まってからではおせーよw
だいたい最後の決戦の戦場は何なんだ。攻めるにも守るにも不適当そうな平原ww
通信手段が未熟なんだから見えるところで戦争しないと戦況がつかめない
>>282 あの映画でガトリングガンの使い方と威力を知った。
あとは官軍歩兵がたくましく成長するのを楽しむ映画です。
そしてオオムラの超人っぷりに感嘆する映画です
分かりやすくする為とはいえ、あらゆる人物の功績をひとまとめにしてるから有能すぎるw
ストーリーは普通に面白かったし、細かいツッコミ入れながら観るのはお約束だからその意味でも楽しめたし、まぁ悪い映画じゃなかったと思う。
292 :
名無し三等兵:2011/09/28(水) 22:18:04.68 ID:wczkZ/J1
維新前後の幕藩・明治政府問わず、補給についてまとめた本ってある?
鳥羽伏見の戦いで弾薬をどうやって運んでたんだろうと気になって
人夫を雇ったり徴発した記録は多いね、西南戦争でも博多から人力車かき集めて前線に
運んだと聞くし、お雇い外国人教官も補給概念の乏しさを嘆いていたとか
>>292 俺が読んだ範囲では戊辰戦争の兵站関連で割と詳しかったのは
保谷徹の「戦争の日本史18 戊辰戦争」かな
新政府側は人夫を雇ったりときちんと金払ったみたいね
>>290 大村の汚職については山城屋和助事件と開拓使官有物払い下げ事件を元にしてるね。
山城屋事件だと山縣有朋だが、その師匠の大村益次郎からあのポジションの名前を取ったのが、現実とのぎりぎりの接点だろうな。
>>294 横入りだが、実に興味深い。探して読んでみる。
「きちんと金を払う」という信用は、いつの世でも強力な力があるのだろうな。
297 :
名無し三等兵:2011/09/29(木) 22:16:47.33 ID:Y+/owmOL
>>294 ありがと
当時の人間の手記や日記ながめても、補給という概念がなかったようにみえるんだよなあ
>>294 ただ新政府も金がなかったからな〜薩長軍が進出先の藩を<説得>して金や米を提供して
もらっていたからね。加賀前田家の記録でもさんざん巻き上げられた(怒)と書かれていたよ
少数の金持ちから余剰を巻き上げて多数の貧乏人夫に賃金を払う、経済的にはすごく正しい
>>298 まあ払う金があっただけマシじゃないか
ヘタに供出しぶったら、加賀藩の位置だと奥羽列藩同盟との内通疑われて悲惨なことになったかもしれんぞ
個人的に一つ不思議なのは、今の今まで200年も徳川家によって支配されてきた世の中に
ある日突然、王政復古だ!と天皇をぶち上げた事に対する民衆の反応がまんざらでもない事なんだよね。
当時の民衆達が、「武家が実権を握ってるけど法の上では天皇家が…」と理屈っぽく考えてたのか、
「日々の暮らしで忙しいし、誰が権力握るかなんて興味ないし」とドライに考えてたのかは興味深い。
まだ国民国家という思想自体がないわけだから庶民には
家だとか、商家なら奉公先や取引先、せいぜい自分の仕えてる(いわゆる殿様)が大事という感じじゃないのかね。
昔からの江戸っ子が「権現様の土地で急に薩摩っぽやら長州っぽが我物顔で威張りだしやがって面白く無え」というのはあったらしいが
言葉の通じないド田舎者がでかい顔してるんだから腹も立つわな
>>301 列強との通商協定成立後、金銀の流出によって物価がべらぼうに上がって生活が苦しくなった。
具体的に言うと貿易じゃなくて両替比率の設定に失敗してしまった。
元々日本国内の金銀産出が枯渇しつつあり、水野忠邦の悪貨改鋳(天保銭)で経済が混乱していたのに加えてね。
だから庶民は何でも良いから「世直し」を期待したんだよ。
維新後に国から取られる金に関してはむしろ徳川時代よりガッチリやったんで抵抗も起こってるよ。
地租改正反対一揆とか義務教育反対運動とかね。
昔は義務教育が国庫負担じゃなかったから。
>>301 知識人レベルでは、天皇>将軍・武士って形而上の認識が地方の豪農レベルまで浸透してた
そういう層が自治や民政のフロントエンドとして機能するわけでな
武力で負けている以上もう、ああそうですか、って納得しちゃう状況
天然理心流の近藤家とかね。
>>そういう層が自治や民政のフロントエンドとして機能
今も残る特定郵便局もそうだね。
水戸天狗党の乱って、たった1000人ぐらいの反乱軍を関東から近畿辺りまでの間で討伐できなかったという点で
幕府の軍事行政の弱体化を世間に知らしめてるよね。大坂の陣ぐらいの時の幕府なら半日で殲滅できただろうに。
前から疑問だったのだが
初期の曳火式信管の砲弾というのは打ち上げ花火みたいに発射前に着火していたのだろうか?
それとも発射薬の燃焼により引火する方式だったのか
>>309 発射薬により引火。
初期のライフル砲弾では弾の頭部にヒューズがあった。
砲腔内径と弾外径との間に余裕があったからそれで十分火がついた。
改良されて余裕がなくなると後部に信管を取り付けるように変わった。
打ち上げ花火も発射薬の燃焼による引火ではなかったか?
そうだね。大昔みた百科事典の図によれば。
導火線 (とはいわないw) を上に向けて玉を落とし込み、
振り薬という黒色火薬を少し振りかけてから火のついた何か (忘れた) を投げ込む。
発射に失敗したときはやっぱり砲身ごと爆発するのだろうか
榴散弾なんかは調整が大変だったろうな。
>>314 奥行き側の効果範囲が百メートル以上あるからそんなにシビアでも無いかと
>>314 大変。適切な高度と高さで炸裂させないとまるで意味がないから。
地上に落下してから炸裂する榴弾とはまるでちがうからね。
あの当時の砲兵士官はそれこそ数学に長けた専門職でないとやってられない。今でもそうだけど。
>>316 しかしああいうのって、砲の弾道性能自体は決まってるんだから、ある程度までチャート作っといて観測の諸元で自動的に撃てるもんじゃないのかね?
いちいちその場で計算してたら、電卓さえない状況じゃあとても対応できないだろ
むしろ曳火信管の微妙な調整とかのほうが大変そうな
>>314 本気でやると大変なんだけど、
信管に刻みがあるので穴を開ける位置を距離で変える。
だから調整自体は簡単。
19世紀前半には、ある程度正確な時間(零コンマ数秒単位かな)で起爆できる信管があったのかな。
そういえば雷汞の発明もこの頃だったような気がする。
>>308 あれは御三家の水戸からの挙兵で幕府もなかなか腰が定まらなかったのが裏目に出たんでしょうね、
一方で政府軍は奇兵隊でも佐賀でも刃向ったらきっちりぶち殺してますからね
>>309 臼砲の場合はダブルトーチと言って、砲弾に点火→発射薬に点火と別々でした。
事故(砲弾に点火出来たが発射薬が不発とか)も有りましたが、自然着火より確実な為、炸裂してなんぼの臼砲弾では19世紀中期以降も使用されて続けていました。
大型の物は他の砲列から離したり、胸壁で囲んだりして、万が一の事故に備えたそうです。
南北戦争で北軍が使った臼砲の肉厚なのも
砲身が腔内発火に耐えるように、なんだろうね。
>>322 あの異常な肉厚の臼砲はそうなんでしょうね。
>>321に書き忘れましたが、ダブルトーチは映画「ラスト オブ モヒカン」で再現されています。
18世紀が舞台なのでスレ違いかもしれませんが、銃砲に関して丁寧な描写の映画です。
イギリス兵が「射撃用意」の号令の後気合入れるみたいに声だすのもいい。
それにモンカルムがちょこっとだけ出てくるのもいいな。
モンカルム対ウルフって戦史に残る名勝負だからなお更。
大砲といえばリメイクの方の「アラモ」でメキシコ軍が撃ち込んだ砲弾を
トラヴィスが「もったいない」と言って導火線?みたいのをナイフで取って
砲弾の再利用を命令するシーンがあるな。
曳火式着発信管というのもあった。
石膏の管に黒色火薬を突き詰めた構造になっており、発射時はまだ火薬が充填されている状態で強度があるため石膏管は壊れないようになっている。
発射後、砲弾が到達する頃には引火した黒色火薬が燃えて半分くらいは中空になっており、詰め物がなくなり壊れやすくなった石膏管が着弾の衝撃で
崩れ炸薬に引火する。
万一石膏管がこわれなくても石膏管内の黒色火薬が端まで燃えれば炸薬に引火し曳火時限信管として働く。
>>324 さすがはトラヴィス、実際にそう言うエピソードが残っているんでしょうね。
臼砲で砲弾点火後に発射薬が不発を起こした時は、砲弾点火手が砲口から手を入れて導火線を切る事になっていました。
また、その為のナイフやハサミも支給されていました。
落ち着いて作業すれば何の問題も無いとされていましたが・・・
>>325 スプリング式以前にも着発信管が有ったのか。
色々なアイディアが有るもんだね。
第二次長州戦争の段階で、日本(全国の藩)にはどれぐらいの軍艦があったの?
記録を読んでると肥後とか熊本がそこそこの軍艦を持っていたらしいが…
高杉晋作は上海で太平天国の乱を見てたんだね。
そのまま参加してたら面白かったのに。清朝・列強・太平天国軍・侍の戦とか胸熱だ
案外、民兵組織の常勝軍が奇兵隊のルーツなんじゃないかね。
民間人から集めた傭兵組織として。
南北戦争150年ということで、ヒストリーチャンネルでその特集を組んでるね。
榎本はダメ元でも新政府海軍と決戦して欲しかった
このスレ見てて思ったんだがなんで幕府って薩長に勝てなかったんだ?
幕末を描いたドラマだと必ずといっていいほど刀槍VS近代兵器という構造で片付けられるけど
むしろフランスと取引したり新生陸海軍を揃えてた幕府のほうが軍事的には近代化してたんじゃね?
官軍側に寝返った藩の大多数は火縄銃が標準の雑魚でしょ?
>>334 勝てなかったんじゃなくて勝つ気がなかった、ってスレ見てれば判断できんか?
錦旗が揚がった瞬間に総大将がケツ捲って逃げて、以降恭順の姿勢変えないんじゃ勝てるわけなかろw
そんな簡単な話なのか?
開戦前から勝ち目がないという意見が多数だったから大政奉還まで踏み切ったんだろ。
装備は互角もしくは幕府が上、数は圧倒的に幕府が上だったが、
それを運用する現場指揮官の採用基準が能力主義か身分主義か、で明暗を分けた
338 :
名無し三等兵:2011/12/12(月) 21:57:13.07 ID:gmzVRUff
薩長土も幕府も指揮する人間という点ではあまり変わらない身分主義なはず。
長州征伐・鳥羽伏見・奥羽戦争それぞれで様相が全然違うので、分けて考える必要がある。
親藩やら譜代大名が寝返って、数では勝っていてもやる気をなくした。
if、もし、仮定の話れ良く言われるのが
小栗上野介の駿河湾、箱根の迎撃案が通っていれば薩長を壊滅
房総半島から漕ぎ出して一刻箱根を抑えた連中ならいたんだが、後が続かなくてなあ…
戦国初期には数十万を号令して大坂城を包囲した幕府がなぁ。
親藩譜代の日和見主義的な寝返りは官僚制のなれの果てなのかもしれぬ
まぁ東北諸藩じゃ逆の意味での官僚制の弊害となってしまったようだが
最大の理由は統帥の不明でしょうね。
特に徳川慶喜さんは軍事政権の長としては致命的なまでに軍事的無能だったと評せざるをえません。
ぬるま湯に浸かりすぎて既に幕府は軍事政権ではなかったとか、政治的評価はまた別ですが。
松平春嶽さんとこ福井藩って新政府の初期有力メンバーなのに維新後の影がすごく薄いよね
>>345 四賢候のうち松平春嶽と伊達宗城は維新後も要職に就いたりはしたけど、
明治5年までに早々に辞しているからなぁ。
なので、越前も宇和島も目立たないことに。
宇和島と福井の影が薄くなったのは藩の軍事力って背景が薄かったからじゃないの
幕末の政治情勢に加わらなかった佐賀が要職に割り込めたのはそういう事でしょ
慶喜が逃げなかったら官軍は本当に勝ってたの?
幕軍の尖兵を使った鳥羽伏見じゃ大惨敗だったじゃないか
>>348 鳥羽伏見の緒戦で幕府歩兵隊が後れを取った原因に「幕府側は示威行為のつもり、薩長は戦争する気満々」という認識の差があった
だから歩兵隊が行軍隊形で前進してるところを一斉射撃でなぎ倒されるみたいな羽目になったけど
本格的な武力衝突と認識を改めた後は互角に近い打ち合いをしてる。
加えて大阪城に温存されていた奥詰め銃隊や予備の歩兵隊が無傷で残ってるから銃兵の質量ともに幕府側のほうが上だったりする
まあ日本人の気質というか、付和雷同体質というか、勢いのある方になだれうっていったんでしょ。
みんな必死に空気読んで行動したんだよw
352 :
名無し三等兵:2011/12/13(火) 20:41:37.37 ID:Whi9cF1R
>>348 >本当に官軍が勝ってたの?
官軍というのは薩長側のことを普通言うわけだが……
幕軍が勝ってたの? と変換して読むと、
陸上戦力の装備の優位も大きいが、
「圧倒的に強大な海軍力」がとくにでかい。
鉄道がないし、道も狭いし、制海権を奪ってしまえば
すぐに補給切れだろう。
東海道を直接艦砲射撃しても、そこそこ効果は得られるんじゃないか。
開陽丸の14センチクルップ砲に撃ち勝てるような砲なんて薩長は持ってないよ。
(連中のアームストロング砲は60ミリ程度の小型砲)
もっとも、開陽丸、戦う前に座礁して沈没しちゃうかもしれんがw
日本の歴史上、屈指のまぬけ軍艦だよなw
ヴァーサさんディスってんのかこの野郎
>>353 ヴァーサさんは浮揚保存されて貴重な歴史資料になっただろ!いい加減にしろ
>>352 東海道を東進してくる官軍を幕府軍が迎撃する場合、幕府海軍の優位性の話しがいつもが出るけど
当時の軍艦の大砲の性能と絶対数なんてたかが知れてるでしょ?
それと征討軍の主力は中山道だね。
夜間の移動に関しては無力だしな。全天候性もないし。
>>355 とはいえ砲兵戦力で言えば官軍側もそのたいしたことない幕府海軍以下だけどね。
鳥羽伏見に参加した砲隊て三隊だけで
薩摩潘の四斤山砲16門、六ポンド砲4門、携臼砲4門でしかない
長州に至っては砲隊なしだったりする
彼我の比率で考えるんじゃなく、絶対的な能力の問題かと。
第二次大戦中の戦艦の艦砲射撃じゃないんで。
どうせ使うなら対地攻撃より敵艦船の撃破を目指したいよね
江差の開陽丸を眺めるたびに思うんだけど、マストが高いのである意味、現用艦よりも目立つのな。
沖を遊弋していたら威圧感は相当あったろうな。実効性はともかく。
ちと話を逸らして申し訳ないけど長州藩の山田顕義さんって軍事的評価はどうなのかな
幕長戦争や戊辰戦争じゃ海軍もやったりもして常に最前線を任されてたことから評価が高かったのは伺えるんだけど
戦術や具体的な戦闘のことがよくわからなくて。
なんぞ良い本なぞありましたら教えていただけたら。
>>355 観測も殆ど出来ないだろうが、海に面した道があれば何かしら役に立つんじゃない?
まぁ補給の途絶とかなら大阪湾封鎖がいいんだろうが、
ただ大阪の近くに補給港が要るかな
凪でも石炭で動けるのは強みだが、そういや当時の石炭の積み込みとかどこでやってたんだろ
あと補給戦とかの記録を見るに、糧食とか抜きで弾薬の補給のみなら、結構陸路のみで賄えちゃうのかしらん
官軍の主力は中山道だけどな
>>363 ロクに海図も無く、砲の射程も短いんで
海岸に近づきすぎて座礁して終了だろうよ
仰角が取れないんで海面より標高のある地面は撃ちにくいし
この手の対地砲撃に向いたケッチとか持って無いし
そもそもスダマ撃っても大した被害にもならんし
367 :
名無し三等兵:2011/12/29(木) 19:21:59.58 ID:QV96F7Ox
東海道をゆく部隊への威圧にはなったろうな
大砲積んでる軍船が睨み効かせてたら近寄りたがる部隊は少なかろう
ただ、実質的な効果については
>>366ノいうとおりだろうな。
座礁させたくはないから艦長が拒否って沖合から打ち込んでみて終了。
>>366 >>367 箱館戦争や薩英戦争では艦砲射撃は効果があったじゃないか?
(もちろん世界大戦の頃とは比較にならないが)
開陽丸が座礁したのは「艦砲射撃したから」じゃないし。
座礁しないように撃つことはできるよ。
>>368 >箱館戦争や薩英戦争では艦砲射撃は効果があったじゃないか?
拠点という狭い範囲の攻撃でね。それにあくまで歩兵の支援だ。
馬関戦争では、あれだけ派手に打ち込んで、実害は死傷数人だったような。
>>368 座礁しないように上陸作戦することも出来る筈だよね?
第二次長州征伐で海上部隊に掩護された幕府歩兵を
迂回して脆弱な彦根兵を攻撃、幕府歩兵は方位を恐れて
撤退てことがあったから、指揮と装備を統一できないと
箱根でも同じことが起こるかも。
駿河湾に艦隊が居座ったら避けようもないと思うけど
それに開陽丸は榴弾うてたと思うが
地上部隊はどこから持ってくるの
薩英の被害の話に尾ひれがついて艦砲射撃脅威厨が湧いてただけなんじゃないの
当てずっぽだけど
対施設攻撃なら効果も見込めるだろう
薩英戦争は戦略レベルでは薩摩側の勝利だからなあ
イギリス海軍は撃退されたからな。
薩摩藩は防衛できたし。
って言うか、台風のお陰じゃん。
382 :
名無し三等兵:2011/12/31(土) 22:16:16.83 ID:L3HgGjKi
弾で片付けるより金で片付けるほうが安上がりだからな。
>>379 どちらかといえば話は逆で、
「戦術的には薩摩藩はけっこう善戦した(英国兵をたくさん殺した)
でも戦略的には完全に敗北」
だろう。
薩英戦争の英国艦隊は、なにも薩摩藩を滅ぼそうとか占領しようという
目標はもっていなかった。だから英国艦隊が立ち去ったことは勝利ではない。
>でも戦略的には完全に敗北」
> だろう。
英国はその意図を破棄しているが?
>>385 英国艦隊は占領の意図があったんですか?
ウィキペディアには「生麦事件の犯人の処罰、賠償をもとめた。要求が受け入れられなかったので砲撃した」
としか書いていません。
>>386 ウィキペディアにはかいてないけどw
賠償がはらえなければ租借だよね。
>>386 >「生麦事件の犯人の処罰、賠償をもとめた。要求が受け入れられなかったので砲撃した」
それは外交的目標。
戦略的目標は、
「砲撃して政庁を制圧し武力で屈服させ要求を認めさせる」。
しかし、薩摩に事実上撃退させられる。
薩英戦争って、「薩摩軍の大砲は英軍に届かなかった」ってよく書かれてるけど
届かなかったのに英軍に死者がでている不思議。
>>390 薩摩側の砲撃が届くようになったのは、戦闘の最終段階。
壊滅させたと思った砲台に不用意に近づいて反撃された。
薩英戦争なら
「描かれた幕末明治―イラストレイテッド・ロンドン・ニュース日本通信1853-1902」
に、軍の報告書を元にした記事が出ているよ。
大事件だけあって、特集と言える位の記事が当時書かれている。
イギリス側は、アームストロング砲に暴発事故が起こったんだよ。
アームストロング砲は当時のイギリス海軍の主力兵器だし、機密を保つためにこの事実を隠していた。
それため薩摩側の戦果と、過大に評価されただけ。
イギリスの不運はこの先も続き、更新したばかりのアームストロング砲を、一斉に廃棄して旧式に交換している。
ただ艦載の大型砲はともかく、国内で導入された小型のアームストロング砲には、これといった事故は起きなかった。
といってもボートに載せて、上陸してから使うような小型砲だしな。
アームストロング砲は月にまでライフル弾を打ち込んで
しかも自分で戻ってこられるんだ
ぞ!!11!!1!!!!!11!!!
今日は一段と冷え込みますな。
さてシャモ鍋でも食うか
>>392 その本、地元公立図書館にあったので予約した。
日清日露戦役なんかも入ってるかな?
>>397 日清と義和団までは入っていた気がしますが、日露はどうだったか・・・
薩英戦争も面白いけど、イギリス公館が襲撃された一次東禅寺事件も面白いですよ。
特派員のワーグマン自身も巻き込まれたので、迫真の記事です。
>>397 このスレ的に重要な記事を忘れてましたw
幕府軍の洋式訓練や軍装の記事も興味深いですよ。
>>398 ワーグマンだっけ、床下に逃れてそこから斬り合いを見ていて
あとでスケッチにしたのは。
>>400 ワーグマンですね。
この事件絡みで3枚程スケッチが。
上げとく。何かネタないかな。
新選組ものを「燃えよ剣」から色々と読んだが、
最初は後半に登場する輸入小銃の優劣が全然わからなかった。
近藤が投降したとき配下部隊の小銃を引き渡したが、
「官軍」のよりずっと良かったので喜んで早速取り替えたとかさ。
戦闘技術の歴史4はいつになったら刊行されるのか…
>>402 「燃えよ剣」にどう書いて有ったかは忘れてしまったけど、有馬藤太の回想に、
「…タシカ砲三門、小銃二百挺余りを持って来た、
それでゲベル銃を持ってる兵には、今持って来たミニヘル銃と交換してやった、
だから夫以後彦根兵は皆ミンヘル銃斗りに、なったのだ…」
と有りましす。
この時期でもゲベール銃装備の東征軍がいたのが実情かと。
大鳥軍と戦った北関東諸藩の中には火繩銃装備の藩も有ったし。
ミニヘルってミニエライフルのことかい?
でゲベールはマスケットか。
>>405 ミニエーに限らずエンフィールドやウィンチェスターも一まとめにしてライフルドマスケットは全部ミニエーと呼んでたみたい
>ライフルドマスケット
フリントロックのライフル銃があるのか?と焦ってしまった
>>407 有るよ。
イギリスのベーカーライフルとか、幕末で言う所のヤーゲル銃とか。
それ以前に、マッチロックのライフル銃も有ったし。
この場合は長時間かけて押し込まないとダメなんだよな?
ミニエ殻とか使ったら暴発
>>409 弾による。
表面を銅などの柔らかい金属でコーティングしておけば、発射の際の熱や圧力で変形してライフリングを噛むように
なるから、装填しやすいサイズの弾が使える。
逆に予め弾丸に小さな出っぱりが3〜4つあり
これがライフリングに食い込むのだが、
そのために装填時にその出っ張りに合わせてねじ込まないといけず、
それゆえ銃弾先端に十字型の切れ込みがあり、押し込み棒がプラスドライバーのようになっているもの
というのを考えてみたw
銃弾先端に十字型の切れ込みがある段階でもうダムダム弾なのだがw
ミニエー弾を使用するパーカッション式施条前装銃 -> すべてミニエー銃
球弾を使用するパーカッション式平滑前装銃 -> すべてゲベール銃
ということかね
>>411装填に時間が掛かりそうだなあw
そしてこの
>>413のリベットドライブの、リベットに弾丸が推されて変形しているのを見ておおおっ!
と思ったのがミニエー卿だったのか?
>>412 球弾を使用するフリントロック式平滑前装銃 -> ゲベール銃
球弾を使用するフリントロック式施条前装銃 -> ヤーゲル銃
高島秋帆が小銃を輸入(ゲベール300挺、ヤーゲル50挺)して洋式兵法訓練を始めた時は上記だったよ。
時期的にはパーカッション式が存在していたけど、了解の上購入したのか、在庫を押し付けられたのかは不明。
その後はパーカッション式もそう呼ばれる様になった。
416 :
402:2012/02/17(金) 09:39:54.18 ID:???
なんだ、ネタ振ったら一ヶ月閑古鳥が鳴いてたスレが急に活きいきと。
最近YouTubeでは最後にFaveした動画がどこにあるのか探しにくくて困る。
本来Watch laterに入れるべき動画もFaveしているわけだが、
Watch laterの強制連続再生もうざいし。
>>417 この動画の7分あたりで、100グレインの装薬だと銃口初速が1646fps……500メートル毎秒近く、って出てるな。
ぎっちり銃身と弾丸の間を詰めるライフルだと、こんなに高初速になるのかね?
>>419 センターファイアーの金属薬莢が出現する以前の開発途上の閉鎖が不完全な後装式(ドライゼ銃、シャスポー銃、)や構造的に脆弱なリムファイアカートリッジにくらべれば
射手の顔前に高圧高温の発射ガスが吹き出す心配がないぶん銃身の耐久度いっぱいに装薬量を増やせるわけだし初速もあげられるということだと思う。
それにしても18世紀に初速500はすごいな
それをより素早い装填で実現する工夫がミニエ殻だったと
日本人がもっと早くからヤーゲルライフルに親しんでいたらどうなったかなあ?
至近距離だととんでもない威力になるわけだな
距離30メートルくらいでは南蛮胴具足でも貫通できたそうなので
脅威ではあるな
その距離なら命中率もあがるし。
銃弾を鏃みたいな形にすれば命中率上がるんじゃね?っていう発想はなぜ生まれなかったんだろうか
>>436尖った方を向けて飛ぶ限りはそれが空気抵抗最少になるから一番飛ぶさ
でもジャイロ回転していない、ドングリ型やラグビーボール型の銃弾を打ち出した場合
飛行中にすぐ横を向いてしまって急激に減速してしまう
それなら球形の方がマシだったのだ
弓矢やクロスボウがあって、現代ではAPFSDSなんかもあるわけで
羽根付き弾を作る奴ってのは出なかったのかね
棒火矢があるじゃないか
ライフリングのない銃で椎の実形状の弾頭を射ち出しても樹の枝を投げつけた時のように重心を中とした短軸で回転する。
飛行姿勢によって空気抵抗が変わるから、弾道はでたらめに変化して命中率も悲惨なことになる・。
弾頭を正面に向けるには矢羽のようなものを後端にとりつけるしかない。
それくらい面倒なことをするなら最初から球形にして飛行姿勢による空気抵抗の変化をなくしたほうが簡単。
余談になるが日本のエアソフトガン(ライフリングは当然無い)でも黎明期はつづみ弾や椎の実型の弾頭を模したものがあったが
球形のBB弾が登場するとその命中精度の良さから他の形状の製品をすべて駆逐してしまった。
>>428 APFSDSは弾体の短径と長径が1対10以上ある形状のためライフリングでスピンを与えてもすりこぎ運動によって
かえって弾道が不安定になるので安定翼がついている
>>428 茶筅弾とかでそういう方向への模索は行われた
>>430 エアソフトガン用のツヅミ弾は弾頭を前に飛んでいかないってコトは当時のユーザーでも常識だったな。
BB弾の普及は弾道性能もあるけど、装填が楽ってこともあった。
それと弾自体の破損が少ないってのも。
実銃に比べて射程が極少だからってこともあっただろうな。
アメリカ並みの玩具銃での初速がOKだったらまた別な進化をしたと思うが・・・。
火縄銃のヤーゲル化は、銃身製造技術的に可能だったのかな?
旋盤ないと難しいよね?
洋書の前装銃の本を読んでいるけど、当時の雌ネジ切りの水準で可能だったかどうか今ひとつ解らない・・・
>>433 「銃身にライフリングを施すことは15世紀終わりにすでにウィーンのJaspard Zollerによって発明され、その後1520年にウィーンの武具師August Kotterが改良を加えていた」 とあるから
当時はフリントロック(1620年発明)以前のマッチロック(火縄式)かホールロック(歯輪発火式)しかなかったはず。
アメリカ並みの玩具銃での初速がOKだったらまた別な進化をしたと思うが
>>433 アメリカ並みの玩具銃での初速がOKだったらまた別な進化をしたと思うが>
タカトクSS9000とか結構初速の早いエアソフトガンもあったのだがつづみ弾の材質が単なるプラスチックなので比重がやたら軽い(現在のBB弾は石粉等が混入されてそれなりの比重がある)ので
ティッシュペーパーを丸めて力いっぱい投げつけるようなもので空気抵抗の影響がもろにでた。(スコーブでみると弾道が曲がるのがはっきり確認できた。)
火縄銃のヤーゲル化は、銃身製造技術的に可能だったのかな?>
銃身にライフリングを施す技術は「15世紀終わりにすでにウィーンのJaspard Zollerによって発明され、その後1520年にウィーンの武具師August Kotterが改良を加えていた」とある。
フリントロックの発明は1620年だから当時はマッチロック(火縄式)かホイールロック(歯輪発火式)しかない筈。
初期のライフリングはどうやって彫ったのか自分でも調べてるのだがよくわからない・・・
子供の頃友達のプラ鼓弾を見たことあるけど、中空じゃなかった?
うちの親爺はスプリング式のエアガンを持ってた。
市ヶ谷か水道橋かその辺の銃砲店に弾を買いに行くのについていった憶えもある。
今じゃエアガンも散弾銃やライフル並の厳しい規制対象なんだな。
犬を飼ってから犬を喜ばすために空気銃猟を始めようかと思ったことがあったが、
ガンロッカーを購入して家の壁に取付けして購入の証明と取付写真を提出云々を読んで
嫌気がさした。
>>437 子供の頃友達のプラ鼓弾を見たことあるけど、中空じゃなかった?>
弾頭の下の方はスカート状になっていたけど頭部は詰まっていたと思う。
SS9000は威力のほうは薄いベニヤを貫通するくらいあったが5m先の週間誌にも当たらないくらい集弾性能が悪かった
ので当時は弾頭をハンダゴテで溶かして鉄製のボルトや釣り用の錘を埋め込んで撃ったりしていた。
ライフリングを彫る時、銃身を変形させること無く確実に固定する為に、初期は六角銃身だった訳だし。
火縄銃の銃身が多角柱だったのも同じ理由?
叩き方によって多角形が微妙にねじれてて結果としてライフリングになる匠の技が
日本で出来ていたら!
wwwwwwwwwww
流石にライフリングは無理でも、エアガンのホップアップシステムもどきは出来上がるかもね。
球弾だしw
445 :
441:2012/02/21(火) 08:42:03.65 ID:???
それはポルトガル人などから教わった製法だと思うけど、
ドイツなどでは製法が違ったの?
>水力とか蒸気)が必要だろうし
日本も水車小屋はあったんだが、大規模な工業的な動力としては使わなかったよなあ
揚水を別にすればせいぜい米を搗いたり蕎麦を挽くぐらいだね。
戦国期に火縄銃の製法と一緒にライフル掘削技術も伝わっていたら面白かったかも。
杉谷善住坊による信長狙撃・暗殺成功とか。
施条銃自体は結構昔からあるみたいだけど、狙撃が有効な戦術として語られるのは
フレンチインディアンあたりからみたいですね。
でも三十年戦争でのグスタフアドルフあたりは何回も狙撃されてる様なので、昔か
らあるといえばあるのでしょうけど。
18世紀に800メートルからの狙撃成功記録があったような。
螺旋式の施条は公式では1520年発明(もっと以前からあったという説も多い)。
日本へ(滑腔)火縄銃伝来が1543年。
日本人はその後発明された火縄のいらないフリントロックを集弾性能が悪いという一点で嫌ったくらい命中率にはこだわる国民性だから
装填に手間が掛かっても砲術家とかは使っていただろうな。
軍靴のバルツァー2巻が出てたぞ
大日本絵画の「ガンズ オブ エリート」にその記載があるね。
プレブナ会戦。
露側がトルコ陣300ヤードに接近したところでウィンの速射を食らった、と。
第1波の1/3が戦死・負傷とのこと。
速射性能が物を言った、というところだろうね。
ただ当時のウインチェスターのレバーアクションライフルは構造的に脆弱なので拳銃弾なみの威力の弾薬しか使えなかった。
(じっさいリボルバー用実包の44-40弾を使うモデルが一番良く売れた)
1894年以降にジョン・ブローニングが高威力の実包が使える改良型のM1894やロシア軍に採用されたM1895を発表したが
構造が複雑で高価、アクション時に機関部が露出するため泥埃に弱いという弱点は依然として軍用に不向きなままだった為
モーゼルの設計したボルトアクションライフルが主流になっていく。
>>456 英語は不得意なんだけど、そこのwikiみるとトルコ軍はマルティニライフル(と後装式のクルップ砲)も使用してたみたいだね。
で、ウィンチェスターはリムファイアカート使用のM66らしい。
正直M66は当時はもう旧式だけど、あくまで近接用としてのみ使用して、効果を上げたんでないかな。
M66で大戦果とか、スー族かよw
ロシア軍はスナイドル銃相当か。
射程は上だが精度が低いんでやっぱ肉薄するしかないってことだね。
さすが銃器の話題になると盛り上がるな
一言でスレが止められてしまうとは・・・
まるで正規軍による一回の斉射で敗走してしまう民兵部隊のようだ
散弾ではなく?
武器の威力ではなく士気と錬度と指揮官による
散弾は陸戦では使わないと思うよ。少なくともWWIまでは。
海軍では叛乱が怖い士官が持ってたようだけど。
471 :
469:2012/03/12(月) 13:36:23.03 ID:???
ほんとだ。
脇のナイフが怖いんですけど。
どんな状況で使ったのかな。
ブランダー・バス(ブラウン・ベス)は戦闘用散弾銃じゃないのか?
大砲の世界では散弾使ってたよな。葡萄弾とか。
ブランダー・バスはいわゆるラッパ銃で、ブラウンベスは英陸軍制式マスケットじゃないのか?
400 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 18:47:19.84 ID:???
>398
そう言えば前に。以前は弓矢を使って行われてた部族間の戦争が。
冷戦が終わってダブついた銃器が大量に流れ込んだために、一気に死者が増えてシャレにならん状況になってるみたいなニュースを見たな。
403 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 19:16:32.53 ID:???
>400
休刊になってしまったが、雑誌『アフリカ・レポート』の2009年3月号にこんな記事がある。
自動小銃は社会を無秩序化するのか - 東アフリカ牧畜民の民族間関係を事例に) / 佐川 徹
ttp://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/048.html 無料でpdfが読める。
マスケットだけの世界に、いきなり射程3倍の銃が装填時間30秒で登場したらそりゃ戦い方も激変するよなあ
1980年台のエチオピア南部では、ガチャポンライフルが一方の軍だけAK-47コピーになって同じような状況になったような
「宝島」のスチーヴンソンがサモアに移住してからの日誌かエッセイを昔読んだが、
1890年前後、そこの住民は好戦的で輸入物の小銃でよく戦争をしていた。
村を守るときは土塁の陰に伏せて撃つ。
ある宣教師がある村に来たら総出で戦争の準備をしていた。
戦争する理由はなんなのかと尋ねたら、
偶々火薬の樽の一つが保存が悪く水が入っているのが見つかり、
このままじゃひと樽全部が無駄になってしまうから戦争して使おうということになったらしい。
宣教師はどうやら皆をなだめて戦争を回避した。
19世紀頃、安物のマスケットをアフリカあたりに売って荒稼ぎしてたのはイギリスのバーミンガムとベルギーのリエージュあたりらしい。
そして19世紀も後半になって、ミニエーやら後装銃の余剰品が市場に出回る様になって苦労したらしい。
ちなみにリエージュの製造組合はモーゼルライフル製造をきっかけに会社組織になってFNとなり、
バーミンガムの方もすったもんだしたあげくBSAという会社になり最終的には単車のメーカーとなった。
>>481 火縄銃にも「二つ玉」というのがあった。杉谷善住坊が信長狙撃に使ったのもこれ。
井沢元彦が間違いを指摘されてた。
137 名前: 武田研究家 投稿日: 01/10/10 00:55
> 善住坊も,六角承禎にえらばれるぐだいだから,名人だったろう.
>「二つ玉(弾丸が二発)」というところに御注目願いたい.
>この時代の火縄銃はすべて先込めの単発銃であり,二発続けて撃
>つことは不可能だ.それでも二発撃ったということは,あらかじめ火縄を点
>火した銃を二挺用意しておいた,ということだ.
> そんな「名人」が十二間つまり約二十二メートルの至近距離から狙撃し
>たのに,かすり傷で済んだというのだ.
井沢氏はもう少し砲術の勉強をするべきですね.
『信長公記』に「二ツ玉にて打ち申候」とあり,「にて」という表現は
「二つ玉」という方法で射撃したことを示しています.
でこれはどんな射撃法かといいますと,銃身に小さ目の玉を二発,紙で
包んで装填する方法です.言うなれば「散弾」の発想でしょうか.
当時の火縄銃というのは破壊力はあっても命中精度が低く,
雑賀衆の一人で佐武伊賀守というものが敵を10間まで引きつけてから
狙撃した話を書き残していたり,あるいは西洋の火縄銃が60フィートで
かなり大きな目標に当てることが出来たという記録があることなどから,
狙撃が可能な距離は18メートル程度であったと考えられます.
となるとこれを越える距離で確実な命中を狙うのは難しく,善住坊も
それを知っていたからこそ「散弾」で狙ったのだと言うことになります.
「日本初のスナイパー」というネタは井沢氏にしては面白いですが,
細かい知識の誤り,古文献史料すら訳せない実力の露呈など,ネタを振った
ばかりに墓穴を掘っているようにも思えてなりません.
>>485 長文乙
どうせなら戦国・大航海時代の軍事全般とかスレ立てすれば?
引き続きマスケットのはなしだけど。
アフガニスタンではJezail(ジェーザイル?)という長銃身のマスケットが使われ
英軍は苦しめられたらしい。
高所で待ち伏せして、渓谷や隘路を通る敵を狙い撃ちしたとか。
ワトソン博士がアフガンで負傷した理由もJezailで撃たれたことになっている。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Jezail 山岳戦はレンジが長くなるのか、アフガンで近年米軍もM16系では射程が足りない
場面が多いため、M14等を引っ張りだしてるのを思い起こさせます。
>>488 引き続きアフガニスタンの話だけど。
ソ連侵攻後、エンフィールドライフルコピーがムジャヒディーンに多用され、AK小銃の射程外からソ連兵を狙い撃ちしたとか。
山岳戦はやっぱり時代が変わってもそういうことになるのだね。
>>488 木が生えてなくて、砂丘みたいなものもなく見通しがいいからかな?
しかしいずれ無人機の数がさらに増えればいらなくなるね。
第二次アフガン戦争では、マルティニ銃や後装砲など装備に優越してた英軍は、それにもかかわらず手酷い損害を
受けたみたいだしね。
結局、政治的に折り合い付けて幕引きにしたみたいだけど、そういうところも今のアメリカとかぶるなw
佐賀藩がアームストロング砲を国産化した伝説は、もはや完全に否定されてるってことで良いの?
元込式でライフリングのある砲=アームストロング砲というくらいの
アバウトなくくりでよければ国産化できたと言えるんじゃない?
本家とおなじ製法・おなじ構造かと言うと、そりゃ無理だ
>>495それは弾丸が実際にライフル回転で高精度で飛んでいくものだったのかどうか?w
そもそも元込式にした場合の尾栓の閉鎖方法が一番難関じゃないの?
田中久重が自分の著作で『鉄製元込アルムストロング銃』製造について言及してるけど
結局完成した物の出来についてはよくわからん
アームストロング砲についてググったら最近は海外ホームページを翻訳されているサイトとかあるのね。
最も成功したのは12ポンド砲(口径76.2mm)で、大口径砲はアームストロングも乗り気でなかったとか、
トラブルが発生したのはメンテ不足で、兵に文盲が多かったからとか、(本当かなw)
火口ピース(ブリーチ部)は初期は錬鉄製で、後にひずみに耐性のある鋼鉄製に換えられたとか。
ふと思ったんだけど、当時の日本では錬鉄製の部品の製造、加工あたりまでが限界で、鋼鉄製の精度ある部品の
製造は難しかったんじゃないかな。
坩堝炉とか使うんだろうけど、バネとかの小部品ならなんとかなったかもしれないけど、火口ピースとかになると、
大型ハンマーによる鍛造や、適した熱処理、あと切削加工なんかも大変なような気がする。
素人なんで詳しい事はまだまだよくわからないんだけどねw
普仏戦争時のフランス軍の野砲って
前装式ライフル砲だったのかな?
>>500 四斤山砲と同レベルの技術の前装式ライフル青銅砲だったようだね。
トレブニツァのザイトリッツ像は、普仏戦争で鹵獲した青銅砲が材料とな。
アルゼンチンとチリの国境にも、
青銅砲を熔かして作った「もう二度と兄弟同士で争いません」の碑があるってさ。
いちおうそれ以来二国間での総力戦争はしてない。
青銅砲溶かして作ったと言えば、勲章もあったよな。
クリミア戦争の露軍から鹵獲したやつで作ったやつ。
プロシアのクルップ砲は、あの口径の太さで
後装式かな?
>>503 英国のヴィクトリア・クロスね
ちなみに砲身の大半を既に使用してしまったため、残り80個程の勲章しか作れないらしい
あとその鹵獲砲で作ったという節も怪しいってウィキペの記事に書いてあったよ。
上にリンク貼ったのとは違う、VC勲章そのものの記事。
話を戻すと、近藤勇を襲うのに御陵衛士の残党が薩摩藩から借りた鉄砲ってのは
何だったんだい?火縄銃じゃあないよな。
推測で
時期的にエンフィールド辺りじゃないの?スナイドルは少数だし
スペンサーは佐賀藩のもので少数だし
襲撃者の一人、阿部十朗の回想には銃二丁と槍二本としか…
見たのは途中が略されていたので、そこに何か書いて有るのかもしれないけどね。
再装填せずに切り込んでいるから、先込め式なのかな?
近距離ならゲベールでもバックアンドボールを使えば効果大。
なにそれ。
back and ball(s) でぐぐって見たけど整骨とか腰痛みたいなことしかヒットしなかった。
BUCKだろ
buck shotと言えば鹿玉 (大粒×九個)だが。
ジョージ・ワシントン推奨
にゃるほど、勉強になりました。
マスケットの方がミニエー(初期のもの除く)より口径が大きいから、この手の使い方には効果的だな。
つーかライフリングのある銃身で散弾を撃つと遠心力で8の字状にバラけるし
鉛片がライフリングに食い込んだりロクなことにならない
この戦闘の流れ面白いね
・射手一名が早まって射撃→近藤に命中
・銃声と指揮官(近藤)の負傷で新撰組隊士が浮足立つ
・それを見た襲撃側は銃を捨て、刀と槍の白兵襲撃に切り替える
・終わっみれば、
新撰組側15(20?)名中、切り死に2名(1名は馬丁)、銃による重傷1名(近藤)
襲撃側5(6?)名は無事逃走
結局、浮足立った方が負けと…
近藤は重要人物の上、負傷して剣が使えないとあれば彼を逃がすしかない。
残党側は待ちぶせで先手だし。
村田銃の設計者を主人公にした「狙うて候」読んだがなかなか面白かった
ホント小銃の過渡期だったのね
図書館で予約した
そういえば文庫版化されてたんだよね。
東郷隆の力作、というか代表作といってもいい。
「狙うて候」は未だ読んで無いけど、「大砲松」は面白かった。
『幕末明治実歴譚/青蛙選書』に、
「村田銃発明談/村田経芳述」が載っているよ。
村田経芳からの聞書きだから生の声に近い?
529 :
526:2012/05/01(火) 08:42:39.50 ID:???
3/4くらい読んだよ。
あれどれくらいフィクションというか作者の想像が入ってるのかね。
何で今更ヒストリーチャンネル?
つか誤爆か?
いや決して。ネタ古かった?
>>528 「狙うて候」に続いて「大砲松」も読んだが、
こっちはただの小説じゃないかいな。
>>534 そもそも東郷隆は歴史家じゃなくて小説家だし・・・
史実や実在の人物の中に架空の人物を放り込みむのは、私は好きな手法だけど好みは分かれるよね。
架空の人物を主人公といえば、「獅子の時代」をレンタルDVDで観てるけどやっぱ面白いなあ。
会津藩と領民の関係がそれほどうまくいってないのが、それとなく描かれてたりして芸が細かい。
来年の大河も面白くなってくれればいいけど。
>>536 確かパリ万博の騒動から始まったんだよね?
主人公二人の因縁話みたいな展開だけど、どちらも一度は反政府側に身を置いているところに製作時代を感じる。
会津や函館の話しも面白かったし、やはり傑作だと思う。
近くでレンタルしていないのが残念・・・
今、CSで放送中だな。
個人的な意見だが安彦良和作の漫画「王道の狗」は、「獅子の時代」に影響を受けていると思う。
「獅子の時代」は秩父事件で終わるけど、「王道の狗」はそこから始まる。
そして北海道の監獄を挿話としているところも似ている。
秩父事件で村田銃は最初に実戦で使われたんだぜ。
その時は困民党軍の銃隊と憲兵隊が川を挟んで撃ち合ったが、
実包が銃に合わないとかで憲兵は早々に退却した。
獅子の時代は面白いね。
次点で飛ぶが如くかなあ(ただし第1部)
>>542 山川の妹婿は大山巌だし、熊本城の件も含め、軍板では有名人の一人じゃないのか?
>>543 妹婿が大山巌というべきか、妹が大山捨松というべきか。
来年の大河ドラマは新島八重だから、山川大蔵も大山捨松も出てきそうだなぁ。
>>544 更に、弟は東大総長だな。
てか、八重ではなく山川兄弟を主役にすれば良かったのに。
案外、会津藩士とかには討幕派の主要と交流あった人も多いんだよなあ
容保とかガチガチ佐幕派連中は色んな意味で孤立無援だったけど
秋月と高崎の京都と熊本での話しは、大河に出てくるかな?
>>546 そりゃ、蛤御門の変で長州を相手にしたのは会津・桑名と薩摩の連合軍だからねい。
尊
皇
攘
夷
討
薩
賊
會
奸
ところで、會奸はカイカン (カイクワン)と読むんだと思ってたが、
アイカンと読むって意見がチラホラある。
どっちがほんと?
皇をノウと読ませる漢字の流れ的にはカイが正しいと思う。
というか、漢文なんだからアイと訓読みにするのはおかしいね。
>>546 薩摩はギリギリまで佐幕だったし、幕末の京都で政治的に動いてればそれ以外とも接点はいくらでも発生するべ
ブランズウィック銃って凄いの?
そんなアラレちゃんみたいな質問されたって。
BSプレミアムのドラマ「陽だまりの樹」って伝習歩兵隊の話なの?
ぐぐってみたらどうなのか?
や、ドラマと原作はだいぶ違う可能性もあるぜ。ぐぐった方が速くて安い。
江戸時代にも旋回砲架のなどの改良も試みられていたんだけど、
砲自体が非力だったからものの役には立たなかったんだろうね。
あとオランダ人が売ったライフル砲で
ライフルの一部が薬室の方まで入っている理由を蘭人に尋ねたが答えなかったのを
解き明かしてみせたとか何かで読んだ。
幕末以前に千島でロシアと軍事衝突したときに、
戦国時代に南蛮貿易で輸入されたフランキ砲が鹵獲されてるんだってね。
563 :
47:2012/06/13(水) 08:51:09.92 ID:???
フランキ?そりゃ朝鮮征伐時代の代物じゃないのかい。
その写真なら見たことあるが。
ほほー、戦国時代の代物だったんだ。
オリジナルを売った蘭人も、極東までの航海で使えない砲と判明したから
売ったんだったりして。
じゃ「国崩し」もこれだったのかな。
ヒストリーチャンネルのTale of the gunシリーズの
日本軍の銃の回、「彼らはこれで十分だと思っていたんです」
なんて言ってるが本当の理由は「貧乏だから」だよね。
資源もなく国民総生産も低いのに、植民地にされないために
過大な軍事力を維持しなくてはならなかった。
>>566 ここは日本軍専用のスレでもないし、話の流れも今は明治維新以前の話題なんだけど。
新たに話題をふるなら、日本軍の銃というのが何か具体的に書かないと。
>>566 38式歩兵銃の話をしているのなら
アレは別に他国の小銃と比較して
低性能でも、古くも、貧乏臭くもない。
反動が小さく抜群の長射程と命中精度を誇る銃で、
イギリス・ドイツ・ソ連の主力小銃とほぼ同世代か、やや新しい。
小銃に関しては「貧乏を物ともせずに素晴らしいものを作った」といえるね。
それとも村田銃の話?
弾丸ぶち撒きは物資豊富なアメリカだから出来たこと
村田銃も傑作じゃん 連発はアレだけど
一人で操作できるジャンゴ型ガトリングガン(あるいはミトライユース?)があれば最強。
>>571 棺桶に入れて引きずる河井継之助を幻視した
>>569 重機の給弾方式だって弾倉の使い捨てが勿体無いから保弾板式を選んだし、
574 :
名無し三等兵:2012/07/06(金) 15:39:45.69 ID:hL6yAqNd
弾倉式の重機って・・・
上げてゴメンm(__)m
紀州和歌山藩は日本で唯一プロシア式調練を取り入れたって本当?
ってことは学生服みたいな詰入り軍服にトライゼ銃を持ってピッケルハウベ被ってたの?
シュールだなぁ
1860年代中盤でプロシア式陸軍を
採用するのって、
先進的というよりは変態的だよな。
所で、何故日本陸軍は英国式を採用しなかったのだろう?
海陸合わせてセットで英国式を採用するのもあり、というかそれが合理的で正解だった気もするのだが。
578 :
名無し三等兵:2012/07/06(金) 21:46:03.01 ID:vRDAj0/4
プロイセン軍人に憧れるのは男の子のロマンさ(キリ
>>576 プロシア式の採用は戊辰戦争後で、さすがにピッケルハウベは被ってないよw
軍服は礼服と野戦服(それぞれの正規の呼び方は忘れた)に別れていて、礼服は烏帽子に鎧直垂の純和装、野戦服が洋装だった。
洋装の帽子は烏帽子を押し潰して、つばを付けた様な型、ケピの変型版?
服は、兵士は詰め襟(ダブルの合わせ、うろ覚えだけど)、将校は肋骨服(肋骨の数は少ない)。
それと、全ての兵科がプロシア式だった訳ではなく、工兵はフランス式、猟兵はプロシア式とフランス式の隊に別れていた。
過渡期だからなぁ・・・
>>579 サンクス!髷とピッケルハウベに期待したんだがなぁ。
プロシア政府から派遣された将校とかがどーいう人か気になる
>580
鹿島出版会のお雇い外国人14巻『地方文化』の「和歌山藩におけるドイツ人」によると
カール・ケッペンCarl・Koeppen(oeはウムラウトなお同書ではカッペンと表記)が
主席教官だが政府からの公式の派遣ではなく、当時和歌山藩と取引していた
プロシア人武器商人が商品の後装銃の教官として売り込んだ退役軍人だったそうだ。
ただ、かなり有能な人物だったらしくて二年ほどの間にちゃんとしたドイツ式の
軍事教練、操銃法、火薬製法や兵器組立てを指導して成果をあげている。
また、西洋式軍隊には草鞋履きではなくてちゃんとした兵装が必要として
革職人を呼び寄せて軍靴、背嚢、弾薬盆や馬具を自給させて
最後には6人ほどの砲兵、騎兵、工兵や軍医教官をドイツから呼び寄せたが
明治政府が藩兵の廃止を決定していて、横浜に着いたとたんにキャンセル料払って解雇になって
ケッペン自身も帰国してしまった。
のちにプロイセン公使を乗せた軍艦ヘルタ号の乗員が和歌山を訪れた時
四個大隊の完璧な統率の兵舎ではベッドに寝て食事は牛肉を食べ頭髪が軍隊式に刈り込んだ
「純プロイセン式」紀州兵に驚いている。
>四個大隊の完璧な統率の兵舎ではベッドに寝て食事は牛肉を食べ頭髪が軍隊式に刈り込んだ
>「純プロイセン式」紀州兵に驚いている。
写真残ってねえかな…。スパイク帽被っててもおかしくないよな、この記述見てると
>>580 教官のケッペンは元将校では無く、元下士官だった筈。
まだ戦略を教えるレベルでは無かったから下士官で充分、と言うか適任だったのだろうね。
腕を振り膝を上げて走る習慣さえ無かった人間に身体作りから教えるのだから、正にドリルサージャントの出番かと。
>>582
途中で送信してしまった・・・
>>582 写真は何点か残ってますよ。
一番有名なのはケッペンを囲んで4名程で撮った写真。
武装はしていないけど、洋装の軍服を着ています。
春に山川から出版された「レンズが撮らえた幕末維新の志士たち」にも載っていた気が(立ち読みでうろ覚え)・・・
この写真集は「志士」と有るけれども、下級兵士の写真も載っていて、最初の1/4程は「幕末維新軍装写真集」状態w
写真自体に初出の物は無く他書でも見掛けるけど、キャプションで写っている銃の特定を試みたりと類書とは違うアプローチが有って面白いですよ。
未だ買って無いけどorz
紀州藩のプロイセン式調練って、明治に入ってからだから
短期間でしょ。確か家老が進めたんじゃないかな。
あと明治に入ってからドライゼ銃って藩レベルで輸入出来たの?
陸軍が最初フランス式だったのは、よく言われるのは当時の
陸軍大国だったからで、普仏戦争でプロイセンが勝ったら
急きょプロイセン式になった。あと幕府が伝習隊などで
フランスの軍事援助を受けてたから というのはどうなんだろう?
西南戦争では銃が足りなくて紀州の部隊にはドライゼ銃使わせてたってのは聞いたことあるな
>>577 陸軍においては英<仏、独だったからでは?
当時の世界最高の軍に範をとったらこうなったというだけかと
>>585 銃の輸入は藩兵時代までは出来ていたよ。
明治政府によるフランス式軍制は、フランス軍事顧問団の教練を受けた旧幕軍将校の影響が有ったと思う。
西南諸藩が「我が藩のイギリス式銃陣云々」と言ったところで、書物からの知識だから…
幕軍の一部はイギリス第20歩兵連隊の教練を受けていたけど。
明治初期の兵式論争では主に仏式と英式のどちらにするかが論争のポイントだったようだ
仏式が取り入れられた理由は軍事史学で読んだ竹本知行さんらの研究では
(1)仏式が徴兵制であること
(2)当時の運用マニュアル(訳本)では仏式のが訓練きつい
(自然、屈強な素材が求められて武士階級専有ではなくなる)
(3)当時多くの藩が取り入れてたのがフランス式で馴染みがある
(蘭式も多かったが中身は仏式とほぼ同じ)
(4)幕府の遺産(軍事顧問など)があったから
(5)当時のフランス式は先込め式の運用マニュアルで、英式は元込めの運用マニュアル
英式のが優れていたけど、元込め銃に切り替えるにはコストの問題があった
時の兵部大輔の大村益次郎が主に(1)、(2)を理由に仏式を推進
暗殺された後も藩の多くが(3)、(5)を理由に仏式に望んだというのが論文の趣旨かな
プロイセン式はクラウゼヴィッツらが仏式(というかナポレオン)の研究して発展させたと聞いたから
仏式→プロイセン式の移行はある意味自然な感じかも
西南戦争時、官軍の主力銃はスナイドル銃だったが
ボクサーカートリッジは全部輸入だったのかな?
それとも国産もあったの?
大阪で作ってたけど弾丸の消費に生産が追いつかなくてその分を輸入、
のち生産設備を強化して供給の流れだったかと
輸入だと船便だし、当時のカートリッジだと、どうしても湿気るからね。
可能なら国内で作った方が良い。
幕末最強の藩はやっぱり佐賀藩?
>>594 投入された主戦場が秋田戦線ですからね、相手は佐幕最強庄内藩でしたし
佐賀藩って装備は最強レベルだと素直におもうけど、戊辰戦争での地味さと佐賀の乱のあっけなさもあって
なんか強いってイメージが湧かない
装備ばかり語られがちだけど高島秋帆の歩兵運用研究から30年間
自分達で翻訳やらなんやら試行錯誤してた頃の話が聞きたい
佐賀藩の軍制は初め蘭式で後で英式か
599 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 22:17:42.09 ID:KdEd/5Zd
秋帆先生の西洋流を最初に導入したのは佐賀藩だぬ
600
>>601 なんで幕府負けたの? って言いたくなるな
トップがダメだからか
ダメというか、戦う気がないというか
トップの徳川慶喜からして「たとえ朝敵と呼ばれようと勝つ」という気概や覚悟がないんだもの
先制を許したこと、
部隊指揮官を片っ端から狙撃されたこと、
突撃を強行したこと。
それ間違いだらけなのに誰も修正論文出してくれないんだよな
幕府側は慢性的な財政赤字を抱えており、体制維持が困難な状況にあった。
加えて水戸藩など、一部が幕府側でありながら、倒幕に動く利敵行為があった。
トップに強権を発動させてまで、やり抜こうとする気概がなかった。
関ヶ原の合戦や、大坂の陣に見られるように、負ける側は戦う前から負けているもんだ。
司馬遼太郎の本によるとおよそ読書階級(士族以上)で尊王思想のない者はいなかったということらしいけど
「朝敵」と呼ばれるのは死ぬより怖かったんだろうか?
水戸藩なんかはそんな感じだが
徳川慶喜は水戸藩出身で尊王論者だから朝敵になった時点で戦意喪失したのはしょうがない
>>601は前装か後装であるか、しか書いていないのか
長州は前装でも、ミニエー式で殻がライフリングに食い込ませるように変形させるタイプだな
幕府の前装銃の大半が火縄銃+フリント式ばっかりだったら射程を考えて装備にならない
火縄式はありだと思うがフリントロックはどうだろう?
ゲベール銃と言われるのは、殆ど雷管式滑腔銃みたいだし
意識というか仮想敵の違いで変わるだろ
列強に対抗しようと思ってる西南諸藩は火縄銃では話にならないとして売却したし
国内戦ならとりあえず火縄銃でもそう問題ないとしてた所もある
弾込めが素早いのが後装式
だが射程も重要で、そのためのライフル銃である
弾込めだけ早くても、レボルバーの銃筒だけ1mにしたものを幕末のどっかの藩に持って来られても
ふざけんなと追い返されただろうw
>>610 とはいえ幕府歩兵隊や奥詰銃兵隊はミニエーが標準装備だから
主力に関して言えばそう見劣りするもんじゃないんだよなぁ
やっぱ士気や戦術の問題か・・・
ホント陸軍も海軍も宝の持ち腐れだったな
幕藩体制といっても所詮封建制。
親藩や譜代が寝返っちゃえばどうしようもない。
日本人の付和雷同気質にも問題あると思う。
幕府側で会津をけしかけて手の汚れる仕事やらしてた松平春嶽が新政府側ででかい顔してんだもの
>>616 第二次長州攻めの敗北が響いてますね
赤備え井伊家もあれで見限りましたから
大政奉還で政治的な大勝利と思ったら鳥羽伏見で軍事的に全部ひっくり返されたからな
身もふたもない話だが、玉を取られた時点でつんでいたともいえる。
幕府が銃の射程その他について諸藩に説明した上で戦わせていたら?
ゲベールや火縄銃でミニエやスナイドルに突っ込む連中はいなかった筈だが、
「ミニエを多く備えただけの外様藩を先頭に優遇その後戦功で俸禄を与えるなどとはけしからん」みたいな議論で紛糾していたかなあと
結局藩の格みたいなもんで軍を編成することになる
そして射程の短い銃装備の藩がやっつけられたり寝返ったり
理屈は理解できても訓練がないとどうにもならないんじゃないかねえ
621は、いつの話をしてるんだ?幕府は第二次長州征伐の時
薩摩藩が長州藩に援助したエンフィールド銃で痛い目を見て
1861年からオランダ製のミニエー銃と仏式教練を導入してる。
スナイドル銃は倒幕軍でも本当に少数で、9割以上はミニエー銃
あとスナイドル銃など後装銃の弱みは、薬莢(薬包)と銃がセットなこと
ぶっちゃけ口径が合えば火縄銃の弾でもエンフィールド銃は撃てるが
スナイドル銃やドライゼ銃は、それ専用の弾を用意しないと使えない。
>>623 >621は、いつの話をしてるんだ?幕府は第二次長州征伐の時
>薩摩藩が長州藩に援助したエンフィールド銃で痛い目を見て
>1861年からオランダ製のミニエー銃と仏式教練を導入してる。
お前こそ前後関係がおかしくないか?
第二次征長は何年何だ
申し訳ないです(汗)第二次長州征伐は1866年でした。
そこで痛い目を見た幕府が伝習隊を立ち上げでした。
>>626 地理的時間的範囲が広過ぎないか?
近世っていつ始まるの?ルネッサンスから?
>>627 >概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
>国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
>だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで
ここの19世紀後半軍事全般スレと古代・中世総合スレの間を埋めるスレみたい
野口武彦の中公新書だと幕府軍は素人の集まりでどうしようもないw
>>630 まあ役人気質だったって言うよね
でも疑問ちゃあ疑問なんだけど、じゃあ薩摩や長州だって時代的には平治な頃だった訳だよな
毎日が戦国時代並の生き様だった訳でも無いだろ
人間としての兵士ではどう質が違ったんだろうね?
>>629 幕府「自分らが行けば逃げるだろう」
↓
新撰組ら「あいつら本気で撃ってきた!我々も反撃を!」だが鳥羽伏見までは新撰組は刀槍メイン
↓
「じゃあ幕府が最新式銃を」でもそれまでに散開していた薩長に2方向から撃たれまくってボロクソ
幕府軍お前らは洋式訓練と称して行進しか練習しとらんのかwww
↓
初日に被害が大きかったから幕府「明日から本気出す」
↓
2日目確かに一進一退くらいになったぞ?
↓
薩長「錦の御旗をもつのは我々じゃ!」
↓
諸藩連合のうち幾つか「じゃあ幕府見捨てた」
その後も戦術レベルで裏掻かれまくったと
長州が第二次長州征伐でミニエの長射程で幕府軍を圧倒したから
幕府も対抗して同様のライフル+装填容易なのは用意していた
だが、その頃には薩長とも、上官にそれら長射程ライフルを生かした戦術をどう行うかを教育していたが
幕府の士官クラスはそれをどう有効に使うかさっぱり分かっていなかったと
クリミア戦争でも、ライフル銃を使った戦争をどうやって良いか分からず混乱する現場、という描写があったような
>>631 『いやなお客は鍋島薩摩いつも夜泊まり七つ立』
参勤交代で島津家や鍋島家は金払いが悪くて町人に揶揄されてたけど
当の本人達は大まじめに大名行列は軍事演習という原理主義を貫いていただけの話だったりするわけで
なんのかんの言って300年間で培われたものの差が出たという結論も否定できんよ
>>631 薩摩や長州の中堅幹部は実戦経験があるし指揮官として育っている。
>>632 >クリミア戦争でも、ライフル銃を使った戦争をどうやって良いか分からず混乱する現場
アメリカ南北戦争でもライフル導入当初は突撃して大損害というのがあったね。
このスレじゃ今更だが、幕府が負けたのって確実に装備の差じゃないよな?
直接的には近代国家のように自由自在に操れる軍隊(幕府歩兵?)の絶対数が足りない上で
中世ヨーロッパでいうと傭兵的のように主人を簡単に変える軍閥(大名)の私兵を当てにしすぎたことが原因かな?
更にいえば軍制改革を徹底させずに、官僚制の弊害を最悪な形で露呈したことかな?
旗本八万騎なんて言っててもほんとに何の役にも立ってないしなあ
>>637 役に立ってないどころかなにかと足を引っ張る存在ですね
イェ二チェリにしろ満洲八旗にしろ形骸化してただ声だけ大きい無駄飯くらいに
堕ちてますからね
実戦経験もなく偉そうにしてれば邪魔になるのも当然だな
>>637 >旗本・御家人
維新後も、政府の官吏として大量に再雇用されているところを考えると、書類仕事にゃ滅法強かったみたいだけれどねぇ
>>640 まあそりゃあ戦争しなけりゃするのは書類仕事だよな…
文武をバランスよくやらせるのは難しいよなあ。
と言ってどっちかだけの専門集団を養うのは必要性が無ければ金がかかる
>>640 事務仕事なら使える奴もそれなりの数いた、ってことだろ
ただし旗本御家人の大半は無役の内職職人wだったわけで
貧乏だから学問修練できないし、学も芸もがないから官途はなくて貧乏で、の負のスパイラルw
旗本御家人の貧窮化は江戸開府早々30年の家光の頃くらいから既に起きてるようだね。
そりゃあ人数に比較して役職が少ないから。
>>642 静岡の兵学校で再教育しようとしたら雅楽頭を<がらくかしら>と読んだ奴がいた
とかありましたね
>>645 ニホンゴムツカシイですねー
当時の武士の教育水準的に、間違えてるけど一応読めてるだけ評価すべきかとw
うたのかみなんて音でも訓でも読めネ〜よw
よくある官名兼人名だけどな〜w
647 :
名無し三等兵:2012/07/20(金) 23:50:54.47 ID:XrMi4rfL
酒井家という例があるので、武士で雅楽頭を読めないのはやはり恥ずかしいんじゃなかろうか
むっちゃ武張ってたとか強力無双を誇ってたとかでもなければ。
>>647 天皇階下と堂々と書いた桐野利秋の無双さにはかないませんがな
今じゃ「陛」という字はその使い方しかされないが、
元はと言えば「陛」も「階」も「段々」のことで大した違いはない。
>>648 桐野は通説ほどバカじゃなかったって説も浮上してるけどな
まあ当時の武士の手紙なんて宛て字どころか誤字脱字のオンパレードだったわけで
日本語自体未確定だったとも言えるし
まあそれにしてもちょっと、ってところではあるがw
西郷さんが「〜でごわす」って言うイメージはあれ鹿児島弁じゃないんだよ
あれでも本人は標準語を話しているつもりなんだよ
>>650 (ママ)だらけだよな、原文だと。
そういうのが統一された、煩く言われる様になるのは戦後の文部省によってじゃないのか?
>>653 軍人勅諭を一箇所読み間違えて自決した将校とかいたそうですね
>>655 陸軍は完全に諳んじてることが将校の義務だったからな
とちったならともかく、読み間違えたら立場上まずいかもしれない
よっぽど重要な席でもない限り、死ぬまでのことではないと思うが…
>>656 後宮淳大将の子息の後宮二郎少尉で昭和11年11月に拳銃で自決したそうです
原因は前日の二年兵除隊式での読み間違いとも維新運動に関わった先輩の逮捕への
抗議とも言われてますね
さすがに読み間違いで自決は考えにくいと思うが
>>650 文書なんて読めて意味が通じればいいんだよ!!(自分が昔かいた意味不明な手書きメモを見返しつつ)
江戸時代の読書階級だと四書五経は基礎教養、最低漢文が読めないと肩身が狭かったらしいからなあ
筆談で中国の商人と交渉する役人とか時代劇でまま出て来るしな
中国語、ハングル、蘭語、ロシア語とか結構出来る奴多かったのかもな
>>660 てゆ〜か寺子屋の初等過程がまず論語の素読だったりする
当然わけわかめでも、なんかわかった気分になるまで繰り返し読まされるというスパルタだったとかw
公文書が怪しい日本語漢文だから、ある程度漢文読めなきゃ社会的には話しにならんのだけどね
知識人や高級武士なら、四書五経に主要史書、ついでに近思録ぐらいは読んでないとって状況だろうね
暗記型の詰め込み教育は江戸期からの伝統ですなw
意味はさっぱりわからんけど、とりあえず暗唱しとけって覚え方だから
学問としてはあまり役に立たないという・・・
そういえば映画とかで論語の素読シーンで
子のたまわく、って言ってた作品がいくつかあったけど、今はいわくって言うよね。
いつごろからこうなったんだろう。
子のたうちまわく
そのせいで中国史は詳しいけれど、自国日本の歴史はよく知らないという・・・。
江戸後期に出て広く読まれた通史、頼山陽の日本外史も関ヶ原の戦いまでで終わってるし。
幕末当時は「鎖国は神代の昔に取り決められ続いていた祖法である」と、ほとんどの日本人が信じていたらしいのだが
これが「鎖国=徳川家が始めた」という知識が広範に知れ渡っていたら攘夷運動もずいぶん形が違っていただろうな。
>>664 し、のたまわくが戦前は多かったそうですが、江戸時代の論語古訓正文という本では
イワクとルビがふってあるらしく、実際両方使っていたんじゃないですかね?
>>666 水戸藩の大日本史も一部は江戸期にも刊行されてるみたいですが幕末期はどれくらい影響
を与えてますかね?
>>666 攘夷の心情ってのは生活環境の激変への防衛反応みたいなもんだから、その辺の正確な情報があってもなにも変わらんよ
正貨の大量流出と対応の貨幣改鋳で物価が激変し、測ったように疫病も大流行し、だから
孝明帝がまあアレだったのは別問題だしw
てか帝の知的水準があれすぎるのは(ry
669 :
名無し三等兵:2012/07/27(金) 19:47:07.93 ID:dT2jLNV3
>>666 >これが「鎖国=徳川家が始めた」という知識が広範に知れ渡っていたら攘夷運動もずいぶん形が違っていただろうな。
対外交易の国家による統制って意味なら
中央集権体制が機能してるかぎり、どの時代でも行われてたんじゃないかい?
軍師教育機関として知られる足利学校は、明治初年まで存続してたそうだね
べつに頭がおかしい人たちのスレとは関連してねーし
youtubeによく上げられてる古式銃砲の再現も鎧兜に火縄銃、と戦国時代の砲術の復興版でおもろくない。
やっぱりズボンに陣笠と前装式ライフルと銃剣による密集陣形とナポレオン戦争ばりの統制の取れた
幕府歩兵隊を再現してくれないとw
やっても一般受けしないからやらないんじゃない?
ちぐはぐだしさ、負けた側だしさ、活躍期間も短いし。
欧米だとそれは楽しそうに色んな軍隊の再現やってるのにねー。
武器なんかもしっかり手入れされてるし、当時の弾薬もマニア向けに生産してるし
そう、負けた南部でも軍装揃えたり鉄砲撃ったり、
青銅砲の空砲を撃ったりもしてるよね。
何々戦の記念日とかいって年に何度もそういうお祭りが出来るらしいね。
フロックコートにちょんまげというイカレたスタイルこそ
幕末という混沌とした時代を象徴するに相応しい
そして腰帯に大小の日本刀をぶち込んでるのがまたいいよね。
会津若松の記念館を見た限り、刀も意外に小型化してたけどね……どちらかと言えば、長脇差しくらいに。
流石に鉄砲に弾薬にと抱えて走る中で、メッタに使わない刀まで立派な物を運んではいられなかったんだろ。
地元の藩の再現はやってもよそからの援軍の再現までする気にはなれんだろ
新撰組とかはなぜか人気あるが
>>676 旧南軍の方がそういうのが好きそう。
ワーテルローも、今ではフランスの方が愛着を持ってそうだし。
>>679 支給品の歩兵刀は長脇差し位の長さだったね。
仏式砲兵の伝習では、真っ先に刀を外せと言われたと。
ただ結局西南戦争で薩摩の切り込み対策に
刀メインの警視部隊を動員せざるを得なかったという……。
かなり接近されると当時の銃砲だと厳しかろう。
今でもそこまで接近されると銃剣での戦いになったりするようだけども。
思えば刀をなまじ捨てられなかったことが旧軍の夜襲白兵戦法に繋がったんだな
砲撃や空爆で相手の兵站線をたたいて弱らせ、さらに
火力をぶつけて相手の突撃を破砕する戦法の米軍とは相性最悪だったね。
あと日露戦争でも刀と柔術が活躍してしまったので、
それが成功体験になって太平洋戦争でもやってしまった。
ついでにいうと大陸でも中国兵相手には刀はそこそこ意味があった。
もっとも刀持ってると指揮官と思われてモーゼルで狙撃されたりしていたようだけどね。
みんなビンボが悪いんや。
>>683 当初、薩摩の切り込み隊には狙撃隊(スナイパーでは無く、マークスマンやシャープシューターの方)で対応して効果も有ったけど、
損害を補充する時に当初のレベルの兵士を必要数確保出来ず、結局は抜刀隊を編成したと。
農民兵というか兵たちが抜刀隊にビビリまくったのでしょうがない面があった
どうやっても最後は白兵戦だからなぁ(兵力が持てば)
>>687 その三者は米軍の狙撃兵の練度によるクラス分けだって他で読んだけど、
違うの?
日本軍の頑迷さの象徴と言われる白兵戦と刀剣装備だけど世界的にもそう異質なものではない。
第一次大戦までは日本軍と同様サーベルは騎兵の正式装備だったし、白兵戦重視も実は日露戦争のロシア軍の
白兵戦猛攻に範をとったもので、日本刀信仰由来の思考ではない。そもそもボルトアクションライフルに銃剣は必須だし。
それに日中戦争以降で純兵器的な意味で刀剣を使ってたのは騎兵科しかない。後は士官の玩具だった。
>>685が指摘してる日中戦争の刀剣の使用例だけど、これはパニックになった敗残兵の追跡とか中国式城郭の門の下(狭い)
とか使用場所が結構限定されている。
玩具って。随分重い玩具だな。
下士官がゴボウ剣を無くすとエライことだったらしいが、士官が軍刀をなくしたら‥‥。
ピストル・スコップ・軍刀・銃剣
さあ近接戦で強いのはどれだ
手りゅう弾
円匙最強
ピッケルハウベで頭突き
>>691 士官の軍刀って、「天皇陛下からお預かりしたもの」
じゃなくて私物(階級や個人の趣味に合わせて自前のカネで買ってきた)でしょう。
だから無くしても大したことにはならんですよ。
>>689 現代アメリカ軍の事は判らないけど、このスレ前後の時代だと、
マークスマンは、中隊内の射撃成績の良い者から選抜。
一斉射撃とは別に目標を指示され(或は各自の判断で)精密射撃を行いました。
狙撃兵とは違い単独行動は基本的には無しで、スコープ発明後も特に支給されず。
WW2のアメリカ軍では分隊内で1名を指名していて、末期には可能なら狙撃銃を支給する様にと(日独の重機対策らしいです)。
シャープシューターは、腕の良い射手位の意味で、自称他称どちらも有り。
個人を指すだけでは無く、南北戦争中のベルダンズシャープシューターズ(射撃の腕前による入隊基準有り)の様に部隊に付けられたり、
イエガー、ボルテジュール、ティラユールの英訳として使われる事も。
イギリス軍のライフ連隊(旅団)も、この括りに入れられる様です。
英語だけど米英で意味が微妙に違ったり、時代によっても変化していて…
誤解を与える様な例えをして、すみませんでした。
シャープス銃を使う人のことと思ったw
>>699 いやいや鋭いw
南北戦争中、この手の選抜射手には元込め式ライフルが優先的に支給される事が多く、
先のベルダンズシャープシューターズには当初シャープスライフルが支給されていました。
後にはスペンサーカービンも支給されたらしいですが…精密射撃に向くのかな?
永田鉄山は船に乗ってるときに軍刀をボチャンしたらしいけどあの通り出世した
>>701 どこの誤爆だ?
軍刀は私物だから敵に奪われたりでもしない限りどう扱ってもお咎めはなしだろ
まあそんな士道不覚悟だから勤務中に斬殺とか無様晒すんだろうが
軍刀といえば、幕府歩兵隊だかの本で幕府に徴用された町人が銃剣を支給された途端に
腰に差して町を練り歩き、武士に取り立てられたと称して強請りなどの事件を方々で起こしたという事件が
印象に残った。
>>690 もちろんその通り。
あとは敵に突撃する際に軍刀を振りかざして部下と一緒に突入するとかね。
銃剣突撃をするなら士官は軍刀を使う。
中国兵はそれだけでパニックになって逃げまどうからそこを背後から切りつけたりとかね。
しかしまぁ米軍に対しては練度の問題からか、
しゃにむに正面から長い距離を走って突撃しようとした例が結構あって、
それで突撃を破砕されてしまった例はあるね。
戦いの間合いを知らないと気合も空回りだ
>>690 最後は白兵戦だろうけど、サーベルより銃剣の方が有利だったのかな?
ソケット式銃剣が実用化された17世紀末から第一次大戦の頃まで、前線で尉官クラスはサーベル以外に着剣したマスケット銃を持つ事も多かったから気になる。
擲弾兵中隊では将校用の正規の武器として支給される事も。
多くの者はは弾薬盒が無しだったり、着けても小型の物だったりするから、白兵戦用だと思うけど。
銃剣はリーチが長い
旧軍のサーベルは実用として使えないこともないけど普通は指揮用に使う。
白兵戦は勿論、銃剣のほうがリーチも長く強い。刀とスコップならスコップのほうが強い。
繰り返しになるけど、刀を純粋な意味で兵器として使ってたのは騎兵科。
騎兵科は将校だけでなく末端の兵卒まで帯刀を許可されていた。理由は騎兵突撃の際のメインウェポンだったため。
右手に刀、左手に拳銃の日本軍将校の姿は絵になるけど、ライフルを公式で持たせなかったのは痛かったな〜
まぁライフルにしておくべきだったなとは思うね。
米軍のように将校や下士官がライフルだったり、あるいは
支援火器を持ってるほうが意味はあったなとは思う。
その場合短い騎銃かな?
2chだとスコップ最強ってものすごく振り回されるけど
そんなにスコップ最強って証言あるか?
旧軍だと山本七平がスコップは最高だ、角度とか
って言ってたのぐらいしか覚えがない
別に銃火器に比べて最強ってわけじゃないけど刀やサーベルよりは確実に強い。
第一次大戦のドイツの突撃隊が「武器」としてスコップを携帯してたという実績もある
というより近接先頭が多かった塹壕戦で歩兵が塹壕構築用にほとんど持っていたスコップが使いやすかったという話
レマルクの「西部戦線異状なし」でも
銃剣は往々抜けなくなってモタモタしているうちに自分が別の銃剣を食らったりするが、
スコップはそういうことがないって書いているよ。
あれ、特に刃をつけるとかしてないのかな、手斧として燃料を得るのに使わせる目的で。
>>714 そりゃあピストルやら切り詰めた散弾銃があればいうことないだろうけど普通の歩兵は持ってないからねえ
>>710 >>711 リーチの長さが決定的なんですね。
時代によっては、将校の証である長柄武器を手放してまで銃剣+マスケットを装備した位だから、余程使い勝手が良かったのでしょうね。
>>707 薩軍の抜刀隊は可能な限り地形を利用して接敵したというのに・・・
田原坂では道の両側の林を利用したと。
>>718>あれ、特に刃をつけるとかしてないのかな
硬いところばかりを突いていたら先が鈍くなってくるんだろうが、
適度にめり込む土や砂や砂利を突き続けたスコップは、先端がむしろ研がれてくる
今週の土日に、浜松町で『ブラックホール』が開催されるから、そこでアヴァロンの試合を見てみ。
がむしゃらな白兵戦では、リーチが短くとも、回転の早い小剣の方が、意外に強いのが分かるから。
ところで幕末の銃剣ってリング式?それとも銃口につけるソケット式?
>>723 銃も銃剣も手当たり次第に買ってるんで、ほとんどありとあらゆる形式のが
国内で銃剣を作ろうとした鍛冶屋っていなかったのかな
>>711 ライフルを公式で持たせなかったってどこの国の話だ?
九九式で統合されるまで、歩兵銃と並行して騎銃が制式化されてるだろうが
日本軍の騎兵なんて基本騎乗歩兵な竜騎兵が主流だろうに
>>726 騎兵に持たせなかったという話では無く、将校に持たせなかったという話でしょ
三八式歩兵銃は長くて重いが、騎銃は軽くて命中率もさほど変わらぬと、司馬氏も三八式歩兵銃は絶賛してたな。
実は結構な数が作られ、外地の警察や輜重の護身用にと、大活躍してたりするのがこれ。
ドイツの98kみたいに、全て騎銃にしても良かったんじゃないかとの意見もあった。
ただし重さについては、実は諸外国の小銃と大差なかったりする……三八式歩兵銃。
それと、サーベルと銃剣を腰に下げるのは邪魔だと、銃剣一体型の四四式騎銃も作られましたな。
銃剣を伸ばすと、弾道がそちらにズレて命中率が下がるそうだが、それって着剣すればどの銃も一緒では?
まあだいぶスレタイから離れてるからほどほどにな
しゃぐまとか、赤い陣羽織って目立たね?
あと怖い。
>>726 刀「も」武器として使ってたよって意味じゃね?
>>730 まだ当時はカモフラージュして狙われにくくするという概念がなくて、
どちらかというと指揮官も目立たねばみたいなとこあったからね。
>>718 下手に先の尖ったスコップ持ち歩いていると、捕虜になったとき、「コイツ、スコップで残虐プレイしたな!!」と、敵の
報復受ける恐れがあったため(それだけ、スコップは恐ろしい武器だったんだろうナァ)、あえて鈍らせる兵士が多かっ
たとか聞くな。
この兵種ってナポレオン戦争の頃はでかい白い帽子を被ってた連中だろ?
>>736 騎馬猟兵で白いカルパック(背の低い毛皮帽)はラッパ手や軍楽隊で、一般の将兵はシャコー(筒形軍帽)だったかと。
>>737 その気になってもホリゾンブルー・・・
外人部隊や植民地兵はカーキにしたのに、本国兵は青にこだわりたかったんだね。
長州軍は第二次長州征伐のときに派手な敵の指揮官を狙撃しまくって「指揮官目立つべからず」ってのを流行させた張本人なのに
なぜ自分たちは指揮官に目立つ格好をするのか?
>>739 指揮旗や指揮刀の振り方で指揮を取っていたから、指揮官を見失なわない様にする為では?
後、横隊とか隊形を組む時に指揮の位置は決まっていたから、目立つ方が兵が自分の定位置を見つけ安いし。
同じ理由で鼓手やラッパ手も目立つ服装だったよ。
(当時の欧米での一般論なので、長州がそうだったのかは判らないけど、少なくとも幕府軍は一般兵とは違う配色の服を支給していた)
面白いかどうかは問題ではない
澤に対するリスペクトだ
近代日本陸軍は長州征伐時の巧妙な持久ゲリラ戦による勝利から始まったといっても過言ではないのに
なぜああなった…
>>743 フランスやプロイセンから形だけ学んだから。
長州征伐の記録が戦史に反映されてればよかったのにね。
官軍(=薩長兵)の戦いといえば錦の御旗掲げて大行進するイメージしか形成できなかったのが
失敗だったのかも知れない
浸透戦術とかはゲリラ戦に近いとこがあるが
いやぜんぜん違うだろ
やる気のない徴兵制度になったところで無理だったんだろう
つか奇兵隊解体したしな
なんだかんだで武士以外信用してなかったのか
>>749 少人数で警備の手薄な地点を急襲というのは同じでしょ
浸透戦術は突破の一形態であってゲリラ戦とは違うでしょう
>>673 毎年、東京都板橋区高島平で行われる祭りでは
西洋流火 術鉄砲隊保存会による銃隊演武が見れるよ。号令すらもすべてオランダ語で演舞している。
>>751 手薄なところを急襲した後の行動がぜんぜん違う。
なぜなら、目的が違うから。
ゲリラは手薄なところをチクっと刺して逃げる。またチクっと刺して逃げる。あくまで嫌がらせ。
浸透戦術は手薄なところをチクッと刺して、刺したことによる混乱を利用してさらに浸透してチクっと刺して、最終的には敵の司令部を潰して敗北させる。
>西洋流火術鉄砲隊保存会
なにそれ入会したい
>>754 >東京都板橋区高島平
欧州の兵術を取り入れての日本で初めての銃兵・砲兵・騎兵の総合演習が行われたことを記念して
『高島平』という名前を付けたぐらいの場所だからな
>>743 + + 。
* 、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 ,
_-'" `;ミ、
_-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ
>ミ/ 'γ、` ミ
了| "~`、 "~"` {,',; ;} 多勢や包囲を受けている状況だけで我々に勝機ないとは言えません!
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { 兵を散開させて山森に兵を伏せ、侍大将を狙撃したり後方をかく乱するなどして
'| / レリ* 幕府側諸侯の足並みが崩れるのを気長に待ちましょう!
+ i ( }ィ'
` ー--- /|` +
ヽ  ̄ / |__
`i、-- '´ |ソ:
↓↓↓70年後
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_/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜総員着剣!!これより鬼畜米英の陣に切り込みをかけて包囲網を突破する!!
|:::::::::::::;;;;;;|七生報国 |〜え?物資がないだって!?バカ野郎!!大和魂が残ってるだろ!!
|;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜 攻撃ラッパを鳴らせ!!!!
|::( 6∪ ー─◎─◎ )〜突撃ぃぃぃぃぃ!!!!!うぉおおおおおおおおおおおおお!!!!
|ノ (∵∴ ( o o)∴)〜万歳ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!
|∪< ∵∵ 3 ∵>
\ ⌒ ノ
\_____/
>>743 >>757の高島秋帆が幕府に軍の近代化を訴える「天保上書」という意見書を提出し
1841年(天保12年)、徳川幕府許可のもとで武州徳丸ヶ原(現東京都板橋区高島平)で行った公開軍事演習が始まりです。
正規軍同士の戦いは、使用する歩兵操典(どこの国のものを翻訳したのかなど)によって戦い方は違う。
味方が劣勢であれば軽歩兵や民兵を中心にした散兵・ゲリラ戦を用いる場合もある。
ライフル銃が主流になった以降の歩兵操典を翻訳して活用すれば、正規軍同士も戦列歩兵ではなく散兵戦が基本になる。
>>758みたいな単純な話ではないわな
フランス軍事顧問団が幕府歩兵に伝習したのは、軽歩兵と徒歩猟兵の操典だったね。
>>755 似た要素があると言っただけで同じものだなんて言ってないんだが
>>725 幕府歩兵用に真鍮でこさえたという話は<幕府歩兵隊>に出てたような
背嚢なんかも製作してたそうで徳川慶喜もまいらんどせる持ってたそうですね
>>763 あれは元史料の読み間違えと思われる。
幕府歩兵隊に支給されたのは、拵えが真鍮の脇差で、銃剣とは別。
>>765 刀身は普通に鋼だよ。
短期間に格安で数を揃えるため、面倒な柄巻きとかを省略して、金属の打ち出しで作るの。
帝国陸軍の軍刀も、下士官用のものは柄が金属製。
火花を出しちゃいけない所の道具は真鍮でつくったりするな
>>761 幕府歩兵隊にはフランスからシャスポー銃を提供されていたからな
>>754 銃刀法の関係で演武で使うのは火縄銃で、ゲベールやミニエー
じゃないのが残念だなあ
コルト ゲーベルメント
772 :
名無し三等兵:2012/08/06(月) 10:46:03.94 ID:i8ZT3cZK
来年の大河ドラマ「八重野櫻」は幕末銃器てんこもりだそうで楽しみ。
すでに茨城のワープステーションには撮影用の鶴ヶ城攻防戦の陣地が
構築されているそうな
坂の上の雲のときみたいに、ちゃんと軍事史学会の軍事考証を入れてほしいな
幕府側の一隊が丸い球を詰めているところで
新政府軍のライフル弾が
発射されてからライフル回転して来るところまでマニアックにスローで写してから
幕府側の一隊に襲い掛かりかなりの数が打ち倒され生き残りが「畜生隣の藩のようにミニエを準備しないのが悪いんじゃ!」
とかのシーンが
鶴ヶ城からやんのかー
板垣や伊地知は出てくるのかね。なぜか長州藩が主力になってなきゃいいがw
776 :
名無し三等兵:2012/08/06(月) 19:31:19.57 ID:p4Nm+33w
>>774 ミニエ持って押し寄せてくる幕府軍を
スペンサーで狩りまくったのがヤエちゃんなわけだが・・
777 :
名無し三等兵:2012/08/06(月) 19:34:01.70 ID:p4Nm+33w
× 幕府軍
○ 政府軍
しかし、幕末の戦いは恐ろしいほど佐幕側があっさりやられまくりだからなぁ
鳥羽伏見とか東北戦争とか、空から見たらどんな風に両軍が動いてたんだろうな
佐幕側は前線の部隊が薩長軍に打ち崩されたのを見て、まともに戦わずして撤退した部隊が多そうな気がする
もう大政奉還しちゃったから幕府軍ですらないし従う道理もなかったような
北越では善戦しているのにね。
781 :
名無し三等兵:2012/08/06(月) 20:28:41.12 ID:p4Nm+33w
>>779 法律論に限定するなら
行政権や立法権を返還しても、武家の棟梁たる征夷大将軍って地位は生きてるんだろ?
正規軍の高位指揮官がクーデターおこして、臨時政府を率いていた
で、国王に行政権を返還して新政府樹立を求めた
タイあたりじゃ、よくある話だよな
国王なり、新政府の首相なりが、将軍を解任しない限り
軍の統帥権は将軍に帰するんじゃないかい?
いやその場合でも征夷大将軍の持っている軍の指揮権は国王などの最高権力者からの委任だから
反乱を起こした時点で無効でしょ
それに王政復古の時点で正式に将軍職も失ってるし
結局は玉を押さえている勢力に正当性では敵わないと。
正当性が怪しいのは鳥羽伏見の時点じゃ薩長方だって同じだろう
785 :
名無し三等兵:2012/08/06(月) 21:10:19.75 ID:p4Nm+33w
>>782 鳥羽伏見戦争の11日前に、徳川家に当面の行政権を預ける旨の告諭を出してるじゃん
>>785 それは正式な地位じゃないしあくまでも天皇が上ってのは変わらないから
朝敵認定された時点で失効でしょ
787 :
名無し三等兵:2012/08/06(月) 21:32:14.65 ID:p4Nm+33w
>>786 天皇が上ってのは幕藩体制でもおなじだったわけで
公的な朝敵認定(徳川討伐の勅令発布)がなされたのはいつ?
すくなくとも鳥羽伏見の段階では、薩長が勝手に錦旗を掲げてただけだよね
倒幕側内部からですら、薩長の私闘に錦旗を掲げるなって声がでてるくらいなんだから
慶喜追討令が出たのは鳥羽伏見の戦いの4日後だけど
鳥羽伏見の戦いの翌日に嘉彰親王が征討大将軍に任命されて新政府軍が正式に官軍になる錦旗を掲げたのもこの日
>>783 朝廷の支持や正当性だけで戦局が左右されるなら、
第2次長州征伐で長州は徹底抗戦できないだろうし、
一度討ち入り宣言して天皇に承認得た慶喜も撤回なんて出来ないだろう
>>780 北越ってか、長岡藩+桑名脱藩組と河井継之介だな
そういえば日光の大鳥も善戦してた
>>787 小松宮に錦旗と節刀を下賜して征討大将軍に任じたのは(名目的に)朝廷だから、さすがにその理論は無理だっぺ
あくまで薩摩と徳川家の私闘で押し通せるなら、佐幕派の容堂公は参戦する必要なんてなかったし
緒戦での敗退が拙かったね
ライフル銃、後装銃を早期から導入させる
外国人教官に軍事教練をしてもらう、つまり退役軍人を大枚はたいて雇い入れる
購入した兵器や、軍事教練で得た知識を実戦でどう使うかを考慮する。その時の作戦会議でも外国人を加え諸外国の事情も聞く
_________________________________________________________________________
結局グラバーその他の外国人がこの際にガッポガッポガッポ儲かったわけねw
でも日本人が賢くて案外早く戦争を終結させたからグラバー商会も数年後に破産した
それ以上に諸般が借金踏み倒しやがった
>>790 いやいやグレネードランチャーとか普通に使ってるし、
エンフィールドだって即改良してスナイドルに出来る。
ていうか、ミニエーですら第二次長州征伐では大活躍したんだよ。
ヤーゲル銃なんか白虎隊のショタの色気ムンムンだし、ゲーベルも銃剣が付けられる。
>>792 外国人武官による教練は慶応の改革で幕府陸軍がやってた罠
後装銃の使用は諸説あるが、おそらく使ってたんじゃないかなナポレオン三世からの寄贈品
無かったとしても薩長と同程度の装備だが
つまり幕府陸軍は鳥羽伏見の時点で当時の日本としては最先端の教育を受けて最先端の装備を持っていた
この最精鋭部隊が6,000〜7,000ぐらい鳥羽伏見に参戦してたが、これだけで薩長の軍約5,000を上回るわけで
既になんで負けたのか不思議なレベル
用兵と戦術の差としか
コンパクトでない財貨である米を税収の単位としそれを流通させて利益を得る仕組みの幕府としては
戦闘の火災により大阪の米を失うことは許されなかった
米でなく金で納めさせる方式に変えたのは当然だったな
>>795 鳥羽伏見に参加した幕府の純洋式部隊は、6,000〜7,000もいなかったのでは?
第11と第12連隊は、どちらも1個大隊編制だった筈だし。
鳥羽伏見の戦いが始まったのが夕方だから薩長に不意をつかれ
そのまま体制を立て直す時間もなく終了してしまったんでは
その翌日は結構持ちこたえたんだが、
そこで錦の御旗を出して諸藩が流れたのがなあw
>>794 >ゲーベルも銃剣が付けられる。
それくらいしか長所ないんかい!
ガトリングって無敵の兵器みたいなイメージあるけど
ディスカバリーの再現みたけど一機だけじゃ全然使えねーな。
頭数そろえて陣地を構築した上で十字砲火とかできなきゃ小銃小隊の人数を増やした
ほうが機動的にマシなレベル
鳥羽伏見の幕府方の配置がいまいちよくわからぬ。
1月3日の軍配書と称して、以下の戦闘序列はよく見る。(幕府直轄以外は省略)
・鳥羽(竹中重固):第5連隊主力(1個大隊)、伝習第1大隊主力
・伏見(城和泉守):第12連隊主力(1個大隊)、第7連隊の1個大隊、伝習第1大隊一部、新撰組
・二条城:第1連隊、見廻組
・伏見大仏=欣浄寺:第4連隊
・黒谷=大文字山の西:第11連隊
・大阪城:1個大隊
http://www.geocities.jp/tokugawa_navy/rikugun-heiryoku.html でも、これって竹中が伏見でなく鳥羽にいたり、見廻組が二条城にいたり、
実戦経過からするとなんか変だよね?
途中で迎撃を受けず、この場所まで移動した後に包囲攻撃するっていう紙上プラン?
>>795 外国人教官の教練を受けた伝習隊は、鳥羽伏見には1個大隊しか出てないはず。
ほかは江戸に残ってる。
>>799 鳥羽伏見での幕府軍の損害といっても280程度だしね
負傷者や落伍者を別としても1000には届かないはず
鳥羽伏見は確かに幕府軍の敗北ではあるけど、決定的敗北とは言いがたいと思う
>>804 それって士分以外の損害も含んでるのかな?
>>804 政治的に見たら決定的敗北だと思う。
朝敵認定されたし…
>>805 そこがよく分からん
野口武彦「鳥羽伏見の戦い」によると、戦場となった鳥羽街道のいくつかの場所では
幕兵の死体が一面に広がってた、という報告が取り上げられてるが、
4日程の戦闘で全部の損害が280にしてはそんな状況にはならないような気がしたり
>>806 慶喜の大坂敗走後はまさにその通り
ただ、慶喜が大坂城で踏みとどまる決心をしていたとしても、
控置されていた奥詰銃隊等を加えて未だ十二分に薩長軍を叩ける戦力はあったろうな、という意味で
もちろん歴史にifを持ち込むのは不毛なんだけども・・・
>>807 >控置されていた奥詰銃隊等を加えて未だ十二分に薩長軍を叩ける戦力はあった
頭数だけでは戦力にならなかったのだ。
まぁ幕府側に本気で薩長と全面戦争する姿勢が明らかに足りなかったからねぇ・・・
本気になったら・・・というのは想定してみたいけれどもまさにif話なわけで
戦費がないから
戦費なんて、それこそ勝てさえすればどうとでもなることじゃね
>>803 伏見街道から侵入して、京都の中を抜けて包囲網を敷こうって虫の良い作戦?
>>812 包囲というのは作戦(戦術)としては有効だが、被包囲側(薩摩長州)が黙ってされるがままという
旧幕府側の想定がおかしかった。
>>798 いまちょうど、永倉新八の新撰組顛末記を読んでたんだが、
それによるとフランス伝習隊は300くらいしかいなかったらしい。
分散配置されてたか、純粋な洋式部隊は実は少なかったとか?
まぁ一個人が見た戦場だから全体の配置はわからないんだとおもうけど。
>>799 これも永倉新八の著作によるんだが、
新撰組が見聞きした範囲では、こちらの橋に数百、
あちらに数百みたいな感じで少人数が幅広く展開してたみたい。
それもたとえば佐々木只三郎が300の兵を率いてきたから
こちらは大丈夫だろうみたいなノリで部隊移動させちゃったりね。
それも洋式部隊や、銃が少ない部隊、銃が多い部隊もごちゃまぜ状態。
おそらく薄く広く分散したところにまとまった薩長軍が突貫してきて
総崩れになったんじゃないかねぇ。
817 :
名無し三等兵:2012/08/07(火) 21:06:03.93 ID:xP4Brolx
戦術として、鳥羽伏見や淀あたりで勝利を収める可能性はあったにせよ
あの時点で薩長と本気で衝突なんかしたら、「新政府内に有力な地位を確保する」という、戦略目標がかえって遠のくわな
勝てても、勝っちゃいかん戦いだったんだよ
>>811 そしていつの間にか北海道がフランスに租借されているんですね
西郷はわざと一か所道をあけて幕府軍が退却しやすいようにしたようだけどな。
TBSの歌謡曲!で久しぶりに小室哲也を見た
>>798 野口武彦の鳥羽伏見の戦いでの兵力推計がそれなりに辻褄合ってると思うんだが、
それによると江戸で留守番してるのが1,650、鳥羽伏見の軍配表に載ってる部隊が6,000ぐらい
〜7,000としたのは俺のかなり適当な記憶力のせいなので俺のせいじゃなかったらいいな。
>>797 江戸時代は複式簿記が未発達(萌芽はあった)だったので、商業活動から効率的に税金を取り立てるのが難しかったという
誰かの論文か会計サイトか何かで読んだことがあるのを思い出した。
効率的ではなくても、田沼意次のような手法で金納させることは不可能ではなかったけど。
だから明治期の抜本的な税制改革とそれを元に国家財政を編む時は、井上馨と一緒に一方ならぬ苦労をしたってのにそれをアイツ(大隈)らはryとか何とか渋沢栄一が言ってた。
>>817 幕府軍が戦闘に勝利していれば土佐・越前・尾張は
薩長主導の朝廷軍から兵を退いた可能性はかなり高かった
鳥羽伏見戦闘初日は戦闘状態になったことでむしろ新政府内では薩長側が追い詰められてた
>>817 その戦略目標自体は旧幕府軍の大坂進発で既に破れかけてる訳で。
だから春嶽の意を受けた中根雪江は、何とか旧幕府軍を止めようと大坂に走ってた。
鳥羽伏見でぶつかった後は、戦闘に勝利して薩摩を京から追い落とすしか選択肢はないっしょ。
進発しないなら、大坂から圧力掛けつつ春嶽と容堂を援護して新政府内での枢要な地位を確保って政略は当然ながら大アリ。
>>807 なんぼ大坂の後詰が残ってるっつっても、そもそも鳥羽伏見へ慶喜が育て上げた最良の部隊を送り出してる訳で。
薩摩を討て討てと威勢よく幕府陸軍の精鋭を連れてっといて何であっという間に大坂まで敗走してんの?そんな有様で決戦したら勝てるって言えんの?って慶喜がキレたとしても仕方ないと思う。
あと戦死よりもおそらく装備の喪失の方が痛いと思われ。
特に橋本の戦いの後は、新政府軍が旧幕府軍の遺棄装備分捕り祭り開催してるし。それでも決戦できない程ではないし、西郷隆盛も大坂攻めする気満々だったみたいだけど。
暫く頑張れば紀州藩軍も来るしね。ただ大村益次郎と長州藩軍の本隊も東上中で、鳥羽伏見の頃には既に備中備後辺りで活動してたから……大坂決戦を見てみたくなかったと言えば嘘になるなぁw
天下の徳川家がたった1万5千の兵を破られたぐらいでと思っちゃうけどね
鳥羽伏見の戦いは無防備に突っ込んで敗走のきっかけをつくった大目付が一番敗戦責任があるわな
三倍する敵を戦術と錬度の高さで粉砕し決定的勝利ってどっかの漫画みたいな展開だ
>>826 そういう個人的な問題より旧幕府が京都を包囲するという構想に対して
新政府が反撃するという敵の行動可能性を無視しているのが大きいかと。
>>828 単に「路上を移動していただけ」みたいなもんだからね。
先兵も立てずに・・・堂々とした行軍の積もりだったのかな?
>>829 旧幕府側は圧倒的戦力を見せ付ければ抵抗はしないという判断だったのでしょう。
一方新政府は包囲されれば終わりという後が無い状態でしたし、それを確実に認識していたと思われます。
関が原の後に毛利が大阪城に立てこもって勝利する可能性と
鳥羽伏見の後に慶喜が大阪城に立てこもって勝利する可能性
どちらが高いだろ。
>>827 10倍以上の敵が四方から迫ってくるのを撃退、
なんて展開を漫画でやったらチートすぎありえないと叩かれるだろうな
>>831 1月4日の夜に大阪城に着き、城を見て廻った軍事顧問団のメッスロー中尉は、
「なぜ、ここを捨てて江戸へ逃げて行くのか」
「ここへ私の教えて置いた一大隊を私に預ければ、どんな者が来ても驚かない」
と、言ったと。
『陸軍創設史』より
歩兵、しかも徒歩猟兵の見立てだから、どの程度適切な指摘なのかは不明だけど・・・
>>832 つ第一次イタリア戦役、ガルダ湖畔の戦い
流石に10倍では無いけどw
>>803 軍配書の通りに京都包囲までしても、その後総攻撃するかは別問題だったんじゃないかな
幕府軍が圧力をかけつつ、慶喜が上京し、佐幕派参議達と連携しつつ、
辞官納地問題や江戸での浪士による襲撃事件や薩摩屋敷焼き討ち事件の処理を
自身が交渉で決着つけようとしたんじゃなかろうかと思えてくる
>>834 京都包囲が完成したら旧幕府の勝利は戦闘しないでも間違いないだろうし、
新政府もそう判断していたようだしね。
軍配書では二条城組とか先発する予定なのに、何で本隊と一緒に進発してんだろうか
>>825 号して10万だか15万だかの大軍で攻め込んだら、4路で0勝3敗1分け食らって完敗した事例が直近に
慶応の軍制改革で兵を精選した慶喜の方向性は正しいと思う
>>831 大坂で戦うにしても篭城は無理だろう。
淀藩や津藩みたいな裏切りが城内で発生したら\(^o^)/
あと、援軍に来る旧幕府軍より篭城してる幕府陸軍の方が数も多いし間違いなく強い罠
庄内や長岡も強兵だが、長岡は藩が小さいから数が少ないし庄内はこの頃まだ近代化してないんだよな
>>836 >軍配書では二条城組とか先発する予定なのに、何で本隊と一緒に進発してんだろうか
包囲計画自体が泥縄なので一線部隊はいろいろと遅延が生じたのでは?
>>836 庄内藩の軍事改革は第2次征長戦での幕府軍の敗戦を見て従来の長沼流軍学を棄て、藩士藩卒一様に「総鉄砲」を命じ藩軍を銃砲隊に統一
民兵隊の創設、新徴組や一部旧幕府歩兵の召抱えを行う
藤沢周平の海坂藩もモデルは庄内藩で映画でも色々近代化路線に苦労する様子が描写されてましたね
>>837 その軍配書自体が「致命的なまでに拙劣な軍配書」とまで言われてるから・・・
いまいち京都の地理を理解してないんだが、
事前移動しようにも二条城へ部隊移動なんてできるの?
二条城って京都の市街地だよね?
>>838 品川五番台場に配置されていた庄内藩兵は、安政三年には洋式銃隊化されていたけれど、藩地では長沼流と洋式が半々だったらしいね。
台場の兵は筒袖裁着の半洋式軍装、新徴組は慶応三年の時点でも羽織り袴の和装にマスケット銃。
慶応四年に、藩士、藩卒、農民、町人を身分別に58個小隊、合計約4200名の洋式銃隊に。
その他、若干の砲隊が。
やる気満々だ。
842 :
名無し三等兵:2012/08/08(水) 20:25:04.86 ID:6oqIxm8u
>>840 市街地ったって、市街化されてるのはせいぜい4キロ四方くらいで
あとは街道筋以外は葱畑だべ
>>840 2列縦隊なら行ける。
ただ敵の攻撃には弱いがw
>>844 いや、大軍を見せ付ければ攻撃はしてこないだろうという慢心。
大軍って言っても15000人でしょ言うほど大きな兵力差はないよ
旧幕府はそう思ってたみたいだ。
>>845 それが軍配書にも反映されているのかもね
士気と指揮の差じゃね?
指揮についてはなぜ第二次長州征伐の失敗から学ばなかったのか……
851 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 11:28:47.37 ID:ERvUA5Ct
>>845 応仁の乱みたいに、禁裏含めた市中を戦場にしちゃマズいってのは双方が暗黙に了解してたようだし
ガン飛ばし合って、「表にでろや!」って体制じゃないのか?
>>851 先生、蛤御門の変
ついでにその追撃戦で残党炙り出すために放火して市中は大火に
幕府軍が戦闘なしに京都へ入れるであろうと判断していたのは明らかに慢心だけども、
王政復古クーデターのときは同じこと薩長軍もやってたしなぁ
あの時慶喜が断固阻止に動かなかった時点で、鳥羽伏見序盤の情勢への伏線は出来てたと言える
854 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 14:40:39.42 ID:ERvUA5Ct
>>852 いや、だから市中での戦闘はマズいって話になったんだろ
あんな程度の小競り合いで大騒ぎになっちゃったんだから
日本の木と紙の家では、近代以降の大火力戦では瞬時に全焼してしまう
只でさえ江戸の大火に悩まされてきた幕府にとって、火事を出すというのは庶民に対する幕府の信頼を
失ってしまうことであり、幕府の存亡にも関わっていた
>>849 司令官クラスの指揮に問題があるような気がする。
個々の戦闘では兵力が1000人を越えてるのに死傷率が全体の5%くらい
で部隊が崩壊していたり、逆に30%位の死傷率を出しても部隊が維持されて
いたり…。
857 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 15:56:58.18 ID:ERvUA5Ct
>>856 問題って以前に
そもそも、指揮も指導もしてないからな
>>854 軍配書通りに洛中包囲した場合でも、討薩表で薩摩が退去しなければ実力行使するしか無い訳で
いくら限りなく慢心しまくってたとはいえ、その程度の覚悟はしてたのでは
859 :
名無し三等兵:2012/08/09(木) 17:10:36.44 ID:ERvUA5Ct
>>858 許容出来る損失と期待できる成果を列挙し
それに基づく
明確な企図と目標、判断基準に基づく行動指針の明示
これが軍指揮官が表すべき「覚悟」だわな
兵を動かした以上交戦の可能性をまったく考えなかったわけはあるまい一応包囲の動きを見せてるしな
>>855 一方、薩摩や長州は積極的に火をつけて回ったという非道
禁門において戦闘後も執拗に無関係の家屋を焼いたのは会津や新撰組だけだよ
慶喜は戦闘中の放火だからやむを得ないけど
>>861 禁門の変や鳥羽伏見で街を焼いたのは幕府軍なのだが
幕府と薩長どちらに非があるどちらに正当性があるとかマジどうでもいい
勝てば官軍負ければ賊軍
官軍なのに負けた第二次長州征討
幕府ヲタは都合が悪くなるとすぐどっちもどっちと言い出すな
軍事的に優位だったのに親藩まで次々寝返ってあっさり崩壊したのは正当性がないからでしょうに
松平春嶽とか幕府側で大きな顔してた人らがいつの間にか新政府側に乗り換えてたら長いものに巻かれてた人らは不安になるさ
武門の棟梁と言っても所詮元々公家の護衛だからな
しかも徳川の家柄はアレだし
春嶽なんかは幕府ででかい顔っつっても、元々諸侯会議派寄りだから
慶喜首班の新政府なら支持に動くのはむしろ当然じゃね
鳥羽伏見・大坂城退去の後だと、あの紀州藩ですら新政府に抵抗できなかったしどうにもならん
ひこにゃんなんかは特に親長州でもなかったのに、戦の前から早々に朝廷寄りになってるから
経緯を知らなかった頃は驚いたけどw
>>871>ひこにゃんなんかは特に親長州でもなかったのに
って親父さんが攘夷派弾圧の人だから、どんな考えを持っていたか?
とwikiる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E6%86%B2 井伊 直憲(いい なおのり、嘉永元年4月20日(1848年5月22日) - 明治37年(1904年)1月9日)は、江戸時代末期の大名で、近江国彦根藩第16代(最後)の藩主。明治維新後に華族(伯爵)となった。
安政の大獄で有名な大老・井伊直弼の次男。
安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変で直弼が暗殺された後、幕閣の政治的配慮により取り潰しを免れ、万延元年(安政から改元)4月28日に13歳(数え年)で家督を相続した
文久2年(1862年)11月20日、松平春嶽らによる幕政改革(文久の改革)において、父・直弼の専横・圧政を糾弾され、20万石へ減封された。
譜代筆頭でありながら幕府との関係は険悪化する。
[そういえば井伊家は徳川時代は勇猛な戦いで知られていたね]
元治元年(1864年)4月18日、左近衛権中将に転任。掃部頭如元。池田屋事件や禁門の変での功により同年8月22日、旧領のうち3万石を回復する。
慶応2年(1866年)、第二次長州征討では高田藩兵とともに彦根藩兵が芸州口の先鋒となったが、大村益次郎の訓練を受けた長州藩諸隊の散兵戦術に
旧式の装備・戦法で臨んだため、大敗を喫する。以後、藩内では谷鉄臣や大東義徹ら勤王派が台頭し、徳川慶喜に近い岡本半介の影響力が低下する。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争では前哨戦となる鳥羽・伏見の戦いで、谷鉄臣らの藩兵が最初から新政府軍に属して東寺や大津を固めた。
その後、東山道鎮撫総督に属し、近藤勇の捕縛に加わったが、小山の戦闘で大鳥圭介らの旧幕府軍に撃破される。
明治2年(1869年)6月、戊辰戦功により賞典禄2万石を付与された。谷や大東、西村捨三ら下級武士出身者主導の藩政改革を承認し、
人材登用を推進する。同年7月8日、彦根藩知事となる。
明治4年(1871年)、アメリカおよびイギリスに遊学する。同年7月14日、廃藩により知事を免ぜられる。
明治17年(1884年)7月7日、華族令により、伯爵に列せられた。
野口武彦さんは「幕府歩兵隊」にしろ「鳥羽伏見の戦い」にしろ、シャスポー銃の実戦使用へのこだわりが凄いね。
流石に「先込銃は銃剣を付けたまま装弾できないが、」は、如何かと思う。
ナポレオン時代のボルテジュールの存在を無視したかの様な記述も。
私も願望としては実戦使用していて欲しいけど・・・
874 :
名無し三等兵:2012/08/10(金) 20:27:08.59 ID:7LcWFJ9h
2ちゃんやネットの書込み見て歴史に詳しくなったと思ってる奴の知識なんてそんなもんだ。
自分でソースを辿るって思考も行動力もないけど、本人は学校が教えない正史を俺は知ってると悦に浸ってる。
前に徳川美術館いったらたまたま鳥羽伏見の書状があって(慶喜あてだったのかなぁ)
大津摂津事件だか何だか書いてあって驚いた
細かい事言うようだが、「悦に入る」な
878 :
名無し三等兵:2012/08/11(土) 20:35:21.98 ID:RzlZk9dM
>>878 GJ!
なるほど、せっかく大軍なのだから、
桂大橋から侵入するルートとか多方面から進撃する手があった気がするね
軍配書からして不適当という指摘が納得できたわ
880 :
名無し三等兵:2012/08/12(日) 18:22:41.73 ID:WzE5IzU6
>>879 >桂大橋から侵入するルートとか多方面から進撃する手があった気がするね
どっち側の話しよ?
たまたま火縄銃を手にする機会があったが無駄にデカくて重量があるな
しかもバランスが悪くて実際の重量より重く感じる。
これで連発もできないんじゃ俺は槍隊に入りたいと思ったわ。
>>881 火縄銃なら危険になってきたとき、銃を捨てて身軽になって逃げられるが、
槍隊は指揮官が真っ先に逃げてくれないと逃亡は難しいんじゃないか?
>>881 槍だと幕末じゃなくて戦国期か
あの時代の槍は全長5m以上もあるような物干し竿だぞ
端っこ持ってよろめかずに立っているだけで大変
しかも陣形乱さずに指揮官の指揮で一糸乱れず集団運動
逃げたら味方に殺される
なりたいもんじゃあないな
戊辰戦争でも会津の槍隊が薩長歩兵に打撃与えたりしてなかったっけ
今度の大河ドラマは会津が舞台だったな
>>884 だいたい鉄砲で撃破されたみたいだけどな
近接戦闘ならとにかく距離がある限り槍は飛び道具に勝てない
それこそファランクスと弓の時代からずっと
槍を持って逃げるときには槍の千段巻のあたりを掴んで引きずっていくそうだ。
確かにその方が引っかからないし一番楽そうだな。
d
入り鉄砲に出女ってよく言うけどさ、それぐらい鉄砲の取り締まりは厳しかったんでしょ?
なのに何で幕末になると各藩が勝手に銃を輸入したり大量製造したりしてるのさ?
幕府から規制が緩和されたとか、そういう通達でもあったの?
それとも時勢柄黙認してたのか?
>>884 ブッコミ自体は初日の伏見とかからやってるが、正面からの突撃は全部失敗だっけ。
同じく伏見で新撰組の一部が、構成層的に白兵戦には弱いと評判の長州藩部隊に突撃しに行ってるが
散兵戦術のお手本みたいな機動に翻弄されて成果なく後退。
槍隊が一番成果を発揮したといえば富之森陣地の攻防戦だと思うが、
陣地に篭もる幕府歩兵隊が新政府軍を退き付けてるとこに伏兵してた会津大垣の
槍隊が奇襲かける戦術だったらしい。これは大成功して新政府軍は撤退。
ただ翌日再度薩摩藩部隊が押し出して来たときは、当然伏兵警戒してたんで同じ戦術は失敗。
仕方ないんで槍隊が数名ずつに別れて浸透・奇襲って戦術を採用するが、相手が猿叫修羅の国の薩摩兵だけあってこれも上手く行かず。
前日の戦闘も含め槍隊の死傷者が続出して最終的に陣地放棄することに。
ただ薩摩側も、砲兵隊に直接ブッこまれたときはちょっと危なかったんで、これ以後砲兵隊には護衛兵付けたらしい。
他に槍隊の活躍といえばほぼ同時期の千両松の戦いか。
これも歩兵隊などの後衛を追撃してきた新政府軍に対する伏兵からの奇襲。
初回はこっちでも成功して、長州藩の中隊長を討ち取る戦果を挙げてる。
ただあいつら伏兵してんよってのがバレてからは、かなり一方的に狩られたらしい。
伏兵は基本的に少人数だし装備が刀槍だから仕方ないね。新撰組も相当死傷者出たらしい。
これ以後は淀・橋本だから見せ場はないっけ?
しかし戦術的に仕方ないんだろうが、損耗率は凄そうね。見廻組も壊滅したし。
892 :
名無し三等兵:2012/08/23(木) 12:30:58.28 ID:sA5pDkgx
>>890 >入り鉄砲に出女ってよく言うけどさ、それぐらい鉄砲の取り締まりは厳しかったんでしょ?
それ、江戸などの市街地への流入規制って話だろ
逆に言えば、市外ではフリーだったって話じゃん
>なのに何で幕末になると各藩が勝手に銃を輸入したり大量製造したりしてるのさ?
>幕府から規制が緩和されたとか、そういう通達でもあったの?
>それとも時勢柄黙認してたのか?
各藩ってのは、支配される属国ではなく、高度な自治権を与えられた行政単位であって
有事には藩から拠出された兵力も、幕府隷下に組み込まれて運用される
将軍家直轄の旗本直参が国軍なら、州兵に該当する勢力なんだから
軍備近代化を進める幕府は、各藩の近代化も黙認どころか奨励指導せねばならんのよ
>>890 幕府が規制した軍備は、大船(江戸への侵攻防止)と城(各国の防衛力削減)だけっしょ
そもそも、江戸時代通じて諸藩の国許には火縄銃とかの武装があった訳で
更に幕末になると、その大船建造の禁も緩和され、諸侯が洋船を購入することも解禁される
要するに日本防衛のためにオラに力を貸して!ってことな訳で、但し洋式銃は除くとか片手落ちだ罠
ネットで論文とか漁ってみたけど、諸藩に洋式銃の購入が解禁されたのは安政6年で諸藩が挙ってゲベール銃(具体名は知らん)を買ったらしい
維新資料綱要に 安政6年6月20日(1859) //幕府、舶来武器の開港場に於る自由購入を諸侯・麾下士・陪臣に許可す。 とある
自由購入と言っても、当然ながら運上所は通さないといけないし、更に長崎屋から買えという通達もあったらしい(同上)
他には、長州藩の両公伝史料に安政6年に1000丁のドンドル式ゲベール銃を購入した記述があるらしい、その年末には更に追加購入するために
非正規ルートの商人に見積頼んだ(が、高かったので話はお流れ)これの交渉しに行った家臣の報告書が残ってる
んでこれが幕府にバレて外国奉行の溝口直清にゴルァされたあと、改めて正規ルートでの購入を運上所に申請した(両公伝史料)
因みに当時の長州藩は公的にも内的にもまだ反幕府ではない
天保の改革に成功した藩は大体軍制改革も同時期に行っているので、少なくともそれらの藩はこの時期の洋式銃に手を出してると見て間違いないと思われ
あとは高島流砲術を取り入れた藩とか
> ネットで論文とか漁ってみたけど、諸藩に洋式銃の購入が解禁されたのは安政6年で諸藩が挙ってゲベール銃(具体名は知らん)を買ったらしい
> 維新資料綱要に 安政6年6月20日(1859) //幕府、舶来武器の開港場に於る自由購入を諸侯・麾下士・陪臣に許可す。 とある
これ意外とかなり重要な転換点じゃね?
おそらく薩摩が調子に乗って軍事力を強化し始めたのもこの法令が絡んでるのでは?
佐賀は1848年に火縄銃全廃→燐石ゲベール標準装備化したけど
これ幕府は黙認してたって事なの?
薩摩も1849年の演習でゲベール6個大隊を持ってるね
897 :
名無し三等兵:2012/08/24(金) 12:30:53.02 ID:RaI7Rsn6
一部雄藩がすでに所有してたので
追認のためもあって洋式銃解禁
そのかわり、幕府に許可とるように、というお触れ・
軍備の刷新で先行してる幕府と雄藩はどこも最終的に海軍拡充へ行き着いてる
っていうか、結構まえから火打石式銃は日本に入ってきてるよ。
更新出来ないのは、諸藩の財政が参勤交代などで破綻してて
金がなかったり、火縄式より命中率が悪いと嫌われたり
したからじゃない?洋式装備に目を向ける流れとして
フェートン号事件や北方領土でのロシアとの国境紛争
→アヘン戦争での清の敗退
じゃないかなと思う
>>895-896 幕府を通しての洋式銃販売は許可したが、諸藩と諸外国の直接貿易は許可してないで。
大規模な密貿易は竹島事件みたいなリスクがあるし、調所広郷が密貿易の件で取調べられ自殺したのは1848年になる。
ぶっちゃけた話、佐賀と薩摩ならフリントロック式ゲベール銃を自分らで作ったか改造した可能性のが高いんじゃね?
フリントロック機構自体はかなり以前に入って来てて、平賀源内が応用してライター作ってた。
それに加えて1830年代後半には両藩とも高島流砲術を習得させるため藩士を送ってる。
当時の銃器の名称なんて定義が緩々だから余り当てにはできないし。
ま、傍証しかないんだがw
フェートン号ってこの時期からまた半世紀前のナポレオン戦争の頃の話だろ
当事者がほぼ居ないのに肯定的とかそういう雰囲気で決まるものなのか
フリントロック自体は信長に献上された記録もあるそうで
火縄銃が揃う頃には存在は知られてたんだよな
幕府は別に中央政府ではないので外様も一から十までお伺いをたてる事はしません
江戸時代の日本は中央集権国家じゃなくて
藩は独立国家みたいなものだった。
列強は小銃にあわせて歩兵操典を作成してるし、歩兵操典を輸入したらもれなく同様の小銃まで装備せざるを得ない
という事だと思う
火縄銃だと火縄が邪魔で戦列組み辛い
火種がないと撃てないし
火縄銃は大規模戦になればなるほど運用し難い物になっていった
フリントロックだって火花散らしてるんだから危なさでは大差無いような気もする
どっちかというと火縄銃は再装填時に事故る危険がありそう
不発のときの再装填は火縄が消えていれば暴発しないマッチロックのほうが事故りにくい
発火が撃鉄によって一瞬で済むんだから
不発発生のリスク自体はフリントロックの方が断然低いでしょ
火縄銃は戦闘に備えてるときは常に火縄を点けたまま待機しておかないといけないので
火縄の消費量がバカにならなかったし、またうっかり消えないよう気をつけていないといけなかったそうな
その点、火打石なら発火するとき以外はあんま管理に気を使わなくていいので楽だね
線香銃ってのは無いのか
火縄といってもイベントとか十数センチの棒状の物を使ってるのもあるね、ある意味線香銃だ
>>901 この辺かな?
>長崎の武雄鍋島家の御用商人田中伝左衛門にオランダ軍艦見物中に見つけた燧石銃を五〇〇挺注文し同時に使用方法教練の為の
>オランダの軍人の招聘を依頼した。この時期の茂義からすれば武雄領独自で西洋銃陣の輸入を試みたのは万一漏洩した場合に藩に
>影響を及ばさない配慮とまだまだ強い佐賀藩保守層の干渉を避けるためであろう。
このあとこの密輸の件が、高島秋帆を下獄させた鳥居耀三の探索で幕府に露見しないかヒヤヒヤしてるな。よくやったもんだw
>>912 フリントロックも、火打石を火皿の蓋にぶつける構造なんで変形とかのチェックとメンテが大変だったらしい。
まぁ戦闘中も火縄の管理しなきゃいけないのに比べればマシなんてもんじゃないがw
薩摩だけ海外から技術取り入れまくりでずるい
>>913むしろ昭和時代には
線香を差し込んで引き金を引くとそれがぽきんと折れて
発射される線香ピストルというオモチャが存在した
>>916 大変だよな、角度とか
不発率スゲー高そうだがどうだったんだろう
しゃっばだっばどぅー!
>912
必ずしもそうではない。
フリントロックの火花は、千数百度にも及ぶ鉄片だったが、マッチロック(火縄銃)にも生火を長時間押し当てる利点がある。
湿度の高い地方では、マッチロックの方が有利な局面もあった訳だ。
ただしマッチロックやパッカーションロックなら、油布や油紙で要部を包める長所がある。
(銃口にはコルクや木栓を詰めた)
マッチロックではそうはいかない。
また燃えやすい帆や油を塗ったロープなどがある船上で、マッチロックは危険過ぎて使えないと言う事情もある。
地上であっても火の粉で暴発する可能性は高いし、戦列を密集させるのは難しかったろう。
マッチロック という単語を考えているうちに
フォスフォロックという危険極まりない着火機構を思いついたw
火縄銃だと口薬というのも別に入れないといけないんだよな
更に面倒くさい
点火用の火薬が必要なのはフリントロックも同じだが
>>921 帆船時代の実際なんか知らんが
ホーンブロワーで不発対策で火縄用の人員が砲側に待機してたぞ
海賊ってしけっても大丈夫なように大量の火縄とピストル身に着けてなかったっけ
>>921 実際にはフリントロックの戦列よりも、マッチロックの戦列の方が密集していたけれど。
フリントロックの方が取り回しが容易だったので、両方を装備していた時期には、フリントロックは戦隊や大隊の両翼に配置される事が多かったと。
フランス軍(世界?)で初めてフリントロックマスケットのみで編成されたロワイヤル・フュジリエ連隊は、砲兵隊や砲兵輜重隊の護衛が任務でした。
火気厳禁ですから・・・
やがて「専門技術を持った民間人」だった当時の砲兵を差し置いて、ロワイヤル・フュジリエ連隊が完全に軍人からなる砲兵隊に。
なので、旧王政時代のフランス砲兵隊は歩兵連隊としての番号も持っていました。
そういえばカムイ伝とかで、火縄の匂いで鉄砲を察知してるのが多かったなあ。
まあ正規戦の場合だったら察知されてもそんなにたいした問題ではないけど。
>>929 北米大陸のフランス系入植者で編成されたラ・サール連隊のフリントロック化の時期が早かったのは、火繩の匂いが関係しているとの説も。
イギリス系やネイティブを相手に、奇襲や待ち伏せを多用していたので。
火縄ってどんな匂いがするわけ?
いっぺん嗅いでみたいな
花火に近い
近世スレで軍靴のバルツァーという漫画作品が話題になったのだけど、
こっちのスレで読んでいる人いますかね?
面白かったよ。
やっぱり男装した騎兵の女の子だな
しかし、逆でないか?
火縄云々が近世スレで取り扱うべきで
軍靴のバルバッツアがこっちjだろうに
近世スレの方でも軍靴のバルツァーは近世スレではなく19世紀後半スレの話題だという指摘がでてるよ
以前話題になってたからレンタルして読んだけど、フィクションじゃん。
別にこのスレで論じるほどの内容とは思えん。
>軍靴のバルツァー
設定以前に軍事もの漫画自体が貴重なのに
あの時代設定の軍事もの漫画だからね
初心者にわかりやすく作っているのが良い
そういえば男装の騎兵将校は実際にロシアにいたな
>>941 これですね。
「女騎兵の手記」
ナジェージダ・A,ドゥーロワ
新書館 1990/12
ナポレオン戦争にユサールとランサーで従軍。
戦間期に結婚した事を書いていないとか色々と問題が有るみたいだけど、本人の回想だから仕方が無いかと。
日本語で読める唯一の騎兵の回想録(騎士?を除く)。
因みに、表紙は岸田恋さん
943 :
名無し三等兵:2012/08/28(火) 08:41:27.53 ID:QTSIva3t
ちとスレ違いの近世スレネタになってくるけど
ワーテルローでフランス軍の制服をきた女騎兵の死体があったとか
歴史群像だったかな? 以前なにかで目にしたおぼえがある。
>>943 読んだ事は有るけど、何に出ていたか・・・
話しの元はイギリス兵の回想だろうけど。
フランス軍の連隊には酒保女が従軍していたから、それが間違えられたのかも?
女性向けにアレンジした軍服もどきを着ている者も居たから。
(多くはユサール風のレース付き)
ただし、色々な形で他の女性の従軍も多かったけど。
ワーテルローには、親衛隊徒歩擲弾兵の妻で通称「石頭のマリー」と呼ばれた女性が従軍していた。
最後の3個の方陣にも加わり、降伏勧告に発砲で答えたと。
>>944 石投げつけて<○喰らえ!>と叫んだんじゃなかったですかね?
某イタリアの女傑を思い出した
>>945 それは、カンブロンヌ将軍かミシェル将軍。
てか、石投げてないし・・・
何処の悪ガキだw
近所の大理石あるいは石灰石で作った丸い砲弾に「球撃ちすぎるとキンタマ千切れる」と書いて発射
>>946 名前は知らないけど、子供を人質にして威されたら、スカートをめくって、
「子供なんぞ何時でも生めるんだよ!」
って言った人とか?
ここから生まれたんだよ!だっけ?
いくらでも生んでやる!だっけ?
なんかいろいろごっちゃになって
>>950 台詞は何パターンか有るみたいですね。
共通しているのは、スカートを捲くり上げた事w
スフォルツァの肝っ玉母ちゃんだな
>>943 アルバート・A・ノフィ著のそのものずばり『ワーテルロー戦役』って本にそういう描写がある。
まああのころはいろいろとおおらかで、女性も馬持ってて乗れれば気分しだいで騎兵に成りすませたんじゃなかろうか。
>>953 この邦訳って何故か創価学会が出版してるんだっけ?
何なんだろう。
>>954 大作せんせいがぁゃιぃナポレオンの末裔との交友を誇ってますからそのあたりの関係じゃ
ないですかね?
>>954 出版元のコイノニア社はキリスト教関係の出版社だよ?
19世紀の戦争といっても日清戦争じゃだいぶ様相が違うなあ。
確かにそうだが、日清から僅か十年後の日露は最早、陸海共に別次元の戦争だよな。
南北って南北朝を先に連想するな
時代見ればわかるんだけどさ
米西戦争まではいいとして、第二次ボーア戦争はどうするんだ。
まあ細かいところはよしとして、関連性がありそうならば別に話題にしても構わないと思うけど。
ボーア戦争とかは、語るなら時代よりもむしろ植民地戦争のくくりじゃね?
まあ立てても過疎ること目に見えてるし、別に厳密に時代区分適用すべきとも思わんが
WWTまでは19世紀という見方もないわけではないしな
黒色火薬で発射する火器が主力の時代←このスレ
無煙火薬、砲兵の間接照準、機関銃の多用←よそで
くらいでちょうどいいんじゃね?正面装備に偏った分類だけど、有線・無線通線、鉄道利用なんかを考慮にいれると
収拾がつかなくなりそう。
>>963 >黒色火薬で発射する火器が主力の時代
それだと近世スレと被る
そこで長い19世紀ですよ
>>965 いや16世紀から黒色火薬を用いた銃が戦場で多用されてるからw
長篠の戦いだってそうだろ
スレの使い分けは今までどおり19世紀後半からでいいよ。
まあ19世紀的帝国主義的な争いが徐々に総力戦へと移行していくあたりかな。
日露戦争あたりが汽水域。
いわゆるグレートゲームが終焉がこのあたり。
日露戦争とかもはや異次元の戦い
まあ日露戦争自体はあえてこのスレで語らなくても、語りたいやつは専用スレ使うだろうしいいかね。
それ以前の戦争との関連性とかであればいいけど。
一応、歩兵戦術的には普仏戦争あたりと変らんよね
少なくとも序盤は
>>968 日露は「プレWW1」とか「WW0」と言われているからな。
日露になると280mm榴弾砲が間接射撃している
ある意味、国家総力戦のはじまり
日清以前と日露以降で区別するのは自然だな
☆大河ドラマは板橋区から☆〜綾瀬はるかと高島流〜
今週某日、栃木県内射撃場で来年の大河ドラマ「八重の桜」出演者及び制作スタッフ
向けに、板橋区の誇る西洋流火術鉄砲隊保存会による銃の扱い方や撃ち方の指導が行なわれた。
大河ドラマ「八重の桜」は聞く所によれば、こんな感じでストーリーが進んで行くそう
だ。
冒頭、アメリカ南北戦争の決戦地、ゲティスバーグの戦場が描かれる。折り重なって
倒れている兵士と夥しい銃器。そこから1868年の会津戦争・鶴ヶ城攻城戦へと場面は
飛び、スペンサー銃を駆って「ならぬものは、ならぬのです。」とつぶやきながら引
き金をひき奮戦する八重の姿が。そして物語は1851年、6歳の八重から始まる。この
時代、ようやく会津に洋式銃がもたらされた頃で、ドラマ中、高島流や徳丸原調練
のことが触れられるようだ。
ttp://akatsuka-tokumaru.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-e39a.html
>>973 >大河ドラマ「八重の桜」
銃考証だけでなく、戊辰戦争や19世紀後半の時代に精通している軍事研究家の考証をちゃんと入れてほしいところ
NHKの坂の上の雲は軍事史学会が監修したから旅順の戦いや日本海戦など
軍事的な描写がよかったけど、平清盛は考証と言いつつ在日フィルターで大失敗しているからね
信頼できる人を選んでほしいところ
>スペンサー銃を駆って「ならぬものは、ならぬのです。」とつぶやきながら引き金をひき奮戦する八重の姿が
ギャグか?
>>974 会津観光史学の連中がいますから難しいでしょうね
>>976 >会津観光史学の連中
どんな連中なの?
>>977 正義の会津が卑劣な薩長の策謀により朝敵にされて果ては薩長閥によって
第二次大戦にまで追い込まれたと主張するカルト集団で、<会津の悲劇>を飯の種
にしている観光業界・御用作家の複合体です。
Wikiにもでてますが分析で一番よいのは
会津という神話 田中悟 ミネルヴァ書房
http://www.minervashobo.co.jp/book/b59978.html でしょう。最近ではクイズ番組で若松城の開城が糞尿に耐えかねてとの答えを
出したところ猛抗議を起こして謝罪を勝ち取ったと誇っているそうです
会津若松城
福島県会津若松市 戊辰戦争では惣構を突破されたのを見た藩主松平容保
が、藩士はもとより婦女子・老人まで城内に避難するように勧告。惣構を突破
した官軍は城下町に次々と放火、城下町では官軍の辱めを嫌って自決するもの
230名、焼死または斬死したもの460名におよんだ。容保の避難勧告で犠
牲は抑えられたが新たな問題が持ち上がった。城内では戊辰戦争で篭城一ヶ月
たっても城は焼けず、食料の備蓄も十分であった。しかし藩士はもとより婦女
子や老人まで城内に避難させた為に、城内は人であふれ、糞尿処理と城内での
死体の処理に苦慮し、その臭気とシラミで城内では倒れる女性も続出、死体を
天守台の空井戸に投げ込んだために、天守内部は死臭と焼香が満ちた。
軍事百科事典ア行
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub18.htm
>>978 もう史学じゃないだろw
坂の上の雲でさえ軍事史学会とNHKが対立、演出を主張するNHKに押し切られたというのに。
平清盛に続き、今度の大河ドラマも期待できそうもないな
星亮一の本読んでもやたら屈折してるのがよくわかるからなぁ
星が観光学会に入るか知らんけど
>>980 次スレ
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>>981 入るかじゃなくてあいつは首魁だろ
しかし、星亨と新一合わせたような名前だよなw
本名なのかね?
福島に星は多いとはいうが
日本近代史板にはやたら会津に粘着してるやつがいるよな
>>984 星姓は福島に多いそうですから本名かもしれませんね
(経歴では仙台市出身)
>>982 そういえばもうあったわスマソ
>>984 ああやっぱ入るのね
まー東北は一度も西からの征服者に勝ったためしがない土地だからなぁ…
たまってんのかねえ
>>985 日本近代史板ができるずーっと前から日本史板でやり合ってたよw
アイツらのおかげで戊辰戦争がらみの議論はほとんど不可能なんだよな
まああんまり変な事にかかわらず、軍事的話題でやっていこう。
「スペンサー銃を駆って」じゃなくて「スペンサー銃を執って」、だろう。
アニーよ銃をとれ!
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埋めたて
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埋め立て
1000なら次の大河ドラマ「八重の桜」は
まともな軍事研究家らによる正しい軍事考証が行われる!
というかNHKさんホント軍事考証お願いしますよ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。