>>68の続き
「しかし船団発見のためミッドウェーにある敵部隊に警報を与え、N−2日(6月5日)朝
第一機動部隊が同島を攻撃する際、敵航空兵力は出動中の公算が大きかったが、
前記の第一機動部隊の攻撃計画説明から見て、少なくとも第一機動部隊はその点に
関する考慮がなかったように思われる」(p121)
(註)前記の第一機動部隊の攻撃計画説明とは、
「第一機動部隊は、N−2日(6月5日)黎明、ミッドウェーの北西ないし北250浬
から空襲する。第一目標は所在飛行機の撃滅である。
情況によりミッドウェーに対し、第二次攻撃を実施する。
N−1日(6月6日)にも再空襲し、N日(6月7日)上陸作戦に協力する」(p119)
第一目標が「所在敵飛行機」のはずなのに、出動中では撃滅できない。
つまり、相当の確率で「第二次攻撃ノ要アリ」になることは予想できた。
>>69の続き
「なお第一機動部隊は、ミッドウェー攻撃開始がN−2日となったので、その前日に
船団部隊に敵哨戒機に発見される公算が大きくなったが、なお奇襲が成り立つもの
として、新事態に応ずる攻撃計画の変更を行わなかった」(p165)
これは失策と言わざるを得ない。
では、当の輸送船団はどう思っていたのか。
「近藤長官(近藤信竹中将・攻略部隊指揮官)は、第一機動部隊の空襲開始が
一日遅れたのに伴い、26日その変更を知らせるとともに、上陸は予定どおり
決行すべきことを麾下に命じた。
白石参謀長(白石萬隆少将)は、N−3日(6月4日)船団部隊が最初に敵に発見
される公算が大きくなったが、これに対しては大した不安を感ぜず、むしろ敵艦隊
誘出に役立つと考えた。
また攻略作戦中、敵艦隊が出現することとなったとしても、第一機動部隊が簡単に
片付けてしまうだろうと、その点もほとんど心配していなかったと回想している」(p175)
こちらも、あまり深くは考慮されていなかったようですね。