南雲忠一中将を再評価するスレ(和)

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411GF長官
>>410の続き

まず、6月5日朝、最初に南雲艦隊を発見したのは、基地航空隊のPBY(アディ大尉機)

0234「敵空母(複数)発見」
0240「ミッドウェーよりの方位320度・距離180浬」
0252「2隻の空母と他の艦船発見、空母が前方、針路135度・速力25ノット」

「この両電文は天候のせいか、洋上にあった第16、17両任務部隊には通じなかったが、
ミッドウェーの通信室は無事にこれを受信した。通信室はこの情報がほかの部隊に届いて
いない可能性を考慮して、この両電文の内容をまとめて0306時に平文で発進した。
この電文は両任務部隊でも直ちに受信された」(『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』)

これを受けて、先任司令官であるフレッチャー少将(TF17、ヨークタウン坐乗)は、0307時
スプルーアンス少将(TF16、エンタープライズ坐乗)宛に、発光信号で下令した。
「南西方向に進み、位置の明らかな敵空母を攻撃せよ。
当部隊(TF17)は、索敵機収容後、貴部隊に続く」