南雲忠一中将を再評価するスレ(和)

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115GF長官
>>114の続き

機動部隊の行動を確認すると、
空襲前日の昼間までは12ノットで燃料を節約しながらゆっくりと接近し、
夕刻になるや一気に増速(24ノット)、13時間の高速連続航行で攻撃隊
発進位置までもって行く。

さすがは南雲長官、お見事な艦隊運用ですな。
やはり一航艦長官人事は間違ってなかった(キリッ

閑話休題
上図から分かることは、

(1)敵哨戒圏内(600浬)に突入するのは、機動部隊の方が船団より7時間半早い。
(2)船団がB−17に攻撃された時、機動部隊の位置は、島から500浬。
(3)機動部隊の出撃が遅れなければ、空襲開始時(4日0330頃)の船団の位置は、島から710浬。
(4)PBYは往路索敵線先端付近で船団を発見した。

(註)ミッドウェー島哨戒圏は日本側の推定では600浬。実際は700浬だった。
116GF長官:2011/05/21(土) 21:13:28.40 ID:???
>>115の続き

意外なことに(?)南雲機動部隊の方が、先に敵哨戒圏に突入しています。

船団の行程を見ると、4日0730頃に島から700浬の位置を航行していたため、
ちょうどPBYが往路先端にかかる時間帯と重なり発見されてしまった。

南雲機動部隊はそれより6時間も早く、700浬地点を通過しているため、うまく
敵の目をあざむけたようです。24節の高速接近が功を奏したと言えるでしょう。

当初の計画通り、友永隊の空襲が6月4日ならば、攻撃開始時の0330頃、
船団の位置は島から710浬のため、船団が先に発見される恐れは無い。

やはり、攻略日を延期してほしかったなぁ・・・