みんす党ですがアニメ化は難しいです

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137名無し三等兵
3Kさんによると、後の水素爆発につながったとされるベントの遅れは、クダさんのせいではなかったそうな。

原発事故1カ月…水失った原子炉、崩れた「神話」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110409/dst11040908190006-n1.htm

 原子炉には余熱で発生した蒸気を利用して原子炉に注水できる非常用冷却システムがある。だが、バッテリーが
切れると、原子炉の弁が閉じてしまい注水ができなくなる。タイムリミットは、7〜8時間。
 各地から53台が福島に向かい、午後9時すぎに東北電力から2台が到着。12日午前0時すぎには、さらに2台も
駆け付けた。
 だが、弁を開けるには、低電圧の電源が必要だったが、4台はいずれも高電圧車だった。電圧を変換しようとしたが、
がれきに阻まれ、ケーブルの長さが足りず届かない。原子炉のつなぎ込み口も、津波で水没していた。報告を受けた
経済産業省原子力安全・保安院の幹部は、力なく笑うしかなかった。
 「なぜ東電はベントをやらないんだ」
 対策本部で経済産業相、海江田万里はいらだっていた。12日午前3時に会見までして指示を出したが、東電からは
何の連絡もない。
 同じころ武藤は愕然(がくぜん)として部下の報告を聞いていた。「中央制御室の停電で準備が思うように進みません」。
暗闇の中、手動による作業は難航した。
 午前5時、保安院審議官の中村幸一郎は会見で、「1号機でベントをやる。国内では例がない」と決意を示した。原子
炉内の放射性物質(放射能)と一緒に蒸気を放出するベントは東電には重い決断だった。
 午前7時には菅が、後にベント作業の妨げになったと批判された視察に到着する。東電には首相に放射能を浴びせ
ないよう配慮するような余裕はなかった。電源喪失で東電は弁を開けたくても開けられなかったのだ。ベント開始は、
午後2時30分。海江田の指示から10時間が経過していた。
 綱渡りの注水を続けていた1号機では炉内の水位が低下を始め、計器は午後0時半に4メートルある燃料棒のうち
1・7メートルが水面から露出していることを示していたた。
 「計器が故障している可能性があります」。東電は、より多くの量を確保できる海水の注入を見送り、保安院も報告を
うのみにする。午後3時36分、1号機で水素爆発が起き、建屋上部が吹き飛んだ。