【ハ号】大日本帝国機甲兵力3【チハ】

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803名無し三等兵
ところで1945年8月の戦車連隊全力での戦闘って占守ばかり有名だが
戦車第3連隊も広西の全県で第11軍隷下で撤退作戦中の戦線安定の為の攻勢で
全力で突撃して最後の勝利を飾ったそうだけど
どんな兵力構成だったんでしょ?
804名無し三等兵:2011/09/24(土) 20:18:53.93 ID:???
大陸打通作戦に参加した19年5月頃の編制としては、5個中隊+整備中隊とされる。
第1中隊は軽戦車中隊、第5中隊は砲戦車中隊。
装備は1個中隊12両、本部車両と整備中隊を足して戦車68両、自動貨車100両と。

・・・ただ、これ紙上編制じゃないか?
中戦車は「一式中戦車」で、第5中隊も一式中戦車装備とあるんだが、
チヘ車じゃないだろうことはもちろん、47mm砲装備かどうかも、
原隊である戦車第一師団の他連隊の装備状況をみると、かなり怪しいような。
自動貨車も増加装備したにしても多すぎるような。
805名無し三等兵:2011/09/25(日) 00:34:27.51 ID:KmItTxl0
間違いなく定員割れしてるなw
しかし1945年の南支の戦車連隊か
意外に良好な状態の可能性もあるが……
806名無し三等兵:2011/09/25(日) 07:31:10.20 ID:???
>>804
多分第2〜第4中隊は47mmチハなんだろうけど、第5中隊は57mmチハだよな…
実際は各中隊9両(1小隊欠の3両x3小隊編成)で連隊本部と整備中隊に計7〜8両ってなところじゃなかろうか
807名無し三等兵:2011/09/25(日) 09:03:38.01 ID:???
日本ニュースの打通作戦の時期の映像でチハ改が写っていたけど
書類上はともかく実態はどの程度行き渡っていたんだろうかねぇ。
808名無し三等兵:2011/09/25(日) 17:47:18.71 ID:???
九七式中戦車の生産数
昭13 昭14 昭15 昭16 昭17 昭18
 25  202 315  507  531 543
昭和17年度までに1580輌。

57mm砲の製造数は17年度216門、17年10月までの累計1219門
47mm砲の製造数は17年度317門、17年10月までの累計230門
砲の生産が車両製造とほぼ一致するものと仮定すると、17年のチハ改の生産は320輌弱
チハ改の総生産数587輌という数字もあるんで、少なくとも19年度後半にはこのくらいの数はあった

一方配備先となる戦車連隊は19年度頭で合計28。このうちには軽戦車だけの連隊あり、縮小編成ありだけど。
中戦車は連隊のうち2〜3個中隊(砲戦車中隊のチハは考慮外)、20〜30両が普通。平均で25両とすると、中戦車の所要量は700両。
57mmを半分くらい混ぜるか定数欠にしないと足りませんな。
809名無し三等兵:2011/09/25(日) 20:16:11.05 ID:???
戦史叢書に内地移転後の戦車第1師団の編制表が引用されてるが、
戦車第1連隊・第5連隊とも、47mm砲装備は中戦車の1/3程度にすぎないな。
砲戦車中隊に至っては、95式軽戦車で代用してる。

例の解散式の写真などのとおり、終戦までに装備更新がかなり進んだようだが、
内地移転前の段階では、かなりお寒い状態だったようだね。