●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 688

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452霞ヶ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I
>361
>第2次大戦、サイパンの戦いにおける、日本軍守備隊の配置時期について。
>ウィキペディアには、
>本土からの輸送によって第43師団(師団長:斎藤義次中将、陸士第24期)及び独立混成第47旅団
>(旅団長:岡芳郎大佐、陸士第25期))他がサイパンに派遣された。しかし制海権も失っている為輸送
>は困難を極め、歩兵第18連隊、第118連隊約1万名は輸送中敵の潜水艦の雷撃により戦地に辿り着
>く事なく戦死した。主力の第43師団の輸送も潜水艦の攻撃によって難航し、兵員の揚陸は成功したも
>のの重火器は不足状態だった。師団の到着は米軍の上陸の僅か20日前であり、簡単な塹壕を築く
>程度の時間的余裕しかなかった。・・・・
>とありました。
>質問なのですが、日本軍が守備隊をもっと早くサイパンに配置しなかった・出来なかった理由はなんでしょうか?

霞ヶ浦の住人の回答。
前線のガタルカナルやラバウルを重視して、後方のサイパンを軽視していたからです。

説明。
実際に戦闘をしている箇所へ、配備を重視しました。
後方で、必ず戦場になると予想される、サイパンを軽視したのです。
日本は、B-29爆撃機の性能を予測しました。
サイパンを占領して、そこを基地にして、日本を爆撃するであろうこともです。
ところが、その防備を固めるのは、遅くなりました。