1 :
名無し三等兵:
まだ戦車や銃火器が実用化されていなかった前近代の戦争について。
世界史板に行けと言われそうだが、敢えて軍事学的な観点からの意見を聴きたい。
2 :
名無し三等兵:2010/12/25(土) 14:12:56 ID:???
1000
3 :
名無し三等兵:2010/12/25(土) 14:43:35 ID:???
レイプオブナンキンタマスダレ
4 :
名無し三等兵:2010/12/25(土) 16:15:44 ID:???
アレクサンドロスの遠征軍。
5 :
名無し三等兵:2010/12/28(火) 19:23:34 ID:KIrg0woT
過疎
6 :
名無し三等兵:2010/12/28(火) 20:34:50 ID:???
>>1 何を聞きたいのかすら書かないんだからな
バーカとしか言いようがない
7 :
名無し三等兵:2010/12/29(水) 05:05:35 ID:???
>>6 聞きたいことがあるなら関連ありげなスレに質問投下すりゃいいだけなのになぁ
8 :
名無し三等兵:2010/12/30(木) 02:41:15 ID:KfHRz4gw
>>6 関係ありそうなスレとかじゃなくて、総合的に聞きたいってことだろ。
9 :
名無し三等兵:2010/12/30(木) 03:46:24 ID:???
カデシュの戦いなんて、エジプト新王国軍の増援が間に合って、
ようやく引き分けになったみたいだが、戦史の研究書はないのかのう。
英語でいいんだが。
10 :
名無し三等兵:2010/12/30(木) 08:37:00 ID:???
11 :
名無し三等兵:2010/12/30(木) 11:01:48 ID:???
>>10 冬休みにいつもと違う冒険をしてみたくなっただけの1に何を期待しても無駄
12 :
名無し三等兵:2010/12/30(木) 15:07:33 ID:???
気に食わないなら放っておけばいいのに無理して荒らそうとするのもどうかと
13 :
名無し三等兵:2010/12/30(木) 15:55:29 ID:???
スレ立て逃げする方が悪い
14 :
名無し三等兵:2010/12/30(木) 18:28:50 ID:???
まだ1週間も経ってないのに立て逃げかどうか分かるわけないだろうが
15 :
名無し三等兵:2010/12/31(金) 05:11:50 ID:???
やる気があるなら立ててすぐネタ振るだろw
16 :
名無し三等兵:2010/12/31(金) 15:04:51 ID:???
17 :
名無し三等兵:2010/12/31(金) 15:28:27 ID:???
軍旗を振り振りして兵卒を指揮。
18 :
名無し三等兵:2011/01/10(月) 02:42:01 ID:???
結局クロスボウとロングボウの優劣は、100年戦争の実績でロングボウに軍配が上がっちまうの?
速射性では勝てないが、改良の余地とか、弓兵に求められる技量とか、そういった点を勘案すれば必ずしもクロスボウが劣っていたから
フランスが敗退したと断言するのは早計だと思うけど?
クレシー、ポアティエ、アジャンクールと3度も同じ作戦で待ち伏せされて、殆ど進歩の無い対応策で負けちゃうなんて、
あくまでも将帥の指揮能力の問題で、兵士の武器の優劣は二の次の問題だと思うけどね。
19 :
名無し三等兵:2011/01/10(月) 16:19:54 ID:???
>>18 何ネタ振って自分で答え出して納得してんだよw
射程と速射性でロングボウは圧倒的に有利だから、そうつごうよく優位はくつがえらんだろ
クロスボウの長所は、直射の精度と貫通力か
20 :
名無し三等兵:2011/01/11(火) 22:01:11 ID:???
戦争は数だよ、て奴だね。ミニエー開発前の歩兵銃装備数も圧倒的に滑腔マスケット>>>ライフルだった訳だし。
21 :
名無し三等兵:2011/01/11(火) 22:36:11 ID:???
>>20 いやこの場合は、アウトレンジされたら敵わない、ってやつだろ
インレンジまで強引に持ち込むまでにどれだけ損害が出るのかと
22 :
名無し三等兵:2011/01/11(火) 22:47:58 ID:???
自分が攻撃を受けない距離から、相手を一方的に叩く……というのは戦術の基本。
23 :
:2011/01/11(火) 23:54:23 ID:???
ああ、2chでみんながよくやってるヤツだなw
24 :
名無し募集中。。。:2011/01/17(月) 18:48:47 ID:z4AX1fuE
>>19 あと必要な練度が違うな
クロスボウは操作訓練が容易だが、ロングボウは熟練を要する
やはりクレシー、ポアティエ、アジャンクールはフランス軍の指揮統制
に問題があるだろう
長弓が待ちかまえてるところにわざわざ突撃する事自体愚策だ
フォルミニーは急襲、カスティヨンは大砲に仏軍の勝因があるのかな。
25 :
名無し三等兵:2011/01/17(月) 19:08:10 ID:???
クロスボウに改良の余地はなかったのかな?
銃器の普及が100年遅れていれば、どんなクロスボウが現れただろう?
曲射用の照尺とか登場しただろうか。
26 :
名無し三等兵:2011/01/19(水) 00:39:52 ID:???
>>24 同意
ウェ−ルズ平定の戦訓から、子供を徴募して、職業軍人としての弓兵を育てたイングランドと、
弓兵なんて猟師のアルバイトぐらいの感覚だったフランスとの差が前提としてあると思う。
それと、戦術として防御用の陣地を構築して、待ち伏せたイングランドと、その陣地に何度もそこに突っ込んでいった
フランスの突撃至上主義も勝敗に大きく影響したと思う。
現に、防御陣地を構築させる前に速攻かけた戦闘はフランスが勝ってるし。
27 :
名無し三等兵:2011/01/20(木) 10:49:45 ID:???
後は貴族、領主の力関係だろうよ
王権が強いイギリスとではどうしてもフランスは指揮統制に劣る
28 :
名無し募集中。。。:2011/01/20(木) 21:41:56 ID:5egDN4K7
ジャンヌ・ダルク以降"国民意識"が芽生えたこととシャルル7世の王権強化で
フランス軍の指揮統制が強化されたのも後期戦の勝因だろうと思う。
29 :
名無し三等兵:2011/01/21(金) 00:48:12 ID:???
確かに、エドワード3世、黒太子、ヘンリー5世達が将帥として優秀だったのであって、
彼らの統率力が王権という概念だけで説明できるとは思わないね(黒太子は王ではないし)。
この後イングランドで封建制が衰退して絶対王政が確立されるのは、チューダー朝の成立まで待つから、フランスの方が早いしね。
話をロングボウに戻すと、イングランド(というかウェールズの)のロングボウの射程距離は200ヤードとかいう話が伝わってるけど、
どう見ても100ヤードも離れれば、もう狙って撃てる距離じゃないだろうから、彼らの戦勝は
・できればフランス軍を見下ろす位置で待ち伏せして、相手が坂を登ってくるように仕向けた
・障害物を構築して、騎兵の突撃そのものを難しくした
・一斉射撃で突撃を破砕した
こういう合理的な戦術が複合した結果が大きいのじゃないか?
それと、アジャンクールでは、フランス側は雨でぬかるんだ耕作地を突撃してるけど、
これはもう戦下手と言われてもしようがないレヴェル。
結果的に戦争自体は、イングランドを大陸から追い出せたから良かったけど。
30 :
名無し三等兵:2011/01/21(金) 00:58:05 ID:???
>>29 まあロングボウは比較的発射速度が早いから、
擬似公算射撃ができるから
まあ、射手が全部同じように狙いつけるわけじゃないしどれが自分の矢かわからなくなるから、
気分レベルではあるんだがw
確かに編成だけで戦争が決まるわけじゃないけどさ
31 :
名無し三等兵:2011/01/21(金) 01:17:11 ID:???
丘の上を陣取って大部隊(クレシーでは5千人)で集団運用というのは正しいけど、
それ以前に長弓ってよく狙う武器じゃないもの。
弩より遥かに曲射しやすいのと6倍ともいわれる圧倒的な連射速度(熟練すれば)
が武器であって、今の陸戦に例えれば濃密な曳火射撃で耕すのに近い。
いかに重装備に身を固めた騎兵でもこれはたまらんさ。
32 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 03:26:45 ID:???
ロングボウの速射性てっ、こんなもの絵に描いた餅の典型だろ
弓兵の筋肉をがロングボウの遠射に何回耐えられるかを考えれば、
いかにしも有利な状況でも、フ正面からランス軍に突っ込んできて貰わないと、
イングランドとしては話にならない。イングランドが仕掛けた注文相撲に、
フランス軍がまんまと引っかかって、クレシー、ポアティエ、アジャンクールは
大惨敗。でもこれは、フランス軍を率いていた将帥の責任が大きくて、ロングボーの
射程距離が・・・・なんてのは瑣末な話だと思うぞ。
33 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 03:33:00 ID:???
前の文章を校正して
ロングボウの速射性てっ、こんなもの絵に描いた餅の典型だろ
弓兵の筋肉がロングボウの遠射に何回耐えられるかを考えれば、
いかに有利な状況でも、正面からランス軍に突っ込んできて貰わないと、
イングランドとしては話にならない。イングランドが仕掛けた注文相撲に、
フランス軍がまんまと引っかかって、クレシー、ポアティエ、アジャンクールは
大惨敗。でもこれは、フランス軍を率いていた将帥の責任が大きくて、ロングボーの
射程距離が・・・・なんてのは瑣末な話だと思うぞ。
さらに言えば、速射性も体力が続けばという前提つきだから、イングランドの戦勝はそれ以外の要素によるのじゃないか?
34 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 08:57:25 ID:???
ロンクボウでなくクロスボウでも結果は変わらなかったと?
35 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 10:15:51 ID:???
36 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 10:22:24 ID:???
ここの1じゃないけど、中世・古代スレが落ちるのは惜しいのでネタ投下
>>24 クロスボウと違い、長弓は錬度の高い兵士を揃えるのが困難なのは西洋・東洋を問わず共通しているね。
日本でも、幼い頃から弓の鍛錬を続けた武士は、現代の常識では考えられない筋力ですし、
人によっては鍛錬のし過ぎで、左右の腕の長さが違くなった武士もいたほど。
文献などから300〜400mの距離からの戦闘を行っていたと考えられている。
38 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 16:48:49 ID:???
鉄砲隊は農民を集めてちょっと訓練しただけで即戦力化が容易なのが
弓隊に対する大きな有利点、と戦国時代スレで見かけるけど
弓兵ってそんなに育成が難しいの?狙撃するならともかく、
戦国時代の弓隊は密集隊形で連射して面で制圧するような運用しているのに。
39 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 17:48:48 ID:???
根本的に筋力が必要。雑兵に弓を持たせても有効射程距離20m-25mが限度。
それ以上は強弓を使える武士の出番。
40 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 17:57:19 ID:???
>>38 当時の鉄砲の運用ってのは、威力・精度よりも
その用法による心理的効果から、弓を圧倒したみたいだ。
41 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 19:35:46 ID:???
古式砲術の演武で火縄銃の実演を見たが音が想像以上に大きくてビビった。
時代劇での軽い音でパンパンって程度かと思っていた。
42 :
名無し三等兵:2011/01/22(土) 20:21:30 ID:???
>>40 音がすごいかんね〜
あと銃は、槍兵の密集陣に撃ちこんで陣形崩すのが初期の用法としては一番期待されたみたい
戦国が続くと、まとまった数の弓兵を継続的に養成するって難しいしね
43 :
名無し募集中。。。:2011/01/22(土) 22:51:30 ID:bySKFIs5
>>41 俺も米沢謙信公祭の川中島再現戦で見たが轟音にびびったわ
あれを数十から数百挺並べて撃たれたらまず萎えちまうな
44 :
名無し三等兵:2011/01/25(火) 20:53:50 ID:???
元々、馬って臆病な生き物だから、きちんと訓練しないと轟音とかで萎縮しちゃうし。
45 :
名無し三等兵:2011/01/29(土) 11:33:49 ID:???
このスレ見てて思ったんだが、クロスボウを長篠の戦いの鉄砲隊みたいに、大量に揃え、三段構えで発射速度の改善 って運用はなかったのかな?スペイン辺り一人々に装備してたみたいだが
46 :
名無し三等兵:2011/01/29(土) 12:50:21 ID:???
>>45 長篠の三段構えとか後世の捏造の伝説ですから
三段構えにしたってより長射程からのアウトレンジには全くの無意味だし、
騎兵の蹂躙に対しては地形障害や陣地の構築のほうが有効
弾幕は薄くなるし指揮官の管制が出来なくなるし陣形が混乱するし、素人考え以前の愚考だな
47 :
名無し三等兵:2011/01/29(土) 13:16:35 ID:???
48 :
名無し三等兵:2011/01/30(日) 09:41:46 ID:???
古代・中世ってヨーロッパより、イスラム世界・アジアの方が先進地域じゃない?
49 :
名無し三等兵:2011/01/30(日) 09:44:33 ID:???
そうだよ。ローマ帝国が滅亡してから後、ヨーロッパが経済的に
栄えだしたのは大航海時代あたりから。
50 :
名無し三等兵:2011/01/30(日) 10:04:05 ID:???
それで追い抜いたのは、産業革命後だと。
51 :
名無し三等兵:2011/01/30(日) 10:28:24 ID:???
一応、ルネサンス期で追いついたみたいな感じにはなるのかな……?
レパントの海戦(1571年)あたりがそのあたり、オスマントルコとヨーロッパ連合軍の
戦力が互角くらいになった、というような解釈で問題は無いとは思うけれど。
52 :
名無し三等兵:2011/01/30(日) 10:58:32 ID:???
弓もその地域の風土・人により変わってくるよね。英国のロングボウ、西欧のクロスボウ、東欧・アジアの複合弓等など
53 :
名無し三等兵:2011/01/30(日) 12:47:13 ID:???
15.16世紀
大航海時代の幕開け。航海や商業の発展。
地中海と大西洋を繋ぐ海に開かれた土地であるイベリア半島のレコンキスタが完了し、
その情熱が『トルコのいない海』外洋へと飛翔する。
『新しい』信仰の形という概念、宗教改革。『発展改良』という価値観。
盲目的信仰の否定。
主の永幸のためには現世の権力にも立ち向かうべきだと説いたカルヴァン。
信仰墨守から発展改良に価値観を転換する芽生えルネッサンス文化が都市部に生まれる。
近世的な学問の芽生えと発展。
16.17世紀
交易による物質的豊かさと発展改良の文化がイギリスの農村まで浸透しはじめ
弱小な農業国家から豊かな海洋国家への変貌をはじめる。
大規模な牧羊業や毛織り物生産が発展し、土地ごとの産業が発達。
イングランドの地方の風景がどこにでもある田舎から個性のあるそれへと変貌していく。
18世紀
ノーフォーク農法。フランスから取り入れられたフランドル農法がさらに発展し
食料生産効率が著しく上昇する。
牧羊業を基盤とした改良に熱心な気風が発展を加速させ、
中世には0.2%あればいいほうだった農地辺りの10年ごとの平均増産率が
1750年頃には+3.1%、1800年頃には+5.7%と急増する。
食糧の十分な供給による死亡率の低下、および地主の囲い込みによる排他と効率化が進み
農村の余剰労働力が都市部へ流出し都市産業の発達と工場の普遍化による農工分化が進む。
そして産業革命へ。
54 :
名無し三等兵:2011/02/01(火) 20:09:38 ID:???
55 :
名無し三等兵:2011/02/02(水) 15:07:37 ID:???
騎士の密集突撃って、敵部隊に接触したら玉突き事故になりそうだけどその辺りはどうしてたんだ?
56 :
名無し三等兵:2011/02/02(水) 15:49:58 ID:???
57 :
名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:38:36 ID:???
>>37 >>39 大鎧も矢戦に特化しているからね。
長弓で300mとか、現代の常識が通用しない筋力です。
>>46 従来定説の鉄砲隊は馬防柵の後ろから戦っていたというのも
今日では馬防柵の前に出て戦っていたと考えられている。
織田は救援に向かっているシュチュなうえ、屏風絵でも馬防柵より前に出て
鉄砲隊が戦闘している様子が描かれているからね。
58 :
名無し三等兵:2011/02/03(木) 00:21:44 ID:???
59 :
名無し三等兵:2011/02/03(木) 01:18:08 ID:???
60 :
名無し三等兵:2011/02/04(金) 07:52:40 ID:???
戦闘技術の歴史 中世編読んだ人居る?
古代編読んで守備範囲じゃなかったから理解が難しかったから
近世編を先に読んでそろそろ読もうと思ってるんだが
どんな感じ?
61 :
名無し三等兵:2011/02/07(月) 08:11:08 ID:???
62 :
名無し三等兵:2011/02/07(月) 10:16:23 ID:???
なにあちこちにクソゲーの宣伝貼りまくってんだよ
63 :
名無し三等兵:2011/02/08(火) 07:05:49 ID:???
歴史系SLGの名作と名高いけど、2は覗いてみたけど、
まだ日本語版はバグ多そう
なんにしろ
ここは古代・中世スレだから、近世はスレ違いだな
64 :
名無し三等兵:2011/02/08(火) 08:41:01 ID:???
まあ言うなれば太平洋戦争SLGの名作「太平洋の嵐」みたいなもんだよね
65 :
名無し三等兵:2011/02/10(木) 08:32:40 ID:???
「太平洋戦記2」も名作だと思うが。
66 :
名無し三等兵:2011/02/15(火) 09:18:10 ID:???
昔、佐藤大輔の会社が壬辰の乱のボードゲームを作ってたような
そもそも、いま佐藤大輔は何をしているのかな
67 :
名無し三等兵:2011/02/15(火) 21:46:35 ID:???
68 :
名無し三等兵:2011/02/15(火) 21:54:24 ID:???
あのオッサンなに書いても完結させられねーからもうダメだろ(´・ω・`)
69 :
名無し三等兵:2011/02/19(土) 17:34:06 ID:???
今日、GSで洗車中に待合室で、置いてあった月刊マガジンに、中国の弩と西洋のボウガンは、似て非なる物みたいに書いてあった。中国の弩は100メートル先の5ミリの鉄板を射抜けたらしい。
70 :
名無し三等兵:2011/02/19(土) 17:50:12 ID:???
それって出典は民明書房じゃないの?
71 :
名無し三等兵:2011/02/19(土) 19:12:34 ID:???
クロスボウも威力はピンキリでしょ?
72 :
名無し三等兵:2011/02/19(土) 22:44:52.16 ID:???
逆に西洋のほうが強力だったってんならわかるが。
実際、銃が登場してもずっと、貫通力や射程ならクロスボウの(強力なの)ほうが上だったし。
まあそんなのは、とても戦場で再装填できるような生やさしい弦の強さじゃなかったらしいがw
73 :
名無し三等兵:2011/02/20(日) 08:56:26.87 ID:???
69だが、弩に関する記述は、三國志に関する記事でした。
威力うんぬんは一概に言えないし、似て非なるものかは、同じようなものだと思う。
三國志辺りだとヨーロッパはローマ時代?その当時クロスボウはあったの?
74 :
名無し三等兵:2011/02/20(日) 09:33:05.09 ID:???
三国志って正史と演義とがごっちゃになってるから真に受けない方がいいよ。
本当は三国志正史も少し気になっているんだけれども、あらゆる史料が
正史と演義がごっちゃになっていて信頼できる資料がこれっぽっちもないから
調べようがない。
75 :
名無し三等兵:2011/02/20(日) 11:32:32.78 ID:???
76 :
名無し三等兵:2011/02/20(日) 11:52:55.75 ID:???
三国時代よりも以前、戦国・秦漢時代でも活発に利用されていたような>弩
個人的には、弩の利用は中国の方が活発な印象がある
そういや、古代ローマと秦(およびそれを受け継いだ漢)の軍制比較の研究とかあるんじゃろうか?
ローマ帝国に関しては、エイドリアンさんの一連の著書が日本語でも読めるけど
77 :
名無し三等兵:2011/02/20(日) 20:58:31.83 ID:???
この当時って、どのくらいヨーロッパとアジアで、軍事情報の交換とか行っていたんだろう。
78 :
名無し三等兵:2011/02/20(日) 21:34:30.41 ID:???
そりゃまあ、タラス河畔の戦いが世界史の教科書に載るくらいだから、
ほとんど無かったんじゃないの
79 :
名無し三等兵:2011/02/23(水) 07:07:07.58 ID:???
しかもタラス河畔の戦いでもたらされた中国の製紙技術が
実際にアラビアで実用化されるのは50年後のこと。
教科書では、あたかもすぐに伝わったかのような記述だが。
80 :
名無し三等兵:2011/03/22(火) 21:35:21.05 ID:???
アジア……イスラム圏との交流ならいくらでもあるよな
イベリア半島と東ヨーロッパ、十字軍
ビザンツも編成のせいかヨーロッパと違いなんか異質な気がする
81 :
名無し三等兵:2011/04/02(土) 20:57:45.42 ID:???
昔から思っているんだが、要塞などに自動化した弩をなぜ配置しなかったんだろう。
動力は人馬が軸を回すような構造にすれば、かなりの射撃速度を期待できる。
弓の射程は短く防御面積が小さいから、機関銃のような拠点防御機能が発揮できないため、、
射撃プラットフォームがたくさんあったほうが有効なのだろうか。
82 :
名無し三等兵:2011/04/02(土) 21:01:41.07 ID:???
馬が必要な時にぐるぐる軸をまわってくれるのだろうかとか、
軸の回転のタイミングにあわせて矢を装填できるのかとか、
そもそも高いところまで馬に階段をのぼらせるのかとか、
色々とハードルで考えられることはいっぱい。
83 :
名無し三等兵:2011/04/02(土) 22:21:52.67 ID:???
84 :
名無し三等兵:2011/04/02(土) 22:28:18.48 ID:???
>軸の回転のタイミングにあわせて矢を装填できるのかとか、
結局これができなかったんだろうな
仕方ないから中国人は連弩やらなんやらで連装式を試みるが
でかくて重くなりすぎ&再装填に時間が余計にかかる、で定着しなかった
85 :
名無し三等兵:2011/04/14(木) 19:08:13.43 ID:S7uNDpmE
>>84 ロングボウの威力そいうやヒストリーチャンネルでやってた
曲射270m
直射90m ←火縄銃より威力ある。ダチョウの羽と特別製の矢じりでプレートアーマー貫通
弩を一発撃てる間に7発撃てる。射手は6歳から訓練の必要ありだけど。
日本の弓の倍の射程。こんな変態兵器はやっぱブリテンらしい。
86 :
名無し三等兵:2011/04/17(日) 10:23:50.43 ID:???
その当時、ダチョウの羽と特別製の矢じりって手に入れられたの?
87 :
名無し三等兵:2011/04/18(月) 21:38:47.47 ID:???
>射手は6歳から訓練の必要ありだけど。
左腕が異様に長く、右腕が気味悪いぐらいの筋肉で太くなってそう。
88 :
名無し募集中。。。:2011/04/18(月) 22:16:17.95 ID:mg604PxI
>>85 日本の弓の倍だって剛腕の士が射れば射程300-400mあったよ。
89 :
名無し三等兵:2011/04/18(月) 22:20:03.32 ID:rk/+H9yG
>>69 ゴールドマンサックスによめた
就活疲れだな
90 :
名無し三等兵:2011/04/19(火) 00:19:18.88 ID:u2WVzaOd
対戦車ライフルでも欲しかったのかよってな厨スペックなのは中華だが、荷台に載せて牽引とか運用に複数名とか必要な代物だから比較するなら砲とだよなぁ。
91 :
名無し三等兵:2011/04/19(火) 00:41:54.99 ID:???
>>90 西洋にもバリスタって兵器があるぞ。こいつは艦船にも搭載され海戦でも使用された。
92 :
名無し三等兵:2011/04/21(木) 18:19:35.66 ID:???
>>86そりゃ世界に冠たるグレートブリテンですから
矢じりは製作に時間がかかるんでしょ
93 :
名無し三等兵:2011/04/21(木) 18:40:09.68 ID:???
>>86 ダチョウは古来からエジプトなど北アフリカ沿岸部の文化を経由して欧州にも知られてる。
羽は装飾用として、革は丈夫な素材として、肉や卵は食用としてそれぞれ珍重されてきた。
94 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 18:29:01.59 ID:???
ダチョウ騎兵はなぜ生まれなかったのだろう
3000m走なら馬の圧勝だが30000m走ならダチョウの圧勝だろうに
弓主体の軽騎兵ならダチョウもありなのでは?
少ない飼料で飼育も可能だし
まあ俺が無知で本当は実在したのか
それともデメリットのほうが大きすぎて実用に耐えなかったのか
95 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 18:40:42.07 ID:???
気性が荒く一人立ち後はつがい以外で群れを作らず体重も軽く力も弱い
96 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 18:52:54.11 ID:???
所詮とりだしなあ
装甲兵士の荷重に耐えられるかっつうと
だいいち、二脚歩行の生き物に安定して騎乗して戦闘できるのかと?
97 :
名無し三等兵:2011/04/28(木) 08:18:08.59 ID:???
アフリカには、象や駱駝がいるんだからいいんじゃない。
98 :
名無し三等兵:2011/05/15(日) 21:31:53.78 ID:???
te
99 :
名無し三等兵:2011/06/24(金) 16:48:13.17 ID:???
ここって今質問できる?
OK牧場
中世の武器として汎用性が高いのは剣と同じ位のサイズの鈍器じゃなかろうか?
片手・両手のどちらでも扱えるウォーハンマーみたいなもの。
刃筋を立てる必要もなく、甲冑を着た相手にも効果がある。
ベテランから新兵まで共通した武器を与えられるメリットもある。
>>102 剣に比べて材料を使いすぎない?
同じ重さなら刃こぼれした剣とたいしてかわらなくない?
>>103 剣みたいに鍛造しなくていいから、製造方法は一寸楽だろ。
武器的には、剣より重くないと効果が少ない。
使うほうも、遠心力に負けない力と体型が無いと兵力に成らない。
新兵には無理だ。
剣の長さじゃ大振りしなければ鎧相手に打撃は与えられない
隙だらけのところさっくり刺されて終わりだろ
鈍器なら大振りせずとも痛打を与えられると?
>剣と同じ位のサイズの鈍器じゃなかろうか?
剣なんか戦場じゃ実用的な武器としては期待できないだろ
近接戦闘には槍かせめてランスのリーチが必要
剣は結局装身具だからある程度の見てくれが必要で、だったら棍棒のたぐいは失格
剣は突くためのもんだ
振るなら鈍器
しかし剣よりも便利な武器は多そうなのにどうして剣なんだろう。携行する時の問題?
111 :
名無し三等兵:2011/10/19(水) 22:33:59.53 ID:gjPWLep1
見てくれだろ
メイスは有効かもしれんが格好悪
んな馬鹿な
冒険者のような汎用性が必要な装備と集団戦に特化した装備では違いが出るはずだが
様々な要因からその変化が抑えられる事がある
要因予想って楽しいよね
>>110 包丁にもなれば鉈にもなる便利なものだからだろ
119 :
名無し三等兵:2011/11/11(金) 20:09:59.03 ID:Q2Duy3wc
槍は剣より重くて折れやすそうだし、柄の部分をつかまれると弱い。
小銃に銃剣、狙撃銃に拳銃が必要なようにサイドアームとしての剣は必要。
馬が倒れたときには徒歩戦をしないとまずいし、野戦からそのまま攻城戦に移行する場合もある。
>>116 せっかく広範囲に攻撃力を持たせたのに、また特定の方向しか攻撃力が無い様に退化したのが刀剣って事か。
鎖鎌はロマン
実戦的かどうかは残念ながらあやしいけど
>>110 歩兵軍団による白兵戦では、歩兵を密集させ戦力を集中させる事が重要になるが、
メイスや斧のような振り回すタイプの武器は、密集すると使いにくくなる。
よって、歩兵軍団の主要な武器は自ずと突き刺しで使う槍と剣になる。
また、長槍はいかなる状況でも有利という訳でなく、槍兵の密集陣は移動速度や
方向転換が非常に遅かったため、乱戦になると容易に崩壊する危険性があった。
124 :
名無し三等兵:2011/11/12(土) 20:15:45.20 ID:ExgHLiyL
つまり国体競技で言えば、
なぎなたの選手と銃剣道の選手が1対1で戦えば、なぎなたの選手が銃剣道の選手に勝つかもしれないが、
なぎなたの選手10人と銃剣道の選手10人が同時に戦えば、振り回さなくていい銃剣道の選手が勝つみたいな感じか。
まあ、野戦装備最強は槍だが、懐に入られると弱い面があるので
そこをサポートするサブウェポンとして剣があったと、そゆことなだけだよね
126 :
名無し三等兵:2011/11/12(土) 21:27:07.35 ID:ExgHLiyL
武器を振り回し辛い密集白兵戦だと薩摩藩士が持ってる野太刀みたいなのより、
フランス胸甲騎兵が持ってるような突き刺し用のフェンシング剣の方が有利かもしれない。
日本の槍は突きより立てて構えて振り下ろしなんだろ
128 :
名無し三等兵:2011/11/12(土) 21:40:36.33 ID:ExgHLiyL
足軽の長柄槍はそうだけど、甲冑武者の槍は違う。
>>110 中世において金属は貴重だから
金属をふんだんに使う剣を装備してるだけで
国力の潤沢さを示し敵を威圧することが出来た
いや、それだったら槍に鉄鎧でいいじゃん
そこまで剣に意味があるのは古代じゃね
鉄は戦場で回収してリサイクルすることも出来るしな
剣は心の武器
136 :
名無し三等兵:2011/11/30(水) 12:09:56.03 ID:M90qwGhz
コンポジットボウって騎兵の武器ってイメージだけど
歩兵が使ったことってあるの?
普通地上で訓練してから
馬上で訓練するだろうから
馬上のみの武器ってあるのかね?
ヨーロッパのランスとか。
あんな重そうなの歩きながら使える気がしない
日本に投槍器が無かったのは何故だろうか。
投槍器の分布地域とか判明してるんかな。
なんかそういう文化グループとかあるんだろうか。
投槍自体無かったのかな?
>140
これはおもしろい。thx
>>125 そりゃ弓にも弱点はあるし槍にも弱点はあるし刀にも弱点はあるわなw
結局状況に応じて必要とされるからそれぞれの武器が存在してるってことだろ。
武具要説 鑓之事
一 横田備中守申分
長刀など持たる敵を
九尺一丈の鑓にて突事は相打に罷成候
三尺二三寸の刀にても相打になり候
三分の一の長さの刀を相手にすると相討ち程度の優位なんだから
刀を持ち込む意味は十分にあるな。
宮本武蔵の見解とは異なるな
そりゃ色々な見解があって然るべきだろうな。
ただ、見解が異なるというが反することを別に言っているわけでもないし。
「五輪書」地の巻
・太刀は、いづれの所にても、大かた出合、利有。
どういう場所においても大体適応できることが太刀の利とあるだけで
槍には絶対負けるので戦うな、なんて書いてない。
なかなか盛り上がらないな。
古代ローマあたりが例になるとおもうけど、
歩兵、騎兵、弓兵の効果対費用はどれくらいなんだろ。
適当に予測してみる。訂正よろ。
歩兵=給料:400万円/年、装備:100万円/年、訓練半年、戦力1
弓兵=給料:600万円/年、装備:200万円/年、訓練 2年、戦力2
騎兵=給料:900万円/年、装備:900万円/年、訓練10年、戦力4
古代ローマはどうして弓兵主体に移行しなかったんだろ。
給金は調べれば出てきそうだが、
ゲームじゃねえから最後の戦力は数値化しないでおいたがいいだろ
152 :
名無し三等兵:2012/01/10(火) 23:29:33.39 ID:x4gpiiCS
>>148 数揃えないと使い者にならない弓を長年訓練する金がない
小火器がひろまった一番の理由が弓の弱点だ
特に、共和制古代ローマは義務兵役なので
短期の訓練で統一した行動のとりやすい歩兵しか運用しにくい。
弓ってそんなに熟練を要する武器なのか。
ローマはその代わりに投石機を百人隊に配備したような?
>>152 でもなぁ、常備軍を防衛線に長年貼りつかせてるんだから、
熟練兵とか素質のあるやつを選抜して
少しでも弓兵に転換させたほうが運用しやすいと思うんだがなぁ。
一人もいないとでも?軽装歩兵には弓兵も入ってますが
弓って熟練以前に木製だから長持ちしないんじゃね?
ギリシャ系文明圏では暗黒時代前はともかくそれ以降の早い時期で
弓は狩りの道具扱いで戦場で使うべきではないとされていた
エトルリアの影響を多分に受けたラテン文化に属し
後に大いにギリシャにかぶれるローマもまたこれに習っており、
戦場で個人が使う飛び道具は投石か投げ槍とし、
大型の機械式弓のみを攻城兵器の一環として残していた
このため(援軍)補助兵として異なる文化を持つ
同盟国や属州民から弓兵を調達している
訓練する気があれば、陸上競技にアーチェリーが加わるだけですしねぇ。
これは「楯大好き」文化圏だからじゃないかなぁ。
両手使わないと撃てない武器だから、撃ち返して来ない獣相手じゃないと使えネ、みたいな。
160 :
名無し三等兵:2012/01/11(水) 20:53:39.33 ID:EI67lDwS
>>159 イギリスのロングボウはどうなる
白兵戦になった時軽装歩兵に変身してハンマーで殴りつけるんだぞ
161 :
名無し三等兵:2012/01/11(水) 21:32:21.00 ID:c+OqOwoU
ローマ人はメイン盾こそLSの誉と思ってたんだろ
平安時代の武士が騎射を
室町時代の武士が槍を好んだように
江戸時代の武士が好んだのはソロバンかな
中世の戦争って、数の優位が通用し難い時代だと思うんだよね。質の優劣が凄く重要だと思う
だって、基本的に白兵戦で敵一人に相対出来るのって一人だけだからな。少数精鋭の方が機動力が
高い分、包囲するのも難しいし
分進合撃しようとしたら各個撃破されるなんてザラだし
つまり中世ヨーロッパで傭兵が大流行したのは何かの間違いだと
>>164 あれはどっちかと言えば軍事費的な問題じゃね?
傭兵団も、手錬の方が好まれたし。弱くても良いからとにかく数を揃えようって風潮あったか?
自家領内で傭兵団が悪さしてるのと、傭兵団を正規に抱え込んで給金出すために領主の立場でその分を徴税するのとじゃ
前者の方がイメージ的にマシなんかな
まさか。
30年戦争で傭兵がフィーバーしたおかげでドイツの人口6割減よ?
>>166 多分ね。少数の夜盗化してる傭兵団を、治安維持の名目で各個撃破する方が安上がりなんでしょ
「領民を守ってやってる」って面子も立つし
少数どころか傭兵団全体でシステムとマニュアル出来上がってたし
国王側も取り分が定められた国家的な制度で撃破なんてしてないし
>>169 ほう、思ったよりヒャッハーな世界観だな
ちょっと調べて来るわ
規定の金額払えなかったら、支払われるまで領内に居座り掠奪によって糧を得る権利?みたいなのがある
>>171 ルール地方占領みたいなもんだな
傭兵団は大概が財政に余裕があった訳でもないだろうし、そりゃ略奪って話になるか
じっくりと完済を待つだけの余裕が無いんだな?
逆だ
略奪に勤しんでた傭兵団の上層部は儲けに儲けてがっぽがっぽよ
国王にも取り分が定められててがっぽがっぽ
下っ端は上前はねられまくったけど食いっぱぐれだけはない
>>173 だとしたら、本来の給金以上を略奪してねーか?王にも分け前が行くって事は
略奪した財-本来の給金分の財=王への分け前 って事になる訳だから
てか、略奪される領地って王(それと諸侯)の領地じゃん
自分の所の資本ストックと労働力を損壊してまで、目先の金が欲しかったのか
本来の給料なんて遅配欠配が当然で名目上だけになってたし
略奪した方が普通に儲かるし
当時は直轄領以外の領地なんて外国同然だし
領地の境はともかく国の境は曖昧だったし
むしろ直轄領以外は対抗勢力だったから弱体化するのは大歓迎だったし
半ば盗賊状態の傭兵団でも必要なときだけ使い捨ての軍事力を得て、
ある程度は保持してるであろう自前の軍を温存できるんだから利用するメリットは大きい
用が済んでお金払ってお引き取り頂くまでの間に国内に被害がでるにしても
貧乏くじはどうでもいい地域に押しつければいい
傭兵団側も雇い主にマジ切れされないためのさじ加減はわかってるし
適用範囲は狭いけど軍税制度みたいなもんだ
昔そんだけ氏のスレでかなり詳しいのがあったな
そろそろ傭兵ではなく用兵の話に移りたい(上手い事言った)
中世の戦争では、特に会戦などは「数こそ力」という訳でもなかったのでは
ないかと思うのだよね。密集陣形が主だから、敵一人毎に相対出来るのは
自軍一人であり、片翼ないし両翼・あるいは背後から挟撃しようにも機動力は
一般的には少数精鋭である方が上で、分進合撃しようにも、連絡網の未発達
から、上手く行かずに各個撃破されやすい
そもそも圧倒的大軍ってのを用意するのが難しい
道路網未発達、中央集権な古代帝国と違いそこかしこに攻略すべき城塞多数
大軍を現地調達で養えるような地域は極々限られるし、辺境ほど交通がだめで輸送は論外
騎兵は歩兵陣の左右に置いて積極的に両翼に加えるのが良いか
それとも歩兵陣の後方に置いて予備としておくのが良いか
どう思うよ?
まず手持ちの戦力、敵の戦力
戦場の地形など設定したらどうよ
>>181 会戦における汎用的な話だ。基本的な陣形の組み方として、どちらが良いかと思ってな
だから、少なくとも戦力や地形、環境などは「著しく特殊ではない」と考えて欲しい
まず、歩兵と騎兵がいるのは分かるだろう。どちらも種類はあるが、それは問題にしない
汎用的な話であるから、よほど特殊な兵種を用いない限り当てはめられる例である必要からだ
まあ、白兵戦主体の歩兵・弓歩兵と、突撃が出来る騎兵がいると思ってくれ
敵の戦力も、汎用的な話だから基本的に設定しない。まあ、現代戦レベルの戦力とかは出ないし
敵の戦力もこちらより圧倒的優勢ではない事にはしておく。せいぜい、敵の戦力は自軍の2倍以内
地形や環境も指定しない。余り特殊でない戦場と考えてくれ
少なくとも、濃霧で敵が全く見えないとか、狭い隘路だとか、森林の中だとかそういう風ではない
面倒なら、自軍は歩兵と騎兵がいる中世の一般的な軍団であり、敵軍もそれと同等であり戦場は平原
だとでも考えてくれ。要するに、特殊な状況での話ではないって事だからな
その上で、騎兵を両翼に配置すべきか、後方に予備とするか、あるいはもっと別の方法が良いのかの
意見を聞きたいという事だ
まず、両翼に騎兵を配置するのは、敵の支隊が自軍の両翼側へ出て、自軍の側面や後方へ迂回攻撃を
企てている場合への対処や、逆に、自軍の騎兵が迅速に敵の左右両翼へ進出出来る事を予定してのものだ
しかし、これはデメリットがある。機動力・衝撃力となる騎兵を両翼の防衛に回しているせいで
騎兵への負担が大きく、戦闘の決定打ともなりえる騎兵が序盤から損耗してしまう事だ。また、自軍の
騎兵が敵の両翼に進出しても、それが敵軍との衝突前であったなら、それは単に敵軍を牽制し積極性を
減少させる程度の意味しか無い。無意味ではないが、せっかくの衝撃力の運用としては勿体無い
つまり、騎兵が自軍の主力、歩兵部隊が敵の本体と衝突する以前に敵軍の両翼に進出する意味は薄い
進出するなら衝突後である方が良いので、最初から自軍の両翼に騎兵を置いて迅速に敵の両翼へ進出
出来るように手配しておく意味は薄いのではないか、と思っている
なんかもう長文格好いいねとしか
とりあえず、中世に数の利を求められてなかったという人は
騎兵の時代の次の傭兵の時代の歩兵密集戦法に付いて調べた方がいい
圧倒的大軍ってのを用意するのが難しいと思ってる人は
スペインについて特に調べるべき
>>185 あくまで比較論として、重要性が後の時代よりは低かったと言ってるだけだからな?
そこは勘違いしないでね
同じようなテクノロジーで相対してるなら数は絶対的な力だろ
殴りあいに参加できるのが一部であっても
他の多数は居るだけで圧力になるし、投石するだけでも火力になる
どんな無双の勇者でも数人がかりで襲われたら先ず勝てないわけだし
分進合撃が難しいからって、分進する分力には自由裁量を持たせてるんだから
好きに敵の居ない場所を荒らしまわればそれはそれで素敵な戦果が得られるでしょ
189 :
名無し三等兵:2012/01/15(日) 08:04:54.69 ID:9tnB+Zj5
ここは研究者達のスレでつか
>>190 その通りです
ただし研究の前に「独自」がつきます
某じゃなくてよかた
騎兵系にしてもこの時代の騎兵となると、馬、らくだ、象等がいる。
>>188 同じテクノロジー上なら数こそ絶対だというなら、ハンニバルやアレキサンダーなどの戦果は全て「何かの間違い」か?
あくまで比較論の域を出ない話だ
お前の論には他にも誤りがある
兵は「いるだけ」では圧力には殆どならない。適時投入可能な用に用意された「予備」として機能していなくては単なる遊兵だ
密集陣形の敵を相手に、敵陣を包囲する以外に「数人がかりで襲う」という状況は少ない
衝突後に乱戦になっても、乱戦が発生した箇所の中で敵味方の割合が「質の劣る量が優勢な側」にはならない
むしろ錬度に優れる方が、連携を駆使して乱戦では優位に立つとも考えられる
特に中世までは、質の劣る兵が消耗戦に付き合えるかも微妙ではないかな
士気崩壊して敗走する事は十分あり得る
でなければ、リトアニアはチュートン騎士団との戦いに連合を組む必要など無かっただろう
また、中世は兵站の劣った時代だ
人海戦術の様な、均等に圧力をかけていく様な事を分力に期待は出来ない
食料や戦果を求めて各軍がバラバラに動き回るのを各個撃破されるのがオチというものだ
少なくとも「素敵な戦果」を安定的に求める事は出来ない
中世と地域も時代も一くくりにしてる時点でナンセンス
練度や兵站に至っては笑っちゃうね
>>195 煽り合いをしたい訳じゃあるまいし、反論を書いたらどうだ?
別に、中世のいつの時代でも、どの地域でも好きに設定すれば良いだろうに
それで何が変わる訳でもあるまいし
お前人の意見とか聞く耳持ってないだろ
迷惑だからこのスレから消えてくれる?
>>194 おれ、世界史は詳しくないんだけど
ハンニバルさんとかアレキサンダーさんて紀元前の人ですよね?
まず中世の戦いの多くは「投射兵器」が主力であるという点に注意が必要で
イングランドのロングボウに限らず、各陣営はクロスボウ等の投射武器を備えてる
この結果、人数≒投射量≒火力になるのだよ
もちろん有用な武器を備えていない人は戦力外ではあるがね
>>194 >また、中世は兵站の劣った時代だ
守備側も同じ条件なの忘れてないか?
近代と違って中世の帝国都市や諸侯領は兵站拠点として無条件に使える代物じゃないぞ
>>198 数が絶対的でない証明としては十分だろう
それとも、中世では変化したのか?普通に兵数で劣勢にある側が勝る事は度々あったが
>>199 しかし弓は衝撃力を発揮しない。対して重騎兵の突撃や重装歩兵の白兵戦は衝撃力を発揮し、勝敗を決する力となった
その対応のためにパイク兵なども編み出されたが、そこまで行くと近世に入ってくるからな
まあ、現代戦でも火砲だけで敵を制圧は出来んし、まして中世ならば尚更だ
そもそも投射兵器自体が高価であり、質に直結するという言い方も出来るしな
反論としてはやや弱いのではないかな
>>200 数が少ない方が兵站上有利な事の反論にはならん
食料を求める腹の数が少ないほど有利だ。略奪にせよ買取にせよな
略奪の場合、人手が要るという事はあるかもしれんが、論拠としては弱いだろう
付け加えるなら、質で勝るという事は弓の射程でも勝るという事になる。それこそイングランドのロングボウの様にな
加えて、数に任せた全力投射のためには横陣か鶴翼陣の様な陣形が必要になるが、どれも機動には適さない陣形だ
数が多いというだけでも機動に不利であるし、退きながら射程外から撃ち続けられれば数の優位が絶対的にはならんだろう
モンゴル軍などの騎馬民族などその典型だな
モンゴル軍は数も相当だったが
分進合撃すれば各個撃破の危険があるしな
それと、まさか誤解してはいないだろうが俺は「中世では数より質の方が重要だった」とは言っていないぞ
後の時代よりは重要だったと言ってるんだ
>>201 兵数で劣る側が勝つことなんて過去から現代まで幾らでも例はあるが
兵数で勝る側が順当に勝った例のほうが多いのではないかね?
衝撃力なんぞ騎兵という素敵部隊があるが
それらが柵とか地形といった障害で制止させられて
飛び道具の的になる事例もまた多々あるわな
>重装歩兵の白兵戦は衝撃力を発揮し
わろたw
>>202 後の時代ねえ
火縄銃の有無はかなり絶望的な質の差だし
戦車とか機関銃とか大砲とかもっと激烈だ
ロングボウだって別に物理的な射程が長いわけではないし
アザンクールなんて最近の調査では白兵格闘だったのが分かってる
質の優位の象徴であるロングボウだけが勝因ではなかったんだ
恐らくイングランド軍がクロスボウでも結果は大して変わらなかったろう
クレッシーの戦いは弓の差が意味を持ってきそうだが
献身的に、射程劣勢な中アホな指示に従って果敢に応戦し続け
多大な消耗に耐え続けたフランス側クロスボウ兵は
少なくとも消耗に付き合ってくれるだけの質はあったわけで
まあ、兵の質以上に将星の質が大事だってなら物凄くよく理解できるんだけど
それは近代的な指揮統制システムや教育の問題だわな
具体的に西暦○○年ごろの○○国の教義は〜で、これは○○の教義と比べて〜であったとかやらないと誰もまともに相手してくれないよ
君が受けた印象なんてどーでもいいんだから
>>203 多数が勝った場合の例は、別段多数側が質で劣っていた訳でもないからな
その場合は当然、順当に勝つだろう
野戦築城などによる妨害は数の利とはまた違うしな。反論としては不適当ではないかな
>>204 歩兵による衝撃力の発揮は近代まで見られる物だろう。縦隊突撃や抜刀隊などだ
中世ではチュートン騎士団の突撃戦術など挙げられると思うが
>>205 将帥の差や組織構成の差が何より大きいというのには同意見だな
ただまあ、近世以降はやはり数の利が活きる時代だろう
近世では、大砲に性能で負けていても攻勢に出る事で挽回も出来たしな
溜散弾が開発されるまでは、大砲の火力は実質、大した物ではなかったというのもあるし
近代だと、旅順は近代要塞で迎え撃ったはずの日本軍に2度も敗北しているし、電撃戦をドクトリンとするドイツ軍も連合軍に敗北した
その連合軍も、日本への本土侵攻は半ば断念していた
WW1は消耗戦の代表格であり、数の利が発揮された時期だろう
色々と数の利以外にも要因はあるが、中世よりは数の利が活きている様に思えるな
>>205 火縄銃はむしろ、数の利を助ける類の兵器だろう
素人にも扱いやすい手頃な火器というのが一番の利点なのだから
火縄銃のレベルだと、弓兵の方が質としてはかなり上だぞ
大砲は、中世だと攻城兵器でしかない
近世だと、機動力を削ぐという欠点があり、軍団の積極性を阻害する部分がある
騎馬砲兵はコストが高すぎた様だし
機関銃陣地も、側面に迂回されない&縦深を稼げる、有効な陣地形成には軍隊の数が必要だったし
戦車に関しては……電撃戦は戦車よりもCASが重要だったしなぁ
>>208 武器の差を質の優位であると主張してる人が居てなw
あと電撃戦でCASなんてやってないよ(ドイツ空軍は移動妨害で大活躍したが)
んで、近世以降は数の優位なんか限られるのよ
WW1なんかその際たるもので、数で勝る攻勢側が
火砲機関銃で守られた陣地を攻略できなくて、睨み合いになっちゃった
攻略するのに英は戦車、独は浸透戦術という新しい技術
つまりは質を高めることでのみ達成できたのだよ
旅順も同様だな、日清戦争ではどう見ても清側の質に問題があり
日露も日本軍が近代初ともいえる重砲による攻勢準射撃を使った結果だ
つまり道具を質に含めるなら質を高めることで作戦が成立してる
外套みたいなもので、プレートメイルも貫通した弓矢を打ち払うことってできますかね?
横からの力には弱いだろうし金属は貫けても厚手の布革には威力を吸収されるってことは可能ですか?
布で叩き落とせるかって意味ならそりゃ可能だ
プレートメイルを過小評価してるような文面がひっかかるが
矢の瞬間速度は最高で90m/sらしいから、仮に半分として45m/sとする
片手で払える範囲が1mとして 1/45秒で的確に鏃をとらえて0.3〜0.5mほど
はじかなきゃならんわけだ
無理とはいわんがほとんど不可能だろうなぁ
そこで母衣ですよ
野球の投手の球が初速で150km/h、テニスのサーブが200km/h
m/sに直すと41.6と55.5だから
45m/sに反応することは「プロスポーツ選手」なら可能な範囲
しかも球と違って多少反応が遅れても矢は長いから引っかかる可能性があり
また野球やテニスと違って狙った方向に弾き返せる必要も無い
よって現代ならプロ選手やれそうな運動神経の持ち主なら十分に可能
ただし一般人だとどうなのかは、バッティングセンターで良く分かるw
実測170キロまではバッセンで打ったことあるけどいい当りしても見えてるって感じがしないんだよな
勘でこの辺にくるって決めてるだけで
あんなんで命賭けたくないわw
> 239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/07(水) 17:26:05.42 ID:6l+42zsZ
> 今ヒストリーチャンネルで母衣が矢よけになるのかテストしてる
> 242 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/08(木) 03:41:13.71 ID:I+b0sbC3
>
>>239 > で、結論は?
> 244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 17:00:54.62 ID:NnSpjcYy
> ≪こんな布で矢を防げるのか?テスト≫
> 矢:先端がロケット型(所謂鎧を貫通させる矢)と先端菱型(刃物形状) の2種類
> 弓:日本製長弓
> 的:粘土で作ったマネキンに母衣(形と材質は史料から再現)を付ける
> (馬で走っている事を想定し前方から扇風機で風を送り母衣を膨らませる)
>
> テスト結果 マネキンまで到達したもの
> ロケット型:10本中0本
> 菱型:10本中3本
>
> スーパースロー映像:絹の母衣が飛んできた矢に絡みつきエネルギーを奪う事で無力化させると結論
> 乗馬した人が付けた映像では母衣が左右に大きく動き狙いを定め難そうだとも言っていた
> 十分評価できる装備とされた
>
> 245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 17:48:49.90 ID:AsuXHtqr
> 母衣凄いな
おお、まじか。すごいな母衣
>>216 でも野球にしてもテニスにしても動作が見えるよね。
弓の場合はすでに引いた状態から手を離すだけだし、反応が大分遅れるのでは?
不可能ではないにしろかなりな低確率では?
>>220 ピッチングマシーンは動作ろくに見えんし
弓だって正対してたらつがえるのぐらいは見えることもあろう
距離が近けりゃなおさら
だからあんまし変わらんよ
動作が見えるっていうか、
「それ」がくるとわかって集中して待ち構えている状況と
戦場とかで敵も味方もごちゃごちゃしてる状況じゃ違うだろうけどね。
しかも矢だろ?
見やすい白とか黄の玉とは条件が違うんじゃあ?
混戦というか乱戦だと弓矢は凶悪だけど
逆に源平のような一騎打ちだと
肩の盾や獲物で薙いで弓をかいくぐって
突っ込んで組討って戦法が流行るようになるんで
この場合は「見える」奴がいた可能性もある
乱戦だと味方の矢もこええな
226 :
212:2012/02/10(金) 22:07:16.37 ID:???
みなさん考察ありがとうございます。
・意識して払うのは難しい。
・厚手の外套で体と間を空けて覆うようにすれば、威力を吸収・緩和はしてくれそう。
・角度や威力にももちろん左右される。
ってな感じですかね。
この当時って、ろくに薬もなくって自然治癒力頼みでしょ。
今なら大丈夫な傷でも、死にいたることも多かったのでは
そりゃま、衛生面だって考えたらそうだわな。
矢を払うのにその為に徹底的に安全管理して何度も練習すれば可能かもしれないけど
ただそれは実際の戦場でできるかって話とは全く別だからなw
230 :
名無し三等兵:2012/02/20(月) 20:23:11.17 ID:i+TCd/Kn
大鎧から当世具足まで進歩がすごい
ヨーロッパの鎧の影響あるとはいえ。
大鎧は儀式でしか着なくなるんだけど江戸時代。
薙刀から槍に変わったのって南北朝時代くらいから?
231 :
名無し三等兵:2012/02/26(日) 02:14:10.19 ID:9pGflbH+
>>218 母衣すげーな。
今まで単に馬周りが目印につけてるだけだとばっかり思ってたw
空間装甲の仲間だ
戦国〜幕末の火縄銃用の防弾というと竹束だけど
ライフルが出てくると廃れたな
時系列よく知らんけど後装式化で再装填のために立たなくてもよくなったせいかね
後装式になった小銃弾の射程や威力の増大もあるが
大砲が榴弾や榴散弾を射ち出すようになってそれらを考えると塹壕でしか防御できなくなった。
ダマスカス鋼の剣とか複材合成弓のような特殊な武器はもう製造法がほとんど消失しているって本当?
>>236 弓は結構あちこちに作り方残ってるよ
(日本の和弓とかも複合弓だし)
238 :
名無し三等兵:2012/02/26(日) 17:39:16.87 ID:9pGflbH+
>>236 ダマスカス鋼については本当。
日本の古刀とか中国の春秋戦国時代の名剣もそうだが
何故か刀剣類は最高峰の性能を持ってる奴に限って製法が失われてるんだよね
ウーツ鋼もな。
確か原料の鉄鉱石が枯渇して失われた技術になったような。
産地の鉄鉱石に含まれる不純物に依存したものとかは
そこが枯渇したらもうわからんわな
技術残す意味もその時点でなくなるし
残されたウーツ鋼やダマスカス鋼を分析し復活させようとしているプロジェクトはあるけどね。
日本の古刀の場合は国産の鋼と大陸産の鋼を絶妙なバランスで混合してたって説もあるね。
文書に製法を残すなどもっての他、秘伝とか一子相伝の世界だしな。
講談で焼入れをする水の温度を弟子が知ろうとして手を入れたら、師匠に腕を切り落とされるというのがあったな
単純にいくら文書に製法を残しても馬鹿はトンデモ解釈をしてトンデモ調合するだけだから、
いくら説明してもキリが無いだけという説もある。
別に今の原料で当時より性能が高い鋼は作れるんじゃね?
Spring-8で原材料はわかるし、1本つぶす気になれば結晶構造だってわかるでしょ。
刀剣類は当時の製法(と思われる作り方)で再現しようとしているから、どうにもならんだけで。
企業が本気出せば出来るだろうけど大赤字だぞ
>>245 古刀と同じようなもの、或いは古刀以上に優れた刀を「現代の鋼と技術で」作るのは可能。
しかし、何故精錬も製鋼も現代と比べて遥かに未熟だった時代に
量産品ですらヤバいぐらい良く斬れる代物がじゃんじゃん作れたのかは永遠の謎
248 :
名無し三等兵:2012/02/28(火) 18:29:56.58 ID:UjSL4C+b
未熟だったからこそかえって不純物を除去しきらずに
刀として理想的な組成が得られたんかもしれんね。
>Spring-8で原材料はわかるし、1本つぶす気になれば結晶構造だってわかるでしょ。
結晶構造が分かっても、それだけでは
その構造をどうやって作るかはわからん
>>248 それなら、その不純物の配合比率がコントロールできずに、量産品ですらヤバいくらい
良く切れるって事にならないのかなと。
>>249 でも、結晶構造がわかれば、今まで見てきたものの何かと似ているってのはわかるわけで。
そこがわかれば、そこに至る過程の試行錯誤もそれなりに簡単になるわけで。
やっぱ最後は、そこまでやっても、古来の製法をとらない以上「マガイモノ」と認定されてしまう
ようなものの製造にはコストはかけられないってところで終わりじゃないかと。
人力ベースで使う道具で性能追求してもあんまり意味無いしな
252 :
名無し三等兵:2012/02/29(水) 02:09:13.68 ID:J0DtzD39
>>250 実際「数打ち物」と言われた量産品ですら古刀は相当のものだったようだよ。
253 :
名無し三等兵:2012/02/29(水) 05:59:48.36 ID:48t8Hf+5
そういえば「リアル斬鉄剣」てのが以前紹介されてたような。
確か車のドアを斬ったのかな?
うさん臭い柘植アタックサバイバルでも車の屋根とか切ってたからなぁ
車用の鋼板を切るって、すごい話でもなんでもないんじゃないかな
日本刀の職人は、鞘に塗る漆を採る職人や砂鉄を採る職人まで含めると170職種くらいいたらしいから再現するのは難しいだろ
>>252 根拠は?
古刀の製鋼法ってどんなのか知ってる?
家の裏庭の低温のショボい炉でクズ鉄混ぜ合わせるんだよ?
あんなヤマカン製鋼で一定して所期の性能出せるなら、
タタラ導入する意味ねーよ。
>>245-246 大赤字にはならんよ。
その辺のスクラップ置き場から
自動車の板バネを拾ってきて、形を整えて刃をつけたら、
それだけで完成。
ぶっちゃけ古刀より斬れるから。
>>252 優良古刀の水準が量産品でも出せてたっていうお前の根拠が何か知らんが
幕末の刀工が言うには
>卸し加減に依って、剛柔の出来と不出来が悉(ことごと)く有って、程良い物が甚(はなは)だ得られなかった。
という事です
「剣工秘伝志」 水心子正秀 (1821年著)
出羽、千種などの現在の鋼は天文の頃から出てきた物で、それ以前には無かったものである。従って応永(1394-1428)頃までの鍛冶は、自
分で銑を吹き卸して鋼とし、良く卸りた時はその儘打延べて刀剣とした。是を所謂(いわゆる)「鋳刀(素延べ刀)」と言う。又、鋼の出来が思わしく
なかった時は、二、三遍鍛えて造った物もある。現在のように数遍鍛えた物ではない。多くとも七、八回の折り返しを限度とした。
それなのに、卸し加減に依って、剛柔の出来と不出来が悉(ことごと)く有って、程良い物が甚(はなは)だ得られなかった。
その為、その頃より、自然と出羽、千種の鋼を数遍鍛えて造る事が多くなった。これで卸し鉄の伝は遂に絶えた。
一定の水準で量産できる材料が製品の質を押し上げたわけですか
>>259 否。
たたら製鉄で得られる炭化鉄は、日本刀用には硬すぎる。
だから心鉄いれて補完してるわけ。
質的には新刀は古刀の最高水準から明らかに後退している。
ただ均質な鋼を大量生産できるので安く作れて利益は増す。
十年近く昔だと思うが、ビートたけしの特番で、超合金刀を作って藤岡ひろしに車のドアを切らせたのは覚えてる
たしかビデオに録っていた筈だが、いったい全体どこに行ったのかねぇ……
合金って、クロム・モリブデンとか、チタニウム合金?
日本語ウィキペデイアに「リアル斬鉄剣」で載っている
264 :
名無し三等兵:2012/03/03(土) 15:21:18.45 ID:2GUQoQUL
元寇の時の日本ってモンゴルと違い槍が少ないがあれ見て日本って装備面でガラパゴス化してたんではないかと思うな。
戦国時代になり実戦経験をどんどん積むに従い槍の装備率がぐっと上がる。
実戦経験というより雑兵の動員数の違い
>>260 軍事的な視点で見たら、それはむしろ進歩じゃ?
実用上不自由がない範囲での性能ダウンで生産性が上がるなら。
>>264 ニーズとか戦闘方法の違いもあるんじゃ?
馬上で弓を撃つ武士に随伴する歩兵が、武士に近づく敵を
追い払うなら薙刀が良いけど、歩兵同士で密集して突撃なら
槍が良いとか。
267 :
名無し三等兵:2012/03/03(土) 16:56:02.34 ID:2GUQoQUL
あの当時の戦術自体よくわからんからね。源平が戦ってるころに日本は集団で戦わずに名乗りを上げ
一騎打ちしてたのかとかも本当かわからんし。義経のやり口見るととてもそうとは思えない。あいつ
相当ずるいこと{戦術的に正しい}やってたっぽい
戦い方も一つじゃないでしょうしね。
特に元寇は、両軍どちらにとってもイレギュラーな戦いだったと思います。
モンゴル側から見ると、滅多にない(唯一?)海を越えての遠征ですし、
当然装備が限定され、「上陸戦」という経験の少ない戦闘を行わねばならないし。
元寇と言えば、モンゴル軍は何故対馬に拠点を設けて数年がかりで攻めるという
選択をしなかったんだろう?
> 元寇と言えば、モンゴル軍は何故対馬に拠点を設けて数年がかりで攻めるという
> 選択をしなかったんだろう?
何万もの軍を対馬に置くと
そこに何年も補給を送るだけで国力を消耗しそうだからじゃね
>>264 当時の刀は太刀で長いから槍でなくてもリーチは担保できるし
当時の武士は弓騎兵とサーベルチャージ騎兵を兼ねた兵科で
そもそも槍持つ理由があんまない
戦国時代に槍が増えるのは「安い歩兵用武器」という点に尽きる
律令制の時代には戦国時代の槍に相当する矛があって、戦国時代の槍と同じくらい、ものによっては5m前後の長さがあった。
しかし主力武器は弓であり、弓を使える者、特に騎射ができる者が優遇された。
矛は衰退し、平安時代ごろには2mくらいしかない薙刀に取って代わられた。
つまり、弓が重視されたため騎兵が突っこんでくるという状況がなく(騎兵の武器も弓だから)、騎兵が突っこんでこないため対騎兵武器である長物が軽視されたということでは。
南北朝時代頃から長い太刀や金棒や薙刀を持った騎兵が増えだすので、対騎兵武器として槍が復活するんだと思う。
272だけど、記憶だけで書いたから間違いがあってもかんべんな。
というか大陸式の編成をしてた大和朝廷軍が蝦夷に苦戦したのち
その蝦夷の戦術を取り入れて生まれたのが騎射をメインとする中世の戦術じゃね?
源平〜南北朝期前までは名乗りをあげて一騎打ちなんて真似は流石にしてなかったが
戦場では大将が指示を下すのではなく、現場の各武将達が
手駒の兵を割と好き勝手に動かす戦い方だったみたい。
ただ、元寇の時は上陸戦で大規模な戦術を取りにくい地形だったから
少数の部隊が各自判断で行動する武士達に有利に働いたんだと思う。
槍云々に関しては、戦国期に入って領民も兵力として大量動員するようになったからなんじゃね?
>>268 元史では日を追う毎に日本側の兵が増えてるしあいつらつえーから
このまま残ってもジリ貧になるのは目に見えてるから帰ろうぜみたいな事を言ってる。
文永の役は元軍が圧倒的に押してたみたいに誤解されがちだが
むしろ橋頭堡すら築けないまま撤退せざるをえないくらい被害受けてるよ。
276 :
名無し三等兵:2012/03/04(日) 11:36:03.56 ID:VOF7c0Xh
>>256-258 それでも雑兵が持ってるようなもんでも
大陸やバテレンの人らが「日本刀やべー」みたいな記録を
数多く残す程度にはヤバい代物だったんでしょ?
277 :
名無し三等兵:2012/03/04(日) 11:42:00.26 ID:fksLRysI
>>276「鉄砲と日本人」というイギリス人だかがかいた本ではジャワだかのスペイン人(?)とオランダ人の
争いで日本の浪人が傭兵として雇われスペイン人を圧倒する戦いを見せたとかかれてるね
>>267 言葉を濁すなよ、はっきり「義経のやり口は卑怯で汚い」って言えよ
卑怯でも負けるよりはマシだ。
勝った後がどうなるかは別として。
「まあ、私は日本国から勲章を与えられた英雄だからな。批判する奴はアカ」Byカーチス・ルメイ
>>277 鉄砲と日本人を書いたノエル・ペリンは、アメリカ人だぞ、陸軍将校として朝鮮戦争にも参加してる
だからといって軍事に関する記述が全て正確とは限らないのがつらいところだが
282 :
名無し三等兵:2012/03/04(日) 22:50:22.40 ID:1+q4v0HA
>>280 ルメイはアメリカ軍人としては優秀だが
日本人から見ると鬼としかおもえんが
なんで勲章なんぞくれてやったんだ
>>282 日本人を適当に間引いてくれたから、そのお礼ってことだろ。
>>282 マジレスすれば、空自の育成に貢献ってことらしいな。
もっとも当時の隊員の手記なんか読んでも間でも複雑な心境が渦巻いていたようすがわかる。。
無能さから自国の兵隊を無意味に死なせた牟田口よりは・・・
そのルメイもキューバ危機の頃にはただの老害と化していた
ルメイさんは、古代・中世の方ではないからおいといて。
元寇で日本征服に失敗した最大の理由は、海の存在だったと
考えますがいかがでしょう?
とはいえモンゴルも、ある程度の人口密度がある場所は中国と朝鮮半島以外撃退されてもいるからなあ
それこそ無人の野のを征っただけ、という説もある
そもそもモンゴルの戦法って、迂回戦術で元祖ロンメルじゃないかと
イメージ的には迂回戦術+攻城兵器とかだわ
元の頃になると、色んな地形での戦いを経験してるからね。
騎馬云々はあんまし関係ないんじゃないかなって気もするよ。
武士もあれはあれでマムルークみたいないわば戦闘のプロだからね。
そんな連中を最大で10万以上動員できるような国を易々と攻略は出来ないよ。
>>287 博多近辺に防御陣地を構築されたのが分ってるんだったら、
出雲でも肥前肥後でも
手薄な別の港や岸に回り込めば良かったんじゃないですかね、そもそも。
そう簡単に行くかっての。
試してみる価値はあるだろ。
少なくともどこかに
上陸しないことには話にならんのだから。
要塞化された海岸に無理矢理上陸するのとどっちがマシだろう。
選択肢としては当然あったでしょう。
ただ鎌倉もそれは想定していました。
しかし大船団であることを考えれば、上陸地点は広く、後方からの補給の容易な博多を選択するのが妥当かと思います。
第一回目が威力偵察と言われたりするように、博多の地理を良く知っていることも重要でしょう。
第1回は威力偵察ちゃうってば
たとえば自分が博多の近くの海沿いに住んでいるとして
敵が船でやってくるとわかっているのに領地をはなれて博多に行くか?
「いざ鎌倉」じゃないけど、普段は地元を守っていて上陸の連絡があって
から駆けつけるのが普通じゃないの。
地元のほうが緊張感も維持できるし警戒網にもなるし
幕府もそのくらいの融通はきかせたんじゃなかろうか
弘安の役は最初、守りが薄いという情報があった
博多のやや西側から上陸して一気に太宰府まで攻め上るプランだった。
ところが実際には、そこにまで石塁が出来ててガッチリ守られて断念。
で、元軍はこの時点で一旦志賀島に上陸してプランを立て直そうとした。
ところが武士達がそこまで追っかけてきてなぶり殺し。
以降は行く先々に武士や水軍が追っかけてくるor待ちかまえてるで虐殺ショーの繰り返し。
迂回して挟み撃ちとかそんな余裕とてもねーっすよ状態。
>>299 それなら納得。要は一度食いつかれた後に振り切れなかったわけですな。
ということは、二度目の弘安の役は、
その食いつかれる前になんとかならなかったか・・・
一度は防壁突破を試みるだろうから無理か。
つまり、一度目の文永の役に橋頭堡を築けなかったことが。
なんで元軍がいなくなったかさっぱりわからんし。
1度目は簡単。
元史には総大将が「日に日に敵が増えてるようだしこのままだとジリ貧になる」
って発言して早めに撤退を決めてる。
予想外に抵抗が激しくて、橋頭堡を築けなかった時点で
これ以上は無駄に犠牲増やすだけだって判断したみたい。
割と冷静な武将だったんじゃないかなこのモンゴル人の将軍。
なら、後に残るは上陸地点の変更ですな。
一旦、対馬海峡から半島寄りに日本海に入ってから舞鶴あたりの上陸を狙うか、
熊本や天草諸島に上陸してまずは九州制覇を狙うか、
まあ普通そんな脇道狙わないか。
やっぱり博多から関門海峡を抜けて瀬戸内海から京に至るのが本道か。
>>302 当時の航海能力じゃそんな大迂回無理だ
中の人も馬も全く航海に慣れていないんだし
上陸できたらできたであとが続かないしな
第一陣だけで補給なしで征服できれば話は別だが
元軍のジャワへの遠征は成功したのでは
日本近海は海流が違いますか?
305 :
名無し三等兵:2012/03/10(土) 06:18:30.42 ID:b9p406QL
第一回の失敗は単に日本の戦力を読み間違えてやったから失敗したとしか思えないんだが。
もし教科書どおりの圧倒的勝利となるなら二度目にあれほど兵力を増強するわけねえし
元軍がどう思ったかはおいて、
とりあえず一回目の日本側の受け止め方は
完 敗
でしたよね?
朝鮮人に唆されて、大して興味もない島国で被害出すのは不本意だろうからね
>>306 向こうのスレで論破されたからってこっち来なくていいよ
309 :
名無し三等兵:2012/03/10(土) 11:16:55.86 ID:dXUpfBvI
ネット右翼は統一教会
統一教会の最下層ネット右翼どもw
今日もしっかりユダヤの犬やってるか??
頑張ればお前らには統一教会幹部に使い古された臭いマンコがあてがわれるかもなw
だからしっかり今日も頑張れよ!おらお前らの一番喰いつく大好物のエサだ↓お前らの朝食だなw
「911 CG」「癌 利権」「人口削減」「経世会狙い撃ち」「311人工地震」「間接支配」「新帝国循環」
「アーロンルッソ」「長谷川浩」「日銀株主」「電通 成田豊」「MKウルトラ」「コシミズ 中国」
「東電OL殺人事件真相」「天皇の金塊」「根路銘国昭 」「衛星サーベイランス」「FEMA強制収容所」
「携帯電話移動履歴監視」「対日超党派報告書」「カルト指定」「オウム 真相」「2ch 統一教会」
「東日本ハウス 竹中」「ワクチン利権」「サイコトロニクス」「RFIDチップ移植」「正力松太郎」
「ベクテル」「恫喝殺人」「マグナBSP」「黒い手帖」「地下経済」「123便墜落の真相」「橋下 米国」
「エイドリアンギブズ」「非殺傷兵器」「ケムトレイル」「国際勝共連合」「統一産経」「共同通信 CIA」
310 :
名無し三等兵:2012/03/11(日) 00:01:38.39 ID:bbJqWUio
日本刀ってどうなんだろう?切れ味がいいのは認めるがよろい着た兵士には無意味だろ?
むしろ欧州みたいな殴り殺す的な方がいいのでは?
刀は戦場では殆ど使わなかったって話だよな。戦場(大人数)で白兵戦するなら
やっぱ槍ってことだろ。人数揃ってれば槍はマジ無敵に近い感じだ
刀の利点は他の武器に比べて軌道がメチャクチャ変えられる点じゃないか
例えば面打ちの途中で小手先(肘から先)返すだけで一瞬で胴に入ってくわけで、
このスピードだけは他の武器には到底真似できんだろ
この特性を持って個人武器として発展普及したんだと思われる
何だかんだいって日常的に持ってられる範疇の武器としては高性能だ
鈴木はもういいよ
>>310 江戸時代の刀基準に語ってないか?
平安〜室町末期に使われてた太刀はもっと幅が広く
耐久性重視で実用的なものだったよ。
西洋にも鎧着てた時代に切れ味重視のもの作ってたし
逆に日本でもクレイモアみたいな馬鹿でかい大太刀もあった。
>>311 槍って乱戦時にはむしろ刀より不利なくらいだったんだが。
確かに槍は集団運用すれば強力だが、逆に一度陣形が崩れたら脆いからね。
同田貫みたいなのか。柄も槍一歩手前くらい太いなあれ
いや刀が役立たずだったとは思わないし、刀を貶めるつもりもない
具足着けて準備万端レベルの規模でやる戦場=大人数で広い場所
だと距離感(間合いや運用目的)的に一斉の声で使いづらいと思っただけだ
「戦場では刀より槍だ」っていう一般論レベルの話だから怒らないでくれ
無論、合戦が矢の打ち合いから始まり槍隊同士でドつきあいして
刀剣の出番が最後になるのは古今東西どこもそうだからね。
ただ言いたいのはメインじゃなかったからと言って
ただの予備装備で実戦では殆ど使わない・使えないってわけではなかったからねw
>>308 どのスレか知らんけど、人違いだ、ソースくれ。
ちょっと悪く言うとすぐチョン扱いかよ。マジうぜー。
まんが「日本の歴史」や大河ドラマ「時宗」でやってた大苦戦は、
戦後サヨクの偏向教育の大嘘だと、
そのようにのたまわれるなら是非ソースくれ。
>>316 お互いに陣形が崩れた乱戦だと、
みんな弓も槍も投げ捨てて刀剣で戦ってるのか、
それとも弓手や槍持ちは逃げ出してるのか、
どっちだろうか。
次に、「センゴク」でもやってたけど、
一方的な戦いだと、
順序良く、弓部隊、槍部隊、剣(とどめ)部隊、と
ローテーションしてたんだろうか。
矢が尽きたり、槍が折れたりしたときはどうしてたんだろう。
劣勢なら、当然刀剣で戦うしかないのかも知れんけど、
優勢なら、今回の出番はこれまでと陣に引き上げたりしたんだろうか。
優勢でも、有利な弓槍を捨ててわざわざ刀剣勝負を挑んだんだろうか。
それとも、落ちてる弓槍を拾って十分まかなえたのか。
あるいは、十分に予備を持って出陣していたのか。
>>318 それについては、
>>301で納得したけど、
また違う人かな。
元軍の事情を当時相対してる日本軍が知れるわけが無いし。
今問うてるのは、あくまで日本側の戦闘評価。
当時のと、現在のと。あるいは、チョンが湧かない時代の評価。
元寇の戦訓からたちの作り方が変化したなんてのもあるからには
後の時代はともかく、この時はそれなりに使われたのではないでしょうか?
鎌倉時代の武士って、弓矢、太刀、腰刀が標準的な装備で、弓矢を持ったら
槍や薙刀は基本的に持たないというか、物理的に持てませんよね?
となれば、弓矢の次に使う武器は太刀だったんじゃ無いかと。
弓矢を持たず、薙刀とか装備して初めから斬り合うことが多かったならごめんなさい。
>>320 日本側のソースなら蒙古襲来絵詞と帝王編年記辺りかな。
むしろ大苦戦のソースが八幡蒙古記っていう胡散臭いやつくらいしかないよ。
>>319 なんか文体から某研究者とかいうコテを思い出したw
>>322 あとは実際に福田兼重の記録や大友頼康の勘状でも
烏飼潟の戦いで元軍を破ったように記述されてるね。
少なくとも当の武士達は自分達の実力で撃退したと認識してたんじゃない?
>>321 作法としては弓合わせして次に太刀抜いて斬り合いというのが当時の習わし
だけど弓は形だけでろくに狙わず
相手が次矢を番える隙に突っ込んで組討という超セコ技が流行り
これに合致した大柄な太刀が登場し
ついには最初から弓矢なんか知らねって感じで薙刀抱えて行ったりするようになる
>>325 源平の時には老武者が
「最近のゆとりはまともに弓で狙わず端から組み討ち目当てとかマジで死ねよ」
みたいな事言ってるな。
作法とか無視するなら突っこんでいく方が有利だったんかねえ?
弓持った相手に突っこんでいったら射殺されそうで怖いぞ。
>>327 一発撃たせて次の矢を番える間に突っ込むのではないかな
馬上だと次発まで5〜10秒かかるだろうから
50〜100m以内なら次発前に組討に持ち込める可能性はあるんじゃないかな
騎射は難しいからしゃーない
>>325 ありがとうございます。しかし「飛び道具とは卑怯なり」どころか
飛び道具無視して組み討ち狙いが流行ると言うのも凄いですな
まあ当時の和弓はしょぼかったからなあ
つまり、弓矢恐れるに足らずってことっすか。
なんだかなぁ。
それじゃ新田義貞とか平将門の立場はどうなる。
太平記でも、両軍数十人が乱戦になったところに、
弓が一本落ちてたから、それを拾って矢を射掛ければ
たちまち幾人も射落とした。
(戦闘が続いて鎧がぼろくなってたからとかの理由だったかな?)
みたいな記述があったのに。
>>323 悪目立ちするためだけにあるようなコテなんかどうでもいいよ。
そういうのは名人芸であってそこまで鍛錬するのがきついから
セコ技に走るんだろう
>>331 ショボいとはいってもステンレスぶち抜く程度の威力はあるお
>>332 時代が違えば和弓の構造も違って射程威力が違ってくるし
人によっても張りの強さ違うからね、平家物語の弓流で
義経が自分の弓が弱弓であることを述べてる(小柄な人だったそうだし)
保元の乱で大暴れした源為朝は誇張はあるにせよ七尺の巨漢だから
その腕力に応じた強弓だろう(それなりの身分だから最新の三枚貼だろうし)
まあそもそも馬上の一騎打ちは相手もウロウロ動くだろうし
そんなカンタンに当たらないんだろうよ
逃げながら矢をつがえて射るというのはダメだったんかな
長弓だからな、引き絞る都合上左側にしか撃てないし
しかし話を戻すと、そんな当時の弓でも蒙古軍には十分対抗できたわけだよね。
もうこの弓はもっとしょぼかったのか、あるいは何らかの事情で実力を発揮できなかったのか。
大平原での騎馬戦ならともかく、陣にこもっての撃ち合いなら長弓が短弓に負けるはずもなかろ
>>310 打刀は護身用の個人装備だろ。
現代でも拳銃を持ってるでそ。あれと同じだよ。
拳銃で戦争はしないけど、みな持ってる。
>>319 陣形崩れる前に撤退させなきゃ。
崩れた途端に我先に逃げ出しちゃって、それが全軍に連鎖したら負けになるのよ。
>>331 それを言ったら、先込めの火縄銃なんて・・・
現代でも、相手が単発の拳銃持ってこっちに銃身を向けていたとして、20mくらい
からなら動いていればほとんど当たらないし、撃ち尽くしたらリロードの間にダッシュして
間に合うと思うよ。
>>339 一応、集団戦を想定した兵装だから、100人単位で集まって指揮官の下で号令で
使用したら役に立つわけで。それは和弓だろうとイギリスのロングボウだろうと、中国の弩
だろうと、それこそ火縄銃だろうと現代の小銃だろうと、何だろうと一緒でしょ。
射程が長い兵器ってそういうものかと。
押し捩りって言葉でググれば和弓でもパルティアンショットみたいな事出来たか否かがわかるよ
>>341 >陣形崩れる前に撤退させなきゃ。
>崩れた途端に我先に逃げ出しちゃって、それが全軍に連鎖したら負けになるのよ。
陣形維持に気を使いすぎ。そんなに簡単に撤退してたら、
容赦なく追撃くらってそれこそ崩壊→潰走だよ。
陣形を崩すための敵の突入部隊に対し、
断固対抗せねばならない瞬間は確実にあるし、
そういう時は刀の出番だろ。
つーか刀がピストルとかありえんから。
他国の刀剣に比べて軽いっつっても、数kgはあるし
そんな荷物を酔狂で抱えて歩くわけねーだろ。
長槍と弓矢は軽機関銃として
刀は小銃くらいの位置づけだよ。
>>345 農民出稼ぎの足軽部隊に何を求めてるんだ?
>>345 有効性に欠ける拳銃は現代の軍でも補助の補助でしか無くて・・・装備率は低いよな。
一般的な陸軍は一銃主義だから小銃のみ装備だし。
>341の主張するように「皆持っている」訳ではないから、皆が持っていた刀剣とその位置付けは微妙に異なるよね。
>>346 農民出稼ぎの足軽部隊が、
偽装後退とかバリバリやってるけど?
逆に聞きたいけど農民出稼ぎの足軽部隊をどれくらいなめてるの?
349 :
名無し三等兵:2012/03/12(月) 00:03:19.31 ID:vL1SmYXf
日本刀に関して盛り上がってるみたいなんで、教えて君で済まんが便乗して幾つか質問をば。
・文献や図屏風では頻繁に刀で斬り込む場面があるけどその人達は最初から刀で斬り込むのが専門?
・刀を使うときは相手をぶった斬ってたの?それとも鈍器として使ってたの?或いは鎧の間を縫って刺突する介者剣法メイン?
・太刀はどれくらい使ったら(人斬ったら)「鈍器」あるいは「廃棄するしかない不良品」になったの?
・戦国期みたいに需要が絶えなかった時代の刀はどうやって大量生産してたの?
・どうして冶金技術が近世より未熟な筈の中世に作られた古刀のが性能が良いの?
・古刀とはまるで製法や材料が違う新々刀や現代刀の性能はどんくらい?
・鎧着た者同士の白兵戦の武器としては金棒やメイスみたいな鈍器と刀剣どっちが有利なの?
・古刀が近隣諸国や西欧人が特筆するほど優れた刀剣だったその凄さの最大の秘密は結局何だったの?
折り返しとか焼き入れ時の工夫くらいは他国の刀剣でもやってるし
素人の考えだとむしろ質の高い鋼を大量に作れるようになった
「ルネサンス期以降の」ロングソードとかのが性能良さそうな印象があるんだが
実際の当時の西欧人の記録なんか見てるとどうやら違うみたいなんだよね。
あと、よく日本刀の使い勝手の話でネットだと
「戦争行った爺ちゃんから聞いたんだけど」的なレスが
散見されるんだが、WW2に従軍した日本兵はそんなに頻繁に刀使う機会あったの?
従来の日本刀より軍刀のが遥かに役に立ったという証言も多くて
実際、材料の観点から考えたら確かにその通りかもしれないけど
一方でとんでもないポンコツ(3〜4人斬ったら云々の人もこれ使ったみたい)
も沢山あったみたいだが平均的にはどうだったん?
>>348 というか江戸期以前は農民と武士の明確な区別無かったしなw
それは回答できる奴居ないんじゃね
>・文献や図屏風では頻繁に刀で斬り込む場面があるけどその人達は最初から刀で斬り込むのが専門?
多分違う。そういう専門職がいたという話は聞いた事がない。
弓でも槍でも刀でも使える侍が、周りの手勢に命令して
「全員抜刀!突撃すっぞ!」ってやるのが普通じゃない?
>・刀を使うときは相手をぶった斬ってたの?それとも鈍器として使ってたの?或いは鎧の間を縫って刺突する介者剣法メイン?
全部やる。文献や回想談を読むと、
相手が鎧着てようが兜かぶってようが、構わず上からぶん殴る事もあれば、
裸の顔面を狙って切りつける奴もいる
>・太刀はどれくらい使ったら(人斬ったら)「鈍器」あるいは「廃棄するしかない不良品」になったの?
一般的な刀は骨に高速で当たるとちょっとずつ刃こぼれするから、
一合戦で数人殺害するような殺人マシーンがいたら、
途中で刀換える必要が生じた可能性はある。
足利義輝は実際交換用の刀を用意して切りまくってるからな。
ただ刃こぼれくらいなら研げばまた使えるからゴミにはならない。
運良く折れなかった場合、ゴミになるのは、刃が完全に磨り減った場合で、
それには数年以上かかるでしょ。
>・戦国期みたいに需要が絶えなかった時代の刀はどうやって大量生産してたの?
これまで、戦国時代の鉄の大量需要の為に千種・出羽鋼などが出現し、この量産和鋼が刀質の変化に繋がったと言われて来た。
然し、商業和鋼の出現※と南蛮鉄の輸入は戦国が始まった40年後であり、これらが刀に使われるのは更に60年後の慶長以降からである。
それでは、戦国時代の大量な刀の地鉄は何を使ったのであろうか。 ※江戸時代、貝原益軒も流用して紹介している
非効率な零細たたらの生産量には頼れず、それすら商業鋼の出現で衰退の一途だった。又、ズク卸しに慣れている刀匠達が後から参入し
た新鋼材で造刀法の転換を図るには多大な混乱と時間が掛かる。これでは大量需要に応えられない。
和銑は期待できず、後の商業和鋼、南蛮鉄も使えなかった。答えは一つしかない。
明の鄭瞬功は「日本一鑑」※で「鉄砲鋳造用の材料はシャムや福建からの輸入に多くを頼っている」と述べている。これは和銑の欠点を指摘した鉄砲の記述だが、当時の鉄需給の実態をよく伝えている。解決策は支那鉄の輸入拡大に求めるしかなかった。 ※信頼性が高い希少資料
これらの事から、大陸の一次量産品で価格も安い銑鉄(ズク)※が大量に流入したと見做される。 ※練鉄や鋼は二次加工品で高価
ズクは量産に手間が要らず、日本側は刀匠の作刀慣習と価格の面で時代要請に適っていた。需要・供給双方の利害が一致していた。
自家製練の刀匠達はこの既製ズクに切り替え、既製ズクを使っていた刀匠達は造刀法の工夫で大量需要に応えた。
戦国の世が終わり、明のズク輸入は激減したが、地鉄の状況に変わりはなかった。これが永続していれば新古の刀質差は生じなかった。
佐藤富太郎は切断刀身の検証から「慶長新刀の時代になっても、肥前忠吉、筑州信国、埋忠、大和守安定、越中藤原重清、仙台の永重などは量産鋼を使わず舶載鉄を使っていた。天文の量産鋼は刀工間で余程の厄介物だったのであろう」と述べている。
不慣れな商業和鋼や南蛮鉄を敢えて使わなくても支那ズクで不便はなかった。商業和鋼が100年近くも刀に使われなかった謎が解ける。
>・戦国期みたいに需要が絶えなかった時代の刀はどうやって大量生産してたの?
ところが、慶長を境に日本刀の刀質が変化を始めた。これは明らかに舶載鉄種の状況変化としか考えられない。
慶長前後、明から「熟鉄=軟鋼」が流入した。明の史書「明神宗実録」1612年の条に、日本ではもとの値の二十倍になると記されている。
戦国時代の終焉で明のズク鉄貿易は激減した。その為に明の輸出政策が「練鉄」の高付加価値商品に転換したのではなかろうか。
明の熟鉄・南蛮鉄は千種・出羽鋼に近似していた。対明貿易の鉄種の変更で、以降の刀匠達はこれらの地鉄を使わざるを得なくなった。
主流であった明の銑鉄から、国内外の硬・軟鋼に交替する混沌とした過渡期に慶長新刀が生まれた。主因は舶載鉄事情にあった。
これは仮説だが、これが実態ではなかろうか。そうでなければ、古刀と新刀の大勢に見られる刀質の差を和鋼だけでは説明出来ない。
>・どうして冶金技術が近世より未熟な筈の中世に作られた古刀のが性能が良いの?
冶金技術が発展する際にまず、量産性が重視されたが、
その結果得られた量産鋼が刀剣に向いてなかったから。
ぶっちゃけ人斬包丁なんて鉄需要のごく一部だし。
天文時代※、鑪が変革して千種、出羽、印可の商業和鋼が出現した。その為に零細鑪は衰退した。※文献史では未確認。修正の可能性大
然し、これらの地鉄の刀への利用は何故か100年近く遅れ、慶長時代に入ってからである。
以後の刀匠達は否応無しにこの量産鋼を使わざるを得なくなった。中世地鉄の伝承がここで途絶えた。
この新たな和鋼は含炭量が多い為に刀身折損の恐れが生じ、堀川国広は軟らかい心鉄を挿入する新たな刀身の造り込みを考案した。
歴史上、国内鉄市場は舶載鉄が主流だった※ので、和鋼の変革のみで新刀移行を語ることは出来ない。
>・古刀とはまるで製法や材料が違う新々刀や現代刀の性能はどんくらい?
ものによる。
現代刀は一部、鉄鋼の質からしてブーストかかってる奴があるからな。
自動車の板バネとか使った奴は、形さえ適切なら古刀より切れるし、
実際評判良いよ。
>・鎧着た者同士の白兵戦の武器としては金棒やメイスみたいな鈍器と刀剣どっちが有利なの?
鈍器は確かに破壊力は高いが小回りが利かない。
当たらない鈍器と、破壊力は小さいが当たる刀剣、戦ったら後者が勝ったから、
装備率がそうなったんじゃないか?
フロイス『日本史』
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に(刀で)相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その(真只)中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。
>・古刀が近隣諸国や西欧人が特筆するほど優れた刀剣だったその凄さの最大の秘密は結局何だったの?
職人さんの技術力です。
島津って鉄砲沢山装備してるイメージがあったが案外違うのな。
よく日本刀や日本の槍は刃と柄の部分を目釘で止めてるだけだから脆いって話があるがどうなん?
有茎式の長所:
衝撃が緩和されるので手が疲れにくい・痺れにくい
短所:衝撃が柄にかかるので壊れやすい
但し以下の点に配慮すれば実用上問題は無い。
配慮できない奴は大人しく無茎式使っとけって事。
手が痺れたりするけどな。
・頻繁に手入れして、その際目釘も締めなおす
・適切な材質の目釘を使う(竹の太い部分が適する)
>>351 上はともかく、下は典型的な軍刀信者のサイトだからなあ
具体的にどんな風に典型的信者なの?
366 :
名無し三等兵:2012/03/12(月) 20:26:50.74 ID:/PHWvGFP
そもそも日本刀てそんな大量に作れるほど簡単に出来るのかね?あれって湾曲してるけど
騎乗で使うことを前提だよね?雑兵向けとはとても思えないんだが。あれを扱うにしても
訓練が必要だし
もっと面倒な鉄砲でも足軽向けに大量に作りましたよ
粗製乱造の数打ちは重ねも少ないとか手抜きしてるし
戦国時代以前に分業体制が確立してて生産性も向上してる
ていうか鉄砲だってあっという間に数十万丁が製造されてるんだから
たかが刀で同じことができないと思うほうがおかしい
>>355 以前読んだ愛国系の本に、
日本はシナに金銀硫黄を輸出していたと書いていたが、
銅銭と同じく、鉄はシナから輸入してたってことか?
そういや日本刀は実は船を安定させる荷物として積んでて
大陸側は溶かして加工する為に使う屑鉄として輸入してただけで
大陸からは武器としての利用価値は無いと見なされてた
なんて珍説書いてる奴見たことあるわwwww
>>370 実際あれだけ輸出されてるのに中国で日本刀ってほとんど現存しないらしいでな
運んだのが倭寇で専売制とか何それだろうし、棒鉄の親戚として輸出されてた可能性は否定出来ないらしいぞ
鋼材として別の用途に使ったとか、倭寇の力を弱めるために武器を日本から買っては捨ててたとかいう説もあるな
鉄鉱石を大陸から輸入→刀に加工→鉄材として輸出
中国人には日本刀の素晴らしさが理解できなかった?
敵が使ってるときは強そうでも案外扱いにくいってのはありそう
あんなにデリケートな武器が長い歳月を経てそうそう残っているとも思えない。
戦闘で消耗されたか、保存できないまま赤錆の棒になったか、それとも打ち直されたか。
倭刀・苗刀と中華テイストが加わってったな。自国風にアレンジするのは他の国も同じか
初めは倭寇の武術研究して見返してやろうず!だったんだろうが、いつの間にか
国内の一武術になっちまった
>>374-377 刀も自動車やらの機械と同じでアフターサービス付きじゃないと売れないってところだろうな。
380 :
名無し三等兵:2012/03/14(水) 05:56:19.04 ID:/NdEn8NM
歴史群像で沖縄の装備が実は日本から輸入されたものだったことが描いてあったな。
>>371 武器として消耗した後に溶かして鋼材として再利用したんなら何も矛盾は無い
十三妹なんかは日本刀が武器だしな
それなりに知名度はあったんだろうな
>>366 湾曲してる=騎乗用ってどういう理屈?
ササン朝ペルシャは長い直剣を馬上で使ってたけど、
特に問題は起こってないよ。
フン族もササン朝からパクって使っててそれで大帝国を築いたしな。
確かに太刀は騎乗用から発達したけど、
当時ですら歩行時でも使ってたし、
打刀はさらに軽くなり、また曲がりが弱くなって突き刺しやすくなり、
二本の脚で歩く足軽が使いやすい改良が施されてるよ。
>>378 明軍の倭刀研究がそのまま継承されなかったのは王朝交代も大きいと思われる。
鄭成功の鉄人部隊ってのが中国における日本刀の最後の活躍かな?
中国における日本刀の最後の活躍は日中戦争だな
>>387 ゴメン。中国人が手にした日本刀のってことを言いたかった。
香港映画で現役だろ
日本の創作だとるろ剣の縁とか鬼哭街の主人公なんかがいるね>大陸風の武術で日本刀使う
研ぎ師とか打ち直し担当とかのアフターサービス係を派遣しなかったのが失敗か
いくらメンテしても道具は使えばへるもんだよ
使いまくった戦国時代の鉄砲は残ってないが、使わなかった刀は残ってるみたいな
鉄砲は錆びやすいからな
つか刀は残すだろ
>>371 刀に限らず中国のあの時代の武器って現物がどの程度残ってるんだろうか?
>>393 あの時代のもので残ってるのは所謂名刀銘刀の類だけだぞ。
398 :
名無し三等兵:2012/03/18(日) 06:32:13.64 ID:/pS5iJ31
日本人と中国人で几帳面さとか違うからな。例えばベトナムで故障ばかり起こしたM16を米兵でなく日本兵が扱ったら
あそこまでひどいことにはならなかったのと同じような結果になるだろうよ
朝鮮の役では、明軍は「我々には大砲があるが、日本にはちっぽけな鳥銃しかない」と蔑んでいたが
実際に戦闘になってみると、日本軍の鉄砲に相当悩まされている
当時の明軍には鉄砲はあったが、それは三人一組で扱うというもので、日本のそれより運用方法で圧倒的に劣っていた
だから鉄砲での打ち合いでは、常に日本側が優位に立ち。明を圧倒された。
明は朝鮮の役の後に、鉄砲の部隊を結成したのも、鉄砲の実戦での効果を認めたからだな
400 :
名無し三等兵:2012/03/18(日) 13:28:38.99 ID:ZwQ4XCvC
>>396 大躍進と文化大革命で屑鉄にするか破壊するかしちゃったでしょう。
大砲って炸裂弾の性能が上がるまではたいしたことないんじゃないの。
なんか攻城用とか海戦用とかがメインって感じがする。
402 :
名無し三等兵:2012/03/18(日) 14:19:13.75 ID:/pS5iJ31
半島も日本の鳥銃を真似しようとしたがとても劣るものしか作れなかったという事はその当時の半島人自体が認めてる。
長い戦国期に日本の技術水準は彼らのはるか上を行ってしまっていた。
403 :
名無し三等兵:2012/03/18(日) 14:32:39.54 ID:4SYNPSAG
【明治19年における国別牛馬飼育頭数(第三次農商務統計表)】
▽馬50,000頭 牛1,000頭
北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉
▽馬50,000頭 牛10,000頭
青森、岩手、秋田、千葉、長野、新潟、岐阜、宮崎
▽馬10,000頭 牛1,000頭
山形、東京、神奈川、山梨、愛知、富山
▽馬50,000頭 牛50,000頭
熊本、鹿児島
▽馬10,000頭 牛10,000頭
静岡、石川、高知、福岡、佐賀
▼馬10,000頭 牛10,000頭
福井、徳島、愛媛、長崎
▼馬50,000頭 牛50,000頭
大分
▼馬1,000頭 牛10,000頭
滋賀、奈良、大阪、香川
▼馬10,000頭 牛50,000頭
三重、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口
▼馬1,000頭 牛50,000頭
京都、和歌山
明には16世紀の始めにヨーロッパから大砲が伝わり
明で独自の改良が為されている。
大型のものはさすがに野戦に用いる事はなく、城の攻防に用いられたようだが
小型のものもあって、それは野戦でも用いられていた
弾も炸薬はなくても、散弾を用いるものとかあり、野戦に用いられていたようだ
>>399 明軍の鉄砲はヨーロッパ人にも理解できない構造をしていたらしいな。
フロイス「日本史」
・ところで彼らの鉄砲エスピンガルダはどのようにして発射されるのか
不可解である。というのは、無数に発砲した後も、そのための死傷者が
一人も出なかったからである。
407 :
名無し三等兵:2012/03/18(日) 17:47:25.47 ID:OGRT5ttd
日本に火打ち石式の銃は伝わってると思うんだが普及しなかったのはなぜ?
西洋でもマッチロックからフリントロックへの切り替えは三十年戦争頃でしょ。
フリントロックによって射撃間隔を短くさせる効果があったみたいだけど、
もう江戸時代に突入した日本ではあまりありがたみが無かったからじゃない。
>>407 発射時の振動が嫌われた、とか
良質の火打ち石がなかったから、とかいろいろ言われてるけど・・・。
まあ、大きな戦乱がなかったから火縄銃からの装備更新に迫られなかったというのがホントのところじゃ。
フリントロックの最大の長所って戦列組んで密集できることだろ。
戦列歩兵の概念が入ってこないことには装備更新なんて起こんないよ。
江戸時代の偉い人が火を使わない銃など信頼できるか火打ち石を使ってこその銃とでも言って横槍入れたんだろ
フロイスが言うには秀吉にホイールロック式のが献上されてる。
手榴弾みたいな焙烙火矢ってのは実戦に使われてんの?
>>415 じゃあホイールロックの馬上筒とかあってもいいね。
まあ騎乗射撃の需要がそんなにはなかった(伊達くらい?)からわざわざコピらなかったんだろうけど。
>>407 日本の火縄銃は瞬発式だし、かなり完成度の高いものだったというのもあるだろうな。
銃身も長いし、平滑銃としては命中精度は最高クラス。
現在でも前装平滑銃の競技大会が行われているが、上位入賞者は種子島銃およびそのレプリカを使用している。
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/thesis/ronbun_20110422_2.pdf さらに後期のパ−カッション式以降の雷管で強制的に薬室内の発射薬を燃焼させる方式とちがって、フリントロックは鶏頭(撃鉄に相当する)が落ちてから発射までタイムラグが
多少なりともあるから、強力なスプリングで火打石を激突させる振動で命中精度が落ちるという欠点がある。
フリントロックの伝わった頃は日本では鉄砲は集弾戦法と言うよりすでに砲術と言われる個人技の世界に入っていた時代というのもある。
マッチロックはともかくホイールロックは構造が複雑すぎてなぁ・・・
棒火矢は今で言う重擲弾筒かグレネードランチャーみたいな使い方ができそうだが、たしか発明されたのが江戸時代に入ってからだよね
江戸時代には多種多様な銃が開発され、現在には残らなかった大型の銃が存在していたよ
一般にライフルを日本語で小銃と呼ぶのは、この大型の銃が大銃と呼ばれていたからその名残に他ならない
いまの迫撃砲のような運用がなされていたようだな
棒火矢は火薬で発射する焼夷弾みたいなもんだな
大塩平八郎の乱で使っていたような・・・
>>419 NHKで忍者の古文書を収集している研究者の人が
棒火矢に毒煙を発生させる仕掛けを組み込んで撃つことも
考えられていたなんて言ってたな。
江戸時代には、幕府は各藩に対して兵器の研究を禁止していた。
だから銃の発展は停滞したのだろう
それに、しょせん技術とは戦争が起爆剤となったり、他の社会との交流と対立が発展の重要な要素となる
徳川政権は非常に上手く行った政権だったし、鎖国を続けて外国との交流を制限していたから先端技術の発展の歴史も止まったのでしょう
>>416 使われてたも何も村上水軍の主力兵器のひとつじゃなかった?
>>418 ホイールロック銃を含む贈物を携えたインド副王使節が来たのは天正十九年だから
個人技の時代にはまだ早い。天下人にとっちゃ異人が贈ってよこした珍品程度だったんじゃないかな?
十分過ぎる武力を持った人間にとっては新兵器の開発なんて興味の外だろうから。
>>409 フリントロック、少なくとも軍用には、その手の装具は無かったかと。
1813年のドレスデン会戦の二日目は雨の中での戦いになり、
両軍共にフリントロックマスケットの射撃が出来ず、銃剣で戦われ位だし。
射撃を封じられた敵歩兵に対するミュラ元帥の騎兵突撃が、
何時も以上の成果を上げると言うオマケ付きで。
雨覆いは雨多い日本ならではの発明ってこと?
428 :
名無し三等兵:2012/03/18(日) 20:23:29.94 ID:rcl7gUii
>>399 東アジアの軍事革命では、俘虜日本兵、降倭部隊に鉄砲部隊組織させて
対女真戦で威力を発揮させたとあったな
>>425 ホイールロック式は機構が複雑すぎて、火縄銃をあっというまに国産化した日本人にも手が余るシロモノだろう。
鉄砲は数を揃えなければならないわけだし。
より機構的に単純で実用的なフリントロックが伝わったのは江戸時代に入ってから。
江戸時代に平賀源内がフリントロック式のライターを作ったりしてるから、こちらは技術的には問題は無かったと思う
雨覆って、江戸時代に入ってからの発明じゃなかったけ?
実際問題、野戦で使うのは難しいだろうなあ。
そもそも荒天でなくとも火縄に火種を維持することを腐心しているような有様だったわけだし。
>>430 信長のころからあるという情報もあるけど出典が不明。
なんか小和田先生の本っぽい。
みんなよくツッコミも入れないで我慢できるな
多いなら仕方ない
434 :
名無し三等兵:2012/03/18(日) 20:55:15.10 ID:/pS5iJ31
>>428秀吉に恨みを持つ雑賀集とかが朝鮮側に寝返ったとかな
鳥銃は倭刀と同様戚継光が研究してたと思うんだが
結局その成果は生かされなかったのか。
そもそも雨天じゃ弓矢も使えなくなるんじゃないのか?
>>436 なんで?洋弓やっているけど、扱いがやや面倒になるだけで支障なく打ってたけど。
雨天で使用したら湿気を含んで弓そのものの寿命が縮まるとかならわかるけどね。
でもそれは錆びが生じやすくなる刀槍鉄砲にも言えることだな。
使えなくなるというほどではないが飛距離や威力は落ちそうだな
「雨の中嶋」じゃないけどそういう悪天候での戦を得意とする武将とか軍師はいそうだなw
>>411 おかみさんが毎朝カチカチやってるのに?
442 :
名無し三等兵:2012/03/18(日) 23:13:14.14 ID:/pS5iJ31
そういえば今の洋弓てものすごく力いるけど昔の弓に比べ威力とかはどうなんだろう
メアリー・ローズ号から回収されたロングボウは、平均で張力150〜160ポンドくらい。
今の洋弓より遥かに高い。
>>441 それ、時代劇の悪影響受けてるよ。切り火は一部職業の習慣だよ・・・
>>442 ロングボウとかに比べれば、競技用のアーチェリーは引きが断然軽い。
威力は矢じりが大きく関係するから・・・競技用の物(洋弓・和弓とも)はゼロに等しい。貫通力のみ。
米国製の狩猟用のコンパウンドボウ+狩猟用矢じりだとまた事情が違うけど。
>>435 いや、後年倭刀と鳥銃装備させた軍でモンゴル破ってる
>>444 トルコ弓ですら最大600mくらいなのを考えると凄いな
>>447 「飛ばすだけの矢」と「飛ばして相手に当てて殺傷させる矢」は別物だよ。
銃弾だって同じ・・・。
コンバウンドボウは、弓を引き絞った時に滑車の左様で弦力が半分に落ちる
これによって狙いをつけやすくなり、命中率が高まるメリットはあるが
特別、弓が強いとか無いと思うが
>>442 競技用の弓の弦力は30ポンドくらいだが。
対人用の弓がどれくらい必要かは知らないが、ほぼ人と同じ体格の鹿やイノシシを仕留めるのにも50ポンド以上の弓が要求される。
敵の甲冑ごと貫いたと言われるイギリスのロングボウ部隊が用いていた弓になれば100ポンドを超えるお化けみたいなものだし
現在の競技用に用いられる弓は、殺傷能力はあるでしょうが。戦闘に用いるほど充分なものがあるとは思えない。
鉄の弓が見たいなあ
日本の和弓は木材と竹を組み合わせた合成弓だが
ヨーロッパの合成弓の中には金属を木材に金属を組み合わせたものもあったはずだ
腕力による力の入力と、歪みが戻ることで矢が加速される出力の変換効率を高めようとしたら
こんな構造になるんかね
455 :
名無し三等兵:2012/03/19(月) 14:55:03.44 ID:8/HSzrU8
石弓はそれ専用の器具で弓をひかないといけないからね。でも実戦では普通の弓に圧倒されてしまう。
ジャンヌダルクが活躍したイギリスとフランスの戦いもそうなったはず。フランスが圧倒されてる。
クレシーの戦いとアジャンクールの戦いだな
発射速度(初速ではない)が全然ちがうからな。
仏:傭兵 クロスボウ=1分間に2発
英:自由農民兵 ロングボウ=1分間に6から10発
もっともロングボウも両手の長さが異なるようになるくらい修行させないと使いものにならないが
なんで唐突に弩の話が
>>455 実戦でロングボウがクロスボウを圧倒したのは、知っていると思うが双方の連射性の差だが。
しかしロングボウなど、100ポンドを超える弦力の弓だから、そうそう引けるものではない。
大型獣の狩に用いられる80ポンド以上の弓でも、そこそこの力持ちでも簡単には引けるものではないからな。
弓兵たちには、長期間の訓練が必要だな
軍板の特徴なのかやっぱ刀剣よりクロスボウや弓の話題の時のがスレが進むなあw
460 :
名無し三等兵:2012/03/19(月) 22:24:44.53 ID:8/HSzrU8
>>459これで日本の弓の評価がくわれれば相当いい流れになるのだが。蒙古襲来の研究とかでは日本の弓は非力としてるのが多い。
どうもこれは戦中の日本軍戦車の武装の非力をイメージした創作ともいわれてるが
こういうのが
165 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/15(日) 15:17:07
戦後の元寇研究がインチキだということを示す例に、武士の弓の性能が、元軍の
それに比べて、著しく劣っていたという話がある。
これは、黒田俊雄が中央公論社の『日本の歴史8 蒙古襲来』の中で書いていること
なのだが、読んでみると何故か日本の弓の「有効射程」と元軍の弓の「射程」を
比較している。
P98〜99
「ところが、元軍の矢は二町(220メートルぐらい)ほども射程があるので、
(日本側の矢は有効射程100メートル以内とみてよい)、味方にたちまち二人
手負いが出た。景隆らは城(といっても簡単な館だが)にたてこもって防戦
したが、衆寡敵すべくもなくついに城の内で自害した」
「有効射程」が「射程」より短いのなんて当たり前じゃん・・・
更にこの「日本側の矢は有効射程100メートル以内」という話も、まったくの根拠不明。
文永の役で、武士は一町(110メートルぐらい)の距離から正確に元兵を狙撃して殺し、
大笑いしたという記録だってあるのだ。
戦後の歴史研究者たちは、武士に悪意を持って印象操作しているとしか思えねーぞ。
弓の威力は大雑把にいって、張力で決まるわけだが、日本の和弓はどれくらいなんだろう?
元寇のころだと、三枚打弓だと思うが、これの一般的な張力がわかればいいんだが、まともなソースを見たことがない
>>462 実験考古学の人たちが最近、いろいろ試してるね。
新聞で読んだものだと大和朝廷時代の丸木弓を再現実験してた。
それでも弓道有段者ですらかなり手を焼いたそうで・・・。畳は貫通したと書いてあったけど。
英国長弓に関しては、実験や実物から相当調査されてて、英語版Wikipediaなんかエライ詳しいのに、和弓に関してはまともに調査されてないのだろうか?
そもそも、弓をよくわかってないのか射程=威力だと勘違いしてる人が多すぎる。
射程なら矢を軽くすれば伸びるわけで…
>>464 国内でも鏃の研究をしている人はいるようだ。
「刺さる」ではなく「切り裂く」効果を狙っているんだよね。
どうしても矢本体は重くなるから、射程が犠牲になるけど。
和弓に関しては弓道用の競技弓が標準になっている関係もあるんじゃないかな?
戦闘用の本来の和弓は事実上存在しないでしょう。
イチイの木、一本で作られた長弓みたいに素人で作れる物でもないだろうし・・・。
鏃でも弓矢の性能は変わってくるとおもう。
意外とかつての日本は鉄の一大産地だった(鉄鉱石じゃなく砂鉄から製鉄する時代は)んで、強度と重量のある鉄鏃を他の国より量産していたかもしれない。
時代がくだっても鏃は青銅が長く使われていたというはなしもあるけど・・・
うろ覚えだが戦国時代の弓で20kgが標準で30kgあったら強弓と呼ばれるとかなんかで読んだ記憶が
>>465 466
鏃次第で威力は変わるだろうね。
特に重武装の相手に、よく飛ぶが軽い矢を当てても効果が薄いのは、明白だから射は差ほど弓の強さに影響しないと思う。
>>467 張力30kg程度しか無かったら元軍のコンポジットボウの足下にも及ばない…
三十三間堂の通し矢で使われた弓も20kg台後半だし、徳川慶喜が使っていた弓も30kgくらいだからあながち間違いではないかも
速射性と扱える兵員の多さを重視したためにそこまでの張力でもないのかな?
「弓馬の道」とか言うぐらいだから武士の大半が弓を持ってたイメージがあるんだが
確か律令制の防人も弓兵が主力だったよな
>>三十三間堂の通し矢で使われた弓も20kg台後半だし
1日に何千本も矢を放つ競技の為の弓だからあまり参考にならないんじゃない。
そもそも竹という天然素材だけで、どれほどの弾性を確保できたのだろうか?
素材的な限界、ってのはなかったのかな?
竹も繊維方向だと引張強度が軟鋼の1/3〜1/2ぐらいはあるからなぁ
で、どんな弓矢もしくは弩がストッピングパワー最強なんだろうか?
つってもやっぱ、速射性とか命中精度とか射程とか威力とかマチマチで一概にこの弓矢こそ最強!!ってのは言い切れないんだろうな。
それぞれの弓矢の威力、銃弾みたく「マズルパワー〇〇ジュール」とか数値化してくれると比較しやすいかも。
弓矢は魅力あるけど、決定的戦力じゃないのが、残念。
逆に考えるとクレシーの戦いであそこまでボコボコになったフランス重騎兵ってあまりにもマズすぎる戦い方をしてるような気がする。
弓の場合、張力だけ強くても
復元速度が加速傾向にないと矢が先にすっ飛んでちゃうわけで
射手の腕次第でも変わってくるし、弓と矢の重量の相性もあるしで
中々簡単な話じゃないらしいな
>>469 その30kgって劣化した末のもんじゃなかった?
ましてや実戦しなくなった江戸時代のものだし。
調べても出てこないが鎌倉時代や室町時代のものは
もっと張力が強かったんじゃないかな?
こんなんあったぞー
>291 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/03/18(日) 22:14:52.24 ID:???
>蒙古襲来絵詞を見てみると、元軍が用意した盾を和弓から放たれた矢が貫通してる。
>大陸では盾として有効だったかもれないが、和弓では防げなかったところをみると
>やっぱり、通説の「先進的な蒙古軍に圧倒された武士団」というのは有り得ないね。
少なくとも当然自国の弓に対応可能な盾を準備するだろうから、和弓のほうが強かったんじゃない?
使ってる矢が軽いだけかもしれないけど
三十三間の通し矢に使う弓胎弓は戦国末期以降のものだし
競技用に改良したものですら張力が精々30〜40kg程度で
使用する矢も実戦用より軽いものだということを考えると
やはり鎌倉〜室町時代に一般的に使用されていた弓は
同時代の他国の弓に比べて劣る代物だったのでは。
最大射程と有効射程の違いを指摘する声があるがその「有効射程」を比べた上で
和弓→80m前後
モンゴル弓→300m
ロングボウ→350m
トルコ弓→400m
というデータがあったし
モンゴル弓→300m
これで鎌倉武士を倒せたの?
倒せないから負けたのでは?
>>479 元寇スレで同じ事言ってみろよ、一瞬で論破されるから
鎌倉武士側がアウトレンジで元軍を圧倒したというソースプリーズ。
483 :
名無し三等兵:2012/03/20(火) 11:37:08.30 ID:AMuascjz
張力
和弓→「最大でも」50ポンド(江戸以前のものはもっと低い)
モンゴル弓→100ポンド
参考:ロングボウ→200ポンド
弓の張力を比較すれば自明の理なんだが、中高生には難しかったかな?
眉唾モノの伝承じゃなくて科学的に考察しなきゃね。
50ポンドって22kgくらいだぞw
弓道の競技用だってそれくらい使ってる奴いるわww
485 :
名無し三等兵:2012/03/20(火) 12:02:21.06 ID:wYvbJunJ
ワロタ
弓道部だったが30kgを見たのが最大だな
戦用ならもっとあるはず
旧宮家復帰を支える右翼団体『日本青年社』が暴力団『住吉会』系であることは国会でも証明されている。
136-参-地方行政委員会暴力団員…-2号 平成08年06月06日
http://kokkai.ndl.go.jp/ ○有働正治君
【質問】警察の方にお尋ねします。日本青年社の最高顧問・西口茂男なる人物は、住吉会とはどういうかかわりがありますか。
○説明員(植松信一君)
【回答】日本青年社最高顧問・西口茂男と、住吉会会長の西口茂男については同一人物と見ております。
水野孝吉・救う会新潟=『日本青年社』総本部・時局対策局長=「NPO新潟海難救助隊・隊長」
小林楠男・小林会(『住吉会』系)会長=『日本青年社』会長
西口茂男・『住吉会』会長=『日本青年社』最高顧問
結論。巨大暴力団に食い込み、金を搾り上げて権威を与える「旧宮家」連中など日本の、いや人類の
恥であり、日本人の名に値しない。暴力団排除法にもとづいて社会から追放するべき。
>>459 優れた兵器が作れられてから、それを生かした戦闘教義が作られる
兵器の優劣を語らず、軍事を語ることは出来ないけど?
>>461 弓矢の有効射程距離など、せいぜい50Mくらいだろう。
それ以上になれば、そうそう当たるものでもない
オリンピック級の選手が使用している弓は40ポンドから50ポンドらしい
このクラスの弓では狩猟用としては、キツネなどの小動物を仕留める程度だ
人間とほぼ同じサイズの鹿を仕留めるのは50ポンド以上は必要だから、戦闘で用いられる弓は最低、このクラスが必要だろう。
手元の資料によれば80ポンドの弓で鹿を仕留めた際、矢は鹿を後部から縦に貫き地面の石を砕いたそうだ
百年戦争で用いられたイギリスのロングボウは120ポンドもあったと言うのだから、当時の鎧に用いられている薄い金属板を貫いたのは頷ける話だ
カルピニの記録によるとモンゴル弓は
張力が75kgで「有効射程距離が」200〜300mってなってた。
ホンマかいな?モンゴル人目良いから普通に当ててきそうだけどw
あと和弓は二人張り〜三人張りが(中には五人張りとか十人張りとかいう化け物もいたが)
普通だったけど、これだと引きの強さはどんくらいだったんかな?
そもそも戦国以前の弓で現存してる物って殆ど無いんじゃね。
>>490 蒙古軍は毒矢をよく使ったそうだから、軽傷でも倒せるという意味の
有効射程距離じゃないかね
>>477 昔の絵画なんてほとんど当てにならないから参考にはしないほうがいい。
ヨーロッパの絵画でも、弓が鎧を貫通しているものは多くあるが、
実際貫通は困難というのが、最近の実証や研究での流れ。
>>479 483
上にもあるように射程(有効、最大どちらでも)は威力とはさほど、関係ない。
英語版wikiにもあるが、150 lbf張力の英国長弓で53.6 gの矢だと328m飛ぶが、
95.9 gの矢だと 249.9 mしか飛ばない。
しかし、重装甲の敵を相手にしたとき、後者が使用されるだろう。
あと、ロングボウでも張力200lbなんてものは、流石にないと思うぞw
>>491 英ロングボウもたまたまメアリーローズ号から当時のものが発見されたから正確な張力が判明したけど、それまでは憶測に頼るしかなかったからねえ
外国人の記録見ると、日本刀に関しては大陸の兵を鎧ごと真っ二つだの
簡単に首を斬り飛ばしただの数多くのキチガイじみた記録がある一方で
和弓に関してはどれだけ飛んだとか威力はどんくらいとか
そういう詳しい記述が残ってないとこを見ると
外人から見てさほど特筆するほどのものでは無かったんかな?
上側でけえええええ
合成弓なのに長弓かー
とか感想はありそうなもんだが
ニコニコに和弓と英国長弓を比べてみた海外番組の動画上がってたな
威力とか、どういう人達がどういう風に使ってたかとか
両方とも現在の再現した弓だが、和弓の製作過程なんか見せてくれて面白かったよ
探してみたらyoutubeにもあったけどな製作過程
或いは「あんなもんを馬上で使いこなすとかマジキチ」とかな。
ただ気になるのは武士達は騎射の際、右側の敵はどうやって射てたのだろうか?
前方射や左方射は勿論、押し捩りとかいう後方射が出来たのは確かだが。
遊牧民みたいに右手でも左手でも自在に持ち替えて射る訓練とかしてたのかな?
で、当時の武士にもスキル身につけるのがめんどうすぎるから
>>325-326みたいな話になる
>>498 入木になってるから持ち替えは無理。
右手に持っても弓返り出来ないし。
>>496 むしろ自分はロングボウの凄さにびっくりだわ。
トルコ弓みたいな複雑なコンポジットボウなら兎も角
ロングボウってイチイの木を削り出しただけの原始的な単弓なんでしょ?
なのになんで100g近い鏃を200mも飛ばせるとかアホみたいな性能持ってんだよw
イチイの木が優れてるのかね
丸木弓は強さの調整ができなくて困るらしいが
その辺はやっぱ弓兵なめんなって事なんだろう
弓の構造を複雑にすると量産きついです→人間改良すれ。丸木弓ならご家庭で作れるお
>>501 詳しくはわからないが、イチイという素材は相当弓に向いているようで、
芯材と辺材の硬さの違いから複合弓のような性質があることが強みらしい。
特に英国長弓に使われるセイヨウイチイは特に弾力性がよく、現在イギリスでは輸出禁止らしい。
この辺詳しくないので、らしいを連発してしまって申し訳ないがw
メアリーローズで見つかった百数十張の弓が、イギリスの一般的な弓なら
世界最高の威力を持つ弓だろうが、僅かながら見つかっている他の弓をみると
それほどの張力はないので、一般的と言ってしまっていいかは疑問。
弓道とアーチェリーを少しやった個人的経験から言うと150lbの弓なんて人間に扱えるものとは思えないw
歩兵弓専門で訓練半端ねえってのはヨーマンどもくらいしか居ないんかね?
射程も短くて威力も無い和弓でどうやって元寇追い払ったのか不思議なんだけど
左副元帥は自軍が射程で勝ってる癖に日本軍の射程にわざわざ入って射倒されたって事?
>>507 軍板らしからぬ疑問だな。個々の兵器の性能やスペックが勝敗に直結しないことは明白。
増して、この頃は所詮人間同士の戦いだから、弓の射程で勝るほうが一方的に打って勝つなんてあり得ない。
そこまで和弓がしょぼいとすると、鎧との発展のバランスがものすごく歪だな
射程が短い=威力が無いってわけでも無かろう。鏃は重いのを使ってたし。
増してや、張力や飛距離のデータはあくまで
「競技用のものから割り出した概算値」に過ぎないし。
小口径強装弾を短銃身で撃つのと
大口径弱装弾を長銃身で撃つの
どっちが有利かって話に換言してもいいんじゃないか。
戦闘原理があまり差がないから、他とえば弓などが多くは劇的な差はないが。
工兵で城砦を作り。騎兵で高速輸送、移動して
鉄器の能力とその保有量がきめる。
戦いだろ。
もっとも時代、時系列としてはほぼ古代〜中世などは国により極度に分度差がありすぎるため(たとえば日本以外ではごく一部地域しか工兵を確立してない)
からその時代系ってのがない。そしてその時代の装備、戦術もない。
いわゆるカタパルトが〜は末端だよ。メジャーでもない。
>>510 どうも射程=威力と思ってる人が多くて困るなw
鏃や矢の重さで射程なんて大きく変わるのは、
>>493で書いたとおり。
ところで、日本の鏃が他国のものよりも重かったってどこでわかったの?
あと「競技用のものから割り出した概算値」って何のこと?
ロングボウやモンゴルの合成弓は、実物や記録から推定されたものだけど。
和弓のこと?
ローマ時代の複合弓を復元したら半端ない威力と飛距離が出たがそれが西欧で廃れたのはやはり教会の影響や西ローマが無くなったからかな?
ローマ崩壊によって通商路が途絶して材料の木材が入らなくなったからとかじゃないか?
半端無いってどれくらいよ
>>496 上側でけー、は魏志倭人伝にあるな。
ずいぶん昔から上下非対称の構造だったらしい。
それは半端ないな
>>521 スペック的にはバケモノ。
しかし、ローマ軍の弓の教練は180M先の柱に向けて射つのみ。野戦では歩兵が壁を作りその後方から弓を敵のド真ん中に向けて乱射してたみたい。
>>509 他国に比べしょぼい弓矢しか作れなかった。
→それを防ぐ為だけなので重いばかりでしょぼい鎧を作ってたというかそれしか作れなかった。
ごく自然な事だと思う。
その割には元寇直後に甲冑の防御力が改良されたなんて話はないな。
元軍の矢が日本と同じくらいショボかったのかもな。
大陸の鎧は刀で斬られるくらいしょぼいって話がよくでてくるがほんまかいな
日本側も優れた元軍の弓を採用したって話は無いから当時の弓は同レベルなんじゃない?
>>525 柳成龍という朝鮮の役当時の宰相がこう書き残している。
「懲秘録」
日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
>>527 これって西洋のフルプレートよりも重いって事かな?
装着して動ける程度の鎧じゃ刃が通るって事か
>>528 まさかとは思うが長槍の刺突に耐えられる鎧を作ったのでは?
>>518 この理屈だと時代が下ると共に
和弓の竹部がどんどん増加していったことの説明がつかないわけだがどうなのよ
532 :
名無し三等兵:2012/03/20(火) 22:01:37.60 ID:l5oMpQV9
>>482NHKの歴史発見とかでやってたな。元寇一回目の教訓ででかい弓矢を作って
海上の元軍の船にアウトレンジ攻撃を加えて上陸を妨げたらしい
>>532 興味深い話だが文献上の裏づけってあるのかな?
元寇に備えて刀の作風が薄くて切れ味だけ重視したカミソリみたいになって
元寇が完全終了したらまた厚みがでて頑丈な作りに戻るあたりからして
元軍の鎧がスパスパ斬れたのは確かなんだろう
>>531 しなりまくる柔らかい竹でも想像したんじゃない?
>>495 当時の記録では、明軍は日本軍の鉄砲隊には手を焼いている
明にも鉄砲はあったが、それはとても実戦で用いられるようなものではなく
日本軍の鉄砲の掃射には、一方的に打ち破られている。
明軍もこの戦いの後で、本格的に鉄砲隊を作り、遊牧民族と戦っているのだからな
弓の存在は、その影に隠れてしまったのではないの?
当時の日本軍は欧州全ての鉄砲を合わせたより多くの鉄砲を保有していたほど
飛び道具には鉄砲を主力としていたからな
>>532 最近のテレビ番組は質が落ちたよね
そんな事実検証番組を作るテレビ局は、NHKくらいになってしまった
まあ、もともとNHKは、そういう方面は強かったけど
当時の日本の合戦は、互いに名乗りあって戦うってものであり
元寇のようなスタイルの戦いは始めてだったから、それには手を焼いただろうが
しかし当時の将軍たちが日本軍の強さに驚愕しているとの記録もあるし
元軍の戦いのスタイルに馴れてからは、日本軍も相当、善戦しているのでしょうね
まあ、当時の鎌倉幕府は三十万の兵を動かせたと言うから、元軍十万に充分対抗できたでしょうが
>当時の日本の合戦は、互いに名乗りあって戦うってものであり
>>524 むしろ、騎馬武者も従者が着てる胴丸や腹巻を装備して機動力を上げてるくらいw
これは南北朝時代に入り下馬して戦う機会が増えたからと言われてる。
>>526 それは単純に材料の問題じゃなイカ?
まあ、元の弓について当の武士達が特に言及してない以上
さほど差は無かったと見ていいかもしれんが。
>>527 唐入り中に日本側の記録である武士が「明の鎧は刀も矢も通さないほどに強固だ」とか
フロイスが又聞きで「明の鎧はあの日本刀でさえ通さなかったという」と記した記録もあるから
もしかしたら、そういう丈夫な鎧が一部の実戦で投入された可能性もあるかも。
ただ、たとえ刀や矢を防げたとしても唐入りの時は鉄砲があるからなあw
>>531 というか中世の頃は日本人もイングランド人も大して体格に差が無かった
という事実無視して、中世の武士達を貧弱と決めつけてるわ
四人張りとか文献の記述を「ただの誇張」と決めつけてるわで・・・。
まあ、実際に当時の強弓再現して実験したデータが無い以上何とも言えないが。
>>538 元軍側があいつら段々増えてくるから撤退しようぜって言ってるくらい日本側は集団戦してるんだぜ?
542 :
名無し三等兵:2012/03/20(火) 22:24:09.89 ID:l5oMpQV9
>>533テレビで見ただけだからどうともいえないけど文献にもあったような口調だったな。
丸一日寄せ付けなかったと言うことを断定してるくらいだし
>>532 上陸するタイミングに陸側から矢を射かけられたら、応戦してこれを破るのは中々難しいぞw
まあ文永の役でも烏飼潟で矢合わせした際に武士側が
寡勢にも関わらず互角以上の勝負に持ち込んでるから
従来言われてた「和弓は圧倒的に劣ってる」ってのは違うかもね。
>>538 それ俗説。
当時の武士が名乗るのは戦の前に味方に対して。
実際には一騎打ちはメッタに起こらないケースだった。
>>540 柳成龍によるとその明軍が刀を相手にこういうことになっている。
日本側は日本側で、明側は明側で相手を手ごわいと考えていたのではなかろうか?
柳成竜『懲録』
このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。
(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、
これと衝突激闘しても、(長刀を)左右に振り回して切りつけられ、
人も馬もみな倒れ、敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
和弓が劣っている説というのは戦後になって出てきたんじゃないか
仮に劣っていたとしても、圧倒されるほど劣っていたのではないのだから撃退できたはずで。
火縄銃とエンピール銃ほどの差はないだろう。
性能差が三八式とガーランド程度のものだったら、あとは戦術と数、そして補給で勝敗が決するうだろうな。
当時の和弓の張力等がわからないから何とも言えないが、カルピニが言うようにモンゴルの166lbsもある合成弓相手ならとても勝てるとは思えない。
>>542 ググると弘安の役は博多に侵入した際には
元軍は防塁を見た時点で上陸を諦めて、進路を変えて
で、その後の壱岐や志賀で本格的な戦闘に突入してるってなってたお。
モンゴルは鎧しょぼいのに弓めっちゃ強いのな
根底にあるのは狩猟の都合か
というか高麗兵や南宋兵はモンゴル式の装備だったのか?
当時の日本には飛び道具として鉄砲がありながら、弓も存在したのは、鉄砲が弓に取って代わるほど凄いものではなかったからに他ならない
何もこれは、日本に限ったものではなく、欧州で十五世紀の終わりに銃が発明され、それが戦場から弓を完全に駆逐するのは十六世紀の末になってのことだ。
要するに当時の鉄砲より、弓の方が威力・速射性・射程距離など、全てで弓に劣っていた。
有利だったのは、銃より弓の方が技量が必要なく、兵士が簡単に使う事が出来たくらいだな
つまり日本の弓も、当時の鉄砲より使用が容易な事以外は、全てで鉄砲を凌いでいた
>>549 モンゴル軍が強かった理由の一つは、軽騎兵のみで統一されたその機動性の高さだ。
弓も騎馬の上で行うものであり、大きなものなら扱い辛いだろう
>552
実はモンゴル騎兵の4割が重装義兵
カルピニさんだってよく磨かれた金属鎧を着た騎兵を見たって言ってなかったっけ?
×義兵 ○騎兵
>>531 そもそもイチイの木は全世界に分布してるからなあ。
日本でも古くから色んな用途に使われてるし。
セイヨウイチイだってイングランドだけにあったわけじゃないし。
イングランドに自生してたイチイが例外的に弓の素材に向いてたって事かな?
>>547 というか単純に思うんだが、そこまで強い弓って人間の力で引けるんもんなんかな?w
今のモンゴルのナーダムで使われてる弓は当時と同じもんなん?
558 :
名無し三等兵:2012/03/20(火) 23:19:00.37 ID:WGkU0Zap
>>551 同意。鉄砲が弓に取って代わったのは兵士の訓練期間によるもの。
鉄砲なら短い訓練期間で済むが、弓だとそうはいかない。
>>558 矢の生産よりも銃弾の生産の方がラク
とか
矢は敵方に再利用されかねないが銃弾のそれは難しい
とか。
火薬の補充という問題もあるけど、弓矢だって実際のところ補給は容易じゃないしな・・・。
硝石が出る土地なら補給に関しては鉄砲の方が断然楽だろうな
初期の火薬は木炭、硫黄も使ってたのを忘れずに。
あと小便石とか馬糞とかねw
>>545 劣ってたかどうかは知らんが、色々ググってみたら
今でも物好きな人は30kgどころか40〜50kgの引く人もいるみたいよ。
そういう強弓に拘るのは弓道の世界じゃ邪道みたいだけど。
まあ、何にせよ昔の武士が更に強い弓引いてても不思議じゃないんじゃないかなあって気はする。
少なくとも20kg程度が標準って事は無かったんじゃない?
564 :
名無し三等兵:2012/03/21(水) 01:45:54.46 ID:YL5OTWJn
南北朝に入ると、身分の高い武者も大鎧から歩兵の胴丸を改良したものに
変わってるけど、これは上級の武士も下馬して戦う機会が増えたからってことでいいのかな?
平安〜鎌倉時代の大鎧は馬に乗ること前提の設計だから案外徒歩では動きにくいとか。
>>557 14世紀にイングランドではイチイが足りなくて輸入したくらいだから、イングランドのイチイが特殊ってことはないと思う。
あと、166lbsもある弓なんか引けるのかという疑問はもっともで、経験者としては人間わざとは思えないW
>>563 多分、日本の弓もそれなりの張力があったと思うのだけど物証がないと何とも言えないんだよ…
メアリーローズで大量に当時の弓が見つかったイギリスが羨ましいね。
掻楯を並べられたら矢で破壊するのは難しいよな。
考証本か何かに鏃の部分が丸い鉄球のようになっている矢があるような情報を見たことあるんだが、
ああいうのが実際に使われていて掻楯に対して功を奏したかどうか知りたい。
>>556 今、ナーダムで使ってるのは大体40kgくらいだってさ。
それでもかなり鍛えてないと引くのは難しいとか。
>>566 鏃の素材はやっぱ鋼製だったんかな?
鏃に関する工夫といえば、日本の場合は腸抉りが有名だね。
焙烙火矢は竹の弾力を利用した装置で飛ばしたそうだが、
同じ原理の投石機はなかったんだろうか?
それだったら掻楯も破壊できるんじゃないのかな?
>>545 弓がどうかは知らんが、少なくとも元寇のときに、武家政権が無能で防備もできず、日本が圧倒され
ていたのが、公家と坊主の祈祷で神風が吹いて逆転ってストーリーには、色々と思いを寄せたくなる
信条の持ち主がいるんだろうか。
普通に上陸を意図した敵を撃退しただけなのに、あえて「神風」というキーワードを入れたい人、
そのキーワードを入れる事で古い日本人や武家を馬鹿にしたい人ってのもいるんだろうね。
投槍器とかスリングとか150メートルとか射程ある。って聞くがこれは最大射程なんかね?
投槍器やスリングは廃れたのに弓は残ってるってことは、弓にはもっと射程あったように感じるが。
>>569 ただ、一方で元寇の勝因と弓の性能はあんま関係ないかもね。
文永ではどんくらいの距離で矢を打ち合ったかわからないし
矢合わせそのものに関しては双方が勝利を主張してるし(寡勢で互角以上に持ち込んだ時点で凄いが)
弘安だと斬り合いになることのが多かったみたいだし。
武士が強かったことは疑いようの余地が無いけどこの戦いでは和弓の性能はよくわからない。
勿論、現代の弓道や徳川慶喜の弓を引き合いに出して
「和弓は中てにくいし張力低いし威力も無い欠陥品」と断ずるはあまりにも暴論だが。
>>570 日本では戦国時代までスリングの石投げ部隊が現役だったよ
戦国時代の投石の様子を描いた絵画史料なんて残ってるのかね?
元冦、弘安の役ではかの有名な防塁が大活躍してたとおもう。
>>574 因地打ちとかならけっこう残ってるんじゃなかったっけ?
でも戦国よりもうちょっと古いかな?
武田の投石部隊は結構有名じゃね
>>577 有名なんだけど細かな装備とか装いがどうだったのかとかは伝わってるのかねえ。
三方ヶ原の戦いなんかを見ると相手を殺傷するというよりは挑発するような使い方のようだが。
>>570 スリングは自作して、一時趣味で投げてたのである程度語れるかな。
弓もやってるけど。
素人でも100mは飛ばせる。200m超って話もある。紐を長くして、礫の形状を整えれば夢物語ではないだろう。
ただ、技術の取得は弓以上に困難だよ。数をそろえて敵集団に礫を放り込むことは出来るけど、ピンポイントで狙うのは困難きわまりない。
スリングよりも弓、弓よりも銃のほうがずっと習いやすいね。
>>565 奉納されてる奴の中には偶に「寸弓」とか言って張力が推定60kg超えの奴もあるんだが
使用された形跡が無いため奉納用として作られたという見方が強い。
一方で、同じタイプの奴を使用してた記録もある。
というか強弓を引く奴の記述ではしばしば「寸弓」って表現が出てくるw
現代の和弓に関しては例えば柴田勘十郎って人とかが、40〜50kg超えのものを作ってる。
こういう弓は弓道の作法よりモンゴル式の射法のが射やすい模様。
尚、昔の武士の絵巻物や日置流開祖の人の射法はモンゴルのカルカ式そっくりだったりする。
因みに今の和弓は概ね応仁の乱〜江戸のものとほぼ構造は同じ。
平安〜鎌倉時代のものがどんなもんだったかはなんとも言えない。
ここまで書いてやっぱ当時実戦で使ってた実物が残ってるイングランドやトルコ弓が羨ましいなw
刀になると古刀が数多く残ってるんだけどねえ。
真柄さんの大太刀みたいに実戦で使用された形跡がある奴も多いし。
>>577 武田の投石隊は金堀衆とかいって、城攻めの際の工作部隊も兼ねて無かった?
石投げ部隊すげえwww
ハンマー投げが室伏で時速110キロ前後だけどこっちは凡人ではありえん数字だわな
>>569 元寇を布教の手段として宣伝したのは誰か?そいつを開祖とする宗教団体は何処か?
ほら見えてくるだろう。
地方によって違いがあると思うが
日本では、スリングは「石もっこ」と呼ばれていたな
>>586 日蓮さんがそんなことをしたのか?
マラトンの戦いでは、ギリシャ軍はペルシャ軍の弓部隊に対して、歩兵の一斉突撃を行っている。
先頭集団を中心に相当、被害があっただろうが
しかし弓兵は懐に飛び込まれると、ひとたまりもなく倒されていった。
強弓を扱うには、かなりの腕力が必要でしょうが、白兵戦となれば別の体力が必要となる。
弓兵は接近戦では戦えないって事ですね
>>570 投槍が廃れたのは事実だが、スリングはさほど廃れたようには思えないが
いまも現役でパレスチナゲリラなどが使っているし
それに弓が発明されたのは、先史時代に大型獣を狩りつくしてしまった人類が、ウサギとか鹿のような小型の獲物を狙いを代える必要に迫られたからだ。
小型の獣は、大型の獣より遥かに敏捷であり、槍では対処が難しかったので弓の発明に繋がったとの説が有力だ。
実際、人類との競合の歴史が長いアフリカでは、大型獣は人類の後でも生き残った。人類にある程度、対抗できるだけ進化していたからだ
そのせいで、弓よりも槍が長く用いられてくる事が多かったし、投槍機を用いた投槍の技術も発達し、弓の必要性が低かった地域もあった
パレスチナゲリラって投石器使ってるんだ。
旧約聖書の世界と逆になってるのが皮肉だな。
確かにペリシテ人がユダヤに石投げる構図かw
投石機はどうか知らんが、抗議行動とかだと頻繁に石投げてた印象があるな
593 :
名無し三等兵:2012/03/22(木) 13:13:36.57 ID:7OofzN8/
>>588 インダス河畔で強制徴兵された弓兵がギリシャで死にたいと思うか?
ヘンリー5世の弓兵は接近戦になると軽装歩兵となり杭を打つハンマーで重装歩兵や
重装騎兵を殴りつけた。
弓兵ではないが、戚継光は配下の銃手に日本刀を装備させて北方の蒙古との戦いに
戦果を挙げた。
戚継光『紀効新書・長刀解』
武士には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。その勢いを止められない。
武士の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を
備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm 隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
>>593 m2twでロングボウ部隊が接近戦用の武器にハンマー使ってたけどそういう事だったのか
596 :
名無し三等兵:2012/03/22(木) 20:21:21.96 ID:7OofzN8/
>>594 加藤清正は朝鮮の役で鉄砲隊には足軽笠だけで後は防具つけなくていいと言ってるね
鎧通しがサブウェポン。
てかここ中世のスレだたお…
いや、古代・中世のスレですが。
>>593 よく考えてみると柵作り用のハンマーとか斧で戦う事になるよな
弓兵部隊の装備考えるとコスト的にも重量的にも近接戦闘用にわざわざ剣や槍揃えるのは厳しいもんな
ロングボウってやっぱり過大評価なのか
というかプレートアーマーが過小評価だったんじゃない?
よく転んだら云々言われるが、実際には結構動ける代物だったし
百年戦争前半の時点でプレート率どれくらいなんだろ
転んだら立ち上がれない云々も重量そのものよりは重量分布の方が問題だったのかも
100kg超のデブでも転んでも立ち上がれるし
200kg超のデブだとどうする
ギネス記録級のデブは立ち上がれないんだったと思うが、200kgぐらいならまだ大丈夫だろ
馬上槍試合限定仕様のそれこそ一人で動けないようなごく重い甲冑と、戦闘用のアーマーが混同されている傾向はあるようだ。
プレートアーマーより現代の歩兵の装備のほうが重い
逆に日本の大鎧は意外と重くて動きにくい。
というのも、そもそも馬上で使うこと前提だから。
故に南北朝以降になると身分の高い武者も、胴丸や腹巻といった
それまで歩兵が着てた軽い鎧を着るようになる。
>>598 そもそも本来は弓自体が接近戦でも十分に有効な武器
それが接近されると総崩れになるのは弓兵側が接近戦を恐れてパニックを起こして自壊するため
逆に良く訓練されて自壊しない弓隊に無謀に突進した場合は歩兵側が壊滅させられている
>>612 >逆に良く訓練されて自壊しない弓隊に無謀に突進した場合は歩兵側が壊滅させられている
具体的にはどの戦いで見られるだろうか?
>>613 612じゃないが、百年戦争のイングランド軍は完全に含まれる。
聞いてない人から全然具体的じゃない答えをいただきましたw
具体的な会戦なら色々あるが、代表的なのだとアザンクール、ヴェルヌイユ、にしんの戦い。これらの戦いでは弓兵が歩兵の突撃を受けて白兵戦に持ち込まれてるが撃退して圧勝してる。
逆にネヴィルクロスのように、白兵戦に持ち込まれて装甲兵は押しとどまったが、弓兵が戦線を維持できずに敗走してしまった例もある。
なんかこのスレ見てるとマスケットの戦列歩兵より圧倒的に弓が強そうに見えるな
一発あたりの単価も一丁あたりの単価もクロスボウがマスケット銃より安くて
訓練期間もクロスボウが短く済んで
クロスボウの方が天候に左右されづらいはずで
射程も発射速度もクロスボウの方が優れていたのに威力しか同時代のクロスボウに勝ってなかった(クロスボウも騎士殺しとして使用禁止になるだけの威力はあったのに)マスケット銃が何故クロスボウを駆逐したのか
619 :
名無し三等兵:2012/03/23(金) 18:09:17.07 ID:k8K528gL
>>615は
>>613の自分じゃないんだがw
で
>>613での引用が不十分だったんで訂正というか補足だが、
一番気になってるのは
>そもそも本来は弓自体が接近戦でも十分に有効な武器
という点。
>>616にあるような戦いでは接近戦での弓の活躍が見られたの?
それともさっさと白兵戦に移行したの?
>>618 必ずしも射程威力射撃速度でクロスボウが勝るわけでもない
勝るようなシロモノは張力が鬼なんで射撃速度が劣るわけで
逆に射撃速度が同等だと威力はかなり劣る
正確に飛ぶ度合いでなら球弾のマスケットに勝るだろうけど
弾速が遅いので精密照準するには高い技量が必要で
それでも大して遠くが狙えるわけでもない(ボルトの空力上100mがせいぜい)
これに銃には大きな音量という威嚇効果もある(馬には特に効く)
>>619 ロングボウの射撃が何処まで有効だったのかは、今だ議論がされていて確実なことは言えない。
アザンクールでは取り敢えず騎兵の突撃には有効に機能した可能性が高い。問題は装甲歩兵相手で、最近だと多分直接的な損害は少なかったと考えられている。至近距離からの射撃である程度被害は与えられたが結局は白兵戦で勝利したと思われる。
ヴェルヌイユでは、フランス軍の一翼をベトフォード軍が射撃と白兵戦で撃退したあと、そのまま追撃せずソールズベリー軍と交戦してたスコットランド軍の側面に突撃して撃破。スコットランドを撃破したのは、射撃ではなく弓兵と装甲歩兵の白兵戦。
上記のとおり、弓兵が弓にを使って接近戦に強いというより、イングランドの弓兵が近接武器で強かった感じ。
クロスボウは攻城戦で有効そうなイメージはある。
投石器もクロスボウと原理的に大きな違いがあるわけでもないし。
野戦だと悲惨だけど。
それバリスタじゃね
歴史がすべてを証明してるってのはわかるんだよね(´・ω・`)
でも張力60kgとかのロングボウが徹甲矢ボドキンで装甲騎士を殲滅してるわけで
足踏み背筋力で弦を引くクロスボウなら60kg程度容易く引けるじゃない?装填完了まで20秒かからないと考えていい
マスケットに優越してると思うんだけど
どこかに威力射程当時のコストや軍団編成とかの良いデータないかねぇ
マスケットは金属加工業者の領分だから
競合相手は剣とか槍とかじゃね
>>626 いやボドキンじゃ胸甲はまず抜けないのが実証試験で証明されてる
あれは鎖帷子の継ぎ目をふっ飛ばして刺さるもので鉄板は抜けないの
んだから、まともな胸甲を抜くような矢は
>>622のページにあるように
20kgの弓の10倍以上のエネルギー、単純に考えても200kg張りになるわけ
そういうクロスボウだと一人で簡単にとはいかんのよ
板金を貫通できるような、滑車を使った大型クロスボウだと一分間に一発撃つのが精一杯だったと思う
そげなものは最早スコルピオンの小型だな。
確か米国での復元実験で山のフドウみたく矢が串刺しになった動画がようつべにあったような…
おフランスの重騎兵相手ならまず馬を射て、下馬した甲冑騎士がオタオタ歩くところを更に射て
ゼエゼエ言いながら陣地に来たのをみんなでタコ殴り、ってのが基本じゃねぇのかな
投石機じゃないけど五輪メダリストクラスの砲丸投げで700Jオーバー、室伏ハンマーで3000Jオーバーって凄いな
ハンマー投げはライフル並みの威力か
弾丸の断面積が全然違うが
ハンマーだと貫通してこなくても運動量でかいから吹っ飛ばされて中の人も大変だな
アジャンクールの戦いでは馬から落ちた騎士が弓兵のハンマーで頭を潰されたりしてたな。
ナイフで喉を掻っ切られたり。
もともとは杭を斜めに打ち込んだあと先を尖らして騎兵突撃を防ぐ用途で持ってきたようだが
板金鎧を貫通して一矢で死亡させる必要は、必ずしも無いのでは?
>>631氏がおっしゃるように、馬を無力化すればもはや「騎兵」ではなくなるわけだし、
頭に当たれば貫通しなくてもそれなりのダメージにはなるだろうし。
あと、全身ハリネズミ状態になった板金鎧って、さぞ動きにくいだろうな。
一分に一発しか撃てないなら、一発で10本撃てばいいじゃない
>>628 胸甲って火薬兵器が普及した時代の胸甲?だったら弓くらい防げるのは当然では?
639 :
名無し三等兵:2012/03/25(日) 08:11:04.91 ID:YPuhBK6v
>>635最近漫画とかも随分と描写が正確なんだな。ハプスブルグ家のスイス支配の
漫画があるがそんな感じだった。剣で切り殺すと言うよりも殴って首の骨を折る
とか。
640 :
名無し三等兵:2012/03/25(日) 21:25:46.56 ID:wHMkBJcn
金とか元の時代に作られたロケット花火みたいな火薬兵器って
どれだけ役に立ったんだろうか?
>>640 大きさや威力、射程距離にもよる。
巨大なロケット花火的なロケット弾ならばワーテルローでウェリントン将軍率いる英国軍も使ってる。
ロケット兵器は18世紀インドのハイダ-アリ、ティープー・スルタンが改良、大量使用という戦法をあみだした。
第二次マイソール戦争でイギリス軍はマイソールのロケット砲部隊により大損害を被った。
スリランガパタナ砦攻略戦では、後のワーテルローの英雄アーサー・ウェルズリー大佐率いる攻略側・イギリス軍部隊に対し集中射撃を浴びせ、犠牲を強いるとともにパニックを起こさせ、撃退した。
朝鮮はウリジナル多連装ロケットの火車を自慢してるけど
あんな軽そうな矢で威嚇以上の戦果を挙げれたのだろうか
>>643 家屋や村落への火付けには使えそうだと思ったwww
このスレ近世ありなのか?
旧宮家復帰を支える右翼団体『日本青年社』が暴力団『住吉会』系であることは国会でも証明されている。
136-参-地方行政委員会暴力団員…-2号 平成08年06月06日
http://kokkai.ndl.go.jp/ ○有働正治君
【質問】警察の方にお尋ねします。日本青年社の最高顧問・西口茂男なる人物は、住吉会とはどういうかかわりがありますか。
○説明員(植松信一君)
【回答】日本青年社最高顧問・西口茂男と、住吉会会長の西口茂男については同一人物と見ております。
水野孝吉・救う会新潟=『日本青年社』総本部・時局対策局長=「NPO新潟海難救助隊・隊長」
小林楠男・小林会(『住吉会』系)会長=『日本青年社』会長
西口茂男・『住吉会』会長=『日本青年社』最高顧問
結論。巨大暴力団に食い込み、金を搾り上げて権威を与える「旧宮家」連中など日本の、いや人類の
恥であり、日本人の名に値しない。暴力団排除法にもとづいて社会から追放するべき。
648 :
名無し三等兵:2012/03/26(月) 10:16:19.39 ID:ScxfK409
>>643 大量投入できれば効果あるんじゃね?
隊列組んだ歩兵や騎兵のど真ん中にぶち込めば、列くずれまくるだろうし
>>649 これだけ見ると「火車って使えそうじゃね?」とか思えてしまうw
>>645 >>646 ロケット弾で話が少しズレただけだろ。
ロケット弾の威力や射程距離が分かれば元に戻るべ。
ロケット弾が中世から存在したのがいけないってことだな。
ロケットって銃砲より歴史が古いからなあ
近世とは西洋ではルネサンス以降。
日本では中央集権的な武家政権があった時代と不明瞭。
戦国時代からなのか安土桃山からなのかがわからん。
>>655 中国は明代。
日本は確実なのは安土桃山以降。
しかし、戦術や兵器は戦国時代からのような…
中国の区分は京大派と東大派がなんか揉めてたはず
古代・中世・近代に分割して、近世をあえて区分しない場合もあるしなあ
学術的な定義はともかく、このスレも向こうのスレも「銃の存在」を
>>1が挙げている時点でそれは絶対条件かと。
とりあえず日本は応仁の乱以前、西洋はルネサンス以前でやる?
過渡期の話も結局参考情報として言及されるのに変わりないわけだし
あまり厳密に考える必要もないのでは
百年戦争では、よく訓練されたロングボウ部隊は、一分間に六回矢を放つことができたが、
クロスボウ部隊は、一分間にせいぜい一回くらいしか矢を放つ事ができなかった。
ましてや、当時の先込め式の銃は、射程距離や威力など、全てで弓に劣っていたのだからな
銃が優れていたのは、訓練が弓より格段に必要なかったことだけだ
結局、大量運用できなければ、当時の銃の価値は低く、どこの国でもできるってものではなかっただろう。
この銃の価値に気づいた、信長の才幹は対してものだけどね
百年戦争時のヨーロッパと信長に何の関係が?
このクロスボウとロングボウの比較はよく聞く話なんだが、クロスボウ側の兵士は訓練されていたのかな。
錬度が違うなら単純に比較できないような気がするんだが。
アジャンクールの戦い以前にフランスがロングボウに大敗したクレシーの戦いでは仏側クロスボウ兵はジェノヴァ人傭兵。
>>662 >ましてや、当時の先込め式の銃は、射程距離や威力など、全てで弓に劣っていたのだからな。
>銃が優れていたのは、訓練が弓より格段に必要なかったことだけだ
細かい所突っ込むようで悪いが、弓より銃の発砲音が及ぼす心理的影響、そして威力においても勝ってそうなんだが。
射程距離も銃のほうが上だし
当たらない? 山なり弾道で公算射程度なら銃でだってできるし
弾速が圧倒的に速いから命中界全然広いし
弓道の試合見ればわかるように
弓だって距離あったら狙い通りに飛ぶもんでもない
>>664 同じような射撃武器だけど運用方法が違う兵器だから
練度以前のところで比較できなかったりする
100年戦争の頃じゃまだハルケブスも無いだろ
>>670 フス派の戦術は火砲によるストッピングパワーが特に優れていたというわけではなく
騎兵の衝撃力をターボルという車陣で防げるという陣地構築の妙にあったと思う
ただしこの時点での騎兵は発砲時の轟音にそれほど耐性はなかっただろうから
仮に飛距離や殺傷力が同程度の弓や弩でも全く同じくらい勝てるとは言えないのだけども
農兵でもさほど訓練を要しないフレイルを用いて砲兵の護衛としてセットで運用しているし
ヤン・ジシュカという人は如何に訓練の出来ない兵で戦うかという事について天才的な閃きを持ってるな
>>667 乱射による面制圧能力。
西洋で面制圧大好きなのはイングランドやローマ。
しかし、いくらいい弓で矢もホドキン使っても射手にはそれなりの素質と練度が必要。
ローマは市民権を餌に属州から志願者なら選別してる。イングランドはどうなんだろ?
>>672 古代ペルシャも面制圧でしたね。
テルモピュレイの戦いの前、
「ペルシャ軍の弓攻撃は矢が太陽さえ隠す」と聞かされたスパルタ兵が、
「ならば、我等は日陰で戦える訳だ」と答た話しが『歴史』に。
逆に、弓による狙撃なり精密射撃の有名な戦例は何んだろう?
つ 那須与一
弓矢で面制圧ってできるのん?
大砲とかなら「出れないよー怖いよー」ってなるのは分かるけど、弓矢は弾着しておしまいって感じじゃないかな。
盾をかざして前進とか普通だから
逆に言えば無いと前に出づらいかもしれんよ
>>675 後世ならともかく、このスレの時代の砲で面制圧は無理そうな気が。
下手したら景気付けだし・・・
弓の面制圧は射手の練度と数しだいかな?
>>673 戦例ではないが中国の前漢で設置された射声校尉が狙撃部隊を率いてるね
この部隊は「音さえ聞こえればそこを狙い撃ちできる人」という意味で
「射声之士」と呼ばれる特に射撃に優れた兵を選りすぐり集めて率いたと漢書百官志にはある
実際にどんな運用されたかは全く不明で装備や数など実態もわからないけど
中国では伝統的に弩が弓よりも重宝されてるので恐らくは弩兵部隊かなと推測される
弓って実際どの程度精密に狙えるんだろうな
猟師にとっては飛ぶ鳥落とすくらい別に普通だみたいな話以前何かで読んだが
俺は弓矢での面制圧というのは眉唾だと思ってる。
弾丸よりはるかにかさばる上に、装甲した相手には適中させなければ致命傷にならない矢を
大勢の射手がおおよその敵部隊の方向に射ても、十分な効力を発揮する前に矢が尽きるだろう。
それよりは各自が一射一射「狙って」射たほうが矢のコストパフォーマンスは高くなる。
制圧目的の一斉射があったとしても、物語や映画で描写されるものよりもっと小規模なものだったのではないか。
CG映画のアローレインは10倍増しくらいになってるわな
>>680 長距離だと精度が低いから、限定目標に集中射
それが瞬間的に面制圧
みたいな感じになるんじゃね
長弓だと角度つけてそれこそ弓なり弾道だし、個別の狙撃は不可能
指揮官あたりの指揮下の数と管制能力にも限界があるけどな
継続的に打ち続けるのはどう考えても無理やね
>>680 実際にポワティエの戦いでエドワード黒太子の軍は矢が尽きて普通に白兵戦してるな
ロングボウは面制圧ってよりも白兵戦指向の敵に接敵前の損耗を強いるという
前近代の弓などの役割を強調したものと考えるのがよさそうだな
和弓も50kg60kg引く人がいるなら張力射程測定くらいすればいいのに
歴史の科学的考証は日本では最近導入された学問だから日本は遅れてるんだろうけど
参考までに
現代和弓の最大射程が二百数m
日置流弓目録の弓術書には4町(432m)まで飛ばしたという記録
>>684 遺ってるものは数百年ものでどれだけ大事に保管されても経時変化その他で当時そのままではないこと
主要部分金属の刀槍ならあんまり気にしなくてもいいが、樹脂や繊維が多用されている鎧や、かけられた張力でものを飛ばす弓なんかは、正確な性能はもはや不明
俺は弓道やってたわけではないので弓道に人生掛けてる知人にいくつか話し聞いた時のことだが
速射や飛距離、命中精度の向上目指すだけなら現代の弓道のやり方でない方がいいとか言ってたな
下を向いて矢をつがえて上を向きながら引き絞ったり弦じゃなくて節の方動かしたりするような
現代では邪道とされる古流の方法が大分廃れてるとかなんとか
この話しが本当だったら当時と同じような製法で弓を復元しても
遠射の技法の方を復元しないと正しい実験結果は得られないかもしれん
ローマで投射兵器がメインの場合は軍団兵が拘束しつつ攻撃し、さらに後方から弓や投石機で攻撃。
弓大好きと言えばパルティアがいたな。
中世でもローマみたく野戦で焼夷弾を、ぶん投げてたのかな?ビザンティンは投げてそうだけど。
そもそも現代の弓道で、山なりの軌道で遠くを狙う競技なんて有るの?
>>688 地方の神事的なので、射距離を競うものもいくつかあったはず
何かテレビで見た記憶がある
>>684 >現代和弓の最大射程が二百数m
張力何kgでどれだけの重さの矢を使ってか条件が不明なのに二百数mとか言っても意味がない。
ちなみに普通の弓道をやってる人が使うような張力20kg以下の弓じゃ200mなんて飛ばないぞ。
何をもって、現在の和弓の最大射程が二百数mになるんだ?
確かにカルラエの戦いにおいては、パルティア騎兵はローマンレギオンを釘付けにしたといえるな。
そういう面では弓矢でも制圧可能か?
しかもさすがのテストゥード隊形でも弓矢が盾を抜いたそうで。
>>691 現代の弓道で一番重いとされてる30キロの弓じゃないの
そこまでみっちりした資料じゃないので
張力まで調べてるかは不明
>>692 パルティアやペルシャ、ローマ支援軍の弓は複合弓でしたからねぇ。
パルティアは矢だけの問題の為に駱駝の輸送隊を編成してます。
ローマも長期に及ぶ包囲戦では自らの手でオナガーやバリスタの砲弾を陣地で拵えてます。結局、今も昔も補給に関する問題は大切ですね。
>>692 あれって歩兵中心のローマ軍が騎射に徹したパルティア軍においつけなかったことにより
機動力と射程の差で一方的にローマが損害受けてる状況で弓による面制圧とはちょっと言い難いような…
被害の数で見るとローマは制圧どころか全滅してると言っていい状況だしな
>>695 確かにその見方もありますが、あの戦いはパルティアのカタフラクト騎兵の強さも考慮されるべきだと思います。
ローマ騎兵は周辺地域のものと比べやはり弱いものでしたが、ローマ歩兵は練度面でカタフラクト騎兵に対抗しうるものでした。
だから歩兵を制圧してまず騎兵を倒し、その後でじっくり足の遅い歩兵を追撃でなぶりたおす戦術はやはり弓騎兵による歩兵制圧とカタフラクトによる騎兵隊殲滅があって成り立ったのではないでしょうか。
つまりこの戦いにおいては一種の弓制圧が成功したんじゃないかと言いたいわけです。
>>696 距離と機動力という武器を使って歩兵を拘束してるという発想なら確かにそうだね
普段イメージする面制圧の雰囲気とは大分異なるので
>>695みたいな気持ちになるのも理解して貰えるとは思うけど
本質的ではなかったな
再び借りてきた戦闘技術の歴史古代編によると。
@…パルティア側が攻撃を仕掛けたように見せかけ矢を放ちながら後退。↓
A…プブリウス率いる分隊がパルティア軍を追いかけ本隊から引き離される。パルティア軍カタフラクトが正面を阻止し弓騎兵が包囲し分隊壊滅される。↓
B…夜までローマ側がカタフラクトと弓騎兵の攻撃を受け続け騎兵が苦手とする夜になり撤退。
>>698 プブリウス君カワイソス。
首切られて自陣に投げ込まれるんだっけ。
ローマ兵の末路も・・・ウッ( ; ; )
ってことは弓矢による面制圧は
@敵より優れた多数の射手
Aおよびそれを守る騎兵もしくは歩兵の存在
がいて、初めて可能になると。
しかもほぼほぼ成された事はなく、その数少ない例として、カルラエの戦いが挙げられると。
百年戦争ではなんかあるかな?
でもこれじゃあ弓矢による面制圧はほぼ不可能ってことになっちゃいますね。
こんな好条件そうは揃わないですから。
2の条件は「射手に対する攻勢を防御、もしくは軽減する手段の存在」にまで緩和できると思う
乱射好きなローマの場合。
軍団兵で壁を作りその後ろから弓兵、弓騎兵、投擲兵器で攻撃する。
パルティアもローマも潤沢な補給物資と補給線を維持してたから出来たと思われる。
702 :
名無し三等兵:2012/03/31(土) 06:09:32.20 ID:EPlSUBMw
ローマ軍がチンギス軍とやりあったら壊滅させられそうだな。相性悪すぎ
そりゃ時代が違いすぎるだろ
>>702 モンゴル軍のような戦術が普及してなかったからこそ重装歩兵が無双してた訳であって
パルティアの戦い方とモンゴルの戦い方ってどの辺が大きく違うんだろうか?
勝手に同じようなものだと思ってたわ。
モンゴル相手なら時代的にはビザンティンだろ。
ビザンティンは強いが兵は少ないし引きこもりがちなんだよなぁ…兵器・兵科・防壁は超一流だけど。
>>705 モンゴル軍の戦術は支配してる民族の軍団を活用することで大きく変わるから
どこが違うと言うよりもむしろ同じところ探しが大変
708 :
名無し三等兵:2012/03/31(土) 18:16:07.41 ID:I9tqq3Xn
>>706 テマ制による騎士制度か。
すぐダメダメになったじゃん。
>>708 それ以外にもトルコを喪失したのが痛い。
ギリシャ火薬とカタフラクトに頼り過ぎてたのかも。
710 :
名無し三等兵:2012/04/02(月) 16:09:16.43 ID:ZsbpqBT4
>>709 しょうがない。没落する国ってそんなもんだ。
カタフラクトの装備+西欧騎士の制度=日本の鎌倉武士だと思う。
カタフラクトだと馬にも装甲を施すから鎌倉武士とは違うかと。まだモンゴル重騎兵がカタフラクトに近いかと。
カタフラクトが進化したのが時代が違うけどポーランドのフサリアだと思う。
日本の馬は騎兵突撃できるほど強くなくね?
打ち物武者は突撃要員だろ
地勢的な要因からか騎兵による集団戦術は
さっぱり洗練されてなかったが
日本在来馬はポニーサイズ
鎌倉武士は馬から射てたじゃないか
太刀が長く反り返ってるのも馬上から斬るためだろ
徒歩戦中心になった後世だと短い打刀だし
つうか、近世になるがスウェーデンが体高約1.2Mの小型の馬で胸甲騎兵を編成し戦果上げてるから日本の馬でもパワーがあれば大丈夫だろ。
ソースは戦闘技術の歴史 近世編
>>716 ポニーっつっても牧場にいるような愛玩用の馬じゃねえぞ。
武士達が乗ってたとされる木曽馬は割と頑強で軍馬に適していた。
確かにナポレオンやグスタフアドルフみたいな本格的な大規模な騎兵隊の概念は無かったが
数十〜数百単位での乗り入れ=騎馬突撃の記述はしばしば文献に出てくるし
戦国後期には織田や北条なんかが独立した騎馬武者部隊を編成したりなんかもしてたよ。
>>720 スウェーデンの騎兵の運用は大きく分けて二つ
一つは竜騎兵として、一つは抜剣しての突撃
しかしそのどちらの運用も銃火器や野戦砲の存在が前提になっているので
鎌倉武士が戦闘でも応用出来そうに見えて実は出来ない
小型の馬でも胸甲騎兵として運用出来た例として上げたのでして。
鎌倉〜戦国の頃の馬は小型でも鎧武者を乗せて運用は出来たであろう。というコトで、現に木曽馬とかでも鎧武者を乗せられるんでしょ?
>>723 小型の馬でも騎兵として運用できるのは蒙古襲来絵詞のような
鎌倉時代の戦絵図を見れば一目瞭然だからその事はいい
ただ、火器の存在が前提になってるスウェーデン騎兵の例を出して
問題ないってのはおかしくないかね?
騎兵に銃兵を加えてさらに抜刀突撃をしたことが、当時のカラコール戦術に有効だったわけで
スウェーデン騎兵が別に強かった訳ではない。
グルタフも自国の騎兵の貧弱さを嘆いているし、30年戦争でスウェーデン軍にいた騎兵は
大型の軍馬を使用していたドイツ騎兵がかなりの割合で占められている。
グスタフのスウェーデン軍にしたって、騎兵一本槍のポーランドに完敗してるが
やはり敗因は騎兵の弱さ。
射撃してから抜刀突撃ってコンセプトが中途半端でよくない
どっちかに集中しる
ワールシュタットと前哨戦のトゥルスクとフミェルニクの戦いでモンゴル軍がポーランド軍破っとるがな
モンゴルの馬は木曽馬と同じ血統だよ
カラコールは全然役に立たなかったと、バート・S・ホールは言ってるが。
1、走りながら撃っても当たりにくい
2、敵の銃歩兵のいい的
3、短銃を撃つには歩兵銃よりも近づかなければならない。
こんな感じだったと思われ。
補完よろ。
龍騎兵役に立ってたよ派の主張としては
マスケットの射程もゴミだったので大差ないそうだ
俺は威嚇程度の意味しかなかったと思う
>>728 カラコール戦術は衝撃力が期待できないけど役立たずというのは言い過ぎのような
そもそも鎌倉武士も、楯突戦っつって最初は
騎馬武者も下馬して置楯のバリゲードから矢を打ち合って
相手が崩れたらそこ目掛けて突っ込むって感じだったからな。
数もコストも密度も射程も負ける射撃は意味無さそうだが
抜刀突撃の威力はそれなりにあっただろう
パイクがどんどん減ってく現実があるから、槍騎兵と比べるとアレだが
30年戦争の頃の竜騎兵は戦場では馬に乗っていなかったしカラコール戦術とは関係なくね
>>733 そうだね。
その頃の竜騎兵にはパイクマンも居たし、
スコットランドには盾を背負ったソードマンまで。
歩兵のマスケットに対抗する手段として、17世紀末にフランスで編成されたのがカラビニエ(駆逐騎銃兵)中隊で、
最大時は100個中隊の兵力を保有。
カービン(当時のフランスでは騎兵用ライフルの意味)を装備したカラビニエ中隊が騎兵突撃の第一線に展開し、
歩兵の射程外から一斉射撃した後に、そのまま抜刀襲撃へ。
その後に一般の騎兵が続いた。
最初に射撃し、最初に突入する事からエリート部隊とされ、
後に連隊にまとめられた際には、一般兵ながら近衛に次ぐ部隊として扱われた。
ナポレオンの時代には兜と胸甲が支給される様になったが、
「自分達の勇気が疑われた」として導入の際に渋る一幕も。
そういや、古代の軍には軍医や衛生兵はいたのだろうか?
古代ローマ軍団大百科によるとローマ軍には軍医、衛生兵、軍病院があったと書かれてるが。
>>736 タイムスクープハンターで一度やってたネタだ
ローマだと遠征先で湯治場まで作ってたとか
それギャグマンガ内での話じゃないの
>>735 wikiでは雑魚扱いだが
>騎馬騎銃兵(Carabiniers-à-Cheval):竜騎兵と武器や役割で類似。
>しかし、甲冑が軽く元々は胸甲を着けていなかったので、接近戦や白兵戦には向いていなかった。
>その結果融通性もなくなり、連隊数も少なかった(当初2個連隊)ので、竜騎兵ほど認識されていない。
>1809年にオーストリアのウーランによって打撃を被り、ナポレオンは甲冑を着けるように命令した。
>しかし、1812年のボロジノでロシア胸甲騎兵になすところなく敗れ、翌年のライプツィヒでは、
>ハンガリーのユサールを前に恐怖に震えることになった。
野営の為に砦レベルのものを作る連中だからなあ>ローマ
メディックの語源自体、ローマ軍の衛生兵MEDICVSから来ている
一応注意しておくが、この時代のラテン語のVはウだからな
エジプトに駐留するローマ軍の勤務表が古代ローマ軍団大百科に出てるが浴場と書かれてる。
浴場で働くのか浴場に湯治に行くのかはわからんが軍隊でも風呂は大切だったようだ。
そもそもローマ人自体が風呂好き
ラクダ騎兵とか象騎兵て地元じゃ活躍してたん?
ラクダ騎兵はベルベル人が使ってた希ガス。
中央アジアの乾燥地帯では重宝してたみたい
砂漠じゃラクダに乗るしかないだろ
そんなことはない
モンゴル人は今でも砂漠を馬で往来してる
同じ砂漠でもモンゴルは寒いだろ
中東は暑くてラクダじゃないとバテる
訓練されていない馬はラクダの臭いを嫌がったり恐れたりするらしい。
訓練されていない馬は人が乗るのを嫌がったり恐れたりするぞ
ラクダが馬に強いとかはシミュレーションゲームでも相性として反映されるくらいだから
それなりに有名だと思ってたが意外と知られてないのか。
>>751 中央アジアは基本的に寒いところじゃないか
>>754の例だけでラクダが馬に強いとは言えないだろ
たとえば平氏が水鳥の羽音に驚いて敗走したという有名な話があるが
これをもって西国武士は水鳥に弱いとはゲームでネタとして設定する事はあっても一般には言うまい
758 :
名無し三等兵:2012/04/06(金) 19:55:26.66 ID:F4svTiZy
759 :
名無し三等兵:2012/04/06(金) 19:56:23.29 ID:F4svTiZy
ミスった。
もちろんwikipediaだけじゃなくて「動物兵士全書」等にも書かれてる。
小屋を隣り同士にして臭いに馴らす等の対処法もそれに載ってたわ。
こういう古代中世の戦闘云々の話題ではほとんど常識レベルの話ってことだよ。
761 :
名無し三等兵:2012/04/06(金) 20:01:45.05 ID:2NZHPXQK
>>718 南北朝から応仁の乱ですべての武士が悪党かする中で
歩兵戦が主体になった頃の打物武者は太刀を二本持つとか
装備が凶悪になり槍の穂先も三角でさされると傷を縫えず
感染症で死ぬ様なシロモノになる。
戦国になると装備が統一されたり規格化されてそういうのは
なくなる。
すべての武士が悪党化?
>>759 そりゃ見慣れない物にパニックを起こしただけで常に発揮できるものじゃないだろ
馬に比べて駱駝にはこれらの欠点がある
馬より遅い・馬より大きい・馬より揺れるつまり騎射戦では不利
利点
馬より体力がある・砂砂漠でも速く動ける(砂砂漠はごく限られた地域にしか存在しないが)
>>764 『動物兵士全書』だったかにその馬より大きいおかげで馬が怯えるともあったな。
臭いはともかくこの点の克服は難しいだろうな。
そんな虚仮威しがいつまでも通用するとは思えないが
誰かさんみたいにラクダと馬の相性を知らない人がいて
対策をしない限り通用しそうだなwww
馬が臆病な動物だってことは乗ってる人間なら知ってて当然だろ
そして学習能力の高い動物だと言う事も
平氏がとか水鳥がとか威勢よく書いてた人とは思えないほど
論調が弱々しくなってきたなwwww
内容のまったくない煽りしかできなくなった人がなんだって?
関西人は水鳥に弱い
馬はラクダの臭いを嫌う
戦場に見慣れない敵が現れれば人間でもビビるわ馬ならなおさら
ソンムの戦いでドイツ軍が初めて見るタンクにビビった話とか聞いたことあるだろ
カエサルやポンペイウスも象兵を有していたが実戦では投入してなかったな。
名将の二人には必要無かったのか、名将でさえ扱いずらかったのかはわからんが。
774 :
名無し三等兵:2012/04/06(金) 22:41:43.43 ID:GNIDBqhx
汎用性がないので嫌ったんだろう
手間もかかるし。
そういえば象も軍馬をビビらせた実績があるな
教育/訓練された馬ってどこまで恐怖に耐えられるんだろう?
爆発音や炸裂音、火薬の臭い等には耐えられる。
訓練というか慣れさせれば象や駱駝とも一緒に運用出来る。
訓練というと象とウマーを一緒に飼うとかか
ハンニバルとかが象と馬を一緒に使ってたな
ポエニ戦争の話だと象はすぐ役立たずになったようだが
それどころかザマの戦いだと象さんが暴走して味方に突っ込んでエラいことに
>>762 武将単位では規格化されたってことじゃね
各々装備から陣中での規律まで定めてたから
象は意外なことにかなり知能が高い動物で、象が人間を襲う場合
その理由の一つは、人間の攻撃に対する恨みとの説がある。人間に使われるばかりではなかろう
加えて何だ。
犬に次いで家畜化の歴史の長い馬と違い、野生動物そのものの象を操るのは簡単なことではないよ
現代の東南アジアでは象をヤク漬けにして言うことを聞かせる荒業があるぞ。
それよけい危ないだろ
中東にはアサシン教団ってのがあってな…
B兵器だとペルシャ、パルティア、ローマが運用してたな。
蜂や毒蛇、蠍をツボに入れ投石機で投げてただけど。
この3国の毒蛇ってハブより危ないのが沢山いたような…
発情期で暴れてる雄とかすげーやばいまじやばい
でかいアフリカゾウは戦象になんかしてないぞ。
戦象に使ったのはもっと小さいやつだ。
アフリカゾウって馴化できないんだってね。
789 :
名無し三等兵:2012/04/08(日) 13:38:04.92 ID:H4DdgLBD
欧州のあの鎧は確かに強靭だが戦えないよねとか思ったな。マウスみたいなもんかと。
それに比べ日本の鎧はソ連軍戦車のようとか。モンゴルは鎖帷子。防具としてどれが
正解なんだろ
西洋鎧の材質が鋼になった後は矢を防ぐのに有効だったそうだ
もちろん鉄砲は防げないし、重すぎて自滅する局面がたびたびあった
792 :
名無し三等兵:2012/04/08(日) 13:54:45.96 ID:H4DdgLBD
>>790日本の侍がやるような刀を振り回したり出来そうもないが。槍で一直線に突き進むとかならできそう。
あと視界悪すぎでしょ
>>791 鉄砲出現頃の西洋甲冑では、鉄砲防弾、しかし弩は駄目よ、みたいなのが標準だったとも聞くが
弩は騎士が平民にばんばん殺されちゃうから禁止だったっけか
フルプレートアーマーでも重量は20kg程度なんだが
16世紀前半の最も重い部類に入るプレートアーマーのグリニッジ甲冑ですら35kg以下なのだから、
さほど運動するのに難しくない。
どうも、プレートアーマーは重くて使えないという神話に毒されてる人が多いようだ。
少なくともアジャンクール戦は
騎士が泥に嵌って軽装の英兵に苦戦したろ
今でもプレートアーマーのレプリカ着て木刀で殴りあう西洋剣道もどきをやってる人いるけど普通に剣振り回してるよ。
NHKの番組でプールに入ってたけどそれはさすがに沈んでた。
>>794 キリスト教徒同士の戦闘では使用を禁止していた時期が有ったと言うのは聞いた事が。
そもそも「重くて使えない」鎧が普及するわけないだろ
BBCの検証番組でフルプレきて運動したハゲが死にかけてたぞ
>>796 重くて使いにくかったのは事実
総重量40kg、50kg当たり前の世界だった
ただしそれは12〜13世紀頃の話
15〜16世紀にマクシミリアン式で同程度の防御力を
その1/3程度の重さで実現することに成功してからプレートの全盛期が始まる
軽くなった時代を例に出して重くないっていうのはばかげてる
当世具足も20〜30kgくらいあったでしょ
12〜13世紀にプレートアーマーはまだ無かったでしょ?
ホーバーク以上のものはコートオブプレートくらい。
13世紀の鎧など後半にならないと、板板の鎧が出てこないからもっと軽い。
マクシミリアン式は21kg程度で軽いが、グリニッジ甲冑は他の世代の鎧から比べても特に重い。
それでも35kgはいかない。
807 :
名無し三等兵:2012/04/08(日) 21:04:06.74 ID:H4DdgLBD
歴史群像では機能性とかで日本の鎧とかは相当優れてるとかかいてあったからそう思ってたがそうでもないのか。
飛んだりはねたり出来る日本の鎧とかさ。それで日本刀で殺すこと出来ない防御力とかすごいとか。
水の中に入ったときは、素材の差で日本の奴の方が浮きそう。
>>798 最近はウィキペディアの丸写しがソースになるのか?
その上、転載した部分の後には
ただ全身に均一に装甲されることから、訓練された騎士であれば十分な運動性を発揮でき、
馬に跳び乗る事もできたという。重量よりも問題なのはプレートアーマーは熱を溜め込みやすいことで、
兜を着けると熱が頭にこもって熱中症の原因にもなり得る。
とあるのに意図的に無視?
>>809 そのwikipedia以下の知識のヤツがいるから困るよな。
馬がラクダの臭いが苦手なことを知らないでヘイケガー、ミズドリガーとか
騒ぐヤツとかwww
臭いだけで騎兵が倒せるなら兵士にクサヤでも持たせとけよw
誰かマジレスしてやれ
兵士の装備重量はいつの時代どの文明でもたいして変わらん
上限を決めるのは戦闘行動ではなく行軍
>>809 だから水源が重要なんだよね。鎖帷子の十字軍も水源を押さえなかったから負けた戦いがあったような。
結局、近代になると全身より胸部・腹部を重点的に守るため日本は胴丸、西洋は胸甲になるんだよね。
>>805 コートオブプレートもプレートアーマーの一種じゃなかったっけ?
見た感じ結構プレート薄いね
そうしないと運動阻害されるんだろうけど
これだと鈍器で殴られると鎧の上からでも衝撃が伝わる
アジャンクールでも英軍の軽装歩兵に撲殺されたんだろ
プレートだけで防具が成立してるわけじゃないからね
板金の下に鎖帷子着込んでさらにその下に革鎧
そんでもってさらにその下に鎧下を着込んでないと
動いたら即座に体中擦過傷でえらいことになる
一撃も食らわない自信があるなら別に半そでTシャツで戦ってもいいんだぜ
半そでTシャツw
当時の騎士がプリントTシャツ着てるのを想像しちゃうだろ。
プレートの下は綿詰めホーバークだろ
肩で重量を支え動きが制限される鎖帷子は嫌われていた
あとプレートメイルでも胴を槍に突き込まれることも少なくなかった
17世紀のキュライスになると防弾効果もあったらしいが
>>822 ホーバークは鎖帷子のことじゃん
綿詰めは鎧下だろ
>>820 ええい。当たらなければどうということはない!
こうですか?
>>823 本来はチェインメイルのことだが
ドレスのように膝まで被さったコートを広義にはホーバークとも言った
>>826 え?
辞書引いてもそんな定義載ってないのだけど
どこでそのコートをホーバークと言うって広義の意味確認できる?
コート状になった鎖帷子ならホーバークに入るというのは
英英辞典等でも確認できるがそれはコートとは違うしな
何て本?
探して読んでみたい
武器屋って本
>>827のいう辞書ってまさか大辞林とかの代物じゃないよね?
どっちにしろ事典と言わない時点で専門家の監修ではないんだろう
それGambesonとかAketonっつーもんじゃねーの
英英辞書20ほど見比べても海外サイト見ても
Hauberkはある時代のchain mailの一形態という意味でしか英語圏でも認知されてないし
綿パッドの鎧下とは明らかに区別されて書いてあるぞ
その武器屋っつー本の監修もゲーム畑の人みたいだし単なる誤記じゃねえの
>>830 アマゾンでも販売元でも品切れだった
無念
北からやってきたノルマン人の着てたチェインメイルをホーバークといったらしい
古ドイツ語の首を守るものという意味のハルスベルガン→
古フランス語でホースベルク→ホーバーク
>>808 古式泳法の流派がいくつも残ってるし
実際フル装備で泳いでる画像や動画もあるからな。
ただ、陸上での動きやすさはどうだったんだろ?
837 :
名無し三等兵:2012/04/11(水) 13:01:23.85 ID:jZrUJ571
,, - ―- 、
,. '" _,,. -…; ヽ
(i'"((´ __ 〈 }
|__ r=_ニニ`ヽfハ }
ヾ|! ┴’ }|トi } 衆道をせんとや生れけむ
|! ,,_ {' } 男色せんとや生れけん
「´r__ァ ./ 彡ハ、 喘ぐ小姓の声聞けば
ヽ ‐' / "'ヽ 我がマラさえこそ動がるれ
ヽ__,.. ' / ヽ
/⌒`  ̄ ` ヽ\_
/ i ヽ \
,' } i ヽ
839 :
名無し三等兵:2012/04/11(水) 22:59:12.62 ID:JW0Zgswz
>>838 それはないな
東西問わず、時代が降るにつれて盾は使われなくなっていったのは
単純に重たいからだし。
ナポレオン時代の胸甲の重量ってどれくらい?
>>839 銃の登場のせいだろ
銃弾を防げて全身を有効に防御できる盾なんてまともに片手じゃ持てない
素材が発達すれば、警察の特殊部隊用とかで部分的にでも復活してるし
>>839 日本は戦国時代末期まで盾はバリバリ現役だったりする
盾は盾でも手に持つ盾じゃなくて置いて使う盾だけど
片手持ちの武器じゃ騎兵突撃に対処できん
>>842 掻楯の役割は竹束に移ってその後も現役だな。
関ヶ原の辺りだと竹束では銃に対して不足になったのか
鉄楯も作られている。
>>844 竹が素材として防御性能が悪かったのではなく重量が足りなかったのではないかと思う
軽過ぎて銃撃で簡単に動いてしまいそうだし
重り付けたりして事前に加工するんであれば体積を取らない鉄板に
取り外し可能な取っ手や支持機構を付けるものを持ち歩いた方が幾分効率的だろう
その当時って、どのくらいの大きさの鉄板が作れたの?
みんな数十cmくらいの小さい鉄板を並べて鋲止めしているじゃん。
昔は鉄は貴重だったのだよ
水滸伝に出てくる連環馬ってビジュアル的には強烈だが
実際ちゃんと機能するんだろうか?
馬車の場合、横二列x縦四列の八頭立てが実用限界
野砲なんかの戦場近辺で運動が要求される場合は六頭が限界
それ以上は訓練された馬と御者でも非常に困難
つまり三十頭を横に繋いで動かすなんて殆ど無理
牽引するものがない分馬車よりは多少増やせるだろうが
それでも三十頭は現実的ではないな。というより何の意味が?
30人31脚で突撃するようなもんだよな
当時のエンジンは8馬力が限度と言うことか
一頭あたり5馬力ぐらいあるとかも聞いたけど
もっともそんなに重い武器があるわけでもないからどうでもいいのか
>>853 武器はないけど荷馬車という存在がある
鉄道が通る前のアメリカ開拓時代には
最大8頭立てで12000ポンドを運ぶ幌馬車もあったそうだ
トルコのウルバンとかの化け物はどうやって運んだんだろう?
857 :
名無し三等兵:2012/04/13(金) 20:46:39.61 ID:HTbMwmU4
30牛力か。
連環馬を破るためにわざわざ鎌槍と熊手をコーチしてもらう
梁山泊無能杉だろ。
大型の攻城塔とかヘレポリスとか実際に動いてるの見てみたいなあ。
連環馬はそんな密集陣形じゃなくて馬と馬の間に鎖やワイヤーなどを張った状態で
歩兵や騎兵を引っ掛けて薙ぎ倒す戦術として考えるならそれ程非現実的じゃない
ワイヤーを切り株に引っ掛けて倒れる軍馬の群れが見えます
862 :
名無し三等兵:2012/04/14(土) 12:52:55.28 ID:y+pErFm/
カンネーの戦いでは、ハンニバルが包囲殲滅戦でローマ同盟軍を倒しましたが、
なぜ、包囲した方が勝ち、包囲された方が負けるのですか?
包囲した方が同時に攻撃に参加できる人数が、包囲される側よりも
多くなるからですか?
当時の歩兵は「前面」に対する陣形を組んでるのですが
包囲されると前面以外から全面攻撃されて陣形が機能せず
戦闘教義が根本から覆されるため集団としての機能を維持する包囲側に
一方的に屠殺されるわけです
包囲側は不利となったらある程度後ろに下がる余地があるのですが
(実際、ハンニバルの戦歴の中には包囲後に押し返されて引くこともありました)
被包囲側は一度不利になっても包囲の内側に下がることはほとんど不可能で
崩れたらそれっきりという状況ですので一度包囲されたら絶望的な状況だと言っていいでしょう
包囲された側が数的な不利をすぐさま被るというよりは
包囲の内側に大量の遊兵が強制的に発生するので
戦前の数的な有利も包囲後に失われると言った方が正しいかもしれません
864 :
名無し三等兵:2012/04/14(土) 15:47:37.94 ID:I3VkPDBF
流石人食いレクター
865 :
名無し三等兵:2012/04/14(土) 20:17:23.02 ID:y+pErFm/
>>863 大変分かりやすい解説、どうもありがとうございました!
非常に勉強になりました。
日本における実用的な騎兵の導入は五世紀初頭に高句麗に惨敗したのを契機にするというのが定説となっている。
そーなのか。坂東武者が初めと思ってたよ。
むしろ十分な騎馬を海上輸送できたのか
>>866 好太王の石碑ってやつか?
記紀には載ってないんだったか。
何にしてもそれは初耳なんだが。
自演までして必死だなあ、某半島が亡くなったら淋しくて死んじゃうんだろ
871 :
名無し三等兵:2012/04/16(月) 10:41:44.40 ID:pOnVMvWW
ところでなんで日本刀だけが「実戦では役に立たなかった」説があるの?
外国でも鎧着て戦ってた時代に似たような用途の為に作られてた刀剣はいっぱいあるのに。
とりあえず日本をdisれば頭が良さそうに見えると思ってる風潮
>>871 それはどこの国でも同じだろう。
刀剣が活躍できるのは城内などの閉鎖空間での戦闘のみ。
野戦においては弓=槍>>>>>刀くらいの実用価値だからな。
弓・・・射程距離が長いが、殺傷力が低く、多くの訓練が必要。
大量の矢を消費するためコストが高い。
槍・・・射程距離では弓に敵わないが刀を圧倒する間合いがある。
殺傷力は高く、少しの訓練でも使えるようになる。
また集団戦闘(特に密集隊形)で威力を発揮する。
コストは非常に安く、兵士の調達も非常に容易。
刀・・・射程距離が短く、屋内戦闘以外での活躍は見込めない。
殺傷力は中くらいだが、使うには非常に多くの訓練が必要。
長大な刀身を作るためコストがとても高い。
この後、射程と威力と携帯性に優れた長銃が登場すると弓と槍が姿を消すわけで、
さらに銃剣が普及するとサイドウェポンの刀までほぼ消えてしまった。
そして現代ではアサルトライフルが普及した結果、銃剣までほぼ姿を消したわけだ。
>>869 五世紀を境に日本の古墳は、朝鮮由来の実用的な馬具、鉾のような対騎兵装備が副葬されるようになる。
あまりにも急激に文化が変動しているから、それを説明するために生み出されたのが、かの騎馬民族征服説。
対高句麗戦の惨敗を受けた倭国は朝鮮半島南部諸国から騎馬を学んだというのは戦後間もない頃から言われ続けてること。
五世紀以降の古墳の副葬品が朝鮮半島系の強い影響を受けてることすら知らないなんて逆に驚きだわ
その惨敗ってのソースは?
>>973 槍は間合いがないと使えねーんだよ
乱戦になったら刀剣や鈍器の出番
騎兵は機関銃がでるまで抜刀突撃を続けたしな
>>873 そんな役に立たないサブウェポンを一兵卒に至るまで装備してたのは何故ですかと。
>>874 どうでもいいが、高句麗は朝鮮半島じゃなくて今でいう満州が本拠地だよ。
>>875 諫早直人といった若手のエースから上田正昭、溝口睦子、白石太一郎、濱田耕策といった大物、松本武彦みたいな中堅やら、中国人学者の沈仁安とか色々だな。
完敗だとか騎馬の威力に屈しただとか、表現は様々だけど。
山川の詳説日本史Bには騎馬の威力を見せつけられて否が応でも学ばざるを得なかったと記述してあったな。
>>877 鴨緑江流域で建国して平壌遷都以降に国号から政治体制からあらゆるものを一新して最盛期を迎えたけど、それがなにか?
>>879 高句麗は今の朝鮮人の国じゃないって言いたいんじゃないの
あそこは支配層は扶余族だから
>>873 日本では鈍器が発達しなかったのが不思議
中国で騎兵部隊や刀剣が登場するのが春秋戦国時代の末期頃(2,100年前位)と言われるから
それから数百年経てばより発達した騎兵部隊のノウハウが日本に渡っても不思議ではないな。
当時秦や趙が敵対していた北方騎馬民族から実戦経験を得て騎兵部隊の運用を始め出し、
その機動力を用いて領土を飛躍的に拡大していった。
もっとも数の上での主力は相変わらず槍や鉾で武装した歩兵部隊だったが。
それでもあの時期での騎兵部隊の存在は軍事的に大きなアドバンテージになった。
例えるならWWIにおける戦車や機関獣の登場に匹敵するようなもの。
>>876 その間合いには入られないように密集陣形を組んで長槍で叩く、突くをしてたんだよ。
それに剣で攻撃をしても1列目の槍兵の懐に入る前に2列目の槍兵に刺される。
この戦術はどこの地域でも同じだね。
投射兵器を打ち合って、陣形を崩れたところに突撃するんだよ
884 :
名無し三等兵:2012/04/16(月) 13:28:16.33 ID:P4VgkgwV
>>880 ネットでは盛んな言説だな。現実のアカデミックの世界では相手にされてないが。
>>882 間合いを離して槍で叩き合ってるだけで決着がつくのは、未開人の儀式的戦争だけですよ。
>>886 じゃあ戦国時代もヨーロッパの戦争も未開人の儀式的戦争だな。
槍兵が隊列組んで戦ってる間は決着つかず、どっちが崩れたところで決着
そこから後は一方的な殺戮になるってのが一般的なパターンだからな
>>885 学会ってアレな人多いからなぁ
史学科専攻だったけど往年の学生運動上がりが多かった
まあ若い助教や講師やってる先生はまた違うけどね
ただ日本を貶したいだけの学者気取りの歴オタが紛れ込んでんな
>>886 人間は儀式的な生き物であるとレヴィストロースは言った
未開も文明も本質的な人間の行動に変わりないとさ
イデオロギーはクッソどうでもいいんで、ソース出してください。
丸城がどこにあったか考えてみそ
>>888 具体的に若い研究者は、どこが違っているのか教えてくれ
>>885 わかってねーなあ
こいつらに通説だの定説だの語っても意味ないんだよ。特に朝鮮関係はな。
NHKの日朝関係史特集なんて最新の学説状況を網羅するには最適だったが、ねらーは怒り狂って、解約するだの喚いてたんだぞw
劣等民族チョンが我々優秀な日本民族に対して、ただの一度でも影響を与えたなんて事があってはならないのだ。
違うという学者は全部反日ブサヨに決まっているんだ。
茶化してるんだろうけど、根っこはそんなもんだろうね
ようわからんけど
学会の意見が定説だ通説だとかで一枚岩なんて聞いたことないよ
反証の反証で成り立ってるのに、先生の意見も人によって変わるし
結局学者も自分の信じるイデオロギー?に我田引水して論じたがる人が多いってことだな
軍板でレッテル張りとか勘弁してほしい
高句麗がどこに属すのかは中韓で論争になってるだろ
そもそも古代国家がどこに属するかなんて決めようがないんだけど
>>887 スイスパイクVSランツクネヒトとか倭寇VS明軍とか
槍隊を両手剣や太刀で切り崩してる例も割とあるから一概には言えんよ。
軍事に関しちゃ歴史学者様の言うことなんざまるでアテにならないのはこの板の住人ならよく知ってるだろ。
イギリス人「まったくだ。ウチなんてローマは攻めてくるわアングロ・サクソンが国家作っちゃうわ
ノルマン人に征服されるわ大変だったんだぜ」
>>900 「専門家の言う事は全部間違っている。真実はオレが知っている」と言う奴でトンデモじゃなかった例なんてあるのか?
904 :
名無し三等兵:2012/04/16(月) 16:43:39.31 ID:P4VgkgwV
>>895 そんな事言っても白磁と朱子学は朝鮮から持ち帰ったものだぞ
白磁は職人を誘拐?して、朱子学は支那じゃ既に廃れていて持ち帰れなかった
>>903 そんな奴いるのか?
ネットで騒いでる奴も誰かの学説だと思うが
>>904 白磁は支那をパクっただけ。日本に支那由来の物があるのは許せるが、チョン由来の物があるのは我慢ならん。
だから朝鮮由来とされてる物は全部元々支那から来たのだ。そもそも劣化コピーしか出来ない劣等民族にオリジナルな物が作れる筈がない。
白磁は兎も角、朱子学は宋から留学僧通じて直接伝わったもんでしょうが。
>>905 その典型が鈴木説じゃないですかやだー。
>>908 刀と首取りにしてもあの頃は中世日本の新説が流行ってた時代だから
飛び付く人が多かったんだろ
>>887 混交してからのインファイトが出来るか出来ないか、
という点が戦士階級が存在する文明圏の強みです。
槍衾が破られました→負けました という2段階の流れではなく、
槍衾が破られました→近接戦闘で押し返せませんでした→負けました という3段階の流れ。
だから負けた側なのに一番槍の功名を立てたなんて事があるわけ。あれは槍衾に突入口を開けた手柄だから。
「日本ではみんな下馬してから突撃した。馬上槍なんて有り得ない(キリッ」
「日本刀なんて合戦では首取り以外に役に立たなかった(キリッ」
「貧弱な日本の馬では実戦で活躍出来ない(キリッ」
「西洋の武具は鋳造(キリッ」
「西洋のプレートアーマーは転んだら起き上がれない(キリッ」
「西洋の剣は全て重さに任せて叩き斬るもの(キリッ」
他になんか中世の軍事関連でネットで流布してた珍説ってなんかあった?
>>880 つ金砕棒、掛矢
結局槍や刀のが近接武器として取り回しが良かったからじゃね?
>>911 日本の鎧は西洋の鎧よりも軽くて弱いが動き易い、って思い込みは結構見るな
大鎧とか当世具足でフル装備すると重量的には西洋のフルプレートと大差ないし
強度的にもあんま変わらんのだけども(防ぎたい攻撃の種類が違うので同じ性能ではないが)
>>880 槍や薙刀が長柄の鈍器としても用いられてる
>>912 ただ、それでも体全体への防御性や攻略する上で狙いをつけにくい点ならプレートアーマーに分があるし
重量とはまた別に関節というか可動部位の動かし易さと
着装した際のスタミナ面でのバテにくさなら大鎧や当世具足に軍配が上がると思うんだけどなあ。
軽いかはともかく、
日本の胸部と腹だけはしっかり守って
手足に余計なものをつけないというのは非常に正攻法
欧州でも重装騎士以外はそんなもん
古代地中海世界の「重装」歩兵が手足が露出してるし
大鎧は矢を防ぐための空間装甲としてああいう形になってる
確かに大鎧や胴丸が分類されるラメラーアーマーのが世界的に多数派みたいやね。
>>915 重装歩兵はスネ当てを着けていたかと。
腕の防御に関しては盾のみが多いかな?
対ダキア戦のローマ軍団兵とかは腕に防具を着けてるけど。
腕に防具つけると腕の振りが遅くなる、重くて腕が早く疲れる、という2大デメリットがあるからねえ。
防御力アップのメリットと比べてあんまし魅力なかったんだろう。
その代わり武器落としても相手をぶん殴ってダメージ与えられるじゃなイカ!
日本も腕と脛に付けてたろ
フルプレみたいに全身を鉄で覆うのは甲冑としては異例なんじゃ
それにしても中国は白兵武器の種類が多いな
実戦で使うには装飾過多なのも見る
>>878 それは学説の紹介であって、ソースではないでしょ。
ソースというなら、古文書なり石碑なりの一次資料ださんと。
>>903 むしろ、「専門家と名乗っている人が、まだ議論百出のネタに対して
したり顔で定説ですと解説しだす話で、後で覆されなかった例はない」
じゃないかと。
わからんことには素直にわからんというのが、学問的には正しい態度だと思うな。
>>920 とある歴戦の武士は手甲に念入りに筋金を入れておいて
刀も殆ど直刀に近いものを使い戦場では常に相手の斬撃を
手甲で防ぎつつ突きを繰り出して戦う事で生き残ってきたという話がある。
盾と剣使えよというツッコミは禁止な。
なんで古代の人が火炎瓶思いつかなかったのか謎だな。
ギリシャ火とかは相当昔に使ってんのに。
素焼きの壷や甕に油と火種入れて投げるってのは常套手段だが
「瓶」に拘るならガラスが高価でそんなことできるわけないってだけ
>>925 ポピュラー?
野口一成の逸話以外であるなら教えてくれ。
>>928 新陰流の甲冑剣術の一つとして知られてるよ
というか片腕で攻撃を受けるという自然な発想がなかったと?
だがそれに対する対策を鍛錬するほど
一般的な戦法でも無かった
新陰流に介者なんて残ってんの?
柳生心眼流と混同してないか
新陰流だけど・・・
というか片手が空いてる場合その手を全く使わない人っているのか
>>874 >>881 いや、たしかに馬の埴輪もあるし、
古代日本の軍装の再現の絵とかも見たことはあるが、
それが実用的とか言われても、
実際にどう戦ってたのかが全く想像が出来ん。
戦国時代や源平合戦まではイメージがわく。
大河ドラマで何度もやってたからだけど。
あの古代日本の軍装では想像できない。
ドラマなどで見たことが無い。
どちらかといえば、指揮官だけが乗馬してるイメージだ。
>>931 俺も心眼流の陣盾持つのと混同してるんだと思うわ。
心眼流というとどうしても呼吸と筋肉の鍛錬のアレを思い出すw
ちなみに柳生心眼流の甲冑術関連にはこういう疑惑がある。
柳生心眼流
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/budou/1251087646 38 :名無しさん@一本勝ち:2009/10/02(金) 11:37:31 ID:+lur69K9O
アッパーカットってなんぞw顎を打つところって書けばいいんじゃないかwダサダサw
甲冑術自体星彦十郎が付け足して作ったって説もあるらしい。
星さんとこからしたら甲冑や武器術は相伝のもので…とか言うかも知れないけど、
荒木堂に甲冑なんてないし。そもそも星さん関係以外で甲冑やってるとこなんてないじゃない。
甲冑術は捏造だよ。
39 :名無しさん@一本勝ち:2009/10/03(土) 01:55:35 ID:aM8BXEhcO
>>38 「甲冑術は捏造だよ。」
え!?そうなの?
40 :名無しさん@一本勝ち:2009/10/03(土) 09:48:16 ID:dIxnzlxJO
確かに星貞吉以前の甲冑の巻物や記述なんて見たことも聞いたこともないかも。
それを売りにしてる道場の面々は全力で否定しそう。。。
そういえば柳生心眼流の成立時期に甲冑なんて着るわけないよね
41 :名無しさん@一本勝ち:2009/10/03(土) 13:34:29 ID:aM8BXEhcO
てことは、荒木堂が正確に型を伝承していて、星系の誰かが(星貞吉あたりが?)型を変えたってことなのかしら?
42 :名無しさん@一本勝ち:2009/10/03(土) 17:01:14 ID:dIxnzlxJO
名前は出せないが識者に聞いてみた。
星彦十郎が甲冑術を作った説はかなり有力だそうだ。
その証拠に星系は星彦十郎の代から免許巻の本数がかなり増えてるらしい。
星貞吉以前に別れている系統にも甲冑術は無いところを見るとやはり明治くらいの創作と見るのが自然かと…
手で持つ盾ってそんなに邪魔なのかな
奈良時代まではあったんだよな
片手ふさがるだけじゃなく
視界の邪魔にもなるんだぜ
欧州人ならともかく昔の日本人が片手で持てる武器の大きさなどたかが知れていただろう。
>>940 昔の欧州人と日本人というのはどれくらい体格差があったんでしょうか?
農民はほとんど同じ
え?じゃあ「欧州人ならともかく昔の日本人が片手で持てる武器の大きさなどたかが知れていただろう」って一体?
偏見だな
なら中国人は何故盾を持ってたんだ
ことさら筋力が無かったなら弓は長大にならないし長槍を持つことも敵わなかったろう
昔の長弓は、現代人はほとんど引けないからな。そんなのを一分間に10発撃ったというんだからな
で、結局
>>929は心眼流の勘違いだったってことでいいの?
それとも新陰流の伝書等にあるなら教えてくれ。
こいつ何がしたいの
そりゃ
>>929の件をはっきりさせたいだけに決まっているだろう。
952 :
名無し:2012/04/18(水) 13:09:53.34 ID:???
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日本人の体格は時代で平均値がずいぶん違う
特に背が高かったのは古墳時代と鎌倉時代
逆に骨相が貧弱になり背が最も低くなるのが江戸時代
江戸時代でも相手も同じような体格なら何の問題もない
一番体格に差があったのは幕末の頃だろうね。
中世の頃は西洋も栄養状態悪いからさほど差は無いかと
近世の頃は世界的に寒冷な気候だったとか
騎射戦が戦の花形だった時代には盾と弓を同時には扱えんし
戦国時代になると槍が白兵戦の主力になるからやっぱり盾は構えられんし
体力は関係ないだろ
>>958 花形に付き従う徒歩武者もいるんだからその説明では不足だろう。
戦国以前の徒歩武者は主人の薙刀持ったり置き盾を持って戦線を押したり引いたりしていた
奈良時代の律令軍隊だと
前線に盾と太刀を持った兵士を配して二線目に矛槍兵、最後列弓弩兵という陣容だった
>>960 そういう律令制の軍隊の隊列ってどういう史料からわかるの?
ここ何板だっけと思うようなレスが散見されるな
>>961 律令時代は律令法が朝廷から出る
いつの軍防令かは知らん。要は唐の軍隊をパクったんだな。
武士が盾持たないのは筋力が足りないからとは何が根拠なの?
武士がそんなこと言ってたのか
>>963 なんで律令制の軍隊の隊列について質問すると
武士の筋力がどうこうとかの話になるんだ?
そんなもんの根拠求められても困るけど。
上で日本人が筋力ぶそくだから盾をもてなったという珍説が飛び出して
それに反応し続けてる人がいる
>>964 人に根拠を求めるのにお前は逃げの一手かよ
>>966 俺はその日本人の筋力がどうこう言ってる人間じゃないのになんでそんなもんの根拠なんか出さなきゃならないんだ?
律令時代が盾持ちで大刀も柄の長さ上片手持ちしかありえないことくらいは知ってる。
ただその隊列は何に基づいているのか教えてくれってことだよ。
>>967 >>959の謎の擁護はなんなの?別人です〜ってまた逃げるのか
他人には詳細な根拠を求めるのに
こっちに古文書やらの文献を当たれとまで言うなら自分の書き込みの根拠はなんなんだよ
重箱の
隅をつついて
叩き合い
IDが出てないのに同一人物と思える根拠の方が気になるが
>>970 俺もさっぱりよくわからん。こっちは古文献を当たれじゃなくて教えてくれって
頼んでるのに。とりあえず変な被害妄想持ってる人だってことだけはわかったわ。
結局
>>963が言ってるとおり日本でも普通に盾使ってたが正しいでOK?
>>961 律令制については、養老律令と令義解・令集解に公的な決まりごとはすべて書いてある。
隊列について、令義解のどっかに一盾ごとに5人兵をおいて、
盾の端には弓弩を置く、などと書かれていたはず。
詳しくは図書館で令義解にあたってくれ。
976 :
名無し三等兵:2012/04/21(土) 09:38:47.40 ID:5uHuY0G9
>>974 むしろ今までは架空扱いだったの?
壁画とか見つかってんのに。
>>971 武士の筋力が足りないから盾を持たなかった根拠お願い
君の勝ちなのはもうみんな分かったから蒸し返さないように