1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2010/12/12(日) 09:16:06 ID:???
3 :
名無し三等兵:2010/12/12(日) 15:15:54 ID:???
前スレの物資の話だけど
西南戦争では一日にだいたい2-3万発消費すると予想されていたが
実際は30万発消費された
この時点で当初の必要予想数とはケタ違いの消費がある
西南戦争でこれだから太平洋戦争はもっと酷かっただろうね・・・船も沈められたりしたし
だから100要求しても実質は1000必要だったりするんだよ
だから最初に考えられた目算の2倍、3倍あるいは10倍と消費される
もう一度いうぞ?2倍も必要ないというならその数字を出せ
幕末で構わないから
銃と大砲を大量に使った戦いで当時の目算どおりの物資で済むはずがない
4 :
名無し三等兵:2010/12/12(日) 15:22:18 ID:???
ちょい待ち
輸送と消費一緒なん?
5 :
名無し三等兵:2010/12/12(日) 15:25:08 ID:???
話の始めは食糧だったと思うのだけど。
前スレの
>>978が言ってたことよね。
978 :名無し三等兵 :2010/12/11(土) 01:45:46 ID:???
>>976 いやむしろ、動員の規模の絶対的な違いだろ
軍隊が無駄飯食いってったって、人数分以上には消費すること不可能だしな
新政府に献上された薩長土肥の兵員全部合わせても2万いないのに、それがあちこちに分散派遣
恭順した諸藩の勢力が追加されるが数にしたらたいしたことないしな
本州の戦いで官軍兵力5000を越える戦いなんてないだろ
それが西南戦争では、熊本鎮台+初期の派遣兵力で万超えだもん
それが長期間、膠着した戦線で消耗戦
末期の掃討戦ではその数倍
1000人やそこいらが当時の地方都市にいきなり現れてもそれは十分に吸収できたし、それによって生じた不足は他所から流入するなりして補填できたが、
万の単位を超えてしかも居座られたら相応の対策が必要だったってこと
まあこれは食い物の話で、武器弾薬は小銃の後装化で一人当たりの必要量が単純にケタ違い&兵数増でとんでもないことになるわけだがw
6 :
名無し三等兵:2010/12/12(日) 15:29:49 ID:???
>>5 なんで補給の話なのに食料限定になってるの
軍板でしょここ
兵站といったら・・・
衣服・弾薬・食料・趣向品全般の話になるに決まってるじゃん
それをまとめて物資といってるんだよ
だから食料の話なんてお門違い
7 :
名無し三等兵:2010/12/12(日) 15:36:43 ID:???
>>6 いや、元々
>軍隊が無駄飯食いってったって、人数分以上には消費すること不可能だしな
と言った
>>978に対して
>>979がダウトと言って
>100必要なら200と必要になってくる
>これが船を使っての輸送必須になれば1000送る必要がある
と主張しだしたんだから、まずは戊辰なり西南の役なりで食糧に関して史料を
出すべきなんじゃないの?
近代以前の軍隊では、もちろん新政府軍、旧幕府軍、薩摩軍もだが
一番ウェイトが大きかったのは食糧なんだから、お門違いではないと思う。
8 :
名無し三等兵:2010/12/12(日) 15:44:27 ID:???
>一番ウェイトが大きかったのは食糧なんだから、お門違いではないと思う。
いやそう主張するなら弾薬の消費量でいいんじゃないの?
弾薬以上に消費されたんだろう?
一番ウェイトが大きいっていうならw
まぁ・・・具体的数字がないからアレなんだけどエピソードでは
食料が奪われたり火事で消失したり一時期食糧不足に陥ったりしてるから
薩摩軍にいたっては常に食糧不足だったりでまぁ目算より倍以上はやっぱり必要だったんじゃない?
物資の話なら10倍じゃきかないけど
9 :
名無し三等兵:2010/12/12(日) 15:58:05 ID:???
>いやそう主張するなら弾薬の消費量でいいんじゃないの?
なぜそうなるw
一番ウェイトが大きいってのはそういう意味じゃない。
輸送に掛かる負担の話だ。
「補給戦」読めば分かるっしょ。
確かに消費量が結果的に莫大なものになった例は戦史に多い。
しかし始めっから必要量の二倍、十倍で兵站を計画した例が有ったっけ?
”十倍送らなければ必要量が前線に届かない状況”ってのは既に戦争全体に負けている。
そもそもそんな量を確保出来ないので意味はほとんど無いと思うんだけどな。
戊辰の役では現地の藩に食糧負担させるので食糧に関しては
輸送というよりその場所の豊かさと派遣された兵員数との兼ね合いだけど。
>>8 補足としては前スレで970が
>>軍隊っていうのはそこに存在するだけで物資を莫大に消費するから
なんて頭でっかちで概念的なことを言ってるから食料のことを話題にした
存在するだけで消費するものなんてそら主として食い物だろw
976が何か質的な違いがあったのだろうか?って言ってる(ように思えた)から、食い物で言えば規模の違いだろう、武器で言えば後装銃じゃないか、と返してみたわけだが
必要カロリーあるいは必要量のことをいってるのに、979は以降輸送がどうとかなんか論点ずらし
しかも、必要量の見積もりと現実の輸送との違いが区別できてないしな
11 :
名無し三等兵:2010/12/12(日) 18:57:44 ID:???
仮に物資を推定必要量の二倍、十倍集められたとして。
それを運ぶ船、荷車、馬などの輸送手段の確保と港湾の荷揚げ能力、許容を超えた
交通量による街道の混雑と路面の悪化は一朝一夕には解決出来ない。
事前集積ならまだしも、同じ期間に物流に載っかる量を単純に増やすのは簡単じゃないな。
12 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 19:10:46 ID:???
>>11 その調達と輸送の結果としての補給が推定必要量の何倍必要なのかって話をしてるんじゃないの?
大量の調達ができるか、大量の輸送ができるかってのは「必要なのか?」という話では
なく「可能なのか?」という話になるんで、話がずれてかみ合わなくだけなんじゃないかと。
13 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 19:52:07 ID:???
>>12 元々の話は食糧なんよ。
前スレ見てもらえれば分かるけど。
んで戊辰戦争、西南戦争において現地に派遣された部隊が必要とする食糧が
兵員数の二倍、十倍になるという
>>8の主張はどこから来ているのか?ってこと。
どこでそんなに減ってるのよ?と。
14 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 21:02:06 ID:???
>>13 港湾や街道のキャパを越えた輸送をするせいで輸送途中にロスが発生、そのロス分も
みこんで発送しないといけないために兵員数の2倍10倍になる食料を送らないといけなくなる、
というわけですね。
15 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 21:08:54 ID:???
それだけでは不足と思われるだろうから
>>3で述べられてる弾薬の話にも触れておこう。
確かに明治政府が当初予想していた量より十倍の弾薬が消費されている。
だけどそれは明治政府の予測が甘いことを示してはいても
”必要量の二倍、十倍を用意するのが原則”という証明にはならないんだ。
同時期の普仏戦争におけるプロイセン軍の例を挙げよう。
「1866年と同様、歩兵の弾薬消費量が非常に低かったために、軍隊とともに
運ばれた予備はごく一部が消費されただけだった。例えば五ヶ月間の
作戦行動の、平均五六発が兵士一人によって発射されたに過ぎなかった。
これは背嚢で運ぶ量よりも若干少なく、部隊付き輸送隊でできる貯蔵量の
約三分の一にすぎなかった。それにもかかわらず一時的な不足が生じたが
(特にマルラ・ツールの戦闘の間第一軍で起きた)、これは弾薬不足によるものでは
全くなく、部隊の車両が戦闘の間弾薬を前方に運ぶことができなかったためであった。」
補給戦 P174-175
「各軍団内で運搬された弾丸の基準量は一五七発で、補充量は非常に少なく
そのため戦闘部隊は補給梯団を全く無視して、鉄道から直接部隊の車両に補充することができた。
もっとも輸送距離は時には非常に遠かったが、他方で消費量がそんなに低かったので
戦闘部隊はちゅうちょすることなく、何週間も続けて部隊附属の車両を手放した。」
同書 P175-176
普仏戦争ではドイツ参謀本部の予測を大きく越えて弾薬が消費されることはなかった。
しかし、西南戦争は日本にとっては転換期に辺りそれまでの常識から大きく逸脱した。
戦術の転換期にあたる戦争で開戦当初の予測量と戦後にでた統計が大きく食い違うことは珍しくない。
欧州諸国も同じ過ちを第一次世界大戦で犯している。
だからといって、いちいち推定必要量の二倍、十倍で見積もってたら兵站計画なんて成り立たないよ。
もちろん政府を納得させる(=予算の成立)ことが出来るはずもない。
16 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 21:14:25 ID:???
兵数うんぬんでなくて実際の補給計画と実績ではどう違ったのかだろ?
実際の戦争計画より激しい消費や長期戦になって
計画通り補給出来ても前線では足りないのと
その逆に進撃速度が速すぎて計画通りでは前線まで補給が届かないのと
輸送計画に問題があって計画通りの時間や量が届かないのでは
当然違う
17 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 21:18:24 ID:???
>>14 理論的にはそういうことだけど、この場合は戊辰戦争の史料を持ってくる必要がある。
現地で消費する食糧のうち現地調達(在地の藩が用意)と後方からの輸送とかね。
そしてそれがどの位失われたか?
ロスを見込んで送ろうとすれば、兵站には更に負担が掛かる、道路、船etc
だけどそれは現実の輸送と到着する物資の話であって
>>5の前スレ
>>978が挙げている、現地の部隊が実際に必要としている量の話とは別なんだよ。
18 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 21:23:51 ID:???
そりゃ期間が延びればそれだけトータルで消費する物資は当然増える。
同じ数の部隊が同じ期間で消費する食糧が倍々で増えるというのとは別の話。
19 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 21:48:23 ID:???
>>14 その理屈は無茶苦茶だぞw
輸送能力の限界を超えて輸送しようとしたならほうぼうで滞貨が発生するだけで、発送量を増やしても問題の解決には全くならない
むしろ状態を悪化させるだけだw
20 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 22:19:08 ID:???
>普仏戦争ではドイツ参謀本部の予測を大きく越えて弾薬が消費されることはなかった。
その頃はまだそれほどに発達してなかったからね銃
第一次世界大戦になると物資の消費量はもはや予想を超えるとかいうレベルではなくもはやカオス
作ったそばから送っても足りない
だから日本もフル回転で物資を輸送し大儲け・・・いやこれはおいといて
それをみた日本軍の将校曰く
「こんな戦争をしていては日本は破産してしまう・・・」
21 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 22:20:10 ID:???
>>19 >>11がいってる輸送の問題が推定必要量と実際の必要量との開きに関係してくる
というなら
>>14の理屈ぐらいしかないなという皮肉。
22 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 22:27:24 ID:???
実際の必要量というよりは単に消費した量と言った方が合ってるような。
23 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 22:30:34 ID:???
1万の軍勢が9万の捕虜を捕っちまったら食料の必要量は10倍になるかもな
24 :
11:2010/12/13(月) 22:31:59 ID:???
>>21 >>11は、
>>3の言っていることを実行しようとすると、どんな障害が発生するかを述べただけだ。
量の開きに如何に関係してくるかは
>>3の彼自信がどう考えているかを聞かない限り何とも言えない。
25 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 22:44:56 ID:???
>>24 障害が発生しようが、現場で予定の10倍の物資が必要ならばそれだけの物資が必要
だと思うだが・・・。10必要なところに4しか運べないなら、それは6足りないってわけで、
必要量が10から4に減るわけではないだろうと。
で、今は、その「10」という数字が正しいのかどうか?というのに焦点をあてるべきなん
じゃないかなあと。
26 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 23:06:35 ID:???
>>25 そもそも「10」という数字が正しいかどうか?という話が焦点なのは同意だよ。
単に、輸送する物資が増すと兵站に掛かる負担も応分に増すということを確認しただけ。
>>3の二段落目以降が輸送による減衰と実際に現地で必要な物資の量をごっちゃにして語ってるから。
27 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 23:17:05 ID:???
>>26 ごっちゃにしてないよ?
それも想定した上での話しだから
28 :
名無し三等兵:2010/12/13(月) 23:39:28 ID:???
>>27 例えばこれな
>西南戦争でこれだから太平洋戦争はもっと酷かっただろうね・・・船も沈められたりしたし
>だから100要求しても実質は1000必要だったりするんだよ
これは圧倒的な米軍の制空・制海権で、日本側の現状の護衛能力からすると
必要な量の物資を送るのに単純計算して10倍の船腹が必要になる、と言ってると
解釈したんだけど合ってる?
これは敵側の攻撃能力と味方の護衛能力の隔絶を表すには良い例えだけど
実際の必要物資について考えるには不向きだと思うよ。
あくまで机上の論であって実行出来る出来ないを無視した話だから。
それと彼我の勢力、輸送距離、輸送量等の前提条件が戊辰西南の時代とは違いすぎるんだよ。
29 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 00:25:23 ID:???
>>28 もしかしてだけど、
「現地での消費される物資の量と、輸送時のロスとかも数に入れた総必要調達量とでは
数字が大きくちがうけど、どっちの数字が『予想される消費量』の10倍って話なのよ?」
の2行で済む話を難しくしてる?
30 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 00:40:36 ID:???
>>28 まず歴史認識や当時の輸送事情などの認識があるという前提で話をするよ?
基本的に幕末においての遠征は超散財する
はっきりいって現代の兵站の概念を無視した無駄な要素で超散財する
だから補給が常に滞って予想外の出費をあちこち強いられる
幕府軍だったら第二次長州征伐の費用のほとんどが商人からの分捕りでまかなったり
官軍も同じ補給が足りないから現地徴収とか商人から献金させてる
明治時代になり深刻な財政不足になってるからね
西南戦争で更に悩ますことになったけど
そんなんで2倍で済んでると思う?
31 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 00:44:17 ID:???
>>28 んー別に難しくないと思うけど?
その二行に補足するなら、両者の数字が大きく違うというのはどの位の差か?というのも含むね。
>>3で述べられてる例に対して、それは適切ではないと述べたまで。
言いたいことは
>>15で書いた。
32 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 01:03:36 ID:???
>>30 やたらとドンちゃん騒ぎするやら金ばらまくやらでやってたのは知ってるよ。
甲陽鎮撫隊なんかは典型的だな。
しかし元々は駐留する軍隊(戊辰、西南)が日常消費する食糧が、
本来の必要量に対して二倍十倍になるか?という話だと思ったが
>>10 980 :名無し三等兵 :2010/12/11(土) 03:26:40 ID:???
>>979 どんな腐敗軍隊だよw
そんな無茶苦茶が通ったら軍事計画全く立てられないだろ
大昔の米軍が減耗見込んで書類上の2割増の需品送ったなんて話はあるが
それに、輸送する量のこと言ってるんじゃなくて必要カロリーのこと言ってるんだが
途中から金と財政の話になってるな。
それは>15に書いた通り見込みの甘さと財政基盤(主に徴税の未整備)の話だ。
二倍で済んでると思う?と言われてもそれは史料に依るとしか言えないな。
当時の日本の兵站を表したものは少ないんで止む無く同時代の別地域から引っ張ってきたが。
33 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 01:07:13 ID:???
>>32 自分でいってるじゃん
>やたらとドンちゃん騒ぎ
当然食料も散々するに決まってる
食料は常に不足気味
食料があれば即使う・・・遠征すれば道中で無意味に使う
どうも兵站の概念が幕末にはないらしいってくらいね
戦国時代の何を学んだのかって思うくらい酷い有様だったそうな
34 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 01:11:01 ID:???
35 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 01:20:07 ID:???
具体的数字が出せないんだよ
当時の兵站事情って本当めちゃくちゃだから
戊辰戦争時には近代軍隊の様に総司令部の下に兵站組織が置かれるというものじゃなく
各藩が自由に自前でやってたから
なにぶん輸送部隊がなくなくなったら人雇うとかその辺の農家から強奪を繰り返したり
佐賀藩は自前で弾薬作ってたけど他の藩は一切を輸入に頼ってるし
兵站に限っては戦国時代以下・・・西南戦争になってようやく兵站の話ができるって感じだから
36 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 01:32:30 ID:???
>>35 そういうのはむちゃくちゃって言わんわw
武器弾薬以外は現地徴発で問題なかったってだけだろ
お前が勝手に脳内で話をややこしくしてるだけ
言っとくが徴発は略奪と違ってまっとうな軍事行動の一環だからな
現代の米軍に至るまで、策源地からの輸送だけで軍需品の必要量を賄えた例はないしそうする意味はないから
37 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 01:44:58 ID:???
>>36 話がかみ合わない理由が解った
>現代の米軍に至るまで、策源地からの輸送だけで軍需品の必要量を賄えた例はないしそうする意味はないから
この自前の輸送能力ではまかなえず現地調達をせざるをえない状況を物資不足で足りてないといってるんだよ
だから1では足りないから2倍あるいは10倍と必要になってくるといってる
>>36の場合は
現地調達で軍維持できてるので問題ないから1送ればそれ以上必要ないといってるわけだ
38 :
32:2010/12/14(火) 07:05:39 ID:???
>>37 >>34>>36とは別の人なんで念の為。
>この自前の輸送能力ではまかなえず現地調達をせざるをえない状況を物資不足で足りてないといってるんだよ
自分達の食う分より大幅多くに消費するというのはどういう状況かということ。
現地調達課か、後方輸送のどちらか、或いは両方にせよ最終的に現地部隊が消費した食糧の話。
例えば白河攻防戦での伊地知隊700とかな。
何ぼ何でも10倍にはソースが必要だと思うわ。
そもそも食糧を現地調達に依存するのは同時代の他国でも当たり前(例:普仏戦争のプロイセン軍)で
これを指して物資不足で足りないとは言わないよ。
後方輸送しようとしても単線鉄道と馬車の限界で兵站部隊の輸送力は貧弱、戦闘部隊の速度に付いていけない為
現地の軍隊は概ね自活した。見越して十倍送ろうとしても実行不可能。
だからといって”現地の部隊が消費した食糧”が当初の計画で”後方から送ろうとした食糧”の十倍にはなってないよ。
明治の日本に話を戻すと仮に宣撫工作等で米をばらまくから必要だったとしても
それは最早兵站計画とは別の次元の話になる。
もっと上の戦争計画と政治戦略だな。
39 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 15:51:24 ID:???
南北戦争ではどうだったんだろうね。
シャーマンの海への進撃とか、全部破壊して進んだそうだから
現地調達とか出来る状況だったんだろうか、ちょっと興味が出てきた。
40 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 21:58:39 ID:???
この時代の日本のこの分野に史料が少ないのは仕方ない。
しかし、せめて算出根拠となる専門家の研究があればな。
>>39 絶版だけど『南北戦争―49の作戦図で読む詳細戦記』が分かりやすいよ。
後、Wikipediaの南北戦争の記事は英語版からの翻訳が進んでいてやけに充実してる。
具体的には、奪えるだけ奪って持っていけないものは全部壊すか燃やした。
禄に戦闘も無いので大きく広がった隊列で小部隊に分かれて
それはもう効率的に「徴発」してたみたいよ。正直かなりむごい。
後にはペンペン草も残らなかったけど、その頃には移動済みだったので問題にならず
最終的に海へ着いた後は船から補給を受けることが出来た。
南軍は北軍の進撃をほとんど阻止出来ず、北軍は絶えず移動し続けたので
周りを食い尽くして自滅することもなかった。
41 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 22:11:06 ID:???
なるほど徴発侵攻でもあったんだな。
しかし移民の国とはいえ同胞相手にステキすぎw
42 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 22:17:21 ID:???
>>40 最後の記述だけ読むと、「補給戦」の30年戦争の項を思い起こさせるわ。
まあ、南北戦争の頃はマンシュタインやグスタフ王と違って戦略的選択でもって海まで進出する事を狙ったんだろうけど。
絶賛ロードショー中の「武士の家計簿」じゃないけど、薩長土肥の算用方の日記でも残ってないかねぇ。
43 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 22:53:42 ID:???
流れを切るが、いま木村紀八郎の大村益次郎伝読んでるんだが、
軍事教育は必ず決められた段階を踏むように、とあの時期定めてて、
陸軍の場合の順序が… 1 野戦築城 2 戍営内則 3 行軍定則
4 先鋒隊勤務 5 小戦術 6 戦闘術 7 将帥術 だと。
勝海舟が、奴が相手じゃ勝てねぇよって言う訳だ。この通りに仕上げれば確かに普通の百姓も精兵になるわ。
44 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 22:53:53 ID:???
>>42 「海への進軍」は爆撃機を使わない戦略爆撃みたいなものだからなぁ。
歩兵が徒歩でやるぶん、戦略爆撃よりも徹底しているし。
よくもまあシャーマンは悪魔みたいなこと考えたもんだ。
45 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 22:59:27 ID:???
>>44 だから南部出身の兵隊はシャーマン戦車への搭乗を拒否したりしたんだね。
46 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 23:03:02 ID:???
>>43 幕府も江川英龍の進言を真剣に受けとめていればなと思うよ。
大村と同じようなことを主張していたから。
47 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 23:04:34 ID:???
48 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 23:37:57 ID:???
というかそのあたりの人材登用とか上手くいくような組織運営なら
寛政とか天保とかの改革とかも押し切れたり
その後ももっとそれなりに近代化できたのではなかろうか
49 :
名無し三等兵:2010/12/14(火) 23:42:46 ID:???
>>48 結局そのあたりの硬直性が勝が幕府を見放したところなんだろうけどね。
50 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 00:04:46 ID:???
>>43 大村益次郎は現代でも通用するであろうほどの
日本史上最高の戦術家だからね
はっきりいって戦国のどの武将や知将といわれた策士相手でも
大村益次郎にかかればただのひよっこだろうね
考え方が根本的に違うから
なんで大村益次郎がこうマイナーなのか
51 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 00:20:16 ID:???
52 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 00:50:22 ID:???
>>50 まさしく軍事の天才。
なんせ軍人の手ほどきをうけないで、テキストだけで勝利し続ける。
でも
>>51のいうように性格が悪かった。
53 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 02:17:56 ID:???
此処で大村さんを知らない人にざっと生涯をまとめてみた
村田の蔵六さんは蘭学を学んでいたときに医学の傍らで西洋の兵器や軍事事情の本を読み漁ってた
そして知れば知るほど楽しくなって医者をやりつつ趣味で軍事を勉強っていうか知識アサリしてた
簡単にいえば軍オタだった
そんな中、村田(大村益次郎)の名声を聞きつけた宇和島藩が
西洋の兵器(大砲や蒸気船)を作りたいので力を貸してくれと頼んできた
気はのらなかったが突然の仕官話に周りが薦めまくってくるんでしょうがないので了承した
んで西洋式の大砲作りや蒸気船の設計をしてるうちに
医者でありながら軍事オタクを超えて完全に軍事マニアと化した
この世界をもっと知りたいと思った村田さんは宇和島藩を用済みとなって追い出されてから(此処でもしっかり敵作ってる)
江戸に西洋軍事を知るために旅立った
ちょうど幕府は西洋の軍事事情を知りたがっていたので翻訳家として知られていた
村田さんを軍事書物翻訳家として召抱えることになった
軍事マニアだった村田さんは内心ラッキーと思いつつその任を受けた
以上村田さんの前生涯
思ったより長くなりそうなので続きはやめとく要望があったが後半も書くがw
54 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 06:33:41 ID:???
花神は面白かったよね、視聴率は悪かったらしいけど・・・
55 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 06:49:59 ID:???
>>48 寛政の改革、天保の改革はむしろやらない方がましだったんじゃないかな。
これも人材登用に絡む話だけど、寛政では林子平、天保の時代では高野長英を
採用してことに当たらせていればと。
両方とも死に追いやったり、殺したりしたずっと後に有難みを知る結果になった。
56 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 07:15:32 ID:???
大村益次郎の活躍は、当時の日本が欧米に比べて圧倒的に劣っており、
ただ海外の文物を読むだけで、日本で第一人者になれたからこそだよなぁ。
57 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 08:07:33 ID:???
いやあの作戦立案能力は大したものだと思うぞ
かつかつの兵力であちこちに小出しにして、よくまあ破綻しなかったもんだと
当時の西洋軍事学って用兵的にはいわゆるナポレオン軍学だから、大兵力の正面衝突前提の部分大きいんだよね
だから戊辰戦争みたいな、広域地方蜂起とそれへの地道な鎮圧、剪定戦とかあんまり考慮されてない
戊辰戦争の作戦指導は、この人の独創でしょ
しかしそこでも、薩摩への異常な冷遇と酷使、救援依頼無視しまくり、と遺恨を残しまくっているわけで
増援関係のやりとりでは、性格の悪さ遺憾なく発揮してるしなあw
西郷が抑えてなけりゃあっさり新政府軍瓦解してたろ
秀才参謀の悪いところまで維新そうそうやっちゃってるという…
死ぬまで薩摩が反乱起こすぞ備えろって言い続けたのは有名だが、こいつがタネ撒いてもいるんだよねw
その時の恨みで維新が落ち着いたら真っ先にテロられてるが、まあ自業自得…
58 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 09:24:44 ID:???
ナポレオン戦争だって大兵力の正面衝突以外の戦闘のほうが多かったし、それらの戦闘はかなり重視されていたぞ。
広域地方蜂起と地道な鎮圧だって半島戦争関連やフランス革命戦争あたりの書物で語られてるだろうに。
まぁ、日本の実状に合わせ、適用させたのは流石といった感じだが。
あと、大村益次郎の戦争学はクラウゼヴィッツよりジョミニに近い気がする
59 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 13:09:50 ID:???
>大村益次郎の活躍は、当時の日本が欧米に比べて圧倒的に劣っており、
>ただ海外の文物を読むだけで、日本で第一人者になれたからこそだよなぁ。
ねーよ
一体どこの誰が5000人で5万相手に戦って勝てるって?
相手は思想こそ旧時代以前の戦い方だったけど装備も同等なのに
60 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 13:35:31 ID:???
まあぽっと出の市井の学者が長州藩の軍事力を預かるようなことができたのは、当時の洋式学問の権威の威力だわな
以降の功績は実力だ
61 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 16:17:46 ID:???
なんで大村さんって
維新4傑あたりにならなかったのかなぁ
それだけの価値は絶対あるのに
62 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 16:37:43 ID:???
顔(つうか頭か)がおもしろすぎたからじゃね?w
小山ゆうのおおい竜馬でなんでこんなあまりに特徴的な顔に描いてあるんだ?と思ったが、
マジであんな顔だったとはw
幕末じゃなくて戦国時代に織田軍団とかにいたら、信長に自殺するまで苛められること確定だw
まあほぼ軍事担当で政治的には全く動いてないってことがあるんだろうな
幕末維新の有名人って、みんな政治的人間じゃん
63 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 17:38:07 ID:???
>>53 続き(実はこれは前に書いたやつの修正版なのだ)
幕府の蔵書で西洋兵書を翻訳しているうちに
もはや日本でも最高峰の戦術家じゃね?と自負してたが
自分の身分では軍を統制できないとモンモンとしてた ←現在でいうならそこらの軍オタが自衛隊の参謀になるようなもの
そんな折に村田さんの名声を聞いた桂の小五郎さんがなんでこんな軍事に明るい
我が長州の人材が敵である幕府の要職やってるんだ
その知識を軍政を任せようと思うから君の故郷である俺ら長州で活用してくれよ・・・と願い出てきた
その願いにモンモンとしていた村田さんは給料は激減するものの大好きな軍事に携われるとヒャッホウと飛びついた
長州の軍事顧問として招かれた村田さんは高杉の晋作さんから奇兵隊という組織を預けるから
その知識を活かして西洋式にしてくれよ!と依頼された
奇兵隊をとにかく西洋式の戦術で動けるように訓練を始めた村田さん
でも反発は藩内でとても強く時には涙もでちゃう男の子だもん☆
そんな中で長州は禁門だの長州征伐のごたごたがあった・・・禁門の変って後に言われるようなどうでもいいごとごとさ
でも村田さんはそんなの気にしない
とにかくひたすらに自分が預かった奇兵隊を西洋式の軍隊になるように励んでた
でもこれって日本じゃ2番目だ・・・日本一になるには・・・とオリジナル要素を日本流に組み替えていった
その間なんか長州は内乱してた
保守派と倒幕派が争ってた・・・高杉さんがなんか頑張って討幕派が覇権を握ってた
続く
64 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 20:39:42 ID:???
山田くんとか複雑な心境だったろうなあ
65 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 20:53:59 ID:???
>>63 禁門の変はどうでもよくないだろ
ぞうろくタンの目の上のたんこぶがごそっと居なくなったんだからw
しかし幕末京都で(どんちゃん騒ぎと)苦労してないのに、薩摩へのあの強烈な敵愾心はなんだったんだろうなあ?
だからか、新選組残党や会津への仕返しはしてないみたいだが(しかし他の長州人がやったw)
66 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 21:08:19 ID:???
長州はイデオロギーで動いていたけど
薩摩は利害打算で要領よく立ち回ったとおもっていたのでは?
67 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 21:43:56 ID:???
ケーキちゃんの認識はそんな感じだったな。
>>56 幕府歩兵隊はフランス軍事顧問団の直伝じゃん。
>>57 上野黒門口の件は単なる俗説。
当時参謀だった木梨精一郎の証言だと、多くの藩が主攻面である黒門口を希望した。
むしろ不忍池から本郷希望のが少なかったぐらい。
しかもあの薩摩が、主力として大手門の攻め手を任されることに不満を述べるというのも考え難いと思う。
軍事的に見ても、白河攻防戦の突出に比べたらw
ただ、大村と海江田の仲が壊滅的だったのはガチ。
68 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 21:50:11 ID:???
>>67 いや上野よりも北越会津方面で薩摩きつい任務ばかり当てられてるじゃん
まるで全部消耗しちまえ、と言わんばかりにw
69 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 21:53:09 ID:???
>>67 つうか慶喜は、自分の不甲斐なさが薩摩に見捨てられた原因だって認識が終生なかったのかね?w
70 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 22:00:08 ID:???
>>63 続き
外様にしてはあまりにも軍事力が高すぎ又
藩単位でテロ活動している危険な藩であると認知した幕府は長州藩の出兵を決意した
後の第二次長州征伐である
正直幕府は財政破綻寸前でとてもじゃないが大軍など単独では賄い切れない
その為に幕府は諸藩にも長州討伐を厳命し討伐軍が組織した
つもりにつもったりその数はおよそ5万
この大軍は大島口、芸州口、石州口、子倉口の4つに分裂し長州に向けて進軍してきた
我らの村田の蔵六さんはちゃっかり医者のくせに武士になっちゃった
村田の蔵六じゃかっこ悪いってんで改名したんだってさ
その名前は火吹きダルマ あまりにも人気があったことから愛称もあった
*これより村田の蔵六さんを愛称の「大村益次郎」と記載
長州はそれなりに大きい藩だったけどやはり幕府が見積もる軍勢には敵わない
五千人が精々だ!やばいぜ長州
しかも幕府軍は4つに分割しちゃったからこちらも分割しなきゃならない
石見方面を担当することになった大村の益次郎さんはその中の千人しかくれなかった
石見方面に向かっている幕府軍はおよそ1万人・・・正直・・・死ね!といってるようなもんだぜ大村さん
71 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 22:01:17 ID:???
でも村田さん打ち勝てる自信まんまんだった
なぜなら密偵の情報から幕府軍の動き掴んでた
----------------------【石見周辺地図】------------------------
| へへへへへへへへへへ ▲へへ
___/ ▲ ▲ ▲
/ \ へへへへへへ 幕府軍 へへへへへ
/ 長州凸□ \ へへへへへへへへへへへ^^^^へへへ
___/【MMM】)\___ へへへへへへへへへへへ^^^^へへへ
| \ へへへへへ
72 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 22:03:27 ID:???
バカだ幕府軍・・・山に阻まれて縦に長く点在しているぞ!個別撃破が可能だ!
現代戦はいかに陣地を守りぬくかにある!銃を主体とした散兵戦術で相手の士気を狩り落とせる
みたいなこといってた・・・多分・・・でもいってたんだ
その戦い方は卑怯!超卑怯!びっくりするくらい卑怯
だって草むらに隠れて相手が行軍してくる横から銃撃その後は全力で逃げる・・・追ってきた幕府軍に対して
後方から待機させてた兵に銃撃させた後に大砲を叩き込んだ・・・この繰り返し
思わず相手も涙目になって
「卑しき戦。勢を揃えて候て戦い候。義はこれなく賊徒同様の振る舞い致し候。」とかいっちゃう
大村の益次郎さんはそれ見て「俺の理論最高ーーー」とかいって喜んでるの。見てらんない。
1861年式のミニエー銃を全兵に持たせてる。だから弾薬の補給も容易だね!やったね大村ちゃん。
そうこうしてたら幕府軍の偉い人が死んだからなんか撤退していった。
この時点で大村の益次郎さんの評判は見事にも幕府軍を寡兵で倒したと最高潮となる
続く(ていうかもうやめていい?彰義隊面倒くせぇ)
73 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 22:10:15 ID:???
74 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 22:32:56 ID:???
>>68 北越は山縣がやりたい放題だし、会津口に関してはイケイケ伊地知さんの影響もあるのではw
75 :
名無し三等兵:2010/12/15(水) 22:37:26 ID:???
あの頃の山縣ってそれほど権力はなかったんじゃないの?
吉田松陰の教え子とはいえ下級武士だし
76 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 00:24:24 ID:???
>>72 大変理想的な戦い方に見えるんだがw
戦争に卑怯も何もないだろうよ。
77 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 00:39:06 ID:???
>>76 今から見ればね
大村が考案する戦い方は現代でいうところのゲリラ戦そっくり
だからこの理論を進めていくと現代の戦いに通じてくる
ただ当時は色々決まりがあった
旗を立てなきゃいけないだの・・・陣形をまとめてぶつけるだの
鉄砲も守りに使いはするが攻撃する時は槍などで突撃
銃を主体にして刀を廃した戦い方は画期的だった
ちなみにこの大村式の戦い方は日本軍が封印する
弾薬の消費量がケタ違いになって追いつかないから
78 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 01:18:35 ID:???
>>77 いやでもこれ散兵戦術って奴じゃないのか?
大陸軍どころか大王の頃のオーストリアやらプロシアの軽歩兵だの猟兵だのが
随分とやってたって言う。
まだ歩兵で済んでてしかも後方狙ってないからまだマシなんじゃないの?
向こうだとこれに軽装騎兵がプラスされて補給部隊どころか町まで襲うって話だが。
まあ、日本だと珍しいんだろうけどさ。
79 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 01:19:09 ID:???
手元に一次資料の引用があるので孫引きする。福山藩士書簡によれば
長人千人ほど出候噂に候えども、ようやく1バタイロン(大隊)のうちを半分に分け一行(縦隊)に押し出し、それより合図にて散兵に分かれ候ても、
二人ぐらいずつの打ち方、草木の陰あるいは百姓家の屋根の上などより打ち出し、身体顕し申さず、一場所より二発は打ち申さずよし。
煙を目当てに打たれ候ことを厭い、一発打ち候と場所を変え、ことに立ち込み(撃ち)いたさずみな寝込み(撃ち)のよし。また元込めの筒を多く用い候ご様子のよし。
山を登りまた駆け下り、あるいは屋根の上より打ち、すぐ飛び下がり候よし。猿のごとしと申しおり候。
また追々詰め寄るに従い、散兵広く散り候ゆえ多人数のように思い候よし。
しかるところ御家(福山藩)の人数はかかり初めは十分に散じ候ても、詰め寄るに従い、追々すぼみ集まり候ゆえ、なお(敵弾に)当たり候よし。
いまさら後悔間に合い申さず、畳の上の今津流(兵法)ばかばかしきこととし諸人申しおり候
…カラシニコフでも持たせたら、現代米軍とでも対等にやりあえるんじゃないかこいつら。この時代の軍勢(軍隊に非ず)じゃ勝てねーよそりゃ。
無論、これやるには指揮官教育が徹底してないと話にならんのだが、そこで
>>43の人が教育制度定めてるからねえ。
80 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 01:32:07 ID:???
>>78 >>72で書いたとおり散兵戦術ではあるんだが
西洋式の散兵戦術ではなく一歩進めてる
>まだ歩兵で済んでてしかも後方狙ってないからまだマシなんじゃないの?
逆・・・後方部隊襲ってくれたほうが良い
とにかく味方の損害を最小限に抑えることを徹底的にしてるから
攻撃する→逃げる→攻撃する→逃げる を繰り返す
追ってくるならそのままこちらのキルゾーンに誘い込んで狙い撃ちにする
追ってこないならそのまま逃げる・・・そしてまた潜む
これを組織的に統率をとって徹底的にやる
これが自発的に後方まで攻撃してくれれば逆に逆襲もできるんだが・・・それをしてこないからできない
これはゲリラ戦術
大村益次郎がいかに恐ろしい天才だったか解るだろう?
81 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 02:59:28 ID:???
>>80 十分に西洋式の範疇だよ
ただ、効果が大きかったのはどちらかというと培ってきた戦術の差が大きいと思う。
むこうの軽歩兵ドクトリンでもツーマンセルでの行動、敵の士官から狙う、近づいたら逃げるとかは普通に書いている。
もちろん、戦略行軍中の狙撃や、茂みに隠れての士官の狙撃→迅速なる撤退なんかも普通の戦術の範囲
ただ、むこうだと相手にも散兵がいるから、対散兵戦闘により、どうしても被害はでちまうし、騎兵が運用可能な地形なら、方陣を組む可能性があるから、そこまで散開できなかったりする
82 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 11:43:50 ID:???
83 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 22:22:42 ID:???
大村と大鳥、なぜ差がついたのか…慢心、環境の違い
経歴は似てるよね
まあ立場逆だったら大村は大鳥よりも活躍できてないだろうけど
84 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 22:27:54 ID:???
そもそも得意分野が違うだろう。
立場逆だったら・・は大鳥も同じだ。
軍政や高等統帥に関してはね。
85 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 22:30:43 ID:???
86 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 22:48:32 ID:???
>>72 無理はしなくていいけど、個人的にはみなもと太郎の画風で脳内再生されて面白いぞ。
87 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 22:49:02 ID:???
だた大鳥は性格はいいみたいだよw
88 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 22:50:22 ID:???
まぁ幕制下じゃ、大鳥の出番が遅くなるのも仕方ない。
大村が長州に帰ったのは正解だったな。
89 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 22:59:01 ID:???
>>87 経歴みると、日本に及ぼした影響は幕末より明治になってからのほうがすごいんだよ。
変人には日清戦争直前の駐清特命全権公使、駐韓公使は務まるまいて。
90 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 23:03:59 ID:???
>>84 大鳥圭介は指揮官としては失格かもしれないけど、負けっぷりの良さと
負けた後の身の処しかたがすごくいいからなぁ。これは榎本武揚にも言えるか。
91 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 23:09:21 ID:???
>>89 いや、そもそも政治向きじゃないんで……w
92 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 23:27:01 ID:???
榎本なんて裏切り者だなんだと叩かれまくったのに
なんで大鳥はそれほど批判されなかったんだろうね
93 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 23:34:58 ID:???
>92 まったくの素人目にも、大鳥には函館に到るまで陸戦で戦いに戦い抜いた実績があるからね。
一方榎本艦隊は、素人目にはぎりぎりまで日寄っていた感があるのを否めないのは事実だろう。
(この板では当然、フリート・イン・ビーイングによる抑止ってことになるが。戦わない役目も海軍にはある)
94 :
名無し三等兵:2010/12/16(木) 23:58:16 ID:???
ちゃんと考えて温存戦略取ってたのなら良いがそういうわけじゃなかったからな。
率直に言って榎本艦隊の行動と彼自身の軍事的手腕は余り褒められたものではなかったので。
江差沖への不用意な出港とそれによる開陽の沈没は全てを台無しにした。
95 :
94:2010/12/17(金) 00:08:44 ID:???
榎本武揚への風当たりが強いのは、やはり総責任者の立場だったという面が大きんじゃないかな。
96 :
名無し三等兵:2010/12/17(金) 00:13:33 ID:???
幕府軍で大村益次郎に対抗できそうなのは
戊辰戦争時の土方歳三くらいしか思い当たらんな
それ以外のやつは知識はあっても
軍隊を(当時の階級に拘ったバカどもを説得できない的な意味で)鍛えられないし
美化された先祖の英雄伝のままつっこむようなやつばっか
幕府側の最高峰は土方歳三で鉄板だと思う
97 :
名無し三等兵:2010/12/17(金) 00:20:48 ID:???
諭吉の勝や榎本批判には大鳥には含まれてないの?
だとしたら適塾の先輩だからとかそういう私的な理由かw
98 :
名無し三等兵:2010/12/17(金) 00:28:06 ID:???
>>96 当事者同士の手打ちで、戦争自体がほとんどなかった事にされちまったんで無名だが、
土方歳三よりは庄内の鬼玄蕃こと酒井了恒の方が将才は上だろう。
秋田藩の8割を占領したが、他に抗戦している勢力がなくなったんでやむを得ず降伏だ。
率いた兵も農工商がかなり多数(領主が変わって検地やられたら大変なのよ。
徳川300年一度も再検地やってない藩なんで)でミニエー多数装備と、長州に負けない内容だし。
薩摩は薩摩で、相手がよりにもよって庄内だ。
御用盗事件がらみで新政府の正統性を突かれると抗弁のしようがないんで静かに手打ちして幕を引いた。
…そして割を喰らったのは、肥前は武雄藩の秋田派遣部隊だ。
最悪の撤退戦の後衛を守りぬいた事の軍事的意味は判るだろ。それが無いことになってるんだぞ、畜生め。
あと、日露で大活躍した立見尚文も。
山縣が終世頭が上がらなかった相手だ、一度も戦場で勝てなかったんで。
99 :
名無し三等兵:2010/12/17(金) 00:55:41 ID:???
>>90 そんなことはない。指揮できる身分になったときは兵力的にどうしようもなかった。
>>93 新潟港を取れらるまで動けなかったのは痛いね。
>>99 その中で目を見張るようなことをしてないからなぁ
評価のしようがない
例えば土方だったら合流して早々に軍隊を指揮して宇都宮城を落としてたり
官軍500を相手に130の軍勢で押しとどめたり
102 :
名無し三等兵:2010/12/17(金) 08:28:03 ID:K/X4lwcF
誰それが最強とか言い出したら厨臭くなりそうだな
>>97 適塾の先輩後輩というのは大きそうだなぁ。あの性格のクソ悪い
大村益次郎が必死になって大鳥圭介の助命をしたのもそのためだし。
あと、適塾といえば手塚治虫の「陽だまりの樹」だなぁ。
>>97 諭吉は勝は嫌いだろ
アメリカ使節の時のふてくされ目の当たりにしてるだろうから
江戸開城だって、当時の武士の感覚じゃあ許されることじゃあないからなあ
>>104 榎本武揚と並んで勝もオポチュニストと批判しているしね。
なら、旧幕臣みんな批判しているのかといえば大鳥圭介は
大の贔屓と公言しているw
福沢もかなりねじ曲がった性格で、言行不一致な嫌な野郎だとは思うが
>>103 大鳥は江戸に行った時(江川塾の講師の時?)に大村に世話になったらしいね
しかし同じ後輩でも大村は福沢は毛嫌いしてる
一緒に英語の勉強しようという福沢の誘いを「必要ない」と断ったすぐ後に、
別の人と英語勉強してるしwよっぽど嫌いだったのか
塾の話をなしにしても
なんかみんなが大鳥に関しては擁護するよな敵味方とわず
現代にだって指揮官としては無能といったらすかさずいやそんなことはないっていう擁護がくる始末
よほど性格がよかったのか?
そういう奴っているじゃん
誰からも嫌われないって言うか
上からも叩かれないし下からも突き上げられないし
同僚からも妬まれない奴
でもそういう奴ってそれ以外才能がないのか
自分だけだと以外とたいした仕事できないんだよね
いやまぁ誰にでも好かれるのはすごい能力だし
そのおかげで他人に助けてもらえたりで
結果的に自分の能力以上の仕事が出来たりすることも多いんだが
脈絡の無いことを言うが
しばらくの間、「サンドウィッチで赤ワイン」というのを定番にしてた
>>109 ちょい待て。大鳥圭介の場合は指揮官としてはともかく、官僚としての能力は最上級だぞ。
上から嫌われてたと言えば、小栗上野介が居る。幕臣で唯一、将軍に罷免されたからね。
小栗は上の受けもそうだが同僚からの評判もな。
徳川支配の郡県制を布くとか言い出したら味方になる藩も敬遠するわ。
星新一に「はんぱもの維新」小栗を好意的に扱った短編があったな
小栗って能力はあるが、政治力や根回しが無いんじゃないのかな。
なんで小栗ってあんな評価されてるの?
乗船所つくったくらいでしょ
財政面をなんとかしたってきいたから調べてみたら単に権力を使った分捕りと
外国相手に国債発行してただけだし
大村も同じく能力はあるがKYで根回し出来ないが、上司に好かれて幸運だな
性格だなんだと構ってられる程長州に余裕が無かったのもあるだろうけど
なぜ?最高の部下じゃん
能力はあるが人に嫌われやすいっていうのは造反される可能性が少ないどころか
後ろ盾になってあげてるという「恩」を着せられる
厄介なのは能力はないくせに人をやたらと扇動して混乱させてのしあがるタイプ
119 :
名無し三等兵:2010/12/19(日) 15:39:07 ID:Ap3iwvyw
恩に感じるどころか
「後ろ盾になってくれている」ことすら理解してない可能性が高くないか、その連中は
人に嫌われる部下は使い難いだろw
まあ都合の悪いことは全部部下のせいにw
>>116 小栗は、新政府に問答無用でヌッ殺されて、それが悲劇の英雄イメージになってるんじゃないの
まともな業績は…だよねえ
糸井に大穴掘らせた事位だ
小栗が捕縛されたのが上野戦争後だったら、少なくともあのわけのわからない
斬首はなかったんだろうなぁ。
あれは確かに訳が分からんなぁw
現場の判断だろうか
小栗が入隊を拒否した彰義隊副隊長で上野戦争の首謀者の天野八郎ですら、
獄死してはいるものの斬首はされていないわけだしねい。
5月上旬に宇都宮城攻防戦があったりと、関東の情勢が非常に不安定だったことが
小栗の命運を左右しちゃった。
獄死というと安政の大獄を思い出してアレな気分になるがw
ただ、主戦派でしかも函館戦争まで行った小笠原長行や板倉勝静も、結局天寿を全うしてんだよなぁ。
しかも、この二人は奥羽列藩同盟にも噛んでるしw
小栗もケーキちゃんに付いてくか、むしろ函館まで行けば生きてただろうな。
>>126 慶喜は自分の保身と体面しか考えてないから、小栗みたいななにするかわからんのは付いてきても蹴り出すだろw
つうかマジ放り出してなかったっけ?
>>128 どうでもいいけどこの場合”うえの”と”こうづけ”がややこしいなw
軍オタ的には会津藩どう思う?
礼儀正しく勇猛果敢だのなんだのいわれてるけど
どう調べてもそんなエピソードはないよね
例えば新撰組の永倉の回想録にはやたらと会津藩士に見下されたとあるし
戊辰戦争では会津民に対して畳を背負わせて弾除けにしてるし
西洋式に改めようにも横柄でろくに仕込めなかったし
しいていうなら家老が鎧をまとって突撃したくらいか
戊辰役戦史の「花は白河、難儀は越後、ものの哀れは秋田口」
裏をかえせば会津駄目駄目、長岡手ごわく、庄内…官軍逃げて逃げてー!!って事で。
ただ会津は駄目駄目でボコられた分判官贔屓されてる面はあると思うね。京都守護職の苦労は否定出来ないし。
で、無茶苦茶に強い上、御用盗事件で薩摩の弱みの首根っこを握ってる庄内はうまいこと目立たないように手打ちした訳で。
…その庄内相手に終始最悪の後衛戦闘に徹した武雄藩士の苦戦はどこに(涙)
礼儀正しいというのが、能力が高い人や人格に優れた人に対してのものではなく
身分や制度を対象にしたものならば、会津の実体に即しているのではないだろうか。
彦根藩がまっさきに投降したのって
やっぱり第二次長州征伐でのアウトレンジ射撃への恐怖からかのぉw
>>132 凝り固まった身分主義にギリギリまで固執していたという意味では会津は礼儀正しいな
そして村医者だの足軽以下だの漁師だのの出身のものが参謀になってる長州は無礼ものだと
ヨーロッパ見てると兵隊の地位やらモラルの向上にさほど力を入れないで良い辺り
日本は特殊例な気がする。
>>133 桜田門外の変のあと、安政の大獄への批判も加わって、幕府や他藩から公然と馬鹿にされていて、
幕府のために戦う気などさらさらなかったから、という説を読んだことがある
>>136 それなら第二次長州征伐で先鋒はしないんじゃないの?多分
>>137 つ 神君以来の軍法
軍事的実力よりも慣習のほうが優先される世界もあるんだ
結果はまあ…w
この幕府では、奴らに勝てない。
直弼の安政の大獄の影響もあって幕末の乱では常に先頭に立たされ
その割に報われなかったから、戊辰であっさり寝返ったのではないか。
>>130 礼儀正しかったかは、まぁ越後口で庶民相手に色々やらかして米沢藩にまで迷惑かけてるから置いといて、
勇猛果敢ではあったんでないかな。少なくとも鳥羽伏見の辺りでは。
まぁその点でも薩長2藩は負けてなかったし、大概そういうのから真っ先に死んで行くんだが。
>>137 井伊が広島口の先鋒になったのは、それを命じられた装備優良な芸州藩が拒否したから。
本来は第二陣だったんじゃなかったっけ。
>>140 まぁ実際この動乱の引き金は間違いなく井伊直弼だからなぁ
井伊直弼のやり方は幕府のためを思ってのことだけど
?なことばかりしたツケだわな・・・幕府にとっての阿部の死は痛かった
>>141 あぁやっぱり拒否してたか
家康以来の軍法なのは承知の上だけど
当時の観点から見ても火縄銃と甲冑をつけるような藩を先鋒にするわけないだろう?とは思ったんだよ
家茂の為なら死力を尽くしますけど慶喜の為にはちょっとというのが
ひこにゃんの本音なんだよな。将軍の権威の源泉は血脈だから傍系か
ら将軍についた慶喜は本質的に統率力に劣ってる。だから、家茂死亡
の後に家茂暗殺の容疑を被せられ幕臣に暗殺予告を出されたり、鳥羽
伏見の時に慶喜を刺してでも京都に進撃するなんてことになってしまう。
>>143 将軍家直系の血筋なんてとっくのとうに絶えとるがな
>>144 別に絶えてないっしょ
御三家だって家康直系だし
>>144 八代吉宗以降は一四代家茂まで全部紀州系だろ。そして、慶喜は
江戸開府以来初めての水戸系。
>>146 だからそれも全部家康直系じゃん
水戸・尾張・紀州の御三家も家康の子どもだぞ
生まれも育ちも東京なんだけど、登山好きでよく奥秩父を歩いたり、
登山雑誌の紀行文やエッセイに度々秩父事件のことが出てくるので
興味を持っています。さて判らないことが一つ。
後から駆り立てられた百姓たちはともかく策源地の西秩父では
武装蜂起の日までに刀槍・鉄砲・弾薬・竹槍・糧食・草鞋・白鉢巻・白襷の準備の他に
真綿を縫いつけた防弾チョッキのようなものを用意したそうです。
「真綿の戎衣」「真綿の服帽」などなどの言葉が出てきます。
その地域は養蚕が盛んで、たぶん昔から一揆になると
そういうものを作って着用したのだと思いますが、
どういう物だったかお判りになる方いますか?
ちょっと検索すると日本では戦時中もそういうものを作ったそうですが、
明治17年の秩父地方で使われたものと同じかどうかわかりません。
>>147 いや幕末の時点では水戸は血流からみれば将軍家から一番遠くなって
るんだよ。紀伊も尾張も将軍家もオットセイ将軍の血が入っているから。
尾張はそれに反抗して独自候補擁立するけど。
>>148 防弾チョッキ=防弾するもの という考えは捨てるべきかなぁ
あれは弾を体から守るものではなくて
手榴弾の破片とか砲弾の破片から体を守るもの
破片というと対したことないように思えるだろうけど砲弾が爆発したときに飛び散る破片で
余裕で体を突き抜けたり流れ弾により兆弾のさいにでてくる鉛球の破片なども同様に人体に深刻なダメージを与える
それから守るために考案されたもんなんだ
「真綿の戎衣」「真綿の服帽」らもそれと同じ
なんかの拍子にふってきたりとんできたりする岩の破片や金属の破片から体を守るために着用したんだろうね
だって相手は警官や村田銃を装備した鎮台兵ですよ?
少なくとも敵のサーベルや銃弾を意識していたと思いますが。
困民党側は花火師などが木砲を装備していたけど、
官軍は砲兵までは持ってきてないです。
相手は筵旗だし鉄道駅から峠まで砲を運ぶのは大変だから。
>>152 うん・・・だから何もつけないよりは
つけたほうがマシってことでの妥協だと思うよ>真綿
残念だけど鎖帷子だろうが甲冑だろうが防弾チョッキだろうが
強化プラスチックだろうが防弾性能はないよ・・・止めれて精々小口径の拳銃弾
戦場じゃそんなもんは使わん
あたりゃ死ぬ
わかりました。ならまぁ防刃ベストってことですね。
どういう作りなのか知りたいんだけど。
ふと思いだしたが、10年以上前に図書館で軍関係の本を探していたら
村田蔵六 著 「海軍銃卒教練規範」(和綴 書写本) てのが一般に貸出可になってた
どうせ読めないだろうから実物は確認してないが、ちゃんと保管してるんだろうか。
閲覧や貸出リクエストが少なくなったら閉架式の保存庫に行くよね。
たぶん国会図書館に一冊あればいずれ処分されるんだろうな。
おれ前から不思議に思っていたんだけどさあ、
西南戦争では「かちあい弾」とかいって、
弾丸が空中衝突して合体することが多々あったらしいね。現物が残ってる。
で、「西南戦争では濃密な弾幕が張られました」という証拠として持ち出されるけど。
もっとずっと弾幕が激しかったはずの世界大戦では、弾丸の空中合体とかきいたこともない。
なぜだろう?
西南戦争までの弾は鉛がむき出しで、それ以後はメタルジャケットに包まれてるから合体しないってこと?
ミニエー大尉が何か言いたそうですけど
14.7mmと7.7mmじゃ断面積全然違うって。
しかし官軍はまだわかるんだけど
薩摩の一体どこにあんな大量の弾丸があったんだろうね
>>162 後方で製造もさせていたけど、戦場に落ちたものを
あとで付近の農民に拾わせて買い取っていたようだ
あの頃の弾丸って、しょせん鉛の鋳物
>>162 薩摩軍も現場で携帯用鋳型に流し込んで作っていたよ。
ドラマとかでもその辺は考証されている。
薩摩軍も幕末の会津軍と同じように洋式装備がデフォだったからね。
元々薩摩は藩士達が私費で弾薬を調達し、それを藩の弾薬庫に収めてた。
だから弾薬は備蓄されてたんですよ。
それを三菱に頼んだ東京政府が一方的に移動させようとしたので、
「おいたつの弾薬をないごて政府が勝手に持ち出すんか!」
と行動に出たのが最初の火薬庫襲撃事件。その後エスカレート。
そして東京政府軍が鹿児島を海路制圧した事により輜重段列は崩壊。弾薬不足に陥る。
(
>>163-165でも述べられてる手法は当初は補助的なものだったが、策源地の鹿児島が制圧された事により
その手法が主体となってしまった)
西郷札出したり現地挑発したりと人吉-宮崎の戦いでは弾薬の困窮は続くが、
可愛岳突破後は政府軍を強襲して得た弾薬でそれなりに充実。
弾丸は今の奴と違って再利用もできるだろう。
ちょっとくらいデコボコでも飛ぶだろう、当時の銃はアバウトだから。
でも、火薬は別だ。撃ったら火薬は煙になる。
どうやって数十万発(もっと?)の火薬を作ったんだろう。
硫黄とか熊本にあるのか?
南九州は硫黄の産地だろう
硝石も長年備蓄してたし、やはり一番不足したのは鉛らしい
漁師の使う漁網用の錘まで徴発してる
弾丸は釣鐘型の鋳型さえあれば、
現地でも量産は可能だからな。
肝心の原料の鉛をどう手に入れるかだな。
一応、鹿児島に鉛を産出する鉱山はあるようだ。
しかし、金銀を産出する鉱山が鹿児島に意外と多いのに驚いた。
菱刈鉱山はガチだぞ
日本では金鉱では佐渡が一番有名なんだよな。
銀鉱では石見が有名か。
一般的には金山では金、銀山では銀しかとれないみたいな印象を受けるけど、
実際には金銀セットで埋蔵されている鉱山がほとんどで、
単に金・銀の比率がどちらが高いかで金山・銀山か決まるだけらしいが。
菱刈金山>他の国内金山の合計
なんだよね。まぁ、大規模なのが見つかったのは20世紀後半だが。
元々調所広郷が贋金作りを大規模に勧めてて、
奄美の砂糖・密貿易と併せて途方も無い利益上げて
それを元手に軍事・産業の近代化、倒幕へと流れたのは周知の通り。
倒幕成功したからいいものの、薩摩はやることなすこと真っ黒だよな
>>173 無利子且つ2085年までの分割払いかw
実際には廃藩置県の時に債権債務関係は失効しているのだろうが。
債権者にとっては失効してもあまり事実上実害は無かったろうねw
そもそも琉球を通しての密貿易独占で利益を上げていたはずなのに、
薩摩藩が500万両及ぶ債務を抱えるとは何が原因なんだ。
島津重豪がちょっと…財政に関してまるで気を使わなかったから
国内における薩摩の政治的発言力を強めたり悪い君主じゃないんだけど
島津斉彬もまた・・・
まぁ斉彬の場合は近代化の先行投資だから意味合いが違うけど
でもそのせいで、開明派と財政再建派の間で血で血を洗うお由羅騒動だからなあ…
薩摩の財政悪化は、基本的に日本列島の端っこから大大名の格で参勤交代させられたことと無理難題な土木事業押し付けられたせいでね
重豪は悪役にされてるだけの気もしないでもない
ほぼ同じ地勢で大大名でも、細川家はあんまり財政破綻の話聞かないけどね
>>178 細川家は、実は借金を江戸時代初期からしょっちゅう踏み倒していたので、
江戸時代中期以降は大坂や江戸の商人に嫌われていて、そもそも金を貸してくれなかったらしい。
そのために、借金が少なく、幕末の頃には財政破綻に至らなかったらしいので、何が幸いするか分からない。
細川首相登場当時、国債踏み倒しによる日本財政再建を成功させる切り札の首相として、週刊実話に書かれていたのを読んだ。
>国債踏み倒しによる日本財政再建を成功させる切り札の首相として、週刊実話に書かれていたのを読んだ。
え?それ切り札でもなんでもないよね?
ただの財政破綻です
確かにw
鳩山をしのぐトンデモ総理だったとはw
細川の時点で日本が債務不履行宣言していたら、
世界の歴史はずいぶん変わっていただろう。
もちろん悪い方に。
184 :
名無し三等兵:2011/01/01(土) 10:53:16 ID:iX+gKh7O
>>148 で思いだしたんだけど、岩波の「幕府歩兵隊」に鎧とか小手、鎖帷子を
着てると被弾したときに却って破片で傷が悪くなるって話がでてくる。
この辺が日本で鎧が廃れた理由の一つで良いの?
日本で鎧が完全に廃れた理由は
彦根藩が体で実証してくれたから
ていうか鎧きて銃に向かう戦いを一度経験すればバカでも着なくなるw
当時の銃はまだ鉛玉を音速前後で飛ばしてただけだから、
10ミリ程度の厚さの鉄板だったら鎧として有効だな
歩兵じゃ重くて動けんと思うがw
戦国時代の鎧でどの程度の距離から撃ったんか知らんが、
火縄銃で試し撃ちして強度確認した鎧なんてのも残ってるよね
187 :
名無し三等兵:2011/01/01(土) 18:50:28 ID:iX+gKh7O
お試し胴は火薬を減らしてインチキしてたんじゃ。
188 :
名無し三等兵:2011/01/01(土) 19:02:53 ID:z+UzIrYE
鎧着たら、肩付け射撃できないんじゃないかと思うけど、どうなんだろう。
M4カービンみたいにストック短くするとか。
種子島にはストックがないw
>>188 戦国時代だと、鉄砲足軽は具足を付けさせない家もあったみたいね。
続戦国自衛隊(島原編)では陸自レンジャーが薩摩の顧問やってて
ストックつきの種子島やフリントロックのライフリング、ミニエー弾の実用化とかやってたが、
あれやられると当時の軍事技術が酷い事になりそうだ…w
(尤もライフルの大量生産が可能になるのはもっと後だが・・・)
>>192 大沢たかおの「仁-JIN-」を思い出した。
村上もとかってもうレース物描かないのかなー
>>186 実戦では竹束とか攻城機材を使ってたけどね
>>185 ガンマンがストーブの炉の鉄の扉を腹に仕込んで、
銃撃を防いだ映画があるんですがw
それよりも南蛮胴のように傾斜が付いて、
弾丸のエネルギーを逸らせる機能がついたものなら大丈夫だろw
>>192 戦国自衛隊は作者が明らかに戦国時代の考証してない
お笑い作品だったからろくに見てなかったけど
あの作品の中で
>ストックつきの種子島やフリントロックのライフリング、ミニエー弾の実用化とかやってたが、
なことさせてるの?w
軍隊の教官がいたからってライフリング銃を施せるわけないだろう
レーサーに1から車を作らせるようなもんだ
続き見なくてよかったよ・・・本当いらいらさせられるバカ本だった
>>196 いや、「続」の方だよ。
前作に比べるとまともになっている。
職人上がりの陸自隊員が鍛冶職人の弟子入りしてまで
当時の技術を習得させる描写とか(大阪の陣、その隊員はその後戦死)
ライフリングの話は島原編。
ライフルの切り方は上記の隊員からの伝授と外国からの伝授と言う表現になってる。
まぁ、明らかにスレ違いになるのでここまでで。
そういう「チート戦国時代」は、「天軍戦国史」がよかったな。
大学がタイムスリップして信長と一緒に戦うの。
工学や化学の学生だから、爆発物とか、無線機とか作れるし、
火縄銃の改良もできる。
飛行船もつくった。原付きのエンジンで動く。
でも、車のエンジンとか携帯の電子部品なんかを流用してるだけで、
ゼロから作り出すことはできない。
だから持っていったものが全部壊れたらもう再現できない。
壊れて、技術的優位が失われる前に、どれだけのことをできるか、という話。
>>198 戦国時代って基本的に
味方の1割が消失すれば裏切りが相次ぎ始めて
2割も消失すれば壊滅・敗走の世界なんで
ぶっちゃけ迫撃砲の一つでも陣地の密集地にぶち込んでやれば勝負ありだよ
戦そっちのけで民衆の略奪するやつもいるし
技術的優位が失う前に全国制覇できるわw
仮に技術優位がなくなったとしても体格・戦術的知能全て陸自が上
技術的優位がある段階で国の一つでもとっておけば後は負けようがないだろう
>>195 そら映画だったらな。
第一、鋳物のストーブ扉ったら分厚くて重たいものだぞ。
着て動く南蛮胴とは違いすぎる。
機器の損耗による技術的優位喪失より先に弾薬が切れるのが早いだろうな。
何より絶対的に人数が足りない、特に信用出来る奴が。
物事が戦だけで決まるものなら、宇喜多直家みたいな人間は生き残っていないだろう。
当時の日本の馬は小さかったから
戦国期でさえ南蛮胴具足は替え馬を十分用意できる身分でないと買えても使えなかった
そこで松風捕獲作戦
胴が南蛮胴に変わったくらいの重量増加で
馬の耐久性に有意な差が出るとは思えん
>>195 クリント・イーストウッド演じるガンマンは
鉄板を自分で切って胸当てをこしらえた。
それを思い出してストーブの扉を使ったのは「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のマーティだよ。
何の映画かと思ったらバックトゥザフューチャーか
聖書だの胸に下げてたロケットだのよりはまだマシだが
よほどの至近距離でもなければ
拳銃弾なら防げるんじゃない?
小銃弾ならどう頑張っても無理だけど
まあBTTF3は全編通して西部劇名作のパロディが沢山出てきたしね。
>>209 そんなに?
おれあんまり見てないからわからなかった。
>>199 陸自の話じゃなくて俺は大学生の話をしているんだがw
迫撃砲とかいわれても。
一時的に敵軍を壊走させても、その後、国を治められるのか、という問題になる。
タイムスリップしてきた奴らはごくわずかな人数だし、
学生はメカには強くても戦いの素人だから、現地の武士団との力関係は微妙になる。
武器を授けることはできても、実際の戦いでは彼らに頼らざるを得ないのだから。
だから、既存の鉄砲を改良するとか、
蒸気機関を作って輸送改革とか、電気で白熱電球で照明を行うとか、農業の改革とか、
電信線を引いてモールス信号で通信して、飛躍的に通信速度をあげるとか、
社会そのものを変えようと試みた。
単なる強い集団じゃなくて、
「他と隔絶した先進文明、みんなの憧れ」になれば、他の大名たちが、利益をもとめて頭をさげてくる。
昔の大学生は自作の迫撃砲つくっていたよ
>>212 いまでもたまに米軍基地とかにうちこまれるよなw
しかし、あんな花火は実戦でじゃ通用しねえw
>>213 >いまでもたまに米軍基地とかにうちこまれるよな
え? まじで?
時間感覚が京都人並みの人なんじゃね?
20年ぐらい前だと過激派のロケット砲発射とか時々ニュースになってたが
それでも流石に米軍基地ってのはなかったと思うが…
911以降にやってたら、それこそ機関銃で返礼されそうな
最近だと東京サミットのときだったか
数百メートル離れた無人の発射装置に対して
飛行場からどう撃ち返すんだ。
普通に制圧、捜索、捜査、処理という流れでは。
手間取ることはあるだろうが、911以降はなあなあにはならないだろう
イラクならともかく日本の米軍基地では無理だよ。
220 :
名無し三等兵:2011/01/03(月) 23:01:38 ID:B7oTov87
>「革命的追撃弾攻撃」
……。
なんでアカというか共産系はワザワザ革命的とか英雄的みたいな大層な冠詞をつけるのかねぇ
アイデンティティだからだろう
戦前の考え方は正しいってつくづく思うわ
治安維持法制定しようよ・・・売国=正義なんていう風潮がもう我慢できない
225 :
名無し三等兵:2011/01/04(火) 10:58:09 ID:/z0EK0ai
追撃弾って・・・ハイテクっぽい名前だな。
>>224 治安維持法ができれば、極左は壊滅するだろうが、
無関係な連中も大勢捕まる。俺もあんたもな。
戦前の治安維持法の運用を見れば明らか。
それでもいいって言うんなら。
「正義のためなら無関係な人間を巻き込んでも良い」というのはテロリストと全く同じ考えだと思うが。
あと、「売国=正義」なんて風潮は、今の日本にはないぞ。
現に民主党は負けたし、日教組の組織率は下がってるし、小沢や管や仙谷はマスコミ総出で叩かれまくってるし。
治安維持法は諜報スレでも評判が悪いな。取締の事務に即していない政治主導の法律だったからな。
当時の特高刑事の回想録でも、使いにくい法律と評判が悪かった。
今の日本に必要なのは、国防保安法・軍機保護法だろうね。
軍事百科事典(2011/01/02更新)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/ より部分抜粋
上ノ山藩 (かみのやまはん)
現在の山形県上山市にあった藩。要害でしられる上ノ山城と城下町であり羽州街道の要所としての宿場町
でもある上ノ山とその周辺を治めていた藩。上山藩とも表記されることがある。
戊辰戦争当時の上ノ山藩兵の戒服及び合印は、浅黄の平羽織の袖に白の山道。江戸での薩摩藩邸焼き討ち
事件に関わったほか、戊辰戦争では庄内藩とほぼ行動を共にした藩であった。
1823年(文政6年)より洋式兵学研究が始まり、諸藩の中でも早くから洋式兵学に力を入れていた藩である
ことがわかっている。幕末当時には1861年式オランダ歩兵操典を翻訳した『歩操新式』を採用し、蘭式兵制と
なるも、そのままオランダの歩兵操典を丸写しで採用はせず、安土桃山時代から続く徳川の鉄砲隊としての
25人組4隊の編成は原型として残し、蘭式の1小隊40人編成ではなく、1小隊25人とした独自の兵制となっていた。
正規軍として歩兵3個中隊(全6個小隊)の軍隊を編成。現在の上ノ山に残る『歩操新式』は小隊編と生兵
編のみで、大隊編、中隊編、鼓笛編は現存していないが、鼓笛軍楽があったことと、編成内容からみて
大隊戦術まで行っていた可能性が高い。武装は旋条式前装銃で統一され、予備兵力の町兵ですら
スナイドル銃、農狩兵すら最低火縄銃で武装していた。また大筒の製造にも力を入れ、幕末当時最新だった
四斤山砲(前装ライフル式の青銅製山砲)の製造すら行っている。小さな藩ながら、火力・錬度に優れた
軍隊を編成していた藩であった。
藩内では硫黄が採れることと、木炭と硝石の生産も行われていたため、火薬に関して生産に困らない藩で
あった。また、戊辰戦争終結時に新政府へ提出した上ノ山藩武器目録には、鉛が六百貫目とあり、これは
小銃弾にして約20万発分の鉛量であり、3万石の小藩としては不自然なほどの膨大な量である。当時は鉱山
などで鉛を産出していた可能性が高く、庄内藩が駐留して武器供与も行っていることから、上ノ山藩は
出羽戦線での弾薬供給拠点の一つだった可能性が考えられている。
参考文献 軍事史学 第183号(平成22年12月1日) 金子興三郎清邦と上ノ山藩 磯野圭作 2011/01/02登録
>現に民主党は負けたし、日教組の組織率は下がってるし、小沢や管や仙谷はマスコミ総出で叩かれまくってるし。
あれを叩かれてるとはいわない
麻生みたいに全然関係ないことで叩きまくるなら話は別だけどな
当たり前の批判じゃないか・・・それでもぬるいし
もしネットがなかったら今でも優秀な内閣っていわれてたんじゃないかな
田中角栄みたいにな
>>230 マスコミが「当たり前の批判」を行うことができるなら、
「売国=正義」なんて風潮はまったく存在しないってことよ。
「妄想乙」って感じだ。
できてないよ?妄想乙w
>>229 こういう小藩のドラマとか面白そうだなあ。
っていうか、戊辰戦争頃の大河ドラマってやらないのかな。
またネトウヨかよ…
ネトウヨは佐幕派?それとも倒幕派?
「ええじゃないか」に近い。
俄攘夷とか御用盗とかそんな感じじゃね
そもそもネトウヨの定義ってなによ?
ネトウヨを連呼するやつって決まって在日、アカの類だろう
2chに於いては、スレ違い板違いの政治演説をする酷使様だな。
おまえら、ここは幕末スレな
ずっと疑問に思ってたんだけど
なんかガトリングを使って英雄扱いされてる河井さん
あれってどういう使い方をしたのかな
ちゃんと狙撃されないように防備を固めた上で攻撃したの?
それともむき出しのままガトリング使ったの?
重症をおった経緯を調べるとどうみてもむき出しのまま使ったとしか思えんが
防備は固めてない。
元々防盾も無く背も高い兵器なので射手に対する狙撃に弱かった。
河井継之助がガトリング砲を購入したことまでは確実だけど
その運用と効果、河井自身が射手を務めて負傷したかは明確な史料無かったような。
取り回しでいえば砲兵の火砲と変わらんのに射程は歩兵のライフル並だからな
あぁ河井自身が射手をやったって聞いたからそうなのかと思い込んでたけど
にしてもやはり防御陣地構築しなかったのか
せめて塹壕を掘る発想があれば大分違ったとも思うんだけど
長岡藩は会津とか彦根とかと違って馬鹿じゃないんだからさ
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Gatling_gun 英語版Wikipediaに長岡藩や甲鉄で使用されたとされる1865年型ガトリング砲の
写真と図が有るが、この構造だと塹壕内から撃つのは無理じゃないかな。
車輪の直径が大きく、その最大高より下に銃身が位置しているから。
壕内から手を伸ばしてハンドル回して撃って、更に再装填は難しそうだ。
野戦築城するとしたら胸壁かな。
長岡藩のガトリング砲は知名度の割に使用実績がイマイチはっきりしない。
結局、長岡藩のガトリング砲は実戦では使ってないって説まであるからなあ。
>>247 塹壕の概念はあったよ
単に地形の問題かと
とりあえず戊辰戦争でまともに戦闘があったのは
会津、長岡、庄内、秋田、蝦夷・・・でOK?
あとは全部ドン五里で話にならないと
あの当時から南部と津軽の仲の悪さはガチw
もしも大村益次郎が暗殺されずに
あのまま健在だったらなにか変わったと思う?
医者のくせに軍事関連大好きだからこの後に頻発する
士族の反乱をノリノリで鎮圧したと思うけど
>>254 たとえあの場で暗殺されなくても、明治10年ぐらいまでにはまず間違い無く
暗殺されているだろ。
あの時期にはもう大村は左遷されて政治からは遠ざかってたんだから
暗殺されるはずないしむしろ部下も増えていって味方を作る真っ最中
いくら薩摩に異様に嫌われていたといってもあの場さえ凌げば暗殺されるとは思えないな
政治の暗殺は大久保がひきうけることになるし
>>254 西郷が下野したらどんな陰湿な挑発をやったかは想像するだけでご飯三杯いけるなw
そういうことはしないだろう
そういう性格じゃないし
まぁ・・・西南戦争は嬉々として指揮執るとは思うけど
もし生きてたら徴兵令のために留守政府に残ったか、
それとも西郷との不仲のため岩倉使節団で外遊したかなあ。
大村が副使になってたらぶっちゃけ伊藤いらないよな、木戸にとっては。
その方が下手に条約改正に手を出さずにスムーズに事が進んだ気もする。
政見は大体木戸と同じだから明治6年政変で下野は無いだろうな。
しかしその後に大久保と対立しそうだ、大村生きてたら薩長間の亀裂が更に深刻化するかも
外遊するという前提があるならそれはないな
岩倉メンバーは軒並み考えを統一することになるから
大久保も徴兵制の反対は絶対しないだろうし
大村は船に酔い体質だったらしいから外国には行かないっ言ってたし、外遊はしないだろ
部下には積極的に薦めてたけど
むしろ西郷下野後の軍部内勢力図が、大村によってどう変わるかが興味深いな。
もしかしたら台湾征伐はあの時期には無かったかも知れん。
大して変わらんでしょ
強いて言うならもっと日本陸軍が精強になったくらいで
あくまで軍の最高権力者であって政治家ではない
あと医者のくせに平和主義者というわけでもないので戦いとなれば嬉々として作戦考えると思う
大村って医者としての腕はどうだったんかねえ?
そっちのエピソード聞いたことがない
医者という肩書き自体蘭学学ぶための便宜的なもので、
研究医ですらなくて現場経験果てしなく0にちかかったりするんだろうか?
『風雲児たち』読めばその辺分かるよ。
腕は悪くないけど愛想がなさすぎて鋳銭司村の村医者としての評判は良くなかった。
>>265 あ〜そういえばそんな事描いてあったなあ
あんま昔なんですっぽり忘れてたわw
そういや一応開業医やってたんだよな
>>264 花神でもあったが、囚人の腑分けの執刀を任せられるという事は
技術は評価されてたんだろう
268 :
↑:2011/01/10(月) 01:24:05 ID:qEkOeQaS
沖田総司は拳銃撃たせても凄かったんかな?
>>268 撃ったことないはずだけど、
たとえば伊庭八郎は拳銃でも強かったみたいだから、
沖田もけっこう強かったんじゃない?
普段の得物じゃないからどうかな。
誰が撃っても同じだろ
弓道部出身の警察官によれば
弓道は拳銃射撃と通じるものがあるらしい
柔道や剣道の出身者に拳銃射撃の技量についての差は見られない
弓は山なりで計算するものだから
拳銃とは感覚だいぶ違うんじゃないの?
いや想像だから実際のところは知らないけど
心構えとか精神統一とかその辺じゃね?
もともと当てにくい所を、器具の改良じゃなく技量でなんとかしようとする辺り似てなくも無いw
動体視力とか反射とか、身体能力のレベルで秀でている人間は
剣術も射撃もそこそこ行くだろ
旧陸軍では「射撃馬鹿」と言って多少鈍い兵のほうが小銃の射撃は上手いとよく言われたが
>>275 小銃射撃は基本伏射で的も動かんからな
現代みたいに一般歩兵までCQBのやらされる時代だと違ってくる
ぶっちゃけ旧日本軍は白兵戦は強くない。
近距離用の火器が貧弱だし。
ただ、連合軍の砲撃を避けるために夜襲と接近戦を多用したら、
結果として夜間をジャングルを浸透突破という馬鹿みたいな回答になってしまっただけ。
古来よりの槍術が土台になってるから白兵戦つよいつーのは与太話なんかえ
この世に弾丸というものさえなければ
三八式歩兵銃は世界最強の小銃だよ
>>278 敵軍がこもる陣地に、敵より多い兵力を流し込めば勝てる程度の能力。
日清日露戦争の将官たちって、ちょうど幕末の戦争や西南戦争で初陣のやつらがおおくね?
乃木は山砲一門を指揮したとか。
そらそうだ
維新から30数年だからな
さすがに戊辰戦争経験組は、もう後方に下がってるか、10代の少年兵での参陣だな
村田銃が西南戦争で使われていたら面白かったけど
まぁ作られたきっかけが西南戦争の負傷による療養期間中だからあり得ない話か
こんな事書くと不謹慎だけど少年兵ってロートル連中より覚えが早いのかな?
熟練度というかもう少し広い視点での戦術・戦闘学というか
別に不謹慎でもなんでもないと思うけど
そりゃそうでしょうw
>>284 日本の武士階級の場合、それこそ生まれた時から戦闘員として訓練されてるから、
まあ現代的な子供兵とはわけが違う
そうした素地があった上での近代兵術の受容だから
>>275 当たるか当たらないかなんて
銃口から起算した弾道計算能力だけだろ
>>286 武士に地べたに転がれとは何事だとか、雑兵みたいな真似できるかとかは言ってましたがね
小銃の前に人間は平等にならざるをえないのだ
やはり、政権は銃口から生まれるのだなあ
>>272 学生の時から弓道やってるけど
同級生で警官になった奴に聞くと精神面はもちろん、
「『狙いをつける』という行為に熟練してる分アドバンテージを感じる」そうな
そら毎日朝から晩まで体力の続く限り射ってたからねぇw
あと両目を開いたまま照門をのぞきこんだら教官に「何でそんなことできるんだ」と驚愕されたらしい
>>292 どんな教官だよwww
両目を開けての照準ってあらゆる射撃で基本だろうに…
しかも警官なら拳銃だろ…
まぁ警察はそんなのいらないから
しょせんハンドガンでは当たらないし
当たるような至近距離ならわざわざ照準つける必要もないし
相手が初心者だと思い込んでいるからの驚愕じゃないのか?
296 :
名無し三等兵:2011/01/10(月) 22:47:58 ID:ZMD4B8wP
>>229 >武装は旋条式前装銃で統一され、予備兵力の町兵ですらスナイドル銃
素直に読むと、町兵のほうが優良装備なのだがw
たぶんゲベール銃の誤りかね?
幕府と薩長って戦術のレベルでいえばどんくらい離れてるんだ
誤審戦争の土方が良い例だけど
戦術レベルは大して差はないんじゃない?
差があったのは末端の練度の問題であって
幕府歩兵隊―幕末を駆けぬけた兵士集団 (中公新書) [新書]
野口 武彦 (著)
いやいや高等統帥から戦術レベルの指揮官まで差は結構有るよ。
大鳥や鳥羽伏見後の土方、立見尚文のような少数の例外を別にして。
それは官軍側もそうだろう
大村益次郎一人が飛びぬけてて後はあんまりね
んなこたーない。
大村が戦略レベルで飛び抜けてるのは確かだが、新政府側は他の人間も居る。
西郷隆盛、桐野利秋、大山巌、伊地知正治、板垣退助、山県狂介etc
後、長州に代表される諸隊の隊長が散兵戦術を理解しているのが大きい。
上級の指揮官の意図を実現させるにはこれら中級士官の質と数が大事。
軍隊のパイプ役だからね。
ただ末端の練度に差が有っただけならば、白河口の戦いみたいなことにはならんて。
>>306 幕府側にも洋式装備の隊はたくさんあって、普通に洋装してるぞ。
大村って軍略の天才とか言われてるけど実際のところどうなの?
石州口も上野も際立った勝利だったってのはわかるけど、相手がウンコだっただけじゃない
戊辰戦争はどの程度戦略に噛んでたよくわからんし
実際のところもなにも全てにおいて天才だったとしか表現のしようが
精兵育成、戦略、戦術、補給概念、先を見る目 全てが揃った天才
以上になんともいえない
東北でのシッチャカメッチャカの多方面作戦をほぼ一人で裁量して破綻させなかっただけで尋常な能力じゃなかったとわかると思うが
しゃぐまに赤い羽織姿が怖い。
なんでみんなあんな恰好してるん?
たぶん、戦場で他の兵隊と見分けがつくように、
そこに指揮官がいると皆に判るからだろう。カエサルみたいに。
そのころ日本には猟師以外に射撃の達人はいなかったし、
ほとんどの部隊の兵は下級武士で、
なおかつ戦闘法はいちいち個人に狙いをつけず
密集した隊列にむかってプッ放すだけだったろうから。
>>312 >なおかつ戦闘法はいちいち個人に狙いをつけず
>密集した隊列にむかってプッ放すだけだったろうから。
それはナポレオン時代のマスカット兵じゃないのか。
日本では戦国時代のときから、どちらかと言えば狙撃重視だったよ。
>>313 まあでも歩兵戦術が密集陣形基本だったから
散兵戦術の例はさんざ話題になっているとおりあるわけでもあるが
それでも歩兵が陣形の束縛を本格的に離れるのは、火薬が無煙火薬に移行して小銃の射程が飛躍的に伸びてから
それで迷彩とか欺瞞が考慮されるようになっていくんだが
同時に指揮官の有り様も、階級章を隠すまでに変わっていく
それまでは、目立ってなんぼで派手な格好するのが当然だったからね
315 :
名無し三等兵:2011/01/21(金) 16:36:36 ID:RZz3/r3R
ナチスドイツなんかは
見た目を重視しすぎた軍服のせいで仕官クラスが射殺されまくってるからなぁ
赤いしゃぐま見てると源平討魔伝の主役思い出して怖いねん
怖いわあんなんに襲われたら
>>311 この時代は迷彩効果よりも
派手でかっこいい服をきて気合を入れる、あるいは敵を威圧する、という効果の方が期待されていたんじゃないかな。
決定的に軍服が「目立たないように」変わるのは第一次大戦のときですよね。
たくさん死にまくって「目立つのはまずい」と、周囲に」溶け込む色になった。茶色とか。
それまでは真っ赤なズボンとか、いまどきアニメでも無い軍服が当たり前に使われていた
目立つかっこいい衣装で士気をあげるという意味もあったようで
第一次大戦では目だたない軍服に替えようとしたら
上記の理由で反対するものもいたようだ
古代から続く一種の戦士文化なんだろうな
敵味方識別重視の派手な軍服→目立たない地味な軍服の変化は、国によってかなり差がある。
イギリスのインド駐留部隊は、1850年頃は既にカーキ軍服。
おそらく、反乱の鎮圧などに苦労した経験だと思われる。
で、英軍は、19世紀末のボーア戦争の経験を経て、20世紀初めには全軍カーキ軍服にしてた。
日本も、日露戦争中にカーキ軍服に切り替えていて、列強ではわりと早いほう。
フランスなんかはWW1の初期まで、派手な原色の服だけどな。
日本軍のあれはどっちかというと
中国の背景に溶け込むための迷彩服的なやつだからイギリスとは意味が違う
まぁ運が悪いことにその後ジャングル戦が主な太平洋戦争になっちゃって
超めだったんだけど
>イギリスとは意味が違う
ん?
>>320 いや、イギリスも、背景に溶け込むために、軍服をそれまでの赤からカーキにしたんだが。
でもナポレオン戦争のころから
通称グリーンジャケッツという緑色の制服のライフル銃隊があったよな。
独立戦争で植民地軍と、たぶんさらに以前にフレンチインディアン戦争で
インディアンと戦った経験から創設したのが。
>>323 第95ライフル連隊だな。
迷彩服、散兵戦術、そしてライフルを標準装備。
ナポレオン時代にこれをやるとは…Manningham大佐ってもしやとてつもなく先見性のある人だったんじゃね?
緑色と迷彩服というのは同じではないんじゃ?
>>324 あの時期のイギリス軍も、興味深い人物が多いな。
ファーガソン・ライフルの開発者にして、あえてワシントンを狙撃しなかったパトリック・ファーガソン少佐とか。
>>325 一色でも、背景に溶け込ませる効果を狙っているなら、迷彩服だよ。
雪上迷彩だと、たいていのは白一色でしょ。
その意図があってのことかどうかがポイントだな。
>>306 幕府歩兵もそうですし、庄内藩、会津藩などの大きな藩から、
>>229の上山藩も洋装ですね。
西欧の歩兵操典を採用して軍隊が洋式化した藩は、服装も調練の都合から洋式化している割合が大きそうな気がする。
ミニエー以前の前装式ライフルを撃つ動画をyoutubeで見たけどめっちゃ装填しにくそうだった。
両膝で銃を挟んで思いっきりロッドを押し込んでたわ
>>330 あんなの戦闘中には無理だよねw
実質的に最初の一発で決めるしかない。
あと、あんなにゴリゴリッと入れたら、たちまちライフリングが鉛で詰まって、滑腔銃になっちまうんじゃないか?w
だからパッチという油のしみた丸い布切れを弾にかぶせて
押し込んだ。
>>330 ヒストリーチャンネルの「撃つためのデザイン・ライフル」の回で見たのは木槌でロッドの頭をカンカン叩いて
弾を押し込んでいたな
>>336 学問嫌いで、軍事教育を受けてないのに名将、というあたりが怖いよね。
そういうのは大抵優秀な下が支えて、重要な決断時を逃さずトップが決を下すような
コンビ打ち体制だったんだろうな。
質問:
当時パロット砲やアームストロング砲など、野戦砲で炸裂弾を発射できるものが実用化されていたよね?
19世紀の初め頃までは艦砲でも野砲でも実体弾やバラ玉を撃つものしか無く
炸裂弾は臼砲から少な目の発射薬で打ち出すものしかなかったし、
南北戦争当時でも凄く肉厚な臼砲が攻城砲として使われていた。
あれは炸薬が砲身内で発火しても砲手が死なないようにだと思うけど、
当時の艦砲や野砲ではどういう方法で安全を図っていたの?
>>339 腔発や砲身破裂が起こったら基本砲側の要員は全滅だよ
だから事故が恐れられたわけで
対策するとしたら、掩体や防壁に発射直前に隠れる以外ないんでないの
341 :
339:2011/02/04(金) 14:17:08 ID:???
それとも当時は野砲や艦砲から撃つのは
まだ榴散弾みたいに炸薬がほんの僅かなものばかりだったのかな?
薩英戦争では実際に砲側で暴発して死傷者多数出してるね。
初期の曳火榴弾の場合、装填前に着火するので
装薬が不発の場合、砲身から手を突っ込んで指で導火線を切るor揉み消す等をしていたらしい。
無論、手を突っ込んでも間に合わなければ…
今日の朝日夕刊に会津・庄内がプロイセンに同盟を申し入れたって資料が出てきたという記事が載ってた。
「北海道、または日本海側の領地を売却したいと内々に相談を受けた」って駐日公使がビスマルクにあてた
文書が出てきたらしい。
ビスマルクは他国の不信と妬みを買うことを恐れて、却下したようだが。
薩長を中心とする南日本と、東北にできた幕府共和国。そしてドイツ帝国領蝦夷。
なんか仮想戦記のネタとしては結構おもしろそうだな。
>>343 うわ…
全く実効支配していない土地を売っぱらおうなんざ、地面師にもほどがありますぜw
公使ならある程度実態を把握していただろうし、なんでわざわざ本国に照会したのかが理解に苦しむわw
>>343 これでまた星亮一、中村彰彦辺りがプロイセンとの同盟が成立していた!とか書くんだろうなw
>>344 会津が言いだすのは筋がおかしいよね。
蝦夷は会津のものじゃないじゃん。
榎本政権が言うんならともかく。
まあプロイセンが応じていなくてよかった。
応じていたらイギリスもフランスも本格的に介入せざるを得んだろう。
全面戦争だな。
さすがにビスマルクは下手に手出しするようなまねはしなかった
>>343 あと、「東北に出来た幕府共和国」は違うわな。
会津とか東北諸藩は、徳川幕府とはもう別体として戦っていたんだから。
仮に建国できたなら、それは
東武皇帝を奉ずる東武帝国だ
あ、東武皇帝の下に伊達将軍家がやっぱり幕府を開いちゃうかもw
観光史学の人間の中には会津が蝦夷地を支配下に置いていたとか書いてる人もいるからな。
奥羽越列藩同盟は圧力団体の域を出ないって学術書でも指摘されてるよ
東北に共和国だの北方政権だの言ってるのは観光史観の奴らだけ
観光史学ってなんじゃらホイ、とぐぐったら…
アイタタタ…
Wikiの会津観光史学の項で
>>現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています
ってwww
なんかあんまり観光と関係ないような気がするんだがw
むしろそこはノートの項目を見るべきだと思うんだがな。
早乙女貢、星亮一、中村彰彦等の歴史家もどきの作家を揶揄した言葉でもある。
なんでノートみないといけないのかな? 君の主張が主流の見解から外れていて
との意見もある類の扱いをわざわざ観る必要があるのかな?
別に無理にとは言ってないけどなぁ。
いぇす
今朝の朝刊に
>>343の続報というか、詳細が文化面に載ってた。
それによると、会津・庄内の両藩は当時北海道に北方警備の為に、幕府から根室や留萌などに
領地を得ていて、それを売るつもりだったらしい。
まず、1868年7月31日にプロイセンの駐日代理公使のフォン・ブラントは「交渉を長引かせれば、
どの当事者も疲弊し、より有利な条件を引き出せる」などと本国に書き送ってる。
これが船便で本国に届くまで2ヶ月ほどかかり、ビスマルクが「軍港の候補になるが、断るつもりだ」
と海相に通知したのが10月8日。この日に新政府軍は会津若松の城下に突入し、一ヶ月に両藩は
降伏。戦争がこれほど早く展開するとは、プロイセン側は予想してなかったのではないかと、記者が
書いている。ちなみにプロイセンの海相はこの話に乗り気だった様子が受け取れる返信をビスマルク
に対して出している。
つーか当時の世界情勢考えればありえないだろ
万が一プロイセンが介入してれば欧州は一触即発な雰囲気になるし
少なくとも日本は英語独語露語仏語のバイリンガルどころかトリリンガルだらけになってるだろうぜ
サッカー代表チームも今より強いかもしれないが
欧州以上に国内リーグはサポーター同士の抗争とか激しくなりそうで嫌だ
まじめな話、標準的独語はどこの言葉なの?
日本語は東京の山の手、
米語はニューイングランドのどっか、
スペイン語はカスティーリャ、
独語は?プロイセン?ブランデンブルク?
真面目な話は話題に相応しい板でやりましょう
間に有効な拠点0でいきなり根室に軍港とかありえないだろwww
まあ後に帝政ドイツが山東省租借したりするけどな
ロシアに話しもってったら、たちまち食いついていたろうな
何らかの契約が結ばれていたら、のちのちまで尾を引く厄介ごとの種になってたな
東北人に最後の自制があってよかった…
>>360 ドイツ語は一応高地ドイツ語ってのが標準だろ
ベルリンとかブランデンブルクはもともと辺境の地だし
とはいえドイツでは方言は社会的に尊重されてるのかミュンヘンではTVの天気予報すら思いっきりバイエルン訛り
関係ないけどバーデン人とチロルの山徘徊した後にムンスターで戦車博物館への道を地元のおばちゃんに聞こうとしたら「Ich verstehe nicht」とか言われ憤死
ドイツが統一したのは、普仏戦争後
>>362 相手にドイツを選んだのは、プロイセンのブラント公使の書記官やってた、スネル兄弟のツテじゃね?
この兄弟は、会津藩や米沢藩との繋がりも深いし。
政府にツテがあるロシア商人が新潟に来てたら、そっちにも話持ってったんちゃうかな。
そういえば新潟には
例の異常な軍事国家の上山藩の飛び地があったな
昔から新潟ときくとなぜかシュレスビヒ・ホルシュタイン州を思い出す
・・・そうかユトランド半島の付け根だものな
しかし、会津や庄内にドライゼ銃やクルップ砲が少しばかり入ってもあんまり有利になりそうには
思えんなあ。大規模な軍事顧問団を派遣してもらって、彼らに代わりに戦ってもらうぐらいの事を
やらんと、両藩の滅亡は避けられんだろうなあ。
あいづらしょうないな
飽きた寝る
>>336 具体的にどの辺で戦功を上げたの?
イケイケの伊地知さんの影に隠れているように思えるが
合図と庄内は蝦夷をビスマルクに割譲すると交渉してたと書簡あったよな
戦費調達とはいえ怖いなぁ
>>372 しかし、蝦夷に領土を持っていたといっても、書類上の話だろう。
海軍もなく、蝦夷を実効支配できない会津。
手にしていないものを、割譲も租借もへったくれもあるまい。
>>374 たとえ書類の上だけでも、条約さえ結んでしまえば、それを口実に介入できるのが国際関係。
実際に割譲なり租借なりの協定が成立していたら、明治政府はかなり困った状況に陥ったと思うぞ。
>>375 ああ、あんたが問題にしてるのは会津が滅んだ後の話か。
実際に会津プロイセン同盟が成立してプロイセン軍が薩長と激闘するって話じゃなくて。
「ところで蝦夷を割譲してくれる話があったんだけど。とりあえず根室に軍港作るから近寄らないでね。近寄ったら撃つよ」
「それは会津が勝手に結んだ条約で、新政府としては……」
「政体が変わっても国家間の条約・協定は引き継がれる、というのが国際常識です(キリッ)」
これはまずいなーw
キューバのグアンタナモ米軍基地みたいなもんだな
根室の青島化か…。WW1でドイツに宣戦布告するまでは延々と問題に
なり続けるんだろうなぁ。
イギリスあたりがまた引っ掻き回すぞw
>>376 滝沢聖峰の「ガンズ&ブレイズ」にまんまのネタがあったな
あれはいい漫画だった
>>380 最初からいきなり播龍VS朝陽のシーンだしなぁw
「あ!?」
「官軍は他にもおる!!おはんを斬らにゃならん義理はなか!!」
「それはこっちのセリフでェ!」
「ははは!!命を大切にせェ!!」
古賀は乱刃の中に消えていった。
そういえば、かわぐちかいじが戊辰戦争の漫画を描き始めたけど
どう思う?
主人公は伝習隊だから、最後は函館まで行くと思うけど
核兵器の奪い合いの超展開になるんじゃね?
384 :
名無し三等兵:2011/02/21(月) 16:31:42.08 ID:v8e3Dv2t
面白いんじゃないか。
鳥羽伏見の戦いを、近距離でのぶっ叩き合いとして描いてるのが良かった。
協力の恵谷治氏は昔アフガン従軍記とか書いてた人だね。
>>382 海江田顔と深町顔が新政府軍と旧幕軍に別れてぶつかり合うんだろうな
大鳥圭介が海江田顔だったら笑えるんだが
むしろ長州勢が超理屈の海江田軍団になりそうなのがなんともw
桂小五郎とかヤバス
高杉は深町タイプ海江田タイプどっちでも描けるが戊辰だともう死んでるな
んで掲載誌は?
>>388 thx
モーニングはビートルズがどうたらまだやってたよな?思ってた
敢えて言えば、
伏見の戦いで新撰組が例の隊服着ている事。
あれって池田屋以降はほとんど用いてなかったよね
あの格好じゃないと新選組ってわからないじゃんw
修羅の刻
土方歳三は箱館れ陸奥と最後の闘いに羽織を着た描写にしてるれしょ
あれをフランス軍服れ描くべきと言いたいんれすか
それはそれれ見てみたい気もするのれす
>>392 函館の土方と言えば、あの写真どおりの洋装がいい。
あれフランスの軍服なのか? 私服に見えるが……
>>393 軍服ではない。中古の洋服を仕立て直ししたんだとか。
>>393 やはり維新後の土方は、あの洋装写真のイメージだよなあ。
つか、初めて見たときは、マジでイケメンなので驚いた。
普通の三揃えフロックコートだな
西南戦争の薩軍でもフロックコートで出陣した幹部がいたな
村田新八だったか
あのさあ、かわぐちかいじの戊辰漫画(兵馬の旗)の2話を読んだんだけど
幕府軍伝習隊の面々が「中尉」とか呼び合っていたんだけど
当時、そんな階級はまだ作られていなかったのでは?
それともフランス語とかで中尉って言っていたの?
歩兵指図役とか歩兵頭とか、そういう
399 :
398:2011/02/25(金) 04:45:52.20 ID:???
あ、「作られていなかった」というのは「日本では使われてなかった」の間違いね。
ルテナンという階級が当時あったことは分かるよ。
幕府軍にあったとは知らなかっただけ。
仮にあったとしても、日本語には訳されてないだろうと。
かわぐちかいじにその辺を期待してはいけない。
浅田次郎が週間文春で連載してた一刀斎夢録って読んだ人いる?
捨てがまりってこの頃でもあったんだろうか?
>>398 差図役○○中尉とか言っているからな
差図役が小隊長のような役職でそれとは別に階級があったとか思っていそうだ
>>403 俺も勘違いしていたけど、指図役というのは「指揮官」という意味じゃなくて
階級の名前らしいね。
武装SSの「中隊指揮官」とかいう階級を連想した。
中隊指揮官は中隊長という意味ではないので超ややこしいw
歩兵奉行なんてのも、階級なんだよな。同時にたくさんいる。
やばいな意外に見所あるようで見所がない
戊辰戦争
407 :
( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2011/03/26(土) 21:35:33.98 ID:ClW5os0R BE:1246120496-2BP(1640)
408 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 14:54:30.61 ID:u5vJnXBG
>>406 戊辰の見所は長岡辺りの北越戦争と白河城攻防戦、あと庄内藩無双じゃね?保守
品川沖・淡路沖・宮古湾海戦も忘れんでくれ。
回天の初陣の品川沖海戦、後の回天の戦いぶりからすると余りにも惨め・・・
410 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 19:24:21.83 ID:3w4OF3/6
あの漫画の話題?
なんか単純に歴史をなぞるだけの話になりそうな....。
411 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 20:24:41.24 ID:JJ7w2smG
>>410 慶喜のバックレとか、そのまま描いてもなあ
情けねえ大将だなあで終わり。
せっかくロシア留学した奴とか出してるんだから
もっといろいろ変えてほしいよね
最終的に歴史は変わらなかった、でもいいから、奮闘してほしい。
いまのままじゃ、登場人物みんなが決まった通りに動いてるという感じ。
うむ、そこで太平洋戦争の駆逐艦を幕末にタイムスリップだな。
夢幻の軍艦大和が次回れ終了なのれす
いっそのことファブフォーが慶應4年にタイムスリップしちゃえば良いのれす
414 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 21:47:15.64 ID:JJ7w2smG
>>413 一体なにがやりたかったんだろう、という迷走ぶりだったな
415 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 23:06:52.18 ID:rQGC0qV7
長岡の闘いではガトリング銃が活躍したみたいだな
>>415 あれも、大して役に立たなかったとか、結局実戦では使用されていないとか、
諸説あってはっきりしないんだよな。
確かなのは、いつの間にか消えて行方不明ってだけか
矢張りカロリング朝ではガトリングボウガンで蛮族の侵入に備えるべきだったであろうか(苦笑
>>415 射手がむきだしで集中射撃にあったという話もある
機動性ないし、銃弾の補給体制も怪しいし、訓練
されたミニエー銃士の方がよほど使い易かったと
思われる。また艦載銃で宮古湾海戦での使用説も
あるが、これも小銃が乱射されただけという・・
>>415 ガトリングガンはクランクを手動で回転させるだけでもスムーズにやらないと
すぐ給弾不良を起こす。
いったん故障を起こせば直せる技術者や交換部品があるわけもない。
重量も大砲なみの500kg超だから運搬にも人手がいる。
おそらく敵軍に渡すくらいならということで破壊されて廃棄されたんだろうな。
>重量も大砲なみの500kg超だから運搬にも人手がいる。
ガトリングはどうしても重くなるんだなあ
すぐフォルクスワーゲンサイズになってしまう
ヒストリーチャンネルで見たガトリング砲はそんなでかい感じでもなかったけどなぁ
まあ重さは洒落にならなそうだが
>>421 ワーゲンサイズって、それはお前アヴェンッジ(ry
425 :
名無し三等兵:2011/04/27(水) 09:16:39.70 ID:rPOnR7h/
タイムスリッパーがA−10で幕末の城を撃ちまくったら、城側にしてみたら火星人に怪しいビーム撃たれてるのと変わらんだろうなぁ(笑)
幕末・明治の攻城戦経験した城は、有名どころで
会津・宇都宮・五稜郭・佐賀・熊本とかかな?
自焼撤退の例は結構多いけど
>>420 ほぼ同時期の普仏戦争で、フランス軍は、ガトリングとは異なるがやはり手動式の、
ミュトライエーズという機関銃を装備していたが、重量過大で大砲並みの扱いが必要なのに、
射程は小銃並みなので、実戦での評判は最悪だったそうだ。
このときの「戦訓」からフランス軍は機関銃を軽視していたのだが、
そのためにWW1の緒戦でドイツ軍より歩兵火力が劣ることになったという。
ただの無駄撃ちorz
当時の野砲だって榴散弾主体だから
考え方としては良いんだけどな。
>>429 クランクを回すと順番に弾丸が発射される、みたいなことが書いてあるが?
給弾は手動くさい
日本語版にもある記事ならそっちのほうが・・・
と思ったが情報量が段違いだからやっぱ英語版でよかった
岩堂憲人の世界銃砲史によれば「レフィー・ミトライユーズは、脱着できる遊底板があり、これにあらかじめ25発全部を装填しておき
、それを銃尾に取り付ける。そして銃尾にあるクランクをグルリと手で回すと、1回転で全銃身、25発がつづけて発射される。
撃ち終われば用意してある別の遊底板と交換して打ち続ける。この遊底板の交換は数秒で行える。」とある。
使用弾薬は制式銃のシャスポーライフルと共用だったようだ。
塹壕内に銃座を設けて使うとか砲兵陣地の防衛用とか
重量過大による機動力のなさが影響しないよう一工夫しないと
射撃手や装填手が狙撃されたり進撃に遅れて使い物ならなかったりするわな
>>436 英語版記事だと2500mから撃ってるんで、小銃なんか気にしないだろ。
ちょっと毛色の変わった軽野砲の榴散弾射撃だと思えば、それなりに使えると思う。
たとえミトレィユーズの性能が非常に優れていたとしても普仏戦争はフランスの負けだったと思う
439 :
名無し三等兵:2011/04/27(水) 20:30:08.99 ID:3f4hlpbJ
そういえばマカロニウェスタンには、ミトライユーズ風の外観をした機関銃が良く出てきたなw
>>426 水戸城もそうかな。
天狗党の乱では諸生党が籠城して天狗党の攻撃を撃退、
戊辰戦争では、逆に天狗党が籠城して、諸生党が藩校弘道館を付け城にして攻撃するも敗退。
441 :
ジャンゴ!:2011/04/27(水) 21:49:04.14 ID:???
>>428>>440 ご指摘ありがとうございます
甲府や萩も攻城戦はやってたかな?
しかし天守閣は軍事的には寧ろ邪魔のような・・
>>438 大砲の性能差が圧倒的だからなぁ。クルップすごすぎ
両軍の火砲を交換したって結果は変わらんよ
たぶん経過も変わらないだろうね。
そのぐらい全部が違いすぎて武器の差なんて・・・
ライフル銃の方は、シャスポーとドライゼなので、射程はシャスポーの方が良かったみたい。
って言うかシャスポーが活躍したのは、パリ・コミニューンの時って話しもあるから、フランス軍は、タバティエール銃とミニエー銃と少数のシャスポーで戦ったのかな?
フランス軍の大砲は、M1853?それとも四斤山砲?
ドライゼは、撃針が長いため、射撃中に折れる事故も多発したらしい。
兵器の多少の性能差は、戦略の差には勝てないのだな。
まあシャスポーにしても、不発の不安はあるしな。
メタルカート採用まであともう少しという時代なんだよな。
フランス版スナイドル銃のタバティエール銃は、ボクサーカートリッジだったのかな?
普仏戦争の時の戦術って南北戦争の延長?
>>449 延長というかリンクしてないだろ
別の大陸で双方勝手にやっていたという
ハードウェアはともかく、戦略でも戦術でもむしろ南北戦争のほうが一歩先に行ってた観はあるよね
内戦だったせいもあるが、南北戦争のほうがよりえぐいしな
しかし戦術史的にはまたえらいタイミングでやってるよな戊辰戦争
南北戦争や普仏戦争では
槍や刀を持った徒歩兵による白兵戦ってのは
そんなに目立たなかったのかな? もう銃剣とかあったんじゃないかと思うんだが。
前装ライフル歩兵が主流で後装銃が出てき始めてる時代だからな
>>451 あのタイミングだからそれなりの戦争ができたという現実も
旧式化した中古兵器が世界中から流れこんだからな
当時の日本は、国内に大量の金(きん)を保有してたし
それと19世紀中盤から20世紀中盤までは兵器の進化の速度がとんでもない
どこで戦争やってもえらいタイミングっちゃあえらいタイミングw
>>439 ガトリングにせよミトレィユーズにせよ棺桶に入れて引きずって歩くのは無理そうだなw
マカロニは予算がないから電気着火式で「それらしく作ってあればいいや」くらいの感じなんだろ
>>454>19世紀中盤から20世紀中盤までは兵器の進化の速度がとんでもない
今は兵器の進化はやや停滞していると見てよいのかなw
そういえば日本の開国が10年遅れてたら、近代化で西洋に追いつけたかわからないと言ってたのは
岩堂さんだったかな。
反射炉までは、古来の延長線上でなんとか対応できたけど、ベッセマー転炉みたいなのを一足飛びに
取り入れるのは難しいというような事だったと思う。
>日本の開国が10年遅れてたら、近代化で西洋に追いつけたかわからない
それは十分にある
10年遅れたら南北戦争中だから、開国を迫るのはイギリスかよ
>>454>>456 兵器のなかでも銃器に限っていえば1822年のパーカッション式改良以降は
マズルローダー&スムーズボア→ミニエー弾によるマズルローダーライフル
→ペーパーカートリッジ式ブリーチローダー→メタルカートリッジ→手動連発式→自動装填式と
基本的な原理は19世紀末もしくは20世紀初頭でほとんど出尽くしてしまっているな
後は弾丸1つ1つを誘導式にするとか程度
19世紀前半は、フライス盤等の工作機器の発達により機械製品の量産化が可能になった時代。
19世紀後半は、鋼鉄が安価に生産できる様になったり、化学が発展し新たな火薬が発明され、兵器が高性能化した時代。
ていう感じだと思う。
>>452南北戦争では
戦争初期に銃剣突撃やってあまりの死屍累々にあきらめた
模様・・騎兵もサーベルや槍より、コルトの方が撃てるし、
棍棒にもなるので、重宝されたようです・・
ヨーロッパは貴族の権益で、騎兵が第二次大戦初期!まで
残りましたが
>>452 >槍や刀を持った徒歩兵による白兵戦
そういった編制の部隊は最早消えていたので発生しようがない。
銃剣自体は17世紀に登場している。
クリミア戦争で、将校の作戦ミスによりどっかの騎兵部隊が敵の大砲の前を突っ切って移動する作戦を行うことになり
壊滅的な被害を受けた、なんて話があったような
バラクラヴァか
伝令による命令の伝達か解釈のミスじゃなかったか?その伝令も戦死したはずだが
被害は甚大だったが、最終的にはロシア軍の砲兵陣地の蹂躙に成功したはず
軽騎兵の突撃ですな
>>465 伝令が戦死したので、命令を出した指揮官が、伝令の伝達ミスってことにした説もある。
>>467 肉弾三勇士も似たような話あるよね・・
導火線の長さ間違えたって。大叔父が
久留米の工兵連隊で同期というか同じ班
だった。時代、戦場は違えど国家・民衆が
英雄を必要とするのは変わらんね・・
色んな意味で
今回の福島原発事故で、復旧作業をした作業員が放射線障害で亡くなったとして
これを国葬にして遺族に謝礼をたっぷり払ったとしたら
日本人はそこまでする必要は無い、と嫉妬する方向に考えるんだろうな
>>470 で?だから何?
下らない日本人論を語ってオナニーしたいなら、自分の日記でやれ、馬鹿
そんな事より19世紀の話をしようぜ
軽騎兵とか胸甲騎兵が参加したのは普仏戦争まで?
ポーランド侵攻
サーベルや槍での突撃って一応WW2でもあったのね。
ポーランド騎兵といっても銃で武装してるもんだと思ってた。
>>475 いや、ポーランド騎兵の突撃って、かなり脚色された話だよ。
実際には普通に銃で戦ってる。
一方ナチスは機械化歩兵ry
ソ連も騎馬突撃やって師団壊滅させてるな。
騎兵というより、乗馬歩兵や挺身隊がWWUの
騎兵部隊だな。
>>476 馬で戦車に突進して爆薬投げ込んだんじゃなかったのか
じつは21世紀に騎兵突撃を成功させた連中がいるという・・・
幕府軍も旗本で騎兵作ろうと仏から軍馬輸入したけど
お偉いさんの高級乗用車・現場指揮官の戦場タクシー
扱いで物にならなかった。鹵獲した薩長も同様。
こうしてみると戦国時代の騎馬運用にも色々疑問が
わくな・・江戸太平の断絶だけじゃないだろ
>>462 騎兵自体はWW2通して小規模ながら存続してる。
全員StG44持ってティーガーUに随伴する戦車随伴騎兵ってのは大戦末期のドイツに実在したぜ。
ティーガーUの機動性に丁度見合って重宝された。ベーゼラーガー隊という。
…別な意味でも有名なんだけど。
あと、日本騎兵は日本騎兵で1945年3月に乗馬抜刀突撃を老河口飛行場でやらかした。
中国人民解放軍も相当長く騎兵を保有してるよ(核実験に参加した映像が残ってる、いやマジで)
http://www.youtube.com/watch?v=k1ouBARtf2k
483 :
名無し三等兵:2011/05/01(日) 00:32:25.21 ID:tXpMUPrF
>>482 そういやラスカンにも出てたな
老河口でやった第四騎兵旅団って終戦後
国民党騎兵の教育したそうだけど
国共内戦でも騎兵突撃はあったのかな?
太平洋戦争で本土決戦が現実になっていたら
刺突爆雷をもった騎兵がM4シャーマンに突撃してたのかな。
当時は馬のほうが人命より貴重そうだからそれはないか。
肉攻戦術の意味が無くなるぞ。
歩戦分離した後の戦車の隙を突いたり、物陰でやり過ごしてからやるものなんだから。
>>481 >お偉いさんの高級乗用車・現場指揮官の戦場タクシー
1860年代の騎兵の使い方としてはそんなに悪くないよ。
通信手段が未発達だから指揮官はあちこちをなるべく早く移動して
命令やら戦闘やらをしなければならないから。
一番良いのは軽騎兵を伝令や警戒、偵察、追撃で運用することだけど。
多分、幕府が高島秋帆が最初に演習したような騎兵運用をしてたら
もっと悲惨なことになってたよ。
>>487 騎兵運用・・伝令としては戦国の母衣衆の伝統は途絶えて
たのかな?あと、鳥羽伏見では乗馬指揮官狙撃、幕軍混乱
だから、前線乗馬指揮は無理があるのかな?
イタリア軍も騎兵突撃成功させてるんだよな
マスケットの時代でさえ歩兵の戦列を砲兵や機動で崩さないと方陣組まれたり銃剣の槍衾で突破し切れなかったりで大損害を出すのに
ミニエー銃の時代に下手な前線運用したらあっというまに消滅するぞ
移行中の過渡期で、大半は滑空マスケだけど一部部隊にはミニエーも配備されていた。
騎兵の突撃って、最終打撃を与えるんじゃなくって?だから方陣とか乱れたときに突っ込むとか
>>493 普通はそう
だから、準備万端整えている砲兵陣地に正面から突っ込んだバラクラヴァの軽騎兵の突撃は、
勇敢ではあるが愚行とされているわけで
>>488 母衣衆と近代の騎兵では、例えば南北戦争の騎兵がやっていたような任務とは
求められる能力と訓練が違うと思うよ。
>>495 前線は無理でも後方の連絡役くらいはできそうだけど
それも馬を使用した形跡がない・・労働の使用で馬格
が落ちてたという話も聞くが、武士用もそんなに劣化
してたのかな?
>>496 そもそも技能的に乗馬ができる人間が限られるような気がするが
農民上がりの銃卒には無理だろう
あとは鉄砲の音で動揺しないような訓練がされていないとか
鳥羽伏見の滝川播磨守ではないけど
此処のスレ的に「兵馬の旗」ってどう?
500 :
名無し三等兵:2011/05/03(火) 20:03:27.04 ID:Bs1qNlzK
>>496 身も蓋もないことを言ってしまうと。
騎兵に限らず戦国や江戸初期の技量や戦術を実践できる人間は旗本には居なかった。
長い泰平の世では他の事の方がコネが出来たし、金にもなったから。
肉体的にもキツイ鍛錬をやる者は少数だ。
そもそも関ヶ原から20年の大坂の陣においてさえ
技量や体力の低下は嘆かれていた。
馬自体には農村でも乗れる者が結構居たらしいけどね。
農村でも作業や急ぎの用には使ったそうで。
もっとも馬が飼えるような家は割合豊かな農家ということになるが。
そういえば忠臣蔵も「早馬」ではなくて「早駕籠」だったよな
あれは生類憐みの令で馬の早駆けが禁止されていたからだと思ったが
>>494 ワーテルローの頃でさえ、ネイの騎兵突撃は、
歩兵の方陣に大損害を受けてるしなぁ。
>.503
てか歩兵の突撃ですら突撃破砕射撃で頓挫している
騎兵とか歩兵に関係なく「衝撃力」に対する「火力」の勝利というべきかもね
当然、「衝撃力」を売りにしていた騎兵がワリを食うわけで
歩兵は「火力」も大いに活用出来たので、生き延びたけど
>>504 そういえば、その時の記念の熊皮帽子を被った近衛第一連隊(ロイヤル・グレナディア)
が先日の結婚式で活躍してたね。
>506
歴史と伝統の近衛第一連隊はいいねぇ
英国騎兵の馬格すごいな、確かにこれが突貫してきたら
訓練された銃兵と指揮官いないと崩れるな
>508
実際映画の「ワーテルロー」の騎兵突撃で崩れた方陣があるんだって。
中世ヨーロッパの騎士と同じで、日本の“馬上”とは単に馬に乗ることではなく、騎乗する資格を意味する特権のことだ。
ゆえに軽率の足軽は騎乗を許されないし、逆に小身でも特別の報奨として、馬上を身分に引き立てられ、騎乗を許される事も
あった訳だ。
また単純に「騎兵」「騎兵」と言うが、日本では明治に入るまで、兵科としての騎兵は殆ど存在しなかった。例外として、
道灌の馬上足軽なんてものがあった程度。むしろ兵科としての騎兵は、明や清などの大陸でこそ発展した。
たとえ戦国時代であっても、中国大陸や欧米的な意味合いでの騎兵は、運用も編成も出来なかったことだろう。その意味で、
偵察や警戒、伝令や追撃といった軽騎兵的な運用は「初めてにしては上出来」と評価するべきだろう。
>>509 どうでもいいけど、あの映画の方陣はおかしいよな。
菱形になっていた上に、その配置が市松模様になって無かったとか?
あの映画は日本でDVD出とらんから古いビデオを探すしかない。
この前の結婚式を見ていたら、無性にこの映画が視たくなって、
輸入盤を注文したよ。
明日位に到着予定で、楽しみだよ。
>>516 おお、ではのちほど解説お願いします
最近の映画ではサハラに舞う羽根で方陣が
でてたような・・
あれは、方陣が破られてじゅうりん(変換出来ない)されるんだよね。
この方陣の配置では、歩兵が味方撃ちしちゃいそうだな。
大隊毎に方陣を組むとすると、
60人×4列×4辺≒1000人
て勘定かな?
横60人だとすると、方陣一辺の長さは概そ50m位でしょうか?
当時のマスカットのrpmが2、後列2列が発砲と仮定すると、
15秒に1回、幅50mに60発の弾丸が発射される事になるのか。
当然、市松模様に配置された他の方陣からも発砲される訳で、
単純に考えると、騎兵側の大半はその1〜4倍の弾量を浴びる訳か。
いくらカッコイイからと言っても、そのお役はごめんだなぁ。
第14騎兵師団の師団長ドロール中将は敵の方陣の前で敬礼してみせたそうだ。
基本的に当時の士気では命がけの戦法は通用しなかったと思うけど
少しでも危機的状況になったらすぐ逃亡したようだし
官軍、幕府軍同様
ただ土方が指揮した部隊は精強だったようだけど
524 :
521:2011/05/04(水) 12:53:58.65 ID:???
書き込んだ後、気が付いたが、
味方撃ちを防ぐ為に、方陣の一辺は150〜200になっていたのだろうか?
それにしても、対抗手段を持たない騎兵にとっては鬼門だな。
>>524 方陣には砲撃。砲撃で方陣崩して、歩兵で白兵戦展開して、騎兵で突破。
526 :
名無し三等兵:2011/05/04(水) 13:38:06.90 ID:iN/niMAk
>>523 奇兵隊はじめ西南雄藩の諸隊も別に土方の部隊に劣っちゃいないよ。
庄内藩の鬼玄蕃がアップし始めました。
>>526 んーーーどうだろう
そりゃ第二次長州征伐のころの尻に火がついた長州兵ならともかく
数に物をいわせる戦い方をしていた当時の官軍が土方隊並か・・・といわれればちょっと思えないな
そりゃ第二次長州のころの熊本藩以外の藩の士気に比べればまだ高いのは確かだけど
土方がすごいのはほとんど独学で戦術や運用を習得したことだな。
>>528 数に物を言わせるって白河城攻防戦の戦力比知った上で言ってるのか。
大体、鳥羽伏見だって数に物を言わせたのは幕府側だよ。
そもそも土方も「退けば斬る!」を実践して督戦隊方式で士気を維持したという言い方が出来る。
新政府軍は序盤ずっと数的劣位にあった
覆すのは中盤移行
え?戊辰戦争の話でしょ?
土方が完全に指揮をとるころには殆ど数的劣勢じゃん
圧倒的に優位だったのって宇都宮城の戦いくらいだよなぁ
と自分の記憶ではそうなのだけども間違ってたら恥ずかしいので調べてみたけど
やっぱり宇都宮城くらいだよね
完全に指揮を取るというのは、どの時期、どのレベル(規模)を指して言ってるんだ。
新政府側にも旧幕府側にもそれぞれに卓越した指揮官が居たという話であって
誰々が一番という性質ではないと思うだがな。
>>533 大鳥にしろ土方にしろ部隊指揮官でしかないが。
>>521 ナポレオン戦争の頃のマスケット銃は、当時の実験によると、約100歩(70〜80m)の距離で、
敵の方陣に3割が命中すれば御の字のレベルらしい。
当然、実戦だと緊張や恐怖でさらに命中率が低下するので、全力疾走中の騎兵にはそうそう当たらない。
馬は本来臆病な動物で、いくら訓練しても、方陣は壁や崖のような障害物として認識してしまうそうで、
突撃を躊躇してしまい、攻めあぐねているうちに火力で撃退されてしまうそうだ。
一方、一旦方陣が崩れると、馬からはまばらな立木などと似たような障害に見えるので、
騎手が命じれば、隙間を縫って前進するのだとか。
>約100歩(70〜80m)の距離で、敵の方陣に3割が命中すれば御の字のレベルらしい。
ミニエー銃って偉大な発明だったんだな
539 :
名無し三等兵:2011/05/04(水) 22:38:04.86 ID:CsifsyNy
>>523 土方隊だけが特別に精強というのは事実に反する。
古屋ひきいる衝鋒隊だって善戦しているし、伊庭の遊撃隊も断じて臆病ではない
あと立見の雷神隊とかスゲエ強かったらしいぞ。
そもそも「土方隊が強かった」のは「土方が強かった」のか、
「土方の上官である大鳥が強かった」のか、なんとも言えない。
大鳥は北関東では大戦果をあげているんだから。
540 :
名無し三等兵:2011/05/04(水) 22:52:05.22 ID:CsifsyNy
>>533 土方が完全に指揮を執った、というのはどの戦い?
「小さな隊を掌握」ってだけなら鳥羽伏見も該当するし、
「何千人規模の大きな隊のトップ、他人の邪魔が入らないで指揮できる状態」ってのは、宇都宮の戦いだけのはず。
その後の会津や蝦夷では、彼は「大鳥の部下のひとり」でしかない。
たくさんある隊の一つを指揮していただけで「完全に指揮をとる」という言葉にそぐわない。
>>537 命中率だけなら日本の火縄銃のほうが良かった。
ナポレオン時代のマスケットの発火方式であるフリントロック式は強力なスプリングで火打石を鉄に激突させ、出た火花で火薬に引火させる方式だからどうしても銃身がぶれる。
おまけに火皿に引火させる方式では鶏頭や火縄挟みがおちてから薬室に引火・燃焼・発射まではどうしてもタイムラグがある。
その間に銃身が動いてしまえば命中などおぼつかないわけで日本でフリントロック式の銃が普及しなかった理由のひとつ。
ナポレオン戦争の頃だと英国はライフルに切り替えてたような気がする。
プロイセンは一部の部隊でライフル運用かな?
イギリスはブラウン・ベスの時代で、まだライフルリングの無いマスケットだったよ。逆にプロシアこそが、フリードリヒ
大王の時代からライフルの導入に積極的で、これを装備した猟兵を散兵として運用していた。あと珍しいところでは、一部に
オーストリアが、空気銃を採用していた。
日本が火縄銃を選択肢たのは、どちらかというと湿気の影響下における不発率の問題のほうが多かったとどこかで見聞したことがある。
たしか、ベトナムあたりでも、火縄式を採用していたはず。
また、英国のインド駐屯軍やセポイも火縄式をあえて使うこともあったときいたことがある。
ただ、湿気がない状況だと、フリントロック式のほうが不発率が低く、密集でき、射撃に必要な時間も短い(火縄の防発安全手順省けるからかな?)から、やっぱり良いのではないのだろうか?
特に手元で防発しないってのがよさそう
逆に雨が降ってる状況では役立たずで、雨天戦闘にて、英軍の方陣がフランス軍の騎兵のみの部隊に破られることがあったり。
イギリスはナポレオン戦争期以前からには精鋭部隊においてライフルの動員を進めているよ。
特に、アメリカ独立戦争でアメリカ側が使用したライフルの有用性に気づいた後からは結構迅速にやってる。
まぁ、一応ライフル発祥の地だしね。
一番有名なのはグリーンジャケット連隊だろうか。
ただ、一部精鋭部隊や狙撃兵に配備されただけで、全体への普及からは程遠いけどね。
ライフルは削るのに手間かかるから滑空の3倍近く金かかると
聞いたことがある・・戦争は数か質か・・迷うよな、兄貴
>>543 原書房のナポレオン戦争全史には英国はライフルも運用してたと書いてある。
ブラウン・ベスともう一種類のマスケットも運用してると書いてある。
>>545 ライフルを削る手間はどうでもいいんだが、丸弾を込める手間まで三倍なんだよ。弾数勝負の正規戦では使えない。
椎の実状で、爆圧で底が膨らんでライフリングに食い込むミニエー弾以前はね。
で、戊辰戦争に決着付けたのは、滑空と同じ手間で弾込められて、ライフルの精度なミニエー銃だ。技術革新の時代です、幕末は。
>>546 >>544 付言すると、英軍は世界最初の「後装式」ライフル銃(言うまでもなく原始的な代物)もアメリカ独立戦争で運用してる。Patrick Fergason大尉のFergason Rifleだ。
開発者自身がジョージ・ワシントンを弾く寸前まで行ったんだが機を逃し、その本人がKings Mountainの戦いで戦死したんで発達しなかったが。
>>541 そりゃ元々鳥撃ち用の小威力高命中率がそのままの形で大口径に奇形進化したものだからな
鉛より柔らかい金属を使えば
突き棒で押すことで弾丸を広げる作業が
容易になるなw
鉛より柔らかく、常温で固体且つ発射時の熱にも固体を保ち、鉛と同程度かより安価な金属…。
無理そうだ。
>>551最後の条件を除けば存在するな
でもドラキュラ退治になってしまうなあw
555 :
名無し三等兵:2011/05/05(木) 09:18:11.11 ID:wW2DecrN
>>553 銀は鉛より硬いようだけど。
融点が適度に低くないといけないってのもあるな。
556 :
548:2011/05/05(木) 10:29:10.17 ID:???
ライフリングによって、弾丸の表面がギザギザになって、高速スライダーや高速フォークになったりはしないの?
>>557 スライダーやフォークの原理を勉強してこい!
・・・、ジャイロボール(ボソッ
だって、野球のボールの表面削ったり、傷つけたりすると、変化するって言うじゃない?
力でいえば銃弾の回転による効果のほうがずっと大きい
>>559球形の弾丸はしばしば回転のため左右に曲がった
岩波文庫の「火縄銃から黒船まで」に書いてあったが口径より小さい円球弾を平滑銃身で発射する場合は
極端に表現すれば弾丸が銃身内面にぶつかりながら不規則な回転を付けながら発射される。
弾丸の速度の高いうちは直進するが空気抵抗によりエネルギーがなくなってくれば回転の影響が出てくるのは道理
マグネシウム合金だと、やわらかいのはいいが軽すぎるか。
565 :
名無し三等兵:2011/05/05(木) 21:30:38.72 ID:RZvtccoS
>>550 それより、ミニェー弾の工夫なんて誰でも思いつきそうだけど
なんで何百年も思いつかなかったんだろうね。
あるいは散弾銃のライフルドスラッグ弾みたいに
「銃弾のほうにライフリングを入れる」とか。
そんなの、信長の時代でも作れそうじゃん?
加工そのものはできるかもしれんが、それを思いつくのに不可欠なジャイロ効果の知識自体が自体が未発見なんじゃないか?
567 :
名無し三等兵:2011/05/05(木) 21:40:55.79 ID:RZvtccoS
>>566 日本にはジャイロを使った遊びの伝統があるじゃないか?
思いつくに決まっている。現物が身近にあるんだから。
仮に信長の時代に無理としても、
アメリカ独立戦争とかナポレオン戦争までいけば
「ライフル=命中率は高いが装填が困難な銃」がある程度一般化してる
装填を楽にする工夫とか、みんな考えると思うんだが
コマより投げ槍なんだよなあ
日本は戦争で投げ槍なんかあまり投げなかった
個人的にはあの横溝が鬼門だと思う。あの溝はある程度工業化進んでないと一つ一つ手作業で刻みこむ事になりそう。
あと、マグヌス効果の発見はミニエー弾の後だから、効果が発見されていなかったからってわけではないと思う。
中世の矢にも飛行中に回転するように矢尻が改良されたものもあったし。
思いつくに決まっていると言われても現実に出来なかったのだからしょうがない。
科学は長い時間と閃きがつきもの。
風呂に入れば水が溢れることはずっと前から知られていたが
原理として解明できたのはアルキメデスだったように。
>>567 物が落ちるのは有史以来見ているが、原理の発見はニュートンまで待たされた。
でも落とし罠とか落石の計とか。。。
572 :
名無し三等兵:2011/05/05(木) 23:16:26.22 ID:ixiw7MUf
>>571 接着剤と一緒で原理は分からなくても実用には足りるという事ですね
デモね、やっぱり射手にしてみれば、銃身破裂はコワイですよ。
弾に銃身の模様が付く位にがんがんに詰めて撃つのは、メリットがはっきりしないとねぇw
溝を付けることで直進性が増すことが経験的に分かったとして。
しかし、その溝がどういう働きをするのか、装薬に点火すると弾がどのように変形して
密着するのかは外から見ただけじゃ中々分からんだろ。
それを考えるとミニエー弾の後端部分の細工が登場するのに要した時間も頷ける。
>>572 誰かが作ったもの使うだけなら、原理どころか構造の理解も不要。
最初に銃身内に溝を掘ったのも火薬の燃えカスをそこにためて銃腔を掃除する頻度を少しでも減らすための工夫だったからな。
だから最初はまっすぐな施条だった。
たまたま施条にツイストを加えてみたら命中率が良くなったことにあとから気がついただけだし。
この時代、ライフリングも試行錯誤だったね。
ポリゴナルのツイストもあったし。これは加工は溝式よりは楽かな。
578 :
名無し三等兵:2011/05/06(金) 22:10:37.97 ID:KcAEAZKu
>>576 本当に偶然なの?
だとすると、「銃弾がライフルに密着しなくてもジャイロ効果は得られる」
すなわち「弾丸を大きめに作って密着させる必要はないので、装填の難しさも無い」
ことになるよ。
なんか前にもこんな感じで史料無しで〜のはずだ論があったな。
580 :
名無し三等兵:2011/05/07(土) 07:18:22.63 ID:kECGY3QH
工作精度が悪いんで、銃身が弾けるかすっぽ抜けかしか選べなかった。
個人でさえ銃を買うときに鉛から弾を鋳造する型も一緒に買うような時代だもん。
最初から分かってて意図を持ってやったと言うのなら根拠が要りまっせ。
弾丸を皮や布のパッチでくるんで撃つ方法というのはマスケットの頃からあったんじゃないの?
狩猟とかで崖の上から伏角で下の獲物を撃つような場合とかはそうでもしないと銃口から弾が転がり出てしまうし。
たまたま施条した銃で同じように撃ってみたらスピンがかかってよく当たるのに気がついて、水平に撃つ場合でも
パッチをかませるようになったとか。
あくまで想像だけど
問題なのは直線の線条がどうライフリングに変化したのでは?
弓矢についてなら、既に矢羽が矢を回転させる効果があることが知られていたし、日本では様式美として、回転が左右二通り
になるよう、セットで矢をそろえるなんて事もしていた。漠然とだが、何か重要な役目があるらしいのは、分かっていたろう。
ただ球形弾を使った場合に、ライフルリングの意味が殆ど無いわけだが……
ちゃんと回せば球型でも十分に効果あるよ?
でなきゃ野球のジャイロボールが効果的な訳が説明できない。
まるでジャイロボールが説明できてるような言い方ですが
587 :
名無し三等兵:2011/05/08(日) 00:15:41.99 ID:uqispXgc
>>584 朝鮮には、弾丸じゃなくて弓矢を発射する銃もあった。
だから弓矢の技術を取り入れて弾道を安定させよう、って考えても不思議じゃないんだが
まあ後知恵なんだろうな。
なんでその程度のことが何百年も改良されなかったんだろうって、
よくあるもん。
尾翼形式じゃそもそも前装式じゃ火薬が尾翼の中に入って、発泡の際に多大な問題が発生する。
スラッグ方式じゃ、ペーパーと詰めたときにスラッグのほうの溝が紙で埋まっちゃうんじゃないかな?
サボットみたいに銃口から出たらはずれるんじゃない?
ショットガンのサボットは、最初からライフルが刻まれた散弾銃(ハーフライフル)に使う為のものだよ。
回りくどい話だけれど、散弾銃はライフル銃より規制が緩いので、敢えてライフルを落として散弾銃扱いにする事がある。
日本ばかりかアメリカでもだ!
やっぱ射程的な問題なのかしら>規制がゆるい
>>592 ま、日本の場合はそうだな
散弾で要人狙撃とかまあ無理だからw
アメリカの場合は、見晴らしの効かない森林猟での事故防止でライフルでのシカ猟を禁止してる州や自治体もある
サボットとかはこんな土地での狩猟用が基本的な需要
594 :
名無し三等兵:2011/05/11(水) 02:58:54.23 ID:mOuXdmsB
>>576 溝があったらなぜ銃の掃除がしやすいのかわからないのですが教えてください
>>567 弾丸が回転するなんて相当あとまで分からなかったんじゃないの?
「ライフルの歴史は古く、はじめは銃身のなかにこびりつく弾丸の鉛のカスを除去する目的で1本だけ溝がまっすぐ掘られたのだという。」
(「図説銃器用語辞典」小林宏明著 「ライフリング」の項より)
>>594 掃除がしやすいのじゃなくて、掃除の頻度を減らせる。
燃えカスなんかをいちいち掻き出して銃口から出さなくても、
装填の際にこそげ落ちたりして取れたのを一時的にその溝に溜めといて、
あとでまとめて出せばいい。
早い話が銃身内ゴミ箱。
ライフリング以前に疑問に思ったんだが、
ガンドリルが登場する前ってどうやってバレルつくってたんだろう?
ムクの棒材から削りだしたのかね?
>>597 ・鋳物
・鉄棒に穴を開ける
・シート状の鉄板を丸める
・テープ状の鉄板をスパイラル状に巻く
どれも円筒度が良く無さそうだな
「火縄銃から黒船まで」によると日本の火縄銃は
鉄砲鍛冶が熱した長方形の鉄板を心棒に巻きつけるように整形しながら鍛造。
さらにその上からリボン状の板を同様に巻きつけるに鍛造して作成とあったな。
刀鍛冶の伝統があったのでここまではなんとかできたが問題は銃身の後端の閉鎖。
火薬の爆発力に耐える耐久性や密閉性が必要なことはもちろんだが、不j発弾などが詰まったときは取り除けるようにしなければ
使いにくい。結局自分の娘を南蛮人に差し出して尾栓の製法の教えを乞うたという伝説が残っている。
日本に初めてネジが伝わったのもこのときという話。
この時期の日本の艦船って触雷とか座礁とか
戦闘以外のことで失いすぎ
海図もろくになく、運用にも不慣れなのに作戦行動してるからな。
しかも作戦の殆どは陸上戦闘とリンクしてて
当時の火砲の性能上、陸地に近づく必要があるとあっては・・・、まあそうなるわ。
陸上部隊からの援護を受けて戦ったり、倭城に海路で兵糧を運び入れているから
陸と海が密接にリンクしているのは確かであり、必然的に座礁も増える。
だけど海から陸へのの艦砲射撃を実行してたっけ?
604 :
603:2011/05/14(土) 16:56:05.30 ID:???
朝鮮出兵スレと間違えた。
申し訳ない。
幕末あたりのライフリングのない銃とライフルは
射程や命中精度はもちろん、被弾したときの殺傷力も後者が格段に大きいの?
>>605 射程が長い=威力も高い
Aが投げた野球ボールは10mしか飛びませんでした
Bが投げた野球ボールは100m飛びます
君は5m地点にたって両方のボールを体でうけとめなくてはいけない
さて想像してみようどっちのボールが痛い?
Bや!
そんなの弾丸重量と火薬量次第だろ
>>606 微妙に違う。
Aは暴投の常連の野手
Bはピッチャーが勤まる制球力だが野手も出来るよ。
当たったときの痛さは結局球速次第なのでAが安全とは限らない。
ついでにいうと、なかなか当たらないからこそ当たったときの必殺を期して凶悪な威力の弾にするケースもw
>>609 そのたとえをだした奴だけど
これは同じ質量でも初速によって威力が変わるというたとえだよ
>>610 ライフルだと初速はむしろ落ちるけどな。
>>605 同じ弾重で同じ速度だったら
球弾に対してライフルは椎実形状で細長い分だけ貫徹力が大きい
殺傷力の多くは貫徹力で決まるので、ライフルのほうが強力な場合は多いだろう。
ただ、マスケットでも尖頭型だったりすれば大差ないし
そもそも当たるような距離での殺傷威力は火縄銃の時代で充分なものがあるわけで
実用上はどっちも必殺の威力だったと考えてよいかと。
まぁスムースボアのほうがエネルキーを無駄にしないが
ライフルによるロスを入れてもあまりかわらないだろうね
結局、当たらなければどうということはない
当たる率が段違いなのがライフルの最大の強みだな
同じエネルギーで着弾したと想定すると尖頭弾などの貫通力の大きい弾頭は
人体を貫通した後のエネルギーは無駄になる。
体内で変形しやすく盲管銃創になりやすい鉛の円弾のほうがエネルギー
を全部使うわけだから銃創もひどくなり殺傷力は大きい。
命中率や距離による弾丸の威力の減衰はまた別問題だが
アフガンでのジェザイルが何故に英兵を震撼させたのか未だに分からん。
ミニエーの弾傷のほうが普通の火縄銃の弾の怪我よりもひどいって報告が長州戦争の時になかったっけ?
野口武彦の本で読んだような気がする
回転している分、傷が広くなるんだったかな。
>>618 先陣を切った譜代大名の部隊が、甲冑や鎖帷子を貫通されて、その破片が肉に食い込んで怪我が酷くなった。
更にそこから破傷風に感染した。
野口武彦が『長州戦争』で書いてたな。
中公新書から「大鳥圭介」の評伝が出たんだが、著者が星亮一なので迷う
ただでさえ今月は「昭和天皇」「近現代日本を史料で読む」と面白そうなのが山盛りだし
あんんあ捏造得意げに垂れ流すようなのが書いたものなんて
なんの参考にもならんぞ
そういえば後期の甲冑は強度的にはマスケット銃の弾丸を跳ね返せる程度の性能は獲得してんだよな。
あの手の鎧でもミニエー弾は防げたのだろうか?
細長くなって口径の割りに重くなった分、貫徹力は上がりそうだ。
ミニエー弾と球形弾って初速に違いはあったのだろうか?どっちも黒色火薬で発射する以上、そう差は出なさそうだが。
>>623 状況と距離によっては大砲すら弾くシロモノだから、状況と距離によったら防げるはず
>>623 ナポレオン時代の胸甲騎兵の胸甲は厚さ5ミリの鉄板で、至近距離以外のマスケット銃弾を弾くんだっけか?
板厚5mmの胸甲とか相当重いだろ…。
実際相当重かったはず。
今の耐小銃弾仕様の防弾ベストと大差なかったような。
>>625 火薬量減らして撃ったりしてけっこうインチキがまかりとおっていたらしいよ
>>629 西洋の甲冑も、試し撃ちの時は火薬減らすとかしてたらしいよ。
631 :
名無し三等兵:2011/05/15(日) 22:00:00.69 ID:Eu5BTjkA
>>629 ナポレオン時代は甲冑じゃない
胸甲というのは文字通り胴体だけを覆っている
そのぶん厚い
甲冑とは違うモノ。
あと、厚さ5ミリの鋼鉄なら、距離によっては確かに銃弾を防げる。
日本の甲冑はもっとずっと薄いから無理だ。
632 :
名無し三等兵:2011/05/15(日) 22:00:31.56 ID:Eu5BTjkA
要するに前面を複合装甲でガチガチに覆った戦車とか重くて動けないけど
砲塔正面や車体前面みたいに限定して固めることはできるよねっていう
634 :
名無し三等兵:2011/05/15(日) 22:15:33.31 ID:Eu5BTjkA
>>633 そういうことだよね。
戦艦のヴァイタルパートも一緒。
部位を限定すれば、ある程度は銃弾をはじける
旧日本軍も、亀の甲羅みたいなものを背負って銃弾を防ぐ研究をしていたなw
もちろんナポレオン時代の話であって、
日露戦争くらいに行ってしまうと使い物にならないわけだが。
発射速度や射程が飛躍的に向上したから、1発や2発くらい弾いても
結局ハチの巣。
>>634 昔、オーストリアであった実験だと、ゴシックは9mmを10mだかで弾いてたはず
ライフルの結果は知らない
636 :
名無し三等兵:2011/05/16(月) 00:16:24.54 ID:IijVldrj
ゼロ距離で防ぐのは最初から放棄してて、一定距離からの被弾を想定した試験を至近距離でやったんじゃない?>火薬少なめ試験。
17世紀の胸甲騎兵には槍も鉄砲も通用しないんで、銃兵は馬を狙って撃ったと言うが。
>>636 戦車とかの鋼板の防御力試験も、一定距離以上での防御力を調べる場合は、
その距離での弾速を計算して減装弾で行っていたっていう話を聞いたことあるな。
重さ20kgの鎧の厚さって何mmなんだ
超適当計算だが、
20000[g] / (鉄の比重[g/cm^3]) / (体表面積[cm^2]) ≒ 0.150[cm]
厚さ1.5ミリの鉄板で全身を覆えるそうだ。
ちなみに体表面積は170cm,60kgの人間と仮定。(16950[cm^2])
貧乏っちゃまアーマーなら倍に出来るわけか。
(背面装甲0だが、服でやる辺りが作者だよなぁw)
無煙火薬登場以前の銃弾は材質が硬鉛で、初速も遅かったわけだからプレートメイルの浸炭鋼でも
ある程度の厚みがあれば十分な防弾効果を発揮できただろう。
エンフィールド銃が35gの弾丸を260〜275m/sで発射したそうだから、このころの銃器に貫徹力は期待できなさそうだ。
ただし、参考としてだいたいマスケット銃と同じくらいの口径の12番径の散弾銃から一粒弾でプロパンガスのボンベを
撃った動画を見つけた。
http://www.youtube.com/watch?v=r-y3f8yuMe4&feature 見事に貫通している。プロパンのタンクって結構頑丈なはずなのに。
現代の散弾銃からスラッグ弾を撃った場合の初速が425m/s前後らしい。無煙火薬による初速の向上の賜物だろうか。
マスケットって初速が400m/s程度だろ
それなりの運動エネルギーはあるだろう
幕末武士が鎧を脱ぐのも分かる気がするね
646 :
名無し三等兵:2011/05/16(月) 19:47:34.18 ID:TUgDCmLx
>>645 防弾性能が皆無という点もあるが、鎧兜姿が厄介なのが
匍匐前進の時に引っかかってしまうこと。
ナポレオン時代なら集団で棒立ちになって戦うから、たいした問題じゃないけど
すでに散開・遮蔽物利用が求められていた時代だから
とにかく鎧兜は邪魔だった。
>>644 初速がそこまで行ったら、溶けた鉛のこびりつきが問題になって使い物にならなくね?
ブリーチローダーなら弾丸のケツにガスチェック付けるとかできるだろうが
マズルローダーだとそれやっちゃうとミニエー弾使えないしね
第二次長州戦争のとき、長州側が「乞食」のような格好で戦っただっけ?
乞食は言い過ぎだろうけど野良仕事のような格好で散兵線って理にかなってるなり
>>646 また村田蔵六みたいのが遊撃戦仕掛けるしなw
650 :
名無し三等兵:2011/05/16(月) 19:59:23.13 ID:TUgDCmLx
>>644 銃弾の初速が音速を超えたのは無煙火薬普及後の話だと聞いたぞ?
ソースは忘れた。
あら、俺の参照元が間違ってたのかな
ナポレオン時代でも歩兵に鎧兜は重すぎる。
ましてフランス軍は縦隊突撃戦術を多用するから更に辛い。
もちろん着て行軍なんか出来ないし、馬車に載せるのも無駄が多い。
フリードリヒ2世の時代に既に廃れていたのも頷ける。
それでも、銃身破裂寸前まで火薬をつめればいけないかな?
>400m/s
あと質問なんだけど黒色火薬って燃焼速度調節できんの?
655 :
名無し三等兵:2011/05/16(月) 20:44:40.26 ID:TUgDCmLx
>>654 調節できる。
粉末の大きさ・粗さを変えるのだ。
細かいほど早く燃焼する。
だから爆弾と銃では違うし、拳銃と小銃も粗さを変えるべきなんだよね
あまり細かくし過ぎると酸素に触れる面積が減るから
ベストは粒状に加工して後は用途によって各粒の大きさを変えることだな。
ってことは粉末の状態の黒色火薬を、
打ち上げ花火の星を作る様に最適な大きさの顆粒状にしていけば、
肉薄でも破裂しない軽い銃身、
同量の火薬でも粉末に比べて初速を早くできるってこと(最適な銃身長で)?
>>653 歩兵の鎧兜なんて西洋じゃ14世紀あたりにちょいと使われた以外はローマ終わるころくらいに薄れてたろ
>>657 黒色火薬はそこまで気が利かない
所詮燃焼じゃなく爆発だし
大砲用はこのぐらい、小銃用はこのぐらい、って経験的な粒のサイズは設定されてたみたいだが
そば打のように混ぜてこねて細く伸ばしてってやってたみたい
でも、黒色火薬って、ちょっとの静電気程度でも引火爆発する超危険物質なのよね
現代の無煙火薬も、同じ組成でも粒のサイズや形状で燃焼速度調整してる
黒色火薬の榴弾ってどのぐらいの破壊力があったんだろうな。
近代のTNTと同等の破壊力を出すために、何倍の黒色火薬が必要なんだろうか?
銃砲の装薬としては3倍ぐらいの差があるみたいだが……
663 :
名無し三等兵:2011/05/17(火) 08:47:44.54 ID:gIt4z0FK
前奏式だと、せっかく粗挽きに作った火薬でも弾の上から突き固めてたり。
初期と後期じゃ硝石の混合率も違うし。最終的に75%位になった。
黒色火薬は爆燃
TNTとかは爆轟(超音速)
>前奏式だと、せっかく粗挽きに作った火薬でも弾の上から突き固めてたり。
大きさ揃えても付き固めたら意味ないってこと?
装薬の燃焼特性が変わり、初速がばらつくから命中率に影響する。
装填したまま撃たないで時間が経つと黒色火薬は吸湿性が高いから最悪の場合
カチカチになって発射不能。
>>665 そこまでやわくないはずだがな
キチンと一定の力で力入れて押しこんで使うこと前提の設定だし
小銃用だと、点火用の口火薬よりは粗いけどかなり細かい状態らしいし
現代の無煙火薬のリロードでも、初速を限界ギリギリまで絞り出したいときなんか、薬莢の口からあふれる寸前まで火薬突っ込んでそれを弾丸で押し込んで突き固めるようにしてシートする
それでも薬莢強度上の限界超えない限り問題ない
逆に粒度の大きいライフル用火薬できちんと火薬を詰めずにリロードすると、稀に異常燃焼が起きて銃が破壊されるまでの事故になる場合がある
一説には、スカスカの薬莢の中で揺すられて火薬が崩れて、燃焼速度が高まるためじゃないかとも言われてる
マッチロックやフリントロックだと火皿〜導火孔から湿気が入り放題だから装填したまま
雨中行軍とかしたら666みたいにカチカチになるだろうな。
パーカッション式以降だと薬室を密閉できるから火薬の吸湿の問題は改善されてる。
そこらへん、
黒色火薬の顆粒の大きさと燃焼速度の資料ないもんかね?
>>669 靖国神社に日本海軍の魚雷に関する研究資料があったんだが
そこに黒色火薬を魚雷発射に使う場合の注意が書いてあって
吸湿すると、ある範囲までなら燃焼速くなるとのことだった。
一筋縄ではいかんもんだと思った。
>>669 小説だが、東郷隆の「覇王の海上要塞」で、
「大型砲の発射薬にはアーモンドのサイズ、カルバリン式の小砲は大麦の実、手持ちの槍砲(槍の先につけた石の発射筒)には小麦の半分」
「ウルバンでは(中略)伝説の巨砲だが(中略)プラムの種半分を火薬一粒に数えた」
なんてあるな
結構怪しいところもあるがそれなりに史料読み込んでる人だし、一応の参考にしても大丈夫かと
>>668 余裕のあるときは、銃口にコルク栓を詰め、機関部をオイルスキン(オイルド・コットン)などで包んだ。
アヘン戦争を興味あって調べてみたんだけど
あれを見る限り三国志とかもろもろの中国の過去の戦争って嘘っぱちばかりだよね?
あの中国に理性的な戦いができるとは思えん
>>673 スレ違いってことすらわからない知能だと、生きて行くのはかえって楽かもしれないね。
ただ、最近暑くなってますます臭くなっている恥垢臭はどうにかしたほうがいいぞ。
その頭はもう手のつけようがないけど、包茎は治る障害なんだから。
>>674 スレ違い?どこが?
日本語読めないのか?日本学校いってこいよ
>>675 気が狂うってどういう気分? あと、お前、周囲から生きる悪臭公害と
言われているぐらいに臭いんだからどうにかしろよ。
>>673 アヘン戦争のどこを見てそう思ったんだ。
理性的な戦いというのはどのようなものか。
単に歴史上の戦いの中での嘘・大げさなら日本でも有る。
ぐ、軍板ならシナへのヘイトスピーチに賛同してもらえると思ったのに・・・
うわーん、二度とこねーよ(AA略
>>678 イギリスの資料と中国の資料を照らし合わせればいかに中国がアレなのか解る
やってることは日本の朝鮮征伐でやったことと変わらんな
例をあげれば中国では死んだことになってる武将が関ヶ原の戦いでピンピンして参戦していたりな
>>679 いや同一人物にしか見えんよ君は
日本にも同名の米空母の撃沈報告が何回もあって、陛下に「何回沈めた?」と聞き返された例も有るんで笑えませんぜ。
>>680 負けてるのに勝ったとか報告に嘘を混ぜてるという話か。
そういった話はアヘン戦争や太平天国の乱にあるのは確かだ。
けどそういう例なら朝鮮出兵での在地武将から秀吉への報告にも見られるが。
典型的なのが講和交渉に関する件。
後、あれだ異国船打払令やら北方警備の話だな。
日本も承久の乱や南北朝の内乱の動員数、上杉の北条征伐の動員数やらで
数字の面の誇張が大きい。
内戦でこれなのだから、外国との戦で戦果確認がアテにならないのは自明のこと。
朝鮮出兵なら島津の8000で4万をって話も眉唾だとおもってるんだが
5倍の戦力差は中世だとどうにもできないだろ
日本は後にそれを正して史実に忠実のように修正するが
中国は都合の悪い情報はそのままつっぱしる傾向にあるな
中国の歴史も韓国にこそまだましだがなかなかファンタジー小説
三国志はもうあれかなり捏造まじってるファンタジーだろう
いや、大本営発表が修正というか捏造が明らかになったのはGHQの手によって
ようやくのことだからな。
三国志も正史と演義のそれとでは大分違う。
日本の軍記物自体があちらの真似っ子だし。
日本は史実どうこう以前に史書や史料が少ない。
だから講談、軍記物、各大名家の史料以外から正確なところを知ろうとすると壁に突き当たる。
>>685 いや、大本営発表が修正というか捏造が明らかになったのはGHQの手によって
ここ笑うとこ?
国民が知ったのは戦後だろ?
>>687 大本営発表が嘘でたらめが多いプロパガンダなのは間違いなく事実
そこは否定しない
あとはどうだったのか此処にいる軍板にきいてみたら?
外国人のお客さん
>>688 いや、君こそ児島襄でも大江志乃夫でも良いから本を読んでみると良い。
新しい説が必ずしも正しいとは限らないと分かるから。
>>689 君は本を見るより一次資料を見ることだな
アカの特徴だな・・・本が事実だと思い込んでつっぱしって夢想家
そして軽蔑される
>>689 ここのスレを見直してみることだ
みんなどこぞの誰がだした本なんて参考にしてない
当時の日記や資料を参照している
本なんていうのは一次資料の選択によってどうとでも誘導できる
例えばナチスドイツを数ある一次資料から選択していって本に纏めると
超善玉の悲劇の政党にしたてあげることもできるしその逆にもできる
現在の日本の通説だとヒトラーなんかは経済総理としてはとても優秀だったなんて話になってるけど
実際は違ってて1939年にはむしろドイツ経済を破綻寸前にまで追い詰めていたりする(メフォ手形)
本を信望するのはバカのすること
673が延々と粘着中
>>692 アヘン戦争はスレ違いなのかい?
アカが一匹いるようだが
此処は中国様万歳のアカの巣窟だったのかなw
阿片戦争から話が三国志へ飛んで、中国史一般を語ろうとする馬鹿は間違いなくスレ違いだろ
>>690 >>691 素人が一次史料で語ろうとすると火傷するから。
おらぁそれよりは評価の定まった研究者の本を読むね。
同じテーマで他の人の著作も読めばおのずと見てえてくるものがある。
>現在の日本の通説だとヒトラーなんかは経済総理としてはとても優秀だったなんて話になってるけど
今時そんなことを臆面も無く言うのは祥伝社新書の『ヒトラーの経済政策』くらいだろう。
もちろんヒトラーの経済政策を批判する本も日本では↑より前に出てるよ。
訳書も日本人の書いたのもあるから買うなり、図書館行くなりすれば読める。
通説と違って見える一次史料を一個見つけると、
得意になってそれだけで新説ブチあげちゃうのがアマチュアの悪いところ。
名を売りたがってる若手研究者にもある傾向ではあるがね。
ちゃんと先人の研究と言うのは踏まえるものだよ。
すっかりネトウヨだらけの軍板になりましたとさ。
699 :
名無し三等兵:2011/05/22(日) 21:33:49.81 ID:Tu4ORdDK
>>693 アヘン戦争は「19世紀後半」じゃないからスレ違いです。
太平天国の乱ならOKです。
700 :
名無し三等兵:2011/05/22(日) 21:39:45.78 ID:Tu4ORdDK
>>691 「一次資料を取捨選択すればどんな結論でも導ける」と言いながら
ヒトラーは経済総理として優秀では無かった、という自説だけは
「疑いの余地の無い事実」と主張する。
どう考えても現業不一致だろ。
おいおい、それも取捨選択による誘導じゃないのかい?
だいたい、「一次資料の取捨選択によってどんな結論でも出せる」なら、
一次資料に基づいているからと言って信頼できることにはならない。
「誰か」が取捨選択するか、「自分」が取捨選択するかの違いしかない
自分の目は曇っていないのか? 実績ある歴史学者や作家よりも公正なのか?
疑わしい。
「だいたい日本史から語ろう」だぞ。
>>700 いや事実・・・メフォ手形の債権返済不能になってたから
その事実を取り上げずに失業者対策をことさらあげて失業者が減った(これも実は前の総理の実績なんだけど)と
強調し続けたら経済が優秀な政治家の出来上がり
あえて取り上げなかったらね実際これが通説になってるし
そしてその主張を覆す根拠がこの「メフォ手形」債権なんじゃないか
読解力ないやつが無理して会話してくるなよ
民主党みてたら解るわ・・・アカはみんなこんなのw
やるおフューラーでも読んだばかりなのかい?
>>703 民主党なんて右寄りの政党がアカだと思ってる奴に言われたくないなあ。
日米同盟も市場経済もまったく手をつけない政党のどこがアカさね。
で、「メフォ手形」をなぜ重視するのか?
ヒトラーがやったことはたくさんある。
そのなかでメフォ手形だけに着目すると無能説ができあがる。
あんたも誘導しているに過ぎないじゃないか?
>民主党なんて右寄りの政党がアカだと思ってる奴に言われたくないなあ。
>日米同盟も市場経済もまったく手をつけない政党のどこがアカさね。
┐('〜`;)┌
>>673 アヘン戦争と三国志って1600年くらい時代が違う
しかもその間、王朝も何度もかわり、モンゴル等の異民族に侵略され……
そりゃ民族性も変わるさ。
「中国」という名前で括るのが無理だろう
三国志当時とアヘン戦争当時の中国人はまるっきり別物
(世界中たいていの国は1600年たったら遺伝子的にも文化的にも別物になっている)
>>691 一次史料も日記なんかは当然本人の見方、考え方だから他と対照する必要があるし
それ以外の出納帳や軍役帳などの数字が絡む史料は読む側にも専門的な知識が必要になる。
盲信を戒めるのは何を読む場合も同じこと。
更に言うと体系的に纏まった資料が出るのは年数が経ってからなんだよな。
防長回天史にしろ会津戊辰戦史にしろそうだ。
710 :
名無し三等兵:2011/05/28(土) 07:30:13.45 ID:DLAYxtK8
長州征伐戦の際に長州軍が使っていたゲリラ戦法について知りたいんだけど何か
いい資料ありますか?未だに幕府歩兵隊(だっけ?)でしか見たことが無い…
711 :
名無し三等兵:2011/05/31(火) 01:25:59.97 ID:yizzXmyf
>>709 >更に言うと体系的に纏まった資料が出るのは年数が経ってからなんだよな。
>防長回天史にしろ会津戊辰戦史にしろそうだ。
久しぶりに来たが、最近の2ちゃんは書き込みにくくなったな…
史料を扱うのが専門なんだが(時代はもっと古いが)、そのテの編纂物は取扱いに困る。
時期が下るに従って、根拠が無い派生的要素がどんどん付け加えられるのが、手にとるように解る。
やはり取り柄は「纏まった」と云う点だろうな。
インデックススとして使って、原史料(古文書そのものじゃないよ)に当たるのが吉
>>710 野口武彦、中公新書、幕府歩兵隊かな?好みなら続編で
長州戦争がでています
大山柏の戊申役戦史はよくあがりますが・・とっつきにくいなら
ひ孫?の大山格氏が記事かいたり、HPもあるようなのでそちらを
あたってみてもよいでは?
>>711 専門家ならそれで良いんじゃない。
ただ幕末期のものはまだ年数の開きが小さいのと
他にも記録が残ってることが多いから比較検証しやすいと思う。
>>710 >>711が挙げてくれてる本と『幕府歩兵隊』の参考文献を漁るのも手。
>>702 秋帆先生は微妙だな。19世紀前半の砲術だね。
まあ西洋流の始祖だから流れとしてはいいけど
>>715 そこまでこだわったら…
幕末だって、前半後半で分類すれば後半だが、
前半中盤後半で三分割したらスゲエ微妙なポジションなんだぜw
まあ、それでも戊辰戦争は確実に後半になるが
>>716 一九世紀後半言うたら日清戦争も入るしな
@バンチ連載の「軍靴のバルツァー」というマンガがすごく良い
19世紀ヨーロッパ風の異世界が舞台で、
ボルトアクションライフルが普及しつつある中、
いまだ滑腔前装銃で戦列歩兵やってる国があって、
主人公は同盟国から教官として派遣され、
さまざまな抵抗と戦いながら軍を改革する。
このスレの住人ならきっと楽しめる。
http://www.comicbunch.com/comicinfo/baltzar/ こないだ散兵VS戦列歩兵のバトルがあって、
それぞれの長所短所が描かれたんだぜ
幕末男子 ばくだん 加瀬あつし 少年マガジン
氷漬け中尉の次はタイムスリップ高校生
それより「皇国の守護者」の再開を。
原作だとパーカーッション前装ライフルやミニエー銃をすっ飛ばして
ドライゼのニードルガンがいきなり登場するのがあれだが。
その漫画はよく知らないが、
ミニエーよりドライゼの方が早くから存在するのだけれど
ドライセは1836年開発、普軍採用が1841年。ミニエーは1849年
開発。唯、ドライセはあまりに先進すぎて独逸統一戦争まで評価されず。
あと、皇国の守護者は原作者とのgdgdがすごくて再び日の目を見る事は
まずないとのこと・・そもそも御大の作品が完結するのを期待する方が
間違ってます、(´;ω;`)
御大はもう干された方が本人のためだと思うんだ
ゾンビ漫画の原作やってなかったっけ?
ドライゼ銃はかなり威力が弱くて、距離と角度によってはオーストリア兵のコートに当たってはじき返されるようなこともあったと書いてあったような
たしかに改良型のシャスポー銃に比べれば初速は低いがそれでも300m/sあるしエンフィールド銃が270m/sだから
黒色火薬の時代としては特別に弱装というわけでもない。
じゃあ小口径軽量弾だったのかね。
729 :
名無し三等兵:2011/06/10(金) 07:57:04.88 ID:AbTaMXu2
ちょっと前のドラマ・仁で、龍馬がグラバーから「ヨーロッパじゃ旧式になった銃」を購入しているシーンがあったんだけど
まさかゲベールのこと言ってるんじゃないよな?
状況的にまさにゲベールだろ
ってことは、亀山社中はグラバーから安い金でゲベールを買い叩いて、何も知らない田舎の藩にふざけた金額で売りつけてたわけか。
案外龍馬暗殺の理由もその辺だったりしてw
グラバーも十分ボッタクリ価格で亀山社中に売りつけたんだろうよ
というか、当時の諸藩が購入した洋式銃で、適正な価格で輸入できた事例あったのか?
長州に渡した銃でさえミニエーとゲベール混ざってるんだからそれ以外の諸藩への銃なんぞ推して図るべし
副島隆彦によると龍馬=グラバーの手先という推論はいまだいいとして
フリーメーソーンメンバー説まででてくる。
で、その旧式銃が明治維新後にダブつきすぎたんで、
征韓論では征韓作戦にはミニエー銃を用いようとしたわけだ。
士族どもが前装式銃の訓練ウケてたのがおおかったせいもあるが。
>>734 山科けいすけの「サカモト」並だな
勝海舟がデブの陰謀論者になっててさかんにメーソンとかムー大陸とか言ってるんだw
龍馬の扱った中古小銃って、基本薩長用のミニエー銃じゃねえの?
南北戦争終結で大量に放出されたスプリングフィールドあたり中心かと思ってたわ
ゲベールってただのマスケットだろ、弱小諸藩とか兵士の銃兵化でいっぱいいっぱいだったのか
>>736 文庫持ってるw沖田が良いキャラしてんだw
>>731 売りつけるならまだかわいいもんだぞ、いろは丸沈没事件ではミニエー等
3万5000両分の積荷の銃器、賠償しろと紀州藩にねじ込んどいて、近年の
調査で銃器積んでなかったのが判明してるから
>>739 マジで銃器積んでなかったのにぼったくったの?!www
さすが龍馬さんwしびれるわw
後装銃が多すぎる
前装ライフルの間違いではないか
5/31付けの新潟日報によれば、
戊辰戦争で長岡藩士がつかったと見られるエンフィールド銃が農家の蔵からみつかったそうだ
北越戊辰戦争伝承館で展示予定だとさ
>>741 山科けいすけは、歴史物を書くと基本むちゃくちゃだが時たま妙に鋭いときもある
>>741 それは後年になって似ているといわれた甥をモデルに描いた肖像・・・想像画れすよ
「仁」(ドラマ)の描写で歴史を語るのはさすがにどうかと思う
まあ、それいうなら偉いのは竜馬じゃなくて司馬だと土佐出のサイバラ
先生もいっておりますからね・・でも、完全ブラック会社な海援隊もの
も読んではみたいはな
留学しようとしたらお腹切らされたでござる
犬にタマタマを囓られて死にかけたでござる
そういや、南北戦争でも一部の部隊では、
フリントロック式マスケットだったらしいが。
おそらく義勇兵のような連中だろうと思うけどな。
後半の南軍はそんなの多いんじゃねえの?
あいつら工業の基盤皆無だし
むしろ戦争開始時だろ。
両軍とも準備が整ってなかったからとりあえずある武器かき集めて戦ってたわけだし。
工業化されていた北部とはいえいきなり数十万規模で動員されたから小銃の増産が間に合わなかったのかな
>>755 スペンサー銃で大山巌を狙撃して右足貫通銃創を負わせたらしい。
砲術師範の家柄で若松攻城戦で自ら鉄砲を放ったという女人ですね
ただ、組織的運用されない銃兵はあまり意味ないし、(差別的な意味
ではなく)女性の扱える銃はどの程度のものだったのかな?
八重が銃を撃ってたのは本当だけど大山巌の件に関してはどうだろう?
>>758 ひ孫?の大山格氏がホームページで幕末ものやってるから聞いてみれば?
複数人撃ってくる状況で、誰の弾が命中したかなんて撃たれた本人にも分からんと思うぞ。
あなたに射抜かれたものでごはす!といって口説くのが薩摩隼人
依託射撃にしちゃえば対物ライフルだって撃てちゃうし。
(そこまで担がされる内弟子超かわいそ。)
>>764 o oノ 大阪湾に向けてポーイ!
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_,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ ミ
゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ L_ _ _船員
T | l,_,,/\ ,,/l | ゚ ゚
,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /
_V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/
>>761 2人のつま先の向きが反対なのが文化の違いを感じられて面白い
スペンサー銃は装薬が少なくて歩兵銃としては力不足だったんだっけ?それなら女性でも扱えるんじゃないかな。三つバンドエンフィールド銃とかは長大すぎて無理だろうがw
というかフルサイズの歩兵銃って男性でも扱うのは難しかったんじゃないかな。以前モデルガンを持たせてもらったけど身長175の自分でもかなり大きく感じたぞ
リムファイアーカートリッジだから装薬量を増やして腔圧をあげすぎると薬莢がもたないんだろう
771 :
名無し三等兵:2011/06/12(日) 17:23:42.42 ID:CzDAYe6B
ライフルを腕力で扱うんじゃない。重心を中心にして回すんだ。
レバーアクションの欠点として伏せ撃ちがしにくいというのがよく挙げられるけど、当時の歩兵に伏せ撃ちさせるという戦術はあったのかな。イギリス軍は19世紀末期までレバーアクションの小銃を採用していたし当時は今ほど匍匐が重要視されてなかったと思うがどうだろう
>>772 武器が変われば戦術・戦闘方が変わるのが当然でな
相手が伏射でガンガン撃ってくるのに、こっちは膝射か伏射にしても身を乗り出すか一発ごとに銃を傾けてたんじゃそりゃ不利だろう、という
マズルローダー相手ならどんなブリーチローダーでも圧倒的に有利だし
マズルローダー時代に高い姿勢での射撃が一般的だったのも、再装填の手間と相手の発射速度も遅いことに頼っての密集陣形での移動戦のせいだしな
>>772 ドライゼ銃では普通に伏射してた。1864年のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争で
ドライゼ銃の威力が知られてから、欧州各国ではドライゼ銃類似の銃と伏射が
急速に導入された。
>>772 ウインチェスターのレバーアクションライフルはジョン・ブローニングが設計を改良してM1894が製造されるまで
構造上あまり強力な実包がつかえなかった。
あと、部品数が多い、チューブマガジンは再装填に時間がかかる、尖頭弾はつかえないとか色々と軍隊向きじゃない点が多い。
そういえば、マルティニヘンリー銃は、80年のソ連のアフガン侵攻の頃までは、ゲリラの手で使われてたんだよなあ。
ダッラ村での複製だろうけど。
まあ伏射だってなんとかなんじゃね。
マルティニヘンリーも後期型ではいろいろ改良されて高い信頼性を持っていたらしいな。
いくら伏せ撃ちしやすいといっても当時の同世代ボルトアクション小銃もまだいろいろ欠陥があったしイギリス軍がマルティニヘンリーを使い続けるのもわからないでもない。
ちと話がずれるけど、南北戦争では主力はスプリングフィールド銃や
エンフィールド銃のような前装式ライフル銃だったので基本的に立射。
しかも、開戦当初は隊列組んで立射していたわけだから、そりゃ膨大な
死人が出る罠。
戦争後期には半ば塹壕戦になったけど、伏射が難しい以上、そりゃ
塹壕掘って立射体勢のまま避弾できるように工夫する罠。
黒船来航〜明治維新の戦術と兵器の発達速度は異常。
アフガンゲリラが、スナイドル銃を使ってたのは、あるのかな?
幕末期の洋式訓練って戦術的な訓練ってどんなものなんだろう?
やっぱり優秀な兵士は1分間に3発〜4発撃てる!みたいな横隊一斉射撃?
ミニエ銃が出来たのが黒船来航の2年前か
散兵なんかではもっと柔軟な事やってそうだけど。
もしかしたら伏射ぐらいはやってたんじゃないか。
鉄の軍紀のプロイセン兵は毎分5発で射撃できたと言うが……
初めに組織として洋式砲術を取り入れたのは1838年の佐賀か?
高島秋帆の成果をそのまま引き継いでるだろうし、最初は横隊訓練だったんじゃないかな
>>780 英軍がスナイドル銃を採用してたのは1868〜1901年
(植民地軍は分かりません)
第二次アフガン戦争が1878〜1881年
第三次が1919年
鹵獲使用しててもおかしくありません
788 :
783:2011/06/14(火) 20:05:18.27 ID:???
>>787 おお、これはベーカーライフルの教則じゃないですか。
貴重な資料ありがとう。
>>783 会津藩士に教練した際、匍匐させようとしたら武士に地べたを
這いずらせる気か!と怒鳴られたという伝説があるぐらいだし、
スナイドル銃やシャスポー銃のような後装式ライフル銃が前提の
教練をしていた可能性もある。
なんせ、幕府にシャスポー銃2000丁が無償提供されていたんだし。
まあ、逸話に関してだと、当時の会津はゲベール銃が主力だったので
アレだけど。
>>783 藩ごとに差がありそうだね
羽州上山藩はフランス式そのままでやっていたそうだが。
ボランティアの農猟隊にはスナイドル銃を貸与したそうだから
伏射はしたかもしれない
ただ、基本的に和装なんで匍匐も伏射も面倒だとはおもう
ありゃズボンでなきゃ草木にひっかかって無理だ
フランス大陸軍の散兵は前装式マスケットを使っていたから
前装式でも伏射はやり方次第なんだろうと思う。
>>790 そこで段袋になるんですね
>>789 匍匐もそうだけど帯刀を外させるのも苦労したらしいですね
桐野利秋が他藩の調練を請け負った際、まず刀を折らせたという
話もありますね
>>791 前装式でも伏せたまま再装填できるみたいだよ。
>>792 段袋でも草木にひかっかってずたずたになったとか。
高島秋帆が段袋に筒袖袴で演習をさせていたら切支丹の疑いを掛けられたなんて冗談みたいな話があったな。
>>796 銃陣笠ですね、たしかにとんがり帽子風で異装に映ったようですが
白虎隊記念館に展示されていた資料に「沸式ヤーゲル銃にて散兵を…」みたいなことが書いてあったな。それってライフルなのか?フランスの散兵はゲベール銃じゃなかったっけ
フランス軍の散兵はナポレオン戦争期はゲベールだったけど、クリミア戦争あたりではライフルへ移り変わってたはず。
>>799 ヤーゲルはイエーガーのことだからライフルですね
ミニエ化されてない奴。
弾の装填が超大変
伊藤博文ら一部長州藩士が公使館焼き討ちを行った時に現場に残していったのがヤーゲル銃
>>803のサイトで紹介されているゲベール銃やヤーゲル銃ってフリントロックなんだよな。
高島秋帆の時代ならともかく幕末期に導入されたもので、フリントロックなんてあったのかな。
たぶん導入されたのは、パーカッションロックのマスケットなり非ミニエーな前装ライフル銃なんだろうけど、
思いっきり過渡期の製品だよな。
南北戦争の映画で伏せたまま前装銃に弾丸を装填して射撃をするシーンがあった。
仰向けになって装填して撃つ時はうつ伏せ。
それにしても、国内の戊辰戦争もののTVドラマや映画では刀かざして「わーっ!」って
突撃していってバンバン打ち倒されたり、JAC軍団大暴れバリに大砲でドカーンと
吹っ飛ばされるような戦闘場面のやつばっかりだ。
>>805 そんな装填法なら毎分2発の低発射速度も納得だな
>>805 あのステレオタイプいい加減にして欲しいよな
>>805 もうひとつのステレが官軍の熊帽子ですね、あれって江戸城占領で
押収したヤクの毛だから、その前から被ってるのはおかしいよね
しゃぐま、だっけ?
そう、しゃぐま。
赤毛の軍帽がしゃぐまで土佐藩指揮官が着用
黒毛の軍帽がこぐまで薩摩藩指揮官が着用
白毛の軍帽がはぐまで長州藩指揮官が着用
個人的に鹿児島はシロクマがいい
>>811 天文間のむじゃきに来い
最近は鹿児島中央駅の地下にも直営店舗があるぞ
ある日、一群の幕軍を見つけた南国シロクマは
追いかける追いかける。
でもその幕軍には蝦夷に逃げられ
南国シロクマは鹿児島に入ってきました。
本場鹿児島セイカの南国シロクマ
<CMより
しゃぐま ってクマの毛じゃなくて
ヤクの毛だったのかwww
>>812 うまそうだな〜、カップしか喰ったことないから本場もの食べたいな
>>813 ほんとにそのバージョンのCMあるの?
ブコフで\105だったから星亮一の「東郷平八郎伝」なんつう物を購入
買ってから、そういやこの人観光史学の人だっけ?と思いつつとりあえず読んでみたら、
伝記のくせに無駄に詩的な叙景叙情は多いわ感情的な表現だらけだわ
辟易しながらも読み進んでいたら
戊辰戦争は無駄な戦争だった!
会津はかわいそうだ!
同じ日本人なのに!
とまあてめえの価値観むき出しでさすがにやんなったw
あっさり観光史学が嫌いになりましたw
同じ日本人、福島県人なのに会津若松のつきはなしっぷりは半端ないな
818 :
名無し三等兵:2011/06/16(木) 08:56:01.47 ID:USVC/PBh
70年安保世代の東北マオイスト新左翼の戊辰戦争歴観はまたその前後の世代とは違う
独特の、毛沢東主義世代に迎合したものだと思う。
薩長官軍=アメリカに追従する身勝手な国家権力、会津=国家権力に翻弄されながらもそれに抵抗する俺たち新左翼学生の相似、
みたいな。あるいは薩長官軍は安易に転向して就職した奴らの相似、みたいな。
観光史学って、何?
会津観光史学で検索してみてください
もしくはこちらを
『会津という神話−〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉− MINERVA人文・社会科学叢書 158』
田中悟・著/ミネルヴァ書房2010年
検索したら、叩いている対象以上に、叩いている本人の方が電波入っているサイトしか引っ掛からないんですが
>>821 会津若松の現市長と元観光部長が自分達で名乗ってやってることだからなぁ。
走れメロスみたいな回だった。
幕末の戦闘で銃剣を使った話を全然聞かないが、当時はあまり白兵戦はなかったのか
前装銃だと着剣した状態で、装弾しにくいよね。
推測だけど日本の場合は、射撃の後で銃剣装着するよりは、日本刀で切り込んじゃった方が
性分に合ってたんじゃね?
828 :
名無し三等兵:2011/06/18(土) 08:49:57.80 ID:MS2kF3qT
西南戦争の百姓上がりの鎮台兵はみんなで銃剣円陣組んで示現流やら自顕流やらの斬り込みを防いだらしいが。
習わされて数年の、それも日本人の体格に合ってるかどうかあやしい銃剣術より
幼少児よりやってた剣術のほうがそもそも効率よかったんでない、士分は。
リーチが長いから結局銃剣が勝っちゃったって話はどうなった
後装銃だと着剣する機会が増えるんじゃないか?
あの最初だけは面白かった、かわぐちかいじの漫画でも、シャスポー銃に着剣してて、
妙に説得力があった。
256 2011/06/16(木) 21:02:18.39 ID:???
名無し三等兵(sage)
最初は欧州でも銃口にすぽっと差し込む方式しかなかったが(日本でもマタギがフクロナガサというのを使っていた。対獣用に)、ソケット式銃剣というのが開発された。
銃口からずらして銃剣の刃が伸びているやつ。装填も可能だし、気をつけていれば手も傷つけない。
エンフィールド銃のモデルガンがDENIXから出てたよな。あれに着剣して本当に装填できるか試してみたい。まだ売ってるかな
834 :
名無し三等兵:2011/06/19(日) 11:43:01.13 ID:CzDAYe6B
幕末の銃剣はヤタガン式といって着剣したまま装填できるようにS字に曲がっている。
できるのはわかってるんだけど、どの程度着剣してたかだよな。
発射速度に影響とかでないのかなあ。
映画「ゲティスバーグ」のピケットチャージのシーンで確認してみた。
南軍側は装填した状態でソケット型銃剣を装着し、進撃開始。
敵陣に着くまでに2-3発撃ってる様なので、途中で装填している模様。
北軍側は着剣してるのもあれば、していないのもある。カット割りごとに違ってたりする。
結論。よくわからないが、結局ケースバイケースみたいな感じだった。参考にならないなw
ヤーゲルもミニエー銃も、銃そのものは同じなんだけどね。
弾丸が違うだけ。
どちらかというと、心理的な問題な気がする。
銃剣が着剣されてると、ラムロッドをそれほど勢い良くたたきつけれないとかそんなん
839 :
名無し三等兵:2011/06/19(日) 17:24:50.38 ID:CzDAYe6B
幕府陸軍歩兵隊は武士じゃない農民が多かったから、むしろ百姓一揆のときの竹やり感覚で使えたんじゃないだろうか。
そんなに全員が各地で一揆の訓練なんかしてたのか?
一揆なんてやったら首謀者は磔で肋骨脇腹に槍30回刺されてから首切られる残酷刑を喰らった訳で
どの村でも次々と出来た代物じゃないと思うがw
江戸時代の一揆は、武装蜂起の形態ではなく、
強訴や越訴の形態をとっている。
竹槍等は単なる示威的なものなだけである。
842 :
名無し三等兵:2011/06/19(日) 19:39:53.61 ID:CzDAYe6B
まあ銃剣も示威的なものといえば示威的なもの。
一対一で使うものと言うよりは集団で剣先をそろえて使うもの。
>>839 農民より町民が多かった。参勤交代が取りやめになったので関連産業
に従事してた男達が入ってきた。
ナポレオン戦争期の頃は示威だけでなく実用武器だったな。
方陣を組むときは剣先を揃える形になるが、通常の突撃時には結果として一対一になる。
列強国でも、槍はWWTのころまで制式装備で
実戦で使われているんだよな。
ポーランドなんて、WW2の初期のドイツ軍機甲部隊相手に、
槍装備の騎兵部隊が戦っていたんだしw
>>845 ポーランド騎兵vsドイツ機甲部隊って、相当に脚色された話だぞ
ポーランド騎兵が勝った状況もあったね
ポーランド騎兵はソ連ポーランド戦争のときに活躍しているしね。
>>847-848 槍をどのようにして使って実戦で戦ったら、
当時の新鋭装備の師団に勝てるんだよw
徴兵が乗った農業用トラクターを新鋭装備というのは過大評価だな
>>849 当時のポーランド騎兵隊は、装甲車や対戦車砲も装備した近代的な部隊だ
槍はあくまで対歩兵白兵戦用の武器で、槍を構えて戦車に突撃の話は、
当時のイタリアの新聞の誤報から始まった、伝説
>>836 リトルラウンド・トップのシーンでは防御側の北軍は最初未装着で、銃剣突撃
の決断後銃剣装着の命令。
「ゴッズ・アンド・ジェネラルズ」だとフレデリックスバーグなど基本的に
攻撃側は装着していて防御側は未装着のようだ。
結局、発射速度うんぬんより自部隊が攻撃するのか防御するのかで戦術が
異なっているのでは?
853 :
名無し三等兵:2011/06/20(月) 13:23:22.79 ID:y5z7sGiX
「グローリー」だと突撃前の整列中に着剣してたな。
映画ゲティスバーグのピケットチャージのシーンでは突撃前に指揮官の号令で一斉に着剣してたな。
着剣は個々の兵士ではなく指揮官の判断で行われるみたいだ。
>>858 でたらめな話でポーランドを後進的だと笑うことのどこに夢があるんだ?
つか、いい加減スレ違い
ニュースを見てもまだ江口愛美が実物だと信じ続けるようなものか
軍艦には1870年代までカトラス以外に
ボーディングパイク (boarding pike) という槍が備え付けてあった。
主に敵の斬り込みを退けるためのもの。
あとウィキペ英語版によるとWW2当時イギリスの本土防衛のための
ホームガードには槍を支給する準備をしたが
ホームガードの反感と拒否を買ったそうだ。
日本の竹槍もそんなに途方もなかったわけじゃないね。
>>859 違うな。槍で戦車を倒すことに浪漫を感じるんだ。
ポーランド騎兵は騎馬突撃で戦車の死角から対戦車地雷を投げつけて爆破したんじゃなかったのか?
>>863 屁タレDQNの日本兵も見習って欲しかったな。
>>864 お前は志が低い。
日本兵は肉弾を使ったのだ。
>>863 普通に対戦車砲を持っているから、それを使ってるが
兵隊さんは、目の前にいる敵を倒すだけではなく、生き延びて、次の戦いに備え、
あるいは民間人に戻ってそれぞれの立場で国に尽くすのが使命で、
腹の足しにもならないロマンのために命を投げ出す義務はない
君のためなら死ねるよ、アモーレ
>>861 その槍は倉庫開けたらたまたまむっかしのが余ってたから
お役所仕事で支給したら反感と拒否くらったわけで
積極的に国民学校で竹槍訓練してた日本とは一緒にしちゃいかんとおもう
>その槍は倉庫開けたらたまたまむっかしのが余ってたから
ここが流石だとおもうw
会津は槍隊を出したんだよね・・まだ火縄銃の方がましでね?
WWIのドイツ槍騎兵なんて早々に壊滅してるぞ。
ホームガードパイクはリーエンフィールドNo.1Mk.Vと同じ長さのパイプに同銃の銃剣を溶接したものじゃなかったかな。だからリーエンフィールドの銃剣術の教本をそのまま使えるとかで一応合理性も考えてある
水道管+銃剣で武装したホームガード 対 竹槍で武装した国民義勇戦闘隊
いろんな意味でドリームマッチだなぁ…
英国は金属資源が豊富でうらやましい
>>874 >868の逸話はダンケルク撤退戦だったかなの話で聞いたことがある気がする
879 :
名無し三等兵:2011/06/21(火) 19:10:56.91 ID:MABw5Vul
まあ水道管があればステンMKUがつくれるからフランスのレジスタンスにはそっちを配った。
レジスタンスへの支援物資が水道管槍だったら( ;´Д`)
リベレーターとどっちがマシ?
>>890 壊れないだろうとそのままバラバラ投下して
拾おうと出てきたレジスタンスが串刺しになるわけですね
新島八重は綾瀬はるからしいね、でも福島っていってもまた会津が
観光利権むさぼるだけで、本当の被災地にはほとんど恩恵ないよね
>>883 綾瀬はるか か。
個人的には多部未華子が良かったな。美人だし。
多部ちゃんは朝ドラ史上で最もry
天花だっけ?
多部未華子は美人で可愛い。
そ れ は な い
が綾瀬はるかよりは似合ってると思う
多部で勃起できる奴は居る?
好みは人それぞれなんで押し付けるつもりはないが、
俺の主観だと多部はドブス。なんで可愛い扱いされるか理解できん
>>871 巨椋池辺りの堤防道では、両脇の藪に伏兵してぶっこんで
長州藩の小隊長だか中隊長だかなんだかを討ち取ってた筈。
まぁバレてからは普通に狩られた訳ですが。仕方ないね。
>>892 そうだね。一度暴露してしまったら不意急な攻撃は無理だからね。
ズールー兵は槍と盾だけで薩長軍より遙かに近代的な大英帝国軍を何度となく壊滅させて来たと言うに……
ズールー戦争でナポレオン3世の息子、ナポレオン・ウジェーヌが戦死
してるんだよね。幕末での英仏のつばぜり合いを考えると、感慨深い
ものがあるね
所詮個人の主観で、結論なんて出るはずがない話題をいつまで続ける気だ?
スレ違いというか板違い、芸能関係の板に逝ってやれ
多分このスレにもいると思うが、この間某大学の戦争ばっか扱ってる講座を受講したら
初回が幕末の戦争史で、このスレで散々取り上げられた旧式・新式銃の図解入り資料集と薩長・幕府の蛮行を証明
する日記や資料が配布されたぞw
時代は進んでるんだなー
>>898 多部ちゃんて、意外と豊乳だったんだなw
しかし、黒の方の子は多部ちゃんと比べ物にならないほどドブスだし、
そして貧乳とは救い様が無いw
多部と輪郭の似た真野えりなでいいや
石原さとみがよいね。
オッパイそれなりに大きいし。
>>898 どっちも好みじゃ無いが、白いほうはデブスの気配がして吐きそう。
まあ世の中にはデブ専とかブス専とか奇乳とかの特殊性癖もあるから
こういうのにも需要があるんだと思う。
なにしろそこらで見かけるブサイクなオバサンたちだって大抵既婚者だぜ
そして彼女たちは若い頃だって今の面影がちゃんとあるわけで
つまりブサイクは昔からブサイクで、それでも結婚できてるんだから需要はあるんだよね。
>>904 デブスの気配は黒い方のような木がするが。
お前らいい加減にしないと銃殺刑だ
馬鹿は最前線の百歩前だ
>>894 イサンドルワナでは勝ったことは勝ったけど、中央を構成していた部隊はもろに英軍の戦列射撃を受けて大損害だったらしい。英軍を追撃するとかナタールに攻め込むとかその後の戦果拡大が不可能になるくらいに
不意打ち&英軍の戦術ミスで勝てた様なもんだからな。
地面が固いのを理由に防御陣地を作らなかったり、ズールー軍接近の情報を無視したり。
913 :
名無し三等兵:2011/06/25(土) 09:24:20.38 ID:WuWPsRA6
勝利ってのは何だってそんなもんだろう。
>>868 だってチャーチルが
「一人一人が何らかの武器を持たねばならない、ただの棍棒か槍であっても」
"every man must have a weapon of some kind, be it only a mace or pike"
と言ったのがきっかけだと言うぜ。
maceって<鎚鉾>で、ただの棍棒より高いと思う・・
まあ、ひのきの棒とたけざおできらーましんと闘えっていうことですね
グラインダーで研いだ鉄を棒に縛り付けるだけなら、相手を本格的に叩き殺せる棍棒より安いのか?
木製ならボウリングのピンくらいないと殺傷性は弱いな
その辺のスリコギでも相手がまったく歯向かわないなら可能だが、腕っぷしの強い奴相手だと余裕で負ける
金槌とかなら、相手がジャブ出してくるところを金属部分で拳や前腕を殴っていくだけで傷め付けていけるが
イギリスならクリケットのバットなんか棍棒に良いなw
918 :
名無し三等兵:2011/06/26(日) 12:03:40.68 ID:TxC2jHe7
ドイツ軍的には縁を尖らしたシャベルで十分
塹壕戦では銃剣よりシャベルの方が便利だったって聞くな・・
南北戦争では塹壕は出現してたらしいけど、日本ではいつかな?
胸壁はよく聞くけど
大坂の陣では塹壕掘ってたな。
>>920 発掘調査をしてみると、トーチカ状の遺構も出てきたらしい。
>>921 続戦国自衛隊の「さくら丸」ですね分かりませn
第四師団司令部じゃないのか
>>919 殺人の心理学によると、銃剣は心理的に使いにくいらしい
だから兵士は無意識に白兵戦では銃床とかスコップ、鈍器を使うんだと
19世紀以前の軍隊って、銃剣術の訓練はどのぐらいやりこんでたんだろうか?
今の自衛隊の銃剣道錬成隊と当時の熟練兵が同一武装でやりあったらどっちが有利だ?
当時の小銃と現在の小銃が違いすぎるからな・・
戸山学校の教官は間合いが狂うから、カービン造るな!とごねたらしい・・
銃剣道の木銃なんか38式の間合いで今でもやってるぞ
>>926 19世紀だとマニュアル類があるからどんなものかは想像できるね。
銃剣術は直突き、下突きと色々出てくるし、払い技もある。
それ以前だとごく単純で突撃への防御姿勢と、攻撃では突きの一手くらいだったようだ。
その突きも姿勢が変わってて、右手を銃床の底に当てて、銃を思い切り脇の後方に引いた形に構える。
左腕も曲がって、ちょうど水平左ひじ撃ちをしたような感じになる。
そこから右の手で押し出すように突くんだそうで、当時の文献にも「push」と
あるそうだ。
>929
カメハメ波みたいな感じ?
931 :
名無し三等兵:2011/06/27(月) 09:23:55.77 ID:Ww050uJ8
皇国最終兵器<竹やり>も、銃剣術に基づいて訓練してたそうだね
昨晩の“JIN”、そういうドラマじゃないのは分かるが、やはり戦闘描写がいい加減だったな。
>>931 標的の古タイヤの下辺りについてる的に銃床で攻撃してるけど、これは足への攻撃を想定してるのかな?まさか金玉とかじゃないよな…
つか今までに幕末の戦闘描写が適切なドラマがあったかと
>>937 白虎隊に刺されないように気をつけろノシ
>>937 新島八重ならぬ綾瀬はるかと一戦交える気持ちで赴くのだ
>>938-940あいがとよ〜♪
谷山んしじゃっとか、おいは坂之上じゃが。
東京に出てきて就いた職場で最初の挨拶の時に
「薩州から来もした〜」と話したら同じく新人の隣の人が
「私は会津から来ました」
と…
その後の呑み会では
「佐川官兵衛、強かったですね」
「鳥羽伏見は悔しかったが、白河は言い訳しようもない」
云々と意気投合。
ただし、「長州、おめーだけは駄目だ」(ハモル
>>942 会津は言わずもがな、薩摩も山縣有朋はせごどんが助けてやったのに・・
と思っている人はいる。まあ、西南戦争は薩摩の相打ちでもあったから
長州に恨みを逸らしている面もある。警視隊も旧幕だけではなく、薩摩
郷士あがりも多かったからね。
>942
長州はテロ集団だからな
それは長州に限った話じゃないな。
そういや「るろうに剣心」が実写映画化されるらしいな。
剣心の配役も決まっているらしいけど、
集英社サイドは以前は実写映画化は否定していたような。
このスレで期待してるやつはいないと思うからいいよ。
沖田総司が白河脱藩藩士なのに訛ってない。
>>949 江戸詰ならなまってなくても不思議はない
つうか中小の譜代大名の家臣ってなまりあったのかな
それなら福沢諭吉が大阪弁(船場言葉)を使ってないと
おかしいというのと同じだな。
>>949 そら江戸で生まれてずっと江戸で育ってるんだから不思議はないだろう。
そういえば、基本的に江戸屋敷で育つはずの歴代藩主って、実は訛ってないのか?
江戸にいたって周囲が地元出身者なら訛かもしれんし
外に出て市井との交流が多ければ江戸弁になるかもしれん。
そういえば、斉彬公はドラマとかでは江戸っ子っぽく描かれてるよな
>>954 江戸詰藩士は代々変わらない藩の方が多いんじゃなかろうか?
>>954 市井・・吉原とか( ;´Д`)ハァハァ
母方の祖母の実家が某藩の江戸詰だったが代々江戸住まいだったらしい
広尾の寺に先祖代々の墓がある
>>957 江戸中期以降は吉原で太夫あげてどんちゃんなんて余裕ある大名家あったのか?
高尾太夫を仙台侯がバサっとやったあたりが最後じゃねえの?
>>959 中期以降は厳しいだろうね。
でも遊女というか春の需要はあったわけだしな
962 :
名無し三等兵:2011/06/29(水) 09:28:33.29 ID:/qLJO7S+
川原でよたか数人をとっかえひっかえパコパコ
違法風俗だけどなヨタカw
>>949 沖田家が浪人になったのは、親父の代で、総司が生まれる前らしいが
>>921 どうせ中に畳を敷いて茶の湯でもやってたんだろw
いまNHK見てたら長岡藩のミトライユーズが出てきた。ガトリングガンは有名だがこっちも買ってたのか。
昨日のタイムスクープハンターでも洋式銃訓練でとんがり帽かぶってたね
洋式でも変なほうにいってねーか長岡は
長岡藩に出入りしてた西欧商人が他とは違う連中だったんじゃね?
スネオだろ
ってあいつら兄弟でやってたのか
長岡市民だが、90年代、児童館でミトライエーズのおもちゃつくる講座があったなあ
トイレットペーパーと割り箸と輪ゴムで。
・・・ミトライユーズ(あるいはミトラユーズ)だよな?
975 :
名無し三等兵:2011/07/03(日) 17:21:32.10 ID:Ubl95GUD
世界の軍事研究家は、もっと幕末の兵器史を研究してもらいたいものだ。
フリントロックやゲベールを撃ってる一方で、スペンサーだのシャスポーだのトライゼなどの新式銃を大量に購入した上で
各藩がバックになってる列強の軍事顧問を雇って、大真面目に戦ってたんだぜ?
考えてみると相当カオスだ。
列強同士の戦争のクリミアを除けば、同時期の南北・太平天国・セポイの戦いでもこんなむちゃくちゃ多い
種類の兵器つかってなかったんじゃね?
>>975 使用武器の種類が多いことに何の意味があると?
所詮みんな中古武器だしなあ
武器オタ的には嬉しいがそんだけだわな
勢力のユニットの数は幕藩体制のおかげで多いが、勢力としては糾合統一されて構図としては単純だしな
政治史ならそれこそ幕末維新は国内で汗牛充棟だろ
クリミア戦争って、そんなに種類多い?
小銃にしても、前装式ライフルと前装式滑腔銃だけじゃん。
978 :
名無し三等兵:2011/07/03(日) 18:45:19.76 ID:xVvJE7RF
シャスポーはナポレオン三世皇帝陛下が下さったピッカピカの新品最新兵器だっちゅーの。武器オタが聞いて呆れるな。
四斤野砲だって最新新品のライフル砲。和歌山藩のドライゼも新品。
俺もガンヲタ方面からこっちに興味を持った軽輩だけど、この時代の火器の使用実態は謎が多いよ。
ガトリングガンに関しても河合様の所持分は有名だとしても、開陽丸に搭載疑惑(弾丸が引き上げられてる)あったり。
逆に定説になってるけど宮古港海戦時の甲鉄がアボルダージュに対して本当に使用したか怪しい部分があったり。
シャスポーとかドライゼの実包の補給実態とか国産化の状況とか知りたいことは山ほどある。
管打式用の雷管の原料調達事情とか、ライフリング技術導入の経緯とか、重箱の隅だけど知りたいことだらけだよ。
おかげで南北戦争関連の洋書にまで手を出す羽目になるとは・・・orz
甲鉄に載ってたのは佐賀のガトリングだっけ
>>979 スナイドルの弾が無くなったからミニエーの弾をバラして
使ったとかいう記述があるらしいが、どうやってだ?
とか謎は結構あるな。
深い話題を追及する良スレ・・可能な方は次スレをお願いします
983 :
名無し三等兵:2011/07/03(日) 23:16:06.49 ID:TB/TPh6q
プロイセン式の軍備で身を固めた紀州藩が
徳川家の復権を掲げて蜂起したらどうなってたんだろう?
やっぱ泥沼の内戦かな?
>>983 ドイツ本国は現地外交官の暴走を支持しないのでそこで終わり。
てか当時はドイツなんて国は…
あープロイセンだったな。
何にしてもビスマルクは許可しなかった。
プロイセンは会津長岡から蝦夷地売るよって言われても
軋轢生むだけだからいらんと突っぱねたね
>>978 ナポ三世がくれたそのシャスポー、ちゃんとゴムパッキンの予備も付いてきてたんだろうか。
>>988 もし買ってたらどうなってたろう・・
ビールがおいしくなるだけじゃすまないよね・・
991 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 00:17:30.78 ID:JDNWDiun
ドイツとロシアの仲は確実に悪くなりそう
東西からドイツに包囲されるなんて悪夢だろ。
>>990 普仏戦争の絶対条件である英国の中立が得にくくなると思う。
993 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 00:29:19.18 ID:w6WD4LD0
>>990 蝦夷を実効支配しようと思ったらプロイセン(ドイツ)は強力な海軍を持たないと駄目だ。
あと、すぐ傍の日本と事を構えるのは戦略的に駄目すぎるので日本と仲良くする。
明治日本としてもドイツが優しくしてくれるなら媚びるだろう。
よって、この世界ではドイツが大海軍を持ち、日英同盟の代わりに日独同盟が成立。
やがて日独同盟vsロシアという形で日露戦争が勃発する。
もちろん一次大戦も違う形になる。
日露開戦=仏独開戦=英独開戦=そして大戦へ…
ですね、わかります。
>>989 弾薬だけでなく、交換部品の不足にも悩んでいたらしいからなあ
日本がゴムという素材を自在に扱えるようになったのって明治維新後のどれ位からかなあ?
>>996 太平洋戦争当時でも怪しいが
シーリング関係の技術や防漏タンクの惨状見ると
998 :
名無し三等兵:2011/07/04(月) 11:46:04.71 ID:y3Uq4cKC
>>996 技術的になのか在庫的になのかでかわるな
安定した貿易で需要をまかなえるようになったのは戦後だ
1000なら綾瀬はるかの入浴シーンあり
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