[孫子]戦理・戦略・地政学・歴史・理論0010[戦争論]
孫子 地形篇
http://www.geocities.jp/aydahn42df5/sonshi10.html およそこれら六つの事柄は地形についての道理である。
将軍の最も重大な任務であるから、明察しなければならない。
将軍というのは、各地形における対処の仕方を知っていなければならない。
その知識の有無が、戦の勝敗を大きく左右するからである。
孫子は地形に関する六つの事柄として、
四方に広く通じている地形(敵よりも先に高地の南側に陣取って、食糧の補給路を有利に確保する形で戦うと有利になる)、
途中に行軍が渋滞する難所を控えている土地
(難所の向こう側に敵軍の防禦陣地がない場合には、難所を越して出撃して勝てる。
しかし、敵軍の防禦陣地が存在する場合には出撃しても勝てず、難所を越えて引き返すのも難しくなるので不利となる)、
脇道が分岐している土地
(敵の誘導には乗らず、軍を後退させて分岐点を離れ、逆に敵軍の半数を分岐点を過ぎて進出させておいてから攻撃すると有利になる)、
道幅が急に狭くなっている土地
(先に自軍が占拠してれば、隘路に自軍を隙間なく密集させて敵を待ち受けるとよい。
しかし、敵が隘路に隙間なく軍を密集させていた場合には攻撃せず、隘路を敵が占拠していても隙間がある場合には攻めかかるとよい)、
高く険しい土地
(高地の南側に陣取ったうえで、敵の来攻を待ちうける。敵が高地の南側に陣取っていた場合は軍を後退させ、攻めてはならない)、
双方の陣地が遠くへだたっている地形
(先に攻撃を仕掛けた側が不利になるので、こちらから攻撃を仕掛けないこと)を挙げている。
孫子:地形篇 - Web漢文大系
http://kanbun.info/shibu02/sonshi10.html 孫子曰く、地形には、
通(つう)なる者あり、
挂(かい)なる者あり、
支(し)なる者あり、
隘(あい)なる者あり、
険(けん)なる者あり、
遠(えん)なる者あり。
われもって往(ゆ)くべく、彼もって来たるべきを通(つう)という。
通なる形(けい)には、まず高陽(こうよう)に居(お)り、糧道(りょうどう)を利してもって戦わば、すなわち利あり。
もって往(ゆ)くべく、もって返り難(がた)きを挂(かい)という。
挂(かい)なる形(けい)には、敵に備えなければ出(い)でてこれに勝ち、敵もし備(そな)えあらば出でて勝たず。
もって返り難(がた)くして、不利なり。
われ出でて不利、彼も出でて不利なるを支(し)という。
支(し)なる形(けい)には、敵、われを利すといえども、われ出(い)ずることなかれ。
引きてこれを去り、敵をして半(なか)ば出でしめてこれを撃つは利(り)なり。
隘(あい)なる形(けい)には、われまずこれに居らば、必ずこれを盈(み)たしてもって敵を待つ。
もし敵まずこれに居り、盈(み)つればすなわち従うことなかれ、盈(み)たざればすなわちこれに従え。
険(けん)なる形(けい)には、われまずこれに居らば、必ず高陽(こうよう)に居りてもって敵を待つ。
もし敵まずこれに居らば、引きてこれを去りて従うことなかれ。
遠(えん)なる形(けい)には、勢い均(ひと)しければもって戦いを挑(いど)み難く、戦えばすなわち不利(ふり)なり。
およそこの六者(ろくしゃ)は地の道なり。将(しょう)の至任(しにん)、察(さっ) せざるべからず。
181 :
名無し三等兵:2011/06/10(金) 03:57:52.22 ID:xHQUOvWm
孫子 行軍篇
http://www.geocities.jp/aydahn42df5/sonshi9.html 断崖絶壁にはさまれた谷間で行動中に、
天然の井戸や天然の穴倉、天然の仕掛け網、天然の陥し穴、天然の切り通しなどに遭遇したときは、
必ずすばやくそこから離脱して、接近してはならない。
ここでは、はまり込むと危険に陥る地形を示している。
自軍はこのような地形を避ける一方、敵にはそのような地形に誘導するのが望ましい。
軍隊の進路に、険しい場所やため池、窪地、葦原、小さな林、草木の密生した暗がりなど、
身を隠して潜むことができる地形があるときは、慎重に捜索を反覆せよ。
悪巧みを抱く敵兵が潜伏する場所だからである。
身を隠せるような地形に差し掛かった場合、敵が何らかの策を設けているかも知れない。
よって、被害を未然に防ぐためにも慎重に周囲を捜索すべきである。
孫子:行軍篇 - Web漢文大系
http://kanbun.info/shibu02/sonshi09.html およそ地に絶澗(ぜっかん)、天井(てんせい)、天牢(てんろう)、天羅(てんら)、天陥(てんかん)、天隙(てんげき)あらば、
必ず亟(すみや)かにこれを去りて近(ちか)づくことなかれ。
われはこれに遠ざかり、敵はこれに近(ちか)づかせ、われはこれを迎(むか)え、敵はこれに背(うしろ)にせしめよ。
軍行に険阻(けんそ)、溝井(こうせい)、葭葦(かい)、山林、翳薈(えいわい)あらば、
必ず謹(つつし)んでこれを覆索(ふくさく)せよ。これ伏姦(ふくかん)の処(お)る所(ところ)なり。
〜鳥の起(た)つは、伏(ふく)なり。〜
後三年の役 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E4%B8%89%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%BD%B9 雁行の乱れ
源義家軍が家衡・武衡軍の籠もる金沢柵へ行軍中、西沼(横手市金沢中野)の付近を通りかかった。
義家が馬を止め上空を見ると、通常は整然と列をなして飛ぶ雁が乱れ飛んでいた。
それを見た義家はかつて大江匡房から教わった孫子の兵法を思い出し、清原軍の伏兵ありと察知し、これを殲滅した。
義家は「江師(匡房の号名)の一言なからましかばあぶなからまし」と語ったという。
三国志演義はなぜかこういう狭隘な道でいつも伏兵に遭っている。