南雲忠一中将を再評価するスレ(乎)

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533GF長官
>>532の続き

1941年(昭和16年)12月18日深夜、母船である伊潜水艦シーレから発進した
3隻のマイアーレ(ルイジ・デラ・ペンネ大尉指揮)は、幾重もの防潜網を突破して
軍港内に侵入成功。

ペンネ艇は、機関故障のため人力で(!)弾頭を引っ張り上げて、英戦艦ヴァリアント
の艦底に設置完了。脱出時に発見されて捕虜になるも、前大戦の如く黙秘を堅持した
結果、19日0630時、同艦は大爆発を起こし着底した。

他の二艇も同様に英戦艦クイーン・エリザベスと油槽船サゴナ、駆逐艦ジャービスを大破。
両戦艦は浮揚修理に半年以上を要し、戦線復帰は翌年7月まで待たねばならなかった。
当時地上戦では、英陸軍のクルセイダー作戦によりDAK(ドイツアフリカ軍団)は、トブルク
からの撤退を余儀なくされ苦しい立場にありましたが、一時的に地中海の制海権は枢軸国側
に傾き、ロンメル将軍は反攻を開始、1942年6月にはトブルクを奪還した。

この重要な半年間、英地中海艦隊の稼働戦艦がゼロになった意義は大きい。
わずか6名の働きは、特筆すべきものであったと言えるでしょう。