>>164の続き
シャルンホルストは多数の命中弾により、1617時に沈没。
シュペー提督は、同艦と共に”水漬く屍”となりました。
この後、後落していたカーナヴォン(
>>141)が追いつき、2隻の巡戦と協同して
グナイゼナウに対して発砲開始。
集中砲火を浴びて、同艦も1802時に沈没。
その最期は、左舷に大傾斜しながらも射撃を止めなかったと記録されています。
これで主力決戦は終結。
英艦隊は両艦の沈没海域に停船し、生存者の救助活動に従事した。
シュペー提督の名を継いだ装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペーもまた、25年後(1939年)
12月17日に同じくラプラタ河口にて自沈したことは既述の通り(
>>133-134)
今ぞ知る ラプラタ河の 御ながれ 波の下にも 都ありとは