日本陸軍におけるM3軽戦車

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924名無し三等兵
【真昼の決闘 “雄羊”vs“鼠”】

英第22機甲旅団は、隷下の3個機甲連隊全てがクルセーダーを装備しており、
クルセーダー作戦時は、“砂漠の鼠”こと第7機甲師団の指揮下にありました。

1941年11月19日(作戦2日目)の正午、旅団は156両の戦車をもって、攻勢を開始しました。
攻撃衝力は、ビル・エル・ゴビの伊第132機甲師団“アリエテ”の守備陣地へ向けられましたが、
英軍は、これを組し易い相手と見ており、ガザラへの扉は簡単に開けるものと楽観視していました。

それまでの激しい雨で、一帯の地面は泥土化しており、
その中を、47mm対戦車砲と第132砲兵連隊・第2大隊が英軍を待ち受けていました。
守備陣地は巧みに構築・偽装され、効果的な斜射が可能でした。

思いも寄らなかったイタリア軍の奮闘により、
右翼への英戦車隊の攻撃は頓挫し、中央は僅かに前進したのみでした。

左翼には、ベルサリエリ部隊が丁度到着したところで、
この部隊は開けた地で、即、戦闘に突入する破目に陥ります。
幸いに、対戦車砲と砲兵の支援があり、態勢を整えますが、
それも一時的なものでした。

13:30、左翼の守備が崩れ始め、守備隊は英戦車隊に包囲されます。
いくばくかのイタリア兵が投降してきましたが、
英軍は誰一人として、イタリア兵の投降を受け入れようとはしませんでした
(第22機甲旅団には、規模の大きな歩兵部隊の支援がなかったことが原因でした)。

仕方なく投降兵は砲のもとへ戻り、再び戦闘を続けました。
このようなことは砂漠での戦闘方針として、珍しいことではありませんでした。
925名無し三等兵:2010/11/13(土) 14:26:18 ID:???
15:00、第22機甲旅団は前進を続け、左翼陣地を奪取しました。
しかし、“MILMART”からの配属砲の支援を受けた、ベルサリエリ部隊とイタリア戦車隊が、
その背後で待ち構えていました。

イタリア兵の目には、突進する英戦車の姿と共に陽光も入り込み、幻惑されますが、
クルセーダーに囲まれながらも、“MILMART”の5両の102mm砲搭載トラックは、英戦車を撃破していきます。
そして、この様な至近距離では、47mm砲でさえ十分に効力を発揮しました。

遂に、アリエテ師団の1個戦車大隊が、
混乱状態に陥った第22機甲旅団の側面と背面へ打って掛かり、英部隊は後退します。

この日、第22機甲旅団は40両以上の戦車を失い、アリエテ師団はその名を高めました。

※41年11月26日、第22機甲旅団のクルセーダー。
ttp://www.desertrats.org.btinternet.co.uk/images/Pictures/22ndABCrusader_26_11_41.jpg
※第8ベルサリエリ連隊(アリエテ師団所属)
ttp://i86.servimg.com/u/f86/14/36/08/34/motori11.jpg
※35口径102mm海軍砲搭載トラック(模型)。この戦闘では、1000bの距離から射撃を開始し、効果があったそうです。
ttp://www.hobbyshop-sunny.co.jp/models/images/criel/r111.jpg