【真昼の決闘 “雄羊”vs“鼠”】
英第22機甲旅団は、隷下の3個機甲連隊全てがクルセーダーを装備しており、
クルセーダー作戦時は、“砂漠の鼠”こと第7機甲師団の指揮下にありました。
1941年11月19日(作戦2日目)の正午、旅団は156両の戦車をもって、攻勢を開始しました。
攻撃衝力は、ビル・エル・ゴビの伊第132機甲師団“アリエテ”の守備陣地へ向けられましたが、
英軍は、これを組し易い相手と見ており、ガザラへの扉は簡単に開けるものと楽観視していました。
それまでの激しい雨で、一帯の地面は泥土化しており、
その中を、47mm対戦車砲と第132砲兵連隊・第2大隊が英軍を待ち受けていました。
守備陣地は巧みに構築・偽装され、効果的な斜射が可能でした。
思いも寄らなかったイタリア軍の奮闘により、
右翼への英戦車隊の攻撃は頓挫し、中央は僅かに前進したのみでした。
左翼には、ベルサリエリ部隊が丁度到着したところで、
この部隊は開けた地で、即、戦闘に突入する破目に陥ります。
幸いに、対戦車砲と砲兵の支援があり、態勢を整えますが、
それも一時的なものでした。
13:30、左翼の守備が崩れ始め、守備隊は英戦車隊に包囲されます。
いくばくかのイタリア兵が投降してきましたが、
英軍は誰一人として、イタリア兵の投降を受け入れようとはしませんでした
(第22機甲旅団には、規模の大きな歩兵部隊の支援がなかったことが原因でした)。
仕方なく投降兵は砲のもとへ戻り、再び戦闘を続けました。
このようなことは砂漠での戦闘方針として、珍しいことではありませんでした。