512 :
霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :
>406
>403
>負けた場合とは、開戦しなかった場合の西洋列強による日本を含めたアジアの蚕食と同意。
>最悪の場合は植民地支配、或いは国家の解体を受けると考えられていた。
>なので、後世から見ると無謀とも思える米英との戦争に踏み切った。
霞ヶ浦の住人の回答。
1 負けると分かっている戦争をするのは馬鹿です。
2 第二次世界大戦で日本は、イギリスの味方になれば、戦勝国になっていました。
説明。
日本は、明治維新後、負ける戦争をしそうになったことが、2度ありました。征韓論のときと、三国干渉のときです。
征韓論のときは、当時の強国清国と戦争になったかもしれません。その頃の状況では日本が確実に負けていました。
三国干渉のときは、ロシア、ドイツ、フランスを相手にして勝てるわけがありまりせん。
2回とも、日本は引き下がり、戦争にはなりませんでした。それが正解でした。
いたずらに正義を主張して、負ける戦争をすべきではありません。
第二次世界大戦のイギリスのチャーチル首相は、日本と開戦せずに、味方に引き入れたがっていました。
日本がドイツと同盟を結んだ後に、日本大使館主催の食事会に出席しています。戦時中には異例のことです。
松岡外相に、ドイツと組むことの不利益を説いた手紙を送っています。日本はイギリスと手を結ぶことが可能でした。それを日本が断ったのでした。