1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2010/05/05(水) 15:44:52 ID:???
>1 乙
3 :
名無し三等兵:2010/05/05(水) 15:45:49 ID:LqATRoku
4 :
名無し三等兵:2010/05/06(木) 13:44:52 ID:???
>>939 西郷は相国寺にいて前線指揮はとってなかったんじゃないか?
5 :
名無し三等兵:2010/05/06(木) 21:00:28 ID:???
6 :
名無し三等兵:2010/05/08(土) 16:12:06 ID:???
鳥羽伏見の時に幕府軍が密集隊形で薩長のライフル部隊に突撃して撃退
されているけど、これと同じ失敗を南北戦争でも行われているよね。
幕府側は欧米の戦術を教条的に行ったということなのかな。
7 :
名無し三等兵:2010/05/08(土) 16:25:43 ID:???
見ヤーゲル夜空のあおいそら
8 :
名無し三等兵:2010/05/08(土) 16:30:16 ID:???
幕府側に戦術なんてないよ。
部隊に対して攻撃目標の指定だけやって放置すれば自然と密集突撃になる。
指揮官が戦争自体に慣れてない上に、銃兵の訓練受けてないから
一番簡単な作戦しか取れなかっただけ。
9 :
名無し三等兵:2010/05/08(土) 20:26:03 ID:???
>>8 歴史群像には、幕府の歩兵隊は「当時の教本どうりに密集隊形で戦ったからこそ負けた」
って書いてあったよ
歩兵が1メートル間隔で隊形を組んだんだって。
いっぽう薩長は教本の10分の1の兵力密度で、いままでの常識からすればそんなの突破されちゃうんだけど
銃の性能が上がっていたので、結果として幕軍の撃退に成功した
10 :
名無し三等兵:2010/05/08(土) 20:42:04 ID:???
散兵戦術は指揮官に高い能力を、兵卒には訓練と士気を要求する。
幕府側はそれがちょっとな。
>>8も言ってる通り、実行可能な方法を取らざるを得ない。
歴史群像にも色々有るが、本誌?昔の赤本?
まさか最近出たアーカイブスの幕末編じゃあるまいな。
11 :
名無し三等兵:2010/05/08(土) 20:43:55 ID:???
皮肉なことに、1860年代は、歩兵の主装備が、前装式ライフルから、後装式ライフル+初期型機関銃(ガトリングガン)へと切り替わりつつある頃。
そのため、欧米諸国でも歩兵戦術の切り替えをどうするか、暗中模索していた時代だった。
南北戦争がいい例で、初期はナポレオン時代同様の歩兵戦術で、横隊で立って一斉射撃をしていた。
しかし、それでは膨大な損害を出すだけなのが分かり、塹壕を掘り、鉄条網を張り巡らしだした。
最終的には、第一次世界大戦の西部戦線を彷彿させる戦線が、リッチモンド前面に出現するに至っている。
そうした観点からみると、薩長軍は実戦経験から、散兵戦術の必要性に気づき、更に歩兵のモラルの高さも相まって、実際に行えた。
しかし、幕府側は実戦経験に不足しており、旧来の戦術をフランス軍士官等から指導され、それに従って敗因を作った、というのが真実だと思う。
12 :
名無し三等兵:2010/05/08(土) 20:49:10 ID:???
ガトリング砲への切り替わりは起こってないだろう。
他は同意。
13 :
名無し三等兵:2010/05/09(日) 00:39:00 ID:???
>>6 まさにその通り。フランス軍の教本に忠実すぎて、あんな市街地なのに「アナバーン、マルシュ!」と攻撃縦隊で突撃したよ。
臨機応変に隊形を取れなかった。
縦隊突撃の成功の鍵は散兵と砲兵の援護が鍵を握っている。
伝習隊は当時日本でもっともハイレベルな装備と、本格的な撒兵(幕府では散兵をこう呼んでいた)訓練を受けた部隊なのに、
ろくな支援も無く十字砲火を浴びながらわざわざ密集して進むのでは損害が大きすぎる。
ナポレオンの時代の短射程のマスケット銃相手なら、成功したかもしれないが。
14 :
名無し三等兵:2010/05/09(日) 01:16:45 ID:???
ナポレオン以前は横隊を薄く延ばし、できるだけ火力を高めることに各国は執心していたが、
散兵戦術が革命期のフランスで実用化され、縦隊とともに歩兵戦術に革命を起こしたんだよな・・・
散兵は射撃戦で密集隊形に優位に立てるし、厚みある縦隊の銃剣突撃は、薄い横隊を突き破るから。
それがナポレオンの躍進の原動力になったんだが、他国も模倣して散兵を使うと、散兵の優位はなくなり
縦隊を敵の弱点に集中投入する突撃戦術が多用されるようになった。
15 :
名無し三等兵:2010/05/09(日) 06:17:48 ID:???
鳥羽伏見の薩長は散兵を重視したイギリスの軽歩兵戦術を用いており、側面にも散兵を置いて伏兵とし、
街路には突破されないよう密集横隊の銃陣と砲を、十字砲火を交えられるように敷いていた。
幕府陸軍でも密集した戦列歩兵にあたる歩兵と、撒兵(散兵)に別れて編成がされていた。
鳥羽伏見でも散兵は使われたんだろうか?というかいないとおかしい。
フランス式戦術は縦隊突撃だけではなく、状況によって全員が散兵となる近代的な散開戦術もあるんだが、
伝習隊は宇都宮城の前哨戦、小山でそれを実施してるな。
16 :
名無し三等兵:2010/05/09(日) 09:04:27 ID:???
ナポレオンの縦隊戦術は大兵力を背景にして遮二無二に突撃し、損害に構わず突き破るというもの。
技術と戦術の発展によって時代にそぐわなくなっていたが、ナポレオン3世が政権を取ると
偉大な時代への憧れから再び採用され、フランス兵は赤ズボンと共に突撃して死体の山を築いた。
17 :
名無し三等兵:2010/05/09(日) 11:09:32 ID:???
3世の頃にはもうミニエの時代か
マスケットなら1世方式で良かったんだろうけど
18 :
名無し三等兵:2010/05/09(日) 11:51:16 ID:???
あと榴散弾の進化も大きいかと。
信管の調整が難しいみたいだけど、うまくいけば密集隊形には絶大な効果が。
なんかの資料に書いてあったけど、クリミア戦争での死傷率は榴散弾が一番大きかったとか。
文久3年の今日(1863/06/25) 下関事件。
萩藩が下関海峡を通過の米商船を砲撃。23日には仏艦、26日にもオランダ艦を砲撃。
20 :
名無し三等兵:2010/05/10(月) 11:37:16 ID:???
21 :
名無し三等兵:2010/05/10(月) 20:39:54 ID:???
19世紀後半の大乱といえば、太平天国の乱を忘れてはいかんな。
アメリカ人士官が指揮する清朝の正規軍、常勝軍は中国史上初の洋式兵だし、なにより前装式ライフルどころか
フリントロック式の銃もないために刀槍で立ち向かう太平軍のカオスっぷりはある意味、幕末以上の魅力がある。
22 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 17:46:11 ID:???
前装式ライフル位の装填速度なら、白兵戦で十分に刀槍で対抗出来ると思う。後装式単発ライフルでも同様
23 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 18:17:50 ID:???
それが困難だから長州戦争や鳥羽伏見の戦いみたいになるんじゃないか。
接近するまでの損害が大きすぎると白兵戦でも押し負ける。
24 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 18:39:59 ID:???
そこは中国伝統の人海戦術で
25 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 19:05:39 ID:???
まあ対抗できんこともないだろうけど
あくまで従戦力として主戦力の銃兵を補完する役割だろうな。
小銃ばかりに頼ってると抜刀隊に斬り込まれて大変なことになるのは歴史が証明してる。
ちょっと考えるのは芸州口の戦いで哀れにも惨敗した井伊と榊原の軍勢は
銃の性能差や散兵戦術なんかを理解した上で、武家の誇りとか無視して戦った場合
善戦できる余地はあったのかね?
26 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 19:12:51 ID:???
西南戦争の抜刀隊の活躍も豪雨の最中や弾切れの状況でだからなぁ。
問題の根本は警戒を怠って接近を許したことかと。
抜刀隊って政府軍・薩摩軍ともに突入した側の損害が結構大きいんだよな。
27 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 19:40:59 ID:???
>>25 芸州口で善戦となると長州藩領に侵入する位はしないとダメ?
それだと厳しいと思う。
正直、長州軍が待ち伏せてる山間の街道を前進せずに、平地で守りを固めて耐えるしかないんじゃないか。
明治2年の今日 (1869/06/20)
土方歳三が函館異国橋付近れ戦死なのれす、35歳。
29 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 20:52:52 ID:???
ズールー戦争、第7騎兵隊の全滅、アフガニスタン戦役等があるから、戦い方だと思う
30 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 21:24:48 ID:???
>>22 敵のライフルは射程300メートル命中率10パーセント、
30秒で1発撃てる、とすると、
白兵突撃してる50秒くらいで「敵の数×0.16」くらいの死者が出るぞ。
命中率20パーセントならその倍だ。
31 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 21:33:03 ID:???
>>29 前の二つとも兵力が隔絶してるし、三つ全部とも地の利は防衛側にあった。
第一次アフガン戦役の英軍は多数の民間人を抱えて撤退せねばならなかった。
大体、ズールー戦争にしても勝ったのはイサンドルワナだけで、それでも大損害を受けた。
より兵力差の大きかったロルクズ・ドリフトでは、ズールー側が攻めきれずに負けている。
幕府軍が地の利の無い攻撃側であり、戦術も指揮も無く、士気阻喪し、兵器も劣っているようでは到底覚束ないだろう。
32 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 23:19:07 ID:???
>>25 火縄銃やゲヴェールでミニエーを相手するんじゃなあ・・・
長州からしたら敵の射程外から一方的に撃ってりゃいいので、射撃戦じゃ勝ち目が無いわ。
大砲は彦根藩がアメリカ製の12ポンド滑腔砲(たぶんナポレオン砲か12ポンド榴弾砲)はじめ十数門だが、
ライフリングが無いので砲撃戦では射程・命中精度ともに長州に分がある。
近距離では大口径砲から発射される数百発の散弾が脅威だが、その前に砲手が狙撃・砲撃で死んでいるだろう。
あとは闇夜や豪雨のときの斬り込み強襲ってところじゃないだろうか
目立つ赤備えが見張りに見つかって敗走しそうだなw
33 :
名無し三等兵:2010/05/11(火) 23:46:33 ID:???
戊辰戦争の軍装は小銃が主力武器でも日本刀は手放してないけど
その大きさって(現在居合で使われてるのと同等の)刃渡り2尺3−5寸ぐらいなの?
34 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 00:04:58 ID:???
>>32 彦根の大砲なら、米国製の12ドイムボートカノンを2門鹵獲したって記録があったと思う。
見事な作りだったけど、旧式で使い物にならないので捨てたみたいな、長州側のコメントを読んだ記憶。
35 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 01:53:51 ID:???
当時の前装式ライフルだと、人を何人くらい連続でぶち抜いたかな
まだ火縄銃とあまり変わらん位大口径か?
36 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 02:01:00 ID:???
15mmの音速突破弾丸を人体めがけてぶっ放す
減速もあまり無し
37 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 08:18:57 ID:???
アメリカの歴史家、コンラッド・トットマンは、
鳥羽伏見では長州が一番組織・武装の総合力で優れていたと言ってる。
次が幕府陸軍、その次が薩摩、そしてこの4つの中で一番遅れていたのが会津だと。
会津も本拠地に戻ってからフランスの教官招いたりドライゼ銃買ったり(届かず官軍に没収)したが遅かったな・・・
38 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 12:04:02 ID:???
>>33 2尺2〜3寸が多いかな。4寸、5寸は少ない。
勤皇刀みたいに長い刀もあったけど
戦争に持っていくにはかさばり過ぎた。
39 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 14:34:15 ID:???
>>33 天誅が盛んに行われていた頃は、3尺とかそれ以上の刀が一部で流行したのだが、
「斬り合いの時にそんな長くて重い刀を振り回していると、すぐ体力を消耗してしまい、
疲れたところを斬られてしまう」
というのがわかって、戊辰戦争の頃には廃れていた。
40 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 20:54:39 ID:???
17日にNHK BS-2で放送する映画「許されざる者」で
モーガン・フリーマンがスペンサー銃使いの役を演じてる様だ
41 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 21:15:30 ID:???
南北戦争以降の銃器の出てくる西部劇と言えば、「アウトロー」もおすすめ
42 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 21:20:30 ID:???
43 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 22:02:23 ID:???
戊辰戦争の戦争写真って残ってないだろうか…ww
44 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 22:12:25 ID:???
45 :
名無し三等兵:2010/05/12(水) 22:37:52 ID:???
>>42 便利なサイトだね
西部劇のアメリカ先住民は前装式ライフル銃で戦ってたのか
馬上で再装填するのは難しそうだ
46 :
名無し三等兵:2010/05/14(金) 10:04:50 ID:???
アルビニー銃って、機構的にはスナイドル銃とは縦開きと横開きの違いなのに知名度は雲泥の差だよね
47 :
名無し三等兵:2010/05/17(月) 07:57:43 ID:???
48 :
名無し三等兵:2010/05/17(月) 08:11:08 ID:???
49 :
名無し三等兵:2010/05/24(月) 10:59:36 ID:???
新撰組も小銃を装備してたんだよな。
50 :
名無し三等兵:2010/05/24(月) 19:45:36 ID:???
鳥羽伏見の戦いの後はね。
と言っても余り良い銃では無さそうだが。
水木しげる氏が近藤勇、沖田総司れ幕末モノを描いているのれす
その中れ新選組がフランス軍を招いての訓練
鉄砲の攻撃から伏せる描写が有るのれす
劇画近藤勇 星をつかみそこねる男 ちくま文庫
新選組夜話 沖田総司 近藤勇の原稿を使い廻す所あり
52 :
名無し三等兵:2010/05/26(水) 17:39:29 ID:???
19世紀欧州の装備・編成・ドクトリンなどを扱っている書籍ってありますか?
日本に関しては幕末を中心に様々な書籍が出回っているようなのですが、ことヨーロッパについては
政治史や個人の従軍記などが多いようなので…。
ナポレオン戦争から普仏戦争まで時期は問わないので、ご存じでしたらご教示願います。
53 :
名無し三等兵:2010/05/26(水) 17:49:48 ID:???
>>53 学研の戦略戦術兵器事典ヨーロッパ近代編は図解が多くておもしろかったよ
アマゾンで中古で買ったけど16世紀〜ナポレオンのころまでを解説してる
編成、行軍隊形から戦闘隊形への展開順序、フリードリヒ大王の斜行陣の解説なんかも載ってた
54 :
名無し三等兵:2010/05/27(木) 16:20:57 ID:???
>>53 おお、ありがとうございます。早速探してみます
55 :
名無し三等兵:2010/05/27(木) 19:12:03 ID:???
絶版なので古本屋だな
56 :
名無し三等兵:2010/06/04(金) 22:30:13 ID:???
今知ったけど鳥羽伏見の幕府軍指揮官の竹中丹後守って竹中半兵衛の末裔なんだな。
16人で稲葉山城を落とした才覚が子孫にもあれば、幕府軍も惨敗しなかったかも。
装備や兵力の差じゃなくて、作戦上の失敗だし。
57 :
名無し三等兵:2010/06/04(金) 22:52:37 ID:???
身に付けた戦術が古いんじゃ意味無いし、士官の差はどうしようもない。
58 :
名無し三等兵:2010/06/05(土) 07:19:37 ID:???
>>56 しかし実際には作戦どころか作戦会議を理由に引っ込んで敗北だからなぁ。
59 :
名無し三等兵:2010/06/05(土) 08:43:56 ID:???
二世、三世でうまくいかない事が多いのに、末裔なんて。
60 :
名無し三等兵:2010/06/05(土) 15:09:11 ID:???
日本人って現代でも「〜の末裔だから」っていう
冷静に考えたら意味不明な理由で結果を出すことを期待するよね
遺伝的には殆ど他人なのにね(´・ω・`)
61 :
名無し三等兵:2010/06/05(土) 15:35:47 ID:???
日本は特殊だよな。家名によって役割を継承していくような考えがある。
でも血族主義じゃなくて、いざとなれば夫婦養子みたいな形でも、家名を残していく。
まあそれが有効に働いた時代もあったようだけど。
62 :
名無し三等兵:2010/06/06(日) 00:43:59 ID:???
>>56 桑名藩じゃあ第十二代服部半蔵が21歳で家老職だぜ。西南戦争じゃ官軍で従軍してる。
…ラストサムライの忍者軍団はいくらなんでもねーよと思ってたが、あれも史実準拠だったのね。忍者ハットリくん的な意味で…
63 :
名無し三等兵:2010/06/07(月) 16:56:10 ID:???
おっと、ナポレオン三世人気のフランスの悪口はそこまでだ
64 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 16:50:33 ID:uXAslH0b
ナポレオン三世はプロイセンに負けたことを除けば名君だったんだぞ。
近年では彼の統治下をフランスの黄金時代と評価する声もある。
65 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:04:23 ID:???
藤本ひとみの幕末銃姫伝借りてきたのはいいんだが…
パラ見してたら、禁門の変の薩摩兵が後装式エンフィールドで装備統一してるってとこで萎えた。
村田勇右衛門どんが化けて出るぞ。続き読んだものかな…
66 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:09:41 ID:???
>>65 藤本センセは火縄銃の構造すら知らぬお方ゆえw
ダイナマイトみたいに導火線に火をつけるとそれが燃え移って発射されると思ってたらしい。
67 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:14:28 ID:???
まあ幕臣の永井尚志によると、薩軍は鳥羽伏見の頃には回転式ライフル銃を
装備してたらしいから時系列からすると不思議じゃないw
彼の言うところの回転式ライフル銃って、リボルバー拳銃からイメージしたのかな?
68 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:19:42 ID:???
リボルバーなのに銃身がライフル
閉鎖構造大丈夫なのか??
69 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:21:55 ID:???
>>66日本の小学校6年の歴史の授業ではそうやって教えている
70 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:22:48 ID:???
パークス公使に幕軍敗北の言い訳として語ったらしいけど
パークス思わず苦笑いしただろうなw
71 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:28:38 ID:???
72 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:32:42 ID:???
73 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:32:47 ID:???
>>71 本当にあるとは思わなかったw
永井はこれを知ってて発言したのかな?
まあ現実にミニエーだったわけで、適当な嘘並べた可能性が高いな。
74 :
名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:52:53 ID:???
一番一般的な奴がコルトの1855年式だから、南北戦争の中古品として日本にいくつか入った可能性はあるよ。
あの頃の日本銃器界はもうなんでもありだから。ただ、部隊としての装備は考えにくいね。個人持ちだろう。
75 :
名無し三等兵:2010/06/09(水) 04:15:22 ID:???
76 :
名無し三等兵:2010/06/09(水) 19:49:14 ID:MXQkGcYc
フランスのルベルM1886ライフルって、
どのくらいの性能を持ったライフル銃だったの?
このライフル銃の出現で、黒色火薬を用いたライフル銃が、
一気に旧式に成り下がったそうなんだが…。
77 :
名無し三等兵:2010/06/09(水) 22:35:50 ID:???
>>76 チューブ式マガジンで、いかにも過渡期の小銃だけど、意外に長く使われてるね。
クリップ装弾式のベルティエライフルが開発されているというのに。
ちなみに8mmモーゼル弾は、8mmレベル弾に触発されて開発されたそうな。
78 :
名無し三等兵:2010/06/09(水) 23:06:14 ID:???
79 :
名無し三等兵:2010/06/09(水) 23:11:34 ID:???
>>72 バックトゥザフューチャー3で西部時代にドクが使ってた。
縛り首にされたマーティのロープを遠距離から狙撃してた。
80 :
名無し三等兵:2010/06/10(木) 01:39:48 ID:???
81 :
名無し三等兵:2010/06/10(木) 01:48:33 ID:???
>>79 ありゃドクオリジナルのスコープじゃねえかw
83 :
名無し三等兵:2010/06/11(金) 20:51:26 ID:???
>>82 >2 アニメ「けいすけじゃ」
>(1)アニメ製作ボランティア
> 対象:絵が好き、アニメ好きな方、またパソコンが使える方
> 内容:作画部門(キャラクター・背景のトレース、彩色など)
> アニメーション部門(動画編集ソフトによる動画作成)
無茶すぎてワロタwwww
84 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 01:46:17 ID:???
>>66 え?
引き金を引いて下ろされる火縄から、導火線みたいな役割をする火薬に着火して
発射するんじゃないの?
85 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 02:02:41 ID:???
それが火縄と聞いて
ダイナマイトか爆竹の導火線みたいなものと
思っている人が多数なもんでw
金属の筒に火薬と鉄球と火縄一緒に突き固めると思ってるとか
火皿、火蓋、口薬
86 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 02:40:55 ID:???
うむ、わしも小学校の時に導火線式で習った記憶が。
だから、発射まで時間がかかるから、織田信長は3段式で時間調整して云々とw
87 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 06:57:17 ID:???
俺も昔はてっきり・・・
88 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 08:03:20 ID:???
歴史漫画に火縄銃の構造は載ってたな
そしてここにサヨ教育がなんちゃらw
89 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 15:54:40 ID:???
おれが子供のころに作った火縄銃は導火線式だった。
10mmくらい導火線を残した爆竹の尻にBB弾を接着したものを銃口から入れて、
引き金を引くと先端に火のついた線香を挟んだアームが下りてきて
爆竹の導火線に火をつけてBB弾を飛ばす仕組み。
引き金を引いてから発射されるまでタイムラグがあって、これは武器としてどうよって思ってた。
90 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 16:29:26 ID:???
火皿に載せた口薬は
ある意味導火線に近いと言えなくも無い
91 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 21:21:38 ID:???
92 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 22:02:57 ID:???
GWに古式砲術の奉納を見たが、現代の小銃と比べると火縄銃って音大きいな。
音だけで十分な威圧効果がありそうだな。
93 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 22:44:30 ID:???
そして馬がびびるw
94 :
名無し三等兵:2010/06/12(土) 22:53:47 ID:???
>>91 そう、筒抜け。
でも開放されてる銃口方向にエネルギーが逃げやすいのか、意外と大丈夫だった。
線香挟んだアームが半分くらい閉鎖してくれていたのかも。
貫通力をテストしてみようと週刊少年ジャンプにつきつけて何発か撃ってたら
着火アームがもげた。
95 :
名無し三等兵:2010/06/13(日) 00:04:25 ID:???
96 :
名無し三等兵:2010/06/13(日) 01:40:35 ID:???
無反動砲ktkr
97 :
名無し三等兵:2010/06/16(水) 05:42:23 ID:???
そんなでかい銃砲があったなら、イギリス相手に戦争しても負けなかったんじゃね?
98 :
名無し三等兵:2010/06/16(水) 08:23:27 ID:???
>>97 火縄銃は火花が散って暴発しやすく、
密集射撃に向いてないんだよな。火力の集中に劣る。
でもってライフルじゃないから射程短いし命中率も低い。
99 :
名無し三等兵:2010/06/16(水) 10:29:22 ID:???
マッチロックは、インドや中央アジアの方では19世紀まで使われてたみたいだけど(気候の関係もある)マッチロックのライフルってあるのかな?
>>99 原理的には可能だけどね
フリントロックのライフルがあるし
>>99 ライフリングの有効性は16世紀以前から確認されていたっていうし、まあ当然あるんでないの?
もしかしたらフリントロック以前のホイールロックとかそのたぐいかもしれんが
前装式ライフルはミニエー弾あってだからなあ。(球弾は装填が大変)銃身にライフリングを刻む工作機器って、水車で動かしてたんだよね?
>>102 いや、ミニェー以前にもライフルあったよ。
アメリカ独立戦争で猛威を振るった。
弾込めが大変なのは事実だろうが
>>102は存在の有無について言ってるんじゃないと思う。
ミニエー弾はライフリングの有効性を高めはしたが、そのためにライフリングが一般化したわけではない。
むしろ、ライフリングが一般化、それを有効利用するための発明としてミニエー弾が考案された。
装弾の大変さは前装銃の時代はどれも大差なかろう。
ミニエー弾の最大のメリットは、装填行程でさく杖で弾丸を押し込む圧力の均一化にさほど神経質になる必要がなくなったことで。
いや、ミニエー弾の登場以前はライフリングは一般化してないっしょ。
知られては居たけど、歩兵部隊の主力装備には成り得なかった。
だから独立戦争の民兵や欧州の猟兵が使用するに留まっている。
>装弾の大変さは前装銃の時代はどれも大差なかろう。
それがそうじゃないから利点を知ってても主力装備にできなかったわけで。
例えばケンタッキーライフルでは待ち伏せ以外の会戦は難しいのよ。
この頃は白兵戦になったら、銃剣付き銃で槍のように突くだけ?それとも白兵戦用に何か準備してたの?ゴールデンハンマーとか
集団戦では銃剣。それ以外は刀剣、拳銃じゃないか。
刀剣、拳銃はどの階級で装備していたかは、お国によるんじゃないかね。
火縄銃やマスケット銃のように前から推薬と丸い弾丸を込めて押し固めるタイプの装弾法では
弾丸と銃筒が密着していないといけないライフル弾を装填しようとしたら
ギュシギュシギュシギュシ!!!!!!と鉛玉を変形させるくらいの力で押し込まないといけない
そんな事やってたらそのうちライフリングそのものが鉛玉から削られた鉛で埋まってしまう
それが装填時にスッと入り、推薬爆発後に弾丸の後ろにある小さな鉄殻が弾丸本体を押して変形させて
ライフルに食い込むミニエ弾なら、そんな問題は起こりにくい
以前見たワーテルローを扱った番組では
前装ライフルに弾を装填する時はいちいちトンカチで叩きこんでたな
そりゃあ狙撃にしか使えないわ
>>107 フランス式の銃剣はヤタガン型といって、アラブの刀剣みたいな形をしていた
突くより斬る武器だと思う
いっぽうロシア式銃剣はスパイク型といって針みたいな形で、刺すことは出来ても斬れない
ひとくちに銃剣といってもいろいろあるんじゃないかな
銃先そのものを竹やりみたいに斜めに
銃に銃剣を付け、斬るっていう動作は突く動作より難しいと思う。
>>113 それじゃ一度突いたら肉とか詰まって撃てなくなるじゃないかww
>>15 肉くらいは、発砲すれば吹き飛ぶさ。
しかし、そういう銃が作られたことがない以上、あんまり有効じゃないんだろうな。
っていうか、銃剣がないぶんリーチが短くなるしな
前装銃で発砲した後に物が詰まったらどうするって話じゃないか?
普通なら順序は射撃→白兵だろうし。
銃剣や刀って、何人まで切れたり刺せたり出来るんだ?せいぜい一人くらい?
>>119 刀は、たしか連続で4人くらいだって言ってなかったっけ?
あとは手入れをしないと。
でも切れ味が鈍っても刃こぼれしても、突く事はできるだろ。
>>113>>118 斜め切りで弾道が悪くなるなら
銃筒先端を筒状のサンプル採取器みたいに(地質検査のために突き刺す奴とか)
先端だけに歯をつけるというのも有りか
しかし
>>115そのものになっちまうな
122 :
sage:2010/06/23(水) 11:31:41 ID:0qO3Uy08
バレルが曲がって弾道が変わるって話だろ、槍として使えても銃の性能が落ちるのはね
屈強な兵隊さんに鉄でできた銃で思い切り突かれたら、うずくまってしまうと思う。
鳩尾だとかチンコ突かれたら起き上がれない。
のどなんか狙われたら死んでしまうんじゃないか?
>>119 刀はよく脂肪ですぐ斬れなくなるというが、
小説家の津本陽がやった試斬では、何度斬っても切れ味は落ちなかったとレポートしてたな。
豚肉の大きな塊は難しいと思われたが、太い骨ごと手応えも感じず斬れたと。
銃剣は劣悪な鉄で出来ていたのでよく曲がってしまったらしい。
>刀はよく脂肪ですぐ斬れなくなる
>豚肉の大きな塊は難しい
というわけで、血の滴る生肉じゃなきゃダメってか
フィブリンたっぷりで刀が血ノリだらけになりそうな奴で
脂が刀身に回って斬れなくなるってのはちょっと違うと思う。
自分は居合をやっているんだけれども、
刀の表面には防錆と滑りをよくする為に最初から油が塗ってある。
むしろ厄介なのは筋肉で、例えば突き技なんかは3分の力で突いて、7分で抜けなんて教わるよ。
なんでも刺された筋肉が収縮して刃が抜けなくなるそうな。
そのガッチリくわえ込まれた状態で横向きの力が加わると、
刀は結構簡単に曲がってしまう。
畳表を巻いて水に漬けたのを試斬してても、
刃の入る角度がおかしいと斬れずに止まってしまい、下手したら一発で刀が曲がってしまう。
何人もの相手を斬ってたら、そりゃ疲れたりして手元が狂うんじゃないかなって思う。
相手は巻藁じゃない動く目標なんだし。
刀や銃で受け止めたりすると、刃こぼれもしそうだしね。センゴクっていう戦国時代を描いた漫画にも、死因の一番は矢傷に因るものって書いてあった。
漫画をソースにすんな
>>127 センゴクは最初鈴木眞哉ってアマチュア歴史家の説を真に受けてたね。
曰く、日本は遠戦志向で刀は首切り道具でしかなかったとか、騎馬隊はいなかったとか。
あまりにいい加減だと鈴木がバッシングされボロが出ると、センゴクも鈴木説を採用するのはやめたようだ。
この脂や血ノリで刀が切れなくなる説は
南京大虐殺の100人切りにも繋がる
で、次には「切れが鈍くなっても叩き付ければ骨くらい折れる」とか脱線を始めるンだよな
銃に比べれば割と身近な武器だけどようわからん
血抜きした精肉でなくて
生きた動物切ってまでその辺検証すんのか
陸軍のレポートの中に、軍刀仕立てとはいえ、日本刀関連の資料(どの刀が実戦では便利かとか)もあったような記
憶が。
つか桃太郎侍じゃないんだから、仮に戦場で刀で敵を倒す事態がおきても、
一人か二人がいいとこじゃないか。
結論はスコップ最強で
スコップってそんなに白兵戦で活用する機会多いのかな?
アニメーターの永野護はもっともらしく蘊蓄語りしてたけど。
>>132 30年式歩兵銃(確か)を開発するときは
馬の死体をさまざまな距離で撃ちまくって、銃弾の威力を検証した。
刀剣で同じ検証をしても不思議ではない。
>>137 よりによってコールドスチールかよw
しかし本来の用途にはこのサイズじゃ激しく使いにくそうなw
WWIの塹壕戦で使ったのも携帯スコップとかこのレベルのサイズなのかね?
狭いとこの取回しはいいだろうがこのリーチだと斬るにはツラそうな
相手銃剣突き出してくるだろうし
塹壕掘った本格的なサイズのスコップが周りに転がってそうな気もするがw
このたび2chを引退することにしました..
そこで誰かコテハンを受け継いでくれませんか?..
愛着のあるコテハンなのでこのまま無くなるのがもったいないです..
ちなみに自分はこのコテハンの7代目だそうです..
自分はハロプロ系の板で雑談中心の固定でしたが
先代の中にはエロゲー板で神と呼ばれた人もいたそうです。
自分の代でいなくなってしまうのも忍びないです。
歴史と権威があるこの固定を未来に引き継いで行って下さい..
( ´▽`)#WX5Dbiェ機
>>137 >「西部戦線異状なし」で、突撃の時は研いだスコップと手榴弾だけ持ってくって話がある。
更に威力を高めようとギザギザを付けると捕虜に取ってもらえないんだっけ?
あれ、これ銃剣だったかな・・・
>>140 狭苦しい塹壕だと銃剣つけた小銃や大円匙を振り回す余地がないんだよ。携帯スコップが丁度いい。
…まあ、狭いとこでも出来れば銃を使いたいのが本音だが、拳銃じゃそもそも当たらねえてんで、
米軍は散弾銃持ち出し、独軍じゃサブマシンガンが出来る訳だが。
>>142 銃剣じゃない。普通の私物ナイフだよ。
144 :
142:2010/06/26(土) 16:25:44 ID:???
>>143 あ、普通のナイフだったのか。
二重に勘違いしてたわww
>>136 ロシアのサイドカーメーカーのウラルの日本代理店であるウラルジャパンのサイトによると、
サイドカーの備品のスコップの使い方は購入した人のみこっそり教えるそうな。
>>143 P08アーティラリーやナイフとメリケンサックのついたガバもその辺からだっけ。
こう見るとスコップは短めの槍みたいなイメージなのかな?
メイスとか斧のような頭蓋骨を砕くみたいな感じではないのね。
おまいらほんとにスコップ好きだなw
でもそろそろ19世紀に話題もどせよ。
まずは19世紀におけるスコップの分布と使用頻度だな
日本には世界一足の速い兵隊がいる。
20`みちのりを重装備を担いでメシ抜きで全力疾走できる。
仙台藩士の血をひく仙台兵団こそ世界一である。
それがインパール戦に生かせりゃなあ
補給線が伸びきり、昼メシが届かないと騒ぎ出した仙台藩兵。
そこへ官軍の空砲が!
空砲一発におののき、震え上がる仙台藩兵。
あっけなく崩壊する仙台藩の軍勢。重装備なのに走って五里も逃げに逃げた。
この教訓が生かされてない。
_ ∩
( ゚∀゚)彡 ドンゴリ!ドンゴリ!
( ⊂彡
| |
し ⌒J
岡田以蔵ってルフォーショー持ってたんだな
>>154 勝先生から貰ったとか何とかだっけ。
今週の大河でも由来までは教えてくれなかったな。
>>142-144 西部戦線異状なしに出てくるのは、峰の部分にギザキザを付けた銃剣の話だよ
具体的な描写はグロいので略すが、持っていると敵兵に捕まったら惨殺されるそうだ
あれ、銃剣だったか?
どっかで混ざったみたいだ。今度読みなおすわ。
しかし今週の大河は大丈夫かいな。
蛤御門で幕府が京都を焼いた……とか龍馬に言わせてるけど、
京都を焼いたのは長州ってことにしとかないとまたTBSみたいに謝罪とかさせられるぞw
これから幕府歩兵隊を読むんだが、読むうえでの留意点とかあるか?
【河井】ガトリング家老と共に苦難を乗り越えていくスレ【継之助】
という電波を受信した
>>158 一橋慶喜が火をかけさせたんじゃなかった?
たしか、鷹司だかの屋敷に長州兵が立て篭もっちゃったのをいぶし出すために。
会津藩は藩の農民に嫌われていた、とか言ったらファビョりだす連中だからなあ…
163 :
名無し三等兵:2010/06/29(火) 21:41:38 ID:SwHQY0SA
初歩的で恐縮やけど、
幕末の頃の戦時食って、戦国時代の時とそんなに変化がなかったんかな?
どうなんでしょ。パンなんかは横浜とかでつくってたろうけど、兵用に大量生産は難しそうだし、
兵達もまだ嫌がったろうから難しそう。
缶詰はwiki見るかぎり1871年に最初の工場ができたそうだから間に合わなかったと思われ。
せいぜい焼きおにぎりと梅干、干飯くらいではないか。
基本的に食料は街道筋の集落や帰順した藩に協力させていたようだから。
>>162 同じ列藩同盟でも、庄内は農工商の義勇兵がわらわら出てきたのにねえ…
>>164 平潟上陸作戦の時に、宣撫用物資としてドーナツ型の兵糧パンを地元民に配ったという話はあるな。
薩摩が風月堂にビスケットだか乾パン5000食を作らせたって話も。
文久遣欧使節が食料として甲州武田信玄以来の軍用万年味噌を
持っていったら、シンガポールまでいかずに腐ったとか。
そりゃ300年ものはいくらなんでも・・・
気温が違うから無理だろうな。特に菌が生きてるタイプの発酵食品は・・・。
熱帯でもガピ(小エビ塩辛)とかナムプラーは何とか腐らずに保存できるのに
マメの発酵食品もテンペやトゥアナウなど数種ある
働いてる菌が違うんだろう。
175 :
名無し三等兵:2010/07/09(金) 00:51:16 ID:UUfXF7/3
いまBS2でグローリーやってるぞー
新宿西口駅の前♪
>>159 遅レスだが、作者は軍事には疎いので、純軍事面の記述は他の史料で裏を取れ。
江川は雷酸水銀の薬莢入り後装銃までは作れたんだっけ
でもライフリングのある砲は作れなかったようだが、やっぱり鋳物方式じゃダメだったのか
この時期の最強陸軍は、プロイセン軍でオッケー?
何を以て最強とするかによる。
ドイツ統一戦争による実績、1840年代から配備された後装銃、参謀本部の存在(大モルトケ)、普仏戦争における動員力、クルップ砲では?
南北戦争のような長期且つ全面的な戦争についてはどうかなと思う。
たしかにプロイセン強いだろうけど、同じ時期に英仏は植民地戦争にいそしんでるので、
なんか負けてる気がする
陸軍では最強かもね。ただ現役兵がフランスの三分の二以下。
あとは数頼みの二線級予備役で補うことになる。
クリミア戦争を経て、軍備の刷新に余念のないロシアあたりが相手だと短期決戦は難しい、消耗戦では不利だろう。
海軍も含め総力戦となるとイギリスだろう。
ロシアって、軍備刷新出来るほど余裕あったの?建前だけの農奴解放は行ったけど、皇帝が暗殺されたりとかカオスのような気がするんだけど
ロシアの徴兵制はあの時期だっけ
露土戦争で勝てたのは、徴兵で数があったからという部分もあるわな。
時期は少しズレるが、ロシア軍にウインチェスターM1895ってどのくらい配備されたんだろう?日露戦争にも使われたのかな?
少しじゃなくてだいぶズレるぞ。
ウインチェスターのロシア向けは第一次大戦のことだ。
M1895って言うから19世紀後半からだと思ったら、違うんだ。モイシン・ナガンM1891があるのにね。
1895は米陸軍の呼称でもあり商品名でもあるの。
んでWW1で兵器不足になったロシアが
米に大量の武器発注して
ウィンチェスター社はモシン・ナガンの弾丸と
クリップを使えるウィンチェスターライフルを作って納品したの。
ナポレオン3世って、クリミア戦争の時占いで軍を指揮してたって本当?やっぱり七光りだったのね。
>>193 戦術能力が叔父さんの半分もあったらなぁw
そりゃ望み過ぎだ。
本来は大統領や皇帝が前線に出るのはマズイ。
大ナポレオンだって部下が命を賭して逃がしてくれなきゃワーテルローで捕まるか死んでた。
フランシスコ・ソラノ・ロペス大統領…正にこの頃だよな。
>197 カーディガン卿なら19世紀英国版の牟田口として戦史に悪名とどめてる人物です。
彼の発明したカーディガンは夏以外いつでも着れるからお世話になってるわ
>>192の動画を見て思ったが、紙・布製薬筴って発射後の煤や紙片・布片 半端ない。
「博徒の幕末維新」つー本読んだんだが、新撰組や伝習隊とか、
京に詰めてた精鋭治安維持部隊が、鳥羽伏見の後江戸に引き上げるなりあちこちに散らされたの、
勝海舟の陰謀でも何でもなくて、関東一円の治安情勢がマジで悪化してたからなのね…
治安情勢の悪化には無論政治情勢が絡んでるわけだが。特に甲斐で。
新政府も治安安定にそれなりに苦労してなかったっけ?
新政府の場合は関東一円の旧幕勢力を一掃するまでは手が回らなかった。
水戸、上野、日光、房総の各地にまだ居たからね。
明治初め頃は東京を維持するので精一杯
西郷が御親兵を引き連れて上京してやっと治安安定だったかな
>>200 ブルースリーの息子だっけ?
撮影用だと思うけど、拳銃の中に入ってた紙片が当たって死んでるんだよね。
ちと関係ないけど、
第二次長州征伐でどうやって長州側が勝ったんだか?
は来週のお楽しみw
龍馬伝にはその辺余り期待できない気がする。
予告見る限り小倉口のクローズアップだし。
石州口は大村臭丸出しだからなあw
芸州は大軍動員で大激戦かつ互角だっけ
ライフル銃による長射程精密射撃と
それを生かした少数部隊の奇襲攻撃を
フル活用できたのが幸いしたか
攻撃には防御側の3倍、というが
これに銃の性能差も込みで10倍以上にまで耐えてしまった
大村出てこないので糞決定
せめてあと10年生きたらまた歴史もかわってたろうになあ
だいたい長州側のレベルが高すぎ
何があそこまで長州を打たれ強くしてたんでしょ?
あんだけありとあらゆる連中から攻撃されて、リンカーン状態な上に内輪揉め全開だったのに。
越荷方で得た資金力、萩で身を寄せ合って暮らしているが故の団結力と議論好きの傾向
家臣達が話し合った結論を尊重する「そうせい侯」、吉田松陰のような軽輩や
大村益次郎のような農民にも確固とした忠誠心、怪しげな脱藩浪人や尊皇神官を受け入れてしまう
ある意味いい加減な広すぎる度量等々色々あると思う。
長州戦争での薩長同盟で萩口の脅威を無くしたのは優れた外交手腕ではないだろうか。
>>213 現代の経営学的に言うと「ビジョン」がはっきりしてたんだろうと思う
そのビジョンは「尊王」であり「反幕府」でもある。下関戦争前は「攘夷」っていう
のもビジョンだったんだと思う。
長州の場合、これらのビジョンが明確で、しかもそのビジョンを熱烈に
実現しようとした藩士がいたことが、他藩と異なる点だと個人的に思うよ
ビジョンであれば水戸家も明確にして強固だったんだけどね
ポジションとして倒幕に傾くことは不可能だった
それに対して会津って結構、孤立してたよなあ。
徳川の幕臣や他藩なんかだと後の討幕派の面々と個別とはいえ交流なんかもあったけど
会津の場合は後ろ盾が孝明天皇位だし果たして徳川に保護されていたかと言うとそれも微妙だった。
結果的に時代の流れに対し閉塞的状況に陥っていたのはまあ、悲劇ちゃあ悲劇かもな。
いや、日本史板でこの手の話題やるとどうにも荒れるんで…
嫌がっる容保さんに汚れ仕事を押し付けた春嶽さんがちゃっかり新政府ででかい顔してるのはなんとも言えないもんがある
あの当時互いに言葉が通じないのはお互い様だろうに
奥羽諸藩の人脈は妙に細い
薩長みたいに早めに攘夷戦争やって現実を目にしてればまた違ったのだろうか
>>216 会津にも個人レベルで西南諸藩と面識のある連中が居たんですけどね。
でも何故か山本覚馬みたいにスポイルされて放置プレイされたり、
秋月みたいに蝦夷地に飛ばされたりと肝心な時に使えないww
>>217 とはいえ容保も第二次長州征伐での強硬姿勢は自分の責任だと思うぞ。
会津は出兵してないのに更に恨みを買うことになった。
山本は捕まったとは言え待遇良かったしね。
でもそれは砲兵家としての価値からかな?
秋月と神保修理は貧乏クジ引きまくりだったな。
まあ殿様が頭固すぎたのかねえ。
西郷頼母の進言を入れてればなぁ。
二回はそのチャンスがあったのだが。
長州薩摩は外様の代表格で、土佐も関ヶ原の大博打で目一杯家康に張ってようやく今の場所に。
奥州の楔に過ぎない会津と本音じゃアンチ徳川の連合軍がまともに機能する訳ない。
>>224 進言は受け入れないけど、重要拠点の大将にはする…ふしぎ!
まさか、白河城の重要性に気が付いてなかったのか?
いや、大軍を集めてるしそりゃーないよなぁ。
>>226 京都守護職辞退を強く進言→謹慎
鳥羽伏見後に恭順を進言→再度謹慎
東北戦争時、容保の優しさなのか何なのか主力白河方面司令官任命→向いてないので惨敗
確かこんな感じだったかと。
人の使い所を間違ってる。
>>226 >>227 鳥羽伏見で幹部クラスの消耗が大きかったのもあるだろうね。
西郷頼母は恭順派だからか、白河口の戦いも消極的な行動が見られる
会津藩は全般を通じて、戦略戦術がグラグラしてる感じがあるな
母成峠は戦国期に政宗に突破されている経験があるのに、防御が甘い。
進軍が速いからといって、十六橋を落とす用意もしていない。
それならそれで佐川官兵衛を司令官にすればよかったのではないかと考えたりもする。
戦意と勝負勘もそうだが体力的に老体には酷だろうに。
>>229 佐川官兵衛は役職が低かったんじゃないかなぁ
白河城攻防戦での会津藩は、旧幕府方連合軍の中心でもあるので
それなりの身分である必要があったのかもね。
官兵衛は確か、鳥羽伏見時で足軽大将、北越戦争後に若年寄、そして
若松城攻防戦のさなかに家老になってようやく軍事を委任されているはず。
(ソースは俺の記憶)
まぁ、有事にもかかわらず役職に固執して適材適所できないってとこにも
会津藩の限界があったのかもだね
>>230 あと、官兵衛は会津にとって白河と同じくらい重要な越後戦線で指揮を執ってたのもあるかも。
新潟港の確保は会津の悲願だったから、こっちはこっちでいい指揮官が必要だし。
こうして見ると、純粋に人材不足なんかなーという気がw
>>230 大村益次郎や西郷隆盛、伊地知正治のような身分の者が指揮官になり
大久保利通、桂小五郎(此れ位は普通か?)のような身分の者が指導者になるのは会津では無理だしな。
まぁ身分制を軍事面だけでも捨てられなかったのは幕府軍、旧幕府軍に共通した欠点だけど。
よく考えたら会津って江戸時代に入ってからできた藩なんだよな
藩祖が戦国時代に生まれた所と実戦に対する考え方ってあったかな
列藩同盟で伊達だの上杉だのがやらかした行状見るに、あんまり関係ないと思うが。会津と長岡と庄内の差に着目したほうが良かろうよ。
会津戦争なんて消化試合じゃないの
消化試合ではないだろ
無駄に無駄を重ねた消耗戦かも知れんが
消化試合というなら五稜郭だろ
彰義隊から奥羽討伐までは、どちらにひっくり返るかわからない危うさがあった
奥羽列藩同盟の中で、まともに戦ったのは、会津と福島中通りの小藩と庄内くらいじゃない?あとは日和見
本来、奥羽列藩同盟というと庄内と会津は入らないんだよな。
この二藩の救解の為の組織だから。
まぁそういう細かいことは問題じゃないけど。
>>238 一応仙台も千数百人と会津に次ぎ二番目の死者出してるよ
藩境に官軍来たら降伏したし世良暗殺とかアホなことしたけど
>>240 衝撃隊とかが奮戦したからかな。
夜襲切り込み専門部隊じゃ、成功すればいいけどもしドジったら死傷率跳ね上がりそうだ。
↓の考察ってどうなんだろうな?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1285760912/22-33 22 :名無し三等兵:2010/10/04(月) 13:47:25 ID:???
日清戦争から話は逸れるが、
幕末の諸藩でプリチェット弾くらいは量産できなかったのかな?
ヤゲール銃といっても銃そのものはミニエー銃のほとんど同じで、
弾丸の形状が違うだけなんだから、
プリチェット弾さえ量産すれば諸藩の全部隊ミニエー銃装備化できるのは容易だと思うのだがな。
当時の民間の鍛冶職人などの技術でも、
鋳型さえ作ればプリチェット弾を作るのは容易だと思うのだがね。
>>242 それは昔考えた事がある。理論的にはありだと思うが(西南戦争の薩摩軍はプリチェット弾自製してたはず)、
そもそもヤゲールの輸入量自体が少ないんじゃないの。特殊兵科の特殊銃器だから。
どこにでもある安物滑腔ゲベールに水力でライフリング彫ってプリチェット弾使うのは、プロイセンが実際にやったってマクニールが書いてたが、
水力で掘るって発想自体が当時の「日本」にはない。思いついても時間がない。
設備の準備始める頃には中古ミニエーの方が安くなってるよ。史実のペースじゃ無理だね…当時の欧州は遠すぎる。
早期から銃と弾の輸入を進める方がまだ現実的だな。
最初の立ち上がりと準備の遅さからは容易に追いつけない。
竜馬伝とかだとミニエー銃無理に売ってもらったみたいな感じだったけど、
実際は世界的にかなりだぶついてたろうしね。
>>243 ネジ穴を切る要領でライフリングは施せるだろう。
高島流砲術の採用で、幕府もゲベールやヤーゲルの国産に着手してなかったか?
>>243は水力機械の発想と物が無いと書いているぞ。
実際その通りだ。
>>244 いやメンテナンスや補給のことを考えると
国産化して自給を視野に入れておかないと。
WW2でもラバウルで現地でメンテナンスや補給体制を整えたから、
功を奏したわけだから。
>>248 近代戦と一緒には出来ないよ。
この段階では南北戦争時の南部連合のように貿易を主体にせざるを得ない。
まして当時の日本は南部連合より産業基盤が弱い(というか無い)んだから。
>>250 江戸後期から工場制手工業から発展して、
工業化を日本は進んでいるだろう。
しかも工作器具から見ると、
鍛冶職人クラスでも量産できる構造だぞ、
ミニエー銃くらいなら。
スペンサー銃クラスなら弾倉を作るの厄介そうだが。
>>251 そら一部地域且つ綿織物、絹織物限定だから。
とてもじゃないが工業化なんて言えるレベルじゃないよ。
それと金属加工の大量生産と兵器工業は別の話だ。
鍛冶職人でも作れるかもしれないけど、大量生産した上にある程度の品質を保つには機械が要るだろう。
>>252 一丁二丁なら兎も角、全軍銃隊化だからなぁ。
>>253 鉄砲鍛冶をはじめ、鍛冶職人は纏まって
需要を満たすくらいには存在している。
第一、一般農民が人気の射的の賭け事に
銃を持ち出すありさまの時代だ。
大小の刀とは違って、鉄砲の規制は緩くて
江戸時代は銃はかなりだぶ付いて出回るくらいに普及していたんだから。
(この辺のソースは鈴木眞哉氏の著作に詳しい。)
薩長が他に先んじることができた時間的アドバンテージは大きいなぁ
そういえば村田経芳が幕末に後装銃を作ってたんじゃなかったけか。
258 :
244:2010/10/04(月) 22:10:52 ID:???
>>246 一品物ならライフリングの真似事は出来るけど、水力による「安定」した「量産」技術が決定的にないんだよ日本には。
アメリカ独立の頃の丸玉ならまだしも、完全閉鎖で高圧がかかるプリチェット弾は安定してないと危なくて使えない。
>>248 それは当然だし実際にやってる。ただ国産化するならなるべく新式の銃でやった方がいい。
薩摩の村田経芳(のち陸軍少将、村田銃開発者)は、戊辰戦争以前の薩摩藩時代に、
シャープス式レバーカービン(無論後装銃だ)の国産化に成功(輸入機械でだよ)して、薩摩全軍に普及させる構想を立ててたが、
戊辰戦争では安く早く沢山手に入る中古輸入前装ミニエー(というかエンフィールド)の方が役に立つって藩の判断で涙を飲んで諦めてる。
戊辰戦後の日本軍は、この前装中古エンフィールドを後装式スナイダーに改造した奴で西南戦争を戦い抜き、
(西南戦争開戦の時点で全軍に普及してない。実際小倉の乃木連隊はスナイダー到着待ちで出動が遅れた)
戦後三年も経たないうちに完全国産の十三年式村田銃を完成させてる。
ゲベールにライフル後付けするには、時代が進みすぎてたってだけ。
適切な書籍一冊がもっと早い時点で手に入っていれば…と考えても難しい。
なにしろ、そもそも洋式三点支持銃床自体がペリーの頃の日本じゃ革命的技術なんで、マジに。
先の村田少将は若い頃それでえらい苦労してる。一次資料は「村田銃発明談」、入手しやすく読みやすいのなら「狙うて候」な。
>>251 1874年、サンテチェンヌ工廠の話だが、
「無作為に選び出した小銃の銃身と機関部だけを一列に並べ、通常の数倍の装薬を込めて発火させる。
機関部が破損すると、その生産工程にあった他の銃身もすべて不合格にする厳しさ」
を手工業生産で達成できると思うのか?ライフリングがちょっとでも深すぎたらアウトなんだぞ。
259 :
253:2010/10/04(月) 22:13:28 ID:???
>>254 いや、短期間で生産体制を整えられるかなと。
火縄銃職人が沢山いたとしても、それらを集めて洋式銃の製造方法(和銃にネジ切る方法でもいいけど)を指導して、
材料を輸送して…ってなると難しいんじゃないかなぁと。
>>257 経済史的に言うと貨幣経済の進行具合の指標とかにはなるけど技術面ではあんまりなぁ
青銅砲の四斤山砲なら水力ライフリングをしてたようだな。
小銃の場合は大砲に較べて大量装備しなければならないんで、そのぶんリスクが高いんだろうな。
実際、進化のスピードが速過ぎて、国産化できた頃には時代遅れになってたろうし。
火縄銃にライフリングした暇人とかもいなかったんだろうな
>>126 遅レスだが、人間の血脂と刀の保存用に使う油を混同するなバカたれ。
人間の脂と刀に塗る脂が同じだというなら、刀にお前の汗をベタベタ塗ってみればいい。
即効で錆びるわ。
ああ、なんなら牛脂を買ってきて刀に塗り付けてみるのもいいぞ。
哺乳類の汗や血脂がいかに刀に悪いか実感できるだろう。
266 :
名無し三等兵:2010/10/05(火) 07:26:04 ID:41dSGc0K
南北戦争の余剰兵器が大量に日本に流れこんだのかな
後のセポイの乱である
流れ込むところで戊辰戦争終了。
戦争の泥沼化を見込んで武器を大量に買い込んでたグラバーは破産というオチ。
>>257 よく理解しておらないようだな。
火縄銃でも銃の量産化体制が完備しているのだから、
ゲベールやミニエーの銃でもそれを応用して活かせばいい話という
ことを指摘されているんだ。
それに
>>251は「工場制手工業から発展して」と言っているのだから、
工場制手工業レベルの段階の話をしているのではない。
>>258 高島流砲術の採用により、
幕府もゲベール・ヤーゲルの国産及び量産化を指導していたはずでは?
>>270 逆に考えると、それでもミニエーの量産体制には行き着かなかったんだなぁと。
銃身にネジ切るのって結構大変なんだろうな。
火縄銃と洋式銃では生産工程そのものが違うんじゃないか?
ミニエー銃というかエンフィールドあたりはどうやって銃身作ってたんだろう。
もう溶かした鋼材から作る事できたのかな。教えてエロい人。
>>269 いや、銃の量産化体制は完備なんてしてないから。
単に鍛冶職人は数居ましたよってだけの話。
それも火縄銃の話な。
他の人も言ってるが、安定した品質で量産するなら水力機械なりが必要。
そりゃ
>>251は「工場制手工業から発展して」と言ってるが、幕末維新前後の日本は
工場制手工業段階の技術レベルだよ。
ゲベールやミニエーでもそれを応用して活かせばいい話というのは
とにかく鉄砲鍛冶職人を掻き集めて人力で作ると言いたいのか?
誰が教えるんだ?
>>273 WW2の時点でも人力での製造だぞ、小銃クラスは。
工場制機械工業に移行するための工作機械がないということか
>>274 >>275 そういうことだ。
工作機械も技術も無いし、教える人間から探さなきゃならないが武器商人や列強が
そう簡単に教えるわけもなし。
何もベルトコンベアのラインだのといった話じゃなくてね。
鉄棒を切削してライフリングする機械(動力は水力)がまず初めに手をつけるところ。
>>276 つまり人力でもできるわけだ。
ゲベール・ヤーゲルの国産化は、
当時の日本でも大丈夫だろ。
あぁ人力で職人が工具(どっから?)使ってグリグリ穿孔するわけだ。
ケンタッキーライフルと何が違うんだと思うし、時間の割りに数は出来ないだろうな。
滑腔銃のゲベールなんざわざわざ国産化してまで使うような銃でもないんだがな。
洋式兵術の訓練の過程で採用されただけであって。
だから会津もゲベールは役に立たんと言っているし、それに旋条したヤーゲルも大して役に立ってない。
銃身の元になる鉄棒はどうやって作るの?
それだけ輸入できるかな。
>>279 プリチェット弾じゃなく、球弾を使用したからだろう。
プリチェット弾を使用すれば、
もはやヤーゲル銃ではなくなり、ミニエー銃になる。
ライフリングをつける技術力と量産力が無ければ、
そもそも火縄銃でさえ製作できない。
>>281 まぁ、それが実際に行われなかったってことは、
やっぱそれだけネジ切るのが大変だったんだろうなぁ。
お前がそう思うんならそうなんだろう。
未経験の兵器製造を道具も材料も技術も用意せずに出来ると言うならば。
スペンサーを少数買うより
一応ライフリングされてるそろえやすいミニエーを全軍に配備できたほうが強い
たとえ作れたとしても意味がある数は無理だったんじゃないかなぁ
>>286 ごめん、何か間違ってた?
実際にそうやってミニエー銃が東北諸藩により量産・使用されなかったんだから、
何かボトルネックがあると思って、それがライフリングだと思ったんだけど。
幕末史は詳しくないから教えてくれると助かる。
プ リ チ ェ ッ ト 弾 を 造 る の に 、
ネ ジ 切 る 必 要 性 が どこ に あ る ?
>>287 お前は火縄銃の国産化の苦心の経緯を学んでから、
このスレに来い。
それ以上にライフル銃の質を保った量産化は難しいという話なんだが…。
>>291 ねじ切りの方法と、ライフリングを刻む方法は全く違うんだが。
>>287 だって鋼鉄の棒材がなければ銃身作れないでしょ。
火縄銃みたいに心材に鉄の板巻いてたたいて作っても、可能かどうかしれないが、大量生産できないし。
火縄銃みたいに心材に鉄の板巻いてたたいて作っても,
量産化は可能である。
事実、火縄銃は量産化している。
299 :
288:2010/10/05(火) 21:52:24 ID:???
いやまぁ、ブリチェット弾が簡単に作れるってのは流石に分かるけど、
それで東北諸藩が全軍ミニエー銃化とはならなかっただろ?
何がボトルネックになってるのかなぁと思って。
火縄銃と洋式銃ではそもそも鉄からして違っててな。
まして高圧が掛かるライフルでは尚更。
>>299 お前はミニエー銃の構造自体理解していない。
302 :
288:2010/10/05(火) 21:55:10 ID:???
>>301 重ね重ねごめん、
>>299でどうしてミニエー銃の構造がわかってないことになるのか
ご教示を賜りたく。
もし誤解してそうな箇所があったら、ご指摘をお願いします。
>>298 幕末に戦国時代なみに鉄砲鍛冶がいたの?
ごめん、何か間違ってた?
実際にそうやってミニエー銃が東北諸藩により量産・使用されなかったんだから、
何かボトルネックがあると思って、それがライフリングだと思ったんだけど。
幕末史は詳しくないから教えてくれると助かる。
>>289 >プ リ チ ェ ッ ト 弾 を 造 る の に 、
>ネ ジ 切 る 必 要 性 が どこ に あ る ?
プリチェット弾を造るのに、必要なくても、それを撃つ銃はライフリングしてないと意味無いだろ。
306 :
288:2010/10/05(火) 22:00:40 ID:???
>>304 それを書き込んだのは俺だけど、
その文章のどの辺が間違ってるのか指摘・解説してもらえないと分かりませんorz
では心棒に巻く鉄板に少し隙間を開けておき
これをライフルと称した銃を作ろう
その上からきつ巻きの鉄板で覆うと良い
火縄銃製造で心棒に鉄板を巻くとき、最初はリボンみたいに細いのを斜め45度か知らんがクルクルと細かく巻きつけ、
次はもっと幅広の鉄板で春巻きみたいに包むように巻くんだよな
これを、
1.隙間を空けた薄いリボン状の鉄板で巻く。これはあまり分厚く作らない。
2.もっと頑丈な分厚い鉄板で、リボン上に巻く
3.幅広の鉄板で巻く
この3つの工程でも使えば、と考えてみた
____________________________________________________________________________
どうやっても、最初の隙間ありの鉄板が発射薬爆破と共に砕け散ります
本当に有難うございました
>>299 官軍も東北諸藩も武器弾薬の調達の主流は輸入なんだが
会津なんかは軍制改革と輸入による武器の確保に気付くのが余りにも遅すぎた。
長岡藩、会津藩は横浜で武器を確保しようとしたが、妨害されている。
改革に成功して気を吐いたのが庄内藩だねぇ。
弾さえ用意すれば銃はどんな代物でもOKなんて都合の良いことがあるわけないだろ。
>>300 日本の火縄銃の使用鉄は、
充分洋式銃の使用鉄と遜色ない品質だが。
断面が凸 型の、うすーい細い鉄板を心棒にきつ巻きする案ならどうよ?
最初からライフリング刻んである鉄板を巻きつける工法が出来たらなあ
でも色んな図を見る限り、角度が相当浅くないと銃弾減速しまくりじゃねえかw
314 :
288:2010/10/05(火) 22:07:02 ID:???
>>308 あー、すみません、納得しました。
「銃は作れないけど弾は簡単に作れるよ!」
ってだけの話ですね。
てっきり、東北諸藩がミニエー銃を国産化・全軍装備できないか?
の話が続いているものと勘違いしておりました。
ご教示有難う御座いました。
でも
>>305は私じゃないですよ。
>>311 ヤーゲル銃とミニエー銃を理解していない発言だなw
ところで日本はパーカッションロックの銃を作れていたのかなあ?
江川さんの所だけか?
>>341 お前は日本語読解能力あるか?
>>251の指摘は、東北諸藩がミニエー銃を国産化・全軍装備に繋がる指摘だ。
まずヤーゲルとミニエー銃を学びなおして来い。
ヤーゲルは弾丸底の鉄殻とか無しに、弾丸を無理っやりに
ギュギュギュギュギューッ!と押し込む方法だったな
何故か伊藤博文らは初期の襲撃時にこれを入手していた
>>316 ヤーゲル銃とミニエー銃を理解していない発言だなw
ほうほうマニュファクチュアで指導と工作機械無しで?
ヤーゲル銃:フリントロック銃・ゲベール銃にライフリングをほどこしたもの。
ミニエー銃:フリントロック銃・ゲベール銃にライフリングをほどこしたもの。
どちらも銃本体は同じものですなw
323 :
288:2010/10/05(火) 22:11:02 ID:???
>>318 ええっ、銃の話はしてないんじゃなかったんですか?
モウナニガナニヤラw
?
何だか町工場のおっちゃんと親会社の営業が喧嘩してるように見えてきたw
>>320 >>322 いやいや、幕末に日本に出まわって会津なんかが使用したゲベール銃は粗悪品が多いぞw
それを改造するのか?
ゲベールはオランダの滑腔銃で
薩長の主力でミニエー弾を使用した小銃は英国のエンフィールドなんだけど。
>>39 まるで、包茎男が皮を剥かずに女に挿入しているのと同じだなw
>>327 そもそも粗悪品かどうかはともかく、
それらの銃の定義は
>>322で正しい。
粗悪品かどうかは別問題。
330 :
288:2010/10/05(火) 22:17:34 ID:???
>>324 そりゃまぁ、おんなじモノなんだろうけど、
どっちもライフリングが掘れなくて量産に漕ぎ着けなかったんだから弾を作っても
…と思って>288書いたんですが。
エンフィールド銃もイギリス製ってなだけで、
ミニエー銃と構造は同じ。
勿論、ヤーゲルとも構造は同じわけだが。
ttp://www.korns.org/misc/rifling-jig.html これ、15世紀のライフル発明から19世紀の工廠まで
ライフリング掘る機械の基本構造は変わってない。
動力使うことで生産性が上がっただけ。
そもそも外国ではミニエーはゲベールから改造したのが多いわけで
銃弾がスムーズに通る程度の銃身があるなら
そいつにライフリング加工すること自体は難しい話ではないっぽい。
ヤーゲルが辛いのは弾がミニエーじゃないからであって
銃身は技術機構面でミニエーと変わらんのだしな。
>>330 東北諸藩でも予備兵力の部隊でも、
ヤーゲル装備が行き渡っている。
ヤーゲルは物の役に立たなかったな。
>>332 正論ですな。
大体、日本では99式短小銃でさえ江戸時代のような工具で
職人技で大量生産していたわけだしw
米国のようにタイプライター工場の工作機械で
機関銃を大量生産しているのとはわけが違うw
337 :
288:2010/10/05(火) 22:23:08 ID:???
>>333 そういや白虎隊もヤーゲルでしたか。
弾も簡単に作れて、銃も沢山有る。
それでも量産・全軍ミニエー化には至らなかったのは、
>>334の言う品質の問題でしょうか?
それとも、他に理由が?
旋盤が江戸時代の工具かw
ライフリングは当時ヨーロッパでは水力を利用した旋盤で切ってたんだろ。
それと同様のことが手作業でできるのか?
まず切削圧力が足りないだろ。
よしんばできたとしても、銃身がゆがんだ不良品が大量にできる。
だから海外から工作機械が来るまで量産化できなかったんじゃないの。
>>340 ゲベールじゃあ為す術もなかったと書いてるんだけど。
まぁそこも余りに長州よりでちょっとアレだがね。
342 :
名無し三等兵:2010/10/05(火) 22:29:41 ID:LHMm2fUk
浮上
>>340 >輸入工作機械による直轄工廠の設立を上申
とあるが。
>>339 旋盤の構造わかってるのか?
それ以前にライフリングがどういうものかわかってるかも疑問だがw
このスレネジ切りとライフリングの区別がつかないのも混じってるしなあ…
薩長、幕府側共に自分達の限界は知ってたからライフル銃や大砲の国産化に拘ってはいない。
そらまぁ維新直後の村田経芳とか技術者個人で意欲に燃えていた人は居たけど。
>>346 あー、この人は多分次の「〇〇わかってない」を連呼して逃げるだけだと思うので、
あんまり真面目に相手するのもどうかとw
>>345 小銃の国産化より製鉄技術などの基礎技術の向上の方が大切だしね。
>>346 このサイト上に辿ると他にも色々面白いこと書いてるな。
>>346 中ぐり盤は穴あけだろ
ライフリングとは別だ
>>350 じゃあどうやってライフリングしたんだよ。
>>350 まず歪んでたり、肉厚が違いすぎたり、中心がズレていない穴を削る必要が有る。
>>351 職人が工場に集まって、こう、職人技でコネコネして作ります。
違う? お前職人わかってないな!
>>351 ライフリング施すには銃身材に圧力かけてバイトを通す以外なかろ
ボーリングやねじ切りとはやること全然違うがな
>>354 >銃身材に圧力かけてバイトを通す
それをボーリングという
>>338 旋盤自体は紀元前からあるそうで
日本にも中国経由で伝わってるていうか、ロクロは旋盤だぜい。
それとライフリングは別に切削加工でなくても作れるそうで
カタていうか多角形の棒を銃身に差し込んで叩くという手も有るそうな。
火縄銃は元々心棒に鉄を巻き付けて鍛造するわけだから
発想さえあれば、火縄銃の銃身製造工程のままライフル銃には出来るぽい。
なんかだんだん仮想戦記みたいになってきたw
>>356 それと金属を削り出す旋盤は一緒にはできないし
まして「江戸時代のような工具で九九式短小銃を職人技で大量生産」なんて言えないよ。
あるそうで、作れるそうで、有るそうな、出来るぽい。
それでと量産と言えるほどの数を確保して必要な品質を維持出来るかという話だろう。
当時の史料の裏付け付きで。
>>358 戦国物の仮想戦記も根強い人気だからなw
幕末辺りで妄想したい人間も居るのだろう。
>>361 幕末モノってあんま聞かないよね。
土方が御所に騎兵突撃する奴、奥羽越列藩同盟を纏めて反撃する奴、
後は慶喜が逆襲するのしか知らねぇ……。
>>359 実際、99式短小銃はそうして作られていたんだから仕方が無い。
末期なんて職人のレベルも低下して、
木の棒に鉄棒を乗せただけの代物もあったんだぜw
ライフリング加工と螺旋穴加工と基本的には同様。
>>344は本当に理解しているのかなw
たとえライフル作れたところで個人が職人芸で作る事になるんだから
戦力になるほど数揃わないだろ。
簡単に量産できるようならみんな水戸藩製リボルバー装備しとるわ
>>357 >カタていうか多角形の棒を銃身に差し込んで叩くという手も有るそうな。
火縄銃は元々心棒に鉄を巻き付けて鍛造するわけだから
発想さえあれば、火縄銃の銃身製造工程のままライフル銃には出来るぽい。
予め♂型ライフル?(断面が星型になっていて、それが捻れている)になった心棒に薄い鉄板を熱して巻きつけ叩いて、
捻りながら抜く、という工法になるか
らめぇ
まぁ結局はどこも成功してないんだが。
西南雄藩については、そもそもそんな暇も必要も無かったと言えるかも知れないけど。
村田銃も当初は銃身を輸入にたよったらしいしね。
ある意味銃器は産業革命を象徴する製品でもあるから、なかなかに大変なことだよ。
>>365 >簡単に量産できるようならみんな水戸藩製リボルバー装備しとるわ
事実量産化されて人気だったんだがw
>>363 九九式小銃が「江戸時代のような工具」で造られていたという資料頼むわ。
戦時型の九九式の質が酷いのは材料の質を下げ、機構を省略、公差を甘くした等が原因だが
別に工作機械まで先祖帰りしたとは聞いたことが無いんだけど。
そもそもだからと言って幕末の東北諸藩で十分な数のライフル銃と弾を
品質を保って自製出来るなんて結論に飛躍するのが不思議
>>336
別に工作機械まで先祖帰りしたから、九九式小銃の品質が劣化した。
それでも一応九九式小銃として使用できるほどのものを量産した。
だからそこから考えても、同じように幕末の東北諸藩で十分な数のライフル銃と弾を
品質を保って自製出来るなんて結論になる。
九九式小銃ほどの精巧な機構が当時の銃に無いからだ。
幕末仮想戦記だと、プチャーチン艦隊と組んでペリー艦隊を迎撃する話なら読んだことがあるな。
最後は津波が来てペリー艦隊全滅、神州不滅なりって話だったか。
>>363 ダウト。
99式小銃は職人技で微調整だとかやってない。
部品の互換性を目指した日本製としては革新的な小銃だよ。
>>373 まともに動いてないし
http://mltr.ganriki.net/faq08d04.html#05876 こういった状況は津野瀬光男の『幻の自動小銃』にも出てくる。
後、木の棒に鉄棒乗っけた云々は本土決戦に向けたもっと酷い粗製濫造武器の話で
九九式小銃とは別。
それもやっぱり使えないと言われているし、どっからか出てきた火縄銃も問題外と言われた。
言いたいことは分かったから、それを裏付ける資料を提示してくださいよ。
>別に工作機械まで先祖帰りしたから、九九式小銃の品質が劣化した。
江戸時代に戻ったという証をさ。
>>376 そのサイト自体裏付ける証拠じゃないかw酷い粗製濫造武器なんだからw
>>374 やはりプチャーチンとの友誼を結んだ川路聖謨が活躍するの?
>>378 じゃあ『幻の自動小銃』でも良いよ?
いいから「江戸時代のような工具」のソース出せって。
>>372 それ、量産の証拠にはならないよ。
部隊に配備された記録とかは?
>>377 「無知」じゃないだろ。
お得意の「おまえ99式わかってるのか?」だろwwwww
ヤーゲル銃の国産及び大量生産に関しては、
吉川弘文館「江川坦庵」にその辺のところが記述されていた気がする。
確か江川坦庵の反射炉による国産洋式銃製作に関して、
反射炉の章のところに、製作した製品のヤーゲル銃の
射撃実演して高評価を得て、ヤーゲル銃の受注を受けたとかの記述があったと思う。
受注を受けるくらいだからある程度は、大量生産出来ていたのだろう。
>>378 工作機械まで変わったなんて一言も書いてないぞw
>>383 お前は理解力が全く無いw
工作機械まで変わらずにはそうならないw
>>384 いやいや、わざわざ機械まで変える理由が無いぞw
変えたと言うなら資料出してくれ。
>>385 日本語読解力がうんたらかんたら
数丁投入されたらもう「量産」?
ありえんわwww
>数丁投入されたらもう「量産」?
桜田門外の変を調べよw
>>386 いやいや、わざわざ機械まで変える必然性だぞw
機械変わらんのならそこまで劣化しないw
>>388 お前は日本語読解能力あるか?wwwww
お前は桜田門外の変を理解してないwwwwww
>>390 お前は日本語読解能力あるか?wwwww
お前は桜田門外の変を理解してないwwwwww
ありゃ、壊れちゃった
>>382 それってなにげにすごいな。
ライフリングもあれだけど、銃に使える鋼材が生産できたということが。
>>389 材料の質を下げ、機構を省略し、部品の公差を甘くしてるんだが。
工作機械を変えなくても十分に劣化するレベルだぞ。
九九式短小銃を開発した岩下賢蔵、戦時型への切換を行った龍見南海雄の
両名とも工作機械を敢えて変えたなんて一言も言ってないんだけど。
ソースは津野瀬光男の『幻の自動小銃』
この中で津野瀬が岩下から直接聞いた話。
工作機械を変えなくても十分に劣化するレベルではない。
木棒に鉄パイプを乗せるだけって、
小学生の工作同然だw
今の小学生の夏休みの工作課題でも、
もっと手の込んだ上等なものを簡単な工具で作ってくるぞw
それは九九式小銃じゃないって言ってるだろw
資料出せばすぐ終わる話なんだけどね。
400 :
394:2010/10/06(水) 21:32:27 ID:???
>>394の続き
でも反射炉だけだと鋳造までだと思うんだけど、そこらへんはどうなんだろう?
圧延だとか鍛造だとか必要な気がするけど、専門じゃないんで良くわからない。
>>400 吉川弘文館「江川坦庵」の筆者に問い合わせるしかない。
>>400 ネットの記事を見ると、確かに鋳造砲止まりなんだよな。
お台場に28門を納入したとか。
うむ、わからんw
>>402 九九式短小銃を開発した岩下賢蔵、戦時型への切換を行った龍見南海雄の
両名とも工作機械を敢えて変えたなんて一言も言ってないんだけど。
或いは現場の工場では変えたと言うならその資料でも良いよ?
取り敢えず根拠を出してくれ。
自明のことをわざわざ「工作機械を変えた」なんて
一々書いて説明する馬鹿はいないw
>>405 そうかそうか他の変更点は全て上げてるし、現在の他の資料でも確認出来るのに
「工作機械を変えた」という一点だけは何の資料も無いのに確実なのかw
なんだか人工無脳と話をしてるみたいだ
>>405 それくらい理解できる知能が無ければ、
軍事板に来る資格は無いからね。
>>408 資料もないのに言い切る方がおかしいわw
>>407 あっちのが必然性の無いことを主張しない分まだマシ。
>>409 限られた資料も読みこなして理解できる知能が無いのに言い切る方がおかしいわw
機械旋盤なんかの工作機械から「江戸時代のような工具」に転換する方が
職人技という意味では余計に技術を必要とするはずなんだがな。
んで使わなくなった工作機械は何か他のことに使わないと全くの無駄になる。
この時点で変えた意味が無い。
しかし、保管した又は転用の記録は無いときたもんだ。
414 :
名無し三等兵:2010/10/06(水) 22:22:17 ID:eK6v0e83
資料がないなら妄想だよなぁ
415 :
394:2010/10/06(水) 22:35:24 ID:???
>>415 まぁ、実際には台風でポコポコ沈んでるけどね…
当時のレベルではやっぱ仕方ないのかな
開陽丸を江差で沈めたのはいかにも不用意だったな。
418 :
415:2010/10/06(水) 22:46:03 ID:???
いやまあ、軍艦じゃなくて、横須賀製鉄所のことなんだけど。
ここ数日のスレの伸びは異常。
僕の画期的な思いつきに触るからこうなる
>>415 鋳鉄で大砲作ってるなら、鋳鉄で鉄砲作っても良いんじゃないか?
強度や重量で不利だろうけど
それでは洋式銃の劣化コピーじゃないか。
>>422 更にこの次の最末期モデルがあるとリンク先にも書いてるね。
この写真のものだと増々「江戸時代のような工具」で造ったというのは無理がある。
426 :
名無し三等兵:2010/10/07(木) 06:56:42 ID:SdxImgrm
桜田門外なんて背景とかはともかく作業自体はヤクザの出入り。
改造拳銃並みの耐久性で十分さ。
>末期モデルの中にはキャスト・レシーバー(鋳物の機関部)を持つ物がありますが、あれはかなりヤバイと思います。
>>412 だから銃器として劣化したんだろ。工具まで退化したんだからw
>>422 この写真のものだと増々「江戸時代のような工具」で造ったと考える方が自然だ。
あの、端から口出してスマンが、「江戸時代のような工具」ってどういうものなの?
どちらにしろ、銃器なんて消耗品なんだから、半年保てば良いんじゃないの?持ち主だって半年後まで生きてるか分からないんだから。
画期的で独創的な解釈を発表、自身での検証は知識不足で出来ませんが、否定しちゃ駄目
全肯定しなきゃ泣き叫びます(キリッ
全肯定しても
>>337みたいな矛盾に衝突するからもうどうにもこうにも
奥羽列藩同盟がミニエー銃で武装出来てたら、
白河であんな醜態を晒さずに済んだだろうか?
ミニエーの優位って、射撃精度より
装填しやすさだったんじゃないかなとか思った。
>>436 装填しやすさはゲベールとミニエーは同じ。有効射程(=射撃精度)はゲベール50m、ミニエー400m。
南北戦争じゃ有効射程50mの感覚で400mの戦争やったからあんな大惨事になった。精度だよ精度。
粗悪な銃だと半年保つどころか、暴発して撃ってる人間が死んだりするな。
440 :
名無し三等兵:2010/10/07(木) 20:09:58 ID:qFAKKSID
幕末維新期で、一番性能の良かった小銃と大砲は、
どんな小銃と大砲やったん?
また、海外から輸入されてきた小銃や大砲は、
それぞれ、どのくらいの性能を持ってたんかな?
一番性能が良いものが一番戦力になるとは限らない。
ある程度の性能があれば、安価で数を揃えやすい事も戦力向上になる。
それに各種雑多な銃で性能が均一でないと、部隊編成にも訓練にも支障が出る。
>>437 現代だって歩兵銃の戦闘距離なんて200mぐらいだし
一々丁寧に狙って撃ってるわけでもない。
そして南北戦争の戦死者が多かったのは榴散弾のせいだ。
>>440 小銃のカタログスペックなら断然シャスポー。
ボルトアクションライフルで、これを金属薬莢にするところから村田銃の開発は始まった。つまり紙薬莢なんで梅雨に弱い。
大砲ならアームストロング後装砲。暴発の危険も高いが、上野攻防戦での西軍の切り札だ。佐賀藩が運用した。
ただ、
>>441の要素が大きいんで、部隊編成するなら信頼性が高い単発エンフィールド・スナイダー後装金属薬莢ライフルを連発スペンサー・カービンで援護するのが理想かな。これも佐賀藩だね。
>>442 長州戦争でミニエー銃で大損害を受けたのは幕府側の記録に有るし
長州側も似たようなことを書いてる。
その後の鳥羽伏見の戦いの伏見でも同じ状況になってる。
更に南北戦争で死者が多かったのは榴霰弾だけのせいじゃあない。
>>437も言ってるが小銃の性能向上に、初期の戦術が付いてかなかったのも大きい。
これは『南北戦争―49の作戦図で読む詳細戦記』 クレイグ・L. シモンズ を始めとして
多くの書籍で言及されてる。
>>440 >>441の言ってる事が正しいんだけど、小銃に限って自分なりに比較してみた。
シャスポーやドライゼの様な、ボルトアクションの原型モデルは紙薬莢のため後部へのガス漏れがある。
スペンサー銃の様な連発銃は、メタルカートだがリムファイヤなので射程が短い。
スナイドル銃はセンターファイヤのメタルカートだが、エンフィールド銃の改良型なので発展性がない。
試行錯誤の時期なんでどれがいいかは難しい。まあ明治政府の選択したスナイドル銃がその時点での正解じゃないか。
ただし、西南戦争で弾薬の供給に凄く苦労したけれど。
緩いスレでも沸くもんだな。
>>443 最近だと上野戦争の新政府軍のアームストロング砲は実は前装砲だったという話を聞いたことがあるね。
使ってないのではないか?という説も出てきた。
ドライゼ銃は撃針が折れやすくのが野戦向きではないかな。
>>192の動画の最初の方に、シャスポー銃とスナイドル銃の発射シーンがあるよ。これを見るとシャスポー銃は日頃のメンテと弾を紙薬筴で包むのが大変そう。
ドライゼ銃は日本読みだとツンナール銃
インド大反乱は薬包に塗られた油脂が引き金になったが
日本で使われたエンフィールド銃やシャスポー銃の薬包には油脂が塗られていなかったのかね?
それとも塗られてはいたけど日本の湿度をしのぐことが出来なかったのかな。
スペンサー銃って、構造や装填の仕方が、
西部劇でよく出てくるウィンチェスター銃とほぼ同じなのが面白い。
>>192の後半部分に出てくる元込め銃は、
全部スナイドル銃?
>>452 ヘンリー銃と勘違いしてない?
装填方法はかなり違うよ。
>>454 いやどちらもレバーを下に引いている点で似ているんだが。
また日本語読解能力の無い奴か
>>457 > スペンサー銃って、構造や装填の仕方が、
> 西部劇でよく出てくるウィンチェスター銃とほぼ同じなのが面白い。
という文に対して、装填方法が違うという指摘のどこがいけないの?
461 :
459:2010/10/07(木) 22:17:04 ID:???
つきあいきれませんわ
また例の奴が来たか。
アンカーに何の意味も無いのがな。
464 :
462:2010/10/07(木) 22:27:50 ID:???
465 :
458:2010/10/07(木) 22:32:21 ID:???
468 :
459:2010/10/07(木) 22:36:15 ID:???
あらしかよ。
>>468 資料提示を求めても何にもしないから会話するだけ無駄だよ。
ほんま19世紀中葉からの火器の進歩速度は異常やでぇ
>>472 九九式小銃が「江戸時代のような工具」で造られていたという資料はまだ?
>>469 >>472 自分で資料提示をしていてもその資料を読みこなす読解力が
欠如しているから会話するだけ無駄だよ。
複数の資料に一片も書いていないことを根拠無しに主張するのは妄想と呼ばれても仕方ないが。
>>475 ああ、伸びてると思ったらまた妄想ミニエーかorz
複数の資料に一片も書いていないからと言ってを根拠無しだと主張するのは妄想と呼ばれても仕方ないが。
誰も知らないネタで恐縮だがこれはもうミスターゼロに再現してもらうほかないな。
報酬はいただいた―――ッ
>>478を見ると動画で比較してもほぼ一緒だねえ。
どちらもトリガーガードになっているレバーを下に引いて、
次弾装填しているし。
つまり、弾倉への装填と、薬室への装填で解釈が別れるという事かな。
でもまあ構造そのものが違うんで、そんなにムキになることも無いじゃないの?
構造そのものが似ているよね。連発式だから。
レバーアクションの連発銃という事しか共通点ないじゃない。
弾倉の位置が全然違うし、スペンサーはハンマーを手動でコッキングしなきゃならないし。
レバーアクションの連発銃という事だけでも、
構造が似ているとは言える。
一部の類似を以て全体が似てるとは言えないのでは?
そもそも「ほぼ一緒」じゃないし。
スペンサーと同時期に、ウィンチェスター銃の前身のヘンリーライフルがもう活躍してたんだよな。
それを差し置いてスペンサーとウィンチェスターがほぼ一緒なんて言っちゃったら、
ヘンリー爺さんがお怒りになるよ。
>>487 ほぼ一緒だよ。
先込め式の銃と比べればね。
先込め式の銃と比べれば、それ以外の銃はほぼ一緒なんだw
小中学校の歴史の授業では薩長軍に連発銃が導入された事で
弾込め時間のかかる火縄銃に頼った旧幕府軍が駆逐された、と説明する説が多い
これだとミニエの有利さが何だがさっぱり分からん事になるw
もうちっとマシな理由は、
・同じ初速で、同じ空気抵抗(まあ正面からの面積)なら弾丸が重い方が減速が小さい
すなわち弾道が丸まらずよく当たる
そこに椎の実型の弾丸の有利さがある
・しかし、このような形の弾丸は飛行中に長軸が進行方向からずれると急に減速する
だから長軸を軸とした回転を与えることで、コマと同じ原理でぶれを防ぐ
これがライフルで回転を掛ける理由である
・ヤゲール銃の頃はライフリングされた銃筒に弾丸を無理やり押し込んでいたが、
後ろで鉄殻が押すミニエ弾になって、ライフリングに弾丸が食い込んで回転しながら
銃筒内を進むようになって、装填が楽になり、ライフル銃が少数精鋭兵の狙撃専用から、
より多数徴用された兵でも使えこなせる銃へと進歩を遂げた
火縄銃のマッチロックから
ゲベールのフリントロックやその後のパーカッションロックになって
第二次長州征伐頃の初夏の湿った天候に強かった事は挙げられるのかどうか?
史実見たら晴天続きだったりしてw
しっかし当時の日本人がよく
西洋の体格で標準化された銃を扱えたな
ところで実銃を撃った経験なんて勿論無いのだが、
ライフル銃を撃ったらその反動として
弾丸にライフリングが掛かる反作用みたいなものも
撃った人の手などに感じられるものなのかな?
>>490 そもそも鳥羽伏見の戦いの時、
幕府軍側の方が装備が新式で良かった実態はどうなるw
幕府のみ装備が良くて
他の幕府側の藩は旧式銃装備が多い
新式銃は遠くても命中性が良いから
敵陣に一斉に駆け込まず分散して戦った方がいいのを知らない部隊が
幕府側の諸藩に大量にいて、
そして南北戦争でもクリミアでも繰り返された悲劇をまたやっちまった
>>495 幕府側の諸藩が、火縄銃+甲冑+太刀・槍姿の兵力は明らかに可笑しいだろw
ゲベール・ヤーゲル装備というのならともかくさ。
>幕府側の諸藩が、火縄銃+甲冑+太刀・槍姿の兵力は明らかに可笑しいだろw
小学校のころの先生の解説だとそんな極端な構図の解説だったなw
とりあえず舶来銃買った藩でも
ゲベール掴まされちゃった藩が多いんだよな
「火縄がいらないから雨でも大丈夫!」とか言いくるめられちゃって
ところでヤーゲルって英語読みだとイェーガーで良いのかな
弾丸が超音速だ!
薩長側は戦術も先端のを取り入れてるから装備だけ洋式のなんちゃって歩兵なんか圧倒できた
>>495 でも鳥羽伏見で先陣切ったのは、伝習隊とかの幕府最精鋭だったような・・・・・・
のちに関東で証明するように弱くはない、つかむしろ強い部類だったはずなのに
どうしてああなった・・・・・・
>>502 幕府軍の敗因は、どの戦場でも
洋式訓練がむしろ仇になったケースが多い。
白い洋装軍服を狙い打ちにされたり、
将校用の軍服を見分けられて狙い撃ちされたり、
戦場に縦列行軍して遮蔽物の陰から狙い撃ちされたりなど。
>戦場に縦列行軍して遮蔽物の陰から狙い撃ち
ひでぇ…
>>503 >戦場に縦列行軍して遮蔽物の陰から狙い撃ちされたりなど。
鳥羽伏見だな。
民家などがあって絶好の隠れポイントがあるのに、
待ち伏せを警戒せずにそのまま行軍するとは馬鹿かと...
>>496 >>497 実際、鳥羽の会津軍はそんなんもんだだったけど。
ゲベールも有ったけど銃隊編制ではなかったし、そもそも性能が火縄銃と大して変わらない。
これは会津の史料である会津戊辰戦史にも書いてある。
西洋風に言うとパイク兵vs前装ライフル散兵だろ、レベルが違いすぎる
508 :
506:2010/10/08(金) 23:01:59 ID:???
ごめん会津は伏見だったな。
会津藩の家老、林権助は伝来の鎧兜の姿で撃たれて死亡、京都見廻組の佐々木只三郎も切込して死んでる。
幕府直轄の歩兵隊はともかく幕府側に付いて従軍した諸藩の軍勢が古めかしいのは別に間違いじゃないと思う。
>>508 官軍は官軍で、江戸攻略後に
「和装で来るな!」
って味方の諸藩に改めて布告してたし、古いとこはとことん古かったんだろうね。
フランスからの軍事顧問達は幕府側陣営をどう評価してたの?
まず行進して行軍するのは、ある所まではなるだけ集まっておいて、
参謀の指揮があった場合素早く行動する訓練のためだ
A隊は〜方面へ!B隊は〜で陣地構築!C隊は銃を構え!云々
しかし最初の縦列行進を最初から最後までやるとはどこでそんな勘違いをwww
ブリュネーは厳しい軍律の必要性を訴えていたな
まあ、百姓町人の寄せ集め部隊だったし
集合と散開って体育の授業でやる理由だしね〜、近現代でも概念が無い国々は幕末同様下士官養成には苦労しているしね
>>506=
>>508は明らかに史実からかけ離れているね。
林安定は当初は長沼流兵学を学んでいたが後に西洋兵学の砲術(オランダ流だと思われる)を学び、
鳥羽伏見の戦いでは砲兵部隊長を任されている。
それに会津藩は既に禁門の変時にはゲベールやヤーゲルでの装備は導入されているので、
高島流兵学くらいのレベルには達していたと思われる。
また、会津藩砲術指南役の山本覚馬は西洋銃砲に早くから評価して導入させている。
事実、妹の新島襄夫人は男装してスペンサー銃を装備して、
会津戦争で戦闘を行っている。
>>490 >小中学校の歴史の授業では薩長軍に連発銃が導入された事で
>弾込め時間のかかる火縄銃に頼った旧幕府軍が駆逐された、と説明する説が多い
俺の記憶では小中学校で戊辰戦争をそこまで「詳しく」やった覚えが無い
大まかな戦争の経過すらなかったように思う。
>>514 と言われても『会津戊辰戦史』で会津藩自身が書いていることだからなぁ。
林権助は確かに砲兵部隊の隊長ではあったが、砲が旧式で数が少ないことも書いている。
戦死したときの状況も、ゲベールでは太刀打ち出来ないことも。
高島流兵術は既に時代遅れになっていた。
山本覚馬の努力はあったけど、史実として会津藩の軍制改革は鳥羽伏見の後に行われている。
山本八重がスペンサー銃を撃っていたのは、兄の立場有りきのそれこそ例外で
藩全体の武器更新は進んでいなかった。
>>506 いやいやそんなもんじゃない。
そもそも当時の諸藩に甲冑具足など揃える余裕が無いw
そんな余裕があるなら新式銃の購入に予算を振り当てているw
>>517 会津藩がわざわざ甲冑を新調したわけじゃないぞ?
家伝の物を持ってる人間が着ていたという話だ。
>>518 だからね。
その発注したスナイドル銃を会津藩は受け取れなかったんだよ。
そこにも書いてるだろ?
>皮肉にも覚馬の購入したスナイドル銃一万五千挺は、紀州藩の手にわたり、会津攻めに使用されていた。
銃隊編制に変える軍制改革が行われたのは鳥羽伏見の後だよ。
>家伝の物を持ってる人間が着ていたという話だ。
そんなもの当時の武士は売り払っているよw
打刀でさえ竹みつの時代だぜw
また日本語読解能力の無い奴かw
>>519 分からん池沼だね、お前。
大体、すでに大量発注が鳥羽伏見以前に行われているのだから、
銃隊編制に変える軍制改革はそれ以前だよ。
紀州藩に接収されたのは周知の上で、
接収されたかどうかはは関係無いと指摘している。
ヤーゲル銃・ミニエー銃などで洋式装備・訓練・編成は、
それより以前になされてある程度慣れていないと、
いきなりスナイドル銃発注しても意味が無い。
それくらいは理解しておくべき。
>>522 改革が実行されていないのに改革したと主張したいならそれでも良いが、何の意味も無いな。
別に山本覚馬の意図まで否定してないんだがなぁ。
妄想ミニエー
「レバーを下に引いているから」、スペンサー銃とウィンチェスター銃の「構造と装填の仕方はほぼ同じ」
これに
会津藩に関する妄想が追加か。
500人の兵士全てがミニエ装備軍隊
vs
10人のスペンサー装備美女将官+40人のヤーゲル装備兵+50人のゲベール装備兵+300人の火縄銃兵+500人の槍甲冑装備兵+100人のなぎなた装備美少女兵
どっちが勝つか?
40人のヤーゲル装備兵は白虎隊で
貴様のクリーニングロッドで俺のry
俺のオクタゴンバレルで貴
> 10人のスペンサー装備美女将官
ところで当時の銃は何発も撃つと銃身が加熱して持てなくなったので
横に水入れたヤカンがあったり、
それも無い時は小便を掛けて冷やしたと聞いたのだが
何このショタ衆道ロリスカ何でもあり軍
圧倒的ではないかry
米海軍・ペリー艦隊の帆船が幕末、横須賀沖で座礁し、海に大量の砲弾を投げ捨てた――。
神奈川県小田原市国府津の郷土史家、奥津弘高さん(59)が、米ワシントンの国立公文書館に残る
同艦隊の航海日誌などに、こんな記述があるのを確認した。
船を軽くして離礁するための苦肉の策とみられ、専門家は「日本船に助けられては威厳を損なうと
判断したのでは」と分析している。
同公文書館に残る航海日誌に、同艦隊の帆船マセドニアン号が1854年2月11日(嘉永7年1月14日)
午後1時40分に座礁し、翌12日、船員が「砲弾を投げ捨てた」との記録がある。
また、ニューヨーク公共図書館にある同艦隊の僚船の船員日記にも、座礁したマ号から「数百発の砲弾が
海に投げ捨てられた」と記されていた。
艦隊を率いるペリーにとって、当時、開国を果たせるかどうかの重要な局面だった。研究者の間では、
マ号は僚船の助けを借りて座礁を切り抜けたことになっているが、座礁時に砲弾を捨てたという米側の記録が
判明するのは初めて。
ソース
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20101006-OYT1T00661.htm
ノリが違う人が居ついたのね
そもそもスナイドル銃1万5千丁って、マジ?
ドイツ人ルドルフ・レーマンも、スナイドル15kも、
>>518のサイトにしか見当たらない話なんだけど。
慶応三年に覚馬がドライゼ銃1300丁をカール・レーマンに発注した話と混じってない?
ちなみに、こっちは300丁のみ受領したものの弾が来なくて死蔵したままになったとか。
最近、会津は遅れてなかった云々と言うのがブームになってるからな。
山本八重の話も引き合いに出されやすい。
>>527 白河口の戦いでは、新政府700人対会津4500人で圧倒的多数にも関わらず会津がボロ負けしてるからダメだな。
新政府軍は下士官の養成もそれなりに進んでいたしソフト面でも優越してるっぽいよな
列を組んで回れ右と行進くらいは小学生でやる
今でも小学校でやってるのかは知らんがw
これすら出来ないで兵卒を弾かれる国も有るけど
日本に置いての一番成功したマニュアル化の作業でね?
日本人ってマニュアル化(馬鹿でも厨でも判断不要で行える)の策定が、なかなか自発出来ないし
>>537 八重は個人で無双しただけで、別に藩としての先進性とは関係ないのにね。
同じくスペンサーで無双してた色部長門なんかもそうだけど。
フリントロックミニエ vs パーカッションロックゲーベル
こんな例ってあったのかなw
雨天に前者がボロボロになったり
しかし戊辰戦争の期間だけで銃器の歴史を数百年分駆け上がっていったな
少なくとも史実には無いな。
一人で無双したかったら
射程5倍、分辺り発射数10倍(装弾時間も込み)でも無理だろう
今のオートのアサルトライフルをベルト給弾にしたようなので
弾数が敵兵数の3倍くらいある奴を撃ちまくってもむりだろうな
八重ドリアーーーン!
無双というか、篭城時に若松城の中から撃ってたというだけの話。
情報が全く無かったわけではないが、
大量購入に早急に動き、導入して部隊に広める決定力を欠いた
京都御所警備だけで予算の多くを使ってしまっていた会津藩としては
やむを得なかったのか
軍事費というか財力で言えばどの程度の力関係になるんだ?
手遅れになるまで着手しなかったのは武器の購入だけではない。
金の問題だけでなく、編制と戦術の改革に対しても藩内に大きな抵抗があった。
>>550 小さいところでは、沼間に「匍匐しろ!」って言われて
「武士が地ベタに伏せられるか!」って激怒した事件もあったなw
命の危険を感じた沼間が会津から逃れたりww
これじゃミニエー全軍配備(キリッが成功しても勝てたかどうか。
>>549 幕府>長州>薩摩>その他ってとこじゃないの
山本覚馬が火縄銃やめましょうと言ったら、却って怒りを買って禁足処分にされたこともあったな。
>>555 しかも、議論が正しいか間違ってるかじゃなくて、
「議論の際、目上に失礼な態度を取ったため」の禁足だもんなぁ。
>>556 つまり洋式装備に会津藩としては元より抵抗感が無かったわけですねw
いや、建白は斥けられてるからそれはない。
無礼だけど主張は認めよう、とはならなかった。
意見は通らないし、禁足を食らうしで山本覚馬も気の毒なことだ。
>>556 へー。
結論は決まってて、議論では覚馬に勝てないから揚げ足とったって感じだな。
>いや、建白は斥けられてるからそれはない。
いや斥けられている理由が違うので、
「洋式装備に会津藩としては抵抗があった」と認めることは出来ない。
>無礼だけど主張は認めよう、とはならなかった。
単に面子の問題だけだろ。
今の会社でも意見を主張する際のマナーを守っていなかったら、
どんなに常識的な意見でも受け入れられないのが普通。
物は言いようだな。
山本の件は一例であって
>>553の沼間の件のようなもっと酷い例も有るのだが。
>>560 >いや斥けられている理由が違うので、
>「洋式装備に会津藩としては抵抗があった」と認めることは出来ない
相当な強弁だな。
覚馬個人に叱責して、洋式装備化はすすめていけばいいじゃない。
>>563 まあ明らかに後の世に作られた作り話だなw
そんなことを当時の武士が言う筈が無いw
そんなことを言っていたら、武士の武芸の嗜みの
柔術ができなくなるw
受身の訓練なんか、地べたに這い蹲るレベルなんかじゃないしw
>>564 そんな甘い顔をしていたら、
部下にマナー・躾を指導できなくなる。
上官と部下の関係の規律は、
西洋軍学でも重要だぞw
568 :
561:2010/10/09(土) 18:53:21 ID:???
>>567 ずいぶん悠長にかまえてるんだなその妄想会津藩は。
>>565 >貴方の目が悪いのだと思って諦めるけどさ。
お前の目が悪いだけじゃないかw
お前以外は全員、スペンサー銃とウィンチェスター銃は似ていると思っているのだから。
574 :
560:2010/10/09(土) 18:56:13 ID:???
>>565 君は明らかに他の人々と勘違いをしている。
>>571 ずいぶん暢気にかまえてるんだなその妄想会津藩は。
/| | ̄ ̄ ̄ ̄| |\
/ | | // | |//\
∧_||// | | ∧_∧.| | //||_∧
(´-ω||// | | <#`Д´ | | ||ω-`)
( .⊃ ||/ / |__∧_∧_| .\ ||⊂ )
⊂_)|/ < > \|(_⊃
|\
>>565( O ) /|
| \ u―u' ./ |
∧_∧| | ̄ ̄ ̄ ̄| | ∧_∧
( -ω.| | ∧_∧.| | (ω-` )
( . ⊃.|∩(;; ;; )∩| ⊂ )
(_) __) |_( )| |/( __(_)
( __人_)
>>566 受身の訓練で投げられるのと、地べたに「自分から伏せて這いずりまわる」のが一緒なのか。
他には匍匐して転がる訓練の際、刀を付けたままだと宜しくないので皆嫌がった。
外せと言っても武士の魂だといって聞かないので教官が無理矢理転がしたら
あまりに痛いのでようやく外して訓練するようになったという逸話も有る。
ソースは『白虎隊』 中村 彰彦
軍制改革もまだ始めても居ないのに、
高価な新式銃器だけを先に調達するという
>>565の妄想会津藩w
>>563 >受身の訓練で投げられるのと、
お前は受け身の調練をというものを知ってるのかw
思いっきり池沼発言をしているぞw
>>572 そうかぁ?w
全員が「装填の仕方と構造がほぼ同じ」と思っていると?
へー、受身の訓練って他人に投げられてするものなんだw
初めて知ったよw
そこは「お前は分かってない」だろw
高校で柔道の授業を受けたりした人なら、
受け身の練習はどういうものか知っているはずなのに。
へーじゃあ会津藩が刀槍と火縄銃、他はあっても役立たずのゲベール装備で
痺れをきらして突撃した家老が射殺されたことなどを会津、薩長双方が記録してることも後世の創作なんだ?
>>585 妄想ミニエさんのスーパー語録に新しいのが加わったな
>>589 当然だろ。不自然な記述はどんなに資料があっても
安易に信頼すべきじゃない。
>>591 なるほど、これならどんな妄想も通るわけだw
>>591 妄想ミニエキチガイのキチガイ語録に新しいのが加わったな
>>592 なるほど、これならどんな妄想も通るわけだw
>>594 会津贔屓ってみんなこんな奴なのか
それとも、これも極悪薩長が送り込んだエージェントによるネガキャンなのか…
>>591 >不自然な記述はどんなに資料があっても安易に信頼すべきじゃない。
「不自然な」記述じゃなくて、「自分の主張に都合の悪い」記述の間違いじゃないのか。
>>576のAAがもっとも端的にこのスレッドを象徴している。
598 :
名無し三等兵:2010/10/09(土) 19:21:13 ID:x3LN0PCF
超過疎スレで過ごしてきた住民としては、
どんな形であってもレスが付くのは嬉しいwww
>>591 敵対する双方の側で記述が矛盾していないのに?
普通、不自然ってのは双方で大きく食い違ったり、他の複数の文献に記載が無いのにある文献一つだけに書かれている事象の
ことを言うと思うんだけど。
んで何かを不自然と主張するには別の資料を以てするのが当然だ。
この場合は何の資料を基にしているの?
飛天御剣流のモデルとなった流派はなんなんでしょうか?
あ・・・ 武板で聞いてね、とかいわないでおくんなまし。
何れにせよ危機感、
現実(世の情勢)を認識する事が出来たか否かの差は大きいだろ>薩長と会津
近代化の必要性を骨身に染みて学んだ薩長と市内が燃え城がボロボロになりながらも
最後まで有効な戦略を持てなかった会津
なんか大戦末期の日本に似てなくもないな
精神論じゃ国は守れないの典型例だよ
>>601 ありがとうございます。
ぜひ、今度俺のボロアパートによって、おしげりなんし。
>>602 せめて善政を布いて民の心を惹きつけるとか、奇兵隊みたいに給料払って農兵部隊でも作っていればねぇ。
結果として会津世直し一揆になっちゃった。
まあ、昭和に入って作られたソースを出されてもねw
京都見廻組は本来治安維持組織であって、
軍隊ではなく警察組織なんだから、
基本的には銃器を持たない軽装の装備になるのは当然だと思うのだが。
今でも地域課の警官とかニューナンブ程度の装備で軽装だし、
先進国でも警官は拳銃を通常は携帯しないところもあるくらいだしね。
>>607 新撰組の方は逆に洋式装備の導入が早かったみたいだ。
そもそも新撰組の編成自体、
洋式軍制の編成になっているからな。
>>607 鳥羽伏見の戦いに関しては、
そもそも京都見廻組を戦力として何故投入したのか疑問なんだが、
よく考えてみれば当の幕閣でさえ本格的な武力衝突するとは考えておらず、
小競り合い程度の乱闘を捌ける程度の戦力があれば良いと考えていただけかもしれないだけなのかな。
>>609 先頭にたってたのは大目付の滝川だから、
その警護には相応しい家格の者共を…とか思ってたのかもねw
鳥羽伏見の原因は薩摩の挑発
これを幕府の威光をもって鎮めさせうやむやにして
後は大政奉還後の序列に基き公正な立場で
実質徳川中心の世を続けるべし
↓
本気でエンフィールドの乱射して来るんだもーん!!!!!
>>608 新撰組の編制が洋式に変わったのは江戸に帰ってからだったけどね。
>>611 完全に薩摩の策略にはまってるんだもんなぁ
政治で負けてて戦略で負けて戦術でも負けていると勝てる要素がない
>>607 兵力15000名も擁していたのだから、何もそんな連中を投入しなくてもとは思う。
戦が始まってみると士気が高いので奮戦したが、当然死傷者大となった。
江戸時代に再建してた大坂城を2度目の炎上、落城させているんだよなあ
江戸時代に再建した大坂城が焼けたのは1600年代半ばだ
維新で焼けたのは、他の小さな建物
しかし残っていた主要部の大半が焼けてしまった
会津兵も巨椋池辺りの堤防で草むらから槍ぶっこんで官軍の隊長の首級一個ぐらい挙げてた気がする。
まぁ奇襲効果が無くなってから狩られてたようだが。
結局、ハードもソフトも許容された側が勝つのは自明だ罠
せめてハードだけでも幕軍側が上回っていれば面白いのだろうけど
>>616 なんと、貴重な歴史的遺物を焼くとは許すまじ薩長!
地雷火? はてさてなんのことやら…
見回り組は英国式の洋式訓練も受けてたんじゃなかったかな。
歩兵隊が遺棄した銃器を拾ってすぐに使えてるくらいで。
ここ数日の伸びは異常。そして幕末はちんぷんかんぷんな俺は涙目。
いや、普仏戦争やボーア戦争のネタなら任せとけ!という訳でもないのだが…
>>612 またお前か。
無知すぎるぞw
池田屋事件からそんなに経過していない時点で、
西洋銃器の訓練は新撰組で既に行われている。
岩波新書の松浦玲著「新撰組」でも、
そのことは指摘されている。
ま、新撰組の編成自体洋式編成が元になっていることくらいは、
周知の事実だとは思っていたがw
知ったかもアレだが
知らない人を上から目線でコキ下ろすのもどうかと思う。
シャスポー銃
「お前は分かってない」だろw
貴様は強くない(棒)
武田寒流斎とは何だったのか!?
んで、土曜から公開されている幕末映画2作はどうだった?
俺は今日見に行くけど。
>>623 …ちょっと待て。池田屋直後?まずその内容を全部丸呑みにした上で聞きたい。
時期的に見て、その訓練で使った 「西洋銃」 とはそもそもいったいなんだ?
ゲヴェーアか、ミニエーか?
上の方で散々出てる通り、ゲヴェーアとミニエーは戦場においては全くの別物だぞ。
人斬り集団の新撰組が、下手に圧倒的普及品のゲヴェーアで訓練してたら、
かえって有害な「常識」が入っちまう気がせんでもないが、射程とか射程とか射程とか。
市街戦なら、正しく狙って有効射程50m(人間大ターゲット相手)のゲヴェーアの初弾さえ外して、
一気に50mの間合い詰めて剣の1.2m(位かな?)に踏み込めば、
剣付いてないゲヴェーアに対して、刀の圧倒的優位はあり得るが、
正しく狙って有効射程400m(=50mなら人間大ターゲットには100% 必 中 )のミニエーに、
50mから1.2mの刀で立ち向かうのは、ミニエーvsゲヴェーアの立ち撃ち戦を遥かに上回る、まったくの自殺だぜ。
もしミニエーが剣着けてたらもうお終いだ。そしてミニエー装備な鳥羽伏見の薩摩兵は、絶対剣着けてたと思う。
(ミニエーで剣に負けた西南戦争初期の鎮台徴集兵と違って、精神的要素は対等だからねこの場合。物質的条件だけが問題だ)
…あー、書いててようやく判った。
それで土方と桐野の人外級剣士双璧が、鳥羽伏見の後、「 こ れ か ら は 銃の時代です」って口揃えたのか。
「これまでの」ゲヴェーア(滑腔銃)相手なら、余人は知らず俺クラスの剣技ならなんとか刀の間合いに踏み込んで対応できるが、
「これからの」ライフル(桐野はウェストリー・リチャーズ使いになったんで)相手だと、人間の能力じゃもうどうにもならんと… 納 得 。
スペックの向上もあるだろうけど、銃器による集団戦術の洗礼を受けたからじゃないか。
>>631 ソースを提示されているんだたら、
自分でその資料を見れ来ればいいじゃないか。
それにネット上で無闇に書物の引用するのは、
無断引用で著作権上問題があって批判される。
「」付けするなどして本文と引用部分の区別をハッキリさせ
且つ引用元を明らかにすれば問題にならんよ。
そうでなきゃ本だって書けないから。
むしろこれをやらないことの方が問題にされる。
>>634 それ以前に、ソースを提示されたら、
自分でそのソースにあたって調べるのが、
議論上のマナーだ。
明らかに
>>631はマナー違反で非常に甘えている。
それに今は
>>634のようにしていても、
学術論文でなければ結構何かと五月蝿い。
これからは無茶苦茶言って適当な本を出店にするのがトレンドですねw
勿論、何章何ページに書いてあるかも書きません。
何かと五月蝿いですからね!
>>635 結構何かとうるさいというが、法的には何の問題も無い。
違法ないちゃもんに従う必要は無い。
>>638 >法的には何の問題も無い。
お前がそう考えているだけw
実際には違法かどうかは微妙な線上だw
コマ回しと空気抵抗とライフリングと命中精度の説明を
当時の各藩の家老クラスで理解できたのはどの位いたのだろうか
更に中で圧力で広がるミニエ弾とか
火皿と火蓋があって・・・のマッチロックしか知らない人達に
まず旧式のフリントロックを見せて「弾いて火をつける銃があります」と説明した後
今は更にこのようになっておりますとパーカッションロックを見せ、
そしてそれぞれこのように性能が違いますと実演し、大量買付けのための金を出させる。
商人とのコネクションも必要になるし
グラバーは英語力のしょぼい藩の代表が来たら時々いい加減な説明をして、ゲーベルばかりを高値で売りつけたんだろうな
雷酸水銀を使う以前からかんしゃく球はあった。
黒色火薬に砂を混ぜて急激に押し潰すと砂の摩擦で過熱され
黒色火薬が発火する、という代物だ
今でもこの方式で作られている
だがこれを、別に圧搾しておいた黒色火薬オンリーの推進薬の後ろにつけて
前に弾丸を付け、紙で包んだものを銃筒に入れて撃てるかというと
発射後に砂だらけになってその掃除が大変になる
石英は硬いから、これが銃筒を傷めてしまう
「半次郎」見てきた。
4斤山砲の説明(分解搬送)とかもあったし、
ガトリング砲でミニエー銃装備の薩軍を薙ぎ倒すシーンもあったし、
東軍の小銃はヤタガン式銃剣を装着してたりした。
薬丸自顕流も本家が監修しただけあって猿叫も忠実でしたね。
装備類の考察は面白かったけど、
東軍が殆ど赤線(近衛)しか出なかった希ガス…
あと、新撰組は例の隊服を(市中見回りや伏見の戦いの間も)ずっと着てた…
あと爆発大き過ぎ。邦画では毎度の事だけど。
あと、これも邦画では毎度の事だけど
女 邪 魔 だ !
「薩軍はこんな弾使ってる。もう終わりですな」な台詞のところに出てきた弾丸は…
どう見ても長さが10cm以上ある細長い弾なんですが…現代のライフル弾+薬莢か?
幕末も明治に入ってからも端折り過ぎて戦史を知らないと付いていくのが難しい。
可愛岳とかもスルーされてたし…
雷撃隊の辺見さぁの髪が茶髪(赤髪?)なのが凄い違和感だったし…
それとやっぱり女が邪魔
>>643 白石美帆に仕事させてやれよ。
エンタの神様終了してレギュラー番組無いのだから。
>>645 ヤタガン銃剣付スナイドル銃を構えた東軍の兵士の群れを押しのけて
中央突破するんだぜ白石美帆が…(本当
>「薩軍はこんな弾使ってる。もう終わりですな」な台詞のところに出てきた弾丸は…
どう見ても長さが10cm以上ある細長い弾
そう言えば当時は薬莢があるとしても弾丸本体は「椎の実型」程度であって
今の軍事用ライフル弾みたいに長くないんだよな
650 :
623:2010/10/12(火) 17:44:09 ID:???
>>623の出典元が間違っていた、
中公新書の大石学著の「新撰組」の方だった。
詳しくは各自でその新書を読んでくれ。
桜田門外の変の映画、
近々封切りされるようだけど、
完全国産リボルバーがちゃんと出てくるのだろうか?
長州藩が下関の砲台に備えていた砲とか
薩摩藩が英艦と撃ち合った砲はどれくらいの口径があったんだろう。
当時の新聞の銅板画には四カ国艦隊の兵が占領した下関の砲台風景で
細いけどずいぶんでかい砲が描かれているけど。
9インチくらいあったのかな?
銃砲にライフリングの工作に、
水車の動力が必要と上であるけど。
幕府直轄の関口大砲製作所では、
水車完備でライフル銃砲の製造が行われて
量産化されていたけどね。
>>655 関口製作所はブリュネーにダメ出しされてなかったっけ?
砲の口径がバラバラ、試射してないから信頼性0、お台場防御用の重砲ばっかりで山砲が少ないetc...
結局、ブリュネーの進言で輸入物がメインになっちゃったと言うw
一応、江川坦庵はスプリングフィールド銃(米製ミニエー銃)を100挺輸入して、
それを元に模造生産し国産化を計っているからなあ。
江川はパーカッションロックと雷コウは解決したが
ライフリングは出来たのかどうか
ぐぐっても
>>382の事例がhitしないんだよなぁ。
栄誉の事績なんだから、観光地化した江川坦庵の地元が吹聴しないわけはないんだけど
ヤーゲルとミニエで技術レベルに差はあるのかなあ?
パーカッションロックで無理やり押し込む方式のライフル銃と
ミニエ弾丸のライフル銃で
どちらが銃筒内圧力は高いのかな
>>662 あれ、ミニエはパーカッションロックじゃなかった?
小学校の歴史の本ですら石器時代の石器を黒曜石と書いてあって
それオンリーなのかと覚えてしまう日本
ヨーロッパでは石英を使うのが普通であり、またこれから石器を作る時に火花も生じた
そして火も起こせたのではと推定される
(もちろん初めは野火から取ってきただろう)
日本の火打石は強い衝撃を与えないと火花が起きず、銃の点火装置に使うのは無理であった
日本では代わりに、木片を使った舞錐式の発火法が当初は発達した
666 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :2010/10/14(木) 23:32:06 ID:vnLxi2wX
悪末の近代産業化(工業化)は,幕府も西南雄藩でもそうだが,元治・慶應に入ると,
結果として在来技術の否定に落ち着きます.
幕末の近代化と,明治以後の近代化の受容の仕方が,全く異なるのは,そこに由来します.
幕末の産業化遺産を,日本の白地図にプロットしてみて下さい.
そして,明治以降に,それが継続しているか,自分で確認して下さい.
それが回答だと思うのだけど…
水戸藩の国産リボルバーについて、今月号のコンバットマガジンで取り上げられているけど、
雑誌がアレなんで、掘り下げが足りず物足りない。
668 :
653:2010/10/15(金) 14:13:48 ID:???
>>654 ええ〜?88mm? 絵を見るとずいぶんでかい砲に見えるが。
いかにも旧式な一対の釣り手を備えた砲に描かれていたと思うけど
新聞社の絵描きの想像に過ぎなかったとか?
まさか大きいのはボートで持ち帰れないから火薬と砂を詰めて爆破したとかじゃなくて?
大英帝国がなぜ経済・技術で覇権を得られたかなんてチト考えたら思いつきそうなもんだか
優秀な手工業職人が異様に存在したからでは無いんだし
中国とインドは行き過ぎた実務労働・手足労働軽視
ドイツと日本は行き過ぎたマイスター・職人信奉も個人頼り
英米はマニュアル化・均一化でで無学な未経験期間工でもレベルを保持し女でも出来るよう力仕事を軽減しましたとさw
それより早期に貨幣経済が発達したことで市場に十分な需要が存在し
工場制による多くの生産物の供給を受け入れられる下地ができていて
また農村の地主支配が進行して農民が賃金労働者化したことで
都市へ工場労働者が十分に供給されが前提で
マニュアル化や均一化はその背景からの結果なんじゃないの
ゲベールってオランダ語で「小銃」って意味じゃなかった?それで最初はフリント・ロックで1840年代にパーカッション・ロックに改造されたって見たが
>>671 貨幣経済への移行による需要の拡大だけで技術革新が出来ていたら鎖国し続けられたよ
パーカッション式ゲーベルって可能だが、
パーカッション式火縄銃ってどうすれば出来るかなと
5秒ほど真剣に考えてしまったwww
パーカッションの筒中側に、線香か自動車内タバコ点火器みたいなのがついている機構とかしかありえねえw
676 :
名無し三等兵:2010/10/17(日) 10:25:41 ID:SH7sxu7G
>>675 普通に火縄銃の銃身と銃床流用してパーカッションに改造、じゃねえの?
大改造になるが、パーカッション改造で後装銃に改造するよりはまだマシそうな
それはもう火縄銃とは言わない、というツッコミはなしでw
雷管叩いて出た火が火縄に着火して、それを火皿に落とす、と。。。<パーカッション式火縄銃
マッチロックっていうんだから、パーカッションに赤リンでも仕込んどけ
681 :
680:2010/10/17(日) 16:25:26 ID:???
こんな横っちょでも何とかなるのか
>681 上の方でも書いたが、実はこの改造全く意味がねえんだよ。
火縄銃がゲヴェーアに唯一勝る(そして民間狩猟レベルでは決定的な)優位は、
火縄使うんで点火がソフトで、照準精度がいい点なんだが、
パーカッション化しちまうと、雷管ぶっ叩く衝撃で二点支持の銃がブレて、弾があさっての方向へすっ飛んじまうんだ。、
西洋式三点支持銃床は、フリントロックの頃から点火の時の衝撃に対応するため発展したんだが、
この時期の日本じゃ三点支持銃床自体がガチな新技術だ。若き日の村田経芳が薩摩に普及させようと散々苦労してる。
火縄銃のデメリットである、天候に左右される。火種を準備してないといけない。火縄から飛び散る火の粉。夜間は敵に発見されやすい。天秤にかけると火縄式と管打式どっちが良い?
物事は一足飛びには進化しない、ということでしょう。
仮に三点支持とやらにしても、撃ち手が以前のやり方から切り換えなければならないし。
夜間だけでなく、火のついた火縄はにおいが広がりやすいし
マッチロックは、発射作業に火縄に着火という、フリントロックやパーカッションロックにない作業があるので、発射までの時間がかかる。
火縄の火は一応つけっ放しでいいだろ
敵に臭いでばれるとか火が見えるとかの問題も多いが
フリントロックは衝撃でぶれるのはわかるが、パーカッションロックはどの程度ぶれるのだろう。
あといわゆるロックタイムはパーカッションの方が有利だと思う。
>>689 つけっ放しにすると蚊取り線香みたいに、灰になっちゃうし、身体に発射薬やら口火薬等身に付けている中で、火を付けっ放しは怖い。
火を付けっぱなしだと隊列を組んだときに隣の奴の服やら火薬やらに引火しそうで危なっかしいな。
それに火縄って結構高価なんだな
フリントロックのデメリットとして、射撃時衝撃でブレる。火打ち石のメンテ(磨いてないと不発の原因)火打ち石の調達の問題。不発になるのが火縄や雷官に比べて多い。
>>695 京都の鞍馬では、
良質の燧石が産出するのだが?
>>691 戦国時代の話だが、行軍中は、火縄が消えないように振り回しながら歩いたというぞ。
燧石とか意外に高価なので、鉄砲足軽全員に持たせるのは無理だったらしい。
幕末佐賀藩でも,フリントは不足していましたね.
本藩でも不足しているので,長崎にストックしてある分を使って良いか,
と云う伺いがありますし.
19世紀末まで火縄銃(マッチロック式)が、使われてたのが中央アジアやインドみたいだね。こちらは天候の影響もあるみたいだけどマッチロックが一番進化した所ってどこだろう?
インドには獣脂の油紙で包んだカートリッジなんぞ要らん
真帆は士道不覚悟により処分!
夏帆?
先込めパーカッションロックミニエ弾くらいの構造が
整備し易さと発射間隔のトータル性能で
技術のない地域には扱いやすい、とかかなw
>>705 元込めの場合、弾薬の製造が大変だよな。
紙薬莢で雷管外装みたいなやつ(シャープスとか)だったら、なんとか作れるかもしれんが、
雷管そのものは作るのが難しそうだし。
江川坦庵はペリー来航前に雷管を完成しているからなあ。
太郎左は頑張り過ぎ。
司令がアレで苦労して編成した幕府千人隊が活躍出来なかったのは残念だったな。
欧米では元込め銃の開発で鳥猟に散弾を使えるようになり、
さらに散弾もいちいち刻んだり転がしたりして丸めて製造していたのが
高い塔からこぼして一挙に安く作れるようになってから
鳥猟のスタイルが一変し、ガンドッグという猟犬のカテゴリーも出来たそうな。
すこしトピックから外れるけど、開国までの日本では鳥猟というのは
網や鳥もちを使った生け捕り以外行われなかったのかな。
生類憐れみの令以前は鯨や猪は言うに及ばず犬も一般に食われていたらしいが、
鳥は殿様の鷹狩りの獲物、鷹の生き餌でしかなかったのかな。
鳥は鉄砲でも撃ってたみたいだぞ
日本人が散弾を使わずに、火縄銃の単発弾で鳥に命中させるのを見て驚いてた。
とかいう話が大黒屋光大夫だったかゴロヴニンだったかの記録にあった気がする
>>709 >生類憐れみの令
江戸近辺でしかほとんど効力を持たなかったらしい。
尾張藩のような御三家の藩でも、
「何か将軍家から言ってきているけど、
形だけ取り繕っとけ」
見たいか感じで形骸化していたらしい。
鈴木眞哉氏かなんかの本でそのように
読んだ気がする。
>鈴木眞哉
鳥も撃ち落とせるくらいだから、中国では鳥銃って言われてたんじゃなかった?
二代将軍の次男坊が城内の堀で鴨を撃ってる
人になついてやって来た鴨を
かわいそうなことするな
鴨〜
幕末期に在庫があったゲベールを
欧米みたいにライフリング切ってミニエー化しなかったのは
技術的に出来なかったのか、少数対応は出来るけど大量には出来なかったのか
それとも南北戦争の終結でエンフィールドが安く買えるので
海外からの設備導入とかあるいは少数対応ならできる職人を数そろえるとか
わざわざ金と時間をかけてそんなことをする必要がなかったのか
どれなんだろう?
もしかしたら幕末のゲベール在庫数より
輸入ミニエーのほうが数が多かったりするんだろうか?
>>718 そんなヒマはなかったってのと、正直中古完品輸入したほうが早かったからだろ
幕末の混乱なんて10数年なんだし
小銃の生産ライン新設するのは技術と資金のあるとこには魅力だったろうが、供給不安定程度不定の中古品をリビルトするってのは当時の日本ならむしろ武器商人の仕事じゃない?
ミニエー銃ですよ〜ライフリング切ってありますよ〜って見せられれば素性見抜けなかっただろうしw
そして商人は、手間をかけずとも売れるものがあるんだからそっちを扱うわなw
>>718 >欧米みたいにライフリング切ってミニエー化
螺旋穴を作る要領で、
当時の日本でも充分工作できる。
第二次長州征伐から戊辰戦争までの流れが急過ぎるから、
大量に装備するには、買った方が早かった、というのはあるだろうね。
1864年 第一次長伐
1866年 第二次長伐
1868年 鳥羽伏見
いちいち職人芸で作ってる暇は無い罠w
前装式ライフルと言うと、エンフィールド銃がメジャーだが、同じようなスプリングフィールド銃やフランスのミニエー銃と比べて、性能はどうなんだろう?
>>653 薩英戦争のときの薩摩は大した砲じゃなかった気がする
でも120ポンド・80ポンド砲も使ってたな
もちろん榴弾も撃てる
>>711 当時の尾張藩士、朝日文左衛門の日記に、魚釣りに行った話が普通に出てるとか。
尾張は独自色が強く、領地内通った他藩の大名行列に幼女が飛び出していったのを
切り捨てた事件の際に
領民がこんな横暴な藩は通すなと騒動を起こし、認められたというくらいだ
>>725 そりゃ馬鹿正直に守っている稀有な藩もあるだろうに。
小藩と御三家じゃ扱いが違うってだけだろw
水戸藩なんかも御老公自ら嫌がらせに余念がなかったし
薩摩とかだと別の意味で牛とか羊とか可愛がっていそうだよな
主にニセの肝練りとかで…
そろそろいいんじゃないか、その話
では軍板らしく、白河城攻防戦のことでも考えようか。
なんで350ぐらいの官軍には勝っておきながら、700の官軍に2500以上の軍勢が城を奪われたのか。
その後も何度攻撃掛けても奪回できないし。
あそこ守れたら会津も冬を越せたかもしれないのに。
>>732 西郷が無能。つか、実戦経験も作戦能力も皆無。
典型的な釣野伏に引っかかった上に戦力の逐次投入。
退路確保するのも忘れてワーワーサッカー。
初戦はねぇ…伊地知さぁが拙速過ぎたのが裏目に出て同盟側のラッキーな勝利に。
あと奪回戦は放火で混乱させる作戦なのに「雨天」を想定に入れていなかったのがなんとも…
西郷に全く向いていないのは分かってたことだろうに容保の人選が悪かった。
つか、会津全体がタコだった。会津の民衆は重税化した会津藩を嫌って
官軍に味方するぐらいだったし。
>>734 恭順論者だし、実戦経験もないし、性格も頑固とか頑迷とか言われてるし、
しかも容保と仲違いしてるのに、どーして配置したのかホントわからんw
他に人が居なかったのかなぁ。
自分で罷免して処分まで受けさせてるのにな。
真木和泉みたいなハリキリ爺さんじゃないんだから勘弁してやれよ。
他に同格の家老が居なかったのかもしれないけど。
結局家柄かぁ。
こりゃミニエー全軍装備とかそういうレベルじゃねーなw
トップは戦う気がない
部下はレイシスト
支配下民は非協力的
敵にハードでもソフトでも劣る
これでどうしろと?
ぶっちゃけベルリンのドイツ軍より絶望的だろ
いやむしろ敵に期待できるだけましなのか
最悪でも十六橋破壊位は成功させるべきだった。
あれも失敗で自爆的に籠城戦コース突入だもん。
身分に応じて偉い方から性能の良い兵器を与えるんです
雑兵には火縄銃と槍で十分なのです><
偉い人は参謀室でサーベル風日本刀だけを腰に吊ってて貰ったほうが
篭城の準備さえろくすっぽしてなかったんだよな、会津藩。
迅速な日本安定のためにはよかったのかもしれない
奥羽越列藩同盟、まともだった藩なんて長岡と庄内程度で、他は上から下まで
政治的にも軍事的にも時代錯誤で硬直的などうにもならないような藩だらけ。
そのどうにもならないところの筆頭が、盟主格の会津と仙台だったりするのが…
>>713 そうかも知れないが、銃把の形が鳥に似るからというのも読んだことがある。
>>724 それで英艦の提督だか艦長だかが死んだというからね。
ところでそのころの日本式の榴弾で跳ね割りってのがあったそうだけど
どういうの?
>英艦の提督だか艦長だかが死んだ
あれはその船のアームストロング砲が破裂したからだ
大口径の後装砲は、実戦で酷使するのはまだちょっと早かったというべきか
日本では口径100mm未満のアームストロング砲が輸入されたり試作された?りして、
これは破裂する事も殆ど無く、十分に活躍した
俺の股間もアームストロング砲だぜ!
>>747 砲口カバーの有無は?
砲口カバーの開閉方式は手動・自動どっちだ?
銃が開発されてから幕末まで約300年経ってる訳だが、火器の発展が遅すぎる気もする
戦国末期に作られた銃が、新式装備の官軍相手に使えるくらいだし
何故なんだろう
使えるというのが「使用できた」という意味なら、その通りだが実戦では通用してないな。
型式自体が古いのはともかく、製造年まで戦国時代ってのはさすがに少ないと思うぞ。
前装マッチロックマスケットと前装ライフルの違いはかなり多くの面で隔絶しとるぞ
>>740 有名な白虎隊の悲劇や娘子隊の活躍もその直後の話だもんな。
母成峠を突破されてから新政府軍の電撃戦の前に会津藩はいいとこなし。
予備戦力投入してやかろうじて即陥落は免れたにすぎない。
>>746 艦長副長の戦死は薩軍の20ドイム臼砲或いは150ポンドカノンの曵火榴弾。
ア-ムストロング砲の尾栓破裂は砲甲板上で発生。こちらも死傷者を出している。
そういえば黒色火薬自体は、戦国の頃から無煙火薬が登場するまで進化してないのかな。
まあ小火器については1840年頃からの進化が急速すぎるという感じはあるな。
>>750 官軍ったって、元亀天正の旧式武者しかいない小藩がごろごろしているというか、そっちの方が多数派だぞ。秋田戦線の経緯がよく示してる。
(庄内藩の強さが、義勇民兵多数を含む訓練士気やる気のヒューマン・ファクターにまず依存してるのには全く異議がないが、秋田藩の装備の劣弱さが輪を掛けてるのも事実だと思う)
薩英戦争は英軍ちょっと油断しすぎ
町を焼き払ったとはいえ当時の日本相手に海戦で指揮官戦死とか
会津は進入路が多くて兵力が分散したんだよな
会津若松の地形はよくわからないのだが、城下近くまで引きつけておいて
背後や側面から突くような戦術は取れなかったんだろうか
そりゃ城と城下町が戦うに適してたらの話じゃないか。
一旦、突破されると大きな地形障害の無い盆地で守りようが無いから
国境で防ぐ方針に合議したのだと思った。
>>757 ロケット弾が商家の硫黄倉庫に当たってそこから火災発生。
台風による強風で市街地の3割程度が延焼<焼き払った
多くの砲弾は市街地に達する前に斉彬公が作り上げた堤防に当たって余り市街地には落下していない。
因みに薩軍では
「異人は靴がないと歩けない(室内でもベット上以外では靴を脱がない)ので、
敵兵が上陸してきたら靴を脱がしてやれ」
とレースホースが座礁した祇園洲砲台(既に砲は破壊されていた)の守備兵は
砲台の陰に隠れて靴を脱がす準備をしていた…
余談その2
薩英戦争の行われた桜島-鹿児島市街の間の海は、
小学生が学校行事で泳いで渡っている…
まぁ、噴火とかナンやらで当時より距離は短くなっているが…
船が揺れて英軍の弾が当たりにくかったのも幸いした
下関じゃ酷い事になったからな
下関のときも、そんなに命中はしてないんじゃない?
至近弾でびびったり、弾切れになったりで守備隊が逃げ出して、
そのあと上陸部隊に破壊・鹵獲されたのがほとんどで。
内陸での陸戦まで入れても長州側の死傷者は50人以下。
前田砲台、殆ど無傷の写真が残ってるもんなぁ…
弾痕さえないのに逃げ出すのは…
市役所やら映画館が近い近所の公園に当時の砲台が残ってるな
やるぜやるぜ俺はやるぜって連中は、殆どが蛤御門に行ってる頃だしな。
まともに交戦したのは奇兵隊ぐらい?
>>755 大きな変化としては粒化による燃焼速度の均一化とか合った筈だが
詳しい事書いてある学術書は手元にない。
>小火器については1840年頃からの進化が急速すぎる
アメリカの西武開拓時代に拳銃などを通して少しずつ変化していったイメージがあった
少なくともリボルバーに関しては
1840年ごろから、それまでの銃尾機構、着火機構、連発機構、ライフリングなどが
一気に統合されて、20年後にはそれまでの銃の性能から射程×時間当たり発射数で
30倍以上の超兵器になってしまった、って感じか
ドライゼ銃もそのころだね。実はミニエー銃より早かったりする。
>>762 下関戦争も、欧州軍側の方が死傷者数が多いからな。
>>756 戦国時代そのままの装備しか持たない藩も少なからずいたの?
>>769 ネタだろ。
火縄銃はともかくとして、
甲冑武者姿は有り得ないだろう。
甲冑なんて用意できるカネなんて
当時の武士では一握り。
(第一不要だからね)
薩摩も斉彬公時代に洋式の軍備を導入していたが、
斉彬公亡き後の薩英戦争時は火縄銃主体の旧式に戻している。
流石に砲台や機雷はそのままだったが。
戊辰戦争時は…
まぁ、泥縄式に洋式に改めようとしても貿易港から遠い所(藩)は調達の資金やらも余計に掛かるから
火縄銃や刀槍主体の藩も残ってたし。
甲冑は無い事も無いんじゃないかな。
質屋から奪うように返してもらった話も確かあったはず。
竹胴で挑んだ話も残ってるしね。
そりゃフル装備の鎧は昔もごく一部だ
幕末じゃ先祖の鎧を使ってたんだろう
なんか撃たれると悲惨な事になるからって脱いでたみたいだけど
身分の高い武士の使う高級な具足は残っていても
足軽用の数を揃える具足、特に紙具足(これがまた結構使い勝手が良かったらしい)の
製造ノウハウは失われていた
>>771 鎖帷子程度なら、
火消し装束にもあるくらいだからあるだろうけど、
当世具足のようなものは流石に無いだろう。
江戸時代に発明された、携行に便利な畳具足は重宝したそうな。
役には立たなかったらしいけどw
>>771 会津藩家老の林権助は鎧具足で鳥羽伏見に出陣してるな。
竹・紙・畳具足か。
次は石具足か?
「第三次大戦の次の戦いは石器を用いるだろうと言われていたが、
あいつら第1次大戦の前なのにもう石器を使っていやがるぜ」
と未来の研究家に先進性を示しそうだなw
と冗談は置いておいて、
戊辰後を扱ったコミック「ガんズアンドブレイド」では
カニ目銃は畳を撃ち抜けず、旧式の雷管式で畳をぶち抜く話があったな。
「初期の薬莢式は構造の強度が低い為に火薬も少なく威力が低かった」と。
>>776 それは有り得ないな。
林権助は洋式砲術修得者だから
洋装は有り得ても鎧具足は有り得ない。
第二次長伐の頃は井伊とか鎧具足だな。
戊辰戦争んときも、新政府軍は「銃隊、砲兵隊以外は要らないからくんな!」って
布告出してたと思う。
>>778 事実は小説より奇なりとはよく言ったもので実際に林権助は鎧具足で指揮している。
ソースは『会津戊辰戦史』
>>779 第二次長伐時の井伊勢の遺棄兵器を
長州勢が押収した情報からでは、
火縄銃でさえ無く最低でもゲベール装備だったらしいので、
鎧具足はあり得ない。
>>780 そのソースはソースにならないと
前に指摘されてなかったか、池沼くんw
そういや日中戦争に鎧装束身に纏った兵隊いたよな。
日本軍側の話よ。
>>782 ええ?
何の反証史料も無しで言ってたあの話?
会津藩の戊辰戦争を論じるなら、これは基本文献でっせ。
>>783 亀の甲羅みたいなのを被った兵隊は居たね。
第二次上海事変のウースン上陸時だったか。
>>781 その鹵獲品の情報に、
>何ぶん甲・鎧夥しきこと数を知らず(中略)
>小銃は少なく、偶々これあるにもヤーゲル、または和筒十匁にカンを付け候様の物にて無用の品(後略)
ってあるやん。
河瀬安四郎の報告、防長回天史。
>>788 かなり誇張が挿入されているなw
ゲベール・ヤーゲルを持ち出されているのに、
「甲・鎧夥しきこと数を知らず」とは
もっと上手い誇張を考えられなかったのかw
極めて不自然すぎるぞw
>>787 んー会津藩、あるいは新政府や他藩部分でも戊辰戦争に絡んで書かれた本には
参考文献に挙げられてるけど。
双方の史料を使うのは普通でしょ。
>>789 お前の願望を満たすソースが見つかるといいな。頑張れ。
相変わらず頑張ってるなぁ。
ちと当時の銃について混乱してんで確認したいんだけど、
火縄銃=ライフリングなしの先込め式マッチロック
ゲーベル=ライフリングなしの先込め式フリントロック。オランダ製。
ヤーゲル=ライフリングありの先込め式フリントロック。ドイツ製。
ミニエー=ライフリングありのミニエー弾使用、先込め式のフリントロック。フランス製。
エンフィールド=基本事項はミニエーと同じだけど、イギリス製。
スナイドル=ライフリングありの後装式パーカッションロック。エンフィールド改造銃。
って理解でおk?
>>795 >ゲーベル=ライフリングなしの先込め式フリントロック。オランダ製。
火縄銃からの改造や国産ゲベールもあるから却下。また後には雷管式の管打ち(パーカッションロック)銃となっているからこれからも却下。
>ヤーゲル=ライフリングありの先込め式フリントロック。ドイツ製。
火縄銃からの改造や国産ヤーゲルもあるから却下。 また後には雷管式の管打ち(パーカッションロック)銃となっているからこれからも却下。
>ミニエー=ライフリングありのミニエー弾使用、先込め式のフリントロック。フランス製。
ミニエーは雷管式の先込め式管打ち(パーカッションロック)ライフル銃で銃そのものはヤーゲルと同じで単に使用弾丸が違うだけなので却下。
>>796 thxthx
つまりスナイドルとの違いは後装式かどうかだけってことね
>>797 なる。つまり、
ゲーベル=先込め式ライフリングなしの総称
ヤーゲル=先込め式ライフリングありの総称
ミニエー=ミニエー弾使用銃
って事?
>>794 ホントにねぇ。
何らかの形で報われるといいね……社会に迷惑を掛けない範囲でw
>>800 なんか可哀想なんで一応指摘しとくけど、>790=>788だぞ。
福島県民の誇りを高めるために調べる!(キリッ
803 :
801:2010/10/26(火) 21:45:13 ID:???
ごめんアンカー間違えた。
>790=>788ではなく>792=>788です。お恥ずかしい。
>>798 エンフィールドもスプリングフィールドも纏めてミニエーと呼ばれてたって話は
どっかで読んだ。
804 :
790:2010/10/26(火) 21:49:54 ID:???
>>793 俺は
>>792じゃないんだけどな。
まぁ言っても聞きやしないだろうしこれ以上はいいや。
本題についてだけど、鳥羽伏見戦において林権助や会津藩兵が洋式装備をしていたと
このスレで何度か主張してて今回もそう言ってるんだよね?
そこまで言い切るからには何か根拠が有るんだろうから史料名を教えてくれないか。
仮にそれが事実と仮定すると、会津藩側が京に出征した人間の軍装や武装について
自分達の記録である会津戊辰戦史に虚偽を記載したことになるので。
それが本当ならそんなことをした理由も知りたいしね。
レッテル貼りしかできないか。
史料云々以前に林権助の西洋砲術は常識レベルの知識だろ。
いや、それと本人の装備、藩兵全体の装備戦術はイコールじゃないから。
鳥羽伏見時の会津軍がどうだったか?という史料が欲しいのよね。
西洋砲術はそうだろうが、伏見ではなんか積極的に槍入れしてその最中に被弾してたぞ。
本人の装備=藩兵全体の装備戦術なんだから、
鳥羽伏見時の会津軍がどうだったか?という史料はこれ以上不要だろ。
>>812 いや、本人が鳥羽伏見戦時に洋式装備してたという史料は出てないぞ。
逆なら有るけど。
殿様ガードの白虎隊士でギリギリ、ヤーゲルだろ?
弾丸だって殆ど無いだろうけど。
額兵隊は赤黒リバーシブルのラシャ製軍服だったらしいけど、
鳥羽伏見の会津軍の統一された軍服とやらはどんなんだったの?
>>805 Wikiではミニエー銃はゲベールにライフリングつけたものってあるけどこれはヤーゲルと基本同じって理解でいいのかな?
>>813 だからその史料は不自然だって、
皆から否定されているだろ。
史料にならないよ、それ。
>>817 皆って誰?
否定してる研究者と本を挙げてくれないか?
>>812 >史料はこれ以上不要だろ
そんな思い込みはどうでもいいから、
本人の装備を裏付ける資料が欲しいんだけど。
結局、洋装してたの?
それを証明できるの?
>>820 鳥羽伏見戦時の会津軍が洋式装備・戦術だったと主張してる研究者と本の名前は
このスレには見当たらないねぇ。
皆ってこのスレのレス限定の話?
>>816 ミニエー銃が登場するまで、ヤーゲル銃のような前装ライフル銃は装填が面倒だった。
丸弾丸にパッチという布をあててぎゅうぎゅう押し込んでいた。(ライフリングにくいこませるため)
よってヤーゲル銃は特殊兵科でしか使用していなかった。
ミニエー銃登場によって、ゲベール銃もヤーゲル銃も旧式化したが、ゲベール銃を改修してミニエー銃にすることも
可能だった。
>>823 そういうのはもう良いからズバリ名前を挙げてよ。
>>825 要は君は日本語読解能力が皆無というわけですね。
>>826 今頃分かったのかよw
日本語不自由な粘着馬鹿はこのスレで有名w
>>826 このスレに貴方の主張を裏付ける文献なり、研究者の著作なりは出ていないと言ってるだけ。
あれだけ言うからには何か有るんでしょ?
また何時ものパターンな。
>>744 仙台はスナイドル銃を装備した額兵隊の投入を渋った時点で勝ち目は無かった
額兵隊のうちアームストロング砲は旗巻峠の戦いで一部投入されてる
制服だけは幕末で一番かっこいいと思うw
>>242からおかしくなったなぁ。
元のスレでやってたら良かったのに。
>>832 ホント、例の人は元スレ帰って欲しいよw
ソースなしで妄想を撒き散らし、無限に>>を繰り返すなんて荒らし以下だorz
知らない解らないけど「僕のアイデアは凄い」はずだよね?
の繰り返し
幕末期に新造された甲冑も結構あるぞ。俗に幕末甲冑。
このタイプの馬鹿はスレが廃れるまでここに居続けるよ多分
838 :
だつうさん(dion軍):2010/10/27(水) 09:27:30 ID:s4bkdx8i
真帆はいつになったら軍版から出て行くの?
>>797 ゲーベルとゲベールとどっちなんだ?
ヤーゲルって猟銃のこと?
下関戦争時、長州藩の大砲の弾丸は、炸裂弾?それとも熱球弾?
即認定で自己解決されてらw駄目だなこの厨
コルト・ゲーベルメント
>>839 もとは猟銃かもしれんな。
いわゆるヤーゲルは、猟兵が確立して以後なんで、
もはや専用の猟兵銃ないし狙撃銃になってるだろうが。
異様の伸びてると思ったら。
自演の指摘に必死になる前に、自分が書き込んだ全てを見直せよな〜
>>843 ヤーゲル=イェーガー=猟兵だったな。
イェーガーと聞くと装甲戦闘猟兵の哀歌を思い出す。
銃のライフリングのお陰で超音速の弾丸でもブレないようになった
ヤーゲル=イェーガーという名前は偶然ではあるまい
イェーガーさん、祖先が単なる猟師じゃないか。
外人の苗字なんてそんなものw
鈴木さんってクリスマスツリー作ってたんですか?
ID導入ってどうなったの?
導入なんて絶対にされない。
この板からID強制の板にスレが移るしかない。
一頃、されたけどな。
なんかここ数年の軍板はネトウヨ君とかの愚痴吐き場になってるスレも多いし、IDとか入れるのもありっちゃありかな。
今ではIDも効力が無いけどね。
ニュース系の板を見ても、
複数回線を使用しての自演とかよく見かけるし。
結果的には何の意味も無くなっている。
むしろID粘着が出たりして、
弊害が多いよ。
>>846 えーっと「鋼鉄の虹」だっけ?ジオブリの人がバイトでイラスト描いてたっけな。
遊演体があぼーんしてから著作権とか何処へいったのかと。
53 :名無し三等兵:2010/10/28(木) 21:34:04 ID:???
自分で出したサイトに自説の根拠になるソースが無いのは吹いた。
↑キチガイ登場w
やっぱIDあった方が良いな。
>>856 ありゃりゃ、他所様のスレッドにこちらの基地外池沼が、
ご迷惑をおかけしているみたいだな。
ここまで白々しいと逆に清々しく思えてくる。
一人で蒸し返して必死すぎ。
/| | ̄ ̄ ̄ ̄| |\
/ | | // | |//\
∧_||// | | ∧_∧.| | //||_∧
(´-ω||// | | <#`Д´ | | ||ω-`)
( .⊃ ||/ / |__∧_∧_| .\ ||⊂ )
⊂_)|/ < > \|(_⊃
|\
>>862( O ) /|
| \ u―u' ./ |
∧_∧| | ̄ ̄ ̄ ̄| | ∧_∧
( -ω.| | ∧_∧.| | (ω-` )
( . ⊃.|∩(;; ;; )∩| ⊂ )
(_) __) |_( )| |/( __(_)
( __人_)
そういえば、秋田戦線では優良装備って売り込みの肥前兵が
庄内藩兵に押し捲られてあわや秋田陥落ってとこまで行ったと聞いてるんだが、
この辺詳しい人いません?
東北人はその時に敵対していた地域どうし、
未だに強いしこりが残っているって以前聞かされた。
特に幕府を裏切らなかった藩が寝返った藩に対して。
>>865 まあ、幕軍側の士族はその後過酷な仕打ちされたからな
「ある明治人の記録」なんか読むと唖然とする。
そりゃ恨みは募るよ。
旧庄内藩士による南洲翁遺訓みたいなのはやはり特別だな
そりゃ散々暴れまわった後で
降伏になって報復におびえてるところに
寛大にされりゃなぁ
逆に裏切りものに辛辣になるのは当然かと
>>864 数が足りん数が。
肥前兵は1個大隊だぞ。友軍がまとめて壊走する中、終始崩れず後退戦闘を続けただけでも並みじゃない。当てになる代わりはいないんだからな。
>>865 奥羽越列藩同盟のほとんどの藩が上から下までアホだったこと、特に会津に
見られるようにめちゃくちゃ歪んだナショナリズムをいまだに持っている
ことなどで、歴史改竄してオナニーしている朝鮮人と同じようなもんと
印象持っちゃう罠。
>>865 幕府を裏切らなかったというが、幕府ってもう無かったんじゃ……
徳川家も降伏してるし。
仙台藩なんかは白河から関東に進出して伊達幕府だ!みたいな計画があったと聞くが
そこんとこはどうなん?
嫌がってる容保さんに汚れ仕事を押し付けた春嶽さんがいつのまにかあっちででかい顔してるのは不条理だよね
>>871 会津救済のためという初期の目標から、輪王寺宮公現法親王を盟主に据えた
奥羽越雄藩による政権へとあっという間に変質したのは確か。この時点で
幕府云々なんてまるで関係なくなって、単に自分が政権をとりたかっただけ。
事実、仙台藩の但木土佐は「日本の南北戦争」発言をしたと言われているし。
正直、朝敵扱いされ攻め滅ぼされても、なんの文句も言えない。
>>872 新政府による会津追討という話から、奥羽越の雄藩が親王を立てて分裂政権を樹立し、
内乱にまで発展させたほうがよほど不条理だろ。
結局、容保親子は会津の領民から、あんなことをしでかしておきながら腹も切らないと
石もて追われるようにして会津を去ったわけで。
おれ春嶽さんの立ち居地の胡散臭さが好きじゃないんだよ
>輪王寺宮公現法親王を盟主に据えた
>奥羽越雄藩による政権へとあっという間に変質したのは
変質させたれ、せざるを得なかったんだな。
恭順が許されないということは新政権に対抗するしかなくなる。
庄内藩による天領接収、世良修蔵の暗殺なんて事をやらかしておきながら、
赦免の要求だもの。会津藩も新政府からの通達に対して、罪を認めず謝罪拒否
する回答書を出すようじゃ、恭順を許してもらおうとしたのではなく、
無理を押し通そうとして、それが通らなかったから内乱という形やん。
奥羽越列藩同盟結成で日本の約半分は支配地域やん、ヲレ強えーーーって
感じで、特に仙台藩の面々のテンションが上って状況が全く見えなくなって
いたとしか思えない。
仙台人ってこええなw
>>877 まぁそういうストーリーを作ろうとすれば作れるけどな。
>>878 いや、むしろ大したことないw
中途半端な都会で勘違いした痛い田舎者。それが仙台人。
近いところで名古屋人か?w
どちらもブスの名産地という共通点があるな
テンション上がってたんだろうな。
当時は彰義隊や幕府歩兵隊や房総半島とかの残党も活発で関東も治まってなかったし。
新政府軍が要衝白河を奪還した時に割けた兵力も僅か700だしな。
そこで再奪還出来ずに日光口から転進した板垣が来ただけで積極的な反攻食らって、物凄い勢いで瓦解してるのはアレだが。
>>875 小御所会議とか、御破算になるまで徳川家の為に粘って粘って勝利の寸前まで迫ってるではないか。
まぁ、会桑や江戸の首脳部的には勝利ではなかったのかもしれないが。
>>882 テンション関係ないから。仙台藩内部ももめていたから。
>>880 そのとうり田舎者であった。
でその田舎者をうまく手なずけることを新政府はすべきであったのだ。
内部で揉めるのとテンションの高低は関係ないだろう。
南北戦争の下りや、作戦計画の排撃後南下し江戸城を押さえるなんて辺りはかなりテンション高そうだと思うがなw
オプションとしては、新政府軍を奥羽越から排撃後、優位を保持しつつ講和なんてのもあってもいい訳で。
もちろん、テンションの低い恭順派が居たことまでは否定しないが。
どこもそうだが主戦派は大概テンション高いし、それ自体は一概に悪いとは言えない。
しかし南北戦争になぞらえるとかセンスがひどすぎる…
戦争は終結してるし南軍ボロ負けで南部焦土って結末知ってるんだよね…?
国家意識が成立してないし、戦国の群雄割拠に戻るだけって気分は理解できるんだがなあ
数年前の流行りなんだからしかたあるまい
それに、彼らは北軍だw
>>886 官軍に「海への進軍」やられる覚悟があったわけだな。いや逆に「海への進軍」を
やる覚悟か。北軍だしw
ただ単に北と南別れたから南北戦争って言ってみただけだろjk
わざわざ南北戦争を牽くんだから、結果ぐらいは知ってるだろうjk
まぁ演説なんだから景気のいいことブチ上げるのは悪くないよ。
感覚だけで物を言うのはやめとくれって話だよな〜
そりゃその時の聴衆の感覚に訴える為の演説なんだから
後世の人からしたらまぁ・・・
しかし、一人いないだけでw伸びないのが普通なスレなんだけどねw
一週間で100レス以上ってのにはびっくりしたし
「ぼくのかんがえたらいふるりんぐ」て煽ったらまた出てきそうだなw
解りやすすぎるし
ニヤニヤ
まぁ平和になっても話題がなきゃ仕方ない罠。
上の方で散々な評価をされてるドンゴ……仙台藩やその他だが、
西方雄藩となんでこんなに差が付いたのだろうか。
戦争やるつもりで組織組み上げていた薩長と、直前まで具体的な軍事計画を持たなかった連中で差が開くのはまあ当然だろう
何をやるにも兵力が少なすぎ
当時の武士って、戦力を担える世代人口は驚くほど少ないんだよね
戦国時代はあぶれ者や農民足軽として組み込んだし、幕末でも長州は騎兵隊で似たようなことやってるけど
幕府も、洋式隊は旗本あてにせず町人を傭兵化してるしなあ
既得権や身分意識でそれができないと…
あと、政治的には、参勤交代が廃止されて、軍事費はできたけれど、中央の情勢へのパイプが細り、悪い意味で割拠傾向を促進されたのが大きいんじゃないかと思う
>>900 実戦経験の差だよ。駒ヶ嶺あたりの戦闘ではやっと官軍を押さえ込んでいたが、
時すでに遅し。
>>902 仙台藩に関してはそれは言えるけど、庄内藩のように実戦経験がなかったのに
きちんと戦えている藩もあったわけで。
あと、禁門の変あたりで会津藩士も実戦経験積んではいるはずなのに、
それがまるでフィードバックされていないからなぁ。
>>901のいうように、
仙台藩も会津藩もどうにもならないほど硬直していたという面が大きそう。
>>904 会津については、京都では新選組その他を傭兵というか外部組織として使っちゃったことが運の尽き、かもしれんね
汚れ仕事を自前でやって組織を成長させる芽を摘んじゃった…
そのくせ近代化の予算は食いつぶされていくし…
あと戊辰戦争序盤の戦訓は、戦闘では必ずしも負けてないのに大将が逃げちゃって…だから変な自信はついてもまともに検討できなかったかもしれない
禁門の変だと、騒擾レベルだからなおさら戦訓にはなりにくそうな
会津も仙台も軍の近代化に着手するのが遅すぎ
一部の精鋭だけ訓練しても焼け石に水
しがらみについては、西の雄藩にも無かった訳ではないみたいだがな。
たとえば長州だが、大村益次郎が武士層に気を使って中隊基幹の編成にしようとしたが
井上馨がそれじゃ役に立たん大隊基幹にすべきと主張しまくって、結局大隊基幹になったそうな。
とはいえ、文春新書の『白虎隊』にあるように、匍匐の訓練させようとしたら
「武士に対して地べたに這い蹲れとは何事か!」と教官に歯向かったという
とんでもなくアレな会津藩士に比べれば、そんなのはとてもしがらみとは
いえないようなレベルの話なわけで。
>>908 明らかに後世の創作による捏造話ですなw
不自然極まりないw
会津というと松平健のあの映画を思い出す。
阿部寛が帝国陸軍少尉の役で出てたんだが、そのうち女学生の衣装を着た
南野陽子が手を振りながら出てくるんじゃないかとハラハラしたさw
>>908 たしか司馬遼太郎の彰義隊関係の小説にも似た話があったな。
幕府の撒兵隊の士官をしていた旗本が、教練で部下の兵隊(武士)を指導する際、
足蹴にして無理やり匍匐姿勢を取らせたもんだから、
大政奉還後に、元部下で彰義隊の連中に襲撃されて殺されちゃったと。
ソースが小説w
914 :
911:2010/11/09(火) 22:14:56 ID:???
>>912 いや、ソースのつもりじゃなかったんだがw
だからわざわざ小説と明記してるわけで。
ただ、元になった史実があるのかは興味がある。
彰義隊に切られちゃった撒兵の旗本っていうと、もし実在すれば裏が取れるんじゃないかと思って、
とりあえず書きこんでみたのだ。
>>909 いや誰だって泥の中を這いずり回るなんて嫌だろうw
しかし当時の軍隊教練で匍匐(前進?)とか教えたのか?
分隊行進と集団射撃が中心と思うんだが
まあ全く教えないってこともなかろうが
>>916 恐らく地べた云々はスカーミッシュ隊形だろう。
寝打ちって言葉はあるな。
919 :
911:2010/11/09(火) 22:48:54 ID:???
匍匐じゃなくて、たんに伏射だった気もする
あおむけにねっ転がって前装銃の装填動作する方法ってなかった?
909=912=913=はたぶん捏造大好き、日本のチョンといわれる会津人
>>919 匍匐前進じゃなくて伏射でも多少のポジションの移動はあるだろうし。
>>908 幕府の旗本の洋式調練で、同じ話を聞いたことがある
908=911=914=915=919=920=923=はたぶん捏造大好き、日本のチョンといわれるキチガイw
悪いがどっちも日本史板に帰ってくれ
>同じ話を聞いたことがある
つまり出所が怪しいソースってことだなw
ステレオタイプな像を創作した内容であることがバレバレw
コルトやレミントンの雷管式リボルバーについて教えて頂けないでしょうか。
発射した時に、他の薬室に火が回る(チェーンファイアリングというらしいです)のを
防ぐために薬室内にグリースを塗るというのをwikiで読んだのですが
「それじゃグリースも携帯してたの?戦場で再装填できるの?」
疑問はつきません、どなたか詳しい方いらっしゃいましたらご教示下さい。
>「それじゃグリースも携帯してたの?戦場で再装填できるの?」
できないよ。
>>929 ありがとうございます、早速見てみます。
昔のGun誌を引っ張りだして調べてみた。
グリスは銃身内に溶けた鉛が付着するのを防止する意味合いもあるらしい。やらないよりやった方がいいみたい。
ミニエー銃でも、弾丸にグリスだか獣脂が塗ってあるとかいうけど同じ理由かな。当時は柔らかい鉛を使ってたし
火薬の装填には、それ用のフラスクというものを使うと必要量だけ出せるので便利。
それでも全弾装弾するのに5-6分かかるとの事。
あと黒色火薬使うので撃ち終わったらその日のうちのクリーニングは必須。洗剤をいれた水で丸洗い。
まあ昔のモデルガンを扱う以上の手間が必要という事でw
まあパーカッション時代のリボルバーで無双したかったら予備シリンダー必須だろw
煮詰まってるね。
シリンダー着脱可能にしてオートマ銃の弾倉みたいに着脱
スタールリボルバーなんかはシリンダーごと交換を考えて設計してるね。
レミントンも交換しやすい。
コルトは一旦銃身を外さないといけないのでその点不利だ。
>>935 俺も。グリップで落として交換してたな。
コミック版ザブングルの資料を流用して描いたらしいぞ。
ベル・スタア強盗団。
マイラ・ベル「そのスカート、私が貸したのに似てるわ。」
941 :
名無し三等兵:2010/11/15(月) 17:43:55 ID:+DHsIumu
長州と薩摩はやり方が汚いテロリスト集団
テロリストだという事は否定できないな。
>>939 あの単行本になった奴か?
その資料ザブングル名義でもあんま関係なくないかw
マイルズと銀行屋好きだた。
>>940 おー、実際こうやるんだ。Thx
>>940 レミントンのこれ見たかったんですよ
ありがとうございます^^
945 :
名無し三等兵:2010/11/16(火) 03:56:35 ID:bmpYP+lT
シリンダー交換凄く良さげなんですが、何か欠点でもあるんだろうか?やっぱり動作不良とか起きやすいとか。
最近のリボルバーはあんまりやらないよね。(私が知らないだけかな?)
カートリッジ式でシリンダー交換とか意味ないだろw
重い予備シリンダー持ち運ぶならスピードローダー使えうわなw
>>935 馬鹿もん、予備シリンダー交換といえばイーストウッドですよ!
>>948 あり。
こうやって持って歩いてたのか。まさしく弾倉だな。
これ経験してたら一発づつ弾入れるの面倒に感じなかったんだろうか。
950get
アーキテクチャについてレスを
日本は世界で8番目くらいに造船はじめたんで、それほど、遅れていなかった。
当事戦闘艦作れんのって、10個もなかったろ。
>>949 弾を込めるのがものすごく大変
梃子になってるローディングレバーでおもいっきり押し込まなきゃならないし
シリンダーは重いし、プライマーは剥き出しで危なっかしいし脱落の心配があるし
グリスを塗りこんでも防湿性は期待できない
長期のタマ込めっぱなしの携帯は不発の不安とランデブー
当時の工業製品だから、互換性や耐久性の問題もあった
映画だからかっこよくやれるが、実際には問題だらけでそれでもファイヤーパワーがほしいから無理してやってた
メタルカートリッジってやっぱ大発明よ
>>949 確かにリロードの速度はたとえばSAAなんかよりは早いと思うね。
(SAAの場合一発ずつ排莢してそれから一発ずつ装弾だから)
ただ
>>952も言ってるがシリンダに装弾するのに手間と技術が必要なんよね。
どんな製品でもそうだけどやっぱり使い勝手の良さというのは大きな特徴であると思う。
1つ1つ弾込めるのは面倒
シリンダーごと換えるのは力要るし大変
>>954 シリンダ交換に力は入らないよ。
>>952が言ってるのはシリンダに弾を込める操作のこと。
>>952 敵さんはもうメタル・カートリッジの時代じゃなかったかな、ペイルライダーは。
SAAが面倒な装弾方法になったのがいけない。
スリムでコンパクトに収めたかったからソリッドフレームにしたんだろ
当時はまだスイングアウトの発想がなかったし、あっても工作精度や強度的にきつそう
スコーフィールドやウェブリーのごつさときたら…
>>957 いけなくはないだろ。
そもそも6発以上使用するような撃ち合いがそこかしこで行われてた訳じゃないし。
基本、当時のは日用品の類と言われてたぐらいだしねw
保守
7連発もあるのは知っているが
リボルバーの最大連発数は何発なのか
22LRなら10連発とかあるんじゃね
リボルバーと言うにはちょっとあれだが、ストリートスイーパーとかだと12Ga12連発か
リボルバーカノンならw
リボルバーにフルオート機能付けてる例もあるのか
機関銃のように瞬時に6発が消えていたw
昔、3点バーストってどうやってるんだろうと思っていたが
90度ずつ回る歯車を1つ噛ませて、1つの歯車の時だけ連発機構が作動しないようにする、
という基礎概念でOKか
ところで幕末は兵站どうしてたんだろう
戦国時代は陣を構えたりするから解るんだけど
>>967 そりゃまあそれなりにこなしてたとしか言いようがなさそうな
函館除けば人口希薄な場所で戦ってないし、十分に近隣から徴発できただろうしな
軍の規模が極端に小さいから、軍事行動の地域経済へのインパクトも限定的だったろうし
武器弾薬は、港抑えたほうが有利とかあったし負担ではあったろうが、一回の会戦で消費するのが歩兵なら小銃弾数十発だし、携帯分+行李で短期的には逼迫することも稀だったんじゃね
969 :
名無し三等兵:2010/12/10(金) 18:02:53 ID:2ZqHcfej
>>967 糧食は現地調達。
弾薬は命令伝達と同ルート(かなり細い)だろ。
化石燃料の移動がないだけ、かなりアバウト。
>>968 難しいんだよね
運搬係がいるはずなんだよ
弾薬庫などを簡易に作ってるとは思うんだけど
幕府側は城があるのでそこで貯蔵して玉がきれたらその都度城に戻ったりしたのかねぇw
糧食が現地調達っていったって
軍隊っていうのはそこに存在するだけで物資を莫大に消費するから
現地調達にも限界があると思うんだけどね
小部隊っていっても合計となれば数千単位になるし
>>967 あの時代に糧食まで完全に補給できる国はないだろう。でも小荷駄とか輜重は居た様だ。
長州藩の軍制改革のとき、大村益次郎が保守派に配慮して中隊基幹にしようとしたのを、
井上馨が「ぜひとも一大隊にして輜重、会計付属せずんば実地に益無し。かつ大隊司令、
教頭、助教までつねに揃えおくべし」と意見して採用されてる。
兵站は戦国時代とかの中世レベルに少々毛が生えた程度では?
近世になってからの街道整備なんかで多少交通事情がよくなってる分と
中世より弾薬等の補給線が必要になってる分でちょうど相殺なんじゃないかなぁ?
軍の規模や食いもん自体は戦国末期からさしてかわっとらんだろうし
そうだな・・そういわれると
幕末の幹部・兵それぞれのレーションが知りたくなるな
>>970 そりゃ担送する人間がいないわけ無いだろw
でも国内戦なら、業者使っても現地人徴用してもやれるわけで
それに城が戦時にはデポになるのは当たり前だろ
切れたらもどる、じゃなくて切らさないように送るのが兵站だろうがw
なんのために交通利便な要地に築いてあると思ってるんだよw
オレにしてみりゃ、何が難しいのかがわからんよw
つい10年後の西南戦争で問題になったことが戊辰戦争では問題にならなかった
そのこと考えればわかるだろw
兵力が少ない、短期線で戦闘が終わっている、戦線が流動的で長期滞陣が少なかった、弾薬消費量がたいしたことがなかった、国内に都市と市場経済が成立していて食料流通と蓄積が存在した、etc
それが、動員兵力が大きくなり、戦線が膠着し、銃が後装になって弾薬消費が飛躍的に増えた、西南戦争では兵站が大問題になっている
>>軍隊っていうのはそこに存在するだけで物資を莫大に消費する
とかなんか概念的にぼんやり考えててもしょうがないよ
まぁなんだかんだで幕軍ン万も1年ぐらい大阪で飯食ってたんだしな。
長州戦争が始まってから関門海峡経由の貿易が途絶し、物価騰貴に騰貴が重なって打ち壊し祭りが開催されるけど。
>>軍隊っていうのはそこに存在するだけで物資を莫大に消費する
この言葉自体は間違ってないが
近世までの軍隊と近代以降の軍隊では必要な補給の絶対量が全く違い
日本ではそれが戊辰戦争と西南戦争という非常に短い期間で顕著に違いが現れた
でいいのか?
と言っても日本じゃ莫大な補給リソースを消費し現地調達が困難な大砲の弾丸ってものの需要が低かったからねぇ
そこまで前近代軍と差はないんじゃないかな?
>>976 いやむしろ、動員の規模の絶対的な違いだろ
軍隊が無駄飯食いってったって、人数分以上には消費すること不可能だしな
新政府に献上された薩長土肥の兵員全部合わせても2万いないのに、それがあちこちに分散派遣
恭順した諸藩の勢力が追加されるが数にしたらたいしたことないしな
本州の戦いで官軍兵力5000を越える戦いなんてないだろ
それが西南戦争では、熊本鎮台+初期の派遣兵力で万超えだもん
それが長期間、膠着した戦線で消耗戦
末期の掃討戦ではその数倍
1000人やそこいらが当時の地方都市にいきなり現れてもそれは十分に吸収できたし、それによって生じた不足は他所から流入するなりして補填できたが、
万の単位を超えてしかも居座られたら相応の対策が必要だったってこと
まあこれは食い物の話で、武器弾薬は小銃の後装化で一人当たりの必要量が単純にケタ違い&兵数増でとんでもないことになるわけだがw
>軍隊が無駄飯食いってったって、人数分以上には消費すること不可能だしな
ダウト
盗品やまたは廃棄やもしくは腐敗などのなんらかのアクシデントの要素で
100必要なら100送ればOKとはならない
100必要なら200と必要になってくる
これが船を使っての輸送必須になれば1000送る必要がある
だから兵站って厄介なんだよね
>>979 どんな腐敗軍隊だよw
そんな無茶苦茶が通ったら軍事計画全く立てられないだろ
大昔の米軍が減耗見込んで書類上の2割増の需品送ったなんて話はあるが
それに、輸送する量のこと言ってるんじゃなくて必要カロリーのこと言ってるんだが
>>980 日本陸軍の某師団だと輜重に任せると2〜3割消えるそうな。
船だと1割から2割ほど「付け届け」が必要だったりするとも。
色々と員数外が必要なのは日本の組織では普通のことよw
輸送中の船が沈められたり、輸送中の部隊が攻撃されたり。
大人の事情で食料や武器弾薬が違う舞台に廻されたり。
色々理由があるだろ。
そら大量に沈められてたWWIIの南方とかではな。
戊辰戦争、西南戦争の話をしてるんだろう。
むしろ
>>979の量の部分に最も当てはまるのは中国の軍閥の私兵と支那事変、日中戦争時の国民党軍。
請求する方は大幅に水増し、与える方はそれを見抜いてて要求より少ない分しか支給しないので
水増ししないで真面目に申告した部隊は貧乏くじを引いた。
それにしたって2倍はない。
そこまで言い切るんだ
では物資の当初の目算要求数と最終の消費数の数字を出せるんだろう?
それやるのは
>>979が先じゃないの?
時代と地域を特定してさ。
ベトナム戦争時のアメリカが2割増しだったような・・・
つーかここは幕末スレだ。
幕末魔法士の話していい?
そろそろ1000だが続けるの?
>>990 だから戊辰、西南においてどうだったってことだろう。
立ち上がる高杉
熱血伊藤
ちょっと冷たい山県
なんだかんだで桂
右往左往する桂
ちょっと落ち着いてほしい松陰先生
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。