322 :
名無し三等兵:
現実が、センセの拡張した妄想を上回ってるんだよ。
センセが近付けもしなかった、高坂ゼミの前原が外相だぜ。
彼の事は、ジャーナルにいた頃に、同年代として噂は耳にしていたはずだし、センセのデビューの方が早いんだよ。
かって、朝日がインテリジェンスオフィサーを養成していた事も知ってるし、記事にならないレポートが官庁に上がる事も、初期作品ではリアルに描写している。
旧電電とか、郵政、新聞社で記事を書かない記者やカメラマンとか、実にリアルだったよ。あの描写は、濃密だったね。今は、関係が切れてるのかな。
いま「原子力空母を阻止せよ」を読みかえしているのだが
最近の作品と同じ作者が書いたとは思えんな
時間がたつにつれてレベルが下がっているってどうよ
「原子力空母を阻止せよ」も80年代バブルの匂いがプンプンする作品だったけどなぁ。
海自の潜水艦が1000mまで潜って、40ノットで突っ走る話だっけ?
あの時期なら「核物質護衛艦隊出撃せよ」(だっけ? プルトニウム輸送の話)が好きだった。
>>323 あの時代はまだ軍事情報がそう簡単に取得できなかったというのも大きかったし
ついでにいえば、あの頃は真摯に取材はしておった。
結局、その頃の遺産と、現代戦と言うジャンルに後発がまるで育たなかったという
事態が、いつしか「別にきちんと取材しなくても売れるからしなくていーや」という
思考にたどり着いて、作品の内容が劣化していっているんだろ。
今回の半島有事も無理な部分が多いしなぁ。
まあ半島関係について言えば、森詠氏が既に手がけているから、大変だとは思うがねぇ。
パソ通時代、信者が寵愛を競うかのごとく情報やアイデアを
流してくれたってのも大きいね。
座ってても情報は入って来るし、パソ通や日記で疑問点をつぶやけば、
たちどころに解説メールが来る。そんな時代もありました。
今でも妙に検索するのを嫌がるのは、その頃が忘れられないんでしょうね。
327 :
名無し三等兵:2010/09/26(日) 19:16:23 ID:St6Epg2t
たぶん、糖尿で勃たなくなったのが大きい。それと、川崎に越してから都内にでるのが億劫になったんだろね。
収入の殆どを、取材と機材、資料の購入に使ってるって事で有名だったよ。桁は違うけど、荒俣さんと似ていたね。専門分野に集中してたら、研究者になれてたかも知れない。
実際、僅かなツテを頼りに若手官僚や研究者にまで取材してた。航空ショーの資料とか専門誌の記事のまとめなんかは、楽しみにしていた方も多かったんだ。
ただ、些細な事で激高したりして、相手がたじろぐって事も珍しくなかったんだけどね。
>>328 なぜか、煙草と酒に異常な位反発するようになったんだ。
どうも、作家同士の集まりや、出版社の会合での出来事が発端らしい。
新潮社と角川書店は、一時期出入り出来なくなった。
朝日ジャーナルじゃ、ライター連中は灰皿横に置いて仕事してたりしてたのにね。ハイライトやセブンスターを、普通に二箱くらい空けるのが珍しくなかった。取材で勧めるため、本人は吸わないのに、煙草を持ってたんだよ。
>>新潮社と角川書店は、一時期出入り出来なくなった。
それで「アキレス浮上せず」の文庫本が出なくなったんだよな。
書店に貼り出される文庫新刊案内にも載ったのに。
ガンダム関係の本が角川から出たけど、とりあえず出入り禁止は解除されたわけか。
>>329 初期のHPだとビール片手に笑顔の写真がトップにあって、ご丁寧にも
「顔が赤いのは日焼けのせいでビールのせいではありません」と
酒に弱くはないことをアピールしてたんだけど。
ある時急に酒嫌いな設定になったんだよね。
先生って普通にお酒飲むよ。
沢山飲むって訳ではないけど、少なくとも下戸ではない。
看護婦とベビースターラーメンは、まだ嫌いなのかな?
>>324 沈黙の艦隊のアドバイザー云々があったが
通信ケーブルをスクリューに絡ませるとか潜水艦を垂直に立たすとか
まんま沈黙の艦隊の元ネタになったような作品だったような気がする
あの通信ケーブルって材質何でできてるんだろ?
>>333 恐らく、痛風と糖尿に悩まされてから、酒を控えるようになったんだね。
元々は陽気な酒だったらしいし、作家仲間と射撃ツアーにいって羽目もはずしていた。
病気は、食生活の無頓着から発症したと言われている。朝日ジャーナルの先輩方も、生活はめちゃくちゃだったからね。
確か、捻挫かなんかで病院に行って検査したら、痛風と糖尿、高血圧その他が見つかったらしい。
以前から、健康診断を受けるよう編集者に言われてたから、連載物は警戒されるんだよ。
でなきゃ、週刊プレイボーイでコラムを貰ってたはずだし、有料メルマガなんてする必要もなかったね。
>>337 リンク先って12年前だよ。その頃から痛風と糖尿だったの?
糖尿病宣告は2006年5月だね。
保守
最近は、神保町界隈っていかないのかな。
以前は、月に数度、専門書店と登山用品店をまわって、資料を購入したり店員さんと情報交換してたんだ。店の常連さんと遅めの昼食を兼ねてだべってたりしてたよ。
夜には、猿楽町の週刊プレイボーイの編集部に寄って、飯よばれて帰るってのが一つのコースでした。
北欧孤島戦線だっけ…あの頃の作品に、反映されてます。
『特報200X』って情報番組に作品ネタを頼るようになってから、足で稼がなくなったようです。
兵藤二十八さんも、平素の活動自体は同じような事をされてたんだけど、あちらは付き合う出版社も、師事する先生方も余裕がなくて、たかるどころじゃなかったんです。図書館の談話室で、ペットボトル片手に打ち合わせとかね。
生活保護を受けるより、酷い状態が続いてたみたいです。取材で足がでると、公共料金が払えないってレベルですよ。