南雲忠一中将を再評価するスレ(利)

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610440・アク禁代理
>>606 松田千秋さんが標的艦「摂津」艦長時に、航空攻撃に対する操艦マニュアルを作成したのだから、
昭和16年)9月1日から1942年(昭和17年)2月10日の間の出来事。
各艦長に海軍省教育局長からコピーが配布されているから、ミッドウェーの時期に1AFが全く知らない事象ではない。
更に言えば、日本海軍大劣勢のレイテ沖でも、、北号作戦でも通用した、優れた着想である。
更に戦後、いろんな資料が出回っているなか、松田少将はその考えを改めていない。
松田レポートを有効活用しなかった件、1AFもGFも軍令部も、誰もセンスが無かったな、と主張したい。
南雲艦隊は、松田レポートの視点で計画立案することは出来た立場にある。

>>607 として、空襲前日に敵機に触敵された(可能性がある)ミッドウェーと、
それがない真珠湾・セイロン沖を同じ土壌に挙げて議論するのは、おかしいと思うけどねぇ…

>>608 自分の本来の主張は、6/5に関し、敵艦隊が索敵線の中にいないと確認できるまで、
例え輸送船団が攻撃されるリスクがあっても、山本長官の訓令を守るために、ミ島攻撃隊は出撃させるべきでない
この主張が「ミ島は脅威だ」という理由で気に入らない各位に対し、
0130に攻撃隊発進させても脅威は消えないし、
脅威を消すには夜間発進か、敵索敵機の早期撃墜するぐらいしか手がない、と主張している。