1 :
名無し三等兵:2010/03/07(日) 02:57:09 ID:hOhLRj57
ある意味戦闘より陸軍らしい行動である行軍について語る。
2 :
名無し三等兵:2010/03/07(日) 02:59:44 ID:???
>λ
腕を離れたミギー?
3 :
名無し三等兵:2010/03/07(日) 03:09:32 ID:???
歩くのは疲れる
4 :
名無し三等兵:2010/03/07(日) 03:26:07 ID:???
行軍の辛さで重い荷物をどんどん捨てていって最後は丸腰で目的地に到着した兵士もいたんだっけ。
5 :
名無し三等兵:2010/03/07(日) 04:40:37 ID:???
インパールでは途中で野砲を捨てて大変な事になったと聞く
6 :
名無し三等兵:2010/03/07(日) 07:58:49 ID:???
山砲ならともかく野砲は基本連隊砲で専任の砲兵運用だろ。
捨てたら商売にならんがな。
7 :
名無し三等兵:2010/03/07(日) 09:20:50 ID:???
行軍なら、イタリア戦線のマッセナ軍団。
8 :
名無し三等兵:2010/03/07(日) 14:52:24 ID:???
麦と兵隊の歌詞が浮かぶなぁ。
9 :
名無し三等兵:2010/03/08(月) 17:07:12 ID:???
行軍って戦略機動の部類なんですかね
10 :
名無し三等兵:2010/03/08(月) 19:22:56 ID:???
>>5-6 よく爺様方の従軍記の類読むと、
行軍しながら寝れる様になったなんて記述があるからなぁ。
ましてや白骨街道インパール。
飢えやらマラリアやらで朦朧としてる状態で無意識の内に捨てたのかもな。
11 :
名無し三等兵:2010/03/17(水) 22:53:48 ID:???
昭和19年の春に応召、出征した作家の深田久彌は南京から武昌の南、賀勝橋という所まで1ヶ月に行軍させられた。
1日に10里(40キロ)も歩かされたことがあって大変だったと述べている。(「文藝春秋」'56年4月号)
兵士の完全武装は30キロを超えることがあるといったが、小銃、帯剣、弾薬(小銃120発分)、鉄帽(カブト)、雑嚢、背嚢
(米、乾パン、缶詰、粉末ミソ等)を背負った上に水筒をかけ、革帯(ベルト)には前後に120発分の弾と手榴弾2発の入っ
た弾薬盒をくくりつけ、1日に40キロ近く歩くというのは考えられないことである。
さすがに落伍者が続出し、分隊によっては、目的地に到着して「番号!」と号令をかけると「1」「2」で終りというのもあった
そうだ。10名前後の小集団が分隊長以下2名を除き全員が落伍したというのである。
12 :
名無し三等兵:2010/03/17(水) 22:55:38 ID:???
だが、これは作家のフィクションではない。やはり中国の南京より北方の河北省に行った兵士も1年間で北海道〜九州を
往復したと同じ位あるいたといっている。
(中略)
もちろん重装備であり、しかも初年兵は古兵や分隊長の分までかついで歩いたという。こんな大荷物を背負い、日本兵は
ヨタヨタと進んで行ったのだと思ったら大間違い。
「6キロ行軍」というのがある。これは1時間に6キロ歩くということで、途中「小休止」「大休止」があり、この休憩時間を含め
ての1時間に6キロだから、歩くというよりほとんど駆け足に近い。
古兵の分をもたされないとして、自分の装備だけで30キロ余、この重量に耐えて1日30〜40キロの道程をジョギングのスピ
ードで歩かされるのである。
これが日本の歩兵を苦しめた強行軍の強の内容だった。
(「50年目の『日本陸軍』入門」 文春文庫)
13 :
名無し三等兵:2010/03/18(木) 23:08:20 ID:TqXoKikY
1日40キロの行軍か。
30キロの荷物背負ってフルマラソンかね…
14 :
名無し三等兵:2010/03/18(木) 23:22:07 ID:7sXX8cwA
銃は無論捨てられない、食料も当然。
で、真っ先に捨てるのは弾だったと語っていたな。
15 :
名無し三等兵:2010/03/18(木) 23:56:22 ID:???
南京入城までは、道端に補給係の人がいて、食料やお菓子とか水も
たくさんもらえたから良かったとか新聞で読んだが。
初期の頃は補給は充実してたんかな。
16 :
名無し三等兵:2010/03/19(金) 00:19:52 ID:???
>しかも初年兵は古兵や分隊長の分までかついで歩いたという。
さり気なくキツイことを。
肉体的だけでなく精神的にも痛め付けられるのは苦痛が倍増する。しかも味方から。
17 :
名無し三等兵:2010/03/19(金) 06:20:15 ID:???
日本の義務教育って遠足という名の行軍演習あるよね
行進や基本形態も覚えさせられるし、兵隊の初歩訓練は全部習得してる
戦後教育に犯されても帝国時代の名残は消えないか
18 :
名無し三等兵:2010/03/19(金) 09:12:30 ID:???
それを言った日にはそもそも毎朝の通学班登校自体がw
しかも学校体育で教える「気をつけ」「休め」はいずれも旧軍式。
行進のステップまで旧軍式の「ヒザ上げ足踏み」式だしw
日教組もどうせ左がかるなら、
いっそ北とか中国バリのグースステップでも教えりゃいいのにw
19 :
名無し三等兵:2010/03/20(土) 11:31:45 ID:???
ミニスカートでグースステップ
女子も男子も
20 :
名無し三等兵:2010/03/20(土) 21:42:16 ID:???
中島岳志著『ヒンドゥー・ナショナリズム』によると、厳格な規律で有名な民族主義団体に泊り込み
取材したところ、団体の隊員達は行進どころか整列すらまともにできず作者を呆れさせたという。
こういう話を聞くと、やっぱり「近代化」というのは凄いもんなんだと実感するな。
21 :
名無し三等兵:2010/03/22(月) 03:26:05 ID:???
強行軍の上に、さらに兵隊たちを苦しめたのが、マメや靴ズレだった。前述したように、自分の足に合った
靴をはいている兵士など数えるほどしかいない。小さいのや大きすぎる靴をはいていての強行軍では、
マメも出来るし、靴ズレにもなるのが当然だ。
一つ二つとできたマメがずきんずきんと痛む。小休止や大休止はかえって辛い。歩き始めるとき、いっそう
痛さが激しくなるからだ。
やがて足全体がマメになる。ズキンズキンを通りこし、痛みは火の中に足を突っこんだような熱いものとな
る。冷たい水の中に足をひたせたら、そう思いながら兵士はあえぎあえぎ行軍した。
(中略)
兵隊はみなロクに風呂にも入れず不潔だったからだろうか、ちょっとした傷からも化膿して?疽にかかった。
?疽は激痛で有名だ。この痛みをかかえて歩けというのは想像に絶するのだが、その場合も兵隊さんは
歩きつづけたのだろうか。
とにかく落伍したら最後、みんな苦しいのだから誰も助けてくれない。自分の2本の足だけが頼みの綱だ。
だから、どんなに痛くても煙草の灰を傷口におとしたし、?疽には馬用ヨーチンが効くと信じられて塗った。
人間に強いクスリで塗ると皮がペロリとむけた。正常な皮膚や爪がボロボロになるほどだから、?疽が治る
のが先か、健康な部分ダメにするかの荒っぽい治療だった。
さらに食料は乏しく、栄養不足で脚気になる者が多かった。
(「50年目の『日本陸軍』入門」 文春文庫)
22 :
名無し三等兵:2010/03/22(月) 18:37:40 ID:3EVG8lsE
>やがて足全体がマメになる。
これがどういう状態かちょっと想像がつかないんだが。
23 :
名無し三等兵:2010/03/22(月) 18:51:30 ID:???
脚が擦れて皮膚が全体的に膨らんじゃうの
24 :
名無し三等兵:2010/04/14(水) 00:28:12 ID:???
>>11 シン・レッド・ラインの原作者も行軍には泣かされたみたいだね。
ガダルカナルの炎天下で完全装備で行軍したら次々落伍したと。
イラク戦争のときに米軍の部隊が装備背負って徒歩で行軍する映像が流れたが
あれどこだったんだろう。まさかバグダットまで行軍してないよな。
WW2ではノルマンディーに上陸してから延々徒歩で行軍した部隊もあったらしいが。
祖父がそれをテレビで見て旧軍の行軍を思い出したのか十貫背負って一日十里歩くと言ってた。
25 :
名無し三等兵:2010/04/14(水) 15:54:33 ID:???
>>24 ヤラセじゃね?
現行の米軍装備で現代米人に乾燥地帯を徒歩行軍とか無茶だろ
ボディアーマー脱いでいいならともかく
もう歩いての長距離移動を前提としない装備体系になっちゃってるからなあ
祖父君の回想、尺貫法なのが生々しいなあ…
日本軍の場合、サイズの合わない靴って基礎的な嫌がらせがまずあったのにな
26 :
名無し三等兵:2010/04/24(土) 21:58:49 ID:???
こういうの読むと、尋常卒の補充兵だろうが大卒の根こそぎ動員組だろうが
旧軍で兵卒になるのは「負け人生」だってつくづく感じるよなあ。
切った貼ったの戦闘以前にこんだけ苦行があるんだもの。
安全な後方で芸者遊びしながら地図上で100キロ単位の距離を小指で計り、
「何だ。この程度の進撃は楽勝じゃないか」なんてお気楽な作戦立案する
陸大出の参謀ぐらいにならんとな。
27 :
名無し三等兵:2010/06/27(日) 00:09:55 ID:???
test
28 :
名無し三等兵:2010/07/01(木) 02:10:31 ID:???
堅忍不抜
連日長距離に亙る行軍を敢行し得ざるべからず
29 :
名無し三等兵:2010/07/01(木) 17:25:39 ID:???
>>13 普通
4kmを50分で歩き10分休憩、これが1行程
10行程なら特科や支援部隊でも月1で歩く
普通科や施設科なら7行程は歩く
酷い時は100km行軍を企画する隊長がいて24時間以上歩かされる
途中仮眠はあるが天幕を張る訳ではなく
ポンチョや雨衣を着て2時間ほど寝る
30 :
名無し三等兵:2010/07/01(木) 17:27:06 ID:???
31 :
名無し三等兵:2010/07/29(木) 23:19:44 ID:???
32 :
名無し三等兵:2010/09/06(月) 01:34:04 ID:???
当時の中国の道路事情にもよるな。
現代の舗装道路なら30キロの荷物背負っても大丈夫かもしれんが。
33 :
名無し三等兵:2010/09/15(水) 09:24:32 ID:???
舗装路は足を痛める
34 :
名無し三等兵:2010/10/16(土) 12:21:29 ID:???
中途半端に機械化された歩兵師団とかは自動車も時速4kmとかでノロノロと走るの?
35 :
名無し三等兵:
【インパール作戦概略】
■レド(空輸拠点)→レド公路構築 →昆明 →成都にB29の拠点構築
↑
|
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■ディマプール
↑ ↓
| コヒマ
| ↓ ←31師団(補給路・背後を遮断)
|ア 補給
|ッ イ
|サ ン
|ム パ ←15師団
|鉄 |
|道 ル
| ←33師団
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| ↓
| 英軍陽動に釣られる
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■チッタゴン ← アキャブ作戦(英軍陽動作戦)
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英軍補給拠点
ベンガル湾