てか、何でまたあんなにテーパー緩い薬莢に拘ったのやら。
ちょっとテーパーかけときゃ引き抜きやすかったろうに。
38式実包
初速770m/s弾重9g初括力2600J
99式実包
初速730m/s弾重11.8g初括力3140J
7.62×39弾
初速730m/s弾重7.9g初括力2100J
5.56×45弾
初速940m/s弾重4g初括力1770J
38式は口径に比較して細長い弾の為、横弾になりやすくライフリングきつめに設定。
38式は30年式実包よりも軽量な為、30年式小銃ともライフリング設定が異なる。
遠距離での対人威力は低下するが、中距離以下では問題なしとされ、7.7o化は対人威力不足ではなく特殊弾が使用できないのと対物威力不足の為。
現代のロシア5.45×39弾は威力不足を補う為に、命中すると体内で横転して傷口を拡げるようになってる。
5.56o弾は当然7.62o弾より貫徹力で劣る。
>>952 薬莢のテーパーなんか関係ない。この点は
何で薬莢切れ起こすのかが判っていれば判るハズ。
>>951 機関部の強度とはまた別の話だろ
3年式-11年式-96式と薬量の違うにしても減装弾を使い続けなきゃならなかった背景は、
個別の設計の問題ではなく別の根本的な問題があったとみるべきでないの?
>>955 だから、日本の自動銃の薬室設計の問題だって。
同じように設計したら同じような問題を起こす。
それだけのこと。
>>941 南北戦争の野砲は連射できないから
決定的なタイミングで決戦時機に投ずる切り札火力だからね。
でも、あの時代の死傷って榴散弾と銃弾って区別付くのかな。
どっちも傷は「弾」に撃たれたカタチになるとおもうんだが
どうやって統計の区別してたんだろうね。
>>947 99式小銃も99式軽機関銃も
別に「威力が上がった」とはされてない。
下がってるよね。そうだね。って議事録があるぐらいだ。
>>944 スウェーデンの更新時期は知らんが、日本とイタリアは更新時期が似てる。
重機が92式とフィアットM1935で、イタリアは6.5×52弾から8×59弾へ。
小銃が99式とカルカノM1938で、イタリアは小銃弾に7.35×51弾を採用した。
日伊とも重機用の弾を更新したのは対物威力や特殊弾の問題からで、重機のみ更新し小銃・軽機を後回しにしたのも同じ。
イタリアの場合、小銃弾を更新したのはエチオピア戦争の影響で、ストッピングパワー不足を感じたというが、実際は弾が外れてただけらしい。
しかも反動を抑える為、炸薬量も弾丸重量も6.5o弾と同じにして、アルミ弾頭を採用して軽くしてる。
この為小銃弾では対人威力は増したが、逆に対物威力は低下している。
何故なら体内で横転して傷口を拡げるので、硬い目標には向かないから。
>>946 十一年式も九六式も後期型は減装弾でなく普通弾を使用できるようになってる。
そして塗油装置は九六式で廃止され九九式で復活してる。
>>951>>954>>955 なぜ6.5o弾でも後期型では減装弾が必要なくなったか。
それは国府軍のZB軽機の薬室を真似てテーパーをつけたから。
ではそもそも何で減装弾を使用したか。
薬莢が発射時に膨張してガス漏れを防ぐのだが、膨張したままで無理に引き抜こうとして排莢不良や薬莢断裂を起こすから。
日本の薬莢がやや薄くて千切れやすいのも事実だが、貼り付きは薬室にテーパーを付けるか溝を掘れば解決して千切れない。
最初は塗油装置で油で薬莢を冷やし膨張を抑えるやり方で、埃がつくので止めて減装弾で膨張を減らすやり方に変えた。
三年式重機には減装弾使用説(兵藤二十八)と普通弾使用説の2通りある。
三年式重機に減装弾使用は初期の頃だけだったと思ったけど
それと軽機関銃に減装弾使用は薬莢の張り付き防止より
連射が途中で止まってしまうのを予防できるからと岩堂さんの本に書いてあった
で、日露戦争の話なんだけど
初期の頃二千から二千五百mの距離で塹壕に篭っている機関銃に対し対抗出来る兵器が無かったと言う事
野砲は弾雨の中で直接照準なんて出来ないし防楯も無かった、間接照準で榴弾を打ち込むには迎角が足らない
ここで頼みの機関銃の登場なんだけれど、なんとホ式機関銃には二千mまでしか射表が作られて無かった
これは機関銃の性能と言うよりホ式の三脚の歯弧がそれまでだったかららしい
大チョンボだよね、当時は機関銃で遠距離の野砲をバンバン撃っていた訳だから・・・
歯弧を外してフリーで撃ったんだろうけど当たるはずが無い
このチョンボを隠すために弾の威力が足りないんだと話したらしいんだ・・・・・・・
>960
やっぱ、最初から薬莢設計自体がおかしいんじゃねそれ。
薬莢にテーパー付いてた方が引き抜きやすいっしょ普通。
>>961 あの時代は榴散弾だよ。
機関銃は野砲の亜種として使ってただけ。
>>961 昭和13年製の三年式用減装弾とかもあるから、初期の頃だけということはないような気が
三年式用減装弾と十一年式軽機用減装弾はどこが違うのと言う話になるような
保弾板に装してあるか挿弾子に装してあるかの違い
それと装薬量も違うとか聞いたことあるけど知らん
紙箱があれば直ぐに分かるんだが
>>962 素人はこれだから嫌になる。テーパーは関係ないって言ってるだろ。
それどころか、三八式の6.5mmはテーパーがきつい方のカートリッジ。
自動銃時代になってからのカートリッジよりの、1900年以前の
古い世代の方がテーパーがきつい。8mmレベル、303英なんかと
30-06以降の20世紀のカートリッジを比較してみろ。
>>960 >なぜ6.5o弾でも後期型では減装弾が必要なくなったか。
>それは国府軍のZB軽機の薬室を真似てテーパーをつけたから。
これって誰の主張の引き写しなの?
大昔の月刊GUNに津野瀬光男の連載が載ってて、当時、採用はされたものの
八九式連装旋回機関銃が作動不調で困っており、薬室形状の問題と気がついたの
が銅金義一であり、彼が改良を加えてまともに撃てるようにしたとあった。
この話どおりなら昭和5〜7年あたりのことと思える。しかし、おなじ陸軍の
八九式固定機関銃はビッカースからちゃんとパテントを買って製造しており、
時間軸から言えば昭和初年にビッカースから現物と正式な製造図面が入って
いるはずだ。特に八九式固定銃は弾薬は303英でなく八九式実包なのだから
当然薬室はこれに合わせて再設計してある。普通に考えれば、この時に薬室
の形状にも気がついているハズで、(でないとこれも作動不調になるはず)
それが何で八九式連装旋回銃や、もっと後の九六式軽機まで引きずるのかが
判らない。この辺りは謎としか言いようがない。
>>969 89式固定機関銃も不調報告と改正が散々あるけど。
重機・軽機という名称から誤解しやすいが、当初三年式は連隊・十一年式は中隊の機関銃隊に所属する。
十一年式は現場で不評と一般的に言われるが、専用の弾倉を使用しなくて済み後期は信頼性も増しているので、九六式採用後も昭和16年まで生産が続いている。
また分隊所属でなく小銃分隊と一緒に突撃する事も考慮していないので、十一年式に着剣装置はない。
軽機が分隊に配属されるのは昭和12年版歩兵操典からで、昭和7年から開発の始まった九六式軽機も当初は分隊での運用を考慮していない。
その為九六式は当初軽三脚架での運用を想定しており、着剣装置も開発当初はなかったと思われる。
九六式軽機の生産は昭和18年まで続いている。
十一年式軽機のように装填に小銃クリップを使用する例は、伊フィアットM1914重機がある(装填架に5発クリップを10〜20個並べる)。
イタリアの機関銃も故障が多く、塗油装置を使って更に失敗してるのも同様だ。
伊ブレダM1930軽機は一見普通の横弾倉に見えて固定弾倉。
ブレダM1937重機は日本同様の保弾板で、射撃後に空薬莢を保弾板に戻す凝り様。
日本同様に小資源国で弾倉や空薬莢も貴重なのと、工業力も同様に未熟なので同じ失敗をしてしまうのか。
6.5o弾はガス圧が不足して抽筒不良になるから、本来は抽筒加速装置が必要だという主張も見るが、それなら何故よりガス圧の小さい減装弾を使うのか理解できない。
しかしガス圧が原因なら、規整止でガス圧を調整すれば不具合は解消するのか?
保弾板ってバネが付いてないマガジンみたいなの?
>972
>ブレダM1937重機は日本同様の保弾板で、射撃後に空薬莢を保弾板に戻す凝り様。
別に凝ってない。
Mk108と同じで、補弾板(Mk108ではメタルリンク)が薬室の真後ろにあって、
ボルトが後退する時に「薬莢を真っ直ぐ引っ張り戻すから補弾板の元の位置に嵌る」だけの話。
>>973 ベルトリンクが一枚の板になってるようなやつだよ
ふと手元にある三八式実包の紙箱やネット上の画像を見ていて思ったんだが、
その多くが装薬量2±0.05gの減装弾(殆どが昭和14〜17年製)で、常装弾は不思議とあまり見ないことに気づいた
結構大量に生産してたのか
>>972 薬室形状問題について詳しく解説してあげたいけど、長文書く気力がないw
てっとり早く言うと、自動銃には自動銃用の薬室形状と言うのがある。
自動銃は、この薬室形状でないと抽筒不良が起こってしまう。
同じ弾薬でもボルトアクションライフルと自動銃では薬室形状は異なる。
日本は、ある時期までこれが判らなかった。自動銃に旧来のままの薬室形状
を使うから抽筒不良が起こる。抽筒力が不足と思って抽筒力を上げて無理矢理
抽筒すると、今度は薬莢切れを起こす。6.5mmは小口径で腔圧が高め、また
小口径なので当然ながら薬莢頸部の肉厚が薄い。別に設計が拙いわけではない
けど、結果的にトラブルが深刻に成り易かった。
>それなら何故よりガス圧の小さい減装弾を使うのか理解できない。
薬室形状を変えないなら減装して発射エネルギー自体を減らす以外に方法がない。
薬莢は切れないが、弾丸威力も落ちる。弾が出ないよりはマシと言うこと。
6.5oの時は装薬減らした減装弾で不具合に対処し、より装薬の多い7.7oだと不具合がなくなるというのが不思議だ。
6.5oの場合でも既に不具合はなくなってたんだろうけど、同時期の九二式重機では軽機のような不具合もなく、減装弾も必要としていない。
何だか機銃に問題があるというか、単に弾に問題があるか機銃と弾が合わないだけのような。
それに減装弾で小銃と弾の互換性がないというなら、小銃も減装弾を使えばいいではないか。
ソ連も粗悪な弾使って薬莢貼り付き問題あったけど、機銃でなく弾の問題だったし。
実はエリコンコピーした20oの航空機銃でも、薬莢貼り付きが問題になってる(ドイツはエリコンFFの薬室に溝掘って解決)。
九九式20mmで薬莢切れや貼り付きが起こったのはAPIブローバック方式のせいだろ
戦時中にそれなりの経験を積んだにも関わらず、62式機関銃でまた失敗している時点でダメダメ。
しかも設計は戦時中に5式30o機銃開発した河村正弥だろ。
何であんな部品点数も多く、故障しやすく扱いにくく命中精度悪いのになるかな。
>>976 ネットで調べた限り。昭和14年〜15年頃以降の生産分はについては
薬室形状問題は解決してたらしい。ただ、当時はもうシナ事変が泥沼で
大陸では旧来の装備の大部隊が戦闘中。この装備を回収して補修、あるいは
新品に更新するとかは、まず無理。この旧来兵器向けに大量の減装弾が必要かと。
>6.5oの時は装薬減らした減装弾で不具合に対処し、
>より装薬の多い7.7oだと不具合がなくなるというのが不思議だ。
例えは適当でないかも知れないが、7.62mmNATOでは何の問題もなかった
H&kのローラーロッキング&ディレイドブローバックが、遥かに低活力の5.56mmでは
ダメだったのと似たようなもんかな。活力は小さくても、逆に5.56mmの方が腔圧は高い。
小口径なので薬莢は肉薄で強度も落ちる。結局、コンベンショナルなガスオペを
使わざるを得なかった。
薬莢製造用金型を古いのを使いつづけてたのが原因の一つとか、何かで読んだ気がするが、ガセ?
磨耗して許容誤差を大きく超えてたので張り付き・薬莢切れが多発してたのを、
金型の管理をしっかりするように、誰だかが指導して改善されたとかなんとか。
雄型と雌型のセットがずれてて、一方は薄く、その反対側は厚くなるとか、そういう問題もあったと。
すこし話はずれるが
昭和13〜14年頃に九二式実包の無起縁化の審査に合わせて、三八式実包の無起縁化の審査も行なわれているんだけど、
どういう目的で審査していたんだろうか?
アジ歴で確認できるだけでも、審査のための無起縁実包の下付は約三百万発、
抽筒子の下付も十一年式用1,600個、九六式・三年式用各200個と結構力を入れてたみたいだが
>>985 そらま、完全なリムドよりゃましだけどセミリムドとか中途半端な設計は自動火器には適してないし
銃の薬室は、薬莢の全長カバーしてるわけじゃないからな
砲底面近くの基部は薬莢自体の強度で圧を受ける
その辺の隙間があるから、銃によってはリムドとリムレスの弾を併用可なんて曲芸ができることになる
一番数の多い歩兵銃の改修なしにより自動火器の信頼性あげられるかも、となったら力入れて研究する価値有るだろ
それが結局ダメだったから7.7ミリ移行だったんだろうなあ
しかし審査レベルで300万発とか多すぎないか…?
うまくいったらそのまま実戦部隊に残余は支給するつもりだったんだろうか?
>>959 >実際は弾が外れてただけらしい。
なんというかまぁ…
>>964 昭和13年と言うとシナ事変の大動員の真っ最中だから、倉庫に眠って居た初期生産分を
そのまま部隊配備する為に急遽作られたのではないかなあ・・・
九二式でさえ大増産で部品の品質が落ちて故障多発してた位だから
三年式の部品を新規に生産する暇など無かっただろうし・・・
動力装置いじった経験が無い人には解りずらいだろうけど
どんなに精密且つ丈夫に作られた部品でも使っているうちに歪んでくるんだよ
歪みが基準値を超えたら交換する事になる
三年式の開発はまだ明治の頃だから部品の材料や調質に問題が有って
機関銃の品質を保てなかったが昭和になって技術が向上し保てるように為ったと言う事だろう・・・
どう言う事かと言うと、火薬が燃焼して高圧に為ると薬莢が膨張するけど銃身も同時に膨張するんだ
そして圧が抜けると伸縮するが100%元には戻らない、歪んで少し大きくなる
同じように大きくなるなら問題ないけど材質や形状によって歪む量が異なる
つまり銃身は101%ですむけど薬莢は柔らかいから105%だったりして薬室の内径より大きくなる事になる
小銃の場合、圧が抜けているから内側に変形して簡単に抜けるけど
自動銃の場合、残圧があるから場合によっては張り付いたままになったり千切れたりする
で、明治の頃は油を塗って此れを防いだ、此れは冷やしているのでは無く
油で潤滑する事によって滑りを良くして薬莢の外側に向かっている力を分散して張り付きにくくしている
次にテーパーや溝だけど、此れは薬莢と薬室の間に隙間を作って火薬ガスを引き入れ油を塗ったのと同じ効果を与えている
問題なのは、これらの現象は銃身の材質や加工精度・薬莢の強度・火薬ガスの圧力のバランスによって決まるから
こうすれば絶対防止できると言う数値が出せない事なんだよ、調子良かったものがチョッとした変更で駄目になったりするんだよね・・・
>>986 アジ歴のA03032152900によると九六式軽機の項で当初は減装無起縁のマルG弾を使用とあるから
実戦テストに投入されているんじゃないかな。
その後普通弾に切り替えたが問題なく使えたと。
今までの起縁弾で何の問題もないのなら、わざわざ新しい弾を作る必要はないとして、
結局無起縁弾の審査は中止になったというわけか
それにしても、この報告で供試した三八式実包(やや減装した新製品)ですら約8万発だから、相当な数作ってるな
994 :
名無し三等兵:2010/11/02(火) 02:10:21 ID:3gXFKuCk
九二式実包の無起縁って九七式実包じゃね?
九二式重機は両方撃てるし
>>994 97式実包は廃盤になって、92式実包に改称されたのだ。
そしてそれまで92式実包と呼ばれてたものは89式実包へと改称された。
次スレも出来たし埋めるか。
うめ
まつ
↓銃殺
1001 :
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。