高校の体育の先生の大学時代は文字どうりに体育会系で、
風呂も後輩に洗ってもらうのが伝統だったそうな。
鉄建制裁は当たり前。
そんな中、その先生は根が優しかったので、
後輩を殴らなかったら、「殴られないのが逆に怖い」と言われたそうな。
鉄拳制裁が当たり前の世界では、殴られないことのほうが異常に思えるようになると
その先生が逆にびびったと聞いた。
券制裁が
953 :
名無し三等兵:2010/04/30(金) 18:14:12 ID:Zg4RD1O1
井上成美が何かの機会に口にしたって読んだ覚え(勘違いだったらスマン)がある。
オールド(古き良き)ネービーでは、鉄拳制裁とか殴り殴られなんてことはなかった。犬や猫じゃあるまいし、殴られないと
分からない者や殴られて気が付くような者は海軍士官としてモノの役には立たない。最近の(いつ頃かは定かではないが)兵
学校は嘆かわしいとかなんとか。だから海兵の校長になったときは強く期するものがあったんじゃないだろうか?
俺が生まれる前に死んだじいさんは千島列島から木更津に終戦直前に戻り
海軍陸戦隊の尉官(階級は叔父達が大尉だったとか中尉だったとか言ってて判らない)
で終戦を迎えた
家に帰って来ると、村の娘が何人もじいちゃんの制服姿を見に来たとばあちゃんが
良く言ってたな
陸軍上等兵で硫黄島で死んだ大叔父は、まだ子供だった親父に
「一緒に汽車に乗ると他の兵隊がさっと敬礼するのが凄く気持ち良くて俺も
偉くなったようだった」と言ってたそうだ
死んだばあちゃんにはろくでなしの人でなしだったじいちゃんだけど終戦前まで
近所じゃ憧れの海軍将校だったみたい
956 :
954:2010/05/01(土) 09:33:11 ID:???
>>955 そうだったのかな、今度調べてみます。
職業軍人で戦前から家を空ける事が多かったからか、親父の他に6人も居る
叔父や伯母達も海軍に居た頃の事はあんまり知らないし、話しても恨み節ばかり・・・
それでも聞いた話をまとめると、悪い意味で絵に描いた様な海軍将校だったみたいです。
>>654 具体的にどのような人だったのか、差しさわりの無い程度いいですから
書きこして下さいませんか?
>>909 いまさらだけど、909って相当アホだな。
不可知論に持ち込んでる。
歴史的事実というのは直接の証拠等によって確認することはほとんど不可能
なのだよ。さまざまの断片的事実や資料から推測していくしかない。
織田信長が本能寺で死んだのだって、ほんとにそうかといわれたら困ってしまう。
誰も見た分けじゃないから。
歴史の時間に教師が何か言うと、「見たのかヨー」とうそぶく場か中学生と変わらない
じゃないか。
まったく学問的素養の無い人だなW
>>958 いまさらだけど、958って相当アホだな。
>誰も見た分けじゃないから。
分けじゃなくて訳な
まったく学問的素養の無い人だなW
960 :
名無し三等兵:2010/05/02(日) 09:27:45 ID:6lPiLAPT
『揚げ足とりは見苦しいから止めような、ねぇスネおクン。』
961 :
名無し三等兵:2010/05/02(日) 09:55:24 ID:ujC33OKa
私の祖父は、終戦時は伍長でした。
旧制中学校に行ったことがないと聞いたことがありますが、伍長は准士官なので、旧制中学校を卒業したことがないと兵卒から昇格することが難しいみたいです。
ただ、私の祖父は、開戦してすぐに召集されて終戦まで南方で戦いました。
終戦で、階級が昇格して復員した人が多くいましたが、そこで兵卒から准士官に昇格した人がいましたか?
じいさん85歳。戦争にはぎりぎり行かなくて済んで、今考えると得をしたと思ってる
が、同世代の戦争行った人達には口が裂けても言えないとの事。終戦後は飢えに相当
苦しんで、ヘビ、カエル、その辺の草、犬、猫、カラスとかを食ったとか、で猫とカラス
は絶対食うなという。言われなくとも絶対に食わないけど。りんごが配給されると聞き
急いで向ったら、皮キレ一枚だったとか。嫌だったが、米軍の基地の食堂でのウェイター
の仕事もしたら、けっこう優しくされたらしい。米人らの残飯を捨てたゴミバケツに日本人
が一斉に群がって、止めさせろといわれ止めたが無視され、米人がホースで水ぶっかけて
追っ払ったが、それでも顔つっこんで食っていた奴もいたとか。最後には蹴飛ばされてたと。
米人が捨てたタバコに日本人が群がるのも良くあった光景で、それが分かって
見えないようにたんや鼻につっこんでから捨てる奴ばっかだったと。そんな時代を経験した
じいさんは100まで生きるって今も元気。
>961
総統閣下と同じ階級ですなぁ・・。
復員の時に1個上げて予備役編入だったかだから
兵長殿ですね。
兵長はだいたい兵隊2年したらして貰えたらしいけど・。
>>961 伍長は「准士官」ではなく「下士官」だ、と正しく理解できると問題は解決する。
965 :
名無し三等兵:2010/05/02(日) 15:44:40 ID:ujC33OKa
>>959へ。同意。
>>958は捏造好きなのかもしれんw
>まあヒロポン飲ませて行かせたんだろうが
≒まぁ南京で30万人虐殺されたんだろうが
嘘臭いなぁ(禿笑
>>958 確認もせずに人に言われたことを盲従する貴方がキモい。
で、確認できる事実から類推することはしないのでしょうか。
貴方の言うように、薬物を頼りに逝った人もいるかもしれない。
薬物とかは関係なしに、義に殉じた人もいたかもしれない。
どちらも推測だけど、一方だけを否定するには証拠が必要だよね。
968 :
名無し三等兵:2010/05/03(月) 01:15:43 ID:VuKapXcs
969 :
名無し三等兵:2010/05/03(月) 02:32:18 ID:VuKapXcs
転載は一部です><
971 :
名無し三等兵:2010/05/03(月) 16:09:27 ID:lYtNJgH0
VIPの方にも皆さん顔出してくれるとさらに盛り上がりそう
てs
友愛されちゃった(´・ω・`)
>>958 つまり
>>882は自分の書き込んだ内容が誰かに聞いた話なのか自分の推測なのかもわからんのかね?
確かに私は歴史の教師が「東京大空襲のときに震電が迎撃に上がった」とか言い始めたら「証拠はあるのか?」と聞くが?
不可知論とか覚えたての難しい言葉使いたいのはわかるがもう少し考えなさい
母を訪ねて三千里のようなスレ違いが見られるスレッドがここだと聞いて
飛んで来ました。
ヒロポンの使用など戦争中は当たり前。軍需工場の夜勤のときなどもふつうに配られてた。
覚醒剤取締法は戦後しばらく経ってから制定されたので法律上も麻薬扱いではなかった。
ウィキペディアの「覚醒剤」のところ、その「歴史」のところを読んでみれ。
977 :
名無し三等兵:2010/05/07(金) 13:37:36 ID:WO0x0W+l
違法か違法でないかっていうことより、人の身体(精神も含めて)有害かどうかで考えようや。
法律(最低限の決めごと)に違反しなかったら何をしても良いってのはなぁ、消防や
中房はともかくおとなの言う事じゃないよ。
いや、戦前の覚醒剤使用が「普通の事だったか否か」を話題にしてるんでしょ。
今となっては身体に悪いし法律で厳しく罰せられているが、アンフェタミンが実用化
された当初は、それこそ今のカフェインドリンクやビタミン剤みたいな扱いだ。
自分が持ってれば人にも勧める、忙しければ職場のみんなで分け合う。
特攻隊が使ってたとしてもそれは咎めるほど特別な事ではない。
納期や締め切りに追われる現場だったら何処でも常備、常用してた薬に過ぎない。
そして恐怖感を和らげたり、使命感を高揚させるために配ったのでもない。
前日、出撃祝いに飲み過ぎた若いパイロットが、途中で眠くならないように気遣った
だけの事だろう?
低賃金の派遣労働者が一日24時間働けるように、ヒロポンの合法化を
すすめるべきでは?
今じゃあ「最期にタバコを1本くれ」と言っただけで、嫌煙家が来そうな勢い。
当時のヒロポンは経口用の錠剤で それも抹茶粉などですごく薄めていたものです
血管注射での使用とは別物と考えたほうがいいです
みんな『知識自慢』したくてしょうがないんですねぇw
で、
>>981 ラバウルなどでは血管注射でもやってました
(坂井三郎さんの証言があり
もちろん、ポンとは言わず “ 栄養剤 ” だと言って打ってた様です
「どうりであの頃メシもあまり食わないのに元気だったよなぁ(笑)」とは、その坂井さんの弁
まぁ、マリファナが喘息の薬として売られていた
時代の話をしても仕方なかろう。
アンフェタミンの高価な薬だったから、
戦前・戦中は中毒者が問題にならなかった。
戦後に大量に安価に出回ってから、
改めて問題になったんだ。
もしかしたら、近い将来に栄養剤が薬物指定されるかもしれないぞ。
例を挙げるとレッドブルは飲みすぎで死人も出ている。
で結局
>>882のいうような一人で立つことができないとか狂人のようになった奴にヒロポンを飲ませれば
まともに飛行機を離陸させれるだけの正気を戻せるのか?
そんな効果はどこ探しても載ってなかったんでその話の出所はどこだったのか聞きたかったんだが
>>977 DDTをふりかけまくった進駐軍を糾弾するとかいう話か?
俺の大叔父(軍歴なし)が当時今で言うDQNだったらしく
ポンの打ち方をジェスチャーしてくれたよw
ゴム管で左腕根元を口と右手を使い縛り上げる動作にびっくりした
飯より安くて馬力が出るなんて事言ってたな
そのあと妹(母方祖母)とその親戚一同にボロカス言われてた
ま、そんな時代だったんだろうね・・・
作家や芸能人のプロフィールの「趣味」欄に 『ヒロポン』 と書かれてたような時代だったからなあ
>>986 いや、今でこそ非難される事だが当時は本当に普通の薬だったんだって、
小学生の頃に遊びに行った家の軒先に捨てるらしい古い婦人雑誌(主婦の友みたな本)が置いてあって、
当時から活字中毒だった俺は興味で頁めくったら、一頁にデカデカとヒロポンの広告が載っていて
はだしのゲンで知識仕入れていた俺はびっくりした事があるよ。
989 :
uaa:2010/05/08(土) 02:07:03 ID:Yih/Auh1
ヒロポンやってると火葬にしたとき骨が形を残さないって言うけど本当なのかな?
伯父の嫁さんは薬剤師で、国家試験の勉強してるとき(終戦直後)自分で打ってたそうなんだけど、骨拾うとき見たら小さいかけらばかりだった。
叔父(医者)は火力の違いだって言うんだけど。
体重性別年齢の差の方が大きいよ>残る骨
長生きした小柄な女の人が一番骨が残らない。
元々の骨量が少なく、骨密度も低く、さらに身体全体の水分量が少ないので、
同じように焼くと焼けすぎて骨も真っ白の灰になってしまう。
頭蓋と大腿は残るように、火加減を調節するのが火葬場職員の腕の見せ所。
若くて大柄な男性が、長く患わないで(事故等)死んだ場合は、強い火力で長く
焼く必要がある。一つの葬儀に炉を何分使えるかは決まってるので、十分に
冷ます間もなく出てくる事になる。そういう時は骨上げが熱くてかなわんよ。
交通事故で死んだ従兄弟の骨は熱々だったが大きい骨がそのまま残ってた。
割っても骨壺には入りきらないので、一斗缶みたいなブリキの箱に収めて持ち
帰ったよ。同じ火葬場で送った曾祖母ちゃんの時は喉仏探すのが大変だった。
頭蓋のてっぺんぐらいしか残ってなかったから、灰をさらっても骨壺半分ぐらい。
>>990節子の骨がドロップ缶に納まってしまった件について納得
>>991死ぬ前の週刊誌の対談で、妹の食べる分も奪って自分だけ食べていたと告白していたな。
ヒロポンで特攻が多い日も安心!
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ヒロポンを合法化し、1日24時間働いて日本の国力増進に寄与しよう!
※薬物中毒は自己責任です。
※過労は自己責任です。
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