名無しロサ・カニーナですが上海軍区です

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1名無し三等兵
有楽町クラブですねぃ。
2( ´▽`)σ)D`】 ◆SAITAMAHo. :2009/12/03(木) 11:21:52 ID:???
2ゲト
3名無し三等兵:2009/12/03(木) 11:27:11 ID:AQu1yUf9
八号公館
4名無し三等兵:2009/12/03(木) 11:31:44 ID:???
またも懲りずに遅刻でおこられるのれすね
5名無し三等兵:2009/12/03(木) 11:33:00 ID:???
見放されて怒られもしなくなりましたが、なにか?
6名無し三等兵:2009/12/03(木) 13:27:05 ID:???
名無しロサ・カニーナ ◆cDIj6u5gc.
(1969〜)東京都千代田区出身。投資家。生家は元皇族の名門・蟹菊家。
「蟹さま」の愛称の元はこの生家に由来するとの説もある。別名・69式。

蟹菊家の起こりは古く、将門記にその由来が記されている。
蟹菊家初代、蟹菊巣鴨(915〜985)は天慶2年秋、
親王任国(国司ではなく親王が直接統治する国)である、
上野、上総、常陸3国視察のため、直々に関東に赴いた際、
立ち寄った常陸国国府(現・茨城県石岡市)にて、偶然にも、
押し寄せた平将門の軍勢と遭遇する。(天慶の乱)

これを朝廷に対する叛乱と、いち早く察した巣鴨は、
重囲下におちいった部下の常陸介・常滑川縁依の一族とその郎党を救わんと、
周囲の制止を振り切り、左右の手に大剣を握るや、国府内に駆け込み、
勇猛で聞こえた坂東武者を相手に、一歩も引かぬ見事な働きを見せ、
無事に常滑川一族とその郎党の救出に成功する。寄せ手の大将・将門は、

「あれなる皇子を見よ。右に左に蟹のごとく立ち働けど、
 後ろへは一歩も引かぬ。なんと天晴れなる振る舞い。敵ながら手本とせよ」
7名無し三等兵:2009/12/03(木) 13:27:48 ID:???
そう感嘆の声をあげたと、将門記に記録されるほどの活躍であった。
常陸介一族を保護しつつ、無事に都に帰り着いた巣鴨は、ただちに事態を上奏。
この報告・分析は、叛乱の速やかな鎮圧に貢献する。
朱雀天皇は大いにこれを賞し、蟹の背中に菊を据えた『蟹菊』の紋、
(別名・菊背負い蟹、菊支えの蟹)を与え、一家を起こさしめた。
のちの時代も、常に天皇家に忠良であり続けた蟹菊家を、
都びとは大いに褒めそやし、京わらべたちは鞠つき歌で、

「♪日のもとに 逆しまにならぬもの三つ
  加茂の流れと落つる日と 諸手刃(もろてやいば)の蟹菊さま」

そう歌ったほど庶民に慕われたという。
江戸期以降、蟹菊家は公家の身分として、絶えず反目しがちな、
京と江戸の調整役として、精力的な働きを見せ、
明治維新後、皇族に復帰。終戦後、野に下るも、
政財界に影響力を保ち続け、現在に至っている。
8名無し三等兵:2009/12/03(木) 13:32:13 ID:???
あいかわらずお元気そうでなによりw
9名無し三等兵:2009/12/03(木) 13:41:11 ID:???
福田辞任祭りの時はわらかして貰ったwww
10名無し三等兵
前回参議院選のときはわらかして貰った