「あの暑い夏の総選挙の日から−−」という言葉を耳にした一瞬、オバマ演説が頭をかすめた。08年1月、
ニューハンプシャー州予備選後の演説で、オバマ氏は「1月の雪の日」と人々が長い投票の列をつくったこと
から静かに話し始めたのだった。
オバマ氏の勝利演説では「クーパーさん」といった黒人女性も出てきた。鳩山さんは養護学校の卒業生を
採用しているチョーク工場の話を紹介したりして、やるじゃないと思わせた。
所信表明のあった日の夜、毎日放送ラジオでご一緒した言語学者の東照二・立命館大教授も、「出だしは
コペルニクス的転回ですよ」とたたえていた。
鳩山さんが演説に際しオバマ米大統領の演説集に刺激されていたであろうことをぼくは疑っていない。それで
比較までしてしまうわけだが、オバマ大統領にあって鳩山首相にないもの、それはパーソナルな「物語」だ。
オバマ大統領は自らを語って雄弁だった。「60年にもならない昔だったら、この近所のレストランで注文さえ
させてもらえなかったはずの父を持つ男が、なぜ今こうして皆さんの前で最も崇高な誓いを立てることができたのか」
鳩山さんが庶民の暮らしをどこまで実感できるか。言葉のつかみ以上に問われていることだろう。(夕刊編集長)
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20091104dde012070034000c.html 毎日はポエマー