>>791 米軍部隊が全滅の危機に瀕するような局面はごくごく一部で生じている。たとえば、ナシリヤで
道を間違えた弾薬整備小隊がイラク民兵のなかに突っ込んでしまい、散々に撃たれて戦死者と捕虜を出して
味方戦線まで一部がたどり着いたというようなことはおきている。
補給についてはバグダッド向けて機甲師団を急進させる一方で、、ユーフラテス川南辺の各大都市
(ナシリヤ、サマワ、カルバラなど)をそれぞれ1個旅団程度で抑えつつ後続の歩兵旅団との交替を待つ形を
とっている。これは結果としてそうなったという面があり、 当初の作戦計画からは変更があったのは事実。
(なお、この説明は助攻の米海兵隊については省いている)
そもそも、イラク戦争の通常戦闘段階ではアフガン侵攻での大勝が影響して、できるだけ少ない戦力を短期間
のみ使ってフセイン政権を打倒し、できるだけ短期間のうちに部隊を撤退させて次の戦争を抑止する態勢に復帰する
という考えを文民が持っており、それに基づいて派遣部隊の規模や内容まで何度も何度も詰め直しているから
補給などが手薄になっていた面はあるのだろう。
一日にMREを一度だけしか食べられない局面は米海兵隊ではあったとはっきり従軍特派員の手記に書かれている。