南雲忠一中将を再評価するスレ(止)

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680アク禁・代行B
最後。
>G日没まで3時間余り(第二次攻撃隊を出しても収容は夜間となる)
嶋崎少佐指揮の第二波攻撃隊の戦果確認のため、淵田総隊長が赤城に帰還したのは、
JST0700頃(ハワイ時間正午)と言われるが…

トラトラトラ受信後、または嶋崎少佐指揮の第二波攻撃隊からの受信次第では、
全力で南進して、ハワイとの距離を詰める手段はあったハズ。
飛行場爆撃の結果、数時間は稼働不可能に追い込めた、と判断できるのであれば。

>それだけの価値が、石油タンクや港湾施設にはのですか
フネもヒコーキも、石油がなければタダの鉄、である以上、
「素人は戦術を語る、玄人は戦略を語る、プロは兵站を語る」という言葉に倣えば、
戦争のプロフェッショナルとしての判断としては、十分にある、という回答になる、と思う。

井上中将が昭和16年1月の新軍備計画論で、
「潜水艦兵力ヲ以テ、進ンデ゙布哇及遠ク米本國ニ多数ノ潜水艦ヲ配シ、彼ノ海上交通破壊戦ヲ行フ」
と述べたように、真珠湾奇襲直後から、海上交通破壊まで行えればベストだったろうが…
実際に20数隻の潜水艦はハワイ近海にいたわけだし、このあたりの話となると、
軍令部やGF参謀等の作戦構想に問題点を探すことになるけれども。