SBCTについて その11

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325名無し三等兵
U.S. official resigns over Afghan war
Foreign Service officer and former Marine captain says he no longer knows why his nation is fighting
By Karen DeYoung
Washington Post Staff Writer
Tuesday, October 27, 2009
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/26/AR2009102603394.html
邦紙で既報 Zabul州PRTの上席代表である米外交官がアフガン戦争の戦略目的に自信が持てなくなったとして辞任
・辞任したのはMatthew Hoh 36歳 米海兵隊大尉でイラクへ戦地派遣の経験有 父は消防士
経歴
タフツ大学卒後、出版社で事務職
1998年 海兵隊に入隊 5年間日本や国防総省で勤務 イラク戦争初期に除隊
国防総省文民となり、イラク・ティクリートで復興事業を管理 イラク人5千名を雇用、道路やモスクを建設
イラク特別監査官から成功した稀な復興事業と評価される

2005年 米国務省と関係あるBearingPointに就職 ワシントンでイラク担当
2006年 海兵予備役で招集をうけアンバル州で中隊を指揮
2006年12月 アンバル州Hadithaダムでヘリ墜落事故 同乗の友人Joseph T. McCloud少佐ら4名を失う
2007年春 帰還 3ヶ月が過ぎたころPTSDの症状(不眠、夢など)でる 酒を飲んで酔いつぶれる
・FXの”Rescue Me"をみる(WTCで親友を亡くして罪悪感に囚われる消防士のドラマ)
・McCould少佐の家族を訪ね、妻に謝罪
・帰還後、自殺した中隊の兵の葬儀に海兵隊を代表して参列
326名無し三等兵:2009/10/31(土) 12:25:52 ID:???
2008年 友人から国務省がアフガンで1年任期契約で更新可能の外交官を求めていると知らされる
2009年 ジャララバードで2ヶ月間、旅団司令部にて文民スタッフとして勤務 Korengal渓谷で長年作戦せざるをえない
理由を研究(4月にマレン統合参謀本部議長が訪れて問うたのがきっかけ) アフガン戦争に疑問を持ち始める
2009年 Zabul州PRT上席代表となる
カンダハル在のアフガン南部PRTの長であるFrank RuggieroはHohを極めて有能とし、Zabul州の米文民3名の中で
代表にすえる
2009年8月20日 アフガン大統領選 投票率低し 大規模不正発覚でさらに疑問膨らむ
2009年9月10日付けで辞職を願い出る
駐アフガン大使アイケンベリーにカブールに呼び寄せられて大使館スタッフの職を提示され慰留されるも断わる
米国でホルブルック特使からもワシントンでチームに加わるよう提示され、一旦は受け入れるも1週間後に断る

10月21日ごろ 辞任が決まる
10月23日 ワシントンポストのインタビューを受ける
10月23日の週 バイデン副大統領の外交顧問Antony Blinkenの招きで同氏と面会予定