1 :
名無し三等兵 :
2009/09/04(金) 19:57:14 ID:k2Ev/xnG
2 :
名無し三等兵 :2009/09/04(金) 21:02:59 ID:???
おつ。
3 :
名無し三等兵 :2009/09/04(金) 21:16:40 ID:???
じじいもっと希望。
4 :
名無し三等兵 :2009/09/04(金) 22:26:06 ID:zWl08RUH
戦前はみんなボロを着て、正月に配られる荒巻鮭の切り身がなによりの 御馳走だったそうだ。そういう貧乏が国内の不満を高め、不足する情報が 外国への敵愾心を高め、戦争へ突入する空気を醸成して行ったのだろう。
5 :
名無し三等兵 :2009/09/04(金) 22:40:05 ID:???
祖父と祖父の妹婿さん 陸士の同期で27歳少佐のときに終戦して 祖父はそのまま京大に 妹婿さんはしばらく慣れない農作業なんかやりながら30こえて東大に 妹婿さんは何故ストレートで大学いかなかったんだろうか? 公職追放とかそういう問題があったのか? しかし面白いことに祖父は管理職で終わったけど 妹婿さんは幹部までのぼり詰めたんだよねw
6 :
名無し三等兵 :2009/09/04(金) 23:26:08 ID:Sx2FZDcV
父方の祖父は戦時中は憲兵として大活躍! 終戦後は白眼視され肩身の狭い思いをして引きこもりの悠々自適の生活!? 家業は祖母に任せっきりで父や叔父たちは子供の頃大層迷惑したそうだ。
7 :
名無し三等兵 :2009/09/04(金) 23:45:31 ID:???
数隻のボートに乗った米軍の斥候部隊が、何の遮断物も無いまる見えの場所にワラワラと上陸して来たんで、 それを迎え撃ったが、面白いように弾が命中したそうだ。 隣の戦友と、どっちが多く敵を撃ち殺せるか冗談言いながら、射撃する余裕があったくらいだと。 被害甚大で米軍斥候部隊は慌てて撤収したが、 結局、戦闘らしいのがあったのはその時くらいで、終戦まで米軍は上陸して来なかったそうだ。 だけど、補給がさっぱり来なくなって食糧も無くなり、ひもじい思いをしたと言っていた。
8 :
名無し三等兵 :2009/09/04(金) 23:54:09 ID:???
>>5 自称長州出身でw
証拠や根拠の欠片もないw
事実無根のw一族郎党w自慢をするw
キモブサ童貞乙w
9 :
てんぷれ :2009/09/05(土) 02:22:49 ID:???
>>8 パンパンパーン
∧__∧ ∩
(,,`・ω・´)彡☆
⊂彡☆))Д´)
☆
10 :
名無し三等兵 :2009/09/05(土) 06:28:04 ID:???
11 :
名無し三等兵 :2009/09/05(土) 13:05:49 ID:???
頭のおかしな人には気をつけましょう 利用者が増えるに従って、頭のおかしな人もそれなりに出没するようになって来ています。 頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。 頭のおかしな人の判定基準 ・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人 他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど 無茶をし始めるので見かけたら放置してください。 ・根拠もなく、他人を見下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人 他人を見下すことで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めてもらう機会がないが プライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手のいない人です。可哀想なので放置してください。 ・自分の感情だけ書く人 「〜〜がムカツク」とか自分の感情を掲示板に書くことに意味があると思っている人です。 何がどのようにムカツクのか論理的に書いてあれば、他人が読んでも意味のある文章になりますが、 そういった論理的思考の出来ない人です。もうちょっと賢くなるまでは放置してあげてください。
12 :
名無し三等兵 :2009/09/05(土) 18:27:55 ID:NEKwdRMW
うちのじっちゃんは、ジャワのバナナが美味かったらしく、食い過ぎて腹壊したとかそんな話しかしなかった。
13 :
名無し三等兵 :2009/09/05(土) 18:42:03 ID:???
アメリカ軍が上陸した島以外は、補給が無くて食い物が無い事以外は 平和なもんだったらしいからな。
14 :
名無し三等兵 :2009/09/05(土) 23:31:37 ID:???
>>12 うちの爺さんはドリアンだったよ。
死ぬほど美味かったと言ってたそうな。
15 :
uaa :2009/09/06(日) 02:29:01 ID:ZN44lVqt
>>4 みんなじゃないだろ。
うちの親は子供の頃、一年着た服は使用人や祖父さんの部下の子供にあげたそうだ。
16 :
名無し三等兵 :2009/09/06(日) 09:52:52 ID:???
あ
17 :
名無し三等兵 :2009/09/06(日) 16:29:42 ID:???
>>15 そりゃ使用人がいるような家で、そんなのはどう考えても少数派だろ。
というか、お前アホだろ?w
18 :
名無し三等兵 :2009/09/06(日) 17:38:31 ID:???
>>12 >>14 うちの爺ちゃんは食い物が無くて、虫やら木の根まで食うたと言いよった。バナナとかあるかもしれんと探し回ったが、さっぱり無かったと。
ガリガリに痩せて栄養失調状態で帰って来たというのに、
何でおまいらの爺ちゃんは、そんな良い思いしてるんやw
19 :
名無し三等兵 :2009/09/06(日) 17:42:54 ID:???
戦前は貧富の差が激しかったから そこまで大金持ちの家じゃなくても多少裕福な家なら使用人いたんじゃなかっけ?
20 :
名無し三等兵 :2009/09/06(日) 18:24:20 ID:???
>>7 w
事実無根のw捏造をレスするw
キモブサ童貞乙w
21 :
名無し三等兵 :2009/09/06(日) 18:31:52 ID:???
>>18 パイナップルとかバナナは南の島のお約束だと思ってた。ドリアンて
ウンコ臭い奴だよね。
22 :
名無し三等兵 :2009/09/06(日) 20:53:56 ID:s7bwYGuG
大陸の飛行場では中国軍機の機銃を外して使っていたと聞いた。親から聞いた祖父の話。
23 :
名無し三等兵 :2009/09/06(日) 23:10:27 ID:???
旧日本軍あまり知らないけど、昔じいちゃんから聞いた話を思い出した じいちゃんいわく 「弾持てるだけ持って走ってって、機銃に板(?)渡してまた弾取りに行ってた」 …弾持ってって…板渡してたのか…?
24 :
名無し三等兵 :2009/09/07(月) 02:11:33 ID:???
25 :
名無し三等兵 :2009/09/08(火) 14:55:01 ID:???
昔の戦争映画なんかでM−1カービン?とかで撃ち終わるとパキンて鳴るヤツだよね?
26 :
名無し三等兵 :2009/09/08(火) 18:04:24 ID:???
>>25 それはM-1ガーランドの装弾クリップな
まぁ当らずと言えども遠からずだが
27 :
名無し三等兵 :2009/09/10(木) 05:14:14 ID:???
>>23 連発式の銃で、細長い銃弾を連続的に装填して発射するために、向きを揃えて並べた銃弾を、専用の直線状や円筒形の箱に収めたり、
曲げることができる「帯状」に繋いだり、曲げられない「板状」に繋いだりする。
その板状のタイプのことと推定される。
・・・という感じかな?
28 :
名無し三等兵 :2009/09/10(木) 05:17:33 ID:???
>>26 装弾クリップってのは5発とか6発とかかな?
機関銃より遥かに少ないだけで、理屈は同じではないのかな?
撃ち殻の薬莢の排出が違うとか?
専門的には別物とされてるとか?
29 :
名無し三等兵 :2009/09/11(金) 00:59:50 ID:9IypOo2k
従軍看護婦さんが何か絶叫しながら機関銃撃ってたの見て驚いたと、爺ちゃんが言ってた記憶がある 戦場にいて気がふれてしまったのかもしれん
30 :
名無し三等兵 :2009/09/11(金) 01:17:54 ID:???
自分は日米ハーフなんだが、祖母の従弟はオリスカニーに乗ってて、例の大火災を目撃して酒浸りになった 曾祖母の弟はアンティータム所属の機上無線員で、退役後は地元の州営フェリーに再就職
31 :
名無し三等兵 :2009/09/11(金) 05:49:34 ID:???
昔アメリカにホームステイしたときかつて米海軍だったじいさんが 言ってたがとにもかくにもカミカゼが怖くて怖くて仕方なかったらしい。 やつらはカルト宗教の信者かなんかじゃなきゃ頭が狂ってると思ってたらしく いつ突っ込んでくるかも分からずノイローゼになる人間も多かったらしい。 地元では対ドイツ戦線に行った人間が多くドイツが降伏し戦勝ムードで お祭り騒ぎで彼女とズッコンバッコンな中なんで自分はこんな目に…なんておっくうだったらしい
32 :
名無し三等兵 :2009/09/11(金) 17:49:28 ID:???
以前あと数日で特攻隊にいくはずだった老人と米海軍だった老人が テレビで対面していてアメリカ人が「あれは天皇のためにやってたんですか?」 と聞いたら「敵が自分たちの家族を守るための行動であり出来ることならば死にたく なかった」と言ったらアメリカ人が彼らはカルト集団ではなく方法が違うだけで 我々とおんなじなんですねと長年の誤解と疑問が晴れたと言ってたのが印象に残るな
33 :
名無し三等兵 :2009/09/11(金) 18:21:30 ID:???
34 :
名無し三等兵 :2009/09/11(金) 23:30:06 ID:???
保守
35 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 06:13:22 ID:???
36 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 07:14:54 ID:???
>>31 通常の爆撃、雷撃コースで、七面鳥撃ちにあって落とされてる奴は、鼻糞以下にでも思ってたのかね
37 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 11:28:42 ID:a8i1X3ko
祖父はあんまり戦争体験を語らない人だったが、 鉄血勤皇隊の少年達に、 「沖縄は君達の土地だろう?頑張らなくちゃいかんぞ」って言って聞かせて、 爆弾背負わせて戦車に突っ込ませた話をチラッと聞いた。
38 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 11:38:50 ID:???
39 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 13:13:43 ID:a8i1X3ko
>>38 そう言ったのは上官。
その上官も夜間切り込みに行って戦死
祖父は負傷して動けなくなってたとこを見つかって捕虜になった
40 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 15:35:10 ID:???
ガキをそそのかして戦わせるなんて最低の連中だな。
41 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 15:55:39 ID:???
切り込みとか戦車に特攻とか、そんな無謀な戦い方ばっかりしてるから10万の兵隊がむざむざ死んだんだろな アメ公なんて戦死したのが1万ちょっとなんだぜ
42 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 16:03:25 ID:hQb/Zq1C
鉄血勤王隊でも特攻でも、なまじ学があって屁理屈を捏ねる学徒兵よりは、 予科練などの少年兵や地元のガキを煽て唆してヒロポンの一本でも射って やった方が手間がかからずに楽だったんだろうな。
43 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 16:12:55 ID:???
沖縄基地外がわいてきたな 集団自決問題で騒いでるのもこいつらだろ そもそも沖縄戦は八原の考えで途中までちゃんと持久戦をしてた 感情的な論はいいからもうちょっと勉強してくださいね
44 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 16:31:49 ID:???
日本軍守備隊の三分の一が、現地徴集の素人だったんだもん… どんなに頑張っても勝てる訳ないだろ…
45 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 16:41:01 ID:WLvNjGVj
>>41 死傷率の交換比は5対3だ。あの戦力差装備の貧弱さで立派だと思わないか?
46 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 16:44:46 ID:???
47 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 16:52:57 ID:???
そもそも本土決戦の時間稼ぎなんだから 大本営も持久戦を想定してたし八原もそのとおり持久戦を展開して シュガーローフの戦いでバックナー中将討ち取ってる 切り込みなんてしだしたのは末期は末期 牛島が南に撤退していった後だろ
48 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 16:55:15 ID:???
どういう状況だろうが、子供を戦争に投入している段階でクズで 問題ないだろ。
49 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 16:57:52 ID:???
一応、形式的には志願です 日本政府は硫黄島のときと同じように老人と女子供を九州に疎開させるように働きかけています しかし、沖縄県民は疎開を固辞して残りました それで日本が戦争に巻き込んだなどと言われても
50 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 17:01:55 ID:???
壕に隠れてた女子供、老人を火炎放射機で焼き殺した米軍はもっとクズだけどね
51 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 17:24:37 ID:???
>>49 形式的には志願でも、実際には強制も多かったわけだが。
まぁ、慰安婦あたりと同じ理屈だわな。
> それで日本が戦争に巻き込んだなどと言われても
子供を戦争に投入しておいて、巻き込んでないってどんな
理屈だよ。お前馬鹿だろw
52 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 17:34:26 ID:WLvNjGVj
アメも10代の子供を投入してるがなw
53 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 17:34:58 ID:???
だから形式的には志願なんですよ 日本軍はペリリューや硫黄島みたいに現地人を疎開させて死人を出さずに玉砕しています 沖縄も同じように老人や女子供を中心に12万人を台湾や九州へ疎開する事を決定してます しかし、島に残る事を希望した県民や対馬丸事件などで8万人を疎開させるにとどまっています 何故、沖縄に残ったかというと当時の沖縄県民は皇民化教育が日本でも特にすすんでいた地域なのです 郷土が異人に踏み荒らされる事を危惧した郷土愛もあるでしょう 若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいたそうです それこそ沖縄県民斯く戦えりなんですね 確かに女子供を戦場に出したことは褒められたものではないですが これでも日本軍は沖縄を見捨てた、女子供を無理やり戦場に出したなどと言えるんでしょうか? 感情的にならずにもっとよく考えてください
54 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 18:23:17 ID:???
南京事件を事実と主張する脳に虫が湧いてる左翼さんの 相手してても仕方ない。 最近じゃあ親日台湾と日本を切りはなそうと言う動きまで あるんだからほとほと呆れるよ
55 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 18:33:50 ID:???
>>53 アメリカがやったら日本もやっても良いのか?w
>>53 だから形式的に志願でも、事実上強制だった以上その言葉に
意味なんかないだろ。馬鹿w
> 女子供を無理やり戦場に出したなどと言えるんでしょうか?
実際、無理矢理出してるんだからそう言われても仕方ないなw
> 感情的にならずにもっとよく考えてください
お前がなw
56 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 18:42:40 ID:???
俺は右でも左でもないが軍による強制だったか否かでお前らと何の関係あるの? 過ぎ去りし時の事を当時を知らない世代が言い合ったってなんの進展もないし そんな暇ありゃ仕事しかり勉強頑張れ! それこそ日本の景気のためでもある
57 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 18:47:41 ID:???
>>56 沖縄県民が未だに政府から恩給もらってる事についてはスルーですか?
58 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 18:59:05 ID:???
従軍経験者は沖縄県民に限らずもらってるw
59 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 19:02:22 ID:???
そういうことじゃなくて 赤松大尉が遺族を救うために傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため 軍命令として自分たちで書類を作って、汚名を全てかぶって 未だにとさつ者呼ばわりされてるってのは知ってますか?
60 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 19:28:14 ID:???
負けるってのはそういう事
61 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 19:33:08 ID:???
勝ち負け関係ないでしょw日本人同士ですよw この場合嘘をついたことはもちろん褒められた行為ではないけど 戦後の混乱期を生き抜くためには必要悪と言えなくも無い 戦争は昔のことだと言うけど今の時代にも充分つながってるわけだから 過去のことだからとそこで思考停止してしまうのは感心しませんねぇ って話がそれてきてるんで祖父の戦争体験話に戻しますか
62 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 19:34:27 ID:???
勝っていれば追求されないって事は山ほどある 勝ち負けは関係ある
63 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 19:37:25 ID:???
はい?ww遺族者年金のために村長が大尉にお願いをして十字架を背負ってもらったって話ですよ 勝ち負けは関係ないです
64 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 20:36:00 ID:???
勝てば官軍 真珠湾攻撃の報復として本土無差別爆撃や原爆投下が正当化されるならば 盧溝橋事件や通州虐殺や上海事変の報復としてシナ主要都市の 民間人含めた無差別殺戮をしたとしても道理的には正当化してもいいと言う事になる。 国民党軍らが都市部に退却し追いかけ都市占領国民党軍退却追いかけ…の無限ループの 対戦闘員への攻撃の繰り返しを日本による侵略と言われる道理などない。 一つだけあるのは連合国への敗戦国と言うだけがおもな理由。
65 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 20:42:25 ID:???
いやだから・・・話違うじゃん・・・ もういいわ
66 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 22:21:13 ID:SoguSY9+
俺の祖父は、中ソ国境地帯で、戦っていたんだが 色々話は聞いた。 満州に渡る前祖父は、呉に駐屯していた頃 呉の散髪屋で若く綺麗な娘さんが頭を刈ってくれて、嬉しかった事。 戦場で祖父をイジメてた「満年二等兵」を後ろから撃ち殺そうとしたけど、銃撃戦が始まるとソイツは、いつも隠れていて見つからない事 じゃが芋を生で食べていたら中隊長に呼ばれて、慌てて行くと 「貴様は、良くやってるから、今日から上等兵にしてやる」 と言われて嬉しかったが、さっき食べたじゃが芋が腹で暴れだし中隊長の前で下痢を我慢するのが大変だった事。 他にも色々話を聞いた。 俺も祖父達に近付きたくて自衛隊に入隊、除隊後に傭兵を二年やったけど 国、家族、恋人のために肉弾と化して戦った祖父達には、遠く及ばない。 俺は、自分の欲求を満たすために軍人になったが 祖父達は、自分の意志とは関係なく、国に殉じた。 様々な葛闘や想いがあっただろう。 俺の祖父は、それらは語ること無く亡くなった。 最後は正に武人らしい死に様だった。
67 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 22:37:06 ID:???
誇れるじいちゃんがいていいじゃないですか。
68 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 22:56:59 ID:SoguSY9+
>>67 ありがとう
祖父の事は誇りに思います
しかし、それ以上にあの大戦に参加した方々の子孫で在ることを誇りに感じます。
さぞかし 辛かった事でしょう。
俺は、日本人で在ることを誇りに想い、先人達に感謝したい。
69 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 23:13:55 ID:???
一家、縁戚含めてみんな陸軍将校の陸軍一家に生まれて武のカケラも見つからない貧弱な俺・・・
70 :
名無し三等兵 :2009/09/12(土) 23:46:09 ID:???
私の祖父の兄は、陸軍海上挺進戦隊の隊員だったそうです。いわゆる「特攻挺・マルレ」に搭乗し、沖縄・ケラマ列島近海にて散華したと言っていました。 船舶特別幹部候補生出身、享年18歳。 この事は戦後しばらく経ってから分かった事で、当時は特攻挺の存在も極秘にされていたみたいです。 「自分の兄貴は飛行機乗りじゃなかったから、まさか特攻隊だとは思っていなかったわ…。」 と祖父は言っていました。
71 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 00:21:06 ID:JUWsYHKI
先人が死んでいくのはつらいな。果たして先人は安心して死んでいけるかが問題だが。
72 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 00:36:05 ID:???
フジのドラマに関連して 父方の親戚がモンテンルパで処刑されてるが、 歌のきっかけになった14人の前だった為に殆ど知名度がないのは身内としていい事なのかどうかよくわからん 一応本人の名誉の為に言っておくと、罪状は住民の虐待、虐殺だったが、 例にもれず簡単な顔通して決められただけらしく、部下の証言等でその当日現地にいなかったのは確定してるらしい
73 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 02:29:57 ID:???
>>69 今の日本ではサラリーマンやものづくりが企業戦士だ。
時代は変わったんですよ。
74 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 07:33:39 ID:JUWsYHKI
>>69 気にするなよ。所詮武士なんて百姓に負け続けてるようなのが実態だし。
日本最強は百姓だぜ。幕末最強の伝習歩兵隊も百姓町人だし
75 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 08:13:16 ID:???
>>70 有名な航空特攻の影に隠れてしまっていて、今もほとんど世に存在を知られてないよね。フィリピン戦、沖縄戦などで二千人近くが戦死してるというのに
76 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 08:17:19 ID:???
特攻艇での体当たりで何か華々しい戦果とかあったん?
77 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 09:26:42 ID:???
>>76 海軍の震洋が、
大型上陸支援艇 LCS(L)(3)クラス(390トン程)を三隻撃沈
15号、26号、27号
(ただし27号は後に浮揚、修理され復帰
陸軍のマルレは、
フレッチャー級・チャールズ・J・バッジャー(DD657)の大破着底
が最高戦果で沈没はない筈
たぶん両艇の戦果はもう少し多い筈だが、
戦闘に参加したそれぞれの部隊がほぼ全滅していて記録が伝わらない
78 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 11:15:53 ID:EEi0Gltw
>>70 揚げ足取りではないんだが、幹部候補生出身の特攻隊員で享年18才とかあるのかな?
幹部候補生と云えば、旧制(当たり前だが)の高校/高専や大学出身者から選抜された
と思っていたが年令的にどうぉなのかな? まぁ、博打や喧嘩の話しはダレも勝ったこ
としか話しをしないのと一緒かも知れんが・・・・・。
79 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 12:39:59 ID:???
80 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 16:27:24 ID:???
>>74 武士が百姓に大々的に負けたことなんてあったっけ?
戊辰戦争も率いてたのは武士じゃん
軍にしたって戊辰戦争経験した士族が士官の時代はよかったが
賊徒奥羽越列藩の百姓なんかが士官学校経て軍で力持ち出してからおかしくなったじゃん
無能の百姓はくせーから田んぼでも耕してろ
81 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 17:45:02 ID:???
>>77 たったそれっぽっちの戦果なのか…
こう言っちゃなんだけどまさに犬死にですよね
82 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 18:11:56 ID:OWI8Jpu2
>>81 特攻はたしかに作戦としては、失敗。
被害の割に戦果も少ない。
私は、特攻を美化する気は無いが、
強制だったとしても、祖国に殉じた特攻隊員を「犬死に」呼ばわりする事は、
許さない。
83 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 18:26:02 ID:???
>>81 侵攻速度の抑制、行動の制限を課せられれば充分でしょ。
基本的に、中立国での停戦交渉を成立させる為の時間稼ぎ、はったり以外の
何ものでもないんだから。
84 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 18:35:35 ID:???
電撃的な敵HVUの無力化がポイント
85 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 18:37:30 ID:???
行動制限とはブレインクラッキングに伴う全思考情報のオートログ化およびこれを踏まえながらの組織的対世論工作などだな
86 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 19:24:50 ID:???
>>81 特に、
沖縄戦ではあれほど人材/資材/時間を投入して整備した震洋艇隊だが、
LCS(L)(3)-15の一隻撃沈(日米の資料付き合わせると第二十二震洋艇隊の戦果)なのが悲しい
さらに、
震洋艇隊は基本・独立部隊で部隊長の裁量で行動がある程度出来たが、
マルレは上級司令部直属の為、戦場の現状不明な中にいきなり出撃させられたりで悲惨度はさらに高い
(その代わりといってはなんだが、細かい戦果はマルレの方が良く残っていて伝えられている様だ
87 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 19:45:28 ID:???
88 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 20:01:57 ID:???
>>78 「幹部候補生」と「特別幹部候補生」は違うよ。
89 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 20:53:45 ID:JUWsYHKI
90 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 21:01:09 ID:???
そんなにしょっちゅう武家が百姓に負けてたら幕府なんて存在しないわw
91 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 21:43:11 ID:???
>>90 いわゆる『百姓一揆』だけど、
農民側の主張は多くの場合通るよ
まぁ、首謀者格は死罪含む重罪だけどね
92 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 23:08:35 ID:???
93 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 23:43:08 ID:???
全然違うがな・・・
94 :
名無し三等兵 :2009/09/13(日) 23:56:57 ID:???
非常勤と常勤みたいなモン?
95 :
名無し三等兵 :2009/09/14(月) 00:51:37 ID:???
幹候と特幹。 違いは検索したらよくわかりますよ。
96 :
名無し三等兵 :2009/09/14(月) 04:30:54 ID:???
いい加減スレ違いに気付け
97 :
名無し三等兵 :2009/09/14(月) 13:10:26 ID:???
うろ覚えだけど、近所のじいちゃんから聞いたインドネシアに行ってたときの話 東北の人達は一日一回の配給を数回に分けて食べてたのに対して 九州の人達は一度で食べきってしまって、後は釣りや狩りをして遊んでいたんだとか で、このじいちゃんは罠でサルを生け捕りにしたんだけど 「う〜ん、さすがにこれは食べられんなぁ・・・」ってことでペットにしたんだと 捕虜になった後の話だったかな?覚えてない・・・・・
98 :
名無し三等兵 :2009/09/15(火) 03:42:28 ID:???
帝国海軍の軍人の軍歴を調べるのによい資料があれば教えてください
99 :
名無し三等兵 :2009/09/15(火) 09:03:00 ID:ohg003V3
じじいの戦争話なんてどうでもよくない? おばあさんの戦争話を教えておくれよ。
ばあちゃんか・・・都市部空襲の時に村の辻まで出て見物してたらしい。明るくて花火のようだったと。 アメさんは怖いと思ってたらしいが、飛来したグラマン?のパイロットが手を振ってくれたと言っていた。 あと、ひもじい思いはまったくしなかったと。体験談なんかを見聞きしてはやや不審そうにしてる。 また父親(俺のひいじいちゃん)が復員した時に被ってた鉄兜に糊を入れて障子貼りに使ってたらしい。
両親や幼い兄弟に新婚ほやほやの綺麗な新妻を米帝から守るため 特攻にて戦死し戦後食っていけない新妻は米兵相手の店で働き 手込めにされ出来ちゃった婚したのはいいが数年後自分と子供を 置いて帰国し向こうで幸せな家庭を築き嫁は戦後血を吐く思い出 生きていった女性の話を聞いたことある。
瀬戸内海の某田舎町にいた婆ちゃん。 その地域の国防婦人会のトップだったそうな。 かっぽう着にたすき掛けした100人くらい女性たちの中央に座るばあちゃんの写真を 見たような気がする。 海沿いで畑もやってたから、食いものには困らなかったそうな。
そういえば田舎の婆ちゃん家で、 紀元二千六百年記念?の時に撮影したという集合写真を見た事あるなぁ 純粋そうな女学生達がいっぱい写ってた
104 :
名無し三等兵 :2009/09/15(火) 21:00:02 ID:4RC1HdA3
爺ちゃんの家の近所にB29が撃墜された。 血の気の多い連中が機内に乱入し米兵を殺してやろうとしたが乗員は全員死亡 腹いせに身ぐるみをはいでやろうとして米兵のポケットに手を入れたら、米兵が コンバインの前で家族と一緒に撮影した写真が一枚。 無言になり「こいつも百姓か、、、、。かわいそうだから荼毘にふしてやろう。」 ということになり乗員を燃料タンクから盗んだガソリンで火葬にしました。 そして戦後、町に来た進駐軍の兵隊さんに米兵にお墓を教えて、供養したことを伝えたら 隊長さんが泣きながら感謝してくれたそうです。 しかしそのB29は燃料、電線、ゴム、座席そして最後は鉄板の順番に村人が盗んでしまいました。
>>104 戦争なんてするもんじゃあないなぁ・・・。
106 :
名無し三等兵 :2009/09/16(水) 05:33:32 ID:mu1z7ChQ
戦争は軍隊同士でやるもの 非戦闘員を殺しにきたB29の米兵を供養するとは見上げたもの さすがは日本人 ビンラーディンは広島、長崎はじめベトナム、アフガニスタン等々 民間人を平気で殺すアメリカへの憎しみでテロを煽動している 9.11WTCで約3千人の無辜の民が殺されたが、アメリカは今でも日常的に 同じことをやっている
>>106 非戦闘員を殺しにきたB29の米兵で、
生きて捕虜となった者は、
軍律会議に掛けた上で死刑になってますけどネ
>>104 捕鯨、クジラの解体の光景を髣髴とさせるなw
映画(ブラックホークダウン)のソマリアじゃないが、海外の感覚なら敵兵を撃墜した日にゃぁ、
クルーは引きずり出して市中引きずりまわしがデフォなんだけどな。
今日本と中国が戦争になったら本来の残虐な国民性+中共にあることないこと 日本の事を悪く叩き込まれて頭でっかちになりすぎた今の世代の人民解放軍 なんかにえらい事されそう。 虐殺されても南京の報いだとか核落としても先祖の怨みおもいしったかくらいにしか 思わないのでは?
110 :
名無し三等兵 :2009/09/16(水) 12:52:53 ID:FGFR1xuR
俺の地元じゃ、パラシュート降下して来た米兵を農家の人達がなぶり殺し寸前までボコッたけどね。 機銃掃射で、小さな子供達まで狙われてたから恨みがあったみたい
>>106 それはキレイゴトで、父島では皇軍将校が米兵を殺して食ったりもした
オーストラリアでは、捕虜の日本兵を豪軍兵士が輸送機の上から突き落として殺したりもした
南京での一件は言うに及ばず
>>111 少なくとも、南京事件は大捏造
情報弱者乙
>>112 日本側の記録にも、南京の事は書かれているんだが
数は不明だが
114 :
名無し三等兵 :2009/09/16(水) 16:10:51 ID:2Te/d0Pc
戦争も喧嘩じゃから、卑怯も汚いもなくお互いにひどいことをやり合ってるんだろ。 でも、人を喰った(遊び半分にせよ、餓えが原因にせよ)のは、恥ずかしくも残念ながら 我が大日本帝国軍人くらいなもんだろう。
ここはおじい様の戦争体験を話すスレなので そういうプロパガンダ的なことは他でやってください
>>114 中学生か?もうちょっと勉強してから書き込もうな
118 :
名無し三等兵 :2009/09/16(水) 21:45:05 ID:wFuIc3wT
>>111 まあ大人の男の集団だから頭が妙な奴もいるからそいつが殺人行為を楽しんだのは事実のようだが
虐殺はない。丸でも書いてたが南京の日本兵が人力車から兵営に飛び込んで金を払わないから中国人が
抗議して金を払わせたらしい。虐殺があった町でこんな事できるか?
支那・チョンの妄想は一事あると3000倍になるからなw
南京事件の被害者数をあーだこーだ言う奴の神経を疑う
南京? 市街戦なんだから、市民にも一定の死傷者が出てしまうのは当然 (しかも、この場合市民が市街地から退去する事を中国当局が禁じていた為その数が多くなってしまった
122 :
名無し三等兵 :2009/09/17(木) 01:58:09 ID:bNTgTKS8
>>110 それがいい意味での日本人の甘さですね。
殴るが殺さない。
殺すのは裁判で、、、
うわーん 爺婆が居なくなったー
消火移籍国民党が起こした戦で猛多苦闘共産党まで日本軍と戦うはめに なったからたまったもんじゃないのかね? で腹いせに戦後の反日教育
>>106 911の前に、クリントンがアフガニスタンへの爆撃をしているので、その報復をしたに過ぎない
>>113 日本側の記録に南京事件は書かれていません。
あれは、昭和50年代に捏造されたプロパガンダです。
無知を晒して恥ずかしいですねwww
>>126 ん?殺害人数はともかく、南京で皇軍将兵が一部暴徒化して、殺人略奪強姦して、その取り締まりに苦慮するとかの記述は、
将兵の手記や著書や、果ては戦史叢書にまで、しっかり書かれていますが?
だいたい、戦史叢書を除けば、戦後直ぐに書かれた著作も多いのに、その全てが捏造だとは考えづらいだろ?
戦史叢書なんて第一級の資料なのに。
>>127 おまえは「中帰連」とか知ってんのか?
そうじゃなければ、在日か極左か?
南京攻略時の戦闘の際に一般市民も巻き添えで死んだのは間違いないと思うけど、 占領してからわざわざ一般市民を殺して何のメリットがあるのか、ましてや貧乏ケチケチの日本軍が、陛下から頂いた弾薬をそんな無駄な事に消費するとは考えにくいんだよなぁ… スパイとか民間人に紛れたゲリラ討伐の為に、怪しい奴を捕まえて殺した事もあると思うけど、30万人はありえんw
戦時国際法違反であるゲリラ兵を合法的に処刑した+極一部の現代を生きていれば 秋葉あたりで事件起こすようなキチガイによる犯罪が南京事件の全貌
131 :
名無し三等兵 :2009/09/17(木) 20:07:22 ID:Ji8gIKxH
surechi
さーて、当時の南京の人口はなんきんだ?なんちゃってw …まぁそれは良いとして、不明確な虐殺数を信じてる連中って本当にまだいるんだね。 一体30万人はどこに居たんだよ、まずはそれから教えて頂きたいなぁ ってかやったと思っているのなら、自ら南京に出向いて謝罪すればいいのに。 そうすれば自分くらいなら許してもらえるんじゃない? それとも出向く勇気もないのかなぁ?
だいたい戦史叢書ってなんだよ ブサヨクのプロパガンダだろ、バーカ、クルクルパー、お前の母ちゃんデベソ、フックユー
136 :
名無し三等兵 :2009/09/17(木) 21:31:44 ID:n6Rc1cG3
まあいいんじゃないか南京虐殺があったことでしかし南京虐殺があったという奴の先祖が30万人殺した殺人鬼の血を引いてると言う事で 決着だな。その他の日本人は身に覚えがないんだからそうに違いないw
>フックユー 思い切りフックを叩き込むんですね、わかります
マニラ市街戦10万人虐殺も忘れちゃいけません! 米軍による猛烈な砲撃の真っ只中で、武器弾薬も足りない貧弱な装備の日本軍が10万人もの市民を殺したのです! まさに日本軍最強伝説です!
139 :
名無し三等兵 :2009/09/17(木) 22:59:40 ID:6lugGGXj
>>133 何で艦首から沈んだ筈の武蔵が艦尾から沈んでるんだよw
>>138 なんでもかんでも一緒にしてはいけません。そもそも海軍陸戦隊がマニラからの退却を受け入れていればあんな被害は出なかったでしょう?。
直接的にではないにせよ、マニラ市市民の犠牲者は日本軍による虐殺と言えます。
南京事件の犠牲者(が居たとして)は国民党軍による虐殺だね
>>140 ブサヨク乙
戦争にはある程度の犠牲はつき物です
だいたい、多少の占領地住民が死んだからといって、あの戦争の大義は変わりません。
死んだ住民は天皇陛下へ命をささげたのです。
>>141 そのとおりです
多少の占領地住民が死んだからといって、あの戦争の大義は変わりません。
死んだ住民は天皇陛下へ命をささげたのです。
今日じーちゃんに、少年時代に呉で海水浴をしていた時に、呉を母港としていた重巡最上をよく見た話をきいてきた。 当時、少年誌に最上が最新鋭艦として掲載されていて、あれが最上かぁと感心して見ていたそうな。 あと、父親が海軍士官だったじーちゃんが戦艦榛名でカレーライスを食わせてもらって、艦橋にも上らせてもらった話も聞いてきた。 戦争時代の話となると生き生きと話し出すから認知症防止のためにも話をもっと聞いてやらなきゃと思ってる。
マニラ市街地での戦闘の被害は米軍の無差別砲撃による物。 日本軍が殺したではなく米軍が無差別砲撃でフィリピン人を殺した。 故に一部のフィリピン人はアメリカを恨んでる
>>145 あほか、そういうことやなくて、陸軍がマニラ市街からの撤収しとんのに海軍陸戦隊は市民に大損害の出る市街戦を選択したから、市民に無駄な犠牲を出したんやってこと。
市街戦の後半で市民が避難してた旧要塞地区に陸戦隊残余が立て籠ったが、米軍は降伏勧告後に砲爆撃を開始してる。
これは米軍の降伏勧告を除いて首里陥落後の沖縄戦と同じ結果だろ?
あんたは「沖縄県民と日本兵が入り交じる情勢下で砲爆撃を続けたんだから、やはり島民の犠牲の責任は米軍にある」と言えるんか?
マニラって、無防備都市宣言してなかったけ
したんだけど、海軍さんは市街に留まっちゃったからあら大変。 一応海軍の中にも山林持久戦派は居たけどね…
>>146 典型的な左翼の論法
どうやってでも日本を悪者にしたいらしい
150 :
名無し三等兵 :2009/09/18(金) 12:40:47 ID:B/qBf5ss
一般市民がいるのをわかってたのに砲撃した米軍が悪い
味方国の市民が居るのを知ってて無差別砲撃した米軍。 つまり米軍は勝つ為ならフィリピン人事殺る訳だ。 因みに敵市街地に立て籠るのは一種の合理的な防衛手段だ。 最も連合国は味方国の市街地に立て籠って被害を出させたがな。
152 :
名無し三等兵 :2009/09/18(金) 16:49:41 ID:6iQq2Lsp
アメリカって仁川でも同じことやってたよね。 艦砲射撃と無差別爆撃やってから上陸作戦
やっぱり日本軍は正義の軍隊
>>154 アジアの解放、発行一宇という大義を掲げたがら
156 :
名無し三等兵 :2009/09/18(金) 18:33:52 ID:KSCd0cYA
まあ軍隊を正当化する事はできないが大東亜共栄圏構想に世界に先駆けて人種差別撤廃を主張 したりと大義名分と言う点においては凄いと思うよ。 第二次大戦後にキング牧師らが黒人差別をやめよう、人種差別をやめようと訴えていたが それはあくまでもいじめられっこがいじめっこに俺たちをいじめるなと主張したにすぎないが 日本は明治維新後から国家規模で人種差別撤廃を主張し経済力、軍事力、ジャポニズムに象徴される すぐれた芸術的日本文化や他国よりも勤勉で清潔好きで約束を守る民族性など世界に 発信し続けたのは凄いと思う。 他のアジアの国の人らはいい気はしないとおもうが日本がなければ今でも非白人国家、アジア人は 心底蔑まれていたと思う
まあ、世界史上、日本ほど尊い国家はないのだ。
>>156 にもかかわらず、一部アジア人を差別し蔑むネトウヨの巣窟2ch
人間は人糞なんて食わないからな。
>>158 あなたの言うアジアってドコのことかしら・・・?
桜井よし子
161 :
名無し三等兵 :2009/09/18(金) 20:43:15 ID:qbnKKusj
>>158 チョー いらつくんですけど?
浜田ブリトニー
>>158 の言うことは間違ってない。間違ってないと言い切れるほど知識もないが。
でも少し聞いてくれ、それが全部じゃないだろ?
>>158 さん。あんたもそういう風に客観的に見てるからには、中道的な立場を採ろうとしてるネラーも居るってことを理解してるはずだ。
>>156 も、そう言おうとしてるように見える。
163 :
161 :2009/09/18(金) 20:50:10 ID:???
ごめん。いい加減スレ違い過ぎだった。
164 :
名無し三等兵 :2009/09/18(金) 21:24:47 ID:oqwRq60j
おれの爺さんは予科練で、特攻くずれ。 俺が防衛医大に受かったとき、「さすが俺の孫だ!」てな感じで大喜びした。同じ軍隊の学校だっていうので。 結局、俺は併願で受かった地元の医大にいったんだけど。
165 :
名無し三等兵 :2009/09/18(金) 21:51:09 ID:B/qBf5ss
>>164 ここは脳内妄想を書き込むスレじゃないです
167 :
162 :2009/09/18(金) 23:25:40 ID:???
>>155 > アジアの解放、発行一宇という大義を掲げたがら
何故誰も突っ込まない?
×発行一宇
○八紘一宇
》何故誰も突っ込まない 2ちゃんだから
言ってる本人ですら信じてないのに大義とか笑えるわ 侵略の正当化のための建前にすぎない
171 :
名無し三等兵 :2009/09/19(土) 08:13:37 ID:tNddqOxY
スレチだぞボケ共 スレタイを100回読み直して来い
質問です。 軍隊は「自己完結」できる組織とよく聞きます。 「自己完結性とは軍隊が食料・電気・通信・移動などの生存ひいては作戦行動の遂行に必要なインフラを自分たちで用意する能力である」 ってことは、つきつめれば自前で食料を生産できなかったり、自前で戦車を移動できずに日通に頼んだり、自前で被服を生産できず外注したり、 自前で医官を充足できず困ったりしている自衛隊は、自己完結できていない中途半端な組織ってことでいいですか?
軍隊じゃないからおk
>172 スレチな質問すな、他に行け
>>172 そういうのを、引っ括めて軍属と云うのではないの?
原子力空母に女性隊員載せれば、兵隊を造り出すことも出来るな。
一度も外国の干渉を受けたことのない皇国日本が、なんでアメリカごときのイヌになってしまったんですか? 大戦当時の日本人は、日本人としての矜持や愛国心や大和魂を持ち合わせていなかったんですか? 特攻なんて若者たちにやらせた以上、一億玉砕しかないんじゃないですか?あの世で特攻隊員に何て言い訳すればいいんですか?
特攻隊員も安心してるだろうさ、一億総玉砕なんてラリ思想が実行されなくてな。 特攻は国を守る為のもので、守るべき国をなくしてしまう総玉砕なんてのは本末転倒。 わかったなら黙ってろ。スレ違いだ。
特定アジアがほんとにあったのかわからない日本軍の残虐さを 何代にも渡り文句たらたら言ってるがあいつら自身 日本を圧倒できる軍事力があれば日本侵略を考えてたんだろ? まだまだ国力に圧倒的差があった明治時代の長崎事件しかり 明らかに日本を色目で見てたんだし… 要は喧嘩でどつきまわされた事に対して負け惜しみ 言ってるわけだろ?
終戦後、進駐アメリカ軍による犯罪が相次いだのに、日本人はどうして反乱やテロをおこさなかったんですか? 余りにも情けなくはないですか? イラク人やアフガン人ですら、侵略者には血の復讐を仕掛けているのに?
>>179 日本人の国民性ですね。
良かれ悪しかれ、団結しているので
日本は過去の分裂の危機を残りえてきたのです。
一回書き込んだことがある…と思うが 戦争中の事をほとんど喋らなかった伯父さんの話 これもスレチかもしれんが見逃してくれ 海軍陸戦隊で95式軽戦車に乗ってた フィリピンで港の警備をしてた時、まだレイテに米軍が上陸する前 昼は空襲が酷く、夜になってやっと港の近くに隠していた物資を運搬するんだけど トラックとか足りなくって陸戦隊の戦車まで駆り出されてた その頃はゲリラの活動も活発になってて、夜の輸送も少なからず襲われていたんだって 暗い夜道をライトもつけずに月明かりを頼りに戦車で進んでいたとき、 耳元で声が聞こえた気がして、思わず戦車を停止させてしまった とたんに目の前で大爆発(多分バズーカだと言ってた)、 続いて車体にあたる弾丸の音、銃声 慌てて機銃やら大砲やらをぶっ放しつつ後退 命からがら逃げ帰って 戦車長から 「攻撃の前に止まったな、敵が見えたのか?よくわかったな」 「いえ…あの…耳元で声が聞こえたのです」 「声?」 「あれは、母ちゃんの声でした」 「訳わからん事言うな!」と鉄拳が飛んでくるかと思ったら 戦車長は「そうか…」と言っただけで納得してくれたそうな 「母ちゃんには何度も引っ叩かれたりしたが、あれだけは感謝しとる」 婆ちゃんの葬式のとき、唯一してくれた戦争中の話だ よくある話でスマン
スレの本道をいくお話です。母の愛ですね。
うん、母の愛は強し。
科学的に言っちゃうと情況分析音(ロールシャッハ音とも) ※エンジン音の様な単調なノイズ系の音を聞き続けていると脳が勝手に音と音を繋げちゃって意味のある言葉/聞いた事のある音にしちゃう プラスいわゆる第六感、てやつなんだろうけど良い話
日本は水に流すと言う文化があり型が付いた後も足掻く行為は見苦しい と考えてしまう、戦国時代も戦に負け敵に城を明け渡す時 城中を磨き掃除し武具を整列し完全な状態で敵を迎え入れたと言う。 天皇の玉音放送の時点で腹を切る者しぶとく生きてく者文字通り 腹をくくったんだろう。 これを武士道の名残だと言えばそうかもしれない。
いつまでスレ違いの話を続けるつもりなんだね? お前達が語らずともそんな話は十分熟知してる
213 名無しさん@3周年 [sage] Date:2009/09/09(水) 15:48:10 ID:jT9czR/B Be:
実現可能な案がある
保守系議員や国民で臨時政府を樹立し保守革命を起こすこと。
そして国民・国際社会に民主党や社民党、売国議員、団体・マスコミの情報操作について訴え、臨時政府が日本国の正統政府であることの理解を求める。
テロ行為で。
臨時政府とするのは内乱罪の適用は困難になり、むしろ彼奴らの方が不利になる。(売国法案の証拠もある点)
215 名無しさん@3周年 [] Date:2009/09/09(水) 16:23:28 ID:2+pd3bhM Be:
>>213 いっちょやってやりますか。
マスコミの偏向報道パワーは怖いですが。
とにかく今のマジでやばい現状を国民に伝えるのが一番の得策です。
217 名無しさん@3周年 [] Date:2009/09/09(水) 17:51:47 ID:i4aqPBvd Be:
>>213 そうなったら。ぜひ参加したいです。自分達で出来ることはしないと、このままでは日本が滅びる。
228 名無しさん@3周年 [] Date:2009/09/10(木) 00:12:38 ID:66B65odU Be:
>>213 それしかないね。
幸い、西側諸国は政府もメディアも応援してくれるはず。
236 名無しさん@3周年 [] Date:2009/09/10(木) 00:42:37 ID:eGQVeU8Y Be:
>>213 それやりたいね。
総理 鳩山由紀夫 (故人献金)(友愛外交)(崇教真光)(在)(施-副会長)(死)(平-会長)(韓-委員長)(朝)(外)(図-提出) 戦略 菅直人 (シンガンス)(ブーメラン)(カイワレ)(お遍路)(死)(国-世話人)(韓-顧問)(交-顧問)(外)(図)(旗) 官房 平野博文 (解同とのパイプ)(朝)(図) 総務 原口一博 (光の戦士)(TVの電波料金を安くする発言)(外)(図)(旗)(統) 外務 岡田克也 ("国益"という言葉が嫌い)(崇教真光)(死体水)(在-会長)(平)(韓)(外)(人)(図) 防衛 北澤俊美 (両院協議会にて、前代未聞の散会宣言)(外) 財務 藤井裕久 (マルチ関連のwiki改竄疑惑)(在)(外)(マ-会長) 金融 亀井静香 (国民新党党首)(死刑廃止議連-会長)(交-顧問)(外)(人) 厚労 長妻昭 (北の核は日本にも責任と発言)(図) 経産 直嶋正行 (自動車総連)(外) 法務 千葉景子 (シンガンス)(慰安婦法案)(国籍法で強行採決)(社)(在-呼びかけ人)(死)(局)(平)(鮮-顧問)(外)(人) 文科 川端達夫 (パチンコ協会)(在)(外)(人)(図) 少子 福島瑞穂 (著書:子供を持たない楽しさ)(社民党党首)(慰安婦法案)(死-副会長)(平)(交-顧問)(外)(人)(二)(旗) 農水 赤松広隆 (北系パチンコから献金)(社)(在)(局)(平)(外)(図)(旗) 国交 前原誠司 (偽メール問題)(在)(朝)(外)(図)(旗)(統) 環境 小沢鋭仁 (民潭大会で怪気炎)(在)(平)(外)(図)(旗)(パ) 行政 仙谷由人 (蒟蒻ゼリー販売禁止を申し入れ)(地球市民)(社)(在)(施-発起人)(外)(人)(図) 公安 中井洽 (光熱水費を架空支出)(外)(図) (社)元日本社会党 (在)在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟 (施)国立追悼施設を考える会 (死)アムネスティ議員連盟 (局)新政局懇談会 (国)国のかたち研究会 (平)恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟 (韓)日韓議員交流委員会 (朝)日朝友好議員連盟 (鮮)朝鮮半島問題研究 まさに売国政権・・・・早く保守革命を起こさないと日本は特亜の植民地となる!目覚めよ日本人よ!我とともに戦え!
じいさんは、よく、 昭和天皇だあ?原爆仕方ねえとかどの口が言ってんだ、このカス野郎は。 こんな奴を生かしておいたのは、日本列島に住む人類にとって恥というべきだ 国民裁判にかけて、ぶち殺すべきだったんだ、こいつの名の下にどれだけの将兵が犬死にしたというんだ、クソ野郎 と、いっていました。
>>183 嘆願により事態を長引かせた生命科学系の権威・有力者
>>183 ゾーニングは行っている
この辺の連中への非難・批判の嵐を迅速惹起
すべて特定せねばならないと考える
晒すのは政治家の責務
?
素体実験などが表面化した
あ
>>193 ジジリウムと人口筋肉があれば10年は戦えた
196 :
名無し三等兵 :2009/09/20(日) 10:10:59 ID:JHoNQ9pe
物資かなんか運ぶのに沖縄にいたって聞いた、大和見たって言ってたよ。 こないだ入院した時に同室だった爺さん二人の話聞いてたら、一人は北海道の憲兵隊にいて、もう一人はシベリアで抑留されてたみたい、物資がなくて木製の飛行機が云々って話してたなぁ
このたびの総選挙の得票率は、大まかに 民主6:自民4である! それなのに議席数でなんで3倍もの大差がつくのか? これは民主党や在日朝鮮人の陰謀ではないか? こんな選挙制度は正常な民主主義ではないぞ? はやく民主党に破防法を適用せよ! 明仁は早く国民を率いて蜂起せよ!!
>>66-68 w
事実無根のネタをw捏造するw
国賊売国奴のwキモブサ童貞乙w
>>196 >木製の飛行機
明星(艦爆)やキ106(木製疾風)か・・・
キ106はそこそこ飛べたが明星はダメポだったらしいね
うちの先祖は悠々自適の生活してたのに維新の時担ぎ出されて 現人神って崇められて大変だったらしいよ
>>197 前回の小泉郵政選挙での与野党得票率はざっくり50%対45%
たった50%の得票で与党は2/3の議席を獲得している
得票率5%差で議席数も2倍以上の差がついてるよね?
これって自公の陰謀じゃないの?
それとも、自公の陰謀はきれいな陰謀だからいいのかな?
で、そもそも得票率が議席に反映しにくいのが小選挙区制度
その小選挙区制度を採用したのは自公なのは知ってるよね?
ネタなら筋が悪いし、本気だったら頭悪すぎ
どちらにしろ口を開くと恥をかくタイプのようだから黙ってるのがいいと思うよ
どっちにしてもスレ違いは出てけ
>小選挙区制度を採用したのは自公なのは知ってるよね? 細川内閣は小選挙区比例代表並立制を柱とした政治改革関連法案の成立を目指し、 1994年1月29日、自民党の要求を容れる形で修正案を可決した。
全く働く気が起きないです。自分は小・中学校でいじめられて不登校になり、中学卒業後、高校へも行かず、 仕事もせず、10年経って現在に至ります。一日中パソコンに向かい、インターネットかゲームをして、 部屋に引きこもっています。 親は「働いて欲しい」と言っていますが、全く働く気が起きず、「働いたら負けかな」とさえ思えてきます。 目指す夢も無く、したい職業もないのですが、これからどうしたら良いかさえ分かりません。 自転車に乗れば、友達ができて仕事につく気力も湧いてきますか?
↑釣りコピペなので、まともに反応しないように。
い
母親が介護の仕事をしていてあるお年寄りに聞いた話。 その人は東京大空襲の時には在京の連隊本部にいて、十五糎高射砲を撃っていたという。 怖くなかったかという質問に対して、彼は「面白かった」と答えたという。 曰く、戦争を面白いと思えるぐらいの根性がない奴は戦死する、とのこと。 ちなみに連隊本部では余暇に相撲大会が行われており、 その人の四股名は「弾丸山」だったそうな。
209 :
名無し三等兵 :2009/09/21(月) 06:31:59 ID:elmAT2Ll
戦争が面白いだなんて、内地でのほほんと飛行機相手に当たらない高射砲撃ってた奴だから言えるんだろ。そんな奴が偉そうな事言うんじゃねえよ 最前線で、敵兵相手に死闘を繰り広げた経験がある人は絶対に面白かったなんて言わんぞ。うちの爺ちゃんは晩年まで悪夢にうなされるくらいだから
水木しげるの話を知らないのか
>>209 うなされるなのか、うなされたなのか? 生きてるなら晩年なんて使ったら駄目だお?
>>210 あの御方は特殊ではないか?
魚雷の話とか塗り壁の話とかほのぼの?だよね
212 :
名無し三等兵 :2009/09/21(月) 15:50:26 ID:LUC3MEFp
死んだあのやさしかったじいちゃんですら一人くらい殺してるんだろうな
戦争に行ってた人の中で、人を殺した奴の割合がどの程度なのかと言う問題はあるなぁ 日米の戦死者数を比較すれば、戦場に行ったものの一人も殺していない日本兵の方が圧倒的に多そうな気もする
こっちが一発パンて撃つと、ダダダダードッカーンバリバリって数百倍も仕返しが来たとか言ってたなぁ。
>>213 そういえば、ラバウルで軍医をやっていた人が頻りに懐かしがるから「行ってみたら?」といったら、
思いっきり暗い怖い顔で「嫌だ」。
>>189 畜死のヒキコモリ息子乙。
テメエはガン保険タンマリ入って死ぬまで遊んで暮らせるな。
人殺し残虐鬼畜日本兵の末裔の集まるスレはここでつか?
うちの爺さんは戦争行ってないからセーフ。
爆装零戦で出て行く少年航空兵が、出撃前に零戦をなでていたのを見て涙が出たと聞いた事がある
「ワシのゼロ戦じゃ。」
★30行で分かる!日韓併合の真実! ( ´,_ゝ`)プッ 日本の明治時代に2つのイデオロギーがあった。 @勝海舟の「興亜論」(アジア主義)…「日本は中国や韓国と共に、“東アジア共同体”を作るべき!」 A福沢諭吉の「脱亜論」(脱アジア主義)…「中国や韓国は民度が低いから“東アジア共同体”は不可能!」 勝海舟の『興亜論』に触発されたのが樽井藤吉(社民党の先祖)である。 彼は1885年に『大東合邦論』という論文を書いた。 「興亜論」の具体論であり、当時最大の脅威だったロシアへの対抗論であった。 「日本はまず、韓国と対等に合邦し、“大東”という国をつくるべし」 「そして“大東”と中国が同盟し、ロシアを倒すべし」 「更に東アジアに進軍し、白人からアジアを解放すべし」 …「日韓併合」と「大東亜戦争」のルーツと言われる論文であった。 しかし、その後、日露戦争で日本は単独で勝利する。 日本は1流国になり、『大東合邦論』の価値は薄れた。 ところが、この『大東合邦論』を韓国で利用する人物が現れた。 李容九である。 彼は一進会を率い、日露戦争後に、「日本と韓国は対等合邦するニダ!」という図々しい運動を行なっていた。 (当時、韓国は日本の保護国であり、国家予算の大半を日本が援助していた) しかし、1909年、韓国のテロリスト安重根により伊藤博文が暗殺される事件が発生した。 昨日まで図々しく「日韓対等合邦ニダ!」と騒いでいた韓国人は恐怖した。 「に、日本に復讐されるニダ!」 「もう対等合邦は無理ニダ!植民地にされる前に併合を要請するニダ!」 …こうして、「日韓合邦運動」は一気に「日韓併合運動」へと変質した。 そして1910年…韓国政府が、日本政府に併合を申し込んだのである
オートレースは日本軍が起源と聞きました。 戦中、余って困っていた三式戦「飛燕」のタイヤを利用して、エンジンは試作中だった小型のものを利用してオートバイをでっちあげ、 それに下士官兵8人を乗せて競争したのがはじまりと。 主催した富樫少佐は、戦後になって興行として行うことを思いつき、GHQのファゴット少将と交渉の末、開催を許可されたと。 ちなみに現在のオートレースに使われているエンジンは「SEAR」というものですが、 これは Super Engine of Army Race の略とのことです。 これは本当でしょうか?
>>189 終戦までは天皇崇拝に凝り固まっていた者ほど、そういう調子だったみたいだね。
ま、流れに棹さして、流れが変わるごとにあちこち無節操に彷徨うのも一つの道。
飛行機のエンジンは、どんなに小型でも、二輪どころか、四輪でもあまりに巨大かつ強力すぎではないかと。 シリンダー1つだけ流用したとかなら意味は通じそうだけど、それでは、遥かに手間がかかる伝達機構から何から、 全く1から作るしかないから、シリンダーだけ流用したために大きく手間が省けるということはありそうにないし。 車輪も、外径とかは現代の大型二輪の車輪と大差なかったみたいではあるけど、何トンもある飛行機の 着地の衝撃にも耐えるものでは、あまりに丈夫かつ重すぎで、よほど強力なエンジンでもないとまともに 動かないだろうし、かといって補助輪では小さすぎそう。 タイヤのゴム部分だけ流用というのも、あまり意味がありそうにないし。 軍が独自に二輪を試作したとかいうことは、あり得ないではないとは思いますが、普通に、戦前から存在していた 既存の二輪をベースにした可能性のほうがはるかに高いのでは?
アメリカーが上陸したと噂を聞いて、婆さんの家族、親戚、近所の人達みんなで、南へは行かずに北のヤンバルの森に逃げて全員助かった。 同じ村の中で、友軍が守ってくれると信じて南へ逃げた家は一家全滅した所が沢山ある。 戦争終わって帰ってみると、家が焼かれてしまっていて石垣だけが残っていた。
再生・中島飛行機の作ったスクーター、
ラビットの試作車両が『銀河』の尾輪タイヤ流用してたのは有名だけどな
>>223 >余って困っていた三式戦「飛燕」のタイヤを利用
それは無いと断言できる
何故なら、タイヤが余って困るなんて事がないからだ
(代用燃料として、ヤミ市で飛行機の物だけに「飛ぶ様に」売れたからだ
上記のラビットの例も、試作車のに付けた以外は皆盗まれて無くなったから
「国をあげての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ。馬鹿野郎」
>>228 いや、沖縄では北部は激戦地だけど
南部では村一つまるごと降伏したりして
結構生き残っています。
軍も民間人は邪魔だから、米軍が来る前に
南部に疎開しなさいって言っていましたし。
逆だ逆
南部ですよ。 南部はジャングルだし、米軍のメインが上陸したのも中部です。 そこから北へ防衛線がありました。
…
234 :
名無し三等兵 :2009/09/22(火) 12:49:54 ID:YJdD/VuA
ウチの爺ちゃん昨年亡くなった。爺ちゃんからは直接話を聞いた事はないけど、関東軍だったのは間違いない。末期に上官から本国で玉砕してくれと言われ内地に戻されたらしい。 敵に狙撃の射手がいて、戦友が頭を打ち抜かれたりしてたみたい。 これってソ連と戦ってたと考えていいんかな?
>>232 地図見れば分かると思うが、沖縄本島北部にはヤンバルと呼ばれる深いジャングルがあるんだよ
>>234 内地に帰っているのなら、ソビエト軍ではないんじゃないかな。
質問です。 ドラゴンボールは実在すると聞きました。 日中戦争のさ中、日本陸軍のとある部隊が天山山脈の中で五星球をみつけ、泰山の仙人に聞いたところドラゴンボールだと教えてもらい、 以後は各地で日本軍の総力を挙げて捜索が始まったとのことです。 しかし、他に見つかったのは徐州の七星球だけで、戦争に負けてしまい、その後2個のドラゴンボールの行方は不明とのことです。 噂ではその2個は台湾の故宮博物院にあるとのことですが、中国共産党が持っているとの説も・・・ ちなみに、見つけたのは辻政信中佐とのことですが、これは事実でしょうか?
238 :
名無し三等兵 :2009/09/22(火) 17:57:23 ID:U4PS0etC
カンフーハッスルの見すぎ
チベットにはシャンバラがあるし、南極には第四帝国もあるよ。
240 :
名無し三等兵 :2009/09/22(火) 18:20:47 ID:ad9TN6I1
241 :
名無し三等兵 :2009/09/22(火) 19:15:36 ID:aIQspBnf
>>237 噂では一星球はヒットラーが二星球はスターリンが、
三星球はチャーチルが四星球はルーズベルトが持っていたと言われています
陸航22戦隊にいた叔父から聞いた話を思い出しました。 故障して修理不能となった疾風か何かのメーターを外して 中のアルコールを酒代わりに飲んだそうです。 整備兵だったので中身がメチルアルコールでは無いと分かって いるので安心して飲んだそうです。
日本は国策を誤りアジア各国のみなさんに迷惑をかけたんでしょ? 以前総理大臣が公式に認めたんだよね? それを鳩山総理も踏襲してるからそれが事実なんだよね?
オートレースは日本軍が起源と聞きました。 戦中、余って困っていた三式戦「飛燕」のタイヤを利用して、エンジンは試作中だった小型のものを利用してオートバイをでっちあげ、 それに下士官兵8人を乗せて競争したのがはじまりと。 主催した富樫少佐は、戦後になって興行として行うことを思いつき、GHQのファゴット少将と交渉の末、開催を許可されたと。 ちなみに現在のオートレースに使われているエンジンは「SEAR」というものですが、 これは Super Engine of Army Race の略とのことです。 これは本当でしょうか?
戦争中は内地が極端な男不足に陥り、夜這いがし放題だった。 女も性欲を持て余してしまっていたから。
>>226 山原に逃げ込んだ住民の多くは、栄養失調とマラリアで多くの死者が出たと聞いたが。あなたのお婆さん達は幸運だったのでしょうね。
247 :
名無し三等兵 :2009/09/22(火) 20:29:55 ID:YJdD/VuA
>>236 そこが分かんないんだよね。
日ソ中立条約まではドンパチやってたわけだし、末期には本土防衛の為、関東軍の大幅な軍縮あったし。
>>247 ゲリラ相手の戦闘じゃないかな?
満州は本土より安全だと言われていたから、
本土防衛部隊に行ったんだと思います。
249 :
名無し三等兵 :2009/09/22(火) 22:42:45 ID:NxG5EQMH
おれの爺ちゃんは 秋田で戦闘機の整備士やってたんだけど 途中から上官に木でダミーを作らされてたと言っていた。 こんな事本当にやってたのかな? 今はもう死んで聞けんけど・・・ 誰か教えてくだせい
250 :
名無し三等兵 :2009/09/22(火) 22:54:20 ID:YJdD/VuA
>>248 満州でも本格的なゲリラ多かったの?
じゃあ、迷宮入りだぁ。
>>249 爆撃から戦闘機を守る為のカモフラージュだと思う。
本物の戦闘機は森の中に隠してたり。
あなたのおじいさまってさー 孫ならもう40超えてるだろ普通
なにが普通なんだ? 76でH8年まで生きてたじいさんは海軍に居たし、存命のばあさんは92だ。俺は23。 もう片方はH7年まで生きてて75だったし、ばあさんは今86だ。 ふつーに十代で、じいさん婆さんが戦時中二十歳以上だった奴もいると思うぞ。
253 :
名無し三等兵 :2009/09/22(火) 23:12:10 ID:YJdD/VuA
>>251 何を根拠に40超え?
オレは20代だし、イトコなんかまだ10代だよ?
俺は20代半ばだけど、戦争行ったのは曾祖父の代だな。母方と父方の祖父達は当時は国民学校の生徒。
28歳 父方の祖父は徐州攻略戦で負傷して大東亜戦争には参加せず、 母方の祖父は中国戦線に出征していたらしいが詳細不明
いや 戦時中に20代で赤紙食らって、今60年以上たってるでしょ? まぁ80代なわけじゃん、どう考えたって で、殆どの人は20代で子供作るわけで 20代の孫ってのは殆ど居ないはず
>>256 長男が続けばね・・・
末子は30代で生まれるケースも多い
まぁ、普通に考えてもう孫の世代ではないでしょう。 そんな私も、じいちゃんは戦前世代です。 んで、一番上の叔父さんは南方で亡くなって、 ウチの母親は戦後生まれ。 叔父さんが生きていれば、 ちょうど母親くらいの子供を作っている年代です。
259 :
名無し三等兵 :2009/09/23(水) 00:19:07 ID:f1jAnU3h
>>256 オレは親父が30過ぎくらいの時生まれた。親父も30代の子供、40代で親父の弟生まれる。
だからオレ20代、イトコ10代。
ちなみに孫が20代って、けっこういるよ。
>>227 あ、ラビット。
だけど、あれは中島が戦後に苦し紛れとはいえかなりの力を注いで作ってるわけでしょ。
ただでさえ余裕がない戦時中に、兵力増強とはまるで無関係の遊びのものに流用してチョイチョイとはいかないはずだけど。
それに、ああいうタイヤじゃレーサーは間違っても作れないと思うけどね???
>>236 割り込みだけど、抑留されてないという筋ね。
>>241 もう一つはワタシがタマゴと間違えて割って、ごはんにかけて食べちゃったよ。
>>259 今は特に珍しくもないといえるかな。
高校の同級生で、父親がこちらの祖父と同じくらいの歳のがいて驚いたことがあるけど。
父親が働いている会社の先輩の話。 戦艦金剛に乗っていた時のこと。 ふと夜に眼が覚めると天井がキラキラ光ってた。 「何だこれは?」と思ってよく見てみるとそれは星だった。 サビで穴が開きまくってたらしい。 それと主砲を撃ったら、 ドサッ!って大量のサビが頭の上に落ちて来ると言ってた。
仕方あるまい。 金剛は老齢艦もいいとこだったし。
兵員の居住区の天井に開いた穴から星が見えるなんて・・・いったい何層あるの? 大げさに話してるだけでは? それに降雨やがぶったときにあかが入ってくるだろうからいくらなんでも修理するでしょう。
二人一組で天皇&東條対ルーズベルト&トルーマンで戦えばどっちが勝つ?
震洋のエンジンなどを流用したのがボートレースの始まり、とかいう 噂は聞いたがね。 本当だかどうだかあやしいもんだ。
>>80 自称長州出身でw
連立与党支持者だったw
キモブサ童貞乙w
>>264 >ドサッ!って大量のサビが頭の上に落ちて来る
っていうのは、
あの坂井三郎さんが水兵として最初に配属されたのが件の金剛で、
船体バルジ内の掃除してる時そんな状態だったと書いてるな
>>268 船外機付きのモーターボートによる競争は、
昭和ヒトケタからやってるし、特に震洋にルーツを求めなくて良いだろw
笹川の始めた競艇は震洋を流用したとか言ってるはず。
モータボート競走の収益金は、防犯防火のために役立っています! 「お父さんお母さんを大切にしよう!」
>>273 あれってモーターじゃなくてどうみてもエンジン
自分は老人ホームで働いてるのだが、そこに来てるお爺さんで、グアム島の 戦いに参加したという人がいた。 米軍上陸前に島は艦船で包囲され、連日の艦砲射撃や戦闘機による爆撃で 生きた心地がしなかったらしい。 ある日、敵の戦闘機を一機撃墜した。 しかし、よりによってその戦闘機は食料倉庫の上に墜落してしまった。 食料配給も減っており、皆空腹を我慢していたのに、倉庫が炎上してしまって 数週間分の食料がパー。 呆然と炎上する倉庫を見ていると、空から撃墜した 機の搭乗員がパラシュートで落ちてきた。激昂していた兵士たちは米兵を見るなり リンチし始め、最後は銃剣で刺し殺したのをそのお爺さんは見たそうです。 ちなみにお爺さんは、その後戦闘中にマラリアに罹り、気づいたら米軍の 病院にいたとのこと。
食い物の怨みは恐ろしい
アッツ島の戦いでは、日本軍の最後の突撃で米軍の野戦病院が襲われ、手術中の軍医や手術台に横たわる患者を「仕返しだ、仕返しだ」といって日本刀でぶった切ったそうです 当然、最終的にはその日本兵もバラバラにされました。 戦争なんてやるもんじゃねえなあ
何とも言えないな 硫黄島からの手紙のどこか場面で捕虜になろうした兵士(日本)が見張るのを嫌がった米兵に殺されてた 米兵に酷いことした(だけでないとおもうケド)のに助けてもらいおじいさんも後悔したのでないでしょうか
日本軍って基本的に飢えた集団だから、捕虜をあまり取らないのね かといって、面白半分に米兵を殺して食った父島の馬鹿者どもなんてのもいたが
うちのじいちゃん、「三八式はボルトアクションだったから 軍用銃としちゃ、あのときですでに時代遅れ」 とか言ってたけど、あれ?あの時まだ医学生じゃね? 訓練で撃ったのかな?
映画の描写をまにうけるわけではないが監督は米人でなかったことを描いたりしないだろうし実際あったと思う しかし昔の日本人や日本兵の方が敵には厳しかった印象がある 戦争はやるもんではない
酷使は戦争の実態を知って、北朝鮮や中国と戦争だ!なんてわめいているのかなあ?
≫104さん 切ないがいい話‥ 部品盗まれてしまったのは当然だと思うがその時の一部とか持ってる人居ないのかな?
286 :
名無し三等兵 :2009/09/23(水) 23:02:26 ID:rFmcdVcf
質屋に日本軍の武器を持ち込んだ話は聞いた。しかもテレビで実際に質屋の人に珍しいものありますかとテレビ局の人が聞いたらおやじが38式歩兵銃を持ってきて度肝をぬかした。 俺は住所を調べて貯金をはたいて買いに行くつもりだったが果たせずにいる。もう国に取り上げられただろうが
>>286 ちなみに、
着剣ラグを除去した状態で輸入された物なら合法所持可能
何十年か前に複数の人から聞いた話しですがパラシュートで降りてきた女がいて 捕まえて交合したそうです、そんなことないとも思いますし何かの事情で爆撃機なんかに 女が乗っていたのかもしれません。 情報をお持ちの方いらっしゃいますか?
290 :
名無し三等兵 :2009/09/24(木) 03:20:41 ID:4ptNuvPY
ハドソン ハドソンってマイクで叫ぶとマイクが真っ赤になって 敵の戦闘機が飛んでくるっていってた。 じいさんは陸軍通信兵
特亜にされたことなら、暴行でも殺害でも日本の政府も報道社も遺憾の意ですませてくれるよ。 何をしてもおk。友愛で全て解決。日本は何もできない。国土を取られても海洋資源を盗まれても何も言えない。 こんな国は早く滅びてしまって中国の奴隷になった方がいい。自主独立の気風を持たない国は既に死んでいるのと同じ。 俺は日本民族の誇りを持って、友好国のインドネシアとかパラオとかに逃げようと思うが。 そう思わねえか?
293 :
名無し三等兵 :2009/09/24(木) 17:27:41 ID:pHYa3N6w
高射砲で撃墜されてパラシュートで降下してきた敵兵を 性欲の強い女連中がふん捕まえて次から次へと逆強姦した なんて面白い話しありませんかね? どこかAVで製作してくれねえかな?
う
>>294 高射砲で撃墜されてではないがソ連の抑留者に似たような話があったような。
297 :
名無し三等兵 :2009/09/24(木) 21:45:40 ID:4ptNuvPY
ハドソンの話聞いたことある 空母が撃沈されたらしい
256発当てるんだっけ?
>>294 ソ連の支配地域で女性兵士による逆レイプはあったらしいな。
セブンビューティズという汚い映画があったけど、戦争は悲惨やね。
>>266 大げさには同意。
その人は亡くなってるから父親に聞いてみた所、
寝てた場所は聞いてないそうだが「波の音が酷かった」
と言ってたらしいので上の方で寝てたんじゃないかと思う。
ついでに聞いたんだけど波があると初期?の駆逐艦は折れるらしい。
なので夜は金剛から遅れて、明け方になって追いついて来るそうだ。
波のことは分からないが、そう聞いたと話てくれた。
>>288 これをやるからあめ玉でも買いなさい つ ミ I
>>283 「有事には大佐として部隊を率いて」なんて言ってる連中が、戦争が起きたら
どうなるかなんてまじめに考えてるわけないだろw
全く働く気が起きないです。自分は小・中学校でいじめられて不登校になり、中学卒業後、高校へも行かず、 仕事もせず、10年経って現在に至ります。一日中パソコンに向かい、インターネットかゲームをして、 部屋に引きこもっています。 親は「働いて欲しい」と言っていますが、全く働く気が起きず、「働いたら負けかな」とさえ思えてきます。 目指す夢も無く、したい職業もないのですが、これからどうしたら良いかさえ分かりません。
>>97 旧蘭領印度支那には☆旧陸軍で九州編成の部隊は☆☆派遣されてないぞw
出鱈目をほざくなwwキモブサ童貞ww
うちのじいさん戦争体験したがらない。 満州で残虐行為してたんだろうな
>>307 お前は残虐行為をしたくてしょうがないから、戦争体験がしたくてたまらないんだろ
人民開放軍でも北朝鮮人民軍でも好きなとこに入れよ。
法治国家の軍隊じゃ希望に添えないから却下な
>>306 士官・将校かもしれんし軍属の話かもしれんぞ?
はたまた根拠地隊かもな〜。
落ち着きましょう。
>>307 そりゃ普通の人は戦争なんて体験したくな(ry
というかロシア人?中国人?ちょうせ(ry
310 :
名無し三等兵 :2009/09/27(日) 15:15:42 ID:32RXH0Xm
>>306 お前まだ生きてたの?
スレがニート臭くなるからみんなスルーしてね。
311 :
名無し三等兵 :2009/09/27(日) 16:03:09 ID:w+9eCsgl
実は僕は在日でおじいさんは元日本兵でした。日本人の中隊長は自分の食料も部下に与えるほどの人物でしたが僕のおじいさんはその中隊長を殺し 米軍に投降して日本兵のいる陣地に米軍の砲撃を誘導しました。
312 :
名無し三等兵 :2009/09/27(日) 17:43:29 ID:fJVEHaZg
>>311 ここは妄想を書き込むスレじゃありません
>>306 文章の間に挟まってる星マークの意味が分からない。何か気持ち悪い
>>311 トレイシー捕虜収容所に? かの有名な。
トレイシー・ローズ
>>309 なるほど(-@Д@)
それも道理ですな(-@∀@)
>>267 【戦力分析】
昭和天皇(1901年生まれ):幼少の頃より武術を叩き込まれてる
東條(1884年生まれ):職業軍人、若い頃はめっちゃ身体鍛えてるはず
ルーズベルト(1882年生まれ):1921年以降は下半身が動かない身体障害者
トルーマン(1884年生まれ):WWTでの兵役経験はあるが、職業軍人ではない
・・・1941年〜1945年の間で戦えば、どう考えても天皇&東條組が勝つ。
60歳近いトルーマン相手なら、40歳の昭和天皇だけでも余裕で倒せるだろうし、
ルーズベルトはほぼ戦力外だ
昭和天皇は相撲大好きだったな。
319 :
名無し三等兵 :2009/09/27(日) 22:33:58 ID:w+9eCsgl
>>317 先帝とトルーマンが両手で力比べしてる図が浮かんじまったよ(w
祖父や曾祖父らの世代がおかした罪は自虐史感と真っ向から戦わず子や孫世代に事実を伝えなかったこと。 戦後左翼による左以外は絶対に認めない言論の独裁状況を許したせいで一般的な日本人は 自分たちの祖先はアジアの人たちに多大なる迷惑をかけたわけであり ある程度の事なら中国や韓国に言われようとされようと文句言えないと 言う考えをもたらしてしまった事にある。 当時を知る世代がこの世からいなくなれば南京事件しかり様々な事を 歴史的事実として定着するどころか様々な出来事をいいようにあることないこと 日本による戦争犯罪としてでっち上げられ放題になってしまうし そう言ったことが今後歯止めが効かなくなってしまう。
>>317 >>320 むしろ道着VSボクサートランクス+グローブで、
12ラウンド、KO負けあり、
目潰し金的凶器噛み付き以外は全てアリな異種格闘技戦。
東郷元帥と乃木大将に武士道教育を受けた先帝陛下とガチガチの 帝国軍人で死をも辞さない東条が負けるわけない。
貧弱ジャップが勝てるわけねーよ
ザ・ミカド対トルーマン・・・筋肉マンの世界だな。 先帝陛下お許しください。
ザ・ミカド+ブロッケン伍長+カニベース vs トルーマン+チャーチルマスク+大祖国ウォーズマン 陛下すみませんorz
法事で死んだじーさん家行ったら 軍事や関係や戦争史関係の本と並ぶようにして 偕行社の名簿やら陸士同期の会、住んでる地域の陸士出身者の会などの名簿があって そん中で隊付将校として教えていた陸軍予備士官学校の会誌みたいなのがあった 名前は〇〇(俺とじーさんの苗字)隊会誌って感じで 若き日のじーさんをメインとして教え子たちが思い出なんかを書いてて じーさんが陸士時代同期生からハンサムボーイと呼ばれてたことや 予備士官学校の校長である人見中将からよく叱られてたこと、理不尽な鉄拳制裁などしない優しい中隊長だったことなど書いてた 自分は祖父としてのじーさんしかイメージないし、そんなに喋ることも無かったし軍服着てキリッとした二枚目のじーさんみて違和感しか感じなかったw 生徒さんは甲種幹部候補生だから旧帝や私大の生徒さんばっかりで終戦後、復学したわけだが じーさんの寄稿みたいなのがあって、じーさんは戦後に京大法学部に入学したんだが かつての教え子が上級生でキャンパスで会うときは気恥ずかしかった、自分より先に卒業して行ったなんてことを書いてた じーさんは公職追放くらったから京大からの教職要請を断って民間企業に勤めてそんなに出世も出来なかったけど 予備士官学校の教え子達は某国立大学の名誉教授だったり有名な著書を出してたりとみな活躍してったらしく 時代の波にのまれたじーさんの心境を察するに少しさびしくなった
328 :
名無し三等兵 :2009/09/28(月) 12:56:35 ID:pnoQlRjR
爺ちゃんが軍隊いた頃の写真を見た事があるけど、坊主頭で筋肉モリモリでガタイが良く、目つきも鋭かった。とても22歳の若者だとは思えない姿。 正直、ヤクザみたいだなぁwと思った ちょっとメタボ気味で、毎日チワワと散歩してる温厚な性格の爺ちゃんからは、想像がつかなくてビックリした
>>327 出世だけが栄達ではないですぞ。
教え子に慕われるのも、育つのも、また栄達です。
331 :
uaa :2009/09/29(火) 05:26:21 ID:o1iSNLZD
昭和天皇+ヒトラー+ムッソリーニ vs トルーマン+チャーチル+スターリン だったらどっちが勝つ?
332 :
326 :2009/09/29(火) 07:17:38 ID:???
>>329 カニベースってイタリア超人じゃなかったっけか?
違ったかな・・・w
333 :
名無し三等兵 :2009/09/29(火) 22:23:50 ID:dZlh4r+W
母方の曾祖父はテニアン島で戦死。 父方の祖父はフィリピンでマッカーサー追い出した。その後、最上陸されてジャングルをさ迷ったが栄養失調で動けなくなる。 親切な原住民の村に保護され、しばらく世話になった。その後、村に来た米軍に引き渡されて捕虜となり何とか生還。
334 :
名無し三等兵 :2009/09/29(火) 23:51:19 ID:I8Jn+AAe
ばあちゃんの叔父さんか何かがペリリューで戦死したらしいがどの部隊かは知らん 15連隊か2連隊なんだがな ちなみにばあちゃんは高崎出身だ
「国を挙げての戦争に、水上部隊の伝統が何だ、水上部隊の栄光が何だ、馬鹿野郎!」
>>335 __、
,r´⌒ヽ,⌒ヽ,ヽ
(⌒)、 .人 λ\、 ._____
\. \ 、 ヽ./ ー ー\
|\ \ ヽ./ ( ●) ( ●)
| \ \ / (__人__) \ はいはい、どーもすみませんでしたっ
|. \ | ` ⌒´ |
. |. |.\_ノ\ /
. |. | | \______/
. | ) .| . . ̄ ̄
. | | .|
なんで同じ侵略でも朝鮮と違って台湾は親日なの?
338 :
名無し三等兵 :2009/09/30(水) 06:08:34 ID:tX4YTKaq
>>333 それ相当運がいいよ。フィリピンってアメのネガティブキャンペーンで住人が
日本兵が残虐行為をしてたと思いこんでたから殺されまくったらしい。NHKシリ
ーズ太平洋戦争でやってたし現地民が棒で日本兵を殴り殺した事を告白してたし
多分米軍に渡して金を貰おうとしたんだと思う。NHKでそんな記述をしてたフ
ィリピン人がいた。
同じ村人でも米軍側と日本軍側、どちらに味方するか別れていて、 戦争終わったら日本軍側だった人達がフルボッコにされて殺されたらしいね
>>337 どっちも侵略じゃねーよ、台湾は日清戦争で賠償として清から割譲された。
朝鮮は同じく日清戦争で、日本に清の属国から独立国に格上げしてもらったのに、
長年の放漫経営のつけが清算できなかったので、自主独立を維持でず、朝鮮のトップの判断で日本に併合を願い出て合併された。
朝鮮が反日なのは、中華思想で格下と考えていた日本に併合された事を屈辱としているため。
台湾が親日なのは、国共内戦に敗れて本土からやって来た国民党が、共産主義の台頭を恐れて台湾人に圧制をしいたため、
相対的に統治時代は、差別はあったが自由があったと評価されたため。
>>208 ハァ?
昭和20年3月9日の東京大空襲では!陸軍に15a高射砲は!!配備されてないぞw
事実無根の捏造をするw
キモブサ童貞乙w
342 :
名無し三等兵 :2009/09/30(水) 13:57:12 ID:Lgak8DUj
爺さんが「戦争末期に偵察機の偵察員として四国で哨戒任務してた。その機体は双発で速いからやられなかった」 とか言ってたんだが、これは百式司偵なんかな?もう亡くなったから写真見せるなりして確かめようがない
343 :
名無し三等兵 :2009/09/30(水) 17:00:29 ID:it/rgmcg
哨戒なら、海軍の銀河では? 入院してたとき隣のお年寄りが戦時中、銀河の航法無線員で、 任務は偵察と哨戒だったと語っていた。
うちの家は太平洋戦争中はなに作ってたか知らないけど 軍需産業と繋がって大儲かりしたんだとさ。 ただし、敗戦と同時に没落してごらんの有様だよ!状態。
>>338 同じフィリピンでも、神風特攻隊の基地があった町の人達は、今でも彼等を英雄扱いしてるんだよな
国を護るために自らを爆弾として命を捧げる日本人の姿に、フィリピン人も何か心に響くものがあったのだろう
馬鹿!まさに馬鹿! と言ったところか。
>>342-343 ・・・ボソ・・・航法の目安となる水路部の高度方位暦・・・作成係りは動員の女学生・・・ロマンスの話とかないかな・・・ボソボソ
348 :
名無し三等兵 :2009/09/30(水) 20:31:19 ID:tX4YTKaq
>>345 テレビで日本兵を称賛する歌を伝えてるインドの町があって実際に歌ってくれた。
思わず涙が出たな。こんなこと初めてだったよ。
>>345 やけくそになた糞ジャップ共が基地外過ぎる行動するから、逆に可哀相になて同情してくれてるんだろ
フィリピン人はとても優しから
爺さんは38銃でグラマン打ち落としたと豪語してたけど、どう考えてもほらだよな。 本人の弁によると何人かで並んで米軍機の思い切り前を狙って射撃でけっこう当たるらしいんだけどね。
零戦の12.7ミリ機関砲でもグラマンはなかなか落ちんかったというのに、三八で落とすなんてパイロットを狙撃しない限り無理無理w
ベトナム戦争ではB26(元A26インベーダー)が小銃で落とされてるし、 あながちホラとも言えないんじゃないかなぁ? A26に比べればグラマンの方が脆かろう
水木しげるのラバウル戦記で、上官に小銃による対空射撃を命じられるシーンがあるな。 実際99式には対空照準がついていたらしいが。
おっと訂正、小銃でB26が何機か落とされたのはベトナム戦争じゃなくて朝鮮戦争だった
沖縄戦で日本軍が民間人を殺したことはありません。 殺したのは、アメリカのスパイか、ブサヨクのみです。 なんで、ブサヨクの捏造がまかり通るんですか?
久米島事件(日本側調べ) 沖縄戦末期、久米島に配属されていた日本軍電波探信隊の鹿山隊長による、朝鮮人家族と地元住民(日本人)22人のスパイ容疑虐殺事件が起こった。 この事件は1972年に発覚、しかも鹿山隊長が虐殺を肯定したことから、島民をはじめ県民の憤激をかった。 虐殺は沖縄本島の戦闘がほぼ集結していた頃に行われ、さらに虐殺リストまであったという。 これだって、なんで非難されるのか全く理解できない。 スパイを処刑しただけだろ?愛国心のないブサヨは、死刑になってあたりまえじゃね? しかも戦時下なんだしさ? 特攻隊の悲劇に比べたら、取るに足らないと思うんだがなあ・・・・
テレ東のドラマみてないけど まら日本軍がまた民間人に自決を強要したとか 日本軍は傲慢で悪いやつだったみたいな描き方してんの?
>>357 あきらかに、マスゴミは特亜に中枢を押さえられているよな。
何とかならんものか、愛国勢力は早く行動せよ!
本当の沖縄戦を知りたいのなら反日メディアが制作した糞偏向ドラマを見るより、激動の昭和・沖縄決戦という映画をTSUTAYAから借りて来て見て勉強するべきだ
360 :
名無し三等兵 :2009/10/01(木) 05:51:11 ID:qbxaX9yv
昔駆逐艦乗りの自伝?読んだら、駆逐艦に陸軍兵沢山乗せてピストン輸送してたそうなんだけど、アメの戦闘機が襲ってきた時陸軍兵達が多分三八で一斉射撃したら墜ちたらしいw でもやっぱり機体へのダメージじゃなくてパイロットに命中したからみたいだが
まあお前らみたいなエセ愛国が消えない限り愛国勢力とやらは隆盛しないな
>>245 事実無根のネタを丁稚上げるw
キモブサ童貞乙w
日本を大日本帝国を復活させ戦前の軍国主義に戻すべきだ。 一旦大日本帝国憲法に戻す 天皇制・皇室制度を強化 左翼思想左翼団体の禁止 富国強兵主義の復活 首都東京を帝都と呼び 日本の一流国立大学を帝国大学と呼ぶ 国会を帝国議会と呼び 外出時はなるべく着物や羽織袴での外出を重視し軍服を着て歩いている軍人に対しては敬礼 女性は会釈をする。 露西亜と もう一度開戦し北方領土を返してもらう。 徴兵制度を復活 愛国心教育を強化 食料と工業材料を極力日本国内での自給自足体制を確立する。 餓死者等 日本国民に多少の犠牲が出ても世界一の軍事大国になるまで軍拡を徹底する 竹島奪回に向け理工学系以外の大学生を学徒出陣させる。 学徒出陣 韓国程度は学生の練習相手 自宅では毎朝国旗掲揚番組を直立低頭にて拝聴しその後天皇陛下万歳三唱を行う このくらいのことをしないと、特亜の打倒は不可能である 先帝陛下もお喜びになられるであろう
365 :
名無し三等兵 :2009/10/01(木) 22:25:39 ID:xAHPz12N
>>364 大賛成
大和撫子の復活きぼんぬ
今はアバズレばかりだ
367 :
名無し三等兵 :2009/10/01(木) 23:30:27 ID:Gk7k1A+O
>>367 30,000ジンバブエドルだな、ほらよ$$
369 :
名無し三等兵 :2009/10/01(木) 23:35:02 ID:vX2T2w0d
まあ、最近の小生意気な女は氏ね 謙虚で配慮がある女性じゃないと、結婚したり付き合う気にならねー
まあ女のほうもお前らには興味ないから殊更興味ないとか言う必要はないんだぜ?w
敢えて釣られよう。 10月10日の大空襲の直後、真玉橋付近で捕らえられた沖縄の女性が、 憲兵曹長に引き立てられて、第三十二軍司令部に連行されてきた。 勤労動員で司令部に来ていた娘たちが整列させられ、憲兵曹長は連行して きた女性をその前に立たせた。 「こいつは、懐中鏡で米軍に信号を送っていたスパイだ。大和撫子の面汚 しだ。その汚名をそそぐために、誰か竹やりで突け」 よく見れば、その女性が精神異常をきたしていることは誰にでも分かる はずだ。平和な沖縄の島に突然来襲したアメリカ艦載機であり、空襲の 恐ろしさを味わえば、精神異常をきたすのも当然といえる惨状であった。 娘たちは震え上がり、この女性を刺す気にはなれなかった。曹長は威丈高 になり、娘たちまでスパイと呼びかねない激しさで怒鳴りまくった。 この恥辱に耐えることのできなかったある娘がかすれた声で「私がします」 とその気もないのに、声が口を突いて出た。 曹長が「よし」と娘に竹やりを渡したが、震えが止まらず、足が動かない。 気が狂った女は、微笑んでいるような柔和な顔で娘を見ている。 ついに娘は立ちすくんで泣き出してしまった。 「やめろ。俺が手本を見せる」 荒々しく曹長は娘から竹やりをもぎ取り、狂女の正面にピタリと構えた。 鋭い気合とともに、竹やりは突き出され、その穂先は狂女の喉を刺し貫い ていた。 「沖縄海軍航空隊の最期」 玉井向一郎
酷使様にそんな勇気ないだろ。
>>372 何を目的に、そんなウソを書くんだろうな?
沖縄戦のさなかに、沖縄土人を殺すヒマなんかあるわけないじゃん。
戦争を何も知らない人の捏造だよ。
読む人が読めば、何らかの政治的意図がある文章だと分かるよ。
もっとみんな、ネットで学習すべきだな。
375 :
名無し三等兵 :2009/10/02(金) 21:41:03 ID:X1iQ3Glg
>>371 ハイハイ。
気が済んだかい。
後は、エロサイト見てチンチン擦るしかする事ないもんね。
376 :
名無し三等兵 :2009/10/02(金) 21:47:14 ID:tLgJM1Qv
すまない うどんを借りてしまった。。
377 :
名無し三等兵 :2009/10/02(金) 21:49:39 ID:Nu9mhEIH
>>357 「白旗の少女」だっけ? 思ったほど、日本軍を悪く描いている印象は無かったな。
「ひめゆり」の時のような、ショッカー軍団みたいな極悪非道の日本兵という描き方は無かった。
学徒動員の日本兵との家族ぐるみでの交流や(みつお兄ちゃんとあだ名もつけ)、
死んだ兵隊さんに感謝して携帯食料を漁り、食いつないだ等。
他には、敵が来るから早く逃げろ!と知らせに来る日本兵など。
しかし、負傷兵達が主人公の少女を壕から追い出すシーンや(力づくではないが)
大声で叫びまわる主人公を殺そうとする将校は描かれていた。(お前の存在が他の避難民たちを危険に巻き込む、という理由)
自決を強要するシーンは無かった、自発的な住民達の自決シーンはあったが。
だいたいいつもと同じじゃん 学徒兵や召集兵はいいやつに描かれて 士官はいつもどなり散らして住民がおびえてる
379 :
名無し三等兵 :2009/10/02(金) 23:37:57 ID:nyO0h4lM
学徒兵や召集兵がいいヤツに描かれるだけでも、だいぶマシになったじゃんか。 士官がどなり散らして住民が怯えている、というシーンではなかった。 みんなが隠れているのに、主人公があちこちのガマを叫びながら渡り歩くのを 「大きな声出さないで、あっち行け!」「また来た、シーッ!静かにして!」 てな感じで、住民達に石投げられたりして追い返されまくっていて、ある日業を煮やした士官がブチ切れる、という描き方。
実際、召集兵と正規兵とではどっちがDQN多かったんだろ・・・ 軍隊内の話を聞けば正規兵の方が多そうな気がするけど、 召集兵の方が精神病み易そうな気もする
381 :
名無し三等兵 :2009/10/02(金) 23:43:25 ID:qibDh1Nn
うちの爺も海軍陸戦隊で沖縄にいたが、 「小銃が足りんくて、わしは棒に銃剣くくりつけたのが武器やったぞwそんなのでアメ公に突撃させられたんやwふざけんなw」 と言っていたのを思い出した。
382 :
名無し三等兵 :2009/10/02(金) 23:46:03 ID:nyO0h4lM
日本軍は悪の権化、米軍は紳士、みたいな描かれ方にはウンザリしていたから まだ、多少は救われた気持ちで見れたよ。 米兵はエンディングまで殆ど登場せず、カラーの実写映像が盛んに使われていた。 「米軍による掃討は熾烈を極め、投降した民間人が米兵に射殺されるという事態もあった」というナレーションが流れたり、 米軍が壕の入り口を塞いだり、爆薬を投げ込んだりして、住民が狂奔するシーンもあった。 米軍にいじめられた日本兵に、沖縄住民は虐げられ、優しいアメリカ様に保護されました。 みたいな売国的反戦ドラマの構築には、少なくともなってはいなかったよ。
おれの爺さんは予科練で、特攻くずれ。 俺が防衛医大に受かったとき、「さすが俺の孫だ!」てな感じで大喜びした。同じ軍隊の学校だっていうので。 結局、俺は併願で受かった地元の医大(公立)にいったんだけど。
スレタイすら読めない池沼を孫に持つと爺さんも悲しむだろうな
386 :
名無し三等兵 :2009/10/03(土) 02:15:54 ID:PjlJw9gX
ウチのじーさん、朝鮮戦争の時、アメリカ軍の基地で危険な消防活動やってたんだ。飛行機が不時着したりしたらホースで水ぶっかけたりね。 そんでいつも担当してる滑走路をその日は何故かはずされて違うとこ担当にされたらしいんだが、その日にじいさんがいつも担当してた滑走路に爆弾積んだB29が不時着ドカンでかなり死んだ。メッチャでかいキノコ雲できたて。 担当はずされてたとしらない家族&地元民「……葬式準備p(´⌒`q)」だったけどそこにじいさん悠々とチャリで帰宅ε=ε=┏( ・_・)┛
>>380 兵士でなく軍属が最悪だったんだろう。大体どこの占領地でも一緒だけどな。
死体から軍服を引っぺがして身分詐称して好き勝手しまくり、伝説の日本兵を創り出す。
388 :
名無し三等兵 :2009/10/03(土) 09:05:49 ID:u0ylgXCe
ここは妄想を書き込むスレじゃありません
>>377 バカウヨが、狂ったみたいに文句を付けて来るからだろうな。
秋葉原で丸腰の1人に集団暴行を働くような男らしい人達ばかりだから、
そのくらいの粘着は当然やるだろう。
>>386 その能天気なAAがいいな。
390 :
名無し三等兵 :2009/10/03(土) 18:54:53 ID:u0ylgXCe
うちのひい爺ちゃんはアドミラルティ諸島?で戦死したらしい ひい婆ちゃんが生きていた頃は、戦地から一通だけ届いた手紙を仏壇の引き出しに大切にしまっていて、時々取り出しては読んで泣いてたのを知っている。
>>387 南京の朝鮮人軍属のことですね!
やつらの略奪、強姦はひどかったからなあ・・・・
チョウセンヒトモドキの蛮行は南京だけにとどまらないだろ
正義の皇軍(笑)も蛮行では負けないがな
394 :
名無し三等兵 :2009/10/04(日) 00:17:03 ID:pRVJ0gzI
正義の皇軍(朝鮮兵)の蛮行には質量とも負けますよw
>>347 『戦場に輝くベガ』で☆
ググると☆☆よろしいですぞ(-@∀@)
396 :
名無し三等兵 :2009/10/04(日) 07:50:33 ID:ENetjsDY
先の戦争での終戦時には、おいらの両親はまだ中学生や女学生だったので、空襲の話しか聞いたことないし、 また、両祖父や大叔父たちも内地勤務だったり神主だったりで、身内のものからは戦闘現場での話は聞いたことがない。
徴兵検査に落ちて?戦争に取られなかったのも結構いるわけで。
398 :
名無し三等兵 :2009/10/04(日) 12:15:13 ID:GhxFOsRl
>>397 俺の母方の祖父がそうだった…。
親が地元の名士で、軍に多額の献金や、飛行場土地提供や、鉄道敷設に関わったりとしていて、
さらに親戚とかも代議士とか、やっぱり名士だったせいで徴兵されなかった。
理由は「近視だから」
ただ、祖父は大学時代に乗馬倶楽部に入っていたり、バイクのインディアンや当時は珍しかった自家用車を
乗り回していたくせに、何が「近視だから」だ!と心底思う。
俺が生まれる前に亡くなってた祖父だから、罵倒することもできず、母をなじってやった記憶がある。
非国民の孫って事で気が重くなったけど、父方は大陸戦線で終戦まで騎兵として戦っていたから、少しは救われた気持ちになった。
しかし、終戦まで馬に乗って騎兵をしていたって、そんな部隊あったのか?時代錯誤すぎる。
銭払って未亡人の養子で長男となって徴兵回避。
母方の爺ちゃんは海兵として南方で戦ったよ。船が沈められて部隊全滅っていう悲報が終戦間際に届いたらしい。 結婚して間もない婆ちゃんは涙にくれていたが、家や義父母は自分が守っていこうと強く心に決めたんだって。 だから戦争終わって半年後くらいにデカいリュック背負ったボロボロの爺ちゃん帰ってきた時は、幽霊だと思って腰抜かしたってさ。
再婚してなくて良かったなあ
>>398 騎兵第4旅団のことじゃないか?
この旅団は最後の最後まで馬に乗ってた。
405 :
名無し三等兵 :2009/10/04(日) 22:57:05 ID:v4RUz42/
昭和18年に学徒動員で海軍航空隊へ。地上訓練の後に、福岡の築城に配属。 ある日、上官から紙を渡されて、特攻を熱望するものは◎、命令あらば行くものは○、希望しないものは×を付けよと言われた。 祖父は悩んだ末に○を書いたそうだけど、後になって◎を書かなかった自分の情けなさを恥じた。 終戦は、九三式中間練習機?で、夜間特攻訓練に明け暮れていた山形の神町海軍航空隊で知った。 自分は特攻で必ず死ぬだろうが、日本は負けるはずがないと思っていたので、全身の力が抜けたそうだ。
>九三式中間練習機?で、夜間特攻 ステルス機で夜間攻撃・・・微妙に鬼だな・・・
407 :
名無し三等兵 :2009/10/04(日) 23:00:16 ID:915K3efY
>>405 俺だったら勇気を持って×を書けたかな…
空気に負けて◎書いたかも、情けねえ
目が悪いから、どのみち予科練に受からない・・・ 布団爆弾背負って戦車飛び込むのが精々だな
沖縄人は米軍のスパイと化したがな
>>407 19世紀までスポーツハンティングの的でしかなく、今次大戦当時も遊びで撃ち殺されてた
有色人種が、降伏しても生き残れるあてなんか無かったよ。
でなけりゃ特攻なんかやるもんか
>>405 神町航空隊かぁ
たしか『奇蹟の雷撃隊』の著者の森拾三氏がそこで教官していて終戦を迎えたって書いておられた気が
405さんのおじいさまも教えを受けていたかもしれないですね
自己紹介乙www
>398
書き込まれてないや >398 伊藤桂一という作家が騎兵部隊だった。大陸で七年間従軍。 父方の爺様の体験をなぞってみたいなら、この人の戦記小説はとてもいいと思うよ。
爺さんの話を受け継ぐことは大切だと思う。 うちのばあちゃんは満州帰国時に文字とうり氏にかけたので、 私がオーストリアに留学に行く時に泣きながら止められて、 満州の帰国時の辛い話された。 オーストラリアから国際電話したら、 「生きてるの?食べ物は?」と聞かれたよ。
416 :
名無し三等兵 :2009/10/06(火) 10:51:20 ID:qAg8V33I
>>405 複葉の練習機で特攻をしなくちゃいけないような戦況のまっただ中に居て「日本は負けない」なんて学徒兵って、
いったいどんな学校に行ってたんだろう。 予科練なんかみたいなイケイケの餓鬼じゃあるまいし・ ・ ・ ?
>>416 まともな人は、アメリカと開戦したときに「あ、こりゃだめぽ」と感じたというがね。
若者は純粋だから。
>>416 カラ元気でも元気。絶対負けないと思わないと
やってられなかったんじゃなかろうか?
>>386 ハァ?
油火災を水で消火しようとしたらwどうなるか解らないw
小学生未満レベルのwキモブサ童貞乙w
>>417 まさにこのとおりの話を聞いたことがある
父親(大陸帰りの軍医大佐)が日米開戦の報を聞いたとき、
“なんつうことをしてくれたんだ”と呟いていたのを覚えているそうな。
その後、父親は南方へ出征。
母親が、“米国に戦争しかけても勝てっこない”と発言したのを聞き、
知人は憲兵隊に通報しようかと真剣に悩んだそうな。
そうやって結果論であとからあのとき勝てないと思ってたんだ・・・って言うやついるよねw
422 :
名無し三等兵 :2009/10/06(火) 12:32:45 ID:WfbVs6Lw
>>416 いくら日本が劣勢だと分かっていても、勝てるいう希望を少しでも持たないと、特攻なんてできん精神状態だったんだろう。
誰も犬死になんてしたくないし
平和ボケした俺らからは想像すらつかない心の葛藤があったんだと思う
うちの50の親父なんか結構右よりだしいけいけの性格のくせに大東亜戦争の 戦死者について感謝の気持ちを持とうと言っても身内で戦死者いないし知ったことかと言いやがった がっかりだ
424 :
名無し三等兵 :2009/10/06(火) 22:58:25 ID:Dy0WPSNi
私の祖父は昭和12年〜15年まで軍属でして、甲種合格→最後は伍長勤務 まで行ったので叩き上げとしては優秀だったようです。 二二六で近衛兵として八九式に乗って皇居の周りを回っていた ことをよく話していました。初期型のガソリンエンジンのモデルだった そうです。 おもに中国戦線で北京、石家荘、徐州に2年くらいいたのですが、 大規模的な戦争と言えるようなものはなく、おもには”討伐”という 小規模な争いをいくつかやったみたいですね。 その後は再徴兵されず終戦。戦車兵で基本的な運転操作ができたことに よって自動車整備工場が家業となり今に至っています。
425 :
424 :2009/10/06(火) 23:09:08 ID:???
そんな縁で私も中国に留学したりいろいろしていまして、 南京とか万人坑とかもいろいろ行きましたが、とにかく内戦状態化の戦争 なんで、ありとあらゆることが起こりうるんだろうな、、なんて 思っています。 南京なんかに行って地図を買うと、日本軍以前に、この山の上で国民党 が共産党を十万人処刑したとか、五万人処刑したとかつーのがのって います。また例の記念館に行っても、30万人は「死者+行方不明者」で 30万人としっかり書いてあります。実際は行方不明で8-9割でしょうね。 実際は南京はとてもきれいなところでして観光向きです。 いつか祖父の足取りをたどってみようと思っていますが、 (祖父は南京はいっていない)、北京->石家荘−>南宮―>徐州近辺 なんてマイナーな田舎だらけなので楽しいかどうか…
>>425 現地に行ったら、「おまえのジジイから拷問を受けた」といインネンつけられて金を巻き上げられるかもね。
架空の行方不明者が8〜9割だったりw
南朝鮮のパゴダ公園で見物していたら現地人に取り囲まれた。 奴ら公園の外にいる日本人でも公園内にひきずりこむらしい。 日本人のバヤイ、広島の原爆資料館の中でアメ公がはしゃいでいても 何もしないぜ。
>>428 300人行方不明になったら30万人の碑が建ちそう
それが中国3000万年の歴史
>>429 公園のイイ男にウホッしてアッー!となりましたとさ
431 :
424 :2009/10/08(木) 17:53:33 ID:/b8ywOla
>>426 なんかそのころはそんな感じでなくて、でもやっぱり豚を徴発したり、
現地人をからかったりと一通りのことはしたみたいですね。
まだ軍紀も乱れてなかったころですし、正式に戦争していたわけでもなし、
どちらかというと駐屯していたというイメージが正しいのかと。
戦車兵は結構な待遇だったようですが、
田舎の農家の次男なので、2年で復員したのはよかったですね。
本人はもう少しいれば恩給が、、、と言っていましたが、たしか7年
くらいいなきゃならなかったはずですので厳しいかと。
432 :
名無し三等兵 :2009/10/08(木) 19:14:58 ID:vRIdBjyA
おじいさんは終戦日の午後に特攻予定だった 午前中に特攻いったやつらは知らなかったから 普通に特攻してしまったらしい
433 :
名無し三等兵 :2009/10/08(木) 21:11:24 ID:XkB/6ENg
爺ちゃんの部隊は中国大陸から、沖縄に配備される予定だったけど、急遽台湾に回された。 沖縄の前に台湾に上がってくると見込んでいた米軍が、なぜかスルーして行ったので戦う事なく終戦を迎えたそうだ。
434 :
名無し三等兵 :2009/10/08(木) 22:31:33 ID:L7ERgJgc
近所に住んでた爺さんが、酒が入ると「支那人の首をよくはねたもんだ」とよく聞いたな 終戦後帰国して商売初めたらしいが、戦犯には免れたのか・・。
>>434 とかけて、農家のおじさんととく。
その心は、いつも「こうさく」に精を出す。
436 :
名無し三等兵 :2009/10/08(木) 23:05:19 ID:L7ERgJgc
聞いた話しなので。俺がタイムスリップして現状確認した訳では勿論ない。しからば、このスレの全カキコは証明が必要ですかな? 不可能に付き このスレ 糸冬 了
sage
>>435 君
テメーはカスだな、又は糞野郎。脳みそ悪化!
438 :
名無し三等兵 :2009/10/09(金) 00:59:20 ID:jurvsg8O
工作員必死w 30万のソースも出せよ?支那人ww
439 :
名無し三等兵 :2009/10/09(金) 01:01:20 ID:iwDCTc+n
≫419 そういう危険な仕事だからアメじゃなく敗戦国民の日本人にまかしてたんだよ きもサヨク
>>435 wwwwwwwwwwwwwwワロタw
夜は笑いの沸点が下がるな。
442 :
名無し三等兵 :2009/10/10(土) 08:27:02 ID:UruUx7ju
じいちゃん砲兵隊長だったんだけど、 戦地で馬に乗ってる写真が数枚ある。 砲兵隊に馬がいたんだろか?
南方で斥候。 ジャングル付近で何日間も穴に潜んで米戦車を待ちうける。 通りかかる戦車に奇襲。キャタピラの車輪に軍刀を差し込んで足止め。 素早くやらないと見つかって機関銃に撃たれる。 手榴弾をハッチや隙間から投げ込む。 手榴弾は貴重なので、ピストルを撃ち込んでも跳弾で効果を発揮。 激戦の末、現地で終戦を迎える。帰国して結婚。学校の先生になる。 体の7箇所に傷跡。僕が子供の頃見せてくれた。僕が大学生の時、祖父、生涯を遂げる。 火葬場。遺骨から弾丸の破片と骨折用の針金が出てきた。僕が拾った。
>>398 まあ、言葉のあやとかとかではなくて、文字通りに命がかかってるわけだからね。
生きのびるためには、「ずるい」もへったくれもない!何でもやる!というのも、
また、よろしいのではないでしょうか。
>>410 占領政策からの流れで故意に伏せられているんだろうけど、戦前は人種差別が酷かったという事実を、正確に認識しないと駄目だね。
植民地の「原住民」は人に非ずという調子だったわけで。
ガキの頃に近所のじい様が、米軍よりも現地の首狩り族が怖かったなぁとよく言ってたが、一体どこの島に行ってたんだろう
>>444 日本軍は機械化されてないに等しくて、重い物は馬に引かせるのが基本だったそうです。
砲兵でフィリピンに行かされた山本七平も、馬がいなくて、かといって現地にいる水牛では全く駄目で、
人力で運ぶしかなくて酷い目にあったとか。
ただ、その写真については、砲兵だからという意味ではなくて、指揮官だから乗馬が必須で、
その関係で乗馬姿をわざわざ撮ったとかもあるんじゃないかな?
>>449 その関係もあると思うけど、輓馬と乗馬は兼用なのかな? よく知らないですが。
将校でも馬に乗るのは騎兵だけ? 俺もよくしらんが 砲兵っつっても野戦砲と高射砲っててあるんだっけ? 陸軍士官学校って本で調べたら うちのひーじーさんが高射砲でじーさんが野戦砲をそれぞれ出てた
>>448 ニューギニアとかフィリピンにいそうだけどな
>>449-450 レスありがとう。砲兵隊にも馬がいたんだね。
じいちゃんはもう死んでるから、荷馬なのか乗馬なのかは判らんですね。
若い頃のじいちゃん眉目秀麗でカッコヨス。なぜ隔世遺伝してくれなかったのか・・・orz
馬といえば硫黄島で戦死されたロス五輪馬術金メダリストの西竹一連隊長も連想させますね。 また、昭和天皇の乗馬正装姿の写真は当時、日本軍兵士の士気を強く高揚させたとか。 人間だけでなく馬も一緒に闘ってたんですねぇ・・・
455 :
1 :2009/10/10(土) 23:24:02 ID:???
>>455 むおおっ!これは貴重なお写真を拝見。ありがとうございます。
僕が歴史資料館で見たことのある陛下のお写真では、
腰にサーベル、乗馬されて、正面を向いておられました。ですが近いですね。凄い!
457 :
名無し三等兵 :2009/10/11(日) 03:33:23 ID:Lk/GYD7y
将校の本分は馬術・剣術・戦術の三つ。 歩兵でも砲兵でも将校なら乗ります。
458 :
名無し三等兵 :2009/10/11(日) 03:57:18 ID:qX/EUznR
うちの祖父は上等兵だったけど、騎兵だったから馬に乗ってたわ。 上等兵なのにブーツ履いて、騎兵銃斜め掛けしてる写真があった。
うちのじーさまも砲兵として大陸に行ってたとか話してたな 詳しい地名は忘れたけど朝鮮半島の根元あたりを行ったり来たりだったようだ ペーペーだったようで馬の世話任された時期があったとか砲身とか担いで移動したとか言ってた 大砲には野砲と山砲があって組み立て式の方(山砲?)の部隊だったらしい
460 :
名無し三等兵 :2009/10/11(日) 07:36:11 ID:WZfsAry9
なんか、すごいよなあ・・・人も馬も大砲も遠く離れた地で一生懸命・・・ 故郷が懐しかっただろうなあ・・・想像できない程大変だったんだろうな・・・ 大本営にはその辺の前線の"気持ち"みたいなの、ちゃんと伝わってたのだろうか・・・
462 :
なすび :2009/10/11(日) 08:05:47 ID:M83+O41N
私の曽祖父は戦時中上海の貿易商をやっていまして、5歳の頃から召使いと用心棒を雇っていたほどの大金持ちでしたが、一度日本が無条件降伏をすると日本人排斥がそこで起こり、命からがら日本へ戻ってきたそうです。 見つかると殺されるので、日本製の軍刀や拳銃(26年式拳銃など)を持って追手を追い払いつつ、日本行きの貨物船に逃げ込んだそうです。
65歳位から下が知っているのは、敗戦後の貧乏だけ。 特に教師の話は無視しないと。
>>461 大本営が前線をどう見ていたかはわかりかねますが
彼ら中央勤務の人間もみんな隊付を経験するんですよ
んで陸大受かった人間は中央勤務や司令官、参謀の道へ
陸大出てない人間は一生隊付
もっとも末期は陸大入るような人間は隊付をおろそかにして受験勉強に勤しんでたらしいですけどね
真面目な人間が馬鹿を見るって
465 :
名無し三等兵 :2009/10/11(日) 10:41:21 ID:Kmves2r1
うちのじい様は飲んだくれでことあるごとに 「オレは見習い士官の○○だぞー!」 と喚きちらしてた あるとき息子の嫁であるオレの母に 「それがどうかしましたか?大佐や将軍ならまだしも見習い士官って・・うふふ」 と笑われた 以降二度と見習い士官うんぬんを言わなくなった 非常に哀れだった
うちの爺さまは六師団で野砲隊の砲長だったけど馬に乗ってたよ。 馬の扱いがとてもうまくて、爺さまが躾?した馬はどんな馬でもおとなしくなって、 誰にでも扱えるようになったとか。 爺さまは亡くなったけど、10年くらい前にあった戦友会の馬供養には馬に乗った爺さまの写真が使われた。
>>466 爺さまの写真つか馬に乗った爺さまの写真だね、ごめん。
馬の扱いが〜てのは馬供養に参列された当時の爺さまの部下の方から聞いた。
爺さまが任期切れ?で大陸から内地に帰るときに爺さまの馬を譲り受けたとも。
つか馬に乗った〜て書いてたね自分…。
まずい、もうじき戦争の生き証人であるお年寄りたちがいなくなてシマウマ。 団塊の世代やらアラフォに支配されてシマウマ。 歴史が書き換えられる前に資料を確保するの巻ね。
470 :
名無し三等兵 :2009/10/12(月) 07:45:26 ID:2k9NopAP
わしの母の叔父(大叔父)が若き頃、 軍から休暇をもらって実家に帰省した際に、 軍靴を履いて軍刀を吊ってる姿が格好良く、 村の若い娘がたくさん集まってきてたそうな。
>>470 ここは妄想を書き込むスレじゃありません
>>470 そりゃ、そんなピンとした格好した人がいないだろうからモテるでしょうね。
んだ。ばっちゃもじっちゃの白詰め襟姿に惚れたと言ってたからw
軍刀を吊って ということは陸軍かの〜 格好良い制服といえば海軍かもしれんの〜 ええの〜ええの〜(^ω^)
うちのじっちゃんは運転手付きの車に乗って帰ってきた
進駐軍の通訳か何かしてたのかな?
>>445 『講釈師 見てきたような 嘘を言い』そのままのw
キモブサ童貞乙w
俺が小学生の時まで生きてた爺ちゃんから聞いた事があるのは、 サイダーとか椰子の実を飛行機に積んで空に上がると、蒸し暑い地上に戻った時にキンキンに冷えてて格別に美味かったとか、 内地では貴重だったバナナを沢山食べれて嬉しくてなぁと言っていた。 子供相手だからなのか、戦闘の話はさっぱりしなくて、平和で楽しい話しかしなかった。
爺さんは元予科練で、飛行機がなかったとかで特攻出撃せず助かったんだが、 死ぬ寸前に「予科練の先輩が迎えに来た・・・・」とか、朦朧とした意識で言ってたなあ でも元気な頃は「俺は元予科練だ、すごかったんだぞ!」といってたがwww
母方の爺さんは陸軍の衛生兵で、広島〜大陸の輸送船で勤務していた。 運よく潜水艦には襲撃されず、原爆のときも広島を出航していたそうだ。
すごいな。 衛生兵は徴兵された人の中でも優秀じゃないとなれないのではないか。
>>479 そういやうちのじいさんも畑からこっそり持ち出したトマトがうまかったとかシベリアで食った黒パンはコッチコチだったとか
あんまり平和じゃないのもあったけど戦闘の話はあんまりでなかったな
食い物の話ばっかりだったのはやっぱりひもじかったのか単に食い意地がはってたのか
484 :
uaa :2009/10/13(火) 00:24:57 ID:o8EteWIH
>>450 >輓馬と乗馬は兼用なのかな?
ヨーロッパでは重騎兵、軽騎兵、砲兵、騎馬砲兵、輜重兵で馬の種類が違った。
日本でも騎兵・将校の乗馬用と砲兵・輜重兵用の区別くらいはあったんじゃないかな。
胸甲騎兵とは何でしょうか? どのような兵種だったのでしょうか
>>484 少なくとも、乗馬、輓馬、駄馬の区別はあったはず。
>>485 ・・・スレチだろ。
そのまんま『胸甲(胸当て、ブレストプレート):中世期の様な全身鎧でなく胸部のみ覆う物)を着用した騎兵』だよ。
一般的には重騎兵に分類される。
この兵種が最後に活躍したのはクリミア戦争。
(ただし、その直後に他の軽騎兵{龍騎兵、槍騎兵}が行った“バラクラヴァの突撃”の方が有名なので辛いorz)
あと、
>>8 >>20 >>269 >>363 >>371 >>400 >>412 >>419 >>477 この人のおじいちゃんは戦時中、戦争に行くのがどうしても嫌で
日本人を殺してまで終戦まで逃げ回っていたのだそうです
可哀相ですね、もしかしたら自分も逃げてたかもしれないので
責められる立場じゃないですよね
この人がこうやってスレを荒らす事しかできなくなってしまったのは
臆病者かつ売国奴の血統に生まれてしまった天の悪戯 可哀相です
可哀相なので生暖かい目で見守ってあげるしかないですね
490 :
名無し三等兵 :2009/10/13(火) 17:19:30 ID:x3zpzqlh
祖父から聞いた話では、96陸攻の操縦席の主・副操縦士の頭上キャノピー部分にはカーテンが付いていたそうだ。普段は畳んであったが、日差しが強いときに利用したと言っていた。
662 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/10/12(月) 22:24:26 ID:???
96陸攻の操縦席を撮った機内写真で、主・副操縦士の頭上キャノピー部分にはカーテンがあった。
普段は畳んである。
>>490 パクリはいけないなあ。
>>479 機内で飲んだサイダーの瓶に尿をして、上空から投げ捨てていた有名パイロットがいたような気がするw
サイダーって搭乗員にしか与えられない特別な飲み物だったと聞いたけど何でだろね
>>492 サイダーを支給される、つまりタダで飲めるのは搭乗員という事じゃないかな。
ほかの連中は酒保で買えます。
>>492 >有名パイロット
たしかそのエピソード語ったのは坂井三郎さんだっけ?
そういやじいちゃんちに行ったら必ずサイダーがあったw
>>494 坂井サブロー氏のは、炭酸抜かないでサイダー開けて、風防がベトベトになったじゃなかったかな。
小便は垂れ流しで、落下傘が腐ったとかあったような。
うちの爺様は、砲兵少尉でビルマに行ってたな。 今でも生きてるが、昔聞いた話では、インパール作戦の支援で確かアラカンとかいうところに行ってイギリス軍と戦ってたらしい。 印象に残ってるのは、戦闘中イギリス軍は空から物資を投下して補給してたとの事。風に流されて日本軍側に落ちた物資を爺様達が拾いにいったら生きた牛がそのまま入ってたとか。 結局最後は部隊が壊滅して命からがら逃げて来たみたい。
前からパイロットはトイレどうしてたんだろと気になっていたが、垂れ流しだったのかw 後処理しなくちゃならない整備兵も大変っすね…
「ションベンはかまわねぇ。・・・ただし、クソは禁止だ。やらかした場合は貴様に食わせるぞ!」
落下傘腐るまで垂れ流しってことは、整備員も座席は触らなかったんじゃないか。
>>486 なるほど。
「馬を使うことがある砲兵だから、その馬に跨った写真を撮ったというわけではない」ということで良いのかな?
>>496 普段なら開くときに注意してきていたけど、連戦でヘロヘロになっていたせいで、うっかりして吹き出させてしまって、
風防の内側が曇って視界が悪くなって弱った、という話ね。
503 :
名無し三等兵 :2009/10/14(水) 00:03:03 ID:HukV3Lif
曽祖父の話を父親から始めて聞いたので、ちょっとメモ的に箇条書きで書いておきます。 ・本職は警視庁の警察官 ・中国戦線に3回も出兵 ・病気で日本に帰るつもりが、帰れなくなった(船がなくなったから?沖縄が占領されたから?) 警察官が出兵ってのは、一体どういう状況でそうなったんだろうか。 国家総動員法となんか関係があるんですかね?
本業が警察官だって招集されりゃ入営しただろ
505 :
名無し三等兵 :2009/10/14(水) 01:47:38 ID:Q/2Et7dp
俺のGちゃんは 海軍で通信士官やってたんじゃよ だけど難聴になって除隊された 後は近所の町工場で働いてたそうな・・・ せっかく士官までなったのに・・・可哀想にのう
506 :
名無し三等兵 :2009/10/14(水) 02:15:37 ID:Tc+mhswk
お爺さんは、長門に乗ってた。その時の航海日誌と何千枚の写真があるが、内容はよく解らない。片身の短刀は鮫の形が入っている、サーベルと軍服、あと東条の書いたものもあったが今は誰も知らないと言っている。
507 :
名無し三等兵 :2009/10/14(水) 02:56:10 ID:nVMvhklD
ひいじいさんは日露戦争で負傷して、村のヒーローになった、 ひいじいさんの3人息子は徴兵検査で全員甲種合格して、末っ子が合格したときには 村中に紅白の饅頭を配った。 商売をしていた長男すなわち俺のじいさんは義勇兵として満州に赴任、 終戦の数日前に高知の連隊に戻り、そこで玉音放送。 身寄りの無い戦友と商売をしていた土地に戻ると焼け野原、しかし妻の実家の食料品店が焼け残り そこと連携して、元の土地周辺が闇市になったので、あらゆるものを売って 財を成して喫茶店やら生花店やらを経営するようになった。
508 :
uaa :2009/10/14(水) 04:15:13 ID:5k2ZFpNt
>>498 コンドームをチンポコに被せてション便したけど、機外に捨てようとしたら破れて顔かかったていう話を聞いたことある。
>>487 スレチだけど答える
竜騎兵はイギリスでは重騎兵で、フランスでは軽騎兵。なんで違うかっていうと、使う馬が重騎兵用か軽騎兵用かで決められるから。
バラクラヴァの戦いの”重騎兵旅団の突撃”はスコッチグレイ他の竜騎兵が行なった。
みなさんのご祖父ご祖母のエピソード素敵です。 親族の生の声のほうが教科書なんかよりも遥かに価値がある気がする。 それと荒らしがいなくなって良かった。まあまたどうせ現れるだろうけどw 改行あけて、キモブサ童貞乙wwwとか書きますよもうすぐw おそらく彼自身がキモブサ童貞だからそうやって荒らすことしかできない。哀れ。
戦争体験アリのGちゃんがいるヤシって、フツー40超えてるよな?
ひいじいさん・・・終戦時58歳の退役少将、生きてたら122歳 じいさん・・・終戦時27歳の少佐、生きてたら91歳 とうさん・・・終戦後生まれ、団塊世代の60歳 おれ・・・ゆとり第一世代の21歳
514 :
名無し三等兵 :2009/10/14(水) 12:32:43 ID:cSGRvT3Y
>>509 です。見事に予言が的中しました。ってゆーか見事に釣れましたw
>>512-513 はコピペ厨ですね。しかしおそらく彼は反戦主義者と見受けられます。
反戦教育に洗脳されているので、戦時中の美談などされると頭に血が上るタイプでしょう。
「戦時中の日本人は皆鬼畜であり殺人鬼だった。」そう思い込みたいのでしょう。
たしかに戦争が人殺しであることには違いない。肯定してはいけないことだ。
しかし我々日本人の祖父や祖祖父達は本当に鬼畜な殺人鬼だっただろうか。
私はそうは思わない。我々と同じ人間だったと思う。生前の祖父の心はとても温かかった。
立場が立場なら、誰だって同じ事をやったんじゃないだろうか。
たとえ
>>512-513 のようなコピペ厨であったとしても、だ。
戦争は憎い。だがこのスレに書かれた祖父達を憎むのは筋違いだと思う。
>>512-513 は祖父達を冒涜したも同然。この場で謝罪するべきだ。
それかもう二度と現れないことだ。そういう誠意を見せるべきだろう。
それが我慢できず「ウゼー」「乙乙w」みたいに独り言言いながらどうせまた現れるが
そのときはこのコピペ厨こそが鬼畜殺人鬼である。氏ねwしかし可哀相でもある。
それに彼はきっと祖父や祖母の愛も温もりも生の声も聞けなかったのです。哀れなり。
なんでもいいからじいちゃんばあちゃんの話きかせろよ
爺ちゃんが出征してから毎日、村の神社に参拝して、家の神棚にも手を合わせて無事を祈願してたけど、 爺ちゃんが戦死したという知らせを聞いて、家の神棚をブッ壊して何もかも焼いたらしい。 それっきり婆ちゃんは神様なんて信じなくなった
>517 ・・・・・・・ (´・ω・`)
その後ひょっこり帰ってきて‥‥って展開ではなかったんだろうな。。。
>>503 三回招集されたのでしょうか。
優秀な古兵殿であった事でしょう。
>>507 息子三人が甲種合格。
紅白まんじゅう配る気持ちがわかりますね。
>>498 一応携帯トイレというか小便用の袋みたいなのはあった
あったけど飛行中にわざわざチンコ出して小さい袋の中ににするのが億劫
袋にしたら風防をあけて中身だけ捨てるんだが上手にやらないと顔に浴びる
なので飛行服の中に放出する整備兵泣かせの無精者が結構いたそうだ
で、座布団状態にしてる落下傘が腐って・・・本当に座布団としてしか当てにしなくなったそーな。
523 :
522 :2009/10/15(木) 00:49:21 ID:???
スマソ、落下傘はもう出てた・・・
爺さんが陸軍司政官。台湾で終戦。当時の写真は勲章だらけだったらしい。
>>524 >陸軍司政官
これは凄いですね。
御存命ならさぞ興味深い話を伺えるでしょう。
526 :
名無し三等兵 :2009/10/15(木) 16:18:51 ID:LbUgTMg3
モノクロに着色した写真? カッコイイな。
>>526 すげぇ、本当に最近撮ったように見えるよ。
・・・零観って実機残ってたっけ?
>>526 スレチだけど良い写真だな。現地の女の子も一緒にいるね
>>526 お前は俺か?w
つい昨日この画像をPCの壁紙にしたばかりだぜww
ところで、この
“ P1-5 ” はどこの所属部隊ですかね?
これ、航フの別冊で見た記憶があるぞ。
534 :
名無し三等兵 :2009/10/16(金) 21:35:33 ID:WJqwNyJu
おれの爺さんではないが 上司の親父様がコレヒドール落したとき61連隊の大隊長だったらしいのだが どこで調べたら確認できる?
>>530 R方面部隊の所属で、水上機母艦の搭載機ではないだろうか?
それとも、958空か?
つわものどもの夢のあと
この写真のゲタばき野郎のアニキ達は、激戦の南の空を生き延びられたのだろうか?
536 :
名無し三等兵 :2009/10/17(土) 11:44:13 ID:l1hd9ZDr
全員戦死
最初は青島の方で戦っていたらしい そこから転戦に次ぐ転戦で最終的には南京に居たとか 日本兵を2ケタは殺したと言ってたが そんな元共産党幹部の祖父も10年前に無くなりました 一つの時代が終わったんだなぁ あと10年すれば戦争の記憶なんて完全になくなってるかもしれないね
>>537 すげえ興味がわいたんだけどw
おじい様のプロフィールだけでも教えていただけないでしょうか?
539 :
530 :2009/10/17(土) 18:30:48 ID:???
>>535 あれから色々調べましたが、
どうやら御説の通り特設水上機母艦・聖川丸からの派遣機の様ですね
その後の彼らの運命は? 南溟の藻屑と消えたのでしょうか。
昭和17年○月 ショートランド島、水上機基地にて ってところですかね。
542 :
名無し三等兵 :2009/10/18(日) 06:41:18 ID:pK4ta7Sp
祖父は丁度、日清・日露戦争の間に成人したため、 出征しておりませんぞ。
未亡人から戸籍を買って長男になって徴兵を回避しました。
>>543 非国民の子孫はこのスレに来なくてよろしいです
じいちゃん、次男。乙種だか丙種だかで徴兵されなかったんだけども 鍛えて健康な体になれば兵隊に行けると家業(田舎の農業と林業)頑張ったらしい。 兵隊に出たり戦死した人の家の作業を引き受けたりとか。 結果、見事に体が出来上がり、いつでも来いと自信をつけたところで終戦。 命を拾った?だけでなく頑健な体を手に入れたそうな。 ついでに作業を手伝っていた家の娘(俺のばあちゃん)に気に入られて結婚。長男より裕福になった。
ばあちゃんはついでかw
>>537 すごい超次元長征ですね。伝聞戦記を出版してください。
>>547 きっと1930年代なのに
テコンVを操縦して零戦を撃墜する話が出てきそうだ
むしろばあちゃんが慰安婦だったって人の話を聞きたい。 慰安婦も男女の関係とか抜きに戦後も戦友のような固い絆があったと聞く
551 :
名無し三等兵 :2009/10/19(月) 12:20:25 ID:xCMslYJg
自分が売春婦だったとわざわざ孫に語る婆がいるとは思えんなぁ チョンじゃあるめえし
前スレにこんなのがあってだな・・・ 512 :名無しさん@十周年:2009/06/21(日) 04:52:05 ID:Kot8vRcIO もう亡くなった大正生まれのオイラのばあちゃん、13歳の時に親に売られて満州で売春婦してたそうな。 その時に陸軍の整備兵で好き者やった兵隊さん(オイラのじいちゃん)に「俺の嫁になるなら身請けする」って言って、部隊の工具や備品をパクって売って貯めたお金で身請けして嫁にしたそうな。 (じいちゃんは否定) 終戦迎えて内地に帰って…じいちゃんは小さいながらも某牛乳メーカーの役員まで出世してそこそこ財を作った。 じいちゃん、何歳になっても女好きが治らなかったが、ばあちゃんはいつも「私はじいちゃんがいなかったらボロボロになって死んでたやろうからじいちゃんには何も言えん」って泣きながら笑い飛ばしてた。 しかし、そんなじいちゃんだが、女遊び以外はばあちゃんにむっちゃ尽くしてた。 ばあちゃんが何かのテレビ番組で綺麗な景色見て「いいなぁ…」ってボソッと言ったら、2、3日後にはじいちゃんが「おい!旅行行くぞ!」ってばあちゃんが言ってたところに大名旅行に連れて行ったり… ばあちゃんが、何気なく肩を自分でトントンしたら、必ずじいちゃんがすぐにばあちゃんの後ろに回って肩叩きしたり… ばあちゃんの誕生日には必ずウェディングケーキばりのでかいケーキを買ってきて、毎回「こんなでかいの誰が食べるのよ#」ってばあちゃん怒って… 晩年、ばあちゃんが「わたしゃ女郎屋の女でよかった。じゃないとじいちゃんと逢えなかった…」って話をオイラに言った2日後、昼寝したまま綺麗な寝顔のまま永眠したなぁ… スレチやけど、ふと思い出した 携帯から長文スマソ
最近の小遣い稼ぎが目的の援交少女や三流風俗嬢と一家破産寸前で身売り同然で 腹をくくって女郎さんになり大陸では皇軍慰安部隊として明日をも知れぬチェリーボーイに 春を迎えてあげた慰安婦を一緒にすな!
そう考えると 姉妹兄弟全員女学校や大学まで通ってた うちの祖父母の家系の女たちは恵まれてたんだな そのせいか今でもぬぼーっとしてるけど
ほのぼのいい夫婦だ^^
>>553 拉孟だっけ?軍から逃げろと言われたけど、軍人さん達と一緒に死ぬと言って玉砕した慰安婦達がいたはの
チョン慰安婦は逃げたらしいけど
なんか慰安婦が狙撃兵してたとか聞いたこともあるな。
結構あちこちの戦地であったみたいだね>玉砕慰安婦 ちゃちゃっと儲けてとっとと内地に帰っちゃう人もいたみたいだけど、 長い間部隊と共に転戦していた人は家族同様になっていたらしい。 死地に赴く兵士達を尻目に自分達だけが生き延びるなんて考えられなかったんだろうな。 それでも強制的にトラックに乗せられた彼女たちは号泣して別れを惜しんだんだそうな。
終戦後は身売り同然のため互いに負い目があるため故郷に帰りづらい彼女らに結婚に必要な物を贈ってあげたり大病した 場合かなり高額な医療費を出し合ったり彼女らが困ってた場合大いに力になった例もある。 長い事酷使し続け伸びきってしまった大陰唇を元に戻す手術を受けさせてあげたり戦地で文字通り 下の世話をしてもらった以上無条件で恩返ししてたらしいな
いい話だなあ。 また戦争はじまればいいなあ。
564 :
名無し三等兵 :2009/10/20(火) 23:03:52 ID:JEGEPmgf
昼は敵陣に突撃、夜はマンコに突撃した訳ですね
565 :
名無し三等兵 :2009/10/21(水) 05:44:41 ID:J7zu10/q
>>552 ええ話やのう
孫にそんな話までするなんて、ほのぼのとした一家じゃのう
566 :
名無し三等兵 :2009/10/21(水) 07:04:47 ID:nouGk2Dm
そんな話されたら逆に見下すわ
売春婦の孫とか自己嫌悪で自殺するわ よかった卑しい身分の出じゃなくて
貴様!誉れ高き皇軍慰安婦部隊を愚弄する気か!
571 :
名無し三等兵 :2009/10/21(水) 17:43:53 ID:nouGk2Dm
>>569 ですよね〜
そんな事が世間に知れたら絶対イジメられる
うちのじーちゅん、予科練?時代の授業か何かでラグビー覚えたらしいお 戦後、会社員になってもずーっとラグビー続けたお
13歳で売られるような少女に人生の選択肢があったわけではあるまいに。 軽蔑するのなら、そういう世の中を作った当時の日本の指導者層の方だろう。
>>573 チョンがどうとか言ってる連中にそういう事を理解する脳みそがあるわけないだろ
>>573 いやいやそういう事じゃなくて、売春婦だった事を自ら孫に語ったりするのがキモいって言ってるんだろう。文盲かよ
売春婦として売られたたいう理由で軽蔑する人間こそ軽蔑されるべき。 まあ日本人にはそんな奴はいねえだろうけどな。
そういう世の中を作った指導者層?はぁ? 明治以前のほうがもっと人身売買酷かったろ 明治の政治家がどんだけ東洋の小国をそれなりに裕福な国にしたと思ってるんだ 個人レベルの話にしたって維新後に卑しい身分からでも這い上がるチャンスなんかいくらでもあっただろ 俺ん家だって本当に秋山家と同じように維新後に武士身分失って困窮しながらも 頑張って勉強して陸士、陸大入学して支配者層まで上り詰めたんだよ 祖母方はもともと地元の名士で土地持ちだったから何もしなくても裕福だったが そういう努力を怠ってきた人間が昭和の世になってまでも 高等女学校以前に中学校すら出れなくて体売るしかなかったんだから 軽蔑されるべきだと僕は思うけどね いや、煽りじゃなくて本当にそう思う
>>577 とりあえず、お前が半可通の馬鹿って事だけは分かった。
売春婦を擁護いてるのは下賎な出自の人間かそれに近しい人間かなんかか? うちなんか祖父方も祖母方も兄弟姉妹4人いながら 全員、陸士、陸大、旧帝、高等女学院出てるから 売春婦が身内にいるとか想像もつかんわ
581 :
名無し三等兵 :2009/10/21(水) 23:56:35 ID:7FMqEdFq
聞いたらダメ。自分が誇れないから家柄だの持ち出すんだから。 チョンと同じ。
俺はまだ大学生だけど そりゃご先祖様みたいな立派な人間じゃないけどね
>>582 どこの大学か言えよ、国公立大くらいにはかよってんだろ?
言うだけならタダだから、自慢してみろよ。
普通の私大だけど・・・ なんで俺の大学の話に変えてんだよ どっちにしろ売春婦を擁護するとか 同じ日本人とは思いたくないね・・・
>>584 話にならんな、自分は普通の私大に通ってるモラトリアムのくせに、ご先祖さんの学歴自慢か。
どうしてご立派なご先祖様と同じ様に努力しなかったんだ?
自分は努力していないのに、自分自身ではどうしようも無い境遇から、
身売りしなければならなった先人を見下せるんだ?
国公立>私大って高卒かなんかか? うちの大学、地方国立はもちろん旧帝の下のほうよりも難しいと思うけど そもそも先祖の学歴自慢なんかしてないんだがw しいて言えば先祖の境遇自慢だな 中学への進学率が10〜20パーの時代に 父方母方ともに4兄弟姉妹全員、陸大、陸士、旧帝高等女学校に行ってるような環境っていいたかったんだが 馬鹿にはわかんなかったか
ある貴族に「君は誰の子孫なのかね?」 と先祖の事でおちょくられたチャーチルは、即座に次のように返したと伝えられる 「私は子孫ではなく、先祖になるのだ」
>>586 陸士、陸大、旧帝だってぶちあげといて、自分は普通の私大っ言っておいてその返しか(w
じゃ、聞いてやるから通ってる大学名いえよ、言うだけならタダなんだからよ、
さぞかし名の通った普通の私大なんだろ?
で、先祖の境遇がよければ、不遇な人間を見下しても良いってのはお前の家の家訓か?
だとしたら、家柄はともかくお前の家は人間の屑の血筋だな。
うーん表立って見下すことはないけど 内心みんな見下してるよ 官僚やってたうちのじーさんなんか 庶民を下の人間とか下の人とか悪気なく使ってたもんね それが娼婦ときたら人間扱いしてないだろな 俺ですらしてないのに ただの穴だろ 性欲処理機 よく孫に自分が売春婦だったなんて言えるわ まともな教育受けてないんだろな
>>589 ああ、筋金入りの屑の家系か、人間の屑としての英才教育受けて育ったなら、
一般人と感性が違うのは仕方ないか。
で、何故大学名をスルーする?
ご先祖さまのに顔向け出来る程度の学歴ではあるんだろ?
遠慮しないで、自慢しろよ、言うだけならタダなんだからさ。
大学名にこだわるねーww 学歴コンプかなんかか? 塾生だけど
ここで、瀬戸内の某島から出た初の東大生を祖父に持つ俺様参上!! いや戦前の東大ってめっちゃ難しいし、島だと独学で勉強するしか無いもんだから、 ハッキリ言って相当なバケモンだったらしい。 今でも島から東大って滅多出ないしな 俺?三流国立ですが何か?
スレ違いです・・・ おじい様の戦争体験と関係ないレスはやめましょう・・・
594 :
592 :2009/10/22(木) 00:48:47 ID:???
じゃ戦争体験に関わる話で・・・ 東大在学中に学徒動員掛けられた爺ちゃん、超不器用でゲートルすら巻けず上官に怒られてさぁ困った、 勉強は出来るがそれ以外は何も出来ない人間だったから。 で、就寝時間に懐中電灯持ち込んで布団の中で勉強、試験に受かって士官になっちゃった。 昨日まで自分を怒鳴り散らしてた上官が一気に部下になって、何か変な気分だったとさ
>>591 ああそう、ぼかして言ってるって事は詐称に対する良心は一応あるのね。
詐称とかそういうことしか書けないのか売春婦擁護の賎民は もういいわ寝る
塾員のひとりとして愚かな後輩の言動をお詫び申し上げます。 どうぞお気になさらず以後放置の上、引き続きご歓談ください。
ちょっと見ない間に男塾塾生(自称)が登場していたとはw
>>552 戦地の兵隊たちに売春婦と話す機会など無かった。ピー屋と呼ばれる朝鮮人が連れて
くる慰安婦に順番に乗るだけ。行列作って。
そういうこともごく一部の部隊の、そのまた一部の兵隊たちだけだったようだ。
安岡章太郎のエッセーに、川岸で足を濡らして遊ぶ慰安婦たちを遠くから眺め、故郷の
母や妹もああいう足をしていたのだと回想するシーンがある。
そしてあんな女たちを呼ぶぐらいなら、アンコロ餅でも食べさせて昼寝をさせてくれれば
いいのに、と考える。
日本軍は施政地に必ずといっていいほど料亭を作ったので、将校たちは花柳界の女たち
と懇ろになる機会があった。しかし兵には全く関係なし。
恋人や妻がいたって外で会うことも出来ないのに、なんで馴染みの女を作れるんだ。
しかも、兵隊のまま身請けしたように読める。
与太話もここまでくれば立派。
整備兵が工具や備品をパクるって、ヲイヲイw
皇軍の備品は全て天皇陛下様のものなんだよ。三八式歩兵銃の手入れを怠れば、天皇
陛下様に申し訳がたたないということで死ぬような制裁が加えられる。
演習のあと薬莢も回収。最後の一発まで数が揃うまで全軍草の根をかきわけても探す。
武器や備品を売っぱらって金儲け、などということは他の国の軍隊にならあるかも知れん
が日本軍にだけはなかった。
親父に聞いたら親戚みな陸士の同期生や 同期生の子供とまた違う同期生の子供が結婚してたりして まわりが軍人家系だらけだったんだけど やっぱりこういう横のつながりってあるんだなぁ・・・w
601 :
名無し三等兵 :2009/10/22(木) 18:40:56 ID:s1SRV+BL
なんで捏造された慰安婦話を美談にしたがる輩がいるんだろうな
美談にしてる奴はいないんでね?不必要に貶めてる奴はいるが
売春婦と盗人を擁護するとか 完全に日本オワタな・・・
604 :
名無し三等兵 :2009/10/22(木) 19:19:12 ID:9ukRjgUp
うちの親父は、練習機(赤トンボ)を壊してるうちに終戦を迎えた
盗人というが、じいさんは否定してるんだからばあさんの勘違いの可能性もあるではないか それにしても、子供を売らなきゃ生活できない時代に生まれただけで見下されるとは嫌な国になったな。日本は 庶民に食わせてもらってるのに庶民を見下す官僚とかまさに人間として最下層だな
>>604 >壊してるうちに
操縦が下手だったて事かい?
607 :
名無し三等兵 :2009/10/22(木) 19:53:54 ID:9ukRjgUp
>>606 そうらしい
上手かったら旅客機のパイロットにでも
なってたって
>>598 まぁ、2chは経歴なんて書き放題だからな。だいたい、大学生を
名乗るような奴はリアルでは高卒や中卒だったりするわけでw
いい加減スレ違いだってば・・・ スレタイ読めないの・・?
曾祖父が軍隊にいったのは結婚した次の日だったらしく祖父はその一日でできちゃったらしい。 まぁ、本格的に愛を育んだのは帰ってきてからだそうな モチベーションが凄かった曾祖父は遥か御国を何百里の満州で敵兵ばったばったと倒しまくったらしく、勲章多数受勲。最終階級は曹長。ただの農民だったのに・・・ 曾祖父は勲章は死ぬまで自慢だったせいで遺影にまでつけてらっしゃる やっぱり農民から軍人になった彼も長く軍にいたせいか戦後も武勇伝、悲劇的なエピソードを語ることはあれど、旧軍批判はしなかったな。 まぁ、戦争自体は二度と起きてほしくないと思ってたみたいで突撃直後に撃たれ塹壕?に落ちて血だまりを作り死ぬ兵士の絵かいたり 砲撃は雷のようだった めちゃくちゃ寒かった なんて話を残したらしいw
うちのじいちゃんもシナでドンパチしてたようす。 以前従軍章やら勲章がわらわらでてきた 興味持つ前に他界したのでどんな話が聞けたのかが心残りだけど ご先祖様がいるからいまの自分たちが居るわけで 他人様とはいえ先祖が〇〇で恥だとかいけしゃぁしゃぁと言えるのはちょっと引いたな ご先祖様がいなければ君は存在しない という大前提がわかってないらしい 軽蔑する? すればいいさ そのご先祖様のおかげで今の君の境遇が成立しているわけ 一つ間違えば(夫婦の相手が変われば)その後の人生なんか無限に変化しえるから そのご先祖じゃなかった場合 家系断絶しててもおかしくないのすら理解できないのねぇ今の学生は・・・・ ご先祖様を敬うという事は突き詰めれば今の自分の生活のル−ツであって それを否定するというのは即ち自己否定なんだけどね>一人でわめいてる奴
>>605 >庶民に食わせてもらってるのに庶民を見下す官僚とかまさに人間として最下層だな
今度日本郵政の社長に天下った、ノーパンしゃぶしゃぶ斎藤元大蔵次官のことか
>>611 はぁ?俺様の家系は元を辿れば宇多天皇
源平合戦も源氏方として戦い尼子氏と毛利氏に仕え
関ヶ原は西軍、戊辰戦争は官軍として戦った
れっきとした長州藩士族の家柄だ
家系に売春婦なんて一人もいねぇよアホか
祖父方は軍人一家だし
祖母方も代々地主で戦中も身売りなんかと程遠い普通の生活してたし
同族は萩の乱でやらかさなかったら爵位貰ってただろうし
親戚は山口県の某市の初代市長やってた
盗人とか売春婦とかとは程遠い生き方してんだ
そんな下賎な人間なんかと一緒にすんなクソがっ!
614 :
名無し三等兵 :2009/10/23(金) 14:51:39 ID:I/1A4FGY
塾生(自称)ご苦労w
615 :
パルパル :2009/10/23(金) 15:17:16 ID:???
明日2009年10月24日、足立区綾瀬でフィリピン・ルバング島で戦後30年間戦い続けた小野田寛郎(おのだひろお)氏の講演会があるみたいです。興味深いです。今日締め切りみたいなので皆さんにお知らせします。
詳細はここ
http://tokyo.exjocv.org/
>>614 お前それを言うためだけに学歴聞き出したんだろw
>>613 金持ちのボンボンが身一つで生き抜いた人間を見下せるほどの何かを残してるのかは非常に疑問だな
大学の進学費用・学費・生活費を自力で稼ぎながら学校に通ってるとかいうならちょっとは見え方も変わろうが
結局立派なのはお前の先祖であってお前じゃねーよ。
鷹の家にトンビが生まれたようなもんだな。
>>616 学歴聞き出したのは
>>614 じゃねーよ。
俺はスレチの指摘でお前が勝利宣言して以後の書き込みは控えてた。
俺以外にもお前の性根が腐れてるって真人間が複数いる事実を直視しろ。
これ以上ここで発言したいなら、せめてお前のご立派なご先祖の功績を書き込むんだな。
619 :
614 :2009/10/23(金) 19:12:52 ID:???
620 :
名無し三等兵 :2009/10/23(金) 19:18:01 ID:2Jskv2nv
622 :
名無し三等兵 :2009/10/23(金) 20:37:00 ID:I/1A4FGY
>>622 ↑
こういう手合いも季節の変わり目によく出る天然物だな。
おー。文末にまるつけられるようになったか。 結構結構w
2ちゃんで句読点と変換間違い指摘とか恥ずかしくないの? 新参?
塾生って、どこの進学塾の子供なの?
なんで下賎な人間ってこんな必死なの? ネット上でしか騒げないから?
630 :
名無し三等兵 :2009/10/23(金) 21:54:51 ID:I/1A4FGY
浸かっちゃいないが新参でもないよン。 指摘したのはおもろかったからだよン。 仮にも塾生だもんね?あれだと頭弱い子だからね。
631 :
名無し三等兵 :2009/10/23(金) 22:40:58 ID:oHxogj/B
ぉ
632 :
名無し三等兵 :2009/10/23(金) 23:35:44 ID:oHxogj/B
>>624 自分のような馬鹿にレスを着けるやつは一人だけだと思い込む。
季節の変わり目によく出る天然物の特徴の一つ。
>>630 自分とそっくりのが出てきて大喜び。惨めな奴。
635 :
名無し三等兵 :2009/10/24(土) 01:01:51 ID:Imaxytcx
現在の自分の境遇を惨めに感じる人間は、得てして自分の家系にこだわることで、アイデンティティを保とうとするもの。
639 :
名無し三等兵 :2009/10/24(土) 01:33:54 ID:+OQewcmW
気球で上空から投網して敵機捕まえる計画をしていたin千葉
>>610 「俺、内地に帰ったら生まれた息子に初めて会うんだ・・・」
フラグを必死に折りまくる曾祖父に萌えますた
別に自分の境遇を惨めだなんて思ってないよw そりゃ曽祖父や祖父と比べればあれだが 人生充実してるし別に学歴厨でもないけどそれなりに高学歴の部類だし 親戚のコネで大手企業に内定貰ったしね 自分の家系を自慢したわけじゃなく 自分の境遇を披露した上で あらためて盗人や売春婦を見下す姿勢を示しただけだよ 家系に犯罪者や娼婦がいたら誰でも嫌だろ 頭わいてんのか?擁護してるやつ
>>641 スレ違いの話はもういい、これ以上ここで語りたいなら、
ご立派なご先祖様の業績を書き込め。
陸士、陸大卒を輩出してるんだから、いくらでもエピソードあるだろ?
人は、最も言われたくない言葉で他人を罵倒するんだそうだ。 つまり、「賎民」を連呼する塾生君の出自は・・・w
犯罪者と娼婦を一緒くたに並べる時点で論点がおかしいんだが
>>613 フルボッコ涙目ww
もうさ、勝利宣言でも釣り宣言でもいいから
やっちゃって逃げたほうがいいよwww
うちの先祖は平家のとある家で某県某村に落ち延び明治になって北海道に殖民し 大東亜戦争では曽祖父が満州に行ったがたいして戦闘もなく食料や酒にはこと欠かさず 曾祖母達も田舎な上豪農の大地主で食料にも困らず終戦。 幸いな事に源氏との戦以来戦争の苦しさ辛さを体験してない
649 :
647 :2009/10/24(土) 14:31:50 ID:???
違う違うw
>>649 さよか、それはスマンかった。
でも、句読点が全くない文章の綴り方は、奴の特徴だから注意した方が良いと思う。
それとも、そういう文体が最近の若い衆の特徴なのかい?
2ちゃんで句読点云々言ってるほうが問題なんだよオッサンw
オッサンの何が悪い!
653 :
611 :2009/10/24(土) 17:07:55 ID:???
>>641 塾生だのじいさんが官僚だのと自慢したあげくに自分はコネ入社かwww
恥を知れ
大学は聞かれたから答えただけだし祖父が官僚やってたのも 事実を述べただけなのに何故、自慢したことにされるのか・・・これが嫉妬という物か怖い怖い まぁコネクションなどとは縁の無い賎民に言っても仕方ないとおもうけど 岸・佐藤・安倍・松岡などを中心とした長州系宮中グループはいまだに政界に存在してるし 経済界には鮎川や井上の流れを汲んだグループ 長州系の軍閥グループ、いわゆる旧陸軍関係のグループが存在する 毛利藩校明倫館の流れを汲む旧制山口中学によるグループも存在する 事実、先祖や親戚は旧制山口中学出身者が多いし うちの外叔父は軍閥グループ、親父は鮎川系のグループにコネクションでそれぞれ入社してるし 自分は外叔父の軍閥グループのコネクションを使って入社するわけだけど 親戚関係、婚姻関係、ほとんど陸軍関係や長州関係で塗り固められてるから まぁ産まれた時点でコネ入社することは決まってたようなもんなんだけどw
656 :
名無し三等兵 :2009/10/24(土) 17:49:43 ID:RH0yPUW/
祖父から聞いた事があるのは玉音放送の後に「よかったー、これで故郷に帰れるがやー」と、 隣にいた戦友と万歳して喜んだら上官にぶん殴られたってさ
>>655 もうそろそろお腹一杯。違うネタ持ってきて。
>>655 てめぇの話はこのスレの趣旨とはほとんど関係ねぇ内容だろ?爺さんの戦争体験の一つや二つ聞かせろや
自慢話はチラシの裏にでも書いてろ
近所のおばあさん。息子が2人とも戦争で亡くなったそうだ。さみしそうだった。
愛国の母か・・・。 これは本当に辛かっただろうな。
663 :
名無し三等兵 :2009/10/24(土) 22:50:56 ID:ZSQwz1iw
俺のじいちゃん戦時中、立命館の学生だったんだが、石原莞爾客員教授の授業は 毎回神発言の連発で、学生のほうが石原の心配をしながら聞いていたそうです。
664 :
名無し三等兵 :2009/10/24(土) 22:52:49 ID:H3zkrBkp
五年前に死んだ俺の爺ちゃんの遺品の中に大きな箱があったから中見てみたら海軍の軍服が三種類と飛行服が虫除け剤と一緒に入ってた。 底に平たい箱と菊の紋が入った漆塗りの箱もあった。 どちらも開けてみたが96戦や零戦の前で飛行服姿の若かりし爺ちゃんが写ってた。 驚いたのが集合写真があって下に海軍三四三航空隊開隊記念と書いてあり源田実を中心にパイロットであろう人達がズラリとならんでた。 連合艦隊司令長官山本五十六と書いてある真珠湾攻撃に関する賞状みたいな物があり勲章と一緒に入ってた。 爺ちゃんあんた凄い人だったんだな。
>>664 >海軍三四三航空隊開隊記念
初代の方だったりしてな
置いといて、
ワシこの前ホンモノの元・三四三空パイロットの人見たよ
(サイン?て言うか一筆いただけば良かったのう・・・
>>664 勲章とか真珠湾、343空あたりの話からして、
マジモンの歴戦のファイターであられたかと。
もし可能なら追加調査ヨロです(実名でググれば戦史研究者の資料に出てきたりして)
本日は某作戦で散華した曾祖父の命日 昨日、祖父と父と一緒に地方から上京、今から靖国神社まで行ってきます
>664 軍歴照会するがヨロシアルヨ!
>>661 間違った政権選択ってそういう悲劇を生むよな。
また変なのがきた
>>670 明治期以降、選択の余地はないに等しかったからね。
選択の余地があるということ自体、突っ走るのに足払いをかけ続けるともいえる。
>>672 鳩山一郎の「統帥権干犯」で、政友会に政権をとらせなければ満州事変拡大と
日中戦争の防止は、可能だったかも知れない。
>>673 無理筋じゃない。明治期以来の軍事立国で、軍需関連産業が最大の重厚長大産業として
国に骨絡みになっていて、それ以外の産業がショボショボのままだったからこそ、リストラ食らった
軍人の受け皿がなくて、さらに大々的なリストラを食らったらどうもならんということで暴発して、
大戦に突っ込んだわけで。
飛行機とか造船とかの重厚長大産業が、もし、スンナリと、いわゆる平和産業に転身していたなら、
そうならなかった可能性はあるだろうけど、いわゆる列強の人種差別が酷かった時代に、そういう
悠長なことができた可能性はないに等しいし、大戦でボロ負けして徹底的に潰されたからこそ、
他に活路を見いだすしかなくなって、紆余曲折はあっても現在に至ってるわけだから。
我修院の親父は狙撃兵
677 :
名無し三等兵 :2009/10/26(月) 17:20:00 ID:E5UQVaur
>>669 関大尉の敷島隊って特攻第一号で有名だけど、実は違うらしいね
敷島隊って子どもいる人いたっけ?
それはそうとこのスレ的には
>>664 みたいな話のほうがよっぽど自慢になるよね
(批判じゃなくて素直にね)
自分の先祖の戦争体験を書けないのに変な煽りレスばかりつけるやつはなぜこのスレにいるのかと
自分はずっと前のレスに祖父の体験談を書いたのでもう書きませんが とにかく前から酷い荒らしがいたことは確か(ログ参照) 自分の警告レス以来、その荒らしは出てこなくなりましたが それでも荒れてしまうのは少し残念です あるいはその荒らし本人が再び潜伏し、なりすましで煽っている可能性すら 考えられます、が、思いすごしであってほしいです 荒らしの彼はこのスレのみなさんのご先祖様の歴史に一度泥を塗りました たいへん悪い事態でした、再発しないことを心から願います それくらべれば今の状況はまだ大丈夫なほうですので 同じにならないよう気をつけましょう、自分も気をつけます 自分は同じ日本人としてみなさんの祖父母様方をいつまでも尊敬致します
>>679 『荒らし』は、そーいうかまってくれるレスが一番ウレシイのだが
682 :
名無し三等兵 :2009/10/26(月) 22:59:21 ID:UMVc+MQm
キモブサ童貞サンは、欺瞞と、嫉妬に狂った人生を終了致しました。 コネで就職するといっていたバカボンは、 自分が池のコイだとわからず、跳ねマワッて、池に帰れず窒息死しました。 もう来ません ご安心ください。
683 :
名無し三等兵 :2009/10/26(月) 23:06:11 ID:UMVc+MQm
本人、親族の意志により お通夜 葬儀は、執り行いませんので 御了承ください。
荒らしよりも
>>679 のような奴の方が気に食わんね。
掘り返すようで悪いが、例の「キモブサ童貞乙w」の奴は、何スレか前までは荒らしじゃなくて単なる住人だったわけだよ。
彼は確か「胸焼けがするような作り物っぽい」話がここに書き込まれて、しかもそれを見てもスレ住人達が何の疑いも持たずに称賛したりしたことから「おいおいそれはちょっとおかしいし出来すぎてるぜ」とケチを付けたんだわ。
それが駄目だったんだね。ここは話の信憑性を議論するとこじゃないし、嘘か本当かなんて結局判らないんだよ。ただ書き込む人の品性に一任してるからね。
最近はほんと品性が落ちたよ。あと俺は「キモブサ童貞乙w」じゃないからねw
685 :
名無し三等兵 :2009/10/28(水) 13:38:02 ID:Bjjzh0BX
ウチは一族郎党東夷の東京者ですが、曾祖父が軍需工場やっていました。工場といっても精密機器で、 通信機等々。電探についてもネタテンコモリなんですが、書くと特定になるので、別の話を。 曾祖父が酒飲みだったのです。で、軍需工場にはビールの配給券が多く来るので、ときどきティーンだった トウチャンに、ビールを取りにいかせていました。 うちの指定は銀座のカドキリといわれた、キリンビアホールにある配給所で、大瓶4本を荒縄でしばったものをくれます。 配給券と引き換えで、その時「指定軍需工場受け取り」という、ビールもらいましたよ、という証明書をくれたそうです。 で、ぶら下げて帰るわけですが、ガキがビール下げて歩いていると、ときどき憲兵に 「もしもし、ちょっと」 とやられたそうです。でも、テレビや映画の憲兵とちがってしごく丁寧で、軍需工場指定受け取りの証明をみせると、 日本軍独特の、お辞儀しながらの敬礼してくれ、 「時局下、ごくろうさまです」 「失礼いたします」 で、わかれる、と。 つまらん話ですが。当時のビールは統制品で、全部ラベルが「麦酒」という味気ないラベルだったそうですが、ビンには キリン、アサヒ、とか彫ってあって、そのギャップが、戦争してるんだな、とおもわせてくれたそうです。 トウチャン、いまでも大元気ですが、今のうちに話を聞いておこうと思っています。3回の東京空襲を中央区の銀座で 食らった経験とか、なかなかすごいので、そのうちまたお邪魔します。
>>675 なぜ戦争に突入したか?せざるをえなかったか?という話だよ?
戦争世代が現役だった頃に盛んだった「床屋談義」というやつ。
688 :
名無し三等兵 :2009/10/30(金) 16:46:03 ID:KGUwkNGK
じいちゃんは15年程前に病気で死んでいるんだが、ふとしたきっかけでばあちゃんから話を聞いた。 太平洋戦争末期、じいちゃんは広島で兵隊をしていたそうだ。(実家は愛媛) そして、原爆投下。 幸いにも難を逃れたじいちゃんは同じく難を逃れた同僚と共に爆心地近くに野菜を届けるという任を仰せつかった。 リヤカーに野菜を乗せて、まさに焼け野原になった広島の川沿いをとことこ歩いていると、そこには原爆の被害を受けたたくさんの人がいた。 そんな人達にとってリヤカーに乗せられた野菜はいかに魅力的にうつったことか、野菜を求めて次々に人が集まって来たらしい。 しかし、じいちゃんたちは寄ってくる人を、次々と川に蹴り落とし、野菜を運んだそうだ。 ばあちゃんから聞かされながら微妙にやりきれない気持ちになったが、これが現実。 もし、じいちゃんが原爆で死んだら今の自分は存在すらしてないんだなぁって思ったよ。
689 :
名無し三等兵 :2009/10/30(金) 17:05:56 ID:FE+w8Hys
>>688 無事で良かったな。
俺の知り合いのお袋さんが広島近郊出身で、山一つ向こうにキノコ雲が上がったんで、
学校の先生が様子見に出かけて行って、二次被爆にやられて返ってきてしばらく後に亡くなったって話聞いたよ。
市民を蹴飛ばすなんて最低な糞爺だな 帝国軍人の風上にもおけんやつや
>>691 オレもそう思ったが、国が滅びようとしている時に
新型爆弾だからな・・・。
693 :
名無し三等兵 :2009/10/30(金) 21:14:48 ID:XL/rYWHZ
うちのじいさんは、長男で親から「兵隊には行かせない」って言われてたのに、 指を切って血でお願いする手紙?を書いて、家からハンコを盗み出し、特攻隊に行った。 もちろん戦死。 戦争が終り、しばらくしたら、集落の人達の陰口。 「あそこの家の子は好きで死んでったのよ」 とか、親戚に有名な戦犯がいたようで「身内に人殺しが居る」とか、 散々いわれて、居づらくなり、田舎から出て都市部に出てきたらしい。
>>693 特攻隊はなりたくてなれるもんじゃないから
そのへん勘違いしないように
696 :
690 :2009/10/31(土) 08:07:23 ID:???
腐れ外道逝ね、何を根拠に人を在日認定しやがる。 スレに該当する書き込みが出来ないならROMってろ。
>>694 流れがごっちゃになってるんじゃないかな。
長男だから兵隊に行かせない→反対を押し切って(血書をもって)志願→兵隊へ(予科練かもしれん)→結果として特攻隊配属→戦死
なんじゃないかな。
予科練って倍率が数百倍の超超超超難関じゃないっけ?
末期はそうでもなかったとか聞いた事あるけど、どうなんだろうね?
701 :
名無し三等兵 :2009/10/31(土) 21:18:31 ID:qjY/BF/s
>>693 です。聞いた話しでは
トンボノリになるには頭のいい人で試験を何回も受からないとダメだそうで
(自分も先祖譲りな様でバカですな)トンボノリになれなかったらしく、
爆弾に乗り込み連れてってもらうと言う、
馬鹿なじいちゃんにピッタリのもので死んだらしいです。
桜花か回天か・・・ 馬鹿よばわりしてはいけない。身命を賭してばあちゃんを守ったんだよ。
桜花も回天も震洋も、予科練なり学徒兵なり、それなりの学校出て訓練受けないと乗れんぞ 馬鹿じゃ死んでも無理だっつーの
704 :
名無し三等兵 :2009/10/31(土) 22:36:03 ID:WFhH43oi
うちの祖父が『悪魔の飽食』の731部隊に所属していた事。 温厚で真面目で町の人達に慕われていた医者だったのに。人に歴史ありでした。
悪魔の〜はフィクションだよ。
>>599 売られて行ったのは 戦地じゃなくて 満州国だろ。
20年8月までは戦闘なしの地域。
備品の横流しは爺さん本人が否定しているw
関東軍ならどうかわからんしな。
>>705 すぐ特定できるんだが?
もう少しマシなネタ話考えろ
特定できるからネタってわけではなかろうがな・・・
真面目に防疫給水の研究をしてただけの人なら実在するからな
711 :
688 :2009/11/01(日) 18:38:30 ID:???
もうひとつ、今度は父方のひいじいさんの話。 去年96で大往生したひいばあちゃんの葬儀が終わって、遺品を整理してたら葉書の束が出てきた。 裏はカラーの絵葉書で、中国の何とか山とか満州の基地とか、そんなんだったと思う。 内容はとにかく娘や嫁の心配が中心で、体の弱い末の娘が元気か心配だとか、自分になにかあったらどこどこのおじさんを頼れとか、早く再婚しろとか 帝国軍人として云々みたいな手紙しかイメージがなかった自分としては意外だった。 検閲で所在地や何をしてるかなんて部分は消されてる部分もあったが、おおむねそんな内容のが数枚あった後に最後の葉書を見た。 最後の手紙は送り主が祖祖父とは違う人だった。
712 :
688 :2009/11/01(日) 18:56:33 ID:???
差出人は上官だったのか、同僚だったのかはわからないけど、その葉書には、中国の湖上で船で移動中に機銃掃射を受けて死んだ事 遺品を送ってやりたいが中国から送ることは出来ないので、布団やら身の回りの物を売ってお金に換えたものを送るという事が書いてあった。 最初は声を出して読んでた自分は途中で声が出なくなった。まわりもみんな泣いてた。 異国の地で旦那が死んだことを知らせる葉書が届いたばあちゃんはどんな気持ちで読んだのだろう。 どんな気持ちでしまっておいたのだろう、たまには読み返したのだろうか。皆、そんな事を考えたんだと思う。 軍馬に跨がって軍刀を差した写真でしか知らないひいじいさんは名もない軍人だったのだろうけど、とても優しい人だったんだろうと皆で語りました。 とくに目立った話題もないのに長々とお目汚ししてすいませんでした。 田舎に帰って機会があればまた読んでみたいと思います。 ありがとうございました。
>>690 ばあちゃん曰く、酒もたばこも呑まんじいちゃんが癌で死んだんやから補償の一つでもしてくれたらもうちょっと楽に暮らせたのに。と、妙に現実的なことを話してました。
>>691 当然私も思いましたが、命令に従うためだということを自分に言い聞かせて納得することにしました。
>>701 身内とはいえ、馬鹿呼ばわりするな。
命を捨てて国を護った英雄だぞ。
パイロットになれなかったからとはいえ、特攻作戦に馬鹿は選ばれない。
b
>>687 んなこたーない。爺さん達がよくやってた床屋談義をシミュレーションしてるんだから。
>>691 軍人なら、何をどこに運べと命令されたら、その通りにするのが当たり前だ。
仮に金銭を運べと言われているのに、途中で勝手に貧乏人に分けたりしたら、
命令違反かつ窃盗にしかならないのと同じ。
お為ごかしのことを言う奴にかぎって、隙あらば私腹を肥やすのが常なんだよね。
要するに、自分で思いついた都合のほうを最優先するという論理だろう。
718 :
名無し三等兵 :2009/11/03(火) 06:37:58 ID:mPJM37Hv
単に蹴飛ばさなくてもよかろうって話だと思うよ これは「帝国陸軍の物資である!!」と怒鳴ればいいだけだし
>>716 シミュレーションはスレ違い。失せろチョン
道に広がる被爆者の遺体、物資に気力で群がる被爆者に 「帝国軍の物資〜」は通じないんじゃないかな?
>>716 シミュレーションw 自演だと認めてるよこのブタww
消え失せろww
722 :
名無し三等兵 :2009/11/03(火) 21:13:43 ID:oGwN+cpO
私の大叔父は戦前読売新聞社に勤めていて、結婚してすぐに満州の支局に 転勤になりました。新婚旅行みたいにして神戸港から汽船に乗って大連まで 行き、そこから新京まで、超特急アジア号の二等に乗りました。 赤いカーペットが敷いてあって御茶が出たそうです。 「あれには中国人は乗れなかったからね。」と言ったのが印象的でした。
>>718 怒鳴って引き下がるような相手ならわざわざ蹴り飛ばしはしないだろ
トマト1個を子供1人にこっそりあげるくらいならまだしも、その場の全員を救えない以上見捨てるのも一つの決断だろ
爆心地近くに運んだっていうなら配給用の物資だったかもしれないし、そうだったら結果として多くの人を救う行為だったことになる
見方はいつも一つじゃない
うちの爺さん日中戦に従軍した んで、幼女を強姦したり死姦したり てきと〜に民間人を殺しまくったんだってさ 爺さんから直接聞いたし写真もある 本当にチャンコロやりまくったらしい すごい英雄だようちの爺さん
写真うP チョンは品性下劣でいかん
726 :
名無し三等兵 :2009/11/03(火) 23:53:29 ID:f3EcrKQ/
自虐史観教育に終止符を打つには、どうすればいいのでしょう。 戦前、戦中の日本を評価し、祖先を悪人のようにいう現在の日本人は親日国の人達からも好かれていません。 自分達の国は間違っていたなど史実とことなることまで自虐していては真の国際人は育たないと思います。 どうすれば改善できるのでしょうか? 在日コリアンの教職からの追放。 近隣諸国条項の廃止 日教組の解体 日教組の支持母体である民主党を潰す 民主の掲げる政策の1つである「国立国会図書館法改正案 」の成立を阻止 日本人全員が心底「憲法9条いらない!」と思うような事態が起きれば、自虐史観も一発で吹き飛ぶでしょう。北の将軍、一発頼みますよ。
それを自慰史観という 自虐史観も好かんが、都合のよいところだけ切り張りして る自慰史観主義者は自虐史観主義者と同じことをしている。 歴史とは科学だ。
戦後海軍軍令部の幕僚及び 軍将校連が戦争に至る道程を懐古したが 実に無責任きわまる軍官僚の姿を懐旧していた。 バカウヨの主張など真っ向から否定される。
729 :
名無し三等兵 :2009/11/04(水) 08:08:50 ID:K/wsv9RM
730 :
1 :2009/11/07(土) 00:46:55 ID:???
保守っておくか
>>727 そもそも、自虐史観というのはバカウヨの産み出した妄想でしかなく、
そんなものは存在しない罠。バカウヨは事実を自虐と呼んでるだけで。
事実であっても、単にイデオロギー補強のために、事実を取捨選択するのはどっちも同じ。
>>714 特攻作戦に参加すれば、死んで二階級特進。
歴史に名を残したといって評価してくれる文化人もいる。
名も無き兵士は孤島で餓死。
兵士ですらない船員は商船とともに溺死。
勇敢さ愛国心を否定するわけではないが、それをことさら肯定するのは躊躇われるわな。
太平洋戦争に興味もってミリヲタになった人間と、イデオロギー的な方向から太平洋戦争に興味もった人間は相容れんだろ。
核戦争体験スレに誤爆?されてたので転載 47 名無し三等兵 sage 2009/11/02(月) 03:34:03 ID:??? 母の兄は1944年9月12日南シナ海で戦死 駆逐艦「敷波」で玉砕した可能性が大 自分は戸籍を取り寄せた平成になって初めてその事実を知った 毒母は生き別れらしく何も教えてくれず、40数年間何も知らなかった時間がただ悔しい 22才の若さで水づくかばねになった伯父貴へ いつか靖国に参ります 子孫も残せずごめんなさい あの世で会ったらどうぞよろしく チラすまそ
40年程前に他界した父の話 父は内蒙古の満蒙守備隊の通信兵でその頃の満州は匪賊流族が暴れていたが 日本軍が駐留し討伐隊を出したりしたので治安が良くなり遊牧民やシナ人からは感謝され供物や差し入れもあったらしい 通信の手段はまだ無電の性能が悪く部隊間は主に馬で本部とは伝書鳩も使ったらしい 鳩通信は一通の伝令に対し4羽の鳩に正文欺文織り交ぜて正文は地味な色の鳩の右足につけたという なんともほのぼのとした感じがするが 終戦の翌日 父は上官から南都への連絡を下命され部下と二人、馬で6日かけてたどり着き そこで降伏後の露軍の侵攻と部隊の潰滅、残兵の北方移送を知らされたと聞く ふと思うとそのときの父の通信自体は意味がなく上官の温情であったのかも知れない 私も随分年をとり遠いあの頃の記憶を忘れる前にと駄文を書かせて頂きました。
737 :
名無し三等兵 :2009/11/07(土) 14:41:13 ID:yVIe7wC3
戦死してるからわからん。 だが今自分は国防の一端を担う仕事をしている。
という妄想
>>731 講和の為の時間稼ぎができれば充分なんだよ。
停戦仲介役を期待したソ連の参戦によりそれが果たせなくなったが、本土を占領
される前に踏ん切りをつけたおかげで、植民地にならず独立国として存続できた。
未だに飴の属国云々というバカは、米製の憲法を金科玉条のごとく崇拝し、改正
を妨害して米軍抜きでの国防力整備を邪魔してるクズを国会からたたき出してくれ
そういえば、戦後に仇敵同士が和解した話は多いけど、 殴り合いになった話って全くないよね・・。 やっぱり戦争って、一時的な相互ヒステリー状態なのかも。
そら殴りあってる状態が戦争だからなあ
744 :
名無し三等兵 :2009/11/08(日) 00:40:03 ID:5U18gw8e
ウチは高輪にあったのですが(3月10日にやられました)、戦前、陸軍が品川駅に集結し港に行く列車に乗る 兵隊さんを一般民家に宿泊させる制度があったそうです。かなりの頻度で来たそうです。 町内会の人が「明日(×日)、3人お願いします」と回ってきます。そうすると、その日は兵隊さんが装備もって鉄砲もって、 「おねがいします」とやってきて、晩御飯たべてお風呂はいって、一泊、朝御飯たべて、「ありがとうございました」 となります。 ウチは間取りが大きかったので、機関銃班がくることもあったそうです。その時は畳を揚げて、機関銃を置いて、夜、 「見てもいいですか?」とことわって、機関銃の手入れするのをみたりしたこともあると。 隣近所みな、どの家でもこのように兵隊さんを引き受けていたそうです。威張っている人などはいなかったそうです。
>>744 高輪の辺りなら、戦後に威張ってる朝鮮人に家に上がりこまれただけでなく
殺されたり自宅を追い出されたり、娘さんを在日二世の母親にされた人が
たくさんいたんだろうな。
五人兄弟の四番目だったじいさん、一番目の兄はニューギニアはフィンシュハーヘンで戦死。撤退の大発ごと高速艇にやられたそう。 二番目の兄は北海道で蟹漁やってたんだが、戦争で漁船ごと徴用、通報船乗り組みになった。 それでもだましだまし蟹は採ってたらしい。 三番目の兄は満州のハンカトンとかいうとこで武装入植団に何を勘違いしたのかやれ一攫千金と飛び込み、団内の喧嘩に巻き込まれて行方不明。 自分は南印進駐組として南国ウハウハしてたが、45年の旧正月頃なんかあったらしく、そっから終戦→復員までは話してくれん。手記もそこ欠落。 末の弟は丙種合格で気を病み、分裂病認定で終身入院。 まったくおもしろい家系じゃワイ
終戦の数日前くらいに、海で友人達とスッポンポンで泳いで遊んでいたら、山かげからグラマンが突然現れて、超低空飛行で近づいて来た。波でエンジン音に直前まで気がつかなかったらしい。 大騒ぎで岩陰に隠れたが、グラマンはなぜか撃って来なかった。 パイロットの顔が見えるくらいの低空飛行で、こちらを見てニッコリしていた。 恐る恐る様子を見ていたら、頭上で宙返りとか曲芸飛行を見せてくれた。 興奮した友人の一人が「おーい」とフンドシを振ってみたら、羽を数回バンクさせて帰って行った。 母親にその話をしたら、「父さんが戦っている相手と仲良くするとは何事ですか」と、こっぴどく叱られたそうだ。
749 :
名無し三等兵 :2009/11/08(日) 08:44:56 ID:tvOezOW5
>>747 民間人でもおかまいなしにミンチにしてた話をよく聞くけど、中には陽気で良い奴もいるもんだね
単に弾切れだったのかもしれぬがw
大空のサムライでも似たような話があったな。 グラマンのパイロットは撃墜王クラスかも。
このスレ
>>100 にもあった。中の人によるんだろうな。
100 名無し三等兵 sage 2009/09/15(火) 11:35:52 ID:???
ばあちゃんか・・・都市部空襲の時に村の辻まで出て見物してたらしい。明るくて花火のようだったと。
アメさんは怖いと思ってたらしいが、飛来したグラマン?のパイロットが手を振ってくれたと言っていた。
あと、ひもじい思いはまったくしなかったと。体験談なんかを見聞きしてはやや不審そうにしてる。
また父親(俺のひいじいちゃん)が復員した時に被ってた鉄兜に糊を入れて障子貼りに使ってたらしい。
母方の爺ちゃんの姉が満州は砂埃が酷くて(空気が悪くてだったかも) 外出するときはマスク代わりにタバコを吸っていたと言っていた。
うちの近所のおじいちゃんとこの間お話する機会があったんだけど、 その方が大戦初期から終戦まで海軍で最前線で戦い続けた人でびっくりした。 大戦初期は駆逐艦に乗って南方攻略作戦に参加、その際に潜水艦に撃沈されるも生き延びて今度は空母乗りに。 アッツ島攻略にも参加して、確かマリアナ沖海戦で空母が損傷してその修理をしている間に終戦を迎えたんだとか。 機関兵だったため整備の苦労はあっても戦闘中の状況はいまいちよく分からなかったらしい。 今でも戦友のお墓に月に一度はお参りに行く91歳。 軍隊生活を振り返って、新兵をいじめた事を今はなんだか後悔してるらしいw 前線生活が長く、浮世離れしていくのがイヤで、補充の新兵が来ると 「おい、今内地じゃどんな歌が流行ってるんだ? 歌ってみせい」と古参兵の前で歌わせたりしてたそうな。
おもろい話だなあ
>>753 マリアナで損傷した空母で終戦まで生き残ってたなら隼鷹か龍鳳かな
>>723 そうだね。
その辺、今のような飽食の時代なら、状況も何も考えないで、「そんな乱暴はしないで、
少しくらい分けて上げれば良かろうに」とか思ったりするのも無理はないとは言えそうだけど。
どちらも殺気だっていたに違いないわけで。
>>726 「自虐史観」というのは、要するに、「自分の言う通りにすれば世の中は良くなる」と思い込んでいる手合いが、
実際には世の中を良くすることについて何の能もないことが客観的に明確なので、腹いせに、過去の行状を、
あること亡いこと取り混ぜて貶して、自尊心を満足させようとしているだけ。
「終止符を打つ」には、そういう手合いが思い上がりを捨てて、自分の無能さを正しく認めることが必要だけど、
無理だよね。ああいう手合いが自分の無能さを認めるはずがないからね。
>>732 759でいうのは、こういう手合いのことね。
>>759 >「自虐史観」というのは、要するに、「自分の言う通りにすれば世の中は良くなる」と思い込んでいる手合いが、
>実際には世の中を良くすることについて何の能もないことが客観的に明確なので、腹いせに、過去の行状を、
>あること亡いこと取り混ぜて貶して、自尊心を満足させようとしているだけ。
日教組の説明としては、かなり的確な表現だな。
日教組教員が、自分の無能さを認め思い上がりを捨てて、可及的速やかに退職して欲しいものだ。
>>761 日教組の手先の実物は知らんが、そういう手合いはあちこちにいるよね。
763 :
名無し三等兵 :2009/11/14(土) 01:25:23 ID:kcdXKLBN
スレタイ読めないバカはソマリアで死ね
764 :
名無し三等兵 :2009/11/14(土) 07:05:06 ID:q2f8WzcN
スレタイ読めない池沼が、つまらん話するから過疎るんだよなぁ
家のじいちゃんは4人兄妹(上二人は男)の次男だったらしいけど、 お兄さんは海軍陸戦隊として従軍し、負傷帰還時に船を沈められて亡くなったらしい 最初、親父からは海兵隊だったと聞かされ、?だったのですが、写真を見て陸戦隊である事が解りました じいちゃん自身も従軍した様ですが、帰還後は余り戦争については語らなかった様です 終戦後、家の庭のどこかに勲章を埋めたらしいです 因みにひいじいちゃんは大戦前に、騎兵将校だったらしいです
766 :
uaa :2009/11/14(土) 15:57:20 ID:0qNYXfqS
海兵団を海兵隊と勘違いする奴もいるから紛らわしいよな。 有名人の経歴が「海兵団で訓練中に終戦」から「陸戦隊にいた」に変わってたりする。 写真を見ても、戦争末期には一般水兵も陸戦隊の服(第三種軍装)着てたし。
>>766 それ以前に、そういうのがあったと知ってるほうが今どき例外じゃない。
陸戦隊というのは、支那事変当時か何かに、中国の海岸沿いで何か派手な活躍があったとかいうののことかな?
769 :
名無し三等兵 :2009/11/15(日) 09:29:59 ID:95C6Q2WZ
俺のじいちゃんは戦地には行ってないけど、広島で地獄を見た。 しかし、子供にも原爆のことは語らず、俺にも語らなかった。 中学校で祖父母の戦争体験を書いてもらうよう課題がでたときに じいちゃんに頼んだ。 じいちゃんは真面目なというか切羽詰まった顔になり 「分かった」とだけ言って書いてくれた。 今思うと、思い出したくないことを思い出させて悪いことをしたなと後悔してる。 ちなみに原爆投下の1時間前に原爆ドーム(当時は産業奨励館)を 路面電車で通ったそうだ。 1時間遅かったら俺はこの世にいない。 翌日、広島市に入った。 川には腹が膨らんだ死体がたくさん流れていたそうだ。 戦後は子供たちが結婚するまでは、被爆者手帳をもらわなかった。 結婚で差別されるのを怖れたらしい。
海上自衛官だった職場の非常勤さんの話。 戦争じゃないけどここに書くぜ。 大韓航空機爆破事件の際に、ちょうどその人が乗っていた護衛艦が津軽海峡沖で活動中だった。 んで、交代まであと少しとなったときに、「航空機墜落。捜索活動を行え」と指令が入った。 どうやらソ連も気づいてたようで、古ぼけた魚雷挺(?)のような船がしきりに近づいてきたそうな。 艦長はそのつど相手を遠ざけるよう進路をとってたけど、向こうのデッキに銃を持った人が見えてかなり緊張したらしい。 幸い何も起こらんかったのは歴史の通り。話を聞いただけだから、実際の現場ははりつめてなかったかもしれん
>>767 スレタイ読めないバカ
>>762 かい?
俺は763だが764ではないな。
自虐やら床屋談義やら余所でやれ余所で。
773 :
名無し三等兵 :2009/11/15(日) 17:14:24 ID:+TREJROT
うちのじいさまは、近衛だった、首都決戦で、大島で塹壕堀をやっているうちに 終戦になった、終戦の日の近衛は東京ではすごかったらしい。
>>770 大韓航空機爆破事件は東南アジアのアンダマン海だからソ連が出張ってくることはないと思うから
>>771 の言うように大韓航空機“撃墜”事件だと思う
775 :
名無し三等兵 :2009/11/15(日) 22:23:37 ID:ZoBdwby9
30後半で再徴集?されて、軍属?で衛生兵?(もう記憶があいまい) 中国の後方に配置されて、病院に勤務だったらしい。 中国の娘さんたちに日本語を教えてやったと、ちょっと羨ましい。。。
>>334 高崎だとすると15連隊っぽいな。
>>390 アドミラルティ諸島は玉砕戦になったけど、あまり知られてないところだよね。
2個歩兵大隊基幹の3000人で、米軍1個師団相手に戦って全滅。生還者が捕虜75人だけとか。
最後の通信で、「生存者が1500人で武器弾薬食糧が尽きた。指示を求める。」と伝えてきたのに、
どうも上級司令部は無視したのか、応答の記録が残ってないんだと。
最後の通信から1ヶ月後に全員戦死扱いとして処理されたけど、まだ生存者はいたようだ。
終戦から2年たって発見された人が2人いる。野ブタを捕まえて生き延びてたんだって。
>>401 腰が抜けた。謝罪と賠償を。
>>497 アラカン作戦で砲兵というと、四国の第55師団か、静岡の野戦重砲兵第3連隊あたりでしょうか。
同作戦については、少し偏った本だけど、高木俊朗「戦死―インパール牽制作戦」というのが出てます。
>>534 その上司が調べるんなら、終戦時の本籍地都道府県の恩給関係窓口に軍歴照会。
そうでなくて個人的に確認したいんであれば、
戦史叢書の該当巻を調べれば、歩兵大隊長クラスなら名前が出てくる可能性があるかも。
>>587 良い言葉だが、チャーチルの言葉では無いでしょう。
チャーチルの先祖はイギリス人が世界最高の名将の一人と信じるマールバラ公。
>>639 千葉は日本陸軍気球部隊のメッカでした。阻塞気球の研究だったのかな。
>>746 人材豊富すぎるぞw
おじい様の件ですが、南部仏印では1945年3月9日(旧暦1月25日)に明号作戦が始まって、
フランス軍と戦闘に入ってる。たぶん、その関係ではないかと思う。
暇だから軍歴照会でもするかな でも除籍謄本申請したり面倒だな 手数料かかるし
私の祖父は海軍通信兵(上等兵)で軍艦で軍務中に一度戦闘状態になったみたい。 兵隊として戦争に参加しながら何故か知らないけど休日(非番?)に結構娯楽もあったみたいです。
780 :
名無し三等兵 :2009/11/18(水) 18:25:51 ID:avFQe3Cn
俺の爺さん、「死んでも帰れぬニューギニア」から奇跡的に生還した人だったけど、 芸達者な有志達が演じる劇が、戦地での唯一の娯楽だったと言ってたなぁ
781 :
名無し三等兵 :2009/11/18(水) 18:46:52 ID:+RFLy2KJ
>>777 >>534 です
丁寧なレスありがとうございます
なぜかレス返していただいた翌日にコレヒドールではなく
その前哨戦のサマット山突撃について書かれた資料に目を通すことができ
上司の親父様の名前を確認できました。
4師団61連隊1大隊の大隊長としてサマット山攻略、
コレヒドール要塞急襲上陸を指揮していた猛者だったそうです。
>>780 >>782 うちの母方の曾祖父も、東北の岩手からニューギニアへ出征して戦死
もしかしたらその演劇を見て涙流した一人かもしれない…
俺のじいちゃんは満州にいた頃、女性をかばってソ連軍から リンチされたそうだ。
>>782 それ何か凄い読んでみたくなった。
他に体験記でお勧めってある?
そういえば図書館にシベリア抑留日記みたいなので、凄い分厚い本があったな。
加東大介の演芸分隊の話は、姉の沢村貞子も自著でたまに触れるし、 なにしろ昭和三六年に発表しているんだから実話だろう。
地方新聞なんかが地域史・昭和史の一環でまとめてる、 戦争体験談本なんかも話のそれぞれが短くて読みやすいよ。
>>787 小林よしのりが爺さんが加東大介と一緒に慰問劇やったと聞かされてそうだ。
>>785 敷波だったか磯波の乗組員の話ならググったら読めるはず。
うちの爺は、「高砂義勇兵の諸君によう世話になった。本当に感謝しきれん」と言っていたなぁ 戦場で何があったかはあんまり語ってくれん爺だったが、彼等がいたからこそ生きて日本に帰れたそうだ
>>785 名著だから、まず読んで。
>>790 実話でしょ。ただし、細部までことごとく正確に記憶してるかどうか、
何か憶え間違いとかが全くないかどうかは別問題だけど。
>>790 あちゃー、タイプミスしてる。
×慰問劇やったと聞かされてそうだ。
○慰問劇やったと聞かされてたそうだ。
戦争論で爺さんのこのエピソードと書籍の紹介もしてたんだ。
795 :
名無し三等兵 :2009/11/23(月) 21:00:30 ID:5ctBEv/5
加東氏もよしりんの爺さんも生きて帰れたて事は、同じニューギニアでも西部方面は平和だったから生還者が多いのか? 東部は地獄絵図だったらしいのに
うちの爺さんはインパールで死に目に遭っていたそう。 聞きかじりだから箇条書きですまん。 ・敗走途中、白骨街道をリアルに見てきた。その点について、ただ一言「地獄だ」と。 ・英軍の補給部隊?からかっぱらった食糧がすげえ美味くて感動。 ・軽機の銃手だったそうだが、敵軍の攻撃を受けている中で反撃してたら「ドーン!」という轟音と立ち上る爆炎ともに 攻撃がぱたっと止まった。 タイミング的に爺さんが撃った弾がどうやら敵の弾薬に命中したらしいが、本人は「…???」な状態。 小隊長にやたら褒めちぎられたとのことww ・英軍の砲撃で左足に重症を負ったとき、一時入院した野戦病院も爆撃を受ける。 で、そのとき持って行きそびれた飯盒が爆風で図らずも容積がでかくなり、「こりゃ飯がたんともらえる!」 とほくそ笑んだが、結局貰えた量はいつもと変わらず(´・ω・)ショボーン ・足に怪我をして歩けないので後送されるのについては車両に乗っけてもらってた。 これが塞がってしまうと独歩で退却しなければならないので、戦友の入れ知恵で砲弾の破片がめり込んだ傷にガーゼを 木の枝で差し込んでは引き摺り出すということを繰り返し、傷の治癒を遅らせた。 最後については皆死中に活路を見出す中で卑怯な真似をって思われるかもしれないけど、爺さんの機転と戦友のKさんの お陰で戦後母ちゃんが生まれて、俺が存在している。 爺さんは5年前に死ぬまで牟田口中将のことを散々こき下ろしていた。 「へぇ、廉也なんてぇのは阿呆だ」って。 Kさんの家はリンゴ農家を営んでいて去年まで毎年リンゴを送ってもらっていたけど、この夏に亡くなってしまった。 阿鼻叫喚の世界を面白おかしく話してくれてたけど、もっと真面目に聞いておけばよかったなあ。
>>795 そういうことですね。
攻める側の都合による、いわゆる飛び石作戦の系統で、行動範囲が広いから厄介な航空基地は
徹底して叩いておいて、兵力はあっても補給を絶つだけで問題ないということで放置にされたところも
少なくないとか。
東部も、戦闘自体ではなくて、ろくに食うや食わずで延々と行動させられてバタバタという例も
少なくなかったそうです。 (ー人ー) なむー
798 :
名無し三等兵 :2009/11/24(火) 03:26:20 ID:d/w6X6dh
化学兵器の研究。 前後はソ連の捕虜。
799 :
uaa :2009/11/24(火) 06:33:39 ID:hS/edaS5
>>796 うちの祖父さんは自動車部の中隊長隊で、インパールへ向かう兵隊を運んだ。
でも、
4年弱の戦役と60年以上に及んだ祖母さんとの結婚生活
どっちが地獄だったんだろう?と思う。
>>796 >飯盒が爆風で図らずも容積がでかくなり、「こりゃ飯がたんともらえる!」
とほくそ笑んだが、結局貰えた量はいつもと変わらず(´・ω・)ショボーン
こういう話大好きw
>英軍の補給部隊からかっぱらった食糧 なんだべ? 缶詰系かな? 英国で美味いものったぁ・・・ あったっけか。
うちの爺さんは降下猟兵だった なんか特攻命令が出て皆で輸送機に乗り込んだけど海に墜落 仲間と漂流したあと漁船に助けられたらしい
>>803 それ事実なら、大発見だぜ。義烈空挺隊の生き残りか?
>>804 俺もそう思ったんだが義烈で海上不時着した機体は無かったはずだし
別の作戦じゃないかねぇ
陸軍空挺歩兵だったことは写真から見て間違いないんだが、詳細聞く前に爺さんは亡くなったから
俺もその頃は軍事なんて屁ぐらいにしか思ってなかったし
いやいやお爺さんはドイツ人なんじゃね
>>724 のようなことは普通にあっただろうな。
現に今生き残ってるじじばば連中や、その子孫どもをみれば想像がつく。
>>805 どんな感じの写真なの?
服装・装備とかからヒントになりそうなものがないかな
809 :
名無し三等兵 :2009/11/24(火) 22:56:46 ID:sruJh3f4
>>807 うん。確かに隣の国の連中見てるとそう思うよ
>>796 10年前に亡くなった私の祖父もインパールの生き残りでしたが、あまり当時の話を聞かず後悔しています
父方の祖父は、俺が幼稚園生の時に他界したが、若月という軍艦に乗っていた。
812 :
名無し三等兵 :2009/11/26(木) 15:21:22 ID:MePJSwkU
聞く前に死にました。おしまい!
沖縄出身で、陸軍に入って大陸で戦ってソ連に抑留されたらしい。衛生兵だった。 ソ連の収容所では、服を賭けてなんかしてたらしい。で、負けた奴は即死。 じいちゃんは強かったらしいから生きて帰れたって。 で、空母みたいな輸送船みたいなのに乗って帰ったと。とても感動したそうです。 お疲れさまでした。 •••よく聞き取れなかった上に沖縄方言の意訳です
>>796 俺もインパール作戦の生き残りの人に話を聞いたことがある。
退却のとき、「ちょっと休んでから行く」と言って隊列から離れた兵は一人も生還できな
かったって。
それからこれは本で読んだ話。
輜重部隊のトラックに乗せてもらった兵隊が運転手が、
関西の兵隊は弱いから乗せない。
九州の兵は強いけど、泥棒するから乗せない。
東北の兵隊は泥棒しないから乗せてやる、、、、だって。
796の爺さんは東北の兵隊さんじゃないかな。
815 :
名無し三等兵 :2009/11/26(木) 19:42:57 ID:NStublIm
関東の兵は!? ねぇ、関東の兵はどうなの!? 大量なの?ねぇ大量に乗せてくれたの!?
インパールにゃ関東出身の部隊はあんま配転されなかったはず。
第33師団(弓)は北関東兵団だよ。宇都宮、水戸、高崎の連隊から成る。 東北扱いされたのかも知れんがw
818 :
名無し三等兵 :2009/11/26(木) 22:02:30 ID:l2ays2ka
>>814 リンゴ農家ってキーワードがあるから、青森とか岩手みたいな東北の兵隊さんだろね
うちの母方の祖父が志願兵に立候補したのは戦争が終わる1、2年前だったからな 祖父は若かったしテストの成績が良かったから 通信兵の幹部候補生として陸軍学校に残されたんだって 2年目は新人の少年志願兵達を訓練していたそうな もう少し戦争が続いてたら曹長になれてただろうって残念そうだった ・・・・・・もし成績が悪かったら硫黄島に送られてたけどなorz 「硫黄島からの手紙」など硫黄島で玉砕した兵士達の名簿で 最後の方に「通信兵見習い」とだけ記載されている者が数名いる それが当時の祖父の同級生 ちなみに祖父の兄二人は中国の奥地まで出兵してて かなり悲惨な経験して命からがら帰ってきたんだって 二人ともその辺の話は一応出兵してた祖父にしか話さなかったとか ちなみに父方の祖父が話してくれた体験は一つだけで 「解散して家に帰る前に、上官を背後から川に突き落としてやった」 ・・・・・・その後、母方の祖父にその話をしたら やっぱり戦時中部下に恨まれてる悪徳上官も多かったらしく 出兵してた友達に「帰りの船で上官を皆で海に放り込んでやった」という話を聞いたそうな ウソであってほしいと思ったけどますます真実味を帯びてしまった
戦争も末期になるとロクな上官もいなかっただろうな。 志願するくらいの意思のある奴は、早めに犠牲になってしまっただろうし・・・・。
単なる嫉妬だろ 頭がいいだのなんだの書いてるが所詮、志願兵のくせに 終戦後の高揚感で頭イカれて立場が逆転した陸士卒のエリートを見下して自尊心保とうとしてるだけ
822 :
uaa :2009/11/28(土) 04:33:45 ID:R1jGnZmb
陸士卒がエリートwww いい加減その幻想から目覚めろよ。
823 :
名無し三等兵 :2009/11/28(土) 06:26:02 ID:2bjwN/jI
船が沈んで、漂流してた話が印象的だ。 周りの仲間がサメに喰われてくなか、ぷかぷか浮かんで島に辿り着いて、土地の女とよろしくしてたとか。 南の島はイイトコロらしいわ。
うちの爺は、敵の弾に撃たれると痛いじゃなくて熱いんだぞって言ってたな アメさんがダダダー!!って撃つ機銃弾が腕とか身体に当たると、熱いどころかもげたり裂けたりするらしい
>>813 補足
それと、戦争になったら衛生兵になれってよく言ってた。あまり死なないらしい。
>>822 政府が陸士・海兵出身者が戦後、帝大に溢れないように
軍学校出身者を全体入学者の1割以内におさえてるんだがww
これがどういうことかわかるか?陸士・海兵出身者はそれだけ優秀だったってことだ
俺の親族、親戚でも軍学校出身者は戦後みんな東大、京大に入って大手企業で幹部やってたりしてたからな
公職追放食らってたんで公職には就けなかったが
俺のひいじいさんはシベリア行ったど!干渉軍の方でな! そいで息子たる無印じいさんはそのままシベリアだぜ! 俺も最近シベリアに呼ばれてる気がしてならん。おやじは行ったことないんだけどねw
君の祖父と曾祖父に敬意を表し、コリマ鉱山での労働を命ずるものである。
830 :
名無し三等兵 :2009/11/29(日) 22:13:16 ID:4XSulg0u
小野田さんや横井さんみたいに有名人じゃないけど、終戦知らずにフィリピンの山岳地帯で、終戦後11年戦い続けて還って来た爺さんが近所にいる。
婆様は工場に学徒動員で落下傘縫っていたと聞いた。戦争終わって帰って来た時に絹の反物もって帰ってきて喜ばれたっていう。
うちの爺さん映画轟沈の撮影班で潜水艦イ-6型に乗り、その後、戦艦霧島に乗り、3次ソロモンで沈没後、味方の駆逐艦に救助された生き残りです。映画に顏が映ったせいで戦後マッカーサーから出頭命令をくらい海軍を辞めさせられたそうです。今年米寿でまだ生きてます。
834 :
uaa :2009/11/30(月) 02:40:08 ID:5YUxF9l1
>>826 はぁ?
ロクな教育を受けてない元軍人のために大学が特別枠を設けたんだがww
戦争で親を失った子供達は大学へ行く資力がなかったから倍率も高くなかったし。
両親は東大での職場結婚なんだが、ドサクサ入学の元軍人は一段低く見られてたそうだ。
陸大・海大ならともかく、陸士・海兵なんて所詮専門学校だろう。
実際教育レベルはそんなもんだったそうだwww
防大の元教官も「戦争中の繰り上げ卒業組は知的レベルが低い上に人間としてもクズだ」って言ってる。
防衛庁(省)で制服組の地位が差低くなったのも、専門学校レベルじゃ帝大出の官僚に太刀打ちできなかったからだそうだ。
まあ、大日本帝国が崩壊したのはそんなDQNに権力を持たせたからでしょうな。
835 :
名無し三等兵 :2009/11/30(月) 04:26:41 ID:YuwzC9ud
帝大の人でも、留学の誘いが怖くて逃げ出したへたれも居るから、帝大出身が完璧人間だとは思えない。 ソースは曾祖父。 大戦前の留学事情ってどんなんだったんだろうなぁ。生きてるウチに訊けばよかった。
>>834 特別枠なんか聞いたことないがソースは?
ちなみに政府が軍学校出身者の数を規制したってのは陸軍士官学校って本に書いてあるが
その教育レベルが専門学校程度の軍学校出身者に帝大を占められる旧制高校の連中ってよっぽどアホだったんだなw
それと戦後の国立大の教員が軍人を蔑視してたってのは公職追放で右翼系の指導者が全員クビにされて
今の日教組に通ずるキチガイ左翼しか残らなかっただろうがwお前のアホ両親みたいな
うちの祖父なんかは軍学校出身で30前に京大に入ったけど
卒業後、気に入られて教員にならないか誘われたらしいが
公職追放くらってたから民間いったけど
うちの曾祖父はロシア革命後 一時的に赤軍が作った極東共和国に 軍事顧問としてハバロフスクの資本家に雇われて2年ほどいたが 幸いにも日本軍との交戦はなく、赤軍の捕虜にもならずに日本に帰ってきて WWUでは予備役で大尉で終戦を迎え、20年前に他界した
>>836 > 戦後の国立大の教員が軍人を蔑視してたってのは公職追放で
> 右翼系の指導者が全員クビにされて
右翼はバカばっかりだから追放されて正解だったな。実際、300万人も
自国民を死に追いやったわけだしな。
840 :
uaa :2009/12/01(火) 04:59:53 ID:NeYR+mS8
>>836 公職追放?
いつまで続いたと思ってるんだwww
大学入ったんなら卒業する頃には緩和か解除されてるだろう。
なんちゃって京大生だから帝大出らしい就職先には行けなかっただけだろ。
嘘つきジジイの戯言を真に受けるなよwww
>>840 え・・・公職追放が全面的に解除されたのは1952年のサンフランシスコ講和条約発効の1952年だけど
祖父は京都で参謀職やっててそのまま終戦
46年に京都帝大に入ってるから卒業することにはまだ公職追放とかれてないけど・・・
やっぱ左翼教員の子息って馬鹿ばっかなんだな・・・
ごめん1952年1個多かった
自分が大学卒業するのに6年以上かかったから、そのくらい在学してると勘違いしたんだろ。
そういや「敵機が来てるから煙幕たけ」って言われてみんなで工場のかまどかなんかに松の枝とか入れて 煙突からの煙で工場を隠してたなんて話を聴いたことがある その人は小倉の軍需工場に勤めてて、ソレをやった日に原爆が長崎に落とされたとか 実際効果があったのかどうかまではわからん。
>>844 あんまり効果無さそうだなw
広範囲に広がらなければ逆に目標を見つけられやすいだろうし
陸軍航空隊にいたじいさんの兄貴は軍に残ってそのまま自衛隊に入った その後やっとアメリカの飛行機禁止令が解けて元パイロットとしての腕を買われ アメリカで飛行研修受けてめでたく飛行気乗りに戻り 地位も高給も手に入れエリート街道まっしぐらだったんだってさ だが、俺のばあさんのハートだけは手に入らなかったw(ばあさんは当時しつこく求愛してきたじいさんの兄貴を振り、じいさんと結婚したw)
じいさんリア充だな
ウチのじーさんは元帝國海軍大尉。長谷川清が横須賀の兵学校の校長の時卒業。 遺品で兵学校卒業アルバムが出てきた。その後、陸奥の乗組兼機銃手に。 遺品で連合艦隊司令長官山本五十六の名前の表彰状が今、手元にある。 で、戦艦陸奥は例の事故になるのだが、運よく助かって陸戦隊に。 戦後はアメリカ海軍にいて、その後海上保安庁発足でそっちに行っちゃった。 なので、年金がアメリカからも支給されてた。 戦後直後からアメリカ海軍にいたので、 よく言う食べ物に困ったとかいう話は聞いた事がない。 それどころか、ちゃっかり帝國海軍時代のままの大尉で、 アメリカ人の部下を持ってたそうな。そんなじーさん、夏に死去。
上に補足。戦闘中の話で忘れられないのが、怖くて動けなかった時の事。 いつもは命令してすぐ前進するのにある時、物凄く怖くて足がすくんで、 声も出なかった。しかし、先に進んでいた部隊は砲撃を食らったようで、 全滅したみたいだったと言ってた。じーさんは怖くて動けなかった為助かった。 その後、撃たれて太平洋から本土へ戻り入院、回天乗員に決まるが、 運よく終戦。その後横須賀でばーさんと出会う→母生まれる。
アメリカ海軍に移籍(?)って、職業軍人にはよくあることなの? 詳しい経緯が聞きたいな。
そもそも米軍ってアメリカ国籍以外の人間入れたっけ? 日系ならまだしも もちろん帝国海軍は日本人以外は士官になってないからな 帝国陸軍は中国人やら朝鮮人やらいたが
復員省関係者で米軍との連絡将校みたいな地位だったんじゃない? 敗戦国士官でも、階級通りの礼遇を取るのが常識だから、米軍兵士に上級者扱いされてもおかしくない。 特に海軍だと、敵国士官の扱いがちゃんとしてることが多い。 どうも日本軍はそういう国際常識が欠けてた様で、戦犯を生じちゃったんだよな。 捕虜になった敵軍士官を兵卒と「平等」に取り扱って労働させたり、日本兵相手に敬礼させたり。 それだけ日本軍が平等意識を持ってたということでもあろうが、 士官だけでもきちんと特別扱いしておけば、あんなに報復されることもなかったろうにと思う。 逆に日本軍将校が捕虜になったとき、米軍兵士に敬礼されるとカルチャーショック感じ、 下手すると回想記なんかで日本軍の勇戦が尊敬された証拠とか、 自分が敵からも褒められる優れた人物だった証拠みたいに書いちゃう。 もちろん、そういう面も多少はあったかもしれんけどさ。
国際法を守っていたら太平洋戦争は日本史の誇りだったのにね。 祖国のために勇戦した日本軍、日本は守れなかったがルールは守った なら負けても潔くていいでしよ?
848です。 戦後、日系アメリカ人としてアメリカ海軍に所属したそうです。 だから、日本語は絶対使っちゃいけないそうな。 そこは海軍だけあって英語には困らんかったらしい。 うっかり日本語使ったり、日本人に優しくしちゃうとリンチされちゃうので、 そっちに気を使うのが大変だったって言ってた。 海保が出来るって言うんで、日本人に戻りたくてアメリカ海軍を辞めたとか。 もう本人は他界しちゃってて、詳しい事は聞けないので正月に 親戚集まったら、また色々話聞こうかと。
>>852 日本国内の常識が先行し過ぎてるんだよな。今も昔も……
2chで「〜は甘え」・「これだから土人は」とか言ってる奴と捕虜虐待した一部のアホ日本兵って精神構造似てる気がする。
けして昔だけの問題じゃないんだよな。
>>854 まだまだこの世は知らないことばかりなのね。面白い話ありがとう。
>>856 甘えはともかく、土人発言は単発ID多いぞ
859 :
名無し三等兵 :2009/12/05(土) 16:55:31 ID:gZmMaKTL
土人じゃねえなら何て呼べばいいんだよ
現地人
原住民
862 :
名無し三等兵 :2009/12/05(土) 18:56:01 ID:CBzvjAb/
自国の兵士すら餓死してる状況でどないせーと抜かすか そもそも捕虜を取らなければ捕虜は存在しないわけだが 輸送機から日本兵を突き落としてた奴らにどうこう言われる筋合いは無い 情報収集の為に捕虜が必要になって捕虜を取ったら褒美に休暇をやるって通達を出したら溢れんばかりの日本兵捕虜が集まって ご褒美のキャンペーン期間が終わったら再び捕虜が集まらないなんて話も残ってるしな 非人道的なのはお互い様
>>841 いわゆる左翼のような新興宗教かぶれのは大概そんなものじゃろ。
何でもかんでも教義にそった色眼鏡を通してみる癖が染みつくからね。
じいちゃん95歳 戦争中飛行機に乗ってモンゴルに不時着、腹が減ったので白鳥を撃とうとすると原住民がダメだと言う 結局白鳥は撃たず、原住民に食べ物ご馳走してもらった という話をよくしてる。
>>866 結局、原住民撃ってって話になるかとドキドキしたw スマンw
>>866 あんな人跡希なだだっ広いところに不時着して、よく生還できたね。
モンゴル人は物凄く目がいいとかいうし、馬でひとっ走りでもあるから、案外すぐに手近の人が駆けつけたのかな?
オレも原住民が白鳥の身代わりになったかと思った。 それで、原住民が天使に連れられて天国に逝くとか、 童話でよくあるパターンだな。
当時うちの地元にも捕虜収容施設があったらしいんだけど 「バ●トの楽園」程じゃなくても捕虜の扱い結構ゆるかったみたい じいさんの通ってた中学校では校長の方針で英語を教えてて まるで現代の子どもが外人観光客に話しかけるかの如く 帰り道に港で労働してたイギリス人捕虜が休憩中の時に よく英語で話しかけたりできたんだってさ 今考えると彼らは大人びて見えても当時の自分と同い年くらいだったと思うって 彼らが生きてたら「あの変なガキはどうしてるかな」とか 少しでも自分のことを覚えててくれたら嬉しいとじいさんは言ってた
祖父ではなく祖母の体験談なんだが 日にちがらで、珍しく彼女が語ってくれたばかりのことなんで、書き込ませてもらう 祖母は一種の人間カレンダーで、とにかく何年何月何日のエピソードに関する記憶に強い そんな彼女が、今日の夕刻、真珠湾がらみのニュースを観ながらふと 「おらの孫ばあさん(曽祖母)の葬式の日に、釜石の艦砲射撃があってな」といいだした 詳しく聞いたこととネット情報を総合すると、孫ばあさんの命日が昭和20年7月12日 葬式がその二日後の14日、一回目の釜石艦砲射撃の日ということになるらしい 上だけでは割とどうでもいい話なんだけど、興味深いのは、我が家の所在地は秋田市だということ つまり、昭和20年7月14日の艦砲射撃の爆音は、太平洋岸から日本海岸まで(奥羽山脈をまたいで) 響き渡るほどすさまじいものだったということになる。釜石の人々の恐怖たるや、いかほどのものだったか その日からちょうど一月後の昭和20年8月14日、今度は彼女の眼と鼻の先で 本土最後の米軍無差別爆撃の一つである、土崎空襲があった 彼女曰く、「夜なのに針も見えるほど」の明るさだった、と 自分が彼女の二十歳の年に生きていたら正気を保てる自信ないな、とか思いつつ、彼女の命果報に感謝することしきり
祖父が抑留経験者だったってのを 数年前にデカイ箱で置時計が送られてきて 知ったんだが全く話してくれん 酒の席とかでそれとなく聞いてみてもスルーされる 当人90近いんだが墓の中まで持っていく気かね・・・
>>872 平和ボケしてる俺らには想像も絶するつらい想いしたんだろうね・・・・
うちの爺さんは戦闘機の機銃の弾が地面に跳ね返り玉袋に命中したらしい。
それ、石が跳ねたんだと思う。 本物の兆弾だったら、あんたの爺ちゃんは 「イヤ〜ン、バカ〜ン」になってた確率大。
祖母の叔父さんが支那事変だか満州事変だかの戦闘で戦死したんだけど、 同じ隊の戦友の方が、叔父さんが被っていた鉄兜を形見に持ち帰って来てくれたそうだ。 その戦友の方と、祖母の叔父さんは同じ機関銃の射手と弾込め役だったそうで、戦闘中に敵の弾丸が頭に命中して即死だったらしい。 今は立派なガラスケースに鉄兜を入れて仏壇に飾ってあるが、弾丸の跡が生々しく残っている。
日本軍て認識標って付けてなかったんだっけ? 木製みたいなの見たような気もするけど。
>>877 持ってても遺族には渡さないんじゃないか?
軍が死体の主を確認するためのもので遺品として渡すものじゃないんだぜ。
じいさんは陸でグラマン相手に機関砲撃ってたらしいんだが、一発もあたらんかったらしい。 グラマン速すぎ、あんなもん当るわけないと言ってたけどそんなに当たらないもんなのか。 VT信管じゃないからやっぱ難しいんかね。
881 :
名無し三等兵 :2009/12/13(日) 14:17:04 ID:EvTqk7Bv
>>880 近接信管の有無で全然違ったらしいけど、飛んでいる飛行機に慣れていなくて、
距離とか動く方向とかが全く分からないのが問題では。
飛んでいく弾の速度を計算に入れないと絶対に当たらないレベルの速さで
動いているわけだから。
坂井三郎なんかは、通常弾を地上からでもきっちり当てたとかいう話で、見える
大きさとか、ごく短時間の変化とかで、距離とか、飛んでいる方向とかが正確に
分かって、未来位置の予測がきっちりできたんじゃないかな。
883 :
名無し三等兵 :2009/12/14(月) 12:30:54 ID:bolO3lXK
うちのお婆ちゃんは沖縄出身だけど、負傷して木の下にうずくまったりして、もう動けなくなってしまった兵隊さん達から、 「お嬢ちゃん、これもっておいきなさい。頑張って生きるんですよ」と、お米や缶詰めをもらって生き延びた事が幾度もあるらしいです。 学校じゃ教えてくれないかもしれないけど、優しい日本の兵隊さんも沢山いたんだよと言っていました。
885 :
名無し三等兵 :2009/12/14(月) 18:23:44 ID:9t5/dEx1
>848 もしかしたら親戚かも知らん。 うちの親戚に似たような経歴の方がおられて、婆様が病気したときに横流しのペニシリンやらいろいろいだたいて漸く助かりましてm(__)m##
>>883 集団自決強要、日本兵による沖縄人陵辱がホントにあったか否か、
存命のうちに訊いてくらさい。
>>886 そうやってどうして白か黒かの両極端で戦争を判断しようとするのか……
>>887 ありふれてるじゃない、物事の見方が醜く歪んでいて、醜行ばかり捜したがる手合い。
要するに「自分と似たようなのを捜して安心したがる手合い」。
>>888 一言多いし悪意が見える。なんの為のレス?
質問の仕方からすれば、社会党の捏造の反証を求めてるようにしか見えないんだが 本当に伝説の日本兵が居たとでも思ってるのか?
883の婆さんがあったとか無かったとか言って、それで納得できるのか?
とりあえず、ひめゆりだかしらゆりだかで沖縄戦に参加してた人の体験談で アメリカ兵がすぐそばまで来ていてもう逃げられないので皆でガマの中で死のうと言い合ってたら 奥にいた日本兵が「アメリカ軍に投降しなさい」と軍人以外を追い出した後自分達だけで自決したってのは聞いたことがある その時は「自分たちだけ死ぬなんてひどい」とか思ったとか言ってた 別の人の体験談で青酸牛乳枕元に置かれたけどどうせ死ぬなら戦って死にたいから原隊に帰るんだって言って笑ってた片足の兵隊さんを逃げる途中でみたとか
>>889 物事の見方が醜く歪んでいて、醜行ばかり捜したがる手合いは、
見つけたその場で駆除しておかないとつけあがるからね。
>>892 サイパン陥落の際、女性・子供を含む多くの民間人がいました。 サイパンを守備していた日本軍は殆ど玉砕してしまい、日本軍は無力化していました。
そのような状態になった段階で、アメリカ軍は、洞窟などに隠れ潜んでいた民間人を巧妙に誘い出していきます。
「米軍は虐待しません」と日本語で再々呼びかけそれを信じて、洞窟から出てきた婦女子全員を問答無用で素っ裸し、
数台のトラックに積み込み、 多くの日本人女性が「殺して!」「殺して!」の絶叫を上げていましたが、最早救う日本兵もなく、
トラックはその悲痛な叫び残して走り去っていきました。この日本人女性は誰一人として生還してきませんでした。
また日本軍が使用していた滑走路に百数十人の日本人の老人と子供ばかりが集められの周りにガソリンがまかれ火がつけられた。
忽ち阿鼻叫喚の巷と化した滑走路。我慢ならず日本の敗残兵が捨て身小銃による攻撃を試みるが撃退された。
そして米軍兵士笑いながらこの虐殺を続けていた。また火から逃れようとする老人や子供を、
米兵はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばして火の中へ投げ入れる。
二人の米兵は、草むらで泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を持ってまっ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。
「ギャッ!」といふ悲鳴を残して蛙のように股裂きにされた日本の赤ん坊と、それを見て笑ふ鬼畜の米兵士。
そしてサイパン玉砕戦は 米軍は圧倒的に優勢な状態で戦闘を進めていながら毒ガス弾(赤筒弾)攻撃を仕掛け、
その為に多くの民間人が殺害された。またマッピ岬に辿り付いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、
それに串さしにされた婦人を見た。更に自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が、五体をバラバラに切り刻まれて倒れているのを眼前に見た。
鬼畜米英は本当だったんだ・・・・・
896 :
名無し三等兵 :2009/12/15(火) 19:52:01 ID:RN84gxIb
サイパンって、青竹取れたっけ?w
またまた懐かしいコピペを引っ張り出して来たなw
当たり前だが、鬼畜じゃなかったら、空襲で一般人焼き殺したり 原爆で一般人焼き殺したり、戦闘機の機銃掃射で一般人撃ち殺したりしないよな 排日移民法で日本人強制収容所送りだし 大体が当時日本以外の大半の有色人種は奴隷にされてたんだよね
日本軍にもアメリカ軍にも紳士もいりゃあ基地外もいるさ どっちかはいい軍だからどっちかは悪い軍 そういう善悪二元論で語るのはやめよう
>>899 うちの馬鹿同僚に同じこと何度も言ってるが、ちっとも聞かない…orz
子どもは、教師が言ったら信じるに決まってるじゃないか…;;
ほんとに日教組なくなればいいのに。
二元論でものを見た方が楽だからねえ。 二元論だけでものを見てると、たちまちに思考停止状態になっちゃうけどね。
日本軍にも少数ながらまともな人間がいた、というだけのことを、 日本軍はすばらしい軍隊だった、にすり替えようとする基地外がいる んだよ。だから、日本軍=悪、という形にするしかないのさ。 自国民を300万人も死に追いやるような、腐った軍隊をわざわざ擁護 する必要もないだろうしな。一部まともな人間がいたのは確かだが、 総体としては基地外の集団でしかなかったわけで。
二元論で語るやつは思考停止してるらしいから 何言っても無駄らしいですね 主張も意味がわかりません
個人レベルの話を組織の話とすり替えてるからおかしく感じる 頭が悪いんだろう
何のスレだよ
>>898 戦前は、アメリカも、国内での黒人等にかぎらず、激しい人種差別を行っていたという歴史的事実があるからね。
戦後になって、もろもろの事情で関係がガラッと変わったうえに、それまでの行状が故意に隠蔽されたせいで、
そんなことがあったとは全く思ってもいない人が圧倒多数になっているけど、それは戦後の特殊事情によるもの。
>>905 だから、爺さんとかが盛んにやった床屋談義。
そうじゃ。やっぱり東條が悪い。
東條軍曹か、あいつはなー。
よぉーしこのスレももう寿命のようだな
>>908 悪いのは「統帥権干犯」を騒いでで無策のまま政権交代し、人気取りの為に満州事変
を拡大させた鳩山政友会
>>908 は床屋政談風のネタだろ。
うちのじい様も、戦場で東條の悪口は良く聞いたと言ってた。
913 :
名無し三等兵 :2009/12/19(土) 07:22:19 ID:w/jPVEc0
「誰がこんな戦争始めたんだ馬鹿野郎!!」 「なんだこの負け戦は!!さっさと日本に帰らせろ!!」 ってどこの誰かも分からん兵達が叫ぶ怒号は、夜な夜なジャングルの中でよく聞いたらすいです…
声を出す元気があるならマシだと聞いたが
祖父じゃなくて曽々祖父の日露戦争絡みの話を聞けたけど、ここに投下していいのかな?
戊辰戦争でもおkです
>>915 書いて書いて。
祖父母の世代より上の話なんて、聞いたこともないほうが普通だし。
919 :
915 :2009/12/20(日) 00:38:19 ID:???
祖母から聞いた話ということで。戦争の話というより、復員後がメインですが。 曽々祖父は第九師団に属していたそうで、旅順要塞攻略に参加していたそうです。 ですが何度目かの突撃の際に足を撃たれ、傷痍軍人として神戸港に送還されました。 加賀藩は維新政府に特に貢献した訳でもないので、激戦地へと送られたんだとか。 何か勲章を受けたみたいですが、そんなものじゃ到底食っていけないと考えた祖父は、 体を使った仕事はもうできないからと、洋裁を習って金沢へと帰り、自分で店を開いたそうです。 また北海道へと赴き、蒟蒻等を安く仕入れていたのだとか。傷痍軍人は列車に無料で乗れる ことを利用していたようです。 ともかくも転んでもタダでは起きない人だったとのこと。 それから暫くして、曽々祖父は稼いだ資金を元手に、土建事業を始めたそうです。犀川に架けた 橋が洪水で何度か流れるなどのアクシデントに見舞われはしたみたいですが、そのお陰 で戦争中も白米を食べることができたと祖母は言っていました。ちなみに女学校の同級生 にはバレないよう、芋の葉で飯を隠していたそうで。
>加賀藩は維新政府に特に貢献した訳でもないので、激戦地へと送られた 事実ではないんだろうけど、 こういう発想が出てくるあたり、明治維新があったばかりの若い国家だったのだなと感慨深い。
>加賀藩は維新政府に特に貢献した訳でもないので、激戦地へと送られた そんなことあるまい 日露戦争当時の陸軍士官学校の県別入学者は 薩長に次いで加賀藩とか仙台藩とか城下町が栄えてたような土地が多かったんだよ
922 :
名無し三等兵 :2009/12/20(日) 06:25:19 ID:rRrFnCbz
薩摩の鬼共が、会津の兵の死体を埋める事を禁止して放置させるという嫌がらせや、婦女子を乱暴しまくったと聞いた。
>>922 西南戦争で、警視庁抜刀隊に会津人が多く採用されていた。
例によって、戊辰戦争で薩摩人にされた虐殺・強姦をそのままやり返した。
ただ、現在に至るまで、長州にはやり返していない。会津人は、長州に対する積年の恨みを返す機会をずっと伺っているのである。
この前差し戻し高裁で死刑判決が出た、山口県の少年による母子殺人事件も、快哉を叫んだ会津人は多い。俺たちの代わりによくぞ山口県人を殺してくれた、ていうわけである。
雪に埋もれた地域だから、変に陰険になったという説もある。まさに日本の特亜である。
なんか、カキコしてる香具師が特亜っぽいなぁ。
俺のおじさん、陸軍大尉で中国で終戦を迎えた時の話 終戦直後でまだ武装解除されてなかった時、仲間の将校と酒を飲みながらこれからどうなるのだろうと 話をしていたら、小銃構えた軍曹が乱入してきた。「もう軍隊じゃない」とか「これで恨みを返せる」とか 間違いなく殺意を抱いて小銃を突きつけてきたそうな。 でもおじさんは話術の巧みな人だったそうでなだめすかして「お前も一杯やれ」とかで なんとか落ち着かせることに成功。軍曹は小銃をテーブルにおいて、飲もうとしたそうな その瞬間、おじさん小銃を蹴りとばして護身用の94式拳銃で軍曹を射殺・・・・ 冷酷だけど将校の取るべき判断としては正解だよな?
それは仕方ないかもな? でも、説得に応じたんだから一緒に日本へ帰ってくるという選択肢は無かったかな?
あ〜う〜
恨みってなんかされたんかいな?ww うちの爺さんは同じ部隊の人と死ぬまで交流あったけどな 戦争終わって何十年たってもずっと中隊長さんって呼ばれてた 戦後に爺さん帝大に入学したんだけど 同じ部隊の何歳も年下の部下が同じ学部の先輩にいて 軍隊時代と立場逆転して気恥ずかしかったとさw
どんな恨みかは知らないが、
説得できてる
>>925 のじいさまは、直接に酷いことをやってた人ではないんだろう。
>>926 おじさんはずいぶん前に死んじゃったから、もう詳しい事は聞けないんだけど
親父曰く「多分兄貴は、これを許したらまた同じ事件が起こった場合、その時も説得できるかどうか
保障がないし、これは純然たる上官反抗だから許したら規律が保てなくなると思ったのかも?」だって
>>929 判らないけど隊長という立場上、無茶な命令とか出してただろうね。その辺からの恨みかな?
武装解除後は国民党軍の捕虜収容所に入れられたそうで。そこでも抜け目の無かったおじさんは
看守達に取り入って、捕虜は文通とか出来ない規則なのに看守経由で国際郵便で近況を知らせる
手紙を出したり、収容所内なのにかなり自由行動をしてたりとか・・・
ほんと、口が達者で社交的だけど計算高いとこは好きでなかったと親父の思い出でした
>>925 お前の爺さん、よほど嫌な奴だったんだな。
>ほんと、口が達者で社交的だけど計算高いとこは好きでなかったと親父の思い出でした いや、確実にそのタイプの人間は軍令以外で何か恨み買ってるだろ
つか、良く戦場で後ろから弾が飛んでこなかったな
934 :
名無し三等兵 :2009/12/21(月) 10:18:55 ID:Jmi7jCo5
死んだじい様は戦車乗りしていたそうだ。 がたがた揺れが酷いし暑いし狭い、おまけに整備は面倒弾薬は重くて標的になりやすいから大変だと言っていた。 自衛官として戦車乗りになった今。じい様の苦労が良く解る。 弾が飛んで来ないだけましか
>>933 後ろから撃つ弾も無(ry
満州で武装解除受けた爺さまの話だとマジで有りそうだから困る・・・
936 :
名無し三等兵 :2009/12/21(月) 12:02:50 ID:v/5ihb7p
>>934 霞ヶ浦行くことある? 八九式乗せてもらうといいよ。私らパンピーは見せてもらうだけだから。
937 :
名無し三等兵 :2009/12/21(月) 12:09:51 ID:gzTXN9KC
>>934 自衛官が平日の真っ昼間から2ちゃんねるですか?
ここは妄想を書き込むスレじゃありませんよニート君
938 :
名無し三等兵 :2009/12/21(月) 13:48:36 ID:4K//guhA
二・二六事件の青年将校の遺族やその末裔は、その後どうなったのかな・・・。
939 :
名無し三等兵 :2009/12/21(月) 14:52:07 ID:Jmi7jCo5
戦車の社長? 操縦? 車種? 整備? キューマル? 奈々ヨン?
一方、明治から3代にわたって陸軍士官をつとめあげた先祖をもつ僕は高卒ニートをしている
942 :
名無し三等兵 :2009/12/21(月) 19:08:27 ID:Jmi7jCo5
免許証はどうなってるの? 大型特殊? それとも戦車免許証なんたらのがあるの?
俺の爺ちゃんは予科練の出身で南方に行ってたらしい あと何日かで特攻に行くというところで終戦を迎えたとか 軍歴表みたいなものも見せて貰ったことがあるが最終階級は飛行兵長だった
>>938 実家の近所に真崎大将の生家があって個人墓も近くの寺にある、公民館には記念碑もある
で真崎に感化されたのかは分からんけど、事件に参加した尉官と佐官も何人か近所に居たのよ
で、その人達のは慰霊碑なんだけど、畑の前とか、家の角とか色んなとこにある
おそらく殆ど生家の前に設置してあるんだと思う
遺族というか子孫は普通に生活してる、殆ど百姓だけど
爺さんが言うには、遺族の中には理由もよく分からんけど首吊った人が居て降ろすのが大変だったとのこと
うちの爺さんはよく大将みたいに額に剣山巻いて、腹に短刀突き付け不眠勉強して偉くなれと言う
かなりの頻度で言う
だから多分、近所の遺族含めた爺さん婆さんも言ってるんだと思う
946 :
名無し三等兵 :2009/12/21(月) 21:40:13 ID:Jmi7jCo5
>>943 大特カタピラ限定
戦車以外使わない…
話が脱線してきた
キューマルだとすると三人になってメンテが大変になった つう話を聞いたんだが、そうなの? ユンボなんかグリスアップでも全部すると三十分くらいかかるんだが 戦車もめんどいんだろうなぁ…
>>919 なるほど。
お婆さんが、そのお爺さんに聞いた話。うーん。
>>934 今どきの「国産車」ならちゃんと動くのが当たり前だけど、まともに動かすだけで大仕事だったとかいうじゃないですか。
弾はともかく、まだまだでんな。
死んだ爺ちゃんは太平洋戦争では工兵部隊所属で中国にいた。自軍の戦車部隊を通すために、破壊された橋を架け替えたりしてたそうだ。しかし、直しても直しても破壊されてたいへんだったと言ってた。
952 :
名無し三等兵 :2009/12/22(火) 05:33:59 ID:2RrbwUsk
うちの曾祖父も工兵だったけど、機銃射撃中に戦死って聞いた。 なんで工兵が機関銃なんて撃ってたのか意味分からん
うちの爺さんは憲兵だったぞ。日中戦争前期に上官に命令されて イヤイヤながら敵兵二人刺し殺したら、勲章もらって伍長に昇進した、 といってた。 その後、刺殺の影響あってか病気になって内地送還になったと。
ケンペーって軍属よりもっとエゲつない事してそうだけどな。 任期中に。
憲兵も軍属だろ 特高と間違えてるのか?
軍事板だから、厳密に用語しようぜ。
軍属=軍で働く民間人。日本の憲兵は軍属じゃなく、軍人の一兵科。
まあ
>>955 は軍所属の人(軍人+軍属)の意味で使ったんだろうけどさ。
憲兵って、元々は軍隊の警察じゃないの? 軍人を取り締まるのだろう? なんで民間人まで取り締まることができるの? 戒厳令でも敷いてた?
>>958 日本での法的根拠としては、設置規定である憲兵条例(後に憲兵令)に定めがある。
第一条 憲兵ハ陸軍大臣ノ管轄ニ属シ主トシテ軍事警察ヲ掌リ兼テ行政警察、司法警察ヲ掌ル
副次的任務として普段から権限があり、
ただし行政活動については内務大臣、司法に関しては司法大臣の指揮を受ける、
具体的事件にあたっては知事や警視総監、検事の指揮を受ける、
そういう建前になっている。
甘粕事件みたいなのは、憲兵の権限を逸脱してて違法、ただの殺人事件だけどね。
960 :
名無し三等兵 :2009/12/24(木) 18:36:24 ID:SU8EA3V8
自演が続くと過疎りますよねw
憲兵って、実戦にあまり縁が無さそうだし、一般兵科の連中に 逆恨みされそうだしでつまらなそうだな。
憲兵、ドイツのSSとは性格が違うの?
結局、文句が出たら統帥権を持ち出せばすむのか? やりたい放題だったんだろうなぁ…
SSは私兵だろ・・ナチの。 国民党の便意兵みたいなもんで捕虜にもして貰えない。
>>962 憲兵は軍の組織だけどドイツのSSは党の組織だよ。
SS は乱暴な言い方をすると党子飼いの私設軍隊。
くわしくはウィキでも読んでくれ。
>>129
>>965 しまったへんなアンカーケツにつけちまったorz
>>961 負け戦にならなければ、後方の安全なところにいられて、
階級の割にいばれて、それなりに悪くはないらしいぞ。
>>969 ああっ、もうダメッ!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
972 :
名無し三等兵 :2009/12/25(金) 15:54:16 ID:Nbgcj9xY
英霊にどつかれてこい!
>>963 統帥権持ち出してやりたい放題だなんて、どこの鳩山一郎だよ
我が家のオヤジの話、 戦時中(海軍)の話はあまり話したがらない親父ですが、 戦艦大和の沖縄特攻を見送った(後で知ったらしい)時の事や、 防府の飛行場でジェットの試験飛行を見ていたとか、 現在の広島駅近くでグライダーの飛行練習をしたとか、、、、 そのくらいの事しかないですね〜、 そんな中私が一番印象に残ってるのは、 私がまだ小学校高学年、、、5年か6年生だったころ、 映画、風と共に去りぬを見に行こうと誘われたんです、親父に、 皆さんご存知のように、大変壮大な映画ですが、 小学生の私には何のことかさっぱり解らない、つまらない映画でした、 しかも長い、、、、、 そんな映画をオヤジは目を潤ませて見てるんですよ、 終わって映画館を出るときに親父が、 この映画、戦前に作った映画なんで、 こんな国と戦争したんじゃけ〜勝てるわけないよの〜! この時の親父の胸中を生きてるうちに聞いておきたいですね、
>>974 「オズの魔法使い」だったら良かったんじゃないすか。
監督もいっしょで、何と同じ年に公開されてるのね。
スレチでゴメソ 曽祖父は、ほぼ明治維新と同時の生まれ 奈良の吉野の、物凄い山奥に生まれて、青年期に北海道に移住 その移住先も、人間より熊のほうが多いんじゃね?ってくらいの未開拓地w 南朝の家来の子孫の出自のおかげか、第七師団から近衛兵に選ばれて花の東京へ 日清日露も前線に出ずに済んだおかげで子孫が生まれた 主人公がほぼ同世代の「坂の上の雲」を見るたび、思いが重なる 東京暮らしを楽しむなんて、そんな余裕は無かっただろうけど すんごいカルチャーショックだったろうな
脚の付いてる重い大きな機関銃を仲間数人で担いで、道も無いジャングルを歩くのが大変だったらしい。 現地人から牛を買って部隊の荷を運ばせたりもして、ハナコとかタロウとか名前付けて皆で可愛がっていたが、最後は食糧にしたんだとw
>>976 召集兵のクズごときが陸士卒の秋山閣下に勝手に思い重ねんなよww
日常生活でも誰彼かまわず同じような言動が出来るかい?
一々カリカリしてる奴は何なの?
高齢ニートにとって、この季節はとても精神的に堪えるらしいよ。
983 :
名無し三等兵 :2009/12/26(土) 14:21:39 ID:ox+sUjkU
>>976 十津川郷士→新十津川村かな。
おれのひいひいじいさんは、旅順攻囲戦で戦死。
>>919 のおうち同様、第九師団。うちは多分富山連隊。
その戦死と同時期に末っ子のひいじいさんが生まれて、養子に出された。
そういう経緯に加えて、ひいじいさんも多くを語らなかったらしく、
ほんの数年前まで血縁上の先祖、つまりひいひいじいさんの存在が分からなかった。
先祖が旅順戦で死んでたことを知ると、
本を読んでも、ドラマを見ても、忠魂碑一つ見ても、全然見方が変わってくるね。
祖父は10年前に死んでしまったので、直接話を余り聞けなかった為、 91の祖母に聞いてみた。 一度目の召集で、郷土から万歳万歳で送り出されたが、 数週間後、結核が見つかり不適格となり、帰還を命じられる。 盛大に送り出された手前、帰るに帰れず、駅で時間を潰していたら、 駅長が村長に電話してくれて、何とか故郷に帰ったそうだ。 それから暫くして満洲事変で再度召集。鞍山の関東軍独立守備隊へ。 主に満鉄沿線で行動したらしい。 軍靴で蛇の頭を抑えて皮を剥ぎ、食べたそうな。 無事勤め上げ満期除隊。 ところが、支那事変で再度召集され、上海方面へ。 土産にライカのカメラを安く買えたそうな。 上海方面で行動した部隊ってわかりますかね? 細かいことは祖母はわかりません。 これも、無事勤め上げ満期除隊。 昭和19年頃また召集。たぶん朝鮮軍に入る。 南方へ送られるため、済州島で一時待機中に、発病。 アメーバー赤痢と結核。 そのまま終戦で戦死の恐れはなくなったが、病死寸前で南風崎に引き上げ。 大村の海軍病院に入院。(陸軍の軍人が海軍病院に入院するの?) もう長くはないとの電報で、祖母が見舞いに。 ここから、急激に回復して85歳で亡くなりました。 もっと、直接話を聞いておけばよかったと後悔しています。
それだけ調べればよい供養になりますよ。
>934 つ軍歴照会。 一度目の召集の前に現役入隊があるんじゃまいか?
そうですか。 可愛がってくれたし、もっと直接話をしたかったなあ。 よく生き抜いたもんだと、頭が下がります。 勲五等を授与されました。
988 :
976 :2009/12/26(土) 23:31:58 ID:???
>>983 違いますが、近いです。
大叔父(曽祖父の娘婿)がそこの生まれです。
同郷のよしみで大叔母と結婚したのかもしれません。
特攻隊のパイロットになり、20年3月に三人の子を残して沖縄で散りました。
新十津川に(空っぽですが)お墓があります。
陸軍と海軍は仲が悪かったと聞くけどウチもそう 父方の祖父が、徴兵で陸軍 母方の祖父が、予科練志願で海軍 お互いが顔を合わせている時は自制していたけど、 孫のオレに軍隊時代の話をする時だけは、 「予科練のカス」「歩兵のイモ」と悪し様だった
両親の結婚時にモメなかったの?
軍歴照会って、簡単にできるものですか?
>>990 さすがにそれはなかったと思う
トヨタOBとホンダOBが、お互い孫に
「インサイトしょぼいわ」「プリウスなんてクソやで」
と、けなし合っているような感じ
無くなったら無くなったで困るんだから、安心してけなしあってるってわけかw
そろそろ次スレの季節か
うちなんか片や海軍将校、片や反戦運動で獄中何年のアカが両祖父だ。 両人が直接顔を会わせたのは両親の結婚式ぐらいらしい。 親戚づきあいがなかった。
東京大空襲の夜――東京郊外では… 祖母「ひぎぃっっ!いたぁい!!いやあ!やあ!!」 祖父「あ〜、○○○(祖母の名前)の中ってあったかくてヌルヌルしててああああ」 初夜でした。
997 :
1 :2009/12/28(月) 01:47:16 ID:???
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