1 :
名無し三等兵 :
2009/08/17(月) 21:15:03 ID:???
2 :
名無し三等兵 :2009/08/17(月) 23:30:35 ID:???
3 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 00:07:08 ID:???
4 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 00:35:01 ID:???
5 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 00:36:29 ID:???
昭和6年の段階で検討されてた海上通商路護衛用の艦艇数は ・平時 駆逐艦20 海防艦12 砲艦15 水雷艇24 駆潜艇16 ・戦時 海防艦+砲艦120 水雷艇56、駆潜艇160 16年12月時点で100総トン以上の日本船舶は2529隻。内訳は以下の通り。 □陸軍徴用 519隻/216万トン □海軍徴用 482隻/174万トン □民需用 1528隻/244万トン 主な通商ルートは門司〜上海〜高雄〜サイゴン〜シンガポールと 高雄〜ルソン〜ジャワの南方 及び横浜〜小笠原〜サイパン〜トラックの内南洋 更にトラックからラバウルやパラオ・マーシャルへの支線 門司〜釜山の大陸ルート等
6 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 00:38:24 ID:???
終戦までに生産された25o機銃は33000門 タラワなど19年初頭に攻撃された基地には25o機銃は数門程度しか装備されていないか下手をすると全く無い島も少なくない。 サイパンにテニアン、グアムなど力を入れていたはずの重要な島でも装備基準でさえ96門に過ぎないし、実際の装備は60〜80程度。 ペリリューくらいになるとやっと100を超えるようになる。 海軍が18年度に整備を目指した外戦部隊の25o機銃装備の防空隊はたった40隊で、仮に装備率100%で達成できたとしても960門にしかならない。 19年度になると流石に100隊を目標に掲げるがこれも装備完全で達成できたとしても2.400門。 しかもこの100隊は達成できなかったのか、20年度の目標も100隊。
7 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 00:38:57 ID:???
呂号クラスはUボートと同じくらいなんだっけ? 通商破壊するなら、大型の伊号よりも呂号を生産した方が良かったのかな? 一番良いのは、Uボートのコピーだけど。
8 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 00:40:14 ID:???
他に25o機銃の配備先として考えられるのは船舶。 早くも17年には千t以上の船舶への機銃や砲の装備が決定され、大きさにもよるだろうが数門程度の装備を進めたと考えられる。 千t以上の船舶は当時数百隻(16年12月建造中だけで94隻)はあり、仮に2門程度を平均としても所要数はかなりとなる。 19年になるともっとエスカレートし後半には25o機銃だけで各船大きさに応じ4〜20門もの装備を基準に。
9 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 01:42:24 ID:???
10 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 03:17:22 ID:???
海防艦第四号艦長水谷勝二少佐 まず敵の潜水艦の場合、今とは違って当時の潜航速力は8〜10ktでそれ程速いものではなかったという事がひとつ上げられますね。 それから護衛する船団にしても優速貨物船でも16kt程度です。 これが船団を組むとせいぜい13〜4ktしか出ません。 従って17.5ktの速力でも充分だった訳ですね。 それにも増して第四号が優秀だったのは、水測員が全て現役の兵員だったという事です ここで強調しておきたいのは、海防艦の対潜能力が抜群だったという事です。 海防艦の対潜攻撃能力は他の艦に比して格段の力を持っていましたね。 しかし水中測的兵器についつは、93式聴音器はまず役に立たず、93式水中探信儀も極めて精度が悪くて不安でしたね。 そこへ登場したのが三式探信儀です。 幸い優秀な水測員が日夜努力して、これを見事に使いこなして戦果をあげる事ができましてね。 艦政本部の担当員も非常に喜んだものでした。
11 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 03:18:51 ID:???
軍司令部の計算では、南方航路を守るには最低水雷戦隊が三隊は必要と考えたのだが、連合艦隊に交渉してみると、まだまだ作戦地域を広げて侵攻作戦を計画していて、あくまで作戦優先。 しかたないので、鎮守府とか警備府などから老朽のいわば『お婆さん』の旧式駆逐艦や水雷艇をかき集めてようやく作ったというのが実情。 しかもその数たるや、シンガポールから門司(もんじ)までの約2500海里(約3700 キロ)のシーレーンを守る第一海上護衛隊が、旧式駆逐艦10、水雷艇2、商船を改造した特設砲艦5だけ。 横須賀からラバウルまでの2000海里(約3700キロ)を守る第二海上護衛隊が旧式駆逐艦4、水雷艇1、特設砲艦1だけ。 守るべき輸送船は3000隻以上もあるんですよ。
12 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 03:20:09 ID:???
海防艦崎戸艦長小林恒次少佐 当時高等商船学校を卒業すると同時に、海軍少尉の資格が与えられたんです。 私は約6年間国際汽船で貨物船の船長をしていて、昭和16年に召集された訳ですが、その時は大尉の階級でしたね。 海防艦崎戸竣工と同時に艦長になって呉防備戦隊に編入された訳です。 それから約1ヶ月余り対潜訓練をして、第一護衛艦隊に編入、まもなく出撃です。 その途中で敵の潜水艦の待ち伏せにあったんですが、マンマと巻いてやりましてね。 2隻が無線電話で話してるのをキャッチしたんです。 彼等の生放送を解読してみると、船団が何時何分に到達するから三番目の大きなヤツを狙えと言っているのがわかったんです。 そこで私はよしそれならと、彼等が打ち合わせた30分前に左一斉回頭して、そのまま船団を無事に青島に避退させちゃった。
13 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 03:28:59 ID:???
駆逐艦朝風艦長池田徳太郎少佐 18年3月に駆逐艦朝風艦長として着任した訳ですが、この時期はソロモン方面の戦闘が中心で、それ以外はもっばら輸送作戦に明け暮れていた時期です。 私も台湾の高雄を起点に門司〜高雄〜サンジャック〜シンガポールを行ったり来たり約8ヶ月、船団護衛の任務に着いていたんです 多い時で40隻の船団を護衛した事がありましたね。 こうなると護衛という対潜防御行動は殆んどとれません。 常に味方の被害電報を聞いていましてね、どこで雷撃を受けたとか、どの地点に敵潜水艦が現れたという情報を漏らさず入手して、敵潜のいない所を選んで航行していく訳です 駆逐艦が敵潜を捕促するのは、見張りも勿論ですがもうひとつ、探信儀で探す訳です。 これは10kt位で走っている時はよく捕まえる事ができましたね。 12kt以上になると、自艦の発生する雑音で聞き取れなくなってしまう。 しかし低速だと2000m以内の目標なら、確実に捕促する事ができましたね。 しかし私はこっちから敵潜を探して攻撃する、という積極策はとらなかった。 常に情報を入念に集めて、敵潜のいそうな所から逃げて歩いていましたからね。 その為に私が護衛した船団は1隻も被害を受けませんでしたね。 恐らく1000隻からの船を護衛したと思われますが。
14 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 03:38:53 ID:???
駆逐艦早苗艦長長倉義春中佐 その頃の船団護衛はもっばら内地から台湾、仏印、シンガポール、フィリピン、ボルネオ、パラオ方面への輸送作戦なんですが、それが殆んど早苗一艦だの護衛なんですよ。 多い時は12〜3隻の商船を護衛した事がありましたよ。 こうなると護衛なんてもんじゃない、幼稚園の先生みたいなもんで引率ですよ。 商船だって編隊航行なんて経験を持ってる船長なんぞいませんからね。 朝になって船が全部いるかどうか心配でしたよ。 敵潜に攻撃されたのは2回だけです。 振り返ってみると1隻だけ様子がおかしい。信号を送ると我雷撃を受くという。 直ちに船団を避退させて爆雷を投下しながら、被害船を守っていたら停止していた船が動き出すんですね。 雷撃を受けたるも被害なしと言ってきた。 1本だけ命中したけど、こいつは不発だったという訳です。 もう1回はシブヤン海で5〜6隻の船団を護衛している時です。 遠くの海面でやはり魚雷が自爆しましたが、被害はありませんでした。 あの頃の米軍の魚雷は極めて粗悪でしたね 結局私は約1年間に144隻の商船を、たった 一艦で護衛をしたのですが、1船も損害を出しませんでした。
15 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 03:40:02 ID:???
船舶被害見積もりは、戦争一年目80〜100万トン 戦争二年目60〜80万トン 戦争三年目40〜60万トンで、保有620万トンに対し予想建造量は 一年目45万トン 二年目60万トン 三年目80万トン 実際の損害は 一年目95万トン 二年目179万トン 三年目384万トン 実際の建造量は 一年目26万トン 二年目77万トン 三年目170万トン
16 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:03:28 ID:???
艦隊決戦という長年培って釆た兵術思想は、海軍首脳部歴々の頭脳から容易に払拭することはできなかった。 艦隊は明けても暮れても砲戦訓練、夜間襲撃訓練のくり返しであり、潜水艦を目標にした対潜訓練は、艦隊では一回も行なわれなかった。 対潜戦は港湾防備の分野に編み込まれ、主として駆潜艇、海防艦の演練種目とされて、第一線の駆逐艦の取り組む種目となっていなかった。 潜水艦恐るるに足らず、爆雷を放り込めば落着程度にしか思われていなかった。 この対潜戦軽視のつけがやがて大きくのしかかり、対潜艦艇と看傲されていた駆逐艦が米潜水艦にばかんぼかんやられることとなり、ほどこすすべがなかった。 昭和17年(1942)5月、私は駆逐艦「芙蓉」水雷長に就任した。 対潜兵器として艦尾に爆雷投下軌条と投射器があったが、肝腎の水中測的兵器(水中探信儀)は装備されていなくて、爆雷攻撃はまったくの目算と勘によるほかなかった。 (森田友幸 25歳の艦長海戦記)
17 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:04:39 ID:???
日本輸送船の喪失要因は 潜水艦1153隻 空襲931隻 触雷250隻 砲撃89隻 海難事故174隻
18 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:27:16 ID:???
戦時海運統制 1941/12/19 逓信省内局の管船局と外局の灯台局を統合し、逓信省と海軍省の外局の海務院を設置。 長官は海軍中将、次長は逓信省。 1942/7/1 日本海運協会等の船主を政府管理特別法人の船舶運営会に統合。 政府徴用民需船舶を運営する。 ※陸海軍徴用船舶は陸海軍省運輸部が管理する。 1943/11/1 逓信省と鉄道省を統合して運輸通信省設置、海務院を廃止し海運総局へ。 1945/5/1 国家船舶及び港湾一元管理の為、大本営に海運総監部設置。 海運総監は各船舶司令部、鎮守府、警備府、海運総局、鉄道総局への指揮権を持つ。 各港湾には軍の一元管理による揚搭指揮官を常置。 6/30付で陸海軍徴用船舶含め、国家船舶として一元運用する。
19 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:28:22 ID:???
潜航潜水艦を目標とする聴音成績 (昭和12年) 対潜掃討における艦隊型駆逐艦(93式1型、3型)探信儀能力 全没潜水艦捕促率50%方向誤差+-6.5度 距離誤差4% 可探距離1700m 探知可能最大速力 14kt 対全没潜水艦探知可能聴音能力 確実500m以内
20 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:29:51 ID:???
航空用磁気探知機 3式1号探知機、通称KMXは18年11月採用。 19年4月にまず901空、6月以降453空、933空、934空に磁探機が配属された。 航空用電探は浮上潜水艦を10浬、または潜望鏡を4〜5浬探知。 これは米軍機の探知能力も同等らしい。 磁探機で潜水艦を探知すると警報灯とブザーが作動し、探知と同時に自動的に目標弾が投下され敵潜潜在海面にマークされる。 901空で19年8月25日からの15日間で探知攻撃された潜水艦は42隻、うち12隻撃沈確実と言われている。 磁探は潜没潜水艦の直上通過時に地磁気の変化で探知する。 探知実験に成功すると、横須賀航空隊の協力で兵器化研究が進んだ。 磁探は単機では探知範囲が狭いので、編隊探知が提案され通常3機で理想は5機編隊と結論された。
21 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:31:12 ID:???
沈船を目標とする訓練では、10kt程度の船団なら3機編隊で前路探知してほぼ未掃面を皆無にできる。 小隊による掃討は3時間を適当とする。 各基地に航空隊を編成するのでなく、船団に随行して航空隊が基地間を移動する。 等の研究結論が得られた。 901空では96陸攻の大部と東海全機、また零水偵、97艦攻、天山には1/3の機に磁探を設置した。
22 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:32:48 ID:???
機雷 戦前の海上交通保護とは朝鮮半島との交通線であり、戦時には対馬海峡に機雷堰を設けるべく昭和11年帝国国防方針で決定。 港湾水路とあわせ平時2万個の備蓄を始めたが、対米戦により東支那海、台湾海峡への設置には全く足りず。 開戦前までは各年2000個程度の生産数を、17年度より年15000個程度に増産。 対ソ戦用の機雷もあわせて使用した。 その他港湾水路への潜水艦侵入阻止には防潜網や捕獲網等があり、敷設艦、急設網艦等の整備も進められる。
23 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:34:13 ID:???
爆雷 開戦時の主要爆雷は95式であったが、開戦直後に戦闘機の機銃掃射により誘爆爆沈が起きた為、衝撃に鋭敏な88式爆薬を昭和18年から1式爆薬に変えた。 開戦後も爆雷は潜水艦の潜航深度が増した事により、沈降深度と発火装置を改めた2式爆雷、沈降速度を速めた流線型尾翼付の3式へと発展した。 これにより、沈降深度は95式の60mから3式では200mに強化。 更に開戦により従来の爆雷搭載数では徹底した攻撃が出来ないと判明し、艦隊型駆逐艦も搭載数を18個から36、48個と順次増加させている。 海防艦では17年10月起工(18年10月以降竣工)の御蔵型から搭載数は120個になった。
24 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:35:18 ID:???
対潜爆弾 航空機による対潜攻撃は潜没状態の潜水艦に対するものなので、水中弾道性を考慮する必要があった。 対潜爆弾は2号爆弾と呼称され、昭和8年頃より研究され、開戦時には99式6番2号と1式25番2号があった。 しかし開戦時には数が足りないので陸用爆弾で代用された。
25 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 04:40:07 ID:???
老朽船舶の更新 1932年船舶改善助成施設(一次〜三次) 以降も 大型高速優秀船舶の建造促進 1937年優秀船舶建造助成施設 1939年平時標準船を設定 1942年戦時標準船を設定(一次〜四次) 戦時中の喪失船舶(軍用船除く)7240隻 官民一般汽船3575隻 機帆船2070隻 漁船1595隻 死亡した船員60608人
26 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 06:11:57 ID:???
聴音機は1932年に輸入したドイツの保式を国産化したのが93式。 フランスのSCAM探信儀を輸入したのは1936年。 同じ聴音機を使用しても微速または機関停止状態で待ち伏せする潜水艦と、船団を伴いノイズに妨害される護衛艦では探知能力が違ってくる。 聴音成績は潜水艦が集団音を2〜3万m、独航で1万5000mを探知できたのに対して、水上艦は陽炎型が8ktで3200m、12ktで1400m、14ktで1000m。 初月は6ktで5000m、12ktで2600m、14ktで2000mであった。 聴音機は自己の存在を秘匿できるのが利点で、大体の方向や推進音のリズムから的速を推測できるが、距離はわからない。 探信儀は距離がわかるのが利点だが、艦の前方に対してしか使えない。
27 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 06:13:09 ID:???
世界の艦船によれば93式探信儀はフランスのSCAMを参考に、17.5kHZで記録ペン読み取り表示。 整流覆いがないのでノイズに弱いが、探知距離12ktで1300m、14ktで1000m、指向性12度、測距誤差100m。 3式探信儀はドイツのS型を参考にしたもので、13kHZと16kHZの二段切替式。 整流覆いが付いてブラウン菅表示、探知距離は12ktで2000m、14ktで1200m、指向性30度、測距誤差100m。
28 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 06:15:08 ID:???
42年10月から43年10月の1年間に延べ936船団、4591隻の商船が運航されたが、護衛がついたのはうち65.6%の614船団。 護衛がついた船団での護衛艦艇の割合は、商船5隻につき1隻が平均で多くて2〜3隻だった。 42年10月から43年5月までに運航された延べ562船団、2364隻で潜水艦に遭遇したのは34船団で6%。 被害率は船舶延べ数の0.5%、12隻に過ぎなかった。 それが43年6月になると会敵率が2倍に増える。 10月までの延べ374船団、2227隻で会敵したのは44船団12%になっている。 44年4月から大船団主義の採用もあり、従来の1船団の平均船舶数5隻程度から平均8.6隻、護衛も従来の1隻程度から5〜10隻に増えている。
29 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 06:15:58 ID:???
この頃になると会敵率も40%、6月には50%を超え8月には100%を超えている。 つまり途中で2回会敵する船団もあった訳だ。 これは米軍がマリアナ、フィリピンへと迫った事も関係していて潜水艦だけでなく、航空機との会敵率も増えている。 会敵率が増えれば被害率も増加し、43年11月までは0.74%だったのが、その後の8ヶ月間は3.54%、会敵率が100%を超えた時期で5.7%。 米軍がフィリピンに来て以後は既に護衛どころでないので省略。
30 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 06:16:53 ID:???
開戦時に太平洋に展開した米潜水艦は51隻、うち航洋型39、局地型12。 開戦2日目でキャビテ軍港の備蓄魚雷223本を喪失し、魚雷不足と性能的欠陥から潜水艦の活動は不活発だった。 米潜水艦基地はハワイ、フリーマントル、ブリズベンの3ヶ所でハワイ部隊は内南洋、豪州部隊は小型艦がソロモン、大型艦が南シナ海から蘭印を担当した。 しかし豪州部隊も整備はハワイで行い、新兵器搭載工事はサンフランシスコで行った。 魚雷不足は42年10月がピークで所要魚雷の半分程度しか満たせず、潜水艦は発射数を極度に制限された。 魚雷の性能不足も43年秋頃まで続いた。 南方への日本商船隊を叩くには、ルソン海峡での待ち伏せが効率的だがフリーマントルから2週間かかり、数日しか滞在できなかった。
31 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 06:17:38 ID:???
またブリズベンの部隊は通商破壊よりゲリラ援助、救助活動、敵艦隊偵察等の戦術目的に使われる事が多かった。 米潜水艦部隊も当初は日本同様、攻撃の優先順位を艦艇第一としており、商船に集中したのは43年後半以降、44年になると逆に護衛艦をまず狙う戦法を採用した。 米潜水艦が単独襲撃からドイツに習い、ウルフパックを採用するのは43年4月からである。 米潜水艦戦力は開戦時の51隻から43年9月に118隻、44年末には156隻となった
32 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 06:58:22 ID:???
日本は57万5000総トンの油槽船をもって開戦した。 1943年には83万4000総トンに増え、その3/4は南方石油の内地還送に当たっていた。 しかし油槽船の喪失は1942年の4074トンから1943年38万8016トン、1944年75万4106総トンへと激増し造船高を遥かに引き離した。 当時、民需用には最低限300万トン(陸軍省計算)〜350万トン(逓信省計算)の商船が必要と見込まれていた。 実はこれでも所要の100%を見込めるのは米と鉄鉱石だけで、その他重要物資で70%が輸送可能とされる程度である。 にも関わらず、民需用船舶が300万トンを確保されたのは、戦争を通じて42年8月から12月の間だけである。 本来なら南方作戦終了後、一定量の陸海軍徴用船舶を民需用に返還する予定であった。
33 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 07:00:30 ID:???
しかしガ島攻防戦により7月以降の徴用解除予定は中止され、12月には逆に41万5000トンが作戦用に新規徴用された。 既に鉄鋼生産は42年度の427万トンから、43年度は300万トンに減る見込みだった。 一方、43年3月末までの船舶喪失は125万トン、新造36万トン、拿捕浮揚37万トンを加えても差引52万トンの船舶が減少している。
34 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 07:01:43 ID:???
開戦時の海軍航空隊保有機数が 戦闘機375、艦爆126、艦攻194、陸攻324、陸偵30、複座水偵177、三座水偵121、飛行艇48、その他練習機等計1300機程度 大まかに正規空母に400機、軽空母に100機、11航空艦隊に500機、艦載水偵200機で占められる。 護衛に従事した900番台航空隊は、それまでバラバラに護衛や対潜哨戒してた航空隊を統合したもの。 だからその前進・母体の航空隊を沿革を調べればそれ以前からやってるのがわかる。 具体的には内地では大湊、館山、佐伯、佐世保の各航空隊等。 外地では16、17、21、31〜36の各航空隊等が該当する。 900番台航空隊にも昭和17年から開隊してる部隊もある。
35 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 07:36:17 ID:???
敵潜の跳梁が始まると商船の運航率は低下した。 則ち潜水艦を避ける為、出航が遅れたり、途中で最寄りの港に避難したり、之の字運動や迂回航路選択の為に航海日数が余計にかかり、到着が遅れる。 輸送ノルマ達成の為には船団を集合させ、最も低速な船に船団速力をあわせるより、独航を選択する場合がしばしばあった。 速力8ktの低速船と20ktの優速船で船団を組むのは効率が悪いので、航洋性が低く低速浅喫水の小型船は沿岸を独航する。 ニミッツの太平洋海戦史によると、独航船の撃沈率は船団内の損害より2倍半も多い。 もし日本が5隻程度の護衛艦を伴う、30〜50隻の大船団なら損失も少なく、護衛に充てる艦艇も少なくて済んで安全性が増す。 もっと早くもっと効率的な護送制度を採用してたら、日本は米潜水艦の有効性を大いに減殺したかもと言う。 しかし米英間の通商ならともかく、日本周辺の貧弱な港湾設備・荷揚能力では大船団を収容しきれず、荷揚待ちの行列ができるだけ。
36 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 12:08:36 ID:???
コピペなんだから引用元示せば一レスで済むのになにやってんだw
37 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 13:00:57 ID:???
引用してる人は名前欄に何か入れて下さい>例:まとめ/テンプレ etc このままだとコピペ荒らしみたいですw
艦隊掃海艇 アメリカ オーク級 排水量約900t 速力約18ノット 武装76ミリ砲×1 40o機銃2基 20o機銃8基 爆雷投射機5基 爆雷投下軌条2条 日本 一号型掃海艇 排水量約600トン 速力20ノット 武装 12センチ砲2門 8センチ高角砲1門 爆雷投射機2基 爆雷投下台6基 機雷50個 日本の掃海艇は二等駆逐艦並の砲力と、駆潜艇並の爆雷を持っていた。 同時期の駆逐艦が18個に対して、駆潜艇や掃海艇は36個。 掃海具の代わりに、機雷50個積んで敷設艇の代わりに使う事もできる汎用的な艦艇。 19号型だけでも、マル4計画で6隻、マル急で28隻、改マル5で36隻と計70隻も計画されている(実際竣工したのは17隻)。
39 :
テンプレ続き :2009/08/18(火) 15:48:06 ID:???
艦隊型掃海艇をベースに汎用護衛艦を建造するという点に関しては、イギリスも日本と似たようなもの。 違いが出始めたのはビターン級で両用砲と対空射撃指揮装置の搭載テストをしてから。 1936年に海軍省が対潜・対空スループの開発を決定する。 イギリスの場合、キングフィッシャー級スループが建造に手間がかかる割に低性能が判明した結果、1938年からフラワー級コルベットの開発が始まっている。 また、1937年度計画のブラック・スワン級が成功作ではあったが高価すぎ、1939年度計画のハント級が護衛艦としては航続力不足という結果から、1940年に長距離護衛艦として両者の船型をベースにしたリバー級の開発が始まる流れ。
40 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 15:49:55 ID:???
逆に本来の「艦隊掃海艇」(fleet minesweeping sloops)を名乗ったハルシオン級はグリムズビー級を縮小・簡易化する形で建造された。 これも実際は掃海艇というより小型護衛艦としての意味が強い。 これと1935年のバセット級武装トローラーと対潜艦艇としては失敗作だったがキングフィッシャー級哨戒スループが加わり、 さらにトローラーとスループのストップギャップとしてフラワー級コルベットが計画される流れになってる。
41 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 16:00:32 ID:???
昭和17年3月1日、大海指第60号 作戦方針 太平洋及び印度洋全域に亘り極力敵海上交通戦の破壊攪乱を計るとものとし〜以下略。 同17年6月22日、大海指第107号 作戦方針 1)他の作戦に支障なき限りあらゆる使用可能な兵力及び機会を利用し極力敵の海上交通を破壊攪乱し以て敵国の屈服を促進す。 2)潜水艦の大部を主として本目的の為に使用し兼て好機敵艦船の攻撃に任ぜしむ。 攻撃重点を敵海上交通頻繁なる海域に置き差し当たり其の指向方面を左の順序とす〜以下略(どの通商路を重点的に攻撃するか、ここでも水上艦を通商破壊に用いる可能性も書かれてます) 昭和18年3月25日「第三段作戦方針」 「潜水艦作戦の重点を敵海上輸送の破壊に指向し敵の進行企図を阻止すると共に敵戦力を減殺し以て其の屈服を促進するに努む。」
42 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 16:01:25 ID:???
伊9.10.15.17.19.21.23.25.26の9隻で、昭和16年12月20日頃から、アメリカ西海岸沖で通商破壊戦を行い、撃沈または着底5隻、大破5隻、の戦果を挙げた歴史があるんだね。 伊27潜なんて戦争参加月数26ヶ月のうち、15ヶ月も通商破壊に従事してる。 日本潜水艦で交通破壊戦に従事したのは16年に12隻、17年に太平洋13隻、インド洋24隻、18年に太平洋15隻、インド洋8隻。 予定では17年10月からインド洋で大規模通商破壊するはずが、ガ島戦勃発で中止。
井浦「潜水艦隊」 開戦当初頃は戦艦・空母に対しては全射線を発射するが、商船には1〜2本で沢山だというのが日本潜水艦乗員の考え方であった。 しかしその後攻撃を重視するようになって、状況によっては商船に対しても全射線を発射するという風に考え方が変わった。 との記述があるので、命令でもないし禁止されてる訳でもなく、何本射つかは艦長の裁量次第のようだ。
44 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 16:07:59 ID:???
以上でテンプレ終了 前スレ落ちる前に資料に使えそうなのだけコピペしてみた。 前スレで護衛に間しては出尽した感があるので、今回はまったり進行になるかな。 前スレは不毛な煽りとループで、やたら流れが早かった。
45 :
名無し三等兵 :2009/08/19(水) 21:23:11 ID:???
まとめご苦労さん
>>29 であるけど、航空襲撃の方でもかなり脅かされてたからやっぱ護衛空母は重要だよね
つっても技術的に新鋭機を搭載できなかったけど
46 :
名無し三等兵 :2009/08/19(水) 21:29:58 ID:???
護衛空母に新鋭機が積めたら前線につれてかれるぞ。
47 :
名無し三等兵 :2009/08/19(水) 21:38:17 ID:???
その辺は哨戒網の充実とその情報の即時共有システムを構築することで、回避できる可能性は高くなるかと
48 :
名無し三等兵 :2009/08/19(水) 21:46:57 ID:???
>>45 前スレでも通商航路は門司〜上海〜高雄〜海南〜サイゴン〜シンガポールといった沿岸沿いだから陸上機で充分で、空母イラネだったんだが。
901空では固有の基地でなく、出発から目的地までカエル飛びで船団に同行してたし。
むしろアメリカの戦略爆撃調査団にも、日本が護衛に空母投入したのは失敗だったと言われてる。
改装空母は前線の航空隊に飛行機輸送するのが主任務だし。
大西洋ではアイスランドからカナダまで、航空支援の空白ができるから護衛空母が必要だっただけ。
49 :
名無し三等兵 :2009/08/19(水) 21:59:32 ID:???
本当に必要な護衛空母はガダルカナルの時だった
50 :
名無し三等兵 :2009/08/19(水) 22:26:41 ID:???
載せる飛行機とパイロットがいないんじゃないか?
51 :
名無し三等兵 :2009/08/19(水) 22:32:09 ID:???
本当に必要なのはまともな探知装置+数学的な予測+連合艦隊が優先的にもっていった優れた水測員
52 :
名無し三等兵 :2009/08/19(水) 23:29:03 ID:???
>>13 にあるように、昭和18年までは、駆逐艦1隻の護衛であっても、
・日本軍の被害電報の徹底的収拾
・見張り
・探信儀による探知
ぐらいの手法で情報を得たうえで、徹底的に逃げ回ると、被害なく日本に物資輸送することもできた、
というところがミソだな。
これらをORして普遍化してたら…
本気で護衛したときは、サイパン決戦前に陸軍等を輸送したときのように、
ソコソコ上手く行ったんだよね、実際のところ。
53 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 00:08:29 ID:tUWROHJy
>>52 回避できたとしても
大幅に時間のロスができて
結局は効率落ちちゃうんだろうな〜
54 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 01:23:08 ID:5OVMB0MT
なんで玉輸送とか北号作戦は成功したんだろ
55 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 01:33:44 ID:???
>被害電報の徹底的収拾 聞こえはいいが他の船団はボコられてる訳で 全体の被害となると・・・
56 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 01:50:57 ID:???
>>52 しかしまあ、
>>28-29 にあるように
>42年10月から43年5月までに運航された延べ562船団、2364隻で潜水艦に遭遇したのは34船団で6%
被害率は船舶延べ数の0.5%、12隻
>43年11月までは被害率0.74%だったのが、その後の8ヶ月間は3.54%、
会敵率が44年6月には50%、8月には100%を超え、100%を超えた時期で被害率5.7%。
だから潜水艦との会敵率100%超えてからも、逆に言えば残り94.3%は被害受けずに輸送成功してるのよね。
57 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 01:54:02 ID:tUWROHJy
>>54 北号は名提督松田千秋の采配が優れてるからとしか言えん気が。。。
この人はちょっと人外な手腕を見せ付ける
58 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 02:02:50 ID:???
話は変わるが通商破壊においてどのような種類の船舶を破壊すれば効率的か? 護衛船を破壊するのを優先すべきかそれとも同船団に所属する商船か 商船を破壊するとしたら多くの人的資源が乗っている客船?石油資源を輸送するタンカー?
59 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 07:35:53 ID:???
>>58 それは船団の輸送目的や護衛の量によって違うだろ。
兵力輸送中なら兵員輸送担当や火器輸送担当がやられると痛い。
資源還送中の船団なら資源搭載してる船がやられると痛い。
襲撃側が潜水艦を沢山用意出来るならば、航路が長い場合は護衛艦
がやられると痛い。
60 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 11:21:52 ID:???
WW2日本であれば、上りはタンカー・下りは兵員・物資輸送艦がやられると痛いというかメインというか
61 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 11:42:40 ID:???
航空燃料運ぶ船じゃないかね。 特に高オクタンガソリンは現地調達はほぼ不可能。
62 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 12:13:18 ID:???
まあ船種で選ぶよりは船の大きさで選ぶ方が無難そうというのはあると思うが。
63 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 15:37:56 ID:???
>>61 南方(原油)→本土(製油)→前線(高オクタン油)が基本なんだろうけど、
南方(原油/製油)→前線(高オクタン油)ってのはやってたなかったのかな?
パレンバンやバリクパパンとか、凄い設備だったと思うけど。
64 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 17:30:16 ID:KuDtXH6x
日本本土には製油施設がショボイんで 現地で製油したガソリンで日本に運んでいたから やってるんじゃないか? ただ、ガソリン輸送船は被弾すると大爆発を起こすから 命がけの二乗だった。
65 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 17:35:42 ID:???
高速タンカーかな。特に艦隊行動に随伴できる外洋型は数が少ない。 実際、戦争中盤ではこの不足が日本艦隊の行動縛っているし。
66 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 18:08:03 ID:???
>>63 南方の石油生産量は1940年度が17.8万バレル/日、1033万kl/年だった。
日本軍が占領した42年度は7.1万バレル/日、412万kl/年と4割に低下している。
戦争で一部破壊された設備は燃料廠からの技術者派遣で復旧され、43年度には生産量13.6万バレル/日、788万kl/年まで回復。
開戦前と比較して生産(採掘)量で80%、精製量で55%まで回復した。
パレンバンの第一製油所は42年5月から航空ガソリンの生産を開始、同年9月から第一製油所、翌年1月から第二製油所が部分操業を開始する。
なお日本本土の精製能力は9万バレル/日、パレンバンの精製能力は8万バレル/日と言われている。
67 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 18:18:40 ID:???
やがて燃料不足で訓練さえままならなくなり、仕方なく現地いって訓練しようとしたら潜水艦大暴れでそれもできず。 結果、マリアナ沖の七面鳥状態になるほど錬度下がるんだよな。 精鋭集めた機動艦隊ですらこれなんだから、ほかは……。
68 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 18:58:41 ID:???
マリアナの訓練してたタウィタウィ泊地はバレンバンに近いから 燃料は豊富に供給されていたんじゃなかったっけ。 海軍乙事件で艦隊の所在がばれて外洋での訓練が出来ない上に もともとが練度不足の若い飛行兵だから離着艦や雷撃爆撃の 訓練をしてみたら死亡者が続出したので途中で取りやめになったはず。
69 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 19:05:55 ID:???
>>68 海軍乙事件で米潜水艦隊はタウイタウイをガッチリマーク。
海軍乙事件で絶対国防圏かつ陸軍航空隊の支援が期待できるビアクに陽動上陸作戦で基地航空隊全滅。
まあ海軍乙事件が全部悪いとしか言いようがないね。
70 :
名無し三等兵 :2009/08/20(木) 19:18:57 ID:???
そのあとのレイテ決戦も台湾沖航空戦で陸軍の判断を 誤らせる大失態をしでかしてる。 海軍乙事件も幻の大戦果も「言いにくくて言えなかった」って 寝小便した子どもじゃないんだからw 戦争後半の海軍首脳は亡国を演出したかのようだ。
71 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 00:54:34 ID:???
対米戦自体が海軍が勝てませんて言いにくくて言えなかったからだからなw
72 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 01:05:05 ID:???
開戦後であっても 現状把握に必要な情報のサボタージュを海軍という組織ぐるみで 意図的にやりやがったらどーしよーもねーよ 陸軍も同類だけど
73 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 01:10:13 ID:???
泥沼の支那事変を3ヵ月で終わると言ったのは何処ぞの馬糞もありましたな。
74 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 01:10:20 ID:???
大戦後半どころかミッドウェーの大損害も隠してたからな。 国民どころか首相の東條にも報告しなかった
75 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 02:40:19 ID:???
>>69-74 何やらスレタイも読めないアホが沸いてるようだな。
完全にスレ違いだから、日本軍をけなしたいだけなら他に行ってくれないか?
76 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 03:11:29 ID:???
南方の基地航空隊は概ね航空燃料の心配はなし、「今日から100オクタン、さすがに調子がいい」との回想もあったりする。 その代わり機材の補給が心配だがな。 リンガ泊地はパレンバンに近く、タウイタウイはミリやタラカンの油田が近く、バリクパパンやルトンの製油所も近い。 海軍乙事件がマリアナ沖に具体的にどう影響したかは知らん。 タウイタウイはレイテ沖でのパラワン水道同様、フリーマントルからバシー海峡への途中にあるし、そんなとこへ大艦隊が集結するばバレて当然。
77 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 03:54:39 ID:???
搭乗員は定期的に基地航空隊や教官へ異動があるのに、空母搭乗員を最精鋭と考えるのは何故だろう? ラバウル航空隊や角田の1航艦はそれより技量が劣ると? 因みにタウイタウイ進出5/14、6/13出港。 それ以前は1航戦はリンガで、2・3航戦は内地(岩国佐伯大分)で訓練していた。 1航戦はろ号作戦後の再建中、2航戦は2月までラバウルで戦闘後、従来の搭乗員をトラックに残して内地で再編制。 川崎まなぶ曰く、マリアナ時の空母搭乗員の平均飛行時間は開戦時と大差ない。 小隊長級は概ねベテランで彗星には真珠湾以来の搭乗員も。 若年搭乗員は爆戦隊に多く、19年1月に実用機教程卒もいた。 空戦で主にやられたのは25番積んだ爆戦隊や天山など。
78 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 04:03:36 ID:???
>>77 中隊長レベルの士官の期を見てみな。
これでマトモな戦闘が出来ると思ってるなら病院紹介するぞ。
79 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 04:38:36 ID:???
>>75 スレタイに関連する事を言うなら
海上護衛は海軍の仕事だろ
第一次大戦のイギリスの戦訓が有るのに放置
しまいにゃ日本海までアメリカの潜水艦が入ってきて暴れられて
アフォですか?
80 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 04:48:58 ID:???
81 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 06:15:50 ID:???
南方地域産油量と内地への還送量(万kl) 17年度/18年度/19年度/20年度 原油生産量 412/788/586/104 内地還送量 167/230/79/- 企画院見込み 30/200/450/- ※17年度の企画院見込みが低いのは、石油施設が破壊されると予想した為。 ただし、予想外の戦域拡大で海軍の消費量は開戦前予想の倍になっているので、17年度の石油事情に余裕があった訳ではない。 南方石油精製量(千バレル) 17年度/18年度/19年度/20年度 製油所通油 13870/28396/26845/4448 重油 6963/15013/14466/2166 航空揮発油 2937/5411/5526/829 普通揮発油 2499/3658/2656/600 他灯油・軽油・潤滑油は省略 ※なおバリクパパンは19年4月頃から空襲を受けている。
82 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 06:49:57 ID:???
ちかごろ海防艦萌え
83 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 08:28:14 ID:???
>>75 旧軍贔屓には残念ながら、いずれも事実。それを貶すとか見えるって事は、君の価値観の問題だw
84 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 08:56:46 ID:???
17年度は見込みより造船量は少ないものの、船舶被害は想定の範囲内。
何より
>>81 から石油の内地還送量は18年度まで企画院の見込みを上回ってるから、少なくとも18年度一杯まで石油に困る事はないはずなんだが。
実際は17年末に一旦海軍の燃料備蓄が底をついて艦隊行動制限される位、燃料事情が悪化してるんだよな。
人造石油生産失敗や、海軍と民需の消費量が予想を遥かに上回ったのもあるけど。
これは陸海軍の油田割当て比率が響いてるんかな?
海軍唯一の製油所バリクパパンは、パレンバンと違って破壊されてたみたいだし。
民需も必要船舶の300万トン確保できた試しないから、戦時増産にかなり悪影響出ただろう。
鉄が足りなきゃ造船に、アルミが足りなきゃ飛行機の生産に影響が出てくる。
石油以外にも鉄・ボーキサイト・ゴム・ニッケル・錫・米の輸入が必要だけど、石油含めて民需船舶で賄ってるんだし。
85 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 09:27:11 ID:???
>>83 ただの煽り罵りで情報価値ゼロ。だから無駄なものは無駄。
君も無駄。
他の真面目なレスを読んで恥じ入ってほしい。
86 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 09:53:27 ID:???
>>85 83じゃないけど、貶してるように見えるってのは決めつけすぎだろ
つうかあの程度で貶してるってのなら、軍板じゃなくその手の方の
お住まいの板へどうぞ。
87 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 10:12:52 ID:???
88 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 10:35:02 ID:???
大和よりも海防艦に萌えるという気持ちは分かる。 なんて言うか実際の生産活動を一番身近に防衛した 安価で実用的な兵器って感じ。
89 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 10:41:52 ID:???
アメリカの産油量は年産2億万klで世界の石油生産量の60〜70%を占めていた。 石油生産量は日本の700倍で、日本の消費を賄えると言われた蘭印油田でさえ世界の石油生産量の3.2%に過ぎない。 日本と比較したアメリカの戦時生産は、航空機で4倍、艦艇も対米7割どころか5倍、商船に至っては15倍。 鉄鋼生産は18倍、アルミ生産で5倍。 弾薬生産量なんて独ソでさえ日本の100倍近い。 戦前の両洋艦隊が実現し始める18年以降は、日米の戦力差が決定的になり、前線の崩壊は時間の問題だ。 例え海上護衛を全うできても、18年いっぱいで戦争終結に持ち込めなければ敗戦は免れない。 18年に山本に代わって、連合艦隊長官になった古賀も「最早勝算は三分」と言ってる。 19年以降の戦争継続は残敵掃討状態だ。
90 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 10:57:12 ID:???
>>88 スーパーカブやダットラのファンが多いようなもんだな。
ガンダムもザクがいちばん人気あるしw
91 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 11:00:10 ID:???
>>89 航空機は4倍では少なすぎるような。欧州にも回しながら
数で圧倒してるんだし。
鉄鋼は200倍という数値を見たことがある。
92 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 11:22:40 ID:K7Sp1rak
>>89 結局、敵の機動部隊の行動半径に収められたら海上護衛も糞もなくなるんだよね。
日本側もそれをわかっていたから積極防御と称して攻勢にでたわけで。
MDで即効挫折したけどw
93 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 11:42:31 ID:???
>>89 >>アメリカの産油量は年産2億万klで世界の石油生産量の60〜70%を占めていた
開戦前海軍が涙ぐましい努力で貯めていた重油、今の日本の使用量
の確か3h程度にしかならんのだよな。
94 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 11:46:37 ID:???
>>91 飛行機生産が機数で
42年/43年/44年
アメリカ
47836/85898/96318
日本
8861/11693/28180
その他米/日のピーク時生産量比較
鉄鋼
8100万t/427万t
造船量
1900万総t/170万総t
アルミ生産
70万t/13万t
因みに日本の石油備蓄量のピークは1939年で、5140万バレル。
開戦前日には8割に低下して4300万バレルになってる。
備蓄量の内訳が原油と重油とガソリンでそれぞれどの程度なのかは不明だけど。
備蓄量をKLに直して
陸軍/海軍/民需の内訳は120万t/650万t/70万tかな。
95 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 11:55:34 ID:???
>>94 KLに直すと言いながら単位が万tになってる…。
比重0.8で計算し直すの面倒。
当時のアメリカの石油消費量やハイオク生産量は現代日本並。
開戦当時の備蓄量は、確か現代日本の消費量で10日分程度のはず。
96 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 12:38:10 ID:???
>>95 確か源田のパールハーバーでそんな記述があったな>10日分程度
97 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 12:40:40 ID:???
アメリカ以外を相手にすればまだマトモな戦争できただろうね。
98 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 12:48:25 ID:???
弱い国を的確にちまちまといじめるなら勝てただろうけど、 海軍陸軍ともに見栄の張り合いがすさまじいことになって 陸軍「俺たちは中国にも勝てるもんね」 海軍「俺たちはアメリカでも勝てるもんね」 と言い合った挙句に収拾つかなくなったと言うか。
99 :
名無し三等兵 :2009/08/21(金) 13:03:52 ID:???
陸軍はソ連だろう。
ワシントン軍縮条約を機に対米仮想敵をやめて、台湾以北オホーツク海までの西太平洋海上交通確保に専念して外交は対米協調で、と思ったが海軍は外交に口出せん。 別に仏伊みたいに条約枠使いきる必要はないが、せめて老朽艦の代艦建造位はしないとポスト減るしなあ。 それに突出してる内南洋保護が厄介だ。 護衛用小艦艇だけ揃えても抑止力にならんし、当時は戦艦の数が外交上の発言力になったりするから。 せめて米英アジア艦隊と拮抗する位の艦隊は確保したい。 大陸利権は一次大戦後現状維持でいいと思うが、重工業も貧弱で軽工業は中国がライバルになる。 貿易で国際競争力低いのに恐慌をどう乗り切るか…ってスレ違いだわな。
そうか? 面白い意見だと思って読ませてもらったけど
まあ要するに日本には全てを仕切る大統領権限も、軍事力と経済財政外交を調整する機関もないから、それぞれの政策にまとまりがないのが致命的だ。 政府が国策決めて、他はその通りにってのが理想だが。 今の自民と民主みたいに、議会で揚げ足取りして首相が変わると国策も変わるんじゃ、軍人には理解できなかったんだろう。 首相変わる度に国防方針変更とか、軍縮と軍拡を繰り返すとかじゃまともな軍備できないし。
なら日ソ不可侵条約は極東のみ適用なので ドイツに援兵を送るw
>>102 そうそう、ホンの数年間隔で選挙が来るような役職がトップだし。
イギリスはその点どうなのかね。日本の元首よかリーダーシップが持てるんだろうか。
>>104 大戦時だと、国防省として三軍の軍政を一本化。
チャーチルが陸軍大臣兼任。
ドイツなどを調査してきた山下奉文らも、国防省として軍政を一本化することを具申したが取り上げられず。
日本では大臣も軍人がなっていたから文民統制はほぼ無きに等しい。
首相も同輩中の代表程度にすぎなかったし。
首相が議長程度の権限しかなく、内閣全員一致でないと総辞職する時代。 でも陸海軍が完全に同調すると、逆に対抗できる勢力がいなくなって暴走しても止められない。 226や終戦時みたいに海軍を陸軍の抑止力にできない。 軍事技術や予算調整に平時から軍需省的な役職で調整したり、連絡将校置いて作戦面の調整もある程度は可能だろうけど。 一応日清戦争とかでは、兵部省とか統合参謀本部的なものはあったけど。 無理に組織を統合しなくても、国防方針作成時や戦時限定で、会議や委員会レベルでの調整機関設置は可能だっただろう。 下手に空軍統合とかすると、英独みたいに空母搭載機開発が後回しになって悲惨な状態にもなりかねん。 史実の問題点を解決しようとしても、新たな弊害が発生する可能性は常にあるし、問題点を解決するはずが全く解決にならない事もある。 何が正解だったかは難しい。 大陸進出も日清戦争がなければ、賠償金使って史実ほど近代化や軍拡が急速でなかったろうし、不平等条約改正も遅れただろう。 ただしシベリア出兵以降はどれも失敗だな。
>>80 能登沖で潜水艦を一隻沈めて喜んでるアフォw
馬鹿の考え休むに似たり。日本軍人が総じて無能で無責任だからこうなったんだろ。 当人達も真剣に検討せず戦争した、とか平気で言い残しているじゃん。 どう転んでも最後は日本破滅だっただろうさ。 史実以外を妄想するのはほぼ無意味なイフだろうがな。
>94 機数も、向こうは四発重爆をどんどん作っているのに 日本は単発単座機ばっかりだよね?
攻めるんだから爆撃機を増やすのは当然だろ?
ああ、やっぱり400時間の証言スレからの出張組だったか。 機数についてはその通り。 特に1944年は日本は単発戦闘機に力を入れ、アメリカは四発重爆に力を入れた。 機数でなくエンジン生産数なら4倍じゃ済まないな。
>>110 機数の差以上に実際の差が大きかったと指摘しているだけだよ。
よく言われる話だが、B-17、B-24、B-29の四発爆撃機三機種の
生産数の方が、日本の単発単座戦闘機全部の合計生産数より
ずっと多い、というのが国力の差をあらわしている。
改めて 航空機生産数 39年/40年/41年/42年/43年/44年 42年/43年/44年 アメリカ 5856/12804/26277/47836/85898/96318 日本 4467/4798/5088/8861/16693/28180 ソ連 10382/10565/15735/25436/34900/40300 ドイツ 8295/10247/11776/15409/24807/39807 イギリス 7940/15049/20094/23672/26263/26461 ポール・ケネディ「大国の興亡」 バランス型軍備のアメリカに対して、日本は明らかに航空偏重だから、戦車やトラックの日米格差はひどい。 日米GNP比は1940年で10倍、1944年で18倍だから国力的にはこの程度の差はある。
藤原銀次郎(軍需相等歴任)曰く、各航空会社社長などと話し合って調査したら、 陸海軍の軍人が非効率な対立やめるなど見直しすれば年産四万機はいけた。 日本、特に軍人の自業自得だなこれも。
アメリカが8万機の航空機を4発まで含めて作っていた時に 一緒に月産で空母を、さらに原爆までやってたわけだからなあ。 リソースの配分に余裕ありすぎ。
アメリカは第一次大戦の戦訓から民需を軍需で利用する方法を研究してたからな。 シャーマンが民間自動車工場で作ってさえいた、とか。 たいして日本は英米と戦う前にまず日本軍人と闘わなきゃならない、と現場の人間が監督名目でやってきた軍人の無知と横暴に泣くレベル。
そりゃまあ平時から民生に対してリソースは潤沢に配分してたから。 日本みたいにちょっと余裕ができればすぐに軍艦建造軍備拡張なんてやって、 民間商船建造の助成もまともにしない、都市開発もまともにやらないなんて ことやってたら、そりゃ戦時になってもリソースがあるはずない。
軍事偏重を選んだのは日本自身。これも自業自得。
>>118 商船は助成をかなりやっていたんじゃなかったっけ?
旧式船を廃船にして新造すれば補助金を出してたはずで、
開戦時の日本の商船隊って実は米英と比べても優秀船が揃ってた。
>>120 具体的に何の数字を持ってそろってた、と主張するんだ?
相手が悪すぎた、これに尽きる ムドーがデスタムーア倒そうとがんばっちゃったようなもの
○相対的に見ると日本は世界第3位の船腹保有国であったが、38年時の
日本に入ってきた総船舶18490隻6200万トン中、日本船は
11456隻3700万トンで、割合にして62%。
他は全て傭船か外国船であった。
載貨量にすると輸出で約3割強、輸入においては約4割弱を外国船に依存していた。
また船腹の内訳を見ると速度12ノット以上の船は全体の10.6%で、
英国の41.1%と比べると優良船が少ないことが分かる。
船齢10年未満の船は13.3%で、これも英国の43%に比べると
劣っていた。
また日本には2万トン以上の船は1隻もなく、37年度以降4ヵ年で
貨物船15万・旅客船15万の高速船舶計30万トンの建造を助成する
計画と、38年度以降4ヵ年計画で2.7万トン級大型優秀船2隻の
建造助成が行われていたのみであった。
これも英国の保有数37隻と比べると大きく劣っている。
快速船もまた少なく、日米開戦前の統計では16〜21ノットの船は
英国128隻、米国75隻に対し日本は45隻、21ノット以上になると
英国8隻・米国12隻に対し日本はゼロであった。
ttp://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/6597/eco-pwar.html
現実は非情である……。 地味にイギリスのほうが船に限って言えば米国優越してたんだなこの頃はまだ。
>>120 船舶改善施設な。
あれは旧型の船2トンをスクラップにしたらそのぶん新造船1トン分の
建設費を助成するという内容。
つまり質は向上するがトン数は減るように細工されている。
それでそれ以外の新造船支援はほとんどされてない。また実際に新造船
助成を本格的に始めようとはしたんだが、そうした時にはもう日本の造船所は
拡張されていなくて既に満杯、船員もみんな軍需にとられていて船を新造
したくても船員がいない、そのうち鋼鉄なども不足するようになって悲惨なことに。
旧軍への幻想に浸りたいのなら極東板とかへいったほうが……w
流れが早くなった。
>>115 それは見方が一面的
軍需省を設置、航空機増産が戦局の急務として、藤原銀次郎行政査察使と随員を派遣。
昭和18年9/22から17日間、名古屋の三菱や東京の中島等の現場を査察。
その報告書によると
労働者の昼夜交代制の全面採用
その為通勤労働者用の宿舎を設置すべし
流れ作業の徹底
鍛造鋳造への移行により、原料資材の徹底節約と屑品の回収
企業系列の整備と協力部品工場の育成強化
大工場である組立工場の拡大と同比率で、下請部品工場も拡大
戦局に影響しない軽工業工場設備の転用
等とともに
発注の一元化・規格統一・機種統合による生産効率化を挙げている。
>>127 マクロ経営学から見た太平洋戦争 よんでみ。
今はネットでちらっと読みできるありがたい時代だし。
藤原氏本人が陸海軍の対立っぷりを理由の一つにあげているぜ。
そもそも当時、民需含む国家レベルの生産問題について専門知識もった軍人なんていたんだろうか。
以上の施策実現で、現状の生産数の5倍の5万3000機生産可能としている。 しかしこれはあくまで100%効率化した場合の潜在能力であって、能力があるのと実現可能かは別問題。 実際はアルミ生産量で資材が制限されるし、部品工場から組立工場への部品輸送、電力供給等が順調で、労働者も昼夜休まず作業しないといけない。 ボーキサイトの輸入が順調で、その為充分な船舶があって他産業完全に犠牲にして、1機種限定生産なら可能かもしれないけど。 充分な船舶確保には作戦縮小して、軍の徴用船舶を減らし、鉄鉱石輸入と製鉄所のフル稼働が必要。
生産性改善に成功した例として、豊川海軍工廠での25o機銃生産が挙げられる。 昭和16年での生産数515挺に対して、19年は20475挺、ピーク時の月産は2700挺。 25o機銃の総生産数33000挺の殆んどが19年に生産されている。 この成果は日本能率協会他関係者の努力の賜物で、現場技術者の意見を取り入れつつも彼等の独善を矯正。 製造工程を分析し、材料の選定や工作法の検討(鋳造にできる部分は鋳造にして機械加工を減らす)、専用工作機械の多用により戦前の40倍の生産数を得る事ができた。
軍需相もしばらくは軍人(東条)が兼ねててたんだよな。その間なにやってた。 縄張り争い繰り返す軍人に辟易して「この仕事引き受けたの人生最大の失敗」と嘆きながらここまでやった後任偉いな。
「外国の新規種のデータを入手した時は、陸海軍は常に研究の 先陣争いをし、業者は陸海軍の研究終了後にモデルと材料を渡され研究に 着手したため非常に手遅れとなった。 さらに陸海軍いずれにも外国航空機のデータを業者に下付する時には、 ただ一つの制作所を選び、データを与え、その内容なり目的なりは 他社には絶対秘密とされていた。従って陸海軍ともに同一の外国航空機について 内密の調査、改良、試作を別々の会社に命ずるという奇妙な事態が多かった。 また一会社内で陸海軍双方の仕事を行う場合すら陸軍作業場、海軍 作業場と区別されていた」
>>129 それがジョン・アダムスの言う「神の見えざる手」というものでね。
しかし軍人は民需が神の見えざる手によって発展することよりも、
全ての国家リソースを軍需に動員することに熱中していたようで。
今、その話題で「400時間の証言」スレが涌いてる。 あんな暗黒財政で戦争突入したことに気分がめいる
仮に日本軍が善戦したとしても、それは要するに日本軍が招いたいらん戦争の後始末を……という話になるしな。救いようが無い。
> 発注の一元化・規格統一・機種統合による生産効率化を挙げている。 これがなされなかった元凶の一つが、陸海軍対立じゃないのかな。
>>132 >それまで何してた?
従来の企画院と商工省を統合して、軍需省を設置したのが18年11月。
1937年設置の企画院にも国家総動員関連の総務部や、生産力拡充調査の調査部がある。
科学動員の為の科学部等もあった。
軍需省ではこれに加え、商工省の機械局、鉄鋼局、化学局、燃料局、電力局を引継ぎ。
軍需省設置の目的は軍需生産管理運営の統合、特に航空戦力の増強にあり、目玉は航空兵器総局と企業整備本部だな。
航空兵器総局長官は陸軍航空本部総務部長の遠藤三郎。
総務局長に海軍航空本部総務部長の大西瀧治郎を据えて、航空機生産の発注・生産の一元化、規格統一・機種統合を狙った。
藤原銀次郎が軍需大臣になるのは小磯内閣から。
>>138 戦争長年やってたのに、できたのが昭和18年って……
今の海運会社や船員は海上自衛隊や政府に 「どうせ商船護ってくれないだろう」と冷ややかな目なんですか? 戦争中沈められた船って民間保有ですが。当時の政府って 船員へのや船舶の損害に保障などはしたのでしょうか?
>>125 >>25 に示した通り、老朽船舶更新の船舶改善助成施設は、1932年から三次にわたって実施。
助成分が廃棄分の半分というだけで、
>質は向上するがトン数は減るように細工
という理屈にはならない。
大型高速商船建造も1937年に優秀船舶助成施設で、戦時に徴用する条件で建造費の6割を補助。
>船員もみんな軍需にとられていて
これもわからん。
開戦時配分は
陸軍徴用
519隻/216万トン
海軍徴用
482隻/174万トン
民需用
1528隻/244万トン
で毎年船員育成も、戦時には順次造船設備も拡充してる。
海運や造船の統制は
>>18 に示した通り。
軍需省設置と同時に海運総局が設置されている。
飛行機より造船の統制のが早く、14年に平時標準船、17年から戦時標準船計画がある。
>>140 前半部分は直接当事者に聞いてくれ。
後半部分は海上保険とか損害保険の話?
船員保険法は昭和14年からあるけど。
戦後の補償なら、船員や遺族は軍属扱いで恩給受けてるけど。
障害が残れば障害者年金つくし、死亡時は弔慰金が出る。
>「どうせ商船護ってくれないだろう」と冷ややかな目なんですか? それ以前に全員が日本人の船員でその上日本国籍の外航船は絶滅危惧種 自衛隊や日本政府を信用する云々以前に 外国人が日本の為に体張って船を動かすなんて有り得ない状況
>>139 航空機増産が急務になるのは、ガダルカナル攻防での航空消耗戦が原因だから。
それ以前は弊害が表面化するほど、増産が急務ではなかったからでしょ。
まぁ航空機だけ急に増産しても、搭乗員育成や燃料供給が追い付かないんだけど。
搭乗員育成は2年はかかるから、間に合わせるには2年前から航空消耗を予測せにゃならん。
>>145 ミッドウェーの時点で、当時の艦載機月産数(1942年6月で66機)の三倍の打撃受けてるのに?
>>146 南方作戦で陸軍航空隊は588機を損耗したが、549機補充できている。
ミッドウェーでは空母の数も減ったので、むしろ海戦前より定数充足率は上昇してる。
開戦直前は翔鶴瑞鶴の就役で、主に軽空母の搭載機を融通して工面した。
開戦後も祥鳳・隼鷹の就役で、赤城等の定数を減らして搭載機を工面している。
それが海戦後の第3艦隊では、軽空母含めて逆に定数通り充足できている。
この時期の消耗は、まだ従来のやり方でも補充できたのだろう。
軍は発注だけして、増産努力は航空会社に任せていた訳だが、18年頃からそうした従来のやり方が限界にきていたのではないか?
それ以上の増産努力をするには、統制して弊害を除去する必要があると認識されて行政査察や軍需省設置になったんだと思う。
まぁ開戦前まで陸海軍とも、航空機が戦争の主役になるとは認識されてなかったんだし。
>>147 ……南方作戦の時点で既にマイナスで、
空母沈んでどマイナスになったのに定数率で満足して危機感もたなかったの?
だったら本当にひどかったんだな。
従来のやり方で増産が限界になったのは、18年頃から船舶の損害が増えて原料や資材の入手が困難になってきたからだと思う。 その影響はニッケルとかの希少金属不足で、代用資材使ったら製品の質が低下とか、電力やら何やらの不足にも影響する。 だから従来より限られた条件で、より効率よく増産する手段を模索したんだと思う。
>>143 数字に印象操作が加えられていたり、比較が不公平だったりと
旧軍批判ありきの著者だからそこらへんは気をつけて読む必要がある本なんだが。
読んでいてもあんまり内容も感じられなかった気もするしね。 なんか統計グラフだけで説明できるような内容のものを延々と 字面で説明されてるだけという気も。
>>144 >外国人が日本の為に体張って船を動かすなんて有り得ない状況
外国軍は集団的自衛権を行使する軍隊だから、命令があれば
他国の商船でも守るよ。イラクでも他国軍が自衛隊への
補給トラックを守ってるし。
今回のソマリア派遣は、日本としては驚いたことに、日本籍でない
船でも積み荷が日本にとって重要ならば護衛できると、かなりの
拡大処置をとっていて評価できる。
|\_/ ̄ ̄\_/| \_| |_/ (^ ▼ .〈▼ リ .しi r、_) | | `ニニ' / <ageはオレが育てた ノ `ー―i´ <^(_●Y●_> /)) < < 〉】爻【ヽヽ,/ (( . . (_ノl^~▼〕 じ )). / /|´ | ((.. イ / | l )) し! ヾ_) ν
アダム・スミスのinvisible handがいつのまにかジョン・アダムスの「神の見えざる手」に変わったんだね
>>152 同盟国や共同作戦中の軍人の話じゃなくて
雇われて船を動かしてる船員の話なんだが。
さらに言えば >外国軍は集団的自衛権を行使する軍隊だから、命令があれば >他国の商船でも守るよ。 さらに言えばそんな理屈が通るなら、自衛隊の派遣なんていらない 他国が派遣した船におまえら日本の船も守れよと言って日本は何もしなくてよい それじゃあ幾等なんでも不味いだろw
>>150 >>151 本当に読んだのか?
多分同一人物のレスだと思うが、短い感想だけで矛盾ってw
主眼は藤原氏の回想なんだから、信用できないというのなら別の本でもいいじゃん。
>>157 いや森本氏の本の方を言ってると思うぞ。
自分も読んだが、確かに統計資料を読み上げてページを稼いでいる内容で早々にギブアップした。
じゃあ戦略爆撃調査団が調査した当時の生産関係の証言とか(日本戦争経済の崩壊)は? あっちもその藤原氏の証言はじめ、なかなか強烈な内容。 軍需省できても陸海軍が対立して権限渡してくれないんで、計画管理の一本化さえできず自体は常に煩雑化。 資材分配なんぞは声のでかい奴が勝つつかみ合いで決まった、なんて書かれているほど。
160 :
158 :2009/08/23(日) 18:29:28 ID:???
>>159 まあまあ落ち着けって。
俺はこのスレでは158が最初のレスだし、駄目だといってるのは森本氏の本の書き方だ。
藤原銀次郎の証言についてはお前さんが挙げたソースのとおりで、戦後の証言なので多少の色はあるにせよ、
大筋では正しいと思っているからな。
最近脱線気味なので軌道修正しておこう。 日本の造船は戦後の昭和31年に商船建造では世界一となった。 開戦時の保有船舶は600万トンで、それは18年10月に500万、19年2月に400万、同9月に300万、20年1月に200万、終戦時には138万トンになって日本商船隊は壊滅した。 開戦時に民間造船能力の30%が艦艇建造に充てられ、商船建造能力の限界は50万総トン(17年度の実績40万総トン)。 当時の日本は石油を除いても年間6000万トンの物資が必要で、それの輸送に300万トンの船舶を必要とした。 造船能力拡充の為に17年11月には、量産に向いた第2次戦時標準船を計画。 終戦までに1000トン以上の船舶を建造可能な船台は149基(海軍工廠除く)に増え、うち53基を艦艇建造に、残り96基を第二次戦標船の建造に充てれば年間造船量は250万総トンになると試算された。
18年度の造船目標は75万トンから120万トンに引き上げられた。 内訳は戦前からの続行船21万トン、第1次戦標船63万トン、第2次39万トンである。 これは造船能力の限界(180万トン)よりも資材供給の限界が影響している。 対するアメリカは開戦時に2000トン以上の造船が可能な造船所が、海軍工廠8ヶ所、民間24ヶ所。 戦時中にそれは99ヶ所に増え、戦争期間中に建造された民間船舶5600万トンのうち、4160万トンは新造船所での建造だった。
だからコピペなら引用元を明示しろと……
日本の造船状況についての出典は、 小野塚一郎「戦時造船史」 アメリカのは 総力戦資料室てHPからだ。 携帯だからURLは貼れない。
ついでだから 戦艦/空母/巡洋艦/駆逐艦/海防艦/飛行機(海軍機のみ) 開戦時保有数 10/10/41/111/64/4/1200 開戦後竣工数 2/15/6/63/126/168/30259 表から開戦後は航空機と空母、小艦艇建造が優先されてるのがわかると思う。 甲型海防艦(占守型から鵜来型まで)や呂35型(中型)等後期の潜水艦に搭載した22号ディーゼル。 従来のディーゼル機関より量産に適しているとはいえ、ピーク時でも月産10基。 実際にこの機関を搭載して戦時中に完成したのは、甲型海防艦51隻と潜水艦31隻のみ。
平均で言えば月産6基程度のペースだ。 飛行機同様、造船も機関製造能力が量産の隘路(潜水艦の場合は潜望鏡と電動機もネック)。 実際には更なる増産が必要だったので、海防艦は速力低下を偲んで駆潜艇用の23号乙8型ディーゼルや、戦時標準船用の甲25型タービンを使用。 潜水艦は船体も小型にして呂100型に24号ディーゼルを積んだ。 よく大型で複雑な伊号潜よりも中型の呂号を通商破壊用に量産、という主張を見るが機関を独占した場合でも、最大で年間60隻以下の生産しかできない。 そして太平洋での行動を想定するなら、ガトー級程度の規模が必要になる。 通商破壊用潜水艦としてドイツから譲渡された\C型を参考に、日本でも戊型(伊200型)の一本化建造を計画したがこれは実現せずに、水中高速型(伊201型)計画にシフトした。 戊型の性能は排水量1250トン、速力19.5ノット、航続力は16ノットで1万6000浬、12ノットで2万浬であった。 ※これコピペじゃないから出典なしね。 いろんなとこ参考にして書いた文章だから。
>>166 中型潜水艦を最大で60隻量産できるというのを訂正。
機関の平均月産6基から計算して、潜水艦1隻に2基ずつ積むから年間36隻程度だな。
それでもその22号ディーゼル搭載を予定していた戊型は、92隻の建造を予定していたらしいが。
そんなに建造できるんだろうか。
よく米軍並みの物量はない、というが。 じゃあそれは日本軍の手持ちでできる範囲ですらケチったり軽視したり陸海軍対立でやらなかったりしたことへの弁護になるんだろうか……。
>>168 ケチるってか、飛行機も造船も19年のペースで生産力拡大したら、戦後その反動で戦争に勝っても負けても破産するから。
あれはもう戦後を考慮せずに、なりふり構わず増産に専念したからできた事。
ミッドウェー位の時期だと企業も、戦争終わったら一気に受注が減るから、下手に設備投資すると不良債権回収できずに倒産しかねないと慎重だった。
それは一次大戦後の造船不況見てもわかるだろう。
造船会社は日露戦後にも不況を経験し、従業員を半減して政府の保護政策受けて何とか不況を乗りきった。
一次大戦後は海軍工廠でやるべき建造や修理まで、民間に融通して発注し保護に努力している。
助成施設で補助金出したのも不況対策。
本当は東京オリンピックで好景気になるはずだったんだが。
>>169 もう対米開戦前にGNPが縮小に入っているから、その意味じゃ手遅れなんだけどなw
昭和16年度の時点で80億円以上の公債(ぶっちゃけ借金)発行しているからな。 ざっと歳入の五割以上という。 経済云々いうのなら、対中戦だけでもう限界。 当時の財務関係者はよく誤魔化したもんだよ。 敗戦後の清算ですごいことになったけど……。
頭痛いな。国力限界振り絞ってもまず勝てない相手に戦争しつつ、戦後の反動不況恐いじゃあ。 まぁ現実にはフルボッコ敗戦の挙句借金てんこもりという最悪の結末なわけだが。
造船見積もり 開戦第一年度:45万総トン 第二年度:60万総トン 第三年度:80万総トン 開戦前の計画じゃあ、順次拡充していくはずだったんだがなぁ。 例によって対米戦強硬派が建てた甘い見積もりだったわけか。
いや、日本軍が航空兵力の増産に傾注する戦時航空兵力造成計画を立ち上げるのミッドウェーでの打撃に衝撃を受けてのこと。 流石にあの大敗から何も感じなかったわけじゃない。
>>171 英仏は言うに及ばず、アメリカも一次・二次大戦とも公債と増税はすごい事なってる。
一次大戦の戦費が300億ドル、二次大戦が3000億ドルだから。
一次大戦で財政収入に対して232億ドルの赤字になり、個人所得税を戦前の7%から77%へ。
二次大戦の軍事予算は財政支出の9割を占めてるし、意外とアメリカも苦労したんじゃなかろうか。
レンドリースもソ連は踏み倒すし、イギリスは最近やっと60年かけて払い終えた。
つくづく戦争って救いようがないな しかも仕掛けられたのならともかく、仕掛けた側だからな日本
ttp://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08a03u.html#05732 【質問】
ソ連のレンドリースの代金はどうなったのでしょうか? まさか踏み倒したのでしょうか?
【回答】
第二次大戦終結後すぐ米ソは冷戦に突入した為,レンドリース代は長い間未払いのままだったのですが,
米ソの関係修復が行われた72年にレンドリース代支払いについての交渉が始められ,1990年の6月に返済に
ついて合意したそうです.丁度,ゴルバチョフ書記長のグラスノスチの頃ですね.
ただし,ソ連側は代金を「この兵器は役に立たなかった.M3中戦車とか(笑)」とかゴネまくって,かなり値切り,
支払ったのは米側が提示した金額の半分以下です.因みに今でも払っています.
>>168 ,172,176
スレを無駄に消費するだけだから、いちいち個人的感想を書き込まなくていいから。
>>173 実績は戦争一年度40万総トン、二年度118万総トンとほぼ達成してるが?
戦時中350万総トンの造船してるんだし。
日本の場合、じゃあ採算度外視で生産しようとしても。それを可能にする施設と原料におのずから限界が…… 資源は支配地から運ぶしかないものがホトンド。 だから多くの場合、海上護衛の問題に敗因が帰結するわけだな。
>>178 それは軍艦含んで、じゃないの。
>>173 は造船見積もり、とあるからそれ以外でしょ。
その場合、たとえば昭和17年度分は142隻40万トン。
しかも以後は数字上のトン数はともかく、性能が落ちる戦時標準船に切り替わっていくから質的低下という側面も見逃せない。
こんなに苦しいのに、当の参謀本部や軍令部はカネだよカネ、と危機煽って予算もらえて大喜びという状況だからな。しかも当時の公債の多くは強制的に国民に買わせたものだし・・・
たいしてアメリカさんはリバティー船約1944万総トンを建造(太平洋のみに振り向けられたわけじゃないが)。 この格差は笑うしかないな。
輸送できる船が沈む→資材が減って補充生産できない→さらに劣勢になり輸送船が沈められる→戻る の悪循環 いきつく先は筏輸送やら袋に石油詰めて船に引かせて運ぼうっていうトンデモ案とか
そもそも資源足りないからってことで戦争はじめたんだろ? じゃあその資源を運んで有効活用する方法はほとんど度外視ってなんだったんだろうな。 昨今のゲーム厨じゃあるまいし、資源地帯とったら自然に収入になると思ってたんだろうか。
船舶がそもそも不足していた
>>185 足らないのは船舶に限らんでしょ。
インフラも工業施設も、そもそも国民の工学的素養すら足りてなかった。
その足りないものを満たすための船舶が足りない
まあ予算も足りないし人員も足りないしで船舶を増やせなかったんだけどな。
前にアメリカの護衛駆逐艦が短期間で日本潜水艦まとめて撃沈したって話があったけど。 逆に日本側でもっともアメリカの潜水艦を沈めた艦艇ってどれかわかる?
アメリカ海軍の潜水艦の損害は41隻とガトー級を180隻建造と考えると 小さい数字と片付けていますが、意外と多いかもしれない。
>>189 日米ともに単艦で複数隻の潜水艦を撃沈した艦はなかったと思うけど。
日本海軍が撃沈した潜水艦48隻
「Albacore」「Amberjack」「Argonaut」「Barbel」「Bonefish」「Bullhead」「Capelin」「Cisco」「Corvina」「Escolar」「Flier」「Golet」「Grampus」「Grayback」「Grayling」「Grenadier」「Growler」「Grunion」「Gudgeon」「Harder」「Herring」
「K VII」「K XVI」「K XVII」「K XVIII」「Kete」「Lagarto」「O 16」「O 20」「Perch」「Pickerel」「Pompano」「Porpoise」「Robalo」「S-44」
「Scamp」「Sculpin」「Sealion」「Shakespeare」「Shark(I)」「Shark(II)」「Snook」「Stratagem」「Terrapin」「Trigger」「Triton」「Trout」「Wahoo」
喪失原因は自分で調べてくれ。
撃沈じゃないけど、 特設哨戒艇第五恵比寿丸(131トン)。 17年5月10日には浮上してきた米潜水艦「シルバーサイズ」と7.7mm機銃+38式歩兵銃で応戦。米潜は一人戦死、艦橋損傷。 18年4月30日には今度も浮上してきた米潜「スコーピオン」を相手にまた7.7mm機銃で応戦、米士官1人戦死、3人負傷。 なんてのもある。 ついでだから日本の通商破壊戦果 商船約1000隻250万総トン、うち日本海軍潜水艦の戦果約180隻90万総トン。 捕獲、接収約360隻70万総トン(1000総トン以上の捕獲商船は200隻程度) Japanese Submarines accounted for about 184 Merchant Ships with a tonnage of 907,000 tons. This included 98 US Ships of 520,000 tons..
>>191 アメリカの護衛駆逐艦イングランドが1944年5月19日から13日間で日本の潜水艦6隻を撃沈
>>191 その損害って機雷に触れたと想定されるものも含めての損害だよね?
>>193 海軍作戦年誌調べてみたら確かに伊16がソロモン、呂104、呂105、呂106、呂108、呂116がアドミラルティ北方で撃沈されてるな。
>>195 個艦の喪失原因まで調べてない。
確かハーダー、スキャンプ、トロンプ、ボーンフィッシュあたりは海防艦の戦果。
多分艦艇より飛行機による戦果のが多く、前にも書いたけど、喪失原因は不明とされる艦が多い。
通信が途絶えて亡失認定扱い。
日本では現場の戦果報告と米軍報告の数の違いから、ソ連潜が密かに参戦していて、それを撃沈した報告もあるんじゃないかとの説もある。
太平洋から大西洋戦線に移動しようとしたソ連潜水艦の行方不明は日本軍の誤攻撃によるかもって説あるな。
>>180 いや軍艦・艦艇は含まない。
18年度造船計画の内訳は、
戦前からの続行船67隻20.9万トン
第1次戦標船174隻62.6万トン
第2次戦標船285隻38.9万トン(うち2E型250隻21.7万トン)
被曳航油槽船39隻2.5万トン
計565隻124.9万総トン
第1次戦標船は平時標準船と殆んどかわらないから、質も高い。
第2次戦標船は機関製造能力が船体建造に追い付かなくて低速で、資材節約に鋼板薄くしたり二重底廃止したりしたけど。
3次以降は造機能力も向上して平時並の速力に回復。
でも戦標船でも戦後も使われたり、焼玉エンジンで乱造されたE型以外はそんなに悪くもないんじゃないか。
>>198 うち建造できたのは76万トンにすぎないけどな。
たいして喪失は179万トンに達する。
見積もりの三倍から五倍に達する損失見積もりよりはまだマシだが、建造計画もアレだったな……。
損失量が凄まじすぎる。年度によっては質はともかくトン数的に目的を凌駕したときもあるが、失う船がその数倍だから手がつけられん。
>>199 いや年じゃなくて年度計画だから。
18年4月から19年3月までの計画で、実際の造船実績は118万総トンだった。
元々供給資材が120万トン分だったから、これが上限になった。
計画自体当初は75万トンだったのを120万トンに引き上げてる。
18年度の民間造船所造船能力の限界が180万トン。
開戦前は民間造船所の30%を艦艇建造に充てて、商船建造は50万トン程度が限界だったので、18年度の造船能力は3倍以上になってる。
沈められるために造ってたようなもんだなこりゃ 当然撃沈船には人が乗ってるから、軍人より高い船員戦死率も当然か
造船できても、実働できないと意味ないしね。資源、石油の輸送量は落ちる一方。 最後には戦闘艦まで輸送船がわりとか。
何やら必死に印象操作しようとしてるのがいるみたいだが、何なんだろうか。
元々劣位なんだよ、船舶の質が。 開戦時に日本全体で634万トンの船腹があったが、 うちタンカーは一割に満たない。 その一割をさらに作戦のための海軍徴用と分け合い、資源輸送に実働できたのはせいぜい20万トン前後。 アメリカ軍はそれを狙い撃ち。
輸送船舶の可動率ってどんなもんだったの? 過去スレ探ると、 タンカーは1945年(昭和20年)8月には25万トン(うち稼動6.3万トン)に減少 みたいなレスはあったんだが。おおむね過半いかなかった?
「 同様に、奇妙で、ほとんど愚かしかったといえることは、島国の日本が自身のライフラインである商船隊を守ることを怠っていたということである。このことは、日本の戦争指導者たちが、 防衛的な戦争という事実に直面することを拒否したと推測する以外は説明のしようがない。 その証拠に、1942年〜43年の間、日本海軍は空母20隻の建造を決定したが、それらは防衛戦略に役立つものではない。そして「大和」級戦艦の船体を利用して、スーパー空母「信濃」に改造した。 この同じ資材から、彼らは駆逐艦と小型の護衛艦を数百隻建造できたはずだ。1943年末にいたるまで、護衛艦隊は編成されず、十分な量に達するにはいたらなかった。 日本が終戦を迎えたとき、その対潜装備は開戦時と同じだった。非常に正確に作動する爆雷も、航空機搭載用対潜爆弾もなかったのである。彼らは敵潜水艦に損傷を与える爆雷を、 どこに投下するかという主に数学的な方法を解決できなかった。日本は対潜攻撃法を手中にできず、そして米潜水艦を攻撃したときには、いつでも撃沈したとひとりよがりに考えていた。 彼らが多くの撃沈の機会に恵まれていたことは、われわれの航海記録が示しているが、勝利に結びつくことはなかった。」 (サミュエル・E・モリソン 『モリソンの太平洋海戦史』)
日本の戦中タンカー保有量が最高だったのは昭和19年1月で約87万3千トン。 が、この年日本に南方から送られた油は79万キロリットル。 前年の230万キロリットルと比べると半分以下。
生産できても輸送できず、か
そりゃ船ばかばか沈められて、その上陸海軍にも徴兵されるから船員の多くは三ヶ月程度の訓練しか受けてない促成少年船員が多くなる。これで稼動率上がったらそのほうが異常。
タンカーだって重油がないと動かないんだぜ? 必死に造船して帳簿上のトン数が増えたって、燃料が不足しているんだから動けなくなるのは当然のこと。
○日本は基礎資材として絶対必要な鉄鋼の生産量が少なく、43年の
生産量でも560万トン前後にとどまった。
そのため民需と軍需両方を同時に満たせるだけの供給が出来ず、艦艇を増強しようとすれば
商船建造を減らし、商船を建造するためには艦艇建造を減らさざるを得なかった。
37年の一般商船建造は44万トンで艦艇は6万、41年の数字を見ると
商船24万・艦艇23万と艦艇建造が増えた分商船が減っている。
しかし鉄鋼生産能力を拡大しようにも鉄鋼石や石炭を運ぶための輸送能力が
著しく不足しており(具体的には年産1千万トンの能力をめざそうとすると、
114万トンの輸送船新造が必要になる)結局それも画餅に帰せざるを得ないと
いう有様であった。
また、この鉄鋼生産量の貧弱さには、国の時代錯誤的な政策も関係していた。
ttp://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/6597/eco-pwar.html
>>206 別に輸送に支障のない最低限の質であれば、他国より船舶の質が高い必要はないと思うけど。
総船腹量の一割以上タンカーを保有してる国なんてあるか?
他にも輸送するものは色々あるのに。
>>32 にもあるように18年には、保有タンカー83万総トンの3/4が内地への石油還送に従事していた。
>>207 終戦時は空襲でやられて大破着底、修理もされず放置で稼働率低いのは当然だよ。
少なくともフィリピン戦が始まる前はそんなに稼働率は低くないとは思うが。
まあ港湾設備が貧弱で、港に着いても荷揚は段平船でバケツリレーで、荷揚が完了するまで1ヶ月かかったりとかするけど。
現代みたいなコンテナ船でもないし。
>>209 19年の石油内地還送量の低さは謎なんだよなあ。
フィリピン戦でシーレーン途絶してからはわかるんだけど、それでも少なすぎる。
戦時中のタンカー就航量(総トン)は
41年
12月57万5500
42年
6月57万9800
43年
1月67万0500・6月77万5400・11月83万4400
44年
1月78万1200・6月77万5400
45年
1月62万7100・3月56万2100・6月28万8000・8月24万7850
だから43年11月をピークに、タンカーの保有量自体はフィリピン陥落後も45年2月まで開戦時以上の量を維持してるのに。
23 :ゆうか ◆9a1boPv5wk :2009/05/08(金) 00:33:40 ID:za9Ei/WP >20 シーパワー91年12月号 真珠湾以前の各国海軍の軍備拡張計画(前編)より >1939年6月30日現在の世界のタンカー保有量の合計は1127万5千トンで、 >そのうち英国は435隻320万トンを、フランスは43隻29万4千トンを保有していた。 >(連合国の合計は350万3千トンであった。) >ドイツの商戦保有量は430万トン、イタリーは330万トンであった。 >しかしいずれもノルウェーの460万トンより少なかった。 >ギリシアは・・・(中略)・・・190万トンの商船隊を保有していた。 >オランダは合計290万トンで、フランスの戦前の保有量は300万トンであった。 >日本のタンカー保有量は僅か45隻、49万2千トンであった。 >枢軸国の中ではイタリーが最も多くのタンカーを保有しており、82隻(42万6千トン)であり、 >ドイツの32隻(24万9千トン)がこれに次いだ。 ま、こんなとこで。
マリアナ沖海戦のような海軍の作戦のために、タンカーを確保しておかなきゃいけないんで留めおいたとか…… ただでさえ当時は随伴可能タンカーがトラック空襲とかで枯渇して、あ号作戦自体を制約して考えないといけない状況だったらしいし。
>>214 に、
当時の日本の港湾は荷役能率が悪く、本来動くべきものが
半分は泊まっているという状態であり、また近海不定期船は1月のうち
半月〜20日は港に停泊している状態であった。
事実、38年3月29日の不定期貨物船配船状況を見ると全体で合計
756隻に対しドッグ入り・繋停等で輸送可能状態にない船が187隻もあった。
また船込の著しい例となると、39年大連に沖待30隻、滞船日数20日を
超えたものや、八幡に1月の滞船を見たというケースがあった。
とある。他にも老朽船がトン数からみて過半とか、不安材料にはことかかないな。
あらかじめこういう質的な面も考慮して見積もった可能性は……ないだろうなぁ。
>>207 20年3月からB29による機雷封鎖が始まって、主要港湾や瀬戸内海は封鎖されてる。
空襲だけでなく動けば機雷に引っ掛かる状態で、終戦後も暫くは掃海作業が大変。
おかげで戦後は世界有数の掃海隊を保有するようになった。
濃い内容のスレだな
>>211 昭和18年の海員養成所でも養成期間は1年だが、3ヶ月のソースは?
米英は戦没者は少ないが造船量が日本よりずっと多い。
それに充てる新規の船員も日本より大量に養成してるはずなので、それは稼働率が低くなる理由にはならないだろう。
少年だろうと大人と同じ船員教育受けてるんだから。
それと気になったのは、船員戦没率43%てのは徴兵で戦死した分も含むのか?
>>222 >>212 練成の実態については
ダンピールの海 戦時船員たちの記憶 土井全二郎著
をお勧めする。いかに当時の船員が軍から冷遇されていたかよくわかるよ。
船員から海保いったじいさまから苦力の死体ゴミ扱いされてたのよう聞いたわ
前にも出ていた、兵隊からもったいないから負傷しても薬つかうな、お前らは舐めて治す猫以下だとか言われたやつとかか。
少年船員は最初は教育なしでいきなり乗せていたという話じゃ なかったかな。確か「海なお深く」にあった。(今手元にないが。) 全く役に立たないどころか、撃沈されても逃げることすら出来 ずに千島の海に多数がのまれるという惨事を踏まえて、三ヶ月 の速成教育だけでも受けさせようということになったとか。 少年船員の速成教育に関しては、「撃沈された船員たちの記録」 (土井全二郎)にも記述があるね。 …(略) そこで17年、「戦時船員需給対策要綱」により、国民学校高等科 (二年制)卒業生を対象にした普通海員養成所がつくられている。 三ヵ月の速成教育であった。 …(後略) 同書には14歳で乗り組んでいた少年船員の方の回想も載っている。
陸海軍が持分奪い合う状況って、制度上は天皇が仲裁しないといけなかったんだけどね。 現実に近代戦を一人の人間が統御するなんて無理。 ってかモデルにしたプロイセン=ドイツ自体がもう第一次大戦で破綻し、最高司令部独裁といわれる状況になってたのに。
第一次大戦の時のプロイセンの首相の影の薄さは異常w
>222 少年船員は昔の見習い水夫のつもりだったろうから、ここでの 話とは少し意味合いが違うね。 ただ、 〉米英は戦没者は少ないが造船量が日本よりずっと多い。 〉それに充てる新規の船員も日本より大量に養成してるはずなので、それは稼働率が低くなる理由にはならないだろう。 これは違うんじゃない? たんに人数を増やすだけなら、ベテランを分散させておいて そのしたに新米を配置することができるし、新米もやがて中堅 に成長する。 損もうが大きすぎると質は低下するだけだからね。ベテランが 亡くなっていき、新米も新米のまま亡くなる状況ではどうにも ならんでしょう。
戦時日本油槽船保有トン数の推移
日本へ輸送中 陸軍徴用 海外徴用 日本沿岸用 就役可能合計
1941年12月 0万トン 1.3万トン 16.0万トン 33.7万トン 51トン
1942年12月 42.8万トン 1.3万トン 16.0万トン 2.0万トン 62トン
1943年12月 60.6万トン 1.3万トン 17.2万トン 2.0万トン 81トン
1944年 6月 62.7万トン 1.3万トン 11.0万トン 2.0万トン 77トン
12月 71.6万トン 1.3万トン 6.4万トン 2.0万トン 80トン
1945年 1月 70.0万トン 0.3万トン 6.0万トン 2.5万トン 78トン
6月 6.5万トン 0.3万トン 2.7万トン 12.6万トン 25トン
8月 3.5万トン 0.3万トン 2.5万トン 3.9万トン 10トン
ttp://www.luzinde.com/database/resources_transport.html
>>123 と214は森本忠夫ソースだな。
一部に彼らしい印象操作がある。
まず平時の海上輸送で傭船や外国籍は珍しくないし、現代日本だってそうだ。
>速度12ノット以上の船は10.6%で、英国41.1%
>船齢10年未満の船は13.3%で、英国43%
英国の造船実績が優秀で優良船が多いのは事実だが、何故日英だけでアメリカの優良船率を出さないのか。
>快速船16〜21ノットの船は英国128隻、米国75隻に対し日本は45隻
母数となる日米英の商船保有数が違うのに、保有率でなく隻数で比較するのは何故か。
だいたい速力18ノット以上の商船は経済性悪くて採算とれない。
21ノット以上の商船なんて、ブルーリボンを競っていた北大西洋航路の豪華客船以外に見られない。
日本は貨客船や貨物船が主力で、客船といえば移民船だ。
東京オリンピックで橿原丸型やNYKトリオ建造まで、太平洋航路でそんな豪華客船の需要はないし無理に建造しても赤字になる。
上術の橿原丸型やNYKトリオは、戦時に何れも隼鷹型や大鷹型として空母に転用。
その他大型高速優秀船はことごとく軍に徴用されて、病院船や特設潜水母艦になってどうせ資源輸送とは関係ない。
>>232 まて。なぜ事実を提示しているだけで印象操作になるんだ?
お前さんがそうやって日本はダメじゃない、という見地から見てるからそう歪んで見えるだけだろw
>>232 > 母数となる日米英の商船保有数が違うのに、保有率でなく隻数で比較するのは何故か。
そりゃ、輸送力に効くのは割合じゃなく絶対数だからだろ?
「戦時の輸送」という観点での評価なんだから、平時の理由がどうであれ
関係ないと思うけど。
どれだけもっともな理由があったとしても、理由が物を運んでくれるわけ
じゃないからね。
参考までに 各国商船進水量(千トン)の英/米/日比較は1913年に1932/276/65で、一次大戦になると造船が活発化。 戦後の1920年に2056/2476/457まで拡大。 その後世界恐慌で戦間期最低は1932年頃、133/11/42まで低下。 1937年に921/236/451まで回復。 一次大戦後の1922〜1938年までの造船量は日米が互角、英は日米の5倍程度。 次に各国保有船腹量(千トン)1913年/1922年/1939年 イギリス 18696/19296/17984 アメリカ 5429/17062/11874 日本 1500/3587/5680 保有量は日本が純増(30年代前半は300万トン台で停滞)傾向なのに対して、英米は1922年から変わらないか漸減傾向にある。 それでも進水量からして、イギリスは老朽船を積極的に売却・廃棄して質の改善には努力している。 対してアメリカは1921年に保有1700万トンになってから、暫く老朽船がだぶついていて、日米ともに1937年以降に造船量が拡大。
別に日本がダメじゃないとか、森本忠夫全否定とかでなく資料批判をして比較が公平でないと言ってる。 イギリスの造船実績が日本よりずっと優秀なのは事実だし。 各国豪華客船比較 クイーン・エリザベス(イギリス)83673総トン、全長313.5m、全幅36.1m、出力200000馬力、航海速力28.5ノット、最大速力32.0ノット ノルマンディ(フランス)83423総トン、全長313.8m、全幅35.9m、出力165000馬力、航海速力29.0ノット、最大速力32.2ノット ブレーメン(ドイツ)51656総トン、全長286.0m、全幅31.1m、出力135000馬力、航海速力27.0ノット、最大速力28.5ノット 橿原丸(日本未成)27700総トン、全長218.0m、全幅26.7m、出力56250馬力、航海速力24.0ノット、最大速力? でも背景の説明や保有量の違いにも触れずに、しかもこんな軍艦も真っ青な豪華客船持ち出して比較とか、意図的な日本批判が感じられる。
>>233-234 故意にパーセンテージと絶対数を使い分けて日本を貶めようとしている。
これを見ても印象操作とわからない人間にマトモな人間はいないよ。
森本を読んでないバカか左のバカが紛れ込んだか。
どこも貶めているようには見えないが。 保有量にしろ質にしろ日本が劣っていた事実を提示しているだけ。 だから史実の結果になった、ということでしかない。 それこそ印象操作で日本マシだった、と誘導して何か史実がかわるのか?w
>>219 >>231 のような、可動実数でも劣っているからな。
全体で負け質で負け、実働でも劣っていた史実があるだけ。
そもそも操作する必要性自体あんの? そんな話で。
大井篤は反日とかほざいてた酷使様が来てるのか?
単に森本某のアンチなだけだろ。 データ自体は否定して無い、見せ方が気に食わない程度だから大したもんじゃない。
やはり読んでもいない無知か。 客観的なデータの出し方も知らない素人には何を話しても無駄だな。
245 :
232 :2009/08/27(木) 03:42:18 ID:???
何か知らない間に喧嘩してるし。
断っとくが俺は232,235,236のレスだけね。
日本は一次大戦前後に保有量で米英と大差だったのが、1939年までにかなり健闘したとは思うよ。
1936年には国策として現状の商船400万トンを50%拡大して、600万トンの保有を目指したりとか。
1937年頃から重工業の好景気で生産拡大して熟練工や船員不足が深刻化してる。
よく開戦後に急に不足したかのような記述見るけど、実は日中戦争前から深刻だった。
見習い工や船員の急速養成もこの頃から急務で、対策してたら戦争で追い討ちと。
>>124 の鉄鋼については、1941年の屑鉄禁輸で屑鉄100万トンを代替するには、鉄鉱石200万トンと石炭250万トンが必要てのを指摘しておく。
ただでさえ船舶不足なのに傭船にも頼れず、自国船舶で賄わざるを得ないわ、余計に輸送の手間が増えるわで開戦前から鉄鋼生産も低下した。
通商破壊とか関係なしに輸送力はギリギリなのよ。
「はじめに」 「魔性の歴史」は他民族に対する侵略の歴史ではあったが、 他方、それがとりわけ「魔性」とされる所以は、あの暦命の日々の中で、 日本人が演じたどうしようもない無知、愚行、狂気、残忍、錯誤などが 自らの運命の選択をめぐってさえ、平然と行なわれたからである。 本書は、「教科書問題」とともに、今後も機会あるごとに論議されるはずの歴史の道程の、 戦後四十年にして見られる“新しい終着点”から分析した、かつての日本人の歴史的行為をめぐる、 国家経営学的観点ともいえる視点から見た恐るべき矛盾の再照射に他ならない。 どうみても結論ありきの本です。本当にありがとうございました。
それから他スレの話題持ち込まないでね。 日中戦争前からの造船含め熟練工不足、船舶不足の状態で軍に徴用もされつつ、輸送力向上に努力したのは褒めても良いんでない? 何も日本がやる事は全てダメで、批判しか許されない訳じゃないでしょ? それで輸送力向上には造船量拡大だけでなく、運航・荷揚能率向上が必要だった。 何せ港湾荷揚能力貧弱で、ドック入りや荷揚で365日のうち180日は滞船を余儀なくされるから効率悪い。 航海に出られるのは1年の半分だけ。 生産・輸送ノルマ達成の為に商船や工場側は稼航率重視。 しかし撃沈されたらたまらないから、海軍も航路指定や警戒隊を乗船させる。 潜水艦が出れば出港延期や途中避難、之字運動させたりするけど、輸送ノルマは低下。 そういや大井篤も輸送ノルマ重視派と対立してたな。
アンチ森本は結構だが、この場合データ自体に嘘が無い以上何をいってもねぇw オレの主観による「客観的データのありかた」を振りかざして他人を無知呼ばわりとか読んでないとか。 それこそ無意味な煽りありがとうございましたw
つうか戦前の日本の船舶保有状態のレスに散々噛み付いておいて、 (当然戦時体制に入って船舶が軍統制になってからの)改善に話飛ばして批判しか許されないわけじゃないだろ、と脳内完結とか。 何が言いたいのかわからない。 とりあえず日本の劣位を証明する事実提示自体が気に食わない人というのはわかるが、論点をあちこちに飛ばすので……。
細部に気が付く俺かこいいとか思ってるんだろ
護衛軽視して船員が減る→未訓練の少年船員投入、当然役に立たない→ようやく三ヶ月だけ訓練して投入 ……どうみても泥縄ですが。
>>251 船長や高等船員(航海士・機関士・通信士・事務等)と普通船員(甲板員等)の区別ついてないだろ。
軍隊で言えば士官・下士官・兵の違いみたいなもんだが。
普通船員が3ヶ月の速成なんであって、全員がそうではない。
兵士が3ヶ月の速成で戦場に出るのは珍しくないし、それで役に立たない訳でもない。
実際に戦前から普通船員は陸上3ヶ月、海上3ヶ月程度の教育期間で問題なかったが。
甲板掃除や石炭撒き等の雑用ばかりだし。
幹部教育も平時には必須の語学等、学科を短縮して実技に絞ればそんな何年も必要ないし。
>>253 論点がずれてる。
未訓練でぶち込んだ少年船員が、いくらなんでもそれじゃダメだと気づいて三ヶ月だけはやることにした流れ。
関係あるようでない兵士の話持ち出したり、本当に何がしたいの?
ダラダラやんないでたたき台作ってやれや長文妄想の奴
普通海員養成所でさえ、当初は一年の教育機関を取っていたのが三ヶ月、二ヶ月なのが実態だからな。そりゃ質も落ちる一方だわ。
戦時の船員は、当然ながら通常の船員業務のほかに軍事訓練も受けないといけないからな。 時には対潜用の聴音機のようなものについてまで。 高等船員なら、本来一年の教育+軍事訓練。 それが数ヶ月では……。
実業専門学校の商船学校が5年教育から戦時2年半教育へ短縮。 1年の教育というのは海員養成所本科(高等海員養成所?)。 普通海員養成所は短縮でなく元から3ヶ月程度の教育だろう。 「4月に小樽海員養成所に機関科第5期生として入学した。 ここで1年間の教育された私は、昭和18年3月に晴れて卒業する事ができた。 私の仕事は、火夫見習いという職名で1ヶ月の給料は50円。 でも他の火夫見習いより15円ほど高給だった。というのも海員養成所を卒業したからである。 飯運びと、気缶で石炭運びと缶替えという仕事を交代で行った。 その仕事の内容と言えば食事の用意、室内の掃除、便所や甲板の掃除など…」
普通海員養成所の例として 14歳にしてお国の為と、軍属として船舶運営会に志願。 19年4月10日やっとの思いで内海普通海員養成所に到着。 班ごと分かれて機関は投炭訓練、甲板はモールス信号・手旗信号の訓練。 ある日朝礼の後、耳の検査をされた。 この中から横須賀(対潜学校)に行く者を選んでいるらしい。何百人の中の第一段として20人が選ばれた。 横須賀に行く者は1週間の特別訓練(3日間の実習含む)を受ける。内海より人間らしい暮らしができる。 講習を受けたのは私達を含め、高浜官立海員養成所や各汽船会社からで60名位だった。 また内海に戻る日がきた。 再び結索(ロープ結び)とかモールス信号、手旗信号の練習の毎日である。また短挺訓練もやった。
(卒業は5月31日?著者は養成所9期生) 2週間程帰郷して相州丸に乗船。 各部屋の掃除から、甲板の掃除の仕方、食事の準備、食器洗いに選択や風呂掃除まで何もかも一つ一つ習う。 甲板見習いは伊部君と私の2人だけなので、1ヶ月交代で仕事をする。 どの人が甲板部か機関部かわからず、ただハイ、ハイと返事をしていた。 先輩達は忙しく、ウィンチを動かし、デリックを上げ荷役準備にかかっていた。 最初は見習いとして雑用任務。 乗船してからも先輩から指導を受けている。
>253 > 兵士が3ヶ月の速成で戦場に出るのは珍しくないし、それで役に立たない訳でもない。 これは、周りに古兵や古参下士官、ベテラン士官が十分配置されている場合に 限っての話だよ。その条件が整っていない状態では、速成の兵なんてすぐ総崩れ になって周りの足を引っ張るだけになる。 だから、新しい部隊の編成にせよ戦力再編にせよ、必ず核になる連中を配置して その周りに人を増やす形をとる。 損耗が激しすぎるとそういう形をとれず、多数の新米が経験の浅い上級者の下に 付くことになるから、どんどん質が低下していくことになる。新米が中堅になる前に どんどん死んでいくような状況では、質は下がる一方だよ。
>>258 いや、そこで上がっている
> 14歳にしてお国の為と、軍属として船舶運営会に志願。
で3ヶ月の教育というのが、散々既出の少年海員向けの初等教育なんだが。
最初に少年を採用したときには、3ヶ月の教育すら無しでいきなり乗船させた
ら、避難すらできない状態で多数が死んだという反省を踏まえての話だよ。
しかも、基礎教育すらなしでいきなり乗せたって、実際には何もできないのは
当然で、指導係の甲板員たちも困惑しているというのが実態。
当時の情勢では、平和時の船みたいにのんびりOJTなんていう贅沢は、到
底許されないからね。
>>263 そうやって煽りに逃げるぐらいなら、最初から無理な弁護しなきゃいいのに……。
神戸大学のサイトで当時の新聞が見れるんだが、 船舶(特に高速優良船)の不足とか、船員層の薄さとかはその時点から報道されるほど危惧されていたようだね。 つくづく、国力不相応の戦争を開始したとよくわかるよ。
267 :
265 :2009/08/27(木) 23:11:35 ID:???
訂正。 当時→大正末期
まぁ史実という結果は動かせないから、いくら旧軍擁護が話そらしたり煽ったりしても結論は動かないわけだな。動くとしたらそれこそ歴史が史実のようになってないw
たとえ史実であっても、日本が劣るという事実を提示するのは許さない! 坊やはまだ夏休みの宿題に取り掛かってないの?
そもそもデータ自体は別に間違いでもなんでもない、 でも見せ方が気に食わないってだけで延々煽るって。 しかも最後は再反論不能でただの短レス煽りだし。 こんなのがいるから却って・・・
>>265 ああ、俺も神戸大学の新聞記事文庫の海運と海員の項目は大正時代から一通り目を通してあるよ。
下級海員の養成には陸上3ヶ月、海上3ヶ月てのは1916年12月の記事からの引用。
1937年5月の船員不足の記事でも、普通船員は素人同然でもいいが、高等船員の確保が難しいとなってる。
それと俺は無意味な煽りは無視なんで。
マイペースに疑問に思った部分をその都度調べてるだけ。
>>271 だから話がかみ合わないんだ。
戦争前の状況、と戦争中の消耗から来る短縮、と違う時期の話をごっちゃにしてるから。
ガイシュツのサイトでも、 〇 わが国船舶(商船・漁船・機帆船)の被害と戦没船員 3 戦没船員の悲惨な実態を伝えるものに、軍人を上回る犠牲といたいけな年少船員の多いことがあげられている。 軍人の損耗率は、陸軍20%、海軍16%となっているが、船員は43% (漁船、機帆船の正確な数字が把握困難なので推計) にもおよんでいる。 また、戦没船員の年齢別分布は、下表の通りとなっている。 この背景には、戦時特例によって海員養成所、商船学校、高等商船学校などの卒業年限が大幅に短縮されて乗船したこと、 船舶の急激な喪失による船員の犠牲をカバーするため大量の船員養成が行われたこと、などによるものである。 と、既にでているしな。
大正年間の、平時で船員が足りないときでさえ促成は最低五ヶ月(?)程度とってたのに、 戦時になると三ヶ月か二ヶ月まで、か。 ……先導教育する層が戦死で薄くなるのも、航空機パイロット養成とかぶるな。 無論、一般船員はそこまで狭き門じゃないだろうが。
可哀相に
>>260 >>270 は夏で頭がおかしくなったんだな。
元々データではなく、森本に信憑性がないという話なのに。
煽りとか論点も読めない人間がいるな。
火病を起こして人格攻撃かよ。
だったら無意味な煽りを続けず、もっと信憑性あると主張するデータを出せばいいだけじゃん。 別人のレスかもしれんが、豪華客船比べとか出してもわけがわからん。 結局、森本(元レスを見ると、引用元ページはそれ以外の出典も多数参考にしているが)が嫌いなだけ?
高等商船学校出身者は船舶運用以外にも、予備士官として引っ張られたからな。 (これ自体は元からそういう制度で、学費などが優遇されてたりした代わりだから仕方ないが) やっぱり生え抜きの軍人士官と比べると戦術についての素養が劣り、アメリカ海軍の通商破壊のやり方を聞き取りするのに苦労した話が 「海上護衛戦」に出てくる。
魔性の歴史を持っていない人間が擁護するからおかしくなってるんだよね。 本も読まずに擁護して反論できないから相手を煽るだけ。
> 普通船員は素人同然でもいいが、高等船員の確保が難しいとなってる。 これは、周りに素人をフォローできるだけの人員がいる場合の話だね。 平和時であれば事故、遭難等の緊急事態に遭遇することもそれほど多く はないし、「そのうちにベテランになるだろう」とOJT気取りでできるかもしれ ない。帆船時代の少年見習い水夫なんてのは、そういう時代にしか成り立 ち得ない存在だろう。 船員の急速養成をやった時期は、それこそいつボカンとやられて沈むか わからない、常時緊急時の状態だろ?一々フォローだのOJTだのなんて のは、やってはいたにしても中々手が回りきるもんじゃないし。(それでも、 特に少年船員は気にかけていたようだけれど。) もっとも、船の業務には全く役に立たなくても、新しい機器や、商船であ まり使わない信号の取り扱い等々の講習を受けているんで、少年船員 もそういう方面では重宝されたようですね。
>>279 つまりお前は持って読んでないから、そうやって煽るだけでじゃあ代わりに信憑性あるデータってなんなんだ、といわれてもそうやって逃げるだけなのか。乙w
トラック沖空襲の件でも触れられたけど、主力艦隊が危ないと思って退避する海域に何も知らずに護衛すらほとんどない船団をそのままいかせるとか、戦略上の扱いもかなり冷遇だったからな。
>>227 船員年齢引き下げについて。
もともと昭和初期にジュネーブの国際会議で労働者年齢の下限を決定。
42年に再度引き下げになる訳だが、それも従来の決まりから1〜2年引き下げただけ。
従来は2千噸以上船舶で水夫16歳以上、火夫18歳以上。
2千噸未満船舶で水夫15歳以上、火夫16歳以上となっていた。
高等小学校(戦時は国民学校高等科)卒の14歳という年齢は、予科練や少年戦車兵の募集年齢と同じ。
>>281 持っているのでこのスレにも本の内容をレスしたんだが。
本当にそうやって煽るしかできないんだな。
持っていないからw
>>284 だったら信憑性が無い、あるいはあると主張するデータを提示すればいいだけと何度いわれている?
つうか森本本が信用できん、というのなら当然信用できないと主張する根拠になった、より信頼性高いと信じるデータがあるはずだよな? それをだせばいいじゃん ……って、とっくに言われているのに逃げ続けか
>>286 みたいなバカには何を言っても無駄か。
数字の出し方に印象操作を加えている、というはなしなのにデータデータと。
少しは他人のレスでも読めば?
やっぱりデータ自体は事実だと認めてるんじゃん。 見せ方が気に食わないってだけなんだろ? お前の主観一つのために、いくつ無駄な煽りレス入れた?
>>288 客観的なデータの見方をしていないという指摘に対し「主観」
データが捏造なんて誰も主張してないのに
>やっぱりデータ自体は事実だと認めてるんじゃん。
もはや意味不明。
これほどのバカがよく臆面も無く生きてこられたもんだ。
快速船の件なんて、戦前の一般報道でも危惧されていた通りだしな それを後世再確認しているだけで、別にミスリードしているとは思えないわけだが むしろ唐突の豪華客船だけ並べてミスリードだ、と言い張るほうがわけわからん
>>289 罵倒煽りはいい。だったらもうお前が客観的と主張するデータの見せ方を実演してみせてくれ
題材は、「傭船比率」でいいよ
主要国の経済データを出すのに -------------------------- アメリカ 12兆ドル 中国 4兆ドル ドイツ 2兆ドル 日本は一人あたりのGDPが世界28位 -------------------------- こういうのを印象操作という
>>292 だからなぜ散々罵倒した本自体の中身じゃなくて、関係ない話をはじめるんだ?
やっぱり持ってない、読んでないというのは鏡に向かっていてたんだね。乙w
アンチ森本今日も撃沈、でるのは罵倒だけ 惨めっぷり晒したいマゾじゃないの?
37年度熟練工需給表 業種 求人数 就職数 需要充足率
機械器具 21万1460人 8万2624人 39.1%
船舶・車両 25608人 11585人 45.2%
金属工業 14万6935人 57164人 38.9%
採鉱・冶金 41303人 8117人 19.7%%
合計 42万5306人 15万9490人 37.5%
日米開戦前から労働力は著しく不足していた。
特に船員の不足がひどく、40年より前の段階でも逓信省の
発給する船員手帳は約24万に及ぶが、就職人員は10万に過ぎず、
無線技術者も需要7千に対し就職は2千未満という状態だった。
ttp://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/6597/eco-pwar.html 元々各種技能者が不足状態。さらにここから兵隊に召集されていくわけだから、不足するだろうな。
代わりに緊急動員の未熟練が入って悪循環に陥ったのは生産においては有名だが、海上輸送でも同様か。
傭船比率が高い、というのは平時なら不足分を雇って補えるだけの経済力がついてきた、というむしろ良いともとれる事項なんだが 戦争になるとなぁ…… 中立国義務で中立国船舶さえ雇えなくなるし あとは接収してつかうぐらいか
新造助成:しません 外国船輸入:認めません 外国傭船:認めません これでいったい日本の船舶をどう増やせと。
そもそも日本政府自体が本気で戦争する、と決めたのが1941年の帝国国策遂行要領からだからな。 なしくずしの戦争突入なんだから、事前からの準備が余裕無くて泥縄になるのも当然のような。 それまでの対中戦では海運関係はホトンド妨害受ける心配なかったわけで。
>>262 少年船員を無教育で投入したのがいつ頃の時期で、三ヶ月の速成教育をするようになったのがいつ頃からなのか具体的に示してほしいんだが。
それと養成自体はずっと続いてるから、新規船員には教育済みと無教育と両方いた事になる。
その時期の新規船員のうち無教育船員の割合(もしくは具体的な人数等)がどれ位かも知りたい。
海員養成自体きちんとした資料や手掛りが少ないだけに、実体がイマイチはっきり見えてこないんで。
>>296 それって単にそれまで不況で事業規模縮小してたのが、好景気になって事業規模も拡大して求人倍率が上がってますよってだけの数字でしょ。
しかも現在の就職数=熟練工数とか。
好景気ならこれ位の求人倍率になるし、それ以上の事を示す数字ではないと思うが。
それに複雑な機械加工には熟練工が必要だけど、単純な組立作業ならパートのおばちゃんや日雇いでもできる作業だし。
戦時中の勤労奉仕も、多くはそうした単純作業への動員だったと思うけどなあ。
>>225 補給の途絶えた末期のフィリピン戦じゃ、自軍用の医薬品すら足りないでしょ。
船員に対する冷遇というより、医薬品を提供したくてもできないってだけじゃない。
>>226 基礎教育受けてない事と、撃沈されても逃げられないってのは別問題のような。
教育程度に関係なく、船が沈みかかって船長から退船命令あれば避難するだろうし。
公的資料では17年から船員年齢引き下げと、養成所拡充があった事は追えるけど、だからといってそれ以前の少年船員は教育受けてないという事を示すものではないし。
17年5月以前なら撃沈された船自体それ程多くはない。
>>231 日本へ輸送中のタンカーは1945年1月まで70万トンを維持されてるな。
1944年から途中で撃沈されるのも急増しただろうけど、タンカー自体は42年の1.5倍になってるだけに、やはり44年の石油内地還送量が異常に少ないのが不思議だ。
>>261 >>212 のサイトから、戦没船員は開戦から17年末まで1万人程度。
19年に2万5千、20年に2万人位。
戦没船員6万人で戦没率43%なら、船員総数は14万人となる。
この数字自体、1919年には既に乗船船員17万人、船員手帳受給者25万人いたのでやや疑問だが、恐らく徴兵その他で商船や漁船に乗船していない船員は母数に含んでいないのだろう。
戦時に急速に大量養成した割には少なすぎる数字だから。
それで戦没船員のうち、10代が31%、20代が27%、30代が22%、その他となり14歳は戦没船員の1.63%。
続き 42年に船員年齢引き下げ前から、15歳の船員は存在するから15歳で戦没の4.7%を含めても未熟練船員の割合は多くはない。 10代でも1年以上乗船していれば作業に慣れて熟練するだろうし、未熟練船員は末期でもしばらくは雑用しかしていない(例え1年の基礎教育を受けてる場合でも)。 昭和20年初めでも、19年までの戦没船員は3万5千人だからまだ10万人の船員がいる。 船舶自体減って、撃沈されても救助される船員もいるし、大陸との近距離航路が増えるから熟練の必要な航海の負担は減る(撃沈率は高いけど)。 なので20年初めでも、そんなに船員の質は落ちていないのではないかと考えるのだが。 撃沈されて教育できる熟練した船員がいないと言うが、未熟練船員は末期でも1割に満たないんじゃないか?
>>278 予備士官は戦闘には不慣れでも、操艦は兵学校出よりずっとうまいし、戦闘でも第4号・22号・81号海防艦等のような武勲艦も多くある。
兵学校出の護衛は潜水艦を攻撃しようと、深追いして護衛がおろそかになる。
逆に商船学校出の予備士官は戦闘より商船を守る為に、安全航路を選択したり危ない時は商船の避難を優先させる傾向にある。
潜水艦狩りという戦闘でなく、船団護衛という任務にはむしろ予備士官のが適任。
大井も所詮は兵学校出の参謀で現場を理解してないし、身を挺して護衛に従事してる予備士官を悪く言うのはいただけないな。
実際通信諜報とかで活躍したり、航空戦でも主役は兵学校出ではなく予備士官や予科練出身者達だ。
>300 詳細な資料は持っていないんで、そちらで調べてもらえると ありがたい。 初期の少年船員の話は、前に上げた「海なお深く」にあるよ。 軍艦ですら沈没時の退去は混乱するというのに、初めて船に乗 った、訓練もされていない14歳の子供が、命令されたからとい ってそうそう逃げられるものじゃない。 結局は初期教育だけでもやらないと効率が悪すぎるという反省 の上での話。 海なお深くは、機会があれば一読を勧める。
>307 海上護衛戦を読んでいればわかるはずだが、大井氏は別に予備士官を非難・批判したりはしていないぞ。 単に、予備士官の他に少数でいいから敵の戦術に関心のある者を配置するなどの手段を取るべきだったという反省の話だ。 被害を少しでも減らすには、敵がとっているやり方の理解が不可欠なのは当然だし。 同書で取り上げられている話は、護衛艦長が「敵潜は帆を掛けている」と報告したのをもとに、敵がレーダーを使用した襲撃を しているのを確定したという件であり、予備士官を非難したものでは全くない。 そもそも戦術に関心が薄いのは当然のこととして、それを補う処置ができなかったという反省だね。
>>308 未教育の少年船員て正規のルートでなく、船会社が勝手に募集したとかないかね?
戦記とかの体験談は当時の雰囲気を感じるにはいいけど、教育制度についての公的資料としては使えないからなあ。
>>309 大正11年に東京高等商船学校卒、予備士官として終戦時中佐、海上護衛総隊の参謀もやってた三田一也とかどうなん?
戦術的素養あると思うけど。
戦後海保のトップになった。
あげ
現代的テーマでもある
何かすっかり過疎ってるな。 久々に資料投下しておくか。 戦標船絡みで 標準船船種/総トン数/建造価格(万円) 1TL/10000/835 1A/6400/450 1D/1900/165 1E/830/98 2TL/10000/687 2A/6600/462 2D/208 2E/870/61
日本の鉄鋼供給量と造船量の比較 鉄鋼供給量/造船部門配当量(千トン) 12年5374/755 16年4236/275 17年4037/550 18年4124/1135 19年2607/1204 日本の年間造船量(千トン) 昭和12年/16年/17年/18年/19年 451/232/424/1124/1583 昭和20年度日本造船能力 船台合計/戦時中完成/艦艇建造/造船能力 149基43基53基323万総トン 造船能力の1/3を艦艇建造に充ててるので、商船建造能力は220万総トン程度。 しかし鉄鋼供給不足により造船実績は能力を大幅に下回る。
対してアメリカは参戦と同時に既存の造船所に加えて、戦時標準船建造に130億ドル(約500億円)を投資して160基の船台を新規に追加している。 アメリカ1940年から商船5300万トン(リバティ船2900万トン、タンカー1100万トン等)、艦艇400万トン(揚陸艦艇除く)を建造。 (これならいくら撃沈されても怖くないね) 対する日本は戦時中に艦艇90万トン、商船350万トン建造にとどまった。
船だけじゃなくて、港湾の荷揚げ能力も違うし、どうしようもないわな。
>>317 輸送任務に戦闘艦を使う限界だな。
南方の貧弱な港湾じゃ、兵や荷を下ろすのも一苦労。
>アメリカ1940年から商船5300万トン(リバティ船2900万トン、タンカー1100万トン等) 要するにアメリカは開戦前から準備万端ヤル気まんまんだったということですね。
イギリス船がUボートに沈められまくってたから、レンドリースで沈没分を補う為の量産だと思うぞ。 ついでに護衛空母や駆逐艦もつけときまっせな感じで。
結局、WW2で日本軍が出来た効率の良い海上護衛の方法って何だろう? 戦艦と空母建造を止めて、対潜装備の駆逐艦走らせて、主要航路に空港造り、 あちこちに潜水艦を潜ませ、石油精製プラントを現地で造る…駄目だ出来る気がしない
>>321 1.戦争しない
2.軍艦作らない
3.浮いた予算と人員とドッグを使って民間商船建造
>>322 当座、戦争しないで臥薪嘗胆米国の横暴を我慢しきれるんだったら
軍艦建造予算を商船に使ったってしかたない。
伊58潜の橋本艦長が書いてるように科学技術でおくれをとったんだから、
人材育成・科学研究と工業技術分野の裾野を拡げることに金を使うべきだ。
だって開戦前から「日本の物流に商船1000万トン必要」とか言ってるのに 結局600万トンしか用意できなかった日本だぜ?
>>325 いや、ま、自前で600万トン=世界第三位は十分にすごいけどね・・・
その1000万トンは外国籍商船が日本に出入りする分が含まれてるからそういう数字になる。
>>321 荷役がネックになってる部分があるんで、内地(日本本土)のインフラ
整備からやらないと幾らフネが有っても沖待ちが増えるだけだろ。
で、インフラを充実させる為には関東大震災直後辺りから国内のインフラ
に最重点で投資して、太平洋戦争が起きる頃には高度成長期の入り口
位に日本の産業インフラが構築されてないと、護衛がちゃんとしきれて
も運んでくる材料の加工がおっつくまい。
そこで潜水艦隊全力で、ハワイ沖東方で通商破壊・封鎖をやるんですよw アメリカ潜水艦隊の主力はハワイが基地だったわけでしょ? オーストラリア西岸を基地にした部隊もいたようだけど。 本土から来る石油なり、弾薬なり、修理部材なりを運ぶ商船隊をガンガン沈没させれば、 作戦行動に相当支障をきたすでしょ。 ハワイから出撃する潜水艦隊の動きがかなり鈍くなれば、 日本のシーレーン遮断能力は当然のことながら低下するわけだしね。
アメさんの対潜部隊に力が入って潜水艦隊がボコられる&米護衛空母隊の能力が更にハイレベルになる と思う
新聞記事文庫の「造船」項目より 昭和14年3月14日 大阪朝日新聞及び大阪毎日新聞記事から 塩野逓相 現在(12年度から16年度末までに商船保有量を)現有400万トンから600万トンへ拡大中だが(毎年80万トン増加の計算)、17年度末には更に150万トンを追加して保有750万トンに拡大する意向 管船局長答弁 千トン以上建造可能な船台は現在97台あり年80万トンの造船が可能であるとしながらも、その造船能力を発揮できていない要因は昨年来からの材料不足にある。 (資材の)配給が遅れると建造が停滞し、その分長く船台に置かざるを得ない(ので建造日数が余計にかかり、能力を発揮できない)。 しかし今後は造船を軍需に準ずる扱いとして資材供給を優先し、17年度末750万トン保有を目指して年75万トン建造する予定である (実際は実現できずに外国船舶を輸入して不足を緩和した)
昭和14年から導入された平時標準船は貨物船4種類 A型9200トン B型6800トン C型4200トン D型3000トン これは当時の貨物船第一主義と、工作単純化による工期短縮、建造価格引き下げの為である。
>>321 史実でも16年のマル急計画で30隻の海防艦建造を計画し、就役まで98隻の特設砲艦で補っている。
主要航路上
門司〜高雄〜海南〜サイゴン〜シンガポール、マニラ〜ダバオ〜ジャワ、横浜〜サイパン〜トラック〜ラバウルにも普通に飛行場はある。
南方現地にも本土並の石油精製設備もあるんだけど。
何を無理だと言ってるんだ?
単に艦艇に充分な性能の対潜装備がなく、航空機不足で充分な対潜哨戒もできないだけだ。
それと単に3000隻の商船につける充分な数の護衛艦を確保できないだけだ。
商船30隻に護衛艦5隻程度付けたいとこだけど、それだけで護衛艦500隻必要になるからな。
結局は浜口内閣の失政が全ての元凶だった。
>>325 1941年12月31日は開戦後だぞ。
それと記事では1500万トン必要の根拠と内訳が明確でない。
陸軍省計算の民需船舶300万トンや逓信省計算の350万トンは、米と鉄鉱石が所要の100%輸送可能。
その他重要物資(石油除く)70%輸送可能な量とされてる。
これは国民の生存と戦争遂行に必要な物資限定で、その最低ラインだ。
1500万トンてのは恐らく戦争遂行に必要な物資以外や、最低ラインでない平時並の物資供給に必要な量ではないだろうか?
てか日本より船舶少ない国はいくらでもあるし、日本は不況時に400万トンの保有でむしろ過剰な位だったんだがな。
使い道なくて繋船してた船舶は当時、世界中に溢れてた。
まあ平時と戦時は違うし、南方まで戦域拡大した影響だが。
しかし南方程度で1500万トン必要なら、世界中に植民地あるイギリスなんて、むしろ2000万トンでも全然足りなくなるだろう。
それに全部護衛つけたら護衛艦何隻必要なんだろ。
戦時標準船の特殊例として北海道からの石炭輸送に従事した青函連絡船がある。 第五青函丸からのW型戦標船建造に対して、海軍艦政本部第四部商船班の小野塚少佐は贅沢すぎるとして反対した。 主張の主旨は大きさが7割ながら積載量は連絡船の1.3倍、価格も5割で済む1D型戦標船で代替すべきで、連絡船のような速力15ktの優秀船はむしろ外航船として使うべしというもの。 対して国鉄側の反論は連絡船が鉄道と連携した輸送システムである事。 従って1D型では荷揚に17時間かかるが連絡船なら1時間で済む事。 速力も優秀なのでむしろ輸送効率で勝ると主張した。 結局国鉄側の意見が通って、第五青函丸以降のW型戦標船が建造される。
>>335 日本の場合、大型船の絶対数が少ないのと港湾施設etcのインフラが貧弱なために
運行効率が悪く、同じ量の物資を運ぶ場合、イギリスに比べてより多くの船舶が必要
なんじゃないか?
1500万トンという数字は、官僚お得意の理想論というか努力目標に近い数字だとは思うが。
1937年2月5日大阪毎日新聞及び2月17日神戸又新日報より
現在我が国には22隻26万トンのタンカーが就航し、年額200万トンの運搬輸入に従事している。
石油需要量は11年度で350万トン、目下我が国で建造中のタンカーは12隻16万トンあり、これが竣工すれば400万トンの輸送能力を持つ事になる。
一方需要は15年度には500万トンに達すると予想される
という記事があったんだが、開戦時57万5千トン、18年末83万4千トンのタンカーがあって何故戦時中は
>>81 の輸送量になるんだろうか。
陸軍が飛行甲板付きタンカーを整備してればな。
>>329 無理。
幾ら甲潜乙潜丙潜でもずっとハワイ〜アメ西海岸へ継続して張り付ける
だけの潜水艦がない。
また潜水艦の出撃根拠地がクエジェリンしかないし、クエジェリンでは
潜水艦要員の休養は無理。
戦闘損失が無いとしても、最初に潜水艦の中の人が過労死続出だろう。
>>341 開戦時でも第6艦隊には3個潜水戦隊がある。
2ヶ月作戦して2週間の小整備と休養、2回出撃したら内地やトラックで1ヶ月の大整備と休養訓練。
3個戦隊が日程を1ヶ月ずらせば、常に2個戦隊程度は作戦海域にいる事になる。
それに別に継続でなく断続的だったり、インド洋やらFS方面やら色々作戦海域を変更してもいいんじゃない?
要員の休養はクェゼリンに停泊してる特設潜水母艦で充分(元が客船だから風呂もついてる)。
てか開戦時の太平洋の日米潜水艦の数はほとんど変わらんよ。
戦略や運用が変わるなら潜水艦建艦計画を見直して、性能落としてもより量産向きにして数も増やすだろうし。
>>342 西海岸まで何海里あると思ってんだ・・・
史実でなぜ日本海軍が対米通商破壊をやらなかったのかもっと考えようよ
>>343 ハワイやオーストラリアからバシー海峡までも充分遠いけど。
>>344 そのさらに倍という事実の重みをもっと考えろ、つってんの。
米海軍の前線基地はオーストラリアと、ミッドウェー島なんだぜ? ハワイじゃなくて。
>>345 ただ単純に倍の負担じゃ済まないからね。
航海可能日数の限界があって、その中の移動の時間だけで倍になるということだからな……。
潜水艦グレナディア(SS210)は42年2月4日に本州近海へ向かう。 3月23日に48日間の行動を終えて真珠湾に帰投。 4月17日に東シナ海へ向かい、6月8日に59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。 7月にトラック諸島に向かうが、哨戒艦と哨戒機の警戒が厳しく、28隻の艦船を発見するが攻撃を断念。 67日間の行動を終えてフリーマントルに帰投する。 10月13日にインドシナに向かい、12月10日に58日間の行動を終えてフリーマントルに帰投する。
43年1月1日にジャワ海方面へ向かい、2月20日に51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。 3月20日にマラッカ海峡に向かう。 4月21日に付近を船団護衛中の江祥丸(1365トン)がグレナディアを発見。 936空の艦攻も対潜爆弾を投下し、グレナディアは急速潜航。 爆弾により動力と照明は停止、82mの海底に沈座するが乗員が倒れるなどして13時間後に浮上を決意。 推進システムの完全回復はできず、艦に帆を付け海岸を目指すが22日夜明けに936空がグレナディアを発見。 特設捕獲網艇長江丸(889トン)の砲撃を受けるなどして降伏、艦は自沈させ艦長以下全員が捕虜になる。
>>345 倍ってどんな計算してるんだ?
クェゼリンからハワイが2000浬、ハワイから西海岸が2000浬、日本からハワイが3700浬でハワイからフィリピンが4700浬だろ。
それに巡潜型は元々西海岸から出撃する米艦隊を追跡・攻撃しながら行動を報告する任務だから距離は問題にならない。
航続力は米ガトー級が10ノットで1万浬、巡潜型が16ノットで1万6000浬だったか。
日本の通商破壊が不徹底なのは距離とはまた別問題。
>>350 ・・・見事にわかってないな。
航続力の問題じゃねーんだよ。
距離の暴虐、という問題の本質をもっと考えよう。
一番のヒントは
>>347 氏のレスな。
だって往復の道のりが大きくなれば一艦あたり哨戒任務に使える時間はそれだけ削られるだろう? ターゲットがいようがいなかろうが長期間の航海を行えば人員には休養が要り、 艦も色々と修理しなければならず、その間ドックなど施設もふさぐ。 やはり狩り場が遠すぎると不利だよ。
横槍すまんが
>>351 どんなヒントだよw
もっと別の問題があるだろw
>>352 >往復の道のりが大きくなれば哨戒任務に使える時間はそれだけ削られる
>狩り場が遠すぎると不利
そんな事はわかっている。
話は
>>329 がハワイ沖で海上封鎖というのが発端で
>>341 が無理と主張し、
>>342 で無理ではないと答えた事による。
元がハワイ沖の話なのに、何故か西海岸だの倍かかるだのに摺りかわっているし。
距離が遠いのはハワイからバシー海峡に向かうのも同等か、それ以上かかっているとも指摘した。
アメリカの潜水艦もそれだけの距離で交通破壊してるのに、何故日本の場合だと異議を唱えるのかもわからない。
繰り返すが、無理か無理でないかの話であってそれが有効と言ってる訳ではない。
海上封鎖に必要な所要隻数は何隻を見積もってるの? そしてそれが現実的に可能だと思うの? 日本が開戦時にやったハワイ哨戒や西海岸通商破壊はあくまでも一過性のものだからできたことだよ?
井浦「潜水艦隊」 開戦頃の日本潜水艦 開戦時の第6艦隊は巡潜型21隻と海大型9隻で編成し、他に第4〜7潜水戦隊あり。 第6艦隊は11月中旬から20日頃に、横須賀や佐伯から出撃してハワイに向かう。 海大型の3潜戦はクェゼリンで一旦停泊、11月末再度出撃し敵哨戒圏に入ると昼間潜航、夜間浮上航行で開戦前日から真珠湾口で監視配備。 伊74潜がエンタープライズに雷撃するも命中せず。 12月10日にはレキシントンを追跡して、1潜戦9隻が米西海岸で商船10隻を撃沈。
伊7潜は12月17日に水偵で真珠湾を偵察、収容が困難な為に搭乗員のみを収容。 翌17年1月クェゼリンに帰投、整備を終えた1潜戦の5隻は再度出撃し2潜戦とハワイの哨戒を交代。 1月11日伊6潜がサラトガを撃破。 3潜戦の伊74・75潜はパルミラを偵察・砲撃、戦隊は12月末クェゼリンに帰投し、大鯨と交代した母艦靖国丸で休養。 休養・整備後は次期作戦として豪州東岸の交通破壊を予定するが、連合艦隊から各地の要地偵察を命令されて中止、呉に帰投するのは17年3月。
一方の南方での潜水艦作戦について。 5潜戦がマレー方面に展開、伊65・56潜が英東洋艦隊を発見・報告、12月末からペナンに進出してインド洋の敵情偵察と交通破壊を実施、17年3月頃までに商船15隻撃沈。 4潜戦は米英蘭艦隊の退路で待ち伏せして商船7隻撃沈、ジャワ方面で更に4隻撃沈。 6潜戦の機雷潜はマニラ湾・シンガポール・ダーウィン等に機雷を敷設。 旧式の呂60からなる7潜戦はウェーク・ラバウルの上陸支援等。
>>355 グレナディアの例にしろ、日本潜水艦にしろ1方面で継続して交通破壊してた訳じゃない。
単艦で見れば毎回出撃する場所が違う。
所要隻数も何も毎回出撃隻数も違う。
史実の日本潜水艦部隊で大規模な交通破壊をしたのは、第8潜水戦隊。
巡潜と海大で行動可能日数も違うし呂60型や呂100型なんかは局地防衛しかできない。
何で同一方面での継続作戦に拘わるんだ?
一部は各地の要地偵察をしながら付近で交通破壊してもいいし、その時々で投入可能な戦力を作戦に従事させればいいだけなのに。
米潜だって搭乗員救助やゲリラ輸送、42年8月には海兵200人乗せてマキン島に奇襲上陸、ミッドウェー・マリアナ・レイテの各海戦への協力等。
日本同様に通商破壊だけでなく汎用的に使われている。
>>329 に対する
>>341 の無理、へ反論してるんだろ?
だったら他への転用とか関係ない。
ハワイ〜西海岸の通商破壊ができるかどうか? の問題だ。
あなたの論は話を逸らしているよ。
んで現実として帝国海軍は対米通商破壊戦を「無理」と断じているんだよね。
>>360 やめよう、無限ループして無駄にスレを消費するだけだ。
多分お互い意図してるものが違う。
所詮仮想の話で議論しても水掛論になるだけだし。
そりゃあ米の生産力を上回る量を撃沈して交通線を麻痺とか、蟻一匹出入りさせない完全封鎖とかは無理さ。
特に真珠湾のように警戒厳重な軍港の封鎖なんて効率悪い。
でも史実海軍は通商破壊が無理とは言っていない。
むしろ軍令部は例によって甘い見積もりで通商破壊を可能としている。
ただし連合艦隊が要地偵察や輸送作戦を命令して、そうした通商破壊作戦の発動を邪魔してくる。
太平洋を通じた米日・米中交易が途絶している現状で、狭義の「通商破壊戦」は目標がないのでできない。 しかし米濠連絡線遮断を目標とした輸送船団攻撃はできるわけで、それならば日本の持つ基地からの 距離もそれほどべらぼうなものにはならない。 「トン数戦争」を目指すなら、米濠・英濠・英印間の輸送に脅威を与えることは不可能ではないのではないか? もちろんVII型程度の小舟で通商破壊ができる土俵の狭い大西洋よりも格段に苦労が多く、日本の限られた 潜水艦戦力では投入できる戦力も限られることは承知だ。
>>361 邪魔って、それも任務のうちでしょ。
潜水艦は通商破壊専門艦ってわけじゃないんだし。
>>362 不可能ではない、も何も実行寸前までいってますがな。
ただし目標海域はずっと近場のインド洋と豪北。
以前日本潜水艦スレでゆうか氏が詳細語ってくれてたから過去ログ漁ってみ。
シンガポールやペナンがあったからの>インド洋
米豪遮断をニューカドレニア・フィジー占領で行う戦略だけど、 米から豪州への戦略物資輸送に関してはハワイ経由、結構な量だったんでしょ? ハワイ東方沖で、通商破壊・封鎖を十分行える戦力があれば、 結果として米豪遮断も(かなり?)付いてくるハズなのだが…
>>342 トラックでは大整備は出来ないよ。明石がもう3〜4隻有れば別だろう
けど。休養は出来るだろう。でもそうすると出撃根拠地としては今度は
遠すぎる。潜水艦が沢山あるならそれは可能だろうけど。
日本側の占領地にはフリーマントルやヌーメアみたいな場所は
余り無いんだよな。アメみたいな潤沢な支援部隊があればクエジェリン
程度の場所が出撃根拠地に出来るから、西海岸での効率的な通商破壊
ってのが現実を帯びてくると思うが。
大整備をやるなら、シンガポールやマニラ、香港、内地位の施設
はどうしても必要になる。
>>366 それをやるなら最低でもガダルカナル辺りに潜水艦基地が要る
だろうな。そうすれば東サモア〜オーストラリア間の通商破壊が
効果的に出来そうな。
当時の日本帝国の国力では手に余るなんてもんじゃない気もするけど。
前スレで挙げたヤシがいたよう(
>>42 テンプレI)に、昭和16年12月段階で、
9隻とはいえ、(ハワイ沖でなく)米西海岸で、通商破壊作戦を実施できる潜水艦部隊を、
大日本帝国海軍は保有してる。
後は、用意できる数と、実行の意志の問題か、相変わらず。
>>368 それは真珠湾奇襲のため、ハワイ沖に展開させた潜水艦隊の流用。
だから一度きりしかできなかった。
>>367 内地鎮守府の海軍工廠や民間造船所の他に、大湊・高雄・鎮海等の警備府には工作部。
外地にも上海・香港・トラック・ラバウル・マニラ・スラバヤ・シンガポール等に特設工作部があった。
また工作艦も明石・朝日の他に商船転用の特設工作艦があり、潜水母艦も各潜水戦隊毎に配備され、乗員休息や被服・食糧・弾薬・魚雷等の補給の他、工作設備もあった。
例えば平安丸は150本の魚雷を搭載し、39本の魚雷同時調整が可能である。
その他航空機の整備も外地に航空支廠がある他、特設航空機運搬艦(特設空母とは別)・特設水上機母艦でも修理や整備が可能。
戦時に連合艦隊全艦艇が、数ヶ月おきにいちいち内地に帰還して整備してたら戦争なんてできない。
空母は航空機補充等で帰還する必要があるが、戦闘損傷による本格修理でなければ応急修理含めて外地で可能である。
>>370 そう思うんなら日本潜水艦の行動記録調べてみたら?
どの程度の頻度で基地に帰還し、次の出撃までどんだけインターバルが空いてるか?
光人社「写真 日本の軍艦」シリーズで相当程度わかるぞ。
日本潜水艦は喜望峰まわりで数度の遣独潜水艦を送った他、 アメリカ西海岸では16年12月、17年2月(本土砲撃)、6月、9月(水偵による本土空襲)に作戦を実施している。 南方作戦終了後は5月からインド洋と豪州東岸で同時期に行動し、甲標的でのシドニーやマダガスカルへの攻撃。 ニュージーランド、タスマニア、アデン、アフリカ東岸への偵察を実施している。
一回こっきりの決戦でない継続的な作戦の場合、作戦海域に展開出来る戦力は全体の三割程度じゃなかったか?
んな事言ったらアメリカだって
>>30 にあるように
>開戦時に太平洋に展開した米潜水艦は51隻、うち航洋型39、局地型12
この戦力が当初ハワイとフィリピンのキャビテに二分され、
>米潜水艦基地はハワイ、フリーマントル、ブリズベンの3ヶ所でハワイ部隊は内南洋、豪州部隊は小型艦がソロモン、大型艦が南シナ海から蘭印を担当した。
>豪州部隊も整備はハワイで行い、新兵器搭載工事はサンフランシスコで行った。
>ルソン海峡での待ち伏せが効率的だがフリーマントルから2週間かかり、数日しか滞在できなかった。
日本は開戦時保有64隻のうち戦力になるのは57隻、内訳は巡潜22、海大20、機雷潜4、呂号11。
ドイツも開戦時の保有は60隻程度だが、半数は訓練用の250トン型小型潜だった。
>>373 確かその位。それは日本の潜水艦に限った事ではなくて、Uボート
でも同じくらいの比率だった。
で、嫌がらせレベルならともあれ、それなりの効果を期待する通商破壊
作戦ではそれなりの有力根拠地が無いと限られた数の潜水艦を効率的
に対象海域に投入し続けられない。
ドイツでも効率的な潜水艦作戦が大西洋で可能になったのはロリアン
のUボート基地が整備されてからの筈だが。
トラックで明石が後3〜4隻、と言うのもその辺から。浮きドックがトラック
にそれなりの数を置ければもっと楽になるかも知れないが。
出撃中に護衛に遭遇してもダメージが無ければ特設潜母で充分かも
知れんがね。
ラッキーばかり期待するのはおかしかろうよ。
作戦中、移動中、入港中が1/3ずつが標準 日本の場合は2stディーゼルがまともに動かんのが・・・ 直結よりディーゼルエレクトリックの方が良かったんかねぇ
ハワイ東方沖300〜500海里で、西海岸からの物資輸送寸断作戦を実施する。 哨戒機がこのエリアに到達するまで最短1時間だから、夜明け後30分ぐらいで潜行。 日中は海中に身を隠し、日没直前に浮上。 (夜間着陸が難しいこの時代だから、哨戒機がこの海域を去るのは日没前1時間ぐらい) 夜間に西海岸からの物資輸送船団を潰す狙い。 従って、輸送船団が日の出〜日の入りの時間でハワイに到達する圏内よりは沖で、 作戦行動を行う前提となる。 クェゼリンから2500海里だったら、片道10日間ぐらいか? 開戦時の伊号潜水艦を全て第六艦隊に終結させ、クェゼリンを根拠地に 4編成で運用する。 ・作戦海域に向かう戦隊:1コ(片道10日) ・作戦海域で行動中の戦隊:1コ(10日) ・作戦海域から帰還する戦隊:1コ(片道10日) ・予備(補充)艦:1コ 昭和17年初頭になれば、南遣艦隊や第三艦隊から、潜水艦を引っこ抜いても、 実務上さほど障害になるわけでもないだろう。 さて、「一航海して帰るともう満身,修理すべき箇所が続出」という信頼性の潜水艦、 予備艦10隻程度で足りるかどうかは、コレが問題かもね… 日中に潜れば、爆雷攻撃を喰らうことは少ないとは思うが。
>>378 の作戦案を実行するとして、
クェゼリンにどの程度の支援体性を維持する必要があんのかね?
>>379 「修理すべき箇所が続出」への対応で、工作艦・明石の派遣とか、
工作班の常駐とかは、最低でも必要に迫られる支援体制だろうね。
>>378 IFに深入りする気はないが、各型の行動持続日数は巡潜2ヶ月、海大1ヶ月半、呂35型1ヶ月、呂100型3週間。
巡潜で作戦する場合は作戦行動60日のうち、往路10日、哨戒40日、復路10日、基地待機20日程度だろう。
つまり往復待機と哨戒の2直で足りる。
それと開戦時は全潜水艦が各方面へ一斉展開する事が要求されるだろう。
南方作戦や真珠湾・マレー沖・珊瑚海・ミッドウェー等の各海戦では、1個戦隊程度での支援が要求されるし、定期的に要地偵察もあるだろう(これは単艦行動でいい)。
ガ島戦以降は偵察・泊地攻撃や、ヌーメア等からの補給線攻撃が有効だろう。
それと特定海域での作戦は、ある程度戦果を出せば当然警戒される。
航路変更なり哨戒艦派遣なりあるので、警戒された時点で場所を変えた方がいい。
>>381 Uボートは呂号とほぼ同じと聞いてたけど、結構作戦可動時間は多くないのな。
Uボートは補給艦の支援とかも結構あったりするしなあ……。 日本の場合は給油艦の手配すらままならない感じなのに、 潜水艦用の補給艦とか作る余力あるのかね。
ドイツは専用の補給用Uボートもあったはずだが、 中立国船舶に偽装してUボートに補給してたんだっけ? 太平洋やアジアでは似たような芸当は出来たのかね? 愛国丸や報国丸がどこの船に化けていたとか、気になったりするが。
イギリスや日本のように基本的に自国空軍が制空権をもっている国では 特設巡洋艦にドイツみたいに念入りに擬装はしないし、 大きくてスピードの出る大洋航路の客船を使った。Qボートとかは別ね。 日本のなんか迷彩塗装もしてたし、隠す気ナッシング。 だいいちそんな船が戦争中に灯火を消して航海していたら 100%兵員輸送船と疑われて魚雷を見舞われる。 ドイツはフェリー程度のディーゼル貨客船を完璧に擬装して使った。
訂正:化ける気ナッシングだわ。
とりあえず10日で2500海里=250海里/日という常識外の航行速度をまずなんとかしろと。 ちなみに日本の巡潜の作戦行動は100日の内60日が出撃、40日が整備と訓練。
オレゴン州を空襲した伊25は8月15日に横須賀発、9月7日にオレゴン沖到着。 9月9日と9月29日の2回空襲して、10月6日頃まで西海岸に居座って帰還。 甲標的での攻撃では、豪州方面は5月18日トラック発、5月31日シドニーで攻撃。 インド洋方面は4月30日ペナン発、5月31日にマダガスカルで攻撃。 その後確か、マダガスカル沖で報国丸・愛国丸から補給を受けて、8月まで居座ってたと思う。 作戦海域への移動は、敵哨戒圏内では昼間潜行、夜間浮上航行だがそれ以外の海域では浮上航行。 行動持続日数は主に食糧や真水の搭載量による。 魚雷自体は1ヶ月の作戦で、商船3隻も攻撃できれば上出来だから、不足する程攻撃機会もないと思う。 食糧にしろ魚雷にしろ、基本何かがなくなれば帰還で。
伊25 横須賀オレゴン沖は約5000海里か 22日で航行したわけだ
>>383 ドイツ潜水艦は9型は充分な行動能力があったけど、中型の7型の行動能力が足りなかったから。
でも7型だけで700隻以上建造されてるのに、補給用の14型(ミルヒクー)は10隻しかない。
補給能力は燃料が7型4隻分、予備魚雷が4本、後は食糧か。
日本で言えば呂号潜の能力を補う役割。
日本の潜水艦は機関出力が高い分、スペース食うから大型になるか魚雷等の搭載量で見劣りする。
でもトイレとか寝床の居住性はドイツより上で、ちゃんと軍医もついてる。
ドイツは性能も乗員も最低限にして搭載量を増やしてる感じ。
あげ
ようつべで昔のNHKでやった太平洋戦争シリーズが上がってるんだな。 脆弱な生命線・シーレーンとか。
鉄の棺で潜水艦の軍医さんの話を読んだが、あれ読んでいると息苦しくなってくる。 潜水艦の狭苦しさ、蒸し暑さ、酸素不足の息苦しさの描写がすごいわ。 トイレは潜水すると綺麗になるので、洗う必要がないと書かれていたのはこの本だったか。
>>393 今見返すと、事実誤認も多いな。
戦時標準船の建造の経緯とか海防艦の性能に関する言及とか。
事実誤認と見るか、捏造と見るかは視聴者次第・・・・
NHKは、本の方がもっと酷い。 そもそも動機が、アジア諸国の反発の根源に対して、戦争中の日本を徹底批判するってもんだし。 仏印進駐の歴史認識も、日本の侵略の一言だし。 とにかく、日本の兵器はポンコツだし。
しかもそのアジア諸国って 中朝韓だけw だいたい太平洋戦争の頃のアジア諸国って 日満タイ、トルコぐらいしか無いじゃんw
国民党も共産党も無視か。 ま、結論ありきの歪んだメディア倫理というのは昔から変わらんわな。
国民党や共産党ってどこの国のですか?w 王兆名政権やラウレル政権、ビルマ国 が有りますたって言えよWww
国民党は立派な政権政党だろ 汪兆銘、中華民国南京国民政府のなw
わかったよ訂正するよ だいたい太平洋戦争の頃のアジア諸国って 日満タイ、トルコ、南京国民政府、フィリピン、ビルマ、自由インド仮政府ぐらいしか無いじゃん。 結構あるなw
おまいらスレ違いだから自粛しれ
小艦艇スレより 水上速力が船団速力を上回ってりゃ、先回りして何度も攻撃してくる 駆逐艦にしても普段は巡航速力。 そもそも潜水艦の存在に気づかなければ最初の攻撃でやられる 1.敵潜水艦より速度の遅い船が撃沈されるのは当たり前のこと 2.敵潜水艦が進路上に待ち伏せしてたら攻撃を受けるのも当たり前のこと 1.敵潜に進路を悟られないこと 2.敵潜より高速であること これが成立すれば対潜能力は低くても良いと思いますが、違いますか?
おまいの考える駆逐艦は、輸送船や大型艦を護衛する必要はないのか? 日本の大型艦は全部敵の潜水艦より速いような気がします 前線近くには高速の輸送船を配備しないといけないでしょうね また重要な航路からは敵の出撃拠点を遠ざける必要があるかと ちなみに最大戦速を出していても前方に潜水艦がいれば雷撃可能だ。 ほぼ真っ直ぐ逃げる船に対し、潜水艦は待ち伏せのために大きく迂回しなきゃ追いつかん。 たとえ之の字により平均3ノットも出ない商船が相手でも、潜水艦で先回りできる可能性は極少。 そもそもそんなに速力差があるなら追撃した方が早い罠。
ということで対潜能力は諦めましょう 「運用で対応」 時代遅れだろうがなんだろうが、日本の駆逐艦に出来るのは雷撃だけ。それに賭けるしかないよ。 ジタバタしたって米英の技術力には追いつかない。 危険海域を移動する時には速度を落とさない。これは基本だろ
対潜能力原理主義者は、敵の潜水艦とどうしても戦いたいんだよ だからわざとゆっくり走るんだぜ 陽炎型駆逐艦の18ノット時の航続距離が5,000浬らしい。従って航続時間は277.8時間 これが4,000馬力だったと仮定すると、航続時間と出力の積は概ね一定と考えるとき、全力航進52,000馬力の航続時間は22時間に満たないと計算される。 従って航続距離は6分の1以下の747.9浬。 適切に配置された潜水艦群にはやっぱりやられるだろう 大鳳や翔鶴が被雷したときのことを考えれば、単に高速だから安全ともいえまい
海防艦は20ノットでなくていい。 10ノット前後の輸送船の護衛が目的だし、速度出しすぎると水中の潜水艦の位置がわからない 浮上した潜水艦より砲撃力は上だし180個の爆雷、12基の爆雷投射機があるから足りなかったのは性能のいいソナーとレーダー 商船運航用の暗号が解読されて待ち伏せされているんだから、焼け石に水。 英ソナー並みとはいわなくても、それなりの性能があれば待ち伏せを逆に狩ることもできる 海防艦の方がガトー級よりかなり安上がり ドイツほど潜水艦の量産はしてないし、それなりに大型で大量生産向きじゃないから 米軍を出し抜ける優秀なソナーを開発するより、防諜に気を使う方が難易度低いんじゃないだろうか。 広域に広がる部隊一つ一つに新暗号の取説配るんだぞ? しかも悟られぬように戦時だと不可能に近いかと
>>409 シンガポールと本土間、トラックと本土間の2本がメインだし、広域でもないんじゃね。
商船暗号だから部隊レベルまで隅々でなくてもいいと思うが。
アメの潜水艦乗りの戦後の発言でも、暗号解読によって狩がやりやすくなったって言ってるし。
実際、戦争後半になると船団の敵潜水艦遭遇率が、ヨハネスブルグで強盗に遭うレベルまでいってる。
遭遇してアメの潜水艦に勝つことを考えるより、遭遇確率を下げる方法を模索した方がいいよ。
そもそもハードで米を凌ぐレベルのものを作るのはかなり難易度高いよ。
手間がかかっても運用でカバーするしかないと思う。
浮上
米海軍の潜水艦が装備しているFMソナーを出し抜くものをどうやって作るのか。 そもそも、それが出来たとしても運用レベルで習熟しなければ実戦では効果ない。 レーダーだって珊瑚海海戦あたりじゃ米軍も試行錯誤して上手く運用できていない。 ハードの性能的優越よりも、低い性能であっても有効に運用することを考える方が優先されるんじゃないか。
戦史叢書の海軍戦備(一)を読めば分かるが、とにかく正面戦力で手一杯だよ。 海上護衛も意識の内には無いわけじゃないんだが、銭がない。 算出基礎表ってのがあるけど海防艦(占守型)で総額306万円。 水雷兵装7.1万、砲兵装54万。機関70.3万。 平射砲から高射砲に変えると、高射装置とかでもっと高くなる。 量産効果が期待できる船体の価格は94.2万。 戦艦が9800万(本当は1億175.9万)となっているが、量産効果と機能を削って単価200万としても、戦艦1隻分でも50隻程度。 運用維持に1隻5.1万円/年。 昭和12年から準備始めても、キツイくらいの話だ。
そもそも、アメリカ相手に通商破壊しかけられて、海上交通路を維持できる国なんて地球上に無いだろ。
>>412 FMソナーを出し抜くってどゆ事?
「ティノサ(SS-283)は44年12月4日に8回目の哨戒で南西諸島方面に向かった。
新たに開発された、海中の対潜機雷も探知できるFMソナーをサンディエゴで装備し、その試験が課せられた。
ティノサが向かった海域はこの対潜機雷が敷設された重要海域であり、45年1月30日に各種テストを終え56日間の哨戒行動から真珠湾に帰投した。」
とあるようにFMソナーは対馬海峡の機雷堰突破用に、45年5月頃まで改良を重ねながら試験されていたもの。
米潜ソナーは14KHzと30KHzの切替式で、新開発と言っても近距離用に解像度が精密になっただけの話。
レーダーアンテナ装備の夜間潜望鏡の完成も44年8月頃で、超短波のSJレーダーも完成したが、これは上陸部隊への配備が優先され潜水艦配備は後回しにされた。
>>414 艦種別に見ても、アメリカの潜水艦は損耗率は高い。
日本海軍はかなりの数(50近く)の潜水艦を葬っている。
対策は後手に回ったが、海防艦等の小艦艇は良く戦ったと言える。
第一次世界大戦の海上護衛の戦訓をもう少し真剣に取り入れていたら、あそこまで酷くはやられなかった。
あのときのノウハウはいったい何処へ消えていったんだ。
日本も欧州に陸軍部隊を派遣することになって、それがドイツの潜水艦にボカチン食らえば、陸軍の圧力でもう少しまともに考えるようになったかもしれんな。
>>416 一次大戦の戦訓ねえ。海軍は開戦当初に青島のドイツ軍根拠地を占領後、第1・第2南遣支隊をドイツ東洋艦隊追撃の為に内南洋へ派遣。
3個艦隊分の陸戦隊を編成して終戦後まで防備に充てる。
その後伊吹他3隻でエムデン追跡に参加したり、遣米艦隊をカリフォルニアに派遣したり。
更に1917年になって、それまで金剛型貸与や陸軍派遣を断り、21ヶ条要求で険悪になってた外交関係を回復すべく特務艦隊を編成。
第1特務艦隊は南アからインド洋横断してシンガポールまでの船団護衛。
しかしインド洋にドイツ海軍の姿はなく戦闘はなし。
豪州に派遣した第3特務艦隊は目立った活動もなく、短期間で解隊。
第2特務艦隊は旗艦明石と樺型の2個駆逐隊で1917年4月にマルタへ派遣。 護衛だけでなく救助活動も含め、目覚ましい活躍で各国から称賛され佐藤皐三司令官は謁見まで許される。 その後榊を大破し78人の戦死者を出すも、出雲や15駆逐隊の増派や、英から2隻の駆逐艦と2隻のトローラーの貸与を受け増強。 のべ788隻の船団と70万人の将兵を護衛し1年9ヶ月の活動を終える。 因みに佐藤司令官は砲術専門で対潜戦闘どころか、駆逐艦も水雷戦隊指揮経験もなく全く不慣れであった。 この時の第2特務艦隊の要員には山口多聞や田中頼三もいる。 もちろん当時の日本艦にはソナーどころか、爆雷すらなかったんではなかろうか。 護衛をして撃沈されれば救助して、浮上してくる潜水艦には砲戦を挑む位だろう。
多数いた海軍の英駐在観戦武官は、殆んどが本国艦隊の戦艦か巡戦に乗艦して海戦の報告ばかり。 船団護衛や潜水艦に関する報告は殆んどなく、唯一末次が潜水艦の報告をするが、それも潜水艦が艦隊にどう協力したかの内容。 本国艦隊付きだから報告が主力艦隊中心の視点になるのも当然。 第2特務艦隊の報告は、他の数ある艦隊や観戦武官の報告に埋もれたのかね。 拙い装備と不慣れな戦術で、将来戦に役立つ程のノウハウを得られたかはわからない。 元々イギリスみたいに世界中に植民地がある訳でもなし。 当時はせいぜい大陸との交通線位だったから、日本にとって参考にならんかったのか。 それでも爆雷やソナーの研究・開発はしてたし、大陸との交通線確保は機雷堰で、港湾防御は防潜網で対処する対策はしていた。 まさか将来広い太平洋や南方で、船団護衛や対潜戦闘やる事になるとは想像しなかったんだろう。
海軍もアメリカと戦争になったら、海上護衛は必要という意識をもっていたことは戦史叢書には一応書いてある。 第一次世界大戦の英VS独のデータ丸写しで、10%の損害で2年目まではいける。 ただアメリカが本気だすと思われる3年目以降は想像できませんって書いてある。 とにかく、対策しようにもアメの出方も分からんし、他に優先すべき戦備があるので出来ませんって感じだ。
おまけに太平洋戦争開戦当初はアメリカの魚雷に問題ありまくりで 不発や過早爆発で当たっても沈みませんで 見かけの損害が少なかった。
>>421 そのデーターって陸軍から見積もりだしてくれって要求されて あわててWW1のデータを引き出してつくったやっつけもんだったやつだっけ??
>>423 ベースは同じかもしれないが、3年目の見通しが違うのでよく分からない。
戦史叢書850ページ以上あるので、どこに書いてあったか見つけるのが大変。
戦史叢書 海軍軍備1の734ページだ。 物資全般ではなく油に関してだった。勘違いすまん。 海軍省の見通し 輸送力 ○現有油槽船 47隻 44万t也 ○日本、蘭印間の輸送回数年間10〜15往復 ○一ヶ月輸送量約500万t ○油槽船建造計画(昭和16年8月1日現在) 今後3年間に1万t級10隻、5000t級20隻 計20万t也 ○戦時輸送の損耗を10%と仮定すれば、本計画でおおむね可なるも、実績を見て要すれば建造量を増加する。 本研究の過程において着目すべき問題は、 1.原油の損害損失を10%と見込んでいるが、損失率はこれを著しく超えることなきを保し難い。 特に戦争3年目ともなれば、交通線確保維持は相当至難となることを予期しなければならないこと。 後は占領した油田の破壊具合によっては状況はもっと不味いかもしれんとか、内地の油田は平時の半分で計算しているとか、北樺太、スマトラ北部油田は計算外としている。
誤)○一ヶ月輸送量約500万t 正)○一ヶ年輸送量約500万t
>>416 アメリカ潜水艦の損失の1/4くらいは機雷じゃないか?
事故や航空機による損害もあるから、対潜艦艇の戦果は半分くらいではなかろうか。
海軍護衛艦物語によると、きちんと情報も送られていたようだが、得られたノウハウも情報も、
きちんと分析・改善して組織的に維持・発展させていかなきゃならなかったのにね。
予算的に、大量の護衛艦艇を持つのが無理なのは仕方ないにしても、
決戦の事だけしか考えてなかった海軍はダメダメだったな。
>>418 同じく海軍護衛艦物語によると、爆雷は、第二特務艦隊が派遣される前年に開発されたばかりだったそうだ。
当然、派遣された時はそんなもん持ってない。
>>416 も
>>427 も海上護衛の目的は敵潜を撃沈する事でなく、輸送船団を無事に目的地に到着させる事にあるのを忘れないようにな。
それと護衛艦艇だけでなく、飛行機や機雷の戦果も海上護衛への努力の一端だ。
護衛艦艇だけが護衛への努力で機雷は違うって訳じゃない。
むしろ海軍の戦前の海上護衛構想は、護衛艦艇より機雷のがメインな位なのに。
1934年に各鎮守府に防備戦隊を設置して以来、機雷・掃海・対潜は鎮守府(防備戦隊)担当、決戦は艦隊担当という棲み分けだったに過ぎない。
だから艦隊が決戦ばかりなのは当然で、海軍が決戦ばかりなのではない。
そこは区別してくれ。
商船学校出身の指揮官の場合、潜水艦の無線や他船団の襲撃情報を聞くと避けるように行動。 正規の海軍の教育を受けた指揮官の場合、逆に返り討ちしてやるくらいの感じだった。 というのを、どこかで目にした記憶があるが、確かでないので間違いかもしれん。
>>428 >>427 だが、俺は
>>416 の書き方だと、アメリカ潜水艦の損害の全てが
護衛艦艇によるもののように見えると書いただけだが。
連合艦隊が決戦主義なのはそういう任務だから当然だとしても、
海軍が連合艦隊にばかり、予算や人員を割り振ったのが問題。
第一次大戦での教訓を全然活かせなかったのは海軍。
>>430 対潜機雷原でのアメの潜水艦の損失は殆ど無いんだが。護衛部隊の
協同攻撃による喪失と判定されている方が遥かに多い。
対潜機雷原が或る程度アメの潜水艦作戦に対して制約を与えた
事実は有る。
(ex.日本海海域へのアメ潜水艦の侵入抑止等)
だが、太平洋正面を機雷原で封鎖するなんてのはそもそも不可能だ
ったんだから、アンタのしている批判は「為にする批判」に過ぎん。
欧州では、ドイツが大戦前に保有していた潜水艦は57隻、そのうち大西洋で実働できたのが23隻。 海戦1年目で戦力に加えられたのが20隻。 この状況でイギリスは1年目に120万トンの商船をやられている。 第一次世界大戦の当事者だったイギリスですら、教訓を生かしていない。 これを見ても戦前から準備していない点については、日本を責めるのは酷。 海防艦の強化には予算通らなかったこともあった。 なぜ、そんなに護衛艦である海防艦が必要なのか説明するのが難しいし、他に優先すべき戦備がある。 日本の生産力、技術力の中では出来ることをやった結果、手も足も出なかっただけで、他にどうしようもないんじゃないか。
>>431 誰が太平洋を機雷で封鎖するなんて書いてるんだ?
人が書いていないことを例に挙げて批判するオマエはなんなんだ?
煽り文しか書けない馬鹿はほっときゃいいんだよ
>>433 それなら先ず機雷での喪失米潜を挙げればいいジャマイカ。
確かWahooとその他2〜3隻位しか無かったはず。
416は50近く、と数字書いてるんだから(アメの太平洋側での潜水艦
喪失は確か事故込みで58隻位)、416はアメの潜水艦損害は護衛艦艇
由来が全てと書いている、という解釈はちと苦しいだろ。
436 :
ゆうか ◆u8WC078ef5ch :2009/09/23(水) 10:50:47 ID:yQR+WC3T
41.12.10 米 シーライオン 96陸攻 41.12.15 蘭 O16 機雷 『辰宮丸』敷設 41.12.19 蘭 O20 駆逐艦『天霧』『綾波』『浦波』・駆潜艇8号・水偵協同 41.12.21 蘭 K17 機雷? 41.12.25 蘭 K16 伊166 42.02.?? 米 シャーク 駆逐艦『山風』『雷』 42.02.18 蘭 K7 96陸攻 42.02.24 蘭 K13 96陸攻 42.03.02 蘭 K10 駆逐艦『天津風』『初風』 42.03.02 蘭 K18 駆潜艇12号 42.03.03 米 パーチ 駆逐艦『潮』 42.07.31 米 グルニオン 砲撃『鹿野丸』 42.10.11 ソ L16 伊25 43.01.10 米 アルゴノート 駆逐艦『舞風』『磯風』・99艦爆 43.02.16 米 アンバージャック 水雷艇『鵯』・駆潜艇18号 42.03.05 米 グラムパス 駆逐艦『村雨』『峯雲』・水偵 42.03.15 米 トライトン 駆潜艇24号 43.04.03 米 ピッケレル 敷設艇『白神』・水偵 43.04.22 米 グレナディナ 捕獲網艇『長江丸』・97艦攻 43.06.16 米 ランナー 敷設艇『白神』・水偵 43.09.09 米 グレイリング 『北安丸』(体当たり) 43.09.17 米 ポムパノウ 敷設特務艇『葦崎』・水偵 43.09.28 米 シスコ 砲艦『唐津』・97艦攻 43.10.08 米 S44 海防艦『石垣』 43.10.11 米 ワフー 駆潜艇15・43号・水偵 43.11.14 英 タウラス(大破) 駆潜艇20号 43.11.17 米 コービナ 伊176 43.11.19 米 スカルピン 駆逐艦『山雲』 43.11.23 米 カペリン 敷設艦『若鷹』・水偵 44.01.?? 米 スコーピオン 機雷?
437 :
ゆうか ◆u8WC078ef5ch :2009/09/23(水) 10:51:49 ID:yQR+WC3T
44.02.26 米 グレイバック 97艦攻 44.02.29 米 トラウト 駆逐艦『朝霜』 44.03.?? 英 ストーンヘンジ 97艦攻? 44.03.26 米 タリビー 事故(自分の魚雷) 44.04.18 米 ガジョン 96陸攻 44.05.31 米 ヘリング 砲台(千島列島松輪島) 44.06.14 米 ゴレット 機雷? 44.07.26 米 ロバロ 機雷? 44.08.13 米 フライアー 機雷 44.08.24 米 ハーダー 海防艦22号 44.10.?? 米 エスコラー 機雷 44.10.24 米 シャーク(2代) 駆逐艦『春風』 44.10.25 米 タング 事故(自分の魚雷) 44.10.25 米 ダーター 座礁 44.10.30 米 サーモン(大破) 海防艦22・23号 44.11.07 米 アルバコア 機雷 44.11.07 米 グロウラー 駆逐艦『時雨』・海防艦『千振』・19号 44.11.11 米 スキャンプ 海防艦4号 44.11.14 米 ハリバット(大破) 海防艦3・6号 44.11.22 英 ストラタジェム 駆潜艇35号 45.01.03 米 ソードフィッシュ 機雷 45.01.11 英 ポーパス 機雷 45.02.?? 米 バーベル 駆潜艇9号・天山 45.03.20 米 キート 97艦攻 45.03.27 米 トリガー 潜水艦or機雷? 45.04.12 米 スヌーク 海防艦『御蔵』・33・59号 45.05.03 米 ラガート 敷設艦『初鷹』 45.05.19 英 テラピン(大破) 船団護衛艦艇 45.06.19 米 ボーンフィッシュ 海防艦『沖縄』他 45.08.06 米 ブルヘッド 99軍偵 木俣滋郎『潜水艦攻撃』から
41.12.15 蘭 O16 機雷 『辰宮丸』敷設 41.12.21 蘭 K17 機雷? 44.01.?? 米 スコーピオン 機雷? 44.06.14 米 ゴレット 機雷? 44.07.26 米 ロバロ 機雷? 44.08.13 米 フライアー 機雷 44.10.?? 米 エスコラー 機雷 44.11.07 米 アルバコア 機雷 45.01.03 米 ソードフィッシュ 機雷 45.01.11 英 ポーパス 機雷 45.03.27 米 トリガー 潜水艦or機雷? 結構機雷で殺られているようだな 蘭の二隻は攻勢機雷戦だから除外するとしても米8・英1が機雷による喪失らしいじゃないか
欧州では米潜水艦はどれくらいやられたんだろう。
>>437 44.10.25 米 タング 事故(自分の魚雷)
確か、自分の撃った魚雷がUターンして戻ってきたんだっけ?
442 :
ゆうか ◆u8WC078ef5ch :2009/09/23(水) 11:24:54 ID:yQR+WC3T
>>440-441 魚雷は発射直後、舵を操作して所定の針路に乗せます。
誤解する人が時々いますが扇形に射線を展開する手段は発射管の角度を変えたり、艦の首を振らせたりではなく
発射直後の転舵をあらかじめ入力しておくことで行います。
(昔SEGAの大戦略系ゲームのアニメーションで「首振り」させてるのがありましたw)
つまりこの定針機構が故障して舵をきったまま戻らなくなると、
その魚雷はぐるりと円を描いて自分のところに戻ってくるわけですね。
太平洋で事故込みで58隻とすると、Wikiの第二次世界大戦のアメリカの喪失艦に記載されている潜水艦は71隻だから、大西洋では13隻?
445 :
ゆうか ◆u8WC078ef5ch :2009/09/23(水) 12:37:51 ID:yQR+WC3T
さてどうですか? 上の表における事故は戦闘中のものです。 後味方射ちで喪失したシーウルフなんて事例もあります。 U.S.Submarineとか参考になる文献はありますんで調べようと思えば多分可能ですよ。 まあそこまで詳細に調査する意欲はぶっちゃけないんですが(苦笑
調査できると簡単に言いきれるあなたがかなーりうらやましいんですがwww
>細かい調査とかやる気しねーという人が大増殖中でもある。 まずは自分で調べろって基本中の基本が、ネット世代にはできないだけ。 図書館・書店どころかネット検索すらしないとか、ゆとり全開は相手にしたくない。 3行目以降は無視
>>448 に補給が届かなくなる事件の始まりだった。
オゾンなんか空気中に致死濃度50ppmどころか0.1ppmでもあれば臭くてたまらんよ
一時期、確かに外気がやたらと臭かった記憶はあるな
日本のイ号潜水艦が1隻で、米空母1隻を撃沈してるよね。効率良過ぎ。 これはたまたま偶然にできたことなの?
ワスプのことか? たまたま偶然にできたことだよ。半藤一利の「日本軍艦戦記」に、 ちょうどこのワスプ撃沈の時に潜水艦に乗り組んでいた人の 体験手記があるから興味があるなら読んでみたら良い。
アルバコア カヴァラ アーチャーフィッシュ レッドフィッシュ シーライオン
>>453 資料まで、ありがとう。探して読んでみるよ。
659 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/09/24(木) 22:50:39 ID:mLOyxb5h
>>658 確かにその通りなんだが当時の米英の水上艦艇に装備されたソナーは
搭載艦が12ノット以上で走ると探知能力がかなり落ちるそうだったので
水中最高速力17ノットの21型Uボートが相手では分が悪かったと思う。
実際戦後米海軍は数隻のドイツの水中高速潜を捕獲したソ連がこれらの
コピーに成功したら西側海軍にとって深刻な脅威になりうるとして対潜
装備の進歩に力を入れ続けたそうだ。
結局、海上護衛を万全にしようとすれば、銭がかかる。 その分、正面戦力が貧弱になるか、その他の支援体制が貧弱になるか、どこかが凹む。 結局、その弱い部分を突破されて詰んでしまう。
>>457 仮想戦記じゃないんだから、こうすれば良かったとか勝つ方法を模索する必要もない。
史実がどんなだったか、それに携わった人達がどんな状況だったか、どんな装備でどんな体制で戦ったのか。
外国との比較を含めて史実を検討すれば良いでしょ。
対ソレンドリース船団の護衛体制とか、地中海のイタリア船団とか。
欧州では空襲でやられる確率がより高かったけど。
それと日本の場合、護衛の失敗というより、戦前はそれ程南方石油に依存しないつもりだったはずなんだけどね。
特に戦争1年目は油田や製油所破壊されて、殆んど輸送できないはずだったし、あそこまで戦線拡大するとも思ってなかった。
戦争2年目でも所要500万トンのうち、250万トンを南方石油で後は人造石油や備蓄取り崩しで賄うつもりだった。
まあでも勝とうとしても無駄だということが
>>457 がわかったならいいのではないか
日露の時も正面戦力保持に必死で通商脅かされても何もしなかったからな
>日露の時も正面戦力保持に必死で通商脅かされても何もしなかったからな どこの平行世界の話?
そもそも通商保護には対空・対艦・対潜・対機雷と様々な脅威が存在し、これら全てに対処しなきゃ護衛は全うできない。 また南方資源地帯との輸送だろうと、前線での補給や部隊輸送だろうと、商船を使いこれを沈められる可能性があるのは同じ。 なので潜水艦対策を特別視したり、正面戦力は護衛と関係ないとか、前線での護衛は海上護衛と区別すべきなんてのは違和感があるし、まとめて考慮すべき問題だろう。
>>461 太平洋艦隊が決戦前に沿岸を襲撃したが。
>>463 その時上村第二艦隊は何もせず、放置してたんですね。
旅順閉塞戦とかスルーですね。
たしかに張り付けできる戦力では無かったな 結局決戦主義には変わりない
端から見ててもみっともない煽り止めようよ
ま、第二艦隊も結局バルチク迎撃に赴いたわけだから 優越する敵には護衛戦を捨てたわけだよね。
>優越する敵には護衛戦を捨てたわけだよね。 えっと、もはや脅威ではない、ウラジオストク艦隊に 張り付いておかなくてはならないという戦時国際法とかあるのかな?
↑スレを無駄に消費するだけなので、こういう煽りは以後スルーで。 ただのレス乞食だから返事するだけ無駄。
過疎スレ誘導乙w
対アメリカは、艦隊決戦で勝利して、とりあえず短期で戦争終わらせるってのがドクトリン。 その目的に沿って、戦力を整備するのは普通の話。 短期決戦で相手に勝つための正面戦力を整備するのが最優先。 短期決戦を志向しているのに、それに相容れない長期戦前提の海上護衛戦力を整備しなかったって批判は後出しじゃんけんだ。
その短期決戦ですら、真面目に考えていたかどうか怪しい。 短期決戦で勝つのではなく、太平洋を試合場とした海戦ゲームに勝つことを目指していただけ。 陸軍と張り合って、予算欲しくて我侭だっただけだ。 海軍なんかに銭かけないで、産業やインフラ整備した方がよかった。
適当な印象論イクナイ ロンドン条約成立後6年間は陸海軍に大した予算は使ってないな。 かといって濱口内閣と若槻内閣は産業やインフラ整備にも使っていない。
>ロンドン条約成立後6年間は陸海軍に大した予算は使ってないな。 適当な印象論乙w
ワシントン条約の後は@、A計画だよね。 そりゃ後の方の計画と比べりゃ小規模かもしれんが、これだって日本の国力考えたら無駄。 だいたい軍縮条約なければ、海軍の軍備で戦争する前に亡国だったわな。
また無駄な煽りあいしてる。 軍板はソース主義なんだから、自論の根拠となるソースや具体的な数字ださなきゃ説得力なし。 俺?俺はもう資料投下に疲れた。
@計画 昭和六年度より昭和八年度追加1500万円 予算総額 艦艇建造予算:2億4708万円 航空隊整備予算:4495万6千円 3年間で合計3億703万6千円 年間約1億円 昭和六年 国民総生産 約87億円 財政約15億円
>>480 マル1計画は昭和6年度から11年度までの6年計画で、航空隊整備計画は13年度までの計画なんだが。
何故予算を3年で割ってるのか。
因みに建艦計画だけでなく、昭和期各年度の歳出/陸海軍軍事費の割合(千円)
1929年
1736317/494920
1931年
1476875/454617
1933年
2254662/872620
1935年
2206478/1032937
1937年
2709157/1236840
1938年
3288029/1166746
1939年
4493833/1628610
1940年
5860123/2226182
1941年
8133891/3012625
そもそも、戦前の最盛期でもアメリカの1/10以下の国力でアメリカと対称となる正面戦力を揃えるとか無茶。
海防艦221号は昭和20年7月14日、釜石湾に停泊中に米第三艦隊による製鉄所の艦砲射撃に巻き込まれた。 湾口で警戒中の駆潜艇23号は空爆によって撃沈された。 艦長は意を決し、抜錨。221号は沖合いの敵艦隊に向け突撃を敢行した。 敵艦との距離が18000メールになったところで、左砲戦の号令がかかるも、小口径の12センチ砲では射程距離が短く、まだ発砲できない。 そのうち、敵弾は艦の至近に落下するようになり、ついに狭叉された。 敵艦の次の斉射では確実に命中弾が来る。もうダメかと思われた時、艦長は突然、「両舷後進一杯」と命じた。その直後、艦首直前に敵弾が落下した。艦長の咄嗟の判断で艦は救われた。 その後、221号は犬死に等しい無謀な突入を諦め、湾内に戻って敵艦隊の死角に入るように山の下に停泊し、対空戦闘に備えた。 艦砲射撃終了後、予期したとおりは載機の空襲が始まった。 襲ってくる敵機はF6F及びF4F約30機。機銃掃射と小型爆弾による攻撃だった。 221号は地形の利を生かして応戦し、20〜30分程度の戦闘で12機撃墜、1機撃破の戦果を上げる。 しかし、機銃掃射によって艦橋は蜂の巣のようになり6名が戦死した。
黒潮部隊の南哨戒線を北から突破することになった第58機動部隊は艦載機により監視艇を攻撃した。 このとき現場海域にいたのは第三及び第一監視艇隊であったが、17〜18日にかけて米艦隊が哨戒線を通過するまでに11隻の監視艇が沈没・行方不明となり、5隻が大損害を受けた。 26日未明、硫黄島へ向け南下していた第58機動部隊は一部の小型艦が波浪で損傷するほどの荒天に見舞われた。 午前3時頃、米艦隊はその巨大な波に隠れるように船団の中に潜り込んでいる2隻の監視艇を発見した。 直ちに米駆逐艦から5インチ砲と40mm機関砲での攻撃が行われたが、2隻はさらに米艦に接近して小口径砲で応戦した。 1隻は駆逐艦ポーターフィールドの艦橋付近に1発を命中させて3名を死傷させ、もう1隻は軽巡洋艦パサディナに13発を命中させ2名を負傷させた。 だが反撃もこれが限界であり、2隻は間もなく撃沈された。 生存者はなく、船名さえも不明である。
>>483 12機撃墜は米軍記録に残ってるんだろうか?
悪いけど信じられないなあ。
コピペ馬鹿
横槍だが 12機は明らかに重複してるべ。 1機落ちるのを何人も見るわけだし 別に奮戦した事は確かなんだから 信じる信じないとか勘繰るようなこと口にだして 悦に浸ってるのが一番な馬鹿な気がする。
「悪いけど」って断ってるじゃないか。どこをどう深読みして「悦に入ってる」などというのだエスパー君。
こういう戦闘があったと紹介しただけなのに、戦果を信じる信じないとか…。
疑問に思うなら、自分でその日の戦闘調べて裏をとろうとか思わないのかねえ。
記事のソースは「海防艦戦記」だが、被弾した敵機の記述のみで艦からの撃墜確認は記述なし。
12機の戦果確認は陸軍による観測らしい。
http://www.aviationarchaeology.com/src/USN/LLJul45.htm から当日は津軽海峡全体で7機撃墜あり。
ただしこの日沈んだのは駆逐艦1隻・海防艦2隻・駆潜艇1隻・船舶16隻あるので地上含め他にも艦載機との交戦機会はあった。
従ってこの海防艦単独による正確な戦果は不明。
>>489 自分がエスパーかどうか知らんが
断れば何言っても言いわけじゃないだろ。
自分は普通に読んでて感動したし
信じられないなら信じられないでわざわざ書かないで欲しい。
礼を欠いてるとはいえ、書くな、は横暴すぎるだろ
書かないで欲しいと書くなは違う気がするが・・・ 個人的には491には同意できるが、わざわざレスする必要もないと思うな。 489みたいなのはどこにでもいるし。
494 :
490 :2009/10/01(木) 18:47:51 ID:???
ハイハイ 無駄な言い争いでレス消費するのはそれ位にしてくれ。 戦果の確認もできたんだしこの話題はここまでで終了。 資料投下は歓迎だが、言い争いや抽象的な自論の垂れ流しは勘弁願う。 最初から勝ち目ないじゃんとか、海軍は正面装備ばかりとかそんな自己主張はどうでもいいから。 情報交換の場として為になる情報を提供してくれ。
大井篤氏の本を電車で読んでいたら、おじいさんから声かけられた。 なんでも海防艦より小さい船で護衛と称して硫黄島まで行ったことあるそうだ。 色々話したが、大井氏に対しても安全なところで批判だけしている奴と言っていた。
>>496 まぁ一線にいる身からしたら全てそうだろう。
仕方が無い。
>>496 伊号輸送隊で検索するとわかると思うが、元はサイパン逆上陸部隊の一部を硫黄島増援に転用。
二等輸送艦はそのまま硫黄島に直行できたが、一等輸送艦その他は一度父島に集めてから機帆船に積み直して硫黄島へピストン輸送した。
伊号輸送隊の護衛艦は駆逐艦松や海防艦等がいたが、それより小さいなら多分51・52号駆潜艇ではないだろうか。
確か間接護衛で、瑞鳳も搭載機を931空の対潜航空隊に代えて護衛していた。
ヒ船団やミ船団・テ船団等の物資輸送の他、ガ島やソロモン、東部・西部ニューギニア、中部太平洋、レイテ等部隊輸送作戦は数が多いから。
ヒ船団でも大船団主義以降は練習巡香椎や空母雲鷹、海防艦6隻とかを1船団(ヒ71船団あたり?)の護衛に付けてたりする。
部隊輸送では松輸送、竹輸送、多号作戦等が有名だな。
昭和17年4月1日 第1海上護衛隊(井上保雄中将) 直率浮島丸(特巡) 第1護衛部隊 第13駆逐隊 呉竹・早苗・若竹(駆逐艦)鷺(水雷艇) 華山丸・北京丸・唐山丸(特砲) 第2護衛隊 第32駆逐隊 刈萱・朝顔・芙蓉(駆逐艦)・隼(水雷艇) 長寿山丸・でりぃ丸(特砲) 第22駆逐隊 文月・皐月・水無月・長月(駆逐艦) 第2海上護衛隊(茂泉慎一中将) 能代丸・金城山丸(特巡)・長運丸(特砲) 昭和18年11月15日 海上護衛総司令部(及川古志郎大将) 第1海上護衛隊(中島寅彦中将) 呉竹・若竹・早苗・刈萱・朝顔・芙蓉・朝風・汐風・帆風(駆逐艦)・友鶴・真鶴(水雷艇)・佐渡・松輪・対馬・捉択・若宮・干珠(海防艦)・2号・3号(哨戒艇)・華山丸・北京丸・長寿山丸(特砲)
第2海上護衛隊(茂泉慎一中将) 夕月・追風・朝凪(駆逐艦)鵯・鴻(水雷艇)・隠岐・御蔵・福江・平戸(海防艦)・長運丸(特砲) 12月15〜20日 901空、空母雲鷹・大鷹・海鷹編入 昭和19年8月20日 第31戦隊(江戸兵太郎少将) 旗艦五十鈴(軽巡) 第30駆逐隊 卯月・秋風・夕月・皐月・夕凪(駆逐艦) 第43駆逐隊 松・竹・梅・桃(駆逐艦) 干珠・満珠・御蔵・笠戸・三宅・20号(海防艦) 9月1日933空編入 昭和19年12月10日 第1海上護衛隊が第1護衛艦隊に昇格 以下略
>>500 訂正
第2海上護衛隊(茂泉慎一中将)ではなく、
第2海上護衛隊(若林清作中将)に訂正
>>498 松輸送に関しては、半分スレチになるかも知れんが最新号のMG誌
(模型誌)で岩重多四郎氏が概略について触れている。
503 :
496 :2009/10/08(木) 14:02:07 ID:???
>>498 詳しいレスサンクス。
ただまあ、このお爺さん兵器に関してはマニア的な知識がなく、自分の乗っている船が海防艦なんかより小さいってことだけで、なんて船かはよく覚えてなかった。
ひたすらアメリカの潜水艦は恐かったと言っていた。
日本の潜水艦は潜望鏡をビール瓶くらい突き出しただけですぐ見つかった。
あちらは、潜望鏡出さないで魚雷撃ってくる。
というようなことを話されてました。
釣り
>>503 水雷長とか砲術長とかでなきゃ、現場の兵士が兵器に詳しくないのは当然。
しかし自分が乗る艦の艦名位はわかりそうなもんだがな。
栗田も大和の主砲が46pだとは知らなかったと言っていたが。
飛行機は姿が見えるし爆弾を落とす瞬間もわかるが、潜水艦は見えないからいつ攻撃されるかわからず厄介だという証言は多い。
ただしアメリカの潜水艦も潜望鏡にレーダーアンテナ付けてるので、潜望鏡を全く出さないという事はない。
米潜水艦は後半、昼は無航跡の電池魚雷、夜は高速の空気魚雷を使った。
どっちも後半までトラブル多くて、電池魚雷はターンして発射した自艦を攻撃する厄介者だったけど。
506 :
496 :2009/10/08(木) 18:27:55 ID:???
話の流れで、なんて名前の船ですか?ってしつこく聞かなかったし。
海防艦ですか?→いや、そんな上等な船でなく小さい船。
って話の流れ。それ以上聞かなかった。
自分が、海上護衛していたんで、その文字を見て何が書いてあるか気になったそうだ。
大井篤さんって人が書いた本で、海上護衛に力を入れろと訴えていた人ですよって言ったら
>>496 の言葉でした。
そういわれて読んで見ると、損害の裏に人の血が流れているっていうセンチメンタルな描写は少ないなと思った。
今月は損害が何万トン減ったとか、原因はこうであろうとか、数字とその数字が出てくる原因、対策なんかを冷静に記述している。
この人も自分を客観視するためか、「私」というような描写しないし。これ「マッカーサーの参謀」と同じだなと思った。
あくまでも本の主題が「戦略批判」なんで、そんなこと指摘しても仕方ない話ではあるけど。
それは書かないだけで死人のことを思ってないわけないよね。
>>507 本当に死人のことを思ってないならそんな非難がましいことは書かないだろうね。
よく、海防艦とか護衛艦を開戦前から準備しておけばって話がある。 潜水艦に対するシーレーン防衛を怠っていたとか。 でも、海防艦の予算は大蔵省に跳ねつけられているんだよね。何度も。 第一次世界大戦の戦訓どうした? って話も直接の被害者のイギリスですら国際法で無限潜水艦作戦は禁止だから安心って感じで序盤はダメだったし。 そもそも日本海軍は商船の船団護衛が必要になるような長期戦は想定してないわけだしね。 全ての軍備を万全にできる国力はないし。 まあ、こうすりゃ良かったってのはどうしても出てくるだろうが。
別に世間一般的に思われているほど無為無策だったわけでもないのにね。 開戦にあたって軍令部は、意外にも膨大な護衛艦艇を要求してるし。 昭和17年4月の時点で、第1海上護衛隊と第2海上護衛隊を設立してるしね。 例え多少海防艦の数が増えたところで、フィリピン失陥してシーレーン上の制空権を失えば意味無くなるし。 > まあ、こうすりゃ良かったってのはどうしても出てくるだろうが。 これはあるよね。
日露戦争でも日本海でロシア艦による被害が出てたのに(´・ω・`)
で?
日露戦争の頃には潜水艦も飛行機もねーよ 敵の艦隊を撃破すればシーレーン防衛も一緒に付いてくる。 日露戦争の教訓を言うなら、敵艦隊を撃破すればすべて解決w
>まぁそれが良くなかったんだなw ホントに分かっていってる?
海戦要務令に関しては、明治43年の第一改正で陸軍輸送隊の海上護衛について規定をもうけてる。
WW1の船団護衛の重要性や対潜水艦作戦の重要性は新見中将が訴え防備学校を作ろうとした。 しかし、軍務局長井上成美が反対しておじゃん。 方向性が微妙に違う機雷学校になりました。
>>516 通商破壊を行うのは、潜水艦だけじゃないのは分かってる?
航空機もやるし、巡洋艦だってやるし戦艦だってやる。
オレンジプランによるアメリカ海軍の最終戦略目標は、艦隊による日本の海上封鎖。
連合艦隊の存在意義というのは、海上封鎖に来るアメリカ海軍を撃破することが目的であって、
決戦して勝利することが目的ではない。
艦隊決戦というのはあくまでも手段。
現実に太平洋戦争におけるアメリカ海軍の戦争計画にも巡洋艦による通商破壊は盛り込まれていた。
例えば帝国海軍が対潜水艦戦に特化した海軍であったなら、潜水艦による被害は防げても
今度は、敵主力艦による通商破壊・海上封鎖を防げなくなってしまう。
とは言え、帝国海軍の海上護衛が満足いくものではなかったのも事実だし、もっとやりようがあったのも確か。
アメの戦争プランでは、潜水艦は艦隊決戦用戦力にするってことは日本と同じ。 限定的な意味では、日本海軍はアメリカ海軍をよく知っていた。 仮想敵国がどういうプランをもっているだろうかは結構正確に予想していたとも言える。 おまけに、無制限潜水艦作戦に対しては一番批判していたくらいの国だし、やれば国際法違反。 限られた予算では商船の対潜護衛のプライオリティは下がってしまうのは仕方ない面もあったんじゃないかな。
>>519 なるほど。ご高説よく分かりました。
といことは特化しないと勝てないような相手を仮想的として予算要求した海軍は亡国のお役所だった分けだ。
>といことは特化しないと勝てないような相手を仮想的として予算要求した海軍は亡国のお役所だった分けだ。 そりゃそうさ。軍隊って所詮お役所だもの。予算はもらえるだけもらいたいさ。 より多く予算を獲得するためにはアメリカを仮想的にするのが一番都合良い。 完全スレ違いだけどね。
>>521 どうせ勝てないから軍備縮小しよう、なんて絶対いえないのが国際政治。
少しでも有利な状態での軍備縮小 = 軍縮会議。
結論はでたなw
現実的に可能なプランも
>>518 のように捻じ曲げられるか潰される。
大井氏の本に書いてあるが、人材の面でも「護衛戦」って何すりゃいいの?状態。
まあ、やったからといって結果が変わるとは思えんが、戦闘の状況と後世の評価は変わっただろうに。
海上護衛の貴重な戦訓は、海上自衛隊に受け継がれたから「それで良し」としとくしかないんでね?
本土防空に関しても、沿海州からのソ連爆撃機による本土空襲の脅威は、戦前から認識されてはいた。 ただし認識されてはいても実際の備えはザルでしかなかった。 日本軍の1941年時点の本土防空用高射砲配備数は300門。 1945年3月までで1250門、そして終戦時には2000門を越えたが、本土防空が本格化するのは42年4月の東京初空襲からと言える。 2式単戦が本土防空用に引き上げられたり、爆撃機用飛行場制圧の為に中国でせ号作戦が立案されたり。 結局は実際に痛い目にあって被害が出てからでないと、本格的な対策はなされない。 イギリスもアメリカも潜水艦対策が本格化するのは、痛い目にあってからなのは変わらない。 日本の場合、米潜水艦の魚雷不調等で痛い目にあうのが遅かったから対策も遅い。
>>523 海軍の艦隊派は猛反対
野党は統帥権干犯で政府を攻撃(鳩山の祖父一郎ね)
政党政治終了のお知らせですw
浮上
>>528 そのあたりって戦史叢書の海軍軍備でもスルーだよなぁ。
開戦経緯当たりに書いてあるのかな。まだ読んでないけど。
公式の戦史作るのも陸海軍で反目し合って別々になってるしなぁ。
スレ違い
船団護衛というと海軍が主役ではあるが、暁部隊こと船舶工兵や砲兵をはじめ陸軍も大きく関わっている。 大発を艀代わりに積み荷の受け渡しはもちろん、その間武装大発が魚雷艇を警戒したり、掃海や水路誘導に奔走したり。 護衛専門部隊でなくても、隼や屠龍が船団護衛に付いたりもしている。
陸軍出身の東条首相は商船徴発とか運用に関してはそれなりに敏感だったな。
それは陸軍だからという理由じゃなくて、もっぱら東条の小市民的価値観からきてることだろう。
対日潜水干戦の概説を探しています
>>81 の数字と一緒に見ておいてくれ
石油備蓄量と消費量
陸軍/海軍/民需/計
備蓄量
120万t/650万t/70万t/840万t
開戦前需要予想量
第一年
100万t/280万t/140万t/520万t
第二年
90万t/270万t/140万t/500万t
第三年
85万t/250万t/140万t/475万t
総計1,495万t
実際の消費量
第一年
92万t/485万t/248万t/825万t
第二年
81万t/428万t/153万t/662万t
第三年
67万t/318万t/83万t/468万t
総計1,955万t
敵国日本って本で、当時の日本特派員の記者が書いていた社説?を読んだ。 日本が燃料備蓄が2年しか持たないような状態で対米開戦するような阿呆なわけないだろ。そんな考え無しのわけがない。 統計では発表されていない備蓄を抱え込んでいるはず。 彼らは機会主義者で、勝算の無い戦争はしない。日本で一番科学的な思考ができる海軍が対米戦に踏み切るということは それなりに勝算があると考えているはずだ。 ドイツの尻馬にに乗ったとかはあり得ない。 ってなことを書いていたが、買いかぶりすぎだったな。
>>537 海軍の備蓄量は陸軍も首相も知らない機密事項なのに、なんでその特派員は備蓄2年分て知ってるんだ?
>>537 買いかぶりというか、常識。
当時の海軍は常識はずれだったのだ。
>>538 海軍は機密を盾に陸軍や首相に言わなかったが、輸入量引−消費量(推測)で概算できるんでは。
旧海軍は、水から石油が出来ると信じる人間がトップに立てる組織。 搭乗員は人相とか手相で決めたりするし。 搭乗員は搭乗員でこっくりさんばかりやってるし。 全然科学とかじゃない。 まだ怪力光線でも研究している方が科学的
>>542 ハイハイ、煽りはいらないから。
旧軍批判がしたいだけなら他でやってくれ。
太平洋方面での米潜水艦の喪失数46隻は、投入数に対して喪失率20%に達しており、米軍全艦艇中最も喪失率・戦死率が高い。
むしろ大西洋に潜水艦がいたのか?と
潜水艦を片っ端から沈めるくらい護衛戦力を強化しようとすると、空母を中心とした艦隊決戦戦力が薄くなる。 艦隊決戦で負けてしまえば、潜水艦なんか無くても海上封鎖はできてしまう。 実際、商船の被害が跳ね上がるのは連合艦隊が完全消滅した後だし。
丁・丙型海防艦建造が1年〜1年半早ければ複数隻によるASW戦術など 日本側の護衛戦も進化してたかもな(増えても年間100隻弱くらいか?)
建造の直接の動機であった、米潜水艦の攻勢も1年早まるのかな。
まぁなにやっても負けるんだがねw
まあ、戦史叢書の海上護衛でも、「何やっても結局護衛できないですけどね」が結論だしな。
護衛やってもできないし、決戦やっても勝てないしw 海軍を並立させたのが失敗だったね。
かと言って諦めてアメリカのパシリにもなれない 八方ふさがりだな。
ここは史実の(日本に限らず各国の)通商破壊と海上護衛の状況を語るスレであって、対米戦に如何に勝利するかを考えるスレではないだろ。
輸送用潜水艦って効果があったのかな? 日本陸海軍は泥縄で作って、少数を運用してたけど。 ドイツとかどうだったんだろ?
>>554 日本海軍だってガダルカナルのネズミ輸送では潜水艦も使われてるぞ。
ただやっぱり効果は無かったけどな。やっぱり通常の船舶が航行できないほど
圧倒されている戦況の中で潜水艦がちまちまと輸送したところで無意味という
ことだろ。通常の船舶で輸送できるなら潜水艦なんて効率悪いし。
ドイツはUボートへの補給に潜水艦を投入したけれど、これが潜水艦による
輸送・補給の唯一の成功例と言って良いんじゃないかね。まあ潜水艦に求められる
補給量は陸軍に求められる補給量とは桁違いに少ないという事情ももちろん有利に
働いているんだろうけれど。
>>555 その「補給」って、基本的には燃料だから。
伊400級やタイフーン級みたいな大型潜水艦で輸送活動出来ればw
潜水艦によるガダルカナルへの輸送実績 ゴム袋 実施10回、成功9回、輸送トン数181t、揚陸トン数175t ドラム缶 実施 8回、成功4回、輸送トン数79t、揚陸トン数60t 運貨筒 実施 3回、成功3回、輸送トン数54t、揚陸トン数54t 不明 実施 1回、成功0、不明、不明 潜水艦別ガダルカナルへの輸送実績 イ2 実施1、成功1、揚陸不明 イ9 実施4、成功2、揚陸29t イ16 実施2、成功1、揚陸18t イ18 実施3、成功3、揚陸58t イ19 実施3、成功3、揚陸52 イ20 実施3、成功3、揚陸61 イ21 実施1、成功1、揚陸15 イ31 実施1、成功1、揚陸15 イ36 実施2、成功2、揚陸32 イ168 実施1、成功1、揚陸9 イ176 実施1、成功0、揚陸0 尚、成功は一部でも揚陸に成功したものは成功としてカウント。
>>558 潜水艦をそれだけ投入して、それで運べた量が300トンそこそこだもんなあ……。
いくら日本の輸送船がオンボロだとは言っても、それなりの外洋船なら一回の輸送だけで
もっと運べると言うのに。
全部合わせても300トンいくかどうか。 これが1942年12月26日〜1943年1月27日の実績。 丸通の実施は1942年11月24日からだけど、手元に表になっているのは上記の期間しかなかった。 これだけの潜水艦を拘束して、1月で300tの物資を輸送ってのを、戦後アメリカ海軍に馬鹿にされたわけですな。
雇用確保と利権の事情から建設土木の機械化が躓き ヤクザが取り仕切る荷揚げ業も効率化は困難だったという話を聞いたなぁ。 現在でも港湾労働組合は大変な力を持っているそうで 港湾整備やコンテナ化が行われても24時間荷役は無理だし、港湾使用料や 荷役料も高いんだそうな。
海戦要務令も海上護衛に関しては退化してるしね。 大正元年には、「陸軍輸送隊の海上護衛及び揚陸援護」という36条からなる1章がありました。 その後、艦隊決戦が主軸となりこの章は全面削除。 結局、輸送を外南洋部隊にまかせっきりで、主力は常に敵機動部隊を求めて後ろにいたわけですな。 陸軍から見ると「海軍は戦艦、空母を追い掛け回して、輸送船には見向きもしない……」ってなことになる。 まあ、海軍の評価点では、3000トンの輸送船を撃沈しても5点。PTボートを沈めたのと同じ点数だし。 現場としてもやる気はでないでしょうな。
>>561 うーん。そのあたりの経緯はどうなんだろうね?
機械化が躓いたのは事実だけど、雇用確保から戦略的にそう考えていたのか、
はたまた助成するだけの国費を単純に捻出できなかったのか、そういう問題は
ある。1940年東京オリンピックに向けた東京都心の開発問題とかも持ち上がっては
いるんだけれども、結局戦費に国費を取られて予算を捻出できず、そのまんまに
なって結局オリンピックどころじゃなくてオリンピック返上もしちゃうし。
利権云々については、まあ経済統制を既存の利権の維持に使われたという経緯は
確かにあるみたいだけどね。その間に日本の国力はボロボロに。
技術中佐の日米戦争 海軍設営隊の太平洋戦争 このあたりに土木機械のことは詳しい。
大井篤氏の著作を読むと、機雷封鎖がけっこう費用対効果よく潜水艦の侵入を防いだそうな。
>>563 工事業者による反対が強かったと、歴史群像の海軍設営隊の記事に有った。
何号だったかは忘れたけど。
>>564 >技術中佐の日米戦争
自分の記憶と、そばの本棚に埋没している本が正しいのなら
技術中将ですよ
失礼しました。中将が正解です。
ここと島嶼防衛スレは、参考図書が列挙してあって勉強になるな。
>>558 あーそれでも駆逐艦による東京急行よりは成功率が高くていいなぁ。
駆逐艦のアレは有名なだけで実際には禄に揚陸できてないからね。
>>560 戦史叢書「南東方面海軍作戦<2>」から転載
11月24日 伊17・伊19 敵飛行機及び魚雷艇警戒厳重のため揚陸を中止
11月25日 伊17 11トン揚陸(半量揚陸)
11月26日 伊9 32トン揚陸
11月27日 伊31 30トン揚陸
11月28日 伊3 20トン揚陸
11月29日 伊2 揚陸おおむね完了
11月30日 伊4 20トン揚陸
12月3日 伊3 敵魚雷艇を発見揚陸中止
12月5日 伊2 20トン揚陸
12月6日 伊8 21トン揚陸
12月8日 伊4 20トン揚陸
12月9日 伊3 大発発進直後敵魚雷艇の襲撃を受け、魚雷艦尾に命中、1800ころ沈没
>>571 続き
※伊3の被害及び月明のため輸送を一時中止、食糧をゴム袋(のちドラム缶)に充填した上甲板に固縛する方法に変更
12月26日 伊26 15トン(ゴム袋)
12月27日 伊31 15トン(ゴム袋)
12月30日 伊19 25トン(ゴム袋)
12月31日 伊20 25トン(ゴム袋)
1月1日 伊168 15トン(ゴム袋)魚雷艇2隻来襲のため6割揚陸して避退
1月3日 伊36 20トン(ゴム袋)
1月4日 伊19 15トン(ゴム袋)
1月5日 伊18 15トン(ドラム缶)揚陸完了後、敵魚雷艇来襲
1月6日 伊9 21トン(ゴム袋)
1月7日 伊20 18トン(ゴム袋)
1月8日 伊36 12トン(ゴム袋)
1月9日 伊19 12トン(ドラム缶)
>>572 続き
1月11日 伊18 25トン(ドラム缶)
1月12日 伊9 敵魚雷艇を認め揚陸中止
1月13日 伊16 敵機制圧により大発来たらず、ドラム缶は浮揚のまま放棄
1月18日 伊9 ドラム缶浮揚せず失敗
1月20日 伊176 ドラム缶を浮揚させたが敵哨戒艇の妨害により曳航不能のため失敗
1月22日 伊20 18トン(運貨筒)
1月25日 伊16 18トン(運貨筒)、伊9 12トン(ドラム缶)約80缶を浮揚させたが敵魚雷艇の妨害により2/3揚陸
1月26日 伊18 18トン(運貨筒)
1月27日 伊2 15トン(ドラム缶)敵哨戒艇の妨害により潜水艦用大発・米・燃料の一部揚陸中止
1月28日 伊17 10トン(ドラム缶)浮揚後敵機の制圧により一部揚陸不能
1月29日 伊1 敵哨戒艇の攻撃により揚陸失敗、擱座沈没
1月30日 伊9 ドラム缶を浮揚させたが敵魚雷艇の接近により揚収容不能、失敗
※11月26日〜1月30日の揚陸実績 糧食250トン、その他(衛生材料、弾薬)、人員209名(海軍64名、陸軍145名)、収容人員579名(海軍484名、陸軍95名)
資料乙。 なんというか、現場の人の必死の努力は分かるが、軍隊として機能させるというよりは、遭難者の命を永らえさせるための輸送だな。 この間の兵隊さんの平均人数はどのくらいだったんか。撤退したときは、12,805とか10,652という資料が手元にあるが。
手元の資料で追加すると10/20で約27,000人、11/15で約19,700人だ。
しかし、潜水艦こき使われているな。
アジ歴で「ガ島」及「ブナ」方面に在りたる軍人軍属の給与の特例に関する件(昭和18年の資料) という資料があるが、生きて帰れば証明書を紛失しても、給料と17年の年末賞与はちゃんと払ってもらえるんだな。
学研「戦場の衣食住」より昭和13年改定の戦時糧食定量
特殊定量(1人/日)
精米 580g
乾パン(or圧縮口糧)
230g
缶詰肉 150g
乾燥肉 60g
乾物 120g
梅干 45g
福神漬 45g
粉醤油 30g
醤油エキス40g
粉味噌 30g
食塩 5g
砂糖 20g
茶 3g
栄養食 45g
合計 1403g
これに
>>575 の11/15時点の人数を掛けると、1日約27.6t
米と乾パンと食塩、味噌醤油以外ゼロにしても1日18t必要。
(味噌や醤油の塩分も入れた場合に食塩5gだろうから)
ほんとに
>>574 の1行目そのもの。
つまり揚陸できたのは単純計算で言って、通常だと10日分だけの食糧か……。 まあガダルカナルは餓死者も多数出た戦場だから、そんなもんなんだろうなとは思うけど……。
>>578 米炊くには水と火が要るし、匂いが出るから米兵はすぐ気づいたそうな(つД`)
米飯文化は戦争には向いてないっぽ。
でも乾パンや煎餅じゃ力が出ない( ´∀`)
潜水艦みたく缶詰飯でないと
兵士の命より鉄資源の節約の方が大切です by帝国陸軍
>>580 細く割って乾かした薪なら煙は上がらないんだぜ。
小野田さんがいっとる。
北ベトナムは戦争に勝ってるし。
米粉の乾パンがあれば戦局は変わっていたはず(棒
>>578 特殊定量(1人/日)
精米 580g
乾パン(or圧縮口糧) 230g
缶詰肉 150g
乾燥肉 60g
乾物 120g
|
合計 1403g
とんでもなく量が多いな。米4合のほかに乾パン230gとか
この1/3の量500gでも生き延びられるよ
11/15時点の人数約19,700人かけて一日あたり10トン
それなら潜水艦だけで25日分だ
米(炊飯前) 100gで356kcalだから、米だけで2000kcal超えるな。 乾パンが100gで410kaclだから943で、その他諸々で3000kcal以上はどうみてもある。 スポーツ選手で体重1kgあたり40kaclが必要。(日本医師会のサイトを参考) 70kgのスポーツ選手で2800kcal。 兵隊さんの必要カロリーはスポーツ選手以上じゃないとダメなんだな。
>>587 スポーツ選手と言っても色々あるだろ。
たとえば卓球と重量あげじゃ、やっぱり見るからにカロリーの消費量とか違うだろうし。
兵士はかつぐ量だって多いし行動時間だって長いから、スポーツの中でもかなり
運動量の激しい部類のカロリー消費量にはなるだろう。
たとえばフルマラソンだってカロリーは多いかもしれないけれど、 軽いユニフォームに手ぶらで、給水だってコースの途中まで走れば そこで給水所があって走ってる選手に飲み物を手渡してくれるわけだ。 それで走る距離は42.195km。 一方の兵士ときたら、武器弾薬の重量物に食糧や水だって自力で 運ぶ必要がある。それで一度行軍を始めたら20kmとか30kmとかの 移動になる。 そうなればどちらの方がカロリーが必要になるかおのずと分かるだろ。
自衛隊の戦闘食Tが1食で1800kaclだね。 これ3食食うのかね。
一日、コンビニのおにぎり1個とカップ麺1個の俺はガダルカナルでも生きていけるな。
とりあえずお前は生活保護かハローワークで生活支援給付金の申請手続きをしろ、 話はそれからだ。
戦史叢書「南東方面陸軍作戦<2>」によれば、 12月中旬における第2師団の給養状況は、師団として1日各人1/4〜1/6定量
禁断の食料に手をつけなかったのか、ガ島では。
うーん、どうなんだろ。ソースは2chの話でよければニューギニアの方ではそういうのもあったという 噂ではあるけれども。でもなまじ中途半端な補給はあったから、完全に補給の途絶したニューギニアとは 違ってそこまで自棄にはなれなかったのかもよ。
まあ、父島では飢えてもないのに、禁断の食事をした奴がいるからな。 鬼骨でも回すつもりだったのか。
>>587 精米 580g 2064kcal
乾パン 230g 943kcal
主食 小計 3000kcal
缶詰肉 150g 240
乾燥肉 60g 210
乾物 120g 240
主な副食 小計 690kcal
合計 3700kcal
戦史叢書「中部太平洋方面陸軍作戦<2>」から転載 ウェーク島陸軍守備隊の給養状況(主食+副食、主食には米・麦・乾パン・大豆・緑豆などを含む) 昭和19年3月以前 600g+145g(缶詰肉70g、乾物35g、砂糖20g、粉味噌20g) 昭和19年4月 583g+145g 昭和19年5月 323g+80g(缶詰肉40g、乾物20g、砂糖10g、粉味噌10g) 昭和19年6月 320g+80g 昭和19年7月 277g+73g 昭和19年8月 250g+70g(缶詰肉40g、乾物20g、粉味噌10g) 昭和19年9月 336g+70g 9/7 第1次潜水艦補給(主食45トトン、副食、医薬品若干) 昭和19年10月 400g+70g 10/29 第2次潜水艦補給(主食28トン、航空機資材) 昭和19年11月 400g+70g 昭和19年12月 400g+70g 12/17夜 第3次潜水艦補給 昭和20年1月 403g+65g 1/23夜 第4次潜水艦補給(主食45トン、兵器若干) 昭和20年2月 420g+30g(缶詰肉20g、調味品10g) 昭和20年3月 369g+31g 3/25以降1日2食 昭和20年4月 251g+35g 4/18夜 第5次潜水艦補給(80トンのうち30トン流出、火薬を含み50トン揚陸) 昭和20年5月 290g+35g 昭和20年6月 233g+33g 6/22〜6/27 主食37g(1日1食)、6/27夜 第6次潜水艦補給(50トンのうち約半数流出) 昭和20年7月 319g+30g(乾物15〜20g、調味品10〜15g) 昭和20年8月 361g+30g
ところで、コンテナ導入によってどれぐらい船からの荷揚げ作業が速くなったんだろうか?
それで船が港に居る時間が減り船員が遊ぶ時間も減り 港町の実入りも減った。客船は別だけど。
その代わり物流コストが下がり物資の流通もスムーズになったから、 国全体が安価で豊富な物資を手に入れることができるようになったと 言うわけだけどね。
今は船員が上陸しない場合もあるね コンテナやRoRoの先駆的なものとしては鉄道連絡船か?
弘安の役は14万だったらしいがどうやって食料補給したのかね
誤爆?スレチだよな。海と戦いとが共通するだけで。
太平洋戦争中の潜水艦の輸送実績(参考:回想の潜水艦戦/鳥巣 建之助) 1942 隻数:16、回数:34回 1943 隻数:40、回数:227回 1944 隻数:19、回数:54回 1945 隻数:14、回数:20回 計 隻数:89、回数:335回 ニミッツの太平洋戦史 「古今の戦争史において主要な武器が、その潜在能力を少しも理解ざれずに使用されたという稀有な例を求めるとすれば、それはまさに日本の潜水艦である。」
いやいや潜水艦の輸送にミニッツの言葉関係ないから
ミニッツあげ
大戦中の日本の最重要資源シーレーンはシンガポール-門司間。 このラインは周辺の陸地を日本軍が抑えてる限りは護衛空母とか海防艦で護衛するより、 潜水艦の侵入経路と予想される海域の見張りと機雷封鎖を充実させた方が安上がりなような気がする。 独航船だと被害を受けたときの情報が得られないが、大規模船団組むと一網打尽。 彼我の兵器の性能が隔絶してしまっているので、船団にあまり意味があるとは思えん。 なるべく小規模な船団で輸送させた方が、船団よりも輸送効率はよくなるし、日本の実情に合っているのではないかと思う。
>>612 実際末期はその通りにしたじゃん。海上護衛戦に書いてあるよ。
読んだうえのオナニーだろw
>>612 ヒ船団一覧を見ると、18年7月のヒ1から20年2月のヒ88まで一網打尽どころか、19年半ばになっても被害皆無で輸送に成功してる船団は珍しくない。
当初は輸送船6隻に護衛2隻が平均で、19年4月からの大船団主義で輸送船12隻に護衛4隻平均とかになる。
損害の大きい船団はヒ40・ヒ68・ヒ71等一握りで、ヒ87みたいに19年半ば以降の損害は仕方ないだろう。
テンプレにあるように、42年10月から43年5月までの延べ562船団、2364隻の潜水艦会敵は34船団6%、被害率は船舶延べ数の0.5%、12隻。
その後も被害率は43年11月まで0.74%、その後の8ヶ月間で3.54%、会敵率が100%を超えた44年8月で5.7%程度だ。
それに対して独航船の撃沈率は船団内の損害より2倍半も多い。
因みにヒ船団の護衛艦を見るとやはり海防艦が多いが、後半は大鷹・海鷹等の改装空母に練習巡香取、たまに雪風・天津風等の新鋭駆逐艦に敷設艦とかも出てきたり。 石油還送と26師団の輸送を兼ねたヒ71船団なんて、輸送船20隻に護衛15隻とか豪華だったり。 でも危険な任務なだけに損害も大きいが。 それと機雷もテンプレにあるけど、平時は対馬・津軽・宗谷海峡や内地港湾封鎖程度の規模の備蓄で、2万個程度の備蓄しかない。 米潜はハワイから内南洋方面と、フリーマントルから蘭印をかすめて南支那海に来るルートがあるけどどこに敷設するんだ? ジャワ島からニューギニア封鎖するにしろ、南西諸島方面にしろ機雷が全く足りない。 現実にはシンガポール等の重要港湾や、スリガオ海峡封鎖程度が精一杯。 昭和17年から機雷を年産1万5000個に増やして、末期に残存敷設艦掻き集めて漸く対馬海峡等を封鎖できたに過ぎない訳で、機雷のみで潜水艦を防ぐのは全く無理がある。
>周辺の陸地を日本軍が抑えてる限りは護衛空母とか海防艦で護衛するより、 潜水艦の侵入経路と予想される海域の見張りと機雷封鎖を充実させた方が安上がり これが正解な気がしてきた 話題は変わるけど、海上密輸阻止のために監視機能に特化したブイがあればいいなとは思う
終戦間際には日本海にすら侵入されたのに、開戦前に機雷を何十万個準備する気だ・・・
そうなったらあきらめれ
陸軍は弾丸、砲弾で予算の76%(昭和12年)だよ。(参考:大東亜補給戦−わが戦力と国力の実態/中原 茂敏) 海軍もここまでいかんでも、予算の配分を機雷重点にしてバラ撒くのがよいよ。 役に立たない上に高額な兵器はみんな廃止して機雷重点主義。 抑止力としても最高だろ。
>>615 独航船とは書いてない。
それでは撃沈されても救助できんし、何に攻撃されたのか情報も得られない。
船団の回転効率がいい、最小限の船団というのがあるんじゃないかと思ったんだ。
言葉が足りずにすまんな。
大規模な船団になればなるほど、安全性が増すというのはイギリスの戦訓でもあるんだが、
欧州のような設備の無いこっちの方では、輸送効率と船団規模の折り合いをつけるような点があるんじゃないかということ。
上手く書けんな。すまん。
>>620 機雷敷設してる間に、敷設未了の海域から攻められたら文句言うんだろ
うなぁ、アンタ。
623 :
620 :2009/10/25(日) 20:44:42 ID:???
>>622 そのときは、何で機雷なんかに頼って、正面戦力を整えないんだと言うに決まっているじゃないか。
624 :
620 :2009/10/25(日) 22:04:18 ID:???
まずは、砂糖だ。砂糖の量産だ。
砂糖は台湾では余ってたよ。船腹不足で日本に運べなかっただけで。
626 :
620 :2009/10/25(日) 22:21:50 ID:???
それは大戦末期じゃね? 戦後のアメリカの調査でも、撃沈戦果トン当たりコストを考えると機雷が一番良かったらしいぞ。 まあ、掃海費用が含まれていないってのはあるんだろうがな。 戦争終わった後の掃海費用まで考えると安いかどうかは再考の余地はあるかもしれんが、コストパフォーマンスに悪い武器ではない。
>>621 大船団にすると出発地点に集合させるのに時間かかるし、
低速船も混じるだろうから効率悪いよな。
だけれども、肝心の護衛艦が足りないのだから仕方ない。
輸送効率と有効な数の護衛艦をつけられるギリギリの規模で
折り合いをつけた結果が大船団だったってことでしかない。
米英間の総数100隻近い大船団と比べたら どこまでいっても日本のは小船団規模でしかなかった・・・
門司=シンガポールのシーレーンに、米潜水艦が侵入するルートをキッチリ見張る、 という前提だと、下記6箇所をフォローできれば、なんとか、ではあるんだけど… ■マレー半島・東岸=スマトラ島・西岸 ■スマトラ島・西岸=ボルネオ島・南西岸 ■ボルネオ島・北岸=ミンダナオ島・西岸 ■レイテ島周辺海域 ■ルソン島・北岸=台湾・南岸 ■台湾・北岸=沖縄=九州南岸 潜水艦の潜行速度や水中での航続距離なんて、たかが知れているから、 きっと、夜間に堂々と浮上して、煙を出しながら、20ノットぐらいで、 これらのポイントの突破したのだろうし、 そういう意味では、これら海域に、九四水偵なり、九五水偵なりの旧型機を、 集中配備して「真剣に」哨戒してたら、もうちょっとなんとかなったかな?
>>629 数をそろえるなら赤とんぼを推奨したい。
確かに、水上機の場合、飛行場を作らんでもいい。 しかし、機材が特殊なだけに搭乗員のハードルが高い。 対潜爆弾もどうせ供給できそうなのは60kgくらいで、25番は数がそろいそうにない。 実際、ショートランド基地からの哨戒偵察では、60kg×4で零式水上偵察機が活動していた。 以下の戦記では、25番が出てきたのは1回くらいだった記憶ある。 (参考:南の空に下駄はいて) しまね丸に搭載予定だった機材も赤とんぼであるので、これで充分任務を果たせると思う。
赤とんぼや水偵なら、機上電探も磁気探知機も無しで、肉眼頼りになると思うが 夜間に浮上航行中の潜水艦を上空から発見可能な範囲って相当狭くないか? 爆音や電探で探知されたら潜航されるだろうし。 集中配備して「真剣に」哨戒というけど、一体何機必要になるんだ?
>>632 べつに大型艦沈めようってんじゃないから、25番は必ずしも必要じゃないでしょ。
60kg爆弾でも潜航できないほどの損害を十分与えられるんだから。
赤とんぼと水偵じゃ離着陸時の破損率に雲泥の差が出るな
船団の組みかたとして横長にしたいけど航法がね 潜水艦にせよ航空機にせよ艦船の側面に占位して攻撃したい なので、船団の長さを短くすることで攻撃機会を減らせる
でも横幅を増やすと、Uボート側は撃てさえすればどれかに当たるようになるね。 護衛の方では敵の位置がわかりやすくなるか。
>>637 そのどれかに当たる射点を取れる機会が少なくなる。
とれに潜水艦から商船を狙っての雷撃は、どれかに当たることを期待しなきゃならんほど
低いものではもともとない。
>>634 零観で対潜哨戒してた人が25番の配備望んでたが
>>633 機上電探は零式水上偵察機には搭載した実績あり。
>>632 で紹介している本に書いてある。
ただし、整備する人に弱電の知識がある人がいなくて、外して埃被っていましたって話。
爆音や電探で探知して潜ってくれるならそれはそれでいいんじゃね。
航行速度が遅くなればそれだけ、活動限界日数も減るし。
効果ゼロでもない。
ショートランド基地の水上偵察機はレーダーなしで夜間索敵+攻撃こなしていたんだけどね。 後、昼間の見張りも大変ならしいよ。 昼間に海面を見続けると目が痛くなってたまらんらしいよ。 (参考:彩雲のかなたへ)
赤とんぼ 【利点】 ・操縦者が楽できて事故率が低い ・数が揃えられる(技術の低い工場でも作れる) ・アルコール燃料でも飛ぶ 【欠点】 ・航続力がイマイチ ・爆弾搭載能力が低い ・搭乗員の士気が上がらないこと確実
対潜哨戒で航続距離低いのって致命的じゃない?
巡航速度が低いので航続時間はそこそこある。 4時間くらいは浮いていられるんじゃないかな。
練習航空隊を南方で哨戒を兼ねた訓練をさせれば一石二鳥
そんな練度の低い搭乗員を長時間海洋で行動させたら航法未熟により 機位を見失って喪失多数になります。
まあ、末期にはその程度の技量の人を赤とんぼに乗せて、敵艦に突っ込ませたんだけどね。
そりゃそうだけど、そもそもこのスレは、そういう技量とかその程度の勝算を前提にして語るスレでもないでしょ。 それを前提にしちゃうとシーレーン自体が意味のないものになっちゃう。
推測であれこれ言う前に、まず史実ではどうだったか調べてみたらどうだ? 史実でも初期から、多くの航空隊が船団護衛や対潜哨戒に従事している。 細かく説明すると長いので、航空隊の名称だけ挙げるので後は自分達で調べてくれ。 本土周辺 大湊航空隊・館山航空隊・父島航空隊・串本航空隊・小松島航空隊→東日本は903航空隊に統合 呉航空隊・舞鶴航空隊・佐伯航空隊・大村航空隊・佐世保航空隊・沖縄航空隊・鎮海航空隊→西日本は951航空隊に統合 901空は大村・沖縄(小禄)・台湾(東港)・マニラ・硫黄島・サイパンに分遣隊派遣 内南洋 16・17・18航空隊を統合して21航空隊(2代目)へ→902航空隊
フィリピン 31航空隊→954航空隊・32航空隊・933航空隊→936航空隊へ編入・955航空隊 蘭印 19航空隊・33航空隊→932航空隊・35航空隊→956航空隊 シンガポール 40航空隊→936航空隊 中南支方面 高雄航空隊(2代目)・953航空隊(台湾)・254航空隊(海南)・256航空隊(上海) ソロモン方面 938航空隊 958航空隊 母艦航空隊 931航空隊(48機を大鷹・雲鷹・海鷹・神鷹に12機ずつ搭載) その他(ぶっちゃけ面倒で調査未了) 36航空隊→934航空隊 453航空隊 …見づらいな。 まぁこの中で最も戦果を挙げたのは、意外にも北日本の大湊航空隊だ。 航空隊と艦艇による戦果なのか、三陸沖敷設の機雷によるのかはっきりしない戦果が数件見られる。 門司〜シンガポールであれば、佐世保鎮守府〜支那方面艦隊〜馬公警備府〜海南警備府〜南西方面艦隊と担当が変わる。 対馬海峡から黄海と下関〜釜山航路は鎮海警備府。 豊後水道は佐伯航空隊、紀伊淡路海峡は大阪警備府。 航空隊の名称や担当区域は時期によって異なる。
保守
日本側がアメリカ潜水艦とどう戦ったかの戦記ってのは結構出ているけど、 アメリカ視点の潜水艦通商破壊戦を対象とした戦記って無いかね。 和書では「アメリカ潜水艦隊(サンケイ出版)」くらいしか無いような。
>>652 まずはWikipediaのアメリカ海軍潜水艦一覧に目を通す事をすすめる。
個艦ごとに1回目の哨戒から喪失まで行動が詳しく載っていて、日本側の護衛艦や商船の動きとも照合してるのでわかりやすい。
取りあえず有名な艦だけでも何隻分か読んでみてはどうだろうか。
レッドアラート3で赤とんぼが出てきて笑った 製作側もあんなマイナーなものよく選んだものだ
生産数からいったらマイナーではないだろ。
赤トンボの5,591機は一式戦の5,751機につぐ生産台数
アメリカの潜水艦戦略 ガダルカナルを契機に商船を目標に変化の機材があったが、この時点ではまだ艦船目標が優位。 「目標選択の順位は軍艦、タンカー、飛行機運搬船、補給船」17年11月のハルゼーの作戦海面指示の結びより。 18年9月から変化。太平洋で100隻の潜水艦が稼動。 タンカーが主目標に変更された。 米国作戦部が9月にそれを指令。 「全部沈めろ!」ロックウッド中将の発言。 (戦史叢書 海上護衛戦P.293) 日本の対策 海上護衛総司令部の設置(18.11.15) 護衛専門航空隊の設置(901空 18.12.15) 護衛空母の編入(18.12.15) 特設船団司令部の設置(19.4.1) (同P.298) 海上護衛総司令部の設置に関して 「今になって海上護衛総司令部ができるということは、病が危篤の状態に陥って医者を呼ぶようなものであるかもしれない」 永野軍令部総長の挨拶より抜粋。
昭和19年3月10日の「航空部隊を以ってする海上交通保護作戦に関する陸海軍中央協定」 陸軍の航空部隊も海上護衛戦力として統一指揮下に入る措置を講じている。 キ36が機材の中心。
>「今になって海上護衛総司令部ができるということは、病が危篤の状態に陥って医者を呼ぶようなものであるかもしれない」 >永野軍令部総長の挨拶より抜粋。 「お前が言うなあああああ!!」by大井篤
連合艦隊の整備ばっかりで戦艦や空母の建造ばっかりで シーレーン防御を考えていなかったとか言うけれども 海防艦・護衛駆逐艦と哨戒機をたくさん持つ海上自衛隊のような 編成で戦艦重巡洋艦などの大型艦は数隻他は日露戦争モノだったら 真珠湾のアメリカ戦艦は健在、重巡洋艦部隊健在+空母部隊が参加 それこそアメリカ艦隊は日本近海までどうどうと来られてフルボッコ
>>662 だからそもそもアメリカ相手に戦うというのが無理なんであってね。
>>662 そういう編成ならそもそも戦争は起こらなかった可能性がw
日本海軍の規模が半分なら、米太平洋艦隊の規模も半分だろうしな
>>664 アメリカと戦争しないなら、南方との交通線確保の必要もないから護衛艦もほとんどいらなくなるわな。
つまり護衛艦だけがたくさんある編成てのはおかしい。
護衛重視のアメリカもイギリスも、日本以上に戦艦やら巡洋艦やら造ってるし。
比率的に日本海軍が特におかしい訳ではない。
結局イギリスが海上護衛に注力できたのは、相手がドイツ、イタリアの3流海軍国だからなんだよな。 制海権をとられたら海上護衛どころではないのは言わずもがな。英国の相手が帝国海軍だったら戦争の様相はずいぶん変わってる。
>>667 正解
日本は巨大海軍国相手だったから話は違うんだよね
>>668 それに、イギリス海軍も局地的制空権の無い場所では大型艦を
護衛につけても大損害を出してる。
しかも日本が相手にしたのは「巨大海軍国」且つ「巨大空軍国」なんだよ
ね。
日本海軍が相手なら、イギリス海軍は楽だったんじゃないか? 艦隊決戦に比べて、船団護衛の方が遥かに厳しい。
そんなアメリカとの戦争の是非とか、〜すべきだったとか架空の話はどうでもいい。 史実で日米英が実際にどのように対処して、その差は何故生じたのかとか、もっと実りのある話をしたい。 イタリアもイギリスも北アフリカへの補給には苦労したし、一次大戦の教訓があってもイギリスは大きな損害を出している。
史実で言えば潜水艦に比べ遥かに発見しやすかったポケット戦艦数隻に 散々振り回せれていた英軍が船団護衛のプロなんていうのはおこがましい。 大西洋横断ルートも実際の距離・日数は日本〜南方ルートより楽だし 護衛対象の輸送船自体、米国製の優秀船(日本に比べ)だったのも大きい。
敢えてネタを振るとすれば、米軍は太平洋の渡洋作戦で上陸時だけでなく、その後も西海岸から沖縄あたりまで長距離の補給線を維持する必要があった。 また大西洋からイギリスへの輸送船団もあり、米英ともに開戦時から日本の3〜4倍の船舶を保有している。 これらの船団に対して具体的にどの程度の戦力を護衛に投入したか。 各時期で商船と護衛艦艇の比率(例えば商船10:護衛艦艇5とか)はどの程度だったか。 各時期の輸送船団の損害比率は日英でどの程度差があるか等。
過疎化しやすいスレを更に過疎に追い込むのか。 別に何でもいいよ。 このときこうしたらどうなっていたか?って話に興味ある奴もいるだろ。 史実の分析にしか興味ない奴もいるだろ。 どっちも構わんし、興味ないレスに一々反応することないわな。 つーか、英国だって第一世界大戦の戦訓をすっかり忘れていたしな。 大した数でもなかったUボートにやられてる。 対戦している国が違うし、地理的条件も違うしな。 アメリカの潜水艦って大西洋じゃどうだったんだ。 対日本相手と同じくらいの割合で、独伊にやられてるのかね。
大西洋には米潜が狙えるような船舶はおらんだろ
まあ、独伊の商船は航空機の被害の方が多かったのかな。 商船はそれなりに被害にあってる。 どこかに書いてある本があったと思うのだが何の本だったか分からん。 イギリスの場合、シーレーンが航空援護できない海の真中だから護衛空母が必要。 日本のメイン資源補給ラインは沿岸航路可能。基地から航空機飛ばせばよい。 よって、護衛空母は非効率って話はあったね。 (参考:Sink 'Em All / Charles A. Lockwood Jr.)
思い出した「潜水艦戦争」だ。今手元にねーわ。
イギリスとの定量的な比較は以下の本に書いてあった記憶ある。 古い本だが、陸軍で物資関係の実務やっていた人の本。 「国力なき戦争指導―夜郎自大の帝国陸海軍」 公立図書館ならあるんじゃなかろうか。 「油断の幻影」も燃料計画に関して記載されている。 ?
ガチガチに史料やら書籍引用ベースのレスばかりになると、過疎化する。 ただでさえ、地味な話で興味ある人が少ないのに。 血わき肉踊らざる話だしな。
「ファイティング・テンス」はおもしろかったぞ。 イギリス軍ってのはやっつけで作った兵器でよく戦うよな。 しかし、「ファイティング・テンス」には輸送船に魚雷を当ててちゃんと炸裂したが 沈められなかった戦例がよく出てくる。 イギリスの潜水艦魚雷ってドイツのよりもそんなに威力が低いのか?
日本の輸送戦も「海なお深く」を読む限り、戦前の大型優秀船ならばという条件で魚雷1本くらいでは沈まない。 2次戦標船は当たらなくても事故で沈む。
日本海軍が相手なら、イギリス海軍は全滅していただろうに
ここは仮想戦記スレじゃないぞ。
浮上
686 :
名無し三等兵 :2009/11/20(金) 16:09:31 ID:Xn332Mb6
バーシー海峡やベトナム沖に96陸攻を飛ばして対潜護衛とかだめか
もし、こうだったら?
ってレスにいちいち突っ込むことないだろ。
どうせ過疎なんだから。
史実、史実ってちょっとくらいの想像は別に構わんだろうに。
>>686 戦史叢書 海上護衛戦のP.315〜319に、対潜用航空隊の兵力配備標準表があるよ。
史実を調べもしないで、架空妄想を展開するのはいかがなものかってことでしょ。 確かにいちいち突っ込むのはどうかとは思うが。 そういう妄想を展開したきゃ、他いってくれって思うことはあるわな。 軍事に興味ある人間が少なくて、その中でも海上護衛とか地味な話に興味ある人は少なく、 「日本はシーレーン軽視したから負けたんだよね」くらいの認識レベルの人ですら希少。 そこから更に戦史叢書やら大井氏やらその他の著作に目を通している人はもっと限定される。 そもそも、ここはそういう過疎化する運命のスレなんだから。
>>682 Uボートによる通商破壊の実績から、大体魚雷2本で6000トン商船1隻を撃沈してる。
大型商船は魚雷1本じゃなかなか沈まん。
雷撃された駆逐艦が艦首切断状態で生還してきたりするし。
それと戦時中通して、戦標船に限らず日本船の海難事故170件。
これは必ずしも構造の欠陥ではない。
対して2700隻建造されたリバティ船は事故報告件数1000件、うち一割程度の200隻以上が事故で沈没か使用不能になってる。
これは通常の海難事故によるのでなく、溶接による脆性破壊による。
なので日本の戦標船より、リバティ船のが事故でよく沈んでる。
日本の場合は機関が腹痛で動かないとかはある。
特に焼き玉エンジンのE型船。
>>689 それは単純に、戦時標準船はリバティ船より建造数が少なかったり、
耐久性による破壊の前に米軍に沈められてしまうので事故件数が
少なくなるだけなんじゃ……。
>>690 実際に日本の戦標船が、構造的な欠陥や工事の不具合で沈んだ数はわからない。
もちろん絶対数でなくできれば事故率で比較したい。
第1次戦標船は平時と変わらないので、2次戦標船に限定すると建造数は以下の通り。
2A型120隻、2D型80隻、2E型400隻、2TL型30隻、2TM型30隻、2ET型135隻。
計約800隻。
建造してすぐ潜水艦に沈められるから、事故が目立たないというなら、比較のしようがない訳だが。
んで先に挙げた200隻は脆性破壊が原因の沈没数だが、日本の174隻は通常の海難事故全てなので直接比較すべき数字ではない。
800隻中174隻が海難事故って無茶苦茶多くない?
ああ、戦時標準船に限らずか。 アメリカの通常の海難件数はどれくらい?
船体強度にまったく問題なくても荷崩れの仕方により あっという間に転覆した事例がつい最近あったばかり
二次大戦時喪失船舶 ドイツ700隻324万トン、イタリア600隻393万トン、日本2568隻843万トン。 イギリス2426隻1133万トン、アメリカ391隻491万トン。 連合軍船舶の喪失原因と割合 潜水艦2828隻14687千トン68.1% 航空機820隻2889千トン13.6% 機雷534隻1406千トン6.5% 仮装巡133隻829千トン3.8% 水上艦艇104隻498千トン2.3% 魚雷艇99隻229千トン1.1% その他632隻1029千トン4.8% 合計5150隻21570千トン100%
あと、日本の戦時標準船は浸水とか結構あったりするから……。 浸水するとかえって強度的には水圧が減殺されやすくなって 破断事故は起こりにくくなると思う。
697 :
名無し三等兵 :2009/11/21(土) 23:20:30 ID:bpXldnO7
>>696 マジに聞くけど、それはひょっとしてギャグで言ってるのか?
新造船が浸水してる時点でフネとして終わってるってのが常識だと思うんだが。
>>697 もしかしてバラストのことかもしれませんね。
>>61 だから自分で言ってるだろう。独断専行が悲劇を呼んだんだ。
当時から、もと自衛官の浅田次郎が神戸の惨状を見て、地元の歩兵36連隊なにやってるの!と言ってたが、
地域最精鋭で、被害最大の神戸市中心域にも最も近い36連隊の幹部が、
士官の義務に従った独断専行をやらかして、部隊最近隣だが被害は軽い伊丹地域で戦力を分散した結果、
ちと離れた神戸市中心域の被害規模が明確になった時点で、戦力の逐次投入による部隊崩壊の事態になってたんだよ。
伊丹一帯に細切れにばらけちまって、普通科連隊としてのまとまった行動が不可能になってたんだ。
携帯で細切れに非常連絡出来る時代じゃないし、他の部隊が神戸市に到着するのには時間がかかるからな。
>>62 も言ってるが、これは当時の松島総監が著書の中で認めてるから読んどけ。
http://www.amazon.co.jp/dp/478879621X
誤爆だね、確かその話は兵站・補給スレへ行ってください。
護衛空母が本当に必要なのはガダルカナルからラバウルにかけてだ、か。
まあブーゲンビルに飛行場があれば万事解決してたんだけどね。 日本軍のリソースではブーゲンビルに飛行場を設置してる余裕なんて無かったけど。 前線がどんどん前に、前にと押し上げられていくから、飛行機の航続距離ギリギリの 基地同士の最低限の連絡ができるように飛行場を設置するだけで精一杯で、 バックアップになる飛行場を設置してる余裕なんて無かったんだと思う。
>>702 日本軍の飛行場設営能力は意外と高い。
後半には20日程度で飛行場を完成させ、規模はともかく設営期間としては米軍にあまり遜色ない。
それとブインの飛行場は10月8日から使用可能になってる。
南太平洋海戦や第二師団上陸より前の話。
更には水上機母艦4隻(千歳・神川丸・山陽丸・讃岐丸)からなるR方面航空隊が、8月29日に編成されショトーランドを拠点にしてる。
9月14日に二式水戦2機と爆装零観19機が薄暮攻撃、ガ島飛行場3ヵ所を炎上させ、F4F5機を撃墜してる。
確かに、後半はそれなりの機械化実現していたの事実だね。
(参考:海軍設営隊の太平洋戦争―航空基地築城の展開と活躍)
ただ、
>>702 氏が言っている余裕というのは、資材とか補給のことじゃないのかと。
ガ島方面で史実レベルの商船を作戦に重用するだけで日本の工業生産は落ち込む。
前線に資材を送る体制を充実させるここと国力維持がトレードオフの関係になっている。
その意味で、ソロモン方面に戦力を展開した時点で手に余る。
ポートモレスビーへの補給路ってどこを通ってたの? 潜水艦を投入してそこを叩いてればよかったのに。
>>705 実際にやるにはタウンズビルの手前あたりまで行かなきゃならんから
どう考えても連合軍の対潜哨戒部隊にとっ捕まってあぼーんだろ
>>702 距離的問題で言えば、ウェーク島攻略もラバウル攻略もほとんどがラバウル〜ガ島間位の距離がある。
今まではそれでうまくいってたし、ガ島占領も問題なく成功してた訳で。
横浜空の飛行艇による哨戒と、何より日本軍の攻勢に対する抵抗はあっても、まだ米軍が攻勢に出るとは考えていない。
因みに最終的にはブインより先のニュージョージア島にも飛行場つくったり、ガ島より更に先のレンネル島に水上機基地があったりもする。
一方の米軍もソロモンやニューギニアの攻略は慎重に、戦闘機の支援範囲内でやってるものの
ガ島攻略時は米軍の最前線がモレスビーやニューヘブリデス諸島、ニューカレドニア等
米軍もラバウル並にガ島から離れた位置にしか飛行場がなかった訳で。
中部太平洋でもエリス諸島→マキン・タラワ→クェゼリン→ブラウン→マリアナと結構な距離飛んで攻略に来ている。
特にカロリン諸島とらずに、マーシャルからいきなりマリアナに来るのは結構な冒険。
まぁそれだけ日本側が弱体化してたから、トラック攻略とか省略されたんだけど。
このすれの住人は、大内さんの本は皆読んでるんだろうか? 大内さんは護衛空母充実派みたいだが…
開戦当初イギリスは4000隻、2100万総トンの船舶を保有していたが、開戦から1年で150万総トン全体の7%を喪失した。 それはイギリスの年間造船量80万総トンを上回るものだった。 ただしフランスやノルウェーの海運会社は、保有船舶の多くをイギリスやアメリカに避難させている。 連合国全体の船舶喪失量/イギリス船舶喪失量 1939年/221隻/755237総トン/96隻/419015総トン 1940年/1059隻/3991641総トン/548隻/2435048総トン 1941年/1299隻/4328558総トン/717隻/2824056総トン 1942年/1664隻/7790697総トン/646隻/3459923総トン 1943年/597隻/3220137総トン/273隻/1514221総トン 1944年/205隻/1046629総トン/103隻/489042総トン 1945年/105隻/438821総トン/43隻/190011総トン 合計/5150隻/21570720総トン/2426隻/11331302総トン
ドイツは1162隻の潜水艦を建造し、その乗員は4万人であったがうち70%の2万8000人を喪失している。 ドイツ潜水艦の喪失632隻のうち、イギリスの戦果は500隻程で、護衛空母による戦果は26隻に過ぎない。 ただしその搭載航空機による制圧で、ドイツ潜水艦の攻撃機会を奪う事はできた。 ドイツ潜水艦の損害は1942年には月8隻だったのが、43年には月20隻に激増し45年3月には57隻になる。 これはドイツ側のウルフパックを逆手にとり、1隻いたら周囲に数隻いるものと考えて攻撃したからである。
>>708 >>676 にあるようにアメリカの潜水艦作戦の責任者が、日本が護衛空母に力をいれるのは不合理って指摘している。
これは戦史叢書にも紹介されているんじゃなかろうか。
大井氏の著作では対潜抑止力になったような書き方されているが、あくまで現場の感覚というか定性的なもんだし。
限られたリソースを振り向けるなら、基地航空隊による対潜哨戒の方が合理的だわな。
よく、第一次世界大戦に直接関わってないんで日本は戦訓を得られてないって批判されるが、イギリスなんか当事者で散々煮え湯飲まされてこのざまだからね。 やはり、無限潜水艦作戦は国際法違反ってことで、平和主義時代が跋扈していたWWT戦後では予算獲得が難しかったのか。 ドイツを仮想敵国として、潜水艦対策を考えていなかった英国の方が日本より間抜け。 日本は米国の潜水艦用兵は、日本と同じ艦隊襲撃であるという情報を得ていたし、そもそもシーレーン守りながら戦う長期戦なんか国力の想定外。
>>711 アメリカが日本に護衛空母が不要と言っているのは、陸上基地を利用して
対潜哨戒網を作る方が合理的ということだから、実際にはそういう対潜哨戒網が
作られなかった以上、とにかく自前で対潜哨戒できる護衛空母を持てたと言うのは
ありがたかったということなんじゃない?
>>712 アメリカの協力があったにせよ、最終的に勝ったんだから日本より間抜けは無いだろう。
アメリカを味方にしたことも含め、イギリスが賢いんよ。
>>713 対潜航空隊は作ったよ。上の方にレスあると思うけど。
陸軍も海上護衛隊の指揮下に入ったし。
最終的には200機くらいで、全然足らんかったけど。
>>712 例えある程度対策をしていても、戦争なんだから損害はでる。
相手が通商破壊に力を入れれば損害が拡大するのは当然で、商船に限らず例えば対戦車対策しても戦車による損害が出るのは当然。
戦争を想定して軍備を増強しても、損害が皆無にはならないし、空襲の備えをしても空襲による損害は出る。
それと同じで、敵の備えに勝る備えがなければ損害は防げない。
何千隻とある商船を手厚く護衛しようとすれば、何百も護衛艦が必要でその対策は簡単ではない。
>>713 二線級の改装空母といえども、開戦時から前線基地航空隊への航空機輸送に酷使されてるから、戦力が余っていた訳じゃない。
それに空母を護衛につけると、船団護衛と別に空母護衛が必要になったり、空母自体重要な獲物として船団が狙われやすくなる。
因みに対潜航空隊は
>>649-650 にあるが、護衛空母航空隊もその一部の931空。
因みに基地航空隊による船団護衛の場合、例えば定数が36機とか48機とかあって、それを航路途中の各飛行場に6機ずつ分散派遣してリレー方式。 903空の研究では磁探機3機編隊で上空をカバーすれば大体間に合い、2時間で次の編隊と交代する。 磁探装備機は901空(本土周辺)・903空(東日本担当)・951空(西日本担当)・453空(水偵)等のうちでも一部機体にしかない。 後は目視になるし、夜間など視界の悪い時や波が荒いと潜水艦の航跡を発見しにくいとかはある。 実際体験談を見ると、訓練時に周囲に確実に潜水艦がいるとわかってる状況でも、波間から潜望鏡を発見するのは困難だったらしい。
>>715 そりゃ、どんな対策しても戦争では損害出るだろうし、その点で言ってることは間違ってはいないとは思うが、
>>712 は日本とイギリスの比較の話しじゃね。
WW1からWW2の間にどう戦訓をとらえて、どのような戦備をしていったかってのが問題になっているような気がするが。
>>695 > 二次大戦時喪失船舶
> ドイツ700隻324万トン、イタリア600隻393万トン、日本2568隻843万トン。
> イギリス2426隻1133万トン、アメリカ391隻491万トン。
> 連合軍船舶の喪失原因と割合
> 潜水艦2828隻14687千トン68.1%
> 航空機820隻2889千トン13.6%
> 機雷534隻1406千トン6.5%
> 仮装巡133隻829千トン3.8%
> 水上艦艇104隻498千トン2.3%
> 魚雷艇99隻229千トン1.1%
> その他632隻1029千トン4.8%
> 合計5150隻21570千トン100%
>>709 開戦当初イギリスは4000隻、2100万総トンの船舶を保有していたが、開戦から1年で150万総トン全体の7%を喪失した。
それはイギリスの年間造船量80万総トンを上回るものだった。
ただしフランスやノルウェーの海運会社は、保有船舶の多くをイギリスやアメリカに避難させている。
連合国全体の船舶喪失量/イギリス船舶喪失量
1939年/221隻/755,237総トン/96隻/419,015総トン
1940年/1059隻/3,991,641総トン/548隻/2,435,048総トン
1941年/1299隻/4,328,558総トン/717隻/2,824,056総トン
1942年/1664隻/7,790,697総トン/646隻/3,459,923総トン
1943年/597隻/3,220,137総トン/273隻/1,514,221総トン
1944年/205隻/1,046,629総トン/103隻/489,042総トン
1945年/105隻/438,821総トン/43隻/190,011総トン
合計/5150隻/21,570,720総トン/2426隻/11,331,302総トン
>>717 イギリスは一次大戦で機雷封鎖を受け、掃海スループとして初代フラワー級を建造。
掃海だけでなく近海哨戒や船団護衛にも使えるってんで、実質汎用的に使った。
戦後は1930年位までに退役し、代艦を必要とされたが軍縮と不況のダブルパンチ。
その為ブリッジウォーター級スループ等14隻等、護衛その他に使えそうな小艦艇数十隻程の配備。
アメリカは一次大戦で大量建造した、平甲板駆逐艦が余ってたからこれを使えたし、イギリスにも50隻を貸与している。
日本も護衛にも使える掃海艇や駆潜艇はあったが、やはり少数配備にとどまる。
平時は船だけでなく、人員も人件費かかるから余剰はないし、小艦艇を常時多数維持するのは無理。
一次大戦の戦訓をどう生かすと劇的に損害が減るかわからんが、レーダーやソナーの開発なり、戦時には旧式駆逐艦を護衛に充てる等最低限の対策はしてると思う。 日本も戦前は本土周辺の通商保護だけで、まさか南方やらソロモンやらまで護衛するとは予想してないから、史実の対応はまあ妥当ではなかろうか。 対してイギリスは自国周辺だけでなく、カナダやインドやオーストラリアにマレーシアに地中海とまさに世界中との通商路を維持しないといけない。 本国周辺に独仏両国に勝る戦艦を集め、各地に軽巡以下を少数ずつ派遣。 てか通商保護の危機感以前に、ドイツは1935年の再軍備まで潜水艦の保有自体禁止されてる訳で。 それから4年で開戦して、開戦時は潜水艦70隻程度、しかも半数は300トン以下の沿岸用で結局英独とも準備不足なのは同じだった。
どこに在学してんだか知らんが、知識先行で会話として成り立ってないんだよ なにが言いたいんだか、結論を付けろ
>>721 イギリスが一次大戦の戦訓を生かせてない訳でもなく、日英のどちらが間抜けという訳でもないと言ってる。
アメリカ軍がやったような飛行船で海域防御というのは日本じゃ困難だったのかな。 機雷堰と飛行船での通商護衛がフィリピン近海でもできればマシなんだろうけどね。
>>721 「ぼくはながいぶんしょうがよめません」と書いた方がみんなにわかりやすいと思うよ。
日本海軍も第一次世界大戦では一応船団護衛に従事してるよね。 その辺りから戦訓とかは当時得られなかったのだろうか。
>>725 煽りしかできないお子ちゃまは零戦スレから出てくんな
>>726 どんな戦訓を期待してるんだ?
当時地中海に派遣した第二特務艦隊の状況は
>>418 にあるけど。
当時の日本艦はまだソナーや爆雷すらない状況で戦っていた。
>>726 「戦争やっても補給は無理ぽ」と言える人は、つつがなく戦前のうちに粛清済みです。
> 実際体験談を見ると、訓練時に周囲に確実に潜水艦がいるとわかってる状況でも、波間から潜望鏡を発見するのは困難だったらしい。 「訓練時」と出てきますが、それは開戦前の訓練?それとも開戦後? 日本海軍が、潜水艦の隠密性を脅威と認めた時期はいつ頃なんでしょうね。
脅威にもならんような潜水艦を100隻も作らんだろ
日本も潜水艦は脅威と感じてたし、戦力としても期待していた。
だから
>>419 のように一次大戦後、爆雷やら防潜網やら研究開発してたし。
>>26 のようにソナーの開発もしていた。
ただし戦艦も空母も巡洋艦も駆逐艦も、飛行機も機雷も同様に脅威だった。
むしろ潜水艦による通商破壊より、制空権や制海権を完全に喪失する方が脅威。
軍縮条約での保有枠は戦艦
米50万トン/日30万トン
空母
米13万5000トン/日8万1000トン
重巡
米18万トン/日10万8000トン
軽巡
米14万3500トン/日10万0450トン
駆逐艦
個艦上限1850トン、1500トン以上は保有枠の16%
米15万トン/日10万5500トン
潜水艦
個艦上限2000トン、3隻限定2800トン
米5万2700トン/日5万2700トン
だから保有枠考えると潜水艦は戦艦の1/10の脅威で、1/10の対策努力をしたんでない。
1934年に各鎮守府に防備戦隊を設置して、機雷・掃海・対潜は鎮守府(防備戦隊)担当させたり、1941年に機雷学校(のち対潜学校)で要員を養成したり。
船団護衛というとまず海防艦が浮かぶと思うが、護衛に使えそうな艦艇は他にもたくさんある。 特に有力なのは850〜3500総トン程度の、徴用中小型貨物船を武装させた特設砲艦で、日中戦争以来から徴用してるのが91隻。 特設巡洋艦の小型版で、哨戒警備や護衛に従事している。 後に船舶不足と、本業の海防艦の就役で運送艦になるけど。 他にも旧式化した5500トン軽巡や特型以前の駆逐艦、その他各種特設艦艇がある。 主なものと隻数は 特設空母7 特設水上機母艦9 特設巡洋艦14 特設砲艦91 特設敷設艦9 特設敷設艇2 特設急設網艦6 特設防潜網艇8 特設捕獲網艇43 特設掃海艇(漁船)124 特設駆潜艇(漁船)267 特設監視艇(漁船)407 他に軍縮条約枠外で建造された小艦艇 水雷艇12 駆潜艇64 掃海艇35 敷設艇22 更に戦時中建造した漁船型特務艇 駆潜特務艇200 哨戒特務艇56
最初からそれだけ使えるわけねえだろアホか
>>714 200機てのは昭和20年3月時点での、901空の機数でしょ。
どれ位あると機数が足りるのかわからんけど。
>>724 アメリカは戦前からヘリウムの輸出を禁止してたので、ヒンデンブルグ号みたいな惨事が起きたりする。
飛行船が使えるなら、多分同数の飛行機も使える状態だと思うんだが。
>>734 誰も最初から、なんて書いていない。
むしろ海上護衛総隊と専属の人員及び司令部を開戦時点で整備しとくべきだろ…
検証録 海軍反省会で人事の話が出ていたけど、平時から準備して人増やすことできない。 予算がない。
今の自衛隊でも有事を想定して弾薬を本格的に備蓄とか不可能だもんな。
イギリスやアメリカでは護衛部隊の指揮系統や、実施部隊との関係、他艦隊との連携はどうしていたんだろうか。 イギリスは軍令部次長が護衛担当で、その直率下に護衛参謀みたいだが。 本国艦隊や地中海艦隊と別個で護衛艦隊を置いたのか、しかし部隊輸送は普通に艦隊でやっている。 またアメリカでは護衛空母や護衛駆逐艦を、正規の機動部隊に協力させて艦上機を補充したり、上陸支援をさせている。 アメリカは専門の部隊や司令部でなく、必要な時に随時○○任務部隊といった様に、護衛部隊を臨時編成するのでなかろうか。
はっきり言って本当に効率良くやるなら、護衛司令部だけじゃ不充分。 資材の調達・分配担当の軍需省、造船や船員養成や民間船舶担当の逓信省、内地での鉄道運輸担当の鉄道省、更に各港湾責任者との連絡等調整すべき部署はたくさんある。 更に対潜や護衛は、各艦隊や鎮守府で担当がバラバラなのでこれも調整。 民需船舶は船舶運営会、陸海軍徴用船舶は陸海軍の運輸部担当とこれも責任者がバラバラで調整が必要。 17年4月に新設した第1海上護衛隊は、南西方面艦隊指揮下。 第2海上護衛隊は第4艦隊指揮下にある。 更に内地周辺では各鎮守府が防御担当。 これら全てを一貫した指揮下で調整すんのは大変だぞ。 陸海軍民需の徴用船舶の統一運用だけで絶対揉めるし。 それが史実で実現したのは昭和20年5月に、大本営に海運総監ができた時。
海上テロリスト相手に自衛隊はどう対応するんだろうか 緑豆や海犬を何とかして欲しい
>>735 スレ違いだが、ヒンデンブルグ号の惨事は水素で浮揚してたのが原因じゃないぞ。
外装に、アルミニウムと酸化鉄を混ぜた銀色塗料?この組み合わせはテルミット焼夷材とも言うな?
使ってたとこに帯電して火がついたのが原因だ。水素がヘリウムでも変わらんよ。
昭和通商によって行われた機帆船による月工作。 船員はならず者ばかりで、それを働かせるのが大変だったそうだ。 上陸するとどこか行って、憲兵に探させて連行してくるとか。 ただ、羅針盤も無いような船でちゃんと航海したり、ならず者なんだが、そういった腕は確かだったらしい。
>>743 ヘリウムだと破れたところから徐々にヘリウムが漏れるだけなので、最悪でも不時着で済む。
水素だと火がついたところから爆発するので大惨事になる。
いや、多分問題はそこではないと思われw
水素漏れの場合、突如爆発するのではなく、そこから燃えるだけ。 特に飛行船のような場合は。密閉空間で適正分量の酸素(空気)と 混合されるのがまずい。
>>748 破口から水素が漏れたらその分外気が入ってくるから、
飛行船の気球の内部で水素と酸素の混合が起きるだろ。
気球内圧と気圧のバランス次第だけど、気球が萎むだけで終わる場合もあるんじゃ
内部の空気がヘリウムだったら、それで済むかもしれんが。
でも再現実験は比較的簡単だよ。 風船の中に水素を詰め込んで、風船の口をほどいて水素を噴出させながら、その噴出孔に 火をつける。 それで風船が破裂しなければ水素は関係ない。風船が爆発したらそれは水素が悪い。
オマイラ飛行船スレでやれ。 暴走しすぎだ。
>>745 その本面白そうだが手に入らないな。図書館にもなかった。
1939年9月8日、アイルランド沖合で、Uボートがイギリスのタグボートを攻撃した。 まずは一発警告の砲撃を加え、発光信号で退船を促す。 船員が救命ボートなどで退船すると、Uボートは魚雷を発射した。しかしこれは船底を通り抜けて失敗。 そこで2、30発ほども砲撃してタグボートを沈めた。 漂流する救命艇にUボートが近づいてきた。艦長はタグボートの乗員たちに向かって、食料と水、タバコの有無を尋ねた。 タバコが無いねと乗員が答えると、Uボートからタバコとマッチ、ブランデーが2本投げ込まれた。 艦長は「申し訳ないが戦争だから仕方が無い。明日は我が身かもしれんのだ。 救命艇を引っ張っていけないのは残念だが、近所に駆逐艦が二隻いるし、やがてアメリカの貨物船とも出会えるだろう」と挨拶して去って行った。 残されたタグボートの乗員は「次にあの艦長に会ったら、一杯おごってやってもいいね」と語り合うのだった。
2日後、英タンカー、ブリティッシュ・インフルエンスの前方にUボートが現れた。 Uボートはまた発光信号で退船を命じ、救命艇のそばに寄ってきて食料、水、タバコの有無を尋ね、砲撃でタンカーを沈めた。 Uボートは救命艇に救難船が向かっているので心配ない、救難信号弾を3発撃てと言い残して去って行った。 しばらくすると、またUボートが戻ってきた。驚くべきことに、Uボートはノルウェーの貨物船イダ・バッコー(Ida Bakke)を連れていた。 Uボートとタンカー乗員はお互いに歓声を上げて別れた。このUボートは、オットー・シュハルト艦長のU29。大戦初期はこんな呑気なことをやっていたのだ。 ご存知の通り、U29はこの後1939年9月17日、空母カレイジャスを撃沈する。 これはイイ話とはいかず、518人もの犠牲者を出す大惨事となった。
あげ
ゴマンと作られたコルベットは戦後転用されたんだろうか。
>>758 フラワー級や改フラワー級は、商船になるか戦後まもなくスクラップが多く、次いで捕鯨船等に転用で日本に売却されてきた捕鯨船も数隻ある。
キャッスル級は、戦後保管船になった後十数年後にスクラップか、商船転用が多い。
多分売れるもんは売って、売れ残ったらスクラップな感じ。
イギリスは空母でさえ戦後商船にしようとした国だからな。
逆に捕鯨船を改造して護衛艇に使ったりしていたな。 捕鯨船は航続力あるし、凌波性もあるので、護衛用に都合がいいらしい。 福井氏の本にあったような記憶あるが、不鮮明。
ピングインだっけWWIIドイツ海軍の仮装巡洋艦が ノルウェーの捕鯨船団を丸ごと謀略を使って拿捕して 母船には鯨油が、補給船には食料がたぷーり、 キャッチャーボートは便利に使えるので全船回航したく、 アトミラルシェーアから無理矢理回航要員を出してもらって ほとんど全部 (全部?) 持ち帰ったって。
762 :
名無し三等兵 :2009/12/22(火) 08:29:48 ID:/fcIAJDq
謀略がどんなもんか知りたいぞ
質問があります。 1. 米軍は、太平洋戦争中、西海岸=真珠湾とか、真珠湾=シドニー・ブリスベーンに、 どれくらいの規模と頻度で、石油を含む軍需物資を輸送してたのでしょうか? 2. 第一次大戦中、1917年の無制限潜水艦作戦によって、 英国は17年7月期に無条件降伏すら「意識」していたようで、 その旨を英国の軍令部長は米国の在英海軍提督に洩らしていたようなのですが、 同種の情報は日本側は掴んでいなかったのでしょうか? 3. 1941年初頭の日本の潜水艦隊の演習(通商破壊)で、100数十隻の輸送船を撃破し、 通商破壊にメドを立てていたという資料を見ましたが、 この件、軍令部側も、GF参謀連も無視した要因は何だったのでしょう? 米主力艦隊との決戦に勝利すれば、対米単独講和が可能、と本当に信じていたのでしょうか?
典型的なマルチだな。
俺は初めて見た
兵站スレに同じ質問があったな。
「海と船のアメリカ」って本、知ってる人いる? 実は書名を正確に覚えてなくて本が検索でヒットしない。 海と船が前後逆だったか、船じゃなくて帆船だったかもしれない。 単行本はたぶん昭和40年代に出て、著者はもう死んでると思う。 アサヒソノラマ文庫か何かから文庫版が出てるけど絶版かな? アメリカ合衆国の歴史、特に帆船の時代の著者のいう海上遊撃戦に焦点をあてた本で、 通商破壊や海上護衛にも大いに関係あるんだけど。
堀元美 帆船時代のアメリカ?
あれはいい本だな。 「世界の艦船」の連載記事「海と船とアメリカ」を本にしたやつだ。 ホーンブロワーファンや南北戦争フリークにはたまらない。
>>769-770 そうそう。だけどキアサージに負けたアラバマに厳しいこと言ってたのがしゃくだ。
アラバマは二年も航海を続けてその間弾薬の補給もたぶん出来なかったと思う。
もちろん存分な実弾演習なんか出来ないし帰港して人員をたっぷり休ませることも出来なかった。
それでも一人も乗り組みを病死させなかったが。
アラバマを沈めることを任務としてロンドンで待っていて
機関室の外壁に防弾も施していて11吋の主砲をもったキアサージとでは
はなっからいい結果は期待できない。キアサージの船尾に当たってめり込んだシェルが
もしも発火していれば舵を壊されたキアサージをかわして外界に逃げることが出来た筈だった。
海軍は燃料の重油やガソリンをアメリカに依存してるのに、アメリカを仮想敵にしつつ、しかも戦前の国防方針では比島攻略と艦隊決戦だけで、石油の輸入が途絶えたらどうするのか全く対策してないのが不可解だ。 仮想敵にするなら貿易で依存すべきじゃないし、依存するなら仮想敵にすべきじゃないのに。 まだ日英同盟組んでた時期までならともかく、それでもイギリスからアメリカと戦争になったら知らないからねって言われてたのに。
>>763 1について、まずアメリカは武器貸与法により45ヵ国に計510億ドル分の物資を供与した。
イギリスに270億ドル、ソ連に106億ドル、豪州には15.7億ドル、ニュージーランドに2.17億ドルで豪州への援助額は中国への援助とほぼ同じ。
んで他に米兵も派遣してるから、その分を賄う物資をプラスして援助物資は他国との比較で大体の量がわかるだろう。
ハワイへは陸軍2個師団と海軍の艦隊の規模、更に市民の生活を維持する為の物資を計算すればいい。
米太平洋艦隊の戦時一ヶ月の重油の需要は約50万klだ。
日本がトラック泊地に輸送した物資の量を参考にしたらどうか。
2と3についてはまず参考にした出典と該当箇所の抜粋を示してほしい。
A.J.P.テイラー「目で見る戦史 第一次世界大戦」p193 1917年の……四月だけで、イギリスと中立国の船舶が100万トン以上も失われたのである。…… ……ジェリコーは、アメリカの提督シムスに「もしこのような損害が続くのならば、我々は 戦争を続けることができない」と語った。シムスは何か対策があるかと尋ねた。ジェリコーは、 「現在のところ、われわれの見るところでは何ひとつない」と答えた。
>>774 その記述がどうして
>英国は17年7月期に無条件降伏すら「意識」
なんて読めるんだ。
その程度なら日本も、ジュトランド海戦や無制限潜水艦戦以前、1916年2月7日に英外相グレーが井上在英大使を呼び出し。
外相はドイツ海軍の脅威を強調、日本やアメリカの物資がイギリスに届く前に沈められてしまう、この状態が続けば戦争の起趨はわからなくなる。
日本はせっかく手に入れた、南洋諸島や青島を手放す事になるがそれでもいいのか、と半ば脅して日本艦隊の欧州派遣を要請。
艦隊を派遣したら戦後にイギリスは日本の南洋諸島領有を支持すると約束した。
つまりはより一層の支援を要請する為に、苦境を説明してるに過ぎない。
実際は1917年2月にドイツは無制限潜水艦戦宣言、4月が損害のピーク。
その4月に米が参戦し戦艦6隻を欧州に派遣、7月に護送船団方式採用後は損害が減少していく。
因みに日本の特務艦隊も2月に編成、3月にシンガポール着で第2特務艦隊は4月にマルタ島に到着して船団護衛開始。
3は単に連合艦隊が短期決戦主義だからでしょ。 通商破壊には効果でるまで時間かかるし、情報収集にはハワイその他の要地偵察も欲しいし。 実際は軍令部も連合艦隊も何度も通商破壊作戦の計画はしてる。 ガダルカナルでそれどこじゃなくなった。 無理言って陸軍に兵を出してもらったから、メンツにかけて補給せにゃならん。
777 :
名無し三等兵 :2010/02/10(水) 19:26:31 ID:+s8SN8hJ
>米主力艦隊との決戦に勝利すれば、対米単独講和が可能、と本当に信じていたのでしょうか? そもそもどれほどアメリカが禁輸しても世論があって 対日参戦には困難が伴うとか本国に打電できる外交官はいなかったのか フィリピン放置して英蘭にのみ宣戦するとか
アズディックって初期のソナーっていう認識でいいのかな 檜山良昭さんの小説で出てきたが
>>777 アメリカでなくても石油なくて艦隊も輸送船も動かせなくなったら、国防破綻して中国軍にすら負けかねないんだが。
当然産業も成り立たず国家が破綻する。
それと蘭印の油田は米英資本だから、蘭印攻撃したら対米宣戦布告と同じ。
アメリカ世論は欧州干渉には慎重だったが、日本相手は別。
41年9月の世論調査で既に、日本との戦争辞せずで世論が半々になってる。
>>778 アスディックはイギリスでの呼称、ソナーはアメリカでの呼称で物は同じ。
レーダーも当初米英で呼称違ってたはず。
電波警戒機と電波探知機の違いのようなもんだな。
イージス艦とガメラレーダーくらいの差があるが
783 :
名無し三等兵 :2010/02/10(水) 22:30:10 ID:wDzMUlhR
>>782 >>779 じゃないし、数字が違うけど、ギャラップの世論調査でも似たような傾向がでてるよ。
モリソン博士の米海軍作戦史の1巻に開戦前の対日世論の変化として書かれてる。
「日本を一層、強大にならせない」為にどんな手段をとるべきかと言う設問に対して、
41年7月下旬で「戦争も辞さず」というに割合が51%、9月になると70%、11月でも64%となってる。
つまり、開戦前の米国の世論は対独開戦と対日開戦では反応が違ってたってことだね。
アメリカの対日感情が最悪になったのは三国同盟から。 それまでは、産業界では経済制裁そものものに反対の空気があった。 アメリカからすれば輸出先3位の客だし。 欧州で戦争始まったら、日本からの輸入も増えた。 1939年と比較して1940年には対米輸出が相当増えていたはず。 (参考:日本の戦時経済/原朗 他) 国務省は戦争回避の圧力として経済制裁が機能すると思っていた。 「日本人は機会主義者で計算高く用心深い。だから勝てない相手に戦争する分けない」 という主張は一定の説得力をもっていた。 日本の南進にアメリカが敏感だったのは、石油問題よりも、錫とゴムの占有率が高い地域であることじゃないか。 世界シェアが高いこの2つの資源が蘭印にある。石油は世界シュアに占める割合はさほどでもない。 1940年のデータで この地域で錫の産出量が世界生産量の57%、ゴムが87.9%。 石油はアメリカの産出量だけで182,905千トン。日本人が大騒ぎする蘭印は7,939千トン。 アメリカから見ればゴミのような産出量。
「油断の幻影?― 一技術将校の見た日米開戦の内幕/高橋 健夫」 この本では、輸入制限措置をやっても、あの手この手でアメリカ側の業者が売り込んでくる実態が体験談として書かれている。 こいつら、売国奴じゃね?って感じで内心バカにしていたらしい。売ってくれるのを感謝するよりも。 著者は陸軍の燃料政策に関わった技術将校。
捕鯨母船って仮装巡洋艦に改造できるな。 近寄ってくる黒塗りの海賊船に至近距離から大砲を撃ちこめる。
787 :
ゆうか ◆u8WC078ef5ch :2010/02/21(日) 22:54:41 ID:qmhRkcyD
>>786 その昔、ドイツ軍仮装巡洋艦ピングイーンが
捕鯨船団丸ごと一網打尽にしたことがありましてね・・・
母船3隻と子船11隻だったか。
総計4万トン近い大船団を丸ごと鹵獲というのはちょっとすごい。
788 :
名無し三等兵 :2010/02/21(日) 23:25:59 ID:AJcMg9lC
大本営は、露が独に敗れるという情勢判断で開戦に踏み切った部分もあるからね。となれば、極東はタダ貰い、英は防戦一方でガタガタだから、日独VS米であればどうにかなるだろうと。松岡の構想は、露も味方につける腹積もりだったらしいが。
>極東はタダ貰い、 「うひょー!前回(の大戦)と同じく今回も棚ボタだぜ!」とでも思ったのだろうか。 定見の無さというかやはり外交においては一枚も二枚も欧米の方が役者が上だね。
>>787 捕鯨船団を一網打尽とはすばらしい。次は南極海に急行して日本捕鯨船団を攻撃してくれ。
791 :
名無し三等兵 :2010/02/22(月) 00:09:18 ID:a5Pq2YkP
スターリンも一時期、日独伊露の4国同盟を検討している。当のヒトラーは、全くその気は無かったが。
ずーっと船団の交信を傍受していて、 まず母船をコッソリ拿捕してキャッチャーボートや補給船を無線で少しずつ呼び戻して 拿捕したんだと思うけど、回航するには人員が全然足りなかったから アトミラルシェーアにかなり無理して融通して貰わないといけなかった。
これらがイギリス船で武装でもしてたら船団丸ごと拿捕なんて無理だね。 ノルウェー人船員としたら母船が満タンになったら イギリスか北アメリカに回航しなければいけないし、 ドイツ人に捕まった方が早く家に帰れると思ったのかも。
通商破壊=輸送船を撃沈する事 護衛=潜水艦を撃沈する事 と誤解されがちだが 通商破壊=輸送船が出港を控える等、予定通りの輸送をさせず、輸送量が需要に満たなければ成功 護衛=輸送船を無事に目的地に到着させれば成功 であり、通商破壊は潜水艦だけでなく、空襲や機雷や水上艦による脅威もある。 ある地域の制海権を喪失すれば、輸送や護衛以前にその地域の航路自体放棄される。
護衛をつけさせた時点で物流コストが上がるしね。
だから戦争は金がかかるという話だろ。 平時の海運で護衛が必要なんてなったら大変じゃないか。 まあソマリア沖でリアルでやるハメになってるから世界各国で 頭を痛めてるところなんだけどな。
極端な話、輸送船を1隻も沈めない場合でも、燃料がなくて動けないとか機関が故障して動けくても輸送はできない。 大陸や南方で物流に便利な港湾は限られてるので、例えばその限られた港湾を機雷封鎖して使わせないだけでかなり痛い。 港湾間だけ輸送できても内陸へ運べるとは限らない。 南方の石油や資源は一度シンガポールに集めて本土に運ぶので、シンガポールか中継のマニラが使えないとかなり痛い。 南洋方面だとトラックでさえ港湾施設が充分でない。 増してトラックから、何百とあるその他の南洋の小島に輸送するのは大変だ。 東京〜大阪輸送でさえ、鉄道でなく船舶輸送にかなり頼ってる。 日清戦争はかろうじて開戦直前に、東京から広島への鉄道敷設が間に合ったから輸送ができた。
実際に海南島の鉄鉱石と筑豊炭田の石炭を、門司港から八幡製鉄所に運ぶ →鋼材を大阪陸軍工廠や各造船所に運ぶ →軍需物資を横須賀港からトラック経由でラバウルまで運ぶ手間を考えてほしい。 どこで詰まっても生産や物流はうまくいかない。 鉄鉱石がなければ鉄鋼生産ができず、鉄鋼がなければ輸送船も護衛艦も造れない。 石油がなければ輸送船があっても動かないし、物資を揚陸できても前線に届かなければ戦力にならない。
>>797 もろに末期の日本のことだな。
フィリピン奪還されて南方航路放棄したし、
瀬戸内海も機雷で封鎖されて工業地帯への資源搬入が途絶したし。
>>797 輸送船に護衛艦艇を付けるということは前線に出せる艦艇は減るわけだし、
護衛艦艇を多く建造するということは生産力をそっちに費やさせるという事でもあるな。
通商破壊で一番効率の良いのは航路断絶や海上封鎖であることは同意。
>662 それだったら大西洋で大活躍して、今頃は国連常任理事国、反応弾潜水艦、原子力空母は 確実ですぜ。 米式装備で豊かな戦いが出来る。
アメリカの、海軍大学から出版された「日本潜水艦部隊と第二次世界大戦」の189〜190頁に、 こんな記載があるらしい。 >真珠湾攻撃の直後、日本海軍は、全ての大洋航行型と艦隊型潜水艦を >ハワイ海域と米国本土西海岸沿岸に集中させるべきであった。 >大型潜水艦は、順番に交代で作戦従事し、これら二つの交戦作戦地域は、 >少なくても1942年一杯は偵察行動を維持すべきであった。 >つまり作戦従事可能な潜水艦の1/3は偵察任務につき、1/3は偵察海域へ航行中であり、 >1/3は補給や修理中とすべきだった。 >これら2つの偵察地域で展開する潜水艦は、西方へ急ぎ派遣される米軍増援部隊の進行を >効果的に邪魔することが出来ただろうし、 >そして少なくても1942年の初めの頃には、日本軍潜水艦は真珠湾攻撃で被った損傷を本格的に修理するため、 >本国に帰国途上の米軍艦を攻撃するのに、理想的な場所にいたはずだった。 上記に加え更に、 西海岸=ハワイ=ニューカレドニア=ソロモン/豪州、という長い補給線の遮断の意味も加えられるしね。 昭和16年の新軍備計画論で 「日本ハ、其潜水艦兵力ヲ以テ、進ンデ゙布哇及遠ク米本國ニ多数ノ潜水艦ヲ配シ、 彼ノ海上交通破壊戦ヲ行フト共ニ、彼ノ水上兵力ニ対シ、機会アル毎ニ突撃ヲ加フベシ」と書いた、 井上成美中将に第六艦隊司令長官を任せていれば、多少は歴史が変わった可能性がある、かもしれない。
つまり、史実以上に日本の潜水艦隊の消耗が早くなるわけだな。
そもそも史実でさえ潜水艦勢力が足らなくて、大正期に建造した 呂号潜水艦まで無理やり稼動させてる状態なのにな。 狭いクエジェリン環礁で多数の伊号潜水艦が補給を求めて長蛇の 列を成す、なんて潜水艦隊の現場からすれば悪夢以外の何者でも 無いだろう。
潜水艦の数は全然足りないな。イタリアと交換して欲しいわ。 135 :名無し三等兵:2009/12/20(日) 12:26:35 ID:??? 第二次大戦各国潜水艦 保有&建造&損失数比較 (参考資料:『雑誌「丸」』) (国名:開戦時保有隻数>>>戦時保有総隻数→損失総隻数) 日本:0064>>> 0180→ 0127 独国:0056>>> 1158→ 0777 伊国:0105>>> 0138→ 0097 ------------------------- 米国:0114 >>> 0317 → 0052 英国:0069 >>> 0242 → 0072 仏国:0078 >>> 0086 → 0058 豪州:0001 >>> 0001 → 0000 蘭国:0031 >>> 0031 → 0012 ソ連:0178 >>> 0182 → 0007
トン数で出しなおせば答えは出る
先生!蛟龍は潜水艦に含まれますか?
>イタリアと交換して欲しいわ。 ロ号潜そんなに欲しいのか? 太平洋は広いんだよ?
ドイツすげえなw 1隻700トンとしても70万トン超か・・・
>804のいいたいことがわからなかった。
保守
そもそも戦争なんて起きなかったの意味でね?
仮装巡洋艦コルモランとHMASシドニーとの 1941年の交戦について書かれたウェブサイトなどを読むと、 WW2では英国は連合国や中立国の商船に秘密のコードを割り当てて通知し、 怪しい船にはそのコードの呈示を求めたようだけど、 それって外交ルートで通知したんだろうか。 当然開戦前に既に報せてあったと思うんだけど。 当然日本の艦船にも割り当てがあったのだろうね。
もしも日本が護衛重視だった場合。 南方資源地帯や内南洋との交通線維持に、護衛艦は何隻程度で必要充分だったのか。 主要航路帯の制空権と対潜哨戒に、航空機は何機必要だったか。 一部の航路や主要港湾・海峡に機雷堰を形成する場合、機雷は何個位必要だったか。 もちろん相手の通商破壊の度合い次第だし、時期により相手の投入戦力により違ってくるだろうけど。 どの程度護衛戦力が必要で、開戦時にどの程度、戦時中にどの程度準備していれば良かったのか。 戦時中の日本の海上護衛が良く批判されるだけに、批判者が満足する具体的な必要戦力が気になる。 まあレーダーとかソナーとか対潜兵器とか、装備の質もあるし。 日頃からどんだけ対潜訓練してたかの問題もあるんだけど。
>批判者が満足する具体的な必要戦力が気になる。 大井大佐が数百隻とかとんでもない試算出してたはず。
>>818 昭和12年とかぐらいの試算で護衛艦が各種合計300隻、航空機も各種合計で1200機くらい
年次によって変動はあるけどイメージとしてはこれぐらいだな
いや〜、やっぱり海上護衛には金かかるのね。日本が艦隊決戦思想に走ったのも仕方ないね。
海防艦は計画も含めて180隻あったな。 ○五計画以降急に増えた。
>>820 でも戦前だと南方資源地帯との交通は考慮せず、オホーツク海〜本土周辺〜黄海や東シナ海にせいぜい内南洋程度でしょ。
南方資源地帯の有無で、必要量だいぶ変わるし、1937年の船舶保有量は400万総トンだが1941年は600万総トンに増えてる。
イギリスは3倍の1800万総トン保有して、インドやカナダやオーストラリアと交通線やたら広いけど。
それでもフリゲートとコルベットの建造数は、終戦までに各200隻程度。
他にアメリカの艦艇や、亡命したノルウェーとかの船舶使えるけどさ。
日本て戦前の国防計画で、アメリカから石油禁輸されたらどう対処するつもりだったのやら。
イギリスその他から輸入する計画だったのか、備蓄で講和まで持ち堪えるつもりか。
仮に1万総トン以上なら同数の護衛艦、6000トン以上なら2:1、1000トン以上で3:1、未満は沿岸航路で航空隊に護衛委任という体制だったら。 商船の隻数とトン数から、必要な護衛艦隻数を計算できそう。 航空機数も航路と航続力から、例えば航路の500浬ごとに1個航空隊と計算したり。 でも商船は3000隻以上あるんだよなあ。 一割が優秀船として、その一割にだけ護衛艦集中するとか。 海自は必要な護衛戦力をどう見積もってるんだろ。
>海自は必要な護衛戦力をどう見積もってるんだろ。 実は海自は海上護衛はしないんだよ。
826 :
820 :2010/04/24(土) 09:47:43 ID:???
>>823 イメージ的には台湾海峡以北の日満支の海域を絶対確保であってるよ
ただ、それは経済活動を行う商船のための確保海域であって、シンガポール方面や南洋諸島方面への軍事輸送を行わないわけじゃないからね
通常、船団に直接貼り付ける隻数が1/3とされるから、300隻あっても動けるのは100隻
1船団に1個隊(4隻)としたら25隊、重要船団には2個隊(水雷戦隊の半分)
マリアナ、トラック、マーシャル、千島、日本海に各1隊貼り付けたら同時に動けるのは20船団程度
整備中の隊を使うとしても、内地港湾の訓練兼警備や哨戒にもあたることで相殺
こう考えたら絶対確保を台湾以北と限定してもおかしな数字とは思えないけどね
別スレから飛んで来たんですが 「日本海軍が海防艦の建造コスト低減に早期に着手したり、船団護衛を早期から実施したりしても 史実に比べて大して効果はない。 東南アジアの港湾能力では大規模な船団を編成すると極端に輸送効率が落ちて、 戦争経済全体を考えればかえってマイナスになるからだ」 てな主張をどっかで見かけた覚えがあるのですが、どの程度信憑性があるんですかねぇ。
荷役能力が貧弱で時間がかかるから、大船団を編成するのに非常に時間がかかる 結果、大船団護衛を行う場合、荷役待ちの船が大量に発生して輸送効率が低下する
>>827 ま、ある程度は信用していいよ
ただ、船団編成による効率悪化は
1)港湾能力の飽和による滞留
2)船腹量不足による待機
の2点を合わせてみないといけない。
日本の例だと比島決戦に備えて大規模船団(20〜30隻)を組んでいるけれども、門司港近郊の能力が飽和するので50隻以上の船団は組んでいない。
開戦初期の大船団は台湾と広島湾に分散して集結しているのも傍証になるかな?
あと、比島決戦に備えた船団のうち、空母を付けるような船団のいくつかが門司ではなくて補給能力に欠ける伊万里湾で終結していたりするのも混雑を避けるためだろうね
>>827 テンプレの
>>28 と
>>35 参照。
>42年10月から43年10月の1年間に延べ936船団、4591隻の商船が運航されたが、護衛がついたのはうち65.6%の614船団。
>護衛がついた船団での護衛艦艇の割合は、商船5隻につき1隻が平均で多くて2〜3隻だった。
>44年4月から大船団主義の採用もあり、従来の1船団の平均船舶数5隻程度から平均8.6隻、護衛も従来の1隻程度から5〜10隻に
日本の場合、大船団主義になっても1船団8〜12隻程度。
船団組むと一旦各地から集合するし、低速船に船団速度あわせるので稼航率低下する。
だから独航船も多かったけど、独航は船団より2倍の被害率。
船団護衛自体は南方作戦直後の17年4月から、第1護衛隊(南西方面艦隊)と第2護衛隊編成してるけど。 護衛艦が圧倒的に不足してるから、護衛なしの船団も多い。 それでも米軍の通商破壊が活発化するのは18年秋以降だから、最初は潜水艦との会敵率は高くない。 それよりも17年中はまだ日本の攻勢時期なので、軍徴用で民需用船舶も不足。 護衛に充てる艦艇も前線で使われちゃう。 だから早期に海防艦を大量生産、て方向には向かわないよ。 航空機も開戦時だと作戦機全体で1000機チョイだから余裕ない。 海防艦の建造コスト低減しても、少数の艦が早期に完成するだけだし、海防艦より輸送船自体を建造したい。 港湾能力も内地の門司や宇品、台湾の高雄や基隆、サイゴン・サンジャック・シンガポール・ジャワならそれなり。 むしろ南洋のトラックやラバウルとかのが低いかも。 シンガポールをハブ港に物資を集積して、主要港間で輸送し、主要港と地方港(本土も南方も)は、小型船で往来する。
荷揚能力の不足から、順番待ち(沖待ち・滞船)する船の様子は
>>219 が詳しいかな。
ドック入りや荷揚で365日のうち180日は滞船とか、入港しても荷揚完了まで20日〜1ヶ月かかるなんてよくある事だ。
現代みたいにコンテナ船じゃないから、荷揚は艀を使ってバケツリレー。
敵潜が出没したら、出港延期や迂回航路とったり、之字運動で予定通りに到着できない事も多い。
>>823 アメリカから石油禁輸されたら、イギリスや蘭印その他から輸入する計画でしょ。
実際に第二次日蘭会商で小林一三を派遣して交渉させた。
日独伊三国同盟で警戒感を与えてしまって事実上決裂。
これこそが開戦の直接的な原因といっても良いぐらいだ。
海防艦量産しようとすると、船体は量産できても機関が潜水艦や駆潜艇と取り合いになるのがネック。 後は高角砲やら機銃やら儀装品の生産能力もネック。 まあレシプロやタービンにすりゃいいんだけど。 日本は海防艦にレシプロ採用しなかったのがちょっと不思議。 輸送船ではレシプロや焼き玉エンジン使ってるのに。
焼き玉はともかくレシプロは選択肢にあってもおかしくなかった。
>>835 レシプロ機関を作るぐらいなら焼玉の方がまし
焼玉はセミ・ディーゼルだから燃料タンクだけでよいけど、レシプロは缶水なんかの配置が必要になるので機関系の工数が倍以上になる
あと、教育体系の問題で、レシプロの新規教育なんてやっていないから機関員の供給が難しいってのがあるな
>>836 何を言ってるんだ。
間宮や八重山や白鷹、マル1計画の13号掃海艇だってレシプロだぞ。
戦時標準船でも第1次は1A/1C/1D/1K/1E(RS)/1TSがレシプロ。
第2次以降は2Dや2E(RS)位に減って、大半がタービンになってるが。
タービンだって缶を使うのは同じだし、民間商船でもレシプロ使ってるの多い。
だいたい海防艦に乗るのは、大抵商船学校出の予備士官だぞ。
焼き玉エンジンは構造がシンプルで生産が楽だが、逆に利点はそれだけだ。
所詮は漁船用で低馬力で燃費も良くなく、馬力に比してスペース食う。
10ノット前後の低速船にしか使えん。
>>837 逆なんだよ、高等商船の機関部出はディーゼル機関の教育をうけているから海防艦や潜水艦に優先的に回されているんだよ
それに焼玉の方が見た目の出力は低いけども、缶と機械室を合わせたスペースや、燃料タンクと缶水タンクを合わせた艤装なんかを考えると、
海防艦クラスで採用する利点が無いって事だよ?
<出力辺りの艦全体にあてる機関系容積や所要の工数、2種類のタンクを持つことによる航続距離の低下
>>834 レシプロやタービンだと門司〜シンガポール間の護衛に燃料補給無し
での運航がちょっと厳しい。ディーゼル機関の丙型に対して、タービン
機関の丁型だと1ノット程度優速の代わりに燃料は倍以上搭載するが、
航続距離は約3割程度少ない。
航続距離4500海里の丁型海防艦は、それでも門司〜シンガポール間
2500海里の護衛には対応可能と思われていたみたいだが、ヒ57船団で
両型をテスト運用した後はヒ号船団に殆ど丁型が見られなくなっている
のをみると、やはり問題が出た可能性が高い。
それでも燃料の問題を解決する為に石炭焚きまでテストしているが、
終戦時までにモノに出来てないようだ。
840 :
838 :2010/04/24(土) 21:41:44 ID:???
>>839 石炭焚きへの改造で言えば、機関室の通風の問題が解決できなかったのが大きかったようですね
投炭=缶の口が開く=熱が缶室に(ry なんだけども、機関室全体の空調を整えるためには機関出力や補機の能力を倍増しないと追いつかず、
それでいて通風のために水密が保てないし、艦内容積に通風ダクトの占める割合が大きくなって(ry といった回想があるので、利点は石炭が使える以外に見つからなかったそうですね
>>838 それはない。
戦前よりディーゼル普及してる現代の商船高専でも、内燃と蒸気機関の両方履修する。
でないとボイラー技士の資格とれない。
他に工学や設計・通信・電気等も。
効率求められる戦標船だってディーゼルよりタービンのが多い。
>>839 末期の海防艇は石炭焚きで、日露戦争なら石炭焚きが当たり前だけど。
釜焚きの手間がかかるし、熱効率や搭載量から航続力も劣る。
混焼缶もあるが、何より煤煙で敵潜からの被発見率の問題が。
とりあえずリバー級もフラワー級もタコマ級もレシプロだ。
>>840 岩重氏の調査によると、海防艦160号が公試で14ノット出ない状態で
調整中のままで終戦を迎えているそうで、若しかしたら石炭焚き改造
の件と関係あるのかもしれない、との事。
(現状では海防艦の石炭焚き改装については個艦特定はされてない)
>>841 すまんが海防艇は名前に「海防」と付いてるが、外洋の護衛は主任務
じゃないんだ。
>>843 おそらく関係あると思います。
石炭焚きの艦だと機関室ごと強制通風にしないと圧が上がりにくいって話もあるので、
海防艦の基本設計だと缶室内の気圧低下(?)とかによる能力低下が考えられるそうです
>>841 だからさ、蒸気タービンと蒸気レシプロを同一に語ってどうするの?
それに免状を保有するのに必須の講義と、重点的に教育される内容との区別を無視して論を進めていない?
当時はレシプロも残っているけど、戦前の段階で新造船に採用する例は少なくなってきていて、なおかつ主機メーカーもレシプロから撤退している頃だよ?
新造船の例だと、内南洋航路のパラオ丸なんかは三連成汽機(3段レシプロ)だけど、これも排気タービンなんかをつけて出力を向上させているから半レシプロ半タービン船って見た方がいいレベル
捕鯨船だと1社が蒸気レシプロを残しているけども、2社はディーゼルにシフト終わっているし、機関の利点と言うよりも社内船との規格を揃える意味合いが強いし、缶水燃料の補給の面からは相当に苦労している
戦時標準船のEやFレベルでレシプロが復活しているのはディーゼルやタービンの供給が間に合わない所で、通常ならば甲板機械(蒸気式ウィンチとか)を作るメーカーが何とか作れるのが1世代前のレシプロ機関ってだけで、
実際の建造船の方でも配管系の艤装が追い付かずに出力が出ないとか、経験者がいないって面で苦労している。
なにより一番の問題が、海兵団や機関学校に限らず、新設の海員学校や講習所レベルでも蒸気レシプロに関してはおさわり以上の教育をしていない(=過去の技術、こういった船もある)ので、
新規に配属される人間にとってはある意味未知の技術になってしまっていて、メンテナンスなどのノウハウが欠けてしまっていたりする。
こういった辺の問題を
>>836 で教育体系の問題って触れたんだ。
>>842 さんに対する答えになっていないな。
フラワー級は1940年、リバー級1942年、タコマ級は1943年だ。
しかも数はむやみと多い。
日本でも図南丸は1938年竣工の捕鯨母船だが海軍に徴用されて石油や物資の輸送船として活躍した。
船の寿命は長いから、今のSLのように死んだ古い技術というわけではなくまだ完全に現役だったろう。
図南丸って戦後もレシプロのままだったのかな? さすがに引揚げ後の修理で機関は載せ換えたんだろうか?
>>845 #図南丸
書き方悪くてわりい、捕鯨船って捕鯨母船じゃなくてキャッチャーボートの方だわ
あと捕鯨母船は搾油やタンククリーニング(石油と鯨油の入れ替え)で蒸気を使うから、ディーゼルをあえて使わないって選択肢もあったらしいです
また、英米での漁船ベースの護衛艦、日本に供与されたPF当たりにレシプロが多かったけれども、これは漁船造船所の設備を転用するのと、海軍予備員層の利用をはかるため
武装以外の設計を流用したのが大きいので、日本の場合はその辺を加味する必要があります。
要は、当時の日本の船舶でレシプロ機関を搭載したものがなんで少なかったのかを見てくれないと、戦時急増艦にレシプロ機関が充当させられないかって話に繋がらないと思いますね。
確かにレシプロ機関は漁船や中型船の一部では現役でしたけれども、主流とは言い難いものです。
最終的には
>>835 ,
>>836 の評価に帰結するのですが、史実で焼玉がメインであったからこそ採用され、蒸気レシプロに魅力がなかったから採用例が限定的(戦時標準船のE、F)であったわけです。
戦後の例になりますが、供与PFがレシプロ機関と知ったときに機関部関係者がパニックになり、蒸気機関を触った事のある人間を探し回ったとの話もあるので、普通に触った事のある機関形式とは
言い難いようですから、実際に運航している技術と、海軍内部で組織的に教育している技術も少し分けて考える必要があると思います。
また、フラワー級他のカウンターパートは、地位的には海防艦なんですけれども、施設転用や建造造船所の面からいけば、哨戒特務艇や駆潜特務艇が相当するとみるべきではないですか?
これらの遠洋漁船系に蒸気レシプロを捨て、昭和初期にはほぼ焼玉(セミディーゼル)にシフトしてしまった面もみないと、運用できる人間がいるのか、量産可能な機関なのかが見えてこないと思いますよ。
>>845 Uボートの水上速力、って事だな。
因みにガトー級は水上でコンスタントに20ノット出るんで、仮にレシプロ
の対潜艦艇だとダッシュ力と最大速力の差で敵わない。
(例に出してる白鷹が海上護衛のメインラインに来てない((局地間の護衛
が多いのも、ひとつにはそれが原因かもしれない)))
ディーゼルの丙型では16.5ノットしか出ないから、制圧行動に出ても
逃げられてしまったりもする。かといって丁型の場合だと燃料の拘束が
厳しくなる。
あんまり深く考えると俺の方が思考の泥沼に陥りそうだ。 まあシミュレーションであれこれ考えるのは楽しいけどね。 所詮は俺は実務とは異なるシミュレーションで楽しんでるだけだよ。
当時の軍も同じような会話がなされてたんだろうなと 延々と繰り返されるエンジン談義を見て思ったわ 結局、よりベターなのは何なんだい?
>>848 むしろ護衛部隊全体で見た場合、地理的な関係で航空哨戒網がある程度期待できたのと、駆逐艦が随伴可能だったのでフラワー級等はあの速力で許容できたのだと思います
それでも速力などが不足していたので、リバー級フリゲイト等にシフトしていくのですが、これもフラワー級コルベットの機関を2セット積んだ改設計だったので、
当初はフリゲートではなくて「2軸コルベット」という分類だったらしいですね。
あと、白鷹の場合は護衛隊の旗艦なので、下手に動いてしまうと海域全般の指揮、直接護衛以外の面で穴があくので下手に前線に出せない可能性が、、、
>>849 わたしもシミュレートを楽しんでいるだけすよw
ただ評価軸が「これが使える」ではなくて、「このあたりが使えない(使い憎い)」に偏っているだけですw
当時の専門家、軍人が必死に考えて実行した史実の通りがベターw
戦標船で焼玉は870トンの小型貨物船で400馬力のみ。 レシプロは450馬力から3600馬力までさまざま。 リバティ船2,600隻もレシプロか。
>>850 852氏じゃないが、ベストベターというより国力を考えると史実以外の
選択肢は実質ないと思うよ。
後、雨の戦略爆撃調査団じゃないが、商船改造空母の護衛空母化は
不要だったかも。
とにかく石油問題と対米関係が現実の問題となってきたのが1939年あたりで、日本海軍はマル4計画なんで いきなり海上護衛の範囲を日本海から南方航路に大幅に拡大されてもすぐに対応できるわけないわな。 急遽マル5で択捉型追加とか、正面装備の他にもともとの国防計画と全く違うことをやらなきゃならなくなったわけで。
>>854 あれは戦術上の要請と言うよりも、戦前に書類上だけでもアメリカよりも
戦力的に優越しているという安心感が欲しかったがゆえの行動だったと
思うよ。もちろんその安心感を求めて始めた策が何か戦術上有益だったかと
なると、特に有益なことは無かったというのはその通りだけど。まあただ
同じ構想で作られた隼鷹・飛鷹は結構活躍してるから、その分の評価は
織り込んでも良いとは思うけど。
>>855 まあ確かに背伸びに背伸びを重ねてきた部分はあったかもしれない。
858 :
838 :2010/04/25(日) 23:17:35 ID:???
>>853 出力だけみるんじゃなくて、その機関室容積もカウントしてね
機関室・缶室に加えて、必要な航海距離を保証する燃料タンク・清水タンクをカウントしていった場合、海防艦クラスの船体に収容できるものかってあたりを見ないとダメなんよ
ちなみに英国海軍の護衛ベースになる距離は大西洋横断で2000海里、日本の場合は内地〜シンガポールで4000海里な
>>856 あ、説明不足で済まん。
「商船改装空母の護衛空母化」ってのは、大鷹を初めとする商船改造
空母を護衛空母へ転用した事ね。
改装そのものは結果として前線への航空機輸送に大活躍してるから、
否定するつもりはない。ただ、もうちょっと簡単艤装でも良かったかな、
とは思うけど。12試以降の艦載機発着艦が無理な時点で、あれ以外
の使用法はないと思うし。
で、スレ違いだけでは何なので話題を戻すと、日本の護衛艦艇の場合、
折角燃費の良いディーゼルを使っていても、防振設置工事等の能力の
低さで、折角のディーゼル艦も能力が発揮しきれてないんだよね。
単純な電測兵装やら聴音兵装のスペックだけではなくて、それらの能力
を発揮するには基礎工業力が付いていかなかった部分がある、というお話。
とりあえず
>>838 は高専の科目もロクに調べていないって事だけは分かった。
>>860 それは逆にスペックしか見ていないんだよ
高等商船のカリキュラムで必修だからってそれが重点的に教育されているものなのか、蒸気機関が蒸気レシプロも基礎として触れているものなのか、蒸気タービンがメインなのか
海軍の機関部関係士官のなかで高等商船出の予備士官の方がディーゼルに慣れているので潜水艦や海防艦の配属に偏重していった経緯とか抑えてみないとダメなのよ
基礎的な研修と、海軍・海運界全体の教育の中で機関部要員を大量に養成できるものだったのか、造機メーカーの能力として大量供給を行えるものなのかとリンクして考えていないから、レシプロが量産できるって錯覚に陥っているだけだと思うよ
>>844 畿内丸型や氷川丸型等はディーゼル、新田丸型や橿原丸型等はダービン。
しかし平時標準船と変わらない第1次戦時標準船のうち、1A(9隻)・1D(20隻)・1K等はレシプロだったりする。
2次戦標も2Aのうち27隻がレシプロ・96隻がタービン、2D(89隻)もレシプロ。
3次戦標はほとんどがタービンで、ディーゼルはむしろ少数派。
本来燃費を考えればディーゼル主流のはずだが、多分船団速度の確保と機関製造能力によるのだろう。
むしろEやF等の小型はディーゼルメイン(多分焼き玉かな)。
しかし平時標準船=1次戦標で主力貨物船の1Aがレシプロって事は、当時でもまだそこまで衰退してないんじゃなかろうか?
高速を要求される北米航路とかはともかく、近海航路にはそれなりにあったんじゃないかな。
>>850 よりベターというか、今あるもの使えるものを使うしかないと思うけど。
潜水艦追い回すには駆潜艇同様ディーゼルかと思うが、数を揃えようとして機関製造能力が不足してれば他を利用するしかない。
日本は昭和18年以降から海防艦量産が本格化したけど、緒戦時から量産してたら各種機関を積んだんじゃないかな。
17年から大量生産してたら、多分2次戦標船と同じ機関を利用するだろう。
同じ護衛艦で日本はディーゼル、米はタービン、英はレシプロとそれぞれ違う選択してるのが興味深い。
>>851 白鷹は単純に南方航路2500浬には航続力不足(10ktで2000浬)だからだと思うが。
>>846 図南丸は昭和25年にタービンに改装してる
>>848 対潜制圧時の潜水艦は潜航してるから、基本水中速力より速くて、護衛する輸送船に随伴できる速力がありゃいいのよ。
離れた位置から追撃するから多少優速であるのが望ましい。
>>851 武装トローラーなんて500トンの12ktとかだけど。
コルベットはトローラーとスループの中間的存在だね。
リバー級はスループの船体にコルベットの機関を搭載した感じ。
>>864 武装トローラーは日本の特設監視艇や特設駆潜艇、特設掃海艇に相当するから能力的には見劣りしないですね
あくまで運用母体の関係で、哨戒・監視か、港内警備兼掃海か、警戒兼対潜掃討とするかの違いですから
あと、コルベットはトローラーのうち優秀なものをリファインして新造したもの、
フリゲイトはコルベットで不足気味なものを加味していってサイズアップしたものとみれば判り易いかと
スループは日本の1号型掃海艇みたく、駆逐艦みたいな襲撃運動は捨てても警備を行うのに必要な能力をもち量産可能な三等駆逐艦とみればよいかと
866 :
865 :2010/04/26(月) 20:43:28 ID:???
>>863 米国の護衛駆逐艦はタービンだけどタービン・エレクトリックじゃなかった?
確か量産のネックが缶ではなくて減速歯車だったので、ギアのいらない電気推進方式にして低速で忍んだはず
日本護衛艦艇史、アメリカ護衛艦史があるんだから、イギリス護衛艦艇史も欲しい・・・。 海人社さんお願いしますよ。
>>863 >>数を揃えようとして機関製造能力が不足してれば他を利用するしかない。
逆。
海防艦の計画に顕著に出ているが、当時の日本の工業で継続して
供給可能な機関としてディーゼルが、そしてディーゼルだけでは
所要の護衛艦艇が充足されないからタービンが選択された。
その辺は丙型海防艦及び丁型海防艦の主機選定を見ると理解し易い。
逆でもなんでもないな。 同じことを言ってる。
>>862 要は護衛艦で利用可能なレシプロ機関と、商船で利用可能なレシプロ機関とで差があったってことでそ
航空機だと爆撃機用の大直径高出力の火星はあっても、単座戦闘機に使うのなら一回り小さい金星レベルに抑えないと採用できないようなもので、
商船として使える機関室容積と、量産を狙った小型護衛艦で利用可能な機関室スペースとの兼ね合いで使い物になるレシプロは見つからなかったって事じゃない?
あとは航続距離の縛りがあるので燃料庫や清水タンクもカウントしていったらレシプロじゃますます無理だったんろうね
砲艦はレシプロも多いね。安宅の1700馬力は流用できそうじゃないか。 安宅型1922年 1700馬力 常備 880t 速力 16ノット 航続力 2500海里/12ノット 石炭 235t 勢多型1923年 4隻は2100馬力 公試 383t 速力 16ノット 航続力 1750海里/10ノット 石炭 74t, 重油 25t 熱海型1929年 2隻は1300馬力 常備 225t 速力 16.7ノット 石炭31t 重油26t 古いものでは 樺型駆逐艦1915年 10隻は9500馬力 満載 850t 速力 30ノット 航続力 1600海里/15ノット
安宅ってけっこう大きな船なんだが、2500海里しか航続距離が無いのか しかも巡航12ノットじゃ船団護衛用としてはどうだろ
機関は流用できるんじゃないの
874 :
872 :2010/04/27(火) 15:22:24 ID:???
>>873 対米戦開戦前の海軍の試算で、船団護衛を行うことのできる艦型ってのが色々検討されていて、
その最小モデルが平島型敷設艇(基準720トン、主機ディーゼル3600馬力、最高20ノット/航続距離14ノットで2000海里)だったらしい。
航続距離が不足気味なんで燃料タンクを増設したって話があるけれども、艦型サイズがあまりに小さいと少し風波が出れば船団についていけず、巡航速力で船団基準速力の2割増し、
最大速力でさらに2割増(船団基準の5割増)はもっていないとまともな護衛ができないって事らしい。
同サイズの1号型海防艦(1900馬力)ですら優速船に置いていかれる事があるぐらいだから、2000馬力を切ると使いものにならないんじゃないかな
夏島型敷設艇のレシプロ 2,300馬力あたりなら使えるか 燃料は混焼だが
>電気推進方式にして低速で忍んだ 米護衛駆逐艦で6000hp/21ktなのは、ディーゼル4基の電気推進型。 タービン2基の電気推進型も、ギアードタービン型も12000hp/24ktで性能変わらず。 アメリカがディーゼルよりタービン選んだのは馬力・速力重視。 イギリスは潜水艦にディーゼル、水上艦にタービン、護衛艦にレシプロと分けた。 >商船として使える機関室容積と、小型護衛艦で利用可能な機関室スペース 丁型海防艦の甲25型タービンは6600総トンの2A型と同じ機関。 >当時の日本の工業で継続して供給可能な機関 鵜来型まで使用してた22号10型は、戦争中期から呂35型等の潜水艦でも使うようになった。 その為丙型や丁型では駆潜艇で使用していた23号乙8型と、甲25型タービンで代用。 日本のディーゼル生産能力はそんなに高くない。 22号10型で平均月産6基程度だ。
レシプロって加減速性能がディーゼルやタービンに対して劣るから軍艦からは早く使われなくなったと聞いたことあるけど詳しい人いない?
日本潜の戦記で「駆潜艇」として出てくる米豪の艦艇は 実際にはどういう船なの? 魚雷と爆雷を積んでたというけど、PTボートのことかいな?
>>879 SC(Submarine Srasher)とPTボートは別物だよ
サイズや能力的なものは他国のものも日本の駆潜艇とそんなに差はない
ただ、ソロモン等だとPTボートが泊地警戒なんかで爆雷を積んでいたり、モグラ輸送で浮上した潜水艦を追い回したりしているので、
日本側の記録だと駆潜艇ってまとめられていたりするね
>>880 だからクラス名を教えて。
PTボート以外の日本潜から「駆潜艇」と呼ばれていた艦艇のクラス名を。
あれかな、橋本以行艦長の戦記で 「魚雷・爆雷・機関砲と三段構えの攻撃をする駆潜艇」はやっぱりPTボートかな? いわゆるSCで魚雷も持っている艦種は他にもある?
>>877 レシプロと比較してタービンは熱効率と出力重量比で勝る。
その為高出力出すにはタービンと言われ、ド級戦艦以降急速に軍艦用機関として普及していく。
日本でも1908年竣工の最上型通報艦で導入したが、その後1925年竣工の追風(神風型駆逐艦)で艦本式タービン採用するまで機関故障に悩まされている。
ディーゼルは潜水艦用の導入がメジャーだが、これも日本はかなり故障に悩まされている。
L型のビッカース式は評判良かったが出力が頭打ち、ズルザー式は故障多発。
海大6型で艦本式ディーゼルにした1934年でも、初期トラブルで苦労している。
民間船では1924年の赤城山丸で初めてディーゼルを採用。
同型の秋葉山丸はレシプロで、性能比較したら燃費がかなり違い、以後商船ではディーゼルが普及していく。
ただ一次大戦以降不況続きで、更新はそれ程順調ではなかったかもしれない。
1930年の船質改善助成施設でも、30隻20万トン程度の新造だったし。
そんで本題の加減速性能だが、レシプロエンジンスレで聞いた方が良くないか?
多分どれも別に大差ないと思うが、タービンは減速歯車採用するまで直結式だったから、無駄に高回転で効率悪かった。
ボイラー式だとタービンでもレシプロでも、火を入れてから出力でるまで、火を落として機関停止するのに時間はかかる。
入港して火を落とすと艦内の電気まで使えなくなるから、港にいても火はいれたままみたい。
因みにタイタニックは左右2軸がレシプロ・中央軸がタービンの複合式だった。
結局何が言いたいかと言うと、故障に悩まされてるうちはレシプロも併用になる。
不況で新造できなかったり、八八艦隊でも燃料問題から、駆逐艦以上はタービンだが、
補助艦では石炭焚きの混焼缶やレシプロが残った。
つまりはハイローミックスだな。
日本は石油はないが石炭はあるので、ディーゼルだと石炭使えないけど、
レシプロだと使えるというのもメリット。
>>879 1943年の映画で駆潜艇K-225というのがあった。
パンフレット見たら外観は魚雷艇ぽいのだが。
戦場によって違うと思うけど、ソロモンであれば魚雷艇じゃないか。
外洋であれば違うけど。
因みにK-225は英語でコルベットを駆潜艇と訳していたが、コルベットに見えない。
結局のところ輸送の成否が鍵な訳で、求められるのは護衛だけじゃない。 民需船舶300万トンの確保を最優先し、南方作戦終了後は残りの船舶で軍事輸送を賄う。 門司や宇品・サイゴン・シンガポール・トラック等、主要港の荷揚げ能力の向上。 特に初期は護衛が不足するので、優先順位をつけ大型高速優秀船の護衛を優先。 配船・運営は陸海軍含め政府(船舶運営会)の一元管理。 固有の船団・固有の護衛戦力を持つ、地域ごとの船舶・護衛司令部の設置。 連合艦隊や軍令部・海軍通信隊と敵潜情報を共有し、護衛隊に情報参謀。 前線の艦隊にも護衛参謀を置き、対潜学校を設置して戦術や技術・運用を研究。 こうした事を実現するには、障害が多そうだなあ(セクショナリズムとか)。 史実はハードよりも、むしろソフトに問題が多かったように思える。 軍は民需から勝手に徴用していたり、連合艦隊は護衛に無関心で前線で輸送船を酷使。 ガ島とか無謀な強行上陸に使って船舶浪費、艦隊には護衛を理解した参謀がいない。
老朽船を処分して大型高速優秀船に更新するだけでも輸送効率は上がる。 これは戦前の船質改善助成で行うことだが。 中には前線の軍隊輸送船でさえ、8ノットとかの低速船も珍しくなかったが。 これが全て16ノット以上(外洋船舶だけでいい)の高速船になれば。 開戦前からトラック等内地や内南洋・台湾のインフラだけでも整備してれば。 船舶だけでなく鉄道との連携含め輸送を効率化、艦隊は潜水艦と駆逐艦で合同訓練。 潜水艦による襲撃と、護衛艦による阻止の両方を向上させていく。 せめて戦前から軍令部に護衛専属の部署を設置とか、護衛学校設置位はできたろう。 まあ蘭印までいくとは想定してないし、戦前は護衛ってあんまり重要じゃないからな。
高速船の費用対効果はどうなんだろ? 燃費とか結構良かったの??
>>887 あんさん金の成る木でも持ってんのか?
史実の船舶建造でさえひぃひぃいいながらやってんのに
当時の不況なめんな
船舶どころか造船所が閉鎖する危機にあったくらいだ
日本が大型艦建造施設を四基とも維持できたのは奇跡という研究者もいるくらいだぞ(米英は条約期間中に半減した)
1930年からの大恐慌に際しては、国債を乱発してでも大型タンカーなど船舶の建造しておいたほうがよかったでしょうね。 でも緊縮財政の井上蔵相だから無理。その後の高橋是清でも無理だったかも。
自分でも無理とわかってるなら
>>887 は単なる妄言・絵空事で終了だな
結局ハード的に何かいじるなら他に必ずしわ寄せがいくってことさ
>>891 あのね、別に絵空事の妄想言いたいんじゃなくて、史実で何が足りなかったか考えてるの。
そんで足りない部分・ほしい部分を列挙して、それが実現可能か実現するには何が必要か。
889みたいに具体的な数字もださずに、金がないから無理・妄想だって済ませたらそれで終わる。
全然深いとこまで考察していけないじゃない。
一次大戦頃は300万トン程度の船舶保有だったのが、一応開戦までに600万トンまで倍増してる。
1936年からは現有400万トンを5年で600万トンにする計画、17年以降更に増やす計画が戦前からあった。
不況真っ最中の1931年から3回も、老朽船を新造船に更新する試みは実際やってるし。
造船所の危機だって、注文がないから危機なんであって新造船が増えれば注文も増える。
できれば10年前倒しして、一次大戦直後の造船不況(1921年)頃からやりたいが。
なぜ無理か、どこまでなら可能か、どうすれば可能かを考えるのは無駄ではないと思うが。
注文はいいけどお金はどこから出るの?
なぜ無理か 金がないからで終了w
別に可能性を考えるのが無駄とは思わんが、それなら史実で何がなされたか最低限の知識が必要。 それを押さえてるのかどうか、分からんレスすれば、突っ込まれるのは普通のことだよ。 「日本経済史 4 開戦時・戦後期」 この本に山崎史郎教授の戦前から戦時の造船業に関する論文が掲載されとる。 「戦時経済総動員と造船業」 この論文を読んで、尚、10年前倒しと言えるならば、その可能性を論じる意味を認めても良いと思うが。 日本の経済規模で、あれだけの造船所を作り、世界屈指の海軍を維持する造船設備を維持し、商船の増産を実施している。 当時の人たちが生産の隘路になったものをどう分析し、どういう対策をとったか論じられているので一読をお勧めする。
昭和11-12年の状況 「当時の造船能力から推して、1年半乃至2年の日時をもってしては到底これを消化しえぬ」 (造船統制会「造船界最近の動向」、『戦時海運研究』P.143より) というほど受注があったので、金が無いとか、不況というのは不正解。 生産力を増強できない隘路は他にありました。 ここから論じるなら、意味はあるけどな。 892がこれを踏まえて、レスを投げてくれるなら、少し付き合ってもいいよ。
まず、昭和11年〜13年くらいの造船業においては、消化しきれないくらいの受注があったということ。 このため、船価、資材消費は急上昇。 大型貨物船(6000総トン以上)の船価は以下の通りの推移。 昭和8-10:120〜160円/t 昭和11年:215円/t 昭和12年:275円/t 昭和13年:350円/t 資材、特に鋼材の入手量は、昭和8-10年の平均が31万トンに対し、12年には75万トンを超えた。 2倍以上。 ここで取りうる対策は ・受発注整理、不急用船型の整理 ・生産力の増強、工法の合理化、船型統一による資材節約 大雑把に言えば、需要の抑制と供給の合理化。 生産力の増強は、生産設備の拡大ではなく、合理化によって達成しようとしていた。 要するに、造船設備を作っても増産には結びつかない現状があったから。 一番の隘路となった要因は「厚板を中心とする鋼材入手の困難」。 これをまず押さえなきゃいかん。
「厚板を中心とする鋼材」が必要なのは、造船業(商船)だけじゃない。 軍需を中心とした造船、機械工業でも必要なもんですわな。 政府は、軍需生産の在庫積み増しと、価格高騰による投資の動きに対応せにゃいかんかった。 民需に資材を回すなら、計画的な資材配分を実施なきゃ二進も三進もいかない。 ここで、昭和15年9月27日に閣議決定された「海運統制国策要綱」に繋がる流れができた。 昭和13年前後がその契機となった時期ですな。 昭和3年前後(10年前倒想定)にこのような動きを政府がするような動機は特にないわけです。
このような造船統制、配船の準備が進む中、欧州大戦が勃発。 イギリスをはじめ交戦国は自国船の徴用と中立国からの傭船を急造させる。 その結果、日本では傭船の確保が困難となり、日本船への切替が行われる。 それが、物資輸送を圧迫する。資材(鋼材)輸入も困難になる。 船舶の不足が、その船舶の増産を圧迫するという不のスパイラルは既に開始されているわけですな。 アメリカの通商破壊以前にかなり危機的な状況になっている。 しかし、平時標準船は強制されない。 標準船型の強制、資材配当の統制は、受注主、造船界からの反発が大きく紛糾の種になって供給の増加には特に寄与しなかった。 そして、平時標準艦も、国際競争力を強化した製品ということであり、後の戦時標準船のような量産を行う思想上のものとは少し違っていた。 ここで、その反発を抑え、戦時標準艦を受注主、造船業界に強制する法的な整備が可能であったのか? そして、それが可能であったとして、船舶増加にどれほどの効果があったのであろうか? この2つの考察が必要となります。
×不のスパイラル→○負のスパイラル ということで、平時標準船ですら、業界には反発が大きい。 これを、あの「戦時標準船」に切替、資材不足の隘路を突破できたのか。 もしくは、切替を行わず、資材配当の再構築のみで増産に対応することは可能であったのか。 後知恵で、こうすればよかったという考えはあるかもしれません。 しかし、その考えが浮かんだとして、当時の時間軸に住む人にそれを実行する強烈な「動機」があったかどうか。 難しい問題ではないかと思います。
>>896-900 誰かの本の受け売りで、歴史の可能性を動機が無かったで否定するのは簡単だな。
バカすぎるw
>>902 推測じゃねーじゃん。
ただ、分けの分からん本を書き写しているだけだろ?
造船の生産力を増強させたらどんな影響でたか、考察するのが推測。
手前勝手な文章をコピーして、「当時の人は頑張りました。それは出来ません」って書くんじゃ阿呆にできるだろ。
そもそも、引用している本が胡散臭い。
誰も読まないような本の名前を出していきがっているだけじゃね?
>>903 知的作業が出来る程度になってからもう一度おいで。
哀れだねぇ。
しかし、頭の悪い俺なんかは、このような話を書かれても、なるほどと思うだけだな。 ためになる話は有難いが。 こちらから議論するような材料を提供できないのが申し訳ない。
>>895-900 で、結論は?
「○をしたら×になった、だから○をすべきだった」
といった起承転結が
>>895-900 にはまったく見られない。
コピペし忘れたというなら待つが、コテ付とこの件に関する過去レス番の指定もお願いしたい。
>>907 そりゃ君に読解力が根源的に欠けてるだけでしょ<起承転結が無い。
910 :
892 :2010/05/12(水) 04:17:43 ID:???
新聞記事文庫等で資料調べてたら話が進んでる。
>>895-900 山崎史朗って知らないなあ。でも当時の造船状況はある程度理解してるつもりだが。
ところで1932年10月の船質改善助成施設を、一次大戦直後(てより軍縮時)まで前倒しって話で。
何で昭和11〜13年の話したり、昭和3年で前倒しの動機がないとか頓珍漢な事言ってんのさ。
とりあえず規制で数字と長文貼れないけど、ちょっとだけ。
日本の1920〜1937年100総トン以上商船進水量(単位:千総トン)
457/227/83/72/73/56/52/42/104/164/151/84/54/74/152/146/295/451
目指してるのは進水量が10万トン切ってる、1922〜27年の造船需要を増やして新造優秀船で代替し、質的改善をする事。
とりあえずこの時期は量的拡大は考慮外。
1933〜34年日本の保有船舶は2019隻425万5859トンで、うち船齢25年以上の老朽船は478隻92万9547トン。 造船不況どん底の1932年1/1の係船は37万トン(他国はもっとひどかった)。 原因は一次大戦後余剰となった、安価な外国中古船を1920年代に大量輸入した為、老朽船が溢れて造船需要を圧迫していた。 1932年10月〜35年3月末までの第1次船質改善助成施設は、そうした老朽船(船齢25年以上)のうち94隻40万総トンを廃棄。 不経済船を廃棄して新造高速船で代替し、質的改善と造船需要に貢献した。 助成は速力に応じてトンあたり45〜54円、4000総トン以上13.5kt以上の条件で、31隻20万総トンを新造。 2年半の予算は1100万円(巡潜1隻分相当) 33〜34年の進水量は22万程度なので、造船需要に大きく貢献したと言える。
>>910 >目指してるのは進水量が10万トン切ってる、1922〜27年の造船需要を増やして新造優秀船で代替し、質的改善をする事。
史実で実施された対策を前倒しにして1922〜27年の質的な改善を行うという主張であり、
造船産業統制全体の流れを10年早め、量的な拡大も合わせて前倒しするという話ではない。と、いう主張でOK?。
それであるなら、自分の早とちりだ。すまんね。
で、その場合、以降の「第1次船質改善助成施設」で掘り起こされた需要を前食いする部分も出てくると思う。
そのため、結果として質の向上の成果は、助成期間の長さに比例したものになるかどうかは不明。
助成期間が長くなるので、それなりに質的な転換は早くなるとは思うが。
また、商船の質的な変換は運用効率を上げるので、それなりに輸送の隘路は良化するとは思うが、どの程度かは試算しなきゃ分からない。
すごく、大雑把な話ではあるけど。
輸送効率のアップ→資材輸入量の増大→造船資材割り当て増加
という効果が、現れるようにするならば、史実で実施された「雪だるま方式」をこれに組み合わせてみてはどうだろうか。
助成で新造された優秀船で運ばれた資材関連は、その造船所に優先的に配当するという政策を実施。
資材配当が無いことは、造船側でもビジネスチャンスを逃しているわけなので、動機にもなりうるかなと。
まあ、最終的に対米戦を選択した場合、日本のシーレーンがズタズタにされる結果は変わらないという意見もあるだろうが。 その最終的な帰結に辿りつくまでの様相はかなり違ったものになる可能性はあるかと思う。
>>912 鉄鉱石や石炭が湯水のように沸いてくると思っているのか。
原料が揃っても高炉の数やらいろいろあるぞ。
浜口内閣と続く若槻内閣の失われた2年半が決定打だったな。 緊縮財政と金解禁で経済が完全に縮小してしまった。 一方で野党は統帥権の鳩山だから政治が悪いとどうしようもないな。
>>914 そりゃ、対米戦を想定するなら高炉は必要だけどね。
くず鉄を入手できる環境なら、別にいいんじゃね。
戦前の資材入手の阻害要因で大きいのは生産力よりも外貨。
この外貨は傭船でも出て行ってしまいますが?
輸送力のアップってのは波及が大きいって話ではないのかな。
×対米戦→○くず鉄を入手できなくなる状況 だね。 正確には。 高炉優先にすべきかどうかってのは、また関連資料を漁ってみないとなんともいえんね。
皆さん方ならあの「リセットの嵐」と異名をとったシミュレーションゲーム 「太平洋の嵐」もめげずにプレー出来るでしょうね。 俺もウォー・シミュレーションゲーム好きだったけど、 あれには手を出さなかった。
懐かしい。 源田実が題字を書いていたPC98版をやったなぁ。DXだったかな。 あれは、日本の対潜水艦能力高すぎなんで、輸送は手順をルーチン化すればそんなでもないよ。
>>918 東南アジアの占拠を完了した時点で陸海軍の航空部隊を大陸に集中し
一気に大陸打通しとけば余裕。
目一杯良くプレイしてどこまでいけるの? 中立国の仲介で戦前より少し良い条件で講和? まさか勝てたりする?
忘れたけど、洋上の小島に100個師団とか居て占領できず、 占領根拠地数が足りないまま時間切れ(そのまま講和?)だったと思う。
まあ世の中にはSPIの "Pacific War" を実際にプレイした勇者もいらっしゃるので……。
製鉄、鉄鋼産業について 結局、WW1まで労働者の低賃金で国際競争力を維持していた。 でも生産性の悪さから以下の問題が顕在化するまえに体力を失っていく。 ・直接生産に関わらない間接費の高さ ・多品種少量生産にならざるを得ない、日本市場の未成熟 ・日本の金利が高い。1910年代は日本が平均7.1、アメリカ51、イギリス3.7 WW1後には、インド銑鉄に価格で全く対抗できない。インドは安くなり、日本は高くなった。 日本が高くなった原因は、労働コストの上昇と、中間財の値上がり。 最大の武器だった労働コストが3倍になってしまうと、上の問題をどうにも解決できないようになった。 インド銑鉄はトン当たり単価が16円とかで、むしろこれを輸入して鋼材を作るほうが経済原則上合理的な状況になった。 なおさら、設備投資は進まない。 結局、生産性の悪さで収益率が悪く、小規模の生産施設で安価な製品作るにはくず鉄が必須だった。 これは、同時期日本だけのではなく、世界各国で普遍的な話。 ここで、日本だけが高炉優先政策をとって、くず鉄に頼らない政策をとったとしても、国際競争力がますます無くなり、死んでしまったかもしれない。 単純に高炉優先政策を補助金なんかで誘導しても、くず鉄依存をなくすということは難しかったんじゃないかな。 アメリカのくず鉄に依存せざる得ないのは、日本の工業化全体の厚みの問題もあるし、この業界の努力だけではどうにもなりそうにない。 (参考:「日本の工業化と鉄鋼産業」とか諸々)
落ちた?
日本の製鉄業って1930年代になってあれでも急成長してたような。 1920年代だと年産100万トン代とかでなかったか? それと銑鉄だけでなく鉄鉱石もインドからの輸入だったような。 現代では中国が製鉄世界一になったけど、中国も結構くず鉄依存だよね。 それは鉄の価格上昇の影響もあるだろうけど。 でも戦後日本が一気に造船も製鉄も、アメリカ抜いて世界一になったのはすごい。
通商破壊には関係ないが、日本の急成長と敗戦によるドツボというと パラグアイを思い出す。 あの国はスペインからの独立後数十年にわたり鎖国していた。 時の大統領が政敵である貿易業者を干すのが目的だった。 その後の大統領が開国して富国強兵に努め 輸入ばかりだったのが輸出が増え貿易黒字になった。 南米で最初の鉄道を引いた。南米最大と号する陸軍を常備した。 その大統領の二世がウルグァイの内政に干渉したあげく ブラジルとアルゼンチン両方を敵に回した。 日本は天皇の一声で全軍が武器を捨てたが、 パラグアイにはそういうものがなかったので首都を奥地に移すこと三度、 大統領が死ぬまで戦争が続き、男の子まで武器を持って戦い、 捕虜や民間人に対する敵の扱いも残虐だったので、 飢饉や流行病のためもあって人口は激減した。 特に子供を作れる様な男子はほとんど居なくなったそうだ。 おまけに日本みたいに戦勝国間の共産主義と自由陣営との対立や 戦争がなかったので、占領軍であるブラジルは傀儡政権を置いて 二度とパラグアイが工業国として立てないような政策をとらせることを続けた。 そのせいでその後一世紀半を経た今日でもパラグアイは四流国で、 ろくなものが作れない。
ほしゅ
大海令第十六号 昭和十七年四月十日 一、連合艦隊司令長官ハ南西方面艦隊司令長官ヲシテ主トシテ第一海上護衛隊ヲ以テ左記海域ノ海上交通保護ニ任ゼシムべシ 第一保護海域(北緯三四度線以北海面及東経一三三度以東海面ヲ除ク) 第二保護海域(北緯二七度線以北海面ヲ除ク) 大海令第十七号 昭和十七年四月十日 一、連合艦隊司令長官ハ第四艦隊司令長官ヲシテ主トシテ第二海上護衛隊ヲ以テ左海域ノ海上交通保護ニ任ゼシムべシ 第一保護海域(北緯三五度線以北海面及東経一三三度以西海面ヲ除ク) 大海令第二十一号 昭和十七年十月七日 横須賀鎮守府司令長官ハ横須賀鎮守府、大湊警備府両所管警備区ニ亘ル海上交通保護実施ノ統制ニ関シ大湊警備府司令長官ニ必要ナル指示ヲ為スベシ 大海令第二十二号 昭和十七年十月二十一日 一、呉鎮守府司令長官ハ大阪警備府所管警備区内ノ防空並ニ瀬戸内海ノ防衛実施ノ統制ニ関シ大阪警備府司令長官ニ必要ナル指示ヲ為スベシ 二、横須賀鎮守府司令長官ハ横須賀鎮守府大阪警備府両所管警備区ニ亘ル海上交通保護実施ノ統制ニ関シ大阪警備府司令長官ニ必要ナル指示ヲ為スベシ 大海令第二十六号 昭和十八年十一月十五日 一、海上護衛司令長官ハ麾下海上護衛隊ヲシテ主トシテ其ノ担任航路ノ船団護衛ニ任ゼシムルト共ニ海上交通保護及対潜作戦ニ関シ各鎮守府司令長官及各警備府(海南警備府ヲ除ク)司令長官ヲ指揮スベシ 二、海上護衛司令長官、支那方面艦隊司令長官及連合艦隊司令長官ハ海上交通保護ニ関シ互ニ協力スベシ
そういや大海令ってゲームがむかしあったな。 アートディンクだったっけ?
通商破壊=潜水艦、海上護衛=潜水艦対策というイメージが横行してるが。 通商路の制海権をとる事こそ、最大の通商破壊であり海上護衛なんだが。 フィリピンを奪われて飛行場から空襲されたら、潜水艦対策が万全でも何の意味もない。 江戸時代から日本は、外国による江戸湾封鎖を最も恐れていた(だから運河やお台場を建設した)。
>>932 打ち出の小槌って知っているよな?
たったソレさえあれば、前線の兵力を史実と同等に維持しながら後方の護衛兵力を史実よりアップさせることが可能。
潜水艦による通商破壊は海上戦の趨勢が必ずしも直結しないから 個別の議論が成り立つわけであり
支那事変で日本軍が中国沿岸部を飛び飛びで占領しているのは港を占領する事で海上輸送の断絶を、 仏印を占領する事で同方面からの陸路による補給路の断絶を狙っているわけだからな。 ビルマ占領もビルマロード封鎖が目的の一つなわけだし。 それなのになんで日本軍は敵の輸送路の事は考えない、正面での戦闘のみしか考えない軍隊なんて言われるのだろうか。
936 :
名無し三等兵 :2010/07/17(土) 14:46:25 ID:A9gR3Dkq
日中戦争で海軍は中支や南支で大規模な封鎖戦やったよね。 2次大戦でも米豪遮断を考慮した戦略を立てたり(基地航空隊による通商破壊)。 インド洋でもたびたび通商破壊戦を計画している(潜水艦だけでなく水上部隊も投入した)。 それなのに、潜水艦の活動が活発でない=通商破壊に熱心でないと言われてしまう。 艦隊決戦は米渡洋艦隊による、通商路の封鎖を阻止する為なのに護衛に熱心でないとか言われる。 護衛ってのは直接護衛だけでなく、安全な航路帯をつくる間接護衛もあるのに。 空で例えると爆撃機を直接護衛するだけでなく、戦闘機単独での制空権奪取の作戦も間接護衛になる。
昭和18年5月21日永野修身軍令部総長は、後藤英次鎮海警備司令官に対し、黄海に対潜防御用機雷原を敷設すること下令した。 特設巡洋艦「西貢丸」、特設敷設艦「高栄丸」、「新興丸」は、一時的に鎮海警備府に編入され、朝鮮半島の南西端から南西に向け、長さ158浬に渡り2列6,000個の機雷を浅深度に敷設することになった。 昭和18年6月初め黄海南部に3隻が並行に航行し、80メートル間隔で震度13メートルと23メートルに敷設。 昭和18年9月敷設艦「那沙美」が黄海に機雷を敷設、同機雷原を強化。 昭和19年1月敷設艦「厳島」が黄海に機雷を敷設、同機雷原を強化した。 昭和19年1月〜2月哨区が黄海の米潜水艦「スコーピオン」は、1月6日以後消息を絶ち、黄海に敷設された機雷原にて沈没したものと推定されている。 哨区が黄海の米潜水艦「エスコラ−」は、9月18日ハワイを出撃。10月17日に僚艦「パーチ」に「本艦の現在位置は黄海にあり」と通信を送り、以後、消息を絶った。
昭和19年6月19〜20日第四機雷礁(沖縄付近)で敷設作業がおこなわれた。 第十八戦隊:敷設艦「常盤」・特設巡洋艦「西貢丸」・特設敷設艦「高栄丸」・特設敷設艦「新興丸」 警戒隊:水雷艇「友鶴」(第四海上護衛隊)・敷設艇「鷹島」(大島防備隊)・駆潜艇第五八号(第四海上護衛隊) 上記、特設艦艇は、九三式機雷と六号二型機雷を合計1,650個を距離165キロ、各100メートル間隔で深度13メートルに敷設した。 昭和20年1月沖縄近海の配置についていた「ソードフィッシュ」への屋久島近海に移動する命令に対し、1月3日受信確認の通信を送信。 以後、音信を絶ち、沖縄近海で機雷原にて沈没したと推定される。
第二三特別根拠地隊:特設捕獲網艇「長良丸」(855総トン)・特設駆潜艇「鵲丸」(417総トン) 昭和19年8月7日、セレベス島北方にて船団上空直衛中の九五式水上偵察機が、潜航中の米潜水艦「サランドス」を発見、60キロ対潜爆弾2発を投下。 深度21メートルにいた「サランドス」の艦尾下方で爆発。 さらに護衛中の二三特根所属の特設捕獲網艇「長良丸」、特設駆潜艇「鵲丸」の2隻がこの潜水艦に対して爆雷攻撃を行う。 「サランドス」は、この攻撃を避けるために深度130メートルに沈下したが、左舷減速装置、右舷水深コントローラーが破損、出力は三分の二に減じた。 また、後部発射菅の魚雷の推進装置が動き始め、やむなく「サランドス」は深度30メートルまで浮上し、魚雷を発射。20秒後に魚雷は早爆した。 「サランドス」は作戦を中止し、右舷1軸でオーストラリアに帰還した。その後、損傷が甚大であったので本国に大修理のため向かう。戦列復帰は翌年4月であった。
昭和18年6月16〜24日「白糖灯台沖対潜攻撃」 三陸白糖灯台沖にて、大湊空の飛行機が潜没している潜水艦を発見。水偵6機と特設駆潜艇「水上丸」の協同攻撃により、大量の油の湧出を確認した。 岩手県釜石沖にて、第二六一五船団(3隻)を護衛中の駆逐艦「野風」と水偵の対潜攻撃の記録もある。 6月22日大湊空の水偵が、白糖灯台沖にて船団護衛中、船団前方に移動する油泡を発見。この油泡の前方80〜100メートルに対潜爆弾2発を投下。応援の水偵が到着、対潜爆弾を投下した。 午後敷設艦「白神」と特設監視艇「宮丸」(81トン)が到着し、爆雷を投下した。 その後、特設監視艇「海和丸」(99トン)、特設駆潜艇「水上丸」(97トン)、特設駆潜艇「文山丸」(97トン)が到着、さらに爆雷攻撃を行う。夕方重油の湧出点は移動を停止した。 6月23日「白神」、「水上丸」が現場に到着、爆雷を投下。 水偵により投下された対潜爆弾は59発、水上艦艇による爆雷投下は66発。 【戦果】撃沈:潜水艦1隻[水偵/敷設艦「白神」/特設監視艇「宮丸」/特設監視艇「海和丸」/特設駆潜艇「水上丸」/特設駆潜艇「文山丸」による協同攻撃 《米軍記録》喪失:潜水艦「ランナー」
昭和19年6月14〜18日「三陸沖対潜攻撃」 6月14日八戸の北方海域で、「相模川丸」(6,886トン)が雷撃を受ける。被害は不明だが沈没はしなかった。 大湊防備部隊、北三陸部隊、大湊空が協同して潜水艦を探知、追跡。白糖灯台の北東7.7浬付近の機雷原に追い込んだ。 追跡艦艇は付近で、コルクや筏の破片を発見、幅50メートル、長さ5,200メートルの油帯を確認、撃沈確実とした。 6月18日 0700北三陸部隊の特設監視艇「宮丸」(81トン)が、物見崎南西10キロに南方へ幅100メートル、長さ2キロの油帯を発見。 0830大湊空の水偵が現場に到着し、対潜爆弾3発を投下。 0849「宮丸」が爆雷を投下。 1100水偵が幅10メートル、長さ200メートルの油の流出を確認。 1300「宮丸」が再度爆雷を投下。この攻撃で直径2メートルの気泡が上がり、油が湧出してきた。 1550応援に来た特設駆潜艇「文山丸」(97トン)が爆雷を投下。 2010幅100メートルにわたり油が広がってきた。「文山丸」「宮丸」が投下した爆雷は18個。 【戦果】撃沈:潜水艦1隻:水偵/特設監視艇「宮丸」/特設駆潜艇「文山丸」による協同攻撃 《米軍記録》喪失:潜水艦「ゴレット」
ほしゅ
連合国商船の初期の救難コード AAA < Aircraft = 飛行機より攻撃さる QQQ < Questionable ship = 怪しい船が接近す SSS < Submarine = 潜水艦より攻撃さる RRR < (surface) Raider = 通商破壊艦より攻撃さる だったっけ? 良スレ落とすなage
945 :
名無し三等兵 :2010/08/18(水) 10:22:39 ID:u9LefLGm
連合国より日本のほうが単純明解だね。 セコセコチンチン…潜水艦の攻撃を受け沈没に瀕す。 ヒコヒコチンチン…飛行機の攻撃を受け沈没に瀕す。
RRRはシェーア戦記で知ったなぁ
>>945 ジョークかと思った。
>>947 日本ではどうか知らないけど
WWII連合国では商船改造艦だろうが巡洋艦だろうが戦艦だろうがRRRだ。
>>949 その意味で使われた事もあるみたいだね。
でもセコセコチンチンで検索すると両方の意味でおkみたい。
みなさん商船萌えですか
いえ、チンチン萌えです
953 :
名無し三等兵 :2010/08/20(金) 13:12:28 ID:ybAl215/
沈没の危機に直面しても、セコチンとかヒコチンとか、 脱力感たっぷりの電文を発信して消えゆく日本船… たとえ死に直面しても余裕を忘れない日本魂の結晶。
954 :
名無し三等兵 :2010/08/21(土) 13:04:44 ID:RSfYjv6J
軍艦が沈没するときも同じ暗号なの?
商船が打つ簡単な電信と、軍艦のそれは別なのでは。
956 :
名無し三等兵 :2010/08/22(日) 09:26:32 ID:qTQwSuqF
>>955 緊急時だから軍艦だって簡単な電信しか出さないのでは
戦艦大和も沈没時に同じ信号を・・・胸が熱くなるね
飛行機ならともかく、軍艦だと長い決別電を打ってくる。 沈むまでに時間的余裕もあるからかね。 商船は独航であっさり沈むからな。
駆逐艦は軍艦じゃないからなぁ(T T)
大戦中に2chがあったら無線傍受している有志の手で船舶交通情報板が立ちそうだw。 【損害情報】バシー海峡方面 其の190 956 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2604/08/22(日) 09:26:32 ID:soSQqQorz 三井商船○×丸沈没@ヒ774船団。 原因はボカチン。 956 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2604/08/22(日) 09:32:58 ID:mUriPoOWt ちょwww俺の船続航中なんだがw。 なんか乗員の動きが変だと思ったけどマジスカorz。
「マル・コード」はアメリカ海軍に筒抜けだった件
たくさんの護衛艦よりたくさんの飛行機で安全航路帯を確保する方が安上がり。 後は機雷堰と護衛艦でなく駆潜艇で航路帯の定期哨戒。 最も確実なのはハワイとフリーマントルの潜水艦基地を占領、もしくは無力化。 でも元々戦争やるには輸送船が圧倒的に不足してる。 陸軍200万トン海軍150万トン民需350万トンは最低限ほしいし。 タンカーは民需海軍とも充分にほしい。
それだけの物を建造維持できる資源資金が十分にあるならなんで戦争するの?
つ石油
>>962 それだけのものって、増えてるのは商船だけだが。
350万トンは官僚的作文の結果で、本当はもっと必要だったって話もあるしね
そんなもん稼働率の一言で終わる
>>965 元々350万トン自体石油除いて米と鉄鉱石を100%輸送できるだけで、その他重要物資の70%を輸送可能という程度の量。
それに平時並に障害なく輸送できる訳じゃない。
戦争になると外国の傭船も使えないし、平時は輸出入のどちらかには外国の船でも輸送してたのに、自国籍の船しか使えない。 その上陸海軍でも徴用するから当然船は足りなくなる。 かといって平時にたくさん船があっても持て余すだけ。 せめて陸海軍の徴用を減らすか、陸海軍で使う輸送船は平時から軍の予算で建造保有しておくか。
第一次大戦後に大洋航路で華を飾った日本の高速船は 軍で建造費の一部を持っていたんだよね。 戦争になったら徴用に応じる縛りで。
>>970 戦争初期は無制限潜水艦戦でなく、警告後の攻撃だったり拿捕した後で乗員は解放されたりしてるしな。
あとフランスやノルウェーの船や乗員もたくさん亡命してきている。
イギリス連邦はカナダやインドやオーストラリアと、世界中に拠点あるしなあ。
>>961 せめてハワイへの石油輸送を寸断できれば、と妄想したくなるよね。
石油がなければ、潜水艦はただの鉄屑なんだから。
42-43年、月刊エセックスが登場する前にこの作戦やられたら、
ハワイへの輸送船団に正規空母を投入するところまで追い込まれるハズだから、
結構苦しかった米軍の空母運用が、ますます苦しくなってただろう。
もちろん、6Fは壊滅的被害を蒙るだろうが…
岩重多四郎 戦時輸送船ビジュアルガイド 買いました。
>>972 クエジェリンまでの兵站負荷で作戦が破綻するだろ。
大型潜に頼らないとそもそも作戦が計画出来ないレベルの話だし、
アメ側の対潜作戦で損害を受ければ日本側は潜水艦を本土まで
後送しないと修理できない。
史実で開戦劈頭以外にアメの西海岸で潜水艦作戦が出来ないのは
一番大きな理由として根拠地の問題が有るから。
クェゼリンはトラックの近所だから そこに6F維持の兵站が出来ないとしたら 史実の6Fの南東太平洋方面作戦は出来なかったってことになるぞ。 巡潜が常時20隻あったとして、平均三ヶ月の行程で戻るとして 1年で(休息無し)4度出撃、述べ80隻。 1隻当たり燃料800tだから、1年フルに動いても64000tで足りる。 タンカー4隻分だから3ヶ月に一度タンカーが入れば間に合う。 実際はそこまで稼動させないはずだから4ヶ月に一度で充分余裕がある。 またトラックには工作艦や潜水母艦も居るから 帰投出来る程度の損害ならある程度は修理も出来る。 (戻ってきたらオーバーホールで帰国もありそうだが) 稼働率6割、目標海域に居るのが稼動の1/3として 常時4隻の潜水艦がハワイ近海にあることにはなる。 これが充分な戦力なのかどうかはわからないけど。
>>975 ・トラックの燃料タンクがどの位持ってたか知ってて言ってんのか?
・乗組員休息無しで連続出撃させたら比喩でなく死人続出だぞ?
(潜水艦乗組員休養用に態々温泉街に入港させてる位大変なんだが)
・クエジェリン自体がそんなに広くない環礁だって忘れてるだろ?
(史実でも開戦前の集結・出撃時に事故で呂号潜を喪失してる)
・そもそも史実の南東方面作戦では潜水艦の根拠地はトラックなんだけど。
米独みたいに最低150隻くらいの潜水艦がないと、効率的で継続した通商破壊は無理だよ。 日本だと1〜2ヶ月の一時的な作戦になってしまう(継続作戦でなきゃ手持ちの全隻投入できるし)。 それに少ない隻数で細々やっても大して戦果は挙がらず戦果より敵の補充能力が上回り、こちらは損害ばかり多くなるだけ。 多くの戦力を集中しても効果が挙がらず、他の作戦(要地偵察とか)に支障が出るだけだから長期継続作戦はおすすめできない。 何か重要な作戦があって一時的に敵の行動を鈍らせたい時だけ、総力あげて短期間やるのがいい。
スケジュール的には2ヶ月作戦(根拠地から作戦海域への往復含め)して、1週間休養・整備後に1週間訓練してまた作戦。 2回作戦したら本土に戻ってオーバーホール(往復2週間・ドック入り2週間)て感じになるかな。 半年に2回の割合で出撃できればいいほうでしょ。 でも海戦があればそっちの手伝いに狩り出されて、その度に作戦は中断される。
真珠湾沖東方500浬周辺に、常時4隻の潜水艦が、米タンカーを虎視眈々と狙っている状態なら、 米軍には結構な脅威だね。 史実の日本海軍は、こういう後方兵站攪乱作戦に興味関心が薄かったけど、 輸送船団の消耗に持ち込めればベストではあるが、 この海域に日本の潜水艦群が、輸送船団を常時狙っている、と米軍に伝わるだけで十分。 たまに攻撃を仕掛ける程度でイイ。 こうなると米軍は護送船団を組まないといけないし、護衛に空母を張り付けたいところ。 ハワイでは石油は産出しないから、西海岸から重油・ガソリンの輸送が途絶えると、 潜水艦はおろか、航空機も太平洋艦隊も身動き取れなくなる。 従って、虎の子の空母を、西海岸=真珠湾の輸送船団護衛に張り付けざるを得ない。 この状態で、珊瑚海・ミッドウェー・南太平洋海戦などの空母決戦を日本と戦ったら、 史実以上に米軍は苦しくなる。
>米軍は護送船団を組まないといけない ハワイ周辺での哨戒強化だけで済むなぅ
>>979 第6艦隊は3個戦隊なので10隻程度は投入できるだろうけど、4隻程度でそんな大きな効果が見込めると思える感覚がすごい。
ハワイには補給がなくても半年分の燃料備蓄もあるし、月1でタンカー10隻程度の補給だろうけど。
会敵できるのは散開線で最も船団に近い位置にいる1隻程度。
まあ月1隻撃沈できるかどうかて感じになるでしょ。
もちろん一度被害受けたら警戒は厳重になるし、空母なんて付けなくても潜水艦は視界限られるから会敵できるかさえ怪しいよ。
暗号解読とかで事前に船団がいつ頃通過予定とか情報得られないとね。
例えばUボートだと、米沿岸襲撃作戦のドラムビートは6隻で始まった。 モンスーン戦隊は1+11隻だが、どちらも非常に効果的な結果を残してる。 だから20隻前後で常時4隻ってのは結構な戦力ではあるんだが わかりやすい撃沈戦果を狙うよりは、敵兵力誘引拘束を狙う程度じゃ無いかな。 空母が居なければタンカー食えて 空母が来たら前線に空母無いわけだからそれも歓迎というような。
>>981 毎月タンカー数隻だったかと(そのぐらいしか序盤は来れない)
>>982 こちらも潜水艦戦力を拘束され他作戦に使えないのと、戦果がコストや損害に見合うかだね。
ガダルカナルへの補給は妨害できなかったが。
護衛は空母投入しなくてもオマハ級軽巡と駆逐艦で足りると思う。
なんつーか、補給路遮断が可能! と主張してる当人が一番補給についての理解が浅い様な
ハワイへの石油輸送寸断が目的で、
>>972 では潜水艦の活動を封じる為となってるが本命は空母みたいね。
イギリスに貸与してたアーチャー級・アタッカー級やボーグ級護衛空母の動員はあっても、前線への陸兵輸送でない後方輸送で正規空母投入はないな。
Uボートに苦戦してたイギリスでもそれはやらないだろう。
マルタ島への輸送なら投入するけど。
それと日本がやるならアメリカも同様にトラック封鎖するかもね。
ただ量産護衛空母の就役って43年以降で、42年中は数隻しかない。 前線の航空機輸送にも使いたいし、大西洋にも欲しいわけで 意外と護衛でも正規でも空母のハワイ投入の余裕は無いかも。
調べたら42年だと英は正規空母まで船団護衛に出してるね。
少ない隻数でアメリカ西海岸での海上交通路遮断をするなら、 絶対に根拠地(泊地ではない)をもっと行動範囲に近いところに 置かないと効果が期待出来ない。これは、移動と行動期間の 制約を考えれば直ぐ理解出来るだろう。 かといって多くの隻数を動員する為には、史実での他方面の作戦 に齟齬をきたすだろう。 仮に史実の潜水艦数でクエジェリンを根拠地として通商破壊をする なら、他方面への潜水艦派遣はそもそも不可能なレベルになるし、 クエジェリンそのものにももっと大掛かりな工事をして一大根拠地に しないと「西海岸に潜水艦を派遣した」と言う事実だけで終わる。 因みに、史実ではハワイ作戦後に派遣潜水艦を東進させて、 西海岸での通商破壊を実施してはいる。約1ケ月間の作戦で、 それなりの戦果をあげてはいる。 しかし、それでも継続して西海岸方面への潜水艦派遣を行わなかった のは ・数が足りない ・クエジェリンは狭過ぎて休養が無理、と言うか、そもそも補給でも「危険」 日本帝国にはアメリカのような強力な兵站が存在しない、と言う事は 常に念頭に置かれるべき事だろう。
まあ、結局史実ではインド洋に投じるつもりだったわけで やり始めたところでソロモン攻防戦が始まって頓挫したけど。
>>991 インド洋への潜水艦重点投入は意味が有ると思うけどね。
出撃根拠地も整備根拠地も近いから。
1000隻からの船が行き交うインド洋での通商破壊と、月数隻のタンカーをピンポイントで狙う攻撃とは当然だいぶ違ってくる。
>>987 もしも空母投入の余裕がないなら、タンカー襲撃の成功確率は高くなる。
空母投入するなら、日米空母決戦で日本側有利に働く。
どっちに転ぶにせよ、6Fをすり潰す価値はあるかもしれない。
そういう意味では、井上成美が軍令部次長で、新軍備計画論に基づく戦争指導を推進していたら、
日米戦はどうなっていたのか、興味深いところである。
襲撃以前に外洋で会敵する事自体が難しいから。 潜伏地点がわかれば対処もしやすいし、航路変更も可能だ。 そう都合良くはいかんよ。
>>995 がいいこと言った。
敵の通商路が局限できない環境で索敵能力も持たずに通商破壊するのは自殺志願なんだが。
ドイツのバラケンシュラーク作戦が少戦力で索敵能力を持たないにもかかわらず成功を収めたのは、
海流や沿岸地形の関係で沿岸部ギリギリに航路帯が収束していたから。
逆にハワイは真珠湾湾口にでも潜伏しない限り入港船舶を確実に捕捉するのは無理だし、
叩けるとこまで近付いたら相手の要港警備兵力に簡単に捕まる。
早期講和を目的にした戦争で通商破壊ってどうよ
増援に来る敵師団に大ダメージを与えるには爆撃や白兵突撃より 輸送船をボカチンしたほうが効率がいいのは、日本にとって痛い教訓
999 :
名無し三等兵 :2010/09/15(水) 20:45:23 ID:Pr5rXuPq
スマスマチンチン、スマスマチンチン…
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