チハタンは強い、強すぎる!31mm番街の奇跡

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821名無し三等兵
>>753
読んだ。
1998年ころからの雑誌連載に、オスプレイのコロミーエツ本を足したもの。
前半が戦車の話で、後半が戦闘機の話。

戦略的に負けで、日本軍に問題点が多かったのも事実としたうえで、
これまでの事実誤認をいくつか突っ込んでいく流れ。
ノモンハンに興味を持って最近の動きも追ってた人なら、
目新しい話はないかもしれないけど、無難にまとまった本だと思う。

戦車がらみだと、玉田連隊長の本と旧軍の小戦例集(たぶん)から、
かなり詳細な戦闘経過を引っ張ってきてる。
どっちも基本史料だけど、入手しやすい一般書としては珍しいかも。

戦闘機のほうは日本軍大勝説の否定。これはネット上に似たような内容がある。
822名無し三等兵:2009/10/13(火) 21:07:59 ID:???
落としても後から後から湧いて出てくる
ソ連機に後半じゃ圧倒されてるというのは、そこらの資料でも書いてあるはずだが
823名無し三等兵:2009/10/14(水) 10:34:08 ID:???
ちはたん<倒せないのに後から後から沸いて出てくるです><
824名無し三等兵:2009/10/14(水) 17:21:00 ID:???
ハ号の説明書(内容は確か>>753出典だった気がする)とかにノモンハンでの戦車戦が載ってたけど、わりと善戦してるのね

7月2日の戦いでは第4戦車連隊の95式軽戦車小隊がBT快速戦車8台を撃退
7月3日の戦車戦で日本戦車(戦車第3連隊の89式とチハ)30台前後とロシア戦車・装甲車150台が戦闘、
損害が日本側が約10台が大破(連隊長車を含む)でロシア側が戦車(BT5、T26)35台、装甲車が32台を損傷
最終的に装甲車部隊と対戦車砲との戦闘で戦車第3連隊は壊滅
第4連隊もBT戦車及び装甲車と交戦、3分の1が大破し撤退

89式が思いの外活躍してるのにびっくり
825暫編第一軍:2009/10/14(水) 22:22:36 ID:???
>>824
 このの戦いには現時点では疑問があるんですよね。
 戦史叢書にある日本側の報告戦果には確かに戦車32、装甲車35を破壊とされています。
 しかしソ連側資料「ノモンハン戦車戦」(コロミーエツ著)によると
 第11戦車旅団第2戦車大隊のBT5戦車8輌が戦車第三連隊と1200より2時間戦い5輌を撃破したが3輌を損失。
 この部隊は1845にBT5戦車4輌が更に2輌の日本戦車を撃破し、捕獲した九五式軽戦車1輌を牽引して立ち去る。

 第9装甲車旅団も戦車第三連隊と遭遇し、偵察大隊が防御陣地にて日本戦車9輌を撃破し損失無し。
 第149狙撃連隊(1個大隊欠)の戦区も合わせると合計19輌の日本戦車を撃破したが、わかっている限り装甲車輌の損失は第11戦車旅団第2戦車大隊の3輌のみ。
 ソ連側主張の戦果19輌は日本側の損失戦車13輌、装甲車5輌にほぼ等しいものの、日本側主張の戦果はソ連側損失との差が大きすぎ裏づけがとれません。

 もともとソ連側戦車、装甲車150輌と戦闘したというのもかなり怪しく、この地区に配備されていた第9装甲車旅団は定数を満たしていたとしても装甲車82輌。
それさえここまでの戦いである程度損害を受けて減少している筈なのです。
 戦車については第11戦車旅団の主力は左岸にあって、右岸へはその一部8輌が1000に渡ってきただけですから装甲車定数と合わせても90輌。
 まして前夜の戦い(戦車夜襲)で、安岡支隊は大戦果(第三連隊が戦車・装甲車各20輌、第四連隊が戦車2輌、装甲車10輌)を挙げたと
報告しているのですから、7月3日には150輌はおろか90輌もいなかった筈なのです。
 或いは第149狙撃連隊の所属する第36自動車化狙撃師団には戦車大隊があるのでこの一部が支援していた可能性も考えた
のですが、7月1日現在右岸には他の部隊を含めて装甲車62輌が配備されていたものの戦車は無かったことがわかっています
から7月3日時点でも上記のBT5戦車8輌以外に戦車があった可能性は低いようです。
826暫編第一軍:2009/10/14(水) 22:29:59 ID:???
 但し装甲車の損害についてはもしかしたら第9装甲車旅団から第149狙撃連隊戦区へ支援に出されていた車輌があったとしたら、
又は戦車大隊が実際には装甲車装備だったとしたら相応の損害を出している可能性は無くもないかなという感じはします。
 それらがコロミーエツの著書でも資料が得られていない部分であったとしたらですが。
 その場合でも存在した戦車・装甲車の総数には変わりが無いのですが。