南雲忠一中将を再評価するスレ(部)

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86GF長官
>>79の続き

菅野機の活躍は、まだまだ続くのですが、ひとまず瑞鶴艦橋に戻りましょう。

報告電を誰よりも、誰よりも待ち望んでいたのは、間違いなくこの人、五航戦司令官・
原忠一少将であります。

『戦史叢書』には、この時の回想が記述されています。

「索敵機は発進したものの、なかなか発見報告がなく、今日はもう発見できないかと
感じていた。
作戦当初から空輸問題、ツラギの被空襲があり、6日には目標を逃し、7日の攻撃も
思うようにいかず、もはや戦運に見放されたかと考えていた。

その時、ぎりぎりの所で発見報告が入った。
直ちに攻撃隊を出したが、その後は距離が遠い関係もあって、攻撃隊と共に突っ込む
気持ちで、母艦は四戦速(30節)で急速南下した」

おお、まるで南太平洋海戦の角田少将を彷彿とさせますな。
「6日には目標を逃し」については、指摘しないでおきましょう。