1941年インパール作戦発動で日本大勝利

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163暫編第一軍
 >>156氏が指摘されている通りディマプール無防備説は誇張されたものです。
 3月中旬頃、ディマプールの兵員4,500名中小銃戦力は僅かに500名でした。
 しかしその後急速に増強されています。

 インド第161旅団(5Dの部隊)が3/26〜29の間にディマプールに空輸。
 インド第23旅団(長距離挺進)が4/12ジョラートに到着。
 英第2師団の先頭旅団が4/2、師団全力は4/15までにディマプールに到着。
 インド第33旅団(7Dの部隊)は4/5〜9にジョラート進出。
 インド第7師団主力は4/5空輸によって移動を開始。
 4月中旬までにディマプールとコヒマに終結した英印軍は計6個旅団で、近くインド第268旅団も到着することになっています。

 一方日本軍第三十一師団は3/15に渡河し行動開始。左突進隊がコヒマの旧部落を占領したのが4/5。
 この時点でもコヒマ付近を制する部落南西の高地には有力な敵が残っていました。
 中突進隊がコヒマ付近に進出したのが4/7。
 
 つまり、3月中旬のディマプールが無防備に近かったのは事実。
 しかし第三十一師団の左突進隊(1個連隊基幹)がコヒマ旧部落を占領した4/5にはインド第161旅団と英第2師団の先頭旅団は既に
ディマプールに着いていますし、英第2師団主力の少なくとも一部とインド第33旅団の一部も到着している筈です。
 左突進隊が三叉路高地を無視して進撃を続けたとしても2倍以上の敵に直ぐにぶつかり、中突進隊が追及してくる頃には更に数個旅団
が到着していることになります。
 コヒマ旧部落攻略後にはディマプールはもう無防備ではなかったのです。