「 仲間が降伏したにもかかわらず機関銃で撃たれたという話が日本兵に広がれば、投降しよう
という者などまずいなくなるだろう 」とリンドバーグは聞かされた。つまり 黄色い猿 に過ぎない
捕虜を取り扱う、余分な手間や面倒がはぶけるという理由からであった。
八月三十日に リンドバーグは、中部太平洋 ギルバート諸島にある タラワ環礁を訪ねた。
そこでは日米の激戦が行われ米軍も甚大な死傷者が出たのだが、日記には、捕虜になった
数少ない日本兵を一列に並べ、尋問に英語で答えられる者だけを残し、あとは全て殺させた
海軍士官のことが出てくる。
ある仲間の パイロットから直接聞いた話によれば、後ろ手に縛られた日本人捕虜達を輸送機に
乗せて収容施設のある地域に輸送する際に、 彼等を飛行中に突き落とす行為がおこなわれた。
そして報告書には捕虜全員が自分から飛び降りたと記録された。( 以上、第 2次大戦日記、
チャールズ・リンドバーグ著 )
ニューギニア戦線でのオーストラリア軍やマッカサー指揮下の第41師団は、「 捕虜を取らない 」
つまり武器を捨て両手を上に挙げて降伏しようとする日本兵や、既に降伏した日本兵 を殺する
ので有名だった 。
日本軍も負傷兵や捕虜に対する連合国側の殺害に関する情報をつかんでいて、戦時中の日本
からの対米宣伝放送 ( 東京ローズ )では、第41師団のことを 「 屠殺者、Slaughterer 」と
呼んでいた。
終戦直後ある米陸軍大尉が公表した記事には、 第41師団、捕虜を取らず という堂々たる見出し
が付けられていた。この師団が例外的に日本兵を捕虜にしたのは、軍事情報の収集のために
捕虜が必要な場合だけであった。( 容赦なき戦争、副題太平洋戦争における人種差別、
カリフォルニア大学教授ジョン・ダワー著 )
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